熊野古道中辺路、和歌山県の王子社
稲葉根王子と春日神社
JRきのくに線朝来駅北東3km 西牟婁郡上富田町岩田王子谷入口上富田町岩田2988-2 mapple
JRバス本宮線稲葉根王子下車バス線を戻る。
八上王子社から岡川を越えて川沿いの道を東南方面へ行く。田中神社へお詣りしてから、引き続き歩く。深見集落に入り、竹林の中をのぼって新しい道路を潜って小さい峠を越えて、国道311号の上岩田のバス停に出る。
ここから富田川沿いに上ると左側に赤い欄干の小橋が見える。 稲葉根王子跡の岩田神社である。
稲葉根王子の石碑と鳥居
稲葉根王子の建つ富田川流域は熊野詣での水垢離場として『平家物語』などに記述されているとのこと。
『御幸記』では「この王子、五体の王子に準ず。御幸の儀、五体の王子と同じ。」と記されている。 近くには石田御所があり、上皇や女院方の宿泊や昼養の所であった。また稲葉根王子の鎮座するこの土地は、水田地帯であり、稲荷神が鎮座していたと伝わる。稲持王子の別名を持つ。
小山の西側に鎮座、社殿は大きくはないが威厳をたたえて鎮座、社務所とトイレもある。社殿の前には岩田神社跡の碑も立っている。
岩田川は現在の富田川である。信仰の川としての岩田川はよく歌に詠まれた。
『続拾遺和歌集』熊野にまゐらせ給ひける時、いはた河にてよませ給ひける 花山院
岩田川わたる心のふかければ神も哀とおもはざらめや
『玉葉和歌集』夏、熊野へまゐりけるに、岩田と申す所に涼みて下向しける人に付けて京へ、西住上人の許へ遣はしける 西行
松がねの岩田の岸の夕涼み君があれなとおもほゆる哉
『続千載和歌集』題しらず 為家
五月雨は行さき深し岩田川渡る瀬ごとに水まさりつつ
『田辺町大帳』江戸後期の遊行上人
岩田川こころもそそと夏衣すずしくわたる瀬々の白波
『続紀伊風土記』の編纂者 加納諸平
いたづらに月日流るる岩田川たえし御幸や待ちわたるらん
稲葉根王子社と岩田神社址の碑
紀伊続風土記 巻之七十三 牟婁郡 岩田郷 岩田村
稲葉根王子社 境内周四十八間
末 社 稲 荷 社 拝 殿
村の艮二十余町王子谷といふ所の川端にあり 此地熊野古道なり 一村の産土神にして慶長十一年(1606)の棟札あり 御幸記に稲葉根王子 此王子准五体王子 毎事過差云云御幸之義同五体王子云々 とある是なり 二十二社註式の條に云 或記曰 嵯峨天皇弘仁十二年(821)夏智照大師参熊野以顕密法還向之時過紀伊国石田川下稲羽ノ里之間一人老翁多刈稲荷之二人女亦載稲不知行方失訖其夜大師夢 一人老翁者上宮二人ノ女下中社なり 云々とあり 稲羽ノ里は御幸記に稲葉根とかけるに同く当所なるべし 里の名廃して王子の名残れるなり 今当社の末社に稲荷社あるは此古事によりて祭れるならむ
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岩田神社 西牟婁郡上富田町岩田2543 mapfan
岩田神社
祭神 天照大神、豊受姫命
摂社 稲葉根王子宮、八坂神社「進之男命」、大山神社「大山咋神」、琴平神社「大己貴命」、若宮神社「忍穂耳命」
由緒 創立年代は不詳。江戸時代には松本大明神と呼ばれていた。明治末期に王子谷の岩田神社などを合祀。
祭礼 11月23日 例祭 獅子舞は道中神楽、宮入り神楽とあり、その昔古座地方から伝えられたと言われている。
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