熊野古道中辺路 発心門王子
田辺市本宮町三越字上久保1652 地図

発心門王子




 王子神社の祭神は饒速日尊と言う。
 ここよりは奥熊野とされ、大鳥居が立っていたようだ。天仁二年(1109年)の『中右記』に、亥の鼻を過ぎ、次いで発心門へ入る。 先ず其の前において祓す。これ大鳥居なり。参詣の人、必ずこの門の中に入る。遥かに見遣り心はなはだ恐し。 次いで発心門王子に参り幣を奉る。とある。
 いよいよ御山、緊張の様子が伝わる。

 定家は南無房という尼房を宿所としいた。熊野詣の途中で社寺の柱や壁に歌や詩を書き付けることが流行っていたようだ。

 慧日光前懺罪根 大悲道上発心門
 南山月下結縁力 西刹雲中弔旅魂
意味 浄らかな日の光に罪根を清め 月の光に導かれ法の道に入る よろこばしい

定家の歌
 いりがたき みのりのかどは けふすぎぬ いまよりむつのみちにかへすな
 入ろうとして入れない法の門をくぐったからには ふたたび六道苦の道に引き返さぬようにしたい

 当王子は五体王子の一つで、藤代、切目、稲葉根、滝尻、当王子と格別に崇敬の厚い社であった。 特に藤代王子と当王子は共に大鳥居を持ち、饒速日尊を祭神とする王子社であり、熊野と物部との深い繋がりを想起させる。 『国造本紀』によれば、熊野国造は饒速日尊の五世孫大阿斗足尼としている。

王子社の祠



 享保年間(1716〜36)に衰退していた王子社が再建されたが、明治四〇年、本宮町萩の三里神社の社殿として移築された。その跡王子社の石碑のみとなったが、平成二年に往年の姿に復元された。


熊野本宮手前の古道

岩波新書『熊野古道』から

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熊野古道、中辺路
熊野古道、九十九王子社
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