古代シナには心霊がらみの偏執(文化)があります。ニルバーナ(涅槃)にはいれば誰でも 感受できることらしいのですが、それはトンナンシャーペーに出ています。東……青龍、南… …赤雀、西……白虎、北……黒亀 です。 これら青赤白黒の中央に置かれる色が黄色です。この“中央”が誤解されて、黄色は“地上 〜この世の一切”になり、皇帝、道士、僧侶の着物の色となって定着しました。 しかしベトナム語
hien hien(顕現する)
hien(濃い黄色)に残っているように、黄色とは この世の意識をかなぐり捨てて到達できる心境……が、基本概念だったと想われます。
サイババさんが言った「ひと皮(むく)」とはトンナンシャーペーのことでした。因みに青 は肉、赤は共産党や宗教のしゃべくり叡智、白はドッチラヶの経済、黒は情・ロマンの自然で す(詳しくはおらの“価値観”で)。これらの皮を剥き捨てると黄色がでるというメカです。
黄は平原ではフアング、呉音でクワゥですから、「キ」という発音は
hien
を中心に、エジ プト発のキナ(蘆葦)などを母胎にして生まれたものでしょう。九州では「黄色い」をキナイ と言いますし、また鬼無里もありました。標準語にも「キナくさい」が残っています。
吉川英治描くところの三国志は黄布のランから始まります。 国造りに“黄色”を旗じるしにするなんざは、ブタ・ニンゲンに真珠を与えるに等しく、理 想に走りすぎた思弁哲学です。 でも、この傾向は日本列島に「日ノ川」となって、あちこちに残っているようです。ここで は“日”を充て字していますが、この黄色勢力は白勢力に滅ぼされたため、黄をそのままナマ で用いるのは、過去の敵対関係を再起させることなので、差し控えねばならなかったことと見 受けられます。 出雲に見られるとおり、ヒは日や火を避けて「氷川、簸川、斐川」の文字を遣っています。 この主原因は敗戦でしょう。カワ(川)とは「
ka(の)wa(人)」という意味が起源です。
理想郷をこの世に出現させようとする願いは、濃密に宗教的です。 戦争・政争に敗れたとはいえ、その思い入れ強い理想郷を出現させようとしたのが、ゴトビ キ岩をメッカにした“紀のくに”だったにちがいありません。
“紀”の字義は「曲がって起き立つ」という意味です。曲がった……とは戦争・政争に負け たことでしょう。紀のくにの枕ことばは「あさもよし」です。「あさ」は第一義的には“馬” ですが、そこには「アカサ(黄)」という古代日本語が懸け言葉されていると診れます。
アカサの
ka が「の」だから、外されたのでしょう。アサモの MO
は「くに」です。 アサモヨシのヨシとは葦のことで、蘆葦を燃やして鉄を得るという遅れた製鉄法を言うので しょうが、スクナヒコナ神が「住居(これがタジク語
sukunat)」とする柱を謂っています。 蘆(ヨシ)というのは、葦(アシ)が「悪し」に通じるので、新しく造語されたものです。
また、紀の読みは呉音で
ko です。この ko には古代共通の
XO(聖なる空虚)が内包され ていると見るべきで、ここに「ほのくに(愛知方面)」との文化的繋がりが察知せられます。 ベトナム語に
khong(なにもない、ゼロ)が見られます。-ng
は固有の喋りグセです。
その他“白”や菊(ククリ・CUC)については、11月25日ごろの KUMANOLIFE
に既述し ました。
|