青草掲示板ログ平十四年九月
2002.8
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草掲示板

[319] Re[316]: 三輪と鹿島  玄松子 2002/09/30(Mon) 23:57 [Reply]
> 鹿島の神と倭文の神、すなわち、武甕槌命と建葉槌命との関連ですが、甕槌はミカツチ、ミハツチ、このミは敬称でハツチが原形で、実は同一神だったのでしょう。

個人的には、ミカ+ツチと夢想中。ミカ=ミハ=三輪で、
ツチもタマも神霊と解釈すると、ミカツチ=ミカタマ。なんてね。
なんでもありって感じの妄想ですが。

茨城日立市に、大甕倭文神社ってのがあって、祭神は武葉槌命。

[318] Re[317]: 下記訂正  香具 2002/09/30(Mon) 23:44 [Reply]
失礼しました、訂正します。
> そして『瀬戸内頭部のサヌカイト原産地』として、
(正)『瀬戸内東部のサヌカイト原産地』
ひがし部分です。<(__)>・・・頭でどないすんねん?

[317] Re[305]: はるか百済以前でさえ  香具 2002/09/30(Mon) 23:38 [Reply]
豆石センセ〜、まだ足が悪し、本格的に治りません。貴乃花に先を越されたです?
遅くなりましたが『五色台山』に引かれて・・・、

>  山頂から、北東方に五色塚(神戸市垂水)、東方に五色浜(淡路・五色町)、南方に五剣山(香川県庵治町)、南西方に五色台山(坂出市)などが見えると、説明を受ける。絶景!!

『新修神戸市史』歴史編T(第7章 弥生時代、第一節 水稲農耕の開始と発展)に、石器の原産地推定の項目があります。
『神戸市内の各遺跡から発見されたサヌカイト製石器の石材産地分析は比較的多量に行われていて、特に明石川流域においては弥生時代前期から中期末までの全期間の流れの概略が推定できる。』そうです。
そして『瀬戸内頭部のサヌカイト原産地』として、
「石器原材として良質とみられる産地」を、1・二上山地域、2・(淡路島)岩屋地域、3・淡路島中部地域、4・(香川)金山・五色台地域、5・(広島)冠山地域。
「あまり良質でないとみられる産地」を、6・(西宮)甲山、7・(鳥取)馬ノ山、8・(香川)豊島、9・小豆島、10・屋島、11・紫雲山、12・(愛媛)皿ヶ峰地域、
と図で紹介されていました。

面白いのは、この本の405ページに図125として、『遺跡別サヌカイトの原産地推定比率(単位%)』というグラフです。
六甲山地南麓、明石川流域、神戸北部に大別された遺跡群のサヌカイトの仕入先の割合の変遷が%表示されています。主な仕入先は二上山と岩屋と金山です。
仕入先と表現したのは私の勝手な書き方ですが、このグラフがまさに営業のシェアの競争を示しているように感じたからです。弥生時代の産業と流通を物語っていますヨ。
今回、詳細を投稿できず中途半端で残念ですが、機会を得て青草い妄想を書き込せて頂きたく思います。

>  船の航路について聞くと「関西汽船の航路のような『沖乗り』航路の発達は近世になってから、で、古代の航路は陸地添いの『地乗り』航路だ」と教えてくれた。では、仁徳帝は・・・?

縄文時代でさえ黒曜石を採取しに太平洋へ出てますからネ。弥生時代や古墳時代の瀬戸内ではじゅうぶん『沖乗り』航路だったのではないかと夢想してます。このあたりについては、海の男!マドロスのてつさんに実感を伺いたく思います。てつ様、お教え下さいませ!

[316] Re[314]: 倭文と鏡  神奈備 2002/09/30(Mon) 20:32 [Reply]
> 「鏡って年が映るのよねー」
すごい実感の隠ったセリフですね。鏡の中で烏が飛んでいたとか。

角凝魂命とは卑弥呼の使者の都市牛利、と、どっかで読んだ記憶があります。
角凝魂命は倭文連の祖神の天羽雷雄命の五代前の祖にあたるようです。遠くには神魂命、もっとさかのぼれば天御中主尊からですね。

鹿島の神と倭文の神、すなわち、武甕槌命と建葉槌命との関連ですが、甕槌はミカツチ、ミハツチ、このミは敬称でハツチが原形で、実は同一神だったのでしょう。新興勢力藤原氏は倭文の神や物部の神を乗っ取ってしまったと言えますね。


[315] こうない嶋・院下島  豆石 煌 2002/09/30(Mon) 14:44 [Reply]
 福田港(小豆島・東端)から姫路(飾磨)港行きの「小豆島急行フェリー」に乗る。
 (1時間40分の船旅。 片道1320円、JR姫路〜大阪より安い。)
福田からは、この便しか出ていない、のどかな村。
福田と姫路をほぼ同時に出た船が、中間点の家島群島の西島と、その西の「院下島」との、狭い水道付近で、すれ違う。

 その海域のやや東、西島の北西に小さな小島がある。「コヤケ島」である。(詳細な地図のみ。)
古地図(江戸時代末期?)は、これを「こうない嶋」と記している。

 この海域で、西島を見上げると、海抜180mの高台に、まるで灯台のように「コウナイの石」は屹立している。もちろん、石の西〜北面が見えるのであるが、北面には割れ目は認められない。(フェリーから、約500m)

院下島。
 多くのヘビが住むという「ゐんげ島」は「おろちのゐんげ」とも云われ、古来漁民たちも近寄るのを嫌がったとも聞く。現在のプロのヨットマンにして「霊気を感じる。」とも言う。この海域では、私も、何か おどろおどろしさ、を感じる。

 院下島は、http://www2u.biglobe.ne.jp/~HASSHI/geotyonoiwa.htm
      の、4枚目の写真です。(石の所から、西向きに撮影したようです。)

[314] 倭文  日雲 2002/09/30(Mon) 14:15 [Reply]
setoh様>鹿島倭文の連合軍の略称なら面白いかと。
習志野のてつ様> 出雲での戦いの後、鹿島の神に臣従したのでは?
なるほど……面白いです。考えたこともなかったですね。
ところで、倭文の先祖にある角凝魂というのが何なのだかサッパリ解らないんですが、
これについて何か語られたことはあったでしょうか?




[313] Re[312] 他  習志野のてつ [Mail] 2002/09/30(Mon) 13:03 [Reply]
> 神社は万葉集ではモリ(哭澤)とカミノヤシロ(賀茂)の訓があったような・・。
> 今でもモリと読む地域があるとすれば、辺境でしょうね。盛岡の辺り。
 期待させて、すいません。単に濁らない『ジンシャ』です
 「釣バカ日記」の「浜崎」(はまさき)で(ハマザキ)と濁らない。
 九州の五島で、ジンジャと言ったら笑われたので、印象深かったのです。
 そう云えば、浜崎伝助(はまさき でんすけ)は、九州出身だったような。
 いまの、韓国・朝鮮では、重なった単語の中にある言葉は、濁らないとか?
 東国者としては、必ず濁音になるのですが。

> 「鏡彦」まさかミラヒコでは、やはりカネヒコとか。
 「としひこ」だそうです。
 近所の飲み屋で、皆で大騒ぎ。ある女性の一言「鏡って年が映るのよねー」
 が、正解でした。

> 漁はギョも音。アサルが訓とすれば、貝をかき集める事かな。
 私見ですが、正にそれです。
 「スナドリ」、「アサリ」、(=訛りで「イサリ」)
 漁の大部分は、浜に出て貝を掘ること。(で「砂取り=スナドリ」)
 たまには陸上に 寄り付いた、クジラやイルカを解体持ち帰ったりする
 ことだったのでは?その延長線上に、海に潜ってとることも発生したの
 では? かなりの青草っぽい?

> 同書では香取は梶取とか、小生は鹿島倭文の連合軍の略称なら面白いかと。
 静神社は、常陸の国では二ノ宮ですが、伯耆の国では一ノ宮(三ノ宮も)
 です。出雲での戦いの後、鹿島の神に臣従したのでは?
 鹿島神宮の境内では、門衛のような位置に祭られています。

[312] Re[308][307][306][305]: 神懸山。  神奈備 2002/09/29(Sun) 18:49 [Reply]
菊は音がそのまま訓になった言える漢字ですね。
天皇家の紋章とイラクのフセインさんの紋章は一緒なんですね。単なる偶然でしょうか。
習志野のてつさんの問題、難問ですね。
神社は万葉集ではモリ(哭澤)とカミノヤシロ(賀茂)の訓があったような・・。
今でもモリと読む地域があるとすれば、辺境でしょうね。盛岡の辺り。
「鏡彦」まさかミラヒコでは、やはりカネヒコとか。
漁はギョも音。アサルが訓とすれば、貝をかき集める事かな。

鹿島は杵島の変化形と岩波新書『日本の地名』にありました。
同書では香取は梶取とか、小生は鹿島倭文の連合軍の略称なら面白いかと。

[311] Re[310]: 訂正です。  香具 2002/09/29(Sun) 00:07 [Reply]
> 南の正門を入ってすぐ右手の宝物殿側に・・・
『左手』西側でした。お椀を持つ方、最近チョット・・・失礼しました。<(__)>

[310] オリーブのある神社  香具 2002/09/29(Sun) 00:04 [Reply]
追伸、っていうか蛇足ですが。
神戸の湊川神社、つまり楠公さんには、南の正門を入ってすぐ右手の宝物殿側に、明治でしたっけ?パリ万博から持ちかえった、日本で最初のオリーブの樹があります。今年も実を実らせていました(手の届く高さの実は既に無いですけど)。
湊川神社はかなり新しい神社ですが、境内は意外と静かで落ち着きます(わが初宮参りの産土神社という贔屓目を引いても)。また弊アルバムでもご紹介しますね、古代ではありませんが。

[309] Re[308][307][306][305]: 串木野の漁師の末裔  香具 2002/09/28(Sat) 22:02 [Reply]
横から失礼します。

> B「漁」は「リョウ」は音ですが、訓は?何故そう訓じたのでしょうか?

辞書では、すなどる・すなどり・あさる、とありますが、心情的にイサリビ(漁火)の『いさり』とも読みたいですね。なんだか、スルメで一杯やりたくなりましたネ。記紀や万葉ではどのように表現されていますか?

菊は音読みのようです。中国の古語で、kiok-kiuk-kiu-tsu(ju) とあります。
和の古訓では、サキナ・カハラオハキ・カハラヨモキ、だそうで、名のりにアキヒとあります。楠公さんのトレードマーク、菊水は菊の上半分に下は流水紋ですが、掬水(キクスイ)とは水を掬うという意味でもあります。

[308] Re[307][306][305]: 神懸山。  習志野のてつ [Mail] 2002/09/28(Sat) 07:14 [Reply]
「寒霞渓」が「神懸」からの文字変化とは知りませんでした。
阿豆枳島神社は、相当偉い神様ですね。

> 同じく、峰悧冨神社が鎮座、諾册二神を祭神としています。この読みは?
 オリーブ神社 (よく付けますよね、大魔神社みたいなものか?)
> 話は変わりますが、「菊」はキクですが、これは音でしょうか訓でしょうか?
 音でしょう 一掬(いっきく)を考えれば、クサカンムリとテヘンの違いです。

私も問題
@「神社」と書いて何と読むでしょう。当然「ジンジャ」ではないのですが、
 「かむやしろ」でもなく「××」と読むのは、どの地方でしょうか?
A知人の父君の名前は「鏡彦」と書きます。何と読むでしょう?4音です。
B「漁」は「リョウ」は音ですが、訓は?何故そう訓じたのでしょうか?

[307] Re[306][305]: 神懸山。  神奈備 2002/09/27(Fri) 21:51 [Reply]
小豆島には阿豆枳島神社(あずきしま)が鎮座。祭神はの中に大野手比賣神がいます。古事記の国生みの小豆島のことで、この神様かも。

同じく、峰悧冨神社が鎮座、諾册二神を祭神としています。この読みは?

話は変わりますが、「菊」はキクですが、これは音でしょうか訓でしょうか?

[306] Re[305]: 神懸山。  豆石 煌 2002/09/27(Fri) 21:03 [Reply]

またしても、ドジふんじゃった。すみません。
以下が、正しい。

> 馬立・姥塚古墳;http://www.town.shingu.hyogo.jp/kankou/ubazuka.htm
>   (6世紀末。百済的。・石室がドーム型で、まるで雪国のカマクラ風。)

[305] 神懸山。  豆石 煌 2002/09/27(Fri) 20:42 [Reply]
 吉備路から新岡山港へ。港から高島(吉備の高島の宮?)を横目に見て小豆島の土庄へ。
小豆島の神懸山は、今の寒霞渓である。この山頂で白髭の ご老人に出会った。
「ここは神懸山であって神山ではない。」と言う。
この人は、「木火土金水とか、東王母とか、神仙思想(卑弥呼が得意とする道教的なこと?)を、言っていたが、私には理解できなかった。

 山頂から、北東方に五色塚(神戸市垂水)、東方に五色浜(淡路・五色町)、南方に五剣山(香川県庵治町)、南西方に五色台山(坂出市)などが見えると、説明を受ける。絶景!!
やたら、数字の「五」が出て来ていた。(そう言えば、播磨国風土記の石神も「五色の涙」)

 船の航路について聞くと「関西汽船の航路のような『沖乗り』航路の発達は近世になってから、で、古代の航路は陸地添いの『地乗り』航路だ」と教えてくれた。では、仁徳帝は・・・?

 何の話からか「播磨の新宮町の馬立」のことを私が言うと、老人は、四国・愛媛県にも、「新宮村・馬立」が有ると、西の方を指し示した。  「なっ、何〜・・!!」

 最後に、「神嶋(山)の場所」を尋ねた私に、その老人は「神嶋(山)は、あっちだ!」と、東の方向に杖を振り上げた。
それは、すぐそこに見える「西島」ではなく、家島群島の東端の「上島(かみしま)」だったのだろうか。もっとむこうの、大和の三輪山、はたまた、香具山などの大和三山だったのだろうか?

 まだ尋ねたかったのに、その老人は、いつのまにか霧のように、消えて居なくなっていた。

五色台山;   http://www.city.sakaide.kagawa.jp/sight/gosiki.html

馬立・姥塚古墳;http://www.toun.shingu.hyogo.jp/kankou/ubazuka.htm
  (6世紀末。百済的。・石室がドーム型で、まるで雪国のカマクラ風。)
−−−−−−−−−−−−−−−−−
 小豆島の、寒霞渓の山を祀る神社は、あるのでしょうか?。

このあと、福田港へ むかう。   つづく・・・


[304] Re[300][292]: 五ウン皆空  山浜 2002/09/26(Thu) 17:59 [Reply]
香具さん、こんにちは、遅レスですみません。
伊和神社、私も参拝しましたが、社殿のあるところはずいぶんと鬱蒼としていてすごかったですね。宮山まであがられたのですか?すごいのひとことです。

>  ふつうは大気に拡散していくのでしょうが、気功などでは積極的に樹木等でアースさせ>てクリーニングし、循環させると説くようですね。
拡散していくというと納得できそうな気がしますが、そうしてみると人間のツミ・ケガレなんて、大自然に比べたら規模がコマイものなのかもしれませんね?

>  たまに尻込みというか、スタコラサッサと逃げてくる社もあったりしませんか?
怖くて逃げてきた神社というのはないのですが、神社によっては帰りにぽーっとしてしまい石段を踏み外したりするというのはたまにありますね。スタコラサッサと退散するのはヤブ蚊の多いところでしょうか?

[303] Re[299][289]: 今さら・・・の質問なのですが。  神奈備 2002/09/25(Wed) 18:10 [Reply]
> 放射状に八方に広がる八つの蛇体、中央に直立する草薙剣で九頭に・・・ならないかなぁ。ストーンサークルに似たイメージです。

尾でんがな つかしい季節になりました。温泉も。

[302] Re[294][293]: もう一つの国見歌。  神奈備 2002/09/25(Wed) 17:51 [Reply]
> 神武の通過地、阿岐国(安芸)は、広島の安芸ではなく、高知の安芸郡とする説もありますね。

http://www.genbu.net/data/aki/take_title.htm
http://www.genbu.net/data/tosa/takesakamoto_title.htm
に紹介されていますね。

宇佐と云う地名もあります。
また土佐には徐福上陸の伝承も残っているようです。徐福=神武説もありましたね。

[301] Re[295]: 北朝鮮の工作船  神奈備 2002/09/25(Wed) 17:49 [Reply]
事件の起きた所が、九州鹿児島の阿多、宮崎、(米子)、福井、佐渡、富山、新潟。…余り目立つ事無く上陸、事を構えるのによい、やり易い土地は、古代でもほぼ一緒なのでしょうか?

佐渡、富山、新潟あたりは特にそうですが、五十猛命の上陸地伝承の地に重なって見えてきます。半島の先や島に上陸して、内部の様子をうかがっていたのでしょう。英国の植民地当地拠点も似ていますね。
佐渡羽茂 度津神社 
越後蒲原 弥彦神社
能登鹿島 伊夜比メ神社 

これから考えると、対馬、壱岐、肥前、出雲、なども行方不明者が多いのかも。

[300] Re[292]: 五ウン皆空  香具 2002/09/25(Wed) 15:44 [Reply]
山浜さん、ごぶさたしてます。横から失礼します。
 多分にイメージ上の話しなので実体は無いことなのですが。
気功で邪気を排出する・・・などと言われると、あらら、その邪気とやらはどこへ行くのだろうと思っていました。経絡に沿ったマッサージなどでは、モワッとしたような、ウヘェとなるようなガス状の邪気とやらが出る、かのような感じを覚えることがあります。
 ふつうは大気に拡散していくのでしょうが、気功などでは積極的に樹木等でアースさせてクリーニングし、循環させると説くようですね。
 たしかに杜にある大樹や巨岩に掌を当てると、なんとはなしに癒されるような感覚もあります。お祓いのときに頭上で振られる榊も意味のあることでしょう。
『穢れの吸引装置としての神社』(出典『穢と大祓』山本幸司著)にとって樹木、水や石は吸引・浄化・循環に必要なアイテムだと思います。
ア、神さまの話しでなくなった!

> 「神職はいつ、神社からツミ・ケガレを最終的に消し去るのか?」

 祈るのは人でも、お祓いになるのは神さまですからネ。神職は消し去る取り次ぎをされることになるのかな。願う以上は、境内の清浄を保つのが人の勤めですね。
 たまに尻込みというか、スタコラサッサと逃げてくる社もあったりしませんか?

[299] Re[289]: 今さら・・・の質問なのですが。  香具 2002/09/25(Wed) 14:18 [Reply]
今さらなレスですが。
放射状に八方に広がる八つの蛇体、中央に直立する草薙剣で九頭に・・・ならないかなぁ。ストーンサークルに似たイメージです。
草薙剣に付き従い降臨する八つの刀子。石上布留川上流の八つ石に戻るなぁ〜。
やはり青草でした〜。

[298] 吉備路  豆石 煌 2002/09/24(Tue) 23:40 [Reply]
 先日は、酔いつぶれまして、醜態を演じ、申し訳ありませんでした。深く反省いたしております。
しばらく、吉備路を さまよって参りました。不在の間に、

香具様[288]には、三山な目に合われました、おみ足、良くなられましたでしょうか。

ドロンパ様[293]も、また出現なさいましたのですね。

習志野のてつ様[245]。私も、吉備にて児島が「島」であったことを、岡山バイパス、倉敷市の早島あたりで、鏡面のような広大な水田を自分の目で見て、納得いたしました。
 また、「岡山の地学」(山陽新聞出版)には、「児島が、陸と繋がって半島となったのは、17世紀の初めごろである。」とあります。

 そして、古代には、吉備(津)神社あたりまでが海であったであろう事を、実感!!
この吉備路では、吉備津彦命・ももたろう様や、黒日売さまに、お会い致しました。
黒日売さま、曰く「仁徳天皇さまが、どのルートでお越しになられたのかは、ぞんじませんが、お帰りには、(吉備の小豆島)を経由し、関西汽船で、明石海峡を通って難波津にお帰りに なられました。」と、お聞きしました。

「小豆島は吉備の国」は、http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/syodosima.htm


[297] どうもありがとうございます  山浜 2002/09/24(Tue) 22:48 [Reply]
瀬藤さん、お答え有り難うございます
ひょっとしたら、水無月と大晦日の大祓式は、神社のメンテナンスなのかな?とも思ったりしました。

でも、いろいろ詮索するより、神社に行って自分がどう感じるのかが大事なのかもも?。

[296] Re[292]: どう思われますか?  神奈備 2002/09/24(Tue) 08:14 [Reply]
> ごぶさたしております。
山浜さん こんにちは。相変わらず各地を巡拝されておられるご様子ですね。

> ツミ・ケガレ

神道的には難しい概念なんでしょうね。

元気をなくした人が神社へ行って、清々しさに感動して元気になって帰路につく。
気枯を落としたと言えますが、神社には気枯の残骸すら残らない。

人が自分の心と向き合うのが祈りと云う方も多いですね。

[295] 北朝鮮の工作船  習志野のてつ [Mail] 2002/09/24(Tue) 01:05 [Reply]
拉致された方や、そのご家族縁者の方々には恐縮です。
北朝鮮の拉致問題で、日本全体の地図を見ながら、変なことを考えました。
事件の起きた所が、九州鹿児島の阿多、宮崎、(米子)、福井、佐渡、富山、
新潟。…余り目立つ事無く上陸、事を構えるのによい、やり易い土地は、古
代でもほぼ一緒なのでしょうか?
現在「不審者、不審船をみたら110番」等の看板が出ている地域です。

1998年に、長江(揚子江)の歴史的洪水で、鹿児島県・串木野あたりを
中心に、漂流物が推定400トンも流れ着いたことが有りました。
もし「ノア」が箱舟を造った地が、長江下流呉越の地なら、開聞岳あたりに
着いていたかもしれない。あるいは阿蘇山、富士山でもいいけれど。

[294] Re[293]: もう一つの国見歌。  玄松子 2002/09/23(Mon) 23:35 [Reply]
>     宮崎・日向〜高知〜那智勝浦〜川崎。−−−−マリンエキスプレス・ライン。
>  神武天皇の頃には、無かったのでしょうね。

神武の通過地、阿岐国(安芸)は、広島の安芸ではなく、高知の安芸郡とする説もありますね。

[293] Re[290][287]: もう一つの国見歌。  無責忍者・ドロンパ 2002/09/23(Mon) 22:52 [Reply]
> > 淡島 お能碁呂島 あじ椰(あじまさ)の島 も見ゆ 離(さけ)つ島 

> これらを一望できるのは諭鶴羽山や南淡町の南海岸となります。40社の神社が鎮座する南淡町には仁徳天皇を祭神とする神社は4社もあります。

 神奈備先生、ご回答、ありがとうございました。
拙者、忘れておりもうした。神奈備先生の ふるさと・和歌山からの航路を。

 (6)和歌山〜徳島−−−−−南海フェリー 説。
    この航路からだと、淡島、沼島(オノコロ島)、その他の島々が、見えます、です。
    そして、鳴門海峡を北上し、四国沿いを、吉備国へ!!

   −−−明石海峡の方ばかりを、考えておりました。−−−

 それから。現在、もう一つ南を通る航路も有るのですね。
話は、変わりますが、
    宮崎・日向〜高知〜那智勝浦〜川崎。−−−−マリンエキスプレス・ライン。
 神武天皇の頃には、無かったのでしょうね。
青草で、御免!!      忍忍。堪忍。
−−−−−−−−−−−−−−−−
追伸。
姫路城のコマーシャル。
 普段、見ることの出来なかった、開かずの間。宮本武蔵が幽閉されて猛勉強中。
 来年の春頃まで?、公開中!!
                (姫路城の忍者・ドロンパ、でした。)
  

[292] どう思われますか?  山浜 2002/09/23(Mon) 21:02 [Reply]
ごぶさたしております。
22日に讃岐一の宮、田村神社に参拝してきました。境内社の宮島社を掃除されていた方とお話しすることがあり、その時の話題でおもしろいことがありました。
「参拝者はツミケガレを祓って欲しいと神社にお祈りに来るわけだが、そのツミ・ケガレは神社に残っているんでは?神職はいつ、神社からツミ・ケガレを最終的に消し去るのか?」というのです。大祓詞をあげればなくなるのでしょうか?
大祓詞もあげないようなお願い事が多かったら、速佐須良比賣さまも処理しきれないのでは?なんて考えてしまいました。
清々しい神社というのはそういうツミケガレがないか、きちんと処理されているということなのでしょうか?
つまらない質問しました。すみません。

[291] Re[289]: 今さら・・・の質問なのですが。  神奈備 2002/09/23(Mon) 17:59 [Reply]
> 「ヤマタノオロチ」の頭は、いくつなのでしょう。

素盞嗚尊は八つの門に八つの酒を置きました。頭は八つです。
股が八つ、頭も八つ、王冠のように丸い構造を想像していただければ、納得できますね。

[290] Re[287]: もう一つの国見歌。  神奈備 2002/09/23(Mon) 17:58 [Reply]
> 淡島 お能碁呂島 あじ椰(あじまさ)の島 も見ゆ 離(さけ)つ島 

淡道島に坐して眺める淡島とは、和歌山の加太の淡島神社付近。

淡路島の三原郡に自凝島神社(三原町)や自凝神社(南淡町)が鎮座しています。これから見ますと淡路の海人が聖なる島としていた沼島を淤能碁呂島としていいのでしょう。

あじ椰(あじまさ)の島は椰の木の多い島でしょう。和歌山には神社などにも神木として椰が多いようです。また徳島なども気候風土が似ています。

離(さけ)つ島は固有名詞とする説が有力です。山が二つあるような島、鳴門沖なんかの島はそのように見えませんかね。

これらを一望できるのは諭鶴羽山や南淡町の南海岸となります。40社の神社が鎮座する南淡町には仁徳天皇を祭神とする神社は4社もあります。

[289] 今さら・・・の質問なのですが。  ひふみ 2002/09/23(Mon) 00:38 [Reply]
こんな事を今さら聞くと、笑われるかもしれませんが・・・。
「ヤマタノオロチ」の頭は、いくつなのでしょう。
やはり、八つでしょうか。それとも、八つの股で、九つでしょうか。 
戸隠にある九頭竜権現さんとか、封印されていたりするもので。
素朴な疑問です。


[288] 不敬常習犯ゆえ?  香具 2002/09/22(Sun) 02:34 [Reply]
豆石センセ〜、伊和神社へ参拝してきました。神奈備掲示板の本殿に投稿しました。
宮山登拝は三山、いいえ散々でした。磐座のすぐ手前で両足とも引き攣りまくりです。膝も大腿もフクラハギもハムストも・・・、曲げるも地獄、伸ばすも地獄の悶絶状態。で、磐座から離れると回復する???
実際、シャレにならない痛みなのですが、現実には青草話しですナ〜。
精進が足らないようで・・・(ぜんぜん精進してなかったですワ)。

[287] もう一つの国見歌。  無責忍者・ドロンパ 2002/09/21(Sat) 20:07 [Reply]
 今回は、ご存知、じょめい天皇よりも 250年以上も神奈備の、仁徳天皇の国見歌。

吉備の黒日売を お想いになる天皇が、

『(前書き)・・・淡道島に坐して遥かに望みて、歌いて曰く、
 「押し照るや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国 見れば
  淡島 お能碁呂島 あじ椰(あじまさ)の島 も見ゆ 離(さけ)つ島 見ゆ 」
  すなわち、其の島より伝ひて 吉備国に幸行(いでま)しき。』

何処で、お詠みになられたのだろうか。
この国見歌を!?

歌中の「〜よ」が呼びかけの「よ」か、「〜より」の「よ」か、にも諸説ある?
この歌の詠まれた場所はどこか? また、何を見て、お詠みになったのであろうか?

<現在の地図での候補地は・・・>

(1)難波の崎で詠んだ 関空島・南港島・六甲アイランド−−−−天保山桟橋説?

(2)阪南の岬町あたりから、 友が島方面(粟島神社)−−−−−大阪湾フェリー説?

(3)淡路島・由良あたりから、沼島、成ケ島     −−−−−沼島汽船説?

(4)淡路島・津名あたりから、おのころ愛ランド、大和島、絵島−甲子園フェリー説?

(5)淡路島・松帆の浦から、上島、家島群島、小豆島−−−−−さんふらわー航路説?
      (注;上島(かみしま)も、家島群島の一つで、最東端の島です。)
 そのほか。
−−−−−−−−−−−
(1)と(2)とは、前文無視。
(3)     は、海上にて吟詠か?
(4)     の、「おのころ愛ランド」も人口島ですが、近年過ぎる。
(5)さけつ島?;小豆島や、松島(家島町のうち)には馬の放牧の歴史あり(江戸?)
   
−−−−−−−−−−
   さて、「その島より伝ひて、吉備・・・」は、何を伝うのであろうか?

  オノコロ島は何処か? 淡島は何処か??  (淡島は固有名詞か?どうか? )

[286] Re[285]: タケカシマのルーツ  神奈備 2002/09/20(Fri) 18:12 [Reply]
日雲さん、ありがとうございます。

『常陸国風土記』では建借間命の軍は、安婆の島に露営して国栖と対峙、杵島ぶりの歌曲を歌って、国栖を油断させて焚き滅ぼしました。
杵島は肥前国にあり、ここに稲佐山があり、『肥前国風土記逸文』では比古神、比売神、御子神が坐て、この御子神の又の名を軍神ともいい、風雲急を呼ぶ神です。
稲佐山を神体山とする稲佐神社の祭神は天神、女神、五十猛神です。五十猛神は軍神としても著名でどうやら建借間命のルーツになっているのかも。
補足:安婆の島に露営した建借間命はアンバサマと呼ばれたとしても不思議ではありません。
福島県双葉郡浪江町に苔野神社が鎮座、通称アンバサマと呼ばれています。由緒はヤマトタケルが東征途中、ここに五十猛命を祀ったとか。江戸時代にハヤリ神となった常陸国安馬大杉大明神の大杉も五十猛神を思わしてしまいます。

http://www.kamnavi.net/it/tukusi/inasa.htm
http://www.kamnavi.net/it/kinki/mieosugi.htm

[285] タケカシマ  日雲 2002/09/20(Fri) 11:58 [Reply]
にからんで、「茨城の民俗」23〜25号に、面白い記述がありました。
古市巧氏という方が書いておられるのですが、その論旨を要約すると、
「古代の久慈郡には久慈王国とでもいうべきものがあって、
 星神カカセオはそこの王だったのではないか」
といったことなのですが、その中で古市巧氏は、
「『常陸風土記』に東征軍の隊長として、活躍する建借間命…
 『記・紀』では鹿島ノ神であり、武甕槌神として登場する…
 が大和朝廷直轄の“茨城ノ国”“仲ノ国”創業の神として、大井神社に祀られ、
 その墳墓は、水戸市愛宕町に茨城第二の大きさを誇る前方後円墳とされている」
とした上で、次のような地元の伝説を紹介しています。
「この巨大な、那珂国造の祖という建借間命の眠っている前方後円墳によりそうように、 姫塚と呼ばれる小型の古墳があった。
 伝説によると、建借間命の奥方で『綾姫』といい、
 倭文ノ里から輿入れし、機織に精を出し、すぐ下の清泉、
  “三栗(みつくり)の那珂に向へる曝井(さらしい)の
   絶えず通はむ彼所に妻もが”
 と万葉に詠まれる「曝井」で織り絹をさらしていたという」
つまり、
「静ノ神一族(※カカセオを討ったタケハヅチのこと。日雲注)
 は久慈王国すなわち星神香々背男命から別れて、東征軍の武将となって、
 関ヶ原ノ合戦における豊臣恩顧の金吾中納言秀明が徳川方に寝返ったように、
 この言葉が悪ければ、一族存続のために、真田家が敵味方に別れたように、
 静神建葉槌命は星神の敵となったのである」
と見ているのです。
一見トンデモ説のようですが、私個人はかなりこれを支持しています。
信州から関東にかけての星信仰(特に栃木〜茨城の磐裂信仰)について調べていた中で、
この伝承を聞き及ぶ前から、ほぼ同様の推測が私の中にも出来ておりましたので……。
因みに、
「この静ノ神の鹿島神への援助のことを後世に伝えたのが、この地方に残る
 『大助人形』の神事という」
ともありました。ご参考までに。

[284] Re[282][281][273][272]: 三山歌。  豆石 煌 2002/09/19(Thu) 19:31 [Reply]
こんばんわ!あとは山となれ海となれ、の豆石です。

(大倭の国の畝傍)(香山)(耳梨)の三つの山が・・・
> >ささ
> と言えば酒しか知らない・・。『ささ、まずは御一献』
−−−−−−−−−−−
 姫路のね〜、総社のね〜、「三ツ山」だけど〜お、
  ヒョットすると〜、
   二色山−−−−錦。錦の御旗の、ニシキ?              (畝傍)
   五色山−−−−「この神の顔に五色の玉。涙も五色。」(神嶋の石神?)(耳成)
   小袖山−−−−やはり「衣 ほすてふ・・・」            (香具山)
 うまい事、合わせれたゾ〜。  ヒック。  ヒック。
   400年の歴史も、1600年も、一緒、 じゃ〜ん!!

俺、下戸なんで ウイ〜!  悪酔い?、してない。
  絶対、酔ってない、ってば!!

[283] Re[279]: ふと、思った  神奈備 2002/09/19(Thu) 06:40 [Reply]
常陸国 茨城郡(茨城県水戸市飯富町)に大井神社が鎮座、
祭神は建借馬命、木花開耶姫命です。
建借馬命とはどんな神様でしょうか。
香山は香語山と一緒、とすれば
香島は香語島、で鹿児島ですね。

[282] Re[281][273][272]: 三山歌。  香具 2002/09/19(Thu) 00:12 [Reply]
こんばんわ!あとは野となれ山となれの香具です。

>(D)播磨国風土記・揖保郡・上岡の里。
>  出雲の国の阿菩の大神が、(大倭の国の畝傍)(香山)(耳梨)の三つの山が争うと
>  お聞きになって、これを諌めようと 上岡の里までやってこられた時に
>  ここまで来て、闘いが終わったと聞いて・・・ここに鎮座なさいました。
>  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> (何故、(大和の三山)のチワ喧嘩に、出雲の大神が、出動しなくてはならないのか。)

 文・寺林峻さん、写真・中村真一郎さんの『播磨国風土記を歩く』(神戸新聞総合出版センター刊)、揖保の郡の章から引用します。
 龍野の神岡で阿菩大神が乗ってきた船を引っくり返した話しを、出雲の旅人の語りとして
『大和は栄えとるがよ、出雲の新宅みたいなもんだで。いざこざが起こりゃ、船でも飛ばして母屋が仲裁に出かけにゃならんのよ。』
 とありました。出雲の誇りがほほえましくて(いい意味で)笑いました。

>ささ
と言えば酒しか知らない阿呆です。『ささ、まずは御一献』

[281] Re[273][272]: 三山歌。  無責忍者・ドロンパ 2002/09/18(Wed) 23:37 [Reply]
三山歌。

(A)香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相あらそひき
  神代より かくに あるらし
  いにしへも しかに あれこそ 
  うつせみも 嬬を 争ふらしき      (万葉−13)

(B)香具山と耳梨山と あひし時 
  立ちて見に来し 印南国原        (万葉−14)

(C)(反歌らしくない反歌とされる歌)
  わたつみの 豊旗雲に 入日さし 
  今夜の月夜 さやけかりこそ       (万葉−15)

(D)播磨国風土記・揖保郡・上岡の里。
  出雲の国の阿菩の大神が、(大倭の国の畝傍)(香山)(耳梨)の三つの山が争うと
  お聞きになって、これを諌めようと 上岡の里までやってこられた時に
  ここまで来て、闘いが終わったと聞いて・・・ここに鎮座なさいました。
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 (何故、(大和の三山)のチワ喧嘩に、出雲の大神が、出動しなくてはならないのか。)


ここで、
 畝火−−−−大和の畝傍山−−−−−神武    (大和系)
 香山−−−−播磨の新宮の香山−−−葦原のシコヲ(出雲系)
 耳梨−−−−家島の西島 −−−−−アメノヒボコ(新羅・伊都国系)

と、解すれば、(C)の反歌も、反歌らしい反歌となり、
        古代の三角関係が・・・
       全て了解できるのでは・・・

−−−−−−−−−−−−−−−
蛇足でしょうが
  家島町の町花は、「ササユリ」、家島汽船の船名も「ささゆり」
  ヒボコと、鉄と、ササ・・・・???

わからん、よ〜?!            忍忍。

[280] Re[279]: ふと、思った  ワトソン香具 2002/09/18(Wed) 23:23 [Reply]
> 鹿島と香取は、香島と香鳥。あるいは、香嶋と香鳥。
> たんなる誤字だったんじゃないか。なんてね。
> (実際に鹿島は香島と書かれていたようですが)

す、凄い! さすがホームズさん!!
いわゆる万葉仮名のような表記でカ・ト・リとか、カ・シ・マと書いた古い資料は無いのですか?・・・横から興味津々です。

[279] ふと、思った  玄松子 2002/09/18(Wed) 13:37 [Reply]
鹿島と香取は、香島と香鳥。あるいは、香嶋と香鳥。
たんなる誤字だったんじゃないか。なんてね。
(実際に鹿島は香島と書かれていたようですが)

[278] Re[275]: 楽楽森  習志野のてつ [Mail] 2002/09/18(Wed) 00:52 [Reply]
[275] 日雲さん 吉備津彦神社などに楽楽森、楽楽与理 … フ〜ム、考えさせられ
ますね。全く知りませんでした。吉備津神社、吉備津彦神社とも「知ってるつもり」 
でしたが。知りませんでした。有難うございます。

>… 「ササ」とお酒を勧めて、鉄の刀で殺すのですね。
怖いですね〜。酒好き人間としては、「気持ち良く飲ませてくれよ〜♪」と云いたい。
世の中の厳しさを感じます。地球全体を考えれば、甘すぎる表現でしょうかね?

[277] Re[276]  日雲 2002/09/17(Tue) 22:24 [Reply]
レスどうも有り難う御座います。
>そう云えば砂もサですね。
あ、「砂サ(ビ/ナ/etc)」ということでしょうか?

[276] Re[275]: 楽楽森、楽楽与理  神奈備 2002/09/17(Tue) 22:07 [Reply]
> 「ささ」を砂鉄のことだとする見解というのは一般によくあるのでしょうか……?
サシスセソ、を鉄のこととはよくある説明ですね。そう云えば砂もサですね。

> 楽楽福神社祭神の福姫命とは一体何……?
宮内の樂樂福神社の由緒書きでは祭神については、「人皇第七代孝霊天皇を主神として、皇后、皇妃、皇子及びその一族をお祀りしてあります。」とあり、その祭神は「大日本根子彦太瓊命 (配祀)若建吉備津彦命 細姫命 福姫命 素盞嗚命」と並んでいます。
『古事記』では、細姫命の次の妃として春日の千千速真若比売の名が出てきます。千千速真若比売の名前からは金属に関係するのかどうかsetohは見る能力がありませんが、福比売ならばは吹くですね。
「楽」にはウタゲと訓があります。酒と鉄とは同じ効用があった。

素戔嗚尊にしても日本武尊にしても強い敵を退治するのに酒の力を借りているようです。
【素戔嗚尊】
その八俣(ヤマタ)の大蛇(ヲロチ)信(マコト)に言(コト)の如(ゴト)来つ。すなはち船毎(ゴト)に己が頭(カシラ)を垂れ入れて、その酒を飲みき。ここに飲み酔(ヱ)ひて留まり伏し寝(イ)ねき。ここに速須佐之男命、その佩(ハ)かせる十拳剣(トツカツルギ)を抜きて、その蛇(ヲロチ)を切りはふりたまひ
【日本武尊】
ここに熊曽建(クマソタケル)兄弟(エオト)二人、その嬢子(ヲトメ)を見感(メ)でて、己(オノ)が中に坐(マ)せて盛(サカ)りに楽(ウタゲ)しつ。かれ、その酣(タケナハ)なる時に臨み、懐(フトコロ)より剣を出(イダ)し、熊曽(クマソ)の衣の衿(クビ)を取りて、剣をその胸より刺し通したまひし

酒の容器に竹筒は匂いも移り、美味しいものでしょう。
「ササ」とお酒を勧めて、鉄の刀で殺すのですね。

[275] 楽楽森、楽楽与理  日雲 2002/09/17(Tue) 11:16 [Reply]
吉備津彦神社などに
楽楽森彦命や楽楽与理彦命などというのがありましたが
(吉備津彦の配下だと聞きました)
鬼退治のモチーフといい、鉄といい、同じ楽楽(ささ)なのでしょうが
「ささ」を砂鉄のことだとする見解というのは
一般によくあるのでしょうか……?
楽楽福神社祭神の福姫命とは一体何……?

[274] 楽楽福  習志野のてつ [Mail] 2002/09/16(Mon) 23:45 [Reply]
「楽楽福」らくらくふく ではなく「ささふく」と読みます。
孝霊天皇が自ら鬼退治をされたところで、「楽楽福神社」が
あるそうです。ササのおかげで、楽々と鬼退治ができたから?
鉄を調べていて見つけたHPです。
http://www.asahi-net.or.jp/~zp4m-nkns/mzgciprint.htm

日本酒「鬼ころし」を飲みながらのカキコミです。
酒といえば、以前カキ込んだ「安房国司祭り」行ってきました。
地元館山では「安房国司祭り」では通じませんでした。
八幡の祭り →「ヤワタンマチ」と呼んでました。
待望の莫越山[なこしやま]神社のお神酒、頂きました。
とても美味でした。「もう一杯いかがですか?」の言葉を
いただき、思わずお代わりしてしまいました。
「今年は特に出来が良かった」とのお言葉でした。謝。
来週は「大原はだか祭り」を見に行こうと思ってます。

[273] Re[272]: 祭の山。  神奈備 2002/09/16(Mon) 09:25 [Reply]
美嚢郡吉川町の若宮八幡宮の造山神事が面白そうです。ヤマガヤ


ヤホー神事の謡手

住吉の 住吉ンの 松は久しき御世なれや 千代に千代とはやされ やほ やほ やほ はっはっ

大江山の 大江山ンの 鬼神が安く退治平らげ 国も豊かになるべし やほ やほ はっはっ

玉垣の 玉垣ンの 玉の御簾 まきあげて 千代に千代とはやされ やほ やほ やほ はっはっ

最後に

東西南北御静まりあって この山のいはれを思う 御見あるべく候

答えて
そもそも御社大明神のご威光拝み奉れば 霊験いよいよあらたかなり それによってこの山は鉄慶山という この山の麓に流れあり 流れを汲める人人は 七珍万宝みちみちて 国里人も豊かなり 氏子は神道奉公の歩みに運び給ひに候

続いて
さん候 ここにめでたき瑞相あり されは垂仁天皇の御代には 天照神の御仁慈を守らんと 伊勢の岩見の神路川 千歳経るは鶴ヶ峰 治まる御代の折なれば とうとうはやされ候


当社の神の霊験を各地での大活躍譚として歌いあげているようです。言霊効果でしょうか。氏子に「神道奉公」の暗示をかけているのも面白い。

ここでも大江山の鬼退治ですが、中世にはよほどインパクトのあったお話だったんおでしょうね。

[272] 三ツ山祭の 山。  豆石 煌 2002/09/15(Sun) 21:44 [Reply]
 ローカルな話で、恐縮ですが、ここ、播磨一ノ宮(伊和神社)と、播磨国総社(射楯兵主神社)の神事に、「三ツ山祭」があります。
 山に登ると「ヤッホー」と叫びたくなるので、検索してみた。
(1)播磨国総社−−−20年ごと。(一つ山は、60年ごと。)
(2)伊和神社−−−−60年ごと。(一つ山は、20年ごと。)
(3)韓国・公州市の「三山祭」
(4)愛媛城・三ツ山祭−−−−−姫路城の誤り? 松山城はあるが・・・
以上、4種しかない。 三つの山を祭る神事は、全国的にも、珍しいのでしょうか?
−−−−−−−−−−−−−−−

 約400年前・安土桃山時代、以前からの神事と聞くが、
私が不思議に思うのは、この三つの山!!
 二色山−−−−富士山。新田??のイノシシ退治。
 五色山−−−−大江山。源四頼光の鬼退治。
 小袖山−−−−三上山。俵藤太(藤原秀郷)のムカデ退治。の作りモノ。

何ゆえ、播磨の神事に、播磨国以外の、外国の山を祭るのであろうか?
(特に、関係も無さそうで・・・)

小袖山は、−−−衣干すちょう・・・???

「三ツ山祭礼図屏風」絵は、
http://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/jap/collection.html#


[271]  習志野のてつ [Mail] 2002/09/15(Sun) 01:43 [Reply]
「衝立船戸神」について、色々有難うございました。
船のついでに、地元話を一席。
習志野市の隣に船橋市があります。雷も怖れぬ船橋の話です。

菅原道真を大宰府に流した張本人、藤原時平は、神様になっています。
HP「地形図を読む」(アドレス下記)をご覧下さい
http://isweb34.infoseek.co.jp/school/georoom/1quater/11mijikana.htm

京成の線路に沿って、京成津田沼駅から左へ。
谷津干潟の北(上)で、高台の麓を通る形になっています。
この高台上に習志野の「丹生神社」があります。
また、京成津田沼駅右手に、津田沼低地がありますが、
この奥の方が「菊田神社」で、今も池があり、「藤原時平」
をお祀りしています。今から800年と少し前に、京から流罪に
された藤原師経(もろつね)の船が流れ着き、先祖の時平を祀りました。
その子孫がその奥にある和泉の湧く地、三山(ミヤマ:江戸時代は
御山と書いたそうです)の二宮神社へと勢力を伸ばし、二宮神社の
祭神にも「藤原時平」が加わったものと思います。
二宮神社は、七年ごとに大祭があります。そこには「時平神社」
のお神輿も参加します。
三山7丁目の若宮八幡は師経の永眠の地と云われます。
二宮神社は、神奈備神名帳に下総国の寒川神社として詳しいです。
http://www.kamnavi.net/en/simofusa.htm

青草話は、じつはこれから。「藤原師経」は、
@東国に流罪になったことはない。
A先祖は不明。父親は四国から出て、藤原氏の荘園管理人に
 なり、その後、後白河上皇の信を得て活躍した
B平清盛によって死罪になっている。
では、天神さんの祟りも恐れず、「時平」を祭神とした人は
一体だれなんだろう?

それらしい「神社伝承」でも、あてにならないこともある。
藤原「師経」さんは『尊卑文脈』ではもう一人居るらしい。
配流になった形跡はないそうです。

[270] Re[269][262][257]: 「戸」について  豆石 煌 2002/09/13(Fri) 00:21 [Reply]
>また、ドジっちゃいました。
> 「植山古墳」  http://www.city.kashihara.nara.jp/bunkazai/ueyama/
です。
>

[269] Re[262][257]: 「戸」について  豆石 煌 2002/09/13(Fri) 00:16 [Reply]
香具さん、ありがとうございます。
「植山古墳」  tttp://www.city.kashihara.nara.jp/bunkazai/ueyama/
見て来ました。
 三枚戸で、左右のが、ハメコロシ。真ん中の一枚が、引き戸。
「マスマス、似て来・・・。」「ム〜。イヤイヤ。何でもない。」

> まあ、時代が新しいので天岩戸などの話しとは繋がりませんネ。
そうですね。そうですとも。

[268] Re[265][264] 「戸」について  豆石 煌 2002/09/11(Wed) 23:14 [Reply]
> > 「衝立船戸神」 衝、立、戸、神 は 判りますが、船は?何故

「船=戸」ではなく、「船の戸」では、ないでしょうか?
すなわち、宇宙船のハッチ、潜水艦のハッチ。
あの世と、この世の、境い目。の戸。
あの村と、この村の、境い目。の戸。 韓国の「〜〜大将軍」何でしたっけ?

衝立船は、準構造船でも、湯船でも、なく、棺桶(石棺)では?

> 故に、道祖神と考えられています。石堪当(こんな字だったかな?)みたいなものではないでしょうか。

石敢当(いしがんとう)(沖縄の?)
ついでに、「シーサー」は、鬼瓦か?、狛犬か?

[267] 船は出ていく、煙は出ない。  神奈備 2002/09/11(Wed) 20:46 [Reply]
出ないはずだよ。衝立船戸神は帆掛け船? 

お判りの事ですが、来名戸(くなと)の神は「ふなと」に音転するとか。
ソ連の布袋さんのフルチュチョフは英語発音ではクルチュチョフでした。

石、杖、甕、祠なんかも、異界との境界にしたのかも。

[266] 神奈備掲示場から移動  神奈備 2002/09/11(Wed) 20:43 [Reply]
 旅の空はいま モンゴル ばい  焼尻紋次郎

 大赦ちゅうか特赦ちゅうか、そーゆー廻し状がでてるそうにござんすが、許される覚え
なんざ、ねっからもうとう無ぇんで、わらじぃへぇちいやす。
 けふは蒙古上空、ヒコーキの中から宅急便ざんす。
 
 ミナシャァ〜〜ン、ワカランときゃ、ワカランワカラン云うまえに、いままでとは違う
くにに行ってみるこったぜ。日本列島の東は海の中だべ、西に行くにかぎる。

※ ミシャグチ神は雷だった。
※ ソホリの神とはメクラ神だった。
※ 剣(つるぎ)たぁ、とんがったとか、よく切れるという形容詞中心の語彙だった。
※ サイの神はモンゴルにもいた。
※ LU (水神、龍)もネパール語と同一だった。
※ 朝鮮語 KULI(銅)もモンゴルのGULI: と同根だった。ヘグリのグリやろカネ。

 いそぎ旅(凶状持ち)じゃぁござんせん。こんどはペルシャの空あたりからアマカネ
ぞ。ヘグリの屁カネ。紋トングリめ〜る。

[265] Re[264] 「戸」について  玄松子 2002/09/11(Wed) 20:31 [Reply]
> 「衝立船戸神」 衝、立、戸、神 は判りますが、船は?何故

船戸は、クナドと解するのが一般ですね。
故に、道祖神と考えられています。石堪当(こんな字だったかな?)みたいなものではないでしょうか。

[264] Re[263] 「戸」について  習志野のてつ [Mail] 2002/09/11(Wed) 09:56 [Reply]
> 岩を置いただけですから、衝立船戸神とも言うんですね。
そうだ!思い出しました。以前疑問に思ったことを。 
「衝立船戸神」 衝、立、戸、神 は判りますが、船は?何故
 まさか、船を力ずくで「エイや」と立てた?それが「戸」に?
 入り江への細い通路に岩で蓋をして、その後船に乗ったから?
 衝立「岩」戸神のほうが、ふさわしい名前のような気がします。

[263] Re[262][257]: 「戸」について  神奈備 2002/09/10(Tue) 18:44 [Reply]
摂津と播磨の境界の磐座の中の手力男神のご出馬、喜ばしい限りです。

神話で最初に登場する「戸:開かずの戸」は黄泉の国との境に置かれた道反の大神で、これはおっしゃる通り横穴式古墳の蓋のイメージで、昔は閉だけのものだったのでしょう。
岩を置いただけですから、衝立船戸神とも言うんですね。

先代朝潮が岩戸を開けた映画は小生も記憶があります。何も朝潮でなくとも鏡里でもよかったと思いますね。アンコ型は七福神にもいますし、神様に似合いますね。

もっとも、サザエの蓋は空飛ぶ円盤のルーツだったとは。天磐船ですね。安曇族は信州の奥地まで乗っていったものとか。

[262] Re[257]: 「戸」について  香具 2002/09/10(Tue) 00:26 [Reply]
ご無沙汰してます。少し余裕が出てきたので帰って参りました。
不義理をご容赦下さい。<(__)>

扉の件。古墳の扉?あまり見たことがありませんでした、が・・・、つい1、2年前に橿原市の『植山古墳』の紹介をテレビで観たことがあります。(世界ふしぎ発見!で。大きな石室でした)
6世紀末〜7世紀前半に築造された横穴式石室が並ぶ双室墳で、推古天皇の合葬墓ではないかと推定されていました。扉の軸受けに使われた石が残っていて、扉構造のある横穴式石室と確認されたそうです。まあ、時代が新しいので天岩戸などの話しとは繋がりませんネ。
ご挨拶を兼ねて横から、いっちょかみで失礼しました。m(__)m

[261] Re[258][257]: 「戸」と「岩窟」  豆石 煌 2002/09/09(Mon) 21:11 [Reply]
「習志野のてつ」さん、ご回答 ありがとうございます。

「天の岩戸」のイメージは、
深山幽谷の岩の洞。谷川のセセラギの音、御神楽の音。白装束の・・・

 ところが、高天原を、高海原と すれば、
「海原はカマメ・・・」ではないが、広大なる大海原も見えていて、ほしい。
そして、岩戸の「戸」を、
> 「さざえの蓋」状=はめ込み式 で重い岩戸
と、するなら、岩窟自体は、どんな形??

もし、「玄武洞」のような間口の大きなクボミなら、サザエの蓋が出来ない。

「窟」の意は、ホラアナ。人が2〜3人入れたら、それで良い。(4LDK欲しい!!)

ここで発想の転換!!

「戸」がサザエの蓋なら、「岩窟」もサザエでも良いのでは?!
そんな岩窟がありうるか??

あった! 岩ではナイが、イヌイット(エスキモー)の氷の家。
(あれは、出入り口は、どうなっているんでしょうかネエ。)

日本にも、有るがナア〜〜!
 雪国の「カマクラ」。これも、神祀りでしょうか?
 あの形を石で作り、石の戸を付けたら、ドンナ形になるのでありましょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

もう一つ有りました。
「横穴式石室」である。
古墳時代・中期(4世紀末頃)以後のものである。(前期古墳は、竪穴式)
 あれは、誰が、全国的に一斉に、形式変更したのでしょうか。
 「馬を連れてきた人」でしょうか??

追伸;以後、サザエを見る度ごとに、その蓋が
>   B慣性の法則で、信州戸隠まで飛ぶ
   ことを、思い出し、ホクソエンデしまいそうです。たのしい ナあ〜!!

   サザエでなくて、ゴホウラや、いも貝でもイイのでは。
   (ゴホウラは、検索「具志原貝塚」辺りに、居ます。)

ありがとう御座いました。

[260] Re[259]: 歌や儀式の中の事実  神奈備 2002/09/08(Sun) 18:25 [Reply]
> 舒明天皇は在位していないという説も・・・

舒明天皇を祭神とする神社は、長野市松代町鎮座の熊野出速雄神社(くまのいづはやおじんじゃ)一社のみ発見(平成祭礼CD)、祭神は「出速雄命 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 速玉男命 予母都事解之男命 (配祀)舒明天皇 古人大兄皇子」です。

 出速雄命は諏訪大神の御子神で、当地方開拓の祖神として祀られ農耕の神なり。

 御鎮座地皆神山(みなかみやま)形状が円錐形の見事な独立山のため、古来より霊山として信仰の対象となり、最近では世界最大最古のピラミッドであると言われている。

とありました。

[259] 歌や儀式の中の事実  玄松子 2002/09/08(Sun) 10:23 [Reply]
> > ところで、歌は必ずしも事実を表現したものではない…。
>  一般論では正しいと思います。
>  但し、言霊の支配する国での国見の歌です。

そうですね。言霊の支配する国だからこそ、事実でなくとも、言葉にしたものが事実となるということですね。
海が見えなくとも、「この海原」ということで、海はあるものとされる、「みなし」の効果です。

> 有るべき姿を歌ったとすると、(もしウミがなければ)ウミができることになり、

ということで、実際に見えている範囲にない「海」を言葉にすることにより、見えない範囲をも国見するといえるのではないでしょうか。

儀式としての「見る」行為は、実際に全てを「見る」必要はなく、一部を見て、全部見たことにする、という発想は現実社会でもありますね。

歌の場合は、特に、見立て・見なしが多用されると思います。誇張や拡大解釈もありでしょう。(そんな気がする)
また、記紀ですら、盗作、改竄が指摘されているわけで、万葉集だけバージンであるとは信じられないのですが。舒明天皇は在位していないという説も・・・

[258] Re[257]: 「戸」について。ほか  習志野のてつ [Mail] 2002/09/08(Sun) 09:16 [Reply]
> 「門」や、「扉」の象形文字からしても、古くは、観音ビラキ?
> さて、「天の岩戸」の「戸」は、どのような形式であったか???
 「天の岩戸」の「戸」:私のイメージ
「さざえの蓋」状=はめ込み式 で重い岩戸
 @手力男(タヂカラオ)でも開けられない
 A少し隙間ができると、勢いよく開けられた
 B慣性の法則で、信州戸隠まで飛ぶほど重い
 スタートが九州でも大和でも相当の距離、軽いと空気抵抗で飛ばない。
 ◎分身して水没=潜水(海)漁に慣れていた人々の神話です。海のもので、
 通常外側からは開かない。中から少しだけ開けて覗くのに、それ程の力を
 込めているように感じられない。
 「天孫族は海洋性の民族である」との傍証ではないでしょうか。

> ところで、歌は必ずしも事実を表現したものではない…。
 一般論では正しいと思います。
 但し、言霊の支配する国での国見の歌です。
 豆石 煌さん曰く「想像だろうか。国見歌を!?」
 有るべき姿を歌ったとすると、(もしウミがなければ)ウミができること
 になり、都が水浸しになると思います。これは考えにくいと思います。

[257] 突然、 「戸」に ついて。  豆石 煌 2002/09/07(Sat) 19:07 [Reply]
 世間が、あまりに騒がしいので、窓の戸を閉めた。(この戸は、スライド式である。)
 
縄文・弥生の民家?の復元モデルでは、ハネ上げ式であったり、竹などを編んだ一枚モノを、ハメコロシにしたり、している。
 先日、広島県立歴史博物館(福山)で見た、草戸千軒遺跡(中世)の復元モデルの「戸」は、ハネ上げ式だったように思う。

一方、京都、「三十三間堂」の障子(平安時代??)は、スライドドア−の古いモノの、一つだと思う。
  (どなたか、日本最古の、引きちがい戸を、ご存知ありませんか。)

岡山県総社市の「鬼ノ城」のトビラは、左右を軸とする両開き戸。(観音ビラキ)。
「門」や、「扉」の象形文字からしても、古くは、観音ビラキ?

さて、「天の岩戸」の「戸」は、どのような形式であったか???

 個々人のイメージには相違があると思うが、私のイメージでは、スライド式だった。
子供時分に見た映画では、「朝潮」が、それを、力づくで開いたように、思う。

 神代の時代に、そんな「戸」が有った、であろうか??(記紀、記録の時代には?)
ヤッパ、「天の岩屋戸」の「戸」は、観音ビラキだったのだろうか?

そんなことを、考えていると、突然、重い石の戸に閉じ込められ、しかも流砂に
埋まりかけ、  ア! ア〜〜!!!

 後頭部のタンコブが痛む、目覚めのオカシな、一日であった。


[256] Re[253]: 奈良湖の図を差し替えました  神奈備 2002/09/07(Sat) 17:35 [Reply]
> 地図画像を差し替えました。
> 濃い青が湖水面標高45m、薄い青が55m。

ありがとうございます。
大和の王権が国内の統一を目指した力の源泉は、天然の良田となった広大な湿地帯の存在と言えそうですね。

> 三郷町から柏原市へ至る大和川のわずか1キロほどの谷です。
これは面白い話です。時々通りかかりますが、そうかも知れませんね。
大和には崖を蹴っ飛ばしたとか開拓したと言うような伝承はあまり聞きませんが、長髄彦あたりかも。

[255] Re[250]: 参考  神奈備 2002/09/06(Fri) 11:53 [Reply]
> ところで、歌は必ずしも事実を表現したものではないって、言ってはルール違反でしょうか。

国褒めの歌ですから、想像で歌うことはあり得たのでしょうね。中西進『万葉集』では休廷歌人の歌としています。イメージソング?
、「国原は 煙立ち立つ」は豊作とか仁徳天皇の事績、「海原は 鴎立ち立つ」は大漁とか息長足姫の海渡の故事にちなんだのかも。 

[254] Re[253]: 舒明天皇紀のきわどい地理  神奈備 2002/09/06(Fri) 11:52 [Reply]
前紀 斑鳩宮 法隆寺 斑鳩町
十一年秋七月 大宮大寺の造営 大宮は百済宮 橿原市飯高町  大寺は百済大寺 広瀬町百済
十一年十二月 九重の塔(注釈 この年子部神社焼失) 橿原市飯高町

これをカタバミさんの地図で見ますと(かたばみさん、ありがとうございます)、湖の周辺ないし、その中に新たに造営されているようです。
http://www.kamnavi.net/log/katabami.jpg 参照  9月10日削除予定

豆石 煌さんご指摘の八条町も、小高い所のようですね。

大和高原の木々の伐採や焼き畑で土砂が流れ込んでどんどん湖が小さくなったのでしょうか。その途上にありそうですね。

[253] 奈良湖の図を差し替えました  かたばみ [Mail] [Url] 2002/09/06(Fri) 10:56 [Reply]
地図画像を差し替えました。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/k_data/C199.jpg
濃い青が湖水面標高45m、薄い青が55m。
遺跡名のjは縄文、yは弥生、kは古墳時代を示します

「奈良湖」の水位を決めるのが生駒と金剛山地を横断して三郷町から柏原市へ至る大和川のわずか1キロほどの谷です。
この谷が水流で徐々に削られて水位が下がっていったのではないかと思いますが、もし弥生の人々が少しずつ掘り下げて葦原を農地に変えていったのなら・・すごい。


[252] Re[250]: 参考  豆石 煌 2002/09/06(Fri) 00:50 [Reply]
> 一万年前はヤマトは海で、奈良時代には湿原が残っていたという話。
> http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/kaguyama.html

 湖や湿原の所在の推定地は、どのあたりでしょうか? 参考になりますでしょうか。
大和郡山市の八条町の、水晶塚古墳について。
http://www.kashikoken.jp/from-site/2001/suisyou.html
これは、3〜4世紀頃のものではないでしょうか。


[251] 奈良盆地の湖沼推定図  かたばみ [Mail] [Url] 2002/09/06(Fri) 00:45 [Reply]
奈良盆地の標高45m以下を青で示した地図をアップしてあります。
あくまで現在の地形での色分けですが、ご参考まで。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/k_data/C199.jpg
(カシミール3Dにて作成)

黄色マークは各種古墳、白マークは縄文〜弥生の各種遺跡、Uマークは銅鐸出土地
青線は現在の河川

なお1週間程度でこの地図は削除します


[250] 参考  玄松子 2002/09/05(Thu) 13:01 [Reply]
一万年前はヤマトは海で、奈良時代には湿原が残っていたという話。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/kaguyama.html

この歌は大分・別府で詠まれたという話。
http://plaza14.mbn.or.jp/~sinkodai/jfuruta/jbeppu/jbeppu.html

ところで、歌は必ずしも事実を表現したものではないって、言ってはルール違反でしょうか。

[249] Re[248]スイイのスイイ  習志野のてつ [Mail] 2002/09/05(Thu) 09:02 [Reply]
> 姫路の場合、だいたい山陽電鉄の線路までが、海でした。
> 姫路の街が海の底だったというのは、ウソです。…
 倉敷児島の話は、姫路とは違います。(比較的近いとは思います)
突然[姫路の街が…]といわれても???何も云ってませんが?
 人に物事を尋ねて、相手の答えてくれたことに、違うことで
 「うそです」と云うのは、どうでしょうか?
 そこまで断言されるのなら、「私はこう思う」とカキコミを
 されたら如何ですか?

>   さて、奈良盆地のことは、これから調べます。
 まさにこのことをカキコんでいます
> > 時代によって、水位が違い・・・
> これも、??です。たしか、一万年前には・・という前置きがあったのでは??
 ありません。
 縄文時代の遺跡が、標高70M以上にしかない。
 弥生時代の遺跡が、標高70M以下〜標高50M以上に集中する。
 中心部分は、遺跡の空白地です。
 「盆地湖」、「氾濫平野」など、研究者により名付けられています。
 縄文時代だから1万年程前としてもかまいませんが、そこからの
 変化(時間による水位の推移)の話です。

> 私が今問題にしているのは、わずか1400年前の、じょめい天皇の時なのです。
 舒明(じょめい)天皇(593〜641)は、治世約13年間。
 万葉集に採り上げられた歌は、ほぼ630年代だと思われます。
 その時代を含み、それ以前の話です。
 > 香具山の麓の「埴安の池」説も??です。
 それ以降明治時代(約100年前)の話を付け加えます。
 ◎明治時代になっても、紀元節に歌われた。
 第一章 : 雲にそびゆる高千穂の…
 第二章 : 海原なせるはにやすの 池のおもより なおひろき
 ここに歌われている「埴安(はにやす)の池は、明治17・8年の頃、
 天香具山の一角を崩してその土を以って埋め立てられた。」そうです。

>  それに、奈良盆地中央の「唐子鍵遺跡」の存在など、どうしましょう。
 ちょうど空白の中央部の端、つまり標高50M付近にあります。
 弥生時代の遺跡である「唐子鍵遺跡」が、正に池が有った状況証拠です。
 いまから2000年程度前のことだと思います。

>  カモメが、何処を飛んでいたのか、もう一度、考え直してみます。
 東京都の上野の山の麓に不忍池があります。カモメが良く飛んで来ます。
 なにカモメかは、調べたことも無く存じません。

[248] Re[245][243]: ウミとミズ・ウミ  無責忍者・ドロンパ 2002/09/04(Wed) 21:41 [Reply]

ご指摘、ありがとうございます。

  私が、古代史に興味を持ったのも、この事によります。
  ここ、姫路でも、播磨国風土記の、有名な「十四の丘」や、
  平安時代?の亀井寺の話(峰相記)。
  史実かどうか?

  何万年も前のことは、私には???です。
  最後の氷河期、ウルム氷期の時で、今より海水位は、−150mでしょう。
  問題は、縄文海進。 地域によっても異なりましょうが、せいぜい+4〜5mです。

  姫路の場合、だいたい山陽電鉄の線路までが、海でした。
  姫路の街が海の底だったというのは、ウソです。何十万年も前は、別です。

  さて、奈良盆地のことは、これから調べます。

> 樋口清之さんが、奈良盆地の遺跡を丹念に研究をされた。
> 標高70M線以上、標高50M線以上に遺跡が集中。
> 時代によって、水位が違い・・・

 これも、??です。たしか、一万年前には・・という前置きがあったのでは??

  私が今問題にしているのは、わずか1400年前の、じょめい天皇の時なのです。
 聖徳太子が通った「太子道」より後のこと。
 それに、奈良盆地中央の「唐子鍵遺跡」の存在など、どうしましょう。
 「飛鳥の宮跡」は・・。約70年後になりますが、湖跡にニュータウン「藤原京」?!!

 香具山の麓の「埴安の池」説も??です。

 @みみなしの 池し恨めし 我妹子が     (3788)
   来つつ潜(かづ)かば 水は涸れなむ−−−耳成山の「かずらこ」伝説も。
  
 カモメなのか、ユリカモメなのか?

 カモメが、何処を飛んでいたのか、もう一度、考え直してみます。
 

[247] Re[246]: 君がいて僕がいて  神奈備 2002/09/04(Wed) 19:42 [Reply]
金さんと朴さんが渡来してきて、どっちが大将かと相談して、金さんが大将で君、朴さんは僕(しもべ)。
と言う青草話を聞いたことがあります。

[246] 瓢箪ぶらり  習志野のてつ [Mail] 2002/09/04(Wed) 16:24 [Reply]
『三国史記』の「新羅本紀」に「瓢公」がでています。
新羅で大臣までになった倭人の瓢公、瓢を腰にぶらさ
げてやってきたため、そう呼ばれたそうです。
元々自生していたものではない瓢箪の伝来話かと思ってました。
「瓢を腰にぶらさげ」から考えると
@酒を入れていた?→酒好きだったのか?
A忍者で、それで水を渡った?
日本から朝鮮に渡ったのは、スサノオさんですが、…
また同書には、
「辰韓では瓢(ひさご)のことを朴(パク)という」とある
そうです。朴姓の人達は、スサノオさんの子孫????
籠(コノ)神社のあたりなら、新羅とは近いですが、青草い。

[245] Re[243]: ウミとミズ・ウミ  習志野のてつ [Mail] 2002/09/04(Wed) 11:04 [Reply]
> 有名な、じょめい天皇の、国見の歌である。
> 何処で、お詠みになられたのだろうか。
> 想像だろうか。国見歌を!?
> 当時と雖も、まさか、奈良盆地からは海は見えないだろう。

樋口清之さんが、奈良盆地の遺跡を丹念に研究をされた。
標高70M線以上、標高50M線以上に遺跡が集中。
時代によって、水位が違い、やがて湖が無くなった、としたそうです。
「奈良盆地の中央は、以前大きな湖だったが、やがて消滅した」
がいまは定説です。
「想像ではなく、実際に『ウミ』や『鴎』」を見ていた。」といわれます。

湖だはなく海の話ですが、
以前紋次郎さんが、倉敷児島付近についての、同様の研究を
書かれていました。関東地方の貝塚についての研究も、同様の
結論を出しています。つまり海水位の低下=海退があった。

以下は私説ですが、あの雄大な出雲風土記の『国引き』の話は、
海中遠方にあった島が、海面低下と河からの土石のよって、
陸続きになったことが元で、つくられた話ではないでしょうか。

[244] Re[243]: 万葉の・香具・かく・しか  神奈備 2002/09/04(Wed) 11:03 [Reply]
> 奈良盆地からは海は見えないだろう。

湖沼が広がっていたのでは。淡水湖の上を飛ぶカモメってあるそうですよ。

[243] 万葉の・香具・かく・しか  無責忍者・ドロンパ 2002/09/03(Tue) 23:50 [Reply]

 その1.

  (香具)山は 畝火雄々しと 耳梨と 相争いき
     神代より (かく)にあるらし
   いにしえも (しか)にあれこそ
     うつせみも 嬬を 争ふらしき      (万葉ー13)

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 その2.

   大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山
     登り立ち 国見をすれば 
    国原は 煙立ち立つ 
    海原は 鴎立ち立つ
   うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は       (万葉ー2)


  有名な、じょめい天皇の、国見の歌である。
  何処で、お詠みになられたのだろうか。
  想像だろうか。国見歌を!?
  当時と雖も、まさか、奈良盆地からは海は見えないだろう。



神奈備掲示板、あさもよし掲示板 過去ログ集




神奈備ホームに戻る


inserted by FC2 system