青草掲示板ログ
2002.5
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草掲示板

[59] Re[58]:   『かむなび』 アサッテ      玄松子 2002/05/31(Fri) 21:37 [Reply]
>  玄象師師ドン、日本語とアイヌ語は、そげな連想をゆるすぐらいには近接してまへんのでアマカネ。

連想は自由。
「われわれは〜っ、れんそうする〜っ、けんりを〜っ、ようきゅう〜っ、する〜っ」
のだ。

[58]   『かむなび』 アサッテ      クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/31(Fri) 20:21 [Reply]
 玄象師師ドン、日本語とアイヌ語は、そげな連想をゆるすぐらいには近接してまへん
のでアマカネ。
 セトホドンもブラジルだのアルゼンチンだの聞いて、テッキ−ラ飲んだんやろカネ。

 モノノベ系神社には、三本足カラスのデザイン料で儲けさせてあげたかったネ。
 もう、こうなったら、いかなジュンイチロウ紋チャンでも、間にあわんワァ。

[57] Re[56]:   願望としての「半数ころされ」    玄松子 2002/05/31(Fri) 19:38 [Reply]
> そこに集落単位の殺しあい(KOTUMI……戦争と訳される)があったことを、記述しています。

KOTUMIを見て、「子摘み」を連想しました。怖いです。

[56]   願望としての「半数ころされ」    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/31(Fri) 12:10 [Reply]
 「アマカネ」を紹介してくれた本多勝一さんは、7〜8年前『アイヌ民族』を書いて、
そこに集落単位の殺しあい(KOTUMI……戦争と訳される)があったことを、記述してい
ます。
 これから冬を迎えようとしているとき、本当に乗り切れるかどうか、切実な懸念があ
ったことでしょう。
 自分らが手がけて、肉親のヂヂババ殺すよりも、なにか災難みたいなもので食い扶持
を減らすことができたら……という、多くの集落での願いが、冬直前のコツミとして習慣
になったのでしょう。

 KOTUMI の TU……なにかワカランが、「つくし」の TSU やろかカネ? 
 ネパール語の *HAT(殺す)が、アイヌ語の KOT になってるとみたほうが、いいのかな?
 アイヌ語の KO には、「お互いに」という意味これあり。MI は女陰とか熱中とか、不明。
 TUM(力)あれど、これでも意味は通りそうもない。

 「食い扶持」……ネパール語 BUJO(たべものを口に入れること)。

[55] 50% killer  玄松子 2002/05/31(Fri) 07:51 [Reply]
「話半分」の半分に似たイメージですが、
あるいは五十猛のことでしょうか。とか。

[54] 半殺し  習志野のてつ [Mail] 2002/05/30(Thu) 23:48 [Reply]
> 通る人の半分を殺す神
古事記でも良く出て来ますが、半分生かして半分殺す。
山形鳥海山の手長足長も半分殺す。これってどう考えたら
良いのでしょう。イザナギとイザナミの時は、1000人殺し
て、1500人生むはずだったのに。
疱瘡なんかの病気じゃあ半分は死なないですよね。
その場所を通るときの税金・関銭だって、半分は高すぎる。
往復したら、4人で行って、1人しか帰れない。
昔の旅行はそれ程大変な感じがしたのでしょうか?

[53] Re[51][49]: クサナギのもうひとつの語源解釈    玄松子 2002/05/30(Thu) 21:52 [Reply]
> ヒンズークシ山脈のヒンズークシがインド人殺しの険峻という意味の言葉だ、という駄法螺?は、この『クシュ』と関係ありますかネ〜。

ヒンズー=インド人ですね。
九州筑紫の語源は、峠を通る人の半分を殺す神、「命つくしの神」だと風土記にあるようですが、「くし」に殺すという意味があれば、なんとなく納得。

[52]   オロチが「オルシ」だったらよかったんだがナァ〜    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/30(Thu) 09:49 [Reply]
 日本が海賊から襲われたのは、前後2回あったようです。いずれも文献にのこっ
ていて、ひとつが北九州海岸を荒らした高句麗系だとされる「トイ」。
 もうひとつが記憶がさだかではないのですが、敦賀〜福井方面に比定される北方
で、このときの海賊の名前は「オルシ」とか「オルチ」とか……でした。
 オルシなら OL(最高の) SI(人)と、簡単に語源分析できて、これはまずまち
がいないところでしょう。
 厚かましい研究者なら「オロチとは、このオルシに決まってらぁ」とゴリ押しし
てくるでしょう。が、紋チャンそこまで厚かましくない。
 恣意に音をうごかすと際限がないです。またこれまで、音を動かさなくっても、
なんとかかなりの大発見に恵まれてきたと思います。
 いやぁ、「神さまの名前の音が固定していない」と聞いたときゃ、おら、大
ショック受けたもんな。

 豊後方言で「おろいいヤツ」とか「おろいヤツ」は悪人を意味します。
 念のため、ウイルタ語辞書に相談もちかけてみましたら、やっぱ *ORO には
“悪”がありました。
 ウイルタ語の OLLO:CI(オローチ)には、古くなった沓という意味がありまし
た。古くなって脱ぎ捨てられた靴は「化け物」になるそうです。
 オロッコ、オロチョンというのはアイヌがウイルタを呼ぶ呼称です。ギリヤーク
はウイルタをオロッコ、オロチョンとは呼びません。
 「オロ」は、言い易いのか、オロには氏族ごとにいろんな意味がありそうです。

 いずれにせよ、チチカカ湖西岸の縄文日本人が、へびをオロチと言っている事実
は、尊く重いぞな。このことは25年ほどまえ、N.H.K のひとから聞いたハナシ
ですが、こういうときのN.H.K は信用にあたいします。

 香具さん、『ダボラ?』とはこの場合、香具さんの判断なんやろか?
 ヒンズーとは「ひと」という意味なんですカネ(オラシラン)。そういうことが
言われているのはホント−ですか?! 由々しきことのみことなり。

[51] Re[49]: クサナギのもうひとつの語源解釈    香具 2002/05/29(Wed) 23:30 [Reply]
お話しの主流・展開とは異なるので、限りなく私信に近いのですが、限定リプレイとしてご容赦下さい。

> するとタジク語に KUШ(∫)TAN (殺す)がありました。TAN は動詞末尾辞です
> ので「クシュ」が殺すことです。

ヒンズークシ山脈のヒンズークシがインド人殺しの険峻という意味の言葉だ、という駄法螺?は、この『クシュ』と関係ありますかネ〜。

[50] Re[49]:   クサナギのもうひとつの語源解釈    玄松子 2002/05/29(Wed) 20:30 [Reply]
>  KUSANAG-I の末尾の i は者、物、こと、ですので「へび神を殺したもの」……??!!

オロチもオロそかにできませんね・

[49]   クサナギのもうひとつの語源解釈    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/29(Wed) 19:16 [Reply]
 「そんなのどこに意味がある?」との玄象師師ドンの声がきこえてきそうですが、
懸け言葉というのもあるんですよォ〜、まぁ、聴いてちょ。

 クサナギの NAG-I には、あまりにも NAG (蛇神)が見えみえなので、「もしや、
これは形容詞後置形かもしれないぞ」と思って調べてみました。
 するとタジク語に KUШ(∫)TAN (殺す)がありました。TAN は動詞末尾辞です
ので「クシュ」が殺すことです。
 KUSANAG-I の末尾の i は者、物、こと、ですので「へび神を殺したもの」……??!!

[48]   「総力戦」は舌たらずデシタ        クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/28(Tue) 19:28 [Reply]
 もう少し言いたいことがありました。
 「くに」をあげての総力戦と書いたのですが、ここにこそ「國」の語源があると思う
のです。すなわち KU(窯焼き) NI(ネ、or △△であること)と分析できるのですが、
この語形の総体はシナの「クオ(國)」に似せているのです。

 どんな暮らしをしていたかは、具体的には知りませんが、身体を動かすことができる
老弱男女全員が晩秋の峯に集まって、神にいのり、踊りをおどって、松の木を切ったり
粘土を採ったり(後世では炭を造ったり)、食物や飲み物を運んだり、崖に掛け小屋を
造ったり……。ムラでは病人を集めて看病したり……。その後、稲作時代になっての名残り
が収穫の祭りではないでしょうか。

 YA(神)MAT(女・大地)……すなわち大地の神がオロチ(へび)……が、いまのあっし
のヒガメ結論です。形容詞後置形です。「八つの股」は打ち上げ会でカンカン踊りを見なが
らオミキのんだ爺さんのお話。
 カニ(金属)khan(掘る) > カンカン。
フルシチョフもパリでカンカンおどりみてヤニ下がった顔をしたネ。
 「シューレッポ」ってなんだろ? 

[47] オロチの話は、尾張の話  玄松子 2002/05/28(Tue) 15:49 [Reply]
今、仕事中なので、出雲風土記が手元にないのですが、
出雲風土記には、ヤマタノオロチの話は登場しなかったのでは。

すると、刀で有名な関や、日本武尊の最後に関わるイブキ山、そして熱田神宮のある尾張周辺の剣物語を、むりやりスサノオに結びつけた可能性。
僕的には、日本武尊がスサノオのモデル(実在すればですが)。

[46]   剣つくりは「くに」挙げての総力戦やろもんに   クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/28(Tue) 14:31 [Reply]
 後世の刀鍛冶は神官みたいな装束を着て、まわりに注連縄を張りめぐらしてやってますよね。
 刀剣づくりは紀記編纂のあとあたりでも、また地域によって、「くに」あげてのイフキだった
のではないでしょうか?
 鎌倉期あたりの標準的スタイルは500名のグループで、治外法権で固められ、ムラゲに率い
られています。
 ですから、神話時代(?)では、剣など、めったやたらに造るものではなく、できあがった剣
は、その氏族の文化と意気込みが込められていて、彼らのいのちの象徴だったことでしょう。

 ムラゲ……ムラクモと同じ造語法です。おぼえてくてまっかァ?
 司馬遼太郎がホント書いているんですよ。
 「ムラゲなんて語が解明されるときは、言語手法によほどの改革が進んだときだ」……と。

 こんなタンカ、誰がいつごろ、そして前後の歌詞……シランカネ
 
 √♪ △△○○×× あきつひれ おいなめ(あいなめ・だったか?)もちて 馬かへ わがせ

 山之内カズトヨさんの奥さんじゃなかったような気がするんですが……。
 このアイナメ(オイナメ?)が「鏡」なんですヨ。

[45] Re[44]: 43:追記  玄松子 2002/05/28(Tue) 14:30 [Reply]
> 点検せず送信した為、「玄松子」と呼び捨てになってしまい失礼しました。

ここだけの話ですが、「玄松子」の「子」には尊称の意味があります(多分)。
みんなは知らずに、僕を尊称で呼んでいるのです。(なんてね)


> ところで、鉾作りは、どこかにありますか?弓つくりは弓削で、ありますが。

とりあえず、神器じゃないので・・・

[44] 43:追記  習志野のてつ [Mail] 2002/05/28(Tue) 13:59 [Reply]
玄松子様、申し訳ありません。
点検せず送信した為、「玄松子」と呼び捨てになってしまい失礼しました。
ところで、鉾作りは、どこかにありますか?弓つくりは弓削で、ありますが。

[43] Re[42][39][37][36]: 救い様が無いですか?  習志野のてつ [Mail] 2002/05/28(Tue) 13:53 [Reply]
>玉と鏡に関しては、玉作・鏡作という専任者
>剣作ってのはいません。鍛冶の祖に入っているのかもしれませんが、
通常の鍛冶と刀鍛冶は違うような気がしています。
ということは、刀専門の技術集団は、天孫グループにいなかったかもしれません。

以前一度神奈備掲示板でも玄松子が取り上げていたと思います。
その時自分でも調べたけれど、剣作担当の神様はいませんでした。
剣作部も聞かないし、剣作温泉も聞かない。
そもそも日本では作らなかったと解釈すればいいのでしょうか。

石器のなかには、石刀があります。これは日本で作ったと思います。
千葉県佐倉市歴史民俗博物館に、展示されています。実用性なさそう。
荒神谷遺跡の大量の剣も、日本製だったと思います。これは結構切れ
そうですけど、お祭り用ですよね。 「実用の剣は作らなかった」
のでしょうか?

[42] Re[39][37][36]: 救い様が無いですか?  玄松子 2002/05/28(Tue) 12:52 [Reply]
> > たとえば、国津神の統治権としてのシンボル
>
>  だからこそ、天孫降臨の際も持ってきたし、

神器の他の2つ、玉と鏡に関しては、玉作・鏡作という専任者が、天孫とともにやってきますが、剣作ってのはいません。鍛冶の祖に入っているのかもしれませんが、通常の鍛冶と刀鍛冶は違うような気がしています。
ということは、刀専門の技術集団は、天孫グループにいなかったかもしれません。
そのあたりが、剣の出自や、フル関連の諸説に絡んでくるかもしれません。

[41]   −S という末尾辞      クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/28(Tue) 07:57 [Reply]
 クサの「SA」は、単なる末尾辞で意味はないと、さきほど書きましたが、この
起源は -S にまで遡れそうです。
 ネパール語で毛のことを KES といいます。これはほかの語彙と区別するために
添えたもので、一般形の -SA は開音(母音づけ)にすぎない……これかなり言える
とおもいます。
 これが強調形にされると(一般形) -SAI、-SE になります。

[40]   おらもコリコリしやせんぜ      クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/28(Tue) 07:16 [Reply]
> 破邪という意味だけではない、「意味」がありませんかねぇ。
>  たとえば、国津神の統治権としてのシンボルって、どうでしょう。
> というところから、クサ=土着と発想してみました。

☆ いまさら贅沢言うようだが、のっけからこう書いてくれていたら、バカタンおれに
  はいよいよ“異見”の意味がハッキリしてたんですがねぇ。
「 国津神の統治権としてのシンボル」は、“ムラクモ”のほうにハッキリ出ている
  のでは?
  そうすると、「クサ=土着」の源意は、やっぱ香具さんが書かれた『倶舎那祇(ク
  シャーナギー)なんて書くとインドっぽくなりますねぇ』に、おら惹かれる。
  クシャーナ王朝があるのですから、陥落は時間のモンダイでは?

> 『クサ(土着民)和ぎの剣』
☆ 「民グサ」という日本語がどこから出ているのかが、まずモンダイですな。
  国民を草(grass)になぞらえた……キモチはわかるがね、キモチは……。

  √♪ 雲にそびゆる 高千穂の 高嶺おろしに 草も木も なびき伏しけむ
     大御代を 祝お 今日こそ 楽しけれ (むかしの建国節)

  やっぱこれもクシャーナを先にあたったがいいばい。
  「ツルギ」の語源も重要。おらのカンだが「ギ=剣」はありそうですね。
  鶴を「つる△△」は朝鮮語のほかタジク語にもありました。黒鳥 VS 白鳥
  「なごむ」という現代語……、古語にあって 「NAG=なごませる」が成立すれば
  バンジャァ〜イあるよ。

 おらは、種族、部族、血族、民族という用語は極力避けたいと思ってきたが、この際
やむをえない。種族という用語を使わにゃならん。
 へびには精神感応が通じることは、古代のどの「種族」も知っていた。南方には椰子
の木からぶらさがって、下を通る(子)ウシを丸のみする大蛇がいることも知ってい
た。だが、この日本列島では見たことないことも知っていた。
 二つ三つの種族に「尊いお方を大蛇が呑込んだんだ」と、ゴマカシは通じても、五つ
六つもの種族相手では様子がちがってくる。剣ごと人間を呑込んだなどをまことしやか
に吹聴すれば「アホこけ」いわれることを当然にも気にせなならんと思うんだがなぁ。
 そういうマヤカシ含みのことばが国宝の名前に組み込まれるのだろうか?

[39] Re[37][36]: 救い様が無いですか?  香具 2002/05/27(Mon) 23:46 [Reply]
> 神器の一とされるほどの剣が、こんなところから出たという出自は、異例と感じませんか。

あ〜!そうか、そうですねっ。(◎o◎)!
 ひとまず、紋次郎親分の『記紀から説話の内容にとらわれずに、固有の名詞等の古代語を取り上げて分析する』という立場より見た場合、草薙剣は破邪の剣を意味している・・・ことが判ったということです。
 もちろん、記紀の説話や風土記の伝承を考慮するとか、考古学の成果を参照するなど、さまざまなアプローチが有り得ると思っています。(いろいろな捏ね方を許して頂けると甘えていますが)

> たとえば、国津神の統治権としてのシンボルって、どうでしょう。
> というところから、クサ=土着と発想してみました。

 『青人草』という語がありますから・・・民ですね。そして、草薙剣は天照大神に【献上】してますよね。
 書紀にいう『素盞鳴尊の曰く、是神(あや)しき剣なり。吾何ぞ敢へて私の安けらむや。とのたまひて、天神に上献ぐ。』
 それだけの大切な価値のある御宝だったという。つまり、

> たとえば、国津神の統治権としてのシンボル

 だからこそ、天孫降臨の際も持ってきたし、代々天皇家の神器として皇位継承に必要だったのですか!これが無くては、土着民も納得しない『クサ(土着民)和ぎの剣』。・・・行き過ぎました?
 ということは熱田神宮の草薙剣は本来、国津神様?(石上神宮は天津神様)
説話・伝承を絡めても、やはり面白い古代です。

[38] Re:おみきが醸した後世の符会  習志野のてつ [Mail] 2002/05/27(Mon) 22:53 [Reply]
酔っ払いの付会 別名 青草物語
現在の通説では
「クサナギ」と云う言葉が先にあり、あとから「草薙剣」の文字を充てたらしいです。
また、熱田神宮にある「草薙剣」は、銅剣の可能性が高いそうです。だが、もし通常
の銅剣であれば、珍しくも何とも無い。そこで考えました。
通常ではない銅剣とは?
あった。銅剣とは、もちろん青銅の剣のこと。
青銅の剣:実は秦の軍隊が使っていた。2200年以上経って出土、しかし今でも、
切れ味抜群の、クロムメッキが施してある銅剣だ。
古来日本人は、敵であっても見方に取り込む。完全に殲滅したりはしない。オロチ
族の中に所属していた、秦からの亡命者、クロムメッキ銅剣をもつ一派は、戦いを
放棄した。素盞嗚尊に従うことにした。素盞嗚尊は、許して味方にした。彼らの持
っていた剣のすばらしさに感嘆し、天照にも献上した。
一部は自分の宝とした。オロチを退治したときの、剣(十拳剣)は一種類だが、
そのとき手に入れた剣は、色々な名前で呼ばれることとなった。
各種の名は、神奈備神名帳・大和国 石上神宮[いそのかみじんぐう]に詳しい。
布都御魂大神 天羽羽斬剣 十握剣 蛇之麁正 蛇韓鋤之剣 天蠅斫剣…

[37] Re[36]: 僕も懲りもせず  玄松子 2002/05/27(Mon) 22:12 [Reply]
> 書紀には、もともと天叢雲剣で、日本武皇子のときになって草薙剣と改名したようなことが書いてあるので、確かにクサナギとオロチは直接の関係はないですね。

古事記では、「オロチの尾から都牟羽の大刀が出たので、天照大神に申し上げた。これが草薙の剣である。」と書かれています。
命名は日本武尊の頃とされていますが、出自は直接ですよ。
神器の一とされるほどの剣が、こんなところから出たという出自は、異例と感じませんか。

> 『邪悪を薙ぐ』=ケガレを祓う、という剣であるということですね。
> これで三種の神器のうちの一つである意味が決まりますね。

破邪という意味だけではない、「意味」がありませんかねぇ。
たとえば、国津神の統治権としてのシンボルって、どうでしょう。
というところから、クサ=土着と発想してみました。

[36] 懲りもせず  香具 2002/05/27(Mon) 21:33 [Reply]
>クサ枕紋次郎師
>神奈備掲示板 [2993] クサNAGーI
>クサナギとは「邪悪を薙ぐ」であって、「へびのシッポから出てきた……」などとの説話は、おみきが醸した後世の符会というべけれんや。まじめにつきあう価値はゼロの領域。

あっちこっち飛び廻ってはるので、目が追いついていけまへんでした。
『邪悪』を、クサ=『臭(腐)』=ケガレのことと・・・、逆か、
『クサ』は、臭(腐)=ケガレ=『邪悪』のこととして、
『邪悪を薙ぐ』=ケガレを祓う、という剣であるということですね。
これで三種の神器のうちの一つである意味が決まりますね。

>クサナギをテーマとするカキコ流れは終わった

これで上記の意味が理解できました。有難うございます。

>「へびのシッポから出てきた……」などとの説話は、おみきが醸した後世の符会というべけれんや。まじめにつきあう価値はゼロの領域。

これは『クサナギ』という言葉に関連しては、・・・という意味にとってよいでしょうか。書紀には、もともと天叢雲剣で、日本武皇子のときになって草薙剣と改名したようなことが書いてあるので、確かにクサナギとオロチは直接の関係はないですね。いや?これも説話なのか・・・。

[35] Re[33]: m(_ _)m  香具 2002/05/27(Mon) 20:38 [Reply]
> 漢字表記をその文字の意味だけで考えるのはやめましょう。

すみません。大蛇を『草薙ぎ』と呼んだ用例など、どこにもありません。単なる思いつき創作です。反省して国語辞典を開くと・・・、
 国語辞典にすら【草薙剣】のところに『クサは臭、ナギは蛇の意、八岐大蛇から出た剣が原義か』とありました。他のクサがつく語の殆どは、草を意味する系統か、臭い系、腐る系でした。しかし中には、種の意味の語も。十種瑞宝(とくさのみずのたから)や種々比禮(くさぐさのひれ)の種(くさ)ですね。
 さらに他にこんな語も辞書に。
 『クサヰナキ』:野猪。はじめて知りました。
 『クサカマリ』(草屈):しのび。草むらに屈んで窺う者。クサ(忍者)の元の言葉だったんですね。
 『ナギノ』(薙野):新潟県でいう焼畑。なんで新潟だけなのでしょうね。

『ワイは・・・、ワイが・・・』と言っていたら、倭人と蔑まれたのでしょうか。
倶舎那祇(クシャーナギー)なんて書くとインドっぽくなりますねぇ。
(冗談、また創作です。懲りない妄想につき深謝!)

[34]   ライオン と うみへび     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/27(Mon) 19:56 [Reply]
 逗子の斉藤守弘さんと電話ではなしていました。
 彼は台湾出身で、よくアラスカに行ってる気功士のことは知りませんでしたが、ライオン
が強い念力での催眠にはゴロニャンとなることを知っていました。
 古代文化をやる人間は、やっぱこの辺に注目してるんですナ。

 高橋稔といっしょに沖縄からやってきたAさん。
 ユタが海辺の岸に立って拝んでいたら、うみへびが一匹、崖を登ってきたそうです。

     ……………………
 その海蛇をつかまえて、「おまやナニしとるんじゃ?」と訊いたら、「おらにもナニ
がなにやら、わきゃワカラン」と言うたそうだ。

 点線から下の部分は、おらの創作。点線から上はホントのハナシ。ナーモー。

[33] 南無  習志野のてつ [Mail] 2002/05/27(Mon) 17:00 [Reply]
「南無」(なむ)とは
南無とは、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無大師遍照金剛…などに使われる。
『当時世界の一番南・インドから来たから、それ以上南が無いので「南無」とした』
などとデタラメをいっても意味は無い。

帰依とか帰命という意味の梵語(サンスクリット語)の音訳です。
  ↑ 本当

崑崙(コンロン)は、越(エツ)の国(ベトナムは越南)より更に
南にある国のこと。クメール(現在のカンボジャ)の音訳
  ↑ 適当

漢字表記をその文字の意味だけで考えるのはやめましょう。

 倭 卑弥呼  ←いやらしい意味をわざと付けた表音表記

[32] 続 [31]: 倭人として  香具 2002/05/27(Mon) 16:39 [Reply]
 んで、どうして(草薙の)剣が、大蛇伝承と関連したと思うのか、ということですが。単に見た目の印象でのことかな?と愚考も愚考。(^^;)
 例えば、出雲神庭荒神谷遺跡で大量に出土したような中細形銅剣と比べて、三雲南小路遺跡の有柄形銅剣を見ると、サンマの開きに対する大蛇の尻尾のような感じはしませんか?
さらに青銅の鈍い光が、ヘビの鱗の金属的光沢を連想させたかもしれません。つまり、その剣の形状や輝きから『大蛇の尾』という呼び名を(当初)持ったのかも知れないと妄想しています。それがやがて大蛇の尾から出てきたという話しに変わっていったのかも。
以上無責任妄想。・・・青草?

[31] 倭人として  香具 2002/05/27(Mon) 15:29 [Reply]
 1500年ほど前の古墳時代から、2000年ほど前の弥生時代までのレンジの話しとして。
 ヘビは草をかき分けて這うのが普通ですが、大蛇(ヲロチ)ともなれば草を薙ぎながら進むものだ(伝承)と言われていたとすると・・・。(国語の文法でなんと表現するのか知りませんが)『草薙ぎ』動作・様子からのあだ名でちゃんと名詞になるでしょう?

ということで、草薙ぎ=大蛇。草薙の剣=大蛇の剣。
(つまり大蛇(ヲロチ)=『草を薙ぐもの』と呼ばれていたという妄想です)
これなら、大蛇(ヲロチ)の尾から出てきた剣という『伝説』を伴っていても不自然ではありません。
【大蛇が実在したとか、その尾から剣が出てきたのが事実だとか、言ってるわけではありません。その伝説はフィクションですがキャッチフレーズ、コピーとしての捉え方です。】

 さらに、もし、草=原住民を薙ぎ払って(征服して)ということなら、『薙ぎ』だけでなく『和ぎ』の語も思い浮かべたいです。

草薙の剣の参考になるのか、ならないのか・・・?
前原市大字三雲(市指定史跡)
伊都国王墓『三雲南小路遺跡』の有柄銅剣の写真
http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/iseki/mm.htm

[30]   天 と アマ と インド     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/27(Mon) 07:31 [Reply]
 なんとはなしに、クサナギをテーマとするカキコ流れは終わった。
 事後処理として、この下にムラクモの紋次郎解を披瀝しておきます。

 「音と意味だけの言語処理」ではなく、残っている諸般の関連をまとめあげて、往時の
趨勢を掴まむとする視点は、おらには荷がカチすぎます。
 しかし、文献をいっぱい見てきた玄象師師ドンやセトホドンに、ぜひやってほしいのが
標題にした「天・アマ・インド」の重なりぐあいです。

 帝釈天などについている“天”とは「インドの神」ということではないでしょうか?
 雷さん、天竺の“竺”とはどういう意味ですか。
 天という文字はおぼえ易い。「おれらアマ族だ」とは、「おれらインド(文化)人だ」で
はなかっただろうか? 
 南から北上してきたので海人(アマ)とダブったのでは? 


※ MUL(長)KHU(いい)MO(くに)。いいくにの長。
  ただし、この雲は「いいくに」と「わるいくに」の二つに解釈できるので、住民にとって
  は「いいくに」。ほかの民族からみると「ろくでもない雲助の集団みたいなくに」となる。
  また、KU には金属精錬の意味もあるので、クモには「イフキをするくに」という解釈も
  可能です。
  遺されている説話にはそのような三つが盛り込まれているはずですが……。

[29]   師 の た ま わ く       クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/26(Sun) 17:19 [Reply]
 師、いい例あげて、いいこと宣(のたま)わく。

 なぁんだ、そんなことだったのか! 

 おらの名前は淳一郎だが、生まれたジュンでは5男にござんす。生き残ったジュン
では次男にござんす。
 紋次郎は木枯らしの兄哥で、えらぁ〜く有名になりやしたハンデ、名前の使用に
あたっては、笹沢の大親分さぁの許可もろうちいやす。

 あと50 年もたったら、だれ一人として無宿人の紋次郎を知ってる者はいやしねぇ。
 

[28] Re[26]:   紀記ではじめて出現した語彙ではなく……     玄松子 2002/05/26(Sun) 13:09 [Reply]
> ☆ 日本列島の文化は紀記に書かれたときから始まったのではない……ですよね。

「紋次郎」という名は、江戸時代以前から存在しますが、
今、「紋次郎」という名には、「木枯らし紋次郎」のイメージが内包されています。
ある時点で、付加された意味やイメージは、その後のラベルとしての言葉についてまわるもの。
それ以後の人々は、そのイメージを伝える手段として、その言葉を用いることになるでしょう。

「紋次郎」を、紋+次郎と分解し、次男という字義を出しても、「あっしには・・・」というイメージは伝わらないということです。

ただ、「長男ではない」=「家を継ぐものではない境遇」は、渡世の裏街道を歩くシチュエーションや背景を説明はできます。

[27]   百聞は「一(いち)やってみる」に如かず    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/26(Sun) 11:16 [Reply]
 あれ、発音は「ムラクモ」でいいのですか?
 ムラクモとはどういう意味なのか、自分で考えてみませんか? そうすると、
言語を見る目に関してのくいちがいはすぐに吹っとんでいき、おらが言うてる
こと(ネパール語・タジク語)の意味が百聞どころでなく、万聞効果カネ。
 ただし、いっまでのおらのログは見ないこと。

[26]   紀記ではじめて出現した語彙ではなく……     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/26(Sun) 10:58 [Reply]
> 伝承や記述に込められている意味や思いを無視して、言語を語ることに、「意味」はあるの
  ですか。
☆ 日本列島の文化は紀記に書かれたときから始まったのではない……ですよね。
  オロチもクサも「薙ぐ」も、紀記が編纂される前にごくフツーの名詞、動詞として、当時の
  人びとが使用していた。その用語が紀記にも現れている……この考えかた、どこかオカシイ
  ですカネ。
  ここは、「オロチのことよりも、ムラクモの意味を追求せよ」との御ことばが出るべきスジ
  じゃなかろうか。
  

[25] Re[24]:   われら21世紀初頭人    玄松子 2002/05/25(Sat) 16:24 [Reply]
>  また、そのような視点からいえば、オロチだけを切り捨てた……とはならず、ヒノカワ
> とか、その娘さんの名前とか、皮膚に木が生えていることとか、説話にでてくる多くの附随
> 概念も切り捨てたことになりますが、例えば、ヒノカワが「クサナギ」とどう拘わってきま
> しょうか?

上にあげたものの中で、草薙剣に直接関係するのは「オロチ」だけ。
ヒノカワや、娘などに関しては、「オロチ」に関係する事柄ですね。

別扱いしているという指摘がよく分かりませんが、
「オロチの尾から出た剣」と書いてあるから、気にしているだけで、
オロチだけを別扱いしているなどということではない。


「何とでもいえる」説話で、わざわざ「オロチ」を出すことの「意味」があるでしょ。
伝承や記述に込められている意味や思いを無視して、言語を語ることに、「意味」はあるのですか。

[24]   われら21世紀初頭人    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/25(Sat) 15:40 [Reply]
 説話では「故人いわく」とか「古老の言」とか、何とでもいえて、そのごく一部が
「公文書」などに、たまたま載っかっていたというだけの世界でしょう。

 クサナギの意味を追求するに「オロチ」は直接には関係しませんよネ? なにかありま
すかね。
 また、そのような視点からいえば、オロチだけを切り捨てた……とはならず、ヒノカワ
とか、その娘さんの名前とか、皮膚に木が生えていることとか、説話にでてくる多くの附随
概念も切り捨てたことになりますが、例えば、ヒノカワが「クサナギ」とどう拘わってきま
しょうか?

 チチカカ湖の西の海岸べりにいる日本人に似た氏族がいます。
 その氏族は縄文土器をいまだに暮らしのなかで使用し、庭にはニワトリが遊んでいます。 
 そこでは蛇のことを、オロチというそうですので、オロチは縄文時代のことばであることは
タシカです。
 このことは、どこかに書きました。

 どこのことばも、少なくとも3万年の時間経過をもっているので、オロチだけを別扱いして
いいとは限りません。北海道のオロッコ(ウイルタ人)あたりもオロチと関係あるかもしれま
せんね。
 いちばん近い音は、いまのところ、タジク語の MOR(へび)です。
 Mは落ち易い音ですので、MORからORへ変って、これにO(神)がついたのがオロかも
しれません。

 だが、ここでは「くさい」というだけで、断定はできません。もっと多くの氏族語を当たれば
それが言えるようになります。
 しかし、クサナギは「邪悪薙ぎ」で、大略できていると思いますよ。だから、書いたのです。

[23]   ヘグリの語源説にヘッグリこけた    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/25(Sat) 11:21 [Reply]
 セトホドン、権威スジといえど……いや、権威スジであれば尚更、アテにはできんばい。

※ 『1.辺の国』‥‥KUR の KU が“くに”はいえるも、LI(人)まで言わねば片手落ち
 というべけれ。この場合「辺」は、「あたり一帯」かな? 「へ」の中心概念は「そば」
 とか「一帯の土地」ではなかろうか。
  そうすると、これ地名としてどげなんふうじゃろ。

※ 『2.百済の古語 住み良い地』
 ぜひ、この『平群町史』編纂者から、これを言ったひとを割りだしてもらいたい。
 すくなくとも、このひとは「住む、良い、地」の三つの古代百済語を知っていることにな
 るワナ。
※ 『3.蝦夷の古語 上陸地にあたる住み良い地』
 蝦夷とはエミシやろか、エゾやろか。

 いやはや、マッタクゥ〜〜!! あきれてものが胃炎ばい。

 「へ」にどうして朝鮮語の「太陽」が出てこないのだろうか。
 上の2・3のやつらと同列に扱われるのはイヤだ。以後の追求は稿、日を改める。
 古代百済語‥‥追求の必要あらしゃいまへん。

[22]   ナフサを上塗りして「あさもよし」の神     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/24(Fri) 18:53 [Reply]
 あの(3月?)時点では、KH の音にかまけて、ナフサとナクサを同じにしか見れ
なかったんです。また、ちから不足もありました。

 まず、ナフサを正確に追って解明しないと、ナクサの意味は出ないかと思われます。
 ナフサが間違いない発音なら、「FUS をするな」 みたいな意味探ししかできないです。
そして「FUS するな」でも適当な意味が見当たらずに、トンチンカンなことになります。
 ここは「△△こと」という場合の「こと」が NA になっている形容詞後置形のクセをもつ
言語が関与しているとしか思えません。
 かなりバツ悪いんだが、これタジク語です。「NA △△」の統語で「△△事」です。日本語
の「サカナ、オミナ、オトナ、クヒナ」……、末尾の NA はすべての動植物、事象について
名詞形を作りますが、それが語彙のアタマについただけ……の、造語法です。

 ナフサは FUS みたいな音が開音(母音ーAづけ)化された語形だとみれます。
 すると、それは XU∫(よい、心地よい)で、ナフサとは「ここち良いこと」です。

 これを引き継いだのがネパール系の KHUS(健康、幸せ)で、更に第二子音濁化のクセを
利用して「蛇または龍」の NAG を含めさせたのが「ナグサ」……と、おら、そう思う。

[21]   ほな ま ジンジャエール 1    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/24(Fri) 14:00 [Reply]
 興安嶺の北から西は広大な“MO”だったんですよ。MOは広域通婚交易文化圏……の訳で
いいでしょう。
 5世紀を中心にそことか、プレ・シナ語圏から莫大な数の氏族が朝鮮半島経由かなにかで、
この日本列島に避難して来た……これはタシカなスジでしょう。
 戦禍や水涸(オアシスの水が出なくなった!)をのがれて逃げてくる舟の中だけでも、四つ
も六つもの違った言語が喋られていて、困っていた……。
 しかし、やっとこさ着いた土地では、金属精錬士や芸人、山賊たちが、ともかく一つ(みた
いな)の言語を話していたので、来るひと来るひとみんなが、それを修得したんだと思うんです。

 だから、神社の名前の意味がワカランわけです。その名前は大陸での、数百の氏族語によって
できていて、そのままが集落の中心に祭られた。そこへ日本国家を作る必要から、氏族が崇拝し
ていた神様にランク付けが施行された……としかならないはずです。
 ちゃいまっか、セトホドン。 
 
 その氏族の神社のひとつに「ホナマ神社」があった。
 POK が後世に「ホ」となったタジク語で、現在の意味は「清潔な、清い、きれいな」です。
 NAMAK は塩。「これだ!」と、思ったが迷いが出た。

[20]   おぼろ 酔ひ酔ひ 行くとな     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/23(Thu) 11:21 [Reply]
 ひるざけマイネェ(出雲弁)
 ホナマ神社には、あっしの代わりに「いい塩」を捧げてくれへんやろか。
 シダイ・シダイに射程距離なれど、見方ちがえばアホナぐさ。ナーモー。

[19] Re[18][14][11]:   アッチャマ−神社     神奈備 2002/05/23(Thu) 08:41 [Reply]
> >  養父郡

養父郡の式内社が出てきました。

神奈備「いっちょ,見にいきますかいの。」
香具さん「この屑男 お盛んね,うるさいや」
親切な人「おお、よしよし と 慰めて」

神:保奈麻神社[ホナマ] 御井神社[ミヰ] 手谷神社[テタニ] 伊久刀神社[イクト]
香:葛神社[クス] 男坂神社[オサカ] 宇留波神社[ウルハ]
親:大與比神社[オホヨヒ] 名草神社[ナクサ] 

青草


[18] Re[14][11]:   アッチャマ−神社     香具 2002/05/22(Wed) 23:19 [Reply]
> 浅間神社[せんげん] 兵庫県養父郡八鹿町浅間

 養父郡八鹿町(やぶぐん・ようかちょう)、地図で見ると兵庫県の真ん中からやや日本海寄り。出石町の西南隣りです。浅間神社の山側に浅間寺があって、さらに裏山は須留岐山(449.6m)と載っています。円山川沿いを少し山に入ったところです。火山もないのに、なぜ浅間なんでしょうね。この辺り、兵庫県の奥、京都府の丹後から鳥取にかけて細かい地図で見ると、地名や地形にわくわくするものがあります(変?)。行ってみたい。
 昭文社の地図には『武内浅間神社』とあります。他に養父町に『成内社内神社』とか、大屋町に『武内男坂神社』などを、『式内』の誤植じゃないだろか?と邪推しているのですが、違っていたらゴメンナサイ。<(_ _)>

[17] Re[15]:   ♪ ヤスゥキィ〜〜 せェ〜んゥ〜〜げェん アラ、エッサッサァーー    神奈備 2002/05/22(Wed) 22:02 [Reply]
> >  兵庫県にあるカネ。 いよいよワカランごつなった。

神社は勧請されていくもの。
近畿以東には浅間神社は鎮座している。紀の国にもあらいしょ。

[16] Re[15]:   ♪ ヤスゥキィ〜〜 せェ〜んゥ〜〜げェん アラ、エッサッサァーー    神奈備 2002/05/22(Wed) 20:24 [Reply]
>  バカにつけるクスリはない思うたら、ほっといてもかめへんよ。

他の読者のために、ね。

玄松子の記憶 延喜式神名帳から
【名神】 天下諸社のうち、特に霊験著しい神社。明神とも称した。
【大小】 大社と小社。格の違い。
で、
重なると,名神大となる。
伊太祁曾神社,杵築神社(出雲大社),大神神社、埼玉では氷川神社,金佐奈神社がそうですね。
伊勢神宮は違います。

[15]   ♪ ヤスゥキィ〜〜 せェ〜んゥ〜〜げェん アラ、エッサッサァーー    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/22(Wed) 19:17 [Reply]
 アガ。
ヤスキの集落が1000軒あるというのではない。センゲとは「○○といっしょに」という
こと。安木に来たら安木(という思い出)と“いっしょに”持ってお帰りなさいと言うてる。

 兵庫県にあるカネ。 いよいよワカランごつなった。

 そういえば、√♪ けふも けぶりたつ立つ浅間山(信州) があった。

 名神大とは「名古屋と神戸に拠点を置く大学の、その資料に拠った」という意味やろカネ?
 バカにつけるクスリはない思うたら、ほっといてもかめへんよ。

[14] Re[11]:   アッチャマ−神社     神奈備 2002/05/22(Wed) 18:34 [Reply]
> >  浅間(山)神社……、富士〜伊豆に分布する。
>  ほかに浅間神社はあるのカネ、セトホドン。

延喜式神名帳記載淺間神社一覧(延喜は平安時代の年号で元年が901年)

淺間神社[アサマ](名神大)
淺間神社 山梨県東八代郡一宮町

淺間神社[アサマ](名神大) 
富士山本宮浅間大社 静岡県富士宮市大宮町1-1

淺間神社[アサマ]
浅間神社[せんげん] 兵庫県養父郡八鹿町浅間

[13]   オンロ〜〜 鬼にはソテ    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/21(Tue) 09:53 [Reply]
 習てっちゃんも相当に古いこと知ってはる。
 だが、ちょとちごうて伴淳だった。伴淳ちゃんはたしか秋田のひとだ。
 パ〜は現代朝鮮語でも「ばか」。パ〜というとき、掌をひろげる。ぐう、ちょき、パ〜。
 このごろ「掌・PA」に、あちこちでよくぶつかります。身ぶりつきの語彙、こりゃ古い。

 秋田でもオンロ〜(アリャア〜ッ!?)があるかどうかはシランが津軽でオンロォ〜と
叫ぶことはたしか。これは北九州のオンリョ〜(意味は同じ)につながるとですバイた。

 「マメでしたか」は「お元気でしたか」という意味。「マメ=健康」の意識からセチブン
にマメを撒くようになったのでは? 豆をぶつけながら「福はうち」とは、これいかに。
 それまでは、鬼に化けた男を棒で叩いていたのではないだろうか? そう思わせるのが
タジク語に残っていた SOTA(棒)です。SOTA の末尾の -A はパーリ語的開音化。
 そうすると原音は SOTで、これにネパール語的(というよりも、日本語的)強調末尾辞の
-Eがつけられた語形が「ソテ(棒)」だった。セトホドンおめでと。
 
 こう考えるとソトバも SOT-thVmb(棒の柱)と、よくわかる。

 習てっちゃん、柱……やってまっせ。男はタツべきときには起たないかん紋な。
 柱文化を持たんごつなって、日本男児がホネ抜きにされた。

[12] Re[11]:   アッチャマ−神社     習志野のてつ [Mail] 2002/05/21(Tue) 01:42 [Reply]
思い付きですが。
>  「アッチャマー!(豊後;驚愕の発声)」
エノケン(榎本健一)の『アジャパー』は、おなじ系統でしょうか?

紋次郎親分! 最近「柱」「樹」の話、あまりでてきませんね。
九州「吉野ヶ里遺跡」にも、「柱立て」をした跡、残ってます。
三内丸山にも、有る と聞きます。 歳相応に頑張りましょう。 

[11]   アッチャマ−神社     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/20(Mon) 19:56 [Reply]
 伊豆の神官やお宮は、だんとつに格式が高かったときいています。
 海水をはねのけ、水蒸気をあげ、果てはまっかに天を焦がす噴火現象を‥‥‥‥‥科学も
ナンモ知らなかった古代人は、それをどう感じ、どう受け止めたでしょうネ。

 「アッチャマー!(豊後;驚愕の発声)」ではなかったでしょうか。
 ネパール語 acamma(驚愕) ακθαμβεω(ギリシャ語;びっくりした)、日本古語;
あさまし(意外だ、あきれかえるほど甚だしい)。

 ところで、上野の山での西郷さん銅像の除幕式のとき、西郷どんの奥さんは「あれェ〜〜ツ、
うちのだんなはそんな顔じゃなかドォー」と叫んだという。
 なにかに正確な、そのときの奥さんの声が書いてあったが、おら忘れた。
 誰ぞ知らんカネ、そのとき奥さんは「アッチャマァ〜ッ」と言うたのではなかったのだろうか。
 「アッチャマァ〜」は現代鹿児島弁には見あたらない。

 浅間(山)神社……、富士〜伊豆に分布する。
 ほかに浅間神社はあるのカネ、セトホドン。

[10] Re[8]: カナサゴウ村の冷泉     習志野のてつ [Mail] 2002/05/19(Sun) 16:53 [Reply]
> しかし、湧き出る水に示す古代人の反応は、ぬるくても熱くてもたいして変ら
> なかったと思われます。双方とも“ユ”と呼んだ。
 そういえば、伊豆大島の噴火のとき、それまでのただの湧き水が、
温かくなって、温泉になったところがありました。その結果、普通の
旅館が、温泉旅館になったけど、まだ料金は上がっていなかった。
温泉の認定を受けていなかったおかげで、安く泊まれました。

伊豆の噴火といえば、三宅島の数多くの式内社はどうなるんでしょうね。
氏子がいなくなってしまうと、まとめてどこかで合祀とでもなるのですか?

[9] Re[6][5][1]: ?  神奈備 2002/05/19(Sun) 12:29 [Reply]
山幸彦を綿津見の神の宮から陸へ送り届けたのは鰐でした。神を運ぶのが鰐で,これはまた磐船とも理解されています。表面がゴツゴツ,松の木に似ています。
生駒に松の宮と云われる饒速日尊を祀った住吉神社が鎮座,これを見て生駒山の宝山寺に顕れた神を磐船神としたそうです。
事代主神の子孫が天孫の妃になっている点で,和邇氏と似通っていますが,神を運ぶ機能はなさそうです。
神の言葉を伝えることと神を運ぶこと,事代主と和邇,お祭りには不可欠な要素,これらは同義と考えていいのでしょうか。

[8]   カナサゴウ村の冷泉     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/19(Sun) 11:42 [Reply]
 金砂郷村の「郷」は古代行政区画の「むら」であることはタシカでしょう。
 この郷はネパール語と同根です。

 習てっちゃん、あそこには冷泉旅館がある。
 館主は「冷たくて……」と、ピーアールに消極的です。
 しかし、湧き出る水に示す古代人の反応は、ぬるくても熱くてもたいして変らなかった
と思われます。双方とも“ユ”と呼んだ。
 ネパール語 IJAN(いのち)はI・JAR に還元できて「神・水」です。
 
 √♪ 谷のわき水 汲み合って わかれたひとの うしろ影 (山のけむり) カネ。

 あの冷泉、めちゃ古いのではなかろうか。

[7]   カントリ・カムイ と 香取(神社)    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/19(Sun) 06:47 [Reply]
 まず、KANTORI KAMUI が香取(神社)と同根だとの大三元さんの意見が正解だと思える理由;
それは、アイヌ社会に ATUI SIK KASIMA KAMUI(航行安全を司る神)があって、ここに「鹿島・
香取」のセットがみられることです。
 小生はこの kasima は「神の目」と分析しています。インドネシア〜インドで広くカシマとは
メガネのことです。
 ……ちょとその前に √♪ 潮来花嫁さんは 舟でゆく のように、花嫁さんは夜汽車に乗っ
たり、馬に乗ったりで広域を移動します。上層階級ほど遠くへ政略的に派遣されます。そして、
赴任地に行ってこどもを産み、産んだ子にことばを教えます。上流階級のことばは庶民がマネし
ます。
 掠奪婚ということもあり、結局、語彙は広域に“族際的”にひろがる……ここを認めてほしい。

 ネパール語に akasimat(突然に)があります。「警護をかいくぐって」みたいな意味から起
こった語彙でしょう。
 鹿島は日本では縄文海退による“チクシ”人工流路にあります。あちこちで神社が建立される
ようになる、遥か以前に、航行安全を司る神として祭られ、これがアイヌ社会に入ったのでしょう。
 
 KANTORI KAMUI の KANTORI は一般系 *KAND(場所) ORI(最高・至高)という形容詞後置形の
タジク語に分解されます。恐らく……ですが、これは川村カ子トさんなどの先祖・オタシュツ人
が運んだものでしょう。
 
 たしかに日本語は語彙末尾に N がくるのを嫌います。それにしても「カントリ」の「ン」ま
でを消したかどうか……、ここが、小生が神奈備で「“かなり”正解」と言った部分です。
 
 三宅島のペンケ岬は注目させられます(普通の地図にも出ています)。
 しかし、北海道に入る文化のコースは日本海からではないでしょうか? ここに「鹿島・香取
がセットになっているという考え方」を側面から崩す理脈があるようです。
 すなわち、アイヌ社会の KASIMA 、KANTORI は、それぞれ別のコース・時代に入ったのではな
いか? との観察です。

 もひとつ、神奈備にありますように、ここには「イキス、伊岐須」もセットされているようです。
合同祭祀を暗示するアイヌ語 INGI がどこまで採用できるか……もかかっていましょう。
 ところで、九十九里海岸からは、北九州固有みたいな「合わせカメ棺」が出土しています。これ
は壱岐〜飯塚の伊岐須〜九十九里の密接な関係を物語っていないでしょうか。
 千葉のイントネーションは北九州と同一です。

 一般大衆に 香取という意味がどう受け取られていたかは、稿を改めてアマカネ。

 KANTORI KAMUI は「雨雪の神」とも受け取られていました。

[6] Re[5][1]: ?  習志野のてつ [Mail] 2002/05/19(Sun) 00:26 [Reply]
>  習志野のてつさん 一番乗りおめでとうさん。
 ありがとうございます。

「宇佐公康さんの『宇佐家伝承:古伝が語る古代史』でんな。」
ガーン。こうも簡単に出てくるとは。実は余り期待していません
でした。驚きとむべなるかな、両方です。

アホクサ話には続きがあって、じゃあ「わに」族とはなにか?となります。
私の答えは「事代主」族:山口市に、鰐石(わにいし)町と云う地名があります。
大きなまよい石(通称鰐石)があり、「事代主」が祭られています。
余りにも安易な状況証拠、アホクサでないと話せない話?
美保神社の「事代主」を支えた一族は、間違いなく海洋性、海の一族
だとおもいます。それを手下として従えたのが大国主だったのでは?

[5] Re[1]: ?  神奈備 2002/05/18(Sat) 16:52 [Reply]
 習志野のてつさん 一番乗りおめでとうさん。
宇佐公康さんの『宇佐家伝承:古伝が語る古代史』でんな。遥か縄文時代以前から隠岐島にすんでいた純朴な菟佐族のが渡来系の和邇族に商取引で完敗し,どえらい目にあって難渋していたのを,かの大国主が因幡国八上郡に彼らを住まわして再起の支援をしたそうですね。八上比売の「八」は後に「八幡」につながったそうです。
『古伝が語る古代史』の話題は青草一番に向いていそうですね。記紀とはいささか違った話も見えており,本当にこのような話が伝わっていたのかどうか知りませんが,宇佐公康さんが全部創作したようでもなさそうですね。代々,語り継がれた上に代々付加されてきたのでしょうか。
社家の伝承は例えば紀氏なんかにも書き物としてありますし,高麗神社にも系図が伝わっていて,途中で火災にあい,分家も集めて再現したりしていますね。

[4]   縄文海退による・渡り鳥現象では?  ?  クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/18(Sat) 12:21 [Reply]
 ウリツラという意味がわからんのです。ツラは TUR の開音(母音ーAづけ)された語形
だとしても、その TUR がわからん。意味が分からんままにエツリコ(北上市)までが臭い。
 どうも「川」みたいですけどね。
 栃木県喜連川町、埼玉県久喜市?の江面(これは沼沢)。群馬県伊勢崎市にも“連”を持
つ地名があります。

 その静神社の氏子さんはもともと川漁の民だったのが、商業ペースに煽られて海魚でない
と食っていけなくなった……は、ちょっと考えられませんね。
 大陸移動に乗っかって、数千キロを移動する蝶や鳥のように、縄文海退現象にすなおに従
っただけのことではないでしょうか。

 日鷲……いいことをききました。もっと鷲に注目すべきでした。この「日」は 鷹の HIR だ
と直感します。

 阿波のぐっと西ですが、シマント川上流のシマは「強いサムライ」を産出する土地柄ですっ
て。これ、ネパールのゴルカ(グルカ)兵と関係ないやろカネ。

[3] Re:瓜連(ウリツラ)の神社      習志野のてつ [Mail] 2002/05/18(Sat) 09:46 [Reply]
那珂郡瓜連町で「しず」といえば、二ノ宮『静神社』でしょう。
祭神は「建葉槌命」(たけはづち)。一宮である鹿島神宮に祭られる
「武甕槌命」(たけみかづち)軍の、いわば先鋒を務めていたようです。
阿波忌部「天日鷲」(あめのひわし)の子孫です。
「建葉槌命」の名の内「建」「槌」は、親分からもらった名前か?

明治以降の近代軍制でも、阿波の部隊は、上陸用部隊。米軍でいえば
海兵隊的役割を受け持ったそうです。 
≫ 那珂湊の漁民数百人の男たちが…  結構距離ありますよね。
いまだに、漁民(水軍)と深いかかわりを持っているんですね。

[2]   瓜連(ウリツラ)の神社    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/18(Sat) 08:56 [Reply]
 これはいちど神奈備に書いたことですが……、
 日立市ちかくの那珂湊の漁民数百人の男たちが、まいとしの大晦日に「ヨイショ、
ヨイショ、ヨイショ」とかけ声を出しながら瓜連の神社まで走ってきます。
 神社の名前にはたしか「しず」がついていたと、青草記憶です。

 同地の「まきば旅館」に泊まったとき、仲居のおばちゃんから直接に聴いたハナシ。
 その場で川崎真治さんに電話入れときました。

 フクロウ・イオマンテ(送り)は74年ぶりに、20年ほど前に復活しましたが、
その言い出しっぺは小生です。
 白老で訴えたときには「やり方がワカラン」でしたので、次に訴えたのは阿寒湖の
山本多助エカシたちでした。
 そのときは、「やり方はなんとかわかるが、予算がない」でした。
 結局 N.H.K が予算をだして、翌年、全国的に放映されました。

 記憶の主、テシベ・フヨさんの記憶が、かんじんのところで、遺されている繪(ゑ)
とくいちがっていたこと、フヨさんが「オッカイボ(青壮年)のキヤイがたらん」 と
ボロクソにこきおろしたことで、せっかく復活したフクロウ・イオマンテは二度と開催
されることはありませんでした。

 「予算がなくても動くべきときには動く!」……キチガイだけが頼りの世の中になりました。

[1]  習志野のてつ [Mail] 2002/05/18(Sat) 00:10 [Reply]
この掲示板、ほにゃ…の変化系ですか?書き込みの
コンセプトが今一つわかりません。で発見者の勝手に。

以前読んだ本で、宇佐神宮関係者の「宇佐公×」さん
(正しい名称忘れました)が書いた本で、『大国主に
助けられたウサギは、実は宇佐一族のことである』と
読んだ記憶があります。どなたか聞かれたことありますか?
けっこうアホクサものでしょうか?

[59] 『かむなび』 NOW ・ 息栖神社と生田神社   青春の紋次郎 [Mail] 2002/05/17(Fri) 11:04 [Reply]
  小生の認識不足が心配ですが、国家形成過程に建立された神社と、それ以前に日本列島にあまねく散在していた「普通名詞なみの神社群」との区別が、ことのほか気になります。

 国家形成の波にのって「 突出した神名を冠して、それを祭神とする神社」が各地に建てられるようになる前は、日本各地には、ごくありふれた神様が祭られていたと思われます。その一部が鹿嶋、香取という名前であり、このほかサイの神、クナドの神、愛宕神など……がどこにも祭られていたと思うのです。ここをもう少し名前を挙げたいのですが、力不足なんです。

 いま神奈備では、息栖の神が浮上しましたが、この神も、神社がどんどん建立されるようになる前のごくありふれた「神社名」だったと思うのです。
 イキスは伊岐須と同じです。伊岐須は小生のふるさと近く、筑豊・飯塚市にあります。
 イキスの意味は 「IK(1)IS(中東〜西洋系の神)」でそれは神戸の生田神社と同じ意味です。
 各地に「一の宮」がありますが、それは「ほかの神社を抜いて第一位だ」ということでしょう。
 神社とかお宮などの呼称が定まる前には、「ヒムカ」があった……は、小生の持論です。

 「一の宮」という呼称が定まるまえには、イギスとかイクタなどがその土地での第一の神社……ではなかったでしょうか。


[yoi-i 52] 『かむなび』 NOW ・ 鹿嶋ー香取 の語源     青春の紋次郎 [Mail] 2002/05/16(Thu) 09:45 [Reply]
 神奈備のにおい豊かな“板”は畏れおおいので、慎んでここにカキコします。

 鹿嶋も香取も「祭神」ではない。
 これは、上手には表現できないが、エンキ式に「登録される・されない」の境界線上
にあった土地神と濃密な関係にある。

 ものごとは極端に考えるとワカリが早い。たとえば、サイの神、クナドの神、諏訪、
あたご神などを地方代表の神としたらどうなるのだ。日本列島じゅうに第一級の神が
つらなって、「政府援助金」はいくらあっても足りないのだ。

 ミコトとは「神・ことば」である。
 ことばのうえで突出していて、地元住民の偏執が凝縮されている神がエンキ(土地神)
として登録されたにちがいない。
 鹿嶋も香取も当時のその土地の大多数の住民が信奉する土俗の神であったにちがいない。
 カシマとは異境から侵入する邪悪を咎める「神の目」が始発概念で、次には舟の安全運行
を司る神(この航行の神はそのままアイヌ社会に入っている)だった。
 香取とは縄文期の「最高の柱(神)」を引き継いだ「舟・組合」だったと思える。

 質問どーぞ。
 意味が解らなくなった後世では、鹿嶋・香取の「カ」をカイ(櫂)にしてみたりし
ている……。これも偏執(文化)というべけれんや。

[58] Re[41]: イヤビンド・ケヤビンド    香具 2002/05/15(Wed) 23:35 [Reply]
>  それは「イヤビンド」という挨拶語です。
>  おしまいの「ド」は日本標準語でいうと、「ぞ」でしょう・・・

関東は知らず。関西では、この「ド」が使われています。ごく日常的にも『入るど〜』『帰るど〜』と、呼びかけのニュアンスがあります。もっとも、あまり上品な言葉ではありませんが・・・。代表的なのが、『ド突くど〜!』。
今では『デ』のほうが多いですね。『入るで〜』『帰るで〜』などと。
中国四国地方では、「ゾ」のほうに凄みがでますね。『何しとんゾ!』咎める響きがあります。
『〜ビン〜』は・・・面白いですね!

[57] 印欧祖語  雷ごろちゃん [Mail] [Url] 2002/05/15(Wed) 21:43 [Reply]
*seu-は、印欧祖語という印欧語族語の最古形として想定されている仮の言葉です。
「このような言葉がなかったら、印欧語は派生してこなかったであろう」ということです。




[56] Re[52][48][39]: 婿には「イリ」まっか  香具 2002/05/15(Wed) 16:18 [Reply]
わが家系でも、父方・母方の両方とも祖父が入り婿でしたので判ります。
資産の管理面からみて、曾祖父(曾祖母)にとっては『入り婿』というのに意味があったでしょうが、子や孫にとっては『入り婿』に頓着しませんでした。

> これらの名前は、死後につけた『おくりな』『忌み名』だったと思います。

ということは、奥さん(入られた側の家系)の意識が強い勢力からのネーミングだったのかな・・・?

[55]   天 コ 降 臨         青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/15(Wed) 13:29 [Reply]
 雷さん、あが。

  *SEU 1 、*SEU 2 と分けられる言語群はどこでしょうか。
 なんだか福島さんが、ふるいつきそうな語形ですね(ソウルの意味)。

 氏子という場合の「子」は、天孫降臨という場合の「孫」のほうがぴったし。

 孳という漢字なんざオレが読めたり覚えたりできるワキャねぇ。
 だが「字」という字なら覚えられそう。そこで辞書に相談した……ら、「屋根の
下で子を産んでたいせつに育てて増やす」とありました。
 ケ〜〜ッ また漢字や。おれ、数字・機械・漢字では有名なオンチでんねん。

 ネパール語 SUN(聞)、アイヌ語 HUM(音)が目立ちます。
 

[54] sonの情報の共有  雷ごろちゃん [Mail] [Url] 2002/05/15(Wed) 10:50 [Reply]
雷さん、英語のSONは「孫(ソン)」でいいんでしょ?

お答えします。
英語のsonは、*seu-2(フランス語訳;enfanter;産む。英語訳;to give birth)と
説かれています。*seu-1は、滋と思われますので、*seu-2は、孳・字・子と思われます。
孫は、子からの派生かもしれません。
seu-1の解明に混同が見られ、ラルース本や研究社本やクライン本などで同系語の系統づけや原初の意味がまちまちです。
ラルースの説を採りますとseu-1は滋であり、クラインの説を採りますとseu-1は旨・脂・嘗などが混ざってきます。研究社本ですと嗽や漱や捉などまで混同されてきます。
いずれにしても、son=孳・字・子と思われ、孫は子からの派生かもしれません。

音響機器から出発した世界企業のSonyは、son[孳]×son[聲」で聲(耳に聞える音)と孳(息子)>子(若者)の合成語です。(若者達の音)とでもいうような意味です。


[52] Re[48][39]: 婿には「イリ」まっか  習志野のてつ [Mail] 2002/05/15(Wed) 08:26 [Reply]
> > 『入り婿』説
>  しっ、しかし・・・、わざわざ『イリムコやんねん』、『イリムコでっせ』
> とネーミングにまで誇らしげに残すのかどうか?悩んでいます。

これらの名前は、死後につけた『おくりな』『忌み名』だったと思います。
 たとえば「昭和天皇」のような。漢字での『漢風諡号(かんぷうしごう)』
を付けたのは8世紀の淡海三船だといわれています。
私の経験でも、私の父親が本家の葬儀の席で、仏壇から過去帖を取り出し、
自分の祖父(私の曽祖父)を、「この人は、千葉の方から来た入り婿で…」
などと話していました。天皇家との比較をするつもりはありませんが、
先祖のルーツを話すとき、判りやすいのではないでしょうか。

[51]   わたなべ さん  青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/15(Wed) 05:50 [Reply]
 わたなべさんの本拠地は大阪方面だとされています。
 だが、語源的に分析するとNAのところで行き詰まる、でも、これまではなんとなく
WATA(海・渡る)ーー部で、「海とか海運」の部民だったんだろーと考えられてきました。
 しかし、遺されている発音は、そんないい加減は示していません。

 BATAN(生まれたくに)NABERA(孫)が正鵠をえていると思われますので、ここに披露カネ。
 NABERA の -RA は強調末尾辞かまたは“等(ら)”と考えられるので、ころげ落てた。
 わたなべさんとは「地ばえの人びと」という意味だと思われます。田辺、真鍋さんなど。
 ただし、「○○ナミさん」は NAM(名前)でまとまった I(人)。
 BATAN 、NABERA はタジク語です。

 雷さん、英語のSONは「孫(ソン)」でいいんでしょ? ニクソン、ワトソンくん カネ。
 ネパール語、アイヌ語では「SAN」になっています。ペルシャ語エンサーン(人)カネ。
 紋次郎は「ミナシャーン」という。これベッピンシャンだけへの呼びかけね。
  

[50] コノハナサキちゃん  青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/15(Wed) 05:05 [Reply]
 入り婿……、IRーIは“同族になるひと”または“同族になろうとしている人”と
いう意味かもしれない。

 鉱山開発や鏡部などで活躍した「小野さん」の意味は、まだよくはわかりませんが、
おそらくは「つの人」だろうと思われます。
 KU(美称 or 窯焼きを内包)ONO(つの人)HAN<HAR(やから・族)に
いた可愛い SAKI(女ともだち)ちゃん。

 HANA は HANの開音(母音づけ)化で、別に意味はない。

 アッ!“サコ”だったら男友達かな?!
 ああーー、「悪たれ」とは、なにもわるいことしてなくても AK(子供)だったんだ。
 AKに、強調接頭辞Sーと女性を示す末尾辞の“ーI”が添えられてサキちゃんね。
 ヒガナサク……カネ。

 ゑ〜〜、サキちゃんはいらんかねぇ〜〜。 

[48] Re[39]: 婿には「イリ」まっか  香具 2002/05/14(Tue) 21:31 [Reply]
> 『入り婿』説
墓制や土器の種類などから得られる示唆を・・・妄想しても、『入り婿』説は魅力的ですね。実際そうだったんだろうなァ〜と思わせられる気もします。王家、天皇家などは『万世一系』ならぬ『万系万世』などと考えています。すべての系統が入っているからこそ象徴たりえるとも。(極端ですが)
 しっ、しかし・・・、わざわざ『イリムコやんねん』、『イリムコでっせ』とネーミングにまで誇らしげに残すのかどうか?悩んでいます。

[42]   イロモ・イロセ     青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/14(Tue) 11:30 [Reply]
 アイヌは IRI-GURU(一族の者)の原意は「(けものの)皮をはぐ者だ」と意識した期間
が永かったのでした。
しかし「皮を剥ぐ」はネパール語に繋がるもので、一族の *IR は古代日本語のイロモ・
イロセに繋がります。アイヌがくっつけた二つの内意は別語源だったのでした。

 タジク語を見ています。
 これまで凡インド・オセアニア語の EK(1)が日本語では IK となっていることについ
て、どこに曲り角があったのかと、気になっていました。ところがタジク語は IK系なんです。

 この IK の IR(続き)が、アイヌ語で「数」は IK-IR-i(1の連続)。
 どこでどうなったか、沖縄で IKIRA-SAN は「少ない」という意味です。すると、このSAN
は沖縄にみられる形容末尾辞のーSAではなく、アイヌ語で普通「下る」と訳されるSANくさ
いです。
 ただし、知里真志保はこの SAN は「浜へ出る」と訳すべきだとさかんに主張していました。
 しかし、SANPE(ばけもの)は、天井世界から“おっこちた者”が、原意と思われます。

 南方の言語に IK(1)があるのでしょうか。もしなければ、アイヌ・日本はタジク語との
血縁が濃厚になるという結論に導かれるみたいです。

[41]   イヤビンド・ケヤビンド    青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/14(Tue) 08:49 [Reply]
 沖縄ではよそんちに入るときには「はいりますよ」と言いながら入ったことが窺えます。
 それは「イヤビンド」という挨拶語です。
 おしまいの「ド」は日本標準語でいうと、「ぞ」でしょう。「ビン」は「BIR]……すなわち
気仙沼あたりの「べっちゃ」の 「 bet」に当り、これは原音が BER で、いっぽうこれが
「べー」と間延びして日本列島に定着している……。
 「イヤ」は IR が開音(母音づけ)されて A を伴ったものだと判断されます。
 だから、イヤビンドを標準日本語に近く言い直せば、「入るべぇよ」と、こうなります。

 ケヤビンドは「帰りますよ」。

 沖縄語の場合はとにかく日本語とは語形が大幅に隔たっていますが、隔たっているから
といって、「古い」とは断定しがたいです。これは日本語を借用したハズミの、一種の拒絶
反応がいちどにドッと出た現象かもしれないからです(いや、その反対のことも考慮に)。

 とはいえ、上の事情は「IRA」の原形は IR であって、「入る」はもともと、U と
いう母音を伴ってなかったことを訴えています。いや「入る」は「行く= *I」と同根だった
のかもしれません。
 いっぽう、日本語には「はいる、へぇる」の語形も見られます。「ハ」とは「ハ境」の境目
のことでしょうか……。

 かなりわかってきたじゃないすか。「イ往く」はゴチャゴチャになるので、ここは避けしょう。
「イヌ(去る)」の例を持ち出すのがいいようです。
 そうしますと、「イ=GO」がいろいろと慣用されるうちに、違った末尾辞が固定されてきて
現代語らしくなってきてることが解るじゃん。
 習てっちゃん、足入れ婚というのもあったよなぁ。あれ、台湾にもある。
 古代皇室〜豪族の婚姻にかかわる風習は南方のそれが強いみたいですねぇ。やっぱ、五島だべ。
 このへんで、ケヤビンド。

[40] お願い!  雷ごろちゃん [Mail] [Url] 2002/05/14(Tue) 03:16 [Reply]
言葉の関係の系統づけについて

印欧語と漢字の類似と対応の場合

音と意味の類似で1語:1語の対応を追い求めると、
本来は別の概念の言葉を「同じ意味と誤解して」と間違って結び付けてしまうことがあります。
これを、正すのは「言葉の複数の繋がり」を、比較することでした。
また、沢山の類似を俯瞰することも全体に統一された対応であるかがわかります。
みなさまの日本語とアジアの語彙の類似の提示に、
この総覧の対応と
複数の繋がりの比較の
事例がおありでしたら、是非お伺いしたいので、お教え下さい。
お願いいたします。
oowada@aiwa-cupid.com
大和田洋一郎
090-2408-020


[39] 婿には「イリ」まっか  習志野のてつ [Mail] 2002/05/13(Mon) 19:56 [Reply]
何に書いてあったか忘れましたが。
『入彦(イリヒコ)とは入り婿のこと』 説がありました。
EX、ミマキイリヒコ=ミマキ地方の豪族に入り婿になった(天皇)
 大国主もあちこちで入り婿になったみたいですしね。妻問い婚の
 時代に、政略結婚も入り婿形式だったのか?

[38]   アタマにいりまへんねん     青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/13(Mon) 18:19 [Reply]
 香具さんのカキコは、いつもカキコそのもののほかにギグッを含んでいて
考えさせられることばぁやがな。
 こういう個人の名前からも「文=ぶん=ふみ」なんか……、もう、あたま
ワヤクソでんねん。
 「きりぐち」いいますが、どっか斬り込み角度が鮮烈なんですな。
 ふりがなが振ってある個人名からだけでも、高句麗語がかなり拾えるのでは?
 高句麗語は、いま学者さんが地名などからイッチョ・イッチョ拾うてはります。

※ わてのバカのひとつ覚え……カスミは密教行者での縄張りだとか。ここと関係
  ないかもしれん。だが、今はなんでもかんでも「関係ある」と置いて前進する時
  や思うとりま。
※ 和泉なんとか、宣伝が来ていました。泉と和泉……なんで「和」がつくのやろ?
  だれか行って教えてもろた方、いらはいまへんか。
※ な、高松市できいた魚売りのオバチャンの声な、……「オ’オクサん きょうは 
  おさかな いりません カァ ア〜ア〜ア〜」 おもろいで

[37] イリまへんか  香具 2002/05/13(Mon) 12:13 [Reply]
 以前、『イリ』は製鉄関係の言葉というご解説がありましたね。時代も意味合いも異なるのですが、『イリ』という言葉を見かけましたので報告まで。

 日本書紀の皇極天皇のところに、高句麗の泉蓋蘇文【伊梨柯須彌】が、クーデターを起して栄留王を殺害し権力を集中した記述があります。下剋上ですな。
 ここで、高句麗の人名、泉・蓋蘇文(セン・ガイソブン)を、伊梨・柯須彌(イリ・カスミ)と読ませています。蓋蘇文は、蓋(ガイ←カ)・蘇(ソ←ス)・文(ブン、フミ←ミ)と、なるほどカスミと発音されていたような雰囲気≠ェ思われます。
 では、泉はセンとイリでは離れていますが、イズミとイリでは近そうな雰囲気≠ナすね。高句麗語では泉のことをイリと呼んでいたのでしょうか。
 もっとも、ミマキイリヒコのイリに関連させるつもりは毛頭ありません。

[29]   『かむなび』 NOW ・ ひじり   青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/11(Sat) 12:02 [Reply]
 ZIRI(聖者、長老、叡智)はエデン語といえます。
 「ひじり」は火か日(こよみ?)かは判りませんが、“ヒ”のことなら、任せておける
長老という意味です。
 長野県に塩尻市がありますが、これは灰の中にまぶした塩分濃度に関しての「めきき」
……お目付け役がいたところでしょう。
 岡山県矢掛町にはフランス映画のスクリーンを蹴破って出て来たような塩尻さんがいます。

 ZIRI は「知る」に似ています。「知る」は印欧語で広く CIN- といいます。 CINは
SIR からの変化だと見ることができますので、日本語の「SIR……しる」のほうが古形です。

[27] Re[26]: ぶぶづけでもいかがどす  香具 2002/05/10(Fri) 23:24 [Reply]
> 『おおかさ』も・・・
アハハハのハ、失礼しました。『おおさか』(大阪)の打ち間違いです。
<(_ _)>

[26] ぶぶづけでもいかがどす  香具 2002/05/10(Fri) 23:19 [Reply]
 小夫を『おおぶ』と仮名をつけましたが、どだい便宜上の平仮名にしか過ぎず、微妙な発音をお伝えできないのが残念です。小夫在住の方々の『おおぶ』を正確にトレースできないですし〜。関西エリア共通発音でさえ、『おおかさ』も『おおきに』も『おおぶ』とは微妙に異なります。【発音まちがえれば命取り】かもしれませんが、表記上の幅というか、誤差というか、使用上のゆらぎ、変化等々、語学ではどのように取り扱うのかも、外野として興味あります。

 さてタジキスタンまでは、よう辿れませんが(←古語のゑ・・・じ、関西では普通に使っているのですね)、『おぶ』にチャチャ入れます。
  赤ん坊言葉 :『おぶ』、『おぶちゃん』、『ぶぶ』、『ぶぶちゃん』等
お茶のことでした。京都の方に聞いておくれやす。
そういえば大和高原は大和茶の産地で、奈良・和歌山は茶粥も有名(蛇足)。
もっとも、これが小夫と関係あるとは、よう言いません。
やはり、多氏、大生氏・・・とかの関係なのかな?

[25]   『かむなび』 NOW ・ サルタヒコの語源      青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/10(Fri) 17:46 [Reply]
 ネパール語;SAR-(うごく、移す)と朝鮮語の THAL(お面)の二つで、いろんなことが
語られるうちに日本社会に広く定着した神。
 天孫降臨の「移動(SAR-)」のネパール語が、その奇怪な容貌はお面(THAL)一般の表情
を以ってした。

 サルタヒコ神が水辺に祭られることが多いのは、ネパール語 SAR が葦蘆の原だから。これ
はアイヌ語にもそのまま入っている。

[24]   『かむなび』 NOW ・小夫の語源考       青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/10(Fri) 16:57 [Reply]
 小夫の発音は「おぶ」または「こぶ」かと思ったら香具さんのカキコで「おおぶ」だ
とわかりました。これがまたホント−かどうかワカランところが、21世紀初頭人に
とっては、危惧いっぱいなんです。

 これを解釈するなら、まず「大きい・金」で、栃木県カラス山町近くの大金温泉もあ
りますので、歴史のなかにその座を占めるに不自然ではありません。
 ところが、ここにはタジク語 OB(水)があるではありませんか。水はいのちであり
神社向きの命名に叶っています。この「水」に焦点をあてた考察はいちどは通過させな
ければならないところでしょう。

 OB を水と観た場合、その前の O とは何でしょう? 
 日本語の語頭の O は「丁寧、尊敬」を表します。この O はどこの言語かに関連が
あって然るべき筋合いのものです。
 ネパール語には語頭に母音をつけない習癖があります。
 これはやはりタジク語の OLI(最高、至高)だったと思えるのです。
 タジク語は、たとえば OB(水)は OB-I となれば「水の」となります。辞書に表さ
れている語形は OLI でしたので、ここはそのままを採用しました。
 OL が「最高・至高」であったことは自明です。この OL の末尾の Lが欠落して日本
語化されたのが「丁寧・尊敬」の接頭“おー” でしょう。
 小夫(おおぶ)とは最高水でした。
 また「お水取り」の「お水」と同一だったかもしれません。
 香具さん、近くに水神様、龍神様とか酒造り屋とかが残ってないでしょうか?

 この OL でできた神名のひとつが「オトタチバナ」に付いている OT でしょう。
 OL の L が T に訛るのです。ウイルタ語の OTO は「第一の」と訳されています。

 O で考えられるのに「つの」があります。“鬼”は「つの人」です。そして金属精錬
士でもあります。
 すると、もしかしたら「おおぶ」はソブと同様にイフキ関係の水を溜めておく池だっ
た可能性もあります。

[23]   おたふく と 笛吹き     青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/10(Fri) 15:36 [Reply]
 タジク語は、普通の語彙には、ネパール語のような類似はそんなにも認められな
いのですが「ここイチバン!」という出番にピンチ・ヒッターみたいに出てきて、
ホームランをかっ飛ばすクセがあるみたいです。

 お多福は タジク語; OTA∫(火)が「オタ」と日本語化され、これに「ふくよ
か」の福がついたものと、見受けられます。これこそ「火吹き」ですね。
 その“福”も金属精錬士を福士(姓)というように、朝日長者のような成り金を
いうところから(シナでも)慣用化されたものでしょう。
 フクの原意原音は「くちで吹く」というネパール語です。

 笛吹きについてですが、 PUL が「フ」と訛って「フイフキ」……。これから民間
説話の笛吹き童神が利用されて、そのまま「笛吹き」となったことも考えられます
が、もうひとつ、音転による原因が考えられます。
 朝鮮語は語頭を拗音化するクセがあります。例が悪いかもしれませんが、「バ」
を pya とやるのです。ハッキリしませんが、PUR は PYOR(ピョル)となる可能性
は十分にあります。
 そして朝鮮語の「ピョル」は笛なんです。

[22]   ホ(金)とヒョッコセ・ヒョットコ    青春の紋次郎   [Mail] 2002/05/10(Fri) 14:21 [Reply]
 玄松っつぁん、あげ足とるようでわるいのですが、言語にはだれでも関心はあるは
ずなんですがねぇ〜〜。ただ、高級な言語リクツに遭遇したりすると、これまた誰で
も抛げだしたくなります。しかし、これまでの文明開花以来100年、日本では語源
をめぐっての考察は、まだ「無いも同然」なんです。
 シロートがくちばしを入れる余地が十分にある。だから紛糾してるんです。

 下で叙べた「笛吹き」の原音は「ホ・イフキ」にしたつもりでしたが、ちょっとま
ちがえられて「火吹き」だと、神奈備に載りました。
 ホ.イフキとは「こがね吹く」と慣用されている、それです。

★ 火は、現在、「ひ」や「ほ」と読まれますよね。「ふ」や「ふぇ」と読んだり
  訛ったりしないですか。
☆ 寡聞にしてシランです。
  でも、みんなで「ヒョットコ」や「おたふく」をだしてくれました。
  これがまた、すばらしい展開を見せるんです。

 初代新羅王の名前は四つぐらいあるのでしたか? そのなかでも有名なのが
「ヒョッコセ」です。ヒョットコもヒョッコセも「HYOKK」において同根でしょう。
 日本ではヒョットコは「火・男」と解釈されていますが、それは半分だけ正解の状
態といえましょう。「火男」なら「ヒョトコ」でいい筈で促音(つまった音)には直
接的には結びつかないのではないでしょうか。
 ヒョッと訛ったには原音のなかに R があったからだと思います。小生はここでやっ
ぱり、ギリシャ語ー朝鮮語に共通の PUR(火)やタジク語の PUL(金)が大き
く影響していると思います。
 KO が持つ意味には「の」「神庫のホ」「金」が考えられますが、ここでは「の」
が正しいでしょう。 SEは壮年男性、セニョ〜ル、指導者の謂いです。
 もしかしたら KOSEは、タジク語のKAS(人)を懸け言葉しているのかもしれ
ません。
 ヒョッコセは「金の指導者」だった……くさいです。

 日本語の火は「ヒ」が基本でしょうか? あるいは「ホ」が基本的でしょうか?
 ゲルマン系でも英語は FIRE と「ヒ」を匂わせていますが、ドイツ語では FEUER
……フォイエル……と「ホ」に近い音です。「ホ」を感じさせています。

 ヒョットコには金属精錬士の強執である TOKO (片目)という族際語を含んでいる
ことが注目させられます。一概には「ヒョットコ=火男」とは決められないものを含
んでいるのです。

 「おかめ」はわかりません。
 めくら滅法な解釈を許してもらうと、KAM とは鍛冶屋などの仕事で、「メ」は女。
 いちおう「鉄火場の女」というまっとうらしい意味が出ます。しかし「おかめ」の
「お」とは「尾」と同根です。鉄火場に来てはいても、ナニで仕事をしていたか……
お上品になりまくった紋ちゃんは、これ以上は語れません。
 もひとつ、台湾語に OKA(めくら)があるのは気がかりです。
 
 長くなったので、カットして上訴します。

[21] Re[20]:   『かむなび』 NOW 笛吹き、小夫の意味    玄松子 2002/05/10(Fri) 10:50 [Reply]
言語に関しては、知識も興味もないですが。

> そうすると、イフキという以上 HU は鉄とか銅とかの金属のことでしょう。

火は、現在、「ひ」や「ほ」と読まれますよね。
「ふ」や「ふぇ」と読んだり訛ったりしないですか。

[20]   『かむなび』 NOW 笛吹き、小夫の意味    シェイシュンの紋次郎   [Mail] 2002/05/10(Fri) 08:28 [Reply]
 玄象師師ドンがおっしゃるように、なにか別の○×△○みたいな語があって、
これが「笛吹き」に変わったのだろうという発想は正鵠を得ていると思います。

 では、どういう語彙だったのか……? ちょっと頭をひねってみるとすぐに、
フエフキのなかに「イフキ(金属精錬)」が含まれていることに気がつきます。
 「HU・イフキ」が原音だったことが浮上するのです。

 そうすると、イフキという以上 HU は鉄とか銅とかの金属のことでしょう。
 ここに登場するのが出雲に濃密な痕跡を残しているタジク語です(ほかの言語
ではいまのところ出てきません)。
 タジク語;PULは金です。これはギリシャ語ー朝鮮語 PUR(火)の関連から
出てきたものと推定できます。PUR、PULの末尾のR、Lは日本語になると
きには落ちるのです。

 神奈備には「小夫」なる文字も関連して表れています。
 KOは「小さい」ではなく、「こがね(黄金)」の「KO」と置いてみると、
ここにも「こがね」の古形を得ることができます。
 小生はこれまで KO には「親分格」という意味があることを強調してきました
が、「金」という意味もあったことを留意すべきです。“古賀”はこれかもしれ
ません。またXO(ホ)とも連なって、根源的な神からの賜りもの……即ち金」
の概念が歴史へ重層したことでしょう。

 金を KO とか KON と呼んだのは満州族です。司馬遼太郎さんが注目していた
東北の「近、今、昆(読みはいずれもコン)」姓はこれです。
 コンのほか「フ・コ」も金を意味していた……神奈備の勝利です。
 丸っこいものを「ぐる、ぐり、くり」と呼んでいたのは、あんがい縄文早期あた
りからかも知れません。とても古いです。これに「フ」を前置させてみてください。
 これがあるので神奈備板への直接提示は遠慮しやした。

 さらに、XU が KU と訛ったとき、いまでは「川」としか言いようのない地名用
語の KUI が現実味を帯びて浮上します。羽咋市などのそれです。
 また KUI は朝鮮語では「耳」です。

[19]   さ ら に     シェイシュン 紋次郎   [Mail] 2002/05/07(Tue) 14:32 [Reply]
 バビロニアかメソポタミアを当れば「 KI = 大地」が出てきます。
 川崎真治さんのどこだったか、エンリル神と同一として、記述されていたのでしたが、
母言語はわすれました。
 「エンキ式」のキとはコレだと直感します。土地神です。

 慎々禮謙信嘗裳

[18]   おっと 危ねぇ    シェイシュン 紋次郎   [Mail] 2002/05/07(Tue) 10:18 [Reply]
 下の文字の意味は、昇天する龍。大地の精の上昇。「木」に通ず。
 これ「ケ・気」、ホトケの「ケ」。TALA(シュロの黒柱)の毛。

 主要部の意味は足(柱)自から「へび」なり。
 訂正;「右から」を「左から」へ。
 

[17]   『かむなび』 NOW ・キのくに      砂蹴り 紋次郎   [Mail] 2002/05/07(Tue) 10:02 [Reply]
 フヴヒーさんのご注目を喚起すべく、かしこみかしこみモノまおさく。
 フヴヒーさんの目には未だだと思ひけらくも、あるシナ文字がある。
 上に草冠、下に「木」を書く。この二つに挟まれて三つが並ぶ。
 右から足・自・巳(へび)が並んで、これを「キ」という。

 原音は XI と推定される。これが ヒ・キ・ケ で地域化。
 末尾に強調末尾辞-AI がつけば、甲斐、閉居に。
 閉(へい)末尾の I 外るれば七戸の「へ」。
 X-AI がサイと発音され SAIT と重る。
 SAIT はネパール語の吉兆である。

 屋根葺き作業は危険が伴う。
 以上、慎々禮謙信嘗裳。
 紋くなかっぺ。

啓示鬘[16] 大峰奥駆道  ひふみ 2002/05/04(Sat) 13:35 [Reply]
(知らぬ間に、サイト名が変わっていたのですね。)

神奈備サイトから引き続いての、投稿です。
北奥駆道(吉野から前鬼まで)の道は、比較的分かり易く歩き易い道です。
展望も良いので、苦しいながらも楽しみも多い道かもしれません。
北行程のモデルケースとしては、吉野から山上が岳で一泊、山上が岳がら弥山で一泊、弥山から前鬼で一泊、場合によっては翌日前鬼裏行場へ、となります。
北の場合はそれぞれ宿泊できる施設で水等調達できるし、下に降りるにしても比較的交通の便も良いほうだと思います。
ところが、南奥駆けの場合はそうはいかないようです。
まず、本宮に着くまで宿らしい宿はないと思って頂いた方が良いと思います。
南行程の場合、その方の脚力にもよりますが、前鬼から深仙で一泊、もしくは持経宿で一泊。
深仙で一泊の場合、翌日に持経宿で一泊されるか、かなりきつい行程らしいのですが行仙怒田宿で一泊するよう歩かれる方もいるようです。
行仙までいかれた場合、翌日玉置山へ。そこで一泊の後、本宮まで歩かれ一泊。そして本来は、そこから又熊野古道を一泊二日くらいの行程で熊野那智大社へ進み、熊野灘へ。吉野六田宿からそこまでが、熊野大峰奥駆け道です。
ところで、南の方の宿ですが、北とちがい、前鬼から玉置まで水等の補給はほとんど望めないようです。地図等では水場マークもあるのですが、天候により左右されるようなので、あまり期待されない方が良いようです。
各宿も、雨露しのぐ小屋は作ってくださっているようなのですが、バス停等までのアクセスは、やはり前鬼から玉置のあたりまでは難しいようです。(玉置にしても、バス停までは歩いて3時間ほどだったかな。)
又、ブッシュが多く北程は展望も良くない上、歩きにくく迷い易い道のようにも聞いております。単独登山であればなおの事、十分準備していらしてください。

余談になりますが、奥駆け道には、様々な云われのある場所が多数あります。
修験のお寺主催の奥駆けに参加すると、宗派にもよりますが色々と教えてくれる所もあり、それも又面白いと思います。
その中でも、主人から聞いた山上が岳の「日本岩」の話をひとつ。
「日本岩」というのは、横から見るとまさに巨大な仏の横顔だそうです。別に誰が造ったのでもない自然の造形なのですが、私自身写真で見て驚いてしまいました。(残念ながら、うちにあるのはスライド写真なのでうまく掲載できません。)
そして、夕刻その日本岩の上に立ち南西の方を見つめると、そこにはその時間にしか出現しない稲村が岳大日山の大日如来の顔が、西日を浴びて金色に現れるのだそうです。日本岩の方を向いて。はるかかなたの山の上で、日本岩の巨大な仏の顔と大日山の巨大な仏の顔が相対する。まさにそれは、神仏の世界を垣間見た気持ちになるのだそうです。
他にも、太古の辻から前鬼へ下る途中のモアイのごとくそびえ立つ両童子岩等、不思議な巨石や話等、色々あるようですよ。

以上、参考までに。お気をつけて。


蠅声板[237] Re[231][230][207]: ハッティ(ヒッタイト)  桜左近 2002/05/02(Thu) 04:57 [Reply]
> 紋次郎氏は去って行きました。どっかで仁義をきったそうですが,どこでしたっけ。

某掲示板に紋次郎さんが「サンスクリットに関して議論をしたら蠅声を追い出された」という意味のことを
お書きになっておられました。つまり、私が追い出したと・・・・・。

>『倭名抄』には桑名は此処だけですね。小字の古い地名として残っているのかも知れませんが。
>桑名郡には天目一箇神が目立つようです。

有名な多度大社がありますね。そこのホームページ(下記)を拝見していたら、1770年に豪雨で崩れた
塚から平安後期に作られた銅鏡30枚が出てきたそうです。
http://www.tadotaisya.or.jp/taisya/houmotu/homotu.htm

> 金属神は雷神が多いとか、桑原桑原とどう言う関係でしょうかね。

平凡社世界大百科事典の「扶桑」の項を見ると、桑は神木だとあります。以下に引用します。
>搏桑とも書く。中国神話にみえる太陽の昇る木。《山海経(せんがいきよう)》海外東経に太陽の降る木を
>若木といい桑樹。桑は神木とされ,禹(う)には台桑,伊尹(いいん)にも空桑の説話がある。扶桑は東海
>の海上にあるとされ,のち日本の異名となった。(執筆担当は白川静氏)

「くわばらくわばら」は徒然草にも出てくるぐらい古い「雷よけ」のまじない言葉です。その昔雷神になった
菅原道真の荘園が桑原であったのと、上記の「桑は神木」から「ここは桑原(道真の領地)なのだから雷を
落としてはならん」という呪文が出来上がったのでは、という説があり私もそうかなと思います。
我が家の近くに谷保天神があり、今年は菅原道真公の1100年忌にあたるため秋に特別大祭を行うそう
です。谷保天神といえば「やぼてん」の由来になっているのをご存知でしょうか。(笑)
Googleで「野暮天 由来」で検索すればすぐ見つかるので、ここには書きません。
1100年忌を記念して新しい鳥居が2月にできたばかりで、その少し内には明治35年の1000年忌に立てた
鳥居があります。この神社は入り口から社殿に至る参道が下り坂になっているのがとても珍しい。
普通は上っていきますよね。それと、10羽近い鶏(チャボ?)が野生化して鳥居の近くの木の上にいる。
ああ、これが本当の「鳥居」だと、神社でコントを見せられたような気がして笑えます。
朝と夕方に頭の上から「コケコッコー」の合唱が聞こえてくる(ほんとウルサイです)のは道真雷神のデモ
かも(なんて誰も思いませんが)。
神社の中なので、捕まえて食べようなどと考える人もいないのが幸いしているのでしょうか。

[236] 「あいだ」の語源は?  hvhy 2002/05/01(Wed) 14:57 [Reply]
#「突厥」の「阿史那氏」が製鉄で名を馳せた部族であること。
#また「突厥」と「ソグド人」の密接な繋がりを踏まえるならば、
#「膠」〜「沼河」〜「額」〜「ヒッタイト」という語連関は濃厚。
#加えて「契丹」(キッタイ)の後裔が「タイ」と名乗ってる例から、
#「ヒッタイト」も「タイ」と略称された可能性がある。このあたりが、
#「眉間」を想起させる「間」という文字を「タイ」と読んだ道筋だろう。

しかし「間」を「タイ」と読むのは、言わば特殊な読み方であって、
定着した読み方は、むしろ「アイダ」である。この訓の由来はどうか。
このことを考えるうえで見逃せないのは、英語の「between」という言葉。

>OL、AYDYHWΝ、DYMYΝA、AW、OL、BY十、OYΝYHWΝ.
>その右手に、あるいは額に。(ヨハネ黙示録13−16より抜粋)

>WΣMH、OL、BY十、OYΝYHWΝ.
>その額には、御名が記されている。(同22−4より抜粋)

英語の「between」と同じ意味のアラム語は「BYΝY」などだが、
音に注意すれば、むしろ「BY十・OYΝY」のほうにかなり近い。
「between」は「BY十・OYΝY」(眉間)の詰まりとも考えられる。

「OYΝ」の意味は「目」で、その女性形が「OYΝY」。(※又はOYΝA)
アラム語を知ってる人は、中国の「眉間」という単語を見て、
またその音を聞いて、「BY十・OYΝY」をすぐに想起した。
たまたま「BY十」の音と「眉」の音が近かった。なもんだから、
「間」を「アインだ」と思った。こんなところが「アイダ」の語源。
かどうか微妙だが、「AYDYHWΝ」と「OYΝYHWΝ」は対句。
「人と人の間を繋ぐ」という意味で「手」が「間」に通底することから、
「間」〜「OYΝY」(OYΝA)〜「AYDY」(AYDA)と連想し、
「眉間」の「間」を「AYDA」と読んだ。こちらの可能性のほうが大きい。

★★★★★←→★★★★★←→★★★★★
★二七九★←→★水月金★←→★486★
★一三五★←→★計土羅★←→★531★
★六八四★←→★火日木★←→★972★
★★★★★←→★★★★★←→★★★★★

ここで「BY十」は「3/20/500」(523)で【五】。
「OYΝY」は「80/20/60/20」(180)で【六】。
つまり「BY十・OYΝY」→「五・六」→(加えると)→【二】。
【二】は「神沼河耳」。この名前に含まれる「沼河」は「額」だった。
数字の面からも「BY十・OYΝY」は「額」であることが確認できる。

#「ソグド人」は「手」に「膠」を握らせた。「膠」が「額」に通じるならば、
#「手」に「膠」を握らせる行為は、実は「手」を「額」に当てる行為に通じる。
#ところが聖書では「AYDYHWΝ」と「OYΝYHWΝ」が対句になっている。
#仮に「ソグド人」の中に「聖書に親しんでいたソグド人」がいたものとするならば、
#その人において「眉間」〜「額」〜「手」という連想は自然。「間」は「AYDA」。
#「BY十・OYΝY」(額)を思い浮かべながら、「間」を「AYDA」と読んだのだ。

[235]   KUWA       川流れ 紋次郎 [Mail] 2002/05/01(Wed) 13:36 [Reply]
☆ N.H.K.大河ドラマ『炎立つ』で、北上川を舟でさかのぼって行くシーンがありました。
 出演した俳優たちが「遠いよ、遠かったなぁ」と言っていたのが印象的でした。
 川舟が一関の難所にかかる手前にカンナリ町があります。
☆ 長野市のすぐ南に「下氷鉋(シモヒガノ)」があります。
☆ 朝鮮文化で町おこしをしている宮崎県に「カンナベ」があります。
  宮崎では放っておいても「カ」は「クヮ」と発音されがちです。 
☆ 豊後のどこかにも「カンナベ」みたいな土地があって、おふくろは「クヮンナベ」
  と発音していました。
  
 沖縄で川をクワともいいます。ネパールで KUWA は泉で、古代日本では「水汲み場」を
川といったことが、堀井令以知さんの著作にあります。
 古代流通ということで、川はとても大事な観点ですが、なぜか日本では16世紀あたり
からパタリと資料がとれなくなります。皇太子の英国留学のテーマは中世の川だったとか。

 川崎真治さんがカンナリ、カンナベを水夫だとの論述をしたことがあります。
 
 桑名経由で潮の干満を利用すると、京都方面の人びとが一日で潮干狩りを楽しめたことが
何かの本にありました。
 クワナの「ナ」は、ひとでも土地でも、生き物でも、一切の事物に用いられます。
 こうなるとクワが何なのか、が焦点になりますね。
 KU- には窯焼きの意味もでています。WA は、ひとや神とでも解釈できます。
 銅鉱山が近くにあったら面白い。

[234] Re.[2906] 「チ」と「ツ」  習志野のてつ [Mail] 2002/05/01(Wed) 12:43 [Reply]
明治初めのヘボン式ローマ字表記では
たTA、ちCHI、つTSU、てTE、とTO だったと思います。

「い、イ」と「ゐ、ヰ」、「え、エ」と「ゑ、ヱ」も、
IとWI、EとWEで、高校のヱイゴの先生は区別してました。
YI,YE。WUなどは、日本語から消えてますよね。
「くぁんせいがくいん」は、「かんさいだいがく」と区別
する為に、意識的に残しているようです。

徳島ではJRはゼイアールといってました。
対馬では先生はシェンシェイだったと思います。
いまのいわゆる標準語で、落とされた語はけっこう多いと
おもいますよ。

[233] Re[232]:   ワー じゃんじゃん消して 蹴っ飛ばされたよ    神奈備 2002/05/01(Wed) 10:37 [Reply]
>  貴さんには「ナグサ・ヒメ」のこと、サンスクリット語でなにかないかを、
> 問い合わせて、神奈備に入れてくれるようにカキコしてたんだがナァ。
>  シャープ+Z は利かんのカネ
> >  これも消すだろうなぁ。

ナクサヒメの話は蠅声で始めましたので、書かれるのなら、ここでやって下さい。

[232]   ワー じゃんじゃん消して 蹴っ飛ばされたよ    うそぶき 紋次郎 [Mail] 2002/05/01(Wed) 10:19 [Reply]
 貴さんには「ナグサ・ヒメ」のこと、サンスクリット語でなにかないかを、
問い合わせて、神奈備に入れてくれるようにカキコしてたんだがナァ。
 シャープ+Z は利かんのカネ

 これも消すだろうなぁ。

[231] Re[230][207]: ハッティ(ヒッタイト)  神奈備 2002/05/01(Wed) 08:18 [Reply]
 紋次郎氏は去って行きました。どっかで仁義をきったそうですが,どこでしたっけ。黄砂の中で気がつきませんでした。
『倭名抄』には桑名は此処だけですね。小字の古い地名として残っているのかも知れませんが。桑名郡には天目一箇神が目立つようです。
 銅で言えば、香春岳が大仏鋳造に貢献したそうですが,ここには桑原があります。銅鐸を作った銅はどこで採取していたのでしょうかね。
 金属神は雷神が多いとか、桑原桑原とどう言う関係でしょうかね。

[230] Re[207]: ハッティ(ヒッタイト)  桜左近 2002/05/01(Wed) 05:38 [Reply]
ヒッタイトをハッティと呼ぶのは、その首都であったハットゥーサ(HATTUSA)の通称形に由来する
らしいことがわかりました。
hvhyさんの説によれば「ひたい(額)」のような基礎言語にまでヒッタイト語は入っているわけです
から・・・・・となれば日本語のあちこちにヒッタイト語の痕跡があるはず(べき)です。
そこで、以前にも紹介したヒッタイト語のWEB上の辞書が唯一の手がかりになるので、そのアドレス
を再掲しておきます。
http://www.hottopos.com/convenit3/hitita.htm

嚆矢(始めの一歩)として、「桑名」はどうでしょうか。古くからある地名なのですが、由来ははっきり
していません。で、ヒッタイト語に"KUWANNA"があり、意味は「銅」です・・・どうですか!(笑)
あの辺に銅の鉱山か、または精錬所はなかったでしょうか?(え、自分で調べろ?、ごもっとも!)

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