布奈木の郷


1.遠江国蓁原郡舩木郷
2.下総国海上郡舩木郷
3.近江国蒲生郡舩木郷
4.美濃国本巣郡舩木郷
5.安芸国沼田郡舩木郷
6.安芸国安芸郡舩木郷
7.安芸国高田郡舩木郷
8 尾張国山田郡舩木郷
9 丹後国竹野郡舟木の里
10 伊勢国多気郡相可郷 『古事記』佐那の県
11  船木氏と丹生
12 伊勢国朝明郡舟木明神
13 淡路国津名郡 北淡町舟木
14 『住吉大社神代記』播磨國賀茂郡椅鹿山
15 山口県厚狭郡楠町大字船木
16 能登国珠洲郡 七尾市
17 九州の船木 大分県大野郡 長崎県平戸市 鹿児島県薩摩郡
18 四国の船木 徳島県美馬郡 愛媛県新居浜市
19 その他の船木 鳥取市船木 大阪府茨木市 岡山県吉井町 福島県会津若松市 秋田県

[6906] 布奈木の郷 1 遠江国蓁原郡舩木郷   
 

『遠江国風土記伝』静岡県榛原郡吉田町神戸字青柳から島田市南原、船木、湯日の付近。
『大日本地名辞書』島田市南原、船木、湯日の付近。

 青柳は昔は大柳だったそうです。オウ。多氏がにおいます。
 吉田町神戸には大井神社が鎮座、摂社の姥神社は石凝姥命を祭っています。多氏や船木氏と金属との関係を語っているのかも知れません。
 南原は大井川右岸の平地で東境は湯日川(ユイ)です。
 船木には八幡神社が鎮座、永享六年(1434)筑前国糟屋郡宇美町から勧請。
 船木には奈良平安時代の竹林寺の寺院跡があります。
 また、7世紀の造営されたと思われる宮裏中原古墳群、南原古墳群があります。

 舩木郷に隣接している島田市阪本には敬満神社が鎮座、秦氏の祖の功満王を祭ると言われています。


[6908] 布奈木の郷 2 下総国海上郡舩木郷  

 船木郷とは、船木部が置かれ、彼らは造船用材を扱った。
 銚子市船木町の周辺とされています。利根川の河口の町、犬吠埼があります。
 「犬吠」の語源は、源義経が北上した時に残された犬が、主君を慕って吠え続けた所とか。また突然話題のずれた話をする人を犬吠埼と言うそうですが、銚子はずれにあるからだそうです。あなたのカラオケはいかがでしょうか?
 歴史上には、船木台村、小船木村、舟木などの地名があらわれています。
 大杉神社「大物主神」銚子市小船木町
 大社大神「大國主命」銚子市船木町


[6909] 布奈木の郷 3 近江国蒲生郡舩木郷

 滋賀県近江八幡市の中央部に船木があります。この付近を言うようです。北側に長命寺山、鶴翼山が琵琶湖と隔てています。市の名にもなった日牟礼八幡宮が鎮座、琵琶湖には大島があります。大國主命と奧津嶋比賣命を祭る 大島奥津島神社も有名な神社です。
 船木町には青根天満宮が鎮座、菅公以外に訶志古泥命を祭神としています。神社名の青根の「青」に、「多」を感じます。
 小船木町には諏訪神社。
 加茂町には加茂神社、山城の上賀茂神社とのかかわりが深い土地柄です。
 
 船木湊は琵琶湖東岸の要港の一、用材を積み出す湊だったようです。鍛冶屋町が隣接しています。造船も行われていたのかも知れません。

 八幡神社の多くは山城、石清水八幡宮の勢力の浸透によるもの。
 近江商人産出の地。
 縄文時代には湖底だった地域、旧石器遺物や丸木船が出土しています。『滋賀県の地名』(平凡社)によりますと、「湖東は渡来系氏族の本拠地とも言うべき地」としています。朝鮮人街道があり、小船木はこの街道沿いに集落が出来ています。

 付録

 安曇川町 船木浜、船木関

 琵琶湖西岸の安曇川河口付近に船木浜、船木関が置かれました。
 また、上賀茂神社の御厨が置かれ、川魚(魚完:一文字で、あめのうお)を上賀茂神社に上納する役割が高島郡安曇川町北船木若宮神社にあったようです。北船木村の北西は太田村、漁業と堆肥となる藻草の採取を主にした村。大田神社が鎮座。
 南船木村は湖上交通と安曇川の水運を司ったようです。


[6910] 布奈木の郷 4 美濃国本巣郡舩木郷

 旧本巣郡巣南町(現瑞穂市居倉付近)
 北部は尾根川扇状地末端、南部はその後背湿地の輪中地帯。
 
『皇太神宮儀式帳』によると倭姫命の巡行地の一として、「美濃の伊久良賀波の宮が記されています。
 本巣郡巣南町(瑞穂市)居倉字中屋敷の天神神社に摂社として伊久良河宮(いくらがわのみや)の名が残っています。
 日神を出す役割の船木の面目躍如と言う所です。

 当地の情報を伝えるHPに「元正天皇が美濃遷都を考え、伊賀寺の十一面観世音を奉じて、720(養老4)年、本巣郡十六条村(現瑞穂市美江寺)に伽藍を建立し、寺号を美江寺としました。」と出ています。

 元正天皇にとっては、心地よい土地柄だったのでしょう。
 富有柿発祥の地だそうです。昔のゴルフのヘッド(玉を打つところ)は柿木が使われていました。固いからです。


[6913] 布奈木の郷 5 安芸国沼田郡舩木郷

 広島県豊田郡本郷町船木と賀茂郡大和町大草が比定地。
 山陽本線より北、広島空港の東。瀬戸内海から10km北。
 『日本地理志料』古者操船材於此、因名。
 『日本書紀』推古天皇二十六年(618)、河辺臣が神木の霹靂の木を伐って船材とした話が出ています。
 雷神の祟りを恐れて祀ったのが、船木敏神社(フナキト)(現霹靂神社)の創建です。
 霹靂の木とは雷が落ちた木のことで、雷神のよりしろだったのでしょう。
 元社は香之山太神宮で、祭神は豊受気姫、天照大神、天手力男命です。天手力男命は伊勢船木氏の遠祖。

 河辺臣は新羅での戦いにもその名が出てきます。造船係兼海兵隊のような氏族だったのでしょう。

 この地域からは貝塚が出ているようで、往古は海辺であったようだ。また舟木遺跡からは合口甕棺が出ているようで、古代から人々が住んでいた土地のようです。

 金沽神社が鎮座、金売吉次が文治三年(1187)、当地に来ることがあり、尊崇する主人である源義経を祀ったと伝わり、この神社の近くにタタラ谷と言う銅を採取した跡や吉次の墓と伝えられる古墓があるそうな。(『広島県神社誌』平成六年)

 船木と賀茂郡とが隣接しています。船木とカモ、何故か隣合わせのような気がします。


[6914] 布奈木の郷 6 安芸国安芸郡舩木郷

 『芸藩通志』船木は詳ならず。庄山田村の内に船木とよぶ地あり。又船越村あり、是等の内なりや。とあります。

 『日本地理志料』庄山田村の船木(現呉市)に比定、和庄、宮原、警固屋、吉浦、大屋などの諸村に及ぶとする。

 『大日本地名辞書』今、呉、和庄町及び庄山田、阿賀等の村落、灰峰の麓なるべし。庄山田村に船木と云う地あり。『通誌』に見えたり。船木とは上古造船の材を採る地にて、今、此の地に艦船の大廠を置かるるも偶然と云うべからずとする。旧呉海軍工廠のこと。

 古代以来の造船場の倉橋島の本浦に求める説もある。
 
 警固屋村 北東は賀茂郡、南西は音戸の瀬戸を挟んで倉橋島に接する。
 宮原村  八咫烏神社
 和庄村  高日神社
 庄山田村 鯛之宮神社 (呉市西三津田町)

 全国に6社しか見当たらない八咫烏神社が鎮座、やはり山城加茂との関連がありそうです。

 付録 6社の紹介 平成祭礼データの資料です。

八咫烏神社 奈良県宇陀郡榛原町高塚42 大和国 宇陀郡
八咫烏神社 奈良県橿原市五條野町694 大和国 高市郡
熊野速玉大社摂社八咫烏神社 和歌山県新宮市新宮1 紀伊国 牟婁郡
王子神社摂社地主八咫烏神社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町市野々1993 紀伊国 牟婁郡
八咫烏神社 広島県呉市宮原11丁目12-25 安芸国 安芸郡
健軍神社摂社八咫烏神社 熊本県熊本市健軍本町13-1 肥後国 詫間郡

 それ以外に赤烏神社とか「烏」がついて、健角身命を祭っている神社は8社。


[6916] 布奈木の郷 7 安芸国高田郡舩木郷

『大日本地名辞書』今、船木村。佐々部と相併せ、船佐と改称す。粟屋の西とす。生田川此の地に於いて江川に入る。川根村も本郷に属せるならん。
 『広島県史』も、現、高田郡高宮町船木を遺称とす。

 高宮町 北西は島根県邑智郡
     北東は江の川を境に双三郡に接する
     町域は山間地帯
 船木村(高宮町船木)
  『芸藩通志』民、農余採樵をなす

 瀬戸内海と日本海との中間の山地、木々を切り出して日本海側や瀬戸内海側の造船所に供給していたように見えます。
 それ以外に船木部が置かれたとしたら、ひょっとしたら鉄がとれたのかも。


[6923] 布奈木の郷 8 尾張国山田郡舩木郷

 大日本地名辞書 名古屋市守山区南部
 日本地理志料  春日井市北東域から小牧市の一部

 現在の所、比定は困難ですが、上記資料をあわせた地域に含まれるのでしょう。

 春日井市神領町(じんりょう)の貴船神社境内から銅鐸二基出土。
http://www.kasugai.ed.jp/jinryo-e/kouku/kouku-dootaku/jinryo-dotaku.htm

 伊勢湾沿岸は尾張氏の拠点。この氏は「海人」で、水運・海運・漁業を主労働としていた一族で、木曽川、長良川、揖斐川を利用して、上流支流地域と交易のための造船や航行技術を持っていたのでしょう。そう言う中に船木氏もいて、取り込まれていったのかも知れません。

 銅鐸の出土地と地名特に「神」がついている地名との関連について、ペギラさんの銅鐸掲示板に問い合わせた所、韃靼人さんと大三元さんからお返事を頂きました。
 リストを転載いたします。
−−−−韃靼人さん−−−−
それでは例によって島根県の銅鐸出土地名表で神のつく地名の所を探してみました。
但し、神戸市、佐賀の神埼郡などという広域の地名に神が付く場合は対象外にしました。
島根県教育庁埋蔵文化財調査センターの銅鐸出土地名表
http://www.pref.shimane.jp/section/maibun/maibun.f/zyouho.html
静岡 4 遠江国引佐郡?郷 引佐郡三ヶ日町釣・荒神山 ★
愛知 2 尾張国山田郡舩木郷 春日市神領町屋敷田(じんりょう)
愛知 16 三河国渥美郡渥美郷 渥美郡田原町神戸谷ノ口→神宮領
愛知 26 三河国渥美郡渥美郷 渥美郡田原町西神戸堀山田→神宮領
三重 10 伊勢 津市神戸木ノ根→神宮領
大阪 3  摂津国島上郡濃味郷 高槻市天神山→上宮天満宮 通称日神山 ★
大阪 6 摂津(伝)推 高槻市天神山→上宮天満宮 通称日神山 ★
大阪 22 和泉国和泉郡山直郷 岸和田市神於町(こうの) ★
兵庫 6 播磨国飾磨郡菅生郷 飾磨郡夢前町神種字西川 高草(かうのくさ)→神種
兵庫 20 淡路国三原郡神稲郷 (伝)三原郡三原町神代地頭方(じんだい)
兵庫 33 摂津国兎原郡賀美郷 神戸市灘区桜ヶ丘町(通称神岡) ★
島根 7 出雲 簸川郡斐川町神庭 ★
広島 3 備後(推)福山市神村町(かむら)★
徳島 3 阿波国麻殖郡川島郷 麻植郡川島町川島神後(じんご)
徳島 12 阿波国名西郡高足郷 板野郡上板町神宅字山田(かんやけ)★
香川 9 讃岐国寒川郡鴨部郷 坂出市加茂町明神原 鴨は大和系 巨石の横から出土 ★
 小銅鐸ですが、千葉1下総市原市大字村上天神台
 上記には出ていませんが、「和歌山19紀伊新宮市新宮」は、神倉神社コトビキ岩の下から出土したそうです。神倉という神社の名前に注目して参考までに書いておきます。
 それと銅剣・銅戈ですが、高知県伊野町天神で出土しています。
 地名は全て地名表をそのまま検索しました。
 神戸市の桜ケ丘が通称神岡(かみか)ですが、他にも通称で神の付く地名や「出土地ではないが、すぐ近くに神の付く地名がある」という所もあるかも知れません。
 例えば「兵庫29 摂津 神戸市東灘区住吉町渦森台1丁目」は、すぐ近くに荒神山があります。
 姫路の名古山では銅鐸の鋳型が出土しましたが名古山のすぐ傍には神子岡があります。
 そういうものを調べればもっと数は増えると思います。
ただ、その地名が銅鐸に関係があるかどうかは判断は難しいのですが、たしか、森浩一氏が「銅鐸の出土地には神のつく地名が多い」という指摘をされています。
−−−−以上 韃靼人さん−−−−

 地名の内でも、神戸は神社のための田なので、大きい神社の近くと言えますが、律令制の元で設けられたので、銅鐸埋納との関連は薄いのでしょう。
 また、天神も、その概念は銅鐸時代にあったのかどうか、天神地祇と神々を区分したのも後世のことでしょう。

 春日井市神領はまさに船木郷にあたる場所なのです。船木氏、伊勢の船木氏は佐那神社を祀り、天手力男命を遠祖としています。佐那も銅鐸につながる言葉のようで、ほぐすべき糸の一端が出てのかななどと思っていました。

『XX県の地名』(平凡社)で、由緒を見てみましたら、伊勢神宮領になったとか、読みが音読みでどうやら古い地名ではないとしてふるい落として、残った「神」と銅鐸とが切り離せないだろうと言う所に★をつけて見ました。

 半分以上にはまだ否定の出来ない要素が残っているようですね。
 調べた範囲では、銅鐸が出たのでそのことが地名に影響した例はこの場合にはないようです。四日市市に大鐘と言うのはどうやら銅鐸からの地名のようですね。銅鐸を埋めたから神(の倉庫とか土地)となったのでしょうね。
 神を「ジン」と読むのは、頂けないと言えるのでしょう。


[6940] 布奈木の郷 9 丹後国竹野郡舟木の里

 『丹後国風土記逸文』丹波の郡の比治山の頂上の井戸を真奈井といい、今は沼になっている。その井に天女が八人降りてきて、水浴をしていた。その時、和奈佐老夫、老婦がいて、一人の衣装を隠した。天女は天に帰れず、老夫婦の養子となって正に百薬の長となる酒を噛んで、老夫婦を豊にした。ある日、天女は追い出されて、丹波の里の哭木(なきき)の村に至ってないた。また竹野の郡舟木の里の奈具の村に至り、やがて奈具の社で豊宇賀能売命として祀られた。以上が『風土記』。

 この舟木の里は現在の竹野郡弥栄町船木を含む一帯のことです。弥栄町和田野小字太田に古墳があり、有名な青龍三年の方格規矩神獣鏡が出土しています。これと同型のものが、大阪府高槻市の安満宮山古墳から出ています。卑弥呼の鏡?

 弥栄町には大字名が井辺、船木、奈具、黒部、鳥取と古代の氏族のオンパレードのように並んでいます。

井辺 天太玉命を祖神とする忌部氏、齋部氏。
船木 多氏と同族の船木氏
奈具 豊宇賀能売神を祭神とする奈具神社が鎮座。伊勢の外宮の元宮。
黒部 呉部、渡来人。松阪市の黒部には意非多神社が鎮座、黒部は呉部の訛りかも、意非多はオイタで、多氏などとの関連も見えそうです。
鳥取 鳥取氏、出雲国荒神谷の有名な銅剣出土の地が鳥取氏に由縁があるとか。『謎の古代氏族 鳥取氏』山本昭著

 船木は竹野川支流の奈具川上流で四周は山、奈具は嘉吉三年(1443)奥丹後豪雨の被害で亡村となったそうです。後で逃れていた村民が戻って来ても奈具村を再建できず、船木の一部となったとか。

 船木と奈具、これは伊勢の船木につながるのか。


[6950] 布奈木の郷 10 伊勢国多気郡相可郷

 『古事記』佐那の県

 『延喜式神名帳』に伊勢国多気郡に佐那神社二座と載せられています。ここは伊勢船木氏の拠点で、祖神の手力男神を祭る佐那神社を祀っていました。また伊勢の佐那の造もいたようで、曙立王と二柱の神をして二座としていたのでしょう。
 近くの多気郡多気町四匹田から銅鐸が出土しています。銅鐸のことを「サナキ」と言うらしいです。



 佐那神社から南西15kmに多岐原神社が鎮座、この辺りにも船木と言う地名が残っています。『三重県の地名』(平凡社)によりますと、倭姫が当地で御船を造り行幸した伝承によるものだそうです。なお、多岐原神社から2km南に滝原宮が鎮座しています。

 以降「青草」話。
 「サナキ」は「サナ」や「ナキ」に訛ることもあるのかも。丹後に祀られた豊宇賀能売命は哭木村の奈具神社、そうして船木氏は「フ・ナキ」、伊勢では佐那神社を奉斎、手力男神は内宮の相殿に祀られるほどの神、その力はもの凄いものがあるのでしょう。銅鐸の力なのでしょう。おそらく銅鐸は忘れ去られたのではなく、手力男神のような強力な神の名として伝えられていたのでしょう。

 国生みの二神、サナが入っているのです。三貴子の親神とされたのもむべなるかなかも。


[6962] 布奈木の郷 11  船木氏と丹生

 『住吉大社神代記』に、紀伊國伊都郡に丹生川上に天手力男意氣績ゞ流住吉大神が鎮座していることを記しています。後裔社↓。
http://kamnavi.jp/ki/itonaga/ouga8.htm

 



  また『播磨国風土記逸文』には、「神功皇后が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。その赤土を船体などに塗って新羅を攻略した。帰還後、神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。」とあります。
http://kamnavi.jp/ny/kamitutu.htm

 現在住吉大社の宮司である真弓常忠氏の『古代の鉄と神々』の中で「船木氏は丹生川上よりも砂鉄の豊富な播磨へ移動」と推定されています。
 丹生川上は砂鉄や金などに加えてもっとも多く採取できたのは丹沙でしょう。水銀の硫化物です。『播磨国風土記逸文』の赤土も紀の国産の丹沙であったのでしょう。

 丹後にも丹生神社が鎮座、また伊勢の多気郡は後世までの丹沙の産地があります。多気郡勢和村丹生です。伊勢白粉で繁昌したようです。
http://kamnavi.jp/ny/mienyu.htm

http://kamnavi.jp/ny/mietaisi.htm


[6968] 布奈木の郷 12 伊勢国朝明郡舟木明神

 『青銅の神の足跡』(谷川健一著)を多いに参考にして:−
 四日市市の耳常神社は舟木明神と呼ばれていたそうです。近くには耳常神社も鎮座、共に伊勢の舟木直の祀る神社だったと『青銅の神の足跡』(谷川健一著)は述べています。則ち船木氏が居たのです。
 この朝明郡の一部を割譲して員弁郡を設けたようで、ここは物部氏の伴部の猪名部の居住地であり、猪名部神社もいくつか鎮座しています。造船用の材木を切り出す船木氏と造船の猪名部氏が隣り合わせに居住している事例です。
 四日市市大鐘町に太神社(かっては大神社)が鎮座、昔の大金郷だそうです。大和の多神社の分祀で、船木氏と同祖の多氏の祀る神社だったようです。なお、大金とは銅鐸が出土した故の命名だそうです。

 太神社と耳利神社の間に伊坂丹生水神が祀られています。船木と丹生、紀伊、伊勢多気郡にそのつながりを見ましたが、丹生神が勧請されたのかも知れません。


[6978] 布奈木の郷 13 淡路国津名郡 北淡町舟木

 野島川支流の折ヶ谷川が北流している地域で、北側は海人の野島。
 当地には未だに女人禁制の石上神社が鎮座、伊勢の神島から檜原神社を通る東西線上にある西端の神社。
 菅公作の十一面観音を収める観音堂があります。また、「ヤマドッサン」と言う山神を祀る珍しい行事が残っている。薩摩風の呼び方か?
 山神は夜の間に表戸の少しの間より入り、表の間に用意されたご馳走を食べ、翌日、田の神になって出かけていく。田の取り入れが済むとまた山に帰っていくそうです。
 石上神社の祭祀に当たったのは、古くは太田氏と日置氏だそうで、近くに太田所と言う集落があり、姓は太田が多いそうだ。
 日置氏は九州のトンカラリン遺跡の上に墓があるとされるほどの日神祭祀の氏族のようです。太田氏もまた日神祭祀にかかわったのでしょう。

 当地を舟木と言うのは、舟木氏も居たようで、恐らく太田氏と同祖であったのかも。北の野島海人の船材を供給していたのでしょう。

トンカラリン遺跡は未だ行っていないので是非行きたい所です。


[6984] 布奈木の郷 14 『住吉大社神代記』播磨國賀茂郡椅鹿山

領地田畠右杣山地等。元船木連宇麻〔呂〕鼠緒。弓手。等遠祖大田田命兒。神田田命等所領九萬八干餘町也。

 『播磨国風土記』賀毛(かも)の郡 端鹿(はしか)の里から
 右、端鹿とよぶのは、昔、神がもろもろの村に菓子((このみ)木の種)を頒けて[歩いた]が、この村まで来ると足りなくなった。 そこですなわち「間なるかも(半端になった)」と仰せられた。だから端鹿とよぶ。[今もその神が鎮座している。] この村は、現在になっても山の木に果実がない。

 当地に一之宮神社が鎮座、祭神は素盞嗚尊ですが、樹木神としては五十猛命かも知れません。
http://kamnavi.jp/it/kinki/toujou.htm

 同じく東条町椅鹿谷に大歳神社が鎮座しています。
 南の小野市船木町にも大歳神社が鎮座しています。大年神は『古事記』に系譜の載る神で、『日本書紀』には記載がありません。大安万侶が記載したとすれば多氏に伝わっていた伝承かと推測されます。多氏と伊勢船木氏は同祖神を持つ氏族であり、近い関係にあるのでしょう。
 小野市には船木町があります。中番町に住吉神社が鎮座しています。いこまかんなび様が写真掲示板に投稿頂いています。昨年8月26日と29日
http://kamnavi.hp.infoseek.co.jp/hei17/h1710.htm

 小野市から遥かに瀬戸内海に南下しますと明石郡です。
 『住吉大社神代記』によりますとここにも船木村があったようです。遺称である船上村があり、摂津住吉神社の封戸であったようです。船上町には神社が見えず、近くには御崎神社が鎮座。

 『住吉大社神代記』には、船木連宇麻呂らが、明石郡の船木村・黒田村・辟田村のうち二十五戸を封戸として住吉大社へ寄進したとあります。

 『播磨国風土記逸文』に、住吉明神が藤の枝を流して寄りついた所を領地にするとの伝承が語られており、藤江の浦と名づけたとあります。西明石駅の南に藤江と言う地名が」ありますが、住吉神社は見当たりません。魚住の住吉神社に大藤が流れ着いたので、神社を鎮祭したとあります。
 また、この藤の枝は紀ノ川上流から流されて、当地に着いたとも言われ、まさに真弓常忠氏の『古代の鉄と神々』の中で「船木氏は丹生川上よりも砂鉄の豊富な播磨へ移動」と推定されていますが、それに見合う伝承と言えるのでしょう。

 余談ですが「藤」と言う字は鉱山師などの名に付けられることが多いようで、田原藤太など、それらしい人物も浮かび上がります。藤原氏が力を伸ばしてきたのも鉄の確保の力量かもしれません。鉄は国家なり。


[6987] 布奈木の郷 15 山口県厚狭郡楠町大字船木

 ほぼ中央を東西に山陽道が走る。本宿が置かれた。
 連歌師宗祇の『筑紫道記』に「・・・この船木といへるは、神功皇后が御船を作り給ひけむ所となん・・・
 
 岡崎八幡神社が鎮座。
縁起「人皇第十五代神功皇后海外出兵の時此の地に有りし楠の大木を切って四十八艘の軍船をこの里人に造らされた。ゆかりにより此の地を船木と称す。
其の後、宝亀元年(七七〇年)人皇第四十九代光仁天皇の勅使として和気清麿公、宇佐八幡宮へ御下向の時、船木の因縁を聞召され、皇后のゆかりの深い地として御帰路の際、宇佐八幡宮御分神を此の地に鎮祭さる。それが今の此の地、岡の崎にして社名岡崎八幡宮と称す。
船木の氏神様として、御霊験灼かにして船木は元より遠近より崇敬者の参拝多く又、全国にても珍しく御神酒を造ることが許可された神社が七社あり、中でも清酒が造れる神社は三社にして、その中の一社にして誠に格式の高い神社であります。」縁起は『平成データ』

 大木住吉神社も鎮座。
縁起「神功皇后三韓征伐の砌り住吉大明神の出現あり、軍神と成り安く平らげ給ふと日本書記に見へたり。御帰朝後先門山田邑に垂跡し給ふとあり。山田邑は船木の事なり。往古楠の大森林十里四方に互りて繁茂し此の楠を持って四十八艘の船を造り給ひぬ。此の大森林の聖地に小祠を建てぬ。現在の社殿は壱阡六百五拾年祭に奉財して修理せしなり。
夫此の神威は無比の御武功を遂げさせ給ふ武運長久の御祈り感應あらざるなし此の村に生る者沈溺の殃に逢ひぬ例なしと云ふ。」縁起は『平成データ』

 船木街道が通る。秋吉台−大田−綾木−小野−吉部−舟木−刈屋浦とつながる。大田の地名も近い。


[7003] 布奈木の郷 16 能登国珠洲郡

 旧石器後期の掻器(エンドスクレーパー)や縄文草創期の精巧な石槍先などが出土。以降の時代の遺跡も多い。早くから開拓された地域。
 珠洲郡の名の初出は霊亀元年(715)以前の平城宮跡出土木簡で
 表(越前国珠洲郡月次里)  裏(庸舟木部 申 六斗)
とある。月次里に住む舟木部申が庸米六斗を貢進した。と言う意味。珠洲郡はかっては越前国であった。

 舟木部は律令以前に造船に関係した部で、能登には舟木姓が多く分布する。

 能登郡を大伴家持が巡行したさい読んだ歌。
とぶさ立て船木きるといふ能登の島、山今日見れば木立繁しも

 七尾から能登島を見て歌ったと言う。能登島には伊夜比メ神社が鎮座、大屋津媛命を祀る。植樹の神、五十猛命の妹神とされる。
 七尾湾の西湾や南湾には、造船にかかわる氏族が住んでいて、良港な船材を利用していたのであろう。
 能登郡に船木氏が居たのかどうかは不明、樹木神が祀られているのは一層古い時代からの造船の地であったのかも。


[7015] 布奈木の郷 17 九州の船木

17−1 船木村(大分県大野郡千歳村大字船田)

 正保郷帳(1644〜)に船木村と見える。合併し船田村となる。 
 舟木神社が鎮座、山王大権現とも言われた。宝暦四年(1754)に再興された。

 17−2 船木村(長崎県平戸市船木町)

 東は海。地名は船の用材を産出・移出していたことによる。また「景行天皇が当地で船を修理した」との所伝がある。
 平戸市船木町字宮後に素盞嗚尊を祀る鎮守神社。


 17−3 船木村(鹿児島県薩摩郡宮之城町船木)

 川内川中流の川岸の台地。村名は北東部の弥三郎ヶ岡から船材を伐りだしたことに由来。
 神社としては、南方神社、大年神社、御年神社が鎮座。
 馬を生産する九尾野牧(つつらの)が設けられていた。

 田尻村(鹿児島県日置郡吹上町田尻)
 船木神社が鎮座。猿田彦神と大山積神を祀る。
 船漕ぎ祭の時に、宝殿に収められている大小十艘のくり舟(模型)を漕ぎ出す神事である。


[7017] 布奈木の郷 18 四国の船木
 18−1 徳島県 美馬郡脇町船木

 讃岐山脈の南斜面で洪積台地。大滝山があり、空海の『三教指帰』に、「虚空蔵求聞持法を入手した空海が修行した地の阿国大滝嶽」とあります。
 西照神社が鎮座、「日本一社西照神社大滝山本宮」と称し、毎年春、秋二回、厄除際を執行するとか。なお、この地には、真言宗大滝寺があり、弘法大師が登ったと信じられています。式内社田寸神社の論社。


 18−2 愛媛県 新居浜市船木 元船木村

 東は宇摩郡土居町、そこには樹木神である五十猛命を祭る伊太祁神社が鎮座。
 船木には船木神社が鎮座。大山積大神を勧請したようだ。
 南は赤石山脈の上兜山、下兜山で、北麓一帯の地。丹沙もとれたのかも。
 弥生時代の竪穴式住居や須恵器が出ています。
 東大寺領田や河野家の領地。河野水軍の船材を出していたのかも。

[7022] 布奈木の郷 19 その他の船木
 19−1 船木村 (鳥取市船木)

 船木の西南部を若桜往来(八束往来)が通る。
 船木神社(旧牛頭天王)が鎮座、速須佐之男命を祀る。

 19−2 茨木村 (茨木市舟木町)

 阪急茨木市駅の南側。
 茨木市は銅鐸の出土地であり、また大田と言う古い地名が残っている。


 19−3 是里村 (岡山県吉井町是里)

 是里は標高300mの高地にあり、血洗川が谷間を流れる。
 大蛇を退治した素盞嗚尊が、この滝で剣を洗い、滝で身を清めたとの伝承があり、血洗の滝、血洗川と呼ばれるようになったと言う。
 『備陽記』には、船木、物理(もどろい)などの地名があるとか。
 式内社 宗形神社が鎮座。


 19−4 崎川村(福島県会津若松市湊町大字静浜)

 猪苗代湖の西岸。
 『新編会津風土記』には舟木の地名が見える。この地は湖浜で、砂鉄が多く、農具などを作ったようだ。
 北の接する山田村には材木岩があり、材木山ともいい、磐梯明神が橋を架けようとした名残との伝承がある。


 19−5 秋田県の船木
 北秋田郡鷹巣町に船木沢と呼ばれる所があり、品類川の上流にあたる。大船木、小船木の総称。鷹巣町には太田地名もあります。

 由利郡東由利町宿に杉森村と船木村があった。

    −終−


 



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