青草掲示板ログ平二十三年 四月〜六月 2011.4〜6 |
[6035] 離間の策・・・ 国の本性 生田淳一郎 | 2011/06/21(Tue) 11:51 [Reply] |
日本には、仏教と神道の、大きな二つの国教があったといえましょう。ここでいう国教とは朝鮮の朱子学みたいなことを脇基準においています。国教ということばが硬すぎるなら、概念には巾がありますので、「日本人なら判断や実効に際して執るべき準拠基準」と言いなおしてもいいでしょう。 小生がここで問題にしたいのは「平和時においての国とはナニモノなんだ」ということです。 「くに」は、最初は今でいう郡ほどの小さな地域でのひろがりだったと見込めます。ポリス国家のポリスとか、藩、ドイツのライヒなどは、通婚・通商がくりかえされた末に、似たようなものとなり、これらは次から次に併呑されて行って、果ては人相・風習・言語が大巾にちがっている異郷土と接するようになっている……のが、現代の国でしょう。 シナの歴史を見ますに、春秋から戦国時代に移ったとき、六つの国が覇を競い、そのいちばん西にあった秦国が、東にあった五ヶ国を次々と攻めおとして、中原を制覇したことで史上はじめて統一国家を出現させたそうです。 この秦は建国 15年で、きわめて短期間に壊滅し、ふたたび戦乱のあと劉邦が勝ち抜き、(前)漢王朝を建てます。 小生がことのほか目を注ぐのは、秦がつぶれた原因です。 秦が短期間で潰れた原因は、ふつう、万里の長城や運河の掘削に人民を過酷に狩り出したことにあるといわれています。が、それもありましょうが、小生はこのほどまったく別の理由をみつけた思いをしています。そして、そこにこそ、国というものの本性を見た思いがしています。 秦が 広域の中原を制覇したとき、殺された王もいましたが、多くは社禝を継ぐ関係からか、そのままいのちを保証されました。流れ者の劉邦もどこかのいっぱしの伝統ある社禝を継いで、いっぱしの男としての評価を獲得したのでした。 そこで、旧王様どうしでこんな会話があったのだろうと推測されます。 「こんなこと(秦に負けたこと)になるんだったら、あなたとわたしが力をあわせれば。秦には負けなかったろうに」 「いや、なにをおっしゃる。あなたはあのとき斯様々々のことをおっしゃったではありませんか」。 「ゲッ! そんなことありませんよ。誰からそんなことをお聴きになったのですか?」 こにへんのことをよくよく調べてゆくと、結局、それは五国とも、秦が放った間諜(スパイ)による「離間の策」にひっかかっていたことに気がついたのでした。各国の枢要はワイロを握らせられていたのです。 |
[6034] Re[6033]: 流星光底・・・か 生田淳一郎 | 2011/06/18(Sat) 13:15 [Reply] |
からだを拭くタオルは経験によればまっさらの新しいのが効果的です。 そこで日本じゅうの県庁市役所や大企業の職員組合が「十枚なんぼのタオル」を格安価格で職場斡旋するのがいいと思いたちました。小生はこんなしごとで 46年間メシを食ってきたんです。 ところが、これを遂行するにはタオル業者を指定してあげる必要があるのです。その指定にいたるまでには交渉が要ります。頭があがらない身分では、その交渉ができないんであります。 どんどん熱暑の 7月が近づいてきます。 そこで思いついたのが、自腹きってもコマーシャルの形で、この避暑対策のことを世にひろめようか……でした。 テレビでは最低 20万円みたいなことを耳にしたことがあります。 ところが、実際に問い合わせてみると 40萬〜 50万円。しかも関東いちえんに限られるという。……ムムッ! へば(津軽弁)、新聞広告ならどなんべえと思って問い合わせてみたところ、むかしの宣伝マッチのスペースが全国版で 200万円。ムムム・ムムムッ !! 考えてみたら、「このさき日本はどうなるのか」を心配する段階は とうに過ぎ去っているんです。 神風特別攻撃隊のみ柱各位には、合わせる顔はないが、すでに日本は亡国状態です。 ここまでバカにされ、踏みにじられて、一級身体障害者が自腹きらねばならんのだろうか、と腹のムシがさわぐ。 ● 沖縄返還うんどうが盛り上がったとき、労働組合がちっとも動こうともしないので、小生は瀬戸市でスーサーを造らせ、これを労働組合に職場斡旋させたこともあります。 ● 「この避暑対策は、わたしが発見した」というのが宜しくないとも思い始めました。「オレが発見したのだ」といえば、世のコドモ共は「学者でもないクセに、なまいきだ」との反応しかしないんです。 ベトナムの少数紋族につたわったいた導引の秘法・・・と、ウソつこうかナx ♫♡ だれか ウマい ウソのつける あいつ 探すの〜よ ♫♡ |
[6033] 流星光底・・・か 生田淳一郎 | 2011/06/17(Fri) 11:24 [Reply] |
沖縄にはマフッカという言葉があります。意味は夏のいちばん暑いひるさがりの時間帯のことです。 このマフッカをサワヤカァ〜にすごす方法があります。それは午前中のうちに熱い綿タオルで上半身を拭いておくことです。このことは、猛烈に熱かった去年、みなしゃんにおしらせしましたので、記憶のある方もいらっしゃるはずです。 この方法は、こころある人びとによって実践していただけるなら、東北震災による電力不足も難なく乗り切れるのではないかと愚考して、小生は NHK はじめ通商産業省や大型企業に訴えたのですが、豈はからんや、反応は全くのゼロだったんです。 朝のうち身体を拭けば、クーラーなど焚かなくっても快適に酷暑の時間帯をすごせるのです。 この提案のどこに不審な点がありましょうか。ナニかおかしい……が判ったのが 5月の 27日ごろでした.。 たしかに、大組織では、一般庶民から寄せられるいろいろな提案に、いちいち対応できない面もあるでしょう。だが、こと電力については、いまは日本の浮沈を賭けたきわどい時間帯のはずです。どんな節電方法でも鵜の目鷹の目で探さねばならないときでしょう。 去年、池田大作が北鮮系のおとこであることを知って以来、小生も戦後 65年間、あまったれの国際感覚しかもっていないことを思い知らされました。 なぜ、大官庁・大企業にすなおな意見が通じないのかについては、やっぱ、その大組織の要所々々には北鮮や韓国(統一協会?)の工作員が入り込んでいて情報とその対応をガンジガラメに牛耳っているのだナ、と思うに至りました。 それならば、どうしようかと思った矢先の 5月末、大幅な体調の落ち込みという事態を迎えたのでした。 背すじやあたまをタテにできないのです。無理すればできないわけではありませんが、神経に障ります。 √ ♫♡ 若者よ からだをきたえておけ 美しいこころが 逞しいからだに からくも 支えられる 日がいつかは来る その日のために からだを きたえておけ 若者よ ♫♡ マフッカのマは「真」、フッカはネパール語の pukhar(熱)。守善さんはもうすこし他所見をすべきだ。 |
[6032] あかいすずめ 生田淳一郎 | 2011/06/16(Thu) 19:19 [Reply] |
ここんとこ数回にわたる小生の書き込みは「どうして南が赤なんだろう」との疑問から、周辺を経巡ったものでした。 途中、すずめが出てきましたが、これはダイジなことを強調するのを忘れたからでした。記述がへたですみません。 こうなんです。すなわち、クジャクが毒へびを好んで食べる。・・・→ 空想で膨らんだガルーダが竜を食べるにいたった。そこへ孔雀にはすずめが入ってる……。 このへんで小生はクジャクの ku が「深紅」の ku であることを挙げるべきだったんですが、それを「グレン(紅蓮)」へとすり換えたんです。アタマわ〜るくてスンマッシェン。 朱雀(大路)とはクジャク(大路)の言い換えにちがいないのですが、決めてのアッパー・カットがないんです。 でも、これくらいボディ・ブローを食らわせておけば、そのうちテキもひっくり返って正体をあらわすことでしょう。 一匹々々をみれば、平和でかわいい雀ですが、これら一匹々々は百戦錬磨の英雄だと評価されたのではなかったか…? 秦始皇帝の墳墓に居並ぶ兵馬俑の一つひとつにはそういう思いがこめられているのではないでしょうか。 ● でも,笹に雀の家紋の意味は、これで不動のものとなったみたいですね。 ● 魏王朝をうちたてた曹操は詩をよくし、たぶんにロマンチストだったそうです。 「朱雀」の云いだしっぺは曹操だそうです。そのいわれは焼き物の赤い雀の像が出土したそうで……。 やっぱ、だれかうまいウソのつけるアイツが探しだされて、埋めさせられたんでしょう。 日本では川で投網を打ってる漁師がウソツキじょうずなんでしょうか。 浅草観音、飯田市の元善光寺では仏像が投網にひっかかって陸揚げされました。 それにつけても、東北の考古学。原子炉事故とおなじように、あと数百年、汚泥は取り除けないでしょう。 |
[6031] 耳神 生田淳一郎 | 2011/06/14(Tue) 17:35 [Reply] |
小生のこれまでの記述をたんねんに辿ってくださったり、ネパール語辞書をお持ちのかたには saragi は「うごきまわる神」だけではなく、へび神とか世話神というふうにも分析・解釈できることで反論されることも期待できます。 古代のことですから、仏をサラギと読ませた張本も、「へび神」、世話神」も内包・掛け言葉にしていたことでせふ。そしてさらに、サラギには「ホトケさま = 大耳」も掛け言葉されていたことがいえるかと思うんです。 このへんで アイヌ語の kisaske(さむけする)と kisara(耳)を蹴っ飛ばす必要がありましょう。 kisaske(さむけする)の末尾の ske は「する」ですので、 kis が「寒気」で、これがそのままみたいな形での日本語は二月のキサラギです( ra は・・…の)。そしてこの *kis は「戸がキシむ」などというときの「摩擦」に還元できます。寒いときに思わず肩や上腕をこすることから慣用されてことばになったかとおもわれます。 耳という語は ka , kan の語形と *kan-jur の二つの語形に要約されるようです。そこで小生は暴論承知で、アイヌ語の耳は ki といった部族と、 sar といった二つの部族語が合体してできた語彙だと断じました。 sar は耳です。sara は開音の語形。 で、「大サラギ」は、大きい耳の形の意味でもあります。これまで神名や貴族の名前に耳が使われていて、メン食らいましたが、異国の神、ホトケ様の謂いだったわけです。「異国から来たんだぞ」を問わず語りにしゃべっているんです。 そういういろいろな掛け言葉をはね除けても、やっぱ「うごきまわる神」という解釈がほしいのです。 ナガスネひこにも「 ki (土地)から ki へとびまわる」という意味が内包されていました。 そこで大きく本論に立返りますと、すずめのササギの語源にはまだ触れてなかったことに思い至ります。 結論は「笹の agi(子供)」で、agi は朝鮮語に残っていました。笹の語源は √ わが宿の いささむら竹・・・の「イ・ササ」で、ササは擬音擬態語から出た語でしょう。 ムラは アイヌ語 mun(草)と同根かとおもわれます。 / アイヌ語 mun-pe(露)、mun-ra(草の葉)は mur-pe 、mur-ra に還元できて、 *mur のほうが古形をとどめているといえましょう。 入鹿さん、ようこそ!! 超ご多忙のようですね。ぼつぼつ書いてくださいな。 |
[6030] 借用語三題 入鹿魚 [Url] | 2011/06/14(Tue) 07:24 [Reply] |
なかなか時間が取れず、言いっ放しになってしまったこと、お詫び申しあげます!! 月宿の話を予備知識から展開するわけにもいきませんので、体系的な話ではなく、 まず断片的な話を少しだけ書いてみます。私が調べているのは、一般語彙ではなく、 記紀の中に現れている言葉です。翻字方式については、当方のブログをご覧下さい。 1)古事記の「佐和良臣」 >次平群都久宿禰者、【平群臣・佐和良臣・馬御樴連等祖也。】 >次木角宿禰者、【木臣・都奴臣・坂本臣之祖。】 (※古事記・孝元天皇条より) 先ず確認すれば、「木臣・都奴臣」という並列は、「木角宿禰」の「木角」という名前の二つの要素に、 そのまま対応しています。「木角」の「木」に「木臣」は対応し、「木角」の「角」に「都奴臣」は対応する。 即ち「都奴」(ツノ乃至ツヌ)は「角」の訓です。もし「都奴」が倭語ならば、これを一般に倭訓と言います。 こういう例から言うと、これと同様に、その直前の「平群臣・佐和良臣」という並列に関しても、 「平群都久」の「平群」に「平群臣」が対応し、「平群都久」の「都久」に「佐和良臣」が対応する、 という可能性は有ります。この「有ります」という意味は、可能性を否定することはできないの意。 ここで日本書紀を見てみると、「木菟宿禰。是平群臣之始祖也」(仁徳元年条)とあるので、 古事記の「都久」という音形の語は、「木菟」(鳥の一種)の訓と理解されます。実際のところ、 この理解は理解で問題ありませんが、今一度、古事記の本文だけを、だけを、よく見て下さい。 「平群都久宿禰者、平群臣・佐和良臣・馬御樴連等祖也」という文字列を幾ら読んでも、 「都久」(音仮名表記)が鳥の名称であることは見えてきません。第一、古事記の中には、 鳥の種類として、「鴈」や「雀」や「雉」などは出てきても、「木菟」(ミミヅク)は出てきません。 古事記の中にある「都久」という音形の言葉と言えば、「付く」や「突く」といった動詞、 あとは言わずと知れた「月読命」の「月」(ツク)でしょう。ところが、景行記の「月経」は、 「サハリ」と訓まれる。「見其月経」は「そのサハリヲミテ」(平仮名は乙類)と訓まれます。 現代語で「月経」を「月のもの」と表現したりしますが、「月」を意味するシリア語は「SHRA」です。(※Semiticに共通の語) この「SHRA」に「障り」を掛けて「サハリ」と訓んでいる。そのように理解するのが良いと思います。 なぜならば、「障り」という語は、別に「月経」そのものを意味するわけではないからです(差し支え)。 となると、「平群都久宿禰」の「都久」は「月」の意。「佐和良」は「SHRA」(月を意味する)の音写。 そう考えるのが筋です。「美和之大物主」の「美和」の傍訓は、いずれの写本も「ミハ」となっている。 「SHRA」(safara)が音仮名表記で「佐和良」に作られたとして、これは、全く何の問題もありません。 #以上に鑑みれば、「平群都久」の「平群」に「平群臣」が対応し、 #「平群都久」の「都久」(月)に「佐和良(SHRA)臣」が対応する。 #そういう理解で宜しいのではないでしょうか。まず一つの例です。 * * * 2)日本書紀の「大己貴」(巻一・第八段一書第二)の「己」(アナ) 「オホアナムチ」の「アナ」に「己」を充てたわけだが、日本語で自分のことを、 「アナ」とは言いません(昔も今も)。現在の国語学では、この「アナ」に関して、 「おの」(オ列乙類音)の母音交替による意義分化、と無理やり捉えていますが、 シリア語では自分のことを「ANA」(アナ)と言います。「アナ」という音形に対して、 「己」を充てるのは、極めて単純な借訓表記ということになるでしょう…但し、ここで、 「己」を「ANA」(アナ)と訓むのはJapanese readingではなくて、Semitic Readingです。 * * * 3)日本書紀の「天叢雲剣」(巻一・第八段正文中の細注)の「叢」(ムラ) 漢字の「叢」の字義は、大雑把に言えば、草木が密集して多く生える意から、 沢山のものが集まるという意味です。類聚名義抄を見ると、「叢」字の倭訓は、 「アツマル」と「クサムラ」のみ。「ムラ」・「ムラガル」に訓まれる幾つもの字種に、 この「叢」字は実は含まれません。此れは、不思議と言えば、不思議なことです。 いずれにせよ、下二段動詞の「ムル」や四段動詞の「ムラガル」は、 形状言の「ムラ」から派生したと考えられています。今日は一般的な 「ムレ」(群れ)という名詞は上代語には存在せず、形状言の「ムラ」は、 「牟良鳥」、「家牟良」、「群鳥」、「村山」というように複合語を形成します。(※「叢雲」も同じカテゴリー) 然るに、動詞「MLA」の派生語の「MLWA」は、「fulness」とか、 「abundance」とか、「sum」の意味です。もともと「叢雲」の意味は、 全体に青空が広がる中にポツンと雲塊が有るという状態ではない。 寧ろ空が雲で埋め尽くされてしまうほど、雲が折り重なっている状態… …とするならば、「叢」を「ムラ」と訓ずる、言うところの古訓は、 また、上代語に見られる「ムラ」(集まりを意味)という形状言は、 シリア語(Semiticの一つ)の「MLWA」なり梵語の「mūla」なりを、(※梵語の「mūla」にも同様の意味あり) 借用語として取り込んで、これが、倭語として定着したものでしょう。 #とりあえず、三つ例を挙げてみました。 #論述の精度などに問題があれば、色々、 #ご指摘いただければ大変ありがたいです。 #但し、今すぐにはコメントが不可能ですので、 #その点は何卒ご了承くださいませ…ではでは!! |
[6029] Re[6028][6026][6025][6024][6023][6022][6021][6020][6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 生田淳一郎 | 2011/06/13(Mon) 19:07 [Reply] |
アイヌ語の鳥は英語の chirp と同根の chir-i です。すずめは amam chiri です。この amam は日本語の「おまんま」に似ているというので、「ごはん粒・鳥」と考えられがちです。舌きり雀の噺などでは、モロにごはん粒を連想します。 すずめのお宿は竹林の中。 すずめが宿にする竹は、背だけの高い竹ですが、もっと低い背丈の笹には、何年か一度の割りで実がなります。 ハナシ・ポーン。武家屋敷を中心にして区割りされたお江戸はにはマッチ(ネパール語 ; 粘度)山があったので、瓦屋根が行き届き、すずめが大すきな軒端がいっぱいできました。そして江戸庶民もおまんまを食べたので、すずめが爆発的に増えたことも考えられます。 勝海舟が42歳ごろだったと見込こめますが、駒込から白山町にかけて、どこから現れるのか、まいにち数十万羽のすずめが、空を暗くしてチチチ・ジュジュジュと鳴きさわぎながら、数十数百の群が上になり下になって大空中戦を展開するんだそうです。蹴られたかつっつかれたか、すーーつ、すーーっと堕ちてきて絶命するのも無数にいたそうです。 このすずめの大空中戦はお江戸だけでの現象ではないと思います。 山岡荘八さんでしたか、木村重成に「人間社会には戦争はつきものだ」といわせていました。 竹とその実の産物であるすずめは、太古のむかしから、このような大空中戦をくりひろげてきたのではないでしょうか。 おもにシナで蓄積されたことかと想いますが、数万 〜 数十万の男たちが殺し合うのを経験した者が、すずめの大空中戦を見たら、そこには人智の伺い知れぬ天意を感受い共有したことでしょう。 そして天意はすずめだけではなく「鳥一般」が神意を体得していたのです。 「白髪三千丈」などというオーバーな表現はなにもシナ人だけの専売特許ではありません。空想の鳥ガルーダの食べものはついに竜だとなりました。 それからっというものはもう、空想が空想を招き、お偉ァ〜いクソぢぢぃも酒のんでしゃしゃり出てきて、やれツバメはなぁ、やれウグイスはなぁとしゃべりまくりました。・・・・・これも空想。 このへんで又、逃げましよう。 ですが、おもしろい符丁をみつけました。 人の名前につかう和訓は何と発音しても良いそうですが、仏をサラギと読ませているのです。これは「移動する神」だと思われます。ちょっとむかしの艮(ウシトラ)神で、岡山県の金光教です。移動する大神に、更なる大神が乗っかる……。ここに大乗仏教みたいなものを感じませんか? 禁酒半月め |
[6028] Re[6026][6025][6024][6023][6022][6021][6020][6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 生田淳一郎 | 2011/06/10(Fri) 15:41 [Reply] |
> ★明松(かがり)さんという方に面会しました。 旬ということばがありますので 十日がんばってみましたが、まだインチキスタイルでキー打ちしています。 仏和辞典、けふ発注しました。K 、 S 、C の区別がむずかしいので、ご指導のほどアマカネ。 いまんとこ「輝き」と「手足ばたばた」の両方を意味する *kak 、Kag がめぐまれています。 これが開音して Kaka 、Kag となり、これに動詞形成子の「す」 or 「る」がついた語形として 「かかす」、「かがる」がでてきているかと思いおりますが、いかがさんにござんしょう。 「かがす」も「かがる」も「頭に生じるイメージに沿って手足をバタバタさせる(編みあげてゆく)」と「灯をかかげる」の両方の意味が出るもんでしょうか。 考えすぎかもしれませんが カギロヒ を分析してみましたので、まあ、聴いて・・・うんにゃ見てください。 kag(ひかり) e(そこで……再起的包合) gir(輝く) au(する) hi(事柄)。 「kag ギロ ・オウ ・イ」からの音転とみるわけですが、この ギロは印欧粗語にもあります。しかもこれが、おへまの里でも「雪がぎろぎろ光る」などといいます。 「かかす」も「篝火のかがる」も、ほんとうは、東南アジアの少数民族語をぜんぶ当たらねばならないところです。 しかしもう余生があんましあっもはん。ギロギロが世界ひろしと分布してることで、シロートの詮索はこのへんで aphi(ネパール語 ; 許すこと)ra〜(ネパール語で強調接尾辞)。 ● kag の類似発音で 矢作川の hag-u がありますよね。 お百姓さんの田子作の sak もネパール語にあります。 ● ズボンにタバコの火を落としたとき、そのへんのオバンに頼んだら、じょうずにカケハギをやります。 あ、、10日間禁煙しました。 |
[6027] 豊中歴史同好会 神奈備 | 2011/06/09(Thu) 21:37 [Reply] |
2011 6 11 14〜16時 NPO法人国際文化財研究センター副理事長兼所長藤田憲司氏 考古学から見た4・5世紀のヤマト政権と高句麗 豊中市立蛍池公民館5階公民館集会場 http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/ |
[6026] Re[6025][6024][6023][6022][6021][6020][6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 佐々木 | 2011/06/04(Sat) 22:27 [Reply] |
御身お大切に。 こちら5月31日に水害に相候。いまだ復旧途上にて候。 ばんばんじーとは棒でバンバン叩くからバンバンジーだったとは驚きでした。 ★明松(かがり)さんという方に面会しました。 |
[6025] Re[6024][6023][6022][6021][6020][6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 生田淳一郎 | 2011/06/03(Fri) 16:57 [Reply] |
無断欠勤 事後報告 白血球 9800 39.8℃ 四日まえ切開 jke Seau 今。インチキスタイルでキーたたいてま。 雀は大空中立闘をやります。 また。 |
[6024] Re[6023][6022][6021][6020][6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 佐々木 | 2011/05/31(Tue) 10:08 [Reply] |
> 竹(神……笹)にすずめ。 竹にすずめは「すずめ医者」のこと。やぶに飛んでいこうという医者。ほか「たけのこ医者」:これからやぶになろうという医者。 朱雀・・・su-suk とすると、孔雀・・・羽を広げると目玉がいっぱい。 これらは仏教道教儒学が絡むとちんぷんかんぷん。しかしサクラも明るい景色ですね。sukには明るい意味合いがあるのかな。牢では違っていたが。 |
[6023] Re[6022][6021][6020][6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 生田淳一郎 | 2011/05/31(Tue) 08:47 [Reply] |
> 必要とされる情報は持ち合わせていません。申し訳けねっす。 古代の色では夜明けは青、昼間は赤(明るい)、日の入りは白でしたか。 ● 佐々木さんに訊いてもわからんことがあるんですね。でも ちゃんと答えていらっしゃる。 なぜ南が赤(朱)なのか……ですが、こんなのはどうでっしゃろ。 出雲のソノ浜を「ツヲイネムオイネ」式に分析した朝鮮半島の学者さんを見ならって、ひと晩考えました。 とっつきは「ぐれんの炎」でした。辞書ひいたら、グは「紅」、グレンのレンは蓮と書いてありました。 不動明王のバックを彩っている炎は、さきにだしたガルラという怪鳥が吐き出すんですってェ↗ 根室市ちかくに風蓮湖があります。hure はアイヌ語で赤。でもグレンに似ていますよ。 すると、ここで赤の古音の *Xu(赤)がでる。この Xu が暴れると フにもグにもなる。 ガ と *Xu の音の差の埋め合わせはついていないが、これはちょと置いといて……。 ところで、毒蛇を好んでたべる「孔雀」という文字の中に、なぜすずめがはいっているんでしょう。 魏の朱雀台の朱雀は、へんな(土中から出た)ことでいわくがついています。 「くじゃく」の「じゃく」はシナ語でしょう。 孔雀とは「赤・ずずめ」ならまし。 へば(津軽弁)、すずめに如何なる怨霊がこもっているのでせふか。 雀は「ささぎ」とも言った。 佐々木さんの出番のようです。 新潟県に「ツバメ市」がある。ペルシャ語系の entyu:(人)だと思えます。雀市があってもおかしくはない。 伊達の家紋 ; 竹(神……笹)にすずめ(sasak・・・支配者)。 ぐっしゃぐしゃに入り込んでいる…だけは感じます。あらゆる物( =精神性)を駆使して生き残りを計ってる。 このへんで逃げましょう。 辞書、あり難うございます。まさに手取り足取り、あり難うございます。 |
[6022] Re[6021][6020][6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 佐々木 | 2011/05/30(Mon) 21:15 [Reply] |
>どうして南が “ 朱 ” なんでしょうか? 生田さんが必要とされる情報は持ち合わせていません。申し訳けねっす。 古代の色では夜明けは青、昼間は赤(明るい)、日の入りは白でしたか。 なおフランス語で南はsud、鳥はoiseau(オイソー)。 ラテン語では南はAustralis。 ※クラウン仏和辞典第3版は下記古書店で500円。島根県です。 http://www.eco-college.com/ |
[6021] Re[6020][6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 生田淳一郎 | 2011/05/30(Mon) 16:19 [Reply] |
> フランス語は辞書(多田道太郎編「クラウン仏和辞典」三省堂)を参照しています。辞書は昭和の版が、オブラードに被覆されていないので扱いよいかも。 ● あり難うございます。さすがレッキ・リッパですね。 それってピンク色の表紙でしょう? わて、60年前 古本屋に売ってそれで酒のんだ記憶があります。 > 原産地(メキシコ湾周辺諸島)では、batatasと呼んでいたらしい。 ● わてがみたのは『コンチキ号漂流記』でした。子供むきの本ですが「ハイエルダール著、○Xさん訳」となっていますので、いちおう信用できるでしょう。一つの国語に二つ以上の呼び方があるのは自然です。 雑学の成果の一つです。 「くじゃく」は蛇・・・それも毒蛇を好んでたべて、本人はケロッとしているそうですね。 鳥崇拝はこれでイッキに盛り上がったことでしょう。 ところで佐々木さん、どうして南が “ 朱 ” なんでしょうか? お教えください。 |
[6020] Re[6019][6018][6017][6016][6015]: か か す 佐々木 | 2011/05/30(Mon) 10:15 [Reply] |
★フランス語は辞書(多田道太郎編「クラウン仏和辞典」三省堂)を参照しています。辞書は昭和の版が、オブラードに被覆されていないので扱いよいかも。 ★サツマイモ:学名Ipomoea batatas 原産地(メキシコ湾周辺諸島)では、batatasと呼んでいたらしい。 cfジャガイモ:学名Solanum tuberosum L ★ホトと風、岩の隙間は涼風の産地でした。最初にホトという発音を聞いたとき、ある人はホト=岩と思い、またある人は風と思い。 |
[6019] Re[6018][6017][6016][6015]: か か す 生田淳一郎 | 2011/05/30(Mon) 08:55 [Reply] |
> マオリ語にはクマラ(kumara):さつまいもがありやす。 ● さつまいものクマラも、広く分布しているらしいですね。 ペルーの古代インディアンが「ト(唐)イモ」をクマラと呼んだことはたしからしい。 でも、さつまいもは原産地がメキシコ……は、生物学的真理ではなかったでしょうか? そうすると、この唐芋が南方に普及したのはマゼランなどに代表される大航海時代の後だったらいいのですが……。 ところがドッコイ、ピリピノ語には balsa(筏)もあるのです。小学生の細工むき木材(教材)にバルサもあります。 ハイエルダールさんたちの「西への冒険」は、いまのところ失敗だったと評価されていますが、青草としては大の字をつけて大成功だったと讃えたいもんです。 いや、わざわざ冒険なんざ、しなくってもよかったんです。ことばにチャンと記録されている “ 事実 ” だったんです。 クマラの語源ですが、インドの少年少女神のクマル、クマリの場合は、ヒキツケが入っているので、唐芋クマラ語頭の ku とは、少し内意もちがっていることを直感します。でも、両者とも「ku (良い)」であり、唐イモは「良いもの」、少年少女神のクマリ、クマラは「良い、ひと」へと還元できるのではないでしょうか。 mar は日本語の「前」のように、族際的には「モノ、物」です。また mar は「男」でもあります。 関連する語形として、batara(男神) , batari(女神)は参考になるかと思います。 *kumar が kumara と開音し、女神をつくるときに末尾辞 --i を加えたわけです。 / ピリピノ語 bathala(男神)。 なお、神奈備掲示板 10742 前後で、ヒキツケ関連の表現は大幅に免罪符をえています。 「ホト」と聞いたら女陰しか思い浮かばない頭脳ではとうぜんの成りゆきでんす。ホトには神や風も在りやしょう。 基本は xo(秀)to(処)。蒙古でもホト(女陰)といいますだ。 フランス語の site を教えていただけないでしょうか。丸山圭三郎さんの著書を読んでいるのですが、フランス語だらけで、理解が滞っていあます。 |
[6018] Re[6017][6016][6015]: か か す 佐々木 | 2011/05/29(Sun) 10:39 [Reply] |
生田さん 魂魄のおたけび拝受しました。 マオリ語は、アイヌ語や琉球語と比較すべきなのでしょう。 なおマオリ語にはクマラ(kumara):さつまいもがありやす。 マオリ族では、さつまいもは神が司る食物だった。日本ならイネ。日本ならお稲荷さんかな。マオリ語でイネで神やら姉が見えそうな気配であるが。 ちなみにフランス語にはcacaがあります。ばっちいです。 |
[6017] Re[6016][6015]: か か す 生田淳一郎 | 2011/05/29(Sun) 09:22 [Reply] |
佐々木さん、 背後霊、指導霊の有り難さ。 ここの板、おればかり記入しているようになったので、ちょっとあそびにでかけました。 転んでもタダじゃ起きぬのが淳ちゃんのしんしょうだとか。雑学で 20冊ほど本をよみました・・・・・ら、それなりの成果があったみたいです。 いずれにせよ日前(ひ、もの)、国カカスは、そのときになってあわてて名前を考えてつけた跡が伺えるようです。 ★ kaka は世界規模でいうと、姉、姐さん / アイヌ語 kakapo(姐)。場所によっては叔父ににもなってま。 かどわかされたか……。あるコタンの夕暮れ、どこへ行ったか kakapo(姐さん)が戻ってこない。 その晩からふくろうがやってきて、ポー ポーと鳴き始めた。 どうですイ? 霊魂概念のめざめ。こういう事件が世界のあちこちで勃発したと、信じます。 でも、ka は鳥でもあります。さきにアイヌ語の ka piw(かもめ)をみたように、「ピユーと鳴く鳥」とおなじ造語 かもしれませんね。 でも、ふくろうをなんというかを、ズラリ並べてみると、じつにおもしろいですね! また、なんべんやっても新鮮です。 昭和 30年ごろのことだと想えますが、北海道京極町であそんんでいた少年たちの耳に、底じれぬ不気味な音が響いてきたのでした。「オバケだ」とだれかが叫んだのでパニックになったそうですが、その音の主はふくろうだったことが判った。 そのことを、ある人物が「ふだん記・津軽」に書いていました。 ふくろう、みみずく、このはずくの類いは、季節により、時刻により、いろいろな鳴きかたをするもんらしいですね。 雑学での収穫の一つ。……かるのふねの「かる」が、わかったような気になっています。 インド・サンスクリット語には「かるら」という霊鳥がいて……とあります。東南アジア一帯には怪鳥の「ガルダ」があって、その基礎となっているみたい。ガリョウビンカあたりもこの関連でしょう。 「カルら」の ra は強調接尾辞ですので、これを取り払って「かる(のふね)」にしたんでしょう。『司馬遼太郎』から。 このことは、初期の日本天皇家が南方系だったことの傍証でしょう。 おなじ司馬遼太郎の対談集にこういうことも書いてありました。 朝鮮半島を日本が統治していたころ、日本人の校長の奥さんが死んだので、その校長は奥さんの妹を後妻に迎えました。 ところが、それを聞いた朝鮮の父兄は手に手に棍棒などを持って、群衆となって校長先生宅をとり囲んだ、というのです。 制度・建物はモノをしゃべりませんが、イザとなったら、どえらい剣幕で多くをしゃべるもんだナァ〜、です。 長文かいてすみません。おめめおダイジに。 |
[6016] Re[6015]: か か す 佐々木 | 2011/05/28(Sat) 13:44 [Reply] |
ご参考までに ★フクロウオウム:別名カカポ カカポとはマオリ語: kākāpō(カーカーポー)・・・ポー:夜、カーカー:オウム科の鳥、一見ヤタガラスに似た太った飛べない鳥。かーかーすーとは鳥朱?太陽なのかもねん。 |
[6015] か か す 生田淳一郎 | 2011/05/28(Sat) 08:55 [Reply] |
神奈備ドン 友人に頼んで取り寄せたので、いまごろ角川の『古語辞典』が届かさり(岩手弁)ました。 あがあが。 ふと開いたページに「筬(おさ)かき」があった。 「かたちに(あたまに描いている形状めがけて)切る」という古語が 「たばす」。これは族際語です。 「かたちに(あたまに描いている形状めがけて)編み上げる」というのが、ここで謂う「かかす」……らしい。 「かがす(かかすではない)」でも、項目があって「国かがす」に コメントつけちょりま。 神や神社の名前ですから、つとめて濁音を排除したことを想うと。「かかす」=「かがす」でしょう。 かかす、かがす……には三とおりの語源が考えられます。 ♦ 「嗅ぐ」の ka には「いい匂い」とか「蓮の花」がはいっており、これに使役の as がついたもの。 これが転じて「良い思いをさせる」となったか。 ♦ インドネシア語 kak は足です。日本語には「あがく」となって、馬がなにかを要求する語。 手とか足は、本体から延び出たものとして、どこの言語でも同じ概念。→ 手足バタバタが kak-as。 ♦ kag < √ 光 。→ 照らす。この kag は あまのかぐやまと同根。 「かかす」には、当時はやりのカラスがはいっている。シュ、ス は鳥です。 「かかす」は「カァ・カァなく鳥」。また、カラスは光、太陽の鳥。 沖縄、ピリピノ語に kak が入った農耕具があることは先に述べましたが、具体的にはまだ掴んでいません。 「しろかき」の kak です。しろかきは、足で田のドロを捏ねるので。むかしは大変な作業だったそうです。 |
[6014] 皇祖神はどちら? 神奈備 | 2011/05/23(Mon) 15:23 [Reply] |
『日本書紀』巻一第七段本文 而上枝懸八坂瓊之五百箇御統。中枝懸八咫鏡。〈一云眞經津鏡。〉 本文では八咫鏡は既に出来上がっていたようで、それがどの神社の御神体になっているかは記載がない。すなわち、伊勢神宮でも紀伊日前宮でもないということ。 『日本書紀』巻一第七段一書第一 (中略)故會八十萬神於天高市而問之。時有高皇産靈之息思兼神云者。有思慮之智。乃思而白曰。宜圖造彼神之象而奉招祷也。故即以石凝姥爲冶工。採天香山之金。以作日矛。又全剥眞名鹿之皮。以作天羽鞴。用此奉造之神。是即紀伊國所坐日前神也。 日矛を作った。また鞴も作り、神を造った。これは紀伊の日前神です。 『日本書紀』巻一第七段一書第二 (中略) 於是日神方開磐戸而出焉。是時以鏡入其石窟者。觸戸小瑕。其瑕於秡今猶存。此即伊勢崇秘之大神也。 日神が鏡を持って石窟から出てきた際、(狭いので)戸にあたり小さい瑕がついた。伊勢に祀っている神です。 和歌山市立博物館長の寺西貞弘さんのお話では、「上記の文章から『日本書紀』が書かれた頃、8世紀、皇祖神である天照大神は伊勢神宮なのか紀伊日前宮かは決まっていなかった。すなわち各豪族の合意は得られていなかったと言える。」との見解を示されていました。 実に興味深いお話でした。 |
[6013] [10759] 天照大神と伊勢大神宮 神奈備 | 2011/05/21(Sat) 19:44 [Reply] |
壬申の乱(672)の東国へ下る途中に、前日の大雨に悩まされた大海人皇子が、朝、朝明郡の迹太川のほとりから天照大神を遙拝されています。太陽が出てのがよほど嬉しかったのでしょう。この天照大神はだから太陽のことと思われます。 『日本書紀』巻二九天武天皇二年(六七三)四月己巳《十四》◆夏四月丙辰朔己巳。欲遣侍大來皇女于天照大神宮。* > 天武十五年(686) 四月二七日 多紀皇女等を伊勢神宮に遣わす。 > 持統六年(692) 三月 六日 持統、伊勢に行幸、同二十日帰京。 持統さんは伊勢神宮に立ち寄っていないようです。6年後 『続日本紀』巻一文武二年(六九八)十二月乙夘《廿九》乙夘。遷多氣大神宮于度會郡。 これは、今の滝原宮に坐た天照大神*を度会郡(現在の内宮の場所)に遷したと言うことで、ここで始めて伊勢大神宮が成立したのでしょう。 現在の外宮(豊受大神宮)は既に現在地に鎮座していたのかも知れません。先に坐した神で、地主神と言えます。外宮に先にお参りするのは道理かも。 |
[6012] 岩本神社 神奈備 | 2011/05/11(Wed) 16:58 [Reply] |
万葉集から 春日(かすが)にて祭神之日(かみまつりせるほど)、藤原の太后(おほきさき)のよみませる御歌一首。即ち入唐大使(もろこしにつかはすつかひのかみ)藤原朝臣清河(きよかは)に賜ふ 4240 大船に真楫しじ貫(ぬ)きこの吾子(あご)を唐国(からくに)へ遣る斎(いは)へ神たち 大使(つかひのかみ)藤原朝臣清河が歌一首 4241 春日野に斎(いつ)く三諸(みもろ)の梅の花栄えてあり待て還り来むまで 藤原の太后とは光明皇后のこと。藤原清河は房前の子、光明子の甥に当たる。清河は日本に帰ることは出来ませんでした。 皇族が行う遣唐使餞別の宴は春日大社で行われました。その時の歌です。 「斎へ神たち」の神は春日の祭神が主ですが、遣唐使の航海の無事を祈願するのは住吉大神で、「斎へ神たち」には、当然住吉の神々も入っています。 そのためでしょうか、春日大社の社殿の前に住吉三神が祀られています。岩本神社と称しています。 |
[6011] 曽我/ 物部 戦争 3〜完 生田淳一郎 | 2011/05/05(Thu) 11:56 [Reply] |
原始宗教にあっては、人心に深甚な影響力を及ぼすものがカミであったことを想起ねがいます。 原始そのままのカミがつづいていた物部日本に、戦争経験で高度化した「外ツ神」が入ってきたわけ。 日本じゅうに張りめぐらされていた goods = God とは、物と物流の支配権です。 斎藤道三が若いとき山崎神社から油売りの権利を買いました。石清水八幡宮を中心に、全国に 13もの「おとこやま」という酒の銘柄が伝わっています。 仏教が本格的に入ってきたとき、天皇家が密教にこころ惹かれたせいもあって、系統の異なる密教が注目されました。 その間隙を縫うようにして陰陽道や儒教、道教などの呪術も。その又ついでに、原始巫術までがそのまま定着しました。 それでも、日本の精神性の主流は仏教と神道の二つでしょう。 多くを喋る仏教に対し、物部とか日本神道は岩や植物が織りなす自然をカミとして寡黙な態度をつづけてきました。 では、岩や自然は何も語らないのかというと、やはり語っています。どう受け取るかは個人の感受に委ねますが、それは仏教で「ブツ」を喋ったり聴きたりするのとおなじことではないかと、小生はおもうに至りました。 仏教、神道ともに、建築物やそれにまつわる装身具(衣装)なども、けっこう多くを語り、能弁です。 そういう意味でいうと、寺社だけではなく、習慣や制度も能弁です。くに(封建、領土、藩)、天皇制、身分制度、祭りのイベント、踊り、などの絡みあった総体とその時間経過が、この国のかたちを形成してきました。 小生が 30歳のとき、元日本軍諜報機関にいた Kさんが「日本史とは仏徒と物部の抗争史である」と言いました。 しかし、今の小生は、日本史とは仏徒と物部の「狎れあい」の歴史だったと思います。 ブツとは宇宙の根本原理のことですから、それは一神教だといえましょう。この一神教と神道が一体化した「神仏混淆」は、総体として一神教を形成しているのではないでしょyか。 「日本人は無宗教の民だ」とよく言われますが、総体としてみる場合、特殊な形態でしょうが、みごとな一神教の信者ばかりではなかったか……。ただ、経済に圧されて意識がイビツになっているだけでしょう。 「おいらにもお裾わけを頼むぜ」と、物部物流支配に入ってきた仏徒は、結局は「まあまあの富裕層」にくらいついて、葬式宗教に堕しました。下級武士や百姓、町人など、身内が死んだときは葬式は一度だけ。三回忌だの十三回忌だの、やりたくてもやれなかった時代が永がかった。 いまじゃ、坊さんたちはパソコンに登録しておいて、忘れずにやってきて、お経を唱えて、お布施をせしめて帰ってま。 へたな記述でスンマッセンでした。神道と仏徒の「狎れあい世帯」については、もっとつっこんで考えたいです。 |
[6010] 曾我/ 物部 戦争 2 生田淳一郎 | 2011/05/04(Wed) 11:42 [Reply] |
もう少しわが愚考、拙文におつきあいあれ。 外(と)ツ神を仰ぐ連中はが「なんだ、おまえら物部どもは文字も知らんじゃないか」というのに対して、物部族は議論にはねっから弱いんです。言われたことにはなんらの、まっとうな反論はできない仕組みで成り立っているんです。 とりわけ朝鮮系の人びとは「言うて言うて言いまくれること」を個人の最高の美徳にしています。議論はハナっから物部族の負けだと決まっているのです。 現代までに伝わっていることばは「曽我・物部 “ 戦争 ” 」です。戦争というのは地域が二極化したときに起こります。 表面的には「仏教を受け容れるか、拒否するか」の対立のように受け取られていますが、その内実は農業生産の「あまり」で収奪してきた剰余人口(神徒)の中に新しく仏徒を割り込ませる・・・だけではなく、あわよくば、その収奪利権を仏徒がとって代わろうとするうごきでした。ようするに剰余人口をどう賄うのか(ここで社会の文化のありようが決まる)です。 物部族もお寺を建てているのだから、「物部といえどお寺勢力には、丸っきしの反対勢力ではなかった」という意見を聴いたことがありますが、寺の建立で物部が企画したのは「そんなもの、実効はありゃしない」という結論を導きだすため実験をする試みだったことがわかります。事実、物部が雨乞いをしたときには、雨はまったく降らなかったんです。 ところが外ツ神派が雨乞いをしたら、すぐに三日も雨が降り続いたという。このへん、現代の福来事件を憶いだします。 国家の機運がかかっています。どうして、一ぺんだけでなく、 735回ぐらい、くりかえして実験しなかったのでせふか。 あほみたい。 曽我・物部 “ 戦争 ” のあと、仏閣が残るのは理解できます。が、どうして神社がこんなにもぎっしりと日本列島に残っているのか。ここには「民衆」と「理解できることば」の大問題があると、小生は愚考します。 文字すら知らない愚衆は考える力もないし、聴いても解らないんです。しかし「この神社は頭痛に効く」なら理解でけま。 日本人がみせる、即物効果への期待は、曽我・物部 “ 戦争 ” の勝組では打ち崩せないほどに民衆に浸透していたんです。 ものごとは極端に考えてみるとワカリが早い。農民以外の一切の階層を、天皇も含めて金属精練士と置いてみる。すると物流いっさいに「物部的なもの」がくっついていて不可分の関係にあることが理解でけま。「物部的なもの」…それが神社。 英語の God が発音の上で goods と近似をみせている現象は、どこの人類にもあてはまります。 ことばで「仏的なこと」をべらべら喋れば、喋っているほうは千差万別の内容を喋り、聴いているほうも千差万別の内容を受け取ることとなる。 |
[6009] 曽我 / 物部 戦争 1 生田淳一郎 | 2011/05/03(Tue) 14:18 [Reply] |
だいじなことを書きわすれていました。平群には「兵のグループ」が含まれています。→ 平家 《 曽我 》 たまたま、ここの流れの「麁」かもしれません。麁の意味が「お互いに空間を開けながらも、ガサっと集まる」という意味ですので、いわゆる漢人(アヤびと)の「アヤ < アラ」が作用した可能性は大です。即ち、渡来民を集めたグループらしい。 しかし、族際的には mar が単に「男」だったのに、これに o をつけて「maro = 領主」とした一派が古代にいたことはタシカで、それはソグド語でしかありません。ソグド人はシナで 粟の字をあてて、これをソグと読ませていますので、曽我氏とは、一つにはソグド人だったという強い線も出ます。 上の二つを止揚させれば、外来氏族をまとめあげたグループがソグド人だったということになりましょうか。 《 ワニ氏 》 シナ語の王を、シナの一部では waŋ 系で発音していますので、日本に来ても「おいら waŋ なんだぞ」と、主張したのか。 《 オキナガ タラシ 》 ・・・琵琶湖湖畔で、継体天皇の里 タラシは記述。ナガは名古屋系統のことを謂っているのだと思います。オキは隠岐の島の写しでしょうが、その元は朝鮮語の ok(玉、赤ん坊)ではないかと思われます。「赤ん坊」というのは、古代人の願いの童神のことで、アイヌの始祖神であるオキクルミや、青森の「柳」強執にあらわれています。 このオキと nag(へび → 名古屋 )の二部族連合の長がオキナガタラシだっと思います。 直属の軍隊を持たぬのが日本の天皇家の特徴とされてきましたが、出発当初では暴力団を持たぬはずはありません。 最初、「奈良、河内」に入扶したのが物部で、そこへ外来の優秀氏族が割拠をし始め、地域的にいっぱいになって、うまれたぼが豪族連合( ネパール語 ; jamat)だったにちがいありません。 赤壁の戦いが始まる直前での呉のうごきをみると、ハッキリとスジが浮上するのが、当時の豪族連合です。孫賢・孫策のどちらか、或は二人ともか、青い目をしていたのですが、推されて王になっています。 もののべは国家経営のノウハウと、実力行使をもった集団(モノの役にたつ男たち)だったのが、そのグループでも長が世襲されて行くうちに、氏族としての性格が濃厚となったのでしょう。 |
[6008] ユッケ 生田淳一郎 | 2011/05/03(Tue) 10:14 [Reply] |
ユッケという焼き肉チエーン店で yupkep(アイヌ語 ; 不慮の死)が発生し,世間がさわいでいます。 この店の名前をつけた動機は、えんぎのいいyuk(アイヌ語 ; 鹿)を採用してお客さんが yukke(アイヌ語 だが日本語の よーけ)来ることを願ったのではないかと想像しています。 辞書がどっかへ遊びに出かけているので、正確な語形内意を示せないのが残念ですが、アイヌ語の yuk は印欧祖語の *wuk(毛ぶかい)につながっていることを記憶しています。 シナ語の rok(鹿)が日本語に入り。これがアイヌ語に取り入れられれば yuk となることも考えられますが、日本語に yuk系の鹿がないので、このスジは採用でけまへん(矢を入れるユゲ負ひ(靭)と関係あろうか?)。 日本語のシカの語源はネパール語の sikar(狩り)だと、これは断言です。 / マタギのシカリ(狩り団の親分)。 そろそろ、古代名詞を追う本題にかかりたいです。 小生のおネラは物部 / 曽我戦争の分析から、神社と仏閣の機能分科を掴み、日本文化の本流を掴みとることにあります。 その要訣は「古代豪族」という概念で締めくくられている豪族の名前に付着している内意を再浮上させることです。 《 平群 》 hæ・・・朝鮮語の太陽。これは東北の閉居郡にも現れているかと思います。ヘグリの gur はアイヌ語にも残っている guru(人、人びと)だと思います。朝鮮語のスラングですが「モントングリ(お馬鹿さん)」もありました。太陽族が平群。 《 タケノウチ 》 タケは ネパール語 dakkal(侵入・攻撃)が基本で、これに tak(神)の竹を内包させつつ「武」へと収斂させた。 ノウチは国。水という内意もありますので 、国軍のほか水軍という意味もあったかもしれません。これはベトナム語。形容詞後置形。 ne が指揮者なので、個人名だとして片づけられてきた感深いものがありました。 スクネのスクは インドネシア語の suku(族)。スクネとは族長。スクは指宿や沖縄のグスク、白村江の中にも「村」として入っていますので、インドネシア語として一つに絞る必要はありません。 なお、「侵入・攻撃」は、初代新羅王のキョッコセの hyokk が侵入・攻撃です。但し、これはスオミ語。 |
[6007] Re[6006][6005][6004][6003][6002]: 古代の名詞 逍遥 生田淳一郎 | 2011/05/02(Mon) 12:15 [Reply] |
ありましたヨッ! 上に鹿一つ、これを二匹の鹿が支える字。鹿三つの文字が藤堂明保著『漢和大辞典』に。 呉音では「ス」。漢音が「ソ」。「たがいの間が、ざっと集まっていること」をあらわす」。 「禊・みそぎ」は「みすぎ」でもよかった。 で、篭のメが粗いことをもいう。篭のメが「粗い・細かい」は古代人の強執でした。/ ♫♡ かごめ かごめ ヒャ〜、そうすると呉音から強い影響をうけた日本語は、ソ よりも ス に注ぎ目しなくっちゃなりません。 わかっていることは *suk(隙間)。これは世界語でした。cf. スコラ school . シナ音では「ソ・ス」の二つの発音があって、これに日本語のアラが代入さrた。そして意味は「荒々しい」のアラと「組末、粗略」のアラの両方に遣われている……という認識でいいみたい。 永い歴史のうちに、粗と荒が同一概念として溶け込んだのでしょう。 それにしても日本語としては「ソ・ス」の用例が僅少のようです。 ● 須佐之男命のスサはインドネシア語を援用しなくっても、「荒っぽい神」となる。 インドネシア語 susah は面倒な、厄介な、容易でない、困窮した・・・の意味です。 ● 御簾、すだれがこの範囲に入るかどうか。「メが粗い」と「隙間」が衝突してま。 ● スネは荒々しい動作をする ne(身体 < netoba )か? “ 強(スネ) ” とも書くが……。 ● 「スジ」はこまかい具象を捨象した chi(道、ひも)らしい。 ● 藁スボ、スベ、シベには粗なる空間がある。縄なんかなうと手が荒れる。 ● 相撲のスが「荒々しい」にピッタシ。mau はアイヌ語で「力」。だが、そこまで広域のシナ語・日本語地帯が あったんでせふか? s-- , su-- にはスットンキョウ、スッカラカンなどのように、強調接尾辞がある。 |
[6006] Re[6005][6004][6003][6002]: 古代の名詞 逍遥 生田淳一郎 | 2011/05/02(Mon) 09:43 [Reply] |
> 麁は、角川「新字源」では3つの鹿の意とあり。 ● アラ、ソーでした。佐々木さんに訊けばヨカッタんでした。わたしは鈴木ごけさんに寄贈先の図書館を教えてもらおうかと、考えていました。 それにしても、またまた「3つの鹿」とはケッタイ千万。3(サン)とはナニでせふか。また免の上部とは? アラとソは通音じゃなくって「通意」。これに三つとか 鹿、「三つ鹿」が絡むとやろか? みそぎは「身 so(アラフ・洗う)ki(行う)」。 熊襲、木曽、曽我、磯良、伊太祁曽様などの分析に大津波がオソふ。 > 旦椋(あさくら)。旦は太陽が出ている様子なのでしょう。 ● 旦の字のつくりは ◉の下に ー でしょう。 as-ya は as の陸地・・・アジア。 as は「長、朝廷」かな? / オキ・ナガ・thar(族) *asi(*長)。/ as(馬・・・大目) 斯かる造語をしたのは、シナでは宦官だと思えるのですが、日本ではどんな連中だったのでせふか。 紀記編纂のときに、ことばの大捏造があったことはタシカです。捏造した彼らはどんな人びとだったか。 |
[6005] Re[6004][6003][6002]: 古代の名詞 逍遥 佐々木 | 2011/05/01(Sun) 13:34 [Reply] |
※麁は、角川「新字源」では3つの鹿の意とあり。かつて横山隆一のフクちゃんにあらくまさんが居ました。大きな方であらあらしい方でした。 ※旦椋(あさくら)。旦は太陽が出ている様子なのでしょう。 |
[6004] Re[6003][6002]: 古代の名詞 逍遥 生田淳一郎 | 2011/05/01(Sun) 08:21 [Reply] |
オンリョ〜〜! (北九州での驚愕の声、津軽弁はオンロ〜、) 佐々木さんはテテテキに知ってはる。 ですが、麁も蒭(アラ・ソ)も藤堂明保著『漢和大辞典』に出てまへん。 こういうとき、鈴木英雄さんがイマソかりせばナァ! 世田谷区だったかに詳しい漢字大辞典を寄贈した天才さんでした。 藤堂先生にゆかりのあるお方よ、なにか出ませんか。 カイを朝鮮の「雷神」とおけば、ara には「燃やす・銅」があるので、これを援用すれば、かなりの整合が得られそう。 川州は金属精練に利用されることが多かったと推測されます。 30年ほど前、出雲大社の西に広がるソノ浜が、「朝鮮系の人びとが最初に上陸した場所だ」として、これをツヲイムオイなんとかだと、こじ曲げた朝鮮系の人が本を出して書いていたのを憶いだしました。 そういえば、津軽のソの浜もありました。各種北方氏族が交易した場所です。 津軽弁 ソンド(散らかしっぱなし)。 でも、「ソ」という音は朝鮮人がことのほか好きな音だそよ(山口県のことばクセ)。 岩手県雫石に麁津田があるのも驚きですね。これタジク方面の語でせふか? sidk は「真実」。/ ソツヒコ・アヤカス。 > 朝倉はもともと日下部(くさかべ)でした。朝は希望の光、太陽(くさ?) ● クサカベ と アサクラ とは音では連続はないようですね。この二つは別語でしょう。 クサカベという地名が起こったのはどこでせふか。浪速近くならアイヌ語の *kus (渡る)が適用でけま。 ku は、あんがい、キューポラの qu だったりして……。ここにも *sak 。 アサクラは「朝廷の座」という意味も出そう。シナ語のチョウ(朝)と日本語のアサ(朝)との接点も欲しかばい。 けふ、草加氏が来ます。なにか呑み込んでいるようでしたら吐きださせてミマショウ。 |
[6003] Re[6002]: 古代の名詞 逍遥 佐々木 | 2011/04/30(Sat) 22:54 [Reply] |
人名:凡海麁鎌(大海蒭蒲)おおあまのあらかま 神名:麁乱荒神(そらんこうじん) 地名:岩手県岩手郡雫石町麁津田 地名:福岡県早良区昭代、麁原元寇古戦場、麁原山。 剣名:蛇之麁正:素戔鳴尊が八岐大蛇を斬った剣。石上布都魂神社(石上神宮)の御神体 漢字:粗/麁(そ) ※河の中州をアラスと呼ぶ場合がありました。 ※朝倉はもともと日下部(くさかべ)でした。朝は希望の光、太陽(くさ?)?? |
[6002] 古代の名詞 逍遥 生田淳一郎 | 2011/04/29(Fri) 18:14 [Reply] |
物部 麁鹿火(アラカイ)の 麁 は藤堂明保著『漢和大辞典』にも載っていません。 しかし、文字の形からいって、鹿によく似たキリンみたいな空想の動物ではないかと思われます。 「…カイ」といえば、この時代では馬飼いのように「飼育する人」という意味になりますので、アラカイとは「アラを飼う人」という解釈が第一義でしょう。カイは甘とも書きます。ちょっとヘンなことを覚えておいてください。 ところが、この名前には火がついている。アラはラテン語で祭壇。ka(…の)。祭壇の火が内包されています。 磐井の乱のとき、この物部 麁鹿火が近畿軍の大将になって九州にやって来る……と、聴いた磐井の大将は「おまえとオレとは、むかしは同じ釜のメシを食った仲じゃないか、なんでオレを屈服させることができるものか」と、ヘンなことを言ったとあります。 歴史家という人種は、書いてあればあるで、必ずそれを疑ってかかるように出来ているらしいですね。磐井の大将の言ったことばも、例外なく「まさかァ〜、そんなこと言うわきゃないヨ」と受け取られているようです。 だがね、どういういきさつでどうなっているかの半分以上は、そこに顕れている名前の意味がしゃべります。 ここで遣われている「オレ」とか「おまえ」は、ソクラテス時代の我(氏族我、部族我)であって、現代のような「個我」ではありません。爺さんの代…いやそれ以前の仲間でも「昔の仲間」なんです。 磐井の大将の息子にクズコ(葛子)というのがいた。この葛は日本列島中央ではカツと発音されカツラギ(カツラギ)となっています。葛城一族は、すごく早い段階でのヤマトの豪族です。物部氏も曽我氏も葛城の分派だと自称しています。 先祖をたどれば、この物部が磐井の近くにいたんです。それは甘木(さきに述べた “ 甘 ” )から北へ行った峠の峰に「馬見」山があるので、それと知れるのです。葛城にも「馬見」があります。 甘木の近くに朝倉市があります。麻の倉かもしれませんが、これは「大王」と訳せます。 継体天皇が「磐井に向ける軍のトップには誰がいいか」と訊いたとき、「そりゃ物部 麁鹿火さんがいいです」と答えたのは大伴さんでした。この大伴さんの意味はだれにでも分るでしょう。これは「王の友」で、王の身回りや祭祀・行事を司る殿上人でしょう。朝鮮語 toŋmu(友)。 物部の意味は、http://6712.teacup.com/bhasa/bbs の『ことばで拓く超古代』という掲示板に書いています。短くいえば「遊撃隊」です。 ほとんどの歴史関係の人は、この大伴も物部も豪族の名前とカンちがいしているようです。 歴史書は「磐井の “” 乱 ” 」と表記していますが、ランとは戦争という意味です。日本という体制が固まる前の戦争です。 6世紀前後、有明海周辺に有明連合とでもいう国家群が発生していたそうです。この中心はクマリでしょう。 |
[6001] Re[6000][5999][5998][5997][5996][5995][5994]: カルガモ 生田淳一郎 | 2011/04/29(Fri) 09:17 [Reply] |
まだターザンごっこ、木にのぼってます。 > 学名 Anas poecilorhyncha poecilorhyncha ● Anas が カモ、あひる. アーヌスはヒキツケ。 > 大鳥とは鴨との注釈 ● 佐々木さんは大予言者。ごはん屋(飯屋)あじゅね。 われわれシロートにはふしぎな神の恵みとしか目に写らないが、海の底の底から岩とドシャがゆりあがってくる。 その岩とドシャはユ(温泉・冷泉)と真水を含んでいて海水ではない。海上に頭をだしたものを sim-a とよぶ。 sim は朝鮮語、日本語で「泉」。インドネシア語では *sum(泉、井戸) という。 アフガニスタン、タジキスタンあたりに行って現地発音をよくよく聴きとらねばなりませんが、水は oB と表記している。むかしはオブといっていたらしい。が、o などの母音につづく B は W と発音されています。 大阪では「おぶう」というし、幼児の水浴びでは「ぶぶチャイチャイ」といっています。 蒙古のオボは雨乞いのための囲い丘だと観れます。 いつごろから oB を オウ と言い始めたのか。或は太古からつづけて オブとオウが併用されたのか。 日本列島周辺には 400もの「オウ島(大島)」があります。飲み水をもらう島だったにちがいないと思います。 「大鳥とは鴨」とは、ただの「水鳥」であった。この一語が既成の「大」や意富、多氏、などの概念に革命をもたらす。 「水 = いのち = 神 」。シナ語 王(発音はオウ)での *waŋ系 にはあんまし配慮する必要はないのでは? > 鱗介部(爬虫類・両生類・魚類・海棲動物)など言葉ひらい ● 海岸べりにみられるカタカナ地名。 あなた、わたちをコロすのこころあじゅか。 |
[6000] Re[5999][5998][5997][5996][5995][5994]: カルガモ 佐々木 | 2011/04/28(Thu) 20:09 [Reply] |
>カルガモ 学名 Anas poecilorhyncha poecilorhyncha ※ここにもまた、穴めずらしや。軽皇子という人も文書上で居ました。ヒ:カルのカルとか? >カモ 藤原定家の「明月記」建仁元年記に、大鳥とは鴨との注釈(定家明月記私抄)あり。 >『謎の大王・継体天皇』 倭名類聚鈔の鱗介部(爬虫類・両生類・魚類・海棲動物)など言葉ひらいにいいですよ。 最後に、生田さんご参考までに、古本検索ソフト http://sgenji.jp/index.html |
[5999] Re[5998][5997][5996][5995][5994]: カルガモ 生田淳一郎 | 2011/04/28(Thu) 11:50 [Reply] |
> 山下清、何か共通しまんにゃ。 ● ワー、うれしかことおっしゃる。 むかし賢人のサヴァンが侮蔑語となって、いまじゃアスペルガー。 17歳で文学を見限り、19歳で哲学がワカランようになって、20歳のとき専攻した法律の根っこに姓悪説がある知って、バカになることを志しました。 途中で拾い食いしたアイヌ語とネパール語が食アタリにアタってって、そんじょそこらを跳びまわってま。 そのうち松本克己先生率いる軍団から、ダウン症じゃと診断されるでしょう。 > 「くべる」行為も穴を埋める行為でありましょう。 ● 古語「くじる」もこのたぐいでしょ。一言どん、辞書ひいちゃオエンよ。ヒキツケが出る。 > 「土被り(どかぶり)」の土を「は」と読むと「はか」が出るか? ● ウ〜〜ム、ありえますね。ハニカブリ → ハカブリ(この場合 *buri は職業) でしょうか。 灰かぶりはシンデレラ。御器かぶりはゴキブリ。知ったカブリであっしゃ叱られる。ごイッシンには西洋かぶれ。 子供のころ、父親がボタかぶって(落盤事故)死んだ親友が、ばされがこついました。 《 カルガモのカル考 》 焦点は「カルの舟」。ネパール語 halka(軽い)、インドネシア語 kaya( 金持の、豊富な Y < R ) インドネシア語、ネパール語に kal(時代、とき)。 同じネパール語でも、*kal・ *kar にはほかに 黒、機械、作る、石 。 アラビア語に kal(金属精練) → 伽耶 ……カラクニ岳。 東北に軽米……のみ、しらみ、牛のハルンの軽米。 《 サキ、ちょっと考 》 おれ、あんましモノを知らなすぎるので、もっか、文春新書の『謎の大王・継体天皇』をよんでます。まだ少ししか読んでいませんが、サキ関係で后妃、前(サキ)、佐紀古墳群、香坂王(カゴサカ)と、四つ拾えました。 ● 炭坑の坑内労働にはシクリ、クッシン(掘進か)、サキヤマの分業がありました。 ● 向山と書いてサキヤマと読ませる。 |
[5998] Re[5997][5996][5995][5994]: カルガモ 佐々木 | 2011/04/27(Wed) 20:09 [Reply] |
生田さん ありがとうございました。生田さんと山下清、何か共通しまんにゃ。 ※くべるからヒントを得て 地名で「くぼ」漢字なら窪、久保ですが、「くぼ」は「ふち(渕または淵)」を埋めたまたは「ふち」が埋まった場所に付称した地名だそうです。 「久保」姓は、ため池が多く分布する地域に多いですね。特に讃岐平野。 ☆お示しの「くど(微放送禁止用語)」も穴です。薪を「くべる」行為も穴を埋める行為でありましょう。 さて土木用語の「土被り(どかぶり)」の土を「は」と読むと「はか」が出るか? 鴨はそうですねカモメでしたね。 |
[5997] Re[5996][5995][5994]: カルガモ 生田淳一郎 | 2011/04/27(Wed) 14:23 [Reply] |
> 南北の地溝(彼が名づけた用語は放送禁止用語なので略)がありました。 ● モノが云いにくくなりましたねぇ。でも下 [ 5993 ]でヒ、キツケ語が座標の基本に座っていることがあかるみにでました。 D.N.A様のみ教えによって、み〜んな知ってることですが、ことばにした途端にヒキツケがおこる。 > 「はか」「ばか」には土を盛るような意味はないですか。 ● 寡聞にして知りまっしぇんと(北九州弁)。 くだんの *kub は言いましたか。おへまの里では「薪をくどにくべる」とは別に、 くべる(穴を塞ぐ)が残っていました。これも個人の利害名誉にかかわる……、ああ、もうオラシランばい。 墓の語源に近いと思われるスジですが、「水のハケぐち」といいますよね、神奈備ドンによれば、磐座に「バクチ岩」というのがあるそうです。アイヌ語にも見られますが ha には「水などがひいて行く」があります。ka を場所とすると、ハカは(人間が)「消えてゆく・ところ」? 《 カモメ考 》 アイヌ語 ka(鳥)ピュー(鳴き声)で、カモメはカピュー。形容詞後置形。 鴨はカモメからでしょう。これもアイヌ語の mom(漂う)。この場合の ka は上・・・水の上かな? 《「 裂く」考 》 この動作、布切れをひき裂くによく似合ってます。強調接頭辞の s--が「開く、分く」についたんでは? あめつちは広しといへど、吾(あ)がためや、サクやなりぬる。 |
[5996] Re[5995][5994]: カルガモ 佐々木 | 2011/04/26(Tue) 20:04 [Reply] |
>佐久 佐久も大地が裂けたような場所ですね。近郊にはナウマン命名の南北の地溝(彼が名づけた用語は放送禁止用語なので略)がありました。 >岬 「陸がない」のでよかでないでせふか。 ※「はか」「ばか」には土を盛るような意味はないですか。 |
[5995] Re[5994]: カルガモ 生田淳一郎 | 2011/04/26(Tue) 11:06 [Reply] |
日本語のわる(悪)は印欧語の bad と同根で、印欧語よりも古形をとどめているといえます。 *war を語頭濁音化にして強調を表わした *bar を、さらに第二子音濁化のクセで bad にした語形が印欧語。 沖縄の形容辞 「…サン」をつけたのが、沖縄語のワッサン(悪い)( r 音が促音を誘発させている)。 沖縄に決定的に影響した薩摩弁がヤッセンとなったには、本末転倒の感ふかいものがありますが、この W → Y には陰陽道のこだわりがあった、 印欧語というよりも、英語、ネパール語と言いなおしたほうがいいようです。par(日本語 ; はるか)・ te(地帯)は「果てる」となり「果たし合い」などで、ハツは “ 死 ” を表わすようになり、4 + 4 = 8 が「墓」用語になりました。 横溝正史さんが作ったのかナ? 八墓村の「八」とは、墓のことだった。 薩摩弁のヤッセンは「死」を内包させている。 憶いだすのは筑波山麓に伝わる民話。 空に九つの太陽が輝いているので熱くってたまらんので太陽を射落としてみたら、死んでいるのは八咫烏だった……と。 九翟紋は from シナ。陰陽道「八」の奥にシナ語でのこだわりがあるのでせふか。 《 岬 考 》 *sak は、いろんな意味を示していました 。小生は「超資料」と題したノートの一つを用意していますが、めんどうだで、ついつい記入を忘れるでイカンわァ〜(名古屋弁)。 ♡ ♫ 暮れゆけば 歌かなし 佐久の草笛・・・の佐久には、小川とか谷川の意味だという伝説があったと記憶してます。 こんご、出合ったら、その都度克明なメモとりをやる予定です。4 〜5年で、かなりの成果が出ると見込めます。 ナニがどうなっているのか分りませんが、40年も前、どこかでロシア語 ムィス(岬)を拾った記憶があります。 その先っぽなら、ミサキが出るんだがナァ〜。その「先っぽ」にある tuppo にはネパール語で先(先端)がある。 岬とは「陸地が切れている」という内意なら、ギリヤーク語 mif(陸地)が援用され、そこへ sap(無い)の関連語としての推定日本古語 *sak(無い)が適用できるなら、「陸地が無い」が出る。 じつは「sap(無い)」とはアイヌ語なんでふぅ。 |
[5994] カルガモ 佐々木 | 2011/04/25(Mon) 14:01 [Reply] |
突拍子も無いことですが、新撰姓氏録の八咫鳥(やたがらす)の正体を賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を読んで、ヤタガラスとは、実はカモ(たとえば軽鴨)のことではなかろうかと。カモがねぎをしょっているのが3つ足に見えて、神武帝を案内したとか。? ちょっとまともな話:川の出口、つまり河口付近には神崎地名がしばしば確認できます。これは川の流れは神が裂かれたもので、神崎地名は川を裂く切り口なのだろうか。また兵庫県の神崎郡は地形的に溝状で、これも神が裂いた土地だから、そのような地名がついたのか。 |
[5993] Re[5992]: 先 祖 生田淳一郎 | 2011/04/25(Mon) 12:45 [Reply] |
病状とか異常をつきとめて行けば、正常を支配している原理が把握できるらしい。 こんかいの原発事故をめぐって、よその国が「日本は本当のことを発表しているのだろうか」と言う発言の裏には、核技術で、少しでも他国よりも優位に立とうとする国家エゴが渦巻いていることは、タシカなスジでしょう。 講談社現代新書刊 ; 『多重人格』で小生が期待したのは、きつね憑きやトランス常態での予言、透視などでしたが、この本では著者の和田秀樹さんは、あくまでも医学・病理学としての立場から、おもに社会現象として多重人格をみようとしておられます。 小生がきつね憑きやトランス状態での予言、透視などに焦点をあてていたのは、「タマシイの存在」をめぐって、です。 タマシイみたいなものがあるからこそ、それがヘンな空間をさまようので、一定の身体に二つも四つも(場合によっては百以上も)の人格が現れる・・・・・というのが、これまでの憑依現象と称されるものでの一般的な解釈でした。 この本では心霊的憑依現象については、はぐらかされたような形となりましたが、それでも小生にとって次のように革命的な世界観へと眼を開かせてくれました。 ● すべての生命体は、親が生きてきた場で、生きつづけるだけの資質を与えられて誕生してきている。 それはD.N.A様にインプットされた形で、伝授される。 もと全学連の闘士だった高橋稔は、人や犬猫をみてよく『直結している」「直結していない」を喋っていました。 高橋稔は、ひどい挫折のあと、あちらの世界から奇蹟的に帰還できましたが、精神世界の理解がすすんでいました。 「直結している」とは「人間のようなことばを持たない」ということとイクオールだったんでした。 ● ヒトにインプットしたD.N.A様とは、肉と「自然をうつした情念」の場でのインプットだった。→ 爬虫類の大脳。 集団形成、宗教、物理化学、経済などの新しい皮質は言語による新しい獲得であった。 ヒトは徹頭徹尾、情念で生きています。ヘーゲルで理性の王国hが誕生しようとしていたとき、「人間とはそんな佇まいにはできていないんだ」と、声を挙げたのがキェルケゴールなどの実存主義者たちでした。 サテ、面白くなってきました。山折哲雄さんが『神秘体験』という本を出しています。よんでみようかナァ〜 |
[5992] 先 祖 生田淳一郎 | 2011/04/23(Sat) 09:49 [Reply] |
風と雷さん、ここですよ。 佐々木さんから紹介いただいた古本屋さんで、絶版となっていた『多重人格』なる本を取り寄せて、目下よんでいます。 『馬の世界史』も取り寄せることもできました。塩と as 〜 asp(馬)が中心のネライでもあります。 あり難うございます。 人間の意識は、ほ〜んとフシギな構造を持っているんですね! ことば(論理)なんざ届くもんじゃあっもはん。 |
[5991] Re[5989][5988][5987][5983]: 「十・余り」の…… 生田淳一郎 | 2011/04/20(Wed) 10:38 [Reply] |
● 裏番組ニラミ 登美は < 十三 刀弥 登美 は神名 トトト、ミミミの発音をゆるす → 等之木神社 ki =神 建御名方 ; mina はアラビア語の湊、 「カタ」は森浩一先生によれば、帰納法的に 湊。ネパール語では指導者。 ● ラテン語 ama 、aba から *先祖 とか高祖 が抽出される。そしても一つ、「高祖母」が浮上した・・・みたい。 東條操著『全国方言辞典』では国頭となっているが、沖縄のウンマー、アンマ(母)は飛騨でも同音。 小生が子供のときは、朝鮮語の母はオンマだと思っていました。オンマ、アブジ、シビ・・・おっとヒキツケ! は東北地方と新潟・石川で アバ、アマ(母)。 で、これら日本の ウンマー、アンマ, アバ、アマ(母)は当時の高文化の朝鮮語からかナ と思っていたが……。 なんと、アラビア語 umm 、ummaha*t(母)がある。 インドネシア語に占めるアラビア語からの借用語彙はすごい。 インドネシア語 hayat(いのち)もアラビア語からの借用ですってサ。イノチ = 命 =神 |
[5990] オオ、ミステイク! 生田淳一郎 | 2011/04/18(Mon) 12:29 [Reply] |
お騒がせしてすみません。 『犬は「びよ」と鳴いていた』(山口仲深著 光文社新書)んです。 奈良時代、漢字をどんどん取り入れていたとき、漢字には日本発音の「ン」に相当する文字が掴めないので、「ン」はいちおう「ウ」へと収められた。 そういうアヤで、「サン」は「サウ」となって、第二子音濁化のクセで「サウ」が「ザウ」となった。 |
[5989] Re[5988][5987][5983]: 「十・余り」の…… 生田淳一郎 | 2011/04/18(Mon) 11:56 [Reply] |
佐々木さん、「十二社」という言いかたは、殷の習慣を写しているように感じられて、どうも、わたしのアタマは、そこから離れられませんがネェ〜。もう一ぺん『古代中国』を読みなおしてみます。 ※ トヨトミ(秀吉)とは、贅沢ざんまいな命名だったんですね。 > ama ではラテン語の祖母があります ● これまで、言語比較でのセンスで「アマ(天)」を追求した斬り込みはあったでせふか。 氷山にアタマをぶっつけたみたいな、すさまじきご指摘です。 研究社刊 ; 田中秀央著 『ラテン語辞書』と相談したのですが、ama(祖母)は出てなかったです。 でも、ab-avia(高祖母)、ab-avunculus(母系の大伯(叔)父)、ab-avus(高祖父)がある。 おっしゃっておられる ama(祖母)は、あったと思います。 ニニギの尊、アマテラスは女性だっと記憶していますが……。 天からアモ(天降)ったので、いっぽうでは、天はがam-a となったのでしょうか。 am ではなくって ab が現れています。これで アビ彦〜我孫子が安定した座につけます。 abe(阿部、安倍、安部)もこれでせふか。 |
[5988] Re[5987][5983]: 「十・余り」の…… 生田淳一郎 | 2011/04/18(Mon) 11:10 [Reply] |
> 本格的な本を30冊は読みましたし現地資料館で専門家の意見も訊きました。 ● 珠玉の言葉。まさに囲碁六段の深かよみと高知能の賜物。さきに “ 収斂 ” ということで袖ひっぱってくれましたが、そういうことだったんだナァ〜と、腑に落ちました。おっと、囲碁六段は昔のこと、今は「十余段」のことでしたか。 ところで「十三」を「じゅうぞう」と読ませています。シナの漢音、呉音、それに日本語のイチ・ニ・サンのサンがすべて「サン」なのに、これを「ゾウ」と読ませるとはケッタイなかぎりです。 どこの氏族、民族語が「三」をゾウというのでしょうか。ここを突きとめることができたら、日本の素性の重要な側面が割れるのではないかと思われます。 くだんの安本美典著『日本語の誕生』巻末基礎 200語対比一覧表』で調べたところ、似ている音を示すのはチベット・ビルマ語派のロロ語の seu: 、ペルシャ語の seh の二つだけでした。 しかも「十」は、別の発音ではなく、イチ・ニ・サン・シ・ゴ……」の系統の「じゅう」をそのまま継承しています。 内村鑑三さんなど、堂々と「三」をゾウと読ませています。まさか三蔵法師であたまがこんぐらがったわけでもないでしょうに。これは人名に限ってのことでせふか。 イー・アール・サン・スー・ウ〜」のシナ語の脇にあって、「イチ・ニ・サン・シ・ゴ」の日本語があるということは、八重山〜長崎〜薩摩〜弥彦〜津軽勢力の文化は、シナ語の脇にあって、シナ語と就かず離れずの関係だったことを物語ってやしませんか? この現象は日本の「ある種の氏族」を浮上させていることはタシカでしょう。 すこしイジになってその他の言語の “ 3 ” 探してみました。……バスク語 ; *hiru 。オーストラリア•アボリジニ booroora 、kabu 、 munkrippa 、neppaldar 。タジク語 ; se 。ベトナム語 ; ba 。スワヒリ語 ; tatu アラビア語には tala: th *-ah とあるのですが、日本語的には何と発音していいのか、皆目わかりません。今んところ、世界規模で見て、この半分以下の部分の th*-ah が「ソゥ」に、いちばん似ているようです。 |
[5987] Re[5983]: 「十・余り」の…… 佐々木 | 2011/04/17(Sun) 13:23 [Reply] |
>「十一」という地名や人名 苗字で「十一(といち)」があります。三重県かと。 >仰せには、いろんな超資料が詰まっている、とまでは解りますが、受け皿のほうがナマってるんでふぅ。 おたがいさまでこだいまふ。卍解説も何度も何度も青草で拝見したと記憶しています。 |
[5986] おお 神よ 卍・・・・・神の目 生田淳一郎 | 2011/04/17(Sun) 09:43 [Reply] |
佐々木さん、カムサハムニダ! カムサ役オオキニ。まさに神の目、卍ざんす。 ● 十余一・・・、ありましたか! まさに神の目。おめめを超おだいじに願いあげます。 佐々木さんの仰せには、いろんな超資料が詰まっている、とまでは解りますが、受け皿のほうがナマってるんでふぅ。 ここは 卍 を書かせてください。サガルマタの絶壁に描かれている神の目の模様が卍。 マンジのジは、「字」のようですが、ネパール語 mandir(ヒンズー教の寺)が、あまりにも強烈に匂います。 「マン」のほうですが、これは「精神性」とか「こころ」です。鎌倉幕府のマンドコロとか北條政子の「マン」の意味は「いうことを聞く」という関連語です。 ニーチェが造語した(のかナ?)ルサンチマンのマンは精神性のほうでしょう。 沖縄海洋博に一銭もゼニを使わずにサタワル諸島からやってきたチェチェメニ号の「メニ」は考えるという意味。 ネパールの首都、カトマンズは「(一本の) *kat-au(材木 < 切る)」で作られた man dir が、その語源。 mandir の dir が変化して tera(寺)となった? しかし tera はネパール語の tera(十三)にあまりにもそっくり。 津軽に十三湖、大阪駅に十三(じゅうぞう)。 man dir の dir が寺の語源でなくっても、man dir の man が 日本の神社となっているとしか思えないのが八幡と天満。 これまで小生は、漢字の「満」にオチョくられてきました。この二つ、なぜか八幡グゥ、天満グゥという。 このへんの謎のこと、神奈備ドン、ほかの皆しゃん、お解りでしたらぜひお教えください。 機織り、服部(ハットリ)の hat はネパール語 にもあります。めいっぱいに織物を作って、最大級の竹にぶら下げたのが幟の八幡だったことでしょう。幔幕ともいうしぃ↗ |
[5985] Re[5984][5983]: 「十・余り」の…… とみた | 2011/04/17(Sun) 08:51 [Reply] |
> >この目でみると千葉県柏市豊四季も > 明治政府による開墾が行われた地域。明治時代成立の地名。豊四季は4番目、十余二は、12番目に開墾されたということ。関連地名として、初富・二和・三咲・豊四季・五香・六実・七栄・八街・九美上・十倉・十余一・十余二・十余三…という順番 佐々木さんは何でもご承知ですね。私の現住所の近くです。十余二=トヨフタは面白いでしょう。 明治期の維新で食えなくなった難民のために開拓したのでしょう。それまでは馬牧の地でした。現在は東京のベッドタウン。40万人も住んでいます。 Jリーグ 柏レーソルの本拠です。 生田さん、新宿の講演の事ですが、ありがとうございます。 冷や汗ものですが、人に話すには勉強しますので、よく勉強しました。本格的な本を30冊は読みましたし現地資料館で専門家の意見も訊きました。 時々、皆さんに知恵もいただきました。スクリーンに説明資料を映しますので会場用のパソコンを中古品で調達したりいろいろ経験できました。 古稀を過ぎても若さを保つ秘訣です。 |
[5984] Re[5983]: 「十・余り」の…… 佐々木 | 2011/04/16(Sat) 20:49 [Reply] |
>この目でみると千葉県柏市豊四季も 明治政府による開墾が行われた地域。明治時代成立の地名。豊四季は4番目、十余二は、12番目に開墾されたということ。関連地名として、初富・二和・三咲・豊四季・五香・六実・七栄・八街・九美上・十倉・十余一・十余二・十余三…という順番 ★おおむねカタカナ地名も明治時代の成立とみるべきかもしれない。 デンマーク語ではtak、ノルウェー・アイスランドではtakkがありがとう。ハングルではカム・サ・ハムニダ。ありがとうにもtakやkamがあるのか。感謝する神が違うのか。amaではラテン語の祖母があります。 |
[5983] 「十・余り」の…… 生田淳一郎 | 2011/04/14(Thu) 13:34 [Reply] |
漢字オンチの小生は、神名のよみかた(発音)がわからぬため、じつに永いあいだ門外漢でしたが、ちゅういして見ていたら、すこしづつ「ハハ〜ン・そうだったのか」も出てきました。 裏番組の神奈備掲示板で > 建御名方を祀ったのが、阿波の名方郡の式内社である多祁御奈刀弥神社、刀弥は長髄彦の居住地の登美。 ● *tak(神) が出ていますよね。伊太祁曽様も同列かナ ★ tu(トゥ)という発音が出ています。アイヌ語に残っている tu が息吹いている。アイヌ語には ツ はありません。 この音は後世では「ツ」に変わる。「ツ」を追いかければ、かなり日本の素性が割れてきます。 日本人はイタリア人に似ていると言った人がいましたが、カンツォーネ とか ベネツィア にはツが入っています。 沖縄チュは ツ という発音がニガてだっとと記憶していますが……。 ★ 個人名に繋がってナンです(お祝いのつもり)が、登美はとみたさんのとみにつながっていそう。 アイヌ語 tom(輝く)、tombi(宝) 登美、刀弥はネパール語の tera(13)が内包されていると思います。 iyo は弥々(いよいよ)。 いや、ことばの初めには、一般の名刺・動詞などに先だって数詞がものすごく発達していた、との見識もあるんです。 「十一」という地名や人名があれば助かるのですが、「十(じゅう・余り)」が トヨに要約されているようです。 この目でみると千葉県柏市豊四季も半分割れたようなことになりましょう。シキは磯城 or 神社の用地か。 |
[5982] 俵の藤太、ムカデ退治 生田淳一郎 | 2011/04/13(Wed) 10:14 [Reply] |
断水と原発事故から逃げて帰った愚息は、短期派遣で瀬戸内の直島に出向となりました。 先週末に帰って「星も風景も素晴らしいが、ムカデがうようよいるにはマイッタ・マイッタ」と言いました。 それを聴いたわしは「それだ、それが玉島(直島の対岸)だ」と大声でいいました。 地名解釈などでは「玉(たま)」は美称だなどと考えられていますが、このムカデが出たことで、ネパール語 tama(銅)であることがハッキリしました。パーリ語では tamba ( → 丹波)が銅です。 世界規模で銅山の守り神はムカデ。 ムカデを神の化身として拝み奉った集積の果てが「マイッタ・マイッタ」になったことでしょう。 玉島市は造船所で有名です。その造船技術は銅で凝結していたと、ニラみました。 パーリ語 tamba の ba は、今は掴めませんが、この m は ba の助音だとも受け取られます。 ネパール語 tam はパーリ語 tamba からの派生かもしれませんが、 この日本列島には、銅は主に tam として入って来ていたと受け取ることができそうです。 中臣鎌足を祭った多武の峰はトウの峰と発音させていますが、これは刃物を屍の上にのせる風習を写しています。トウとはもちろん、刀のシナ音でしょう。 アイヌ語の刀は、 tam で、銅ズバリです。アイヌ語 ram は「こころ」です。tam と ram は似ています。 「抜けば玉ちる氷のヤイバ」とか「刀は武士のタマシイ」などは、ゴロ合わせでできた強執でしょう。 俵の藤太がムカデ退治をしました。これは龍がへびをやっつけた事件と似ていましょう。 コメを入れる俵は 「樽・藁」ではないかと思われます。wara(藁)はネパール語で paral といい 、ここに P / w の通音みたいな音転があります。 俵の藤太とは「ta(人)・para 」と置くとができましょう。ネパール語の phalam は鉄です。 形容詞後置形ですが、俵の藤太の「たわら」とは「鉄人」だと思われます。原さん、原田さんも鉄人・・・らしい。 とみたさん ; > 私は東京新宿の会場で、4世紀の謎と題して100人の前で講演をしました。 ● 神奈備ドン、皆シャン、おめでとうございます!! 乾杯とイキたいですね。 |
[5981] ボランティアの威力 生田淳一郎 | 2011/04/08(Fri) 13:37 [Reply] |
きのふは宦官からオチョくられた。 ボッケ〜ッとしていたら、われわれはへんなところでオチョくられていると見込めます。 こんかいはお隣のお寺さん事情について書かせてください。過っている点あれば、お教えください。 ことしの初め、小生は「シッダルタさんはナニを言い遺したかったのだろうか」を焦点にして思いを凝らせました。 すると、すぐに、この時代の人には科学の知見がまったくなかったレベルでの思考であることに気がつき、そんなことなら、やりかけている価値観での表現を研究することのほうがダイジだと知って、それ以上の追求はやめてしまいました。 ところが、そこに『シャカが言いたかったこと』という本があるを知って、取り寄せてよんでみたのです。 すると、ここでも大幅にオチョくられていることを知ってアゼンとなりました。 いまここで、二つの前提じみたことを挙げねばなりません。 一つは、当時は伝統的にバラモン階級がいて、この人たちはいっしょ懸命になって「生きかた」を追求していました。 宗教とは生き方について、アタマではなく「良いクセを作る」作業だったんです。 二つめは、この時代の王の力は弱く、王様は一段ひくいところで、聖者の講義を聴かねばならなかったのでした。 シッダルタさんは、タマシイの存在は認めていませんでした。ですから転成など考えようもなかったのです。それが、いつのまにか、輪廻からタマシイが離脱することが仏教全体の理想となっています。 また、シッダルタさんは階級の存在も無視し、ひとは平等だと考えていたのです。それが、いつのまにか、バラモンの存在を認める結果になっています。 シッダルタさんは悟ったといわれる菩提樹の木の下から離れて、すぐに2〜3年のあいだに 1000名のバラモン集団を自説に引き入れることに成功し、つづけて2派の 250名の宗教集団も傘下に入れました。これを基盤にして王様をも引き入れて、押しも押されもしない大宗教集団の教祖になったのでした。 転生や階級をそのまま認める結果になったのは、あたまがいいシッダルタさんは、「みんなを救うため」には、どうでもいいことだったのかもしれません。あたまのいいシッダルタさんが王様を口説いたのは、集団形成の威力を見抜いたからだと思われます。ここがソーサカッカイなどが権力を欲しがる所以でしょう。 こういうところを観ると、シッダルタさんはインチキだと言われてもシカタない面を持っています。 でも、素晴らしいことも言っています。 どうやれば「正しい生きかたができるのか」については「他人を救おうとしてごらん、そしたら、なにをしなければならないか、どう考えればいいのかなどは 自ずからわかるもんですヨ」と言っているのです。 「ことばでは伝わらない」という大原則を実践面で見抜いていたんですね。みんなで生きているのら。やっぱ、エライ! |
[5980] Re[5979][5978]: 統帥 出師 生田淳一郎 | 2011/04/07(Thu) 18:09 [Reply] |
追伸 ; http://www.youtube.com/watch?v=AVFc-Km_KUo&feature=related 大元帥陛下 バンザァ〜〜イ |
[5979] Re[5978]: 統帥 出師 生田淳一郎 | 2011/04/07(Thu) 17:57 [Reply] |
> 帥 スイ 率いる 先んじる かしら 軍隊を率いる人 > 師 シ 多くの人が集まる所 都 軍隊 大衆を導く人 先生 ● あがあが。 あらま、キカイ・オンチ、漢字オンチ丸出し。 http://www.youtube.com/watch?v=WVVS56hWx30 でも、こんな紛らわしいを出すは、インチキの一種あるね。 |
[5978] 統帥 出師 神奈備 | 2011/04/07(Thu) 15:08 [Reply] |
帥 スイ 率いる 先んじる かしら 軍隊を率いる人 師 シ 多くの人が集まる所 都 軍隊 大衆を導く人 先生 |
[5977] Re[5976][5975][5974][5973][5972]: 弥彦神社 と 英彦山神宮 生田淳一郎 | 2011/04/07(Thu) 13:15 [Reply] |
神奈備ドン、お導き 毎々あり難うございます。 一流の人でも漢字の発音には苦労しているのですね! 学恩です。 ここをわれわれが詮索するには、「当時のきびのことばがシナ文字と混合していたこと」を前提にしなくてはならないかと思うのですが、いづれにしても漢字オンチの小生には力不足なものを感じます。 しかし、小生はやっぱ、「シナ語ときび語の混成があった」みたいなことを直感したので、神奈備ドンに質問したのでした。 ● 諸葛孔明の「出師の表」のように、出師とは軍隊を出動させることであり、師とは軍隊ですよね。 師という文字は、こちら側ではモロとも発音しますが、モロとは山であり、ヤマとは人びとの集まりです。 ヤマタイのヤマが伏せ字になっているのでは? ネパール語 jamat(人びとの集まり、集会)。--ai も強調接尾辞。 防人(さきもり)の mor--i とは軍隊であったことを思い知らされます。 / 豊後森町 薩摩の守などのモリ。 ● 升の文字は枡とはちがいます。この文字をつけた升本氏が山口県柳井市で、柳井の井戸守をしています。 シナ語の発音は「ショウ」でしょうが、これは大将の将に通じましょう。 そして math とはネパール語で頭ですので、意味のうえからも「師の math 」とは軍隊の大将となりそう。 ● では「等」とはナニでしょう。憶いだすのは岡山のウラというオバケです。古代語のウは沖縄をふくめて大ですので、「大オバケ」と置きなおすと、「軍の大将・オバケだぞ〜」になる……のかなぁ〜。ガハハ --ra はネパール語では強調接尾辞です。maphi ra〜(まっぴら)にも日本語として入ってきていますが、岡山弁では「どしたんな ラ」などと言い、これは強調接尾辞の範囲にはいっているでしょう。 等はふびとなどの to(人)と置くことも可能ですよね。そうすると師升等は「軍の大将・びと」……かな? △ 殷の時代でしたか、主食のきびを国名にした例があったと記憶しています。 きびの ki は、アイヌ語 kina のように,茎がまっすぐ上にあがった植物一般に用いられていた。 bi は物。 △ おもろのモロですが、ピリピノ語に語源があったと思いますが、まっつっあん、ご存知だったでしょうか。 |
[5976] Re[5975][5974][5973][5972]: 弥彦神社 と 英彦山神宮 琉球松 | 2011/04/07(Thu) 09:07 [Reply] |
「倭国王」と「等(etc)」が分離できるとして、「帥升」は「ヒコ」の転と考えることはできるでしょうか? かなり苦しいのですが(笑)。 中国側にとって当時の倭国王を、たんに「帥升」と称したとすれば可能性がありそうですが、これが孝霊に比定できれば面白いですよ。 ちなみに「彦」を琉球方言風に解釈すると「日(太陽)人」ですかね。「人」は現在の奄美沖縄諸島では「チュ」ですが、文献上の表記は「久・姑・きよ」ですね。 |
[5975] Re[5974][5973][5972]: 弥彦神社 と 英彦山神宮 神奈備 | 2011/04/06(Wed) 19:50 [Reply] |
> 裏番組にらみ……。神奈備ドン、師升等は何と発音するのでせふか、お教えくだしゃい。 倭国王の「帥升(すいしょう)」等。 倭国王「帥升等(すいしょうと)(しんと)(すしと)」 倭(わ) 国王帥升等(くにおしひと)の説がありますが、支那文献ゆえありえないと思います。 なお、彼を素盞嗚尊に比定される御仁もおられます。 |
[5974] Re[5973][5972]: 弥彦神社 と 英彦山神宮 生田淳一郎 | 2011/04/06(Wed) 14:30 [Reply] |
神奈備ドン、あり難うございます。 だが、50%ぐらいを理解するに、あらまほしきは 50年以上の余命なりけり。 ● Goog ってみたところ、神奈備さんが出てきて、そこで、佐渡にも伊太祁曽様があることを知りました。 △ 雪彦山とは、原音 i uk(うけひ)かな? △ 桓々々と四つも続くと桓武天皇を憶いだしますナァ〜。 △ 半島にあったと見込める日本式神名は、儒教や朱子学で上塗りされたので消えた・・・・・が、浮上したみたい。 △ 彦は男。 ● 巫女、巫のミコは彦と対語(ついご)ではなかったでしょうか。 hiko は hirko ではなかったか……。これは 2年ほどまえに追いかけたことがありました。 ヒルメムチがあるし、ヒルコを消化しきれないで、蛭児と解釈していたり。 hir はタジク語に残っている pir(宗教上の指導者)だと思います。この r 音が消えた語形が hico(彦)かと。 hir がそのまま開音されると「平」。「 hir ・ 神」は広島などの ヒロに変化できます。 巫女、巫と書くミコは卑弥呼がその起源ではなかったでしょうか? ミコを表わす語にはハシトが有力で、ほかに市女やワカもあります。北のほう(?)にはイタゴもあります。男性専科でしょうか牧師(ネパール語 ; 運ぶ人)もあります。 男性の hi co の中に mi(ヒキツケ)がインフィクスされた語形が卑弥呼ではなかったろうか……と、思えるのです。 mi co だけで読めば「神の子」にもなりましょう。が、神の子をいうなら、それはまず、王様でしょう。 あ、日本語感覚でいえば ko でしょうが、ここで co を多用しているのは族際語感覚からで、マルコなどの co です。 下ではユダヤとの近似をのべましたが、ユダヤと日本の文化関係はほとんどありませんので念のため。 裏番組にらみ……。神奈備ドン、師升等は何と発音するのでせふか、お教えくだしゃい。 |
[5973] Re[5972]: 弥彦神社 と 英彦山神宮 神奈備 | 2011/04/05(Tue) 19:05 [Reply] |
「英」の字を冠にしている古社は 式内社 英多神社 信濃国佐久郡 国史現在社 英賀神社 播磨国飾磨郡 があります。 新潟県の弥彦山 福岡県の英彦山 兵庫県の雪彦山 の三山を三彦山と言い、古来より修験者の山として知られています。 英彦山は半島の壇君信仰につながっているとの見方があります。桓因、桓雄、桓儉(壇君)の三神への信仰で、二番目の桓雄は太白山に降臨した神で、人の世を救う地神とされています。英彦山を開山したのを藤原桓雄とする伝承があるようです。 弥彦神社は延喜式神名帳では伊夜比古神社と記載された名神大社です。伊太祁曽神社の祭神の五十猛神を大屋毘古神と同じ神と見るのは『先代旧事本紀』で、尊称の弥+尊称の大がついた男神と謂う説もあります。 「ヒコ」神社の例示 志波彦神社 陸奥(陸前)国 宮城郡 瀬戸比古神社 能登国 羽咋郡 百沼比古神社 能登国 羽咋郡 久弖比古神社 能登国 鹿島郡 赤日子神社 三河国 宝飯郡 棚倉孫神社 山城国 綴喜郡 など |
[5972] 弥彦神社 と 英彦山神宮 生田淳一郎 | 2011/04/05(Tue) 13:14 [Reply] |
諏訪、八幡、十二社、稲荷などがつく神社で埋め尽くされている新潟県のことは先に書きましたが、きのふの「くゎんじん」をひきがねにして、弥彦神社がクローズ・アップされてきました。 弥彦村役場に電話して確かめましたが、やはり「 くゎ 」訛りがあることが判明、そこでヒキツケ語も訊いてみたところ、同系のモノがありました。これでいよいよ、八重山〜長崎〜薩摩〜津軽とのつよいつながりが浮上しました。 弥彦神社といえば、もう30年も前のことでしょうか、正月の参拝に集まった群衆がなだれを打って押しかさなり、大惨事になった事件がありました。 周辺の紋切り型の神社ではなく、より古い習慣や伝統をもつこの神社は、圧倒的な信仰を集めていると言えるのでは? わたくしは、子供のときは、まいにち英彦山(発音はヒコサン)の峰を見ていました。 大きな黒い山塊がにゅうどうみたいになって、北の平野を見下ろしているような峰です。 山伏はここを拠点として町々を歩きまわっていました。 弥彦 と 英彦 は同列に比較しなければならぬことを直感します。 ヒコのまえのついている ヤとかエイというのはナニでしょうか。 ここからは空想です。 英彦山の伝説では、1729年に院宣がでて「英」の字をつけるようになったとのことですが、しかし、これは山伏から願い出て許可された……といった事情によるものではないでしょうか。 英がつく神社はほかにありそうもありません。このへん神奈備ドン、お助けくたしゃい。 直感ですが、ヤ・エイはヘブライ語の “ ヨッド (文字のよび名)” につながるのではないかと、愚考します。 文字姿は勾玉に似ています。諦めたときのようにつよく「? ア」と発音するそうですが、詳しくは知りません。 聴いたハナシですが、クリスチャンが唱えるアーメンも、なにかキヤイのような短いマントラが起源だったとか。 山伏が頭にのせているときん(兜布)は、ユダヤ人が祈りのときに頭に結びつけるヒラクティリに酷似しています。 座布団などにつける糸の房もユダヤと共通しているようです。 こんなこと、フブヒーさんなら知っているかもしれない。どうしたんだろフブヒーさん。なかなか入って来ないなぁ〜 |
[5971] カンジン と 牛の頭 生田淳一郎 | 2011/04/04(Mon) 18:00 [Reply] |
裏番組・神奈備掲示板でのことばです。 疱瘡カンジンがホソカンジンへ訛った。日本語は斯くほどまでに長音を嫌うのか……、ちょっとおどろきです。 五木の子守り唄……♫♡ おどまカンジン・カンジンの唄は、「おどま(おれどもは)カンジンなので、よか si( ネパール語でも人)のように、よか帯もできんし、よか着物も着れない」という意味でしょう。 カンジンとは勧進帳のカンジンが延長転意したものと受け取られます。豊後では乞食のことをカンジンと言っていました。 「こんど熊野では◯△の宮殿を建てるので、寄付してくれ」の類いで、村々をまわる人のことをカンジンと言い、これが乞食に転用されたのではないかと、空想します。 一般には、乞食でなくっても、ボロをまとった貧民ぐらいの意味でしょう。 いや、ねんのため東條操著『全国方言辞典』に相談したところ、新潟県西蒲原群、静岡県田方郡、島根県斐川郡、九州で「勧進の転」として「くゎんじん」というとあったは大収穫でした。 とりわけ、出雲の簸川で「くゎ」と訛るクセがあることは、八重山〜長崎〜薩摩〜津軽を睨む目に、凄い資料となります。 なお、佐賀方言でガンシンとは「疱瘡、あばた」のことです。 牛頭と書いて「ゴヅ」と読ませる。この頭はあとで文化人が作ってくっつけた文字で、基本はネパール語の goru(牛・雄牛)の第二子音の r が濁音化したものと・・・・・、ま、これ間違いのないところでしょう。 しかし、どこでどうなったか、ナニが由来なのか、不明ながら、天王とは牛とイクオールです。 |
[5970] 舌たらず 生田淳一郎 | 2011/04/03(Sun) 12:33 [Reply] |
きのふの [ 5989 ] は晩酌の途中でしたので、短く書いて舌たらずをやらかしました。 ヘンなことを憶いだして、失礼したことをお詫びします。と、ここを書かねばならなかったんでした。 Y先生は去年退官されたばかりで、まだお若く、ビルマ語の泰斗であらせられます。 15年も前のことになったでしょうか、基礎語彙ちゅうの基礎語彙、身体語で 15語彙ちゅう 8語までが日本語、アイヌ語と類似をみせる「ビルマ、ボド語群ラールング語」の語彙集をご恵送くださったのは この先生でした。 ラールング語にはナニかがあるはずですが、一般の語彙は、数語彙を除いて似ても似つかぬものばかりでした。 それにしても、佐々木さんの学究へのつっこみ精神には、まったく どたまが下がります。 パール・ハーバーからプラント・オパール へ!! ことばの上で気になるのは ● シナでは、いつごろのことかはしりませんが、稲を ギニュエン といっていたこと。 日本語とは大幅にちがった音韻なので、これが 知念、知覧などへ変わった? ● パンジャブでは稲を cin といっています。これが日本に入ると sine とか sina になっているのでは? 伊勢大神宮の「みしねのみくら」、品川、信濃、片品村などが臭う。 s-- が強調接頭辞だという意識がどこまではたらくのか、s-- をとれば、イネになるが……。 ● 地名などに残っているイナはピリピノ語系の「船」らしい。 ※ コメは日本列島の東や北からは、ゼッタイに入ってきていない。 |
[5969] Re[5968][5967]: 『 カミ と 神 』着荷しました。されど…… 生田淳一郎 | 2011/04/02(Sat) 18:34 [Reply] |
佐々木さん、次から次のお導き,コプチャイ・オークン。 小生は去年じゅうにビルマ語に没頭するコトを Y先生に約束したんでした。ところが、そこに松本克己先生一軍の足音が近づいてきました。 「オレの出る幕ではない、ビルマ語のことも棚あげです」と、表明したのは、 2ヶ月まえのことでした。 サテ。 |
[5968] Re[5967]: 『 カミ と 神 』着荷しました。されど…… 佐々木 | 2011/04/01(Fri) 21:08 [Reply] |
◎岩田先生は連絡が難しいでしょう。こうゆうときは民博図書室が親切です。06-6878-8271。たぶん坂本恭章先生の著書を案内されると推測。 または以下のメンバーから選んでみてはどうですか。 http://www.cyber-u.ac.jp/faculty/heritage/teacher.html 最近は少しイネの勉強をしました。プラントオパールや微粒炭など勉強させていただきました。そこで佐藤洋一郎「イネの歴史」京大学術出版会を読んだ雑な感想です。 縄文時代、西日本にはイネの生育に十分な積算温度があった。しかし度重なる寒冷気候によって、渡来した晩生短日性(夏至を感知する)品種だったため花が咲かなくなった。粗放的栽培は途絶えた。しかし一部岡山では残った。 その後朝鮮半島から違う品種のイネが九州に伝播して、岡山の残存品種と自然交配が進んで日本での普及品種が出来、主食としての地位を得、製鉄技術とともに西日本各地に拡大した。。。。コメ(南方系)とイネ(朝鮮半島系)は当時は別物だったかも。青草でした。 |
[5967] 『 カミ と 神 』着荷しました。されど…… 生田淳一郎 | 2011/04/01(Fri) 09:41 [Reply] |
神奈備ドン、コプチャイ(P154・あり難う)、オークン されど、この本には神奈備ドンが [ 5930 ]で紹介した神に関する語彙以上の詳述は得られませんでした。 ただ、同P154に、ラオスのヤオ語にコプチャイのほか、ソエイ(助ける)を見たのは、メッケモノでした。 著者の岩田慶治先生は、24歳の青春まっただ中で敗戦を経験なすったことを知りました。目下 90歳のご高齢なはず。「適当な辞書を」と、問いあわせても、出版社のほうで回送を遠慮する公算が大だろうと見込めます。 下 [ 5965 ] で価値観のことを書いたばかりですので、その目でこの本を追ってみますと…… 「カミ」とは人間が持っている情念で認識する「威圧物」であり、「神」とは人間が持っている叡智で認識する「威圧物」だと置き換えることができます。 カミとか神の概念は、このほか 4種がありましょう。 ● 宗教そのものの目でみる神。日本には登録されている宗教法人は 5万あるので、世界中には 100万種の宗教がある。すなわち「宗教そのものの目」で得られる神(カミではない)は 100万種に達するので、ことばを手段として全体を把握したり、比較類推することはできない。→ 日本神道の勝利? ● 科学の目でみるカミや神。……論理が届くまでが限界。宗教が持っている「超」の部分までは手が届かない。 ● 肉の反応。生まれたての赤ん坊にもみられる。D.N.Aが神として支配する領域。 ● 経済の神。現代人がどんなに経済からふり廻されていることか。ゼニは神さま(威圧物)です。 著者は神学・大学の教授なので、とりわけ、記述されたようなことに注意がヒキツケられたのだと思います。 そんなことよりも……、きのふ来日されたフランスのサルコジ大統領から「 1945年以降の日本」というお言葉を賜りました。暗にABCD包囲網のことをおっしゃったと受け取りました。 |