青草掲示板ログ平二十年 四月 2008.4
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[3846]  ケガのお灯明     紋爺ぃ 2008/04/30(Wed) 09:36 [Reply]
  
 素人どん、み胸ぇ貸してもらったお蔭で、大きくふんぎれました。有り難うございます。
 その厖大な類似語彙群をどうお伝えすればいいのかには、ホ〜〜ンと苦しんだのです。しかし、しんけんにもがけば、やっぱ、いい解決の途が開けるもんですね。
 小生は http//you-org というドメインを持っているのです。 4年前まではここにネパール語にかぎらず、いろんな語彙対比表を出していました。ところがマッキントッシュ出張家庭教師が╋に引き揚げたので、それを再び掲出することができません。オレ、キカイオンチなんです。
 
 でも、きのふ出した na jik-ai は、まったく以って図らずもズバ抜けに良い例挙でした。
 トトトン、トトトンと玉が弾きとばされて、入り口で choto ためらったかと思ったらストンと穴に入る。とたんに三チャン・ぞロ目が出て大当たり! (パチンコ風景)。

 najikai などの na を、倭人が mi として受けた構図ですが、これは台湾アミ族語の mi yup(口で吹く)の mi ではないか……が小生の胸に浮上しました。台湾ブヌン語は ma-iyop です。すなわち、語頭の mi- 、ma- は動詞形成子として受け取れます。倭人がいた江南と台湾では場所が違うじゃないかとの誹りが聞こえそうですが、われわれはすでにスンダランド爆発という認識をえました。アリャ、まだ書いちゃいませんでしたかね。これ、次にすぐ書きます。
 起爆地帯を同じくしているのです。見えなくしているのはシナ語の“白いヴェ−ル”です。

 やまとことばの優雅さの代表的な、酒くらいなどの「-ahi」が、ネパール語の -au と、アイヌ語にもみられる hi(ことがら、名詞化)との合作であること、日本語の命令系がネパール語に起源をもつことも、法則性を加味させながら、叙述できたかと思っています。

 以上の、たまたま出来た三つのことで、こんごは、一個々々の語彙詮索ではなく、法則性をたよってスジ掴みに奔れるめどがたちました。
 神奈備どんもほ〜んま、あが。こう踏ん切れた以上、オレもう一冊本を書くことになるでしょう。そんときゃ日本人ぜんいんがカゼぇひくでえ。

[3845] Re[3843]: 沖縄の土着語 5 喜如嘉方言 3   神奈備 2008/04/29(Tue) 19:00 [Reply]
琉球松さん、ありがとうございます。

> 『琉球民俗の底流/吉成直樹(古今書院)2003』より
> ***韓国のシャーマニズムと古代朝鮮語研究者である徐延範の教示によれば、ナルコ・テルコの「ナル」は古代朝鮮語で「太陽」を意味する言葉であるという。(略)
> そればかりではない、ノロは古代朝鮮語のノレ(謡う)、ノリ(遊ぶ)に対応し、民間のシャーマンであるユタはヌタ(言葉)に対応するという。***

 東アジアに共通した言葉があって、それが各地に分布したと云うことが浮かび上がって来そうですね。

[3844] くるしゅうない、近う寄れ    紋爺ぃ 2008/04/29(Tue) 15:43 [Reply]
  日本語でミジカイ、ミヂカイといった場合には意味が二様でている。一つは先にのべた choto の ショート、二つめは「(身に)近い」です。
 では、この「身近い、近い」はネパール語に還元できないのかとなると、それができます。

 「近い」もあちら方面のことばでは、大略 *najik(近い)と言っています。
 ネパール語 najik……近い najikay ……近く、すぐそば
 タジク語 nazd……近いこと、接近 nazdik(時間、空間ともに)近い、接近
 クルド語 nizik……近い、接近した
 ウルドゥ語 nazdik……ペルシャ発 ; 近くに

 ネパール語には、別に cheu(そば、近く,横)があって、cheu chau(チェウチャウ)は「そばに」です。jik から「チク」もでましょうが、jik と チェウチャウが絡み合ったら「ちこう」は……ちょと無理かぁ。「近こう」を造っている -au はヒンディー語にはありませんか? ネパール語にはあります。
 祭る ・ 祭るau ・ まつろわぬ 、語り ・ かたらい、 てる ・ てらい、酒くう ・ 酒くらい

 ネパール語の najikay の語形に注目してください。末尾の -ai は強調末尾辞です。これが日本語ではほとんど -e で機能して動詞の命令形を造ります。
 najik などの na は場所だろうとおもいます。これに k がつくと、nak(場所)だし、g がつくと、土地神のへびです。
 この na に対応する日本語は mi ですが、やっぱ、 mi は“身”でしょう。ギリヤーク語に mif(陸地)がありますが、これの援用はむずかしいところでしょう。
 
 ネズミはムサですよね。ネズミのように穢くって、みにくいのを ムサクルシイといいましたが、ネパール語 kurup は「みにくい、穢い」です。
 ネパール人兼日本人の武士階級はかなり尊大に構えていたらしいですね。

[3843] Re[3817][3771][3770][3760][3758][3756][3755]: 沖縄の土着語 5 喜如嘉方言 3   琉球松 2008/04/29(Tue) 09:32 [Reply]
 神奈備さん、「ユタ」などの語源に関しては、こんな説もありますよ〜。

『琉球民俗の底流/吉成直樹(古今書院)2003』より
***韓国のシャーマニズムと古代朝鮮語研究者である徐延範の教示によれば、ナルコ・テルコの「ナル」は古代朝鮮語で「太陽」を意味する言葉であるという。(略)
 そればかりではない、ノロは古代朝鮮語のノレ(謡う)、ノリ(遊ぶ)に対応し、民間のシャーマンであるユタはヌタ(言葉)に対応するという。***

[3842] 帯びに choto 、たすきに……    紋爺ぃ 2008/04/29(Tue) 07:39 [Reply]
『日本語の誕生』巻末 基礎 200語彙対比表に沿って、順次みてもらおうかと思ったのでしたが、すでに 14 語はだしましたし……。そこに思わぬ伏兵がいました。 10年前ではそんなに気にかけなかったのですが、基礎 200語彙対比表に出ている語形には、小生が馴染んだラム君掲出の語形がでてなかったり、別語形で出ているのです。それは 20ほどあります。
 これでは「基礎 200語彙対比表」の“基礎性”がこわれています。

 「言語は窮極には個人言語に煮詰まる」とは聴いていましたが、ここにも辞書編纂とか表作成に、編者の態度方向が大きくかかわって(影響して)いるようです。

 そこで、小生が作成した『ネパール語 / 日本語・アイヌ語 類似語彙一覧表』の記述順にそって、ぼつぼつ始めたろうか、とも考えたのですが、その数は厖大です。
 ネパール語に類似する日本語とアイヌ語は、重なったものもありますが、カンですが 60%は重なりません。 
 一日に 15語彙を挙げるにしても、100日!!
 ここの掲示板には言語にはまったく関心を持たない人びとにも開かれているのですから、長期間にわたって専門的(?)なこまかい記述を出すは、ハタ迷惑でしょうしィ♂
 ハタと困ってま。
 そんでもって(東京方言)、へたなギャグなれど、上掲 choto(英語 short)みたいなのが出たたびに、書き込みしましょうかネェ。それにしても厖大なボリュームです。
  choto / ちょっと、ちょんの間、、ちょちょ切る。

[3841] bho の親族がクセモノだったか  紋爺ぃ 2008/04/28(Mon) 09:45 [Reply]
 こんごの展開のプログラムですが、まず、安本美典著『日本語の誕生』巻末 基礎 200語彙対比表にみられて、日本語と類似を示すネパール語を挙げたいとおもいます。

 そのまえに……。さきに言った、過去をいうネパール語の bho は、天理教海外伝道部刊 ; 『基礎ネパール語事典』の p22、上から 2段めにあります。10年ほどまえの「日本・ネパール友好協会」理事の N さんは「あれ(同事典)は誤りが多い」と、言っていらっしゃいましたが、それはこういう bho などのことだったのかもしれません。
 この辞典(事典ともなっています)は 1958年から 6年間、日本に滞在した Ram Krishna Verma 氏(当時通称 ラム君)が主になって書いたものです。これが、ネパール国内で原稿が書かれ、それを誰か権威ある学者に見てもらったのなら、「 bho はやめなさい」と言われたのかもしれません。
 が、ラム君が bho は当然にもネパール語だと思っていたことにはまちがいはない。
 西洋語もインド諸語も動詞という動詞は全部(一個ごと)変化するのが基本ですので、やはりこの bho はビルマ・チベット語圏からの流入と断定していいでしょう。
 ということは? この現象はゴキブリ一匹で、百匹ほどが、まだ隠れているという勘定になりましょう。

 小生も一歩譲歩して、ネパール語の古形はサンスクリット語だったことにしましょう。
 そうしますと、ネパール語という屋台骨をサンスクリット語というベース・キャンプからぐんぐん離れさせたは、このビルマ・チベット語というクセモノだったのでは?

 ネパール語とは、今のネパール国王が率いるネパール王族がしゃべる言葉です。……ということは、いちどシナ四川省あたりへ行って、周辺とたいへん仲良くなった経緯があったのではないでしょうか。狙え! チベット、四川省。

[3840] 蘇我 / もののべ戦争の現代的意味  紋爺ぃ 2008/04/28(Mon) 07:07 [Reply]
 えらい! きのふ一日気鬱でしたが、あっしに道をひらいてくれました。
 それを“構造”と呼んでいいのかどうか……ですが、テキは巨大なんです。

> いくら「青草」だといっても、ここでインド哲学の議論や講義はまずいでしょう。
★ とのお言葉なれど、「哲学」ということで、難しく考える必要は丸でないんです。要は平明な言葉で簡単に云えればいいんでしょ? それ、云えます。ただ 「統覚 adper-ceptio 」という用語一つだけは遣わせてください。

 戦争が終わって 20年経ったとき、小生は元陸軍の諜報官だった宇都宮在住の Kさんから「日本の歴史とは蘇我勢力と物部勢力の抗争史ですよ」と、熱っぽく訴えられたことがあります。

 勢力が何であろうと、これは自我現象の捉えかたの両極端のことで、科学の知見がまるでなかった古代では、ホタルみたいな目にはみえない“魂”が、肉にくっついて、それが自我現象として発光していると思って来たわけです。この考えは今でも大手を振ってまかり通っています。
ほとんどの宗教家も、これを踏襲しているでしょう。小生もものごころついてこのかた、4年前までそう思い、自我現象とかじぶんの死が怖くってたまりませんでした。

 ところが、すでにカントでは apper-zeption なる考えが生まれていたのです。apper-zeption は日本では「統覚」と訳されました。
 でも、その“機能”は神与のもの(Es gipt)として受け取られていたらしく、肉(身体)や大脳との関係はあまり語られてなかったのです。
 そこへ 1990年の大脳爆発です。
 
 客観というものは、具体的にはどこにもない、あるのは個々が認識する主観だけです。その個が認識体験するとき「これは私の経験だよ」と、いちいち荷札をつけるみたいにした記号が、記憶の倉庫に収められ(統覚)る。その「私の経験」の集積が自我現象にほかならない。

 そういう機能を果たす器官が、まもなくみつかる……は、5年ほど前の大脳科学での解説でした。自我の窮極にある精神性としてのアートマンと、宇宙を宇宙たらしめている精神性としてのブラフマン……との合体。
 次から次に生まれてくる青年たちに、インドがどんなことを要求してきたか、もうこれ以上の説明は要らないでしょう。

[3839] Re[3837]: 順逆のカベが見えたので    素人 2008/04/27(Sun) 15:12 [Reply]

いくら「青草」だといっても、ここでインド哲学の議論や講義はまずいでしょう。
哲学用語が飛び交っても理解できる人は少ないだろうし、もちろん私も全然わかりません。
サンスクリットを持ち出したのは、ネパール語語彙の大半はサンスクリットに遡ることが出来ることを
お知らせしたかったからで、他意はありません。
これはネパール語独自の語彙を知る上で少しは役に立つと思います。無駄足も省けるし。

[3838] Re[3836]: 取組み姿勢……だからオレ、嫌われるが、特攻精神ぞな  素人 2008/04/27(Sun) 13:31 [Reply]
紋爺ぃさんが何に腹を立てているのか分りませんね。私の書いたインド語の変遷過程がどこか違ってますか?

紋爺ぃさんのテーマ「ネパール語と日本語の近似、相関」は独創的で興味深いと思ってます。
もし、本当にネパール語が日本語の生い立ちに深く関わっていたのであれば、これは文句なしの大発見であるし
日本の古代、歴史や神道を理解する大きな手がかりになり、建国の謎も解明されることになるでしょう。
だから非力ながら、私のインド語知識で分る範囲で参加、協力をしようとしているわけですがね。

ところが、紋爺ぃさんの引用するネパール語が私の知っているネパール語とかなり違う。というか、辞書にも載って
いないような単語や用法が盛んに出てくる。もちろん私の辞書が完璧だ、などとは思ってもいませんが、紋爺ぃさん
お使いの辞書は私のよりもはるかに語彙数も少ない、しかもローマ字転写表記だということは以前に聞いています。
いや、それでもいいんです、もし私の疑問に答えてくれるのであれば。ところが、質問をするといきなり腹を立てて
しまうのでは、何が何だか分らなくなります。特攻精神とかいわず、冷静にやりましょうよ。
議論や検討を通じて「真実」により近づいて行けるのですから。

もし私の指摘が間違っているなら、少し強い言葉で反論されても結構です。ただ、青草は公開型の掲示板ですから、
「ナンカァ、コンチクショ、叩ッコロスぞ!」みたいのは遠慮してもらいたいですがね。

[3837] 順逆のカベが見えたので    紋爺ぃ 2008/04/27(Sun) 12:11 [Reply]
昨夜はついつい激した書き込みとなって失礼しました。お詫びします。
 考えてみたら、ここの板にはいろいろな人物が入ってくる仕組みになっていたのに、それ忘れていました。

 小生は前々からインドとかサンスクリット語については、二つのことについて大きな疑問を抱えて、もてあましていました。
 一つはスペイン・イギリスなどの植民地化が進んでいたとき、西洋人はインド人を「この人びとは召し使い向きに飼いならされてきた」と評したことです。それには宗教やカースト制が大きく影響していましょうが、それをそうさせたには「強い言語……大言語」と意識されたサンスクリット語の影響があったのではないか、という疑惑です。
 もう一つは、いわゆる「サンスクリット語の訳語」といわれる一連の漢字表記の宗教哲学用語です。たとえば「うらぼん」は「倒懸」という漢字があてはめられているのですが、それはうっランバナなるサンスクリット語発だといわれています。これじゃぁ、宗教で修行する前に文字やことばの意味、由来の把握だけで、青年はすぐの老人になっちまう。

 あ、も一つありました。物質は変化するので頼りにならない……といって、身体(自分)を身体たらしめている窮極の精神的実体・ブラフマンと、宇宙を宇宙たらしめている精神的実体者たるアートマンの、主観内の融合こそが人生の最高目的であるとする、インドの伝統的知見です。

 こういう疑念はいずれ解決しなければならないとは思ってきましたが、なかなかいいグルに恵まれませんでした。そこへ恵まれたのがサンスクリット語第一主義みたいな素人グルでした。
 そういうめぐり合わせでした。
 ここには「順逆」がミエミエです。
 
 司馬遼太郎さんの記述を読みますと、同氏はアーラーヤー識の部屋割りなどは、言語のクセでできた cell の枠だと看ていたようです。ただし、同氏はあまりにも有名になったので、あちこちに迷惑がかかると思ったのか、そこは言明しないままに世を去りました。

[3836] 取組み姿勢……だからオレ、嫌われるが、特攻精神ぞな  紋爺ぃ 2008/04/26(Sat) 18:44 [Reply]
> ネパール語はサンスクリットから分かれた言語。まずサンスクリットが俗化したプラークリットが出現、その中からヒンディー語、ネパール語、ベンガル語など各・・・
★ どん様、なんでオレが生涯かけた一覧表を、見ようともなさらないのですか?
 つまるところ、言語への不信感がグルの内面に渦まいていらっしゃるンじゃないでしょうか?
 真理よか、たちまちのてめぇのメシダネのほうが、重く評価されたりして……。
 言語にたずさわる……、各自にとって、それはどういうことなんやろかナァ。

 それからタイ。

[3835] Re[3834][3832]: 落ち bho ひろい     素人 2008/04/26(Sat) 18:33 [Reply]
すみません。間違えたのをそのまま送信しました。
> 8世紀以降にインドはイスラムのムガール帝国になり、その時に流入
★ムガル帝国じゃなくて10世紀の「ガズナ朝」でした。

[3834] Re[3832]: 落ち bho ひろい     素人 2008/04/26(Sat) 18:27 [Reply]
アボリジニ語のerrabungaは興味深いです。
さて
> 日本語はネパール語を指導言語として、江南にいた倭蛋民がそれを底支えしてできあがったと小生は看ています。

これは不思議。ネパール語はサンスクリットから分かれた言語。まずサンスクリットが俗化したプラークリットが
出現、その中からヒンディー語、ネパール語、ベンガル語など各言語が分かれたわけです。その時期を8世紀
とすると、いつネパール語が日本に来て指導したんでしょうね? どう思われます?
そういえば、よくネパール語引用されますよね。でもそれ、実は疑問だらけなんで。
ランダムに挙げると・・・
★ネパール語にbhoという助詞はないと思いますが。万一あったら用法を教えてください。

>ネパール語でも √ i - nam(名前) は褒美と訳されています。日本でも功労あった武将にはいい名前が贈られました。
★inamはヒンディー語にもあり、「名前」とは関係ないです。報償として与えられる「土地」のことですから。その元は
アラビア語なので、サンスクリットにはありません。インドでは「誰々のinaam」と呼ばれるくらい普通な言葉です。
実は、ヒンディ語、ウルドゥ語、ネパール語などにはアラビア語やペルシア語の語彙が大量に入っているんです。
8世紀以降にインドはイスラムのムガール帝国になり、その時に流入

6>matri(母)…… N ; matr(自国の) / まつろわぬ
★ネパール語でmatr(自国の)という言葉はないはずですよ。英語でいえばmother tongueみたいな使い方をすれば
できないことはないけれど、それはサンスクリットでも同じこと。公正な比較になっていないでしょ?

10>bija(種子…… N ; pi(種子) アイヌ語 pi(種子)
★ネパール語にpi(種)という単語はないのでは。

いろいろ疑問を書きましたが、参考になればいいですね。

[3833] 二つの太陽 と 人の名前    紋爺ぃ 2008/04/26(Sat) 11:28 [Reply]
 サンスクリット語では太陽は二つに絞られる……素人どん、有り難うございます。
 ソシュールの言語観では「音は恣意的に決定されている」がありますね。小生は、そういう考え方になるのは、西洋での言語研究が、文字の範囲内でしか“思考の振り巾”を持たないからだと思ってきました。
 人造語ではなく、土着性ゆたかな言語であれば、かなりのオノマトペアのところまで降りてゆけるはずです。「文字なんかを持ってしまって、硬化した言語」では、もう、土着性が失われてしまっているので、そういった“恣意性という絶望”が顔をのぞけ出したんだと思ったんです。

 ところが、半月ほどまえ、ふと気がついたのは、研究社刊の『羅和辞典』の編纂姿勢です。編者の田中秀夫さんは、見出し語の間々に、じつに夥しい数の固有名詞(人名、地名、氏族、家族名)を掲出しておられるのです。
 これは、箇々の語彙がこのような具体的な名詞によって、大きく規制、枠づけされている事実を読者に訴えたかったのではないだろうかと、小生は考えたのでした。いや、ここは田中さんの訴えを、すなおにそのまま信るほうが、まっとうな局面だと思いましょう。

 そこで小生が鋭意訴えねばならないのが、コンチキ号冒険で有名なハイエルダ−ルさんら 6名が贈られた、現地語での名前づけの儀式でのことです。
 これは言語研究上、きわめて重要な視角ですので、目ン玉かっぽじいて読んでください。
 
 1947年コンチキ号乗り組み員 6名は、ツアモツ諸島のラロイア島とタヒチ島の二島で、それぞれ二つの現地語の名前をもらいました。名前を贈るということには、古代の巫術にまつわる神秘性豊かな伝統が見られる。ネパール語でも √ i - nam(名前) は褒美と訳されています。日本でも功労あった武将にはいい名前が贈られました。
 ラロイア島のNO 2 の副酋長ツブホエは、フランス語や読み書きがで苦手なので第一位の座を、それができるテカに譲っていました。ところが命名式にあたってツブホエは、こぶのある杖をかざして「村びとのだれが聴いても解らないことば」で、コンチキ号の壮挙をたたえる演説をぶったのでした。
 このことは、ポリネシア広く、バイリンガルではなかったかを匂わせていましょう。演説をしたのですから、文法統語法も確立された言語だったにちがいありません。ツブホエが吼えたこの演説は、最後の原ポリネシア語だったと思われます。
 安本美典著『日本語の誕生』巻末 基礎 200語彙対比表では、オセアニア諸語とインド・ペルシャ語グループは 62語彙において、みごとな類似を示しています。また、ハワイならハワイの一言語を習得すれば、他のオセアニア諸語に、なんとかつぶしの利く会話ができると言われています。これは仏教流布のためにバラモン僧侶たちが活躍した軌跡だと判ぜられます。

 小生が訴えねばならないことは、この広い共通語のことと、もう一つが、名前の神秘性です。
 長くなりますので、端折りますが、アイヌ人の名前は、普通のアイヌ語では解らぬものばかりなんです。解るものといえば、カニクシランケ(斬鉄剣)やタナサカシ(兵站にかかわる勇士)ぐらいの、ネパール語発の名前だけです。
 アイヌも、こと名前に関しては、悪魔よけの願いをこめての、バイリンガルではなかったでしょうか。

 そういう、伏せられた個人や地名、家族名が、時代をふると、突如として普通の用語として社会の表面へ出てくる……。それがソシュールがいう「ことば(特に発音面)の恣意性」ではなかったでしょうか。

[3832] 落ち bho ひろい     紋爺ぃ 2008/04/25(Fri) 18:21 [Reply]
  この bho はネパール語で過去を示す助詞です。こんなのヒンディー語にありましょうか?
 もしかしたら、これビルマ・チベット語圏からの派遣社員かもしれないので注目です。

  《 errabunga(魚)》
 件のオーストラリア・アボリジニ語々彙集 に載っています。
 一つの目安は、沖永良部島が珊瑚礁の島かどうか……でしょう。
 珊瑚礁のない沖縄の海には魚がよりつかないのでは? 太陽に照らされると、大略、赤土になる。そこで 魚 ⇔ 珊瑚礁 ⇔ 魚 の意転が興ったのでは? エラブ−(うみへび)とは erabu・oo ・ uu(神・ or 王?)じゃなかったか。

  《 マタハリ(太陽)》
 インドネシア語でしたね。これをオレ、どうしてサンスクリット語として覚えていたんだろ?
 これについては、安里屋ユンタの √ マタハリ ヌ(nur) テダ ra(エジプトの太陽) hanul (朝鮮語; 天) sham(アラビヤ語の太陽) よ」と、さかんい人びとに訴えたので、迷惑かけたことになってると思います。マタハリとは「天の mata(目)」だと思います。 / 天目一箇神。 / 南米の女スパイ、マタハリ。

  《 tintoo 》
マタ、ミステーキ。 ti は使ってはならなかった、chintoo でした。でも、このごろの日本語に肉化されるときは チ ですよね。

  《 神ながれ文字習得のこと 》
 お誘い有り難うございます。でも、オレ、そんなには記憶力はないんです。まして、このとし 73才になったら、それこそ足手まといでしょう。オレがいろいろ覚えているように見えるのは、新しいことを知るたびに、感動して覚えるからです。
 で、ナマ半かなことを感動のもとに覚えるので、ついつい「叱咤被り」が出る。

  《 バナナ と マンゴー 》
風俗面での追求を怠るところでした。沖縄以南ではマンゴーの実を女陰に見たてる風習はないでしょうか? ヤマトにバナナとマンゴーが採れるもんなら、マンゴーの実を半分に割って、それにバナナを立てて田の神に捧げたことでしょう。

[3831] 前漢武帝の版図と倭蛋民    紋爺ぃ 2008/04/25(Fri) 12:19 [Reply]
> 凄くユニークな説ですね。
  有り難うございます。それって、ほめことばやと思いやして……。
 このところ奈良の兄哥が日本建国のことを告げてきました。それによりますと、BC 200年ころから、九州で建国が騒がしくなってきたそうです(九州王朝説 古田派)。
  前漢武帝の版図は、遠く西域を通りこした先まで広がっていますが、高校生が使う教科書によりますと、朝鮮南部と日本列島はその中には入っていません。
 ということは、派兵には兵站の輸送は不可欠で、江南にいた蛋民(筏乗り)がそれを請け負っていて「わえらの親戚はケンカも強いンやでぇ」と、武帝たちを脅していたからだと思います。
 蛋民は何万年も筏こいだので足が短い。そして舟から舟に呼び合うときには、イタリアのように 末尾にくる N(ん)以外は、みな母音がつく。
 九州にいた倭蛋民は、どこかよその強敵とケンカするようになったとき、舟と歩きで 3ケ月ほどかけて、重慶の奥まで僮客軍を呼びに行ったんじゃないだろうか。ここまで空想するのは、ぱっや考えすぎかなァ〜。
 筑豊は倭蛋民が海賊に化けた地帯だと思います。それはここの子供たちが遊んでいる様子を観察してみると一目瞭然です。「ナンカァ、コンチクショ、叩ッコロスぞ!」は、いつでも聞かれます。いや、聞かれました。
 おら、筑豊で育ったつばってん、そげな穢いことばは言わんやったばい。

[3830] アボリジニの太陽    紋爺ぃ 2008/04/25(Fri) 09:31 [Reply]
 あの本は、著者名はなく、A.W.Reed という出版社の名前で発行されています。
 Aboriginal Words of Australia なる本ですが、これで検索できませんか?
 資料は同国の国立図書館にあるらしいです。

 これがイエズス会だったら、すぐに現地語の辞書を造ったところでしょうが、あまりにもぶっ殺しがひどかったので、シランっぷり決め込んだんでしょうね。

 けさ、整理しましたので、彼の地の“太陽”を次に掲げます。
  1 〜 8 は方面別です。7 はタスマニアです。
1) djaat , ngangga(星は ngangar)
2) tsinta , ditye , deentoo
3) muri , moye , manity , mowan , ……mowan はタガログ、ネパール語
4) uuna , ngerwein , yongga , nowago , yungga , yonggadyr
5) yhuko , yhi(太陽の女神)……末尾の i に注目
6) thummyerloo , thummyelon , umm
7) tonalear
8) chintoo , chinto
その他 yhindi , allunga , allinga , arlunya , coolie
 allunga など、ネパール語の arun(明けがた)、フィンランドの aurinko(太陽)と同根だとみました。

 この本を見に御来駕いただければ、最高なんだがなぁ。

[3829] ありゃ、オーストラリア    紋爺ぃ 2008/04/24(Thu) 18:29 [Reply]
> それにしても"matsya"??????を「マツァ」とは・・
★ ウンニャ、そう表記したほうが、この場合ピッタシと思ったまで,でんねん。 

> アボリジニに興味があるので教えてください。
★ オレ、辞書に飢えて(かつえて)います。
  15年ほどまえ、オーストラリアに旅立つ友人にたのんで、やっと入手したのはオーストラリア人向きの本で、「ボート、ペット、ヒュッテ」などに名前をつけるときの利便を計ったボロボロ小語彙集でした。これ、ちょっと待ってください。
 でも、この本に tintoo(太陽 / tentoo )があるんですよ。
 ti , ti, ti 、ですばい。

[3828] Re[3826]: 各論 コメント      素人 2008/04/24(Thu) 16:58 [Reply]
> 日本語はネパール語を指導言語として、江南にいた倭蛋民がそれを底支えしてできあがったと小生は看ています。

凄くユニークな説ですね。

>>「伊良部の魚」が「ブダイ」を意味するとはどーも考えにくいですよ。
>★ ネパール語の macha は ma(水に)cha(ある、いる)と分析できるかとおもいます。
 サンスクリット語 マツァよりも起源を内包しているのではないでしょうか。

それにしても"matsya"मत्स्यを「マツァ」とは・・・ずいぶん違います。
発音を問題にするのなら、少なくともデーヴァナーガリーの音を知らないと。勉強しましょうよ。
ネパール語の祖先、サンスクリットの"matsya"を分析すると、mad-は「食べ物」という話です。

> 沖縄では大きく分けると、鯛と鯉の中間みたいな、青い魚……これがブダイですか?……をエラブチャーという場合と、イノーなどれとれる魚の総称をいう場合の二つがあるのではないですか? エラブは珊瑚礁だとも考えられているようです。が、もともと「エラブ」とは魚のことでしょう。それっというのもオーストラリア・アボリジニ語に「エラブ=魚」があるからです。

「ないですか?」といわれても・・・・エラブが魚の総称?なんて聞いたことないですよ。沖縄の友人も「わからん!」。
オーストラリアのアボリジニ語に「エラブ=魚」があるんですか。どんな辞書ですか?私もアボリジニに興味があるので
教えてください。

[3827] ラーメン テーブル    紋爺ぃ 2008/04/24(Thu) 08:20 [Reply]
 単にゴロ合わせするだけなのに、紋爺ぃのやつ、えらくリクツこきやがるナァと思う人は多いことでしょう。オレもそう思います。
 これに就いては、オレと世間一般様の間に、割り出し基準に大幅に流派のちがいがあるので、当然といえば当然なのですが、一つひとつの対比作業に要する文字数以上のリクツ述べの文字織物が必要です。
 小生はいつも言語に関する論理(スジたて)は、海上に浮ぶ石油基地の平面と、その下数百メートルに伸びている鉄柱(リクツ)に譬えられると、考えています。
 言語対比が正当に始動する(テーブル)には、数百メートルの強靱で柔軟な鉄柱(ラーメン)が最低 3本必要です。この鉄柱が定まらないと、言語をめぐる会話は、いつも相手の前提を問いつづけて、進展はいつもストップせざるをえません。
 小生はこれまで、言語対比をつづけるうちに、言語そのものから、かなりの法則を教えられました。曰く、第二子音濁化、濁音強調、開音化、√ i ○○V などなどです。
 
 ところが、ここにきて“辞書のあるなし”という大きな規制があろうとは! 辞書が及ぼす影響は考えてなかったわけではないのでしたが、こんなふうな枠枷があろうとは、思ってもみませんでした。
 素人どん、有り難うございます。
 でも、さきに叙べたとおり、これを持ち出せば言語対比そのものが不能、不毛に陥る局面をも持っていますね。
 やっぱ、始発を身ぶり語・咆哮語に置き、つづいて資料さえあれば、オノマトペアあたりから「子音・母音くみ合わせ」の語彙へと入って行くべきでしょう。

 日本語はネパール語を指導言語として、江南にいた倭蛋民がそれを底支えしてできあがったと小生は看ています。

[3826] 各論 コメント      紋爺ぃ 2008/04/23(Wed) 14:41 [Reply]
  
 だいぶ煙幕張っちゃった(独白)。
>「伊良部の魚」が「ブダイ」を意味するとはどーも考えにくいですよ。
★ ネパール語の macha は ma(水に)cha(ある、いる)と分析できるかとおもいます。
 サンスクリット語 マツァよりも起源を内包しているのではないでしょうか。
 沖縄では大きく分けると、鯛と鯉の中間みたいな、青い魚……これがブダイですか?……をエラブチャーという場合と、イノーなどれとれる魚の総称をいう場合の二つがあるのではないですか? エラブは珊瑚礁だとも考えられているようです。が、もともと「エラブ」とは魚のことでしょう。それっというのもオーストラリア・アボリジニ語に「エラブ=魚」があるからです。
 また、イラブ−と言ったら海蛇。
 シリトリの「チャー」ではなく、あたま取りの「マ」はマナ、マグロ、サンマなど

★ 呉音は ニチ、漢音は ジツですね。長崎オクンチの「ンチ」はニチのチだとおっしゃるわけですね。呉音よりも渭水発の漢音のほうが、より起源的だとした場合。 din と ji が重なりそう。「コ(日)ヨミ(数える)」などの文化語はどこかで借用があったとみるべきでしょう。
 これ、わが一覧表から引っ込めましょう。、
 しかし、このデン(これもネパール語)でゆくと、アキタのパッチ(首領、長男)あたりも出羽三山の開祖といわれている蜂子王子のハチや、流行りだったヌルハチを借用した傾向が濃厚となり、鉢巻も「出会いがしたにハチ合わせ」も本来の日本語ではないということになってくるみたい。
 そこで、問題は、「では本来の日本語とはなにか」ということになってくるとおもいます。
 もともと、どこの言語もこんなに語彙数はなかった。滑りだしは身ぶり語、咆哮語だった。さきに見た台湾諸語が示した「スンダランド爆発以前にあったと思われる小数の共通語」から推して考えると、よその部落から来たお嫁さんがババァになるまでの間に、その部落にいろんな言葉を移植したことで、そこの言語がしだいにでき上がってきた……を本筋にしています。
 そこで「この地球上、根本まで辿れる言語はどこにもない」という鉄則がでます。

 遠いとおいことではないんです。わずか 5万年前とか 7万年前のことです。
 最古の辞書とか古文献に出てないことばは、どこのことばでもない??
 だからソシュール手法だけがのさばる??

 豊後では「一日」を「ひしち」といいます。このヒシチは「日して」の訛りかもしれません。豊後ではタチツテトが、皆、チチチチチになるクセを持ってるんです。
 ところが「一日かけて」も「ヒシチかけち」です。怪しい類似は採用せず! 
 それが学者として生きる道ばい。

[3825] ことばが違っている・同じだ     紋爺ぃ 2008/04/23(Wed) 09:31 [Reply]
  二つ or 複数の言語・語彙が「同じだ・ちがうだ」という判断には、多くの前提条件があるようです。ほんとうはわれわれは、その多くの前提条件を会話によって乗り越え、克服することのほうを先に要求されていましょう。
 すこし前までは、世界には、ゆっくり数えて約 1万の、まあまあで数えて 5300の「名前がついている言語」があると言われていました。中には文法統語、語彙の一切が同じなのに、使用している文字がちがうだけで別言語扱いされているのもあるそうです。

 そういう場でわれわれの判断をクリティークするに当って、既にでましたが、一つのくにの中には多数の小数氏族語が抱き込まれている事実は忘れてはならないところでしょう。

 ネパールには 26の、ベトナム語圏には 53 の、フィリピンには 150の(氏族)言語があり、ニューギニアには 500の、オーストラリア・アボリジニには白人から絶滅させられる前には 1500の氏族語があったと言われています。
 シナには 27ほどの少数民族がいると言われていますが、とんでもない。それは白いヴェ−ルが被さっているだけのことで、もし、その白いヴェ−ルを取り払うことができたら、おそらくは1000以上の氏族語が露出することでしょう。シナ語は渭水(いすい)に興った軍隊用語が、彼の大陸に蔓延しただけのことです。
 こう考えてくると、小生が「日本にはすくなくとも 250の言語があった」と言ったは、ご理解いただけないでしょうか。まして、日本は歴史時代となった後も、大量の流民をうけ容れてきたという事実があります。宋の崩壊のときなど、正確な把握はできていませんが、厖大な難民を受け容れています(このときには、すでに日本列島規模での言語ができていたので、言語での混乱はなかった……司馬遼太郎)。

 国語や共通語は、元を糾せば家族語から興っているとの、極端を措いてみるのも有効な方法でしょう。

 ヨ−ロッパの言語分布をみると、いくつの言語があるのでしょうか。小生は知りませんが、数えるときの基本は 20か 30の「国の数」ではないでしょうか。それは人類史からみれば異常事態です。
 これまでの言語観は、大型言語をまず想定し、そこへ小数言語の処理を考えて来たのではなかったでしょうか。事態はその逆であることが、多くの言語を対比させているうちに、小生には把握されてきました。
 ジャンヌダークが郷土愛に燃え、フランス革命のとき、土民は「フランス万歳」を叫びました。そのへんから、言語観もオカシクなったのではないでしょうか。

[3824] 一つでも“確信”を得られたら    紋爺ぃ 2008/04/23(Wed) 06:48 [Reply]
  まいどアマカネ
 小生と同じころに同じようなことで、 K氏も阿寒に山本多助エカシを訪ねていたことを、あとで知りました。K氏は大野晋教授をとても尊崇していました。
  K氏も本を出したのですが、それを評するに大野晋教授は、そこに見られた一つの矛盾を挙げつらって「以って、信ずるにたりない」みたいな手法で、イナしました。
 それが大きな原因だったかどうかはわかりませんが、今、K氏はまったくヤル気を喪失して、言語での古代開発全般に懐疑的になっています。

 学者は、それでメシ食わねばならぬので、誤りに与することはゼッタイに避けねばならない。それも解りますが、この言語が示すウヤムヤ・ファジーの領域はだれかがウソでもいいので、声を挙げることが、まず、ゼッタイに必要な「進歩への第一歩」ではないでしょうか。
 その特攻精神こそ“ハレンチ”の効用です。

 万象は『○×の法則』に収まって認識されます。
 ○だと思いはじめると、いつのまにか(立場などの附随物がつきまとってくるので)○がほんとうのことだと見えてきて、×だと思いはじめれば、いつのまにか、×がほんとうだとの確信に導かれます。
 小生はいま、ネパール語と日本語のあいだに 1300余ペアの、そしてネパール語とアイヌ語のあいだには 510余ペアの類似語彙を挙げています。
 普通一般の人びとはネパールと聞いただけで「あの遠いネパール語と……!!」と、あきれ返ってしまいます。
 そこで、訴えたいのは「あの遠隔なネパールとのあいだに、一つでも類似が確信される」ならばとの視線を持たれることです。
 人類の先祖がアフリカから歩いて、オーストラリアや南米南端まで行ったことは、万人が共通諒解を得ないまでも、科学での“事実”なんですから。

[3823] Re[3820]: ネパール語に起源をおく正当性    素人 2008/04/22(Tue) 14:35 [Reply]
> これがネパール語では次のような変化をみせて、日本語・アイヌ語に類似をみせます。

なかなか面白そうですね。整理するために番号を付けさせてもらいました。
1>pakusya(羽根)……N ; hamk-(扇ぐ) / 日本語 ; はむき(ふいご)
2>matsya(魚)……N ; macha(魚) / 沖縄 ; エラブチャー
3>hima(雪)…… N ; hiu(氷、雪) / 冷ゆ、冬 ひゅーだれ(天草 ; つらら)
4>purna(英語の full)……N ; bhari(いっぱい) / (水を洗面器などに)張る、溢る。
5>hasta(手)…… N ; hat(手、腕) / アイヌ語 ; hatpok(脇の下)
6>matri(母)…… N ; matr(自国の) / まつろわぬ
7>dina(英語 ; day)……N ; din(日) / おくんちの“ち” アイヌ語 to(日)
8>eka( 1 )……N ; ek( 1 ) タジク語で「イク」に近い音となって ・ イチ。
9>dvi( 2 )…… N ; tui( 2 ) つい(対) アイヌ語 ; tu( 2 )
10>bija(種子…… N ; pi(種子) アイヌ語 pi(種子)
11>pati(父)…… N ; adhipati(首長) / 秋田方言 ; パッチ(父、長男) adhin は支配

個別に気がついたことを書かせてもらいますよ。
1は確かに興味深いです。

2はサンスクリットもネパール語も、発音の違いがあまりないのはいいとして、それよりも問題は
「エ(イ)ラブチャー」の「チャー」が魚を表す単語か?という所。沖縄特有の魚の名はたくさんある
のに、「チャー」がつくのは「イラブチャー」「オオバチャー」など数種類くらいしかないんですね。
気になるのは、それらが全部「ブダイ」の仲間であり、ブダイとブチャーの近似も気になる。
次のサイトには沖縄方言の魚名がいろいろ表になってます。
http://www.air-okinawa.com/oka_info/fishing/fish_name.html
イロブダイ→イラブチャー オオバチャー→アオブダイ アカグチャー→アカブダイ 
大体、伊良部島を代表する魚といえば何といってもカツオ、高地と並んで一本釣りの本場なので、
「伊良部の魚」が「ブダイ」を意味するとはどーも考えにくいですよ。

長くなるので端折ります。
7>dina(英語 ; day)……N ; din(日)
dinとは? 「にち」や「じつ」もそれぞれ呉音、漢音ですが?

9> N ; tui( 2 ) つい(対)
まさか、それはないです。「対(つい)」は紛れも無い中国語(唐音)、現代ピンインでdui。

10> N ; pi(種子)
私の辞書やインターネット辞書で調べても、そのネパール語は見当たらないですね。
ネパール語の「種子」はサンスクリットと同じ"bij""biu"。

11> pati(父)…… N ; adhipati(首長)
サンスクリットにも全く同じ語があって、意味も同じなんですが。

[3822] Re[3816]: 九つの太陽を射落とした   素人 2008/04/22(Tue) 14:30 [Reply]
サンスクリットにあるという8個の「太陽」、簡単に見てみましたよ。

>arka , adity , aditya  su:rya , duvakara(スーリャ神) , savitri , aruna , bhanu

インターネットで調べてみても、やはり太陽に関連する「神の名」が多いですね。
そのものズバリの「太陽神」は"su:rya"と"savitri"の二つだけです。

参考に次のサイトの[Mythology Names]をクリックして進んでください。
http://www.behindthename.com/name

少しサンプルを挙げると、
"aditi"は「ヒンドゥ神話の空と豊穣の神」
"aruna"「太陽神"surya"の馬車の御者」。ヒンディー語では「目覚めさせるもの」
"aditya"「"aditi"に属するもの、"aditi"の7(8?)人の子供の一人」
"bhanu"「太陽光、強い明るさ。連想で王とか主人を表すこともある」
など、要するに「太陽」の属性が神々に顕現しているってことですね(用語が変かも)。

[3821] 日本語の成り立ち と 僮客  紋爺ぃ 2008/04/22(Tue) 07:12 [Reply]
 いま見るように、現実として、このような日本語がある。
 そして、「関連語彙もあるので、ネパール語語彙の半分」が極東に流出しているという驚異的な事実があるのです。これにはどういう事件があったのでしょうか?
 
  高校生が使う世界史の教科書にも、208 年に赤壁の戦いが あったと出ています。
 どこまでが物語りなのかは知りませんが、毎日新聞社発行、陳舜臣著『十八史略』第 4 巻 56ページに、四川省にいた少数民族が荊州から東呉の孫権のもとに動いたことが書いてあります。
 記述によれば、赤壁の戦いの前年かその年のことだろうと推測されます。
 曹操がこっちのほうへ南下するべく、大きな湖と巨船を造り、水軍を調練しているというに、荊州では家督相続ばかりに眼を奪われて、いっかな曹操軍を迎え討とうとする気配がない。
 武将・甘寧率いる 800名の僮客軍は、荊州に身をよせていたのですが、家督争いばかりやっている荊州王の劉表に見切りをつけて東呉の孫権に身を寄せようとし、荊州を離れようとします。
 ところが、荊州の武将・黄祖は「僮客を南に走らせたんでは、大きく荊州の不利益になる」と考えて、 3年ものあいだ、なんとかかんとか言って、甘寧たちの足を引き止めていたそうです。
 というのも、僮客軍は一騎当千のつわもの揃いだったからです。
 四川省は劉備玄徳が踏み込む前まで、少数民族間の抗争がつづいていた土地です。僮客とはそこに来ていたネパール系の軍隊だったことでしょう。

 いまでも、ネパール兵は勇壮無類、世界一に強い兵隊です。
 僮客軍は、赤壁のあと、機をみて数隻の船を奪って東の海上へ出て、日本列島の筑紫に辿り着いたとしかならないのではないでしょうか。
 ヒミコが曹操の後裔の魏へ朝貢したのは 235年でしたか、あっちの情報をちゃんと掴んでいたのです。その前に呉が二万を派兵して、日本列島を襲って兵隊狩りをやっています(結果はさんざん)。
 Jamat(集会、人びとの集り)とは、同族連合のことでしょう。同族連合の象徴として少年少女の一人を神に見立てて立てるはクマル・クマリのネパールの風習です。チベットでは少年神。
 熊襲の「ソ」は「神などの支配地域」ではないかと、小生はカンぐっています。・ 伊太祁曽様のソ。
 クマリ連合の象徴がヒミコだったのでは? 
 『熊襲の梟雄にへさなり』……にへさとは、ネパール語 nikai(とても、たくさん)で、-ai は強調末尾辞です。 Jamat-ai の -ai。「……さ」は、沖縄にみられる形容詞末尾辞。沖縄八重山〜薩摩〜長崎〜津軽と東京では「そうさ、あれさ、行ったさ」のようになって残ったサ。

 4ヶ月ほどまえ、僮客のことを書いたら、あまりにも奇想天外だったか、ビックラこいて、オレへ短いわるぐちの捨てぜりふほざいて消えて行ったご仁がいたナァ。肝っ玉が飛び出て食道から口まであがってきてたんだろう。可哀想なことしちゃった。

[3820] ネパール語に起源をおく正当性    紋爺ぃ 2008/04/21(Mon) 09:57 [Reply]
 トンズラ中の本、出てきました。平成 9年末現在(ネパール語と日本語のあいだに 900の、アイヌ語とのあいだに 400の類似語彙を拾った時点)で、その類似語彙が『日本語の誕生・巻末基礎 200語対比表』の 200のうち、どれほどの語彙があるのかを調べてみたのです。
 そうしたら、65も入っていました。
 そこで、それに対応するサンスクリット語の語形を拾ってみたら、18語しか類似はありませんでした。
 その 18語彙のうち、pattra(葉)、naman(名前)、nava(新しい)、na(否) の四つは日本人なら誰でもすぐに似ていると感じるでしょう。

 ところが、次の 14 語彙をポッとみて類似を感じる日本人は、めったにはいないでしょう。
 pakusya(羽根)、matsya(魚)、hima(雪)、purna(英語の full)、hasta(手)、matri(母)、dina(英語 ; day)、eka( 1 )、dvi( 2 )、bija(種子)、pati(父)、lala(唾)、tad(英語 ; that)、kim(何?)。
 これがネパール語では次のような変化をみせて、日本語・アイヌ語に類似をみせます。

pakusya(羽根)……N ; hamk-(扇ぐ) / 日本語 ; はむき(ふいご)
matsya(魚)……N ; macha(魚) / 沖縄 ; エラブチャー
hima(雪)…… N ; hiu(氷、雪) / 冷ゆ、冬 ひゅーだれ(天草 ; つらら)
purna(英語の full)……N ; bhari(いっぱい) / (水を洗面器などに)張る、溢る。
hasta(手)…… N ; hat(手、腕) / アイヌ語 ; hatpok(脇の下)
matri(母)…… N ; matr(自国の) / まつろわぬ
dina(英語 ; day)……N ; din(日) / おくんちの“ち” アイヌ語 to(日)
eka( 1 )……N ; ek( 1 ) タジク語で「イク」に近い音となって ・ イチ。
dvi( 2 )…… N ; tui( 2 ) つい(対) アイヌ語 ; tu( 2 )
bija(種子…… N ; pi(種子) アイヌ語 pi(種子)
pati(父)…… N ; adhipati(首長) / 秋田方言 ; パッチ(父、長男) adhin は支配

 あと三つは省略します。だいたいがこんな調子で、サンスクリット語をみても分らぬが、それをネパール語に置き換えてみると、日本語やアイヌ語との近似がでるという仕掛けです。

[3819] 太陽は変化しやすい語彙か?  紋爺ぃ 2008/04/21(Mon) 06:53 [Reply]
  手許に台湾語を三つのグループに別け、18内外の氏族語ごとで、362種の基礎語彙を収録した本があります。それはアタヤル系 3氏族語、ツォ系 3氏族語、パイワン系12氏族語です。
 それら 18種をつき混ぜて比較してみますと、父母や石、水、うなぎ、翼、蚤、しらみ、我、われら、汝、頭、耳、糞、へそ、吐く、爪、数詞には「かなりの共通」がみられるのに、太陽はてんでんバラバラで、われわれが知っているつもりの「 tsilar 系太陽 ・ 沖縄のテダ」は、パイワン系のアミ語、タオ語ファヴォラング語の三つにみられるだけです。
 その他も、共通語彙は僅少〜皆無です。
 ということは、 7万年とか 5万年前に、スンダランド海進が始まるとき、そこにいた人類は、これら「数は少ないが、かなりの共通語彙」を話していたことを物語っていましょう。
 おそらくですが、数詞はなかったでしょう。数詞はあとでできた交易語でしょう。
 オセアニアの多くの基礎語彙は、インド〜ペルシャ語系の基礎語彙との類似を示します。このことに就いて、小生は仏教普及のためにインド・バラモンたちが動いた跡だと判断してきました。しかし、事態はその逆で、スンダランドでの文化爆発が、インド〜ペルシャへ波及して行った跡だと看たほうがいいのかもしれません(ただし、ツブホエ酋長がハイエルダ−ルさんたちに見せたバイリンガルのことが気にかかりますものの……)。

 太陽は伝承や神話に取りこまれやすい。そのつど、ほかの思念が入りこみ易いのではないでしょうか。
 たとえば、アイヌ語の太陽・月 はジュピターとの近似をみせる chup です。しかし、これは大空を海に見立てて、そこを chu(舟旅する) p(もの)と分析できます。

[3818] 文字を持ってしまった言語    紋爺ぃ 2008/04/20(Sun) 12:28 [Reply]
このところ、神奈備どんに言葉への関心イヤ高し。おらウレシかばい。
 以下言うことは、やる気に水ぶっかけるようで、じくじくたるものこれあれど、伊太祁曽様の 伊太祁に供する i-tak の扱いは七つ八つの点で、おらなかなか踏みきれずにいま。 itak が採用でけたら、そりゃ言うことなしですが……。
★ 「アイヌ=日本よか古い」と即断しちゃぁ、イケネェ〜イヨッ♂ かなりのボリュームの古い日本語がアイヌ社会に溜まっていることは事実でしょう。そして、古い日本語が消えて、アイヌ語に溜まっているからといって、それを“起源”扱いにしてはイケねえ。
★ 柳田さんは、言語にはそんなには詳しくはなかったんじゃないのかな?
★ i-uta(ユタ) と i-tak を同列におくとき、itak 末尾の k が宙に浮く。ユタの ta は人だと、かなりの高率で断定でけま。
★ 沖縄語も、外間守善先生もおっしゃるとおり、「日本 ・ 沖縄 」の線が強靱。
★ 今はまだワカラン状況下での資料えらびの段階です。itak もあるかもしれないが、タガログ語の itago(神おろし)もある。 ita(頂きの ita ) go(神?)。
★ スワディシュさんが提唱する「1000年に 80%」などという法則は、すでに文字を持ってしまった、すなわち、変形させられた言語どうしの対比を下敷きにしてま。
 平穏無事とか同じ環境条件がうちつづく社会にあっては、1000年経とうが 3000年経とうが、意味の変遷はあっても、発音での変化はほとんど無いといえそう。
 たしかに、南方などでは、日常的にケンカ常態にある部落衝突もありますが、文字を持ってしまった民族の意識は、そんなんとはガラリと変わっている。ちがった意識叢で要求される判断基準がありま。『呑み屋』にもつきあっておくれ。 

 「おらたちの目の黒いうちに」と焦るのがイケネェ。ま、ぼつぼつやろうぜ。

[3817] Re[3771][3770][3760][3758][3756][3755]: 沖縄の土着語 5 喜如嘉方言 3   神奈備 2008/04/20(Sun) 08:57 [Reply]
> 千年で8割ですから一万年で約1割となります。

>> しかし、どの語を保存して、どの語が入れ替わったのかは、両方言で異なる、ということです。

> アイヌ語も同じくとしますと、痕跡発見の確率は 0.1*0.1 = 1% 。


 沖縄の「ゆた ゆんた」はしゃべる、神託を告げるの意味があるそうです。(折口信夫−琉球の宗教)
 一方、奥州の「いたこ」はアイヌ語のイタクから出来た言葉で、 to say acknowledge to tell の意味があるそうです。(柳田国男−イタカ及びサンカ)

 「ゆた」 と 「いたく」 、これは1%の事例かも。

[3816] 九つの太陽を射落とした   紋爺ぃ 2008/04/20(Sun) 07:37 [Reply]
  素人どん、いつもすみませんねぇ。
  『単語集』からは下端のように、八種の太陽を取りだせました。
 アイヌ語でもそうですが、このごろ小生は辞書編纂にあたっての取組み姿勢とか、編者の頭の方向ということに眼を向けざるをえません。

 このへんで空想! サンスクリット語のなかには 九種の太陽があったのではないかと思ってみる。そうすると、大岡越前さんの家紋などに入っている九曜紋が from シナであることはまちがいないところで、これはサンスクリット語地帯から来た偏執(文化)ではないかと、思われるのです。
 人間の指は十本あるところから、「十の太陽が空に輝いていて暑くってたまらない、そこで九つの太陽を弓矢で射落としてみたら、正体は八咫がラスだった」という伝説が、ピッタシ状況で生まれでる……。サンスクリット語のぶ厚い辞書を読めば、もういっちょ太陽の語形が出てくるのではないでしょうか。
 カラスが光を呼び込む聖鳥だとの認識をいって、素人さんから叱られましたが、ナンデモアリ・スタイルで空想を飛ばす効果も、すこしは理解してやってくださいヨ。
 ラテン語地帯では、夫婦や恋人のあいだでは指会話でハナシが弾んでいることは、これ、マチガイナシ! そういうニュアンスが語源の機能を発揮させていると思えます。 mitya・ mitya (三つ・三つ、密々)みたいな隠語が発音されているかもしれない。
 だれか足の立つ人よ、ローマ方面に飛んでおくれ。

 小生が持っている『ネパール語小辞典(事典とも)』は 5754語しか掲載されていないので、 草は gha:s しか載っていません。
 ネパール語では ku にはトルコ(ペルシャ)系語で「宜しい」の意味が、ビルマ・チベット系らしいのですが、「わるい」という意味がガチンコしてま。彼の地の人相をみても、融和とか混血が直感されます。ネパールはこの両者がぶつかった地帯かもしれません。
 とにかく、ネパール領では、 26種の氏族語がいまでも生きて息づいている事実は、忘れてはならないところでしょう。

 arka , adity , aditya  su:rya , duvakara(スーリャ神) , savitri , aruna , bhanu 以上。
 十二種以上の語彙がみつからない点を観ると、やっぱ、周辺にあった十二の言語を寄せ集めたのがサンスクリット語だった??

[3815] "kusa"  素人 2008/04/20(Sun) 01:22 [Reply]
サンスクリットの"kusa"はネパール語に入ってkusoやkusになっています。
確かめてみてくださいね。

[3814] Re[3813]: あの時点での“出発語” ?    素人 2008/04/20(Sun) 00:56 [Reply]
>安本美典著『日本語の誕生』には kusa(草)がでていて、日本語とまったく同一です。しかし、国際語学社刊; 山中元著『サンスクリット語ー日本語単語集』には、kusa(草)は出ていません。基礎語なのに、こういうこともあり得るのでしょうか。
"kusa"は儀式に用いる「特別な草」で、草一般を指す単語ではないのです。釈迦が悟りを開いた時に敷いていたのが"kusa"で出来たクッションだった、という寓話があり、これから「聖なる草」となったそうです。

> ところがこの『単語集』だけでも、サンスクリット語には八つもの太陽がありますね。
 水は十二、王は十一、山は九つ、火は八つ、鳥、「行く」、風は七つ、目、大地が六つ、軍隊、敵、「言う」、「たべる」は五つ、たべもの、海は、馬は、猿は、樹木、月、夫は四つ、「電光・雷」、矢、葉、神、へびは三つ、羊、山羊、鏡、家、父、亀、赤い、毒、棍棒、鉄、森、弓、母、妻、女神、身体、性交は二つ……と、多くの同義異音を呈しています。

1000年以上の歴史を持つ言語ですから、いろいろ詩的表現があっても不思議じゃないでしょうね。
取り敢えず、その太陽を表すサンスクリットの単語8個を書いてくれませんか?

> やーたーらー、メッタラと長音が多い。やっぱお経を読むために変形させられた「自然語の群」を感じますがねえ。

これに関しては私から質問があります。紋爺ぃさんの引用する「ローマ字ーネパール語」に「長音」は見当たらないですね。ネパール語には長音が無いのでしょうか?(笑)
紋爺ぃさんの辞書では、デーヴァナーガリーをローマ字に転写した時に「長音・短音」の区別をしていないようです。それと比較すれば、サンスクリットに「長音が多い」というのは当たり前では?
例えば、ネパール語でカラスはkagだと書かれていますが、デーヴァナーガリーではकाग्ですからkaagと長音が入りますよ。デーヴァナーガリーを勉強されてはいかがでしょう?

[3813] あの時点での“出発語” ?    紋爺ぃ 2008/04/19(Sat) 11:34 [Reply]
すこし分りかけたような気がしてきましたが、これまた錯覚かな? そのつど修正していただければアマカネ。

 どうして斯うなるのか、サンスクリット語にはヘンな二点を感じていたんです。
 一つは、ミョウナ語形がサンスクリット語として紹介されていたのが、辞書がちょっとちがうと、それが載っていないのです。安本美典著『日本語の誕生』には kusa(草)がでていて、日本語とまったく同一です。しかし、国際語学社刊; 山中元著『サンスクリット語ー日本語単語集』には、kusa(草)は出ていません。基礎語なのに、こういうこともあり得るのでしょうか。また、マタハリ(太陽)もどこかでサンスクリット語だときいて、諒解していたのですが、これも、この単語集にはないのです。
 二つめは、サンスクリット語と対比すると、日本語との共通はまったく感じられないのに、その語彙と同根を示す語形のネパール語で対比してみると、日本語とのあいだに類似が出てくるのです。この現象は拙著『衝撃のネパール語』に 14例ほどを挙げています。このことは、もし小生の感受にまちがいが無いなら、サンスクリット語は“日本語の語源”として考える必要はないということを指し示しているかとおもいます。
 その 14例をここで挙げるべきでしょうが、この本ももっか逃亡中です。ガハハハ

 サンスクリット語は「寄せあつめ」と言ったら言い過ぎでしょうか?
 アムール流域と樺太のギリヤーク語の対比をやったことがあります。片一方の資料は、上の『日本語の誕生』の基礎 200語彙ですので、それに対応する樺太〜北海道系語彙の全部は拾えなかったのでしたが、 43%ものちがいがありました。そのとき痛感したのは「太陽さえ同じなら、両言語は同系といえるのか」でした。これはもちろん極端な思いでしょうが、それほどに、太陽とか水、母、足、火などは、民族固有みたいな凝結を感じさせます。
 ところがこの『単語集』だけでも、サンスクリット語には八つもの太陽がありますね。
 水は十二、王は十一、山は九つ、火は八つ、鳥、「行く」、風は七つ、目、大地が六つ、軍隊、敵、「言う」、「たべる」は五つ、たべもの、海は、馬は、猿は、樹木、月、夫は四つ、「電光・雷」、矢、葉、神、へびは三つ、羊、山羊、鏡、家、父、亀、赤い、毒、棍棒、鉄、森、弓、母、妻、女神、身体、性交は二つ……と、多くの同義異音を呈しています。

 やーたーらー、メッタラと長音が多い。やっぱお経を読むために変形させられた「自然語の群」を感じますがねえ。蓮の花関連の語彙は十二もあります。

[3812] Re[3811]: 束一つにできなかったのでは?  素人 2008/04/19(Sat) 00:39 [Reply]
>★ これも川崎真治さん宅で聴いた耳学問です。「パーニニさんは周辺にあった 十前後のア−リア系言語を一つに纏めた」と聴いたのですが、これにはまちがいはないでしょうか?

NO!
いくらパーニニが天才でも、10もの言語を纏めるのは不可能だし、その必然性も見当たらない(何のために?)。
パーニニが行ったのは主に「文法」の整理統合です。インドに侵入したアーリア系の人々の言語(≒ヴェーダ)も、時間の
経過とともに、また地域によって違いが生まれるのは当然でしょ。これら方言を整理した(まとめた)のがパーニニと考えて
良いと思います。「整理統合」するということは既存の雑多なものを切り捨てる作業が主であり、パーニニが文法を新しく
考えたわけではありませんね。
日本語の古層は弥生時代の言語でしょう。それが海外から伝来したとなると、その対象は紀元前数世紀以前の言語と
なり、パーニニ(前5世紀)の古典サンスクリット以降に派生(進化)した言語(ヒンディー語やネパール語他)が入り込む
余地はなさそうに思われるんですよ。
サンスクリットは貴族の言葉で、庶民が使っていた言葉とは違う、といっても同じ言語ですから全然通じないほどではなく
文法の違いが大きかったと考えられます。ということは、紋爺ぃさんのように辞書の語彙に頼る人にとってはそれほどの
影響はないということではないでしょうか。実際、サンスクリットを祖語とする現在のインド諸語の語形を較べると、そんな
に影も形も見当たらないというほどの違いはないようです。ただ、現在の各種インド語はペルシア語やアラビア語の侵食
が大きいので語彙、文法ともさまざまに変わってしまっていますがね。

> 哲学とか宗教用語は共通体験のない領域です。いくら耳に権威ある発音を聞いても「あ、あれだ」という認識はえられません。

あぁ、それならパーリ語はどうです? 初期仏典のほとんどはパーリ語で書かれていて、広義サンスクリットの俗化した、
どちらかといえば口語で、当時話されていたマガダ語の影響もあるそうです(私は全然詳しくないですが)。

[3811] 束一つにできなかったのでは?  紋爺ぃ 2008/04/18(Fri) 14:32 [Reply]
 素人どん、ここんとこ 2 〜 3日、言いたいこと言わせないので腹がふくれてるんじゃないでしょうか。
 ミナシャンにも申しあげますが、どん腹はトンガラシ食って深呼吸つづければ、よくなりま。オレ、身体が冷えるので前々からトンガラシは食っていましたが、深呼吸をしはじめて 15日ぐらいで、腹のほうはスマートになりました。トンガラシは徐々に馴れていけば、朝鮮人なみになるのは 10日とかかりません。実の 73%ぐらいを鋏で細かく切ってミソ汁に入れてま。

 また、質問。
★ これも川崎真治さん宅で聴いた耳学問です。「パーニニさんは周辺にあった 十前後のア−リア系言語を一つに纏めた」と聴いたのですが、これにはまちがいはないでしょうか?
★ まちがいない……とした場合、一般人は「まとめるとかまとめないとか、まあ勝手にしなさい。とにかくそんな堅苦しいことばには付き合えないヨ」との拒絶反応をしたのでは?
★ 十ばかりの言語種は掴めるのでしょうか。パーニニさんが一つに纏めようとしたには、なにか政治的な意図がはたらいたのでしょうか?

 うまく言えませんが、言語機能は意識の根底に達しています。じぶんらの馴れ親しんできたことばは、そう簡単に造り換えられたんじゃたまったもんじゃありません。
 哲学とか宗教用語は共通体験のない領域です。いくら耳に権威ある発音を聞いても「あ、あれだ」という認識はえられません。

> お経よみとは「マントラ」のことですか?
 と訊かれても、マントラで知っていることは「ナンミョウホウレンゲッキョ」などの呪文ぐらいしにかわかりません。この tra あたりの活用といいますか、用法についても質問が続くところです。
 思いきって、サイトを叩いてみましたが、凍結しませんでした。バンザァ〜イ。さっそく栞づけしました。

[3810] まったくのシロートです     紋爺ぃ 2008/04/18(Fri) 12:19 [Reply]
やさかどん、そういわんじ(豊後弁)おつきあいなせえよ。ぜひおEメールくれち、あっしが造った『ネパール語 / 日本語・アイヌ語対比一覧表』をお受け取りくだせえ。A - 4 で 22枚あります。郵送します。
 あっしゃ、ワキャワカランままに、まず、ネパールのマチャプチャリ山(魚のシッポという意味)と、アイヌ語のオチョプチョ(魚のシッポ)が似いちゅうと思ったのです。それは皇太子がマチャプチャリにご登山あそびされたときです。
 結果からいいますと、マチャプチャリとオチョプチョは語源的には別物だったんですが、あのとき「似ていない」と判断したら、東西文化に横たわってきた大岩をどかすことはできなかったとおもいます。「似てる!」と、積極的に思ったことが発見へつながったんです。

 「日本語といちばん似いちゅう言語はどこか」で、いちおうの学者として類似語彙を多く撥ねだした学者は、厳密には言語学者ではないのですが、大野晋教授です。タミル語と日本語のあいだに 350ペアの類似語彙を弾きだし、「以ってタミル語が日本語の起源でア〜〜ル」と、高らか宣言したのですが、オレがネパール語とのあいだに弾きだしたのは、対日本語 1300ペア余、対アイヌ語 500余でんねん。
 ところがあっしゃ、ネパール語とインド諸語との関係がまったく分らないまま、他の言語を次々にあたって行ったため、今になって素人どんの懇切なご指導に預かっているという次第。

 あっしのヤリクチは辞書を“読む”ことです。辞書や語彙集にはじつにいろんなことが書いてあり、読み取れます。
 ぶ厚い辞書はダメ。3000〜 5000語彙掲出の手軽なもののほうがいいです。
 そこには、各種語彙を造った語幹が露出しています。そいつを 200か 300つかまえた時点ではもう、その言語の発音クセが、いつのまにかこっちの身体に沁みついています。
 イヤ〜〜ッ、辞書読みって、ホーンと面白いですよ。
 でも、これまでの言語学者さんたちは、自分の専門分野だけしか見なかったんです。なぜかというと、少しでもウソをいうと、名誉とかメシ種に響くからです。

[3809] Re[3807]: お経よみ語  素人 2008/04/18(Fri) 00:33 [Reply]
簡単ですみませんが・・・

>★ そうしますと、BC 1500年の、その前にヒンズークシ山脈周辺にいてカイバル峠をこえて南下したア−リア人の大多数は、今はどういう言語を日常語としているのでしょうか?

ヒンディー語、ウルドゥ語、ネパール語など、サンスクリットを祖先とする言語を使用しています。

>★ パーリ語も、だれかが手をくわえた言語みたいに感じます。土着性が稀薄なような気がしますが、サンスクリット語と同じような成立経緯ではなかったのでしょうか?

同じようなというより、サンスクリットが俗化したもの(プラークリットというらしい)の一種です。

>★ サンスクリット語もパーリ語もお経よみの言語かとおもいますが、この見方はまちがっていましょうか?
>★ 現代に残っているお経の経文の原形も、サンスクリット語やパーリ語では書かれてないのでしょうか?

お経よみとは「マントラ」のことですか? 広義のサンスクリットは哲学など各種の膨大な資料を含み、お経専門の
狭小な言語などではありません。参考のためにこちらのサイトを見てください。
http://sky.geocities.jp/obieokunotani/veda.html
サンスクリットに関してはこのWikipediaが分りやすいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88

サンスクリットを日本古語の資料に喩えれば、弥生時代の言語の文法書と大辞典が残っているようなものです。

[3808] 反省  やさか 2008/04/17(Thu) 20:38 [Reply]
紋の伯父貴、ほんま申し訳おまへん。
わいには伯父貴の質問に答えられる能力は、実のところおまへん、なんにも知らんのです。
ただ、わいは神さんに興味を持つ以前に、仏さんに興味があったんで関連で梵字にふれただけでおます。
そんなこって、「こんなおもろい本ありまっせ」と、お知らせしとこ思うただけでんねん。
わての勉強方法は、本から学び、本に問うことでおます。
後で気付いたのでっけど、メールでお伝えすればよかったと反省してま。
どうぞ気を悪うせんと、今後ともよろしうたのんます。

[3807] お経よみ語  紋爺ぃ 2008/04/17(Thu) 17:19 [Reply]
やさかどん、トンネルを過ぎたら雪国だった。酔いがさめたらボケ頭だった。
 ついぞついぞ、やさかどんのこと書き漏らしました。

 質問です。
★ そうしますと、BC 1500年の、その前にヒンズークシ山脈周辺にいてカイバル峠をこえて南下したア−リア人の大多数は、今はどういう言語を日常語としているのでしょうか?
★ パーリ語も、だれかが手をくわえた言語みたいに感じます。土着性が稀薄なような気がしますが、サンスクリット語と同じような成立経緯ではなかったのでしょうか?
★ サンスクリット語もパーリ語もお経よみの言語かとおもいますが、この見方はまちがっていましょうか?
★ 現代に残っているお経の経文の原形も、サンスクリット語やパーリ語では書かれてないのでしょうか?

 あんまし質問事項が多いとうんざりでしょうから、ここでいちど深呼吸。

 オレ、ウルドゥ語の辞書を買ったんです。このごろそこに mahbub(愛人、恋人)があるを拾いました。これ、江戸期に流行った「間夫、マブ」ではないかと思っています。
 且つ、“bub” とはアレではないかと勘ぐっています。*mah は密でしょうて。

[3806] シャバ の風     紋爺ぃ 2008/04/17(Thu) 11:59 [Reply]
   
 素人どん、まっこと有り難うございます。今朝からはまっとうにシャバの風を吸いこんでいます。
 ですが、もう少し……ではなく、いっぱい解らんところもありますので、続けてのお導きをお願いします。
 25年ほどまえ、小生は川崎真治さんのところに遊びに行ったおり、「庶民はまったく喋っていなかった」と聞いたのでしたが、それがサンスクリット語だったかラテン語だったか。分らなくなっていました。
 そして安本美典著『日本語の誕生』巻末に基礎 200語彙対比一覧表に出ているシンハリーズ語、ベンガリー語がサンスクリット語などと同列にあるので、いちどそれらが喋られている地帯を地図の上で確認してみる必要を感じてはいました。

 サンスクリット語〜インド諸語について、大きく錯覚していたわけですが、まずは、このことで、どこかに誰かに迷惑をかけたかを、辿っています。でも、小生がやったのは、語彙比較の面ですので、よそに迷惑かけたことはないと思えます。
 まずは、御礼申し上げ、残る疑問質議は稿をあらためて……。

[3805] 二人のグルはグルカ兵     紋爺ぃ 2008/04/16(Wed) 18:53 [Reply]
お二人さんには“大めぐまれ”です。
 いやさか ・ いよいよ sak(できる、可能)。あんたらはグルやな。

 いやさ、じょじょ冗談にござんす。
 あらためやして、やさかどん(敬称)有り難うございます。あっしの不明の鼻ァあかしてくれち、有り難とさんにござんす。
 サンスクリット語が、よ〜っく纏っているっちゅうことは、人造後。オッソロシイ“加工”にござんす。

 あっしの鼻は隔壁が右にグワッと彎曲し、6才このかた、奥のほうには 巨大なハナタケを培養しちいやす。

 ---おっと、晩酌がたりねぇ。
 ハッポウやぶれにござんすが、なにぶん、よろしゅうお願ぇ申しあげやす。
 酔いがさめたころ、あらためてごえぇさつに及びやす。

[3804] 完成された言語-サンスクリット-  やさか 2008/04/16(Wed) 16:27 [Reply]
神奈備さん、ご無沙汰しております。横合いから失礼します。

紋の伯父貴、面白い本があります。
『古事記の真実 神代編の梵語解』二宮陸男/愛育社
この本の序章よりそのまま部分引用します、ご参考まで。 

―――サンスクリットとは「完成された」(言語)という意味である。
この言語は数千年前から北インド、そして今のネパールのあたりで知識人たちが話し書いていた雅語であるが、その素晴らしさを私たちが現代でも味わうことができるというのは、決して当然のことではない。
言語というものは、時間と共に変化していく。俗世間での慣用と粗雑化、あるいは他の言語の侵略によりその姿を歪め、変り、本来の美しい姿が損なわれる。
ところがサンスクリット語は、数千年前の美しい姿がそのまま今日に伝えられている稀な言語である。
古代インドでは2500年前からサンスクリット語が使われなくなって、いわばそのまま凍結した形で文献として保存され今日に伝わった。
世界最初の文法書といわれるパーニニの文法書『八巻書』は、古代のサンスクリット語をそのまま伝えるタイムカプセルのようなものである。―――

[3803] Re[3802]: 方言を敷きこんだ国語  素人 2008/04/16(Wed) 15:47 [Reply]
取り合えず、回答だけ簡単に書きます。素人なので厳密さは期待できませんよ。

>★ サンスクリット語は庶民レヴェルでは、現在しゃべられているのでしょうか?
庶民レベルでは、喋るどころか読み書きでもまったく使われることはないでしょう。
ただ、インドの国営ラジオ局では、時々サンスクリットで流す番組もあるようです。
 
>★ パーリ語は庶民レヴェルで現在しゃべられていましょうか?
これもサンスクリットと同様NOです。

>★ サンスクリット語圏内で、 BC 1500年らいの伝統をもつ方言は、もうどこにもしゃべられていないのでしょうか?
ないでしょうね。喋り言葉は時代と共に変化しますから。サンスクリットは死語になって、冷凍保存されてる
ようなものですから、特に比較言語学においては価値があるということになります。

> 日本語は少なくみても 250ぐらいの氏族語を下敷きにしている。で、平安期あたりの貴族語は、大多数の日本人代表語とはいえないんじゃないかと愚考しますが……。

250の推理はよくわかりませんけど、通信手段や交通が発達していなかった時代には、山一つ超えれば
言葉が通じなくなる状況もあった、と考えるのは自然ですね。ただし、「そんなにたくさんの方言があれば、
こういう言葉(単語)もあっても不思議はない!」というのも、これは筋が通らない。そんな事をすれば何でも
アリになってしまう。
文献として残っているものはともかく、喋り言葉が1000年以上も変化せずに伝わっているわけはないので
調べようがない。

> 換言しますと、この広い(?)日本に、言語種が一つしかないという現象のほうがオカシイ。また、日本語は昔むかしの大昔から一つの纏った一本系統とみるのも思い込みの一種では?

一応、大まかに言えば、縄文と弥生では言語が違っていたとするのは「常識」だと思いますけど。

> ラテン語の sex は数詞の 6(sex )と同じなのにはビックリしました。

英語のsexとラテン語sexが同じ綴りだからといって、意味も同じとはならないですよ。
ラテン語のsexは英語のsixと同根なので形は似ているし、意味も「6」で同じ。
しかし、英語のsexに当たるラテン語はsexusで、語源(*)からしてもsexとは別の単語ですね。
sexusをいくら活用してもsexという形にはなりません。辞書の見出しに[sexus -us]とあるはず、これは
主格単数形がsexus 同属格形がsexusを示しているんです。名詞第4活用ですから、変化形は次の
サイトを参考に見てください。変化表中のmanusをsexusに置き換えればいいだけです。
http://ymiyagi.cool.ne.jp/memo/laindex.html
(*)sexusの語源は「分ける、切る」

[3802] 方言を敷きこんだ国語  紋爺ぃ 2008/04/16(Wed) 09:25 [Reply]
 素人どん(これ敬称)、いつまいでんグル呼ばわりは居心地のわるかぁでっしょうき、このへんで仲間よばわりですばい……九州弁。
 わがマッキントッシュは 10年前の精鋭ですが、寿命がきていて「インド語」を Google していても、凍てついて困っています。
 そこで、会話形式で 2〜 3 教えてください。

★ サンスクリット語は庶民レヴェルでは、現在しゃべられているのでしょうか?
  もし yes の場合、15 〜16世紀あたりではどうだったのでしょうか。
★ パーリ語は庶民レヴェルで現在しゃべられていましょうか?
★ サンスクリット語圏内で、 BC 1500年らいの伝統をもつ方言は、もうどこにもしゃべられていないのでしょうか?

 現在△△国語として、一国の標準語となっている言語は、そうなるまでには、ちょうど畑に敷きこむ草のように、数十の方言を敷きこんで成立してるのが普通のようです。
 鳥羽季義さんから教わったのですが、ネパールには 26 とか 27の氏族語があるそうです。日本に来ているキサ(象)や鍛冶屋はカトマンズにいる先住民族のネワール語だとか。
 鳥羽季義さんはアイヌ語にもとても興味を示していらっしゃたのですが、言葉よりもネパール人にキリスト教を bok(運ぶ)si(人)することのほうに、イッショけんめいです。

 日本語は少なくみても 250ぐらいの氏族語を下敷きにしている。で、平安期あたりの貴族語は、大多数の日本人代表語とはいえないんじゃないかと愚考しますが……。
 換言しますと、この広い(?)日本に、言語種が一つしかないという現象のほうがオカシイ。また、日本語は昔むかしの大昔から一つの纏った一本系統とみるのも思い込みの一種では?

★ オノマトペアは面白いですね。
 釧路アイヌの酋長の家に育った山本多助エカシは、ことばは sex が源となって発達してきたとの見解を一生貫きました。sex での身振り語・咆哮語はかなり万国共通みたいです。
 ラテン語の sex は数詞の 6(sex )と同じなのにはビックリしました。親指を人さし指と中指の間に挟んで、親指の頭をキュンと突き出させれば、片手だけで 6を表示でけま。
 こげなハナシ、まだまだ、い〜〜っぱいあるんやでェ♂
 イッショけんめいのイッショを喋りたかったのですが、またにしましょう。

[3801] 万葉集の歌・・・  素人 2008/04/15(Tue) 16:38 [Reply]
2991の歌、原文と読み下しは次のサイトを参考にしてください。
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/twelve/home.html

PS
タミル語でカラスはkakaというそうです。

[3800] Re[3797]: 平安貴族だけが「びよ」と聴いた    素人 2008/04/15(Tue) 15:16 [Reply]
擬声語は面白いですね。
同じ山口仲美さんが編んだ「暮らしのことば 擬音・擬態語辞典」には、馬の「ひんひん」という項がありますよ。
この本によれば、ヒンヒンとあらわすようになったのは江戸時代中期で、それ以前は「い」や「いう」だったそうです。

「大辞林」でも「嘶く(いななく)」を引くと: 〔「い」は馬の鳴き声〕馬が声高く鳴く。いなく。
やっぱり「い」です。

また、万葉集の第12巻 2991の歌の始めの部分、
 馬声蜂音石花蜘荒鹿(いずせくもあるか)・・・・
馬の声は「い」、蜂の羽音は「ぶ」となっています。

> たしかに、カラスは人間が笑うように、短く「カ・カ・カ」と鳴くこともあります。しかし「カク・カク・カク」とは鳴きません。
> たまに「カ・カ・カ」と鳴いたからといって、それをカラスの呼称にすることはできない相談ではないでしょうか?

しかし、サンスクリット辞書に[擬声語]としてあるのですがね。

[3799]   地平融合      紋爺ぃ 2008/04/15(Tue) 10:42 [Reply]
  「地平融合」ということばを遣えたらピッタシだと思うのですが、どうもオレ、この「地平」という用語の意味がわかりません。ガハハ。
 この地平なる概念は現象学のフッサールで定着したらしいのですが、この地平は、平べったい日常語に翻訳したらどういうことになるのか、解りません。
 これテテテキに呑みこんでやろうと、4年前、哲学やってる友人に解説を頼んだところ、その直後に、その人物が交通事故に遭って失明し、そのままになってしまいました。
 どなたか、この地平なる用語をひらべったい日常語に直して教えてくださらないでしょうか。

 で、ここは解り易いところで「透明培養鉢」なる用語で、間にあわせることにします。
 栄養分が入った水で植物を培養するあれですが、水の深さは 20cmはそれでいいのですが、広さはほとんど無限大です。

 どうしてこういうことを言いだしたのか……
 下の [ 3792 ] で、「津野・角・つの・カク」に kak が参入しました。
 こういえば、もう、くずさんと、かしこさんにはピ〜ンと来たことでしょう。
 ピ〜〜ンと来ないひとに説明します。
 「津野・角・つの・カク」の概念連鎖のなかに、kak を先頭にしてやってきた一団が出たのです。それは秦国で“も”培われた“諸概念”の一団です。
 秦とはベトナム語の sin(雷)であって、同時にハタタのハタ、即ち、これも雷神です。これらの先頭に kak が立って、金属精錬の鎚や「こなごなに砕く(古代日本語 ; はたく)」などの概念を 子づれにして、その子供たちの手を取って、「透明培養鉢」に参入して来たのです。

 これらは「上から」一見すると混淆状況ですが、この鉢は透明なので、ひっくり返さないまでも、「下から」みれば、「すべての一本々々の植物(概念)」は、独立しているが孤立はしていない関連でつながっているのです。
 万象は「○×の法則」に従います。一個々々の語彙は独立していると看れば独立している、みんな同じ関連につながっていると看ればそうみえる……。そういうことです。
 
 「透明培養鉢」の広さがほとんど無限大……、といった意味はお解りでしょうか? 
 いまわれわれは 10万そこらの語彙を使って暮らしていますが、これから先、語彙はどれくらい増えるか、わかったもんじゃないからです。
 よく「ことばは自然を部分的に切り取っている」といわれています。しかし、現代のことばは、まだまだ隙間だらけのハリボテです。でも自然全体を写し撮ろうとする趨勢に満ちています。
 隙間だらけの語彙網ですが、共通諒解の場や集合自我の成立に、立派に正当性を保証しています。

[3798] 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか? 2  神奈備 2008/04/15(Tue) 10:08 [Reply]
 大阪市内に谷町筋があります。江戸時代に相撲取りを贔屓にしていたことから、タニマチの言葉ができました。
 現在は埋められていますが、南北に続く谷町筋は名前の通り、谷でした。往古の上町台地に降った雨はこの谷に流れ込んで、台地の北側に流れ出していたのでしょう。

 一方、上町台地の北側に天満砂堆が徐々に形成されていきますが、台地からの水の流れは、台地と砂堆との間に流れ込み、その間を分ける川となったのでしょう。

 仁徳紀に人口の運河である難波堀江が掘られたとの記載があるのですが、上記の川を拡幅し、かつ浚渫した工事を云うのでしょう。奈良や京都からの水が河内湖をなし、その水が堀江をつたって大阪湾に流れ出したので、河内湖の水位もさがり、湿地が多くなり、稲作も進んだのでしょうが、ひとたび雨が降ると堀江の流れも急になり、船を泊めるのも難儀だったのかも。そう云う事もあり、谷町筋の谷に船を入れておけば、ひとまず安心だったと言えるでしょう。

 谷町筋から難波宮のある上町台地最高点まで10m強の上りですが、距離は300m程度。難波宮に隣接の港が難波御津だったのでしょう。難波の宮は686年に大蔵(宮の北西角)から失火し、宮は焼失しています。

 『日本書紀』には、「阿斗蓮薬の家の失火が延焼」と云う人がいたとしています。阿斗はおそらくは阿刀で物部の遠祖の降臨にお供をした船長跡部首人等の祖か梶取阿刀造等の祖の末裔なのでしょう。いずれにしても船の船長・舵取りの要職にあったものが谷町と難波宮の間に住んでいたことが判ります。難波御津は堀江から谷に入った場所ということがよくわかります。

[3797] 平安貴族だけが「びよ」と聴いた    紋爺ぃ 2008/04/14(Mon) 06:49 [Reply]
 山口仲美先生のご著書は、ここ神奈備の共同作業で、すぐに卒業しています。
 まず、玄松子どんが「漢字を借用しようにも、シナには“ン”という文字がない」ことをスッパ抜いたのです。そのことから、カミベがこうべ(神戸)に音転した経緯が把握できました。
 これを山口仲美先生に通報する段階までは、先生からも何度かEメールを頂いたことがありました。
 先生か書かれた『犬はびよと鳴いていた』には、馬のいななきは、ついに出てこなかった。
 ところが、ネパール語には hin hin-(いななき)があるのです。
 雨がジャンジャン降るも日本とネパール語は同じで「ジャンジャン」です。ところが、朝鮮語はジョンジョンです(語彙の音は、その言語総体の中で決定される)。
 その他「お調子ことば」やオノマトペアを先生に告げたのですが、この頃からEメールは頂けなくなった。丁重なくち運びをやったつもりですが、なにか「学者の体面を穢した」みたいに受けとられたにではないでしょうか。おなじ浦和にいるのに残念です。

 小生は拙著『アイヌ語の謎』を書くとき、まず、アイヌが鶏、雀、馬、犬などのなきごえをどう聴いたかを調べました。ニワトリがいないにはマイッタ・マイッタでした。
 総じて、オノマトペアに関しては、アイヌと日本は距離が大きいです。
 この点、ネパール語はいちおう安心してかかれる言語だと思っています。

 たしかに、カラスは人間が笑うように、短く「カ・カ・カ」と鳴くこともあります。しかし「カク・カク・カク」とは鳴きません。
 たまに「カ・カ・カ」と鳴いたからといって、それをカラスの呼称にすることはできない相談ではないでしょうか?

[3796]  ハレンチの構造     紋爺ぃ 2008/04/14(Mon) 06:10 [Reply]
  
 素人ぶってらっしゃるが、神流れ文字を自分のパソコンにお持ちとは……イッパシの学者さんだとお見受けします。 文脈をよくお汲みあげ戴きたいのですが……。「恥かきを恐れるな」への小径であることは、シロートにもわかると思ったのですがねえ。
 
 学者であろうとなかろうと、自分とは異なる言語観に対しては、さながら白血球の中の A細胞 T細胞みたいにして、それをじぶんの居場所から排泄するまで、シャカリキになって、いのちがけで攻撃しまくります。このとっぴょうしもない小生の見解を申し上げたかったのでした。この単細胞生物なみのクセのために、世界の言語研究は大幅におくれをとりました。

 小生の見解によりますと、小生がいまサンスクリット語をタッチするには、もっともとほかの厖大な基礎知識が必要みたいです。サンスクリット語には A細胞 T細胞なみの毒がつまっていると直感しています。
 あと 73年ほど寿命に恵まれるなら、目の黒いうちになんとかメドがつくのかもしれません。小生にとっての緊急必要事は、サンスクリット語よりも朝鮮語をみるほうだと判断しています。 ご慧眼により、消化不良をひき起さないていどの御指導のほどを、願いあげます。

 その他は『紋次郎・言語考古学』へ書き込みます。

[3795] カラスの神話  くず 2008/04/14(Mon) 00:57 [Reply]
広く東アジア、北米、北欧にかけて分布する、ワタリガラスの神話があります。
http://www.hbc.co.jp/nicol/raven/syuzai1.html

サンスクリットにもワタリガラス[raven]の発音があって、
ハーバードー京都の発音で【kAkola】などです。
【kAkola】にある他の意味は雄豚、蛇、陶工、黒色の有害物質かワタリガラスの黒色、毒の一種、地獄の区分。

烏を現すわけではないけれど、
発音【khaga】には、鳥、ガルーダ、太陽、惑星、空気、風、矢、神性、神
とあって、出雲神話(加賀の洞窟伝説)にも繋がりそうな内意を持つように思います。

サンスクリット子音の最初と2番目にあたる【ka】【kha】を自然界で発するのが、
(【ka】には魂、太陽、火、光など、【kha】には穴、空虚、空間、などの意味が並ぶ)

霊鳥であり、創始に関わる神話を持つ烏の所以ではないでしょうか。
ワタリガラスの「カー」はとてもキレイな声です^^
http://www.hbc.co.jp/nicol/raven/zukan2.html


[3794] Re[3789]:  ハレンチ の小径     素人 2008/04/13(Sun) 21:42 [Reply]
>  病状を述べるまえに小生の体質となったことがらをお知らせしたいです。
> 小生がハレンチな物言いをするには、起源や前があります。

私は紋爺ぃさんの病状をお尋ねした覚えはないし、知りたくもありません。
そんな個人的な話はこの掲示板に書くべきことではないと思いますよ。

それから、ハレンチと自分で分っているなら止めてください・・・・
とお願いしておきます。

[3793] 擬声語  素人 2008/04/13(Sun) 15:54 [Reply]
サンスクリットやヒンディー語、ネパール語の歴史、またそれらの言語の関係については、かなり重大な誤解が
あるようなので、勉強されることをお勧めしておきます。Googleで「インド語」で検索すればいくらでも情報が手に
入ります。ここはそんな問題を議論する場ではないので。他に気がついたことを少し。
「百姓」は中国語で「多くの人」という意味。百官や百家と同じ使い方。万民が1万人を表すわけではないのと同様
の使い方ですね。これもGoogle「百姓安之」検索で解決するはず。

>素人グルさん、kag の原音は kax (カァー)で、X が第二子音濁化のクセで濁音になったのが kag とみましたが、いかがでしょう。

カラスの声はkagもkakもあって当然。擬声語なんていろいろあるのが自然で、どちらが元と決めるのがおかしい。
【犬は「びよ」と鳴いていた】という本(山口仲美著)によると、平安時代には犬は「ひよ」と鳴いていたし、「びよ」
「びょう」「べう」などという表記もあったぐらいで、これらの違いにいちいち意味があるとは思えない。
そう思いませんか?

[3792] 秦の重臣に「カク姓」    紋爺ぃ 2008/04/13(Sun) 11:34 [Reply]
 使われていた文字は忘れましたが、秦の重臣、武将に「カク」という人物がいました。
 シナや朝鮮には、姓名の“姓”は、きわめて少ないのに、秦には“百姓”があったそうです。
 これは日本の多くの姓を想わせて、由々しい現象だと思います。
 小生はこの「カク」に触れたとき、ここはぜひ覚えておこうとこころに誓ったのでしたが、肝腎の文字を忘れちゃったんです。
 なぜ、この「カク姓」を覚えておこうとしたかといいますと、かねてから「福岡県の東にある行橋市とか京都(みやこ)郡は、応神天皇が大勢の家来をつれて(朝鮮から)南下した痕跡が濃厚な土地だ」と思っていたからです。そして、その「行橋〜京都郡」の西にある津野(金属精錬士のツノ!)の谷に「角(カク)姓」があって、現代に優秀な遺伝因子を見せているからです。

 この「カク・角・つの・津野谷」の四者揃い踏みは、なんらかの(ことばでの)遺跡にちがいありません。
 そこに、もう一つ加わったのが「 *kag (カラス)の原音は kax (カァー)と措く発想」でした。*kax が kag となるには、その前身に *kak がなければならない……は、論理の必然です。

 小生がミシンの外交員から出発したは、この前の書き込みでいいました。
 そのとき、蛇の目ミシン田川支店には津野谷から三人の人が通勤していました。
 一人は小生の班長さんで、長い額の中央に大きなイボをッ持っている O氏で、この人物は口から先に生まれてきたような口達者でした。シナから引き揚げてきて、コロッケを焼いてペダルが一本しかない自転車で、それを毎日配達したことが自慢でした。
 二人めが当時 60才ぐらいの角(かく)さんで、集金員をやっていましたが、その佇まいはカクシャクを繪にしたような人物で、なんらかの偉大な精神的伝統を匂わせていました。
 三人めが、その角さんが紹介して入ってきた事務員の角(カク)さんです。
 筑豊炭田といいますが、この「筑・豊」は筑紫のくにと豊の国の二つに跨がって石炭が採れたのでそういう名前がついたのです。で、ことばでのイントネーションがちがっています。
 その「筑紫の国」には、みごとに美人が多いのですが、豊の国のほうには、あまり美人はいません。ところが、この事務員の角さんは、パッと太陽が花咲いたような美人でした。
 
 行橋方面にも、みごとな遺伝因子があります。中 2 のとき、小生らを受け持った先生は、国語の先生で、僧侶でした。ですから、あだなは「ぼうず」。
 われわれを受け持つ直前に行橋からお嫁さんをもらったのでしたが、その国語の時間に「才色兼備」ということばについて、えらく時間をかけて説明しました。
 それから 5年ほど経って友人といっしょに坊さんの家に押しかけたことがありました。そこでなぜ坊さんが「才色兼備」に拘泥したかが判りました。奥さんは美人は美人ですが、いわゆる型にはまった美人ではなく、そういう常人の評価をとび超えた美人です。
 小生はこのごろ、高貴とか貴賓さとかを飛び超えたマスク(顔様)に関心を寄せ、そういう顔を観音マスクと呼んでいます。その代表的なマスクとして、同級生の Mさんを宛てています。が、この坊主先生の奥さんも、それに準じるマスクなんです。……すなわち、おそらくはシナの“秦”で培われ、エスカレートした容貌ではなかったか。
 
 5年ほどまえ、この津野谷を民俗学的な視野で踏査した人物がいます。

 「紋よ、そんな空想を続けたって、なんにも出ないヨ」とのグル声が聞こえそうです。が、いっときますが、西洋言語学では、こういう“根”まで降りていくことができません。それは西洋言語学が、文字に裏打ちされた「浅い歴史」しか辿れないからです。ソシュール言語学の限界です。日本でも、学者は教科書的、辞書的教養の上にシッカとした意識を構築します。

 ここで小生が展開させている「津野・角・つの・カク・kak 」の手法は、くずさんとかしこさんが見せた「胡蝶の舞い」の手法(?)に似ているとは思われませんか? 

 カーストが発達しているネパールでは、年にいちど、同族が集って共通に信奉する神を祀る習わしがあるそうです。この「同族」とは、オキナガタラシの タラとは、thar(苗字、一族の姓)ではないかと踏んでいます。
 階級ごとの神・社禝 / 神のランク付け。神奈備旦那、日本での神のランクづけは応神渡来以前からもとり行われていたんですかね。

[3791]  黒い鳥      紋爺ぃ 2008/04/12(Sat) 12:25 [Reply]
 われわれが到達している科学文明でも、まだ心霊現象は「ないとは断言できない現状」ではないかと思います。
 動物にはヘンな能力があります。ロッキー山脈の西で、置き去りにされた子猫が、元の家族を慕ってロッキーを越えて 2700キロも歩いて辿り着いたという実話もあります。
 
 オタシュツアイヌは、アイヌ諸派の中でも、群を抜いて霊格がたかく、周囲から尊敬されていました。(私見 ; オタシュツアイヌはタジク人です)。
 そのオタシュツ・アイヌ出身の砂沢クラさんが『ク スクップ オルシペ(私の一代記)』を書きました。その中に、「続けて身内の人が 3人死んだときに、いつも雀よりもすこし大きい黒い鳥が、どこからともなくやってきて、部屋の中を飛びまわる。その鳥が飛んでいるうちに病人は息たえた」とあります。
 クラさんの叔母さんのピッシレフチが死ぬとき「私は疱瘡よけの鳥になって、トエッ、トエッと鳴いてこのコタンの空を飛ぶので、そのときは野菜を焼きなさい」と遺言しました。
 その後、大きな鳥が実際にトエッ、トエッと鳴いて飛ぶたびに、野菜を焼いたので、コタンには疱瘡の神は寄りつかなかったそうです。そのうち種痘が行われるようになった、と。

 現代の科学といっても、それは物理化学での帰納演繹の領域だけで、超能力あたりになると、生命科学ですので、まだ完全には謎解きができていない段階でしょう。
 このような死にまつわる現象を見るにつけ、「カラスは運命を告げる鳥」は、ほんとうみたいに感じます。
 ところでネパールの風習を取材した、川喜田二郎さんの『鳥葬の国』に、カラスは出てなかったのでは?

 もし kag と「輝き・かぎろい」が関係あるとすれば、それは神官たちが、この日本で作ったのだと思います。日本語(の特に神名)には濁音は少ないし撥音、長音、促音、半濁音、拗音がみられない。この点周辺言語から突出しています。作られた言語だと思います。

 素人グルさん、kag の原音は kax (カァー)で、X が第二子音濁化のクセで濁音になったのが kag とみましたが、いかがでしょう。

[3790] 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか?  神奈備 2008/04/12(Sat) 09:20 [Reply]
 仁徳期に難波の堀江が掘られたと『記紀』に出てきます。巨大古墳の造営がなされたのですから、堀江を掘る技術は充分にあったのでしょう。
 この難波堀江とは現在の大川のことで、中之島があり、淀屋橋、天神橋、天満橋が架かっている川のことです。

 古墳時代の遺跡として大川の南側に巨大な16棟以上の倉庫群があります。また大川の北側は天満砂堆と云いますが、ここにも古墳時代の遺跡が出土しています。倭の五王の時代で、5世紀に遡ることは間違いはないでしょう。

 上町台地の北側に天満砂堆が出来ていますが、更にその北に崇禅寺砂堆とでも呼ぶ砂堆が出来ています。二つの砂堆の間に水路があったようです。

 実際には上町台地と天満砂堆との間にも自然の水路があったのではないかと思われます。砂堆が発達して行く段階での大雨などがあって、砂堆の上を水が越していく場合も当然あったので、堆積した砂を流し去ることになります。上町台地は堅固ですから、接点になる砂堆が特に削られることになったのでしょう。
 要するに、上町台地と天満砂堆との間は自然な溝が出来ていたと考えることができます。後の世にこの溝を本格的な運河にしたのでしょうが、倭の五王の頃には、底を深くする等の若干の工事で船が入り込めるようになっていたのでしょう。

 住吉津より先に難波津が活用されたことは、住吉大社の鎮座の歴史から傍証ができます。

 現在の坐摩神社の御旅所には神功皇后腰掛け石が置かれています。この地は最初に住吉三神が鎮座したとの伝承があります。『住吉大社神代記』に、「猪加志利乃神。二前。一名。爲婆天利神。元大神居坐。」と書かれているのです。墨之江に遷座していった住吉大神の御魂として猪加志理神(坐摩神)を祭ったと解釈できます。
 
 自然に出来た難波堀江ですが、上流からの砂の流れで船が通いにくくなり、見捨てられて主要港の昨日は住吉の津に移ったのです。難波堀江に出来た巨大倉庫群に跡に竪穴住居が出来てくるようになります。一般の漁民が住み着いたのかも知れません。海水魚貝・淡水魚貝が豊富にとれたのです。

 5世紀末は、倭王武の時代で雄略天皇の時代です。この頃には住吉の津が活用され、磯歯津道を通って大和に入ったのでしょう。

 それから継体天皇の時代になりますと、淀川の水運が活用されます。自ずから難波津の価値が見直されて来ます。難波堀江の整備が進んだのでしょう。特に、雄略没後、星川皇子の皇位簒奪の試みがあり、吉備の軍船が難波津を目指したことがあり、やはりこの津の機能が見直されたと考えられます。


[3789]  ハレンチ の小径     紋爺ぃ 2008/04/12(Sat) 06:45 [Reply]
 病状を述べるまえに小生の体質となったことがらをお知らせしたいです。
小生がハレンチな物言いをするには、起源や前があります。
 学生の頃、どうしたわけか、まったく勉強をしたくなくなり、小生はミシンの外交員として出発しました。その後も営業マンの人生でした。
 ところが 38才のとき、ふとしたことから仕事もできなくなるぐらいにアイヌ語にとり漬かれ、そこから逃げ出すために、それはそれはお粗末極まる『アイヌ語の謎』を世にだしたのでした。この拙著の主張は「アイヌ語の中に百ほどのゲルマン系語彙がある」でした。

 そのとき阿寒に山本多助エカシを訪ねました。昭和 49年、39才の春でした。
 その後も山本多助エカシには毎年のように合って、ハナシを聴いたのですが、いつもエカシは「なんでもいい、思ったことはどしどし新聞雑誌に発表しなさい、あとでウソだとバレて恥かくことを恐れるな」でした。
 
 昭和 49年とは毒舌家の知里真志保が昭和 36年に、その親玉の金田一京助が昭和 46年に没したあとです。そして世にはゲバゲバの風が吹き荒れ、札幌のアイヌ記念碑が爆破されたり、ちょっとした発言のシリを衝かれてチャランケ(イチャモン)つけられたりで、どこのジャーナリズムもアイヌ問題とかアイヌ語にはぜんいん頬かむりを決めこんでいた頃なんです。
 無風状態です。風が吹かないところに、なんの文化の進歩やヘッタクレのこれあらむか。
 そういう無風状態のなかで、こつこつとアイヌ語語彙をノートしていた山本多助エカシの悲痛な叫びが「あとでウソと判って恥かくことを恐れるな」だったわけです。
 エカシはこうも言いました。「みんなでわぁわぁ言いあっていたら、その発言に含まれているウソは自然淘汰をうけて消えてゆく。そしてホンモノだけが社会の底辺に沈んで民族の宝ものとなるんダワサ」と。
 余談ですが、アイヌ語のことで、のっけから大変なウソを書いて、尊敬していた先生に叱られたが原因で、体調を崩して死んだ K氏のことは忘れられません。
 でも、それを書いていたときの K氏は、ウソとは思わなかった。自信に満ちていた。

 そういう自信にみちた人びとを「確信犯」というそうです。確信犯とはほめことばらしい。

[3788]  ワー、さすが グルだ      紋爺ぃ 2008/04/11(Fri) 18:28 [Reply]
    
 素人グルさん、有り難うございます。
 さすが、おっしゃることがちがいますね。
 アイム アン アイディア マン。そのうちグルは一人乗りロケットに乗って世界中を駆け回れることになるでしょう。
 あ、ビタミン C欠乏のままに何日間耐えられるかも、キング欣求でした。有り難うございます。これでアイヌが春になって、薮にわけ入って、ほっぺたのまわりを真っ赤に染めて、フレップ(赤いもの)の実を、腹いっぱい食べる……も理解できました。
 発端は磐井のランのとき、ヤマトは二万人(だったか)の兵を朝鮮に送ったとかいう記事をみて、小生はすぐに「それはウソだ」と思いました。そしてその後では、「やはり出兵はしてなかった」という意見が圧倒的なことを知りました。兵がうごいて歴史はつくられると思います。それにはいろんな条件が必要なことでしょう。
 そこから、突飛調子の kag の実になったのでした。でもそれが結果的にはウソでも、書いてみてよかったと思っています。事実こうして恵まれて“ある”のですから。

 サンスクリット語には、小生、極めて個人的な好き嫌い(と、言うておきます)から、まだほとんどアプローチしていない状況ですので、ここの不明も暴いて、揉みほぐして頂きたいと欣求です。
 それは、またまた理由にはならないかもしれませんが……、
 キチガイ小生といえど、たしかに、サンスクリット語は一つの巨大言語であることは認めざるをえません。現実には、その「高度・優位」の発達性を以って周辺言語に大きな影響をあたえ、その語彙も時間経過とともに、周辺へ流入していること(事実)でしょう。

 だがしかし、考え易いように、こう設定しました。すなわち、カイバル峠やヒンズークシ峠を越えるまえのア−リア系氏族は 12あったと。そしてそのうちの 10氏族はサンスクリット語という統一言語で締めくくくられた。ところがその「締めくくり」に洩れたのがヒンディー語とネパール語だった…………。と。しかも、その締めくくりに働いた原理には“宗教”があった!
 サンスクリット語、パーリ語においって、ことばという自然現象が、大幅に変形変質を余儀なくさせられ、追い詰められた。
 ここのハナシは長くなりますが、グルよ、トンヅラする事勿れ主義ですばい。

 サンスクリット語は一つといえば一つ。十といえば十。どっちが“底”のことばなんやろか。

[3787] Re[3782]: 単純に *kag (光り)    素人 2008/04/11(Fri) 17:35 [Reply]
大事なことを忘れていました。

>  輝き、鏡、かぎろい、蔭、影 あたりも 原音 *kag があったようですが、この点、もう一度おいでになって、お教えくださればアマカネ。

岩波古語辞典によれば、「輝き」は近世初頭まで「カカヤキ」と清音だったことから、「かぎろい」「影」「かぐやひめ」
などとは語源が別だそうです。
「輝く」とkagは分けて考えたほうが良いと思います。

[3786] Re[3785]: 川上とは kawwa(カラス)kam-i(仕事・人)  素人 2008/04/11(Fri) 15:13 [Reply]
紋爺ぃさんのおっしゃりたいことが何となく掴めました。
要するに、もし空間的にはアジア大陸東部のすべての民族を含み、時間軸も過去現在を問わず・・・とすればそこに
存在する(した)氏族は無数だろう。その中に「カラスは光を呼び込む聖鳥だ」という伝承を持った氏族が絶対にない
と言えるか?
これは便利な論理ですね、誰も否定できませんから。
そうなればkagと「輝く」の関係を説明できることになる?

ヒンディ語でもカラスを表す言葉は当然一つだけではなく、代表的なものをあげると、
कउआ (kauwaa)
काक (kaak)
काग(kaag)
ネパール語と同じようなものです。これらは元々擬声語なので似ているということもありますが、実はこれらの言語の
源にあたるサンスクリットにkaagaもあればkaakaもあるんですね。枝葉末節の言語よりも、大元を見たほうが問題が
より明らかになるような気がします(特に異言語を比較する場合は)。
いかがなものでしょう。

*デヴァナーガリー(インド式文字)が化けたらごめんなさい。

[3785] 川上とは kawwa(カラス)kam-i(仕事・人)  紋爺ぃ 2008/04/10(Thu) 10:09 [Reply]
  少しまえ、神奈備旦那は姉妹板で川筋の斎場などを二十数度シリーズしていました。
 その折に割り込んで行って、カラス(金属精錬士)偏執のことを告げたいと思っていましたが、なかなか隙がなく、今となりました。
 ネパール語には kag のほか kawwa の音でもカラスがあります。 kawwa の第一番目の a は、 a をでんぐり返した表記をしています。この音は a と o の中間です。また、これはネパールのザイの人は「ただの長音だ」と受け取ってもいます。すると、 kawwa はいよいよ以ってカラスの鳴き声を模写したオノマトペアだということになりましょう。kawwa 末尾の wa は、一般的にいえば人です。擬人化した呼び名かもしれません。
 この中間母音が、日本語では甲類乙類の区分を発生させていると小生は思っています。

 シュ(鳥)はシュメル語にもあるそうで、正確には S の上に V マークをつけます。おそらく必然の結果だろうと視れますが、この“シュ”は「ス(鳥)」となって、沖縄・朝鮮・日本に行きわたっています。
 カラスの kal は黒でもありますが、アラビヤ語の金属精錬でもあります。 kal が開音(母音づけ)化されて kala となったあとに、この 「ス(鳥)」がついたのが、一つは鴉であり、もう一つが金属精錬の衆(士)だと、みれるのです。

 銀シャリということで言葉が及ぼす恐ろしさを、見たばかりです。
 で、古代日本では、 kag は光関係の宗教的意味あいの強い概念に、kawwa は金属精錬士方面の用語として使い分けられたのでしょう。この場合、金属精錬士といっても、大きな概念で、農民や第一次産業以外に携わる人びとの総称として考えてください。

 また、小生がいま言うネパール語……といっても、現在のネパールではなく、「どこか遠くの、あっちのあのへんの言葉」ぐらいの、漠然とした概念です。言語分布現象をみればわかるとおり、通婚圏で生じた土着性を十分に含んでいる氏族語は、少しづつ使用語彙を換えながら、定着しています。
 ですから、それぞれの氏族に伝承されている具象は、氏族ごとに異なるとはならないでしょうか。鴉は一様に黒い鳥としてわれわれの目に映りますが、その内意とか伝承となると、ちょっと地域が変われば「鴉とは宿命を告げる鳥だ」との思い入れが濃厚となり、ちょっと地域が異なってくると、「鴉とは光を呼び込む聖鳥だ」となってくる。ここは場所での区分を言いましたが、時間時代差もあることでしょう。そういうことではないでしょうか。
 言語種はガラリと違っていますが、とにかくシナでは、太陽とか光に関わることの多い鳥です。

[3784]  本筋のシロートなんです    紋爺ぃ 2008/04/09(Wed) 18:14 [Reply]
   
 素人さん、のっけからいろいろとお教えに預かり、有り難うございます。
 小生は壊血病と脚気のちがいも見分けがつかない、本格的なシロートなんです。
 ヒンディー語にお詳しい、いいグル(導師)ができたと、こころからよろこんでいます。
 できることでしたら、見捨てないでください。

 そういえば、「 kag を光りとする母語はどこだろう」と、かなり気になっていました。
 小生が錯覚したのはシナの伝説(太陽の中のカラス)などと、日本語の「かぎろい・輝く」にkag があるので、「どこかネパールとか、あのへんだろう」と、大雑把に処理したのです。

 小生は安本美典著『日本語の誕生』の巻末に掲載されている基礎 200語対比表で、ヒンディー語とネパール語のちがいを見て、「この二つは同一だ」と踏みました。
 いま、日本語にいちばん近い類似語彙を持つ言語を、学者として挙げたひとは、ちょっとだけ畑違いながらも、大野晋教授でしょう。タミル語と日本語のあいだに 350ペアの類似語彙を掲げられたのですよネ。
 小生が 5754語彙が載っている『基礎ネパール語事典』(天理教海外伝道部刊)をみたところ、ネパール語と日本語のあいだには 1300ペアの、アイヌ語とのあいだには 500ペアの類似が認められました。
 この一覧表を、ぜひ「素人グル」に見て頂きたいと切望します。神奈備旦那に連絡とっていただければ、小生の住所番地はわかるはずです。叉は、 0120 941986 生田へどうぞ。

 カグツチなども、お教えいただきたいのですが、後日に……。

[3783] Re[3782]: 単純に *kag (光り)    素人 2008/04/08(Tue) 22:53 [Reply]
>  お教えねがいたいのですが kaagaz は何語なんでしょうか?
ヒンディ語ですが・・・何か?

>  ネパール語 kag(カラス)は太陽にいる霊鳥で、朝はやく暗いうちに鳴き叫んで陽のあがりを予告します。
>  kag = 光 = カラス だと判じましたが、いかがでしょう。

何のことかよく分りませんけど、それはどこから得た知識ですか?

ネパールの伝承では、カラス(kag←擬音語)は死者の国(Yama→閻魔)から人の運命を伝えに来る大切な鳥、
とされています。だから、ネパールではカラスを殺すどころか、敬ってます。毎年行われるTiharという大きな
祭りの中でも、このカラスを祝福するKag Tiharは最初に行われる重要な儀式、しかしカラスと太陽や光との
関係は知りませんね。

Googleで"kag tihar"で検索すればこの辺の事情は分るはず、やってみてください。

[3782] 単純に *kag (光り)    紋爺ぃ 2008/04/08(Tue) 20:21 [Reply]
 お教えねがいたいのですが kaagaz は何語なんでしょうか?
 
 ネパール語 kag(カラス)は太陽にいる霊鳥で、朝はやく暗いうちに鳴き叫んで陽のあがりを予告します。
 kag = 光 = カラス だと判じましたが、いかがでしょう。

 輝き、鏡、かぎろい、蔭、影 あたりも 原音 *kag があったようですが、この点、もう一度おいでになって、お教えくださればアマカネ。

 歴史(時間)の流れと、nativity(土着性)の交差のなかで、*kag の座が決まっていた……? そういうことカナ?

[3781] シロートをハミ出してらっしゃらァ  紋爺ぃ 2008/04/08(Tue) 19:55 [Reply]
 素人さん、有り難うございます。

 おっしゃってることは、シロートの領域からかなりハミ出てらっしゃるみたい。
 いま、ここの掲示板はサンスクリット語にネツ(熱)く注目しています。

 シロートの集りですので、放ってたらどんなことになるかも知れたもんじゃありません。よかリードばたのみます。

[3780] Re[3777]: ナチスの電撃作戦 と タチバナ    素人 2008/04/08(Tue) 17:25 [Reply]
> 海軍がどのようにして壊血病予防策を知ったか、なぜ、それを陸軍に告げなかったのか。どなたか、そのなりゆきを知りませんか。

もしかして、「脚気」の話では?
壊血病はビタミンCの欠乏で起こる。一方の脚気はビタミンB不足なので全然別ものです。
この明治時代の”脚気”論争についてはWIKIpediaが参考になりますよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%9A%E6%B0%97
高度のビタミンC欠乏でも症状が出るまでには、半年から1年程度かかるそうです(WIKIpedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%8A%E8%A1%80%E7%97%85

それはともかくとして、ネパール語kagati(レモン)の由来は興味深い。
レモン、ライム(類)はヒンディ語でnimbooといいサンスクリット語源、ネパール語のnibuに当たる。
で、特にインド特産のレモンは皮が薄くて食べやすいし、おいしいので、これはkaagaz nimboo
という呼ばれ、西洋のいわゆるレモンと区別している。なぜかというと、kaagazは「紙」、紙のように
皮が薄い高級品種という意味。このヒンディ語がネパール語に入った時に下のnimbooが落ちて、
kaagaz(ネパール語kagati)だけでレモンを意味するようになったということですね(ヒンディ語では
kaagaz自体にレモンやライムの意味はないので)。

もう一つ、記紀の「九年母」の語源がサンスクリットのkunimbuらしいという話があります。
沖縄ではクニブと呼ぶこの果物の名前がサンスクリットとは、スケールが大きくて気持ち良い。
http://www.haizara.net/~shimirin/tamiko/ryori/ryo022.html

[3779]  銀シャリよォ〜〜ッ !     紋爺ぃ 2008/04/08(Tue) 14:01 [Reply]
 
 くずさん、あがあが! それにしてもエラいこと知ってンだなぁ。
 そういえば、「カグの実が海洋勢力の武力だった」は、書き過ぎでした。これが「カツ(勝つ)の実」だったら、日本には脚気での被害はぐぐぐっと少なかったでしょうね。
 なにせ日本人は銀シャリということばに酔っぱらっちゃった。
 最後の幕府将軍、慶喜の前の家茂(イエモチ)将軍も 21才の若さで浮腫にかかって落命。
 第二次大戦が始まったら、すぐにコメがなくなった。あれ、軍隊がガッポリ溜めこんだんだナ。オレたちゃお蔭でひでぇめに合ったよ。

 あの頃、幽霊船というのが出没していた。大型の帆船だが、だあれも乗ってなくて、船だけが大洋をさまよっていた。乗り組み員は、みぃ〜んな壊血病で死に絶えたらしい。

[3778] Re[3777]: ナチスの電撃作戦 と タチバナ    くず 2008/04/08(Tue) 12:04 [Reply]
> 海軍がどのようにして壊血病予防策を知ったか、なぜ、それを陸軍に告げなかったのか。どなたか、そのなりゆきを知りませんか。

人類が壊血病、脚気の集団発生に直面し、問題として認識されたのが大航海時代だったというのがポイントとしてあると思います。
陸よりも、海の閉鎖空間で、その問題は深刻化した。

帝国海軍が倣った英国海軍ではライムジュースでビタミン不足を補い、壊血病、脚気を解消していましたが、これは「1797年の大反乱で水兵から突きつけられた要求の一つにレモンジュースの支給が含まれていたから」だそうです。
(原因特定は出来ないまでも実験によって柑橘類摂取の効果が確認されていたが、それまで黙殺されていた)

日本海軍が陸軍より早く、ビタミン不足に対応できたのは海軍軍人で医学者の高木兼寛の功績によるところですが、明確に原因究明(と解決策)がなされる前であっても、先行する英国の影響は大きかったと思います。

陸軍が倣ったドイツ医学界は壊血病、脚気の原因を細菌と考えていたようで、同様に原因を考えた陸軍軍医総監の森鴎外と海軍軍医総監、高木兼寛の対立が日露戦争に影響を及ぼした。(具体的は陸軍の麦飯支給禁止)

食事の偏る下級仕官に深刻だった血病、脚気であったのですが、食事を改善し、下級仕官にも白飯を食わせようとした鴎外が結果としては人を死なせ、
レモンジュースの要求を安価なライムで済ませた英国海軍、「貧民散布論」東京から貧民を追放しようと提唱した高木兼寛が結果として人を守った。

学ぶべき事柄が多く含まれていると思います・・・


[3777] ナチスの電撃作戦 と タチバナ    紋爺ぃ 2008/04/08(Tue) 07:21 [Reply]
 静岡の Tちゃんは栄養学の先生でした。このTちゃんが20年前、「魚だけでは欠陥食品よ」と云ったのでした。
 ここにきて“足下学”でのつきあげが来ました。では「漁民はなにを食って補食していたのか」をすぐに聴けばよかったのでしたが、昨夜たまらなくなって、電話しました。
 すると電話してる横で、わが愛妻が小生に告げたいらしく、なにやら喋っている。
 両人の云いぶんを纏めたところ、魚はナマで食べればビタミン Cは採れるが、煮たり焼いたり干したりしたのでは、不完全食品にしかならないらしい。
 
 と、いうことは、海岸近くの衆が内陸に攻め入ろうとしても、魚はおべんたうにはならないことを謂っている。いきおい、内陸に歩いて行ってせいぜい三日ぐらいが、射程距離内ということになろう。そこで戦ってもフラフラしてるので、いつも敗けいくさしかならない。

 幕末、ロシアの南下をみて、四、五つの藩が北海道に兵を派遣しましたが、いずれもひどい浮腫(脚気……壊血病)で病気になり、死にに行ったような結果でした。
 そこで思いだすのが、ナチスのポーランド侵攻作戦です。
 相手の議会が議院を呼び集めようとしているときに、ドイツは早くもさっさとやって来て占領してしまったのです。糧末などを運ぶのは二日遅れてもいいように、兵士は各自、三日分ほどのおべんたうを持っていたのです。それはチョコレートとレモンでした。

 そこで憶いだすのがタチバナのことです。橘……柑橘類。タチバナは海洋勢力にとっては武力の一つだったはずです。橘勢力は藤原氏の台頭で中央から駆逐されたのでしょうか? このへん小生はよくは知りません。
 古い日本語のレモンは「カグの実」 / ネパール語 ; kagati (レモン)。いずれも陽の光をうけて輝いている様子をいっています。
 
 タチバナはただの名前ではない。タチは太刀でしょうが、pa・naはタガログ語で「弓・矢」で、 総じて武器そのものを謂っているかと思えます。神社とは武器庫でもありました。

 日露戦争のときには、海軍はすでに壊血病を予防する方法を知っていましたが、 203高地を攻めあぐねた陸軍は、まだそれを知りませんでした。陸軍がそれを知っていたら、あれほどの犠牲をはらわなくってもよかったと思われます。
 海軍がどのようにして壊血病予防策を知ったか、なぜ、それを陸軍に告げなかったのか。どなたか、そのなりゆきを知りませんか。

[3776] 沖縄・喜如嘉方言の特徴    紋爺ぃ 2008/04/07(Mon) 08:31 [Reply]
 
※1 過去形は 日本語の ta と同一。これが --tan となる
※2  -in は「する」で、これは朝鮮語、タガログ語とおなじ。
※3 -ti , -chi はインド系末尾辞の -ti(こと、ことがら)。
※4 疑問詞 は -chi 。ベトナム語とおなじ。
※5 語彙中の r 音が脱落する。朝鮮語のクセでもある。
※6 前の結論を肯定することを e であらわす。・ アイヌ語の包合。
※7 動詞、形容詞に n をつける。形容詞をつくる sa をつけ再びこれに n をつける。
※8 k が h となる。
※9 h は f 音になる。
※10 日本語 mono(者、物)は mun となって多用される。
※11 e は i となる、o は u になる(三母音的クセ)。
※12 u は i となる。これ朝鮮語にも多い。ハンギル ・ ハングル またトルコ語

 以下では、上をうけて、語彙分析のとき、※1、※5 のように記したい。
 第一次、第二次掲出に出さなかった(つけおとし)は ★★印で表出する。

 散文調で記述するとダブったり、長文になりますので、以上のように仕分け区分をハッキリさせました。すると次から次に★★印が出て、います。★★とは少なくとも土着語といえます。これからのなりゆきを推測しますに、沖縄の土着語は 30%を超えるみたいです。

 「日本=高文化、沖縄=低文化」みたいにして、卑屈になる必要はミジンもありません。日本ヤマトといえど 1700年前は沖縄とまったく同じだったのです。
 その事実をまず踏まえて、それを土台にしてアイデンティティー構築を計るべきだと愚考します。
 アイヌの場合は、その喋りぐちがテープレコーダーに採られるぐらいに、つい最近まで、土着言語が生きていました。それゆえに、アイヌ民族のアイデンティティー把握が容易でした。
 欣求叱咤。

[3775] 分派が分りきっている場での言語対比  紋爺ぃ 2008/04/06(Sun) 09:00 [Reply]
 《 分派が分りきっている場での言語対比 》
 sar(蘆葦の原)に鶴が舞い降りたので穢れを羞じた身は北のほうへ遊びに行ってました。
 ペルシャ語 ; シャリ(禾本料植物)・ コメの銀シャリ。
タジク語 ; saxro(野原、畑地)
 アイヌ語 ; sar(蘆葦)・ 地名 ; 斜里
 ネパール語 ; saras(鶴)
 アイヌ語 ; sar orun ---(鶴)

 オレも振出しはアイヌ語なので『アイヌ語地名考 掲示板』があそびに行った先でした。
 あー、こんなこと書いたらおぎゃうぎが悪いのかナ?

 いつのことかは忘れましたが、チェンバレンという西洋の学者がしゃしゃり出て、日本語とアイヌ語のあいだに見られる 16項目におよぶ文法統語法上のちがいを云いたてて、「日本語とアイヌ語がちがう」と結論づけたのでした。
 それ聴いた日本の学者は、相手が西洋人のことだし、若いときに音韻対応とか言語系統樹を素養として棒のみにしていたので、ぜんいんゴロにャンとなって「ちがう、ちがう」と、学生たちに“実”を伝えたのでした。
 一犬虚に吼えて、万犬じつにゴロにャンとなりにけっちゃんたんです。
 学者はあんた、中庸を重んじるもんな。
 万象は○×の法則に従いま。ちがう思うたらちがうとなり、同じや思うたら同じにみえるんでんねん。

 これも西洋のスワディッシュさん。系統・分派がハッキリしてる両言語が、時間経過のあとにどれくらいのちがいが出るかを計測したという。
 オレが今ケッケムクリ(豊後弁 ; いっしょけんめい)分析してる沖縄喜如嘉方言は、姉妹語といわれている「日本語 / 沖縄語」が、本当に分派などがいえるのかという領域ざんす。分派を見るためにゃスワディシュさんのいうことはきけまへん。

 それよか、『アイヌ語地名考・掲示板』で、きのふ書き出したのですが、スンダランドの海進は 18000年も前のことです。これと「台湾(マレー語系)と縄文文化」がどう絡んでいるのかの見極めが、どえらく重要になってきました。ま、読んでちょ、なも(ナゴヤ弁)。

[3774] Re[3773][3772]: 姉妹語  琉球松 2008/04/02(Wed) 18:44 [Reply]
 アイヌ語も朝鮮語も、日本語(本土方言&琉球方言)にとっては重要な言語なんでしょうね。

 よく言われるんですが、本土方言と琉球方言の距離はドイツ語とフランス語のそれより遠いとのこと。。。仮にヨーロッパが一つの国であるならば、それぞれドイツ方言、フランス方言となるようです。
 とすると、薩摩侵攻以降の琉球王国では「琉球語」が話され、薩摩直轄領地の奄美地方では「琉球方言」が使われていたということになりそうです?

[3773] Re[3772]: 姉妹語  玄松子 2008/04/01(Tue) 20:27 [Reply]
>  これは、もったいない事ですよね。
>  言語学的に、日本古語の解明には琉球方言が必要ですし、琉球方言のそれには本土側の援助が欠かせないわけですね。

詳しくはないですが、アイヌ語は日本語と違うということになっているようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E8%AA%9E
「専門家の間では、アイヌ語を、日本語の基盤となったいくつかの言語の内の一つから発展した言語とする見方が一般的だが、現段階ではアイヌ語は特定の語族に属さない。」

それでも、アイヌ語が日本語の解明に必要な言語であることに変わりないでしょ。

琉球語なのか琉球方言なのかに関わらず、それは同じでしょ。
違うのかなぁ。

ちなみにウィキペディアでは、「琉球語」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E8%AA%9E
「琉球語(琉球方言)を独立した言語とみなすか方言とみなすかについては大きく意見が分かれる。」

[3772] 姉妹語  琉球松 2008/04/01(Tue) 12:56 [Reply]
 神奈備さん、どうもです。

 大三元さんは百も承知なんでしょうけども、あちこちのサイトを覗くと、琉球方言は日本語とは違うような印象をあたえる投稿があったりします。
 これは、もったいない事ですよね。
 言語学的に、日本古語の解明には琉球方言が必要ですし、琉球方言のそれには本土側の援助が欠かせないわけですね。

[3771] Re[3770][3760][3758][3756][3755]: 沖縄の土着語 5 喜如嘉方言 3   神奈備 2008/04/01(Tue) 08:56 [Reply]
 大三元さん、ありがとうございます。

> 「一万年前の」沖縄の言葉

 千年で8割ですから一万年で約1割となります。

> しかし、どの語を保存して、どの語が入れ替わったのかは、両方言で異なる、ということです。

 アイヌ語も同じくとしますと、痕跡発見の確率は 0.1*0.1 = 1% 。

 それが、
> ごくごく僅かに地名・地形名に痕跡があるか、に見えるからです。
 と云うことですね。

 尚、(神奈備さんも「琉球方言は日本語ですから、・・・・・」と書いて居られる。)3760 ですね。引用の > が抜けていました。琉球松さんの投稿 3756 からの引用です。同意です。本旨には関係がなく、ホッとしています。大三元さん、琉球松さん、失礼いたしました。


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