青草掲示板ログ平十九年四月 2007.4
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[3028] re[3027] m(_ _;)m 拝啓っ 弐  MADOKA [Url] 2007/04/29(Sun) 08:25 [Reply]
白い風さん はじめまして!

>何歳の時かによって、時代背景がおぼろげながら判るのではないかと・・・もう少し探してみます。

興味ぶかく拝見しました
また 判明 または新発見があったら書き込んでくださいね!
待ってまーーーす
(*^0^*)/

[3027] m(_ _;)m 拝啓っ 弐  白い風 2007/04/29(Sun) 01:27 [Reply]
橋本拓也様ありがとうございます。ただ白毫の痕ならば、傷とは書かないと思います。1つではないようですから・・・。
帝説の574年生まれで数え13歳の時の像とすれば用明元年(586年)、穴穂部皇子が守屋に命じて三輪逆を殺させた時?14歳の像とすれば用明2年(587年)、太子孝養の像?守屋討伐軍?何歳の時かによって、時代背景がおぼろげながら判るのではないかと・・・もう少し探してみます。

[3026] 檜原神社と太陽の道  MADOKA [Url] 2007/04/29(Sun) 00:59 [Reply]
ん?なんか 呼びました・・・(^^)/
例の奈良盆地の太陽の道 観測点?
檜原神社ではないかと?

産経新聞の時空散歩の奈良盆地の記事を読んで
ふと
やはり 国中と呼ばれる地域が観測場所であろう
檜原神社の占め縄のある参道の鳥居は
二上山に真西に向いている

実は昔 檜原神社にいったおり 二上山を見て、
私は直感的に ここに違いない!と思った!
方向とか情報が得られなかったのでそのままでしたが。。今回記事を読み確信。(太陽の道については書かれていない)

&イワクラもあるようですし!
『6、檜原神社』
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/miwameguri.html#6

で! くずさん!
真西(二上山)に日が沈み
真東(三輪山)に日が昇るのは何時でしょうか??

観測者??は
ZOUさん タイシさん サングリーンさん
にお頼み申す!!(*^0^*)/


[3023] Re[3022]: 責任の重さ  サン・グリーン 2007/04/28(Sat) 10:14 [Reply]
親友の従姉妹が高松塚発掘の故・某教授のご令室なのです。
モレ伺ったところ、教授は最後まで高松塚解体に反対されて心を痛めておられたとか…
発掘してしまった責任の重さを感じでのことだったのではと思いました。
前文化庁長官も体調を壊されているそうですよ。まさに命がけの責任?????
>
>  神奈備としてはこのような不毛な話はここでやめます。
私も神奈備さまに賛成(*^_^*)
MADOKAワールドの話題をひっさげて楽しい掲示板にしてください。
姉御の登場を期待していまぁ〜す。

[3022] 責任の重さ  神奈備 2007/04/28(Sat) 07:50 [Reply]
 「責任」から「責任があると言う意識」に後退ですか。
  馬鹿の友さんがお書きのように「責任」とは命がけで果たすものです。軽々しく「責任」と言う言葉を使わないでほしいものです。

 国民に責任ありなどと言いふらすのは、文化庁の怠惰・無能・無責任な役人などは国民に責任を押しつけておいて、自らの責任をうやむやにする魂胆なのでしょう。そのような話と地域社会で果たしていく責任とは違うものです。役人の口車にまんまとのって来たからこんな国になったのです。

 神奈備としてはこのような不毛な話はここでやめます。

[3021] 意識を持つということが大事  橋本拓也 2007/04/27(Fri) 22:16 [Reply]
古跡人様御意見有難う御座います。
 高松塚古墳については管理責任は文化庁にあると思いますが、直接国民に責任が無くても、やはり国民1人1人が高松塚古墳をじめ文化財を後世に伝える責任があるという意識を持つことが大事だと思います。古い町並みが残っている所は地域の人が地域のことを考えているからです。自分の家から火を出さない、そして地域からも火を出さないという意識があるからです。

 
 

[3020] 個別の文化財  古跡人 2007/04/27(Fri) 21:14 [Reply]
埋蔵文化財に限らず、個別の文化財の保存は、その地域地域の人々によって守り伝えられている地域が多いです。
特に埋蔵文化財を(古墳など)はその所在している地域の方々が、自発的に保存に尽力されているのをよく見かけますし、またその地域にすんでおられる方の、文化財に対する認識や造詣が深い感じがいたします。
保存に関しては、地主さんやその遺跡が所在している市町村などの理解力が不可欠なのですが、やはり市町村などが方向性を示す前に、その所在している地元の理解力の差に種々の問題が出てくるかと思っております。
ただ個別の遺跡の問題ですが、これを保存し後世に伝えていくのは、今の私たちに責任の一端は少なからずあると思っております。
過去に破壊された古墳・遺跡も数多くありますが、現在までに保存されている遺跡・古墳も数多く存在しているのです。
と言うことは、先人たちが保存してくれていた古墳・遺跡もあるという事で、やはり私たちも後世に伝えていくという責任はあるのではないでしょうか?

[3019] Re[3016]: 個別の文化財は誰が後世に伝えるか?  馬鹿の友 2007/04/27(Fri) 19:38 [Reply]
 秋田のオシン婆ちゃん、種子島の鉄爺さん、高松塚古墳って知っているでしょう。作業員が除菌もせずに入って黴を生やしたり、絵が描いてある壁を傷つけたりしたんです。

 それは、婆さん、爺さん、あなたの責任だって。

 死んでお詫びしますか。老後の蓄えを供出しますか。

 さあ、さあ、どうするつもりですか。返事をしなさい。


 そう、可哀想だから今持っているお金でこらえてあげましょう。はい、すぐ出しなさい。



 これで全国行脚して下さい。儲かりますよ。

[3018] Re[3014][3013][3010]: 高松塚古墳  サン・グリーン 2007/04/27(Fri) 07:34 [Reply]
素人さま
というより、鉄の専門家さまとお呼びしたいです(*^_^*)
お近くであればぜひ、井関先生にご紹介したいのですが…

「手で曲げられる軟鉄塊の生成に大変意味があります。」
そうなんです、どうして鉄を見分けるのかと思っていたら、小さな石ころみたなものを二つ触らせて頂きました。ひとつは柔らかく、それが鉄だったのです!
先生はナイフぐらいなら作れると言われていました。
私は古事記の見地から
アジスキタカヒコネ、トヨスキイリヒメの「スキ」の名が鉄関連だと睨んでいます。
戦争用に鉄を大量生産する以前は、こうして自然の風で気長に農耕用の鉄を作ってのどかに仲よく自然の営みをしていたのでは? そう考えればアジスキタカヒコネ(鴨一族の長)がアマテラスと並んで大御神の称号をかぶせられているのも納得! とひとりで夢想しています。



[3017] 聖徳太子  橋本拓也 2007/04/26(Thu) 23:40 [Reply]
 仏像(彫刻でも絵画でも)の額には白毫というものがあります。ここには彫刻なら水晶などがはめ込まれています。ただ聖徳太子像には白毫はなかったと思います。太子は人間ですから・・・ 
ここでいう秘仏は聖徳太子でしょうか?秘仏であれば仏像なら白毫があるでしょう。
 聖徳太子○歳の像ならばどれも傷があるのでしょうか?

[3016] 個別の文化財は誰が後世に伝えるか?  橋本拓也 2007/04/26(Thu) 22:46 [Reply]
個別の遺跡を後世に伝える責任は国民に無いということですか?
私の地域には文化財が沢山有りますが、地域の人たちは受け継いできたのだから地域で守って後世に伝えようと言っていますが、個別の文化財ですので地域の人たちは後世に伝える責任は無いのでしょうか?(遺跡でも有形・無形文化財でも同じ)この人達の考えは間違っているということですか?
 高松塚古墳は国宝ですからやはり国民(もちろん行政や地域の人も含む)に後世に伝える責任はあると思います(管理責任は文化庁)

 個別の文化財について後世に伝える責任は誰にあるのでしょうか?皆さんの意見をお聞かせ下さい。

[3015] m(_ _;)m 拝啓っ  白い風 2007/04/26(Thu) 16:03 [Reply]
初めまして。
「聖徳太子像の額の傷」をネットで調べている時に、このページ見つけました。
早速で申し訳ないのですが、ご存知でしたらご教示願いたいのです。10年ぐらいになるのでしょうか、図書館で借りた本(著者もタイトルも出版社も覚えておりません)に、「聖徳太子の○歳の像には、額に傷がある」。どこかの「秘仏」にもある・・・ということを読んだ記憶があります。図書館8箇所利用しており、昨年から図書館めぐりしましたが、借り出されておるのか、書庫に入ったか見つかりません。
何歳の時の像なのかを知りたくて、メールしました。ご存知の方宜しくお願い致します。

[3014] Re[3013][3010]: 高松塚古墳  素人 2007/04/26(Thu) 01:15 [Reply]
サン・グリーンさまご無沙汰しておりました。
> 古代の製鉄の定説(製鉄技術は大陸から)がひっくり返るかも?
このような低温還元直説法で生成した鉄から不純物を鍛造によって搾り出したものを業界では「塊錬鉄」と言われているようです。特徴はFeO(ウスタイト)、2FeO・Sio2(ファイアーライト)などの不純物の径が大きい。
従来、鉱石を低温還元すると海綿鉄が出来るので海綿鉄を加熱鍛造して「塊錬鉄」が出来るなどと書いたものを見ました。前の実験や今回の報告書を見ますと軟鉄塊が出来ているようですから純鉄に近いものであれば、最終的に1500℃以上の高温でなければ海綿鉄は溶解しないわけです。原始的な炉では1500℃以上の高温は炭では出るわけがありません。前にも書いたのですが、海綿鉄の一部が酸化燃焼(鉄が燃えた)を起こして1500℃以上の高温を発生したと推定されます。この熱で海綿鉄が軟鉄塊になったのだと推定されます。手で曲げられる軟鉄塊の生成に大変意味があります。
この辺が重要かと思われます。
鍛冶炉で加熱しながら鍛造して不純物を取り除けば塊錬鉄となります。
後は、鍛冶技術で還元雰囲気で浸炭させれば鋼を作ることも出来ます。
無意味ですが浸炭を進めれば白銑鉄さえ作れるようです。
紀元前9世紀の開発で中国では最古の鉄です。たしか、箱型の背の低い炉でした。
青草ですが、参考までに。

[3013] Re[3010]: 高松塚古墳  サン・グリーン 2007/04/25(Wed) 07:47 [Reply]
素人さま

> 話は変わりますが、相変わらず鉄に興味を持って調べていたら
> 前にこちらで出てきた、アフリカの製鉄についての井関教授の報告書を見つけました。
> http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/kiyou/pdf/kiyou29/kiyou29_06.pdf
> 大変に詳しく解説されていて参考になります。
> 鉄鉱石は焼いて小割して使っているようです。鉄鉱石を使用した日本の岡山の初期の製鉄と同じです。
> 簡単な技術で1000℃以下の低温でかなりの収率で軟鉄が生産されることが驚きです。こんな方法で古代日本でも作ったのではと夢想してしまいます。低温なのでノロモあまり出ないようです。

井関先生のレポート発見!してくださってうれしいです。(先生も知らなかったようですよ)

以前にも書きましたが、大阪芸大で現場作業を見せて頂きましたが、
まるで焼き芋でも焼くみたいに鉄が作れるなんて! (*^_^*)
という私の感想が理解していただけたでしょうか!

井関先生は暮にも一ヶ月近くアフリカに行かれて、何か会得してきたようです。
今年の夏にはどこかの山奥で、また製鉄作業を実験するから見に来るか?言われていました。
私は鉄作りの行程に興味はありませんが、先生がなにかすごいことをしてはることだけは判ります。ただし、先生は本当は染色、工芸(機織り)がご専門なんですよ。
古代の製鉄の定説(製鉄技術は大陸から)がひっくり返るかも?

[3012] Re[3009]: 無題  神奈備 2007/04/24(Tue) 08:15 [Reply]
 支那事変などの戦争責任は国民にあっても、個別の戦闘で一つの砦を落とせなかった責任は国民にはありません。

 国民は税金を支払い、文化庁を始め各地方自治体における遺跡の発掘・保存に協力してきました。マクロには責任を果たしているのです。

 個別の遺跡について国民の責任とするのはおかしいよと指摘しているのです。

[3011] 無題  橋本拓也 2007/04/23(Mon) 23:44 [Reply]
 発掘調査の10年前に凝灰岩の四角い切石が発見されており、遊歩道の設置に伴い古墳の近くを通ることから明日香村の依頼により発掘されるようになった。この付近は渡来人との繋がりが深い桧隈といわれる地域です。かつて文武天皇陵に比定されていましたから発掘する前からある程度の期待があったわけです。壁画という期待以上のものが出てきたわけですから対応できなかったかも知れませんね。壁画の対応は無理かな!壁画を発見したその日に科学者に連絡してもよかったと思います。例えば奈良教育大学など・・・
 壁画の発見が3月21日で担当者が盗掘孔から覗いたところ壁画が見えたということです、そして翌日に写真撮影に取り掛かかるとともに、中に人が入って調査を平行した。つまり文化庁に移管するまで石室内に人が出入りしているわけです。この時外部からカビの原因となる微生物を持ち込みまた、人体からの発汗もあるでしょう。事実すぐにカビの発生が確認されています。すぐ写真を撮影したのは良かったと思いますが、撮影後すぐ密閉した方が良かったのではないかと思います。カビなどを中に閉じ込めた状態で密閉したわけです。石室内に人が入ることについての影響が当時奈良教育大学の科学者が指摘されています。覗いてから石室内に入るまでの間科学者になぜ指導を仰がなかったのでしょうか?
 掘る前にこれが出てきたらどうするかなんて誰も考えませんよね、出てきてから慌てるんですが、今でもそうです。自分が発掘していましたから自分も含めて反省しなければなりません!

[3010] 高松塚古墳  素人 2007/04/23(Mon) 23:36 [Reply]
青草ばかりですが、書き込みさせていただきます。
新聞に高松塚古墳で手抜きなんて載っていました。
国宝なのに施工時の手抜きではイメージダウンは免れません。
この時期に水を注すようなニュースですが、詳細をご存知でしたら
ご指導ください。
話は変わりますが、相変わらず鉄に興味を持って調べていたら
前にこちらで出てきた、アフリカの製鉄についての井関教授の報告書を見つけました。
http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/laboratory/kiyou/pdf/kiyou29/kiyou29_06.pdf
大変に詳しく解説されていて参考になります。
鉄鉱石は焼いて小割して使っているようです。鉄鉱石を使用した日本の岡山の初期の製鉄と同じです。
簡単な技術で1000℃以下の低温でかなりの収率で軟鉄が生産されることが驚きです。こんな方法で古代日本でも作ったのではと夢想してしまいます。低温なのでノロモあまり出ないようです。
青草の蛇足でした。

[3009] 無題  橋本拓也 2007/04/23(Mon) 22:44 [Reply]
「私には言えない」ということで誰が言ったかでありません。
後世の人に高松塚古墳は・・・は私が言っているのです!

[3008] どんたく様へ  ノルン 2007/04/21(Sat) 01:11 [Reply]
ありがとうございます。探してみたいと思います。また、分からないことなど伺いにまいりますので、その時は、よろしくお願いいたします。

[3007] Re: はじめまして  どんたく 2007/04/21(Sat) 00:52 [Reply]
#3006 ノルンさん、はじめまして。 どんたく と申します。

>出来れば、延喜式祝詞について書かれているものがあればと思っております。

「古事記 祝詞」日本古典文学大系 岩波書店
には、祝詞の読み下し文がありますが、これではだめでしょうか?

どんたく
WindowsXP(Home Edition) SP2
CMN v0.50dβ + YosPad 1.42

[3006] はじめまして  ノルン 2007/04/20(Fri) 19:36 [Reply]
神話に興味があり、拝見させていただきました。勉強させていただきたいと思います(^^)
質問をさせていただいてよろしいでしょうか?延喜式についての資料で、初心者でも読みやすいものはないでしょうか?出来れば、延喜式祝詞について書かれているものがあればと思っております。よろしくお願いいたします。

[3005] Re[3004]: 無題  神奈備 2007/04/20(Fri) 08:21 [Reply]
> 我々国民には後世に伝える責任がない

 誰もそんなことを言っているわけではありません。

 それは詭弁になります。

[3005] Re[3004]: 無題  神奈備 2007/04/20(Fri) 08:21 [Reply]
> 我々国民には後世に伝える責任がない

 誰もそんなことを言っているわけではありません。

 それは詭弁になります。

[3004] 無題  橋本拓也 2007/04/20(Fri) 01:30 [Reply]
神奈備さんへ
 少し表現が悪かったようですね! 
 管理責任は国にありますが、後世に文化財を伝える責務は国民にあると思います。それが伝えることが出来なかった、だから我々国民にも責任があるということです。
 後世の人に高松塚古墳は、国が悪いのであって我々国民には後世に伝える責任がないとは私にはとても言えません。
 
 例えが適切でないかも知れませんが、第二次世界大戦で日本がアジア諸国の人々に対して行った行為は、軍部や一部の人の責任で我々国民には責任がないとアジア諸国に人には言えないと思います。

どんたくさんには後日・・・

[3003] Re: 高松塚古墳  どんたく 2007/04/19(Thu) 19:31 [Reply]
#3001 橋本拓也さん、こんにちは。 どんたく です。

いくつか質問させてください。

(1)和歌山さん=橋本拓也さん でしょうか?

> ”開けてしまった”という責任と掘る前の準備段階から文化庁へ管理が移るまでの責任はあると思います。

(2)高松塚古墳壁画を発見したこと自体が間違いだったということでしょうか?

(3)掘る前の準備段階として、何をすべきだったというのでしょうか?

(4)壁画発見から文化庁へ管理が移るまでの間、何をすべきだったというのでしょうか?

(5)壁画発見から文化庁へ移管される迄の間の経緯の概略(移管されるまでにどの位の時間がかかり、その間にどのようなことがなされたか等ということ)についてご存じの上で言っておられるのでしょうか?

[3002] Re[3001]: 高松塚古墳 異議あり  神奈備 2007/04/19(Thu) 19:21 [Reply]
> 後世に伝えるべき文化財を破壊してしまったという責任の我々国民にもあります。
> 後世に伝えるべき文化財を破壊してしまったという責任●我々国民にもあります。●=は?

 これは異な事をおっしゃる。国民に責任を押しつけて、ごまかそうとする政治家や官僚の卑劣さの現れの表現ではないでしょうか。市井の善良な納税者のどこに責任がありましょうや。

 破壊したのは管理権を獲った文化庁であり、ここの体質が問題だったと言うことです。このような省庁の存続を許してきた有権者が悪いという論理でしょうか。

[3001] 高松塚古墳  橋本拓也 2007/04/19(Thu) 14:19 [Reply]
 少し説明不足でした。発堀調査直後から劣化は始まっています。それまで千数百年間守られてきたものが、石室を空けたがために劣化が進んだのです。確かに壁画が有ると言うことは予測できなかったでしょう。しかし、何か出るという期待のようなものがあったと思います。学術調査であれば当然準備はしておかなければなりません。管理をするのは組織と人、発掘調査をするのも組織と人です。開発等による事前調査は別として学術調査の場合は慎重にしなければなりません。発見直後に保存のため人を入れなかったのは劣化が始まっているという事が予測できたからです。その判断は正しかったと思います。
 私も発掘調査をしておりましたが、例えば遺跡の中から井戸が検出され井戸の中の泥をすくったことがあります。それは木器等がないかと期待したからです。期待どうり出土しました。直ぐに水の中に浸したが、数時後には目に見える劣化が始まっていました。我々のレベルではどうにもなりません。しかし大学や研究機関であればそういうわけにはいかないでしょう。
 高松塚古墳を掘る必要性がどこまであったのかは分かりませんが・・・管理について直接的な責任は文化庁にあると思いますが、”開けてしまった”という責任と掘る前の準備段階から文化庁へ管理が移るまでの責任はあると思います。
 後世に伝えるべき文化財を破壊してしまったという責任の我々国民にもあります。

[3000] Re[2996][2995][2987][2986][2985]: 洞 ほら  ローズマリー 2007/04/19(Thu) 13:14 [Reply]
タイシさん、ご無沙汰しています。

> 何か幕府にとって、都合が悪い内容が書かれていたのでしょう。
> 洞村の人達はおおかた借家住まいだったそうですが、移住後借家住まいの住民は居なくなったそうです。

以前「おおくぼまちづくり館」へ行った時に、前日の勉強会の資料が置いてあって頂戴したのですが、そこには、近隣に住む心優しい実力者が洞村の劣悪な環境を思って、「不敬」という大義名分でもってお上に陳情して環境改善に尽力したとも読み取れる書き方がなされていました。

歴史は表からだけではなく、裏からだけでもなく、公式文書等の記録の行間を読まないと真実が見えないこともあるように思います。

館の方に、「移転は良いことだったとお考えですか?」と伺うと、
「確かにそうですねえ」と話されていたのが印象的でした。

[2999] Re: バラバラの責任  どんたく 2007/04/18(Wed) 22:50 [Reply]
#2998 和歌山さん、こんにちは。 どんたく です。

> が、調査した側にも責任があるように思います。調査後は国にまかせっきりというのは少し無責任のように感じます。

どうしてそのように思われるのでしょうか?

高松塚古墳壁画発見直後の経緯からみれば、そのようなことが言えるようなことではないように思いますが。。。。

高松塚古墳については、最近下記のような本が発刊されました。

毛利和雄『高松塚古墳は守れるか』NHKブックス 1082 2007.3.30. 第1刷

毛利和雄氏は、NHK解説委員(文化財関係)。
この本を、今私は読みかけているところです。

[2998] バラバラの責任  和歌山 2007/04/18(Wed) 00:20 [Reply]
 高松塚古墳もバラバラになりましたが、保存・管理の責任は確かに国にあると思います。が、調査した側にも責任があるように思います。調査後は国にまかせっきりというのは少し無責任のように感じます。
 天皇陵にしても、仮りに発掘調査出来たとして、調査後の国、宮内庁、発掘者の責任はどうなるだろう?

[2997] Re[2996][2995]: 洞 ほら  神奈備 2007/04/17(Tue) 12:29 [Reply]
 安本美典さんの説では卑弥呼が天照大神と同じ年代となり、神武天皇は270年〜300年頃の人のようです。前方後円墳の登場の頃ですが、欠史八代を神武さんの功に集中したのであれば、当初は磐余付近の小さい集団だったのかも知れません。墓があるとしてもいいとこ塚とでも言うものでしょうから、丸山説は妥当なのかも。

> サングリーンさん> 宣長の奥墓はかなり小さな円墳だったので、神武陵はこんなに小さかったのか!と思った記憶があります。
>という記述がすごく納得できる気がします。

同感です。サングリーンさんは要所要所でピタッと決めてくれる語り部さんですね。

[2996] Re[2995][2987][2986][2985]: 洞 ほら  タイシ 2007/04/16(Mon) 22:51 [Reply]
ZOUさん
> 洞村側からも丸山に決定されるのは歓迎できなかったそうですね(立ち退かされる可能性大ですから)。決めようとする江戸時代の学者側も決められる場所に居る側も、丸山説の確度が高いと分かっていながら確度の低い現在地に決めてしまったようですね。陵の位置決定に生きている人の思惑が入るのは仕方がないのかもしれません。洞村強制移転の別な本(立読みした本なので書名は忘却の彼方)に「(現在の)神武陵には牛の骨が埋まっているかも知れない」という記述があったように記憶しています。皮肉っぽいなあ・・・。

幕末に神武天皇陵が現在地に造られる際、それまであった史料がすべて焼き捨てられた為、解らないところが多いのが事実のようですね。
何か幕府にとって、都合が悪い内容が書かれていたのでしょう。
洞村の人達はおおかた借家住まいだったそうですが、移住後借家住まいの住民は居なくなったそうです。

[2995] Re[2987][2986][2985]: 洞 ほら  ZOU 2007/04/16(Mon) 20:31 [Reply]
神武陵の候補地は江戸時代に候補とされた場所であって古代から同じ場所に伝承されていた場所であるかどうかという疑問はあるものの、神武陵が記紀に書かれる畝傍山との関係から見ても畝傍山近くで考える方が良いみたいですね。

洞の字名で言うと、ほかにも「コレウ(可能性として皇陵)」「カシフ(同じく白檮尾)」「磐根山(同じくイワレ)」などがあるとのこと、洞村丸山が神武陵である可能性が高いみたいです。位置的には畝傍山北の麓なので広い平地というわけではなく、塚を作ったとしても広大なものとはならないでしょうから、

サングリーンさん> 宣長の奥墓はかなり小さな円墳だったので、神武陵はこんなに小さかったのか!と思った記憶があります。

という記述がすごく納得できる気がします。


タイシさん> 当時の本命は、丸山説だったそうですが、洞があるから現在地に決まったとか。

洞村側からも丸山に決定されるのは歓迎できなかったそうですね(立ち退かされる可能性大ですから)。決めようとする江戸時代の学者側も決められる場所に居る側も、丸山説の確度が高いと分かっていながら確度の低い現在地に決めてしまったようですね。陵の位置決定に生きている人の思惑が入るのは仕方がないのかもしれません。洞村強制移転の別な本(立読みした本なので書名は忘却の彼方)に「(現在の)神武陵には牛の骨が埋まっているかも知れない」という記述があったように記憶しています。皮肉っぽいなあ・・・。


神奈備さん> この神社の由緒来歴はどのようなものなのでしょうか。興味をそそられます。

生国魂神社はもと「天王」と呼ばれた小祠だったそうで、やはり天皇に関わる名前みたいです。これがいつなぜイクタマ社になったか、そんな疑問もわきます。由緒の手がかりでもあればまた書きこませていただくかもしれませんのでよろしくお願いします。洞村は現在の神武陵よりも小高い位置になるので、推定丸山の位置から見た光景をカシミール3Dで再現したところ三輪山方向への見通しが良いものでした。後醍醐天皇が死後も京都方向を見ているように、神武天皇は三輪山を見ているかも・・・おちゃらけた想像です(^_^;)

現在の生国魂神社の写真を別荘にUPさせていただきました。

[2994] Re[2993][2991]: 神武陵  サン・グリーン 2007/04/16(Mon) 06:34 [Reply]
神奈備さま、みなさまこんにちは。

確か本居宣長も大和の旅で神武陵に参拝したことを菅笠日記に書いていると教えられました。その御陵をそっくりまねて自分の墓を生前にデザインした(デザイン画が宣長記念館にありました)のが松坂の奥墓だそうです。ただし、江戸期なので、

ZOUさんが書かれているように
神武陵は江戸期に長い間正確な位置が分からなくなっていて幕末に位置決定されました。で、その候補地とされたのが、山本村の神武田(ジブデン:現在の神武陵)・洞村の丸山・四条村の塚山(現在の綏靖陵)の3カ所の塚だそうです>
のいずれかだったのかも?

宣長の奥墓はかなり小さな円墳だったので、神武陵はこんなに小さかったのか!と思った記憶があります。余談ですが、宣長は世間をはばかって町中の檀家寺にも仏式の(空の)お墓を作らせたそうですよ。

[2993] Re[2991]: 神武陵  神奈備 2007/04/15(Sun) 16:31 [Reply]
 古跡人さん、こんにちは。

> 神武陵に参拝?という記事が残っておりますので、大和の何処かの場所にあったのは確実なようです。

 神武天皇が本当に存在していたのなら、遺体はどこかに埋められたか、池や川に流したのか、森の中へ置き去りにしたのか、そう云うことでしょうね。


> ただ天武が参ったといわれている、神武陵の場所

 細かいことですが、誤解をされる方がおられたらいけませんので。

 さて壬申の乱の時の『天武前期紀』に神武陵に馬や武器を奉っている記事があります。許梅に参拝を命じたのは大伴吹負のようです。この頃の天武天皇は関ヶ原の東にいたのです。

 天武天皇の即位後に神武陵に参拝の記事があればいいのですが、小生手持ちの『日本書紀』には見あたらないのです。万葉集にでも出ているのかな。

 戦勝の暁に天武天皇としては参拝しているかも知れませんね。


[2992] Re[2991] 神武陵  MADOKA [Url] 2007/04/15(Sun) 15:18 [Reply]
やっぱり 古跡人さんは古墳に詳しいですねえ(^0^)/
この話はまったく知りませんでした。。

>天武が参ったといわれている、神武陵

....天武が参ったというのもいろいろ考えさせられますよねえ。。

神武 天武 謎の人物揃い踏み
(=0=)/

[2991] 神武陵  古跡人 2007/04/14(Sat) 20:43 [Reply]
どこの国にも、始祖王墓を造っておくという風潮はあるようで、神武陵の存在は天武の頃にはあったということが指摘されています。
ただどこの場所にあったか?といわれると不明といわざるをえませんが、陵に参拝?という記事が残っておりますので、大和の何処かの場所にあったのは確実なようです。
今の神武陵の場所は、大窪寺跡の範囲になっているといわれていますが、この寺その物が神武陵の陵寺?だったのではないか、後世に陵寺として建てられていた?或は既存の寺をこの陵に利用した?かもしれません。
畝傍山周辺の山麓には、イトクノ森・スイゼイ塚古墳などの前方後円墳がありますが、この他に大きな古墳はあまり顕著ではなく、古墳の存在もあまりありません。
ただこの西方には、有名な新沢千塚がありその北方には、大規模な玉造遺跡で有名な、曽我遺跡などがあることから、古墳時代の途中から重要な地域になっていた事が判ります。
今の神武陵の場所の周辺には、藤原京造営で壊された四条古墳群などがあり、一概に古墳の存在が稀薄な地域でもなかったように見られますが、大型の古墳の存在は少なかったと思っています。
ただ天武が参ったといわれている、神武陵の場所は案外この橿原に近い場所にこの時代の頃には、現在の幕末の陵のようにすでに造られていたのではないか?と私は考えております。

[2990] Re[2989]: 生国魂  タイシ 2007/04/12(Thu) 23:49 [Reply]
> 奈良盆地は山の中でありながら、海と非常に密接なつながりがある土地!

畝火山口神社の祭神や埴取神事、神水取神事も面白いですね。

[2989] 生国魂  MADOKA [Url] 2007/04/12(Thu) 23:18 [Reply]
ZOUさん 貴重なお話 ありがとうございます。
タイシさんと神奈備さんと良く似たこと私も考えました。

奈良盆地は山の中でありながら、海と非常に密接なつながりがある土地!

考えてみりゃー ヤマトという国造りに真っ先に造営しそうなヤマトのお宮は 生国魂社ともいえる。
聖水信仰もあるみたいだし。。。

アンテナ ピコピコ ですわーーー (^0^)/

[2988] Re[2986][2985]: 洞 ほら  タイシ 2007/04/12(Thu) 21:28 [Reply]
ZOUさん、お久しぶりです。

> 正式に神武陵が決定されるまで神武田説と丸山説で意見が分かれていたのが、1963年に十四代将軍家茂や孝明天皇の攘夷祈願のために大慌てで神武田に決定され今に至るのが現在の神武陵だとのことです。ちなみに現在でも丸山説を主張する人はいますよ。

当時の本命は、丸山説だったそうですが、洞があるから現在地に決まったとか。
丸山とは名前からして、古墳のようですね。
丸山について
丸山は畝傍山の東北の尾根にある小丘を指したようですが、この小丘を古墳と見る説もありまた、国源寺の塔の土壇だった説もあるようですね。
いろいろあって、1863年2月ようやく決まったようです。

> 生国魂神社は・・・
なぜ、洞村に生国魂神社があったのか考えていました。
当初は畝傍山の中腹に鎮座とのことなので、大和三山を見渡す高台に祀られていたことになります。

「大阪の生国魂神社が元玉造付近にあって淀川の沖積平野に立つ台地で、高台から陸地生成の様子を見、その作用をする神として祀られた・・・」

洞村の生国魂神社の由緒や創建年代はよく解らないそうですが、もしかしたら国鎮の神として当時畝傍山の中腹の高台から崇められていたのかも。


[2987] Re[2986][2985]: 洞 ほら  神奈備 2007/04/12(Thu) 20:59 [Reply]
> 洞村の人が九州から神武に付き従ってきて神武の墓守(守戸)をしたとの伝承がやはりあったようで

 難波の生国魂神社は神武さんが祭ったとの伝承があります。そのような意味で橿原にも同名社があるというのは面白いですね。
 この神社の由緒来歴はどのようなものなのでしょうか。興味をそそられます。

[2986] Re[2985]: 洞 ほら  ZOU 2007/04/12(Thu) 03:01 [Reply]
MADOKAさん&ご覧の皆さん、こんな話なんですよ。
丸山と生国魂神社について、えーっと、記憶に頼ると頭悪いのがバレますので手持ちの本から大まかなところなのですが。

神武陵は江戸期に長い間正確な位置が分からなくなっていて幕末に位置決定されました。で、その候補地とされたのが、山本村の神武田(ジブデン:現在の神武陵)・洞村の丸山・四条村の塚山(現在の綏靖陵)の3カ所の塚だそうです。

元禄期に一時的に塚山が神武陵として整備されたこともあったそうです。その理由は、元禄10年(1697年)に高市郡四条村の役人が京都所司代に主張して認められたためで、神武陵の指定を受けそこを管理することを条件に四条村が年貢免除という見返りを受けたとか。けれどいつの間にかご破算。

神武田はというと、部落産業(この場合は洞村の)のひとつである斃牛馬処理場であった可能性もあるらしく、洞村と神武田の関係は深かったようです。丸山は洞村内にありますが、洞村の人が九州から神武に付き従ってきて神武の墓守(守戸)をしたとの伝承がやはりあったようで、その関係から丸山が神武陵候補として有力だったとか。そしてまた現在にまで残る被差別部落の起源のひとつが守戸であったことも研究されています。

正式に神武陵が決定されるまで神武田説と丸山説で意見が分かれていたのが、1963年に十四代将軍家茂や孝明天皇の攘夷祈願のために大慌てで神武田に決定され今に至るのが現在の神武陵だとのことです。ちなみに現在でも丸山説を主張する人はいますよ。


生国魂神社は・・・
洞村は、「特殊部落民が神聖なる御陵に接しているのは不敬である」との建白書が出されたりして、大正時代に橿原神宮や神武陵の整備に伴ない移転させられた村です。もともと洞村で祭祀されていたのが生国魂神社。洞村の移転に伴いこの神社も移転されまして、跡地には礎石が残っているそうです。壬申の乱の時、大海人皇子軍の高市県主許梅に神懸りした生霊神がこれではないかという可能性が指摘されていますが、牟佐坐神社 http://kamnavi.jp/jm/k82.htm がありますからこれもあくまで可能性ということで。

移転された生国魂神社は現在ももちろん維持管理されています。あと、洞村跡に行くには神武陵の管理事務所に申し出れば許可をくれたんじゃなかったかなあ。井戸も生きてるみたいだし

[2985] 洞 ほら  MADOKA [Url] 2007/04/11(Wed) 23:35 [Reply]
和歌山さん
> 山腹の石の四角い壇ならば経塚とは考えられないでしょうか?

みてないんでなんともいえませんが。。
たぶん違うとおもう 
知人はかなり考古学界に通じた人間
たぶん 四角い平地ではないかと思う

ZOUさん タイシさんに期待!
 (+0+)/


[2984] 無題  和歌山 2007/04/11(Wed) 21:00 [Reply]
 弘法大師が掘った井戸は各地にありますが、元々水に対する信仰が、後に弘法大師と結びついたように思います。でも畝傍周辺に水路があると思いますが、古代・中世の水利権はどうなっていたんでしょう。霊水によってできた農作物は誰が作り誰が食べたのだろう・・・
 山腹の石の四角い壇ならば経塚とは考えられないでしょうか?

[2983] 洞2  MADOKA [Url] 2007/04/11(Wed) 20:14 [Reply]
おーなんでもかいてみるもんですなあ!!
タイシさん おひさ(^^)/
>畝傍の洞村あたりでは、昔から霊水が湧き出ていて水が豊富な地域だったようです。
伝説では、畝傍山の北麓の山本や畝傍山口神社のある大谷町にかけて弘法大師が掘った伝説の七つ井戸があったそうで、昔、畝傍山に登る者は、山麓の七つ井戸の水を浴びて、先ず身を清めてから登った伝説が残っています。洞村は洞谷から湧き出る水落の古代祭祀跡だったりして・・・

これはメタメタ  おもしろい話やね!
私も洞は洞窟または水にかかわると睨んでいた。
神武はウガヤとタマヨリの子 海神系の血を引くものと見ているからです

畝傍山腹のイワクラ写真ありがとう
現場をみていないので はっきりしたことはいえないが。。段ではなく 壇!。たぶん四角い壇に四方か周囲にテンコク文字の入った石が配置されているとおもう。

ZOUさん ども!
>生国魂神社の跡とは違うのでしょうか?
これなに?めちゃ興味。ここは上記のような場所でしょうか?くわしく知ってたら教えてください!丸山の件も(*^0^)/

[2982] Re[2979]: 洞  玄松子 2007/04/11(Wed) 09:38 [Reply]
> ロープロープ 以降の琉球松さん 玄松子さんの書き込みはさらによかったですね。なんかスッキリ論点が見えたように思います。意義ブカイ論議であり各自皆いろいろ考えさせられたのではないでしょうか?

残念ながら、議論にはなっていません。
議論になっていなかったから、「ロープロープ」となったのでしょう。
僕自身こういう(議論ではない)やり取りは繰り返したくありませんし飽きていましたから。

別の「意見」が出ていれば、もう少し掘り下げられたかもしれません。


> どのようなインパクトがあったのでしょうか。
> 世間一般には巨大古墳の主や神社の祭神はどうでも良いのでしょうね。

本当に「意志疎通は難しいもの」ですね。

[2981] Re[2979]: 洞  タイシ 2007/04/11(Wed) 09:09 [Reply]
ご無沙汰しています。タイシです。(毎日、掲示板は拝見させて頂いてますが・・・)

> >写真でもあれば見たいものです。
> もしくは大まかな場所でも判れば見に行きたいものですね。

写真掲示板に畝傍山中腹の磐をアップしました。

> 私もそーおもっておりますが どうも話では彼しかいきつけないようです。。おりがあって現地に同行できれば報告できたらなあと思っています。
>
> 補足。。現洞村とこの祭祀跡とは現在まったく無関係のようです。洞村の住人も知らないみたいです。
> ただ、旧洞村があった場所がそこにあったのはこの祭祀場所があるためでしょう。

洞村の”洞”が気になってこのあたりの小字をちょっと調べてみました。
洞谷、水落、下座・・・の小字があり洞谷の地名があるので洞村と呼ばれるようになったのでしょうかね。
奈良県天川村洞川の洞川は水の淀んだところを意味する説があり、蟷螂窟もありこのあたりは水が豊富なところで付近の淵から近くの龍泉寺まで地下水が通じていた話も残っています。

水落の地名から葛城の南郷の導水施設の遺跡を思い出しました。
畝傍の洞村あたりでは、昔から霊水が湧き出ていて水が豊富な地域だったようです。
伝説では、畝傍山の北麓の山本や畝傍山口神社のある大谷町にかけて弘法大師が掘った伝説の七つ井戸があったそうで、昔、畝傍山に登る者は、山麓の七つ井戸の水を浴びて、先ず身を清めてから登った伝説が残っています。

洞村は洞谷から湧き出る水落の古代祭祀跡だったりして・・・
イトクノ森古墳あたりも気になります。

畝傍山の山麓面白そうですね。




[2980] Re[2977]: 意志疎通は難しいもの  ZOU 2007/04/11(Wed) 02:35 [Reply]
神奈備さんがお出ましになると場がまとまる雰囲気ですね。お帰りなさい(^^♪

インパクトということで、さて、当人の墓か別人の墓かということがが衝撃といえばそうですが、新聞に書かれていた程度の記憶しかありません。世間一般には巨大古墳の主や神社の祭神はどうでも良いのでしょうね。とはいえ、将来「○○古墳(真××天皇陵)」のような表現方法が現われるかもしれないなどともひそかに思っています。古墳の被葬者を明らかにすることで「日本国のアイデンティティ」を明らかにと表現するサイトがあったのは印象的でした。

↓この程度の容認でも賛否両論あるようですが、方向性としては悪くないと思います。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GFRC_jaJP207JP208&q=%e9%99%b5%e5%a2%93%e7%ab%8b%e3%81%a1%e5%85%a5%e3%82%8a%e8%aa%bf%e6%9f%bb%e5%ae%b9%e8%aa%8d


MADOKAさん、どもこんにちは(^^)/
>旧洞村の畝傍山山腹に『神武の祭祀跡』が現存します。

旧洞村の最上部にあったという神武陵の候補地とされた「丸山」か、生国魂神社の跡とは違うのでしょうか? 機会があったら私も行ってみたいと思います。「おおくぼまちづくり館」が洞村(強制)移転の歴史や資料を展示しているので、興味を持たれた方はぜひ。
http://www.city.kashihara.nara.jp/okubo/

[2979]  MADOKA [Url] 2007/04/11(Wed) 02:20 [Reply]
神奈備さん
>写真でもあれば見たいものです。
もしくは大まかな場所でも判れば見に行きたいものですね。

私もそーおもっておりますが どうも話では彼しかいきつけないようです。。おりがあって現地に同行できれば報告できたらなあと思っています。

補足。。現洞村とこの祭祀跡とは現在まったく無関係のようです。洞村の住人も知らないみたいです。
ただ、旧洞村があった場所がそこにあったのはこの祭祀場所があるためでしょう。
琉球松さん御紹介の
>部落民の古老達の伝承
「我々の祖先は神武のお共をしてやって来た」
という伝承は正しいのであろうと私はおもいます

ロープロープ 以降の琉球松さん 玄松子さんの書き込みはさらによかったですね。なんかスッキリ論点が見えたように思います。意義ブカイ論議であり各自皆いろいろ考えさせられたのではないでしょうか?

>議論になっていましたか?
これで終わるのであれば、もう無いでしょう。

問題定義にはなったのでは?
問題意識を咀嚼するのに各自時間がかかるとおもわれます。まじめに議論するためにこそ!
私はもう少しじっくり一人で考えてみたいです。
違う形で別の機会により充実した意見交換はあるとおもいましたね

[2978] Re: 意志疎通は難しいもの  どんたく 2007/04/10(Tue) 21:12 [Reply]
#2977 神奈備さん、こんにちは。 どんたく です。

> 宮内庁が継体天皇陵としている太田茶臼山古墳はそうではなくて本当の所は今城塚古墳とされています。ここは発掘されていますが、どのようなインパクトがあったのでしょうか。寡聞にして聞き及びません。継体天皇は皇室の直接の祖先とされています。骨のDNAなどが検出できれば興味深いことになるでしょうね。

今城塚古墳の概要については、下記の高槻市のHPに出ています。
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/kohun_imashiroduka.html
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/daiou/21.html

また、平成13年度〜18年度の各年の現地説明会の資料は、下記URLにあります。
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi/tyousa.html#case1

その他に色々書物なども出ていますが、代表的なものを一つだけあげておきます。

森田克行『日本の遺跡7 今城塚と三島古墳群』同成社 2006.2.

今年3月に行われた現地説明会によれば、横穴式石室の基礎部分が地震で下にずれ落ちた跡が見つかったということでした。
すなわち、現状では石室は既になくなっているということになりますから、もはや石棺や骨などは見つからないということになります。

今年は、継体大王即位1500年ということで、これを記念して色々な行事が開催されるようです。

[2977] 意志疎通は難しいもの  神奈備 2007/04/10(Tue) 20:14 [Reply]
 玄松子さん、琉球松さんのまじめなお話に敬意を表します。

 お二人とは観点が違うのですが・・・

 神奈備としましては前にも述べたように、未熟な技術で発掘してしまうのには惜しい物件があれば、出来るだけ置いておけばいいと思っています。宮内庁が神慮を働かしていると思ってやればいいのでしょう。

 地域開発や道路工事などの場合には、壊されてしまうので緊急を要することになります。この場合には大いに発掘すればいいのでしょう。

 この前、加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡とを見てきましたが、道路を施設すると云う都合がなければ、絶対に行き当たらない遺跡です。どうしょうもない山の斜面です。

 仁徳朝以来の土建国家の面目躍如に宰相の竹下さんの選挙地盤です。この幸運がなければ出雲は未だに大した評価もされなかった地域だったかも知れません。遺跡がない、出てこないと云うことで何かを云うのは実に危険であって、出た物で物を云うしか考古学に基礎を置いた歴史学は成り立たないのでしょうし、何時ひっくり返るかも知れませんね。

ZOUさん
 宮内庁が継体天皇陵としている太田茶臼山古墳はそうではなくて本当の所は今城塚古墳とされています。ここは発掘されていますが、どのようなインパクトがあったのでしょうか。寡聞にして聞き及びません。継体天皇は皇室の直接の祖先とされています。骨のDNAなどが検出できれば興味深いことになるでしょうね。


MADOKAさん
> あきらかな壇の跡とテンコクで祭りを意味する石の囲いがあったようです。

写真でもあれば見たいものです。
もしくは大まかな場所でも判れば見に行きたいものですね。

[2976] Re[2975][2974][2973][2971]: ロープ ロープ(*^0^*)  玄松子 2007/04/10(Tue) 17:43 [Reply]
> 僕は、宮内庁の姿勢を「隠蔽」として批判的ですが、

そもそも発掘許可は宮内庁が出すべきものでもないような・・・


これから意見が出てくると期待していたのですが。

>  玄松子さん、またいつか議論しましょう。

議論になっていましたか?
これで終わるのであれば、もう無いでしょう。

[2975] Re[2974][2973][2971]: ロープ ロープ(*^0^*)  琉球松 2007/04/10(Tue) 12:34 [Reply]
 玄松子さんへ

 僕は、宮内庁の姿勢を「隠蔽」として批判的ですが、同庁の方々も国民のためによかれとの立場ではあろうと思います。

 遺跡を含め、祖先達の息吹を、面白おかしく乱暴な興味の対象であってはならないとの思いは同じだと確信します。

 玄松子さん、またいつか議論しましょう。
 しばらくの間ペンを置きます。お騒がせしました。

[2974] Re[2973][2971]: ロープ ロープ(*^0^*)  玄松子 2007/04/10(Tue) 10:00 [Reply]
終わりそうなので最後に。

> > 何度も書きますが、「間違っているかもしれない」程度で良いのでしょうか。

本当は、間違っていなくても、いや、間違っていないものこそ発掘したいのではないだろうか。

・当時の日本の王族の生活、日本人の生活、交易、近隣諸国との関係、記紀の正しさ、記紀の間違い、日本人の起源などを解明する鍵。
・手付かずに残された最後の聖域として魅力的。
・発掘の容易さ。

こんな感じ?

[2973] Re[2971]: ロープ ロープ(*^0^*)  玄松子 2007/04/10(Tue) 09:20 [Reply]
> お互いの見解は皆に良く伝わっているとおもいます。

僕の見解は伝わっていないようですね。


> ただこのままいっても話がつくともおもいませんデスm(=0=)m

話を付けようとしているわけではありません。それほど思い上がってもおりません。
問題点を明確にするため、解きほぐそうとしているだけです。
安易に隠蔽体質と談じる理由が知りたいのです。

そのために、
> 何度も書きますが、「間違っているかもしれない」程度で良いのでしょうか。
> 発掘されないことが、国民の福祉に反するのでしょうか。
と書いているのです。

本当に発掘すべきものであれば、明確にその理由を示すべきだと思うし、それなりの運動を起すべきだと考えます。
皆様には、その理由が伝わっているのでしょうか?

[2972] コーヒータイム  和歌山 2007/04/10(Tue) 07:51 [Reply]
この辺で、コーヒータイムにしませんか?熱を冷ましてから再試合!

[2971] ロープ ロープ(*^0^*)  MADOKA [Url] 2007/04/10(Tue) 03:30 [Reply]
琉球松さん
  ハイ タオル (^0^)/

玄松子さん
 ハイ タオル (^^)/

私はどちらの おっしゃることも、もっともだとおもいます

お互いの見解は皆に良く伝わっているとおもいます。

ただこのままいっても話がつくともおもいませんデスm(=0=)m

ロープ! ロープ!

おじゃましましたーーーー(*^0^*)

[2970] Re[2967][2951][2950]: 無題  玄松子 2007/04/10(Tue) 00:22 [Reply]
> > 阿弥陀仏を祀る在る寺に対し、「祀っているのは薬師のはずだから秘仏を調査させろ」と文句言っているように見えますが。

「祀っているのは薬師のはずだから調査させろ」と書いているわけではありません。秘仏です。国宝指定を受ける寺とは違います。
首里城のようば場所では、正式な発掘調査をし裏づけをすることで歴史的価値が上ります。ですが今はそういう話ではありません。

[2969] Re[2968][2966][2963][2961][2960]: 神武天皇陵  玄松子 2007/04/10(Tue) 00:12 [Reply]
こういう状況を「水掛け論」とは言わないと思いますが。

>  なんか水掛け論になってしまいましたが、玄松子さんも本当は知りたいはずです!?

「知りたい」「調査したい」というのは十分に理解できます。
神社の禁足地になにが埋まっているのか、僕も知りたいと思います。
ただし、だからといって発掘すべきなどとは考えません。


>  観光化されていようが、盗掘されてようが、破壊されていようが、調査すべきだと考えます。


ですから「調査すべき」という意見にはまったく共感できませんし、
禁止している姿勢を消極的とか隠蔽と非難するのは、単なる思い込み。
傲慢ですらあると思います。

自分の「知りたい」を、人や世間や国に押し付けるのはやめましょう。
隠蔽と非難する前に、なぜ発掘が必要なのかをもっと説明すべきです。

何度も書きますが、「間違っているかもしれない」程度で良いのでしょうか。
発掘されないことが、国民の福祉に反するのでしょうか。

[2968] Re[2966][2963][2961][2960]: 神武天皇陵  琉球松 2007/04/09(Mon) 22:29 [Reply]
 玄松子さんへ

 観光化されていようが、盗掘されてようが、破壊されていようが、調査すべきだと考えます。
 それは単純に「知る」ために必要ではないでしょうか?

 なんか水掛け論になってしまいましたが、玄松子さんも本当は知りたいはずです!?

[2967] Re[2951][2950]: 無題  ZOU 2007/04/09(Mon) 20:28 [Reply]
以前にヤマトタケルに興味を持ったころ、大阪府羽曳野市の軽里大塚古墳(白鳥陵古墳)を訪ねてキレイな古墳だなあと思ったものですが、築造年代的にヤマトタケルの墓とするには無理があると知って少し残念に思ったものです。

天皇の墓であるか古代豪族の墓であるかがうやむやであったり、また取り違えが明らかな場合が多いです。現○○天皇陵古墳とは別の××古墳の被葬者が○○天皇と確定されたなら、それをを真の○○天皇陵として祭祀して何も問題無いのではないでしょうか。私的に思う理想を言えば、不可能とはいうもののすべての古墳の主が明らかになる方向に調査研究が進んでいって欲しいものです。

> 阿弥陀仏を祀る在る寺に対し、「祀っているのは薬師のはずだから秘仏を調査させろ」と文句言っているように見えますが。

祭祀上の理由で間違いを正さないのであっても、間違いを指摘されている場合は祭祀上の理由からも間違いを正す調査が(もちろん祭祀の手続きを踏まえた上で)なされても良いと思います。同じではないものの似た例として、奈良の中宮寺では「国宝弥勒菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)」という風に二つの名を併記しています。これに類した方法が参詣者に分かりやすいのではないかと。

[2966] Re[2963][2961][2960]: 神武天皇陵  玄松子 2007/04/09(Mon) 20:24 [Reply]
書き忘れです。

玄松子> たとえば、エジプトのピラミッドは過去の王朝の墓であり、砂漠に埋もれていたもの。現政府が禁止する理由がありません。
玄松子> 発掘事業で利益があるし、何か出れば観光資源となりますから。

エジプトのピラミッドは、過去の王朝の墓であり、観光資源でもあるから
【発掘を禁止する理由はない】と書いております。


>  *日本の古墳から何か出ようが出まいが、どの天皇かも知らずに、とっくに観光資源になっています。

観光資源なら【発掘許可すべき】【発掘しても良い】という論理にはなりません。
すでに観光化しているから、発掘しても良いとか、
すでに盗掘されているから、発掘しても良いとか、
すでに破壊されているから、発掘しても良いなんてのはもうやめましょう。

[2965] 洞と神武  MADOKA [Url] 2007/04/09(Mon) 20:23 [Reply]
琉球松さん
>その「畝傍山」のふもとの「丸山」一帯の被差別部落「洞(ホラ)村」は "神武陵を見下ろすとは不敬なり" との理由で強制移住されてますね。
 興味あるのは、その部落民の古老達の伝承「我々の祖先は神武のお共をしてやって来た」とある事です。

旧洞村の畝傍山山腹に『神武の祭祀跡』が現存します。私の知人が発見しました。
あきらかな壇の跡とテンコクで祭りを意味する石の囲いがあったようです。現地に私はいっておりません。
畝傍山の神武稜に私は懐疑的でしたが、現在は、やはりあの場所は伝承にもとずいた場所だとおもっています。洞村と神武は確かにかかわりがあります。

[2964] Re[2963][2961][2960]: 神武天皇陵  玄松子 2007/04/09(Mon) 20:12 [Reply]
>  *宮内庁の消極的な姿勢は、この程度のタブーに支えられていると思います。

ネットで検索すれば、天皇陵発掘の問題が公の場でも論じられているのは明白です。
話題には決して消極的ではありません。
というか「話題にする事じたいタブー」なんていつの時代の話をしているのかと。


>  *北朝鮮の元首の祖先なんて考古学の対象にはならないですね。

琉球松さんが、「あの北朝鮮でさえ・・・調査&公開」と書かれていたのでお聞きしただけです。
仮に「考古学の対象」となる時代のものなら、決して公開されないだろうと想像できるはずですが、という意味です。

天皇の祖先や日本人の信仰と関係なければ日本だって考古学的発掘調査&公開はするでしょ。日本だけ特別ではありません。


>  *日本の古墳から何か出ようが出まいが、どの天皇かも知らずに、とっくに観光資源になっています。

そうなんですか?
天皇陵の前に土産物店が並んでいるのを見たことがありません。ピラミッドとは大違いです。
首里城も完全な観光地ですよね。あのような天皇陵はあるのですか?
知りませんでした。

[2963] Re[2961][2960]: 神武天皇陵  琉球松 2007/04/09(Mon) 19:32 [Reply]
 玄松子さんへ

 *宮内庁の消極的な姿勢は、この程度のタブーに支えられていると思います。

 *北朝鮮の元首の祖先なんて考古学の対象にはならないですね。

 *日本の古墳から何か出ようが出まいが、どの天皇かも知らずに、とっくに観光資源になっています。

 玄松子さんと対立するつもりもないので、もうやめますね。
 また「被差別部落問題」も、迷惑がかかるかもしれませんので止めておきます。

[2962] Re[2959][2954][2953]: 神様の定義  玄松子 2007/04/09(Mon) 12:58 [Reply]
> また反対に(過去に)生きていた私を理解して。といった気持ちが読み取れるなら、

具体的に、どのようなものから読み取れるのでしょうか。遺言?
誰が読み取るのでしょうか。子孫?

[2961] Re[2960]: 神武天皇陵  玄松子 2007/04/09(Mon) 12:54 [Reply]
>  こんなことを話題にする事じたいタブーとする風潮はまだまだあるようですが、どうなんでしょう今の「神武稜」の位置?

この程度の話題をタブーとしているのですか? 初めて知りました。


>  こういうことも "遺跡"としての陵を調査しなければ永遠に謎のままで、部落差別や逆差別も問題も解決しないですね。

遺跡発掘と差別問題が、どこでどのように繋がっているのでしょうか。


>  "世界に通用しない" とはそういうことも含みますし、エジプトやイラク&イラン、イギリス皇室の情報公開、中国&台湾の共同調査。。あの北朝鮮でさえ考古学に関しては韓国と共同で調査&公開しているわけです。

それぞれの国の事例を具体的に挙げていただけませんか。

たとえば、エジプトのピラミッドは過去の王朝の墓であり、砂漠に埋もれていたもの。現政府が禁止する理由がありません。
発掘事業で利益があるし、何か出れば観光資源となりますから。

北朝鮮は現元首の祖先の墓を公開しているのですか?
イギリス皇室の墓は発掘・公開されているのですか?


そろそろ飽きてきましたが、
たとえば三輪山全山を発掘調査させろとは言わないのでしょうか。
許可されない→隠蔽体質と言うのでしょうか。

[2960] 神武天皇陵  琉球松 2007/04/09(Mon) 10:44 [Reply]
 こんなことを話題にする事じたいタブーとする風潮はまだまだあるようですが、どうなんでしょう今の「神武稜」の位置?

 江戸時代終末期にあわてて治定された陵であることは誰でも認めることでしょうし、陵の候補地の一つ「丸山説」も有力であることもまた認められると思います。

 その「畝傍山」のふもとの「丸山」一帯の被差別部落「洞(ホラ)村」は "神武陵を見下ろすとは不敬なり" との理由で強制移住されてますね。
 興味あるのは、その部落民の古老達の伝承「我々の祖先は神武のお共をしてやって来た」とある事です。
 また、四国のある部落の伝承は「祖先は南から来た」。。。

 こういうことも "遺跡"としての陵を調査しなければ永遠に謎のままで、部落差別や逆差別も問題も解決しないですね。

 "世界に通用しない" とはそういうことも含みますし、エジプトやイラク&イラン、イギリス皇室の情報公開、中国&台湾の共同調査。。あの北朝鮮でさえ考古学に関しては韓国と共同で調査&公開しているわけです。

[2959] Re[2954][2953]: 神様の定義  くず 2007/04/09(Mon) 06:54 [Reply]
ありがとうございます。

> 「人間ではない事」。これは死者も駄目ということですか。死者はOKですか。

人間の定義を生物学上の分類に限るなら、(例えば)箸墓の被葬者も誉田山古墳の被葬者も、
人間である。と思います。
でも、自分は人間を、「存在を無に返さない為に生きて伝える事。」その意思を持ちえ、その能力を有するものが人間である。と、考えていますので、死者については人間ではないもの。と、考えます。

> 私は拒絶する。

そのお気持ちは当然ながら尊重されるべきものと思います。
お墓に、「掘るな!」という意思表示が明確に表現されていたなら、掘るべきでない。
また反対に(過去に)生きていた私を理解して。といった気持ちが読み取れるなら、手を入れて、今に生かす事も許されるのかな。と考えます。

> (織姫風に読む)

なんのこっちゃ? と思いましたが、調べて解りました(笑)

[2958] Re[2956][2955][2954][2953]: 神様の定義  nick [Url] 2007/04/09(Mon) 05:36 [Reply]
> 供養じゃなくて? 崇拝?

おはようございます。
「供養」もですね。ありがとうございます。
なかなか思い出せなくて。。
中国から伝播した「龍神」も水害や用水の守り神として
当地では崇拝されています。
他には「イノシシ」もあるようです。
北海道辺りではアイヌの「熊」もそうですね。

この季節の変わり目は体が痺れ激痛で夜明け前目が覚める
ことが多くなりました。
『歳』でしょうか。笑。

[2957] 文化財を大切に!  和歌山 2007/04/08(Sun) 19:15 [Reply]

 世界遺産、国宝、重要文化財、都道府県指定、市町村指定、指定にもならない文化財というランクつけは現在の我々が便宜上付けたもので、作られた当時の価値というかランクとは違います。全部貴重な文化財です。予算は付かないかもしれませんが、指定にもならない文化財も大事にして欲しいですね!

[2956] Re[2955][2954][2953]: 神様の定義  玄松子 2007/04/08(Sun) 18:59 [Reply]
> その他「馬頭観音」等にみえるように「動物への慰労・感謝」から
> 動物崇拝等があります。

動物崇拝ですか?
供養じゃなくて? 崇拝?

[2955] Re[2954][2953]: 神様の定義  nick [Url] 2007/04/08(Sun) 16:25 [Reply]
神様の定義となると広義的には
その捉え方、崇拝の仕方、祭祀方法は多岐に渡るように思います。

自然崇拝に始まり、先祖崇拝、功労者崇拝等がありますが
その他「馬頭観音」等にみえるように「動物への慰労・感謝」から
動物崇拝等があります。

拙宅の近くには大隈国府がありましたが
この辺りには「先祖崇拝」「自然崇拝」の
「内神」なるものが現存します。
また山間部や海岸線(漁村)に目を転じると
地所の庭や田畑・山際に先祖の墓所がある所も。
現在ではこの埋葬方法は許可にならないようですが。

当地鹿児島は、奄美や屋久島の南西諸島も含みますが
九州の本土と南西諸島とではその形態も異なるようです。
どちらかと云うと南西諸島の方が古代信仰の原型を留めていると
云われています。

「所変われば神様も」でしょうか。

[2954] Re[2953]: 神様の定義  玄松子 2007/04/08(Sun) 10:27 [Reply]
> まず自分にとっての神様の定義からなのですが、一つに信仰の対象である事。そして人間ではない事。
> この2つではないかと思います。

「人間ではない事」。これは死者も駄目ということですか。死者はOKですか。

死者もNGだと、神名辞典の多くの神々が削除されますね。
神道の起源は、先祖崇拝であったという説もあるくらいですから。
道真を祀る天神様は神ではなくなるので、受験生は困りますね。


> 発掘なり、覗き見るなりしてもらっても個人的にはOKです。(笑)

ピラミッドの主は、それを拒絶しているように思えます。
私は拒絶する(織姫風に読む)。

[2953] 神様の定義  くず 2007/04/08(Sun) 07:18 [Reply]
事象にどう対処するかは、判断基準を明確に持つ事が最重要と考えます。
人工物である墓を持つ存在を人間と見るのか、それとも神と見るかについて、自分なりに考えてみました。

まず自分にとっての神様の定義からなのですが、一つに信仰の対象である事。そして人間ではない事。
この2つではないかと思います。

 巨大が墳墓が、自らが持つ時の権力の象徴として、その存在を永久たらしめんとする目的の元に造られていたとしたら、それは極めて人間的とも言える行為で、その墓の主を神様であるとはちょっと考えられません。
それは墓が生前に作られていたなら考えやすいように思います。
死への恐怖。生きた証。それは人間である事の証であるようにも思えるからです。

人間の墓であったなら、自分が人間ですのでどうしたらよいか想像する事ができます。
もし自分が今ここで語られているような、墓の主であったとしたらですが、
自分は間違いなく人間ですし、「存在を無に返さない為に生きて伝える事」が人間としての本分と思いますので、考古学的資料ととしてでなく、過去を生き、そこに眠る人間へ、人間としての尊厳が向けられた上であったなら、
発掘なり、覗き見るなりしてもらっても個人的にはOKです。(笑)
人間のお墓は小奇麗で、日があたり、風が通り抜けるほうが良いと思いますし。
史料保存の為とかで、大掛かりに囲われて、息も出来ないような有様にされるのはかなわない。その場合はやく崩れてしまったほうがいいや。と思う。


神の墓について。 
客観的史料といえる魏志に読める卑弥呼の墓は、彼女の死後、つまり他者によって造られたようにみえます。
すでに死者である存在を、信仰の対象として墓に埋葬したのであれば、そして彼女に向けられた思いに繋がるものが(形を変えてでも)現代にも生き続けているものだとしたら、その墓は神の墓で、その領域に人間が踏込むべきではないように思います。
うっそうと茂る森はこの国の神にふさわしい。


[2952] Re[2947]: 無題  素人 2007/04/08(Sun) 02:17 [Reply]
ご無沙汰しております。
駄文を書きまくってご迷惑をおかけしております。
お節介ですが一言。
和歌山さん、こんにちは。 どんたく です。
>
> > どんたくさんは窒素ガスを吸っても平気なんですか?
>
> 質問の意味がよく判りません。

窒素ではなくて、酸素の濃度のことと思われます。
防黴での酸素濃度の影響はわかりませんが、人間よりは低酸素濃度で生きられるのではと推測します。おそらく人間が生きられないぐらいの濃度でないと防黴効果は期待できないかもしれません。そうすると人間の酸素欠乏症を考えなくてはなりません。
室内を与圧すれば窒素置換できますが、大量の窒素供給と周辺部の酸欠空気防御が必要になると思います。思わぬところに酸欠空気が噴出して事故となる可能性があるとお役所はあまり乗り気にならないでしょう。
酸素欠乏症解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/酸素欠乏症

黴ですが、前に木の黴の発生はデンプンが原因であり、でんぷんの少ない冬場の新月に切るとデンプンが少なくて材木が長持ちすると言う話を紹介したことがあります。

壁の黴の発生ですが、壁又は絵の具にデンプンが入っている可能性はないのでしょうか、デンプンで固めてあると取り除けないでしょうし、黴の発生は防げないように思います。材料から来る根本的問題と思われます。朝鮮半島では壁画にカビは生えていないのでしょうか、湿度の低い半島で黴が発生していれば保存は困難ではないかと思われます。

文化財は沢山ありますし、国宝だからと言って無制限にお金をかけると他の重要な文化財とのバランスを欠くように思われます。費用対効果も考えなくてはなりません。お叱りを覚悟で、エジプトなどの地下神殿の素晴らしいフェリオグリフやレリーフなどであれば人類の宝として高額の投資をしても良いと思いますが、それほどのものとも思えません。

素人のたわごととお聞き流しください。

[2951] Re[2950]: 無題  玄松子 2007/04/07(Sat) 06:49 [Reply]
>  天皇陵である以前に人の墓である。たまたま天皇陵であるだけである。このことを忘れないでほしい!

天皇陵であるからむやみに発掘すべきではないと、(僕は)思います。
これが古代豪族の古墳であれば、発掘に関しては何も思いませんし、興味もありません。
憲法の第一条にある「日本国の象徴」の墓であり、神の墓なのですから。
「天皇を祀ってはイカン」という法律になれば別。


> 秘仏でも開帳します。

公開しない秘仏もあります。するかしないかは祭祀上の理由。その場合隠蔽体質とは言いません。
ですが宮内庁に対しては、安易に「隠蔽体質」と言うようです。アンフェアです。


>そもそも、発掘調査が許可されない正確な理由はなんなのでしょうか。
>安易に「隠蔽体質」と断じられるものなのでしょうか。

発掘を許可されない理由は何か。
「天皇陵古墳の被葬者に迫る」理由は何か。
最近の書き込みでは「間違っているかもしれないから」ということですが、その程度の理由で良いのですか。
阿弥陀仏を祀る在る寺に対し、「祀っているのは薬師のはずだから秘仏を調査させろ」と文句言っているように見えますが。


>「神・仏の国」と言うべきだった。

総理大臣ならそれも駄目でしょ。

[2950] 無題  和歌山 2007/04/07(Sat) 01:10 [Reply]
続き・・・
  窒素ガスだけを吸って平気なんですか?窒素ガスを吸って死んでからでは遅いです。死ななくても人体に後遺症が残れば大変です。仮に吸ったとして吐き気やめまいがするだけでも嫌です。もちろん吸う量によりますが、死ぬかめまいで済むか、その時にならないとわかりません。窒素と酸素を同時に吸うから空気です。窒素ガスだけを吸うのと窒素と酸素を同時に吸う空気とは違います。
 原版は文化庁にはありません。京都の美術出版社に保管されています。第一写真の退色は家庭の写真でも同じ事です。写真の退色の問題以前から言われていましたがデジタル化の技術は最近になって一般化しましたから時間のズレから間に合わなかったと思います。その当時写真が退色するなんて誰も思いませんでしたよ!

 天皇陵である以前に人の墓である。たまたま天皇陵であるだけである。このことを忘れないでほしい!
 余談になるが以前森喜朗前総理が日本は「神の国」という発言が問題になったがこれは正確ではない。「神・仏の国」と言うべきだった。

[2949] Re[2945]: 無題  ZOU 2007/04/07(Sat) 00:47 [Reply]
和歌山さん、はじめまして。
了解です。納得でき、賛同できるご意見です。ありがとうございます。
「限られた専門家」と言ったのは、専門家の方が知見ももちろんのこと資料の操作(この場合は古墳の扱い)に長けているでしょうから、古墳に損傷を与える率が一般の人が立ち入るよりはるかに少ないだろうと思ったからです。以上のことも付け足すべきでしたね<(_ _)>
_______________

さて、古墳が墓である限りそこに埋葬されているのは人間の遺体であるわけです。保存状態の良い古墳から歯や骨が見つかることもあり、天皇陵内に遺体やその一部が残っている可能性がもちろんあるでしょう。では、その古墳にもし手を合わせることがあるとすれば誰の遺体(溶けたとしても)に手を合わせているのか。そのあたりがどうしても釈然としないところです。

○○天皇陵と名がついているならそこにはその名の人物の遺体が埋葬されていて当然のはずですが、墓そのものと墓の主に矛盾がある天皇陵が多いようです。「祭祀を続けているので霊はこちらに移っておられる」云々とどこかの省庁は言いますが「では遺骨は移っているか?」と問いたい気分になりますね。

石室までも発掘できるのが将来のことであるとしても、天皇陵古墳の被葬者に迫るための現段階でできる研究に門戸が開かれてもおかしくはないと思います。
_______________

ニュースを見ながらの書き込みです。高松塚古墳の壁画は10年以上をかけて修復されるそうです。時間がかかるんだなあ・・・

[2948] 無題  和歌山 2007/04/07(Sat) 00:21 [Reply]
 祭祀上の理由で非公開でもよいと思いますが、秘仏でも開帳します。年に1回位公開すれば皇室が身近に感じるのでは、正倉院や京都御所のようにしてもよいと思います。事前に申し込むとか。或いは清掃などの勤労奉仕団で立ち入り出来るようにしてもよいですね!
 窒素ガスは吸ってからでは遅いので人命のことを考えるのは当然。一度実験されてはどうですか?そして窒素ガスを吸って死ねばじごうっじ

[2947] Re: 無題  どんたく 2007/04/07(Sat) 00:09 [Reply]
#2945 和歌山さん、こんにちは。 どんたく です。

> どんたくさんは窒素ガスを吸っても平気なんですか?

質問の意味がよく判りません。
和歌山さんも、窒素は毒ガスだと思っておられるのでしょうか?
「窒素ガスを吸っても平気か?」と聞かれれば、勿論私は窒素ガスを吸っても平気です。

空気の組成は、大雑把にいうと、窒素が8割、酸素が2割です。
従って、我々が空気を吸い込むとき、酸素は勿論吸い込みますが、同時にその4倍もの量の窒素も吸い込んでいるのです。
呼吸を1回するごとに、こうやって酸素よりもずっと多い量の窒素を吸い込んだりはき出したりしているのです。

> 高松塚古墳の写真の発見当時の原板はすでに退色しているそうです。

そうなのですか。まことに残念です。
壁画発見当時の写真が一番鮮明な画像だった筈ですから、壁画を国宝に指定したときから、文化庁は写真の原板の保存に最大限の力を注ぐべきだったと思います。
写真の原板が劣化する前であれば、これをデジタル化すれば退色の心配もなくなって鮮明度の高い画像を永久保存できた筈です。
壁画発見当時の画像の保存に最大限の努力をしなかったのだとすれば、これは文化庁の業務怠慢といってよいでしょう。

> 文化庁には文化財研究所があり文化庁の中にも自然科学の専門家はいますよ!

東文研の元所長で、文化庁の「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会」の座長をしておられた方にも前に手紙をお送りし、何度か返事も頂戴したのですが、技術的にピントの外れたご返事しかいただけなかったので、がっかりしてしまいました。
要するに、話が通じないのです。


[2946] Re[2945]: 無題  玄松子 2007/04/06(Fri) 22:13 [Reply]
>  学問に携わる限られた専門家のみ公開は反対です。

・高松塚の場合も「限られた専門家」による調査だったと思う。
・「限られた専門家のみ公開」だと一般の研究者から見ると、まさに「隠蔽体質」と言われてしまう。

> できれば期日と時間を決め誰でも歩けるようにした方がよいのでは・・・

一般公開する意味が無いので、僕はすべてNOで良いと思いますが。
正当な祭祀上の手続き=祭祀上の理由から非公開で、だめですか?


>  どんたくさんは窒素ガスを吸っても平気なんですか?

これは濃度の問題でしょう。高濃度だとまさに「窒息死するガス」です。


そもそも、発掘調査が許可されない正確な理由はなんなのでしょうか。
安易に「隠蔽体質」と断じられるものなのでしょうか。

[2945] 無題  和歌山 2007/04/06(Fri) 19:26 [Reply]
 ZOU 様
 学問に携わる限られた専門家のみ公開は反対です。その専門家から他の人に正確に伝えることは出来ないと思います。一部の人のためのものでもないと思います。考古学者だけ特別扱いするべきでないです。できれば期日と時間を決め誰でも歩けるようにした方がよいのでは・・・

どんたく 様
 私も公務員で役所に勤めていましたから私に対する批判も含まれていると思います。私も税金を食い物にしたのですか?
 どんたくさんは窒素ガスを吸っても平気なんですか? 
 高松塚古墳の写真の発見当時の原板はすでに退色しているそうです。
 文化庁には文化財研究所があり文化庁の中にも自然科学の専門家はいますよ!

[2944] ?  真魚 2007/04/06(Fri) 13:12 [Reply]
実は、現在継体天皇陵として宮内庁から公式に治定されている古墳は、これより約1km西にある茨木市大田の藍野陵(大田茶臼山古墳 地図中の(2) 写真 )です。ところが、最近(2002年11月)新聞やテレビでも報道されましたが、この古墳の一部が修理のため宮内庁職員により発掘調査された結果、出土した土器の年式が継体天皇の没年を100年以上遡るものであり、これが継体天皇陵である可能性は事実上否定されました。

[2943] 丹炭  真魚 2007/04/06(Fri) 11:50 [Reply]

丹 水銀を気化すれば、永遠の命を得られる鴨!

[2942] Re[2940][2843]  奈良盆地から  ZOU 2007/04/06(Fri) 10:04 [Reply]
> 多神社が三輪山頂から真東にあるといっても、

真東→× 真西→○ 訂正いたします。失礼しました。

[2941] Re2938: 明日香美人解体  どんたく 2007/04/06(Fri) 07:18 [Reply]
みなさん、こんにちは。 どんたく です。

高松塚古墳壁画の問題については、私は3年ほど前から何回も@niftyの「歴史フォーラム」のweb掲示板に書き、また文化庁に質問状を出したりしてきましたが、残念ながら自然科学の素養がない文化庁には私の主張をきちんと理解して受け止められる人が誰もいなかったのでした。

7世紀の終わりか8世紀の初め頃にこの古墳は造られ、その後鎌倉時代に盗掘を受けています。
盗掘の際には相当な日数に亘って石室の中には人が出入りしたことでしょうが、盗掘終了後石室は埋め戻され、1972年に壁画が発見されるまで壁画は鮮やかさを保っていたのでした。
1972年以降、文化庁が管理するようになって、莫大な税金を消費しながら、急速に壁画の劣化が始まりました。
要するに日本の文化庁は、鎌倉時代の墓泥棒よりもレベルが低いということです。

「鎌倉時代の盗掘後約800年間、何故壁画が傷まずに残っていたか」という問題については、文化庁は科学的な検討を全くせず、文化庁の検討会の資料では、「微妙なバランスを保っていたために傷まなかったのだろう。」という文学的表現で逃げています。

私の提案は、簡単に言えば次の通りです。
●ものが錆びたり、色が褪せたりする「劣化」は酸化作用によって起きる。
●従って酸化作用をなくすには、空気中の酸素をなくせばよい。
●そのため、石室内に窒素を充満させてやればよい。
●「虫がカビを媒介しているのでは」と言われているが、窒素を充満すれば虫も石室内に入ってこれまい。

ところが、
(1)窒素ガスは人間を窒息させる危険な毒ガスだ。人命にかかわる。
(2)石室に空気を圧入する試験をしてみたら、空気が抜け出す。これでは窒素ガスを充満させることはできない。
というように文化庁はいいます。

(1)については、空気の主成分は窒素であるということを知らない人のいうことです。

(2)については、一つの部屋に強制的に空気を押し込んだ場合、部屋にはどこかに隙間がありますから、押し込んだだけの空気は隙間から抜け出すのは当然です。
一方、隙間だらけの部屋であっても、その中で大勢の人が煙草を吸ったら、部屋の中は煙草の煙で充満し、強制的に煙を追い出さない限り煙草の煙は中々なくなりません。
石室に窒素を入れた場合もこれと同じことです。

文化庁の人達は、こういう簡単なことが判っていないのです。

今更石室を解体しても、壁画が昔の鮮やかさを取り戻すわけではありません。「修復」は不可能です。

石室を破壊するよりも、1972年の壁画発見当時に撮影した写真のネガを、カビが生えないように大切に保管し、これをデジタル化して、発見当時の色鮮やかな壁画の画像を永久保存することの方が大切でしょう。

要するに文化庁は、我々の税金を無駄に使って文化財を破壊する、恥知らずの税金泥棒集団です。
鎌倉時代の墓泥棒よりもタチが悪く、お粗末です。

考古業界の人達は、文化庁に楯突いて反感を買うと、これから先オマンマの食い上げになりかねないものですから、文化庁のやり方に反対する声は尻すぼみです。

このように役所が我々の税金を食いものにしている一方で、我々の税金はあがり、医療費は3倍増ということになってきています。

まだまだ書きたいことは沢山ありますが、きりがないので、この辺でやめておきましょう。

どんたく
WindowsXP(Home Edition) SP2
CMN v0.50dβ + YosPad 1.42

[2940] Re[2843]  奈良盆地から  ZOU 2007/04/06(Fri) 01:58 [Reply]
神奈備さんは出雲へ行かれたのでしょうか。お気をつけて。
琉球松さん、よろしくお願いします。日が経ってしまいタイミングを外して申し訳ありません。

>  奈良盆地の場合、春分の日の出の太陽は「多神社」から見て「三輪山」頂上付近だと思われます。

多神社が三輪山頂から真東にあるといっても、そこから春分に三輪山頂の日の出が見えるわけではありません。山頂付近と言うのも苦しい表現かと。
↓春分の多神社からの日の出。神奈備さんが掲載して下さってます<(_ _)>
http://kamnavi.jp/as/oosiritu.htm

鏡作神社(石見)からは住宅などが邪魔になって三輪山への見通しは良くありません。で、すぐ近くの川の堤防の上からの光景ですが、冬至に神社から見た光景と大きい違いは無いでしょう。
↓冬至の鏡作神社(石見)からの日の出
http://www1.kcn.ne.jp/~ganes-z/image/hinode1.jpg

三輪について言うなら、“山頂からの日の出”が見られる場所というのは案外限定されるでしょう。限定された範囲内で、特定の日に“山頂からの日の出”が見られる「観測点」に神社があるとなると、その神社の位置決定に意図があってもおかしくないと推測できます。位置決定自体は素人の私でもできる程度に難しいことではありませんから、あとはその位置に施設(神社など)を建てるかどうかだけのことになりますね。
↓三輪山頂と大鳥居を結んだ線上から見た日の出。
http://www1.kcn.ne.jp/~ganes-z/image/miwa7.jpg

その観測点が意図されたものかどうかは証拠が無いと判断できませんので、ひとつの方法として発掘をすればいろいろ分かってくるでしょう。個人的には、三輪から見た冬至の日の入りというのにも興味を持っています。こうなると観測点が三輪山中になるわけで、そこに何かが埋まっているか興味がわくところです。古代から祭祀されてきた場所であるだけに縄文や弥生の遺物が埋まってるか、可能性としては卑弥呼の金印でも埋まってるか?

個人的トンデモ趣味的な興味はさておいて・・・

_______________


近畿圏に居る者は、現・継体天皇陵と今城塚古墳の関係はよく耳にします。
http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/History/imajo.htm

また、二つの古墳を無理に繋ぎ合わせる離れ技をやってのけた古墳が雄略天皇陵として伝承されていたり。
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=%E7%BE%BD%E6%9B%B3%E9%87%8E&layer=&ie=UTF8&t=h&om=1&z=18&ll=34.576413,135.585655&spn=0.00246,0.004233&iwloc=addr

これらは墓そのものと墓の主の関係があやふやな例です。すでに人の手が大きく入っている古墳や、地上から消えてしまった古墳が、実は真の天皇陵だったという可能性も考えられるるわけです。こういったあやふやさを取り除く意味でも、聖地といわれる場所や現在に伝○○天皇陵といわれる古墳あっても将来的に調査の手が入って欲しいと思います。

この場合「祭祀の上での充分な手続きを踏まえた上で」との示唆を受けたことがあるのでその意見に賛成し、学問に携わる限られた専門家にのみ公開や発掘を許可しても良いのではないかと思います。そこまでいかなくても、森浩一氏が言うところの「考古学者に墳丘上を歩かせる」だけでも許可するような対応があって良いのではないでしょうか。

[2939] Re[2937]: 明日香美人解体  神奈備 2007/04/05(Thu) 22:09 [Reply]
> このまま放置すると「灰、土」に戻る訳で、
> 「歴史的文化財」として後世に伝承するのであれば
> 「修復も止む無し」なのでしょうか。

 ここまで劣化した以上、修復もやもなしでしょうね。
 この大チョンボをヒントに大阪歴史博物館の地下遺稿は、防黴剤、湿度、酸素などの管理を行った部屋にしています。
 今後はドジを踏まないようにやってほしいものです。

[2938] 劣化し続けている  和歌山 2007/04/05(Thu) 21:13 [Reply]
 文化財の保存というのは今より悪くならないようにする、或いは悪くなっても最小限にするということです。これ以上良くする事は出来ません。しかし残念ながら高松塚古墳は管理の問題ですね!解体して保存しても同じ事を繰り返したら・・・
 実は高松塚古墳の解体や保存に関っている多数の人は知りあいなんです。でも自分に責任があると感じている人は少ないように感じました。
 管理といっても人と機械が行うわけですから、完璧というわけにはいかないと思いますが。
 発掘すると環境が変化します。この段階から劣化が始まります。博物館に展示してある文化財は劣化し続けています。劣化のスピードが遅く目立たないんです。
 ですからせめて劣化のスピードを遅くなるように願ってやみません。

[2937] 明日香美人解体  nick [Url] 2007/04/05(Thu) 18:49 [Reply]
高松塚古墳の解体が始まったようです。
ま、この件に関してはいろいろ不祥事??がありましたよね。

このまま放置すると「灰、土」に戻る訳で、
「歴史的文化財」として後世に伝承するのであれば
「修復も止む無し」なのでしょうか。

貴方はどっち。

[2936] Re[2935][2933][2932][2930][2929][2928]: 人が死ねば神・仏になる!  玄松子 2007/04/05(Thu) 10:17 [Reply]
>  王朝時代の聖地修復工事などの場合、男性作業員が女装して入域していたようです。

修復と発掘調査とは別に考えましょう。
病気治療のために手術するのと、健康なのに手術されるのでは意味が異なります。

死んだ人間の脳を解剖することはあるでしょうが、脳の機能を解明するためだけに生きている人の脳を解剖することはありませんよね。
生きている脳を用いて実験できれば、多くの事実が明らかになるでしょうが、やらないでしょう。マッドを除いて。
合意があればOKでしょうか?


>  最近はそうでもないのですが、聖地発掘作業には女性を起用する傾向にあるようです。


なるほど。では男子禁制は守られていないわけですね。発掘調査のために。


イロイロと暴かれる(解明される)ことによって聖地としての意味が希薄になりますね。
観光資源と変化し、現役の神として存在できなくなります。
祭祀の後継者も居なくなり、やがて神は死ぬのですね。

「次の世代」、すでに神が死んでいるのなら発掘でも開発でもOKだと僕は思います。

[2935] Re[2933][2932][2930][2929][2928]: 人が死ねば神・仏になる!  琉球松 2007/04/05(Thu) 09:30 [Reply]
 玄松子さんへ

 王朝時代の聖地修復工事などの場合、男性作業員が女装して入域していたようです。
 最近はそうでもないのですが、聖地発掘作業には女性を起用する傾向にあるようです。

 ついでですが、琉球圏最高の聖地「斎場御嶽(セーファーウタキ)」の発掘では、3体の女性の下半身遺骨が出土しました。うち1体は少女(たぶん13才)の骨盤で、この遺跡での中心的被葬者と考えられています。
 
 合意形成にはまだまだ時間が必要でしょうけど、次の世代の日本人に期待でしょうか。

[2934] 無題  和歌山 2007/04/05(Thu) 08:32 [Reply]
研究者は発掘せよと要望していますね、立場上当然です。立場が違えば違う意見が出ます。丁寧な調査とは、発掘の技術やノウハウではなく死者・神に対する接し方というか心の問題だと思います。研究者は歴史解明のためだと思いますが、仮に発掘する場合、発掘する人は死者や神に対して尊敬や畏敬の念を持った人が行うべきです。キリスト教徒が怒ったように日本国民の中からもかなり反発が出ます。天皇であると同時に神を調査するわけですから。
 私は部分的な調査ならよいと思います。今、部分的調査に止める傾向にあります。理由はやはり破壊するという考え方です。自分も発掘調査をやっていましたので・・・

[2933] Re[2932][2930][2929][2928]: 人が死ねば神・仏になる!  玄松子 2007/04/05(Thu) 01:22 [Reply]
沖縄の信仰はよくわかりませんが。

>  沖縄の遺跡は沖縄の人々の「意思」で、大切に大切に守られています。
>  そして、祖先達のありようを知るために、丁寧に丁寧に発掘されます。

なるほど。では、男子禁制の聖地では(現地の)女性だけが発掘しているということですね。

[2932] Re[2930][2929][2928]: 人が死ねば神・仏になる!  琉球松 2007/04/04(Wed) 22:12 [Reply]
 玄松子さんへ

 沖縄の遺跡は沖縄の人々の「意思」で、大切に大切に守られています。
 そして、祖先達のありようを知るために、丁寧に丁寧に発掘されます。

 新たな遺跡が発見されれば、道路工事のルート変更、トンネルへの変更、工期の延長、さらに市町村長の公約も変更されます。
 この点に関する "公約違反" は誰も批判しません。

 もちろん、軽率な開発による破壊も過去にはありました。
 しかし、最大の破壊者は日本軍と米軍でしたね。
 これには、皇民化による県民自らの加担があった事も認めているわけです。

 破壊や誤解を防ぐためにも調査は必要ですし「神武天皇陵」などが現在の位置だとも思えないわけです。

 陵に眠る歴代天皇のためにも、丁寧な調査が必要だと考えます。

[2931] Re[2927][2926][2924][2856]: 出雲の加茂  神奈備 2007/04/04(Wed) 21:08 [Reply]
 とみたさん、こんばんは。今度の金曜日土曜日に荒神谷や加茂岩倉遺跡を見てきます。
 準備として『出雲国風土記』から、大穴持命・阿遅須枳高日子命と登場を見てみました。

意宇郡 母理郷 大穴持命
    拝志郷 大穴持命
    宍道郷 大穴持命
    出雲神戸 熊野加武呂命、大穴持命
    賀茂神戸 阿遅須枳高日子命

島根郡 手染郷 大穴持命

楯縫郡 玖潭郷 所造天下大神命
    神名樋山 阿遅須枳高日子命の后天御梶日女命の子の多伎都比古命の石神

出雲郡 杵築郷 所造天下大神命の宮
    宇賀郷 所造天下大神命

神門郡 朝山郷 大穴持命
    鹽冶郷 阿遅須枳高日子命の御子鹽冶毘古能命
    八野郷 大穴持命
    高岸郷 阿遅須枳高日子命

飯石郡 三屋郷 所造天下大神命の御門
    多禰郷 大穴持命

仁多郡 三處郷 大穴持命
    布勢郷 大神命
    三澤郷 阿遅須枳高日子命、御祖命、大神

大原郷 神原郷 所造天下大神命の神御財
    屋代郷 所造天下大神
    屋裏郷 所造天下大神
    来次郷 所造天下大神


出雲のイメージと『風土記』による大穴持命、阿遅須枳高日子命の分布

┌───────────────────────┐
│  大 大 阿         大      │
│大 阿阿阿 ┌──────┐ ┌──────┐│
│ 大    │ 宍道湖  │大│ 中海   ││
│  阿   └──────┘ └──────┘│
│    仏   大   大        阿 │
│  阿    大大            大 │
│  大  大   大             │
│        大  大  大        │
│  大            阿       │
└───────────────────────┘
大:大穴持命・所造天下大神  阿:阿遅須枳高日子命 阿阿阿 阿受伎社30社以上



> 根拠@・・・神社の分布です。オオナムチ信仰は出雲の西南部の神門郷に広く行き亘っているとしても、出雲の東部には希薄である。出雲の西中央部でも出雲郷、漆治郷、河内郷、建部郷にはその影が薄い。
>
> 寧ろ、アジスキ神を祭る阿受伎社が多い。

 『風土記』では、出雲郷、漆治郷、河内郷、建部郷に阿受伎社は明確には存在していないのでは。これは『出雲国風土記』(加藤義成氏校注)によります。


> 根拠A・・・神奈備山です。宍道湖の北には楯縫郡の大船山が神奈備で、アジスキ神の妻神のものと伝承されています。これと対称して同じ高さの神奈備が宍道湖の南の仏経山です。これは夫のアジスキ神のものではないか。

 これは希望的観測、『風土記』では、「伎比佐加美高日子命の社が山の嶺にあり。」としています。確かに高日子は共通ですが、この神と阿遅須枳高日子命との関係は如何?同一??


> 根拠B・・・アジスキという名は、立派な鋤という意味です。斐伊川の下流の氾濫原を鋤で開拓した民でしょう。

国土開発が立派な鋤でなされたのでしょうが、日本各地での開拓の神は阿遅須枳高日子命になるべきですが、大国主神が多いようです。斐伊川の下流に限定して阿遅須枳高日子命になる根拠はあってほしいとの希望では。


 阿遅須枳高日子命については天若日子の生まれ変わりとの説もあり、調べることが多く残っているようですね。出雲の地で考えて見たいものです。


[2930] Re[2929][2928]: 人が死ねば神・仏になる!  玄松子 2007/04/04(Wed) 12:25 [Reply]
単純な回答。

>  例えば、A天皇稜とされている古墳は、本当はB天皇陵かもしれませんよね。

・A天皇陵であるかもしれませんよね。
・B天皇陵であっても発掘に適さないのは同じこと。

> 本土の皆さんの多くが否定的なようですが。。。

沖縄の遺跡は沖縄の人々の「意思」で破壊されているのですか?

[2929] Re[2928]: 人が死ねば神・仏になる!  琉球松 2007/04/04(Wed) 11:09 [Reply]
 和歌山さんへ

 キリスト教徒が怒るのも無理はないでしょう。
 こういう事は合意がなければ反感をかうだけですよね。

 さて、では日本の古墳の場合はどうでしょうか。
 すくなくとも宮内庁管轄の古墳は税金で保護されているわけですから、国民の意思さえあれば調査しなければならないですね。
 問題は「意思」ですが、本土の皆さんの多くが否定的なようですが。。。

 しかしどうでしょうか?
 例えば、A天皇稜とされている古墳は、本当はB天皇陵かもしれませんよね。
 神となられたB天皇は憤慨していると思いますよ。もちろんA天皇もガッカリされていることでしょう。

 「朕の陵を確認せよ!」との詔を聞くべきだと考えますがどうでしょうか?

[2928] 人が死ねば神・仏になる!  和歌山 2007/04/04(Wed) 07:15 [Reply]
 天皇はすでに死んで神となっており、天皇陵には鳥居があり皆さん手を合わせています。私の先祖も死んで仏になり手を合わせています。人が死ねば神・仏になるのです。
 最近キリストの墓が発掘されたというニュースがありましたがキリスト教信者は怒っています。
 寺院には建物なんかが文化財に指定されていますが、仏像は信仰の対象であるという考えから文化財指定を拒否する寺院があり、国もその考えを尊重しています。

[2927] Re[2926][2924][2856]: 出雲の加茂  とみた 2007/04/04(Wed) 01:02 [Reply]
ミスばかりで恐縮至極です。加筆訂正します(まだ間違っていたら勘弁ください)

仏経山をアジスキ祭祀集団とする根拠です。

> 根拠@・・・神社の分布です。オオナムチ信仰は出雲の西南部の神門郷に広く行き亘っているとしても、出雲の東部には希薄である。出雲の西中央部でも出雲郷、漆治郷、河内郷、建部郷にはその影が薄い。
>
> 寧ろ、アジスキ神を祭る阿受伎社が多い。
>
> 根拠A・・・神奈備山です。宍道湖の北には楯縫郡の大船山が神奈備で、アジスキ神の妻神のものと伝承されています。これと対称して同じ高さの神奈備が宍道湖の南の仏経山です。これは夫のアジスキ神のものではないか。
>
> 仏経山の北麓に荒神谷があります>
> 根拠B・・・アジスキという名は、立派な鋤という意味です。斐伊川の下流の氾濫原を鋤で開拓した民でしょう。

[2926] Re[2924][2856]: 出雲の加茂  とみた 2007/04/04(Wed) 00:53 [Reply]
神奈備さん お付き合いしていただいて恐縮です。

荒神谷の銅剣358本、加茂岩倉の銅鐸39個が紀元後2世紀弥生時代に埋められた事実ことだけが事実です。

根拠@・・・神社の分布です。オオナムチ信仰は出雲の西南部の神門郷に広く行き亘っているとしても、出雲の東部や出雲の東部には希薄である。出雲の西中央部でも出雲郷、漆治郷、河内郷、建部郷にはその影が薄い。

寧ろ、アジスキ神を祭る阿受伎社が多い。

根拠A・・・神奈備山です。宍道湖の北には楯縫郡の大船山が神奈備で、アジスキ神の妻神のものと伝承されています。これと対称して同じ高さの神奈備が宍道湖の南の仏経山です。これは夫のアジスキ神のものではないか。

仏経山の南麓に荒神谷があります。荒神谷の東3km離れた加茂町の地に加茂岩倉と神原神社古墳があります。

根拠B・・・アジスキという名は、立派な鋤という意味です。斐伊川の下流の氾濫原を鋤で開拓した民でしょう。

したがって、子の土地神の元祖は、出雲のアイデンティティーをもって暮らしていた。

そこへ神門郷からオオナムチが新しい技術たとえば鍛治鉄でもって斐伊川流域に侵入し、古い技術である倭鍛治のアジスキを制覇していった。

大和の政権の介入により、オオナムチ集団は大和に取り込まれて味方し、アジスキ集団のの高鴨氏を出雲から祭神ごとさせた。

出雲の東部の安来にも加茂の地があり、これも同様な扱いを受けたのでしょうか。

神原神社は、由緒書きによると、斐伊社をその神宝である十握剣を以って奉じて武蔵国んの氷川神社として勧請しました。

これはヤマタノオロチを切った剣でしょう。このコピーを造って神原神社に残したとされています。私の勘では出雲に出てくる斐(伊)川、簸川と氷川は同じではないか。

タギシ浜から杵築大社(出雲大社)に大和政権の政策で7世紀後半に遷座します。オオナムチ神が広がりアジスキ神は摂社として取り込まれのでしょう。

オオナムチの子神とされて仕舞いました。

同じ子神でも事代主命は大和朝廷にとって都合のよい神様になりました。記紀には事代主は存在していても、出雲風土記にはありません。

以上、高橋宏行さんの説を引用しながら私自身の解釈を付加しました。スサノオの神社の分布を見ると、出雲の南部山間地帯に東西ベルト状に分布しているそうです。

備中神楽を見ますと岡山県備中にもスサノオとクシナダ姫とヤマタノオロチの舞う神楽があり無形文化財になっています。ヤマタノオロチは出雲の斐伊川の話ですがこれは吉備にも関連があるかと思っております。

以前、葛城の高鴨アジスキ神社のことで、葛城の南郷や大東や極楽寺遺跡が、朝鮮の鍛治などの工人=渡来人の跡と知って、高鴨神社は開拓の民が祭る神だと思っていました。神奈備さんは昔から葛城には高鴨族がいたとされました。

今回、高鴨は出雲から葛城に来たのではないかということで繋げたわけです。

以上、所詮は、素人の青草です。失礼しうました。


> > 荒神谷遺跡の南には神奈備(神名火)山の仏経山を控えています。アジスキ祭祀集団の神奈備ではなかろうかという説があります。
>
>  この説の根拠は何でしょうかね。
>
>  『出雲国風土記』出雲郡の阿受伎神社の祭神は阿遲須枳高日子根命とされており、これを信じる限り、仏経山付近と云うよりは出雲大社の東の辺りに多いようで、この付近が根拠ではと思っています。神社の詳細は以下の通り。
>
> 阿受伎社 阿須伎神社 大社町大字揺堪
> 阿受枳社 同社韓国伊太祁氏神社 大社町大字揺堪
> 同阿受枳社 同社天若日子神社 平田市奧宇賀町布世の籠守大明神
> 阿受枳社 同社須佐袁神社 大社町大字揺堪
> 同社 同社神魂意保刀自神社  大社町大字揺堪
> 同社 同社神伊佐那伎神社  大社町大字揺堪
> 同社 同社神阿麻能比奈等理神社  大社町大字揺堪
> 同社 同社神佐我神社  大社町大字揺堪
> 同社 同社阿遅須伎神社  大社町大字揺堪
> 同社 同社天若日子神社  大社町大字揺堪
> 阿受支社 阿須伎神社 大社町大字揺堪 に合祀か
> 同阿受支社 以下同
> 同社 以下同
> 同阿受支社 以下同
> 同社 以下同 24社
>
>  阿遲須枳高日子根命は大国主神と宗像の多紀理姫命との間の子です。筑紫とつながっていたのでしょう。筑紫と云えば出雲振根が思い起こされますが、確かに崇神朝に抵抗した人です。
>
> > オオナムチは大和政権に取り入りますが、アジスキは頑なに出雲のアイデンティティーを守ろうとします。
>
>  筑紫とのつながりで云えば、アジスキは頑なだったのかも知れません。もう一人の頑固者は建御名方ですが、彼は諏訪、アジスキが葛城と云うのはアジスキがあまりにも王権の根拠地に近すぎるのではとも思います。
>
>  後の世の『出雲国造神詞』では、阿遲須枳高日子根命が大国主と同じように皇孫の命の近き守神と貢り置かれています。
>  建御名方はお呼びでない。
>
>  本当にアジスキは頑なに出雲のアイデンティティーを守ったのでしょうか。
>  

[2925] Re[2921][2919]: 無題  玄松子 2007/04/04(Wed) 00:39 [Reply]
>  「発掘は破壊」かもしれませんが、もう十分に破壊されていますよ。

すでに破壊されているから、さらに破壊しても良い?
そんな馬鹿な話はありません。


>  ですから、重要性を確認するためにも詳細な調査は必要でしょう。

重要性を確認するために破壊が必要?
そんな馬鹿な話もありません。

破壊されたものは元には戻りません。
現代の天皇は神とは呼ばれませんが、古代の天皇はすでに神です。
神をあばく事は、神を殺すことです。神を殺すことは信仰を殺すことです。
抹殺された信仰は、戻せません。


>  「知らない」ことのメリットもあるかもしれませんが、「知る」ことのメリットのほうがはるかに有益です。

それはマッドの論理です。そのままを肯定すれば、どのような人体実験も正当化されます。

メリットの有益さとは何でしょうか。
それはどのように測定できるのでしょうか。
誰が有益と判断するのでしょうか。

たとえば、高野山では奥ノ院に空海が今でも生きていた姿のまま禅定していることになっています。それを声高に「知るメリット」を叫びながら、調査・公開するとどうなるでしょうか。

エジプトやギリシャのように、すでに死んでいる神(信仰)ならば話は別かもしれませんが。

[2924] Re[2856]: 出雲の加茂  神奈備 2007/04/03(Tue) 20:17 [Reply]
> 荒神谷遺跡の南には神奈備(神名火)山の仏経山を控えています。アジスキ祭祀集団の神奈備ではなかろうかという説があります。

 この説の根拠は何でしょうかね。

 『出雲国風土記』出雲郡の阿受伎神社の祭神は阿遲須枳高日子根命とされており、これを信じる限り、仏経山付近と云うよりは出雲大社の東の辺りに多いようで、この付近が根拠ではと思っています。神社の詳細は以下の通り。

阿受伎社 阿須伎神社 大社町大字揺堪
阿受枳社 同社韓国伊太祁氏神社 大社町大字揺堪
同阿受枳社 同社天若日子神社 平田市奧宇賀町布世の籠守大明神
阿受枳社 同社須佐袁神社 大社町大字揺堪
同社 同社神魂意保刀自神社  大社町大字揺堪
同社 同社神伊佐那伎神社  大社町大字揺堪
同社 同社神阿麻能比奈等理神社  大社町大字揺堪
同社 同社神佐我神社  大社町大字揺堪
同社 同社阿遅須伎神社  大社町大字揺堪
同社 同社天若日子神社  大社町大字揺堪
阿受支社 阿須伎神社 大社町大字揺堪 に合祀か
同阿受支社 以下同
同社 以下同
同阿受支社 以下同
同社 以下同 24社

 阿遲須枳高日子根命は大国主神と宗像の多紀理姫命との間の子です。筑紫とつながっていたのでしょう。筑紫と云えば出雲振根が思い起こされますが、確かに崇神朝に抵抗した人です。

> オオナムチは大和政権に取り入りますが、アジスキは頑なに出雲のアイデンティティーを守ろうとします。

 筑紫とのつながりで云えば、アジスキは頑なだったのかも知れません。もう一人の頑固者は建御名方ですが、彼は諏訪、アジスキが葛城と云うのはアジスキがあまりにも王権の根拠地に近すぎるのではとも思います。

 後の世の『出雲国造神詞』では、阿遲須枳高日子根命が大国主と同じように皇孫の命の近き守神と貢り置かれています。
 建御名方はお呼びでない。

 本当にアジスキは頑なに出雲のアイデンティティーを守ったのでしょうか。
 

[2923] Re[2908]: くずさん  くず 2007/04/03(Tue) 12:20 [Reply]
おそくなりましたが、とみたさんの信州ネタに、

>湖沼や河川の鉄分が葦などに吸収されて根っ子にたまったものが枯れると高師小僧という褐鉄鉱が出来る。
>これを利用して古代は鉄鐸を造ったのではないか。これの実験をされて論考されています。

百瀬高子さんの著書は未読です。真弓常忠さんの「古代の鉄と神々」は以前読みました。

弥生初期の近畿、東海圏に、褐鉄鉱(高志小僧、あるいは鈴石、鳴石)からなる鉄澤(鈴)を用いた祭祀が、銅鐸の普及に先駆けてあったのではないか。と思います。
そこに半島(?)から青銅製の鈴が入ってきて、褐鉄鉱製の鈴にとって変わったのではないか。
九州とは違いを見せる、近畿、東海圏での銅鐸の広がりは、褐鉄鉱の鈴への祭祀を下敷きにしたものだったとか。


 大国主の時代、美保の岬に正体不明の神が現れます。皆知らないという彼をタニグクがクエビコなら知っていると言い、クエビコは神産巣日神の子であると言います。
神産巣日神は手俣からこぼれた我が子であると認る。タニグクはヒキガエル、クエビコは山田の案山子だそうです。
大国主とともに国造りを始めるが、その完成をまたずして常世に去ってしまう”小さな神”が実は銅鐸の擬人(神)化であったとか、どうでしょう?(笑)
もし弥生時代の工房が産霊の神へ信仰を伴ったものだとしたら、その神の子とされた部分も含めてどうかな?と、思うのです^^
 

[2922] 無題  和歌山 2007/04/01(Sun) 22:50 [Reply]
 もし仮に発掘調査して石室及び出土品があったとして、きちんとした保存対策が出来るかという懸念もあるわけで、高松塚古墳の二の舞は踏みたくないですね。仁徳陵のように巨大な古墳ともなれば相当大掛かりな発掘調査になりますし出土してから保存対策を考えても遅いので綿密な準備が必要です。なんて勝手に掘るという話しになってしまいましたね。でも正倉院や沖ノ島クラスの出土品がゴロゴロ出土する覚悟は必要でしょう。○○天皇の骨なんて出土したら国民は戸惑うでしょうね!弘法大師空海、徳川家康の遺体はどうなってんだろう?

「ソッとしておいたほうがよい」というのは、おそらく日本国の象徴である天皇と天皇制に対する国民の感情もあるでしょう、紀子様の懐妊の時のように、天皇陵のことが話題になれば皇室がもう少し身近に感じることが出来るかも知れません。
 大阪の仁徳陵などの古墳群が世界遺産登録の動きもあるし、今後天皇陵のことが大きくクローズアップされる日がくるでしょう・・・

[2921] Re[2919]: 無題  琉球松 2007/04/01(Sun) 09:05 [Reply]
 和歌山さんへ

 宮内庁管轄以外の発掘から始めるのもいいかもしれませんね。
 「発掘は破壊」かもしれませんが、もう十分に破壊されていますよ。
 「神武天皇稜」なども、本当の場所はすでに削平されてしまっているかもしれません?
 ですから、重要性を確認するためにも詳細な調査は必要でしょう。
 「知らない」ことのメリットもあるかもしれませんが、「知る」ことのメリットのほうがはるかに有益です。

 たとえば、沖縄島の「浦添ヨウドレ(初期王朝の墳墓)」の調査で明らかになったものの一つに「王妃の出身地がベトナム北部であるとがDNA鑑定で確認」されたわけです。これは各方面の研究の進歩に貢献しましたね。

[2920] Re[2919]: 無題  玄松子 2007/04/01(Sun) 04:18 [Reply]
>  秦始皇帝陵はたぶん何十年後かに遺体が発掘されるでしょうけど、中国は国家的事業ですからね。

今の中国と「秦」は別の国ですからねぇ。
中国が始皇帝の子孫を元首とする「秦」国だったらどうでしょうか。

[2919] 無題  和歌山 2007/04/01(Sun) 01:14 [Reply]
 陵墓の発掘が困難であれば、陵墓以外の陵墓の可能性のある墳墓を掘ればある程度のことはわかるでしょうね!掘ればどんな出土品があるだろうと想像するとちょっと想像できないな〜、でも発掘するということは破壊行為でもあるわけです。
 秦始皇帝陵はたぶん何十年後かに遺体が発掘されるでしょうけど、中国は国家的事業ですからね。日本も例えば皇族の中から発掘しようと言う声がでてくるかも。歴史に造詣の深い方もいますし、皇太子も歴史専門ですし。それに正倉院が世界遺産になった時は、宮内庁はよく決断したと思いますよ。


神奈備掲示板、写真掲示板、過去ログ集




神奈備ホームに戻る


inserted by FC2 system