青草掲示板ログ平二十一年 四月 2009.4
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[4968]  ちょっと まちがえた    生田淳一郎 2009/04/30(Thu) 18:44 [Reply]
 ちょっとまちがえるのは、平民が …………、おっと、いやいや! オレ、晩酌しちゃった。神奈備ドンごめんね。

[4967] ヅ−ヅ−弁の系譜     生田淳一郎 2009/04/30(Thu) 06:00 [Reply]
 オレにいわせると、沖縄をみるとき、重要な視点があと二つあります。
 その一つがヅ−ヅ−弁です。よくは知らないのですが宮古島、奄美はヅ−ヅ−弁ではないのではないでしょうか? 弘前もヅ−ヅ−弁ではないと断じました。埼玉県岩槻市のザイに行けば今でもヅ−ヅ−弁が聴けます。
 沖縄のヅ−ヅ−弁は主にウルマ本島で聴けて、キをチと訛るキチ交い音転も聴けます。
 沖縄中央部の東に、このごろ橋で連なった伊計島〜宮城島〜平安座島がありますが、ここはみごとなヅ−ヅ−弁です。日本語感覚でいう b d g j k p が、bh dh gh jh kh ph と発音され、急に聴いたヤマトンチュ−には、まったく聴きとれません。
 そこの家具屋さんが隣のベッドに来たので、オレ、お〜じょ〜したんだがネ。
 琉大付属病院から退院して、ネパール語をあたり始めたんですが、半年ほど経って「アッ あれがネパール語のナマ発音だったんだ!」と、気がついたような次第でした。オレも鈍感だナァと思いました。

 出雲がヅ−ヅ−弁で有名ですが、出雲在住の方言研究者によれば、「出雲のヅ−ヅ−弁は東北のそれとはちがう、舌先に置いた米粒が落ちる・落ちないの差がある」と、いっています。
 朝鮮語では hangωl (ω はイ)と書いてハングルと発音。これはトルコ語につらなる ┃で、トルコ語学者は東北の「イ」だといっています。

 早いとこ、どなたか伊計島〜宮城島〜平安座島に行って現地発音を録音してアーカイブスに収納してください。

● かっぽれドン、有り難う。名前忘れてたヨ。あい変わらずトンカチあたまやねぇ。
  mi:fafa(意味は下のほうにあります)と覆面は破廉恥の裏表じゃ。
 どっちかといえば「出しっぱなし」のほうが自然に近い。

[4966] Re[4965]:   つくられた日本語     かっぽれ 2009/04/30(Thu) 01:01 [Reply]
>そのなかでも、否定形の -azu , -anu と命令系の末尾が -e がネパール語であることに驚きを禁じえません。

古語(文語)の命令形語尾は、四段活用でこそ-eですが、上一段、上二段、下一段、下二段活用では-oとなりますね。
一方、ネパール語の命令形の語尾は、普通(つまり尊称)「不定詞」+ hosです。
その他親称の2人称、3人称の命令形の場合にも動詞の種類によっていろいろな母音(または子音)を取ります。
これらの組み合わせを考えてみれば、「-eだからネパール語だ」とはとてもいえませんね。
同じことが動詞の否定形についてもいえますよ。一度ネパール語の文法書を読むことをお勧めします。

以上

[4965]   つくられた日本語     生田淳一郎 2009/04/28(Tue) 06:26 [Reply]
  あの『木枯らし紋次郎』が帰ってくるそうです。 5月 1日、フジテレビ。ジャ〜〜ン!
 傷ぐちを舐めあう実存主義のなごり。癒し渇望の現代。そこに乖離があるのかどうか、見物でんす。

 紋次郎の語りぐちは職人用語として捕捉されやしょう。流れ者たちがどこのくにに行っても通用することば……、しだいに核と枝葉ができやした。
 そのコト始めは筏暮らしをしていた江南蛋民語をベースにして、ネパールを指導言語として固まったと思えるのですが、それを地方に普及させたのが神楽舞いのドサ廻りだったことでしょう。
 第二期は紀記編纂時で、それは神さまの名前に如実に顕われているかと思います。
 濁音と「ん」がほとんど無い。半濁音、長音、促音、拗音は皆無。
 明治になったら、ほとんど一人のおっさんが各種の語彙に標準形を措きました。

 ですから 200年前、 500年前と、区切る時代が古くなればなるほど、日本語は方言ばかりだった。
 万象は「似ているとおもえば、似ている、ちがうと思えばちがう」。○×の法則にござんす。
 周辺言語と比較すれば日本語のきわだった特徴は動詞の語尾が変化することでしょう。
 そのなかでも、否定形の -azu , -anu と命令系の末尾が -e がネパール語であることに驚きを禁じえません。
 沖縄語は -to:n や -tan の助詞で現在継続態や過去形を現していますが、動詞そのものは変化しません。これはアイヌ語、朝鮮語でもそうです。

 √・♪ どこにも ふるさとはない 哭くやつは誰だ ・♪(主題歌 ; だれかが風の中で)

[4964] Re[4963][4960][4956][4955][4953]: 無題  琉球松 2009/04/27(Mon) 18:17 [Reply]
 大三元さんへ

 アイヌ語が縄文言語の後裔の一つ。。。とする考え方はOKだと思いますよ。でもしかし、その証明は至難の業なんでしょうね。
 文献もないわけでしょうけど、いつかは何とかなるような気がします。文献がだめなら伝承伝説の類いでしょうか、琉球圏の神話なども参考になるかもせれません。

 とにかく、奈良から遠い両地域ですから「言語周圏論」もひとつの試みかな〜と?

[4963] Re[4960][4956][4955][4953]: 無題  大三元 2009/04/26(Sun) 16:50 [Reply]
琉球松さん

>  「弥生語」以前の言葉もまだまだ解明されていないんでしょうね。それはそれで興味の対象ですが、それでもまずはアイヌ語を探るべきでしょうか。

私の考えでは、アイヌ語が、縄文時代に使われていた言語(もし2以上の言語が使われていたのならば、その一つ)の後裔言語だと思っています。その時代のアイヌ語が、弥生語の成立にどのように寄与したか、しなかったか、というのが興味の一つではありますが、どう手を付けたらよいのか。。。「日本古語の多重構造」http://www.dai3gen.net/wago_nijuu.htm
がその試みの入り口ですが、入り口で頓挫してます。

[4962] オノマトペア(擬音擬態語)    生田淳一郎 2009/04/26(Sun) 06:45 [Reply]
 いま、この掲示板で南方に目が向けられています。御同慶の至りです。
 そこで訴えたいのが オノマトペア(擬音擬態語)のことです。
 どこのアイヌ語辞書にも、オノマトペアはほとんど掲載されてないようです。
 オノマトペアは「これは語彙とか単語であるとの認識できがたい」ところがあって、辞書編纂には洩れがちだと思われます。

 オレ、今年の 2月ごろ、日本にはどれくらいの(数として)オノマトペアがあるのだろうかと総出しに励んだことがありました。
 いちおうの締きりをおわった時点で その結果は 650ぐらいでした。
 しかし、その後、まだまだ、いろいろと湧いて出ています。総数は約 2000と踏みました。

 擬音擬態語は、始源の概念をひっぱり出します。たとえば、「とろんとした目」は、泥とか水のよどみや、ねばりのあるゲル状の液の概念へと誘います。また、これらの多くがネパール語やアイヌ語と重なっていることにも注目させられ、驚かざるをえません。

 人類のことばは咆哮語の次にはオノマトペアの時代が永かった、というより、オノマトペアだけで意思疎通を計った時代があったはずです。そのオノマトペア層の中からその社会が認めたものだけが、「音・概念」のセットとなってそれぞれの氏族語、部族語になったのだろうと思います。
 
 お隣の韓国では、20年前(?)ぐらいから、漢字排斥の気運が高まってきて、ここにきて「やっぱ漢字も捨て難い」との認識が出ているそうです。
 朝鮮語にも厖大なオノマトペアがあります。上の漢字ばなれを惹き起こしたのがオノマトペアだと思います。
 「女陰・陰茎」を辿っても、根づよい言語圏が浮上しますが、オノマトペアはもう一つ下層の基盤を引きだします。
 今だったら、使われていたオノマトペアを南方でも把握できるはずです。どうか、この点をお忘れなく、土地の古老に「引出し作業」の楽しみを与えてあげてください。
 オレ、まもなく後期高齢者。ガハハ

[4961] Re[4960][4956][4955][4953]: 無題  はやと [Url] 2009/04/26(Sun) 04:25 [Reply]

>  はやとさんのいう「南西諸島」は奄美のことでしょうけど、言葉は沖縄島の50歳代以上の者にはだいたい理解できますね。

沖縄のお隣から北上して硫黄島辺りまでの島々を指すようです。
鹿児島の本土の祭りや祈りの原型があるそうです。(民俗学的に)
屋久島にはヤングの頃(登山)行きましたが他は未踏の地です。
遺跡や祭りを見物したいと願望しています。

[4960] Re[4956][4955][4953]: 無題  琉球松 2009/04/25(Sat) 18:43 [Reply]
 大三元さん、いつもありがとうございます。
 
 「弥生語」以前の言葉もまだまだ解明されていないんでしょうね。それはそれで興味の対象ですが、それでもまずはアイヌ語を探るべきでしょうか。

 はやとさんのいう「南西諸島」は奄美のことでしょうけど、言葉は沖縄島の50歳代以上の者にはだいたい理解できますね。
 沖縄方言では解けない神歌や『おもろさうし』の部分は、おおかた奄美方言の援用でOKのようですし、この辞典は奄美の神歌にも十分適応できる内容となっていると思います。

[4959] かずがの局     生田淳一郎 2009/04/25(Sat) 15:38 [Reply]
 話題があんまし流れからはずれないうちに書き残したいと思いまして……。

 オレ、永いあいだタジク語の kas(人)に捕われて、カスガの kas は人だろうと思ってきました。タジク語勢力は出雲に上陸し、帝国をつくり、熊野を聖地にしています。で、人は人でも kas といった場合には「貴人」をいうのだろうと考えてきました / アヤカス。
 しかし、時の流行ということを考えた場合、スガとは surga(神々のおわすところ)ではなかろうかと思ったんです。
  surgaはネパール語では、r が促音をおこして sugghar(綺麗なこと、清潔)になっています( har は表情でもあります)。菅原さんあたりは、このへんで名前つけられたんでしょう。

 アイヌ語や朝鮮語の研究をみていますと、たとえば神はカと mi に分けられるのではないかという議論に接します。議論があるということは、そういうふうにも解釈できるということです。
 kasuga は ka・suga に分解されてもいいような……です。
 古代の日本語造語時代には、一つの発音にいろいろと意味が添えられたことでしょう。

 ここで ka は「蓮」と措く正当性がでるかと思います。シナ語では荷と書きます。
 「蓮の花咲き、神々のおわすところ」が、カスガだったと思われます。
 なぜ春や日がアテ字されたか……、これは飛鳥や百済と同じような造語でしょうが、オレにはわかりません。

 ツボネはエッチが出ますので、別に稿を改めましょう。

[4958]   みー ふぁふぁ mi:fafa(呆れかえる)    生田淳一郎 2009/04/25(Sat) 13:49 [Reply]
 沖縄の喜如嘉地方に tanifai という方言と、みー ふぁふぁ mi:fafa(呆れかえる)という方言があるとです。

 人間という厄介な存在者はテテテキにセックスを隠蔽しますねぇ。だから、下ではまたまた物議を醸しだすかと思って、 tanifai の意味は書かずにおきました。
 オレ、85日間沖縄に入院していたとき、掃除のおばちゃんにコーヒーの生豆を焙煎して貰ったりして仲良くなって、民族の核「女陰・男根」をやっと聞き出したのでした。
 ウルマ本島では、その代表(と、みたがいい)はホミ(女陰)とタニでした。
 ホミは日本語で“秀”とアテ字されているホで、これの内意は「ほんによいもの・or 神聖」ぐらいでしょうか。原意原音は中央アジアあたりで xo といわれたはずだとにらんでいます。
 mi はアイヌ語にあるワレメちゃんです。
 
  tanifai の意味は「陰茎を出している男」とあって、裸のきわみです。
 語彙というものは二代三代と語りつがれなければ、消える宿運にありますので、50年とか 75年前には、思春期まえの子供(?)あたりにはこんな恰好が見られたのかも。
 
 さて fai とはなにぞ。
 日本語の中にある「フ」で際立っているのは
* 緻密なこころ
* 運
* ふうてい(風態度)
* 腑分けのフ(内蔵)
 がありますが、日本語という線で割り出しを敢行すれば「風態 + -ai(ネパール語の強調末尾辞)が、いちばんピッタシですが、日本語の造語にはこんなのは、まずない(テアイ、キアイ、齢、兼ね合い、血あい、間あい、などは別途分析する必要がありますが)。

 結論をいいますと、これは mi:fafa の fa で、意味はやっぱ「呆れる」だと思うんです。
 ひと、ところ、神をあらわす i は、沖縄では顕著ではありません。しかし、これは族際語ですので fa について、fai となったのは「あきれた i(野郎)」だったんだと思います。
 mi:fafa の語形を睨んでいると、これは台湾語だと思われます。

 こんかい喜如嘉方言 1070語彙から 290の「日本語でない語彙」を拾いだしましたが、それらのおおくはシナ語だったりタガログ語だったり、ネパール語、アイヌ語だったり……でした。
 どこの文化もモザイク的に語彙を散在させている……を再確認したようなしだいでした。

[4957] Re[4954]:   裸 の 系 譜      佐々木 2009/04/25(Sat) 10:42 [Reply]
いくじゅんさん
 たにふぁい tanifai とは、もしかしてtaniwha:たにふぁーかね。ニュージーランドの「水中の魔物」か。

[4956] Re[4955][4953]: 無題  はやと [Url] 2009/04/25(Sat) 10:31 [Reply]
> 琉球松さん
>
> >  がんばって『沖縄古語大辞典/角川書店(同編集委員会)1995』を購入しました。
>
> おめでとうございます(^^)

> いずれにせよ、日本古代史、古語を考えるに当たって琉球方言を参照することは重要な仕事だと思います。

沖縄のお隣「南西諸島」(鹿児島県)の民俗・芸能等も捨て切れません。
お勧めは、下野先生の「南九州の伝統文化」全4巻でしょうか
奄美・とかしきは別冊になっています。

[4955] Re[4953]: 無題  大三元 2009/04/25(Sat) 09:12 [Reply]
琉球松さん

>  がんばって『沖縄古語大辞典/角川書店(同編集委員会)1995』を購入しました。

おめでとうございます(^^)

>  奄美、宮古、八重山の情報が若干手薄な感がありますが、沖縄諸島の神歌研究にはありがたいですね。

だから『琉球古語辞典』じゃなくて『沖縄古語大辞典』、と遠慮しているのですかね。

>  琉球方言はその古語にいたるまで、やはり日本語。。。まずはこの言語の範囲内でチャレンジすることが大事なんでしょうね。

前半:私流に表現しますと「本土の日本語」や「琉球方言」は同じ源から派生した。その源を服部四郎は「原日本語」と表現した、私流には「弥生語」。
後半:その範囲でチャレンジすると成果が出る確率が高いけど、その範囲を逸脱(拡大)しないと説明しにくいことも幾つもあろう、かと。。。

>  本土側の古文献を見る場合にも、この辞典は多くのヒントを示してくれると思います。

はい。上記のような次第ですから、日本語では忘れられた弥生語の語彙、とか、弥生語での意味が琉球に遺っている場合があろう(その逆も)、と思います。

>  地名の「山田・住吉」などの解読は、まずは本土方言&琉球方言であたらなければ解けないでしょうね!

「・・ねば解けない」と言ってしまうのはドグマティックと言いましょうか、判断を誤ってしまいそうな気がします。「琉球方言をあたってみる必要もあろう」程度が穏やかじゃないかな、と思います。

いずれにせよ、日本古代史、古語を考えるに当たって琉球方言を参照することは重要な仕事だと思います。

[4954]   裸 の 系 譜      生田淳一郎 2009/04/25(Sat) 08:22 [Reply]
 スマップの草ナギさんが酔っぱらって公園(おおやけの場)で裸になったカドで、交番にひかれて行ったそうです。
 あやまりにテレビに出て来たときには、顔には覆面も仮面もつけていなかった。

 明治のいつごろだったか、「おおやけの場所で裸になってはいけない」というお布れがでた。それにアタマにきた男がいた。警官が「オイコラ」と咎めたとき、その男は「なにいってんだ、オレの背中をよ〜〜っくみやがれ」とほざいた。
 みると、一糸纏わず……ではなく、糸が二本くっついていたそうな。

 オイコラの「コラ」は、鞭に繋がる侮蔑語だとおもえるか、「オイ」は「もしもし」という表現で、タガログ語でも台湾でもこれを日常使っている。
 
 徳川家康が関東にニュウブしたとき、「これからは文化圏だ」というわけで、大量の着物が京大坂から運ばれてきた(金精峠の金精さまも持ち去られた)。一般庶民は新品は買えないので、ほとんどが京大坂で着古した古着だった。
 いまの百貨店の前身は、この古着販売で大儲けした。
 「そんな儲けかたがあるのか……」と、ある男が古着を八戸に持ち込んだ……ら、農村経営が破壊された。
 
 ひとに裸をみせてはいけないというのは、アラビア・イスラーム圏のタブー。殿様は湯殿に入っているときも薄い着物を纏っていた。皇室にはいまも割礼の風習があるそうです。

 関東から八戸の日本列島東部一帯の住民は、ほとんど裸で暮らしていたのではなかろうか。
 佐倉藩出身の蘭医者のトップ・松本良順は勝海舟の前ではいつも夏はふんどし一つの裸になって、ひとにも裸で過ごすことを奨めたそうです(子母沢寛著『勝海舟』から)。
 九十九里浜では昭和 35年ぐらいまでは、男女ともに丸裸で地曳き網を曳いていたそうです。

 こういうことを書くと、そこに住んでいる人びとは、他の文化圏に劣っていたことを気にするだろう。しかし、われわれは「二万年前」に視点を据えるべきだと思います。
 ウチナンチュ−が「われわれの文化は本土まる写しだ」と思いたがるのは、上の落差を意識するからだろう。沖縄と本土の時間差は、わずか 700年か 800年にすぎない。
 二万年前とは、人類がようやく犬の皮をかぶって北方に入る方法を開発し、獣を追いはじめた時点でんねん。
 沖縄・喜如嘉には「たにふぁい tanifai 」という語があるそうです。この fai は本土語やろか。

[4953] 無題  琉球松 2009/04/24(Fri) 19:59 [Reply]
 大三元さんへ

 がんばって『沖縄古語大辞典/角川書店(同編集委員会)1995』を購入しました。
 奄美、宮古、八重山の情報が若干手薄な感がありますが、沖縄諸島の神歌研究にはありがたいですね。

 琉球方言はその古語にいたるまで、やはり日本語。。。まずはこの言語の範囲内でチャレンジすることが大事なんでしょうね。
 本土側の古文献を見る場合にも、この辞典は多くのヒントを示してくれると思います。

 地名の「山田・住吉」などの解読は、まずは本土方言&琉球方言であたらなければ解けないでしょうね!

[4952]   sur-mi があったのでは?   生田淳一郎 2009/04/24(Fri) 12:15 [Reply]
 △△木天子と共同開発したときの考えかたでは、スミヨシ様の語源はインドネシア語を援用して、「 sum(井戸)・ i-os-i(神社)」でした。
 ところが、その後、相模のくになどを考えていくうちに、 Sur の神があったのではないか……が気になりはじめました。
  sur(ゼロ)という高級概念がいつごろ起ったのかは知りません。
 が、sur は第一義的には太陽です。またネパール語での suru は「始める」です。
 ことばの上だけのことかもしれませんが、Sur-mi は太陽神として、じゅうぶんにありえます。
 語中の r は脱落します。 Surmi はスミになります。東にある大隈半島などぷんぷん匂います。 s と t は入れ替わりやすい。別府の裏山のツルミ岳まで匂ってきました。

 話、あとさきになりましたが、富士山を背負う駿河のくには、まぎれもなくインドネシア語の surga(神々のおわすところ)だと確信します。そうすると「お隣の相模の語源割り出し」にせっつかれますが。これはどうみてもネパール語の sagar(海・そら)です。佐賀、嵯峨、相楽もこれだと断定したいところです。
 海も空も現代人感覚ではマシャクにできません。もっと原始宗教的な感受です。

 あ、ツルム……ですが、これは「 tsu(二つが) ru(融和)」んぢょるとです。ウブスナの行事です。

[4951]   天のアマが山田に化けた    生田淳一郎 2009/04/24(Fri) 08:36 [Reply]
川崎真治さんからの聞いたハナシで、オレ永いあいだアン神とは存在の神だと思っていました。とにかくGoogってみたら「天の神」だとありました。「an = ある」は、ほとんどの言語にあるのではないでしょうか、日本語では「ある」です。
 この an(ある)は英語では am になっている。/ I am a boy.
 日本語の一部でも、これが am だったといえる……みたい。
 
 話、ポ〜ンととびますが、古代には『√ i ○○ V(Vは母音)』という造語枠がありました。
 dhatu はネパール語で金属です。“辰”は雷・龍でもあります。この dhatu が発音できない段階では「イ」を語頭において「イダツ」と発音した。これが「伊達」に残っています。王族が増えてきて、語頭の「ダ」がいえるようになったら、ダツでよかったんですが、末尾は強調末尾辞の e を添えて「ダテ」となった。
 これを am に代入すると、i-am ができ、開音化すると i ama となり「ヤマ」となる。

 またポ〜ン。中東〜ペルシャのアフガニスタン、パキスタンなごのスタンは、場所を意味する *thaηg に強調接頭辞の s をそえた語形で、「国」という概念になっています。
 女が春をひさぐ遊廓を苦界といいますか、ネパール語では ku thau(穢い界猥)です。
 この thau が多民族寄り合う日本列島の地名、人名用語に多用されて「タ(田)」が広く定着したものと見受けられます。
  山田と、田を用いるのは本来まちがいであり、田んぼとは関係なかったことです。

 話、ハネ(行ったのが戻ってくる)。
  「 i am- a 」とは、「アマ神をする」が原意で、神さま周辺で何かするなら「祭る」しかなりませ〜ん。「アマ神祭る ta(場所)」がヤマダ。

[4950] Re[4949][4946]: 最近の愚考2件  佐々木 2009/04/21(Tue) 10:21 [Reply]
>『日本書紀』巻九神功皇后摂政元年

山田と住吉の相関はよさそうですね。他に新撰姓氏録の山田連もありますね。

 仁賢を浦島、乙姫は皇后とすれば、その皇后の姉は斎宮の栲幡姫皇女(どこの伊勢神宮なのか?丹の元伊勢三社?)、仁賢の皇女には春日山田皇女(安閑皇后)とまた山田?

>美味しい料理で時の過ぎるのも忘れて骨抜きになって帰国
 この風習は杭州で実体験、魏の曹操も安徽省の人、黄河と長江の間の風習なのでしょうか。
 今ならどんどん飲食させて、本国に帰って請求書を見て、頭真っ白なのでしょうか。
 青草でした。

[4949] Re[4946]: 最近の愚考2件  神奈備 2009/04/21(Tue) 08:50 [Reply]
> @「山田」地名と息長氏の輩出地域の相関の可能性

息長と山田、意外なコンビネーションですね。
『住吉三神』を山田邑に祀ったお話しか思いつきません。
『日本書紀』巻九神功皇后摂政元年
於是。從軍神表筒男。中筒男。底筒男。三神誨皇后曰。我荒魂令祭於穴門山田邑也。

[4948] Re[4947][4945][4943][4942]: 桃太郎と浦島太郎  琉球松 2009/04/21(Tue) 00:04 [Reply]
 "美味しい料理で時の過ぎるのも忘れて骨抜きになって帰国" 。。。これはナイスですね。じつは、かつての琉球王国も似たようなやり方の"防衛策"を持っていたようです。これも中国の影響でしょうか。

 ところで、中国の対外侵略策「遠交近攻」は、『三国志』時代にはすでに常套手段だったようですから、倭えのアプローチもその一環かも?

 それと。。。太郎さんを接待した乙姫は(弟姫=妹)でしょうから、姉(兄姫)はやはり「愛媛」など瀬戸内海の海人勢力ではと考えます。そうすると「浦島太郎伝説」の原型は丹後よりも大阪湾周辺ではと思いますね。まあ、これも青草ですが(笑)。

[4947] Re[4945][4943][4942]: 桃太郎と浦島太郎  神奈備 2009/04/19(Sun) 17:30 [Reply]
 お心遣いありがとうございます。

> ただ、初期の出雲銅鐸は、けっこうカワイくて物々しくないようですから、近江などの堂々とした銅鐸とは思想的な違いがあるように思えるわけですけどうでしょうか?

 おっしゃる通りですね。聞く銅鐸の時代は紀元前で、見る銅鐸の時代が紀元後200年間と云う感じでしょうか。
http://kamnavi.jp/log/ugadoutaku.htm

> 浦島太郎

 『魏志倭人伝』の、「東南のかた陸行五百里にして、伊都國に至る。官を爾支と日い、副を泄謨觚・柄渠觚と日う。」の泄謨觚・柄渠觚は官名。どっちかはシマコの音に近いのでしょう。

 邪馬台国が丹後に設置した官が泄謨觚・柄渠觚であって、魏の国へ遣いとして行ったということが浦嶋子のお話となったとの想定です。丹後から魏鏡が出ているのを物証としているようです。

 以下、神奈備の青草。
 魏の都では接待に美女を宛われ、食べたこともなかった美味しい料理で時の過ぎるのも忘れて骨抜きになって帰国したのかも知れません。北鮮や中国のやりかたは替わっていませんね。

[4946] 最近の愚考2件  佐々木 2009/04/19(Sun) 13:46 [Reply]
@「山田」地名と息長氏の輩出地域の相関の可能性
 伊勢市宇治山田、与謝郡与謝野町山田、京都府精華町山田川、枚方市山田(旧地名)、草津市山田、長浜市の息長山田氏ほか。
 伊勢と枚方は息長氏についてはよくわからない。枚方は鍛冶遺跡や鋳物工場跡、中山寺があるが。 

A門脇さんの遺文「邪馬台国と地域王国(吉川弘文館)」からヒントを得たもの
耳(目、鼻もあるのか?)5万余戸の首長・・・大国の太守?
島(原もあるのか?)  2万余戸の首長・・・中国の太守?
彦           千余戸の首長・・・・小国の太守または大国の郡の長?
玉           千余戸の首長・・・・中国の郡の長?

 最近はこのようなことを考えております。
 また桃太郎と浦島太郎を一連の歴史で捉えると、吉備の古墳の最盛期と丹後の古墳の最盛期がかぶらないことから、吉備から丹後へ権力の移動(吉備勢力の逃亡なのか)があったようにも見えました。

[4945] Re[4943][4942]: 桃太郎と浦島太郎  琉球松 2009/04/19(Sun) 09:49 [Reply]
 神奈備さん、ありがとうございます。なんか空気を変えたくての投稿ですので。。。

 出雲の歴史も一様ではないのでしょうけど、長野県諏訪大社の縁起なども荒神谷遺跡のように丁寧に埋葬?された同製品をイメージしますね。
 ただ、初期の出雲銅鐸は、けっこうカワイくて物々しくないようですから、近江などの堂々とした銅鐸とは思想的な違いがあるように思えるわけですけどうでしょうか?
 また、物部も一様ではないようですから、まあ、派閥というか政権へのアプローチの違いもあったように思えます。

 ちょっと脱線しましたが、「桃太郎と浦島太郎」は面白いテーマです。いろんな解釈が可能ですね。

[4944] モク拾い 二つ三つ     生田淳一郎 2009/04/19(Sun) 07:34 [Reply]
 ももたろう……アイヌ語 *mom(漂う)。ドンブラコ、ドンブラコ。

> 何らかの事情で銅製品を隠さねばならなくなった。
★ 「さなぎ」ということばの中にへびが二つも入っているような。土中に埋めてこそ「さなき」なんではないでしょうか? sar と nag .

> 素鵞川
★ スガガワとは読めませんか。 / 駿河(天国)とスルグ・クスリ(アイヌ語 ; とりかぶと)に注目してま。語ちゅうの r 音は脱落しやすい。

[4943] Re[4942]: 桃太郎と浦島太郎  神奈備 2009/04/18(Sat) 08:54 [Reply]
> 出雲攻略

 出雲は幾度攻略され幾度屈服さされたのでしょうか。

 1.加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡から発見されたの大量の銅製品は一つの屈服の歴史をっているように思われます。紀元0年頃でしょう。同じく発見されてた銅矛は北九州製、銅鐸は畿内製と云うこととされています。

 各地と交流しながらやって来た出雲ですが、何らかの事情で銅製品を隠さねばならなくなった。弥生時代中期、大国主時代の終焉でしょうかね。


 2.崇神天皇の時代に四道将軍を各地に派遣して服属させるお話がありますが、その中には出雲への派遣はないようですが、神宝を見るとのことで拒否した出雲振根を殺しています。
 垂仁天皇の時代にも物部十千根大連を出雲に派遣し、神宝を調べているようです。


 3.出雲の須佐神社の側を流れている川は素鵞川、また出雲大社の背後の八雲山から神楽殿方面へ素鵞川が流れています。
 中央の権力者となった蘇我氏は吉備の勢力を抑えるべく屯倉を各地の置きます。『出雲の古代史』門脇禎二著 によると、吉備の西側にも屯倉を作っていたようです。安芸の安宿。
 出雲だけではなく各地のソガ地名(蘇我、須賀、など)の多くは蘇我氏の活動の結果としています。期間は6世紀〜7世紀前半と言えるのでしょう。

 4.出雲は普段は筑紫や新羅あたりと一つのまとまりがあって、奈良など畿内とは疎遠だったということはないでしょうか。ズーズー弁からは蝦夷との関係も深かったか。

[4942] Re[4921][4920]: 桃太郎と浦島太郎  琉球松 2009/04/17(Fri) 13:38 [Reply]
 "出雲攻略" 。。。ってどうなんでしょうかね。

 いわゆる「出雲国譲り」には、ある程度の戦闘はあったでしょうけども、どちらかと言うと九州から拡大してきた連合勢力への参加じゃないでしょうか?

 邪馬台国連合側?にしてみれば、出雲の鉄はのどから手が出るほど欲しかったんでしょうし、大国主命の手指(島根半島リヤス式海岸?)を"活発に活動"していたスクナヒコナ工作員(笑)の功績も大きいと思いますがどうでしょうか。
 それから、大国主命を裏切り者とみなした出雲強硬派(クナ国?)は近畿地方などに逃れ、銅鐸信仰を肥大化させて徹底抗戦していた。。。なんてのはどうでしょうかね。

[4941]   頼うだ おひと    生田淳一郎 2009/04/15(Wed) 07:35 [Reply]
 「たのうだ お人」ということばは鎌倉期に流行ったそうです。
 鎌倉期の前期か後期かを知りたいところですが、いまんとこ、資料取りがわかりません。
 次から次にじぶんの浅はかさとかバカさ加減を思い知らされるうちに、いや、お猿さんの段階から、一般庶民はボスに頼ろうとする趨勢を持っていました。

 ○×の法則……。それと、乞食三日の法則。
 物事は考えようで何とでもなるんだ……が「○×の法則」。
 たいした事件もなく、ここまでなんとか安泰な暮らしをやってこれた。その過去の安泰は神さまです、というのが乞食三日。
 この二つを合わせたら「ナニかワキャワカランが、きのうまでの暮らしの安泰を壊すものは悪魔だ」という意識になる。「リクツなんざは“あのおひと”が知ってござる」ともなる。
 「わたし、欣求・飼い殺され ヨ」、「○○さまいのち」。

 圧倒的な風圧がかかってきたとき、頼れるものといえば、まず、自分の判断力ではない。
 おなじ……といえば同じの、お互いに D.N.A.様から支配をうけているとはいえ、そこにちょっとした違いの優秀遺伝因子を持つ者が(へと)吸引力を持つ。集団形成。

 「ハ、ロロ!」……あ、ロロが歩いてる、いま通ってるヨ。→ hallow ,ハロー!
 ロロさんや、高安六郎さんの現象。
 英雄はまず、女性大衆が醸しだすというのが基本でしょう。それは、優秀遺伝因子を射精してもらいたいからだ。

 地球は丸くて一つのユニットだ、などという意識はまだない。
 さまざまな違いをみせる環境の諸相やうごきのいっちょいっちょに、ちがう発音をなすりつけた「個別発音=個別概念」ができあがる段階で、人類は自然言語の領域からハミだして、イビツな言語を獲得した。
 だから、諸相はことばの上でもつながりを持つ。
できあがってしまったもろもろの概念に共通する性質を触りゆくうちに「環境=ことば」に導かれて、抽象化の能力がおこる。
 即刻、人類は“神”を獲得した。

 “神”にふたたび個別化がおこり、紛争の元となったとき、“叡智”は、こぶだらけの老樹をゆび指して「これでも見なはれ」いうた。

[4940] 過った記憶が作られたメカ     生田淳一郎 2009/04/14(Tue) 08:31 [Reply]
エンちゃん、琉大 → 東大としたオレの過った記憶に基づいた記述で、ウンジュにはまたまた迷惑かけた。その記憶ちがいの原因が判りましたので、申し上げます。
 その前にもう一つ、筆の勇み足があったのです。
 それは、「二三のよその言語を当たる人はままいるが、マルチ対比をやる人は、寡聞にして『なかしべつ・すがわらさん』以外には知らない」と書きましたが、これもウソで、村山七郎さんもオーストロネシアということで、「二三の外国語」ではなく 20種ぐらいの“よその言語”とマルチ対比をやっておられました。
 だいじなひとがもう一人あったんです。オレ、すっかり忘れていました。
 中山○○先生でんす。
 オレ、沖縄に入院する 7年前に元気な足で沖縄をぐるっとひと廻りしたことがありました。そのとき読んでいた本が中山○○先生の『日本語の系譜』でした。この本で、同先生はインドやアラビヤ、ペルシャまでには視野は広がってはなかったのですが、かなり広範囲のアジア語を展開した対比をやっておられました。ところがあの“記述”のときには、そのことをトンと忘れていたのです。
 戻ってきて佐渡島をドサ廻りしたときに、佐渡オケサはアイヌ・メノコが謳ったウタだとの強い心証をえましたので、その想いを中山先生に報せたんでした。
 手紙や電話でのやりとりのうちに「いちど遊びにおいで」と言ってくださいました。
 そのハナシの間々に 先生の親しい人で、言語に関心を持っている P という人物がいらっしゃることを記憶していました。

 中山先生宅はクルマで 1時間足らずのところですので、いちどお伺いしてみようと思っていたのです。ところが、そうこうする間に先生は胃ガンで、オレは脊髄腫瘍でそれぞれ入院しました。先生のガンは、その後再発したみたいで、先生はまもなく他界されました。

 3年前だったか、『沖縄の言葉と歴史』を読み終えたとき、片や沖縄語でマルチ対比、片やよその言語をちっともみようとしていない…….。同学の沖縄出身者でありながら、中山先生の考えかたが、まったく採用されていないのは、なぜか。「ここには知里真志保ー金田一のような金ピカ権威主義が介在しているにちがいない」と思ったのが、小生の早トチリだったんです。

 そこで思い出したのが P さんのことです。未亡人となった奥さんに電話したところ、 P さんが健在でいらっしゃることが判りました。
 小生は小生が作っている「ネパール語 / 日本語 / アイヌ語 対比一覧表」を送りました。
 ところが数日たったとき、奥さん名義で「このパンフは、ていねいなお断りのことばをそえて、返却させてくれるようにと P さんは言っておられます」との言葉をそえて、件のパンフは読まれた形跡もないままに送り返されてきたのです。
 やっぱ、金ピカ権威主義がよそ見すらさせなくなっている……と、おれは判断したのでした。 以上がオレが錯覚した原因の粗筋ですが、もうウンジュはオレのことばはそのままに受入れることができなくなっていることでしょう。
 
 ちょうど今、『キジャハムニー』のパンフが、謎の 8平米空間へ遊びに行ったままです。
 下(↓)を解放しますので、勇気をだして入ってきてください。
http://8705.teacup.com/monjirou/bbs?BD=3&CH=5&M=RF&e3b060dfcf07d93b190c50099d14f175=15798232573a2d3241e30e2b7bee64c2

 その場合、小生にて文字の大きさや色を変えることをおゆるし下さい。
 色を変える技術は 2時間前に覚えたばかりです。エンジ色は英語でナンというのでしょう。

[4939]  お蔭で 文学開眼    生田淳一郎 2009/04/13(Mon) 07:59 [Reply]
 下{ 4934〜4936] で、久しぶりで価値観叙述の一部を書かせてもらいました。このお蔭で、オレにとっては、予期しない「文学開眼」となりました。
 神奈備ドン、エンちゃん有り難うございます。

 オレ、17才のとき、文学無用論者になったんです。曰く「オトコらしくない」。
 それまでは谷崎源氏はじめ、ツァラトストラ、ファウスト、神曲などはいちおう読んでいたんです。
 二十歳で成文法が性悪説を前提にしていることを知りました。 23才でセールス技術を身につけ、日本ヒエラルキーの外に立ちました。 29才で心霊領域を体験、38才からアイヌ語にのめりこみ、43才からは高橋稔を師にして、爾来 40年間、価値観を錬りました。
 同年輩に A という友人がいましたので、年とったらこの Aから文学を教えてもらおうとこころづもりにしていたんですが、 10年も前に死んでしまいました。
 簡単にいうと「ウソ含みでいいなら、こんな想念もできるよ」というのが文学だと思うんです。 / 「定見は出ないという定見が出ているのが哲学」……。
 絵画でもいろんな在りかたが可能です。いろんな文学もあることでしょうが、ここにひっくるめて、その枠が座標上に出てるじゃないすか!

 幕末、薩摩藩発、江戸での密偵とされている益満休之助の扱いは、子母沢寛(勝海舟)と司馬遼太郎(胡蝶の夢)ではちがっています。文学や小説では、これが許される。

 この展開はオレだけでの恵まれでんしょうか?

[4938]  貴重な体験     生田淳一郎 2009/04/13(Mon) 07:09 [Reply]
 エンちゃん、そうなったらもうここではハナシは続けられません。
 それがどのような“一種の病状”なのか、なぜここ青草掲示板で続けられないのかなどについてはハナシの場を変えれば、小生としては、そこでお解りいただけるまで会話できます。
 ウンジュはエンジ(ニア)さんではないでしょうか?
 オレのパソコンはマッキントッシュ機種ですので、出張家庭教師に恵まれず、いつまでたってもキカイ・オンチなんでふぅ。技術修得には出かけられないんです。
 『沖縄語・掲示板』みたいなのを、イッチョたちあげてください。オレ、そこへ行きます。
 ただし、覆面(H.N)は脱いでくださいよ。
 オレ、覆面さんとはまじめなハナシはしませんアマカネ。
 貴重な体験をなさったのです。それは言語研究には猛烈に役立つ体験です。ぜひ、役立ててください。

[4937] Re[4934]: 文明はウソごとしかならない宿運    エンジ 2009/04/11(Sat) 15:03 [Reply]
こんにちわ。

 [4934]で生田淳一郎さんは書きました。
> 言語開発は 35年後の厖大な数の天才群に任せるよかテはないとオレ思うのですが、あのように明白なウソは言語領域であるだけに、ここ 35年間は許されないのです。

ウソでないものを「明白なウソ」だというのは言いがかり。その「ウソ」という外間守善氏の著作からの引用も勝手に書き換えてあり、これは悪質な中傷というほかにないでしょう。まず[4922]における生田さんの引用部分を再掲出。
 
>>沖縄語での最高権威者である元東大教授の外間守善先生は、その著『沖縄の言葉と歴史』で、その 342頁に「ワ(豚)と、あと三つ四つの語彙以外は、全部日本語であ〜る」とおっしゃっておられます。

次に外間守善氏原文の当該部分の記述(注意-文中*waの*印は、原文の喉頭破裂音記号の代用)。
>琉球方言の語彙は、そのほとんどを本土方言と対比させて説明することができるが、gamaku(腰)ja:ma(機械)、*wa:(豚)などのように、本土方言とはまったく違う語彙も若干ある。それらの語源についてはいまのところ不明であるとしかいえない。

見てのとおり、悪質な改ざんです。「本土方言と対比させて説明することができる」→「日本語であ〜る」とし、「若干」は「三つ四つ」に書き換えてある。「若干」とは「数ははっきりしないが、あまり多くはないことを表す」の意味で、何千もある語彙のうち若干といえば、3つや4つに限らないわけです。それを「三つや四つ」以上あるから「ウソ」だと決め付けた。
このように書き換え、さらに外間守善氏を「東大トップ」と虚偽を付け加える。その上で「ウソ」だと公開掲示板で非難した(↓)のですから、これは悪質極まりない個人攻撃、中傷です。

小生は外間守善氏に直接教えを受けたわけではありませんが、著書の愛読者として尊敬する先生に対する中傷が掲示板に書き込まれたことに対して抗議するものです。
生田淳一郎さん、小生は外間守善氏関係のあなたの中傷書き込みを取り消し、謝罪することを要求します

[4936] 文明はウソごとにしかならない宿運 3    生田淳一郎 2009/04/10(Fri) 11:01 [Reply]
すなわち、“3”なら“3”、“5”なら“5”を第一選択基準に老いた意識主体が、他の“3〜6”の意識叢をみると、「そんなバカな、やめときなはれ」という声が出るばかりです。それをそうさせない唯一の手段は、全員がこの“1”〜“6”メカを総合俯瞰したあとの判断しかないのですが、これはやっぱ、天才群の出現があるまでは、馴れないだけに甲論乙駁が続くと看たほうが早いようです。

 C(叡智)という意識の特徴は、ヒエラルキー形成です。物理化学は不見当識(なぜクオークがあるのかなどはワカラン)を自認しますので、テッペン部分を持たないし、予定もしていません。
 ですが、集団形成(“3”)や宗教(“4”)は円錐のテッペンを持っています。
 テッペンの遥か上空の見えるかみえないかの空間に星のような一点をもつのが現代的宗教です。そのヒエラルキー(円錐)が急峻であればあるほどカッコいいと自他ともに感受するのが集団形成(“3”)です。集団形成に毒された意識主体は、少々ムリと分っていても吉外みたいになってテッペン部分に急峻なサンカク板を立てて、キンキラキンのメッキ塗り作業に励むのです。これ、外間守善先生のこころの佇まいではないでしょうか。
 香具師が親分乾分の固めの盃を飲みあう直前、「これから、親分が白いといったら、どんなに黒くみえていても“白い”といいます」を誓います。香具師の世界は“2”が基調ですが、そこに集団形成“3”を刺すし込むとは、そういったもんです。

 人間は抜きがたい「○×の法則」に支配されています。
 小生は「やさしく諭したつもり」でも A細胞 T細胞なみにこころの準備をしたひとの目には「中傷誹謗」としか写らなくなります。ガハハハッハッハ。

 一国の支配者たちは国見をしました。これには山のテッペンから領地をみると、よりよくわかるとの思い込みがあったようです。
 でもしかし、今から 35ほど前、これとは逆の発想をした人物がでました。八王子市にいた橋本義夫さんです。平地に立って山頂も見ようとの発想です。この構想は「ふだん記」となって、一部では「自分史」ともなりました。文化は平民が運ぶものです。
 小生は沖縄で身の髄を割る手術をうけるまでの 10年間、ふだん記津軽グループの正規会員でした。
 一つの文明での意識はどうせ偏ったありかたしかできない。でも、現実にはとにもかくにも、そこに生きている個々の人間がいるじゃないか。そこに望遠鏡とか顕微鏡の焦点をあてれば、なにか確実性の根拠みたいなのが得られるのではないか……。そういう視線が茂木健一郎さん著の『偉人たちの脳』に書いてありました。

 エンサーン(ペルシャ語で“人間”)、へたな文章が長くなってスミマセンでした。
 でも、御胸をお借りしたことで、お陰さまで価値観記述の練習になりました。おわり。

[4935]  文明はウソごとにしかならない宿運 2    生田淳一郎 2009/04/10(Fri) 09:52 [Reply]
 やっぱ、下の続きはここに書きます。ガハハ

 その頃、アイヌ語研究を続けていた人といえば、村崎恭子先生のことはよくは知りませんが、
その後バスク語に移られた田村すゞ子先生、札幌から福井か石川県に移られたお医者さん、アイヌ喋りを録音採っていた茅野茂さん、(今でも)地名を中心に研究しておられる伊藤せいちさんぐらいなものでした。
 山本多助エカシがおっしゃるには「気づいたことは、何でもいい、みんなは思いきってそれを発表することだ。するとその発言に含まれているウソは自然に篩いおとされて、本当のことだけが、民族の底辺に沈澱してゆくのだ」と。
 風が吹かないところに何の進歩もへったくれもあるもんか……です。
 「おう、おう! 50年待ったオトコがやっと今来たか」といった山本多助エカシは、やっぱ永いあいだ淋しかったんだろうと思います。

 ことばという現象も、物理化学領域を含めての一切の現象は、ビシッと割り切れるものではありません。物理化学領域といえど宇宙の果とか素粒子クオークの存在理由を説明できません。そこを象を撫でる群盲さながらに人類はことばでああでもない、こうでもないと模索しています。
 牛馬猿犬の段階から(主に)ことばで C(叡智)をえた人類は、そのことばの素性をまだ知らないのです。
 そこでヤミクモに理性的判断を氷漬け・塩漬けにしてグイッと引っぱりあげるようなシグサをするのが宗教です。それをまた、ことばで繋ぐのですから、中東の宗教家どうしの殺し合いはつづきます。
 集団形成(“3”)、宗教(“4”)、物理化学(“5”)は、もともと同じ C(叡智)に根ざした分野でした。 三つは叡智から分家したんです。
 経済(“6”)というのは、ちょうどパチンコで「穴に入りさえすりゃそれでいい」という領域で、「理屈もくそもあるもんか、とにかく食えればいい」です。先日、自然人と自然人のあいだにゼニを介在させたとたんに C の領域(意識)から反発が来たのです(給付金はオレに呉れ)。
 その逆も然りで、経済を第一選択にしている意識主体からみると、「なにをグジャグジャ言っとんじゃ」となって、この C もまた穢い、うとましい領域となって目に写るシカケなんです。
 戦後の復興期、当時の青壮年のあいだには「リクツ抜き」ということばが流行りました。「食うこと(“1”)が優先順位の第一位に据えられた時代だったのです。

 あ〜、また長ったらしくなっちゃったばい。

[4934] 文明はウソごとしかならない宿運    生田淳一郎 2009/04/10(Fri) 06:49 [Reply]
 エンちゃん、アマカネ。
 あ、アマカネとはニューギニア高地石器時代人の挨拶、イミシンにして至便です。われわれが使う「こんにちwa」も「気をつけて」なども、一切がアマカネなのでアマカネね。

 「ウソ」ということについて、ウンジュとオレには認識の差がすこしあるようです。
 簡単にいうと、新しい大衆会話手段の、この掲示板などではワーワーうそつくべきです。
 いやちょっとちゃうか、ウソと分っていながらウソつくのは吉外です。でもじぶんでないひとが発言することには「ウソ含み」であっても大いに宜しいという、遊び半分の相互発言の中にこそ、文明を駆動する力がこもっています。

 われわれの意識は今のところ「言語意識」です。
 ただ、最高学府で、こと言語に関してのウソは許されません。
 言語開発は 35年後の厖大な数の天才群に任せるよかテはないとオレ思うのですが、あのように明白なウソは言語領域であるだけに、ここ 35年間は許されないのです。
 宮古島の子供のあそびにつけられた名前(の語源!)だけでも 8個ありますよね。エンちゃんからは返事ありませんが、これは全部「日本語ではない沖縄語」でしょう。こういう事実にほおかむりしておいて、だれかさんの言を借りても「十中八九」から差し引いた「十中一二」は沖縄語ではないのですから、ああいう暴言は学者なればこそ許されないのでアリマシ。
 でも、いまから思うと、東大でなくってヨカッタ。東大ならミジンもああいった浮かれ発言は許されないのですが、外間守善先生は日本言語学のヒエラルキー・トップではなかったことに、大幅な「差し引き」があってもよさそうです。

 次の記述は、ここの青草か神奈備掲示板で二三度書いたことがあることの繰返しです。
 アイヌ人でアイヌ語専攻で博士になった知里真志保は、激しい口調で群がる論敵を次々と薙ぎ倒しました。そのうち、だぁれもアイヌ民族やアイヌ語についてはモノを書かなくなったのです。当時はゲバゲバが激しく札幌の像が爆破されたりしました。ジャーナリズムもアイヌに関しては一切、話題として採りあげないようになりました。
 そういう無風状態となったとき、知里真志保は 1961年に世を去り、その 10年後に知里真志保のうしろ盾になっていた金ピカの金田一京助が世を去りました。その 5 年後の昭和 49年にオレが阿寒の山本多助エカシを訪ねて行ったんです。
 当時オレ39歳、無風状態のところへアイヌ語研究の情熱を抱えた若いバカが来た。
 山本多助エカシは赤飯炊いて喜んでくれましたヨ。
 さすが釧路アイヌの酋長、言うことが違ってました。

 あ、冗長となりますので、続きは、わての掲示板に書きまっさ。

[4933] Re[4930]:  おおきに だんだん    エンジ 2009/04/10(Fri) 01:11 [Reply]
こんにちわ。
ネパール語とか朝鮮語とか、日本語との関係を立証しようとする人たちはたくさんいますね。
どんどんおやりになれば良いと思います。
しかし今回小生が指摘しているのは全く別のことです。
つまり、下に再引用した生田さんの記事は外間守善氏を中傷していると思われるが、どういう意図なのか。
こうお尋ねしたのであって、生田さんのご研究の内容に立ち入るつもりは毛頭ありませんから誤解のないようにお願いします。

 [4922] で生田淳一郎さんは書きました。  
>沖縄語での最高権威者である元東大教授の外間守善先生は、その著『沖縄の言葉と歴史』で、その 342頁に「ワ(豚)と、あと三つ四つの語彙以外は、全部日本語であ〜る」とおっしゃっておられます。

 [4924] で生田淳一郎さんは書きました。
>これは明らかに日本という国を挙げての失敗です。しかも東大トップが公然とやらかした失敗です。どうして斯様なウソが文明国ニッポンでまかり通ってきたのでしょう。小生の関心はここへ集中します。

[4932] Re[4931]: 教えてぇたぁ(香川弁 ; お教えあれ)   佐々木 2009/04/09(Thu) 09:30 [Reply]
 紋次郎さん

 元上官から「提督」表現はまずかろうと。。前にも修正しましたな。

 1385年(1392年説?)に琉球に渡ってきた黒豚(アグーまたはアーグ)と「ワ」がぶち(広島弁:ひじょうに、沢山)気になるところですね。

[4931] 教えてぇたぁ(香川弁 ; お教えあれ)   生田淳一郎 2009/04/09(Thu) 07:27 [Reply]
 エンちゃんはイッパシの沖縄語を修めた方だとお見受けしました。
 小生が先日書いた宮古島の「子供の遊び」ですが、
 ニックイ、ギッチョウ、ズグ−ル、クールンバ、キーバギズ、タキギ−ツ、ンギラッパ、カザマ−ラ、ワーガニについて その語源を教えてくれませんか。
 ついでに……あそびみたいな輪踊りのクイチャーも、
 あ、ギッチョウだけは、なんとか判ります。球と棒でやる草野球みたなのでしょう。

 「?wa(豚)」が佐賀県でも、そう言われていたらしいです。提督からの情報です。
 基本的には 台湾に散在する「Va……ヴァ」系だと思います。

[4930]  おおきに だんだん    生田淳一郎 2009/04/09(Thu) 07:08 [Reply]
 エンちゃん、いろいろとエンジョ交際、有り難うございます。

  《 デラ と ニカイ(いずれも深甚、たくさん)》
 たしかに「二拝」は一理ありますね。これシナ語でしょうか。
 小生の発想はネパール語抜きにはありえません。
 西洋言語学に毒された意識は、系統ということを、まず考えます。ところが日本語の周辺を見回しても系統の前提になっている「厖大な類似語彙」がないのです。朝鮮語とは類似語は 100しかありません。大野晋教授が提唱したタミル語とは 350語彙、レプチャ語、メンパ語は 200。フィリピン・タがログ語は辞書編纂がおくれたこともあって、小生は詳しくは知りませんが、おそらくは 300内外はあるみたい。アイヌ語とは 1000ぐらいでしょうか。
 ところがネパール語には 1300の類似語があります。ネパール語 / アイヌ語は 500あります。
 たまたま沖縄語には「厖大な類似語彙」があったので、それよそれそれと飛びついたのではなかったでしょうか? 「それよ、それそれ」と意識した底には沖縄語と日本語はちがうとの考えがあったからではないでしょうか。
 沖縄語はヤマトから厖大な借用語をうけているからこそ、語源意識もなく、発音面で大幅な崩れが見られると思うんです。

 これまで、まったくよそ見しなかった言語考究にあたって、「ちょっとよそ見をすれば、こんなに視野がひろがるよ」と、小生は一人でも多くの人に知らせる「一種の義務」があると思うんです。
 そりゃぁドシロートですから、多くの過ちを犯す。

 名古屋では「でら美味しい」などといい、大坂ではドエライ、岡山ではデーロウ(凄く)いいますだ。この基盤になってるのがネパール語の dheray(ひじょうに、沢山の)だと思います。
  dheray は日本語化するときには -ai 無しで入ってきました。
 そして、同ネパール語で同じ意味の nikay があり、これは dherai よか強い主張のときに用います。nik → nih(ai)でんねん。

 おおきにという場合の ni もネパール語の語末辞です。では「おおき」の“ ki ”とは?
 神奈備ドンから教えてもらったのですが日本土着語みたいな「オーオーオー」は拝みのことばだそうです。 ki はただの「大きい」の形容詞末尾辞ではなさそう。 kir(ものいう)ではなかってっしょうけぇ。
 あ、書き方とかで、あまりにもおぎゃうぎがわ〜るいときは神奈備ドンが削ってくはりま。
 てめぇの掲示板ではケッケムクリ(豊後弁 ; icc-iyo けんめい)やってま。
「だんだん」はネパール語 dhannebad(感謝)、ドイツ語 ; ダンケ!

[4929] Re[4928]: ニヘーデービル(沖縄語 ; ありがとう)   エンジ 2009/04/08(Wed) 11:55 [Reply]
[4928]で生田淳一郎さんは書きました。
>
 意味のうえから考えて、これは恩とか恵まれにしかならないように思えます。こういう de: とか、dai が日本語のどこかにあるかと問えば、……これは無い。
>すると、結論としては、 de: 〜 dai あたりが日本語にみつからないかぎりは、「ニヘデービルは日本語ではない」ということになりはしないだらうか。

前回も書いたとおり、生田さんが知らないから「日本語ではない」−「日本語とは関係がない」ー「ウソだ」という図式はいい加減にやめたらどうですか。
「ニヘデービル(ありがとう)」のニヘは「二拝」であろうし、「デービル」は「である」という述語で、いずれも日本語との関連を説明できる。自分で調べもしないで人を「嘘つき」呼ばわりしても、それは生田さん的にはオーケーというわけ? そこのところをはっきりしてください。

>※ 「メリット」とおっしゃるが、学問は目先の利害のためにやる紋じゃないとオレ惟ふヨ。

琉球松さんは「メリットがないからやめてね」とやんわりと諭したのに、それに食って掛かるとは(笑)
なにしろ「中傷」はいけません。どうしてもというなら、御自分の掲示板でやってください。

[4928] ニヘーデービル(沖縄語 ; ありがとう)   生田淳一郎 2009/04/08(Wed) 06:49 [Reply]
 まっつぁん、お教えニヘデービル。
 オレが沖縄に 85日入院してたとき、看護婦さんから注射うたれるとき、ついつい「ニヘデービル」を「憎い デヴィル(英語で悪魔)」と言っちゃたんです。
 血管注射をうつときは、かなりなベテランでも極度の緊張があるものらしいですナ。あとで、そのこと聴いて、からかいはやめました。

 ニヘデービルなどを初めてきいたヤマトンチュ−は「これ日本語じゃない」と思うと思う。
 だが、古事記だったかに「熊襲の梟雄にへさなり」とあるので、ニヘは日本語であった時代もあった……と、こうなる。ニヘサに“サ”が添えられているところをみると、これ八重山〜薩摩〜長崎〜津軽系に特有なので、このニヘサは、この地域からだと推理できます。
 「ビル」も日本語(?)の中にみられます。それは気仙沼地方の「……だべっちゃ」の ber と同一語幹だと見れるのです。すなわち「しゃべる・叙べる」の ber か。

 へば(津軽弁 ; では)、デービルの de: とはなにか?
 意味のうえから考えて、これは恩とか恵まれにしかならないように思えます。こういう de: とか、dai が日本語のどこかにあるかと問えば、……これは無い。
 ところが、うまく分析できなくて残念ですが、アイヌ語の有り難うに iyai rai ke re があるに気づかされます。この rai と 沖縄の re : は似ているし、また kerai は恵みです。

 すると、結論としては、 de: 〜 dai あたりが日本語にみつからないかぎりは、「ニヘデービルは日本語ではない」ということになりはしないだらうか。
 オレはこういう語彙を拾い集めていて、いま 130に達しています。
 目下の資料は『キジャハムニー』からで、喜如嘉(キジャハ)方面では「くーまく」はうそつくだそうです。語彙は発音ではなかなかに変化しませんが、慣用するうちに意味のほうから崩れてくるのが一般的傾向だと見受けられます。
 「いたずら坊主」であれば この mak は「セックスする → 一族」に還元できそう。
  すなわち 「ma-(南方系 ; 動詞形成語頭辞)・ ku(セックス)」で、マンコと同根。

※ 「メリット」とおっしゃるが、学問は目先の利害のためにやる紋じゃないとオレ惟ふヨ。
 このへんのギロンは、後日たちあげる『沖縄語・掲示板』でやらかしましょう。
 あ、ウンジュで、掲示板をたちあげてくれまへんかァ。
 いや、どなたか『沖縄語・掲示板』を張ってくれへんやろか。
 遠まき、高巻きの迂回の先に真の沖縄の佇まいが見えてきて、国というバケモノの正体が顕われる。それこそ沖縄のアイデンティティーだとオレおもいます。

[4927] Re[4925][4924]: 沖縄語観を軌道修正する 3    琉球松 2009/04/07(Tue) 10:16 [Reply]
 外間守善先生の考え方は妥当だと思います。
 琉球方言(奄美・沖縄・宮古・八重山)の十中八九は本土方言との繋がりありでしょうね。
 もちろん例外があるのはあたりまえですが、"沖縄語"と"日本語"を遠ざけても、あるいは外間教授を中傷しても何のメリットもありません。

 それと、生田淳一郎さんは沖縄ン人でもないようですね。「ウーマク」はウソを意味せず「ワンパク小僧」ほどの意味です(沖縄島中南部)。
 ついでですが「豚」は、より正確には「ゥワア(沖縄島中南部)」に近い音ですから、これはさすがに日本語に頼っても解けないのでしょう。

[4926]  うーまく(うそつく)    生田淳一郎 2009/04/07(Tue) 07:21 [Reply]
  エンジさん、貴重なエンジョ(anti)・テーゼ、有り難うございます。
 どこで覚えちがいをやらかしたか……、お陰さまで、小生も思い込みが強烈であることをおもいしらされました。
 目下、三つの掲示板たちあげの必要を感じていますが、小生はキカイ・オンチでして、なかなかに進展しません。
 その三つのうちの一つを『沖縄』にするつもりでいます。8月ごろまでには立上がることと見込めますので、よかったら、そこへお出でください。

 目下は下(↓)で「日本語ではない沖縄語」を次々と掲出しています。いま 130語彙を数えています。
 http://8705.teacup.com/monjirou/bbs?BD=3&CH=5&M=RF&e3b060dfcf07d93b190c50099d14f175=15798232573a2d3241e30e2b7bee64c2

 「うーまく」はきのふ書き出したばかりでした。

 フランス語は二つの土着語を下敷きにして、行政、軍事、哲学などの高級概念にはラテン語を用いています。
 それと同じ構造が、日本語と沖縄語のあいだで生じている……。これは沖縄の語彙をあたっていくうちに、小生が得た直感です。

[4925] Re[4924]: 沖縄語観を軌道修正する 3    エンジ 2009/04/06(Mon) 14:18 [Reply]
こんにちわ。

 [4922] で生田淳一郎さんは書きました。  
>沖縄語での最高権威者である元東大教授の外間守善先生は、その著『沖縄の言葉と歴史』で、その 342頁に「ワ(豚)と、あと三つ四つの語彙以外は、全部日本語であ〜る」とおっしゃっておられます。

これでは単なる「言いがかり」、もっと言えば「いわれのない誹謗、中傷」に当たります。
だいたい外間守善氏が東大教授になった事実はない。氏は琉球大学教授、その後は法政大学で長く教授を務め、現在は名誉教授。従って次の書き込みも事実に反する。
 [4924] で生田淳一郎さんは書きました。
>これは明らかに日本という国を挙げての失敗です。しかも東大トップが公然とやらかした失敗です。どうして斯様なウソが文明国ニッポンでまかり通ってきたのでしょう。小生の関心はここへ集中します。

生田さんは他人の説を公然と「ウソ」と断じ、しかもその根拠として挙げた上記の本の引用部分も勝手に改ざんしている。ここまでくると意図的な「個人攻撃」としか思えない。なぜこのような中傷をするのですか?
外間守善氏が唱える説に反論、またはそれを否定したいのならまず十分な根拠を提示すべきで、こんな誤りだらけの前提で「ウソ」とまで言い放つ(それもインターネットで)のは許しがたい態度です。

その生田さんのあげる「日本語ではない沖縄語」についても、生田さんが知らないから「日本語ではない」という。では生田さんは古今の日本語すべてを知っているんでしょうか。「ウソ」というのなら、それらが「日本語ではない」ことを証明してください。外国の言葉で似た単語があるといいますが、それがどのように日本に入ってきたのかを説明してください。

以上、生田さんの書き込みがあまりにも目に余るので、一言いわせてもらいました。

[4924] 沖縄語観を軌道修正する 3    生田淳一郎 2009/04/04(Sat) 16:23 [Reply]
 これは明らかに日本という国を挙げての失敗です。しかも東大トップが公然とやらかした失敗です。どうして斯様なウソが文明国ニッポンでまかり通ってきたのでしょう。小生の関心はここへ集中します。
 ここは今の小生に言わしめるなら、価値観の領域事です。すなわち、「下敷き……すなわち前提……にしているなにものかの優先順位が作用した結果だと思うんです。
 価値観について、小生はここ 30年間ほど睨みつけているのですが、始発からゆるぎ出た各種の概念が、言語で捕らえられていない領域を傍らに置ながら、生成流転したあげくに現代を迎えている……まではわかるのですが、ボンクラ頭では、それをよう纏めきれずにいますのや。
 しかし、ここは学問の諸形態という視線をもってくると、かなりの割り出しがでるのではないかと愚考します。
 各種の概念……といいました。
 その対象別に学問の在り方としての“各種”です。
 意識はくさむら(叢)のように集合体を形成しています。その集合体は固有のうんどう法則をもっていて 六種がみとめられます。肉(“1”)、情念(“2”)、集団形成(“3”)、宗教(“4”)、物理化学(5)、経済(“6”)の六種です。
 そして、どんなことでも実体を把握しようとしたら、五体をうごかしてこころの汗を流すことなく成就できるものではありません。
 それゆえ宗教なら宗教の領域へまみれこんで、そこに潜在し、底流している法則を「ことばで」見い出そうとするのが(各派の)学問となるわけです。
 これを言い換えれば、「 1 まみれ、2 まみれ、3 まみれ……6まみれ」で、それぞれ入って行った意識叢に汚染されたことばの連なりとなるのが本筋です。
 ところが「対象とすべき “2”」には視角が定まらないのです。この理脈は、昔のサムライたちが、毎日、殿様の「ご機嫌うかがい」をしていたことを思っていだたければ、お解りのとおりで、情念は観察の対象にはならないし、その反映としての“集積”にもならないのです。

 重要な視角がもうひとつあります。それは“3・4・5”はついさいきんまで(約200年前)一つの意識叢に納まっていたという事実です。……詳細は小生の掲示板『言葉と意識』で叙べます。その一つだった意識叢を小生は C(叡智) という記号で表現していますが、この世のことですので C の中核は暴力を真正面に打ち出す集団形成(“3”)でした。
 このへんは、今後、『言葉と意識』、『価値観』で錬りあげますので、みなしゃんの積極的参加とご指導を願い上げるしだいです。

 以上、ワキャワカランことを並べたかと思いますが、それは小生の表現べたのせいです。

[4923] 沖縄語観を軌道修正する 2    生田淳一郎 2009/04/04(Sat) 11:31 [Reply]
 語彙の考究は厖大な言語理論を下敷きにしていないことには、なり立ちません。その言語理論の基本中の基本は多言語を比較することです。
 外間守善先生の手法は他の言語をちっとも見ておられないことが特徴的です。「他の言語をちっとも見ないクセ」は、なにも外間守善先生だけのことではなく、ほかの言語を二つか三つ、考えのなかに入れようとする学者(?)はままいますが、マルチ対比をやる人物については、寡聞ながら、小生は「なかしべつ・すがわらさん」一人のほかは知りません。

 外間守善先生はちょっとよそ見をなされば、ニライカナイの nilay(冥想)やオモロ・サウシのオモロ(善い行い)がタガログ語にあることをお知りになったはずです。

 初歩のところ(他の言語をちっとも見ない)で過ったのですから、そこから展開される見識に正鵠はあろうはずもありません。
 よしんば、沖縄語が日本語の焼き写しだとしても、その日本語は無数といってよいほどの氏族語の寄りあつまりだったはずですので、やっぱ、途中でフクロウのように首を廻してよそ見をしないことには「東洋言語の本質的なもの」は把握できないと思います。


 そこで小生は、「日本語での解釈ではマシャクに合わない沖縄語」を、リストアップするを決心しました。いま福地曠昭様著の『キジャハムニー(ものいい)』パンフを中心に、一語々々分析しながら、その累計の数字を出しています。
 『キジャハムニー』パンフは 44ページありますが、今は 10ページにかかったところです。すでに外間守善先生がおっしゃった 4〜5語彙どころか、100を超えました。
 『キジャハムニー』からの採取が終わりしだい、次は佐々木提督が教えてくだすった『奄美方言』に移ります。
 きのふ、宮古島の有力郷土史家から会報のパンフがとどきました。そこに子供のあそびの種類として、ニックイ、ギッチョウ、ズグ−ル、クールンバ、キーバギズ、タキギ−ツ、ンギラッパ、カザマ−ラ、ワーガニの 9語を知りえました。このほか輪になって踊るクイチャーもありました。
 いまのままの趨勢でいくなら「日本語ではマシャクに合わない沖縄語」はゆうに 500は超え、
1000語彙に迫ることでしょう。 

[4922] 沖縄語観を軌道修正する 1    生田淳一郎 2009/04/04(Sat) 11:29 [Reply]
 沖縄語での最高権威者である元東大教授の外間守善先生は、その著『沖縄の言葉と歴史』で、その 342頁に「ワ(豚)と、あと三つ四つの語彙以外は、全部日本語であ〜る」とおっしゃっておられます。
 このことばを聴いたほとんどのウチナンチュ−は「えっ!?」と驚いたことと思います。
 小生が上のことを知ったのは足掛け 4年前でした。でも、このことについては、だぁれも反論しないまま、当時 85才でしたので、外間守善先生は現在 87才か 88才になっておられます。
 
 これに反論することは、ヂヂババをいじめることになる。
 われ、この悩みを抱きて煩悶。

 小生は そのとき(4年前)、外間守善先生に安里屋ユンタに世界中の太陽がみられること、その他を訴えました。
 安里屋ユンタは、みなしゃんよく御存知です。
 √・♪ マタハリ ヌ チンジャラ カミサマ ヨ ・♪ です
 マタハリはインドネシア語の太陽、nur はあちことで火炎、ティダは沖縄語と台湾アミ語で太陽、 ra: はエジプト語で太陽、hanur は朝鮮語で天空、shams はアラビヤ語の太陽(シャムは国名にも)……です。

 ところが外間守善先生は「そういう語りはシロート向きにはとても面白いのだが、学問とはいえない。ことばの領域には偶然の一致は、いくらもある現象です。偶然の一致はパソコンでも確認できるので、研鑽されるよう」という内容の一枚のハガキをくれたのでした。どこでどうすれば“科学”といえるのかなどの導きは皆無でした。

 いっぽう、小生は胸に溜っている価値観での説明を、もっと簡易に解りやすく述べる技術が不足していることに気付いていました。それもあって、一昨年秋にインタ・ネットに復帰したのでした。
 万象は○×の法則に支配されます。○○と思い始めれば○○に引き寄されれ、××だと思ってみると××が本当だと思うようになります。

 そこで小生は、沖縄語で「○×」の中間にあるみたいな「マンタ(魚のえい)は、沖縄語にとって借用か日本語か、どっちかを指し示してもらいたい」と申しいれたのですが、これについての回答はいまのところ戴いていません。
 魚(えい)、外套(マント)のマンタは英語にもあります。タガログ語では woolen blanket(毛布)です。これはあきらかにスペイン語かポルトガル語のイタズラです。料理用語のチャンプルーと同じレベルです。

[4921] Re[4920]: 桃太郎と浦島太郎  神奈備 2009/04/02(Thu) 09:54 [Reply]
 桃太郎は猿、雉、犬をお供に鬼退治をしますが、滝沢馬琴『燕石雑志』ではこれを申・酉・戌と見て、西の方に鬼ヶ島があったとしているそうです。(『桃太郎と邪馬台国』前田晴人著)

> 出雲の攻略には吉備勢力の力が大きかったのでしょうか。

 吉備津神社に伝わる鳴釜神事は鉄を想起させます。また血吸川とはカンナナガシを思わせます。やはり鉄です。真金吹く吉備の中山。
 出雲の斐伊川流域に吉備の武人は葬られたとされる古墳があったように記憶しています。蘇我氏が吉備と結んで出雲攻略を行ったのでしょう。

> 出雲と新羅の関係は古墳時代に入ってからとも考えられます。

 素盞嗚尊、大穴牟遅命、これらの上陸譚が出雲・石見に残っています。記録された時代でしょうから、古墳時代とのご指摘は妥当かと。

[4920] Re[4908][4907][4906][4905]: 桃太郎と浦島太郎  素人 2009/04/02(Thu) 00:13 [Reply]
神奈備様
遅れた書き込み済みません。
>  さて、佐々木さんがおっしゃる白髪ですが、桃太郎は百済系の温羅を退治しています。かれは新羅系の皇子だったのかも知れません。吉備の鉄文化、出雲とのつながり、これらは吉備と新羅との関係を示しています。
 金官伽耶の周辺にいた吉備の連中が半島にいられなくなった、高句麗の侵入の原因は新羅ですから新羅と関係の深かった出雲は鉄資源のこともあり、事あるごとに虐めたのでしょうか。出雲の攻略には吉備勢力の力が大きかったのでしょうか。
弥生時代末期ですと銅鏃は鳥取県で非常に多くて鉄鏃は無く、島根では銅鏃も鉄鏃も少なくて、黒曜石の石鏃が残っていたのではと思われ、鳥取県の方が進んでいたのではとも思われます。古くから新羅との関係が深ければもう少し金属鏃が多くてもいいのではと思われます。出雲と新羅の関係は古墳時代に入ってからとも考えられます。
青草でした。

[4919]  くにみ・くにかかす    生田淳一郎 2009/04/01(Wed) 08:55 [Reply]
 この日本で「くに」ということばが使われ始めたのは、白村江の敗戦以後ではないでしょうか。
 それまでは中大兄皇子とかナカツオミ → 中臣鎌足のように、「くに」はネパール語発の nak(場所・地域)の開音(母音づけ)化した naka を用いていました。ふつうの地図をみても、インドのパンジャブ地方にナカがつく地名があることを確認できます。中村さんは、その土地の mul(おさ)です。
 「くに」はシナ語、朝鮮語の kok , kuk の音をうつした ne(土地)でしょう。

 くにみは始源的には「くに神」だったのではないでしょうか。それが「わが先祖はあの山にアモッた」との意識から、各地のオサが山頂に登ったのでは? 「 mi = 神」はアイヌの始祖神のオキクルミにもみられます。
 
 「くに」がシナ、朝鮮発……。小生はかなり前から秦氏の有力武将に「かく」さんがいたことに注目してきました。応神〜秦氏の通過点みたいな福岡県行橋市の西奥の津野谷(香春岳南)に「かく(加来)」さんがいます。しかし、これは結論から先にいえば、ワカリマシェ〜ン。
 Kak を南方に求めれば、まず叔父叔母、兄姉(日本列島では“姉、姐”がつよい)、足(あがく)が出ます。
  5〜6年前、アラハバキの詮索のとき 、ここ神奈備で xaxa(母・へび)がでました。
 いまんとこ、一番の有力候補は、この“へび(土地の護り神)”ですが、愚生の胸の中では、まだ断定とまでは行かないところです。
 カカス末尾のスは鳥栖や國樔に使われている“巣”でしょう。さまざまな人びとの集合している場所。あんがい カァカァ鴉(kag)の巣だったかも。ガハハ。

 あ、小生はヤマの語源に関して「人びとの集り」に固執したようです。√ i ○○ V の造語法をあて嵌めると「 i -天(アマ)」へ還元できますので、ネパール語の yamat、アラビヤ語 ya bal(山)と関連を持ちながらも日本固有(?)の領域が展開していますので、ここに謹んで大幅訂正です。



● 下の小生の書き込み[4914}で迷惑を受けたと思っている方には「おとしまえ」をつけたいと思います。
 今の Eメールは盗み見されていると看たほうがいいようですので、下記住所へ手紙で金額をお報せください。
 ただし、10万円以下で、万円単位にしてください。
 336 0015 さいたま市太田窪 4ー4ー3 生田淳一郎 


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