青草談話室ログ平十六年 二月
2004.2
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[582] Re[581]:直角の息長氏  神奈備 2004/02/26(Thu) 08:21 [Reply]
> 京都山城・綴喜郡の息長氏だとか
朱智神社 http://www.kamnavi.net/yamasiro/shuti.htm

南に降り、忍坂に至ると
忍坂坐生根神社 http://www.kamnavi.net/as/ossakaikune.htm

真西に行くと
科長神社 http://www.kamnavi.net/en/kawati/sinaga.htm

四角形の西北隅は交野や寝屋川付近で、秦氏や息長氏の匂いはするのですが、無理に神社の特定は避けています。
え!、さんざん無理してらいしょ。

[581] シャーマニー?  恋川亭 2004/02/25(Wed) 23:57 [Reply]
 一見脈絡もなくぜんぜん脱線ですが、神奈備掲示板で息長帯姫の話題が出ていましたし、玄松子さんのサイトでも御上神社が紹介されていましたので、妄想をこちらに。
http://ucgi.genbu.net/cgi-bin/update.cgi?index=1&target=oumi/mikami_title.htm

 ひとまず近江・坂田郡の話しは置いといて・・・。息長帯比賣命のパパ・息長宿禰王は、日子坐王と袁祁都比売命の系統で、京都山城・綴喜郡の息長氏だとか(東アジア古代文化72号『息長氏研究の一視点』塚口義信先生寄稿を参照)。息長パパの祖父さんが山代之大筒木真若王とあります。

 それとは別に、日子坐王と息長水依比売との子孫の系統があります。息長水依比売とは、以前この掲示板でも取り上げられた、三上山ゆかりの比売でしょうか?
 天之御影神の娘・息長水依比売。そして日子坐王と比売と子が、丹波比古多々須美知能宇斯王、水穂之真若王、神大根王、水穂五百依比売、御井津比売。名前からだけの雰囲気ですが、ナントナク巫女さんっぽい、神主さんっぽい感じを受けました。
 井戸(泉)に映る君の御影(姿)といえば、若きニギー様ではありませんか?(違うかな???)

[580] Re[579][578]: 磐船/鳥船・妄想  神奈備 2004/02/24(Tue) 08:33 [Reply]
生口は特殊技能者で、例えば潜水漁猟者や金属探索のプロなどとからゆきさんなどか。
カワイイ台与ちゃんは、句奴国の男子王族を放り出したのではと思っています。

[579] Re[578]: 磐船/鳥船・妄想  恋川亭 2004/02/23(Mon) 23:35 [Reply]
 ペギラさん、神奈備先生、ありがとうございます。お蔭様で少しずつナントナク空想の輪郭が湧いてきました。(^-^)
 縄文時代から丸木船による活発な交易があったようだ・・・とは聞いていましたが、弥生時代以降は『渡来』が強調され過ぎて倭國は受身の印象がありました。(偏向風の吹いてる世間ですから)
 でも、こうして大陸や半島の資料も見てみると、倭國側から渡って行った話しの方が多いですねぇ。『妄想』と『捏造』の似て非なる違いは大きいかと。あまり突っ込むと『嵐を呼び』そうですネ。(^^ゞ

> 台与は頑張って30人。

『・・・頑張って』というところが、なんとなくカワイイ。卑弥呼没後の混乱時の軍事・政治顧問に対する謝意もあったのでしょうね。
とすると、『倭国王帥升等』の160人というのは、某地域平定戦での漢の支援に対するものだったか・・・いかん、嵐を呼んでしまいそう。曹操、いえ早々。

[578] Re[576][573][571]: 磐船/鳥船・妄想  神奈備 2004/02/23(Mon) 17:26 [Reply]
船のサイズの問題とはずれますが。
> 「後漢書」にある、
>  d.安帝永初元年に倭國王帥升が生口百六十人を献上したこと。

正しくは 安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ請見を願う。
帥升【等】と複数になっている所が大切。

生口の数の経年変化
107年 帥升等 160人  百余国
239年 卑弥呼  10人  三十国
250? 台与   30人

帥升を代表者として、各国が一人ずつ生口を供出したのか、相見英咲著『倭国の謎』で触れられているように、そこそこの大きさの国が一国5人当たりを出した。
卑弥呼は支配者として一国で10人、台与は頑張って30人。

[577] 白村江あたりの舟  ペギラ [Mail] 2004/02/23(Mon) 16:05 [Reply]
渡海について参考になるのが白村江あたりかと。
これもすべてが事実だということではなく、史料から見える姿ということで。
日本書紀
「斉明七年九月 率軍五千余、衛送於本郷」
「天智元年五月 率船師一百七十艘」

この豊璋が百済へ帰る時の姿が一連のものだとすると、
170隻で5000人を運ぶ。一隻約29人

「天智二年三月 率二萬七千人、打新羅。」
これを29人で割ると、約930隻という数字。

三国史記「新羅本紀」文武十一年
「倭船千艘、停在白沙。」
三国史記の1000隻というのも、的はずれではないかも。

このあと日本書紀では、
天智十年十一月に郭務宗たちがやって来る記事。
「総合二千人、乗船四十七隻、」
ここでは、一隻約43人。
唐船の規模と見て良いかどうかわかりませんが、
倭国船よりは、平均大きいということでしょう。

これが660年代の話。
永初元年(107)から約550年後。

当時の船で、50隻ぐらいの船団が組めれば、
生口160人は、可能だ。(^_^;

[576] Re[573][571]: 磐船/鳥船・妄想  ペギラ [Mail] 2004/02/22(Sun) 12:49 [Reply]
こんにちは、恋川亭さん

> 「後漢書」にある、
>  d.安帝永初元年に倭國王帥升が生口百六十人を献上したこと。

この記事は不思議なものだとも思う。
こんなに多くの人数は、この時以外ない。嵐を呼ぶ内容。(笑)
朝鮮半島の人?、半島での現地調達??。

>  このように空想していくと、効率的な交易のためには、呉の国などで製造していた(かもしれない)大型船を「購入」し所持していた倭の国王がいた(かもしれない)と妄想は、かもかもと広がっていきます。百余国とも三十余国ともいう倭の諸国を、交易というネットワークでゆるやかなまとめていたのは誰なのでしょうね。
>

遣唐使船タイプの船でも生口160人を運ぶのは大変なことです。
推測・妄想の域でしかありませんが、ざっと計算すると、
遣唐使船タイプが、10隻ぐらいは少なくても必要ではないでしょうか?
そんなことを考えると渡海させたというのは、非常に困難なことです。

倭国の位置の論争の一つにもなる話ですね。(^_^;

[575] Re[574][572]: 船が飛ぶわけ:アイヌ語の不思議  大三元 2004/02/22(Sun) 08:53 [Reply]
恋川亭さん、どもども

> > 微妙に共通するものがあるような気がしました。

上古の記憶みたいなものが時々顔をだすのでしょうかねぇ。単なる偶然なのか。

>  さて『puniとフネ』、さきの久高島の丸木舟の方言『マーキブニ』。プニとブニですけどね、訛りの範疇???

琉球語内部で「ふね、ふに」がある。
日本古語で「布禰」とあり「ふね」だが、「ね」を示す字に「尼」もある。「尼」は「に」にも使われる、ということで「に」と「ね」の間には揺れが認められる。
アイヌ語 ho-puni は動詞であり、そこから船を意味するような名詞は派生していない(みたい)。
こんな要点になろうかと思いますが、これらをどう組み合わせた推論なら無理が少ないでしょうかね。。。

[574] Re[572]: 船が飛ぶわけ:アイヌ語の不思議  恋川亭 2004/02/21(Sat) 21:05 [Reply]
大三元さん、こんばんは

薩摩藩の示現流兵法剣術の奥義心得のひとつに、
  『 汀江放船  月船君/身船我 』
という教えがあるそうです。「汀江放船」(みぎわへ船を放つ)とは、敵と対した瞬間の心の有り様を、船を押して大海に乗り出す喩え。「月船君」(月船は君)とは、月を船に喩えた無念無想の心の象徴。本当はもっと難解なのでしょうけど。

> アイヌには、太陽や月は船に乗って空を飛んでいるという観念があります。

微妙に共通するものがあるような気がしました。
 さて『puniとフネ』、さきの久高島の丸木舟の方言『マーキブニ』。プニとブニですけどね、訛りの範疇???

[573] Re[571]: 磐船/鳥船・妄想  恋川亭 2004/02/21(Sat) 20:57 [Reply]
ペギラさん、こんばんは。

> 自分がもし丸木船しかない世界で、馬を運ぶために玄界灘を越すとしたら、子馬を乗せると思う。

そうか、その手があったかッ!(^^)"・・・しかし、
子馬とはいえ狭い船上でぐずつかれたら困りますねェ。(^^ゞ

> でも外洋を行き来するのには、丸木船の方が安定していたかも。

 また久高島ネタですが・・・m(__)m
『神々の原郷 久高島』(比嘉康雄著)によりますと、伝承されてきた古い舟はマーキブニ(丸木舟)で、いわゆるサバニが導入されたのは明治の終わり頃とか。
 また神謡に伝わる舟が、トゥムラカーとナラリグァ。トゥムラカー(艫高)は船尾の高い舟で馬艦船のような大型の船を指し、ナラリグァ(並び組)はマーキブニを何艘か並べて結びつけたものだそうです。
 例えば同じ長さの丸木舟を4艘横に並べて接続固定し、4艘分に差し渡しできる波除の板を取り付け、中の2艘に帆、まん中に舵を装備した図が記載されてます。これなら丸木舟でもそこそこ積載できるのでしょう。

古代史には数々の遣使や交易、戦争、移民等の記録がありますが、例えば・・・
「漢書」にある、
 a.倭人が百余国に分かれていて、定期的に献上に来るということ。
「後漢書」にある、
 b.漢に通訳を連れて使者を送った国が三十ばかりあったこと。
 c.光武帝から漢倭奴國王の印綬を下賜されたこと。
 d.安帝永初元年に倭國王帥升が生口百六十人を献上したこと。
「三國志 魏書 烏丸鮮卑東夷伝」にある
 e.難升米・都市牛利の献上品、〔男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈〕。
 f.そのときの下賜品、〔親魏倭王の金印紫綬・絳地交龍錦五匹・絳地スウ粟ケイ十張・セイ絳五十匹・紺青五十匹・紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹・金八兩・五尺刀二口・銅鏡百枚・眞珠・鉛丹各五十斤〕。
 g.伊聲耆・掖邪狗等八人による献上品、〔生口・倭錦・絳青ケン・緜衣・帛布・丹木・?・短弓矢〕。
 h.壹與が派遣した掖邪狗等二十人による献上品、〔男女生口三十人・貢白珠五千・孔青大句珠二枚・異文雑錦二十匹〕。

 などの文を見たときに当時の運輸の様子がないので、当たり前すぎて記録がないのかナ?と思ったのです。生口160人を連れて漢の都に謁見に行く様子を妄想してみます。
 たとえば舟形埴輪のような準構造舟で、片舷に10本の櫂、つまり右舷左舷合わせて20本の櫂と舵が1本の舟と仮定します。1本の櫂に1人の漕ぎ手タイプとして、漕ぎ手20人、舵取り1人、帆の操り手2人、船頭1人。水夫だけで最低24人が必要。もうそれだけで満杯そう。
 さらに正使・副使と下級役人や通訳。護衛の武人たち。陸路運搬の担い手たち。食事の賄い係りや雑用の下男。忘れちゃいけないのが持衰。呪術師か神官も乗ったかも。これら数十人と生口160人が上記の舟に分乗します。
 人以外に他の献上品や道中の役人に融通を利かす為の土産。最少に見積もった渡海中の片道分の食料や水。銅銭か物々交換が可能な交易品(道中の経費に)。
 これらの人や物資が何艘で輸送可能か想像がつきませんが、護衛専任の警護舟も含めて、少なくとも数十艘の船団になったでしょうね。
 途中の寄港地も含めて目的の港へ事前に遣使舟団が行くことを伝えていないと『すわ侵攻か!?』と警戒されるでしょう。根回しの先遣隊も必要。遣使は安定した国力を持っていないと容易じゃないですね。(それとも玄界灘には「渡海専門」の運輸集団が居たのでしょうか?)
 このように空想していくと、効率的な交易のためには、呉の国などで製造していた(かもしれない)大型船を「購入」し所持していた倭の国王がいた(かもしれない)と妄想は、かもかもと広がっていきます。百余国とも三十余国ともいう倭の諸国を、交易というネットワークでゆるやかなまとめていたのは誰なのでしょうね。

 金刀比羅さんに詣でたとき、大物主大神さまの行宮のあった処と解説されていました。神戸の七宮神社も大物主大神さまの行宮跡とありました。どちらも海上交通の安全祈願がご利益のひとつです。他にも大物主大神の行宮跡説があるか?探してみたいと思います。

> で、鳥船。
古墳壁画にある舳先の鳥の絵。ノアの箱舟伝説にある、古くはギルガメッシュ叙事詩にある、シュメール伝来のモチーフ・・・伝奇全開(自爆)! (^^ゞ

[572] 船が飛ぶわけ:アイヌ語の不思議  大三元 2004/02/21(Sat) 16:29 [Reply]
アイヌには、太陽や月は船に乗って空を飛んでいるという観念があります。
puni という動詞には「〜を持ち上げる」という意味が与えられていますが
ho-puni という動詞は原義が「尻・を持ち上げる」で意味範囲は「起きる、起きあがる、立ち上がる、飛ぶ」とされています。
つまり、puni と フネ に何らかの関連があったのかなぁ、というわけです。
与太話かも。

[571] Re[570][569][568]: 磐船/鳥船・妄想  ペギラ [Mail] 2004/02/21(Sat) 14:39 [Reply]
恋川亭さん、こんにちは。

> ウ〜ム、なんだかイメージが違うなぁ・・・。もっとたくさん人や物資が乗せられそうな形状を想像していたのですが。

そうそう(^^ゞ

弥生の時に馬をどうやって運んだのか?
そんな疑問はいまだに宙に浮いたままです。
でも構造船というのは、現実的に幕末まで日本には無いと言って良い。

埴輪のような船ならば、馬を運ぶことは十分可能。
今で言えば、プレジャーボートクラスなんでしょうか。

でも外洋を行き来するのには、丸木船の方が安定していたかも。

自分がもし丸木船しかない世界で、馬を運ぶために玄界灘を越すとしたら、
子馬を乗せると思う。
当時の馬もそれほど大きなものではないが、さらに小さい方が危険が少ない。
そんなことを妄想していた。(笑)

で、鳥船。
私は、水鳥の姿のことでは?と。
そんなつもりで、絵画をみると、見えなくもない。

[570] Re[569][568]: 磐船/鳥船・妄想  恋川亭 2004/02/20(Fri) 20:52 [Reply]
まだ、いろいろ昔の船をあたっています。
そこで参考にさせて頂いているのが、こちらのページ。お世話になりました。

・stanさんの『古代であそぼ 船、舟メモ』
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/c_fune.htm
・大三元さんの『鳥と舟』
http://www.dai3gen.net/chir-chip.htm

図書館や本屋で写真を見てきたもの。↓
(画像も探してみました。リンク先のあるもの)
・福井県井向遺跡1号鐸の舟の模様
(本に掲載された写真で舟が見えますね。片舷にオールが12〜3本、舵が1本)
・唐子・鍵遺跡出土の土器にあった舟の線刻画
(片舷にオールが4本、舵が1本)
・堺市大庭寺遺跡の舟形土製品
・柏原市高井田遺跡212号古墳の線刻壁画(帆船!帆の様子があり)
・不知火町桂原1号古墳の線刻壁画(帆船?みたいな感じ)
・善通寺市宮ヶ尾古墳の線刻壁画(片舷にオールが4〜5本?)
・八尾市久宝寺遺跡の船の舳先部分(絵でなく現物)

・宇土市仮又古墳の線刻画
http://www.fsinet.or.jp/~utosoft/karimata.html

・福岡県珍敷塚古墳/鳥船塚古墳/原古墳の壁画(舟の舳先に鳥のある絵)
http://www.town.yoshii.fukuoka.jp/kankou/bumka/yakta.htm

・竹原古墳の奥の壁画(判りにくい船ですが・・・馬が?)
http://www.town.wakamiya.fukuoka.jp/takeharakofun.htm

・松坂市 宝塚古墳の舟形埴輪
http://www.city.matsusaka.mie.jp/NEW/funegata/

・長原高廻り2号古墳の舟形埴輪
http://www.bunka.go.jp/1hogo%5Cshoukai/main.asp%7B0fl=show&id=1000000505&clc=1000000153&cmc=1000000163&cli=1000000197&cmi=1000000203%7B9.html

・西都市西都原169古墳の舟形埴輪
http://www.city.saito.miyazaki.jp/bunka/kids/saitobaru/haniwa.html

・栗東町新開4号古墳の舟形埴輪
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/dec/27/haniwa.html

・大垣市荒尾南遺跡の土器の線刻画(82本の櫂を持つ主船と、その横に帆舟2艘)
http://dac.gijodai.ac.jp/vm/kenpaku/jpg/circd0043-0057.jpg
すごいですね、片舷にオール40本、舵1本でしょうか?
ペーロンやハーリー舟みたいなものでしょうか?スピード重視型みたいな。

・出石町袴狭遺跡から出土の板(十五艘の船団の線刻画)
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/03remain/KENSITEI/13kensitei/hakaza/hakaza.htm
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/topics/hakaza.htm

・復元古代船「なみはや」号
(ネット上で「なみはや」のキレイ&シンプルな画像がみつかりません。けちってるんやろか?)

ウ〜ム、なんだかイメージが違うなぁ・・・。もっとたくさん人や物資が乗せられそうな形状を想像していたのですが。

[569] Re[568]: 磐船/鳥船・妄想  ペギラ [Mail] 2004/02/20(Fri) 08:32 [Reply]
おはようございます

> > 絵画銅鐸
> WEBサーチでもなかなか見つかりません。サイトをひとつ教えてくださいな。

無いみたいですね。

舟があるのは、福井井向一号鐸。
最近、歴博の発表で鈕にある「蓋(きぬがさ)」が認められたやつです。

基本的にボロボロの銅鐸なので、、、(^o^;

たぶん、観察スケッチでしか、わからないのでしょう。
書物・文献類もそんな感じです。

[568] Re[566][563][561]: 磐船/鳥船・妄想  神奈備 2004/02/19(Thu) 21:46 [Reply]
ペギラさん こんばんは。

> 鳥船について、面白いのが、宝塚古墳の舟形埴輪。
http://www.city.matsusaka.mie.jp/NEW/funegata/
兵庫県かと思っていましたら、松阪市なんですね。
それでも船首と船尾、よくわかったものですね。

> 絵画銅鐸
WEBサーチでもなかなか見つかりません。サイトをひとつ教えてくださいな。



[567] Re[565][564][563][561]: 磐船/鳥船・アイヌ語の不思議  大三元 2004/02/19(Thu) 10:37 [Reply]
> > 「天の血垂飛鳥」の周辺も同じように語呂が似ているのでしょうか。

あれば「説」になれるのでしょうが、見つけてませんので「妄想」領域です、(^^;)

[566] Re[563][561]: 磐船/鳥船・妄想  ペギラ [Mail] 2004/02/19(Thu) 09:00 [Reply]
古代の船。
その姿が想像できる源になるのは、絵画土器・絵画銅鐸・舟形埴輪。

古墳時代までは、どう考えても準構造船。
船底が丸木船で、その上に船を造っているようなもの。
これには、丸木に限界があり、それほど大きなものにはならない。

こんなレベルなら、川も海もたいして変わらないもので可能。

基本はやはり、筏か、丸木船。

筏の進化形が、遣唐使船などこののちの和船となるものかもしれない。
平底箱船。タライのでっかくなったような船。

そこで、磐船・鳥船をどんな船と想像できるか。

絵画土器・絵画銅鐸・舟形埴輪の船だろうと思う。
丸木船の進化形。

鳥船について、面白いのが、宝塚古墳の舟形埴輪。
復元模型には、蓋がついていて、その上に鳥が乗っているように見える。
おおっ、鳥船だ!なんて思うのは、これまた私だけかも。

[565] Re[564][563][561]: 磐船/鳥船・アイヌ語の不思議  神奈備 2004/02/19(Thu) 08:35 [Reply]
チルチル満チル

> なんかとても不思議ではあります。

高天原は、青雲の靄く極み、天の血垂飛鳥の禍無く、掘り堅めたる柱・桁・梁・戸・^窓の錯ひ

「天の血垂飛鳥」の周辺も同じように語呂が似ているのでしょうか。

[564] Re[563][561]: 磐船/鳥船・アイヌ語の不思議  大三元 2004/02/18(Wed) 22:39 [Reply]
> 鳥船、同じではないのかな。神様で言えば天鳥船命、天磐樟船神は同じ神様 by 平成。

アイヌ語で
船 chip
鳥 chir ∴ 鳥船 chir chip → 秩父???
岩 chis ∴ 岩船 chis chip  同上

また、垂れる chir
天の血垂り飛ぶ鳥 血がchir飛ぶchir

なんかとても不思議ではあります。

[563] Re[561]: 磐船/鳥船・妄想  神奈備 2004/02/18(Wed) 20:38 [Reply]
船には川船と海船があり、川船は底が浅く平たい。
海船は底が深くとがっていなければ、安定はしません。従って海船は一般的には構造船でしょう。
もっとも、筏ででも東シナ海は渡れたのかも。
川船は丸木船でも筏でも良いのかも。

で、饒速日尊は天磐船にのって哮峯に降臨しました。これを交野の磐船神社付近とか二上山付近としますと、川を遡ったことになります。最後は川船。
この川船に乗り換えるまでは、瀬戸内海を構造船でやってきたのかも知れません。誰が川船を造ったのだろう。海船を解体、川船にしたか。
大阪城付近にあったと言う磐船神社付近を上陸地と推定すれば、海船だけで川船は使用していない。この方が侵略する行動には常識的。

天磐船と天鳥船、同じではないのかな。神様で言えば天鳥船命、天磐樟船神は同じ神様 by 平成。

[562] Re[560][559][558][557]: 九頭神社あれこれ  神奈備 2004/02/18(Wed) 18:31 [Reply]
神奈備掲示板[4884]> 大月氏など諸民族がインダス流域へ南下して建国されたのがクシャーナ朝で仏教を重んじた国です。

この国の王女様の苦難を牛頭天王が救ったってな話、ありませんか。
櫛稲田姫と素盞嗚尊、いや青草でした。


> 猪名川水系を中心に点々と分布しているような感じです。・・銀・銅の鉱山関係なのでしょうね

猪名川町の大野(おおや)山があり、麓の五十猛命は鉱山や精錬に関係する人々が祀ったのかも知れません。
尼崎の須佐男神社はどうも水害と疫病から守ってほしいと言う勧請のようですね。

[561] 磐船/鳥船・妄想  恋川亭 2004/02/17(Tue) 21:51 [Reply]
【天磐船】:舳先や艫が盛り上がった大型の構造船。何人もの人員や物資、馬などを乗船できる輸送・補給用?刳り舟などに比べると岩のように大きい。その大きさや色、船腹の板を重ねた様子が、ちょうど海岸の岩場などにある、波や風で浸食され横縞の層状模様になった巨岩に似ています。

【天鳥船】:舷側にいくつもの櫂や櫓が並んでいる船。鳥の羽ばたきのように一斉に動いている様子から。櫓の水をかく部分を脚とか羽とも言いますし。帆も併用し高速で進んだのでしょう、軍用?

 いずれも丸木舟ではなく、立派な構造船というところが『妄想』。ある本に、丸木舟が発掘・出土する例はあっても、大型の船だと朽ち果てる前に用材として解体されるだろう(だから出土することはない)とありました。〔納得〕
記紀の情景が少しビジュアルになってきました、幻覚?(^^;

[560] Re[559][558][557]: 九頭神社あれこれ  恋川亭 2004/02/17(Tue) 18:40 [Reply]
「多田について」
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bacas400/noho/kot/zab/tada.html
 これによると、源満仲が射抜いたのは、多田にあった大沼の主である白龍大神の目だったそうです。その白龍大神は川西市小戸にある小戸神社に祀られているとか。いろいろパターンがあるのですねぇ。「矢問(やとう)」の地名起源は同様で、射った矢を問うたから、ということですが、「夜刀の神」のヤトが思い浮かびます。

 さて、伊丹市の猪名野神社の御祭神:猪名野坐大神=素盞嗚尊。阪神間の中では久々知須佐男神社もそうですが、この辺りに『祇園さんが多いような気がするナ〜』と思ったので、地図から挙げてみました。

素盞鳴神社:
 (川西市)石道、西畦野。(猪名川町)上野、広根、松尾台、槻並。
 (宝塚市)切畑、長谷。
八坂神社:
 (猪名川町)猪渕、下阿古田、木津、林田、杉生、柏原。(川西市)国崎。
広峰大明神:(猪名川町)広根。
平野神社:(猪名川町)差組。(川西市)笹部。
(平野神社が素盞鳴尊を祀っているのか不明なのですが)

 猪名川水系を中心に点々と分布しているような感じです。神奈備内集録神社集で指摘されていらっしゃるように、銀・銅の鉱山関係なのでしょうね。尼崎の久々知の須佐男神社は集積センター?今も昔も工業地帯だったりして。大百足や大蛇が退治される物語の裏には・・・。

別件:この社↓、地図にありました。???
篠山市下筱見(しもささみ):九頭女神社

[559] Re[558][557]: 九頭神社あれこれ  神奈備 2004/02/16(Mon) 08:22 [Reply]
>  能勢電鉄で日生中央駅まで出てうろついたことがありますが、車でないとかなり不便です。途中でギブアップ、北田原までは行きませんでした。

北田原?
『摂津名所図絵』河邊郡によれば、九頭神祠のことが記載されています。
本多田村にあり 云々と書かれており、五月山の白髪老翁が現れ、昔、田原藤太秀郷に滅ぼされた近江国三上山の百足の麁魂が九頭の大蛇となって方境一里に住む村民を悩ましていると教えたとあります。

田原藤太と言えば、東国の英雄平将門を倒したことで有名ですが、彼もまた平将門とほぼ同じ立場の反平安朝の人間で、クズの末裔だったのでしょう。朝廷筋からささやかれる昇進や耽美な叙勲の話などに迷ったのでしょう。
クズの末裔にクズを倒させる、いつの世でも有効な手段。

[558] Re[557]: 九頭神社あれこれ  恋川亭 2004/02/15(Sun) 23:42 [Reply]
最近ずっと、フィールドをさぼっている県民です。

> 兵庫県川辺郡猪名川町北田原字上山31の高皇産神社

 さりげなく、摂津→丹波→但馬ルート上のポイントがおさえられていたりして・・・。兵庫県の武庫川・猪名川流域はマイナーですが、奈良の竜田川流域(平群)や、京都・奈良県境の木津川流域と同様な要注意箇所ですね。
 さて、県外の方の為におせっかい。猪名川というのは大阪府と兵庫県の県境の一部になります。ちょうど伊丹・大阪空港の横を流れている川です。猪名川町は宝塚市の東隣り、北に丹波篠山。大阪湾沿いの地域とは雰囲気の変わる山の中です。ちょっと平群に似ているかも。
 能勢電鉄で日生中央駅まで出てうろついたことがありますが、車でないとかなり不便です。途中でギブアップ、北田原までは行きませんでした。阪急電車の川西能勢口駅からバスで川西篠山線を北上するといいでしょうね。
 この「高皇産神社」には丸山(214m)を意識してます。この近辺には素盞鳴神社や戸隠神社が目立ちますね。川西市一庫(ひとくら)にも「高皇産霊神社」があります、ポツンと。

> 摂社に九頭神社「渡津神」が鎮座
「渡津神」!!? 勉強になります。m(__)m

> 池田五月山
低いのに目立つ山で、素人が見ても『なにか遺跡がありそうやな〜』という印象でした。多田や矢問の地は、北田原からかなり下流で離れているのですけど・・・ネ。

[557] 九頭神社あれこれ  神奈備 2004/02/15(Sun) 20:14 [Reply]
久々知須佐男神社に伝わる伝承
 多田満仲公は摂津国守に赴任すると、住吉大神の御信託によって当須佐男神社のこの石の上から矢を放った所、矢は雲の上遥かに飛び上がり、池田五月山から戊亥(西北)の方向にあたる谷蔭の深いところに光を放って落ちていった。

 満仲はその放った矢を問いながら来られた処、頭が九つもある大蛇に突き刺っており、大蛇から流れた血水跡はまるで紅の河のようになって流れた。早速大蛇の首を切り、九頭の明神とあがめ祀った。大蛇の地水の引いた所が多くの田のようになっていたので、所の名を多田と名付けた。また矢を問いながら来た所から、矢問という地名もつけられた。

 兵庫県川辺郡猪名川町北田原字上山31の高皇産神社の摂社に九頭神社「渡津神」が鎮座、五月山から北西に当たる。

[556] Re[550][548][545]: 氏神様を探しています  なにがし 2004/02/14(Sat) 12:09 [Reply]
こちらこそごぶさたしております。
最近はたまに冊子への原稿作成をしています。丹生に関する文章ですが、伝承などを紹介しながら書いています。発行されるかたへご迷惑かからないようできるだけ私見をかかないようにと思っているのですが、熱が入るとついつい。あとで頭がさめてから見なおして書きかえている始末です。文章書くのが下手なので悪戦苦闘しております。
こちらの掲示板には毎日こさせて頂いているのですが、難しいないようだったので、最近なかなか書きこめませんでした。毎日楽しく拝見させて頂いておりますので、今後とも宜しくお願い致します。m(_ _)m

[555] Re[552][551][543][537]: 天津甕星神  神奈備 2004/02/12(Thu) 11:16 [Reply]
> ちなみに三日月状態のときに大きくなります。

そうですか。なんか嬉しいですね。

所で、犯人を”ホシ”と言うのは、古いんでしょうか。
日本生命?? 日が生まれる、いい字ですのに・・・。

[554] Re[553]: これはなに?  神奈備 2004/02/12(Thu) 11:12 [Reply]
> 神奈備掲示板 [4850] 様々な季節  加奈も年頃
>
> これは何ですか?

よくわかりません。アダルトサイトの宣伝ならはっきりするんですが・・・。無視しております。

[553] これはなに?  玄松子 2004/02/12(Thu) 10:05 [Reply]
神奈備掲示板 [4850] 様々な季節  加奈も年頃

これは何ですか?

[552] Re[551][543][537]: 天津甕星神  ある人 2004/02/12(Thu) 08:34 [Reply]
> 所で、裸眼で満ち欠けがみえたんかいな。

金星の満ち欠けの発見はガリレオの弟子ということです。当然、望遠鏡による観測。
昔は『裸眼で金星の満ち欠けが見えた』人が居たという青草話しを、かなり以前にどこかで読んだ記憶があります。眉唾っぽいですけどね。しかし、月の満ち欠けと異なり、金星の満ち欠けは、その見かけの大きさがかなり変化します。そこのところぐらいは、昔の人も気づいていたかも知れません。ちなみに三日月状態のときに大きくなります。

[551] Re[543][537]: 天津甕星神  神奈備 2004/02/12(Thu) 07:54 [Reply]
日月神社のお話がお隣であり、そこに三日月神社もあります。
満ち欠けをする星−金星−を月になぞらえてミカホシと呼んだこともあったかも。
甕星、天甕星、金星。

所で、裸眼で満ち欠けがみえたんかいな。

[550] Re[548][545]: 氏神様を探しています  神奈備 2004/02/11(Wed) 21:06 [Reply]
なにがしさん ご無沙汰。
板東での活躍、拝見いたしております。

[549] よりしろ  羽降人 2004/02/11(Wed) 19:48 [Reply]
色々あるんですね・・・

[548] Re[545]: 氏神様を探しています  なにがし 2004/02/11(Wed) 00:32 [Reply]
> というのも父の故郷筑波では氏神様は石とか藁人形を指すのです。
たぶん依代としてなんでしょうね。その石にどちらの神様がやどられてるかでしょう。私のしっている御神体、分身のよりしろとしては木、稲穂、熊手、石、鏡、神社でふってる紙ががついたやつなどなど。岩や瀧のところもあるかもしれませんね。

[547] ありがとうございます。  羽降人 2004/02/10(Tue) 16:57 [Reply]
お早いお返事ありがとうございます。
筑波市鬼が窪というところです。姓は大里。沖縄の大里鬼の話とかふーんと見てたんですけどね。
昔の人は神棚を作るのが大変なので石とか藁人形を家の守り神として祀ったらしいです。
関西の人はしないらしいですがこれは事実ですよ。
>丹生都比売は丹生都比売、豊宇気毘売神は豊宇気毘売神。
間違っていましたか。ご気分を害し申し訳ありません。>サイト
諏訪明神様が氏神とはっきり書かれているとは驚きました。感謝です。

[546] Re[545]: 氏神様を探しています  神奈備 2004/02/10(Tue) 15:20 [Reply]
> 父の故郷筑波では氏神様は石とか藁人形を指すのです。
筑波と云っても広うござんす。
御神体のことでしょうか。藁人形とは穏やかならず。
石尊さまと呼ばれる阿夫利神社が武蔵には多いようですね。

> うちは秩父丹党なので
http://www.ksky.ne.jp/~imatakao/top.html
丹生明神、否、諏訪社とか。
境内神社に丹生神社を持つ諏訪八幡神社が埼玉県飯能市飯能諏訪前に鎮座、お近くならばちょうどいい。

> 父の故郷
を管轄する神社庁に問い合わせて下さい。

> 丹生都比売は天照大神の御妹と言うことで、豊宇気毘売神と考えてよろしいのでしょうか。壱与は卑弥呼の妹でしたから、この反映でしょうね?違うと思います。丹生都比売は丹生都比売、豊宇気毘売神は豊宇気毘売神。また豊宇気毘売神は天照大神の妹とは初耳です。
突然『倭人伝』が登場しますが、神々との関連を軽々しく云う気にはなれません。神典ではなさそうです。

[545] 氏神様を探しています  羽降人 2004/02/10(Tue) 14:13 [Reply]
はじめまして。初めて書き込みさせていただきます。
先日一念発起いたしまして神棚を作ろうとしましたところ氏神様というところで困ってしまいました。
というのも父の故郷筑波では氏神様は石とか藁人形を指すのです。
「なんでもいいんだ」「(なんでもいいって・・・)」
先祖の土地で祀られてる神様が良いということで、うちは秩父丹党なので丹冶比・・・丹生・・・?
ってことで縁あって参ったわけです。
丹生都比売は天照大神の御妹と言うことで、豊宇気毘売神と考えてよろしいのでしょうか。
壱与は卑弥呼の妹でしたから、この反映でしょうね??トヨ「ウケ」姫神・・・ウケって・・・宇迦之御魂神?
と考えるほど深みにはまっていくのですが、もう一つ気になることが。
丹生都比売神社のあるのは「伊都」郡ですがとなりの「那珂」郡は群馬丹生湖の近くにもあったのです。
(武蔵国側でしたが)この「ナガ」は「蛇」だそうですので蛇を崇拝・・・越人・・・?ちょと遠い・・・・・高き御霊ナカ(タ)???
和歌山の対岸の徳島にも那賀川がありますよね。ヤマタノオロチ退治をアカデミーでは川の治水と見るらしいですが。
でも丹生自体は秩父がそうであるように鉱山の意味みたいで・・・色々考えましたが力不足のようで。
どうか氏神様をはっきりさせていただけないでしょうかm(_ _)m<お願いします

[544] おしてる難波の語義  大三元 [Url] 2004/02/10(Tue) 00:15 [Reply]
「おしてる」とは何のことか。
何故「難波」に係るのか。「難波」の原形は?
そんなことを考えてみました。
http://www.dai3gen.net/ositeru.htm
にアップしました。

[543] Re[537]: 天津甕星神  ある人 2004/02/10(Tue) 00:09 [Reply]
 旧正月に沖縄・久高島のアンマーから、またサーターアンダギー(揚げ菓子:沖縄ドーナツとも)が送ってきました。宅配便の品名欄には「天ぷら」と記載、この感覚がイイ!
たった数日の滞在でしたのに有り難いことです。祭礼行事は旧暦で続けられているのですね。

 久高島では、自然神として太陽・月・海、人格神として常世神・来訪神・先祖神・守護神など、生活神として火の神・水の神・屋敷神など、その他、多くの神々の観念がありました。ここで『神々の原郷・久高島』(比嘉康雄著・第一書房)から抜粋してみます。
 『太陽と月は久高島における最高の神として観念されているが、他の神々のように依代の香炉も神職者もおらず、太陽と月は、昼と夜をもたらし、夏と冬をもたらし、すべての生きとし生ける物の生命を育んでくれる最も尊い神々として、ただただ仰ぎ奉るのみで、恐れおおくも人間界に直接降臨するとは考えていない。』(上巻・第1部・第8章:久高島の神概念)

 常世(ニライカナイ)の神々の出現は明け方の時刻ですし、午前中の昇るときに太陽の守護力が強いとされて、健康祈願などの願いごとは午前中に済ますようです。
 そして中天に昇りきった太陽は、その強力な炎熱ゆえむしろ恐れられています。4月末なのに10分も外に居たら、真っ赤かに日焼けしました。
 さらに西に傾きはじめた太陽は、死者供養などの願のときであり、避けられているようです。『昇る太陽は拝んでも、沈む太陽は拝まない』という諺が沖縄にあるそうで、伊波普猷の著書には「落ち目の人を見捨てるという、良くない傾向」という意味を書いてありました(ホンマカイナ)。
 久高島では、太陽・月はシジ(セジ:霊威)の憑依する依代のない神、とされているのですね。しかし、常世には「アガリ大主」といった、明け方の日の出の太陽の霊威を受けた大神や、日没の太陽の霊威を象徴した神の神職者は居たのです。このへん、とても微妙で繊細なお話しですねぇ。

 振り返って、ヤマトでも天照大御神を太陽神、月読尊を月神と単純化し過ぎると、見誤ることがあるかもしれません。天照大御神とは太陽が世界を照らす霊威を受けて顕現された神、月読尊とは月が刻々と満ち欠けし変化していく営みを象徴した神、かもしれませんね(仮想ですが)。

> 高照比売 これから昇る金星 明けの明星
> 下照比売 これから下る金星 宵の明星

とても参考になりました。

[542] Re[541][540][539]: 押し照る   大三元 2004/02/08(Sun) 22:00 [Reply]
> > 何の「祭りの庭」なのか、河内王家の相続の祭り(八十島祭りの原形)に比定出来るかと探索中。
> > この探索には是非成功を! なにわの連中、ないて喜ぶかも。

神奈備さんの掲示板でも一時話題を振って居られた『古代王権の祭祀と神話』岡田精司著で殆ど良いのじゃないかと思ってるのですが、この本なかなか難解で・・・

[541] Re[540][539]: 押し照る   神奈備 2004/02/08(Sun) 21:19 [Reply]
> 何の「祭りの庭」なのか、河内王家の相続の祭り(八十島祭りの原形)に比定出来るかと探索中。

この探索には是非成功を! なにわの連中、ないて喜ぶかも。

QUBOさん こんばんは。

金星が地球に接近する時に地震が多いといいます。

『常陸国風土記』行方の郡の条に「倭武天皇が鴨を射落とす。」話が出てきます。他に鳥を射るような話はありませんので、実に意味深かと思っています。葛城の麓から流れ着いた土蜘蛛と鴨、彼らが倒された物語かと。

 日立市の大甕神社に伝わる伝承では、天津甕星は建葉槌神に滅ぼされるのです。織物の神にやられる、これは「強い相手をからめとる網」としての役割だとか。あたかも高尾張邑の土蜘蛛を葛で一網打尽にした物語の再現。

鴨と金星、鴨と天津甕星とどうつなぐか、高照、下照、あきらめてはいませんよ。

[540] Re[539]: 押し照る   大三元 [Url] 2004/02/08(Sun) 12:15 [Reply]
琉球語を参照して、
オシ は (日月が)照る の意味
テル は 日本語でも行われている 照る
難波 は 真庭 の訛り

オシテルナニハ とは 陽光燦々たる祭りの庭 と解きました。
URLご参照。または、『初期天皇后妃の謎』p72〜ご参照。
何の「祭りの庭」なのか、河内王家の相続の祭り(八十島祭りの原形)に比定出来るかと探索中。

[539] 押し照る   QUBO 2004/02/08(Sun) 10:50 [Reply]
万葉集4245
…青丹よし 平城(なら)のみやこゆ 押し照る 難波に下り 住吉の…
真弓常忠「住吉信仰」P8、目次が終わった文章部分の冒頭にありました。

以前、恋川亭さんがカキコまれた下照媛のイメージが強烈だったので。
上記の部分を読んだとき、日の光がサッと差し込む状態を「押し照る」
とも表現できるのだなーと勝手解釈、感心しました。 

以前の「習志野のテツ」です。ご無沙汰してます。諸般の事情から
習志野に余り居ないのでQUBOに改名しました。

[538] Re[537]: 天津甕星神  大三元 2004/02/08(Sun) 00:37 [Reply]
> 高照比売 これから昇る金星 明けの明星
> 下照比売 これから下る金星 宵の明星

私の仮説では、下照 とは シナテル の訛りで 太陽が・照る の意味なので
高照と矛盾はしない、というものなのですが、さて。。。
『初期天皇后妃の謎』お買いあげありがとうございました。P75ご参照

[537] 天津甕星神  神奈備 2004/02/06(Fri) 17:51 [Reply]
徐々に日が暮れる時間が遅くなって来ました。夕刻、金星が西の空に輝いています。これを宵の明星と云います。明け方の金星はあけの明星と云います。
相撲での金星は褒められるのですが、神としては天津甕星神として、記紀を記述した王権には悪神とされています。
面白いのは野見宿禰に金星を献上してしまった当麻蹴速の故郷が当麻郷で金星を退治した倭文神天羽雷命を祀る式内大社が鎮座、土蜘蛛の統治者だった阿遅鋤高日子根神を奉じる鴨族を退治したと云うお話かも。

で、
阿遅鋤高日子根神の妹神に高照比売、下照比売(下光比売)の名があります。(ほかに比売許曽とか稚国玉とも云うようです。)同じ神に、かたや「高」かたや「下」とはどうしてでしょう。物の本を読むと、高い所から下を照らすから同じ意味としていたと記憶していますが、これなら何でもありの説明になり、到底納得できるものではありません。
高照比売 これから昇る金星 明けの明星
下照比売 これから下る金星 宵の明星
と。

[534] Re[533][532]: ああ、土蜘蛛  マルヤ 2004/02/02(Mon) 21:09 [Reply]
神奈備さん、こんばんは。
貴重な示唆を頂きありがとうございます。

青草とはいえ神奈備ファンの集う第二神殿、
要らぬたわごとを書いてしまいました。
失礼いたしました(自戒)

[533] Re[532]: ああ、土蜘蛛  神奈備 2004/02/01(Sun) 21:51 [Reply]
マルヤさん こんばんは。
滅ぼされてしまう先住民を土蜘蛛と称しているようです。
http://homepage1.nifty.com/moritaya/tutikumo.html
ぺぎらさんの土蜘蛛リストには記紀風土記から纏めて頂いています。彼らがどうなったかについては触れられていませんが、ほとんどが殺されてしまったのでしょう。
服従したり従順だったりで、生き残ったものは國巣と言う。
一時、盛んに話題になった多くの国津神社、葛神社や宇陀郡大宇陀町嬉河原字宮ノ前一七四に鎮座と言う屑神社の名前に残っているとか。


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