熊野古道中辺路、和歌山県の王子社
不寝王子(ねず)


滝尻王子社と富田川の間の道を行く。
山にさしかかり、急な登り坂が続く。
胎内くぐり岩や乳岩を過ぎると、不寝王子。  
地図


不寝王子跡



 石段た石の登り道をあえぎながら登ると、胎内くぐりの岩が出てくる。


胎内くぐりの岩



さらに乳岩が出てくる。
 藤原秀衡が妻と熊野詣でに訪れた際、妻が産気つき、乳岩で男児を出産した。秀衡は夢枕に現れた熊野権現のお告げにより赤子をこの岩に置き去りにして出発、無事熊野詣でを終えて戻ってくると、赤子は岩肌を流れる白い乳を飲み、狼に守られて無事であったと云う。秀衡の三男の和泉三郎忠衡であったと云う。


乳岩

 乳岩を過ぎればすぐに不寝王子。中世の記録には、この王子の名は出ていない。王子の名は江戸時代、元禄年間頃に著された『紀南郷導記』で、これにはネジ、ネズ王子と呼ばれる小祠の跡があると記され、「不寝」の文字があてられている。江戸時代にはすでに跡地となっていたようで、ネズの語源も明かではない。
 不寝王子の神霊は滝尻王子社に合祀されている。


紀伊続風土記 巻之七十三 牟婁郡 栗栖川荘 芝村

○瀧尻五体王子社  境内山周百六十間
 村より十二町栗栖川の東瀧尻にあり 御幸記に見えたり 全文下條に載す 此の地 急灘にして川水石に触れて激流す 当社其の側にあり 因りて瀧尻といふ 社辺に宝筐印塔ありて三四百年間の物と見ゆれとも石損して銘よみかたし 境内の山上を剱ノ山と云ふ 半腹に岩穴あり 深さ三間横二間許伝え云ふ 古奥州の秀衡妻を携へて熊野に参詣す 其の妻臨月なり 此の地に至り産の気あり 人家なきを以て此の岩崛の内に入りて三郎を産む その時立願して安産を得たり 因りて七堂伽藍を造営して諸経並びに武具等を其の堂中に納めしといふ 因りて其の堂を秀衡堂と号す 天正の兵乱に破壊し旧記も紛失して今は堂舎の跡もなし 岩穴の少し上に胎内くぐりといふ巖崛あり 深さ四間程入り口は四尺許 出口は三尺許の崛あり 毎年二月彼岸の中日には近郷より諸人王子に詣でて此の穴を潜ると云ふ 神宝に小太刀 長さ九寸 矢根鈴の三品あり 秀衡の奉納する所といふ 三種とも古色あり 今社司なきを以て村中観喜寺に納む 熊野古道廃せしより当社は参詣の人も稀にして大いに衰微せり

 


紀伊続風土記 巻之七十三 牟婁郡 栗栖川荘 芝村

○不寝王子廃跡  境内周八間
 瀧尻王子の上一町許剣ノ山の内に礎石あり 土人伝へて社の跡なりと云ふ 今は瀧尻王子社に合わせ祀れり

 



 不寝王子を過ぎても登り道が延々と続く。『中右記』には、「己が手を立てたる如し」とある。
 剣ノ山の経塚跡がある。次に飯盛山を過ぎる。高原熊野神社に至る。

 剣ノ山の山頂は神聖な場所とされていた。ここから熊野本宮にかけて九品の門が建ち、ここには最初の下品下生の門があったといわれる。


経塚跡


針地蔵


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