熊野古道中辺路、和歌山県の王子社
近露王子

田辺市中辺路町近露字北野906 地図


大坂本王子から45分、概ね下り道、後半は急な下り坂。
牛馬童子口バス停の横を通る。牛馬童子像を見て箸折峠を越えて近露に至る。
途中の下り坂に石畳の道があり、滑り易い。雨でも降れば難儀することだろう。


石畳は業者がよいと思って作ったらしいが、実に滑りやすい道だ。石の性質にもよるようだがおかまいなしに並べている。一度このような状態になれば、世界遺産故に簡単に手直しができないと云う。

 牛馬童子像と役行者像が並んでいる。また花山院の経塚とされる石塔が立つ。牛馬童子像は花山院の熊野詣での姿を刻んだものと伝えられる。箸折峠のシンボル。なお、箸折は花山院が昼食のために萱の枝を折ったことに由来すると云う。


牛馬童子像と役行者像


 花山院は17歳で即位、2年で退位させられた。那智で修行したと伝わる。


牛馬童子像と役行者像とその背後の花山院の経塚

 


紀伊続風土記 巻之七十五 牟婁郡 四番荘 近露村

○寶筐印塔
 村の西にあり 往還に道しるべの石ありて 花山法皇熊野御幸の時御経を収め給ひし処といふ  今は古の塔を失ひて道しるへの石を然いふなるへし

 


 急な下り坂を下り、石畳の滑りやすい道を何とか乗り切って、近露へと。日置川にかかる北野橋を渡ると王子跡。
 昔の熊野詣での人々は、日置川の中を渡って禊ぎを行い、王子社に詣でたとのこと。『熊野縁起』では、「近露の水は現世の不浄を祓う」とある。
 王子社としては早く現れた王子、准五体王子とされる。歌会が催されたようだ。


近露王子碑 



 近露王子碑の文字は大本経の出口和仁三郎の筆になるものだが、大本経弾圧の際に、和仁三郎筆を削り、破壊を免れたと云う。

 天仁二年(1109)に参詣した藤原宗忠の日記に近津湯と出てくる。

 江戸時代には若一王子権現社と呼ばれ、明治時代に王子神社となったが、末期に近野神社に合祀された。その際に、社殿を囲んでいた杉の大木が伐採された。売り上げは役人のポッポに入ったそうだ。神社合祀の目的の一つであったと云う嘆かわしいこと。今も昔も役人は。

 宿泊は「民宿ちかつゆ」(ひすいの湯)で日置川の側、御主人が気持ちのいい人柄。お奨め。


近露王子

 


紀伊続風土記 巻之七十五 牟婁郡 四番荘 近露村

○若一王子権現社   境内周四十間
 村中にあり 一村の産神にて神体木像なり 『御幸記』に近露王子とあるは是なり 社前に芝ありて頓宮の跡と云ふ

 


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