原谷の馬留王子跡から南へ進み、なめら橋を渡りすぐまた畔道を南へ行くと今熊野神社と続きに王子跡が見える。 内の畑王子は槌王子とも呼ばれていた。熊野御幸記に「暫休息山中小食 於此所上下伐木枝随分造槌 付榊枝持参 内ノハタ王子 槌金童王子云々 各結付之云々」とある。 槌を木の枝に結びつけると徳があると伝えられていたようである。 最近の研究では、字槌王子に王子社があったが、耕地の拡大と共に、また衰微し、隣地の山裾に遷されたとされている。 明治41年に今熊野神社に合祀され、更に萩原の内原王子神社(高家王子)に合祀された。
紀伊續風土記 巻之六十三 日高郡 高家荘 萩原村からから
○槌王子社 境内周五十二間 内の畑にあり 舊は熊野古道にありしを後世今の地に移す 御幸記に十月十日暫休息山中小食於此所上下伐木枝随分造槌付榊枝持参内のはたの王子 つち金剛童子といふ 各結付之云々とある是なり
紀伊續風土記 巻之六十三 日高郡 高家荘 原谷からから
小祠四社 今熊野社 社地周二町半 下組にあり 信田社 社地九十間山口組にあり 信田は地の名にて祀る 神は稲荷といふ 氏神社 社地周六間中村にあり 大神宮なりといふ 雨師社 社地周五町中組にあり 往還より八町東の山にあり 社地に水穴風穴といふ穴二つあり