熊野古道紀伊路、和歌山県の王子社
高家王子 = 内原王子神社

日高郡日高町萩原字王子脇1670 ゼンリン


 内の畑王子から西川の西側の道を南へ進むと、JRきのくに線に直交する手前にこんもりとした杜がある。この杜が内原王子神社があり、高家王子である。 今に残る王子神社であり、古の各地の王子社を偲ばせるたたずまいである。地元では東光寺王子と呼ぶこともある。
 『御幸記』には記載はないが、それより十数年前の『中右記』には高家王子への奉幣のことがでている。

 なお、現社地の北側の字観音寺の祭りの御旅所とされている土壇上に祀られていたと言う有力な説がある。理由は現社地の住所は王子脇である事、祭りの御旅所とは遷座前の本殿である事が多いからである。
 源平盛衰記の惟盛入道熊野詣でに「鹿瀬の山を越え過ぎて、高家王子を伏し拝み・・」と出てくる。




内原王子神社 日高郡日高町萩原1670


祭神 天照皇太神 合 譽田別命、粟田次郎、大鷦鷯命、迦具土神、市杵嶋姫命、 金山彦命、日前大神、國懸大神、菅原道眞、石凝姥神

由緒 高家区伝来の沿革史には「天神七代御勧請は人皇八代孝元天皇六歳壬辰(452)年九月地神五代の御勧請は人皇十二代景行天皇七歳丁未(737年)六月とある。 四代で285年一代当たり71年はおかしい。中世の熊野詣で後の創建であろう。日前大神、國懸大神は紀伊名草の神であるが、熊野詣での際、奉幣を賜る事が常であった。 その神々を勧請している。

 和歌山は神社の合祀が猛烈になされた地域である。かの南方熊楠が猛反対したのだが、そのお膝元で合祀推進会が開催され、熊楠公は暴れ込んで牢屋行きとなった。なぜ、和歌山では神社合祀がなされる事が多かったかのひとつに、神社の神木が立派であり、これが役人の利権となったのである。 木の国であり、人々が長く大切にしてきた鎮守の森であったがゆえの行為である。民人を食い物にする事は古来からの我が国の役人の習性である。 この神社も地域の多くの鎮守を合祀している。30社である。この中には内の畑王子を合祀した今熊野神社を合祀している。 

 お祭り
 3月21日 春祭り
 6月30日 大祓い
10月16日 秋祭り


内原王子神社




紀伊續風土記 巻之六十三 日高郡 高家荘 萩原村からから

○若一王子社   境内周百間
 本社   八尺七尺    長床
高家村の境にあり 高家王子又東光寺王子といふ 萩原高家池田荊木原谷五箇村の産神なり
源平盛衰記曰権亮惟盛は蕪坂を打下り鹿瀬山を越過て高家の王子を伏拝み日数暫く経る程に千里の浜も近付けりとあり


 



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