『中右記』に、次参内水飲王子奉幣 新王子 とある。平安末期の設置であろう。
明治四十三年に当地を訪ねた人は、三越小学校分校のかたわらに水呑王子の碑を見つけ、背後の老樹を伐り倒せし山にて無惨、目も当てられず。 と境内林が伐採されたことを記している。 猪鼻王子の付近もそうであったようだ。だから滝がくずれてしまったのだろう。 神社合祀は官僚が樹木の利権を狙った部分もあり、いつの世も役人の私利私欲が横行したこの国の姿であったようだ。