青草掲示板ログ平二十年 八月 2008.8
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[4439] 訂正 Re[4438]  かっぽれ 2008/08/31(Sun) 00:25 [Reply]
自分の発言に訂正をします。
> まあ、あのような脅迫的言動は慎んでいただかないと、

「言動」よりも「言辞」というべきでしたね。青草談話室のログ上のことですから。

ついでに、もう少し分りやすく説明を加えたいところを発見したので追加。
>tarsi- , tarsa- ,tarsau-が「恐れ」に関係する語彙だからといって、tar=「恐れ」とはいえません。

ネパール語にはtarで始まる単語が山ほどありますが、そのほとんどは「恐れ」とは何の関係もなし。
こういうことも考慮されると良いと思います。

[4438] Re[4433][4432]: あるか無いか、1000万円ゼニ賭ける度胸あるか   かっぽれ 2008/08/30(Sat) 22:36 [Reply]
生田さんが落ち着くのを待つ意味で、発言を控えていました。
まあ、あのような脅迫的言動は慎んでいただかないと、管理者や読者に不快感を与え、多大な迷惑をかけることをお忘れなく。

少し冷静になられたところでレスします(これは議論です、”口論”ではありません)が、
>tarsi- , tarsa- ,tarsau- の語形みているオレの目がまちがってるというのなら

tarsi- , tarsa- ,tarsau-が「恐れ」に関係する語彙だからといって、tar=「恐れ」とはいえません。
同じような例を考えてみます。英語のpart(部分とか)という単語がありますが、これはparでも同じ意味ですか?
もちろん違いますね。他の英単語でも当たってみてください。もちろんネパール語でも結構ですよ。

☆これは「議論」ですから、事実に基づいた冷静な反論を期待しています。

[4437] はぁ〜い、おそらく怖がらないで……   生田淳一郎 2008/08/30(Sat) 16:57 [Reply]
 以後、「おそらく……」だらけになるなぁ。
 100%まちがいのない領域事のことであれば、もの云う必要なんかないじゃん。
 おれ、35年間、もの云わなかった親友をもっている。
 「お〜い、おら死ぬかもしれんぞ」いうて電話したら、すぐに沖縄の病院までヒコーキのって飛んできたヨ。

 司馬遼太郎さんは「日本人の間には友情は育たない」と云いつづけて一生を終わった。どんな交友関係をえた一生だったのだろうか。筑豊生まれのオレなんざには想像もできない孤絶感だったんだろうナァ。でも「日本人には友情は育たないなどといわずに、同氏が経験した範囲内で「京阪神では……」と地域を限定してもらいたかった。

 このごろの若い衆はケンカのしかたなどまったく知らぬらしい。筑豊飯塚はケンカの邑都たい。よかばァ〜イ。

 これに懲りずに、まずは「怖がらないで、おそらく……」 natarsa ね。

[4436] Re[4435]: 生田さん・かっぽれさん  神奈備 2008/08/30(Sat) 15:09 [Reply]
佐々木さん、助言ありがとうございます。人間は無くて七癖あって八癖です。

紋次郎・言語考古学
http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/utubobbs.cgi
に次の書き込みがありました。

[1124] 梵語辞書&ひとこと  甘茶
○紋爺さんのために一言失礼します。青草bbs[4425][4432]は良くないです。かっぽれさんの[4429]は正論だと思います。ちょっと論点がずれている感じですよ。今日はお出かけのついでに図書館に寄って、ネパール語の辞書を始めて眺めてきました。問題の「恐れる」にあたる単語。
tarsanu / tarsinu:怖がる・恐れる・怯える・びくっとする
tarsaunu:怖がらす・恐れさせる・おどかす(注:後のa上に横棒)
tarsaune:怖い・恐ろしい・幽霊・化物(注:後のa上に横棒)
このtarに、おそらくは「恐」の意味があるのだろうと私も推測しますが、しかしやはり、辞書には項目としてtarが掲載されてはおりません。
「tarsaunu等の語から類推するに、tarはおそらく・・」と書かれたならよかったのに、と残念に思います。怒らないでね。

tarは字引には見あたらないが、「恐」と言うことは充分考えられるということ。

この内容を[4422]の応答として頂ければ済んだことで、そうすれば議論がまともに前に進むのでしょうね。

[4435] 生田さん・かっぽれさん  佐々木 2008/08/30(Sat) 10:24 [Reply]
 もうお二人いいかげんに。ここは他の人の運営する談話室、お二人の口論の場所ではありません。たとえば診察室で嫁舅が喧嘩して困るのはお医者さんと看護士さん、そして他の患者さんなんですヨ。

[4434] その病気が治れば、立派な先生だ    生田淳一郎 2008/08/30(Sat) 05:22 [Reply]
、具体的なホルモンや細のうごきは、まだだれも把握できていないが、異質な言語観に対して、個はいのちがけで駆逐しようとする……そういった宿運を一人々々が背負って生まれてきている。
 明治このかた、日本でもこのことに無検討・無反省のままつっ走ってきたので、甲論乙駁がつづき、語源追求は現状のようにザマねぇありさまです。

 どうかイモを十分に食し、せんぶり飲んでがんばれや。

[4433] Re[4432]: あるか無いか、1000万円ゼニ賭ける度胸あるか   かっぽれ 2008/08/29(Fri) 23:22 [Reply]
>  おもしろがらせたり、隙みせるせいだろうなぁ。オレのところには調子にのってロクなこといわないオッサンが集ってきて、ぎゃ〜ぎゃ〜さわぐ。周辺の人にはハタ迷惑だろうとおもう。やっぱ、オレのやりかたがいけなかったのかナァ。
>   4年前は、医薬外品を販売するに「もっと効能を書くべきだ」というオッサンが騒いでうるさいので、「おまえさんの云うことがウソか、オレの主張がウソかを保険所にいって調べてこい」と云って、500万円を賭けた。
>  そしたらそのオッサンはミョウチクリンな言い訳もって現れ、なにか二三ことばしゃべったが、それっきり来なくなった。
>  医薬外品を他人にすすめるときには「健康にいいですよ」ぐらいの表現までが許される。
>
>  tarsi- , tarsa- ,tarsau- の語形みているオレの目がまちがってるというのなら、カトマンズに飛んで、Verna 兄弟さんに会って、間違いだったことを世界に表明させなさい。または、「ああいうと、こう云うのか? (モールス信号 ; a)。
>  
>  あんた、内蔵関係で深刻な病気するぞ。

これは脅迫ですね。

[4432] あるか無いか、1000万円ゼニ賭ける度胸あるか   生田淳一郎 2008/08/29(Fri) 19:28 [Reply]
 おもしろがらせたり、隙みせるせいだろうなぁ。オレのところには調子にのってロクなこといわないオッサンが集ってきて、ぎゃ〜ぎゃ〜さわぐ。周辺の人にはハタ迷惑だろうとおもう。やっぱ、オレのやりかたがいけなかったのかナァ。
  4年前は、医薬外品を販売するに「もっと効能を書くべきだ」というオッサンが騒いでうるさいので、「おまえさんの云うことがウソか、オレの主張がウソかを保険所にいって調べてこい」と云って、500万円を賭けた。
 そしたらそのオッサンはミョウチクリンな言い訳もって現れ、なにか二三ことばしゃべったが、それっきり来なくなった。
 医薬外品を他人にすすめるときには「健康にいいですよ」ぐらいの表現までが許される。

 tarsi- , tarsa- ,tarsau- の語形みているオレの目がまちがってるというのなら、カトマンズに飛んで、Verna 兄弟さんに会って、間違いだったことを世界に表明させなさい。または、「ああいうと、こう云うのか? (モールス信号 ; a)。
 
 あんた、内蔵関係で深刻な病気するぞ。

[4431] Re[4430][4428][4423][4420][4414][4413][4410]: 丹後ー竹野神社  佐々木 2008/08/29(Fri) 16:52 [Reply]
 とみたさん
 資料紛失のままですが、よいキーワードにめぐりあえて感謝です。
> 伊加里姫は一先ず辰砂(水銀朱)の勢力として見ていいようですね。

 高野由里女布に大きな建物の遺構がでました。かなりの勢力があったと見てよいでしょう。

> 朱の研究が、今津節生さんが、されています。

 同位体比ですが、日本の外帯(地質)はマイナスだと思いますが、内帯はプラスがあるかもしれません。丹後は内帯なので一部その可能性があります。細かいデータは警察科学研究所なんでしょう。

> 天日矛は具体的にどの土地に寄ったのでしょう?
 文献は失念した。申し訳ない。滋賀の日吉大社から、琵琶湖西岸を抜けて、高島市宮野?
 高島市の近江今津から北西へ小浜に行ったのか、北へ敦賀に行ったのか。
 それよりは日本海側を西に舞鶴。そこから福知山へは??です。未調査です。
 
 通過点には日吉神社があること、日置地名がある傾向までは把握していますが。

天日矛の鉄探しは、今のところ同意見です。しかし日下部氏・・・越前朝倉氏までまだ系統的に把握できない。

 あとは各製鉄遺跡の特徴(常用温度の800℃←概ね古い技術?、1500℃←新しい技術かな?など)で分類すれば何か見えると思うのですが。
 村上先生が専門特化してご研究されているので、それを参考にした方がいいですね。

> 尾張の海部氏、丹後の海部氏つながるといいですね。丹後では地名としては「雨」を「あま」と読んでいるところがあります。高野由里の隣町です。

[4430] Re[4428][4423][4420][4414][4413][4410]: 丹後ー竹野神社  とみた 2008/08/29(Fri) 14:25 [Reply]
神奈備さん 佐々木さん お付き合いありがたく。
私は、神話伝承・文献と、考古学と、科学的分析を組み合わせたら何か見えないかと思っています。

伊加里姫は一先ず辰砂(水銀朱)の勢力として見ていいようですね。
>  それは高野由里の南に、女布(にょう)があり、ここが水銀の産地です。
>  舞鶴地区をマクロに見ると水銀の出そうなところには、神社(池姫神社:布敷、雨引神社:城屋、熊野神社:久田美、与保呂神社:与保呂)がありますね。

朱の研究が、今津節生さんが、されています。

朱は硫化水銀ですから,硫黄Sには同位体が含まれまして出土地がある程度特定できるらしい。詳細は失念しましたが、プラスとマイナスと分けれるそうです。中国のはプラスで(一部東北の吉林省はマイナス)。日本のものはマイナスだそうです。

弥生時代の日本の墳墓には中国の朱が用いられ、朱を使う墓制が普及する古墳時代の前あたりからは国産の朱を用いるようになったそうです。
紀伊をはじめ各地の水銀鉱山が開発されたようです。丹後では大風呂遺跡が中国の朱を使う、その後の今井赤坂墳墓(卑弥呼と同時期の3世紀はじめ、まだ弥生時期ですが)は日本の朱のようです。

出雲の四隅突出墓の西谷3号墳は中国山西省の朱を使用とか言われています。

> > 大風呂遺跡は、東海勢が鉄を交易した証拠があるそうです。
>
>  東海勢は息長勢力ですか。滋賀は琵琶湖を挟んで、西は日置氏、東は息長氏が鉄に関わっていますが、動きとしては面白いですね。

丹後の大風呂南遺跡には、東海式土器が葬式に使われているようで名古屋市に大風呂の土器が出ているようです。東海勢と丹後勢が交易でつながっていた。

大風呂の銅の腕輪が愛知県の山王山遺跡で出ています。

京都府の埋文センターの肥後さんは、東海勢の鉄の入手拠点は丹後にあったかもと、述べていました。



籠神社が海部氏で、尾張族の火明命と関係があるとするなら尤もです。

大三元さんのサイトで、豊宇気大神が伊佐奈子嶽に降臨してたのが、峰山ならこの峰山町は現在の京丹後市の市庁舎があり、鉄の一貫生産処理の遠処があり、赤坂今井墳墓があるところで竹野川中流域です。まあ丹後の中心地ですね。息長と尾張は関係がないと思っていますが・・・息長は鉄に関係するかなぐらいです。

琵琶湖湖東が息長の本拠(米原あたりか?)で湖西の三尾に息長の別荘があって、継体のお父さんの彦主人が越前の振姫と結ばれ継体が生まれた。

>天日槍の将来した八前の神を祭る出石神社の宮司家は長尾家で、長尾市の末裔と言います。

紀伊と阿波・讃岐の構造線帯の鉱脈に水銀や鉄が取れて、
空海は佐伯氏?の仲間で、発掘して儲けて私費留学で唐に渡ったという説がありますね。そこが現在の四国の88箇所の霊場でお遍路さんの道。

同様に天日矛は新羅からやってきて鉄を求めて播磨から近江へそして若狭経由で但馬に落ち着いた。これも鉄探しの渡来人の足跡という作業仮説は如何でしょうか。

天日矛は具体的にどの土地に寄ったのでしょう?


[4429] Re[4425]: めちゃくちゃな幽霊がでる  かっぽれ 2008/08/29(Fri) 08:12 [Reply]
>ひとを陥れたり、なんとかして挙足とるのはそんなに楽しいことか?

これはもう、そんな低いレベルの話ではありません。
存在しない幽霊ネパール語を作り出して「これが語源だ」というので、そんなことしてはまずいですよ!と忠告はしたが。
いったい、どう解釈すれば「アゲアシ取り」になるのか、論理がまったく不明ですよ。

>真理追求の徒たる自覚が少しでもあるのなら、ちゃんと本名と電話番号を名乗り、『紋次郎・言語考古学』に来なさい。

ヤクザの「ちょっと顔貸せ!」みたいな?(笑)
そんなことより、生田さんが真理追究の徒なら、「存在しないネパール語」疑惑に反論するのが先決だと思いますね。

[4428] Re[4423][4420][4414][4413][4410]: 丹後ー竹野神社  佐々木 2008/08/28(Thu) 22:23 [Reply]
 とみたさん
 
 間違えました。
 丹波国の大県主、由碁里の居たところは、由良川流域の岡田由里でなく、西舞鶴の高野由里でしょう。
 それは高野由里の南に、女布(にょう)があり、ここが水銀の産地です。
 そこの入口に伊加里姫神社があります。
 この産地との関係から見ても、光るものは、水銀でまちがいないでしょう。
 さらに水銀の産地を囲む(守る)ように神社が3社(現地ではそれ以上のはずだが)配されています。

 舞鶴地区をマクロに見ると水銀の出そうなところには、神社(池姫神社:布敷、雨引神社:城屋、熊野神社:久田美、与保呂神社:与保呂)がありますね。

> 伊加理は、吉野川の井光そのものですね。井光は鉱脈の井戸の底を発掘しているイメージですね。

> 光るものが、水銀朱か鉄か決めかねますね。松田寿男さんなら水銀朱、真弓常忠さんなら鉄でしょう。
>
> 大風呂遺跡は、東海勢が鉄を交易した証拠があるそうです。

 東海勢は息長勢力ですか。滋賀は琵琶湖を挟んで、西は日置氏、東は息長氏が鉄に関わっていますが、動きとしては面白いですね。

[4427] 興味ある人へは電話で答えます   生田淳一郎 2008/08/28(Thu) 15:58 [Reply]
 モールス信号 ; あ 
 

[4426] Re[4423]: 丹後ー竹野神社  神奈備 2008/08/28(Thu) 15:18 [Reply]
> 長尾市は当麻で蹴速 vs 野見宿禰の相撲対決をセットした人物で、垂仁の側近。後は倭直の祖となります。

> 大和神社に祭られる椎根津彦=珍彦と同一人物でしょうか?

 長尾市は『垂仁紀』では、天日槍が穴粟邑にいた時に、問いただしに行っています。天日槍の将来した八前の神を祭る出石神社の宮司家は長尾家で、長尾市の末裔と言います。

 椎根津彦も倭直の祖ですが、何代か後の長尾市も倭直の祖と呼ばれたのでしょう。


> 蹴速 vs 野見宿禰の相撲対決

 この相撲の記事も『垂仁紀』ですが、その日に野見宿禰を呼びにやって相撲をとっているように思えます。出雲からアッという間にやってくる、三輪山麓の出雲にいたのかも。ここには暫く前まで野見宿禰の墓があったそうです。『大和出雲の新発見』榮長増文氏著。

> 光るものが、水銀朱か鉄か決めかねますね。松田寿男さんなら水銀朱、真弓常忠さんなら鉄でしょう。

 穴の中で光る、水銀が液体状で辰沙の固まりからポタポタと落ちるイメージです。常温で液体、これは誰が見ても水銀では。
 井光さんが祭っていた神が丹生都比売神ではないでしょうか。比売神に尻尾は似合わないような気がします。


> ネパール語に(恐れ)という意味のtarなる語彙はありませんね。

 To be or not to be,it's a question ?

[4425] めちゃくちゃな幽霊がでる    生田淳一郎 2008/08/28(Thu) 12:59 [Reply]
 ひとを陥れたり、なんとかして挙足とるのはそんなに楽しいことか?

 真理追求の徒たる自覚が少しでもあるのなら、ちゃんと本名と電話番号を名乗り、『紋次郎・言語考古学』に来なさい。

 それができない事情ある身分なら、 50 〜 100キロ離れた市町村役場の生涯学習課の人に事情をつげて、そこへ小生が造った一覧表を見るぐらいの情熱をもって、かかって来てくさだい。

 おら、そこまで手どり足とりしてやる義理あいはないとおもうんだがなぁ。

[4424] Re[4423][4420][4414][4413][4410]: 丹後ー竹野神社  佐々木 2008/08/28(Thu) 09:30 [Reply]
とみたさん 
>楫取ですか。梶取は阿波の梶取船です。房総なら梶取から香取神社が出てきます。
高島は近くに川がありますか。

 安曇川ですよ。「安曇」の2文字が気にかかりますが。

>日置の北の牧野(マキノ)にも製鉄遺跡があるんですか。弥栄の遠処は有名な製鉄と鍛冶と一貫処理として有名のようですが。日置はやはり鉄がらみ?

 日置≒鉄とするよりも、炉かまどなどノウハウを有する(ファーネス)技術をもった集団と表現する方がいいかもしれません。
 北マキノ製鉄遺跡は森浩一先生の若いときの現場だそうです。
 
 測量・計時技術は、炉かまどを設計または運用する上での基礎技能で、本来は鍛冶、須恵器窯・・・などの設計者?

 丹後半島東部は水銀ですね。古代には熊野と双璧される産地だったとの記述もあります。
 丹波国の大県主、由碁里の居たところは、由良川の河口付近(丹後半島の東)の岡田由里ではないかとも言われています。例の山椒大夫で有名ですが。

 当地域については、おそらく宮津市史が、内容も新しくかつ平均的な図書でないかと思います。

[4423] Re[4420][4414][4413][4410]: 丹後ー竹野神社  とみた 2008/08/28(Thu) 01:07 [Reply]

神奈備さん 佐々木さん ガイダンスありがとうございました


> > 建豊波豆羅和気は葛城襲津彦より古い葛城垂見宿禰を先祖とする。
>
>  葛城から河内経由で明石の垂水に行き、そこから丹後へのルートがあることをあらわす名前のようだと、『葛城と古代国家』門脇貞二さんが書いています。
>
>  丹後と葛城で共通するのが当麻町に鎮座する長尾神社です。祭神は水光姫命、白雲別命。水光姫命は井光神とも言います。

播磨から近江を通って丹後・但馬のルートは天日矛のルートでもありますね。
長尾市は当麻で蹴速 vs 野見宿禰の相撲対決をセットした人物で、垂仁の側近。後は倭直の祖となります。

大和神社に祭られる椎根津彦=珍彦と同一人物でしょうか?
>
>  一方丹後には舞鶴市に伊加里姫神社が鎮座、祭神は伊加里姫或いは豊水富神とされています。『丹後風土記残欠』には、白雲山の北郊にあるとしています。

井光は吉野の女酋ですか。

吉野川の丹=水銀を掘る。尾っぽがある。丹生都姫神社に祭られている丹生都姫と同じでしょうか?

丹後も丹生もそういえば同じ丹=水銀朱ですね。

水銀朱は貴重だから丹後の豪族の交易品だったかも知れませんね。
>  ここにも大三元さんに登場して頂きます。『丹後風土記残欠』
>  http://www.dai3gen.net/tango.htm
>  またこの中で丹後と吉野についても触れられています。

印刷して読ませていただきます。
>
>  伊加里姫神社
>  http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ikarihimejj.html

伊加理は、吉野川の井光そのものですね。井光は鉱脈の井戸の底を発掘しているイメージですね。

光るものが、水銀朱か鉄か決めかねますね。松田寿男さんなら水銀朱、真弓常忠さんなら鉄でしょう。

>高島にも日置さらに北のマキノには製鉄遺跡が。
 ちなみに高島には梶取もあります。

 楫取ですか。梶取は阿波の梶取船です。房総なら梶取から香取神社が出てきます。
 高島は近くに川がありますか。日置の北の牧野にも製鉄遺跡があるんですか。弥栄
の遠処は有名な製鉄と鍛冶と一貫処理として有名のようですが。日置はやはり鉄がらみ?

大風呂遺跡は、東海勢が鉄を交易した証拠があるそうです。



[4422] Re[4421]: タタラは台湾アミでも  かっぽれ 2008/08/27(Wed) 23:14 [Reply]
お久しぶりですね。
生田さんの書き込みに少しでも訂正を入れると感情を害されるようなので、できるだけスルーすることにしましたよ。
そうはいっても、基本中の基本的な誤りは見過ごすべきではないでしょうね。ここは談話室ですから。

>そこでこのタルタロやタタラは、ネパール語に見られる tar(恐)が語源になっているのではなかろうかと、置いてみたんです。

ネパール語に(恐れ)という意味のtarなる語彙はありませんね。まったく存在しません。
なんとかしてネパール語と結びつけたい、その気持ちはわからないでもないですが、とにかく捏造だけはまずい。

[4421]   タタラは台湾アミでも      生田淳一郎 2008/08/27(Wed) 16:26 [Reply]
 小布を trapi といっているバスク(語)に、一つ目の巨人・タルタロスの伝説があります。
 そこでこのタルタロやタタラは、ネパール語に見られる tar(恐)が語源になっているのではなかろうかと、置いてみたんです。
 するとやっぱり「ネパールなんて遠い、せめて北海道のアイヌ語とか、朝鮮語なら気に入るのだがナァ〜」という声が聞こえてきました。

 ひとのこの世には、やっぱ指導霊とか後背霊みたいな、へんな虫がいるようですね。
 さっそく台湾アミ語にも「 tar(恐)」がみつかったのでした。
 一般形の「こわがる」は ma-tarao 。「こわがるな」は aka katarao です。語頭の ma とか ka 動詞形成子、末尾の o はふしぎとギリシャ語と同じです。
 で、ここに tara が得られるのですが、この末尾の -a は開音(母音づけ)化をうけた語形ですので、推定形 *tar が得られるわけです。
 アミ語には taja( l の下に“ 。”)の語形で「甚だ」があります。
 これらは形容詞後置形ですので、或いは「甚だ怖い」あたりが語源だったのかもしれません。

 こういう具合に語彙は氏族や民族、○○語の壁を通りこして出没します。この事実は、三つや四つの言語ではなく、多くの言語種を当ってゆけば、おのずと、言語そのものから教えられ、導かれる紋なんです。
 小布は、taphi の語形が世界語です。どうしてバスク語が trapi になったんでしょうね。

[4420] Re[4414][4413][4410]: 丹後ー竹野神社  神奈備 2008/08/27(Wed) 14:01 [Reply]
> 建豊波豆羅和気は葛城襲津彦より古い葛城垂見宿禰を先祖とする。


 葛城から河内経由で明石の垂水に行き、そこから丹後へのルートがあることをあらわす名前のようだと、『葛城と古代国家』門脇貞二さんが書いています。

 丹後と葛城で共通するのが当麻町に鎮座する長尾神社です。祭神は水光姫命、白雲別命。水光姫命は井光神とも言います。

 一方丹後には舞鶴市に伊加里姫神社が鎮座、祭神は伊加里姫或いは豊水富神とされています。『丹後風土記残欠』には、白雲山の北郊にあるとしています。

 なお、葛城に長尾神社があるのも不思議なことで、井光神は『神武記・紀』には、どうも男神のような台詞で登場しています。所が『姓氏録』ではの吉野連では、「有井光女。妾天降来白雲別神之女也。名曰豊御富。」などと書かれています。

 ここにも大三元さんに登場して頂きます。『丹後風土記残欠』
 http://www.dai3gen.net/tango.htm
 またこの中で丹後と吉野についても触れられています。

 伊加里姫神社
 http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ikarihimejj.html

[4419] Re[4417][4415][4412][4411]: タタリ  かしこ 2008/08/27(Wed) 12:01 [Reply]
タタリは、編物の糸取り器とは逆方向、つまり手で糸を紡ぎながら足踏みでタタリを回して巻き取っていく。だからタタ・リというのでしょうか。

とみたさん、すみません。途中に飛び込みまして大変失礼致しました。

[4418] Re[4415][4412][4411]: タタリ  佐々木 2008/08/27(Wed) 10:56 [Reply]
 かしこさん 
 詳しくありがとうございました。
 
 たたりは、目があるようですね。これが所謂「たたり目」かな?

「利」を百済記で、「羅」を百済本記で見つけました。
 これ姜斗興さんの著書「吏読と万葉仮名」では、「利」は「り」(・・・百済記のみ用字)、「羅」は「ラ」と「リ」の間(・・・百済本記のみ用字)の間に位置づけていました。

[4417] Re[4415][4412][4411]: タタリ  佐々木 2008/08/27(Wed) 10:56 [Reply]
 かしこさん 
 詳しくありがとうございました。
 
 たたりは、目があるようですね。これが所謂「たたり目」かな?

「利」を百済記で、「羅」を百済本記で見つけました。
 これ姜斗興さんの著書「吏読と万葉仮名」では、「利」は「り」(・・・百済記のみ用字)、「羅」は「ラ」「リ」(・・・百済本記のみ用字)の間に位置づけていました。

[4416] Re[4414][4413][4410]: 丹後ー竹野神社  佐々木 2008/08/27(Wed) 10:17 [Reply]
 とみたさん

 2002年の調査資料が、早朝から探しましたが見あたりません。
 
 印象に強く残っていることは、垂仁さんの即位で、天日鉾がやってくる。
 垂仁さんは「新羅の脱解尼師今」と仮定してはどうだろうかと、私のメモ。←これ青草ですが。
 
 天日鉾の歩いた道が、まずの琵琶湖西部の日吉大社、和邇あたりから(継体さんの誕生の地)高島、高島にも日置さらに北のマキノには製鉄遺跡が。
 ちなみに高島には梶取もあります。

 そして小浜に抜けて丹後へ。
 以前記されたキーワードの一部が出ましたが。
 
 天日鉾の歩いた道(ある種職人集団を同行して移動したような感じですか)を見ると手がかりを得られるのではないかと思います。

 最後に丹後は群集墳で有名です。和歌山の岩瀬千塚ほどでないですが、野田川流域は墓だらけ(←地元郷土史家の表現)で、数百基から七百基以上あります。

 門脇先生亡き後、丹後資料館の奥村(清)館長や和田晴吾先生、あと1名がこの辺ではお詳しいようです。

 あまり役立ちませんね。ごめんなさい。

[4415] Re[4412][4411]: タタリ  かしこ 2008/08/27(Wed) 09:25 [Reply]
今でも編物の準備段階で、糸取り器というのを使いますよ。構造は辞書のタタリとほぼ同じ。玉状態でない毛糸の場合、これを輪にして糸取り器に掛け、糸端を持ってクルクルと巻いて玉にしていきます。糸取り器はクルクル回って、カタカタ音を立てます。
英語 tat:軽打。reel:糸車。カタカタカラカラ糸車。タタラのタタはこの系統では?日本語でも「叩く」と言いますね。リは「理:ととのえること、えること、おさめること、とりさばくこと」でしょうか。「理髪」の理です。
「地団駄を踏む」「タタラを踏む」。地面方向への似た動作です。踏鞴のラは「等」で、tatの動作を何度も繰り返すこと。そのようにして使用する道具をタタラと呼ぶようになった・・のかどうか。

[4414] Re[4413][4410]: 丹後ー竹野神社  とみた 2008/08/27(Wed) 06:05 [Reply]
佐々木さん 

河内のことで、特に枚方・樟葉・寝屋川・四条畷あたりについては、大変多くを教えていただいてある程度のイメージを得ました。

私は出雲や吉備はすでに歩いています。未踏地帯は、丹後若狭越前です。

丹後は鉄と玉とガラスと絹あたりは先進地域で交易で稼いでいた豪族がいたのではぐらいのイメージです。

日子坐主命は大きな力を持っていたのでは?水之江嶋子は丹後日下?今井赤坂古墳の主は、3世紀だから卑弥呼と同様、シャーマン兼まつりごともやっていた巫女王ではないか?

神功皇后は天日鉾ー葛城高額比売 (母)と日子坐王ー息長宿禰(父)の子供とされる。

葛城が絡むのはなぜか??
崇神天皇の派遣した四道将軍で丹波を平定するのが日子坐王とすると、大和王権

に早くから入り込んでいる。

丹波国の大県主、由碁里のムスメが竹野姫でお姉さんが日葉酢姫で垂仁の妃になっている。

丹後は、弥生時代は栄えていてその頂点が3世紀はじめの赤坂今井墳墓です。

その後衰え、古墳が小さくなり副葬品も貧弱になりますが、

朝廷に取り込まれて仲良くなり復活したのが4世紀中葉でしょう。50年ほど丹後王国として栄えた後に没落します。

その消長を如何に見るかです。竹野神社の謎・・・・

祭神が三つ。竹野姫。日子坐主命。建豊波豆羅和気・・・・

これが先ず気になったんです。丹後には交易と海の民の匂いを感じています。

フォローよろしくお願いします。




>  作文を拝見しました。少し問題点が漠然となっているように拝見しました。おそらく情報量が多く混乱なさっておられることと思います。いや私の読解力がないともいえようかと存じます⇒これの方が大きいかもしれない。
>  
>  確かに小職は合併以前に当地域の調査を致したことがあります。
>  
>  余談ですが、敦賀に気比、城崎にも気比。竹野(たかの)は城崎の西にも、丹後にもあります。概ね地名が反復する傾向を記憶しています。

[4413] Re[4410]: 丹後ー竹野神社  佐々木 2008/08/26(Tue) 19:57 [Reply]
とみたさん
 お久しぶりです。
 
 作文を拝見しました。少し問題点が漠然となっているように拝見しました。おそらく情報量が多く混乱なさっておられることと思います。いや私の読解力がないともいえようかと存じます⇒これの方が大きいかもしれない。
 
 確かに小職は合併以前に当地域の調査を致したことがあります。
 
 余談ですが、敦賀に気比、城崎にも気比。竹野(たかの)は城崎の西にも、丹後にもあります。概ね地名が反復する傾向を記憶しています。

[4412] Re[4411]: タタリ  佐々木 2008/08/26(Tue) 19:38 [Reply]
> ちょっとだけ失礼致します。本殿で話題のタタリは広辞苑に《絡[ヘン:土 + ツクリ:乃の下に木]:糸の縺れを防ぐ為、かせをかける器具。方形または長方形の台に柱を立てたもの。とありますがこれではないのでしょうか?》

 それそれ。夏の風邪は辛いからね。菌は好気性で乾性なので、ビタミンCで還元し、気管は湿らして、やつを攻めましょう。

[4411] タタリ  かしこ 2008/08/26(Tue) 18:35 [Reply]
ちょっとだけ失礼致します。本殿で話題のタタリは広辞苑に《絡[ヘン:土 + ツクリ:乃の下に木]:糸の縺れを防ぐ為、かせをかける器具。方形または長方形の台に柱を立てたもの。とありますがこれではないのでしょうか?》

[4410] 丹後ー竹野神社  とみた 2008/08/26(Tue) 12:55 [Reply]
神奈備さん 佐々木さん 皆さん

樟葉から次は、丹後に迷い込みますので、また物議を醸します。

神奈備掲示板が繁盛していますので、青草で失礼します。

神社と古墳と伝承で、躓いております。丹後はいろいろ隠されているように感じています。竹野川、野田川、福田川流域に何があるか。赤坂今井古墳・墳墓(弥生時代)は卑弥呼の時代に相当する時期でシャーマンが居て、権力を握り、頭飾りに200点もガラス・碧玉の勾玉・曲玉と鉄釧を副葬しています。
伝承も浦島太郎伝説、奈具の天羽衣、海の民(火明の尾張氏)の籠神社など話しは一杯です。

考古学では、弥栄(町村合併して、今は京丹後市)に鉄の一貫処理で有名な遠処遺跡があり、6世紀に製鉄と鉄鍛治が一貫処理を始めた。

弥栄の大字名は、井辺(紀伊にもある、伊部か忌部か)船木、鳥取、奈具、黒部。

先ず手始めに、竹野神社の謎です。

祭神が三つ。竹野姫。日子坐主命。建豊波豆羅和気です。

竹野姫は、丹波大県主の由碁里のムスメである。垂仁の妃で、兼、垂仁のお父さんの崇神のさらにお父さんの開化天皇の妃でもある。

日子坐主命は、太陽信仰と鉄関係。日置氏や日下氏がからみ、和邇氏も繫がる気配を感じます。

建豊波豆羅和気は葛城襲津彦より古い葛城垂見宿禰を先祖とする。

このあたりどうゆう関連がありましょうか。

お知恵を貸してください



[4407] 遠慮なしでモノ云わせてもらいますと……  生田淳一郎 2008/08/25(Mon) 19:32 [Reply]
 (^^;;;)のかたばみさん、いま現在での理性とは、結局は“自認”とか足踏みとかの「ためらい」なのでしょうか。
 これには、「ありとあらゆる」と 表現したくなるような条件が絡みあってできあがったみたいな、複合体を感じます。

 それだけに、いいですねぇ! われらの環境。夢まくりできそう!

 ところで、カイラ−ス山の、とくに後ろの縦の割れ目写真は、どこかの H,P に出ていましょうか。こうなったら、日本では、これ、あなたの責任ですよ。
 出ているようでしたら、そのサイトをお教えくださいませんか。

 ついでに、小生の掲示板で、ホームページ張る実力なく、そのログの格納先に困っています。いい智恵はないでしょうか。
 

[4406] Re:データと論  かたばみ [Url] 2008/08/25(Mon) 07:24 [Reply]
>宮崎平野大淀川流域では外山秀一先生が花粉分析結果を見ると

いろいろなデータは重用ですね。
安田喜憲先生の場合も調査データを利用させてもらっていますが、先生の「論」は参考にするだけです。
論は各自の考えや思想、推察も含んでいてデータにはなりません。
論を含んでいるのにデータのようにみえるもの、これは特に要注意。

このあたりをはっきり識別しておかないと「自分の論」にはならず、他者の論を「信じるかどうか≒信仰」になってしまうと思っています(持論も信仰になると色眼鏡が加わるのでまずい(^^;;;)。

[4405] Re[4393][4392][4391][4390]: 霊視  琉球松 2008/08/22(Fri) 21:54 [Reply]
 佐々木さんへ

 邪馬壹国〜邪馬台国の範囲はここで議論してもグジャグジャになりそうなのでやめておきますが、『魏志』の「倭人伝」にみえる卑弥呼は、孝霊の娘「倭トトヒ百襲姫」と仮定したほうがつじつまが合うように思います。

[4404]   結婚披露宴はなかった     生田淳一郎 2008/08/21(Thu) 07:09 [Reply]
 その件は会話がはじまってすぐのとき、オレの考えは申し伝えています。
 言う必要もないかもしれませんが、ポイントを追加します。
★ 新しいカップルはふつう、結婚披露宴をあげて世間から、セ〜ノドンとその出発を、みとめてもらいますが、一定言語の出発時点などはまず無い。仮りにあったとしても、披露宴などやらない。
★ 20年前はゆっくり数えて約 1万の言語がありました。古今東西を通じての人類の言語は 500万あったと置いて、考えてみたらわかりがはやい(極端の法則)。
 一つの言語を構成する数万の語彙の一つひとつは、その言語固有みたいにしてこびりついているものではなく、ヨメさんの移動や交易などの風にのっかって、数十数百の言語に、出没するという性質を持っている。

★ そういうことよりも、オレがイの一番に訴えたことも、とんとお忘れのようですな。
 『異質の言語観に会った個は、さながら T細胞 b細胞(免疫)みたいになって、シャカリキにその相手を共同棲息領域から排泄しようとする』です。
 オレとの会話は、もう取りかえしができない。終わったわけですが、別の新しい人へ接するときには、十分ここにご留意ください。

[4403] Re[4402][4401][4400][4396][4395][4394][4391][4390]: 霊視  佐々木 2008/08/20(Wed) 10:27 [Reply]
> 持論の場合は自然環境の状況から日向〜宮崎が妥当であろうとみて、魏志倭人伝の記述もそれに矛盾しないと考えています。

 宮崎平野大淀川流域では外山秀一先生が花粉分析結果を見ると、邪馬壹国の時期に、ヤマモモ、クリ(:5%↑10%)、ソバの花粉が急増しています。人口の増加と栗園の拡大を意味するのでしょう。
 この時期出雲ではクリの比率(:20〜30%↓3%)と激減します。

[4402] Re[4401][4400][4396][4395][4394][4391][4390]: 霊視  かたばみ [Url] 2008/08/19(Tue) 23:52 [Reply]
知る限りでは、昔からある邪馬壹国日向論は魏志倭人伝の距離と方位の解釈からの比定と思います。
持論の場合は自然環境の状況から日向〜宮崎が妥当であろうとみて、魏志倭人伝の記述もそれに矛盾しないと考えています。

縄文〜弥生〜古墳時代(初期)での人間の行動は自然環境に支配されていたと考えています。
弥生温暖期に存在した関東の稲作は弥生末期には衰退しています。
東北の水稲も近畿より早くに行われたとみえるのにやはり消滅します(弘前市砂沢遺跡)。
東北にまで稲を持ち込む必要はまだないはずですが・・そこに拠点を必要とする人々が運ぶなら・・鉄(^^;

弥生後期は寒冷の時代であったことは安井喜憲先生の花粉分析などが示します。
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/kf99.html

自然環境の変化が人間の行動の引き金になっている。
宗教戦争(≒狂気)と支配者の欲望を除き、食い物がたっぷりあれば殺し合いなどしないでしょう。
しかし寒冷の時代となって食料不足となれば混乱や争乱が起きる。

文言での資料は新羅本紀に以下のごとくが登場し始めます。
145 飢饉となり南部が飢える
173 倭の女王卑弥呼の使者来訪(これを嘘だーというだけなら簡単ですけど(^^;)
193 倭人が大飢饉となり避難民到来

大都市で食糧供給が止まったら暴動となり食料避難民が発生する。
弥生後期の九州北部など人口が急増していた地域でそれが生じた、これが倭国争乱の主因だと考えています。

人口がそれほど多くはなく温暖で食糧問題の生じにくい地域、日向〜宮崎。
周囲とは険しい山で遮断されて安定した地域、「倭国連合」のなかで指導者を輩出できるのはここだけだったと考えています。
喧嘩になりうるのは南の大隅半島の隼人族、むろんこれが狗奴国(生活様式が異なるための反目)。


九州以東では・・人口はそれほど多くはなく開拓できる余地もあって特段の争乱は起きなかった(≒出雲文化圏)。
奈良は奈良湖干拓(^^;で広大な農地がある。
東海は日照時間が最も多い地域、近畿から東海への進出(先住者との若干の抗争≒朝日遺跡)。

食糧不足にあえぐ九州勢力にはのどから手の出る東の土地・・これが東への侵略、言葉を飾るなら東征。

では、九州に倭国連合(九州統一)ができる以前は・・
魏志倭人伝にはふたつの奴国が書かれています、これがキーワードだとみています。
加えて多数書かれる「なになに奴国」、この奴国の意味もキーワードと思います。

[4401] Re[4400][4396][4395][4394][4391][4390]: 霊視  佐々木 2008/08/18(Mon) 10:53 [Reply]
 「卑弥呼の謎を解く―邪馬台国は日向にあった」 ブイツーソリューション (2008/02)
 という今年出ましたが、これひょっとして。。。。
 すばらしいGIS画像でした。魅了されました。

[4400] Re[4396][4395][4394][4391][4390]: 霊視  かたばみ [Url] 2008/08/18(Mon) 09:30 [Reply]
さっそく遺稿とみえる部分を通読しました。

遺稿は最初の部分のようですが、邪馬臺国の位置論に書かれること、大事だと思います。
歴史的前後関係を考えること、これも大事なことだと思います。
固執しない解釈と自然な前後関係を見定めること、これが遺言と拝見しました。

[4399] PONTAの邪馬台国説  ぽんた 2008/08/18(Mon) 02:23 [Reply]
PONTAの考えは、「邪馬台国は「やまと国」と読んで、北九州の山門郡のことです。で、北九州諸国の連合国家が「倭」(正しくは「わ」で、正しい当て字は「和」)で、その首都は大宰府にあり、邪馬台国の卑弥呼が大統領だった」です。

あとは神社考古学の原田氏と同じ。出雲王国が日本を統一しようとして戦争を初め、九州王国(倭)に攻め入って、北九州に陣を敷いた。南下して日向(ヒムカ。宮崎)に逃げた卑弥呼(後の天照(アマテラス)大神)をスサノオは追い、卑弥呼を現地妻とする。で、その子孫が神武天皇。一方、北九州から南下しないで東に向かったスサノオの子のオオトシは、大阪に入ってニギハヤヒと名を変え、天照(アマテル)大神と呼ばれる存在となった。後に九州王国の神武天皇が、近畿王国のニギハヤヒの子孫を妻とすることで、奈良を首都とする「大和」が建国された。

一応、これで西日本が統一されたわけですが、旧出雲王国系勢力(蘇我氏、物部氏)と旧九州王国系勢力(天皇家)の争いは続き、完全に西日本が統一されたのは、物部氏が倒され、蘇我氏が倒されてのことで、完全統一の記念に「日本書紀」(卑弥呼=天照(アマテラス)大神を祖とする旧九州王国系の天皇家の歴史書。旧出雲王国勢力の蘇我氏や物部氏は悪役(倒すべき存在、倒されて当然な存在)として書かれている)の編纂が始められた。ということで、西日本の完全統一は「日本書紀」の編纂が始まった天武天皇の時代かな。天智天皇の時代は二朝並列説もありますからね。

日向(「ヒムカ」。後に「ヒュウガ」と読み方を変えた)が卑弥呼(倭人が「ヒムカ」と言ったのを聞き間違えて「卑弥呼(ヒミコ)」と表記?)の国、豊国(後に豊前国、豊後国に分けられた)が台与(トヨ)の国とすると、宇佐八幡宮や豊国の神である「比売大神」の正体は台与かな。台与は、神功皇后のこと。だから「日本書紀」の神功皇后のところに、「魏志倭人伝」の引用を載せたとか。「神功皇后=台与、神武天皇=卑弥呼の子孫」とすると、ここからも、「日本書紀」では、天皇家の歴史を長くするために(神武天皇の即位を紀元前660年と設定したために)苦労して歴史を書き換えたんだなぁ、編集に長い年月を必要としたわけだと、思います。実際には700年間の出来事を1400年間の出来事として、引き伸ばしたんでしょうね。

[4398] Re[4397][4340] 安閑石  かしこ 2008/08/17(Sun) 13:16 [Reply]
もうひとつだけ青草を失礼します。
この angkan は ankh-amen にも繋がっていはしないかどうか。
Tut-ankh-amen の名にもある ankh(命)と amen(amon/amun)神です。

[4397] Re[4340] 安閑石  かしこ 2008/08/16(Sat) 09:28 [Reply]
ここには蝶が刻まれているとして、佐々木さんはこれを「誕生」とされました。タガログ語 angkan は「家族・血筋・親子」。結び付けたくなりますね。
安閑・安康という言葉は、元々は「わが一族よ安かれ」の意味だったのかも。

[4396] Re[4395][4394][4391][4390]: 霊視  とみた 2008/08/15(Fri) 10:09 [Reply]
 門脇先生の御遺稿はこれだと思います。
>  邪馬台国と地域王国 門脇禎二著  四六判 上製 カバー装 348頁
>  >  書評の一部の抜粋「持論である「地域王国論」の立場から『倭人伝』を丹念

門脇先生は、おいくつで逝去なされいましたか。

森浩一先生も80歳近くで、今までの自分の研究成果を、纏めて、遺言めいた作品が多くなりました。

後継の人たちへの宿題として、託されているのだと思います。

門脇先生の出雲の本は大分読みましたが。

地域王国に賛同しますね。勢力の強い国には、6世紀の安閑時代前後&以降に、屯倉という大和朝廷の直轄領の形で楔を入れて、勢力を削いであったと私は考えています。(古代ギリシャ神話のミケナイがトロイの木馬を牽き入れて侵略させたのと同様にです。)

筑紫の磐井戦争で、糟屋の屯倉を。武蔵国造の乱で、毛野国に屯倉を。吉備白猪と児島に屯倉を。

屯倉に蘇我氏や秦氏、船・津・白猪などの渡来人の計数・文書に明るい人たちを派遣し、壬生氏や吉士を入れて朝廷の勢力を拡大したのではと考えています。

霊視で雲南がでてくるのも、不思議です。私も雲南と四川と倭人との関係は多いに注目しています。

田原本町の清水風の絵画土器に描かれる鳥装の巫女は、四川の大地震のあったシ文川(ブンセン)のチベット族=羌族の風習に現存しています。

男の性を決めるy性染色体の研究では、日本人とチベット人が近いんだそうです。

雲南のハニ族(タイのアカ族)の高床式住居と、千木、鰹木と鳥居は日本とそっくりです。
四川省は鵜飼いでも有名です。

四川省は古代の蜀で蜀は蚕の象形文字です。四は蚕の目を表わしています。







[4395] Re[4394][4391][4390]: 霊視  佐々木 2008/08/14(Thu) 20:54 [Reply]
はじめまして。
 門脇先生の御遺稿はこれだと思います。
 邪馬台国と地域王国 門脇禎二著  四六判 上製 カバー装 348頁
 定価2940円(税込) 978-4-642-07989-1
 今年6月の新刊となっていますが、ごく最近ではないかと。
 書評の一部の抜粋「持論である「地域王国論」の立場から『倭人伝』を丹念に読み込み、大和説と訣別し北九州説を主張する。」とりいそぎ。

[4394] Re[4391][4390]: 霊視  かたばみ [Url] 2008/08/14(Thu) 19:04 [Reply]
門脇禎二先生が亡くなられましたが、NHKのニュースによると邪馬臺国畿内説であったのを遺稿では九州説に修正されているそうです。
宮崎市出身につき霊感を得られたのかも(^^; 遺稿が公開されることを期待しています。
(私はずっと日向〜宮崎説、修正の可能性はいまのところゼロ(^^;)

[4393] Re[4392][4391][4390]: 霊視  佐々木 2008/08/13(Wed) 20:33 [Reply]
>  邪馬台国運動は九州筑紫平野に起こり、奈良盆地に闘争本部?を置いた時点で終焉したと考えますがどうでしょうか?
琉球松さん その闘争本部という表現面白いです。でもちょっとわかりにくい。

 しかし霊視の結果では卑弥呼はんは、神夏磯媛というばばのことになるのでしょうか。

[4392] Re[4391][4390]: 霊視  琉球松 2008/08/13(Wed) 18:36 [Reply]
 邪馬台国運動は九州筑紫平野に起こり、奈良盆地に闘争本部?を置いた時点で終焉したと考えますがどうでしょうか?

 その"東征"の過程で、山口県内にも本部?を置いた可能性はあるかもしれません。

[4391] Re[4390]: 霊視  神奈備 2008/08/12(Tue) 22:00 [Reply]
> 邪馬台国は奈良にあったとのこと。北九州ではなく、山口というところが意外でした。

 前の奈良大学の学長さんの水野正好先生は、邪馬台国の範囲として最西端を山口県とされていました。九州の東に範囲を置き、中心は奈良の大和神社付近に卑弥呼さんがいたとの説だったと思います。

 霊視される方も基礎知識を入れてからなさるんでしょうかね。

[4390] 霊視  ぽんた 2008/08/12(Tue) 15:16 [Reply]
邪馬台国を霊視した本が出ましたね。
「邪馬台」は「やまたい」ではなく「やまと」だそうで、これには納得。
「やまと」は部族名で、やまと族の出身地は中国の雲南省だそうです。
卑弥呼は、春・夏には奈良の鳥見山に住み、秋・冬には山口に移動して住んでいたそうで、邪馬台国は奈良にあったとのこと。北九州ではなく、山口というところが意外でした。

[4389] Re[4383]: この手法でイザナギ、ぽろり  かっぽれ 2008/08/12(Tue) 15:04 [Reply]
> 日本語は、いろんな言語の寄せ溜まりですので、多くの言語をみないと、語源などに嘴を入れる資格はないのですが、この方面にタッチする人があまりにも少ないので、大野晋教授が語源をいじくる辞書を編纂するなど、ケッタイな現象が出たのでしょう。

「資格がない」とか「ケッタイ」とか。相手が反論できない場所で言いたい放題とは、うまい作戦ですね(笑)
他人(特に有名人)の業績を「ダメだ!」と否定すれば、自分が偉そうに見えると錯覚してる人はよくいますが、
そういう人に限ってその本をよく読んでいないことが多い(笑)
ま、生田さんは「偉そう」じゃなくて本当に「偉い」のかもしれませんから、少し質問しますよ。

>jyan はネパール語で「いのち」です。これが i jyan-a に変化するは上で述べました。

ネパール語jyanは「いのち」で間違いないんです(精確に転写表記すると、ज्यान्←ヴィラーマ jyaan)。
しかし、この語はヒンディー語जान(jaana)の借用で、そのヒンディー語にしてもムガル朝(1521〜1858年)時代に
ペルシャ語のjaanから取り入れられたという経緯があります。で、16世紀頃にできたネパール語が、日本語イザナギや
イザナミの成立に関係するというところが、どうしても理解不能なんですが。
『そんなことはない!ペルシャ語jaanはもっと古代にネパール語に入ったはずだ!』と反論されるかもしれませんね。
しかし、近代ペルシャ語の前身パフレヴィー語(3〜7世紀あたり)ではgaanだったし。
ということはつまり、近代ペルシャ語からヒンディー語経由で入ったことは明らかなんです。

どうなっているんでしょう? 教えていただければありがたい。

[4388] Re[4387][4386][4381][4378]: 語源追求の罠  佐々木 2008/08/11(Mon) 23:59 [Reply]
>「イザナギ・イザナミ」の語義語源は不明としか言いようがありませんが、まずは日本語の中からパズルを見つけるべきかなあと思います。

 パズルですよね。
 イザが気になるので、イで石があったので、とりあえず石坐を候補として呈示します。これで磐座が抽出できます。あとナは生(成)、ギは男、ミは女。

 火傷は、火山噴火とすると、縄文時代後期に石見国と出雲国境界の三瓶(佐比売)大平山が噴火しているとのことなのです。
 男三瓶がイザナギ、女三瓶がイザナミ、子三瓶がカグツチ、孫三瓶がカグツチの血、死体?? とするとなんとなく合うような。

[4387] Re[4386][4381][4378]: 語源追求の罠  琉球松 2008/08/11(Mon) 22:21 [Reply]
 佐々木さん、どうもです。

 「イザナギ・イザナミ」の語義語源は不明としか言いようがありませんが、まずは日本語の中からパズルを見つけるべきかなあと思います。

 琉球方言であれば、久高島の秘祭「イザイホー」や「イジュン(泉)」、地名の「イゼナ(伊是名)etc」。。。

 もう一つ疑問なのは「イザナミ」は出産以前からの名称なのかということです。
 「ナミ」が「波風たてる・混乱」であるのならば、それは出産以後の呼び方ではないのか?「火」と関わる以前の彼女は、まだまだ穏やかな時代の象徴だったのではないのか。。。なんて考えています。

[4386] Re[4381][4378]: 語源追求の罠  佐々木 2008/08/11(Mon) 20:32 [Reply]
琉球松さん
お元気ですか
>「イザナギ・イザナミ」の「イザ」は「いずる(出)」かなあ、なんて考えてますがどうでしょうか?
 「イザ」の「ザ」音、は古事記ではじめて見られるのです。だから「イザ」は固有名詞または外来語ではないかと思うのですが、さっぱりこれ、わかりません。
 「いざこざ」「いざというとき」の「いざ」でないかと思うのですが、「コザ」は美里村古謝にあったと思いますが、「イザ」にあたるものは琉球ではないものでしょうか。

>ナギ(凪)穏やか」?「ナミ(波)波風たてる」?
これは本居宣長も同じことを示しています。

[4385]  チュラカーギの「ギ」は     生田淳一郎 2008/08/11(Mon) 18:37 [Reply]
 アマカネ
 あ、これニューギニア高地石器時代人の挨拶、イミシンにして至便です。

 おっしゃるとおり「対語関係に、ある」……と、なったのです。

 ところが、その根本原因を探ろうにも、今んとこ(?)けたたましい資料がないんです。
 ただ一つ、 mi(アイヌ語で女陰)がある。それで この場合の gi は男だろうと。チュラカーギの「gi]には男女の区別はない。

 ウンジュ、痛いトコ(説明が間に合わなかったとこ)衝いてこられますね。

 マタギにも、シラギにも答えはない。

[4384] Re[4383]: この手法でイザナギ、ぽろり     琉球松 2008/08/11(Mon) 18:22 [Reply]
 生田淳一郎さんは「イザナギ」の語義語源をどう解釈されているでしょうか?

 いろんな意見を聞きたいわけですが、「ナギ・ナミ」は対語関係と考えたほうが妥当でしょうか。

[4383] この手法でイザナギ、ぽろり     生田淳一郎 2008/08/11(Mon) 11:51 [Reply]
   《 》
大野晋教授も他界されたとか。大野先生とはいちどもお会いしないままでしたが、お手紙は二三度いただきました。きさくな勇気のある先生でした。

 大野先生は若いとき朝鮮語と日本語を対比して、無理々々にくっつけた類似語彙を 140ほど挙げられました。小生がみたところでは 100たらずでした。
 日本語は、いろんな言語の寄せ溜まりですので、多くの言語をみないと、語源などに嘴を入れる資格はないのですが、この方面にタッチする人があまりにも少ないので、大野晋教授が語源をいじくる辞書を編纂するなど、ケッタイな現象が出たのでしょう。

 たとえばイザナギ、イザナギを解明するには四つ五つの手順が必要です。
★ まず、音転法則……、語彙が増えてくると、アイウエオ……、だけでは間に合わなくなる。そこでいままでの語彙末尾に t とか m などの子音を添えるようになります。更に sat とか sam で通っていた語彙末に 再び母音を添えて概念を限定させるのです。
 その場合、末尾にくる -o は神とか男です。 -i は 者、場所などの意味が強くなる。 -e は強調。しかし、一般的なことでいうと、圧倒的に -a が添えられる。こういう現象を開音(母音づけ)化と呼んでいます。
★ 次は造語法で、√ i ○○V を見抜く必要があります。末尾の V は母音ですが、これが無かったり、変化しないのも多いです。意味は「○○すること、および、その周辺事」。
 金属の dhatu はイダツとなり、強調末尾辞の -e が作動してイダテに、つづいて語頭の d が言えるようになったら イを捨てて「ダテ」となり、日本社会に定着しました。

★ 「いのち」は神になり易い。
 アラビヤ語辞書を読んだときには気がつかなかったのでしたが、なんとインドネシア語辞書に アラビヤ語発として hayat(いのち)が掲載されているじゃありませんか。これ、隼人族が信奉する主神の名前にちがいありません。
 jyan はネパール語で「いのち」です。これが i jyan-a に変化するは上で述べました。
 タジク語に izad(神)あり。オレのEメール・アドレスは ijyana@rb3.so-net.ne.jp

[4382] Re[4381][4378]: 語源追求の罠  かしこ 2008/08/10(Sun) 08:43 [Reply]
「出ず・凪」「出ず・波」とのことですが、何となくそんな感じかも知れませんね。またも恐縮なのですけれど、梵語でもこんな↓感じ。静と動ですね。

gI:呼び出す・祈願する・発動する・実施する→IzAna-gI:祈る者(と考えてみます)
mI:破壊・暴力・変化(mi:裁き・投る・まき散らす)→IzAna-mI:破壊と変化を齎す者

破壊と変化は一新・刷新・新生を齎すものでもありますから、創世に繋がるのかなと想像したり。
「誘(イザナ)う」や「出(イズル)」、また、禰宜にも通じそうな感じです。

[4381] Re[4378]: 語源追求の罠  琉球松 2008/08/09(Sat) 21:44 [Reply]
 「イザナギ・イザナミ」の「イザ」は「いずる(出)」かなあ、なんて考えてますがどうでしょうか?

 「ナギ(凪)穏やか」?「ナミ(波)波風たてる」?

 まずは、身近な言語からあたっていくよりしょうがないと思います。

[4380] Re[4379][4378][4377][4375]  佐々木 2008/08/08(Fri) 10:05 [Reply]
 ちょっと補足すると
 蚕さんは1頭2頭と数えるのです。色的には牛みたいで、牽牛と織姫、蚕と絹糸を想像させます。
 蚕さんの餌はヤマグワ(Morus.bombycis)、蚕さんは(Bombyx.mori)と、ともに英語のbomb:爆弾、、、が入っています。
 雷は、爆弾(弾薬庫)には落ちない?もちろん爆弾がないころのことだから。
*本来学名はすべてイタリックです。

[4379] Re[4378][4377][4375]  かしこ 2008/08/08(Fri) 09:21 [Reply]
はじめまして。かっぽれさん。
[4378] そうですね。怪しくも魅力的な言葉があり過ぎます。例えば、シュメール語。
ここに NAGIRU = Herald(軍使・勅使)、KINGU = Great Emissary(偉大な・使者/特使)という言葉があります。NAGIRUはイザナギのナギを、KINGUは英語のKingを思わせますが、両者共に神の代理人的な表現であるのも面白い。gishは男。girは剣。GIRRUは火。MAMMIは神々の母。組合わせてみたくなります。ここに、かっぽれさんご紹介の梵語 Izana「統治」、IzAna「統治者」を並べてみると益々面白いですね。直球で結合出来なくても、真実はこの周辺のモヤモヤの中にあり・・でしょうか。
本殿で神奈備さんが探女を取上げていらっしゃいましたが、これなどシュメール語 ZAGMI( Priest )そのものと思えます。
魅力的な単語の主なところを挙げてみます。そのまま素直に日本語音と繋がりそうです。
NINIGIKU = Lord Bright-Eyed →邇邇芸
Battle Line - SIDRU →倭文;
Bear - NASU (verb, to bear) →生す・那須
District - NAGU →名護
Dead Ones - MITUTU →ミツチ
Fire - ISATUM →伊佐須美(神社)
Kings (of) - SARRU/I →サルタ彦のサル
Serpent - AZAG (great serpent) →沖縄の神アサギ
Snakes - EMUSH (home of the snakes) →蝦夷(エゾ)はE(家)-MUSH(蛇)で虫(蛇)の棲家。
e - 家/神殿
面白いのは、mushen(鳥)です。mushが入っています。爬虫類と鳥の関係を知っていたかのようです。

[4377] いえいえ。全然OKです。「チョウズチョウズ」なんてものもあるのですか。知りませんでした。天狗(Ulka)が流星というのは想像を刺激しますし、雷様が蚕(の食物)に手出しの出来ない理由にも繋がりそうです。つまりそれはたぶん、蚕は Uruku(幼虫)なので、 Ulka(a上に-) としては手出しが出来ないのでしょう。Ulkaは梵語、Urukuはシュメール語ですが、これは繋がっていそう。流星の綺麗な尾を、蚕の光る糸に結びつけたのでしょうか。

それにしても言葉というものは!宇宙の彼方を想うときの気分です。

[4378] 語源追求の罠  かっぽれ 2008/08/08(Fri) 00:31 [Reply]
先日亡くなった大野晋氏の編纂(共同)した岩波古語辞典を愛読しています。
この辞典の最大の特徴は、日本の辞書には珍しく語源に言及していることでしょうね。
一例を挙げると、「イザナギ・イザナミ」の語源についてこんな記述があります⇒引用『イザは相手を誘(いざな)って
結婚したことによる名。キはオキナ(翁)のキに同じ、男性を示す語。ミはオミナ(嫗)のミに同じ、女性を示す語。』

そうか、なるほど・・・と思いますが、サンスクリットにも同じく説明できそうな単語があるので悩ましい。
Izanaが「統治」、IzAnaは「統治者」で、これにキ(男)、ミ(女)をつければイザナキ・イザナミになる。
もちろん、サンスクリットと日本語キやミを混在させる不自然さはどうしようもありませんが。

まあ、語源の追求は斯くも困難という見本みたいなものです。

[4377] Re[4374][4373][4372]: 桑木のマタ  佐々木 2008/08/07(Thu) 19:47 [Reply]
ごめん かしこさん

桑は又が3つだから、六叉の鉾と懸けたのですね。
六叉の鉾とは古代の避雷針?、確かに金メッキが施されていたそうです。

 クワバラの語源はいくつかあるけども、桑原には雷は落ちない。それはお蚕さまの食べ物だから。だから「クワバラクワバラ」と言って天を欺いて防御する。
 東大寺お水取りにも同じようなことがあって「チョウズチョウズ」と言って、天狗を騙すのと似ています。
 天狗(Ulkā)とは日本書記では怪音をたてて空を飛来するものとか。流星のこと。

 蚕の食べ物になぜ雷が危害を加えないか。それは天の虫だから?雷様よりエライの? それとも雷様の奥さんで恐妻家とか?

[4376] Re[4374][4373][4372]: 桑木のマタ  佐々木 2008/08/07(Thu) 15:26 [Reply]
> 梵語 kuwaH(木)・ halA(the earth)がクワバラでは?との解釈です。
 木(ki)は根によって大地(KI)に直結しており、大地は halA です。
 この halA が胎だろうと思います。
 根の国は地下世界/黄泉の国と考えられていますね。
 雷除けにクワバラクワバラと唱えるのは、木の洞を通って逃げた先の根の国で野火に遭いながらも助かった大国主命の故事によるのではないか?・・と少し表現を変更しておきます。

 ああそれ、だれかに習った覚えありますわ。但し日本で桑が植林されるようになったのは6世紀以降でしょうから、全国的には10世紀ぐらいかなあ。


> [4372]に続けてもう少し。石上神宮としては、七支刀(陽)を「六叉の鉾(陰)」として受取ることによって絆を表現し、贈り主に応えてみせた・・というのは穿ち過ぎでしょうか。

 実際に受け取ったのは天皇はんでしょから、百済をどう思っていたのか。こんなへんてこなものもらってうれしいかなあ。
 それと「鉾」は「道」という意味も併在するようです。
 さらにわが国は、こんないい鉄が作れる技術を持っています。と単なる売込みサンプルとか?

> 朝廷が司法担当。朝廷というのは調停から始まったのでしょうか。
 調停という言葉がいつ出てきたかでしょうね。長泣鳥の声と同じに邸内のお庭で、会議程度のことしか発想できません。鳥啼。
 青草でした。

[4375] Re[4367][4364]: thunder の語源  かっぽれ 2008/08/07(Thu) 15:02 [Reply]
夏休み中だからいいようなものの、早朝からこんなに暑いのは確かに異常ですね。

>  ちなみに紙の原料でトール油というのがあるのですが、これ松の油でして、スウェーデン語。 わかりますか かしこさん。

かしこさんでなくてすみませんが、かわりに少し。
北欧神話のトール神はThorrで、トール油のtholl(松)とは違う単語のようです。
語源的には、英語dealの祖先ではないかと考えられます。

かしこさん、サンスクリット面白いです。期待してますよ。

[4374] Re[4373][4372]: 桑木のマタ  かしこ 2008/08/07(Thu) 13:58 [Reply]
梵語 kuwaH(木)・ halA(the earth)がクワバラでは?との解釈です。木(ki)は根によって大地(KI)に直結しており、大地は halA です。この halA が胎だろうと思います。根の国は地下世界/黄泉の国と考えられていますね。雷除けにクワバラクワバラと唱えるのは、木の洞を通って逃げた先の根の国で野火に遭いながらも助かった大国主命の故事によるのではないか?・・と少し表現を変更しておきます。

佐々木さんの見方も面白いと思います。言葉に少し興味を持って以来、言葉にも形象にもいくつかの意味が畳み込まれているように感じています。
[4372]に続けてもう少し。石上神宮としては、七支刀(陽)を「六叉の鉾(陰)」として受取ることによって絆を表現し、贈り主に応えてみせた・・というのは穿ち過ぎでしょうか。

朝廷が司法担当。朝廷というのは調停から始まったのでしょうか。

[4373] Re[4372]: 桑木のマタ  佐々木 2008/08/07(Thu) 11:09 [Reply]
> [4369] [4365]「桑」はやはり「木」の意味? 木の下は根の国。オオナムチは大屋彦命に導かれて木のウロから根の国に逃れ、ネズミによって野火から救われましたから、それで「火(雷)ときたら根の国だ!」ということになったのかどうか。

↑これかしこさんわかりづらいです。

> [4370] 大陸からの頂きものなら、七支刀はやはり「命の木」? また「七支刀」は陽を、「六叉の鉾」は陰を意味して巴紋のイメージを成しているのかも知れないとも思えます。

 マツは確かに陽です。マツは上から見ると巴紋かもしれませんね。
 
 六と百済を概観すると、六つの佐官(一等官)があります。
 六佐(平)です。
 内臣佐平(ないしんさへい)  …宣納(王命の伝達)の担当
 内頭佐平(ないとうさへい)  …庫蔵(財政)の担当
 内法佐平(ないほうさへい)  …礼儀(儀式)の担当
 衛士佐平(えいしさへい)   …宿衛兵(王の禁軍、近衛兵)の担当
 朝廷佐平(ちょうていさへい) …刑獄(司法)の担当
 兵官佐平(へいかんさへい)  …外兵馬(対外軍事)の担当

 個別の枝は六佐を意味し、中心が大王と考えることもできようかとも考えられます。

[4372] 桑木のマタ  かしこ 2008/08/07(Thu) 10:15 [Reply]
叉:挟む・刺す・サスマタで刺す。鬼神として夜叉がいます。
又:上古では、助ける・かばうの意味があったようです。
PCで「マタ」はこの両方に変換されますが、「ヽ」ひとつで反対の意味になっているのが面白い。マタの二面性でしょうか。

[4369] [4365]「桑」はやはり「木」の意味? 木の下は根の国。オオナムチは大屋彦命に導かれて木のウロから根の国に逃れ、ネズミによって野火から救われましたから、それで「火(雷)ときたら根の国だ!」ということになったのかどうか。

木はKI(大地)に繋がりますから、木の元に逃げてそこから大地の懐に匿って貰うという意味かとも思えます。雛が母鳥の翼の中に逃げ込むようなものですね。そう思うと「桑木のマタ」は 叉でなく又と考えたくなります。これは mAtR(梵語:母)に関連しそう。アルファベット M は象形文字だったのかも;。

[4370] 大陸からの頂きものなら、七支刀はやはり「命の木」? また「七支刀」は陽を、「六叉の鉾」は陰を意味して巴紋のイメージを成しているのかも知れないとも思えます。

[4371] Re[4369][4365][4363][4362][4361][4360]: thunder考  佐々木 2008/08/07(Thu) 10:09 [Reply]
> > 七支刀というのは木のようでもあり、
>
>  チョウセンゴヨウの実生によく似た形。七支刀は百済からのもらいもの。
>  これ松竹梅のルーツ? 百済王氏は、三松氏に苗字替えするので松はよさそう。

 三つ葉の松がありました。大王松(Pinus palustris)。大王とは百済王?

[4370] Re[4369][4365][4363][4362][4361][4360]: thunder考  佐々木 2008/08/07(Thu) 00:09 [Reply]
> 七支刀というのは木のようでもあり、

 チョウセンゴヨウの実生によく似た形。七支刀は百済からのもらいもの。
 これ松竹梅のルーツ? 百済王氏は、三松氏に苗字替えするので松はよさそう。

 以下超青草
 竹は矢に通じ、松下電器創業時のM矢マーク。デザインは幸之助の奥さんは梅。
 松竹梅揃い踏み。

[4369] Re[4365][4363][4362][4361][4360]: thunder考  かしこ 2008/08/06(Wed) 23:31 [Reply]
はじめまして。
沖縄の「桑木の下・桑木の又」と梵語 halA(the earth)から考えると、こちらのハラは実は「胎/腹」かもしれませんね。因みに、梵語 kuwaH(木)があります。

ホトからホトへで、来た所へ戻るとの意味なのか。
七支刀というのは木のようでもあり、どことなくパルメット模様を思わせるところがなきにしもあらずですが、メソポタミアのパルメット模様は「生命の木」を意匠化したものかともいわれるようです。石上では、伸びてゆく命の枝よりも、生まれてくる場所である又の方に注目したものでしょうか。

[4368] Re[4364]: thunder の語源  佐々木 2008/08/04(Mon) 23:41 [Reply]
 湿気か何かよく切れたり、書き込みがプッシュされる。
 巴紋はなんとなくブーメランで見たいで「魔法のハンマー」を妄想させます。
 サンタクロースは、聖人でもあり、恐ろしい神様だったと諸説あるそうです。テレビでも放映されていたのをかすかに記憶しています。素盞嗚尊のような存在。
 クリスマスにはサンダーヘッドに似たモミの木が象徴的ですね。

[4367] Re[4364]: thunder の語源  佐々木 2008/08/04(Mon) 23:08 [Reply]
http://archive.mag2.com/0000165414/20080617140000000.html

 上記の説明で雷の語源であるトール神と木曜日のことが書かれていますが、彼の魔法のハンマーが、古事記の「都牟羽」では? 雷は木曜日の語源とか。
 ちなみに紙の原料でトール油というのがあるのですが、これ松の油でして、スウェーデン語。 わかりますか かしこさん。

[4366] Re[4364]: thunder の語源  かしこ 2008/08/04(Mon) 23:03 [Reply]
>しかしサンタクロースの語源は『THUNDER CROWS』 雷・烏とは。
これはとても面白いです。ならば、サンタクロースが運んで来るお土産は、Merry Christmas and a happy New Year! のご挨拶に誠に相応しい「命」そのものだった訳です。父なる太陽・命の根源に烏が棲む訳ですね。クリスマスプレゼントも考えて選ばねば。

○古英語 雷:thur に烏。これは、サルタヒコ(烏天狗を連想して)的でもありますね。

>今の英語で言う「サンダー(thunder)」は、Thunorにdの音が加わった単語
そういえば聞いた憶えがあります。私の中ではこれらをざっくりと捉え、Dunum, thun:柵/砦。tuono, tun, thunor, thur, thunder:雷などの根幹には共通する基本イメージ(雷・木・柵/砦など)があり、それは Dongba の中にも木霊していると考えておきたいと思います。

○ところで、「木にまつわる雷」は、「木に関わる」のつもりでした;。でも、蕾はなるほどです。

○あの。オロチの尾から出た「都牟羽」が、万一、Dong(雷のimageを採用)と巴によって、東巴(Dongba)に通じるとすると、素盞嗚尊が退治したのは・・刃でなくハハを思わせる羽が使われているのはその辺を暗示しているのでは等々、寝苦しい真夏の夜は妄想を呼びます。

少しだけのつもりが長くなってしまい申し訳ありません。佐々木さん、ありがとうございます。また寄せて下さいね。

[4365] Re[4363][4362][4361][4360]: thunder考  琉球松 2008/08/04(Mon) 22:58 [Reply]
 本土の皆さんの雷除けは「桑バラ」だそうですが、沖縄諸島では「クァーギヌシチャ(桑木の下)・クァーギヌマタ(桑木の又)」ですね。

 雷神はイザナミのホトを破壊して産まれたんですけども、沖縄でのカミナリは木の又(ホト?)に挟まれて死にます。

 これは「七支刀」が、石上神宮では「六叉の鉾」と呼ばれているのと関係ないでしょうか。

 クワ科などの堅い木は良質な木炭になるわけですし、けっこう身近な資料でも解けるかもしれません?

[4364] thunder の語源  佐々木 2008/08/04(Mon) 20:24 [Reply]
 北欧神話トール神の記述で、古英語に雷を意味するThunor、thurという単語があり、これがトールの名前の語源となっている。ちなみに今の英語で言う「サンダー(thunder)」は、Thunorにdの音が加わった単語と。該当文書貼り付けますね。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/north-e/image/thor.htm
 しかしサンタクロースの語源は『THUNDER CROWS』 雷・烏とは。
 かしこさん。ご確認下さい。
 そういえば琉球松さんが烏のことを書かれていましたね。

[4363] Re[4362][4361][4360]: thunder考  佐々木 2008/08/04(Mon) 20:05 [Reply]
> Thunberg さんは、そのイメージででサンダーヘッドの名前を付けたのでしょうか。それとも外見のギザギザからか。英語の避雷針は lightning rod だそうです。
 
 この品種は商業目的でできたのではないかなあ。但しその由来が気になりますが。 雷松の伝説を聞いたことがあるのですが、まったく手がかりがない。軍隊では松が好まれたので。学名で近似するのはクロマツのみ。

> もしかすると、thunberg が thunder の語源かもしれない?
 可能性が高いと思います。thunberg 氏はもともとどこの人なのか? 樺太??英国??

> そしてこの語幹の意味は、木にまつわる雷ではないか。
 木の雷は?ですが、草の雷は蕾(つぼみ)、朝(夕)顔の蕾。木の蕾は、松ぼっくりになる前?
 東巴の集落は、確かに砦村です。その中に民が住んでいます。

> 古事記の「都牟羽」
 朱雀の雷神剣、赤光の剣?無視してください。

[4362] Re[4361][4360]: thunder考  かしこ 2008/08/04(Mon) 17:52 [Reply]
>欧州では避雷針を、カシ類で作って
Thunberg さんは、そのイメージででサンダーヘッドの名前を付けたのでしょうか。それとも外見のギザギザからか。英語の避雷針は lightning rod だそうです。

もしかすると、thunberg が thunder の語源かもしれない?
また、とみたさんご紹介のように、ナシ族は木を父として崇めます。そこから東巴を考えてみると、東という字は、木が日を刺(指)しているようでもあり、辞書によれば巴は大蛇です。巴紋はこれでしょうか。隼人の楯の模様が巴の変形だと考えて見ると、やはり大地・生命に繋がってくるようです。ナシ族には、洪水伝説もあるようですね。

もうひとつの解釈として、トンパ:東巴(Dongba)には、案外 thunberg に近い意味があるのではないかという気がします。Dongba と大三元さんご紹介のケルト語:Dunum は、語幹が共通しそうです。
そしてこの語幹の意味は、木にまつわる雷ではないか。

ついでに、古事記の「都牟羽」は、その音といいイメージといい、thunber に結び付けたくなります。太刀は蛇に繋がりますから。

[4361] Re[4360]: thunder考  佐々木 2008/08/04(Mon) 14:27 [Reply]
 かしこさん 
 ありがとうございます。
 大三元さんは、子供と同じ世代なので、また子供に叱られたという感じ。
 
>thun(柵/砦)berg(山)の背景には雷の空気が漂ってきます。

 bergは氷河地形の用語で、山の尖った部分によく使っていました。
 柵と結びつけると、避雷針が見えます。

 欧州では避雷針を、カシ類で作って民家の横に建てていました。
 スウェーデンでは流石にカシ類は育たないでしょうから、ほかの木を使ったでしょうが。スウェーデンではgはよまない場合があるのですね。ツンベリーともいうのですね。学史はずっと寝てたので。灯台もと暗し。暑さでくらくら。

[4360] thunder考  かしこ 2008/08/04(Mon) 13:33 [Reply]
Thunberg は thun-berg を踏まえつつ、
http://www.ancestry.com/facts/Thunberg-family-history.ashx
の《Thunberg は、thun [tun(柵・囲地)の古い綴り] + berg》との解説を参考に、想像を広げてみると:
柵(砦にも通じます)は「木」であり、木と雷とは深い関係にある。トンパ文字「雷」は、この関係を解説しているかのようです(雷の尻尾の形を葉或いは木とみて。それとも矢羽?)。
すると、thun(柵/砦)berg(山)の背景には雷の空気が漂ってきます。
そう考えてみると、
>thunberはサンダー(ラテン語読みは違いますが)、雷に通じるとも
思えてきます。

更に、イタリア語:tuono(雷)古ルーマニア語:tun(雷)などを見ると、thunder の綴りの中で「雷」を意味するのは thun であるようです。ツノ(tuono, tun)があるのが雷様という訳です。すると、thunder という語を考える場合、語尾:der には余り意味がないのかも知れないと思えてきます(ひょっとして「下る」とか;)。

[4359] Re[4358][4355][4352][4351][4348][4346][4342]トンパ文字  佐々木 2008/08/04(Mon) 11:26 [Reply]
 > なんか間違っていません?
 大三元さん
 間違っていると思います。ごめんなさい。死に掛けのたわごととご寛容下さい。
 
 私はあの高明さんでもありませんので、言語のことは理解少なしです。
 ご説明は、よく理解できます。学名付けはたまにやりますが。
 
 矮小マツのサンダーヘッドからヒントを得ました。それは下記サイトで確認できますが。
 http://www.ponnitai.com/database/pinus/thunbergii.shtml

 お気づきの点はご指導下さい。死に掛けでも好奇心は小学生です。

[4358] Re[4355][4352][4351][4348][4346][4342]トンパ文字  大三元 2008/08/04(Mon) 10:41 [Reply]
佐々木さん

>  thunberはサンダー(ラテン語読みは違いますが)、雷に通じるとも出ました。

(thunderではなく)thunber が雷に通じる、という情報はどこにあるのでしょうか。(何を見れば出ていますか?)

Thunberg の最後のgを無視する(出来る)理由は何でしょうか。

私はこの語は Thun-berg と分かち読んで、Thun-山 あたりの意味だろうと推定しました。しからば、Thun は何か。。。スイスに Thun という地名があります。傍には Thuner See という湖があります。WikipediaによるとThunはケルト語の Dunum から来ていて"fortified city"(砦・市)の意味だとあります。

内意のほのめかし、を解読するのは重要ですが、なんか間違っていません?

[4357] Re[4354]:[4349] [4350] [4351]  佐々木 2008/08/04(Mon) 10:40 [Reply]
> [4351] Carl Peter Thunberg (1743-1828) ツンベリー(チュンベリ)ですね。

 このおじさん、カール・ツンベルクで長崎の出島学者(医者・植物学者)です。[4351]の植物は、日本で採取して名づけたもの。
 男、荒ぶる、雷はそれ以前の和の古名の断片の可能性?それとラテン調合成して命名した。
 今度の命名ラッシュはシーボルトが日本採取し命名。どうもこれは社叢林主体で採取している。ああ疲れた。

[4356] Re[4354]:[4349] [4350] [4351]  佐々木 2008/08/04(Mon) 10:25 [Reply]
> [4350] 素敵な展開ですね。
> 「四面の戦争の神」の顔が「百」でもあるとして、これは「ハク」かとか、丸に十字のトンパの太陽は薩摩十字にそっくりとか

 島津さんところは元は中(臣)さん。中(臣)は基本豊後中津の連中で、熊襲の親分だと思いますので、トンバの太陽を流用してもおかしくはないと思います。
 それに実際日本に当時人口どれくらいかと考えると、記紀の人数は大国に対する虚勢と仮定すると、せいぜい7万弱。九州に2万居たとしても皆お友達感覚。
 話はちと外れますが。以前鳥取の駅前に、県在住の姓名だけで、あああの人はどこそこの人やと、県全域の人(概人口50万)のことを見事に述べられました。

> 「塩」の元の字体は、台上の器に塩を盛り上げて旗を立て、その脇に槍を持った番人が立っているという形でした。そのヒラヒラした旗の印象が隼人舞の上の三角から垂れ下がる色とりどりの細布に繋がると、お話が塩争いでもあり、あれは堅塩或いは盛塩でもあるのでしょうか。

厄除けに塩盛しますね。あれも三角、お化けも額も三角。

> [4351] Carl Peter Thunberg (1743-1828) ツンベリー(チュンベリ)ですね。
> スウェーデン語の雷は何と「aska」・・だそうで、妄想の種が増えました。
> Thunberg の意味が分かりませんが、berg は山でしょうか。Thunberg・tong-bai・東巴(Dongba)・ついでに鳥羽・・似たような名前が集まりました。それにしても、それら樹木の命名者が thunder に似た Thunberg とは、不思議なご縁ですね。

 使用する頻度の割りに、ラテン語辞典を恥ずかしながら持っていない。英語読みだとスアンダー、フランス語読みだとスアンダル。不思議なご縁もどこかでつながっているやもしれません。

[4355] Re[4352][4351][4348][4346][4342]トンパ文字  佐々木 2008/08/04(Mon) 10:00 [Reply]
★素盞嗚尊系植物は、二次林構成種、荒地や焼畑後に出てくる植物がほとんど。日本では弥生中期以降急増。
★五十猛命系植物は、スダジイ、コウヤマキは該当の可能性が高いと思いますが、これら極相林構成種、日本では縄文の高海面期以降(約5000年前)。
時代的には親子逆転している。

 大三元さん

 それはですね。
 属名の後は、発見者の名前を付けることが多いのですが、気の利いた学者はラテン語加工して、当時の文献を参照にある程度形態等の内意をほのめかすのです。
 それを経験的に知っていたので、その部分で検索すると、別の木ですが、クロマツで和名別称で男(男性名詞起因と思いますが)があり、荒があり、thunberはサンダー(ラテン語読みは違いますが)、雷に通じるとも出ました。
 あとはthunberの付く植物の特徴を確認して、樹肌が粗いとか、それから男、雷のような形とか共通点を見て判断しました。
 命名規定は、属名以下は、形態、発見者の名前、原産国で決まってくる。 
 こうゆう手順を踏んでいます。まあそんなところです。

[4354] Re:[4349] [4350] [4351]  かしこ 2008/08/04(Mon) 09:57 [Reply]
[4349] ナシ族のお話、ありがとうございます。
命を分けてくれた木を父親と思い、正月には木にお供え物をする・・ここにも命の木が。「トンパ」の意味と共に興味を惹かれます。新旧両世界の探検に今ほど恵まれた時代はありませんね。

[4350] 素敵な展開ですね。
「四面の戦争の神」の顔が「百」でもあるとして、これは「ハク」かとか、丸に十字のトンパの太陽は薩摩十字にそっくりとか、1/四面 筑紫方面担当官白日別命五十猛との関係ありやなしやとか、妄想が尽きません。

「塩」の元の字体は、台上の器に塩を盛り上げて旗を立て、その脇に槍を持った番人が立っているという形でした。そのヒラヒラした旗の印象が隼人舞の上の三角から垂れ下がる色とりどりの細布に繋がると、お話が塩争いでもあり、あれは堅塩或いは盛塩でもあるのでしょうか。

[4351] Carl Peter Thunberg (1743-1828) ツンベリー(チュンベリ)ですね。
スウェーデン語の雷は何と「aska」・・だそうで、妄想の種が増えました。

Thunberg の意味が分かりませんが、berg は山でしょうか。Thunberg・tong-bai・東巴(Dongba)・ついでに鳥羽・・似たような名前が集まりました。それにしても、それら樹木の命名者が thunder に似た Thunberg とは、不思議なご縁ですね。

[4353] Re[4351][4348][4346][4342]トンパ文字  大三元 2008/08/04(Mon) 09:25 [Reply]
>  タブノキ(イヌクス)は、学名(・・・.thunbergii)に男、荒ぶる、雷がありますので、間違いないと思います。

これはスウェーデンの 植物学者「ツンベルク」さんに因んだもの、とネット検索で出てきましたが「男、荒ぶる、雷」はどこからですか?

http://www.hana300.com/tabuno.html

[4352] Re[4351][4348][4346][4342]トンパ文字  神奈備 2008/08/04(Mon) 08:47 [Reply]
>  素盞嗚尊の木の補足です。
>  タブノキ(イヌクス)は、学名(・・・.thunbergii)に男、荒ぶる、雷がありますので、間違いないと思います。


 これは面白いアプローチです。実に柔らか頭!

 朝鮮語で木舟をtong-baiと言うそうで、これがタブノキの語源、まさに船の材料として打って付け。

[4351] Re[4348][4346][4342]トンパ文字  佐々木 2008/08/03(Sun) 23:15 [Reply]
 素盞嗚尊の木の補足です。
 タブノキ(イヌクス)は、学名(・・・.thunbergii)に男、荒ぶる、雷がありますので、間違いないと思います。
 他その学名が付く植物は、白砂青松のクロマツ、ユキヤナギ、ミヤギノハギ、カキラン、ミゾソバ、ハルリンドウ、ナンゴクウラシマソウ、ユキノシタ科のアカショウマ、アマチャ、ゲンノショウコなど。剛のマツと柔のヤナギの対比、食用植物と薬用植物の対比が見られ、素盞嗚尊の二面性が植物で確認できるとは。

[4351] Re[4348][4346][4342]トンパ文字  佐々木 2008/08/03(Sun) 23:15 [Reply]
 素盞嗚尊の木の補足です。
 タブノキ(イヌクス)は、学名(・・・.thunbergii)に男、荒ぶる、雷がありますので、間違いないと思います。
 他その学名が付く植物は、白砂青松のクロマツ、ユキヤナギ、ミヤギノハギ、カキラン、ミゾソバ、ハルリンドウ、ナンゴクウラシマソウ、ユキノシタ科のアカショウマ、アマチャ、ゲンノショウコなど。剛のマツと柔のヤナギの対比、食用植物と薬用植物の対比が見られ、素盞嗚尊の二面性が植物で確認できるとは。

[4350] Re[4345][4342][4341][4340][4339]トンパ文字  佐々木 2008/08/03(Sun) 22:35 [Reply]
> ○「四面の戦いの神」は顔面が四分割されていますが、これはトンパ数字の百にも見えるような。「山の神」の方は同じく十でしょうか。

 これは物部氏の5の倍数に通じるかもしれないですね。四面楚歌(十神)とも??

> ○海幸彦が山幸彦に仕返しされて苦しむ姿を真似たのが隼人舞であるという」とwikiにありますが、これとトンパ文字「喧嘩」の下にある△からの連想です。相撲の土俵上の屋根のようでもあり。

 これ非常にいいですね。
 海幸彦(以下海と略す)は火照命ですが、まず隼人舞は、海が足占いをしている。水が足元に来る。腰まで来る。腕まで来る。大慌て。
 それは火照命だから水は苦手。水泳が不得意とされた阿多隼人の象徴。
 山幸彦(以下山と略す)は、火遠理命ですが、火が消えたときの子なので、海の火が消えそうなことと対照的。これは日向隼人でしょう。
 それは絶対に喧嘩になる。
 で大隅隼人が中に入って両者の間を取り持つ。
 京都府南部では西から日向隼人、大隈隼人、阿多隼人と並んで、確かに地理的に中を取り持っている。そこに月読神が居る。そこで相撲をする。すばらしい。結果的には日向が勝つのは、火よりも水の方が大事だと伝承しているのかな。

> ○「戦いの神」の頭の真ん中から出ている「出」の字状のものは、金鈴塚古墳の金銅製透彫金具に似ているように思えます。用途不明瞭とのことですが、冠の前部につけた飾りとも考えられるといいます。この金具の紋様はメソポタミア方面を源流とするパルメット模様で、大陸全域で国際的装飾モチーフだった由。これをつけてやって来た軍団を戦いの神としたものか・・と、真夏の夜の妄想です。

 妄想でなく、極東なので、多種多様なものが西から来て煮詰まって突出するもの浮き出てきたのでしょう。雲南と遊牧民(秦氏)が混交した絶妙な文化景観なのでしょうか。
 現代の極東のアジア人もクリスマス、正月、えびす、節分、バレンタイン、ひなまつりなど色々勝手な文化を違和感もなく普通に。

[4349] トンパ文字とナシ族  とみた 2008/08/03(Sun) 12:04 [Reply]
トンパの話しで盛り上がっていますね。横からお節介。

四川省の奥地は、アバ・チベット族=チャン族=羌族のチベット系の民族の住処です。チベットの反乱で中国が手を焼いて、その上大地震がやってきたところです。

長江は、上流で河が合流します。四川省の北部の成都の眠江の流れと、四川省の南部から金沙江ー雲南の北西部の麗江の流れです。

後者の麗江にはイ族とナシ族がいます。

いずれも黄河上流の古い羌族=古羌が南下した遊牧民です。イ族も象形文字を持っていますが、ナシ族が持つ象形文字がトンパ=東巴文字ですね。北に高山のシャングリア(3000m級)と梅里里山(4500m)を抱き、彼等の信仰対象です。

死後霊魂の行く場所が山です。

ナシ族は、一妻多夫制です。家族の働きが面白いです。

長男は、トンパ教の宗教活動で、葬式を司り、占いをします。

次男三男は、農業と放牧です。四男が鉄匠で一家の財産管理をします。

五男は独立して別の家族を作ります。

子供が出来ると全員の子供になります。

村は、自給自足で鉄匠の地位が高いのです。農機具は古いものを修理して使うので鉄匠は大切なのでしょうね。

村人は鉄匠に道具修理を依頼するときは、食事や酒を持ってきます。

トンパ文字の本を見て、暦を知り、鋳造するのに良い日を占ったり、祈祷を上げます。

トンパ文字は象形文字で面白いですね。

丸の中に十文字は、中央アジアの岩絵によく出てきますね。

ナシ族は遊牧民の血と農耕民の血が交じっている印象です。

トンパとは髭のある人に意味だとか、シャーマンだとかいろいろな説がありますね。

絵文字には人と木の象形も多いようです。

木を息子の父親とみる風習のあるそうです。木から命を分けてもらう。

正月には祭りに木に供え物をします。

ナシ族にもいろいろあるでしょうがこんな風習を持った少数民族です。









[4348] Re[4346][4342]トンパ文字  佐々木 2008/08/03(Sun) 10:21 [Reply]
> 素盞嗚尊が木の使い方を述べた件が『日本書紀』にあります。ソシモリと言う所でのこと。ソウル付近では、船をつくるのにいいとした楠の木は生えていません。北限は半島の南辺ぎりぎりです。

 これはクスノキ科タブノキ属タブノキ(イヌグス)であろうと思います。蚊取線香・赤/黄染料などに利用されていて、紀州ならではの雰囲気があります。
 日本では東北地方海岸部まで分布しています。朝鮮半島でも分布します。
 文献は覚えていませんが、古代では、これとクスを誤認しているようです。
 面白いことに、このタブノキは、ワニナシ属との考えもありまして、ソシモリの漢字は、ご承知のように曽尸茂梨ですから、なんとなく因縁を感じます。
 神奈備さん、その件はこの程度でしょうか。

[4347] Re[4345][4342][4341][4340][4339]トンパ文字  佐々木 2008/08/03(Sun) 09:39 [Reply]
> ○「四面の戦いの神」は顔面が四分割されていますが、これはトンパ数字の百にも見えるような。「山の神」の方は同じく十でしょうか。

面白い。百鬼夜行の源流??
 拾芥抄に出てくる呪文「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」が解読できるかも。

 ほかのご意見も十分面白いです。いいんじゃないですか。
 監査よく見ていますね。

[4346] Re[4342]トンパ文字  神奈備 2008/08/03(Sun) 09:24 [Reply]
> 実は五十猛命が持ち込んだ樹木を調べているのですが

 大いに期待しております。九州では木實神社の祭神にも五十猛神が出ております。
 素盞嗚尊が木の使い方を述べた件が『日本書紀』にあります。ソシモリと言う所でのこと。ソウル付近では、船をつくるのにいいとした楠の木は生えていません。北限は半島の南辺ぎりぎりです。

[4345] Re[4342][4341][4340][4339]トンパ文字  かしこ 2008/08/03(Sun) 09:15 [Reply]
>少し面白くなってきました。

その他トンパ文字で面白いと思ったところを少しだけ書かせて下さい。

○「四面の戦いの神」は顔面が四分割されていますが、これはトンパ数字の百にも見えるような。
「山の神」の方は同じく十でしょうか。

○[4332]で「隼人舞の上にある△はゲルでは?」とお書きになっていらっしゃいましたが、これを海幸山幸の諍いの象徴と考えるのは無理があるでしょうか。
「海幸彦が山幸彦に仕返しされて苦しむ姿を真似たのが隼人舞であるという」とwikiにありますが、これとトンパ文字「喧嘩」の下にある△からの連想です。相撲の土俵上の屋根のようでもあり。

○「戦いの神」の頭の真ん中から出ている「出」の字状のものは、金鈴塚古墳の金銅製透彫金具に似ているように思えます。用途不明瞭とのことですが、冠の前部につけた飾りとも考えられるといいます。この金具の紋様はメソポタミア方面を源流とするパルメット模様で、大陸全域で国際的装飾モチーフだった由。これをつけてやって来た軍団を戦いの神としたものか・・と、真夏の夜の妄想です。

なるほど監査は患佐のイメージでもありますね。

[4344] Re[4343]: 暑中お見舞い  佐々木 2008/08/02(Sat) 22:30 [Reply]
> 暑いと頭の働きが鈍くなり、書込みのネタも思いつきません。
> しかし佐々木さんのスタミナは凄いですね。感心するばかりです。

 私もそうなのです。首筋を冷やしてなんとか。と言っても患者さんたちは待ったなしなのです。

[4343] 暑中お見舞い  かっぽれ 2008/08/02(Sat) 22:15 [Reply]
暑いと頭の働きが鈍くなり、書込みのネタも思いつきません。
しかし佐々木さんのスタミナは凄いですね。感心するばかりです。

[4342] Re[4341][4340][4339]トンパ文字  佐々木 2008/08/02(Sat) 20:00 [Reply]
かしこさん ご丁寧にありがとうございました。

> 古事記国生み譚で創られた国は「面四つあり」、その中の筑紫を白日別が担当。白日別神は五十猛命の別名とされており、その五十猛命は豊国文字を作ったとの説もあるそうですが、

 実は五十猛命が持ち込んだ樹木を調べているのですが、分類は草本ですが、シホウタケ(イボタケ)という四角形の竹ではないかと思っているのです。
 それ以外の樹木は、学名にシーボルトが日本で発見し、命名したコウヤマキ、スダジイ(イタジイ)、ニッケイ、ツガ、サクラソウなどでないかと睨んでいます。
 これらシホウタケを含めて、朝鮮半島では生育が困難で済州島以南であるので、五十猛命の種伝説とも合致します。

> トンパ文字の「四面の戦いの神」に出会うと、何となく気になりますね。
 四面の戦いの神とは、トーテムポールのような感じですね。

 少し面白くなってきました。

[4341] Re[4340][4339]トンパ文字  かしこ 2008/08/02(Sat) 16:16 [Reply]
>トンバ文字と五十猛命の関係の有無が気になるところです。

古事記国生み譚で創られた国は「面四つあり」、その中の筑紫を白日別が担当。
白日別神は五十猛命の別名とされており、その五十猛命は豊国文字を作ったとの説もあるそうですが、トンパ文字の「四面の戦いの神」に出会うと、何となく気になりますね。

また、お供え餅のような形の「戦いの神」から思い出したのが「兜餅」で、これは塩竈神社の嘉津良比祭のお餅です。
五つ重ねのお餅の頂上に赤く塗った蕪菜を置き、最下段の両脇にお餅をひとつずつ置く。
カツライはカツ(搗くこと)ラ(接尾辞)イ(飯)との説明がありますが、また、兜のように見えるから兜餅、ともあり、勝来とも書くらしく、よく分かりません。
兜にしても勝来にしても戦いを思わせる名前ではあるものの、他人の空似でしょうね。

[4340] Re[4339]トンパ文字  佐々木 2008/08/01(Fri) 11:02 [Reply]
> ご紹介のサイト、残念ながら私のPCでは全部を見ることが出来ませんでした。
それは失礼しました。残念ですがそちら方面はわかりません。OSの関係かもしれません。

> 隼人の楯には、力と再生への祈りとの両方の意味が込められているのではないでしょうか。
隼人舞は、天皇崩御の際に踊るので、おそらくこれが正解に近いと思います。

 トンバ文字のサイトありがとうございました。
 先般「安閑石」の神代文字を読んだおり、揚羽蝶が生まれる様子も刻まれていたので、神代文字・トンバ文字で、おとこ・誕生と理解できました。
 トンバ文字と五十猛命の関係の有無が気になるところです。

[4339] Reトンパ文字  かしこ 2008/08/01(Fri) 08:41 [Reply]
ご紹介のサイト、残念ながら私のPCでは全部を見ることが出来ませんでした。

トンパ文字のご紹介、ありがとうございます。
調べてみると、トンパ文字に変換できるサイトがありました。
http://heno2.com/mailart/tompa.html
「誕」や「生」を変換してみて下さい。頭には角を生やし、羽を広げたような形で表現されていますが、フゴッペなどのものに通じるところがあるのではと思います。触覚と羽と考えれば「蝶」の象形でしょうか。昆虫としての蝶の文字は別にあるようです。
「地震」「雷」を変換して出てくる文字の雰囲気は、沖縄のロゼッタ・ストーンといわれるものに似ているように思えます。
隼人の楯から離れてしまいました。失礼致しました。


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