青草掲示板ログ平二十三年 十月〜十二月 2011.10〜12
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[6340] タジク語関係・・・おわり    生田淳一郎 2011/12/25(Sun) 11:03 [Reply]
 下の書き込みの 5番目 アラビア語 najm(星)のところに タジク語 nadʃm(星)を入れるのを、書きわすれました。
 意図的に並べたのではなかったのですが、umm(母)、taj (王冠)、insan(人)・・・を見るにつけ、皆しゃんもアラビア語圏から興って流れてくる語彙群の風を実感していただけたことと思います。

 これまで長々と述べきたタジク語についての小生の所感は、このへんで幕としましょう。
 おしまいに、二つばかりを書かせてもらったあとは、散発的な記述でぼつぼつと穴埋めをしたいと存じています。

 もう 10年もまえ、神奈備ドンからお褒めのことばを戴いた『大黒様ものがたりシリーズ』は、とちゅうで「袋」の語源が分らないので尻切れトンボになってしまいました。その「袋」がタジク語で割れたかのようです。
 タジク語 kulola は塊とか包みの謂いです。pu は「物」か風かでしょう故、「物の包み or 風の包み」が袋・・・。
 タジク語 ropoʃ は被いとかカバーのことです。posʃ とはポシェットにみるカバーで、帽子の語源かとおもわれます。山口県光市では帽子は「ボシ」と、短く発音しています。

 ついでに風呂敷も。「敷く」は日本語(<蛋民語?)、アイヌ語 shike(拡げる)。タジク語 furo(下へ、下に)。
 「下にひろげる布」が風呂敷ならまし。
   
 おしまいに大黒様が持っている槌について。
 日本語の ツチ は、イカヅチの ツチ かと想うのですが、この槌が「布津のみこと」と同じ意味らしいのです。
 タジク語 putk(大槌)。
 どうして日本で槌のことをフツと言いつづけなかったのか、おもえばイブかしいかぎりです。
 思いますに、ここには一時、ネパール語 phut-(壊す)が機能したのですが、この語には「不和、意見が合わないこと」という意味もあって、そのへんで「フツ(槌)」の使用について合意が得られなかった・・・らしい。
 ハタタの雷神・・・・・の「ハタく」は、こなごなに打ち砕くという日本古語です(phut- と関連)。

 ここの掲示板にはナラヨッちゃんという人物がいました。えら〜く「布津神」に執着していたのですが、結論として、彼は「 布津神とは、捏造したものを、どっかからか持って来たんだ」と、いっていました。

 永いあいだご愛読ありがとうございました。
 その他タジク語の関連語彙は http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakibbs.cgi にも書いていますのでアマカネ。

[6339] されどアラビア語、たかがアラビア語    生田淳一郎 2011/12/24(Sat) 09:24 [Reply]
 まずは訂正があります。 下 [ 6329 ] で井筒俊彦さんは「東大」としましたが、正しくは慶応大学です。

  下 [ 6329 ] ではシロートの限界を謳いましたが、かなり萎縮しすぎていた嫌いがあります。
 といいますのも、たとえば awj(頂点)がアラビア語にあることを知らないと、朝鮮語のアブジ(父)が来たルートの判断に一方的な解釈をほどこすところでした。
 例によって、言語比較では時間差が掴みにくいのですが、やはり手続きとしてアラビア語をみておくことは、とても重要なことと思えます。ここでは紙面のかぎりで、それらを列挙してみます。その他は http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakibbs.cgi で続けますが、数日あとになる予定です。

● ma ・・・・・・・・・ 何? / アイヌ語 mak(何?)
● nabata  ・・・ 生育する / 七夕 たなばた
● ajja ・・・・・・・・ 叫ぶ、轟く / アジャパー(秋田、伴ジュンさん)
● ajaba ・・・・・・ 驚かせる /   〃
● araq ・・・・・・ アラク酒 / WW 世界共通
● najm ・・・・・・ 星  / アイヌ語 nochiw(星) 
● irq ・・・・・・・・・ 根、幹 / 入鹿さん 
● isar ・・・・・・・・ 台風  / 伊勢
● ata ・・・・・・・・ 与える / 与える
● jamada ・・・・・ 凍る  /  アイヌ語 yam(凍る、冷たい)
● jam’ ・・・・・・・・ 集まる / ネパール語 jamat(集まる) 邪馬台国
● hajar ・・・・・・  石  /  朝鮮語 hay(岩)
● hadd ・・・・・・ 先端、国境 / 果て
● hadid(鉄)、 had dad(鍛冶屋) / 鍛冶屋  h / k
● ab  ・・・・・・・・・ 父 / 朝鮮語 アブジ(父)  ネパール語 ba(父)
● harr  ・・・・・・ 温かさ、熱さ  / 春?
● harass ・・・・・・ 困難、禁止  /  祓う ネパール語 oh har har(神よ助けたまえ)
● khiyar ・・・・・・ きゅうり  / 英語 cucumber(きゅうり)
● umm  ・・・・・ 母  / 朝鮮語 オンマ  ラテン語 何だったか・・・?
● taj ・・・・・・・・・・・ 王冠 / タジク語 todʃ(王冠・・・タジクの語源)
● insan ・・・・・・ ペルシャ語 ens:an(人) アイヌ語 enchiw(アイヌの自称)

 こんな類似語彙が、朝鮮語やタジク語の 5〜 6倍は拾えそうです。

[6338] 今年は福島のアタリどし    生田淳一郎 2011/12/23(Fri) 11:33 [Reply]
 ことしは福島県のアタリどしでした。
 アタリというのはネパール語の atali-(悲しみにうちひしがれた、苦しむ)が語源とおもわれます。その「ひしがれる」の *his は、ネパール語 hiss-(がっかりした)をうつして、「災難・破滅」と訳されている日本古語です。「ひしがれ」のガレはネパール語の gal(崩壊)です。

 けふは天皇誕生日。皇后様が被災者に「生きていてくれて、ありがとう」とおっしゃったことが放映されていました。
 これを聴いた小生はハッと目がさめた思いがしました。

 日露戦争がおわって、ロシアの将軍が日本を訪問したさい、日本の大衆が大勢でおしよせました。そこには憎しみの情など微塵もなく歓迎し、かつての敵将に同情のことばをかけたのでした。
 そこには「♫♡ 討たれし平家の公達あわれ ♫♡」と共通の心情があふれています。

 集団形成からおこる暴虐を乗り越えるとき、日本人はそこに、どうにもならぬ「悲しみの情」をもいっしょに、しかも濃密にこめて乗り越えた・・・。・・・もののあわれを知るはサムライだけではなかった。

 どうしても「家」単位の制度をもって来なければならなかった、そのときにも悲しみがあった。
 じぶんの選択でもなんでもないのに、生まれた家が天皇家だったために、いやおうもな自由を剥奪されて、そのような公職に携わざるをえなかった「個人」としての天皇。
 これを惟ふとき、これまでの小生は、それを一方的に押し付ける日本大衆のエゴに腹立ちをおぼえてきました。

 が、いま、日本精神性の中核(!!)を想っています。

[6337] Re[6336][6335]: ゴトの分布  生田淳一郎 2011/12/21(Wed) 12:26 [Reply]
 キエ〜〜ッ ! これを引出すこのちから!

 東條操著『全国方言辞典』にも蛙の方言はい〜っぱい出ていますが、いちど一覧表式に挙げてみるのもいいですね。

● 幼児はよく「血ガ がでたァ」といって泣きますが、それくらいの幼い子供のオモチャが全国的に蛙や危険のない小動物だった。オモチャもタジク語で解けます。
● また、煮て干しておけば恰好のおやつになりました。煮れば bik(毒)抜きになるのでしょう。干せば栄養分 pos がつくのでしょう。
● 中央アジアでは、水そのものが神で、水に棲む生き物は神さまでした。アメンボウなども銅鐸に描かれていますね。
 タジク語 tamiz 、tyamil(既述)。 
 でも、銅鐸に描かれている小動物・・・、表現力の稚拙なこと! おばんが描いたのかなぁ。

 九州では、ワクドはよく聞きました。ワクドという語のひびきからいって、ガマ蛙のことだろうと思っていました。


 それにしても長野・・・、いま小生は更級、更科の語にまつわりついています。
 sar の開音が sara 。日本古語は「階」をシナといっているんです。「支配階級」のことでは?

[6336] Re[6335]: ゴトの分布  琉球松 2011/12/21(Wed) 11:23 [Reply]
くずさんへ

 この蛙の言い方の多さは、いかにも稲作民族ですね。手に負えません(笑)。
 ただ、大雑把に「ヒキ」系が主流で、「コト・カエル」などは比較的新しい感を持ちますがどうでしょう?

 言語周圏論で説明できるとすれば、「ヒキ」圏に入ってきた新参の「コト」が中央から広がっていったことになりそうですが、これは朝鮮語ですかね。在日韓国朝鮮の皆さんが、この掲示板を覗いてくれてるといいんですが。。。

[6335] ゴトの分布  くず 2011/12/21(Wed) 07:08 [Reply]
>皆様、

語源ではなく分布の話ですが、
長野でも蛙=ゴト(ゴット)の方言があるようです。
有名な蛙紋の縄文土器が出ている(井戸尻遺跡群)富士見町ではゴト=とのさまがえる。

全国的な分布では紀伊半島のほか、北陸特に能登半島周辺、四国、飛び地で長野、神奈川、兵庫
http://homepage3.nifty.com/kakibaru/zyokyu8/wakudo.htm


[6334] Re[6333][6332][6331][6328][6325][6324][6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   生田淳一郎 2011/12/20(Tue) 09:48 [Reply]
「ことひ」はどっかで聴いたことがあるような・・・記憶でした。

 「こと」に「ことのほか(よく荷物を運ぶ)」じみた類似使用例がもっと多く出てくればシメたもんです。
 * kot を追いかけると、日本語サイドからはなんにも出ないような・・・。が、朝鮮語に kot(こと、事)、アイヌ語では ekote(殺)とか ukot(交接)が出てきます。
 そうすると、「コッテ牛」のほうは「種牛・雄牛」の線が濃厚に考えられましょうか。
 ウロおぼえのタジク語に kor(しごと)がありますした。 kor-te はコッテになります。この場合の te はやり手、ニガ手のte 。
/  ベトナム語 te(性質)。

 ところで、風はふつう si のはずですが風を ti , chi といった例がほかにあったでしょうか。東風を コチ といってるんです。
 東から吹く風はものすごく縁起のよいものとして歓迎されたはずです。

[6333] Re[6332][6331][6328][6325][6324][6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   琉球松 2011/12/19(Mon) 14:36 [Reply]
 大三元さん、なるほどです。
 「ヒキ」は蛙に限定する必要はなく、文字通り「引き」と見てみますか。

 そうすると、天岩戸を引き開けた「手力雄」を連想しますね。沖縄方言の「力持ち」とも見合うかもしれません?
 あるいはこれらの岩が、力持ちの牛か何かが引いてきたと解すれば、山頂などの意外な場所に存在する理由付けができますかね。古代人の心情にチョッとだけ近づけるような気がします。

[6332] Re[6331][6328][6325][6324][6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   大三元 2011/12/19(Mon) 11:09 [Reply]
琉球松さん

>  しかし、だとしても何故に「特別な蛙」なんでしょうかね。スクナヒコナの素性を知る突破口を開いたからでしょうか。

一つの妄想的仮説:
「ことひ」の語源が「こと・ひき」で、この岩のことを「特牛」が引いてきた、とか、「特牛」にも引けない、とかで「ことひき」と呼ぶようになった。。。蛙になぞらえたのは後世の俗解であぁる。。。とかね?

[6331] Re[6328][6325][6324][6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   琉球松 2011/12/18(Sun) 22:27 [Reply]
 大三元さん、ありがとうございます。

 「ことひ」は、現在の沖縄方言では「グテー(力持ち)」に転じてますけど、「特牛」が原義だったことは明らかだと思います。
 "「こと」は「特殊、特別」" と考えると、「誠」にも繋がりそうですね?

 「琴引岩」は一応ご神体といえそうですから、肯定的に解釈したいですけどどうでしょうか。
 しかし、だとしても何故に「特別な蛙」なんでしょうかね。スクナヒコナの素性を知る突破口を開いたからでしょうか。

[6330] Re[6328][6325][6324][6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   生田淳一郎 2011/12/18(Sun) 10:01 [Reply]
 大ドン、その調子でここへの書き込みをつづけてください。オネガヒします。
 小生がプレ神武体制をタジク語でみつけた(つもり)の書き込みは、あと数回で終わります。

 九州では「こって牛」といっていました。
 たしか、千葉市にも「コテ牛」があったと記憶しています。
 千葉あたりと北九州のイントネーションはほとんどいっしょです。

[6329] アラビア語をさわる資質    生田淳一郎 2011/12/18(Sun) 09:49 [Reply]
 ものごとは、極端を攻めてゆけば合点が早い・・・……。そうすると、「アラビア語を煮詰めてゆけば、日本史に限らずモノゴトの本質が露呈〜浮上する」ってぇな考えが正当性の頭をもたげてくるのではないか……。

 結論から先にいえば、ここらあたりに一切の思念とか疑念とかの問題点が凝縮している。並みの頭(ここがモンダイ)をもった人間なら、ここで足踏みをつづけることになるのではないかと思います。

 東大生の秀才が、アラビア語を徹底的にマスターしたことによって「並みの天才でない天才」とな(化)り、ここの限界を踏み破った人がいました。井筒利彦さん(故人)でした。小生が井筒利彦さんのことを知ったのは司馬遼太郎さんの対談集を読んで少し知っただけです。司馬さんの表現によれば、井筒さんは「天才を20人集めたほどの大天才」だそうです。
 なんでも、井筒さんはイスラーム哲学・宗教の世界一の第一人者だそうです。

 もしアラビア語が日本史や世界の言語に関係する資料を大いに提供するだけの内質をもっているものであれば、これほどの天才が見落とすはずは無いでしょう。
 また、アラビア語がそういう内質をもっていたとしても、言語系統樹のうえで大幅にちがうセム系言語を、小生らごときシロートがつっつく資格はねっからないものだと自重するのが本スジかと思います。
 「あの人は言語畑の学者だ」という場合の核は音素論の講義を聴いたかどうかのことをいっています。
 一時、言語学者がシロートのものいいをケナした時代がありました。そういう学者が、どこまで音素論をモノにしているかどうかが疑われるのに、沖縄語のまあまあの権威者・外間守善さんが小生にくらわせたように「言語学とはそんなもんじゃない」と威張る根拠は「音素論の講義を聴いたがどうか」です。

 川崎真治さんの語りのくだりに、セム系の b がインドやアジア語の d に対応するかどうかの際どい判断がありました。
そこをムリムリ「対応がある」と運んだあとは、ズラズラズラリと類似語彙が並んでいました。

 一昨年、小生は松本克己先生が世界規模の言語対比をなさっていることを知って「わてらシロートほざきの賞味期限は 3年ぐらいではないか」と、絶望を感じたものでした。

 われわれシロートが羽根をのばして飛びまわれる領域は、せいぜいアラビア語をはこんでくるペルシャ語どまりではないでしょうか。

[6328] Re[6325][6324][6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   大三元 2011/12/17(Sat) 21:21 [Reply]
琉球松さん

>  まあ、それはありえないとしても、そもそも「ゴト」って何なんでしょうか?

消化不十分なコメントになりそうですが「ことひ」という語が参考になるのではないかと思ってます。今でも山口県に「特牛」と書いて「こっとい」と読む地名(駅名のみ?)があります;古語でも「特牛」で「ことひ」です。頭の大きな牛、というのが直接的な意味のようです;そこから力強い牛、という意味になっています。
 どなたの説が忘れましたが「こと」は「特殊、特別」のことで(これは古語辞典でも確認できる)、残る「ひ」は「ひき、引き」が「ひ」に縮約されたものであろう、というのがありました。時代別国語大辞典上代編では「負ふ」(おふ){の活用形}「おひ」の縮約であろう、とします。
 これを「ことびき」に応用すると「特別な蛙」という意味合いを見ることが出来そうです。

一方「沖縄古語大辞典」には「あた・ぐゎほう=思わぬ幸運(果報)」という語が載っています。すなわち「いろんな幸運の中でも{思わぬ}幸運、特別な幸運」という意味合いが観じられます。したがって琉球語でも「あたびき」は「蛙の中でも{なんらかの意味で}他と違う蛙」の意味であろうか、と思います。但し蛙の場合には「つまらない者のたとえ」というネガティブな意味に使われるようです。

同じ語が正反対の意味を持つに至ることは散見されます(結構な話だ:良い話なのか悪い話なのか。イイカゲン:本来良い加減だったものが悪い意味になる。適当:相応しく当を得ているのに悪い意味に使う。)

「ことひ<ことひき、こと(お)ひ」での「こと」は牛が特別に有能であることを表したけど、「あたびき」の「あた」は蛙が特別につまらない蛙である、ということと理解します。さて「ことびき」の「こと」はどっちでしょうね。信仰されてる(?)とするらしいので蛙の中でも良い意味で特別な蛙なのかしら。。。

[6327] Re[6325][6324][6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   生田淳一郎 2011/12/16(Fri) 11:58 [Reply]
>  そもそも「ゴト」って何なんでしょうか?

★ 6324 のおしまいのところで、小生の直感しているところを申しのべました。
 いちおう、形容詞後置形なのも規則に沿っています。
★ 「あた」は古語辞典に「悪い意味」の接頭辞とありましたヨ。
 出雲方言では「いやがらせ、仕返し」。
 ウルドゥー語では atak(障害、じゃま者」
 ウルドゥー語といってもパカパカできません。江戸期で小ゼニを蓄えた女性がメカケを囲うようにマブ(男メカケ?)を囲ったのですが、そのマブはウルドゥー語辞書から拾ったのでした。maabub 。起源地はアラビア語ですって。
★ 4 〜5世紀、ヴォルガ河、ドン河河畔にいたゲルマン民族は匈奴の一種のフン族と接触し、大移動をし始めました。フンとはダックス・フンドなどの Hund(犬)かと思いきや、なんとなんとウンコのフンらしい。
 フン族はゲルマン人たちの家などへ、善意の「においつけ」をしたのかもしれません。オオカミが来ないように……。
 http://www.nicozon.net/watch/sm16177833 だれでも巣には興味をもつものらしいですナ。

★ そのウルドゥー語で 神は Xuda いいますだ。ペルシャ語発。タジク語も Xudo 。このように神も広域にひろがります、ゴトビキのゴトは神だとおもうんであります。

[6326] Re[6322][6321]: スキマ埋め    生田淳一郎 2011/12/16(Fri) 10:40 [Reply]
★ 出羽(いちおうネパール語 ; deb・・・神)三山の開祖はハチコ王子だといわれています。このハチコはタジク語で解くことはできません。
 王子と皇子は漢字使用のうえでも峻別されていて、王子のほうは宗教のトップに付されているようです。熊野路には王子街道などバッチリです。「王子」はネパール語ではなくタジク語です。aBdʃ・・・最高点、頂上、天頂。→ 朝鮮語のアブジ(父)。ここでもタジク語勢力が開発したところを、ネパール語勢力がうわ塗りした跡が見てとれます。
 
★ ピョン・ビョン、チョン・ヂョンいう朝鮮語は日本人から見ると、音のうえでは同じものを含んでいるかのようですが、ここは今から細部を調査するつもりでいます。
 神社にはよく狛犬さんが飾られていますが、このコマには タジク語の kom(願い)、komat(援助)が濃密に関わっていることを感じます。狛犬さんの鳴き声は「ア・ウン」ですが、これはインドネシア語でライオンの鳴き声でした。
 朝鮮の大衆は ウンコの好きなことが目立ちます。タジクの tamiz , tʃamil 感覚にどこまでついてゆけたか……です。
 狛犬は「高麗」とは関係ないとしたいところです。
 タジク語ではお下げ髪の前髪を kokul といいます。これが高句麗の語源らしい。また、お下げ髪、撒き髪を gesu といいます、こういう弁髪を軽蔑したのが「下衆」となって日本語に取り込まれ、残ったのではないかと guess します。

★ ハナシ・ポーンですが、小生は『ペルシャ語基本単語 2000』という本を買ったことがあります。
 この本では主としてヘンなカタカナ文字で読んだせいか、日本古代語との関係などは、まったく掴めませんでした。
 ところが、こんかい、大学書林のタジク語辞書では、以上のべきたように深甚なる関係が浮上したのです。
 多くの分派をみせる各種ペルシャ系言語のうち、タジク語だけが小生の目にひっかかってきたのでした。そのタジク語は歴史上有名な民族の言語が混成して 10世紀にできたといわれ、「新しい言語だ」と認識してもいいようです。
 大言語どうしの混血! このタジク語の中核を担った言葉は何語だったのか……。とくに日本の宗教・政治にくいこんでいる語彙群をもたらした言語の把握が急務になってきました。
 大言語どうしの混血は、ウルドゥー語にその典型を観察できます。 手許の『ウルドゥー語常用 6000語』(大学書林)に掲載されている語彙のすべてには、A アラビア語 H ヒンディー語 P ペルシャ語などで埋まっています。このうち、アラビア語が最も多いのですが、そのアラビア語はペルシャを通じて入ってくるというんです。
 おわかりでしょうか? アラビア語はどんどんどん、アジア各地へ「つよい言語」として波及しているんです。
 ヒンディー語とネパール語は同一と踏んでよろしい。

[6325] Re[6324][6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   琉球松 2011/12/16(Fri) 09:11 [Reply]
 「グクビキ」と繰り返しているうちに「グトゥビキ〜ゴトビキ」と転ずる可能性は十分あると思うんですけどね。

 まあ、それはありえないとしても、そもそも「ゴト」って何なんでしょうか?

[6324] Re[6323][6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   生田淳一郎 2011/12/15(Thu) 19:41 [Reply]
>  「ゴトビキ」の「ゴト」は、「タニグク(ヒキ蛙)」の「グク」が語源じゃないでしょうか?
>  その意味は問わないとして、「ゴト・グク」は響きが近い感じです。
>
>  ちなみに、沖縄方言で蛙は「アタビキ(現在は "アタビー" に転)」で、「アタ」は薩摩半島西海岸の古名か、田んぼに関わる「畦(アゼ)」のどちらかなのでしょう。

★ gt / bk 。T とK を同じ響きと受け取られるとは、オセアニアで培われたD.N.A様の然らせたまひしことにし非ずや。
★ アタ・・・・・多くの言語をミマショウぜ。
  決められんとは、決められんとですたい。認識とは異同の弁別だと思います。
  これをしなかったら、ナァ〜ンもせんよかタチがわ〜るい。
★ ばってん、ゴトビキの「ゴト」は、God じゃと、おら直感しちょります。

[6323] Re[6319][6318]: つくば から ゴトビキ へ   琉球松 2011/12/15(Thu) 15:56 [Reply]
 「ゴトビキ」の「ゴト」は、「タニグク(ヒキ蛙)」の「グク」が語源じゃないでしょうか?
 その意味は問わないとして、「ゴト・グク」は響きが近い感じです。

 ちなみに、沖縄方言で蛙は「アタビキ(現在は "アタビー" に転)」で、「アタ」は薩摩半島西海岸の古名か、田んぼに関わる「畦(アゼ)」のどちらかなのでしょう。

[6322] Re[6321]: スキマ埋め    生田淳一郎 2011/12/15(Thu) 12:43 [Reply]
 きのふ、島津をタジク語の目で見たことによって、小生の目がバカ読みをし始めました。
 永年ひっかかっていたタジク語のヘンな「語形と意味の関連」をもつ tʃaʃm(目)と tʃaʃma(泉)……、これが小生の読みちがいによる混乱に気がついたことによって、解決がみられたのです。
 「龍」という語彙は、いま読んでいるタジク語辞書には出ていません。しかし、ソグド語には ma;k , meg の語形で出ていますので、地底を這いまわる水神(龍)ということで、 tʃaʃm(目)と tʃaʃma(泉)の意味上の乖離は無くなります。これは秦氏の本貫にあるウズマサとおなじ発想によるものでしょう。

 小生のマチガヒは さきに tamiz(きれいな、清潔な)をみたとき、同じ意味の tʃamil があることに気がつかなかったことです。[ 寄りみちですが、これは 日本語、朝鮮語の みず、mil の語源かナァ〜、それにしてもウイルタ語の水は mu ]

 タジク語内部において tʃa は ta だったのです。これを tʃaʃm(目)と tʃaʃma(泉)に代入すると、「田島・但馬」が出るじゃあ〜りませんか。ことばだけのハナシですが、八重山〜長崎〜薩摩〜津軽〜小千谷〜小松のラインに但馬のくにが入ってきたのです。但馬近くの丹波のくにの tamba とは、パーリ語で銅、赤銅のことです。小生が高麗(こま)をパーリ語のコマ(クマル)では? と疑うのはここです。
 もう、こうなると、プレ神武体制は「日本列島じゅうに張りめぐらされていた」といいたいところです。
 
 佐々木さんのお話では「津軽は若狭方面にまで版図を持っていたのでは?」と、ありました。
 但馬にはマンジューが落ちているかもしれません。だれぞ、足の立つ人よ、マンジュー拾いに行ってくらはい。

 ナガスネヒコ一派は “ 中央 ” から去りましたが、その他のタジク語勢力は、明治維新のときの江戸幕府官僚とおなじように、神武新体制に吸収されたことでしょう。そして神武新体制とは、いよいよのネパール語系勢力だったと診れます。
 しかし、神武勢に吸収されなかったもうひとつの一派に、修行者たちがいました。彼らはゴトビキや那智の滝を中心に熊野勢力へと変身して行ったと思えるのですが、皆しゃん、いかが思われませふか。

[6321] スキマ埋め    生田淳一郎 2011/12/14(Wed) 11:01 [Reply]
 下 [ 6320 ] では、津軽が出たとたんにアラビア語まで飛んでゆきました。
 この飛躍は、いつも小生の書き込みを読んで下さっている方には説明は不要でしょう。が、ときどき読んで下さっている方には、やっぱすこしスキマ埋めが要るのでしょうか。

 たまたま日本の中央部ですが、奈良盆地は太古では湖だったせいで、有機物が堆積し、地味が肥え、稲作の反あたりの収穫高がバツグンに多いのです。そこで、ここには “ 中央 ” が集結します。
 小生はこれまで、八重山〜長崎〜薩摩〜津軽 という表現にこだわりすぎたキライがありました。すでに発表しましたが、この連盟には新潟県小千谷市が加わることが明らかになりました。
 また、さいきんの小生は、これに飛行場で有名な石川県小松市を睨んでいます。

 さいたま市(旧浦和)には小松原学園があります。ひとの名前だと云ってしまえばそれまでですが、なぜ「原」がつくのでしょう? また、松原だけでもいいじゃないですか。
 じつは、タジク語には komat baland(背丈が高い)という語があるのです。komat は背丈。
 小松といえば薩摩の家老じゃないすか。長崎県の小松家にわが本家の長女が嫁しました。
 そして薩摩には、国生さんというドエライ名前があります。意味は「国王」です。
 tʃamʃa(泉)が援用できるとすれば ʃma-z (島津)など、タジク語へほとんど同一の語形をしています。
 小生は永いあいだ、大久保利通の少年のころの顔がオセアニアのそれに似ていたため、薩摩の巨体はオセアニアの血によるものだろうと、勝手に考えていました。ーーが、どうも、そうじゃないらしい。

 この八重山〜長崎〜薩摩〜小松〜小千谷〜津軽は日本列島を西南から日本海ぞいに、旧表日本を支配地にしています。

 こういう支配体制ができあがっていたところへ、シナ人や朝鮮人の大量流入があって、西暦 600年、遣隋使・遣唐使がはじまります。漢字で表記される語彙だけがハイカラさんになって、漢字化されない語彙はイナカッぺーだとの評価をうけるようになります
 海や空を表わしていたサガルさんは、「空海」と名乗らないとヒトがついて来ないようになりました。

[6320] 古今東西・・・アラビア語に行きついた  生田淳一郎 2011/12/13(Tue) 17:07 [Reply]
 神奈備ドン、あり難うございました。
 小生には、どうも、あのイチイ(標準的和名、アララギ)の古木がご神体だったような気がしてなりません。
 天皇家では、今でも海外からやってきた賓客には、イチイの木で造った民芸品をプレゼントしているのです。
 イチイはアイヌ語ではラルマニ(ni は木)といいますが、このラルマとは darma 、すなわち宗教のことです。

 もう、京阪神地帯のタジク語をつつくべきときですが、またひっかかりが出ました。久志呂(釧路市)と津軽です。
 「釧路はアイヌ語だろうに」との声が聞こえてきそうですが、あそこに生田原(軍隊)とそれを監視する遠軽の地名がある以上、ほってけません。

 タジク語にはソグド語もまぎれこんでいるとのことです。そのソグド語には TUKAR という語があるのです。ソグド語の辞書は小生ごときポンコツ頭では、なかなかに読みとることが難しいのですが、TUKAR の項目に「TUKAR の王」とあって、これはどうも、「皇子が成長したとき、周辺のくにを斬りとって父のくにの連邦にする」というモンゴルにみられる習慣ではないかと愚考するしだいです。
 また、どこかで「津軽と筑波は白鳥文化でつながってる」との書き込みがあったことも気になるところです。

 ところが、ここで津軽が顔をだしたとたんに、小生のアタマはあっち飛びこっち飛び、地球をかけめぐり始めました。
 津軽なら長崎・薩摩と一心同体でつながっているはずじゃんか、日本にゼニを持ってきたのは長崎〜薩摩〜津軽の連盟だったはずじゃんけ、それはダラ(ドル)で、ドイツの TAL(谷)が起源地だったじゃねぇか…… etc です。

 804年、空海さんが 31才のとき行った唐の長安、洛陽はものすごいまでの国際都市で、ペルシャ人などがアラビア船でやってきていたという。芸事や酒舗がふんだんに見られたそうです。ーーということは、金銭経済が完熟していた。

 佐々木さんの御ことばですが『アラビア語・ペルシャ方言』……ですって!

[6319] Re[6318]: つくば から ゴトビキ へ   神奈備 2011/12/13(Tue) 09:51 [Reply]
>  神奈備ドン、熊野神宮のご神体が二つの石だというのはホントウでしょうか。

寡聞につき明確なことは知りません。
出雲の熊野大社は天狗山が本来のご神体とされています。
紀伊の熊野本宮大社については、ごとびき岩と花の窟を引っ張っているのでしたら、そこには磐坐信仰があったのでしょうが、ストレートには「石」は出てこないように思います。
しかし共に古い信仰を持っているようですから、「石」が絡んでいた可能性は否定できないのでしょう。


[6318] つくば から ゴトビキ へ   生田淳一郎 2011/12/12(Mon) 15:37 [Reply]
 みなしゃんのみ胸をお借りして、斯うしてまいにちキーワードみたいなタジク語を追いかけているうちに、だれも気づいてなかったプレ神武の古代体制が浮上してきました。神奈備ドン、みなしゃん、あり難うございます。
 
 書けばかくほど、いろんなことが分かってきて、なかなかに「関東・タジク」から離れられません。
 いまここに、志津神社と筑波峰の二つを追加します。
 志津神社は、まいとしの大晦日に那珂川の漁民 百人ばかりがヨイショヨイショ・ヨイショヨイショとかけ声をあげながら、西北 20キロの瓜連の神社にお詣りをするのです。タジク語 sidk(真理、真実)。この語は淡路島にもありました。
 瓜連の神社は山地の南端にありますので、そこから縄文海退の時間が割り出せるのではないでしょうか。

 ツクバの ツ は、朝鮮語・アイヌ語にみられる 2 です。タジク語の 2 は du 。日本語にも次、綱ぐ、「つがったツーヤン(トンボ)」のように ツ は食い入っているようです。筑波山の峰は二つあります。
 ツクバのクバはタジク語 kubba(勢力、威力)。 kubbaが関連する xub(良い、立派な、美しい)の語もあります。これは沖縄の聖木・クバになっているようです。x は k 音に変わりやすい x で、xub の開音が xuba 。

 さて、このへんで関東から離れたいのですが、イマイチひっかかるのがアイヌ語に残っている ピッキ(かえる)と九州でも使われている ビキ、ビキタン’(かえる)のことです。
 蛙はヒキ蛙、殿様かえる、蒼がえる、アマがえる……と 、普通 5種類ほどあって、ほとんどの民族は 5ヶぐらいの蛙の呼び名を持つものなんですが、小生が読んでいる辞書には kurbokka だけが載っています。これもタジク語が、あとで見るように人造語ではないかとの疑念をよびます。
 kurbokka(蛙)の語源分析ですが、 kur のところが皆目わかりません。しかし、 bokka は現在の日本でも山小屋に荷物を運びあげる ボッカだと直感します。蛙はなにかをピョコタン・ピョコタンと運んでいるんです。
 ネパール語で「運ぶ人」は bok wa 、bok si にしかならないのに、日本でボッカと言い習わせていることには永いあいだ疑問がありました。
 タジク語には O 偏執があるのです。タジク語は 10世紀にできあがったそうですが、それ以前の「タジクらしき勢力」が、かえるを bikki みたいにいっていたと踏みました。
 このビキによって、那智の滝とともに、ゴトビキ岩がタジク文化圏に入ってくるのです

 神奈備ドン、熊野神宮のご神体が二つの石だというのはホントウでしょうか。

[6317] 阪東美人    生田淳一郎 2011/12/11(Sun) 12:27 [Reply]
 なぜ、関東の、それも北部に位置する鹿島から九州の果てを防御する部隊がくりだしたのでしょうか?
 栃木〜喜多方〜阿武隈ラインは、鹿島・防人に籠められている古代の志向をかいま見ないことには片手落ちでしょう。

 中大兄皇子は関東勢力(中臣鎌足)と組むことによって、国家統一という一大改革を成就したといえるでしょう。
 中臣、中大兄の naka の内意はタジク語からは拾えません、あえて言うならアイヌ語の nak(場所)を援用することになり、そのこころは、国という呼称が定着する一歩前の「くに」であったと踏めます。
 中臣鎌足とは「すべての地方国家(naka)を dos で締めあげよう」との意気込みが内包されていました。
 鹿島という語はタジク語の tʃaʃm(目)、tʃaʃma(泉)を措いてほかには考えられません。このカシマが鹿島沖で次から次に遭難する船の安全を見守る神となり、これがアイヌ語にまで取り込まれていることは先に見ました。この意味が拡張されて防人(日本丸という船の航行を見守る)というところまでエスカレートして行ったと思えるのです。

 数個の広い沼沢をもつ阪東太郎(利根川)で述べましたが、バンドウには血の繋がり・・・一族の意味があります。
 阪東武者は一人ひとりが地主でサムライです。
 彼らはいつもトップ一人を立てますが、そのトップは数千、数万人の代弁者でした。そして軍団をバックにして中央から独立するうごきを見せました。平将門、足利一門、新田義貞とつづき、ついに鎌倉にいた頼朝、北條をトップにして朝廷に対抗できる幕府を作りました。このうごきは多くの闘争経験をもつタジク的な組織力ではないでしょうか。
 平の将門のタイラは ta pir というタジク語に還元でき、「宗教上の指導者」となります。

 河内からあそびに来たハナヤンが「東京の電車に乗ったら、美人だらけで目移りして困った」とボヤいていました。
 大阪のずんぐりむっくりの歌姫やシコメを思うにつけ「さもありなん」とこころから同情します。
 東京は江戸時代になるまで、キツネやムジナの棲むだだっ広いだけの氾濫原でした。
 九州から葛城にでて王族だらけになった末裔たちが、タマキハルの風に吹かれて伊豆・関東に入り、東京イントネーションを形成したと、小生は思っています。
 だれぞ、アフガニスタンやタジキスタンに飛んで、そこのイントネーションを調べてみませんか。ひょっとしたら、森山加代子の √ ♫♡ お屋根のテッペンでェ↗ ♫♡ 調のイントネーションが聴けるかもしれません。

[6316] Re[6315]: 阿武隈美人   生田淳一郎 2011/12/10(Sat) 20:27 [Reply]
 皆しゃんはナンの気なしに「阿武隈美人」のことをお読みになったのかもしれません。しかしこの着想〜提起は、八切止夫さんが 73人集まっても叶いっこない「日本どんでん返え史」ですぜ。 

 12月 9日の NHKアサイチ(朝一)で、男の声が「今年もあと僅かだ」といったら、脇にいたオナゴが「そうダネ」とこきやがった。「ーーだ」は日本語・朝鮮語と共通の肯定、断定の助詞ですが、これまでの日本のオナゴ衆はこういう言い回しはしませんでした。
 朝鮮勢力のアサちゃんどもが、「国際感覚に照らしても、あざといバレかたはしないだろう」とタカをくくってるのでしょうが、そういう態度は「アタマ隠して尻隠さず」のたぐい。ど〜も、朝鮮人はどこかが朝鮮人なのです。
 しゃべり終わりの最後の音節の直前にくるテニオハを必要以上の大声で強調し、しかも一瞬、発声の息を止める。このしゃべり方は朝鮮の「アニョヒ・ト・ポプシダ(さいなら)」のイントネーションを写したものであり、日本、日本人をなぶりものにしている勝者のゲへへ笑いにほかならない。

 わが闘争は「この日本列島にやってきた外(と)ツ国びとは、朝鮮人だけではなかったんだぞッ」ということを纏め、それを早くチョンピョンチョンどもにぶつけることであ〜〜る。

 今年は福島・いわきのアタリどしでした。アタリとは食アタリのそれで、ネパール語 atali-(悲しみにうちひしがれる、苦しむ)の同根語です。
 地震と原発事故で逃げ帰った次男坊が玄関先にクルマを置きました。いわきナンバーなのをみて、通りすがりの人がジロジロジロジロ見たそうです。
 阿武隈高地とは、いわき市から西北の二本松市に至る地帯です。
 喜多方がもしそうなら、王座が栃木から北上したことをいっています。これは、おそらくは宮城〜岩手に屯していた i / u 通音(ズーズー弁)の異人種を討てとの奈良勢力あたりからの要請があったからではないでしょうか。
 しかし、阿武隈タジク勢力は、それだけの力が無かった……シナ人や朝鮮人に比較して繁殖力が低かったとおもわれます。郡山〜福島市の地が可耕面積に比して、頗る人口密度が低かったので、明治期になって福岡県から大量の入植移民がありました。
 福島県の人種的特徴はもう一つあります。それは伊藤久男さんの顔に描いてあります。
 眉はそんなには黒くなく、いわゆる「毛虫眉」ではありませんが、その上下の巾が日本一に広いのです。
 http://www.youtube.com/watch?v=_vE6X7EG_LU 小三の孫がまっさきに気づきました。

[6315] 阿武隈美人   生田淳一郎 2011/12/10(Sat) 11:50 [Reply]
 下 [ 6314 ] にはヘンなことを並べましたが、オネラがあります。
 さきにタジクの中心地みたいな場所として栃木を挙げましたが、「王座の地」は動かないほうがオカシイ。
 狙いは会津若松の北、喜多方です。
 会津若松市という場所は『天地人』で有名になった直江兼続が攻めてくる徳川軍に備えて造った牙城だそうですが、ここのすぐ西に「本郷」という町があって、稲作が始まったあと、ここが平野の中心地だったことを証明しています。
 たしかに、喜多方はこの本郷の真北 15キロ地点にあります。しかし、ここは塩がとれる温泉に恵まれているのです。
 病気というものはストレスから来る神経異常がひき起こすもので、ほとんどの病気は身体を 温かくしながら睡眠を十分にとれば治るものです。王様にはいろんなストレスが押し寄せてきます。
 そろそろお分かりかと思いますが、塩を確保できて温泉に入れるとなれば、最高の土地であるはずです。

 タジクは多くの優れた民族が溶けこんでできあがった国ですが、総じて砂漠地帯です。そこに kiʃti(船)という語があります。不審におもってこれを追いかけたところ、 ki は「…というところの物」で 、stur がラクダ。すなわち、ラクダみたいなものが船でした。
 この成果を喜多方にあて嵌めると、 ki taxt (王座というところの場所)みたいなのが浮上するかと思います。
 この分析・解釈にはムリがあるかもしれません。しかし愚見では、イマイチの裾野があるのです。

 その人相を阿武隈美人とでも名づけましょうか。終世超美人に囲まれて暮らしている小生は、このテの女性の人相には美人との評価は下せませんが、大阪方面の人びとには、結構 “ 美人 ” との評価がいただけるかとおもいます。
 30 〜 40才の女性に特徴がみられます。顎や頬骨は張っておらず、縦長の楕円形です。
 小生がこの人相にはじめて接したのはグラビアカラー写真でした。一見して アッと驚きました。小生の狭い了見では「イギリスのご婦人」です。小鼻は張っておらず、鼻周辺のどこかに赤みがかったところが見られます。
 ちょっと云いすぎましたか、この地方出身の浦和の看護婦さんには「美人」の称号を与えるだけのご婦人もいました。
 
 このテのご婦人たちは阿武隈高地に農家の主婦として分布しています。代々農家だったからこそ、遺伝形質が凝固して見られるようになったともいえましょう。また、その中でも超がつく超美人は殿様連中に吸収されたとも考えられます。
映画『戦場に架ける橋』には多くの英国人の雑兵が出ました。彼らのヨメはんたちが阿武隈美人。
 ロンドンで焼き芋を売らせてみたら、だぁれもこれが日本人だとは気がつきません。そういう人相です。

[6314] タカミクラ?    生田淳一郎 2011/12/09(Fri) 19:27 [Reply]
 日本人には聞き慣れていない音の区分なんですが、タジク語には普通の「ハヒフヘホ……の h 」の音と、「喉を擦る ch (…チではなく K に近い)」の二様の近似音があります。それを タジク語では X と、その右下にノを描いたヘンな文字でいい表わしています。
 このように、日本人感覚では、「離れていて、飛び跳ねたような区分け」があったために、タジク語(みたいな言語)が、日本にはゆき亘らなかった原因だとも考えられます。

 ところで、ハナシポ〜ンですが、NHKが『坂の上の雲』を再放送しはじめました。
 これは、NHK に巣食う朝鮮人勢力が、「一挙放映したなら、日本人の愛国心感情が一挙に燃えあがる」ことを恐れたからでしょう。
 現代にあって、国境を接するということは、こういうゲレツな邪推を余儀なくさせられます。

 ところで、その放映を見て、多くのみなしゃんは、ロシアの将軍クロポトキンが遺していった豪華な寝台があったことを記憶していらっしゃるかと思います。
 ロシアとタジクとは大いに風習も変わっているのかもしれませんが、タジク語 taxt の意味は「王座・寝台」です。
taxkata になると、ただの “ 板 ” です。
板といっても、ばかにしてはイケません。大昔では、一本の樹木を 73500回ぐらい、削り削って仕上げるのです。
 taxt とタカミクラ・・・、どこかで噛んでいると小生は思っています。
 
 ついでに言うときますが、タジク語にはめんどうな英語流の C がありません。J も Y もないため、ロシア文字をもって来てヘンなふうになっています。
 
 タジク語と日本語・アイヌ語の類似語彙数は思ったよりも少ないです。「音素そのものが飛びぬけて狂うてるのかナ」と思っている今日このごろです。

[6317] 阪東美人    生田淳一郎 2011/12/11(Sun) 12:27 [Reply]
 なぜ、関東の、それも北部に位置する鹿島から九州の果てを防御する部隊がくりだしたのでしょうか?
 栃木〜喜多方〜阿武隈ラインは、鹿島・防人に籠められている古代の志向をかいま見ないことには片手落ちでしょう。

 中大兄皇子は関東勢力(中臣鎌足)と組むことによって、国家統一という一大改革を成就したといえるでしょう。
 中臣、中大兄の naka の内意はタジク語からは拾えません、あえて言うならアイヌ語の nak(場所)を援用することになり、そのこころは、国という呼称が定着する一歩前の「くに」であったと踏めます。
 中臣鎌足とは「すべての地方国家(naka)を dos で締めあげよう」との意気込みが内包されていました。
 鹿島という語はタジク語の tʃaʃm(目)、tʃaʃma(泉)を措いてほかには考えられません。このカシマが鹿島沖で次から次に遭難する船の安全を見守る神となり、これがアイヌ語にまで取り込まれていることは先に見ました。この意味が拡張されて防人(日本丸という船の航行を見守る)というところまでエスカレートして行ったと思えるのです。

 数個の広い沼沢をもつ阪東太郎(利根川)で述べましたが、バンドウには血の繋がり・・・一族の意味があります。
 阪東武者は一人ひとりが地主でサムライです。
 彼らはいつもトップ一人を立てますが、そのトップは数千、数万人の代弁者でした。そして軍団をバックにして中央から独立するうごきを見せました。平将門、足利一門、新田義貞とつづき、ついに鎌倉にいた頼朝、北條をトップにして朝廷に対抗できる幕府を作りました。このうごきは多くの闘争経験をもつタジク的な組織力ではないでしょうか。
 平の将門のタイラは ta pir というタジク語に還元でき、「宗教上の指導者」となります。

 河内からあそびに来たハナヤンが「東京の電車に乗ったら、美人だらけで目移りして困った」とボヤいていました。
 大阪のずんぐりむっくりの歌姫やシコメを思うにつけ「さもありなん」とこころから同情します。
 東京は江戸時代になるまで、キツネやムジナの棲むだだっ広いだけの氾濫原でした。
 九州から葛城にでて王族だらけになった末裔たちが、タマキハルの風に吹かれて伊豆・関東に入り、東京イントネーションを形成したと、小生は思っています。
 だれぞ、アフガニスタンやタジキスタンに飛んで、そこのイントネーションを調べてみませんか。ひょっとしたら、森山加代子の √ ♫♡ お屋根のテッペンでェ↗ ♫♡ 調のイントネーションが聴けるかもしれません。

[6316] Re[6315]: 阿武隈美人   生田淳一郎 2011/12/10(Sat) 20:27 [Reply]
 皆しゃんはナンの気なしに「阿武隈美人」のことをお読みになったのかもしれません。しかしこの着想〜提起は、八切止夫さんが 73人集まっても叶いっこない「日本どんでん返え史」ですぜ。 

 12月 9日の NHKアサイチ(朝一)で、男の声が「今年もあと僅かだ」といったら、脇にいたオナゴが「そうダネ」とこきやがった。「ーーだ」は日本語・朝鮮語と共通の肯定、断定の助詞ですが、これまでの日本のオナゴ衆はこういう言い回しはしませんでした。
 朝鮮勢力のアサちゃんどもが、「国際感覚に照らしても、あざといバレかたはしないだろう」とタカをくくってるのでしょうが、そういう態度は「アタマ隠して尻隠さず」のたぐい。ど〜も、朝鮮人はどこかが朝鮮人なのです。
 しゃべり終わりの最後の音節の直前にくるテニオハを必要以上の大声で強調し、しかも一瞬、発声の息を止める。このしゃべり方は朝鮮の「アニョヒ・ト・ポプシダ(さいなら)」のイントネーションを写したものであり、日本、日本人をなぶりものにしている勝者のゲへへ笑いにほかならない。

 わが闘争は「この日本列島にやってきた外(と)ツ国びとは、朝鮮人だけではなかったんだぞッ」ということを纏め、それを早くチョンピョンチョンどもにぶつけることであ〜〜る。

 今年は福島・いわきのアタリどしでした。アタリとは食アタリのそれで、ネパール語 atali-(悲しみにうちひしがれる、苦しむ)の同根語です。
 地震と原発事故で逃げ帰った次男坊が玄関先にクルマを置きました。いわきナンバーなのをみて、通りすがりの人がジロジロジロジロ見たそうです。
 阿武隈高地とは、いわき市から西北の二本松市に至る地帯です。
 喜多方がもしそうなら、王座が栃木から北上したことをいっています。これは、おそらくは宮城〜岩手に屯していた i / u 通音(ズーズー弁)の異人種を討てとの奈良勢力あたりからの要請があったからではないでしょうか。
 しかし、阿武隈タジク勢力は、それだけの力が無かった……シナ人や朝鮮人に比較して繁殖力が低かったとおもわれます。郡山〜福島市の地が可耕面積に比して、頗る人口密度が低かったので、明治期になって福岡県から大量の入植移民がありました。
 福島県の人種的特徴はもう一つあります。それは伊藤久男さんの顔に描いてあります。
 眉はそんなには黒くなく、いわゆる「毛虫眉」ではありませんが、その上下の巾が日本一に広いのです。
 http://www.youtube.com/watch?v=_vE6X7EG_LU 小三の孫がまっさきに気づきました。

[6315] 阿武隈美人   生田淳一郎 2011/12/10(Sat) 11:50 [Reply]
 下 [ 6314 ] にはヘンなことを並べましたが、オネラがあります。
 さきにタジクの中心地みたいな場所として栃木を挙げましたが、「王座の地」は動かないほうがオカシイ。
 狙いは会津若松の北、喜多方です。
 会津若松市という場所は『天地人』で有名になった直江兼続が攻めてくる徳川軍に備えて造った牙城だそうですが、ここのすぐ西に「本郷」という町があって、稲作が始まったあと、ここが平野の中心地だったことを証明しています。
 たしかに、喜多方はこの本郷の真北 15キロ地点にあります。しかし、ここは塩がとれる温泉に恵まれているのです。
 病気というものはストレスから来る神経異常がひき起こすもので、ほとんどの病気は身体を 温かくしながら睡眠を十分にとれば治るものです。王様にはいろんなストレスが押し寄せてきます。
 そろそろお分かりかと思いますが、塩を確保できて温泉に入れるとなれば、最高の土地であるはずです。

 タジクは多くの優れた民族が溶けこんでできあがった国ですが、総じて砂漠地帯です。そこに kiʃti(船)という語があります。不審におもってこれを追いかけたところ、 ki は「…というところの物」で 、stur がラクダ。すなわち、ラクダみたいなものが船でした。
 この成果を喜多方にあて嵌めると、 ki taxt (王座というところの場所)みたいなのが浮上するかと思います。
 この分析・解釈にはムリがあるかもしれません。しかし愚見では、イマイチの裾野があるのです。

 その人相を阿武隈美人とでも名づけましょうか。終世超美人に囲まれて暮らしている小生は、このテの女性の人相には美人との評価は下せませんが、大阪方面の人びとには、結構 “ 美人 ” との評価がいただけるかとおもいます。
 30 〜 40才の女性に特徴がみられます。顎や頬骨は張っておらず、縦長の楕円形です。
 小生がこの人相にはじめて接したのはグラビアカラー写真でした。一見して アッと驚きました。小生の狭い了見では「イギリスのご婦人」です。小鼻は張っておらず、鼻周辺のどこかに赤みがかったところが見られます。
 ちょっと云いすぎましたか、この地方出身の浦和の看護婦さんには「美人」の称号を与えるだけのご婦人もいました。
 
 このテのご婦人たちは阿武隈高地に農家の主婦として分布しています。代々農家だったからこそ、遺伝形質が凝固して見られるようになったともいえましょう。また、その中でも超がつく超美人は殿様連中に吸収されたとも考えられます。
映画『戦場に架ける橋』には多くの英国人の雑兵が出ました。彼らのヨメはんたちが阿武隈美人。
 ロンドンで焼き芋を売らせてみたら、だぁれもこれが日本人だとは気がつきません。そういう人相です。

[6314] タカミクラ?    生田淳一郎 2011/12/09(Fri) 19:27 [Reply]
 日本人には聞き慣れていない音の区分なんですが、タジク語には普通の「ハヒフヘホ……の h 」の音と、「喉を擦る ch (…チではなく K に近い)」の二様の近似音があります。それを タジク語では X と、その右下にノを描いたヘンな文字でいい表わしています。
 このように、日本人感覚では、「離れていて、飛び跳ねたような区分け」があったために、タジク語(みたいな言語)が、日本にはゆき亘らなかった原因だとも考えられます。

 ところで、ハナシポ〜ンですが、NHKが『坂の上の雲』を再放送しはじめました。
 これは、NHK に巣食う朝鮮人勢力が、「一挙放映したなら、日本人の愛国心感情が一挙に燃えあがる」ことを恐れたからでしょう。
 現代にあって、国境を接するということは、こういうゲレツな邪推を余儀なくさせられます。

 ところで、その放映を見て、多くのみなしゃんは、ロシアの将軍クロポトキンが遺していった豪華な寝台があったことを記憶していらっしゃるかと思います。
 ロシアとタジクとは大いに風習も変わっているのかもしれませんが、タジク語 taxt の意味は「王座・寝台」です。
taxkata になると、ただの “ 板 ” です。
板といっても、ばかにしてはイケません。大昔では、一本の樹木を 73500回ぐらい、削り削って仕上げるのです。
 taxt とタカミクラ・・・、どこかで噛んでいると小生は思っています。
 
 ついでに言うときますが、タジク語にはめんどうな英語流の C がありません。J も Y もないため、ロシア文字をもって来てヘンなふうになっています。
 
 タジク語と日本語・アイヌ語の類似語彙数は思ったよりも少ないです。「音素そのものが飛びぬけて狂うてるのかナ」と思っている今日このごろです。

[6313] 親ばかチャンリン   生田淳一郎 2011/12/08(Thu) 10:31 [Reply]
 セッセセ〜のヨイヨイヨイ。こんけぇはタジク語との関係で平べったいところを並べましょう。
 セッセセ〜のヨイヨイヨイ・・・・・、se は 3 , yo は四つ < いよいよ。

★ 裏の神奈備掲示板で、いま、「多賀」があがっていますが、その多賀の意味はどうでもいいらしい。
 たがね、タジク語 tag には下部、底、土台の訳がつけられています。その神社や城(多賀城)をわれわれの文化や勢力の基底部に据えようとの思念が込められているのではなかろうか。

★ 坂田のキントキちゃん。 / タジク語 sarkarda(首長、領主)。坂上田村麻呂さんも、いちどサカなんとかさんの家に入り婿したとか。

★ 「かわず(かえる)」の語源。カジカは河鹿。蛙と関係がある。 / タジク語 gawazn が鹿のこと。
 そういえば、駒ヶ根市には 「オウ(水)」さんがいる。この人には小鼻がほとんどない。見るからに尊敬したくなるようなお顔をしてござる。もう少し南下した飯田市一帯には「ぐく(タジク語の蛙)」という方言がある。

★ タジク語 bale(いいぞ、うまいぞ)。アイヌ語といわず ar は WWで「意表を衝かれた、気づかなかった」みたいな意味で、an ,とか 促音となる。an はアイヌ語で「まったくの」。appare・・・アッパレ、天晴れ。

★ 戦後シナから引き揚げて、田川市に来たがトゥちゃんがヨイヨイで倒れて苦労していた中村セキさんがいた。
 じぶんはミシンのセールスをし、息子にはオートバイを買ってやってミシンの出荷係をやらせていたが、息子がヘマばかりするので心配がたえなかった。
 アカぬけたオバンで、みんなの前でくちびるにベッティーちゃんのようにちいさな山二つをくち紅で描いていた。
 息子をボヤくときにはいつも「親バカ・チャンリン」とつぶやいた。つぶやいた後にはいつも、「チャンリンとは囃しことばネ」と言っていた。
 タジク語 tʃanlin には「いくつかの、多くの、これほどの」という訳がつけられています。
 親というものは「これほどまでにバカなのら」、「多くも少なくも、これほどまでにバカ」なのら。

[6312] 多武の峰も二重構造だった  生田淳一郎 2011/12/07(Wed) 13:56 [Reply]
 日本の神事とか制度などの要所々々にくいこんでいるタジク語の色を紫がかった青とすると、ネパール語は明るい青色ということになりましょうか。小生はそのように感受しています。
 で、日本文化は二重の西洋系言語がかかわっているのです。

 いつの時代でも、どこの国でも、大きな革新は、トップを支える NO 2(腹心)が成功させます。
 天皇としての身分ではなく NO 2 としての中大兄皇子(のちの天智天皇)が腹心の中臣鎌足に支えられて645年の大化の改新を成功させました。鎌足が死んだとき、天皇は鎌足一門を聖職者・バラモンに仕立てあげようと計りました。

 喪という風習はシナから来たものでしょうが、西洋でもありました。それをタジク語は motam といいますが、 tam はネパール語の dhar に相当して刀のヤイバのことです。死人の胸に刃物を置く風習からきたものらしいです。(タジク語の - m という末尾辞の機能が、小生にはまだ分かっていません)。
 鎌足は談山の多武(発音はトゥ・・・刀)の嶺におさめられます。
 このタジク語 tam をうけて、ネパール語の tama(銅)原音の tam (刀)へと切り替えた跡が歴然です。tam は今ではアイヌ語の刀ですが、ビルマ語の支流語にも tam がありますので、これは族際語です。

 藤原の huzi はネパール語では「冨士」は出ませんが、タジク語なら “ 駒 ” ちゅうのコマ・・・富士山の意味が出ます。  wara , bala にはネパール語で「子供・末裔」の意味が出て、子々孫々に伝える内意が如実に出ます。

 鎌足のタリは沖縄のターリー(だんな)です。インドネシア語の butara(男神)の系統をひくものでしょう。
 鎌足の鎌・・・草を刈る・・・はタジク語で dos といいます。 dos はネパール語で「咎める」であります。
 鎌足という名前には「四の五のいうやつは片っ端から詮議だてして、目にあまるヤツはぶっ殺すぞ」という脅しが内包されていました。あ、大地の護り神のへび(Xam)も、先日のべたように懸詞されています。

[6311] 若駒が跳ねた日本列島    生田淳一郎 2011/12/06(Tue) 12:56 [Reply]
 下 [ 6310 ] で書きもらしました。カイラスの意味は、説明なしでは「雷神が積み重なってできた堆積」となってしまいます。が、考え方として木屑の山などという「堆積物」は、「山」という概念とイクオールだったのでした。
 
 小生が読んでいるタジク語の辞書には山という語彙が三つでていて次にように解説がなされています。
● koh・・・・・ 山
● toda・・・・・群、集団、大衆、山、堆積
● koma・・…積み重ね、堆積、◯◯の山
 すなわち、この人たちはヒマラヤなどの大褶曲山脈の山々をみて共通概念としているのです。
 ついでに言いますと、山の顔部分(の下)には「横、巾、胸、横腹」をいう語彙があります。これは堆積岩の層をいっているかと思えます。

 このうち koh は高野山など鉱物掘りや聖山として名前を遺しているような気がしますが、確定的ではありません。
 しかし「駒」はシッカリとした語形と概念を持っていて、神武以前の古代体制をひっぱり出す力がありそうです。
 駒というのは、老馬の反対で、若い馬の総称ということだそうですが、その “ 駒 ” があちこちの高い嶺の名につけられているのは、やっぱタジク語勢力 の範囲を語っているとおもいます、

 北からいうと、まず大沼国立公園の駒ヶ岳。でも、その南限は甲斐の巨摩とか駒ヶ根市どまり……らしい。
 するとここにも方言分布を区分するといわれているフォッサ・マグナラインが浮上することになりましょうか。
 これまで小生は、i / u 通音地帯(日本の東北〜朝鮮〜蒙古〜トルコ)で、東北は朝鮮系発音だと考えてきましたが、ここにも「重層」があったわけです。
 
 みなしゃんは、英語と日本語のあいだに、どれくらいの類似語彙を挙げられましょうか。こたえは so のほかには、あんまし無いはずです。それと同じようなことで、タジク語はネパール語と較べると、一般の語彙での類似がとても少ないです。それでも、これまで述べてきたように、神事とか制度など重要な語彙では深く日本語にくい込んでいます。
 これまで、日本語とタジク語の関係などと、だぁれもいわなかった領域に、いま門をはいったばかりの時点です。
 おおくのまちがいを冒すことなく、この関門は通過できないことでせふ。

[6310] 古代発音だったカイラス山    生田淳一郎 2011/12/05(Mon) 13:20 [Reply]
 古代語で末尾にくる i という音や文字は、クセモノです。

 ネパール語の追求を始めるまえ、小生は当時浜田山にいらっしゃった鳥羽先生と電話で交信していました。
 そして 20年前、ここの掲示板で桜左近氏から「秋田のキサ(象)や鍛冶という語の源は、カトマンズにいるネパールの先住民族であるネワール族のことばである」と教えられたので、そのネワール語をぜひ知りたいとこころがけました。
 
 そこへ「ネワール古語辞典が出版されている」との情報が入りました。そこで「ネワール古語辞典」をさがしたのですがキカイ・オンチの小生にはまったくつかまりません。
 斯くなるうえはと、鳥羽先生を追いかけ回したのですが、この先生もどこに行ったのか、行方不明です。
 そうこうするうちに、合いの人が、いつもはネパールに行ってる札幌のお医者さんが、いつも春には札幌の喫茶店に現れるという情報をいれてくれました。
 そこで二年待ち、三年めにようやく鳥羽先生の挙動がつかめたのでしたが、「ネワール古語辞典などという出版物はどこにもない」との返答をもらったのが、三年前のことでした。

 でも、こんかいタジク語の辞書を精読したことによって、「鍛冶」の語形と内意は掴めたと、思っています。
 それは天国と訳されている「カイラス山」の カイの分析によって新境地がひらけたからです。

 瑣末なことは省いていいますが、カイラスのラスはアイヌ語にもある「木屑などの堆積・・・積み重ね」です。そしてカイとは朝鮮語にみられる雷神です。この kai の音を日本語流に「カ・イ」と受け取るのでオカシくなっていた。 カイの イ は kay または kaj 含みの「イ」だったんでした。
 「Yまたは J ふくみの古代発音の i があった」と置いてみると、暗雲は消え去ります。

 あのへんに行って、ネパール語辞典にでている Jamatai(人びとの集まり、集会)を発音させてみると、だぁれもジャマタイとはいわずに、われわれの耳には Yamatai ときこえると思います。
 豪族連合国家・・・ヤマタイ。いまでも天皇は象徴であり、その昔は卑弥呼のようなクマル・クマリだった。

[6309] 「これは新しい日本語だぞ」という接頭辞    生田淳一郎 2011/12/04(Sun) 08:15 [Reply]
 ウマシアシカビ・ヒコジ・・・などという太古の始源的ことばには、多くの懸詞が連なっているとみて間違いありません。
 そこで、それを掘りかえしていたところ、まっさきの「ウマ」で、かなりの発見に恵まれたみたいなのでご披露です。

 どこの人種、文化、言語も混血がなかったら滅びる・・・というのは鉄則です。
 もう、35年もまえのことでしょうか、川崎真治さんのところへ遊びに行ったとき、川崎さんが「借り入れ先明示辞」なることを言いだしたのです。
 「借り入れ先明示辞」というのは、「この語彙は◯◯なる他民族からの借用であるぞ」ということを示す語彙で、それは総ての言語にみられる」という考えかたです。この主張は川崎真治さんのどの本にも書いてないので、まあ、いうなれば、一種のつよい感慨といったところだったでしょうか。
 これを聴いた小生は、たちまちの反論もないままに現在に至っているわけですが、それとは別に、「これはわれわれの言葉であるぞ」という明示辞があっても良いし、またあったと思えるのです。それはたちまちのところ、接頭の「ウ」です。

 バイといっていたシナ語の梅のアタマに「ウ」をつけて「ウメ」という日本語を造っています。「マ」という音に「ウ」を接頭させてウマ(馬)を、風を意味する「シ」に「ウ」を接頭させて日本語の牛を造語しています。

 *ma はタジク語で *食べる(もの)とか、味がいいという意味でしたが、これに「ウ」を接頭させてウマウマとか「ウマし」という日本語をつくっています。これらは日本語ができるときの大きな基幹となっていたはずです。
 この「ウ」はべつに取りたてての意味を持たないのが特徴です。しかし、大を意味する u- や、アイヌ語とも共通する日本古語の ur(水)、こころを意味する ura 、西洋系の ur(超)も混入するので要注意です。
 「ウ」のほかにも、こういうのがあったとおもわれます。「オ」もつよく匂います。

 アイヌ語では「われわれの」を意味する「チ」の接頭がモロにそれを露頭させています。チキサニ、チラマンテプ、チロンヌップ、チマイレ、チセ・・・・・。ただし、鳥の チカップの チ は chir(鳥)ですのでアマカネ。
 
 ここでトヨウケを分析しておきましょう。
 「ウ」には上述のように意味はありません、 ke は、ネパール語その他の ka(飲む、食べる)が、畑の khet に出会って変形したもの。

[6308] 紙と神・ウマシアシカビ    生田淳一郎 2011/12/03(Sat) 13:17 [Reply]
 人間に影響を与える「風圧」の一切が神になる……高橋稔。 
 遠い記憶ですが、スクナヒコナ神には「人びとに家の建て方を教えたので、有り難たがられた」との伝説が付着していたのではなかったでしょうか。タジク語 sukunat には「居住」という意味があります。
「スクナ・ヒコナ」という言い回しは、ネパール語でよく見かける「お調子ことば」です。ここにも他言語で出来ていた名前をネパール語ふうに言い換えた跡が感じられます。

 ネパール語で葦は narkat といいます。この kat は「切る」という意味がつよいかとおもわれますが、kat はタジク語では寝台です。「トヨアシハラ・ナカツくに」にはネパール語の narkat が含まれているようです。
 “ 葦 ” はタジク語で kamiШ(Шは ʃ で、発音は sh です。ポンコツ掲示板には ʃ が入らないので、Ш を使います)。
 また、葦は nai ともいって、これはアイヌ語川名の nai とpet の区分とか考えかたに大きな規制ワクをはめそうです。

 kamiШ とは、紙や神に直結した概念をつきつけるようです。
 紙といえば、エジプトのパピルスを想いおこさせますが、蒙古軍がアラビヤに侵入したとき、捕虜になったシナ兵が紙を漉く方法を伝えたことも有名です。いづれにしても、水辺の禾本科植物がかんでいます。
 この紙は道具のうえのことですが、もっと基本的な「神」も、この kamiШ に付着しているかとおもわれます。
 スイス東部のオーストリア領でも12月末にナマハゲが現れますが、やっぱ身体に葦をまとわらせています。

 紀元前 2万年に極寒地に入った人類は、イヌイット(エスキモー)のようにめっぽう寒さにつよい肌をきたえあげましたが、それでも寒いので犬やオオカミの毛皮を纏いました。それでも寝るときは体温がさがります。そこで、当然にも穴を掘ってムロを作り、そこへ石包丁で切ってあつめた大量の葦を束にして押し込み、カァちゃんつれてそこへむぐりこんだ……が、いえると思います。これがツマゴミ。

 ゴリラは水に入ったり、泳いだりはしないと思われてきましたが、ヘソまで水に漬かって葦の新芽を食べたゴリラが隠しカメラで撮影され、テレビで流れました。この新芽こそネパール語の gabo(若芽・若芽)でしょう。そしてこれは、ウマシアシカビの kabi だと断定したいところです。
 ついでにいえば、ウマシアシカビ・ヒコジのヒコジとはタジク語の hikoi(物語)にほかには考えられません。hikoi としましたが末尾の i は ロシア文字の Я が使わています。イ と発音しても構わないのですが j がらみの i です。
  hikoЯは「物語」と訳されていますが、これはお婆様が子供に語ってあげる物語ではなく、お経や呪文の句だと考えたいところです。

[6307] Re[6306][6305][6304]: イザナギ イザナミ       琉球松 2011/12/02(Fri) 21:29 [Reply]
 ヂヂィとは限らないですよ。伝承者は女性かも。

[6306] Re[6305][6304]: イザナギ イザナミ       生田淳一郎 2011/12/02(Fri) 20:26 [Reply]
>  色々と説があり、どれもうなずけるんですけど、「波・凪」説はどうでしょう?
★ 神話を遺した むかしヂヂィのみなしゃん、おみき飲んで酔っぱだっちゃんでは? 神話の大筋の大筋だけを現代の個がつまみ食いすりゃヨカっぺぇよ。


>  「イザ」はここでは問わないとして。。。
>  イザナミは「1日に1000人を殺す」と宣言し、暴力(波立たせる)の側に立ってしまったからこそ、イザナギは「1日に1500の産屋を建てる」と、和(凪?)の側に立ったんじゃないでしょうかね。
★ こんなのを、むかしのヂヂィが本気でいうたと思います kane ?

>  縄文の女性的?な平和な時代と、半島などから渡来した男性的勢力との結婚の末に「倭国の乱(カグツチ)」が誕生したと解釈したいんですけどどうでしょうか。
★ 以下同文

>  自らが招いた "乱" の責任を感たからこそ、イザナギは禊ぎ(瀬戸内海で?)をしたと考えたいんですよ。
>  日本本土と沖縄のホト」に関わる話の男女の逆転も、そのあたりから説明できそうな気がしますね。
★ 以下、同文でんがナ。紀記・古文圏に書いてあることとは、ウソをホントにする詐術だらめ。

 あ、おら、酒のんぢょらんばい。

[6305] Re[6304]: イザナギ イザナミ       琉球松 2011/12/02(Fri) 19:41 [Reply]
 色々と説があり、どれもうなずけるんですけど、「波・凪」説はどうでしょう?

 「イザ」はここでは問わないとして。。。
 イザナミは「1日に1000人を殺す」と宣言し、暴力(波立たせる)の側に立ってしまったからこそ、イザナギは「1日に1500の産屋を建てる」と、和(凪?)の側に立ったんじゃないでしょうかね。
 縄文の女性的?な平和な時代と、半島などから渡来した男性的勢力との結婚の末に「倭国の乱(カグツチ)」が誕生したと解釈したいんですけどどうでしょうか。
 
 自らが招いた "乱" の責任を感たからこそ、イザナギは禊ぎ(瀬戸内海で?)をしたと考えたいんですよ。
 日本本土と沖縄の「ホト」に関わる話の男女の逆転も、そのあたりから説明できそうな気がしますね。

[6304] イザナギ イザナミ       生田淳一郎 2011/12/02(Fri) 13:25 [Reply]
 佐々木さんはどうしておられるのかなぁ〜。おめめわ〜るいんだらふか。
 イザナギ・イザナミはここで 2度 3度とりあげたテーマですが、これまでいちばんインパクトに満ちた考証は佐々木さんに教えていただいた聖木の「梛(ナギ)」でした。
 これまではタジク語という層があることなど気にしなかったし、ひとつは伊邪那岐という漢字の邪にジャマされたこともあって、ネパール語の jyan(いのち)を援用し、「イノチ神」で、ヤナギの木などもこの範疇内に容れてきました。
 しかし、考えてみると、ネパール語の jyan も タジク語の izad(神)の iza も、同じヨーロッパ語で同根だとの見方も成立しましょう。イザナギとは「梛の神」が始発概念だったと思います。
 春日大社の梛は 1000年も前に移植されていることが判っています。そして、防人が鹿島神宮から出発したように、遣隋使・遣唐使は春日神宮から旅立ってゆきました。そこで空想をタクマシくすると、「鹿の宮殿」というタジク語で造られた「カスガ」が神武新体制下ではネパール語系造語で「ka(鹿)・sugghar(綺麗、清潔)」へと意味解釈が施されて現在に至ったと、おもわれるのです。
 タジク語 gawazn が鹿、kasrが宮殿・城(英語 castle)ですが、発音しにくいので別語に短縮されていたと推測。

 ナギの木は雌雄異株です。ですからイザナギの神は、男神なのか女神なのかの区別がつきません。ところがイザナギ神が子供を造らねばならなくなったとき、 gi が男で mi が女であることを謂う便利な区分がありました。
 それは アイヌ語に残っている ニーィ(屹立した男根)と mi(女陰)です。
 日本語のほうでは 「ニーィ = ギ」 は消えましたが、ミのほうは沖縄の homi(女陰)に残っています。その mi の語源みたいなのがタジク語の hom(実)でした。朝鮮語の yam(実)はタジク語の hom と関係があることでしょう。


 上に出ている izad の d 、gawazn の zn など末尾辞の意味が採れればいうことナシです。小生はこれらの意味とりを切望することシキリのうちに悪戦苦闘ちゅうです。くずドン助けてくださいナ。

 アイヌ語はアイウエオカキ・・・などの一音語がベースになっている傾向が強いのですが、タジク語は「子音+母音+子音」の三つの音素が造語のベースになっている傾向が大です。
 それらを以下にちょっと並べますが、あとは http://6712.teacup.com/bhasa/bbs で並べます。
 abr 雲 all 正義 alo 支払い ail 馬の腹おび aka 兄 apa 姉 aks 反射 alo まだらの ang 知力、思慮 amr 事、事物 arz 土地、巾、横 asl 根源、起源、血統 asp 馬 aso 杖 asl 時代、年代 atr 香水 afv 容赦 aʃk 涙 ahl 人 akl 叡智 baht 運 bad わるい bar 陸地 bas 十分に、多く bat 鴨 gi 時代、期、行為 bed 柳 zan 妻。

 なぜ、梛が聖木なのか……、だれぞ石斧で伐採してみるといい。おそらくフラボノイドでおっ死ぬだらふ。

[6303] 神 = 自我 の構造    生田淳一郎 2011/12/01(Thu) 13:50 [Reply]
 oʃ はタジク語で食べ物という意味です。そして古代日本語で「おす、をす」といえば「天皇様がお食べになる」という意味です。この oʃ と「おす、をす」の二つの語は、他にまぎれを許さず、同根同一だと踏めます。
 ということは、この日本列島のあちこちでタジク人が天下をとっていたこと、そして、そこには二層〜複数層の身分分科があったという推測を必然にします。

 さきに小生は http://6712.teacup.com/bhasa/bbs?page=3& で、インドネシア語に「神は自我にあり」との見解があることを訴えました(swa と iswal の関係)。
 ところが、これと同じ考えかたがタジク語でもいえることを見出し、おどろいています。
 Xud(自身、自己) と Xudo(神)です。この X は侠擦音で ku にも容易に音転します。アイヌ語の ku(わたし)と関係あるとすれば、東洋規模のひろがりも予測され、由々しいかぎりです。
 「 -ʃ 」は◯◯するという動詞形成末尾辞ですが、「Xuʃ(よい、ここち良い)」とはそういった神写しの考えの投射であり、富士山の語源であり、更にサムライだけに許されていた切腹は、ここを離れては理解不能とおもわれます。

 とまれ日本列島の住民は太古々々の昔から「キミョウな自分という現象」が神に根ざしていることを疑わず、身を清烈にして暮らすことをこころがけてきました。そこには「不完全なことば」などの介入は必要ありません。
 ここを大根源に据えてれば、キリスト教や朝鮮の朱子学のように倫理をゴチャゴチャ言う必要はないわけです。
 日本の神社の中核はここです。


★ タジク語はペルシャ語と同一根幹を持っていますが、多くの他民族に囲まれているあいだに「変種」となりました。
★ 濁音を多用しますが、これは周囲に他民族をひかえ、抗争の結果だと愚考しています。
★ 上でみた 侠擦音の X はただの h と、ほとんど同じ記号を用います。K にも q に似た音と、ふつうの k がありますが、その差は文字 x 、k の右下に小さな “ノ ” を入れるだけなので、顕微鏡を使っても見落としは免れません。
★ ふつうの y という文字は ウ と発音しますが、その上に “ _” を置くと オ と発音します。これがまた、細くって肉眼では区分できないので、ルーペ無しでは読み取りがでけまへんねん。

[6302] ヒラサカ と 桃   生田淳一郎 2011/11/30(Wed) 11:30 [Reply]
 かなりの日本語が、タジク語勢力が残した神話、伝説、制度、習慣などをベースにしながら、ネパール語的な新しい体制下で、改めて、造語されて行った足跡を感じています。
 「桃」もその範疇内のものでしょう。「桃」はこの日本列島で造語された……みたいです。

 「ヨモ(夜・国)ツ(の)hira(濁った、光沢のない、曇った)サカ(境)」でスサノオが投げた桃の実は、その頃は「モモ」とはいってなかった。桃は ʃaftolu でした。この ʃaf も tolu も語源が分かればシメタもんですが、スンマッシェン、今のオレにはわかりません。
 そして訴えたいことは、この辞書では ʃaf で始まる語彙は、この ʃaftolu と ʃafak(黎明、暁)の二つだけです。この ak は光線だと判っています。 アケボノの ak でしょうね。
 追いすがってくるバケモノ共に桃の実を投げたということは「もう光さす場だぜ」という主張だったと想われます。
 momo を想わせるタジク語の語形もあります。tamom(完成、完了)です。
 「黄泉の国はこれで終わりだヨ」とか「ta(身体)の完成状態で勝負しろ」の意味があったのかもしれません。

 また、mom は母であり、momo はひい婆さんです。もしこれが「桃」にかかわりあるものならば、「てめぇら、白骨だらけの顔しやがって、カーネーション(肉)つけて出なおしやがれ」……だったことでしょう。


 さきに小生は、「タジク語には 0 偏執がある」と申しました。周辺言語で a というところを、o というクセがあるのです。朝鮮語を含めて、世界中が sal(年)といっているのに、タジク語は頑強に sol といっているんです。
 「この頑強なクセを見抜かないとタジク語の語彙対比は成立しない」は、けっして言い過ぎではありません。
 以下、O 偏執を例挙します。
 azon(集会への呼びかけ、アザーン)、boʃande(住民・・・ネパール語 bas)、*ota(族際形 ; at・・・熱)、dokon(店・・・ドカン)、inson(人・・・インサーン)、isrom(イスラーム)、odam(人間・・・アダム)、saroi(キャラバンサライ)、todʃik(タジク)、tʃoi(茶)、ʃikor(狩り・・・シカリ)、ʃoha(枝・・・アイヌ語 chaha 小枝)、ozbek(ウズベク人)、oigur(ウイグル人)、kabob(焼き肉 カバブ)。

[6301] シロートの構造 と 生成文法   生田淳一郎 2011/11/29(Tue) 13:28 [Reply]
 ここまでの分析ができる頭脳を開陳させた責任を感じます。
 神奈備ドン、下の { 6300 ] は削除してあげたほうがいいのではないでしょうか。

 
 構造主義はもう流行っていないのかどうか、小生はつぶさには知りませんが、要するに地平を深掘りして事物の現象に潜伏しているスジを掴もうとするヤリクチでしょう。
 このごろはチョムスキーさんの生成文法という考えかたが流行っているそうですが、これもよくは知りません。
 でもでも、いま小生がやっているタジク語には、そういう深甚なリクツ抜きで、構造とか生成文法みたいなのが、具体的な事例で展開されていて、それを未熟な表現ながらみなしゃんにお伝えできるような気がしています。

 ここ 3ヶ月ほど、小生は 260頁のタジク語辞書(大学書林刊)を 4回読み、5回、流し読みをしました。
 タジク語はケタタマしいものを含んでいて、これまで折にふれ少しづつ紹介してきましたが、こうして真っ正面からとりくんでみましたら、そこには神武東征前の日本の支配体制が浮上してきたかとおもえます。
 
 一つだけ例をあげますと、これまでは猿田彦はネパール語の sar(移動する)を援用して「物流を司る神」みたいに解釈してきました。しかし、これはタジク語 sar(首領)だと思いなおしました。天孫降臨のとき赤い顔の天狗みたいな猿田彦が出迎えて案内したそうですが、そのときの猿田彦は田んぼも税金も知らぬ地方豪族だったとおもえるのです。

 さきに小生は代表的な語彙約 20項目をあげてインドネシア語文化をかいまみましたが、同じような作業でタジク文化を紹介できます。これはここと、別掲示板を使いながら、おいおい開陳する予定です。

 生成文法の生成とは D.N.A様の自己展開を裏において、ことばも使用のうちに内容が変化して別の語彙が生まれてきます。これも別掲示板を利用して冗長となるを避けるつもりです。

 で、日本、日本文化は(いまのところ)二つの西洋系勢力によって開発されたものと、ほぼこれ断定です。
 日本は多くの氏族、民族の吹きだまりだと、漠然と考えるのは楽なもんですが、具体的に他の言語のなかにもぐりこめば、更なる新鮮な展開に恵まれる・・・・・と、いえそうです。

[6300] Re[6299][6298][6297][6295][6294]: 数字列  くず 2011/11/29(Tue) 08:15 [Reply]
>生田さん、
>それにしても「偶然」でしょうか。こんなに「整然」に恵まれたとは。

8=10−2に気がつかれていたなら、あとはそんなに難しい事組み立てではないと思いますよ。
以下は余計なお世話にも思いますが、

ある数(α)を8倍するという事は、ある数を10倍したのち、そこからある数の2倍を引く事に等しい。
で、ある数の2倍を引くとはある数を2回引く事に同じ。

8α= 10α―2α= 10α―α―α

ある数が12345・・・のような数字であった場合を考えますと、
まず10倍とする事でおしりに0がついて1桁上がります。
そこから12345を引くと、数列が1桁ずれる事により、

     123450
     ―12345
____________
     111105

この1桁ずれる引き算 がポイントで、
当然ですが答えは、上から1111・・という数字が並ぶ事になります。

この時、下1桁は0−5(末尾の数字)となるので、111とはならなくなりますが、
今回の数列ではその末尾の数字と同じ数値を足す事で、末尾を相殺し、結果

     123450
     ―12340 (−5+5)
_______________
     111110

と数字がそろえられ、さらにここからもう一度αを引く事を考えると、

     111110
     −12345
___________
      98765

下から各桁で、10−5、10−4、10−3・・・が繰り返される事になります。
結果頭からは98765・・・と数字の並びなる。
 
と、いう構造がこの数列にある。という事でしょう。
もっと良い解説があるようにも思いますけど。。。


すがわらさんも星が好きな方だったようですね^^

[6299] Re[6298][6297][6295][6294]: 数字列  生田淳一郎 2011/11/28(Mon) 12:32 [Reply]
 くずドン、あり難うございます。
 この「ありがとう」にはいろんな意味があります。いや、あるようになりました。

 ーー 構造 ーーですね。
 凡脳にはヒキツケをおこすまえに思考停止のカムが機能しますが、なにかこう 10倍して「し過ぎた分」を差し引く・・・・・、その分は 2 × 10 だ、までは直感がはたらいていました。
 そして、なにかこう、ピラミッドの石積みをイメージしていました。

 ピラミッドを構築している角石はマスとかマースというそうです。これが日本語の 枡 にもなったとか。
 そのマスは土台部分は大きい。そしてテッペンちかくになれば小さな石でいい……とする。
 そして 10倍したものから「二倍」を差し引いたら、ちょっと引きすぎるので、ちょっとづつ小石で築く。

 それにしても「偶然」でしょうか。こんなに「整然」に恵まれたとは。

 古代ギリシャ人は数字をいじるのはアラビア商人などのやる卑しい行為だとしていましたが、この数列を見せたら、ひっくりかえって泡ふいたことでしょう。
 図形と数字を止揚したデカルトさんがみたら、有頂天になってソラばかり見て歩いて、溝におちこんで死んだかも。
 それよか面白いのは、創価学会の親玉に見せることです。まず、彼らはこの発見者は創価学会の会員だったとウソをでっちあげる。そして「創価学会はこんなにエライんだぞ」と吹聴してまわる。
 それに失敗したら、「こんなの、魔の通力だ」とイナせてしまうは必定。

 「こういう数列が人間の認識とは一切かかわりのない所に実在している」となると、認識はヒキツケをおこす。
 「人間を離れての、そういう実在なんて無いヨ」という場にはヒキツケはおこらない。

 音楽と星と数字・・・ なにか聞かせてください。

[6298] Re[6297][6295][6294]: 数字列  くず 2011/11/27(Sun) 20:17 [Reply]
そちらでしたか。失礼しました。

うまい説明はできませんが、

数列の中で固定数である"8"を(10−2)と分解して、
例えば12345×8であれば、
(10000+2000+300+40+5)×(10−2)
と置き換えて計算して頂ければ、
この数列の構造が理解しやすいと思います。


[6297] Re[6295][6294]: 数字列  生田淳一郎 2011/11/27(Sun) 11:36 [Reply]
 くずドンのくちをムリにこじ開けたようで……、すみません。
 急にすがわらさんが出てきたので、ぐっと涙があふれる思いでした。
 ひとを機能でとらえることはイケないことでしょうが、あの人も天才でした。
 もう一人、身近かの天才・鈴木英雄さんに先立たれて、ここんとこ小生はバスが抜けた(九州弁 ; 気がぬけた・・・・・ネパール語 basi)ごつ(如く)なっています。
 宗像熊楠さんは 7才までに植物図鑑を暗記したそうですが。鈴木さんは 9才で植物図鑑を暗記したそうです。
 鈴木さんは釧路市で高校の教諭をやっていらっしゃったそうで、アイヌ語も解ります。
 この二人を噛み合わせるのが愉しみでした。

★ そういば、荷風谷は所与の音を動かさないではアイヌ語としての分析はありえませんね。
★ 忘れないうちに言っときますが、ハヨピラの崖にはイグサみたいな長い茎の草が垂れ下がっています。これが英語 hay に似た hai 草で、これが O(群在)しているのでハヨピラだそうです。盛岡東のハヤサカにもありました。
★ するってぇと、博多南にある背振山も「三つの丘」かな? se はタジク語 3 です。
 友人のヤマ男に調査をたのんでいるのですが、こいつも年とって白内障の手術に失敗して……です。


 小生がリクエストしたキラメキ・コメントとは、神奈備ドン提示の《数列》のほうだったんでしたがねぇ。
 わてら数学オンチがこんなのを見せつけられると、ヒキツケをおこしそうでんねん。

[6296] イユタニ  くず 2011/11/26(Sat) 15:38 [Reply]
生田さん、
キラメキコメントといわれても弱ってしまいますが・・・

今日は快晴で素晴らしい星空が望めそうです。寒いですけどね^^
天上の星を地上に映す・・・では、生田さんお知り合いの中標津すがわらさん(故人)
がネット上に残された興味深いお話がありました。

阿寒湖の近くに伊由谷(いゆたに)岳があり、連続した尾根続きのピークにほぼ同じ名前の、イユダニヌプリ山がある。
さらに続く尾根にあるもう一つのピークの3つの山の連なりを、美幌アイヌの人々
はオリオンの三ツ星に見立ててそう(イユタニ)命名したのではないか?
三ツ星をイユタニ・ノチュー(杵の星)と言うアイヌ語が収録されていると。
http://www.azaq-net.com:8080/saijyo2/5.html

アイヌの聖地と言われる二風谷(にぶたに)とも音が近いです。
オキクルミの降臨の地と言われるハヨピラ山はその二風谷の近く。
弓矢で大鹿と戦ったオキクルミもオリオンの投影?だったかも^^
オキクルミが雷神の神格を併せ持つのもアジスキと似ています。
「ミタニ フタワタラス」が、下照姫が兄アジスキを表した言葉ですが、
タニ繋がりではあるのですけどね。他はアイヌ語とは繋がらないです。

星の姿を地上の山の姿に投影する。アイヌの人々にそのセンスがあったのであれば、
ヒヤデス星団を天香久山に映したのではないか?とする考えの、
ちょっとした補強になるのではないかと思いました。
阿田の姫はその意味、天香久山(ヒヤデス=イザナミのミホト)の土がこの国の胎土であるとしっていたか?


[6295] Re[6294]: 数字列  生田淳一郎 2011/11/26(Sat) 10:57 [Reply]
> 学生時代の友人から頂いた数字列です。
> 1X8+1=9
> 12X8+2=98
> 123X8+3=987
> 1234X8+4=9876
> 12345X8+5=98765
> 123456X8+6=987654
> 1234567X8+7=9876543
> 12345678X8+8=98765432
> 123456789X8+9=987654321


 くずドンのオリオン星にようなキラメキ・コメントを待ってるんですがなぁ〜。
 聴いてもワカランだろうが……。

[6294] 数字列  神奈備 2011/11/22(Tue) 08:27 [Reply]
学生時代の友人から頂いた数字列です。
1X8+1=9
12X8+2=98
123X8+3=987
1234X8+4=9876
12345X8+5=98765
123456X8+6=987654
1234567X8+7=9876543
12345678X8+8=98765432
123456789X8+9=987654321

[6293] アイヌの主要種族   生田淳一郎 2011/11/21(Mon) 15:18 [Reply]
 日本人は……とかアイヌ民族は……といった場合、だれでも昔々の大昔から、日本は一つでぁったとか、アイヌ民族はひとまとまりで “ あった ” と思いこむクセを持っています。
 このへんで、アイヌ民族を形成した主要な氏族を並べて、そういった先入観を払拭しておく必要があるようです。

 《 CHU 族 》
 レヴィストローフさんがヒントをくれたギニアの トゥクナー族周辺に痕跡を残している。「日月(アイヌ語 ; chup)の夫婦が chu(水旅)をする」という伝説を持っています。
 北海道に行った人が、そこで初めてアイヌを見たのが、この人種だったら、「やっぱ、アイヌは日本人とは大いにちがうわい」との感慨をもつでしょう。そして南方を旅行する人が、この人相を見たら「なぁ〜んだ、アイヌはメラネシアから来たのか」と、思うことでしょう。
 CHU族はアリューシャン列島を通過して、北アメリカ大陸の中央部にまで達しています。ワタリガラスの一派でした。

 《 レイテ族 》
 北海道に旅行した沖縄の人がはじめてアイヌを見て「なぁ〜んだ、アイヌの顔はそんじょそこらにありふれた顔じゃないか」と言ったら、それは大多数の沖縄人の顔をアイヌに認めたからでしょう。ほほ骨の大きな顔。レイテ島にも。

 《 オタシュツ族 》
 この人相は、だれがみてもハッキリと「西洋人」を意識します。だれぞ小生に写真掲出のワザをお教えあれ。

 《 朝鮮人 》
 白老町にはアイヌ民族資料館を中心として、ポロトコタンという観光客をよぶ施設があります。
 そこを尋ねたたびに、浜弥一郎エカシがズボンの裾をめくってスネをみせてくれました。
 小生も毛が薄いほうですが、エカシのスネ毛は、小生のよりも薄かったです。

 《 モヨロ貝塚人 》
 山田秀三さんの『アイヌ語地名を歩く』という本に出ていますが、見た瞬間、おもわず「おお! これぞモヨロ貝塚人 !」と叫びました。頭蓋骨の中央稜線がせりあがっていて、ゴリラを連想させました。

 《ネパール人 》
 この人相がどんなものなのかは、まだ具体的には掴んでいません。しかし、コシャマインの記事に出てくるタナサカシとかカニクシランケなどの人名は明らかにネパール語です。
 新羅の軍部の中核にいたものと推測できます。

 これらの人種が共同して元や和人と戦ったすえに、「一見・ひとつ」のアイヌ民族ができたと、おもいます。

[6292] Re[6291][6290][6289][6288][6287]: 手しごとや 吉兵衛さん   生田淳一郎 2011/11/20(Sun) 11:42 [Reply]
 神奈備ドン、あり難うございます。
 ひごろ神様や神社のおべんきゃうで、オレがどんなにサボっているかがバレちゃった。
 でも、魚沼神社が「上弥彦」とよばれていたことを知ったは、絶大な収穫でした。この神社の所在地の小千谷こそ、モンダイだったにでした。近接する地域がマンジョコというのに、小千谷だけがマンジューというのです。
 これによって、「八重山〜長崎〜薩摩〜津軽勢力」の概念限定にいっそうのハク(ネパール語 ; 権利をもつこと)がつきました。

[6291] Re[6290][6289][6288][6287]: 手しごとや 吉兵衛さん   神奈備 2011/11/20(Sun) 10:32 [Reply]
> 神奈備ドン、つづけてコキつかうようで わ〜るいのですが、「新潟県」と枠をしぼって考えてみたらいいかとおもうのですが、新潟県には「諏訪、八幡、稲荷、十二社」の文字を使っていない神社は、どんなものがあるでしょうか。

 古い神社としては、延喜式記載の神社を見て下さい。
http://kamnavi.jp/en/etigo.htm

 他に特徴的なのが 古四王神社(こしおうじんじゃ)、高四王神社(こしおうじんじゃ)、伊須流岐神社・石動神社(いするぎ)股倉神社(またくらじんじゃ)守門神社(すもんじんじゃ)多多神社(たたじんじゃ)胞姫神社(よなひめじんじゃ)松苧神社(まつおじんじゃ)熱串彦神社(あつぐしひこじんじゃ)善知鳥神社(うとうじんじゃ)

[6290] Re[6289][6288][6287]: 手しごとや 吉兵衛さん   生田淳一郎 2011/11/19(Sat) 18:14 [Reply]
 神奈備ドン、つづけてコキつかうようで わ〜るいのですが、「新潟県」と枠をしぼって考えてみたらいいかとおもうのですが、新潟県には「諏訪、八幡、稲荷、十二社」の文字を使っていない神社は、どんなものがあるでしょうか。
  
 新潟県にある神社の名前にヘンな偏りがあると思ってから、もう一年ほど経つのでしょうか。
 そのうち、諏訪、八幡、稲荷、十二社の名前がつかない神社はおいおい拾えるだろうと思っていたのですが、実際に拾えたのは直江津のコタ神社の一つだけです。
 小生は、これらの名前をもつ神社は、なにか国策があるとカンぐります。
 もっといえば、アイヌ勢力を駆逐した勢力ではなかったかと……。

 言語対比作業ではいろんなことが判ってきますが、時間とか年代が見えてこないところが、泣きどころです。
 アイヌ民族を構成した主要一派が佐渡島にいたことはタシカです。
 そしてアイヌ民族は撒文文化のヌシと交替するようにして 12世紀ごろ北海道に無土器文化のヌシとして出現します。

 アイヌは佐渡島だけではなく、新潟県の陸地ふかくにまでいた……と、置くと、統一的な神社の名前が光ってきます。
 それらアイヌの核は、935年に新羅が高句麗に政権を禅譲したことによってリストラをうけた新羅の源花軍団だとニラミました。
 その後、前九年〜後三年(1051〜1083)と、北のほうがいそがしくなって 1189年に平泉が陥ちて、日本中央に鎌倉幕府ができました。戦争の仕掛け人は源花軍団だと思います。
 1286年には 10000人の元軍と堂々とわたり合ったアイヌ軍団がいたのです。

 あれからか、なり時間が経ち、あちこちでいろんな拾い物をしました。
 できたら、もういちど北のほうの歴史をまとめてみようかナァ〜。

[6289] Re[6288][6287]: 手しごとや 吉兵衛さん   生田淳一郎 2011/11/18(Fri) 10:39 [Reply]
 神奈備ドン、あり難うございます。
 そうすると八溝の溝は MIZ--O 、すなわち清浄な神ということになりますね。
 この「……O」という語形も YA も、この日本列島で多くの氏族が言語混成した過程で造りあげた……もわかります。
 先日、弥彦を考えましたが、YA は「いよいよ・弥々」に基点をおいて発達し、それ自態で「極上」というほどの意味となり、ついに「神」というところまで発展したと看てもいいでしょう。「いよいよ・弥々」はネパール語 ーI LLO。

 小生がここにきてタジク語の辞書を4回よんだというのは、ここ 3ヶ月ぐらいのあいだに、群馬のアマカサさんと埼玉の引地(ひきじ)さんを知ったからです。 KAS は人です。
 ヒキジはアジスキタカヒコネのヒコネや、タカクラジとも深くかかわっていました。

 まえまえから、タジク語はただならぬものを呑んでいるとは思っていました。
 イザナギにタジク語の IZAD(神)を適用させることにはイマイチなるものをかんじますが、別系の XUD(神)は不動明王をまつるクドに通じます。XUD の X はブッフの フ で K にもなるのです。
 ジンムのジンは「宗教」で、これはクルド語でもおなじです。すなわち、「猛り神」がジンム。
 ジンムの別名 ; イハレの XAR は岩(岩 = 神)です。

 八溝の MIZ は日本語化されたうえに漢字の「瑞」までもらいました。日本人は歴史を持ったときから清烈を旨として生きてきました。ウンコ・シッコくさい朝鮮人や帰化人にはつけたくない名前です。
 ミズがつく瑞巌寺にはサイタロ節があります。タロナは歌ですが、これはタロ(歌)とナ(これも歌)の二つに切れます。サイタロとは SAIT(ネパール語……吉兆)の歌です。
 ナ はアイヌのヤイシャマネナ(心情吐露の歌)の ナ です。

 水と瑞(ミズ)は、いちおうちがうとしたほうがいいようです。なぜならば、古い極東の水は MU ,MIL の語形をとっているからです。

[6288] Re[6287]: 手しごとや 吉兵衛さん   神奈備 2011/11/17(Thu) 20:08 [Reply]
>  神奈備ドン、八溝、八溝嶺神社に関して「銅」とのかかわりのある記事が、なにか採れないでせふか。

 八溝嶺神社について『日本の神々』関東 に、砂金が採取されて遣唐使派遣の資金となったと記しています。金の出る所からは他の金属も出るそうです。

日本の鉱山と言うサイトを見てみますと、銅はどうやら出ていないようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%89%B1%E5%B1%B1%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E8.8C.A8.E5.9F.8E.E7.9C.8C

日永鉱山…金・銀(閉山)日永鉱業 -久慈郡大子町
日鉄久慈鉱山(にってつくじ)…金・銀・鉛(閉山)-大子町大沢
栃原鉱山(とちはら)…金・銀(1996年閉山)東洋金属鉱業-久慈郡大子町

[6287] 手しごとや 吉兵衛さん   生田淳一郎 2011/11/17(Thu) 17:09 [Reply]
 神奈備ドン、八溝、八溝嶺神社に関して「銅」とのかかわりのある記事が、なにか採れないでせふか。
 
 《 手しごとや 吉兵衛さん 》
 あっしゃ、きのふまで暗い霧につつまれたみたいになって、もがいていたんでふう。
 これまでタジク語の辞書を初めからおしまいまで 4回よんだのですが、タジク語には大量の他言語語彙がまぎれこんでいて、形容詞後置形を中心としたタジク語語彙が、もともとからタジク語固有のものなのか、よそから来たものなのかがワカラナイ。形容詞後置形ではなく、どうみても形容詞前置形のものもある……。というのは、ほかの言語のように、短いスペルの語幹で割れる語彙が、ほとんど見当たらないのです。
 「もう、投げだそうか!」と、諦めかけたとき、あっしゃそこに TAMIZ(きれいな、清潔な)をみつけたんです。
 そこからパチパチパチと目が開けたようになって、その頁だけでも 日本語と関係のある語彙を五つも拾えたんです。

 じつにいい気分でした。
 そこで、作業をうち切ってテレビをつけたら「腰痛の 85% はストレスが原因だ」とのガッテン放映です。
 この知見にはもろ手をあげて賛成です。人間もネコも寝ているあいだに「神経」を中心として病気や怪我を治しているんです。夢をみるということは、諸般の概念について、矛盾を解消させているんです。脂肪肝、恐るるにたらず。

 やすらかな睡眠の一夜にめぐまれました。
 ですが、けふになって喜び勇んでタジク語読みをつづけたところ、やっぱ成果はきのふと同じようにダウン。
 タジク語 MIS には「銅」という意味もあります。
 古代文字を刻印した石がでた水窪(みさくぼ)はこれだとおもいます。銅のカケラで石に彫りこみを入れたのでせふ。
 あ、横溝正史さんは岡山の人だったでしたか。吉備とタジク語とのかかわり。


 「ことば観」は最終的には個人言語にゆきつくといわれています。
 D.N.A様の思惑から強制される領域と、うまれ落ちたあとの個の集積が、意図的偏執となって世界観・価値観を形成させます。
 所属している「国」がちがったら、意識はもうガラリと違っています。
 国があるかぎり、隣国どうしは敵対関係からのがれられません。

[6286] Re[6285][6284][6283][6281]: カゴメが飛んだ!?  生田淳一郎 2011/11/16(Wed) 17:15 [Reply]
 わずか 20年前まで、この地球上の人間たちは、だれひとりとして SUBAR ぁしい思考媒体のD.N.Aのことはしらなかったんであります。
 それにしても、思考の貧乏人どもが、♫♡ 月みれば月に、星見れば星に ♫♡、ホ〜〜ントまあ よう書いてはるワ。

 地球上のすべての生物は親が生きてきた場所で、親のとおりにやれば、そのまま生きつづけることができるようになってま。D.N.A様のさしがねです。人間以外はことばを練習をする必要もなく、生まれてすぐオトナたちと会話ができるように仕組まれてま。生きているうちに、どんな生き方をすればいいかもD.N.A様が微細にわたって差配してござる。
 D.N.A様のさしがねのうちには、どんな金満家と結婚すればいいかなどは含まれていません。

 いまから 35年ほどまえに栃木の素封家の一人娘がケニアの青年にぞっこんイカレてしまった。
 起きてもコ・コ・コ、寝てもコ・コ・コ……。「コ」とは、あっち向いている気持ちを、自分のほうに呼び寄せようとする古代語。これに H I(こと柄)がついたのが恋ちゅうもんだそうです。

 びっくら仰天した両親は、神さまホトケさまと駈けまわったが利き目がないので「どなたでも!」と、ジャーナリズムにも泣きついた。

 ケニアの青年・・・・・! ことば意識を外して考えてあげたい。
 そのケニアの青年も、地球の裏側の未開地に行けば、会話なんざしなくっても意思は疎通するしかけになっている。
 ひとり娘さんを仕組んだD.N.A様は「そんなにガキッと来たんなら結婚しなさい」とのたまうにちがいなかろう。
 
 D.N.A様によれば、人間がこの世でやることとは、食べて五体を大きくして SX して子供をつくることです。ところが、D.N.A様が仕組んだこと以外の「生き方の知恵や技術」をおしえてやらないことには、子供はうまれ落ちた場で生きつづけることができなくなった。
 
 ことばをおぼえた人間は「死にたくない」などと、個人主義をとなえはじめた。

[6285] Re[6284][6283][6281]: カゴメが飛んだ!?  生田淳一郎 2011/11/16(Wed) 12:15 [Reply]
 √ ♫♡ セーーンロの仕事は ど〜〜こまでも ♫♡  ……言語リクツはつづくんでアリマス。

 小生はいま、高級言語で他国の文化を吸収しようとする底辺大衆の知的レベルに多大の関心をもっています。
 日本人といえども 800年ほど前の日本大衆はアボジだったんです。 a(反 非 不 否 )・ bodh(知識)。
 被支配階級の大衆は、やってきた偉い人びとのいうことを、どんなに理解しようと努力しても、必要とされる「マエ(前)」が用意されてないかぎり、ワカラナイんであります。
 そこで、被支配階級たる大衆は息子・孫に期待して adhin(按司……支配層)の水準に追いつこうとします。

★ 「沼地」というお書き込みがありましたので、道ぐさをたべます。
 タジク語 bet lok は沼地と訳されれいますが、「ベットロック」という地名が栃木県の山の中にあります。
 totʃ とは王冠、王位のことで、totʃik とはタジク人のことです。
 また、bet は柳のことで lok とは 樹 です。
 栃木県には「思い川」のように、ギリヤーク語から「 i(川)」を借用したウイルタ民族がいた土地でもあります。

★ タタール人のことも出ました。司馬遼太郎さんは かなりおっかなびっくりで「タタール =韃靼人」と置きましたが。ここには広域に散っていた川魚獲りの民が底辺に敷きこまれていたのではないかと、ヤブニラミです。
 文化の面でも遺伝子面でも、混血がおこらないかぎり、持続はありえません。


 星にいろいろな限定を施したレベルの人びとは、すでに戦争を経験していたことがわかります。
 「どの言語がいちばん古いのか」を問うことはナンセンスですが、「どんな言語が勢力をもって周辺に影響したか」は地域の要衝にいて、どんな戦争をやってきたかに還元でけま。

 戦争をやる以上、その「部族」には水も洩らさぬ一致団結が必要です。
 そのためには個人の SK意識を完全に社会の裏っかわに抑えつけねばなりません。
 あ、SXのあいだに e を入れると、この掲示板は投稿受付を拒否するんです。ギャハハッハ。

[6284] Re[6283][6281]: カゴメが飛んだ!?  棘の紀氏 2011/11/15(Tue) 21:21 [Reply]
>「巨蟹宮」というのが目にはいったのですが、ここの空間はメチャクチャな凶運を招くとか、悪魔の巣だとかの言い伝えはありませんか?

暗い「情念」「嫉妬」「欲望」などの要素

蟹(巨蟹宮) 月 : 活動. 水(感情)+活動+月=行動、判断など全ての基準が感情 によります。 感情や愛情を外に向けることが ... 蠍(天蠍宮) 冥王星 : 不動. 水(愛情)+ 不動+冥王星=とことん究極的に愛します。 愛が不変でそれを貫きます。感情、愛情が 一 ...
http://www.lyrical.jp/library/astro/basic/sign/sign_water.htm
冥王星は破壊と再生を表し、何ごとに対しても極限状態まで突き詰めます。

蠍座は水のエレメントの星座です。魚座が「海」で蟹座が「湖」なら、蠍座は「沼地」のよう なイメージです。同じ水のエレメントですが、あまり爽やかな感じがしません。守護惑星は 、冥王星(小惑星に格下げされましたが占星術的にはその存在価値に変化は ...
http://iolagraphics.com/zodiac/scorpio.html
蠍座には暗い「情念」「嫉妬」「欲望」などの要素が多く書かれているから。

蠍座は欲望を達成するためには「必ず成功する方法」を選ぼうとします。そして確信が持てるまでは、やたらに動いてはいけないという考え方をします。じっくりと計画を練ってから行動に移ります。だからこそ「失敗が許せない」という傾向も強くなるのです。執念深いといえば執念深い。自分よりも成功しているライバルには嫉妬を感じます。なぜなら自分は「死ぬ気」で頑張っているからです。
http://iolagraphics.com/zodiac/scorpio4.html
毒針を持った蠍は、最後には相手を突き刺します。「これ以上侵食されたら自分が死んでしまう」という気持ちにさせられると毒を刺します。そこまで相手を受けれてしまう自分の性質にこそ、気をつけなければいけません。人間関係において、相手を受け入れることは必要ですが、受け入れすぎると悲劇を生みやすいでしょう。

蟹座
ギリシャ神話によると、この蟹は、自分の領域を守ろうとするあまり嫉妬の権化となった 女神ヘラの使いでした。
http://poesie.web.infoseek.co.jp/Cancer.htm
蟹座の守護星は女性の代表「月」です。月の女神「ディアーナ(ダイアナ)(Diana)は、彼女の隠れ家に侵入して、彼女の裸体を盗み見た英雄アクタイオーンに、泉の水を投げかけて、彼を鹿の姿に変えてしまいました。彼女の怒りはそれにとどまらず、アクタイオーンは結局、自分自身の猟犬にかみ殺されてしまうという運命を辿らなければなりませんでした。ディアーナの、この侵入者に対する徹底的な復讐(ふくしゅう)心は、家庭愛の典型として、神話に語りつがれています。この性格は、蟹座に生まれた人に受け継がれて、「防衛のための闘争力」となりました。
宝石では、エメラルドとめのうが幸運を呼びます。

 ルビーは不吉です。

 こうして、星座と守護星の持つ特性は、意志に生きるより、情に生きる「母性愛」として、蟹座の人の性格に現れてくるのです。将来に対して、つねに母親のような夢と期待を持っています。そして、その夢の一つが消えても、すぐにつぎを生み出さないではいられず、また、知恵や、計画にしても、絶え間なく、次々に新しいものを生み出していくところなど、多産な蟹の習性そのままです。このことは、夢見るような豊かな想像力や、煩雑な仕事にもくじけない実務能力にも通じます。
数では、「2」が最高で、反射・反響を示し、蟹座の人の感受性によく合っています。
 逆に、不運をもたらす数は「3」と「6」と「9」です。

 また蟹座生まれの人には、友達をえり好みしない順応性に富み、また、目的を遂行するためには、人の知恵やアイディアを模倣することもいとわない融通性があります。そして、自分と自分の家を守り豊かにするため、頭の中にも、家の中にも、なんでも集めて蓄積しておける多能な人なのです。

蟹座の守護星は女性の代表「月」です。月の女神「ディアーナ(ダイアナ)(Diana)は、彼女の隠れ家に侵入して、彼女の裸体を盗み見た英雄アクタイオーンに、泉の水を投げかけて、彼を鹿の姿に変えてしまいました。彼女の怒りはそれにとどまらず、アクタイオーンは結局、自分自身の猟犬にかみ殺されてしまうという運命を辿らなければなりませんでした。ディアーナの、この侵入者に対する徹底的な復讐(ふくしゅう)心は、家庭愛の典型として、神話に語りつがれています。この性格は、蟹座に生まれた人に受け継がれて、「防衛のための闘争力」となりました。
宝石では、エメラルドとめのうが幸運を呼びます。

 ルビーは不吉です。

 こうして、星座と守護星の持つ特性は、意志に生きるより、情に生きる「母性愛」として、蟹座の人の性格に現れてくるのです。将来に対して、つねに母親のような夢と期待を持っています。そして、その夢の一つが消えても、すぐにつぎを生み出さないではいられず、また、知恵や、計画にしても、絶え間なく、次々に新しいものを生み出していくところなど、多産な蟹の習性そのままです。このことは、夢見るような豊かな想像力や、煩雑な仕事にもくじけない実務能力にも通じます。
数では、「2」が最高で、反射・反響を示し、蟹座の人の感受性によく合っています。
 逆に、不運をもたらす数は「3」と「6」と「9」です。

 また蟹座生まれの人には、友達をえり好みしない順応性に富み、また、目的を遂行するためには、人の知恵やアイディアを模倣することもいとわない融通性があります。そして、自分と自分の家を守り豊かにするため、頭の中にも、家の中にも、なんでも集めて蓄積しておける多能な人なのです。
http://www.water-star.jp/sasoriza/sinwa.html
さそり座が西に沈んでから、おずおず東の空から昇ってくると言われます。逆に、さそり座が東の空に昇ってくると、オリオン座は西の地平線の下へ隠れてしまいます。

悪相というのは、金星や月という感性、生活、 女性性も、見ていられないくらい貧弱なケースです。
http://maki-scope.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-b620.html

ビーナス(金星の女神)とスリム過ぎのダイアナ(月の女神)。でもこの美女 どっちもプライド高そうで仲は悪そう。近づきすぎて喧嘩を始めたらアポロンもゼウスも 止められないでしょうね。
http://blog.kcg.ne.jp/blog/castor/10732

スサノヲは金星か
古代中国において金星は「太白金星」として兵事を司る神とされていました。 タタ−ル 神話. タタ−ル神話では至高神ユルゲンに逆らって、闇の国へ追放されたエルリクがい ます。
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/afjpsusanowo.htm

タタ−ル神話
タタ−ル神話では至高神ユルゲンに逆らって、闇の国へ追放されたエルリクがいます。天体神話学派のヴィルヘルム・シュミットは弟ユルゲンを明るい月、兄エルリクを暗い月と解釈(1949)しました。
しかし最近のアルタイ諸属の宗教史研究ではエルリクは金星と見ているようです。なぜアルタイ語族かと言いますと、日本人は原始アルタイ語族に属すからなのですね。

シャ−マンの太鼓
アルタイ地方のシャ−マンの太鼓50個のうち「太陽・月・金星」が描かれているものは38個あったそうで、「太陽の隣に暁けの明星」・「月の隣に宵の明星」が描かれているそうです。

古代トルコ語
erklig.erlkik.erlikは「男性的なもの」「強力なもの」と呼ばれて、一人の戦士になぞられた暁の明星を指しているそうです。明け方になると星どもを殺す兵士なのですね。
この兵士は一度天における位を失いますが、エルリク・ハ−ンErlik Khanの名で地獄の神として再び現れます。

[6283] Re[6281]: カゴメが飛んだ!?  生田淳一郎 2011/11/15(Tue) 19:02 [Reply]
 くずドン、
 けっきょく星をめぐっての考えかたとか、そこにつけられた名前は、世界共通とまではいえないにしても、かなり広域の族際性をもつようになるのでせふか。

 ネパール語でシナ中国は CIN いいますが、CINA となると星占いのことをいいますだ。
 ネパールでは夜になって外に出ると、すぐに寒さで風邪ひくからかもしれません。星のことはシナに任せていたのでしょう。

 √ ♫♡ 星は なんでも知っている ♫♡
 そこでお尋ねします。「巨蟹宮」というのが目にはいったのですが、ここの空間はメチャクチャな凶運を招くとか、悪魔の巣だとかの言い伝えはありませんか?

 じつは、タジク語 SARUTON という語形ですが、これには「巨蟹宮」と「ガン」の二つの訳がついているのです。
 日本でも各地の方言では蟹は「がに」といいますが、これは CANCER のガンに似ています。
 そればかりではない。記憶はうすれましたが、たしか SALTAN の語形で ヘブライ語に「ガン・蟹」の二つが入っているのです。

 SARTAN は たちまちの近過去では サターンでしょうが,その元はSAL(へび)だとおもいます。
 民間では、ガン細胞の形が蟹が食いちらかした跡に似ているとか、蟹の煮汁がガンに効くとか・・・・・いろいろ。

 KA GO は 族際語で「鳥・神」へと分解でけま。
「メ」には。編み目が大きいとか細かいとかで、古代人のモノすげぇ偏執があったようで。

[6282] ねばえ    生田淳一郎 2011/11/15(Tue) 10:56 [Reply]
 ヒノキシどん、のどにつかえているモタモタを取り出すわがままを、もすこしお許しください。
 錯綜した高級言語がつくるジャングルは見えにくいし、すぐに「持って行きよう」がなくなるとおもうんです。
 ようするに、だいじなことは「ねばえ(土・生え、映え)……NATIVE」だとおもうんです。
 遺されていることばの多くが「くにや集団形成下での真理に基づく正当性」のものであって、それから変形・変質を余儀なくされた……を、重ねてきたあげくの成果です。
 具体的にいうと、ねばえの領域は自然法の世界・意識・領域であり、高級言語は成文法の世界・意識・領域 です。
 もっと具体的にいうと、愛国心が奈辺にあるかということです。
 お猿さんの時代からいっても、みんなで生きているのに「国」というジャマなものがあるばっかしに、人びとのあいだにだましや謀略がはたらいています。

★ 建国らい、わずか160年の歴史しかなかったとはいえ、日本から奇襲攻撃があるとわかっているとき、空母だけを避難させ、パール・ハーバーにいる主力海軍を壊滅させる神経は、やっぱほんとうの愛国心がなかったからだと認識せざるをえません。
★ 国会議事堂の壇上で、あんな水の飲みっぷりを曝したということは、日本への「根映え」は無く、朝鮮をこころの本国にしているということを自ら証明したと同然です。
 萱野茂さんが国会壇上でアイヌ語で演説したこととはワケがちがいます。
 ああいう水の飲みっぷりをやったのを見せつけられた以上、国民はカングリにカングリをつづけることになります。

 ことばでなら、なんとでも言えらぁナ。
 二十日ほど前だったか、彼は親分に合いに行ってるじゃん。「わたしには愛国心があります」などと、ナンで言う必要があるのか。

 われわれには「ねばえ」が織りなしてきた集積にめぐまれています。
 ラテン語、シナ語、サンスクリット語などの巨大言語にはオノマトペアを拾うのはむずかしいですが、日本語には多くのオノマトペアが遺されていて、日本語の若さを感じとれます。その数は 2500ぐらいはあるようです。

 どこの言語も、み〜〜んな 十億年の時間経過をもっている “ 古い ” 言語なんです。

[6281] カゴメが飛んだ!?  くず 2011/11/15(Tue) 06:35 [Reply]
夜明けの晩は七夕神事の行われる時刻。
ツルは機織の鶴。亀(甕でも可)は亀姫の亀。滑るは昴。

夜明けの晩に、織姫星と亀姫星と昴星を見上げる、
その後ろの正面とは北極星でしょうか?
カゴメは籠女?それとも香具女?^^


棘の紀氏さんはご自身の考え、ご自身の言葉の行頭に※印でもつけてもらえませんか?
そこだけはちゃんと読ませて頂きますので。

[6280] Re[6263][6262][6261][6260][6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  棘の紀氏 2011/11/14(Mon) 20:20 [Reply]

> すなわち「アイヌ人は アーリア人であり、日本人はアイヌ人の子孫である。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
>

ネパール語は、アーリア人によって中央アジアにもたらされたインド・アーリア語族に 属する言語で、古インド・アーリア語からサンスクリット語が発生し、ここからネパール語が派生たものです。
http://www.nepalembassyjapan.org/japanese/about/language.html

イラン人はインドに移住したアーリア人で インド、アーリア語を話し、ゾロアスター教(BC700-1000年)を起こしました。 ...
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/353.html

「ゲルマン人=アーリア人」的思想の影響を受けた者はゲルマン人をアーリア人 と呼称 ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BA%BA
ゲルマン人は古代時代にはローマ帝国を脅かす蛮族として活動し、中世にはローマ人(ラテン人)・キリスト教文化との混合によって中世ヨーロッパ世界を形成した。現代においては、ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク等に住む人々、イングランドのアングロ・サクソン人、ベルギーのフランデレン人、フランスのアルザス人、イタリアの南ティロル人がこの集団の系譜を引いているが、何れの勢力も長い歴史の中で複数の部族間の離合集散や異民族との混血を繰り返しており、古代のゲルマン人とは同質ではない(これはほかの民族も同様)。また、フランスはその国名がフランク王国に由来するように、少なくとも支配層の流れはゲルマン系であるが、ラテン、ケルトと完全に混成化しており、ゲルマン人国家と呼ばれることはまずない。
ゲルマン人という用語を広めたのはユリウス・カエサルであると考えられているが、カエサルはこの言葉を「ゲルマニアに居住する非ケルト系の民族」「ガリア北東部に住む系統不明の民族集団」という二つの定義で用いた。後者の定義による集団は今日でもケルトかゲルマンか判然とせず、また前者の定義はゲルマニアにはゲルマン系だけでなく、ケルト系の民族も存在していた事を示している。このような複雑な経緯から、ゲルマニアに住んでいた諸民族の系統については現在も考古学の分野で議論が続けられている。
因みに今日的な狭義としてドイツ人(オーストリア人、ドイツ語圏スイス人をふくめる)の意で用いることも多い。ゲルマン人の一分派であるイングランド人が英語でドイツをGermanyと呼ぶのはこの狭義解釈に基づいているが、前述の通り必ずしも実態に見合っている訳ではない。

アイヌ、アイノは、日本とロシアにまたがる北方先住民族である。ウタリはアイヌ語で同胞、仲間を意味し名称などで使用されるが、民族呼称ではない。アイヌは、多数の漢字の古典籍に「毛人」として記録され、東洋史において葛天氏や伏羲の一族と考えられている。そのため毛姓は現代中国においても神聖視されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

アーリアン学説(アーリアンがくせつ) は、インド・ヨーロッパ語族の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先アーリア人から発生したものとする学説。この場合、アーリア人という名前は拡大解釈される。この拡大解釈された意味でのアーリア人をアーリア人種(アーリアじんしゅ)と呼ぶことがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%AD%A6%E8%AA%AC
科学的な批判 [編集]
しかし、近年になって言語学を初めとする各分野から科学的な反証が行われ、アーリアン学説自体がその信憑性を大きく失いつつある。明確にアーリアン学説を疑似科学であると厳しく批判する学者が大勢を占めた今日では、半ば棄却された仮説と言える。
現在、「アーリア人」はインドに移住してきたインド・アーリア人、イランに移住してきたイラン・アーリア人およびそれらの祖先のみを指す場合が多い。

アーリア人とは - はてなキーワード
歴史学的には紀元前2000年〜1800年頃カスピ海、黒海沿岸からコーカサス地域に居 た遊牧民族が北上しバルト海沿岸へ、また西方へはギリシャや今のトルコがある小 アジアへ、そして南下は今のイラン(イランとはアーリア人の国という意)、インドへ到達 した。 ...
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A1%BC%A5%EA%A5%A2%BF%CD
 南ロシア地方に居住し牧畜を営んでいた民族のひとつであると考えられている。背が高く、色は白く、鼻は真っ直ぐに長く、容姿が整っていた。使われていた言語は現代ヨーロッパ諸民族の古語と同一系である。「インド・ヨーロッパ語族」とも言う。アーリアとは高貴なものと云う意味。
 属する言語として、サンスクリット語、ペルシア語、トカラ語、ギリシア語、ラテン語、英語、バルト語、ロシア語、アルメニア語、アルバニア語などが挙げられる。つまり、ヨーロッパ北大西洋沿岸から現在の中国「新疆ウイグル自治区」に該当する地域までの広範な版図が入っている。またトカラ語のように滅びていった言語も多数有るようである。

アーリア人の民族移動
 歴史学的には紀元前2000年〜1800年頃カスピ海、黒海沿岸からコーカサス地域に居た遊牧民族が北上しバルト海沿岸へ、また西方へはギリシャや今のトルコがある小アジアへ、そして南下は今のイラン(イランとはアーリア人の国という意)、インドへ到達した。つまりは、中央アジアからヨーロッパ全域にわたっている。
 アナトリア高原で建国したアーリア人はヒッタイト王国を築き先住民族から鉄の精製を得た。「旧約聖書」ではヘテ人と呼ばれメソポタミアの古バビロニア帝国を滅ぼし、ラムセス2世の率いる古代エジプトと戦いその軍を破りシリアまで版図とした。
 またギリシャまで至った部族は「ミュケナイ文書」を、イランへ侵入したアーリア人はゾロアスター教の最高教典「アヴェスター」を、インドへ到達したアーリア人は「ヴェーダ聖典」を残し「ウパニシャッド哲学」と呼ばれている世界最古の哲学的思惟で書かれているものを残した。ウパニシャッドの熟成時代は紀元前700年から500年頃と見られその後仏教の誕生を迎える。

古代アーリア人には死者(自分の祖先達)の霊魂を崇拝するという原始宗教の源基があったことが知られている。

アイヌ、アイノは、日本とロシアにまたがる北方先住民族である。ウタリはアイヌ語で同胞、仲間を意味し名称などで使用されるが、民族呼称ではない。アイヌは、多数の漢字の古典籍に「毛人」として記録され、東洋史において葛天氏や伏羲の一族と考えられている。そのため毛姓は現代中国においても神聖視されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C
コーカソイド説 [編集]
中世以降、日本人はアイヌを蝦夷、北海道を蝦夷地と称してきた。北方の民族からはクギなどと呼ばれてきた。朝廷の「蝦夷征伐」など、古代からの歴史に登場する「蝦夷」、あるいは「遠野物語」に登場する「山人(ヤマヒト)」をアイヌと捉える向きもあり、アイヌを東北地方以北の全土に住んでいた原日本人の一つとする説もある[誰によって?]。これまで起源論や日本人との関連については考古学・比較解剖人類学・文化人類学・医学・言語学などからアプローチされてきたが、近年DNA解析が進み、縄文人や渡来人とのDNA上での近遠関係が明らかになってきた。

[6279] Re[6278]: 言語リロン   棘の紀氏 2011/11/14(Mon) 19:12 [Reply]
>本を読めばよむほど、東大・京大などの熾烈な受験競争に勝ちぬいたエリートたちが、なべて人格的にイビツにな(化)っている現象・・・・・、これです。時代の大潮流に関して、その解釈(帰納)と適用(演繹)の権利を個人やグループが独占し、世を混迷におとしいれている・・・・・、これです。
 キリスト教のごときはスコラ哲学がみずからの墓穴を掘り、言語の構成そのものをオジャンにした……、これです。

引用 日本人は知ってはいけない。
数年前から自分にはどうしても理解できない事があって、それは私の知る限り、どこを 探しても誰も論じてはいなかった。 グリコ森永 ... 私にはあった。 それは、世界政府樹立 を目論むユダヤ金融資本が、旧約聖書に基づいて肝いりで仕組んで作り上げた、ユーロ 圏が世界支配どころではなく、崩壊に向かっているという事だ。 .... このバルタン星人が 官僚に命じる最高ポストについたことが実は日本で不幸なことが立て続けに起こっていく きっかけになっていた。 ..... メディアがあえて注目せず、報道しなかった現実です。
http://cosmo-world.seesaa.net/
「世界総貧困化計画」

「言わざる見ざる聞かざる」の無関心精神が日本国民の DNAにすりこまれてきました。
http://www.church.ne.jp/uji_baptist/s-message/Romans/roma-48.htm
パウロは信徒たちに、「上に立つ権威に従いなさい」と指導しました。その理由は、「政治的な権威や国家の権力は究極において神から来るものである」(1)ことを教え、神の権威に服するためでした。国家は人々を「益する」ために立てられた神の「制度」「しもべ」であり(4)、法律的にも良心においても権威に従うことがもとめられました。具体的には多くのユダヤ人が強い抵抗を抱いていたローマ政府に対して税金を納める納税義務にも忠実であるように(7)と明確な指針が示されました。

 国家権威への尊重
パウロの教えを要約すると、「神は国家を人々のための公益の器として用いられる。」[i]ので尊重すべきということに尽きます。国家の権力が健全に機能しているところでは、法の秩序が保たれ、社会の治安と平和という公益が維持されます。このことはすべての権力の上に座しておられる神の御心にかなうことです。それゆえ、ローマ皇帝の政治的権威も神の僕として国民に公の利益をもたらしているゆえに尊重しなければならない。国家権威に背くことは神に背くことでもあるとみなしたのです。

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」1テモ2:1−2 

「言わざる、聞かざる、見えざる、動かざる」のような無関心なあり方こそ、悲しむべき罪であると自覚したいものです。

元来、魂は一切の執着のない裸一貫の姿が本来の姿であるのですが、不幸にも生まれ落ちた後、社会から様々な常識という既成概念を持ち込むよう教育されてきました。その結果、人は魂の進化が目的というよりは、むしろこの物質世界に執着し生きることで現実世界との自己投影化=同一化をするようになり、この現実世界でより良く生きることが目的になってしまいました。

神は「黙って示す」という暗号で示しました。もともと神という字は、「示して申す」という字からなります。では一体何に「示し申しているのか?」それは、「~」とうい字を分解すると「~=申に示す」という字からなっていることが解ります。
つまり、「示して申す」の「申」は「猿」とも読みます。このことから、「猿に示している」という暗号が読み取れます。では何故、猿なのか?それは、神から見て人間はややともすると、「猿」同然だ!ということです。「猿」の性質と同じ要素を持つ愚かなる人間の姿・・・!。そこで、神は人間に、「三猿」で示してあるというのです。

”カゴメ、カゴメ籠の中の鳥は、いついつ出ある。夜明けの晩に、鶴と亀が滑った!後ろの正面だあれ!”・・・いよいよ、新しい世をお迎えするための 「陣痛」 を伴う 「立替え・建て直し」 の 「儀式(お祭り)」の始まりです。
”飛ぶことを忘れてしまった籠の中の鳥は、習慣という永い眠りに浸っていたが、いよいよ新しい時代の夜が明けようとしている真っ暗な晩(魂の暗夜)に、お神輿(世界)は外部から強制的に揺さぶりを掛けられ、人類は世界という箱の中でうろたえることとなる。揺さぶりの中、うをさおしながらも・・・アッ!という瞬きする間もなく、鳥(魂の象徴)は外へと飛び出し(開放され)、目出度く鳳凰(火の鳥=真我)となって宇宙へ羽ばたき(自由性を獲得し)、魂の故郷に帰ることとなる。”

[6278] 言語リロン   生田淳一郎 2011/11/14(Mon) 07:25 [Reply]
 ヒノキシどん、いろいろな S-warp ing 情報の提供、あり難うございます。
 S− は強調接頭辞、語彙ちゅうの R 音は消えたり N になったり、促音を起こしたりします。へへ
 胃ぐすり飲み飲み消化不良をおこさないように気をつけて読んでいます。

 ご存知のとおり、「ことば」の土俵づくりにようすることばは厖大な連なりです。
 まず、ことばとはナニかを俎上にのっけるとき、「統語法則にのっとった子音+母音のクラスターの展開」みたいなケツんスの細かい規定では、すぐに混迷を共有することになるでせふ。
 やぶれ傘刀舟さんは、すぐに「てめぇら人間じゃぁねえや、たたッ斬ってやるゥ!」と叫びましたが、オレに言わせてくれるなら、人造語がことばでないと同様に、「文字に書かれたことばは、もはやことばの領域を S-warp ing している」と、斯ういうことになります。
 ちょっと言いすぎましたかいの。「人造語や文字ことばは、ことばとしてイビツである」と言いなおしましょうか。

 本を読めばよむほど、東大・京大などの熾烈な受験競争に勝ちぬいたエリートたちが、なべて人格的にイビツにな(化)っている現象・・・・・、これです。時代の大潮流に関して、その解釈(帰納)と適用(演繹)の権利を個人やグループが独占し、世を混迷におとしいれている・・・・・、これです。
 キリスト教のごときはスコラ哲学がみずからの墓穴を掘り、言語の構成そのものをオジャンにした……、これです。

 いまの世の中はソシュールさんを開祖と仰ぐ弟子たちで溢れていますが、ことばを「統語法則にのっとった子音+母音のクラスターの展開」みたいなところで把握するので、語彙がもっている “ 音 ” のあらわれようが「恣意的だ」とならざるをえない状況を招いています。ここでは 即 語源探索の根がぶち切られます。

 もっと、基本的な基盤にたっての展開をやらかしましょう。
 いわく「ことばとは生体反応であ〜〜る」です。
 置き去りをくらった子猫がロッキー山脈をこえて 2500キロを歩いて元の飼い主の家に帰ってきたというニュースにはどぎもを抜かれましたが、1ヶ月ほどのテレビニュースでは 5500キロへと記録更新ですって!!
 いちがいに生体反応といっても人跡未踏の分野だらけです。

 じぶんの体内にウンコが溜った、 35ヶもの有機質モーターをつくって、みずからの細胞膜を切りひらき、対外に漂うゴハンを取りこもうとする単細胞生物。ここにも「ことば」が機能していると、あっしはニラミます。

[6277] Re[6275][6273][6272][6271]: 生田淳一郎 さんの参考になるでしょうか。  棘の紀氏 2011/11/13(Sun) 15:02 [Reply]
>  ヒノキシどん、非常識の発達している小生ですが、それでも ひと様からモノを教わる場にあっては、ちょっとでも先入観をもっていることは adkau-(ネパール語 ; ジャマ、ひっかかる)なることはじゅうじゅう承知しているつもりでいます。
>  ですが、小生にはお教えの基盤は各国の神官僧侶がいじくりまわしたあげくデッチあげた語形の群だと、おもえてしかたがありません。
>  どこの文明国でも、BC 500年あたりに、そこにあった語彙群に大いなる止揚作用がはたらき、神官たちが目をつぶり眉根をよせて「イエ〜イっ」てな気分で文化語を捏造したのではないでしょうか。
>  シナの宦官官僚が造った語彙は、一般大衆から浮き上がったものを感じます。一般大衆はこんなに多くの語彙は、生活のジャマにしかなりません。
>  インドのサンスクリット語は人造語で、やっちゃならないことをやっちゃった。
>
>  日本語は紀記編纂にあたった神官たちが、とくに神名天皇名をつくったとき「拗音・促音・撥音・長音・半濁音」を駆逐し、濁音も僅少なものに絞った跡を如実に感じます。
>
>  言語は身振り語・咆哮語にはじまり、次にオノマトペアの段階を経ながら、特徴ある氏族名民族名をとりいれながら、戦争をくりかえしながら、戦争を起爆剤にして BC 5000年期を迎えました。ユダヤ人が優秀なのは戦争の賜物です。

人類が「ことば」をしゃべるようになったのは、おおざっぱに100万年くらい前、といわれているのです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109701140
もちろん、その頃は「国」はありません。
「部族」単位の集団ごとに違う言葉を使っていたのではないでしょうか。オーストラリア原住民の言語の研究が参考になります。
どこの部族が一番古いかは、誰にもわからないですが、研究の発達によりだんだんと範囲を狭めつつあるようです。
中東あたり、ということなんでしょうね。

世界最古のヘブライ文字を確認、ハイファ大 写真3枚 国際ニュース ...
2010年1月8日 ... 世界最古のヘブライ文字が記された陶片(2010年1月7日提供)。(c)AFP/UNIVERSITY OF HAIFA ... さかのぼる可能性もあるという。なお、これらの文字は聖書の言葉と似て いるが、聖書の文句を流用したのではないことは明らかだという。 ...
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2680526/5136474
3000年前の陶片に記された文字の解読を行っていたイスラエル・ハイファ大(University of Haifa)は7日、この文字が世界最古のヘブライ文字であることを確認したと発表した。

文字(もじ)とは、言葉(言語)を伝達し記録するために線や点を使って形作られた記号の こと。

人類最初の言葉・手話と音声言語 - 言語学の嘘(個体性理論と記憶科学 ...
2009年4月13日 ... 人類が誕生して一番最初に発した言葉、この疑問は古代から人間がもっているもので ある。これに関する研究の最たるものがインド=ヨーロッパ語研究である。ヨーロッパの 全ての言語はインドに起源を発しているとする説で、かなりの研究が ...
http://plaza.rakuten.co.jp/clg2009/diary/200904130000/

イェリコは、「世界最古の都市」でもある。前9000年頃に人が ... 数十人単位で 移動する暮らしと、数百〜数千人が定住する生活は大きく異なる。たとえば、持ち物の ....これが人類最古といわれるシュメール絵文字であり、ウルクで見つかった前3300年頃の ものが一番古い。この頃には2000種 ... たとえば、「矢」を表す文字は、シュメール語の「 矢」と同じ発音をする言葉「生命」を表すのにもあてる、といった具合である。文字は やがて ...
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/history04.html
前6000年頃に5000人が住んでいたチャタル・ヒュユク遺跡(トルコ)は、近くに黒曜石の産地がある。そしてイェリコは、人間と動物に欠かせない塩を産する死海の沿岸に位置している。
 つまり定住生活は、食料に恵まれていたり、交易の拠点となるような場所ではじまったと考えられる。その後、集落の人口が増えるにしたがって、多くの人々を養える農耕が定着していったのだろう。

グノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外にイランやメソポタミアに本拠 を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシュンクレティズムのなかから生まれ てきたものとも云える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
普通名詞としてのグノーシスは古代ギリシア語で認識・知識を意味する言葉であり、グノーシス主義は自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向を有する。

[6276] Re[6272][6271]: 生田淳一郎 さんの参考になるでしょうか。  棘の紀氏 2011/11/13(Sun) 14:45 [Reply]
> 棘の紀氏さんへ
>
>  こちら沖縄島では「フニチ国(船津国?)」との古語は見当たらないんですけど、何かの文献に出ているでしょうか。よろしければご教示下さい。
>
>  「フェニキア」が、日本語の「フネ(船)」の語源とのお考えはさておき、地中海と琉球の関係はありうると思いますが、しかしあまりにも時代が違うのではと考えますがどうでしょうか。

フェニックスの起源については諸説ありますが、古代エジプトのベンヌBennu(朝日の意)という聖鳥に由来するのではないかと考えられています。この鳥は青鷺の頭と鷲の翼を持っていて、全身がまばゆい光に包まれており、毎日誕生と入滅を繰り返すことから、「時の循環」や「死後の復活」を象徴します。
http://homepage3.nifty.com/onion/monster/phoenix.htm

フェニキアの語源については幾つかの説がありますがエジプトの言葉で「船を造る者」 という意味の「フェンク」という言葉から来たという説を信じたい気分です。他には彼らが フェニックス(不死鳥)を象徴にしていた為であるとか、ギリシャ語で「赤い衣の商人」 という ...
http://www.ffortune.net/symbol/aquatic/seas/sea003.htm
フェニキアの語源については幾つかの説がありますがエジプトの言葉で「船を造る者」という意味の「フェンク」という言葉から来たという説を信じたい気分です。
他には彼らがフェニックス(不死鳥)を象徴にしていた為であるとか、ギリシャ語で「赤い衣の商人」という意味の「フェニケス」から来たという説もあります。
フェニックスについては逆に彼らの名前から、フェニックスという名前が生まれたとする説もあります。
 

[6275] Re[6273][6272][6271]: 生田淳一郎 さんの参考になるでしょうか。  生田淳一郎 2011/11/13(Sun) 12:21 [Reply]
 ヒノキシどん、非常識の発達している小生ですが、それでも ひと様からモノを教わる場にあっては、ちょっとでも先入観をもっていることは adkau-(ネパール語 ; ジャマ、ひっかかる)なることはじゅうじゅう承知しているつもりでいます。
 ですが、小生にはお教えの基盤は各国の神官僧侶がいじくりまわしたあげくデッチあげた語形の群だと、おもえてしかたがありません。
 どこの文明国でも、BC 500年あたりに、そこにあった語彙群に大いなる止揚作用がはたらき、神官たちが目をつぶり眉根をよせて「イエ〜イっ」てな気分で文化語を捏造したのではないでしょうか。
 シナの宦官官僚が造った語彙は、一般大衆から浮き上がったものを感じます。一般大衆はこんなに多くの語彙は、生活のジャマにしかなりません。
 インドのサンスクリット語は人造語で、やっちゃならないことをやっちゃった。

 日本語は紀記編纂にあたった神官たちが、とくに神名天皇名をつくったとき「拗音・促音・撥音・長音・半濁音」を駆逐し、濁音も僅少なものに絞った跡を如実に感じます。

 言語は身振り語・咆哮語にはじまり、次にオノマトペアの段階を経ながら、特徴ある氏族名民族名をとりいれながら、戦争をくりかえしながら、戦争を起爆剤にして BC 5000年期を迎えました。ユダヤ人が優秀なのは戦争の賜物です。
 言語のマルチ対比をやって来たればこそ、そういうことがわが胸に落ちついてきました。

 あ、ワープ・・・・・。おもいだしましたよ。地震兵器を可能にした技術でしたね。
 ワープということばは知りませんでしたが、小生が初めてそれを知ったのは、オウムが検挙される 3年前でした。
 その当時はモスクワを瞬時にして 1m 陥没させるということでした。ハワイから伊豆まで飛んできた UFOのハナシも出ていました。

[6274] Re[6257][6248]: オリオンと桃の木  くず 2011/11/13(Sun) 12:06 [Reply]
琉球松さん、

>  イザナギの放尿でできた川を天の川に投影できるとすれば、彼は西から東に向かって逃げたとも解釈できますね? 黄泉の国は、雰囲気的には西の方向だと考えますがどうでしょうか。

放尿が天の川は豪快で面白いですね^^
もっともカグツチにホトを焼かれてのたうちまわる姫神様にはしかられそうですが^^;

日本書紀に
「イザナギが火の神カグツチを斬った剣から滴った血は、天安川にある五百箇の磐石也。」
と言う意味の記事があります。
天安川=天の川、五百箇の磐石は、沢山の磐の群れと読めるので、こちらに天の川が光る起源があるように思います。
星=ほしの語源を火(ほ)石からとする説があるのでこちらにも重なります。

>東西について、

天の川は東西に空を渡って見えますので、川が東西を隔てるというより、
川を塞ぐ大岩(御車座)によって東西に隔てられている・・と見えます。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Cartacelesteasterismos.png

黄泉の国繋がりでは、ペガサス座とアンドロメダ座の関係(上の画像を見てもらえば)が、
大国主に、「柱に髪の毛を縛りつけられたスサオノ」にも見えてきます^^

1万3千年前北極星の位置にあった琴座のヴェガですが、歳差運動によって、
北極星から周極星(天の極近くにあって地平に沈まない星)となり、いつしか地に沈む位置までずれてしまいます。

これは紀の夷振にある「あまさかるひなつめ(天離る夷女)」が実によく表していると思います。
西王母の不老不死性はヴェガが北極星にあった時代(沈まない)からのものと思われますが、
西に移った母に対する東の父、東王父がオリオンの姿に重ねられていたものと考えます。

銅鐸の線刻に見られる、カセを持つ人物が西王母。対して鹿に矢を向ける狩人が東王父で、
その姿はオリオンからイメージされているのではないでしょうか。

オリオンが東を象徴するであれば、五行でいう東は木気であり風気ですので、
伊勢の心御柱(天乃御柱)が木であり、同じ名を持つ、天御柱神を祭る龍田大社が風神とされるのも五行的な考えからきていると思われます。
諏訪の御柱、風鎮め、貫前神社の心御柱などもオリオンに関係していると見ます。


[6273] Re[6272][6271]: 生田淳一郎 さんの参考になるでしょうか。  生田淳一郎 2011/11/13(Sun) 11:19 [Reply]
 みなしゃん、よってタカってありがとさん。
 具体的な語形を指し示すことはなかったのですが、大野晋教授は「フネの語源はタミル語にある」と、書いておられました。
 フネに似た語形はほかの言語では今のところ見当たっていません。あえていうならシナ語の「フ(浮) -ni(こと)。

 まっつぁん、「オモイカネ」は判りましたか?
 ネパール語に「 KANE MANE(尊敬する)」がありましたヨ。 MAN だけでも「尊敬する」という意味があります。
 やっぱ、現代に遺されているネパール語発音 の GYAN(考え)が、原始音に近いかたちで、日本語の KAN(考)になっているものと見こめます。

 両言語間に類似語彙の数がなんぼあるかが、両言語の親疎関係を決定づけるのではありますまいか。
★ 大野晋教授は二人の日本語に精通したタミル人を雇い使って、十万余語が載っているタミル語大辞典から 、対日本語との類似語彙を 350ペア抽き出されたのですが、だれかさんは 5754語しか載ってないネパール語辞書から 1300ペアもの類似語彙をひっぱりだしたのです。
 大野晋教授はタミル語とアイヌ語との類似語彙については、まったく摘出作業はなさいませんでしたが、そのナントカいうオトコは「ネパール語 / アイヌ語」の間に、530ペアの類似語彙を摘出したんです。
 そういうオトコ、やっぱ現代の英雄で KAN MANE してもよかっちゃなかっちゃろかい。

 そのなんとかいうオトコは、ギリシャ語辞書も読んだそうですが、ハッキリといえる類似語彙は NAI (ハイ・・佐賀弁)とアキサミヨ(沖縄; びっくりした)ぐらいのもので 「“ 収穫 ” は ヘブライ語にも及ばなかった」と言っていました。
 ヘブライ語と日本語間の類似語彙は 20しかないのれす。

 ヒノキシどんのお書き込みには、別に「日本人はアイヌの末裔だ」というのもありました。
 一つの言語ばぁみていると意識が片よってきて、「コ〜〜レ、コレ! これこそ日本語の起源ならめ」との近眼にな(化)る必然に振りまわされるようになります。ひとつだけの言語を見つづけることは百害あって危険れす。

[6272] Re[6271]: 生田淳一郎 さんの参考になるでしょうか。  琉球松 2011/11/13(Sun) 09:45 [Reply]
棘の紀氏さんへ

 こちら沖縄島では「フニチ国(船津国?)」との古語は見当たらないんですけど、何かの文献に出ているでしょうか。よろしければご教示下さい。

 「フェニキア」が、日本語の「フネ(船)」の語源とのお考えはさておき、地中海と琉球の関係はありうると思いますが、しかしあまりにも時代が違うのではと考えますがどうでしょうか。

[6271] 生田淳一郎 さんの参考になるでしょうか。  棘の紀氏 2011/11/12(Sat) 21:59 [Reply]

多くの日本語の語源はギリシャ語
日本語の「フネ」という発音と、古代ギリシャとの関係は、その海軍の主力だった「フェニキア」と切り離しては考えられない。
 沖縄語ではその名は「フニチ国」になる。
 これは本土語に直せば「フナキ」船木という姓に一致する。
 またフニチ国を「船津国」と書けば、それが船の国という古語だと分かる。
http://momo-matmkanehara.blogspot.com/2011/05/blog-post_08.html

参考HP
投稿者:棘の紀氏 投稿日:2011年11月12日(土)21時57分10秒
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs?

[6270] Re[6269][6268]: ワタリガラス    棘の紀氏 2011/11/12(Sat) 20:06 [Reply]
> ア ワ・・・粟 阿波 安房 安和
> 語源は、ほとんど同じ発音の南中国語=「倭=ゥオー」だったとみると、
>  <魚>の「ウオ」という発音こそ「倭」だったのだと理解できる。 
> http://momo-matmkanehara.blogspot.com/2011/05/blog-post_08.html
> 大量の日本語とギリシャ語の共通語が実在するから、
>  「よく似ている」のではなくて「もとは同じ言葉」である。
>  だから沫那芸(アワナキ)の神(アワナキの神)と沫那美の神(アワナミの神)は
>
> 「アワの王(キ)と女王(ミ)」で、 アフロディテとその夫の夫妻の神を指すと同時に、阿波・淡の支配者夫妻という意味もあるのである。
>  ※出典:大学講義録28 20頁
>
> 和田 倭の地 日本列島誕生図 http://homepage3.nifty.com/myhomepagedeg/starthp/ subpage02.html “行基図”の出現 日本における地図の歴史は .... 応神天皇に呼ばれ弓月 王(秦15世)が天山山脈のホータンあたりから一族120県を引き連れ、百済まできたが. ...
> http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/1933
> 古代のホータンは于(うてん)とよばれ、イラン語系のことばを使うアーリア系住民が住み、ビジャヤ(尉遅(うっち))王家をいただく仏教王国として栄え、特産品の玉(ぎょく)をもって国際的に著名であった。 ...
> http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3/
>
> 【和】8画 禾部 教育3 拡大字: 拡大字:和. カ〔漢〕 ワ〔呉〕 オ〔唐〕 やわらげる〔 訓〕 やわらぎ; やはらぎ〔訓〕 やわらぐやはらぐ〔訓〕 なごむ〔訓〕 なごやか〔訓〕 あえる; あふ〔訓〕 なぎ〔訓〕 あい〔訓〕 いず〔訓〕 かず〔訓〕 かつ〔訓〕 ...
> このWebサイトを開くとセキュリティを脅かす可能性があります
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>
> 古代文字 龢(和)ワ、やわらぐ. 禾+笛 笛を吹いて神様を和ませ 豊作を願う形。
> http://tomotsubaki.wordpress.com/2010/05/16/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%80%8C%E5%92%8C%E3%80%8D/
> 禾形の大きな標木を立てた。のち華表といわれるものの原形をなすもので、華表はのち聖所の門に用いられる。
>
> 1.やわらぐ、講和する、友好の関係となる、むつまじい、やすらか、たのしむ、なごむ。
> 2.かなう、こたえる、あう、したがう。
> 3.声が合う、音がととのう、味がととのう、ひとしい、おなじ、あわせる。
> 4.すず、和鈴。
> 5.ひつぎ、棺頭のところ。
> 6.字はまた禾・桓に作る。
>
> それを「くち」と思っている限りは、謎は解けないのです。じつは「口」は「くち」ではありません。もともとは「ꇴ」こんな形をしていて「さい」と読みます。
>
> 平[会意]于(う)+八。于は手斧(ちような)の形。手斧で木を削り平らかにする。その破片が左右に飛ぶ形。
>  これは強制力に他なりません。平らでない物を、なにがしかの力で平らにする意味ですから。
>
> ・・・古代のホータンは于(うてん)
>
> 于とは (ウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
> 2010年8月15日 ... 字形: 〔説文解字〕の本字は亏で、「於(ああ)なり。气の舒(おもむ)ろに亏(まが)るに象 る。」「丂に從い一に從う。一は其の气の平らかなるなり」とあり、会意とする。白川静は 曲がった木または刃の長い曲刀の象形で、曲がるや大きいというような ...
> http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BA%8E
>
> 亏は于の古文である。于は「ああ」 と読むように感動詞として使われる。
>
> 于
>  ■音
>   【ピンイン】[yu2]
>   【呉音・漢音】ウ
>  ■解字
>   指事。息がのどにつかえてわあ、ああと漏れ出るさまを示す。直進せずに曲がるの意を含む。
>  ■意味
>   ああ。わあ、ああという嘆息の声をあらわすことば。
>
> 嗟(ああ)  口 亞
> 〈亜(亞)〉は、『説文解字』では《みにくい。人の曲がった 背中の形に象る》。加藤常賢の説では《古代の四阿の明堂と言われるものの原始形で、 四阿の明堂は地上の建物であるが、これは古代の地下穴居の室の ...
> http://tonan.seesaa.net/article/142234437.html
> 墓室の平面形。正方形の墓室の四隅をくりとってある形である。四隅をくりとるのは、そこに悪霊がひそむ恐れがあるからであろう(『常用字解』)》。
>
> 亞 亜
> 音:ア、エ訓:おし. 意味:1. 「唖」の「亜」が「亞」 ( おし ) 。声がのどにつかえて出ない。 また、口が利けない人。 2. 烏 ( からす ) が、ああと鳴く声。 [二]. 音:アク、ヤク. 意味: あっはと笑う声。また、ああと驚く声。 解字:形声。口+亞(音)。
> http://www21.tok2.com/home/toshinopage/kanji/1ji24.html
>
> 私的に ひとしい、おなじ、あわせる と思います。 亞=亞・・・亜=等しくない・・・等しいは 【中】
>
> > kal にはアラビア語発の金属精練の意味が濃厚にこびりついています。霧島のカラクニ岳は韓国人のことではなく、強風を利用した金属精練の峰だとおもいます。
>
> 迦楼 羅(カルラ)
> 迦楼羅( カルラ)とは、三毒を食らいつくす伝説の火の鳥で、仏法を守護する八種の神々を指し ます。
>
> 、迦楼羅鳥の吐き出す火炎であり、「迦楼羅炎」(かるらえん)と呼ばれる。
> http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/hudou.htm
>
> 穫(刈る)
>
> (禾=粟)

栗、粟、票、要、賈、に共通する「西」のようなもの≫ 中間報告(2009/2/7) 【 栗 】:910 木の上にチョウ形(篆書参照)の形の実を付けた形。 チョウ形は、栗の毬(いが)の形。 その部分は、“占”の下部の“口”の内側に“肉”のような折り重なる形が ...
http://blog.goo.ne.jp/kanji-circle/e/26bba400ac56417cd6d4b9395175f1e0
【 栗 】:910
木の上にチョウ形(篆書参照)の形の実を付けた形。
チョウ形は、栗の毬(いが)の形。
その部分は、“占”の下部の“口”の内側に“肉”のような折り重なる形が詰まっているものです。(板書必要)

【 票 】:753/541−3
囟(シ) と 臼 と 火 とを組み合せた形。
死者の頭部や死体を両手で持って焼く形。
その火の勢いによって屍が浮き上がること。

【 覃 】:602
壺状の器の中にものを満たしている形。
襾 の部分は、篆書などでは、鹵 の形によく似ている。
【 垔 】:032
上部は、煙抜きの形。下部は、竈 の形。
篆書・古文を見ると「囱」のようにも見える。
【 覈 】:113
襾 と 敫 とを組み合せた形。
襾 は、上記より“おおう”の意味。
敫 は、横にわたした木につるした屍(白)を殴って(放って)その呪いを責め、もとめる(徼)ことを実現させようとすることを意味します。

もとめる(徼)ことを実現させようとする

邪馬台国掲示板|「邪馬臺國」・「拘邪韓國」の位置関係。
徼」について梁の顧野王が説文解字をもとに字を加え、編纂した字書である玉篇には「要 なり、求なり」「邊徼なり」とある。 その「邊徼 ... 後漢書は、玉篇編纂前の南朝宋 范曄( 398〜445) 撰ですから「徼」は説文解字の解釈に従うべきかと。 ...
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_topic_pr_5297.html
説文解字に「徼」は『循(めぐ)るなり』とある。
「去」は『行く』。「其國」とは「邪馬臺國」。

[6269] Re[6268]: ワタリガラス    棘の紀氏 2011/11/12(Sat) 19:46 [Reply]
ア ワ・・・粟 阿波 安房 安和
語源は、ほとんど同じ発音の南中国語=「倭=ゥオー」だったとみると、
 <魚>の「ウオ」という発音こそ「倭」だったのだと理解できる。 
http://momo-matmkanehara.blogspot.com/2011/05/blog-post_08.html
大量の日本語とギリシャ語の共通語が実在するから、
 「よく似ている」のではなくて「もとは同じ言葉」である。
 だから沫那芸(アワナキ)の神(アワナキの神)と沫那美の神(アワナミの神)は

「アワの王(キ)と女王(ミ)」で、 アフロディテとその夫の夫妻の神を指すと同時に、阿波・淡の支配者夫妻という意味もあるのである。
 ※出典:大学講義録28 20頁

和田 倭の地 日本列島誕生図 http://homepage3.nifty.com/myhomepagedeg/starthp/ subpage02.html “行基図”の出現 日本における地図の歴史は .... 応神天皇に呼ばれ弓月 王(秦15世)が天山山脈のホータンあたりから一族120県を引き連れ、百済まできたが. ...
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/1933
古代のホータンは于(うてん)とよばれ、イラン語系のことばを使うアーリア系住民が住み、ビジャヤ(尉遅(うっち))王家をいただく仏教王国として栄え、特産品の玉(ぎょく)をもって国際的に著名であった。 ...
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%B3/

【和】8画 禾部 教育3 拡大字: 拡大字:和. カ〔漢〕 ワ〔呉〕 オ〔唐〕 やわらげる〔 訓〕 やわらぎ; やはらぎ〔訓〕 やわらぐやはらぐ〔訓〕 なごむ〔訓〕 なごやか〔訓〕 あえる; あふ〔訓〕 なぎ〔訓〕 あい〔訓〕 いず〔訓〕 かず〔訓〕 かつ〔訓〕 ...
このWebサイトを開くとセキュリティを脅かす可能性があります
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古代文字 龢(和)ワ、やわらぐ. 禾+笛 笛を吹いて神様を和ませ 豊作を願う形。
http://tomotsubaki.wordpress.com/2010/05/16/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%80%8C%E5%92%8C%E3%80%8D/
禾形の大きな標木を立てた。のち華表といわれるものの原形をなすもので、華表はのち聖所の門に用いられる。

1.やわらぐ、講和する、友好の関係となる、むつまじい、やすらか、たのしむ、なごむ。
2.かなう、こたえる、あう、したがう。
3.声が合う、音がととのう、味がととのう、ひとしい、おなじ、あわせる。
4.すず、和鈴。
5.ひつぎ、棺頭のところ。
6.字はまた禾・桓に作る。

それを「くち」と思っている限りは、謎は解けないのです。じつは「口」は「くち」ではありません。もともとは「ꇴ」こんな形をしていて「さい」と読みます。

平[会意]于(う)+八。于は手斧(ちような)の形。手斧で木を削り平らかにする。その破片が左右に飛ぶ形。
 これは強制力に他なりません。平らでない物を、なにがしかの力で平らにする意味ですから。

・・・古代のホータンは于(うてん)

于とは (ウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
2010年8月15日 ... 字形: 〔説文解字〕の本字は亏で、「於(ああ)なり。气の舒(おもむ)ろに亏(まが)るに象 る。」「丂に從い一に從う。一は其の气の平らかなるなり」とあり、会意とする。白川静は 曲がった木または刃の長い曲刀の象形で、曲がるや大きいというような ...
http://dic.nicovideo.jp/a/%E4%BA%8E

亏は于の古文である。于は「ああ」 と読むように感動詞として使われる。


 ■音
  【ピンイン】[yu2]
  【呉音・漢音】ウ
 ■解字
  指事。息がのどにつかえてわあ、ああと漏れ出るさまを示す。直進せずに曲がるの意を含む。
 ■意味
  ああ。わあ、ああという嘆息の声をあらわすことば。

嗟(ああ)  口 亞
〈亜(亞)〉は、『説文解字』では《みにくい。人の曲がった 背中の形に象る》。加藤常賢の説では《古代の四阿の明堂と言われるものの原始形で、 四阿の明堂は地上の建物であるが、これは古代の地下穴居の室の ...
http://tonan.seesaa.net/article/142234437.html
墓室の平面形。正方形の墓室の四隅をくりとってある形である。四隅をくりとるのは、そこに悪霊がひそむ恐れがあるからであろう(『常用字解』)》。

亞 亜
音:ア、エ訓:おし. 意味:1. 「唖」の「亜」が「亞」 ( おし ) 。声がのどにつかえて出ない。 また、口が利けない人。 2. 烏 ( からす ) が、ああと鳴く声。 [二]. 音:アク、ヤク. 意味: あっはと笑う声。また、ああと驚く声。 解字:形声。口+亞(音)。
http://www21.tok2.com/home/toshinopage/kanji/1ji24.html

私的に ひとしい、おなじ、あわせる と思います。 亞=亞・・・亜=等しくない・・・等しいは 【中】

> kal にはアラビア語発の金属精練の意味が濃厚にこびりついています。霧島のカラクニ岳は韓国人のことではなく、強風を利用した金属精練の峰だとおもいます。

迦楼 羅(カルラ)
迦楼羅( カルラ)とは、三毒を食らいつくす伝説の火の鳥で、仏法を守護する八種の神々を指し ます。

、迦楼羅鳥の吐き出す火炎であり、「迦楼羅炎」(かるらえん)と呼ばれる。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/hudou.htm

穫(刈る)

(禾=粟)
中国後漢の許慎が著した漢字の解説書『説文解字』において、「米…粟實也。象禾實之形 」(禾=粟)と書かれ、米即ちアワの実であると解説されている。
http://r.tabelog.com/keywords/%E3%81%93%E3%82%81/tokyo/

米(八方)即ちアワ

ハつの小丸で構成された書体で表記される。また図象を複数組み合わせて、意味を持つ言葉となる。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gengogakuin/gengokenkyu/mojishico/kamiyomojico.htm
「秀真(ホツマ)文字」は1音1字の文字で、母音要素と子音要素の組み合わせで成り立っている。現在の「あいうえお」の原点となる48文字の基本文字があり、変体文字を含めると197文字が確認されている。アワ歌が原形で、アからワで終わる。
「明治以前に、アイヌ人が文字を持つわけがない」というのが学説であるが、ウエツ書や秀真伝、九鬼文書に、エゾノ国(蝦夷)を治めるといった記載があることから一概にアイヌ人が未開拓人であったと考えるのは早計である。

【対馬文字】
その書体はシュメールの聖なる木「七技樹」を思わせるが海洋航海術を持った、シュメール文化が対馬や日本各地にも来ていた事を匂わせる。

【伊予文字 、秀真(ホツマ)文字】
アの「*」は人の頭、イの「*」は人の肩、ウの「*」は人のみずおち、エの「*」は人の小腸、オの「*」は人の「骨盤」を象徴しているとも読み取れる。

ヘブライ語で、MAは液体=M、誕生 =Aの意味であり、聖なる印=メム・ ... 國照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテル ヒコアマノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)であります ...
http://snowqueen1058.blog88.fc2.com/blog-entry-304.html
秦とは古代朝鮮語で『海』を意味し、『太秦』の太、太一とは太極・北極星=天之御中主大神(アメノミナカヌシ)様と、大日如来=天照大御神であり、『秦』はシリウスを意味し、『太秦』という地名そのものが北極星・北斗七星・天狼星・太陽=星辰(妙見)・太陽信仰=セントラルサンシステムを表しています

[6268] ワタリガラス    生田淳一郎 2011/11/12(Sat) 14:20 [Reply]
 ヒノキシどん、ニへデービル
 小生の大偏執は日本語は「ネパール語を指導言語として発達した」というニラミです。
 そのネパール語には a i u e o のほか、a と o の中間の母音があります。これは日本語に化けるときは o になっているはずですので、小生はすべて a にしています。
 その中間母音をここでは @ と置きますと、大概念の s@r-(うごく、移す)の変化形と目せられる t@r- [(海・川を)こえる、渡る ] があります。小生は永年、このワタルの「ワ」が限定できずに困っていますが。秀吉の土地調査のときの「割り(区画?)」とか十和田湖の wa(周辺)かな? ぐらいがせいいっぱいです。
 ここにワープぶちかましたら、なんとかなりませんか。

 カラスの ス ですが、ス ではなく 音は シュ らしいのですが、この シュ(鳥)はシュメル語にもあるそうです。この同根 ス が沖縄、日本、朝鮮の極東にもみられます。
 カラ はたしかに「黒」の意味があって、カラスは「黒・鳥」として落ちつきます。
 しかし、いっぽう、 kal にはアラビア語発の金属精練の意味が濃厚にこびりついています。霧島のカラクニ岳は韓国人のことではなく、強風を利用した金属精練の峰だとおもいます。

 金属精練の窯はいつもやっているとは限らず、そこに雇われたい人びとはワタリカラスとなって広域を移動したのだと想えてならないのですが、 ワープかましではどうなんでしょう。


> では、どこに核があったかということになりますが、それはちょっと難しい。 
★ ここですよね。文化(偏執)がどこでクセのムスボレを作っているか・・・・・の割り出しです。

>  舟木氏と呼ばれた氏族がいました。
★ 神奈備掲示板の人びと、とくに とみたさんに告げたい。
  舟木の 木 は「の止め用法」の一つで、これは舟の木ではなく「舟の」ではないかとおもいます。
  ネパール語の「…の」には ka , ko 、ki があります。みかどの ka 、みことの ko 。みな「……の」。
  「おう、笹川の」、「おう清水の」。

[6267] Re[6265][6264][6263][6262][6261][6260][6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  棘の紀氏 2011/11/12(Sat) 10:00 [Reply]

>  秋田にはオカシナイという川名がある。ナイがつくから、これはアイヌ語だろうとして一般は「 O(川口を) KUSH(渡る)」としていますが、これは周辺にタジク語勢力がいないということを前提にしています。タジク語の KUSH には「(舟など)引く」があるのでアマカネです。
 
アイヌ語 KUSH(渡る) タジク語 KUSH (舟など)引く・・・航(船)済(斉ー文=舟)
舟型棺
http://www.rmhb.com.cn/chpic/htdocs/rmhb/japan/j2001-2/chuanguan.htm
南船北馬(南方人は船に乗り、北方人は馬に乗る)」の説がある。船棺で埋蔵することには「舟に乗って他界に行く」意味がある。

舟木氏と呼ばれた氏族がいました。ここに石の船(棺)を 埋めたのでしょうか。また巨石と船と太陽といえば、エジプトのピラミッドの横に、巨大な 本物の航海ができる船が埋められていることを連想します。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~macotom/eoznoia.html
天神を祭るということは、太陽信仰ということ。真東は陽が昇り、真西は陽が沈む。つまり、産まれる所と死ぬところの象徴です。

彌(ワタル)
弭・彌は、 末端まで届く意を含み、端までわたる、とおくに及ぶなどの意となった。→弭(び、み) ...
http://homepage3.nifty.com/giboshi/kaijitbl012.htm
弭(び、み)は、端に届いて止まる、の意に用いられる。

耳 忍者
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/554
「耳」の文字が「目」の文字からからできており、象形文字の視覚優先を納得していただけると思います。

川(境)+度=渡る
後漢書 「度」は天体の 星の間隔を示す尺度として使用された。
http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=29&summary=on
『尺は直線で歩は曲線』の計測として使われていた。

ワタル:亘る 亙 昌 航 渡る 渉 済 津 洋 度 弥 彌  移 格 倭 迣 倭  朗  橋・・・元旦(亘)

、「向」と「舟」が結びつきましたので修正します。 ***注:「卩」の追加と修正 2008. 09.02.*** 1.「臣」と「巨」の解読 「臣」と「巨」の字は骨格が同じです。辞書では「臣」 は独立した部首で、「巨」は「工」の部に属しています。まず辞書の解字から見てみま しょう ...
「巨」は「工」の部・・・臣?
http://shoukei.blog65.fc2.com/blog-entry-77.html

HH・・・舟橋(舟を並べたもの)、・・・橋・・・ワタシ 

舟 = 「?」の字形字形が字源。=
方円(丸)は□○で「」の字形が字源。
http://kaze.world.coocan.jp/4moji.htm
前方後円古墳は風(天空、宇宙、宇気、大気、空気、虚空・・・)を表現しようとしたものか?
「ノアの方舟(ハコブネ)」は通常は箱舟、函船・・・などとは表記されず「方」の文字を使用。
方墳や丸墳(円墳)の「方(□)・丸(○)」は外観からのみの表現のほか、風(宇宙、天空、大気、宇気、空気、虚空・・・)の意味も隠され背負わされているのでは? 円墳は丸墳と表記したい(前方後丸墳?)。
 長年風雨により八角形墳が丸墳(円墳)に変形した墳墓がある。

ワタリ (囲碁) · 囲碁用語のひとつ。 ....
ワタリ (漫画) · 白土三平による日本の漫画作品。・・・忍者

ワタリガラス > > これは確かに「創造神」 でもありますが、「最初の、唯一の、最高の」創造神ではありません。
http://6541.teacup.com/chikuzen/bbs/4539
縄の犬婿昔話は中国のミャオ、ヤオ、コーラル族の盤瓠神話にもっとも近いそうです。
 では、どこに核があったかということになりますが、それはちょっと難しい。少なくとも、東北アジアから南下して、九州や本州では失われたけれども、沖縄には残ったと申しますより、沖縄へは中国から伝わったと理解したほうがよさそうです。

何かのヒントになれば、幸いです>

[6266] Re[6265][6264][6263][6262][6261][6260][6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  生田淳一郎 2011/11/11(Fri) 17:12 [Reply]
> オーストロネシア語族は台湾から南下し、太平洋各地に拡散したとする説が有力である。 --- Is it true?
★ 永田良茂さんは大会社の理科系研究室で永年すごされ、特許も 20余もお持ちで、世界観・価値観ともに秀でた見識があるかたです。
 まだ、本格的な会話は始めていませんが、ただひとつ小生が気になるところは、最終氷期以後、南太平洋一帯は「この世の楽園だった」と考えられておられる点です。
 数種の氏族が狭い土地に追い込まれ、死闘をくり返したのですから、まさにこの世の地獄だったと思っています。
 
 小生は個人的に、最終氷期ののち、歩いて北の中央アジア高原に入った一派がいた……という想念を固めつつあります。
 腹がへったら、ヒトを殺して食うのは当り前のことです。棒杭につないでおいて手を食い、足をたべて長期間の食糧を確保したことでしょう。砂漠では小便をのんだことでしょう。食べ物に飢えたら自分のウンコを食べたことでしょう。
 温暖で稔りの多い黄河流域に入った民は、戦争をくりかえしたおち、衣食たって礼節を知った段階で、ウンコをたべたり、小便を飲む周辺野蛮人を、「ケモノ・犬」よばわりをしました。
 要するに、極寒乾燥の朝鮮北部以西の民が温和な土地に南下を計れば、必ず戦争に勝ちます。そして自らも文化に浴して、弱体化(詩歌管弦文弱に長る)し、更なる北部の民に脅威を感じる・・・といったことをくり返す。

 オレのヒガ目であれば幸いですが、その北の民が小便を飲んでいたという風習の証拠(?)を、いま簡単に見られる。
 http://blog.livedoor.jp/nekokan2011/archives/4500356.html この水ののみかたは朝鮮式です。
 野田総理ばかりではありません。菅直人氏ほかの議員も朝鮮飲みの写真が撮られています。
 「水をのむ口が目上の人の目にふれるのは失礼だから、そういう飲み方になった」と、説明されていますが、これは砂嵐の中で砂が入るのを妨げ、いっぽうでは鼻穴をふさいで一気飲みをするスタイルだとやぶニラミしました。

[6265] Re[6264][6263][6262][6261][6260][6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  生田淳一郎 (77歳) 2011/11/11(Fri) 16:01 [Reply]
 ヒノキシどん、いろんな資料を イヤイライケレ。
 オレ、ワープといことばの意味がわからんので辞書ひいてみたがワカラン。検索してみたらいよいよワカラン。
 なんでも、ワープというのはアクロバット式にひっくり返って、じぶんの◯◯を……やめとこ。
 しかし、ことばの世界でアクロバット式の資料あつめができるようになったということはスバラシい。

 息子からマッキントッシュを宛てがわれて、使いみちも分らぬままに十余年。アッというまにパソコンが意識革命をおこしていたんですなぁ。
 でも、この調子で革新がすすむなら、あと十余年で人類が滅びるんじゃないかと心配します。
 
 井筒俊彦さんはアラビア語をべんきょうしたので天才に化(な)ったのだとおもいます。
 その井筒俊彦さんが「ヨーロッパ語なんざは噛みごたえがなくって、バカみたい」と仰ったことを憶いだします。
 なんでも、アラビア語は「そこに書かれていない事」までをも読みとる要求があるそうです。
 いまから先は、シナ・朝鮮のように先鋭化された天才づくりの教育が必然となりましょう。
 そのとき、いちおうハナシのできる人とは、非ユークリッド幾何学、素粒子力学、相対性原理、医学・細胞生物学に精通しておかねばなりますまい。
 知的なありかたをめぐって、軍隊の士官と兵卒のような階層分科が極度に徹底されることでせふ。

 ちょとナマイキ言わせてください。毫もあやまりがあったら、どうかワープをかましてください。
 その他、こんごともアマカネね。
★ アラビア語などあのへんの言葉を研究している日本のご仁はワンサといて、しかも子音ばかりで書かれているそうなので、わたしゃオテモヤン(♫♡ あんひとたちのおらすけんで)をきめこんでいます。
 クシュという発音が広まっていますが、これは「ケショ」だったかもしれず、「コシェ」だったかもしれないわけです。
 ただ、現代に遺されている発音を頼りにして、それを「大いなる蓋然性」にして展開をはかっているのではないかと、おもわれます。
 秋田にはオカシナイという川名がある。ナイがつくから、これはアイヌ語だろうとして一般は「 O(川口を) KUSH(渡る)」としていますが、これは周辺にタジク語勢力がいないということを前提にしています。タジク語の KUSH には「(舟など)引く」があるのでアマカネです。

 37年前あたりから、川崎真治さんがウル・シュメル・エジプト語起源ということで、大いにモノイイを展開しました。
 しかし、それはそれで、読む視角で肚を据えて取り組めば、個人としてはなかなかに面白いかと思います。
 一つの社会に新しい語彙や考え方がはいってくると、それまでの旧来の語彙は次第に消えてなくなる。……で、ウル・シュメル・エジプト語が世界に散って権威を持つのは、理の当然です。

[6264] Re[6263][6262][6261][6260][6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  神奈備 2011/11/10(Thu) 21:33 [Reply]
棘の紀氏さん ワープさんですね。



[6263] Re[6262][6261][6260][6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  棘の紀氏 2011/11/10(Thu) 12:16 [Reply]

>  「挨拶」の語源というか、この中心の起源を割り出すには アイヌ語が適しているかとおもいます。

イランカラプテ!(アイヌの挨拶),
 i    ran  karap te
(あなた) (心) (触れる) (〜させて)
(ka=表面、rap=鳥の羽)
「貴方の心にそっと触れさせていただきます」という丁寧な意味を持つ。
なんと奥ゆかしく謙虚な言葉だろう。
人に会った時の喜び、そして心と心のふれあいを大切にする、アイヌの精神そのものだろう。

4.アイヌ語とオーストロネシア語 (村山 七郎) ---- オーストロネシア系と見られる若干のアイヌ語単語
ikka「盗む」 kem「血」 kimatek「いそぐ、あわてる、恐れる」 kir「知る」 kira「逃げる」 maw「呼気」 mek「吠える」とrek「鳴く、啼く」 moy「うずまき(渦巻)」 retar「白い」 to「乳房」
c. 日本語の起源とアイヌ語 (©永田良茂),,, ■研究発表: 「台湾諸語と沖縄諸語の語彙比較から  −日本語系統に関して− 」 at 2007/06/03
cf. 台湾原住民   (wikipedia)
    |--- 台湾原住民族の言語: オーストロネシア語族(マレー・ポリネシア語族)のインドネシア語派に属する諸言語を話している。このことから、台湾原住民族はもともとインドネシア・フィリピン方面から渡ってきた民族であろうとする説もあるが、台湾原住民諸語がオーストロネシア語族の祖形を保持しており、考古学的にも新石器文化は台湾からフィリピン、インドネシア方面へ拡大しているため、オーストロネシア語族は台湾から南下し、太平洋各地に拡散したとする説が有力である。 --- Is it true?
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_11.html
itako (イタコ) - medium, mediate 霊媒・云う(言う、ではない)・媒介 | indirekt (indirect, indirectly, oblique, implicit, mediate) in Germany/ Austria, vidus (middle, medium, depth, mean, medial) in Latvia, etka yakayks ulems (mediate). in Europe (Moksha モクシャ語/Mordoff 語)  c. itako ≒ intervene, intercede, interfere, interpose, mediate
kus (クシ) - pass (through) 〜を通る | kuhita (pass, surpass)/ kuida (pass, surpass)/ kusaaga (increase, pass, surpass)/ kushila (pass, surpass) in Tanzania, chodit (walk, go, pass, roam, cadge) in Czech Republic, khong dey (to let pass, to take one's mind off) in Viet Nam/ China, goeta (pass, surpass) in Kenya, q'asa (aperture, breach, chip, chipped, notch) in Bolivia/ Peru  c. pass → クシ (p-k, ss-s)
〜を通る

「クシュ」は行くことなり

クシとは、旧約聖書においては、箱舟のノアの孫にあたる「 クシュ」が由来で、その「クシュ」という名を取って、紀元前にエジプト南部からヌビア 一帯に繁栄した文明は、「クシュ文明」と呼ばれています。 ...
http://heshbonit.seesaa.net/article/61784196.html
紀元前にエジプト南部からヌビア一帯に繁栄した文明は、「クシュ文明」と呼ばれています。

ヌビアのピラミッドはナイル川流域の「ヌビア」地域に栄えたクシュ文明の遺跡。エジプトのピラミッドの影響を受けている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%93%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89
クシュはついに第25王朝でエジプトを征服、ナパタの王はファラオとして君臨した。
両眼を塗りつぶされた雌牛が発掘され、同様に叩くと旋律を奏でる岩も見つかっている
ヌビア
緯度:22.50 経度:31.62.

『ヤムクシュナイ「ヤム」は栗なり、「クシュ」は行くことなり、「 ナイ」は沢なり、按ずるに此所栗多く生じて、夷人常に栗拾いに行くことあり、故に号 けしならん。 .....
http://www2.town.yakumo.hokkaido.jp/history/ep10.htm

イランカラプテ!(アイヌの挨拶),
、「イラン」の語源ともなったアーリア人の移動から考えます。 インド・ヨーロッパ語族 は紀元前3000年頃から中央アジアを起点として東西に民族移動を開始しました。彼ら はヨーロッパへ向かう西方系とイラン高原・インド亜大陸に向かう東方系に分かれます。 ...
http://homepage2.nifty.com/hashim/whistory/iranhistory.html

すなわち「アイヌ人は アーリア人であり、日本人はアイヌ人の子孫である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C

[6262] Re[6261][6260][6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  生田淳一郎 2011/11/10(Thu) 09:49 [Reply]
 棘の紀氏さんサラーン・サラーン どうも アマカネ
 「挨拶」の語源というか、この中心の起源を割り出すには アイヌ語が適しているかとおもいます。
 わが偏見によれば アイヌということばそのものが「挨拶・nu(する)」みたい。
 相合い傘というし、身体をくっつけてお互いの肩や背中を叩き、ことばを交わすのがアイサツの始源ならむ。
 「うやうやしく」とか「お互いに尊敬して」とか の語が ai 、ae の周辺にみられます。
 朝鮮語 サラム(人)も多くの別言語で「挨拶」です。 アイヌ語 aekap(挨拶)。
 以上、紋次郎流の ホンガホンガ 。

 ことばの詮索によって得られる恵沢について、小生のネライは次のとおりに要約できましょうか。
★ 最終解氷期、地球上には 5〜6種の文化が興った。日本は、そのうちのスンダランドのものに属する。
 ところが、舟が発達し広域通商がくりかえされ、アラビア語勢力がペルシャ・インドなどの東へ進出した。
★ 英語は一つの、フランス語は二つの土俗語を敷きこみ、哲学・軍事行政・宗教などの用語はラテン語を指導言語としたように、日本語は江南にたむろしていた蛋民語を土俗語として敷きこみ、ネパール語的な西洋系言語を指導言語として発達してきた・・・・・と、思っています。

● オセアニアはバイリンガルです。BC 200年ごろか、シッダルタさんの教え布教のために広域に散って行った数種のバラモン僧のうごきは、なんとか復元できないもんでしょうか。ここが決まらないと「オーストロネシア」という概念が固定できないのではないでせふか。
● 遺伝形質はリッパな遺跡です。
 四国の香川県西と広島県南部には、笑うと上歯ぐきがベロ〜ンと見える人相が多い。これがミャオ族にもある。
 ハワイとケルト人のお話、おもしろいです。“ 生田 ” にも巨人の血があるようです。
 茨城鹿島の泉池にはケルト人が投げこんだ金銀の財宝が眠っているかも。tʃaʃma(泉) / casima(めがね)。

[6261] Re[6260][6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  棘の紀氏 2011/11/09(Wed) 14:29 [Reply]

>  あ、アマカネとはニューギニア高地石器時代人の挨拶、意味シンにして至便です。

「アマカネ」
西ニューギニアのモニ族は「ありがとう」も「こんにちは」も「お気の毒です」も全�� �「アマカネ」の一語で済ませるという。強いていうなら、日本語の「どうも」に近いのかも知れない。
http://hikarisolution.vn/index.php?option=com_fireboard&Itemid=115&func=view&id=28&view=flat&catid=15

新!日本人のガラパゴス的民族性の起源 : 12-2. 遺伝子調査から追う ...
2011年10月31日 ... もしかすると西ニューギニアのY-DNA.
http://galapagojp.exblog.jp/14860205/
縄文語はこれに更に出アフリカ以来数万年行動を共にしたと考えられている土器製作などの技能集団でもあったと思われる沿岸漁労系Y-DNA「C1a」と大型獣ハンター系「C3a」の語彙が重なっている複合言語です。縄文語は日本列島でも石器時代以来少なくとも2万年近くは話され根付いた熟成された言語のはずです。もしかすると西ニューギニアのY-DNA「C2」100%のLani族の漁労採集の言葉に日本語に似た単語があるかもしれません。

このオーストロアジア古語系「O2b」は呉音を持ち込んだようです。日本列島に越音が残っていないということは呉系の稲作農耕民が北方へ逃れ「O2b」になったようです。当方が以前予想していた百越系の残党=百残=百済は越音ではなく支配層の使っていた唐音を持ち込んだようです。一方陸稲系稲作農耕(O3」系)も縄文晩期頃に日本列島に入ってきたようなのですが語彙上の影響度はまだ全くわかっていません。

[6260] Re[6259][6257][6248]: オリオンと桃の木  生田淳一郎 2011/11/09(Wed) 12:36 [Reply]
 棘の紀氏さん、ウンジュ(沖縄語 ; あなた様)のお名前で詮索する非礼をお許しアマカネ。
 あ、アマカネとはニューギニア高地石器時代人の挨拶、意味シンにして至便です。

 超がつく資料ひっぱり出しの能力アルネ。「ウンジュもナニ星人アルカ」といいたいところです。
 しかし、お書き込みの傾向からみて、紀のくにご在住で、百済王敬福(こにきしきょうふく)をうちに秘めた天理教徒(ヒノキシン)と見たがヒガメか。
● キョクヒ動物のヒはトゲ(棘)。
● 百済はネパール語 hudar(オオカミ)。 hu は皮、めっぽう温かい毛皮がとれます。犬よりも温かいのでしょう。
 -dar は 「◯◯がいっぱい」という意味。

 「ヒ(黄色)とは、これまたイミシンです。
 たしかアラビア語だったと記憶していますが hien は「濃い黄色」。稗田の阿礼、日枝神社、比叡山に入っているヒで、シナの歴史でも黄布党のように、黄色をめぐって大騒動をくりかえしました。

 アラビア人から黄色偏執を聴いたシナ人たちは大喜びをしたはずです。そのことを知った倭人たちは「黄色い水が湧く泉」をうらやましく思ったことでしょう。
 でも、元徳、関羽、張飛が桃園の誓いをしたときには、下男に申しつけて遠くまで清らかな水を買いにやりました。

 黄色い泉を日本ではヨミと呼ぶんですね。黄泉は音と漢字の二面から攻撃する必要がありそうです。
 「ヨミのくに」の ヨ はフィンランドのスオミ語の yo とも共通ですから、その座がビシッと決っています。 ミ は、どうしてもギリヤーク語の mif(陸地)の援用が必要みたい。
 ちょっと飛躍がありますが、四方(ヨモ)の中心は密教がえらくこだわった「天地の中心」であり、自分の居場所・・・・・足下でもあります。その色は黄色 ! ヒラ とは「黄色 ra(の)」ともとれる。
 サテ、ヒラサカとは? 古代語は懸詞が dar dar です。次号をおたのしみにアマカネ。

[6259] Re[6257][6248]: オリオンと桃の木  棘の紀氏 2011/11/09(Wed) 09:54 [Reply]
> くずさん
>  桃は川に至る以前に使用されていますから、これも天の川の西側か。。。?

persicos '桃
lycopersicum(ギリシャ語lycos '狼' + persicos '桃')
「狼桃」と呼ばれるこのトマト、名前の由来はトマトの学名「リコペリシオン(リコス= オオカミ)と、(ペリシコン=モモ)」に由来しているそうです。

「狼桃」とはトマト属のリコペリシオンという学名は、リコス(オオカミ)と、ペリシコン(モモ)という2語からなっています。

ロコペリは、元々「ココペリ」と呼ばれていました。 ココペリは遥か昔、未開拓時代以前 よりアメリカで信じられていた精霊です。 やがてハワイへと渡り…… ココペリはハワイの 「ロコ」と呼ばれる人々に伝わり、やがて彼らの中で「ロコペリ」と呼ばれるようになります 。
http://loco5565.com/index.php?tn=index&in=55592&pan=139

リコペリシオン(リコス= オオカミ)
シオンの語源は、この地区に住んでいたケルト人の種族に由来するラテン語のSedunumから取られた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9)

「ケルトとアイヌの相似性と対極性」. ケルト人とアイヌ人が古代史の中で歴史的に重要 な役割を果たしてきたことを象徴すると同時に、相互に関連性を有する証明 ...... 桃の 実は心臓に似ている。つまり、桃の実に似た心臓に「元の大神」が住んでいることを示す ために「オオカミズミ」と名付けたといえる。 ...... 京都「祇園祭り」と「シオン祭り 」(ユダヤの国名の別の呼び名・シオン)。
http://2hon8re.blog.ocn.ne.jp/blog/cat6619056/
Bケルト人は新興勢力たるギリシア・ローマの民から保守的で野蛮な民とされ、差別された。一方、日本のアイヌも新興勢力たる大和朝廷から未開人・野蛮な民・蝦夷として差別された。この点もケルトとアイヌは相似的である。
Cケルト人とアイヌ人の共通性は「熊祭り」の儀式の中にも見てとれる。西洋人は日本のアイヌの熊祭りの習慣を知って「自分たちと同祖ではないか」と感ずるという。

アーサー王という人物そのものが、熊との深い結びつきを持っている点である。 ...英語圏でいう「アーサー」はフランス語圏では「アルチュール Arthur」であるが、この言葉 はもともと「熊」を意味するケルト諸語に由来 ... すべての天体が、この星を中心に廻る。 ...
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/wa/seireo08.html
アーサー王、熊、北極星は、神話的思考において、ひとつの体系をなしていることがわかる。

北極星をchi-nukar-nochiwといいますが、この「チヌカッノチュウ」は > 「ミナカヌシ 」に音が類似していますね。 古代の倭の人が、 ..... イザナミが結果的に目覚めて mos しまう。見ると蛆虫 mosospe がたかっている。 「桃」moma (すもも)を投げる。 ...
http://www.dai3gen.net/bbs0103.htm
天之御中主神社では北辰(北斗七星・北極星・妙見様)として祀られているので、「星」の イメージですね。 八代市、妙見神社の妙見大祭は九州ではわりと有名な祭りらしいの ですが、 ここの妙見様は、中国福建から渡ってきたらしい

意富加牟豆美命 オオカムズミノミコト
桃の実を三つ投げると、その霊力で黄泉の軍は退却した。この 時桃の神は伊邪那岐命に意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)と名付けられた。 ...

桃の神は伊邪那岐命に意富加牟豆美命(オオカムズミノミコト)と名付けられた。 最後に追ってきた妻の伊邪那美命を遮るため、黄泉比良坂に巨大な石を置いた。この石 が、この世とあの世を隔てる石になったと言われる。
http://www.wdic.org/w/CUL/%E9%BB%84%E6%B3%89%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E
最後に追ってきた妻の伊邪那美命を遮るため、黄泉比良坂に巨大な石を置いた。この石が、この世とあの世を隔てる石になったと言われる。

「ペトログラフはケルト人が始祖」
岩に刻まれた「岩刻文字=ペトログラフ」がある。世界各地で同様のものが数多く発見され、研究のための学会がアメリカ、カナダなどにつくられているほどだ。これは、文字を持った民族が古代にいて、同一の故郷から世界に広がった証拠と推定されている。そしてその民族とは、古代の日本列島を故郷としたケルト人ではなかったのだろうか。
なぜなら
第一に、岩刻文字は、日本での発見が四千個以上と圧倒的に多いこと。これは、この文字の記述者が日本を古里とすることを意味する。
第二に、そもそも岩に溝をつけて絵文字風に書くというのは、彼らが「石の文化」を持っていた証拠である。この点でもケルト人が岩刻文字の製作者であるという推定は充分に成り立つ。

アマテラスをだまして外界に引き出すことに成功する。 このことは、太陽神の死と復活を意味するが、ドルイド(ケルトの祭祀官)になるために資格審査にも同じような考えに基づく試練があった。それは、太陽神に死を象徴して棺の中に埋葬され、それに耐えて生還することが条件であった。
もう一つの試練は、屋根のない小舟に乗せられて海に流されるというもので、こうした死の危険を無事通過できた者のみが、『再び産まれた者』として、初めてドルイドの資格を得るための教育が受けられたようである。後者の「川流し」は葦船に乗せられて川に流された『旧約』のモーセを想起させるだけでなく、日本神話の「水蛭子(ひるこ)の川流し」を連想させる。

[6258] Re[6257][6248]: オリオンと桃の木  生田淳一郎 2011/11/08(Tue) 15:39 [Reply]
 オレ、夜中にうろつくクセがないので、オリオンとはどんなことか知らんかっといてんです。でも、なんだか星のこったろうぐらいは知っていました。

 ここ四日ばかり、あたまを蜘蛛のスだらけみたいにして、タジク語ジャングルで薮こぎしていたところ、ヘンな単語の連なりをみつけました。
 
 SʃAFAK ・・・・・・・・・黎明、暁、夕焼け、夕映え
 SʃAFTOLU……・・モモ(桃)

 語彙の構成とか語源に遡りたいのですが、なにしろああた形容詞後置形なので、語彙をどこでブチ切っていいかがわからず、悪戦苦闘です。
 でも SʃAF で始まる語形はkの二つしかありません。

 ここの標題をつくったご仁、詩人にしてはでき過ぎちょる。ナニ星のお生まれ?
 オリオンとスバルは違うんですか? お教えアマカネ。

[6257] Re[6248]: オリオンと桃の木  琉球松 2011/11/07(Mon) 16:36 [Reply]
くずさん

 「黄泉比良坂」を琉球方言で解釈すると、「ヒラ(上り坂)・サカ(下り坂)」となりますから、アップダウンの激しい地形が推測されます。

 イザナギの放尿でできた川を天の川に投影できるとすれば、彼は西から東に向かって逃げたとも解釈できますね? 黄泉の国は、雰囲気的には西の方向だと考えますがどうでしょうか。
 そうすると、天の川を挟んで東西の位置関係ということになりますが、何かヒラメキはないでしょうかね。

 桃は川に至る以前に使用されていますから、これも天の川の西側か。。。?

[6256] ザクロス山地(訂正、コーカサス山脈)は、金の鵄(トビ)  棘の紀氏 2011/11/07(Mon) 08:46 [Reply]
引用
・ペルシャ(イラン)のザクロス山地(訂正、コーカサス山脈)は、金の鵄(トビ)ですが、ガルダ(金翅鳥)に同じとみます。
http://blog.livedoor.jp/nanamihantaro/archives/3315983.html


2010年6月 - どんでん返しの卑弥呼の墓・邪馬台国ーー10・1倭女王 ...
2010年6月24日 ... ここで、猪とガルダ(金翅鳥)との関係を考えます。 菘沢文化の猪・陽・鷲は、のちの ガルダへ影響を与えたのではないか。 ペルシャ(イラン)のザクロス山地(訂正、 コーカサス山脈)は、金の鵄(トビ)ですが、ガルダ(金翅鳥)に同じ ...
http://blog.goo.ne.jp/nanamihantaro/m/201006/1
夜明け前、金星が陽に耀く現象をさして、金翅鳥ができるのであろう。また、ガルダには、火炎が付きます。その震源地を考えてみました。

アケメネス朝ペルシャ
http://6556.teacup.com/shugyo/bbs
 ・・ペルセポリス 北緯29度56分4秒 東経52度53分29秒
 ・・カイロ  北緯30度03分22秒 東経31度14分22
 ・・ギーザ 北緯30度1分 東経31度13分

[6255] Re[6254]: アイヌ語 tompo(星)から   生田淳一郎 2011/11/05(Sat) 11:45 [Reply]
 下 [ 6254 ] では続いて タジク語にある「天国の川(カウサル)」のことを書きたかったのですが、画面きれでした。
 カウサルはキリル文字で KABCAP ですが英語流になおすと KAWSAR です。sar は 頭、頂、端、先という意味ですので,「頭上」と意訳できましょうか。で、KAW が「川」であり、開音化すると日本語とドンピシャです。
 手許の辞書では「天の川」ではなく、「天国の川」としてるところが mitho(ネパール語 ; おいしい、味がよい) なんでしょう。

 タジク語をつづけて読んでいましたら「あるいは、若しかして……」の思いがつのってきます。
 タジク語 SITORA(星)は古墳のキトラのそっくり。NADZM という語形の星もありますが、これはアイヌ語の NOCHIW(星)にも似いちゅう(アイヌ語 CHIW は「流れ」なので、ぜんたいの音がそれに引っぱられる)。
 POʃi-(撒きちらす)があり、意味不鮮明ながら POS(夜の一部)があります。POSI-(被う、ツツむ)もあります。
 POʃi- とギリシャ語 phos(光る)の二つで、星の語源はキマリだとおもいます。

 OL I(最高、至上)もあります。ON には「あれ、それ」のほか ONA(母)があり、開音の前を問えば ON です。
 オリオンとは「母・最高」?  / 折小野さん(鹿児島)、折登さん(青森)。

 √ たらちねの 母がなり(化)たる ひとつ星・・・……だれかの詩です。
 
 タジク語の、日本語の類似語彙を並べると……
 ʃus-(洗う / すすぐ)、sidk(真実)、bob(門)、bar(陸地)、im(今)、moi(源、泉)、par(羽根)、path(綿)、bel(シャベル、へら)、bod(風・・・ほど穴)、ob(水)、ogoz(始め)、guk(ひきがえる)、sipi(平手うち)、tʃ-(摘む)、izad(神)、narm(柔らかい) などが目立ちます。
 アイヌ語との類似や被覆形に攻め入れば、類似語彙数は朝鮮語の比ではないことは確かです。

[6254] アイヌ語 tompo(星)から   生田淳一郎 2011/11/04(Fri) 10:52 [Reply]
 南から攻めてもダメだったので、大きく迂回して東のほうから攻めたら成功して、奈良盆地を制圧できたというのが神武東征のおはなしでした。
 そのとき神武天皇の弓のてっぺんに金のトンビが止まったそうな。が、これは後世の酒飲んでよっぱらったヂヂィの作りハナシだと断じてもよろしいようで……。
 神棚には酒が奉られる。そのお神酒をそのまま捨てるバカはいないので、まず年長のヂヂィが飲む。
 ヂヂィは宴会などで「先輩、なにかひとつ……」と乞われて、なにかをしゃべるわけだが、そのとき。まるっきしのデタラメをしゃべったわけではない。必ずといってよいほど周辺の語彙と懸詞・ゴロアワセをやっている。
 タヂカラオとかイシコリドメ(岩掘り監督)などはいい例です。

 アイヌ語 tompo は星です。tom は「輝く」。tompo の末尾の -po は◯ンポの “ ポ ” で指小辞。で、小さな輝きが星にな(化)っています。
 この tom はアイヌ語でいろいろと活躍して tomte(美 te は性質)、tombi(宝)、にもなり、tom(色)、tom
(花)にもなっています。
 花や色のようにパッと目にあざやかに映ることが tom のようです。 / 日本語 灯す、富、

 この tom がタジク語にもありますだ。
  tobon(輝く、光る、照る)。tob がタジク語で tom がアイヌ語。
 *tob はインドのクトブ鉄柱、とぶひ(のろし)、・・・そして弓のてっぺんに止まったトンビになった。
 tob-on 末尾の -on は世界族際語の -in や -an(する・やる)に還元できます。タジク語には O 偏執があります。


 日本にはじつにいろんな氏族・民族が溶け込んでいます。日本語とか日本古語だけを見ちゃオエン(岡山弁)。
 むかしの人は単純で短命でした。 15年も経つとむかしのことはわからなくなる。紀記とか古文圏はヒトラー並みにウソをホンモノにする手段だった。それを ! 書いてあるからといって鵜呑みにするのは現代人としてはオエン態度ならむ。
 アジスキに「鋤」とあるからといって、これを農耕具の鋤だとしちゃイカン。
 ヒルコが分らなくなった古代人が「蛭」と書いたからといって。それを鵜呑みにしちゃイカン。
 pir はタジク語で「宗教上の指導者」です。ヒルコは hir-co と表記したい。マルコ(男子)、トトカルチョの co。

[6253] 星巡り  棘の紀氏 2011/11/02(Wed) 13:58 [Reply]
蛭子命は、日本神話では伊邪那岐命と伊邪那美命から初めに生まれた神であるが、蛭 のような不具の神であったため葦に乗せて流された。

太陽系の星の中で、唯一金星だけが右回り。 金星はヴィーナス、愛を司ります。

不具の子供(水蛭子、泡嶋)が生まれてしまったので、「男= 右旋回、女=左旋回」に変えると成功し、まず8つの島が完成する。 ...
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1281921

海の泡から生まれたとされている
アフロディテ(ウェヌスVenus)(ヴィーナスVenus)。”
ウェヌスは「愛」「女性」「金星」の象徴
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs?

女神の信仰 [編集] ... ギリシア神話ではアプロディテが金星を司るとされ、ラテン語でも 金星をウェヌスと呼び、ローマ神話でもヴィーナスと呼ばれ、ギリシャ神話の アフロディーテと同じ、愛と美の女神と考えられるようになった。
http://cafefabulous2.blog.so-net.ne.jp/2011-04-30-73
天照大神、聖母マリア、アプロディテなどいろんな系譜があります。

[6252] Re[6251][6248]: オリオンと桃の木  生田淳一郎 2011/11/02(Wed) 10:56 [Reply]
 司馬遼太郎さんが文化と文明について書き遺されたことを、ちょっと極端にひき延ばして既述すると、こうです。
 一つの民族は、その始発においてはクセのカタマリで、これは文化と呼ぶにふさわしい。ゆえに同レヴェルの他所の文化(クセのカタマリ)から、どうのこうのとさし出がましい批判や指導をうける触手もアンテナも持っていない。
 ところが、一つのクセを持っている集団内部に、大きなジンクスとか判断基準が育ち、嵩じてくると他の文化に対して「当然にも」といった横柄な態度で介入しはじめる。これが「文明」と呼ばれるにふさわしいものでである……と。

 これから下は紋流。
 「大きなジンクスとか判断基準」とは、シナでは “ 道教 ” とか “ 儒教 ” 。西洋圏にあってはキリスト教でしょう。
 
 教養あるいっぱしの個人でもクセまみれで個を形成しています。
 そして、これを人類規模で観察しても、これまたクセだらけです。

 「普遍性の権化みたいな科学」のカケラも持たなかった古代人が、星ぞらを見て、なにを感じ、それをどういうことばにして伝承させて来たか……。
 「あの星とこの星にはへびがいるんだぞ」と、古老がいえば、(反対意見もないままに)それを信じるのが若者のつとめだった。
 そういった原初感受と伝承のコングラマリットを衝いて、ここに新しい視角がキラめき出てているのではないでせふか。
 

[6251] Re[6248]: オリオンと桃の木  大三元 2011/11/02(Wed) 08:10 [Reply]
くずさん、星巡り、というか想像を巡らせて、面白いですね。
 ・今、古代史の登場人物を使って物語を創る、のではなく
 ・今、古代の人が創ったであろう物語を推定する
ということをやろうとして居られるでしょうし、
私もその方向を嗜好します、
が、しかし、この二つをどう区別出来るのか、難渋します。

しばらく くずさんの知見、解析と統合(?)あたりを楽しませて頂きます。

[6250] アジスキタカヒコネ 2(完)    生田淳一郎 2011/11/01(Tue) 19:51 [Reply]
 アジスキはアジとスキから成り、結論をいうと「 adin(支配)suk(階層)の i (人)」です。
 ネパール語に adhin(支配)があり、インドネシア語に adipati(長官・大官)があります。adipati はネパール語みたいなところから流入したのでしょう。この pati は鉢巻のハチであり、秋田のパッチ(総領むすこ)などと同根です。
 またアジマサ(ビンロウジュ ※)のアジですが、このアジマサはエジプト発を指し示していますので、ネパール語の adhin は、エジプトとかアラビア語あたりから入ってきたと考えられます。密教の阿闍梨とか沖縄の按司(支配階級)の中にある aj でもありましょう。

 インドネシア語 は suku (種族・〜族)の語形をとっていますが、原始音は suk だったはずです。これに人をあらわす i がついたのが スキ(suk-i)だとおもうのです。この suk を巡っての近似語形はネパール語にはありません。
 ですから、このような名前がつけられた母胎(社会)とは、インドネシアの平民軍隊と支配階級だったネパール人との混合軍隊だということを、自ら証明しているようです。
 suk とは白村江(ハクスキノエ)の suk 、「いぶ(母)スキ……指宿」のスキでもあります。
 また、suk-ne とは種族のリーダーということです。

 以上、アジスキタカヒコネとは「支配階級に属し、ヤマトタケルみたいな神(人)」ということになりましょう。


※ アジマサ・・・。川崎真治さんが言ったことを そのまま丸ごと鵜呑みにして書きますが、マサとはファラオの行列に立てる旗だそうです。
 アジマサの木とは、ビンロウジュとはまた別で、もっとふくよかな幹肌をもった木があるそうです。
 次から次に葉を落としながら、上へ一本棒の幹を伸ばしてゆきます。そして幹はヌッペラポーの肌となり、テッペン部分だけに十数枚の葉を繁らせています。いわばバオバオの木に似ていて、10メートルをこえる一本棒の喬木となります。
 まさに大王行列の先払いの木にふさわしい樹形をしています。

[6249] アジスキタカヒコネ  1    生田淳一郎 2011/11/01(Tue) 12:18 [Reply]
 割り込みますが、くずドン、つづけてくださいヨ。
 ♫♡ 星はなんでも しっている くずドンもなんでも知っている ♫♡
 星の洪水に流される前にアジスキタカネについての わが存念を申し述べておきたいのです。

 詳しくは、わが http://6712.teacup.com/bhasa/bbs で補足しますが、それも目下 焼尻岳噴火ちゅうですので、いつのことになるかは、わかりまへん。

 アジスキタカヒコネという永い名前ですが、アジもスキも、タカも「ヒ・コ・ネ」もネパール語みたいな古代語で分析可能なことを察知できました。

 ハナシの順序として、まずタカヒコネから入りましょう。
 タカヒコネとは ヤマトタケルからその名前を貰うまで遣っていた名前で、意味は ヤマトタケルと同一だとおもいます。
 ここで遣われているタカは ネパール語 dakhal(侵入・攻撃)が「タケル」にな(化る)直前の語形で、タケルに見られる el はもともと貴人を謂っていたと判じました。 e は「高貴とか高貴」をあらわし、li は人です(いずれもネパール語)。九州には江利口さんがいます。
 この人(神)名を造ったひとは、どうしても ne(指揮者・リーダー)を持ってきたかったのだとおもいます。
 ですから、ここは hine でよかったのですが、ヒネという語は「日が経って、鮮度が落ち、使い物にならない」というマイナス表現があるので、わざわざ ko(……の)という助詞を入れたのだとおもいます。
 ヒネ栗というのがあります。詳しくは天津甘栗で説明します。

 当時、国家形成で固まりかけていた “ 日 ” という概念をどうもってゆくかについて、武力を背景としたリーダーが「タカヒコネ」だったとおもいます。

 アジスキについては別画面で申しのべさせてください。
 「アジとあるから味だ、鋤とあるから農耕具の鋤だ……」ではヨコ訛れることにならましや。

[6248] オリオンと桃の木  くず 2011/10/31(Mon) 23:37 [Reply]
ジャックと豆の木のようなタイトルですが^^;

[6241]大三元さん、清里の夜空残念でしたね。
星の話は想像の世界なので(それは神話が生まれた過去においても)、
実際の星を眺めての印象を大事にしたいと思っています。
実際のスケール感がなければ、ヒヤデス星団のX字が天香山では・・・
とは考えなかったでしょう^^
昇るヒヤデスと地平の山並み(実際の)を比較すると立派なサイズの"山"に見えました。

オリオンのサイズと比較するとそれ(ヒヤデスのX字)は筍くらいとなります。
と、、その筍をイメージしていましたら、
イザナギが黄泉の国から逃げ帰る時に急場をしのいだ筍(笋)に思い当たりました。
イザナギの"急場凌ぎ"を順に追うと、
最初に黒御鬘から生まれた蒲子(エビカヅラ=山葡萄)
次に湯津津間櫛から生まれる笋(竹の子)
そして黄泉比良坂の坂本にあった桃3個
これを星にあてはめると、
山葡萄=スバル、 竹の子=ヒヤデス、桃3個=オリオンの三つ星 となりそうです。。
最後にイザナギを救った桃の実は意富加牟豆美命と名をもらいますが、
鴨系の神社に祭られる大鴨積命と名が重なります。
意富加牟豆美=オリオンであったならアジスキとも繋がります。

黄泉比良坂とは天頂から地平へ向かう天の川。
黄泉比良坂を塞いだ大岩(千引石)には御車座の5角形が相当しそうです。
天の川が狭まるこのあたりに、黄泉と現世の境界、根の国との境界、海つ国との境界が想定できそうに思います。
オリオンのある場所はその境界の外にあたり、日が昇る東の世界(昼の世界)と、
近しく受け止められていたのではないかと考えます。


[6247] Re[6246][6240][6239][6238][6235]: 高天原の地図?  生田淳一郎 2011/10/31(Mon) 19:07 [Reply]
 大きい鳥さん
> 大野晋教授・タミル語
★ ご指摘、あり難うございます。
 もうすこし古いと記憶していましたが、WIKI PEDIAによると、あれは 1978年という年代が出ましたので、いまから32年前ということになりますか、。日本IBM社が企画して『日本人の原郷を問う』とのシンポジュウムを開催しました。
 その席上、1ヶ月半しかアイヌ語を見ていなかった梅原猛と大野晋教授が日本語をめぐっての討論がありました。
 ひでぇハナシだとおもいます。梅原猛がどんなに天才だろうと、わずか1ヶ月半しかアイヌ語を見ていないのに、斯かるおおやけの席で発言するとは! 哲学がきいてアキレます。
 それくらいにレッキとした日本言語学者は ナァ〜〜ンにもしていなかったということです。

大ドン 
> 高句麗語の研究を勉強している過程で:
★ ヤッタァ! バンザァ〜〜イ!! どうかからだをいたわり長生きされますよう。
 日本語 / 朝鮮語間の類似語彙は 100ペアぐらいしか無いんですよね。大野晋教授は若いとき、この少なさに幻滅したので 、タミル語と日本語の間に 350もの類似語彙があることを見出し雀踊されたんだとおもいます。
 クマルはパーリ語では コマル というそうですが、「コマ(高麗)」となにか関係はないでしょうか。

くずドン、ご紹介いただいた site をよんで、メチャ面白い時間帯を通過できました。。
★ やっぱ、ホシの語源で、いまんとこいちばんピッタしなのはギリシャ語の phos(光、ひかる)みたい。
 *Stra(星)の S が付い在り離れたりしている……。 ネパール語 S- は強調接頭辞だとされています。このようなことから tara(星)が定着したのでしょうか。
 サイトの著者は「シロートだから、シロートだから」をくりかえしていますが、ではクロートとはどんな手法をやってるっちゅうのか、拝ませてもらいたいもんです。
 クロートとは、どこか一国の外国語の「コヤマの大将」となってふんぞり返り、あとから来るものを突き落とし、自分では外国語はチッとも見ようとはせず、月給日になると教務課に顔だし、手も出して然るべきウン十万円を掴んで帰るだけです。うんにゃ、ちょとちがったか、言語にかかわる他人の労作には、いつもケチをつけるキリ口だけは、磨いているようです。

[6246] Re[6240][6239][6238][6235]: 高天原の地図?  くず 2011/10/31(Mon) 01:08 [Reply]
生田さん、
星に関する(世界の)語彙収拾にはこのページをご紹介。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/star/star3.htm

個人的には古オーストロネシア語族の「星」にtu、fetu、fútúúの系統がある事に興味を持っています。
http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/word.php?v=130
フツが星であれば、『記』建御雷神の別名、建布都神、豊布都神。
それから『紀』の経津主神、神武が授かった布都御魂=佐士布都神、甕布都神が、
星神の意味と出てきますね。

同じく古オーストロネシア語で気になっている語彙、植物の根(root)を表す語彙群にyamuto、yamotoの群がある事。
http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/word.php?v=115
これはもしや、ヤマトの国=根の国だった!?

ところで ネパール語の tara には「星」という意味があります。
>そこでかなり飛躍して オキナガタラシ。

隋書の倭国伝にありますが、倭王の阿毎多利思北孤、あま(の)たりしひこ=たらしひこでいいのでしょう。
が、『俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟』
とあって、本人は日の出前に政をし、日の出後は弟に任せると言う意味で、
どうも日の出前に、おそらくは星に関する政≒祭りに重きをおいていたらしいと見受けられます。
アマタラシ彦は天の星彦であったかも^^

息長帯姫の家系にもツツ、ツチの名がよく見られます。
祖父、迦邇米雷王=稚筒城王 (かに目はふたご座の和名でもあります。)
曽祖父、山代之大筒木真若王 
旦那の仲哀天皇もタラシナカツヒコ(足仲彦・帯中日子)。
石見神楽の演目では天羽々矢を授かって異国から攻め入る鬼と戦います。

[6245] Re[6244][6243][6241][6239][6238][6235]: 高天原の地図?  琉球松 2011/10/30(Sun) 20:49 [Reply]
大三元さん、どうもです。

 "「狗奴」とは「子国」" 。。。たしかに「ナ」は一定のエリヤや国をも表しますよね。
 ただ、直接的に親子というより、時代の多数派(姉)と少数派(弟)って感じもしますし、劣勢を強いられている側が「弓」を引いているのかも?

 どうでしょうかね。卑弥呼VS卑弥弓呼は「百襲姫VS吉備津彦」とも解釈可能でしょうか。沖縄から本土側の伝承を見る場合、男女の逆転が気になるんですよ。鬼退治するのは「モモ襲姫」で「吉備津彦」が鬼だったのではないかと。。。?
 そうするとここで、射手座の登場か(笑)。

[6244] Re[6243][6241][6239][6238][6235]: 高天原の地図?  大三元 2011/10/30(Sun) 20:20 [Reply]
琉球松さん

これは全然別のアングルから、高句麗語の研究を勉強している過程で:
http://www.dai3gen.net//kg10.htm
*********************************************************
 板橋#7により、「仇」(ク)が「童〜童子」の意味であれば「狗」も「子」を表してはいまいか。即ち「狗奴」とは「子国」である。して、親国は、というとやはり邪馬台国であろうか。そうすると、

「男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王」
「卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和」

の意味合いも 親子での覇権争い という色彩で観察することが出来そうだが、どうだろう。情報が足りなくてどうとも言えないのは相変わらずだ。
*********************************************************
というところまでは気がついてますが果たしてどうでしょう。


[6243] Re[6241][6239][6238][6235]: 高天原の地図?  琉球松 2011/10/30(Sun) 17:12 [Reply]
大三元さんへ

 対立関係の男女(兄 vs 妹?)で、しかもその名が似ている例として、『魏志』の倭人伝に「卑弥呼/卑弥弓呼』がありますね。
 これは、星がどうのと言うわけではないんでしょうけど、一字を挿入するとか、置き換えるのも何か意味ありでしょうかね。

[6242] 無題  大きい鳥 2011/10/29(Sat) 18:52 [Reply]
古典基礎語辞典(大野晋)なるものを買ってみました。日本語の成り立ちがかいてあって、タミル語との関係も興味深いものでした。

[6241] Re[6239][6238][6235]: 高天原の地図?  大三元 2011/10/29(Sat) 11:37 [Reply]
くずさん
> ここ数日は素晴らしい星空が見れています^^
羨ましい、先日清里に泊まったのですが二晩とも曇・雨でがっかりでした。

> ご質問の件、その星空を眺めながら考えてみました。
そういうことをしてみたかったのでした。

> アジスキと下照姫、兄、妹の関係に繋がるところからですが、
> 自分はイザナギ=オリオン座、イザナミ=おうし座(ヒヤデスのV字を逆さに見て)を仮定しています。

カグツチを輝く星と理解されての推論ですよね。私は「つつ、つち」が「星」のことだ、という仮説を持っていますのでくずさんの星・星座へのご見解が楽しみです。

> 伊勢神宮の心御柱(天ノ御柱)の下にも八百枚の天平瓮が埋められると言われます
既に書いたかも知れませんが「甕」は「瓮」は置換可能と思われますので、ここら辺のご指摘も興味深いものがあります。

[6240] Re[6239][6238][6235]: 高天原の地図?  生田淳一郎 2011/10/29(Sat) 10:17 [Reply]
 くずドン あり難うございます。
 SUBARU の B からすぐに脇音の M や W を連想するとは、さすが SUBAR as(立つ、起つ)しいです。
 わしもまねして連想してみました。するとあんがいなことを引出したかとおもいますので、ご披露です。

 発端は桓武天皇治世のころ「藤原の綱主(タダ主と発音)さん」がいたことを知ったことです。
 綱をタダとはめんような……。これはネパール語 tara(紐・綱)が開音をうけて tara となり、つづいて第二子音濁化のクセで tada と化(な)ったものと見受けられます。 tar はアイヌ語にもありますよね、大ドン。
 
 ところで ネパール語の tara には「星」という意味があります。これは断固、諫早市ちかくの多良岳のタラです。
 そこでかなり飛躍して オキナガタラシ。
 ネパール語の「……の」の「の」という助詞には ka , ki , ko があります。
 また飛躍しますが、長尾景虎の「シッポが長い」とはどういうめぐり合わせでできた名前ならましや?
 「尾 ki 長が」とは「シッポが長い」ということ。「オキナガ・ TAR 」とは「彗星・ほうき星」のことでしょうが!!

 儒教では霊やあの世ごとは信じませんでしたが、この世の変事はどこかで「天の啓示」としてヘンな現象が顕れることを信じていました。天にほうき星が現れるとき……ナンでしたっけ?

  SUBAR as(立つ、起つ)の AS には太陽・星が上昇することにも用いられてもフシギはない。
 ASA が「希望」であることの意味は、ここでわかる。
 オキナガタラシとは竹の弾力と牛の皮でつくった大きなフイゴが、ブオォ〜ン・ブオォ〜ンと長い息をすることではなかった。「われは彗星なるぞ! 世を変えてやるぞ!」というこころ意気がこめられている名前でした。


 ところで大ドン、アイヌ語の as は日本語の t-as(たつ)ときれいに対応してるかとおもいますが、日本語のほうにつけられている t- というチョンマゲはなんでしょうか?

[6239] Re[6238][6235]: 高天原の地図?  くず 2011/10/28(Fri) 23:54 [Reply]
>大三元さん、

ここ数日は素晴らしい星空が見れています^^
古えの先人達の目に映った天の川には遠く及ばないのでしょうが、
庭先にでれば、それでも十分に立派な天の川を眺める事が出来ます。

ご質問の件、その星空を眺めながら考えてみました。
直接の返答にはならないのですが、何かの着想に繋がればと思い考えを書いてみます。

アジスキと下照姫、兄、妹の関係に繋がるところからですが、
自分はイザナギ=オリオン座、イザナミ=おうし座(ヒヤデスのV字を逆さに見て)を仮定しています。
そしてオリオンの子三ツ星を男根ととらえ、ヒヤデスのV字を女陰と見て、
それを男女の交わりと捉える信仰があったものと思います。
("夷振の上歌"と呼ばれる歌は同母の兄妹が禁断の情を通わす歌でもあります。)

仮定する通りにヒヤデスのV字がカグツチを生んだイザナミのホトであり、
そのV字が高天原の天香山でもあったとしたなら・・・ですが、
天香久山の土をとって天平瓮を焼く住吉大社の"埴取神事"は、まさしく
その交わり(オリオンとおうし座)そのものを、想起してのものだったと思われます。
伊勢神宮の心御柱(天ノ御柱)の下にも八百枚の天平瓮が埋められると言われますが、
深夜の行われるというこの密事にも、イザナギ、イザナミの交わりが映されているものと思います。
日神としての天照大神に、オリオンが重なる可能性はこのあたりにあるように思われます。

古来より政事を行う男王はこの御柱との一体化を求め、男王の姉妹はこの神に仕えた巫女であったと思われます。
生前の男王が死後、オリオンに重ねられて神話化された事もあったでしょうし、
神に仕えた巫女に、その神との交わりを神話として伝えらるという事もあったのではないでしょうか。

では、おそらくオリオンの映しと思われるアジスキの場合はどうか・・・・
大三元さんの言われる対立関係や、妹ムコとの関係も含めてもう少し考えてみたいと思います^^


>生田さん、
スバルの語源については解かりません。
星が群がるからムラ、ムレ、
繋がりあう様子からまつわる≒まつばる。纏わる。
などの言葉が浮かびます。

[6238] Re[6235]: 高天原の地図?  大三元 2011/10/26(Wed) 14:07 [Reply]
くずさん、描写された高天原の地図とても好いです。(最終段の「日神」関連は未検討・不勉強にて保留)

そこで、お知恵、土地勘(!)を拝借できますまいか。すなわち:
下照姫がアヂスキを称えた歌(下記)の星座地図上の解釈ができましたら御教示下さい。
「天なるや弟織女(おとたなばた)の頸(うな)がせる 玉の御統(みすまる)の 穴玉はや み谷 二渡らす アヂスキタカヒコネ」

質問の背景:
甕星は星の香香背男(かかせを)とも呼ばれる。
「香香背男(かかせを)」の意味は「輝く兄・男」とされる(岩波本頭注P140)。
意味はそれで良いと思うが留意しておきたいのは
・アヂスキタカヒコネの「妹 下照媛」が上記のように「丘谷に照り輝く者はアヂスキタカヒコネ神なり」と歌った、ということ:つまり、下照媛の兄・男が香香背男である、と推定できること。
・更にその歌は天の川に言及していて天の川がアヂスキの周囲環境であることを示しているようだ、ということ。

アヂスキ≒天稚彦、という混乱と上記を考え合わせると次のような構図が浮かび上がる。

兄: アヂスキ≒天稚彦=香香背男=甕星←(敵対)→甕槌=甕布都
妹: 下照媛  下照媛       甕津ヒメ
   (妻)  (妹)      ●妹が兄に反して敵に付く
   賊の妹が勝ち組の妻になっている

こんなことから、ここらのストーリーが星座、天の川周辺と関連している星の神話、ってことはないのかな、と思う次第です。

[6237] Re[6236][6234]: インドネシア語の語彙で見る・・・  生田淳一郎 2011/10/26(Wed) 10:08 [Reply]
 神奈備ドン あり難うございました。

 わての掲示板は http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakibbs.cgi(価値観を既述)をみていただくとお分りのとおり、ヘンな書き込みがあっても消せないのであります。理由は暗証をわすれたこと。ギャハハ


 http://6712.teacup.com/bhasa/bbs でインドネシア語がかもす不思議な符丁摘出のシリーズを終えたあと、小生はスバルと iswar(神)との類似に心惹かれています。諏訪は航海・方角の神ともいうしィ↗
 ネパール語には iswal という語形のほか、 iswor という語形もあります。
iswor は山口県スオウ(周防)にくっつく音です。

 「すばる」とおいて転換ぶったたくと「昴」という漢字になります。
 「すばる」などという音は、すくなくともシナ語ではないですよね。
 どこかアラビア発みたいな航海民のことばが世界にひろがった……ような。

 くずさん、スバルの語源をしりませんか。

[6236] Re[6234]: インドネシア語の語彙で見る・・・  神奈備 2011/10/25(Tue) 09:52 [Reply]
 http://6712.teacup.com/bhasa/bbs(ことばが拓く超古代)に掲出しています。
>  http://kamnavi.jp/log/ikuta.htm{ 紋次郎=生田淳一郎 のページ} がまだ生きているもんなら、神奈備ドンに、そっちのほうにも掲出方をお願いしているところです。

http://kamnavi.jp/log/ikuta.htm は生きています。
そこに
インドネシア文化を語彙で拾い読みしました
を追加しました。

[6235] 高天原の地図?  くず 2011/10/24(Mon) 21:43 [Reply]
記紀神話に言う十束剣がオリオンが腰に佩く剣(小三つ星)とする仮定からです。

記にイザナギが迦具土を斬った十束剣の名"天尾羽張"を持つ神の所在が語られています。

「坐天安河河上之天石屋名伊都之尾羽張神是可遣若亦非此神者其神之子建御雷之男神・・・」
「天尾羽張神者逆塞上天安河之水而塞道居故他神不得行故別遣天迦久神可問」

星空に当てはめると、天安河は天の川。そしてオリオンの位置はその川上にあたると考えられます。
「逆に天安河の水を塞き上げる」とはオリオンの斜め上にあたる御車座付近で、天の川が狭まって見える事により、
御車座の五角形によって、水の流れが塞がれているように見える事に由来するのではないかと。

そして他の天つ神が居る場所は"天の川の川下"にあたり、唯一天迦久神が往来できる。
その記事の前段で天若彦が鳴女に放った天羽々矢の異称として天之加久矢と言っていますので、
天迦久神と天之加久矢は同様な意味で考えられるであろうと。

それから神武に建御雷神の聖剣(=十束剣)を伝えた高倉下の異称が天香語山とされ、天迦久との名の近さが想定出来ます。
で、迦具土=おうし座のアルデバラン(赤星)を考えますと、
ヒヤデス星団のV字(山型)が、神話に言う"天香山"ではないかという想定^^

また天尾羽張神は天石屋に坐ます、とあるので、このあたりは入鹿さんの言われる[6228]
参宿(オリオン)の主宰神が「日神」
そこにかかってくるように思います。

[6234] インドネシア語の語彙で見る・・・  生田淳一郎 2011/10/24(Mon) 19:20 [Reply]
 下 [ 6233 [ を削除ねがいます。


 先日「あとでまとめて掲出します」といったインドネシア語語彙の詮索をやっと終えました。

 ここ青草談話室で掲出すると、あまりにも長過ぎるので、いまのところ 、みすぼらしいかぎりで申しわけないのですが、小生掲示板の http://6712.teacup.com/bhasa/bbs(ことばが拓く超古代)に掲出しています。
 
 サガミ、ソホリ・ホアカリ、勾玉、神アリ月、マンゴー、アマ、花と武士道、太陽を射落とす、スセリ姫、亀(クラ)、タカマガハラ、ラクサマラ、スサノオ、大黒柱、狛犬とライオン、マタハリ(太陽)、puja / 藤原、 ムラゲ(炉の長)、生田原、香椎・樫原、諏訪 など 20語彙を通じてインドネシア語と日本の歴史を覗きみようかとの意欲的とりくみ……かと存じおります。

 http://kamnavi.jp/log/ikuta.htm{ 紋次郎=生田淳一郎 のページ} がまだ生きているもんなら、神奈備ドンに、そっちのほうにも掲出方をお願いしているところです。

[6233] インドネシア語の語彙で見る・・・  生田淳一郎 2011/10/24(Mon) 15:30 [Reply]
 先日「あとでまとめて掲出します」といったインドネシア語語彙の詮索がやっと終わりました。

 ここで掲出するとあまりにも長過ぎるので、いまのところ 、みすぼらしいかぎりで申しわけないのですが、小生掲示板の ttp://6712.teacup.com/bhasa/bbs(ことばが拓く超古代)に掲出しています。
 
 サガミ、ソホリ・ホアカリ、勾玉、神アリ月、マンゴー、アマ、花と武士道、太陽を射落とす、スセリ姫、亀(クラ)、
タカマガハラ、ラクサマラ、スサノオ、大黒柱、狛犬とライオン、マタハリ(太陽)、puja / 藤原、 ムラゲ(炉の長)、生田原、香椎・樫原、諏訪 など 20語彙を通じてインドネシア語と日本の歴史をみようかと・・・・・。

 http://kamnavi.jp/log/ikuta.htm(紋次郎のページ)がまだ生きているなら、そっちにも掲出を願いあgているところです。

[6232] Re[6229][6175] ソホリ関連  琉球松 2011/10/22(Sat) 20:59 [Reply]
 入鹿さんへ
 
 「香香背」を琉球古語で見た場合、「カ・ガ」は金属に関わりそうで、「セ」は霊力とか命と解釈できそうですよ。
 また、「曽富理・建御名方・案山子」を合わせて考えると、出雲の金属神とも思えますね。「道は行かねども」との表現は、あえて移動しない者と見たいんですけどどうでしょうか。
 銅鐸は最盛期には置くタイプになっていくわけで、つまりは「カ・ガ」がピカピカキラキラな様を表し、さらには移動しない?北極星を「天之御中主大神」とする考え方は悪くないですよ。

 それと、これは蛇足ですけど。。。「ソホリ」は、現在朝鮮語の「ソウル(中心)」なんてのはどうでしょう? 琉球王国の首都「首里(古くはシヨリ、シホリ)」も国の中心ですね。

[6231] 天津=「デネブ」が「かささぎ」  棘の紀氏 2011/10/22(Sat) 17:19 [Reply]

天津甕星(あまつみかぼし)は、日本神話に登場する星の神である。別名、天香香背男( あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%94%95%E6%98%9F
平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。「カガ」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものであると考えられる。

葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方と同一神とされることもあり、また、北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。

古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに 仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」と は「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9

弥勒教は、修験道(富士 講)と結びついて、妙見=弥勒を本尊とする弥勒講を成立させた。
http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_History_EastProp.html

妙見(星辰)信仰は北極星・北斗七星 に対する信仰で、道教では、北天にある不動の星・北極星を『北辰』と呼び、北極星を 宇宙の全てを支配する最高神である天帝(太一)神として崇めました
http://snowqueen1058.blog88.fc2.com/blog-entry-290.html
神道では天之御中主大神(アメノミナカヌシ)様、仏教の北辰妙見菩薩(妙見菩薩)様で、妙見信仰=星辰信仰に繋がっています

神紋は【北斗七星の周りを八卦が丸くとりまく】という特異な紋で、星辰信仰や陰陽道との関わりを示しており、八卦の上に描かれた3個の星座は、天降った3個の星を示すものとされ、ご祭神の鎮宅霊符祭神(天之御中主大神・アメノミナカヌシ)・素戔嗚尊(スサノオノミコト)様・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)様はそれに当たります

[6230] Re[6229][6175] ソホリ関連  生田淳一郎 2011/10/22(Sat) 12:02 [Reply]
 神奈備ドン  あが。
 されど、ホムページ……ねぇ ?  右上・・・ねぇ !?   _ □ X ……ねぇ!?
 わがマッキントッシュがわ〜るいのだらふか。出まへん。このごろはインテル社というのが作ってるっちゅう。

入鹿さん
 >面白いのは se mang at(生命、低、霊魂、精神)の語。
★ とあって、始めに “>” マークが付されていて、どこかの引用のようですが、始発かきこみはどこでしょうか。
 semangat はインドネシア語だろうと思います。形容詞後置形から成るインドネシア語で、このようにステムごとに区切って間をとった辞書があるもんなら、ぜひ入手したいですが、紹介していただけませんか。
 目下、小生はインドネシア語の語彙を、めくらめっぽうにブチ切って、後置される短いステムの意味添え作業をしています。これをやらないと形容詞前置形に馴れきったわれわれには始発の原始語はつかめないとおもうんです。

★ Semitic というのはセミティック・バビロニア語のことですか?
 インドネシア語 hayati(生命 {にかかわる})には「アラビア語からの借用である」ことの表示があります。

>「曽富理」を「sohor」(有名な)
★ インドネシア語ですね。ネパール語では「集める・・・ → 合同祭祀」の意味がでます。

[6229] Re[6175] ソホリ関連  入鹿 [Url] 2011/10/21(Fri) 19:23 [Reply]
>面白いのは se mang at(生命、低、霊魂、精神)の語。語頭の se はわかりませんが、(…以下略…)

「香香背男」を総訓字表記と見て、「かかせを」と読んだ場合の「かかせ」は、
いわゆる「かかし」を想起させ、「山田之曽富騰」に繋がります…ところが更に、
「曽富騰」(sofodo)は「sofagari」とも読め、「曽婆加理」(sobakari)に繋がります。

古事記は、「所近習墨江中王之隼人・名曽婆加理」と記しております。
センチュリー・ハイアットというホテルがありますが、「隼人」という音形は、
「命」を意味するSemiticの音形と同じです。「隼人」は「命」の意味を帯びる。

「m-」と「b-」の交替は、日本でも中国でも一般的です。そうしてみると、
実は「se mang at」の音形は「曽婆加理」(sobakari)に通じるものがある。
「隼人」の名が「曽婆加理」なのは、前者も後者も「命」の意を帯びる故か。

*   *   *

http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/searchdiary?word=%B9%E1%B9%E1%C7%D8&.submit=%B8%A1%BA%F7

その一方、上記URLの記事の通り、「香香背男」の「香香背」は、
「麻須良男」と同じような表記方式ならば、【KWKB】に訓めます。(※単に「star」の意、特に「金星」を表す)
「星神香香背男」の「香香背」は、「星」(star)の訓と理解可能です。

ところが、「星神」の「星」字について、単に「star」の意味ではなく、
星宿(その梵名はMagha)と捉えた場合、これは言わば偶然ですが、
「se mang at」の「mang at」に通じる…つまり、やはり「命」に通じます。

何が言いたいかと言えば、「星神香香背男」を考える場合には、
おそらく同時に、「山田之曽富騰」や「隼人・曽婆加里」についても、
考えてみる必要があるだろうということです。甚だ断片的な話ですが…

*   *   *

「曽富理」を「sohor」(有名な)と見る見立ては、相当な卓見と思われます。
もちろん「曽富理」と「曽富騰」は別語と見るべきですが、古事記の内部では、
文字列の作り方まで含めて、よく似た語として提示されている点は間違いない。
古事記に於いて、最後まで抵抗した「建御名方」(sohorの方)は、書紀に於いて、
最後まで抵抗した「星神・香香背男」(これは曽富騰に通じる)に、重なる存在です。
その場合、「曽富理」(sohor)という言葉は、「曽富騰」や「曽婆加理」と有縁と言える。
なお、「建御名方」と「山田之曽富騰」の関係に関しては、以下のURLを御参照ください。

http://d.hatena.ne.jp/ywrqa/20100724/1279973906

[6228] Re[6197]など  入鹿 [Url] 2011/10/21(Fri) 16:31 [Reply]
>ここの「三炊屋(みかしきや)」も「みか・しきや」と分析すると「みか」が取り出せるので「甕星、甕津日女;甕槌」たちとの
>関連がありそうだと睨んでいます。が「みか」を分離して残る「しきや」とはなんぞや、で立ち止まってます。

御存知の通り、古事記において、系譜部分で「阿遅鉏高日子根神」(当時は「迦毛大御神」と言われた)と初出し、
説話部分で「阿遅志貴高日子根神」と出てきて、さらに歌謡の中で「阿治志貴多迦比古泥能迦微」と出てきますね。
古事記伝にも指摘がありますが、「阿遅鉏高日子根神」の「鉏」は「志貴」(貴は乙類仮名)に訓まれているわけです。
農具の「鉏」を示す言葉として、「スキ」という語形と、「シき」(平仮名は乙類を表す)という語形が並存しているのです。

#あとの雄略記で「鉏」は「須岐」(岐は甲類仮名)に訓まれており、この語形は現代語まで維持されている。(※倭語→現代日本語)
#「スキ」と「シき」(平仮名は乙類を表す)は、音韻交替の可能性もあるかもしれないが、たまたま語形が似る
#別系統の言語と考えておくのがよい。「シき」という音形は、地名の「師木」(日本書紀は磯城)と全く同じ音形。(※意義未詳)

*   *   *

オリオン座の三ツ星(=参宿)の和名は、「カラスキ星」です。「カラスキ」の「カラ」の意味は不明瞭ですが、
訓字表記すると、たとえば「韓鉏」と書ける。「韓〜/倭〜」と対比する場合、事実上、新旧を表すことがあり、
類推すると、「新しく伝わってきた鉄製の鉏」という程度の意味で「カラスキ」(韓鉏)と言ったのかもしれません。(※「鉏」は「鋤」の本字)

いずれにせよ、「カラスキ」の「カラ」は連体修飾語、「スキ」は名詞で、農具の「鉏」を意味する。
そう考えられます。一方で「阿遅鉏」の「阿遅」は音仮名表記、「鉏」は訓字表記です。してみると、
「阿遅」の意味が何であれ、「阿遅鉏」は、オリオン座の三ツ星(=カラスキ星)に因んだ名でしょう。

ところが、摩登伽経(大蔵経No.1300)を見ると、いわゆる二十八宿の【参】に関し、(※【参】はオリオン座の三ツ星)
「係在日神」と記す。つまり、参宿の主宰神が「日神」であることを記述しております。
その「日神」は、漢訳する前の元の言葉は「Aditi」…これを音写すると、「阿遅知」です。

此処で注意すべきは、古事記は、「阿遅鉏」の「阿遅」の部分を、常に音仮名表記で「阿遅」に作り、
訓字を充てることは無いという点です。当時ありふれた日本語で理解することを拒むような態度です。
「味」の意味ならば、「味鉏高日子根神」と総訓字表記に作ればよい。それを、わざわざ「阿遅」に作る。(※古事記の話)

これに関し、原資料に「阿遅鉏高日子根神」とあったから、このように作ったとも考えられますが、
たとえそうであっても、結果的に当該表記は「阿遅」の部分だけが音仮名表記であることに於いて、
意味からは切り離された「阿遅」(Adi)という語形を、マークアップしていると言うことができるでしょう。

有り体に言えば、「阿遅鉏高日子根」が参宿(オリオン座の三ツ星、カラスキ星)に因む名前ならば、
「鉏」に前接するところの「阿遅」(Adi)という音形は、「日神」(Aditi)の響きを持つ。そう捉えられます。
そのことの傍証となっているのが、摩登伽経の上巻に出てくる「参……係在日神」という記述なのです。

#このような理解に立つと、特に古事記が、「阿遅鉏高日子根神」に対し、
#「迦毛大御神」というように、「大御神」を用いて記述する意図が判明する。(※「大御神」は殆ど「天照」専用)
#わざわざ唐突に「大御神」と記述することによって、「阿遅鉏高日子根神」を、
#「天照大御神」(日神)に接続する…わざわざそのように接続することによって
#「阿遅」(Adi)が「日神」(Aditi)を表すことを、更に強調している。そう考えられる。

[6227] Re[6226][6225][6224][6222][6221][6220][6219][6218]オリオン座  神奈備 2011/10/21(Fri) 08:18 [Reply]
>  神奈備ドン、首がヒダリ行ったり右行ったり・・・・・読みにくい。横ワク巾を短くしてください。



 ホームページの画面の大きさは自分で調整できます。

 右上隅に _ □ X と並んでいる所があります。
 
 この □ をクリック(マウスの矢印を□の上に持っていき、マウスを押すこと)します。
 小さくなると次に進みます。ならない場合、もう一度□をクリック。

 次に、画面の境界にマウスを動かしますと、境界で ← → が出ます。

 画面が小さくなる方向にマウスをクリックしながら、動かします。

 適当に見やすい大きさにしてご覧下さい。

 

[6226] Re[6225][6224][6222][6221][6220][6219][6218]オリオン座  生田淳一郎 2011/10/20(Thu) 21:02 [Reply]
  その民族で一つの発音が、その民族に浸透したら・・・・・ということで考えたら。 ありゃま、表現がムズカしくなりすぎた。

 ヘレニズムとかヘブライズムなどといいますが、オレは HERE というのはヘビではないかと思っています。
 語源不肖ながら バスク語で ヘビは SUGE。HEREN は「足の不自由な」という意味。そして HEREN SUGE は「龍」。

 発音は変わらなくっても、その発音が含んでいる概念は すこしづつ しぜんに変わるもんであります。
 ヘビは、かなり世界規模で 母、女、大地、舟、などと互換性を持っているかとおもいます。
 日本語 XAXA = 母、へび。ピリピノ語 INA =女、舟。世界語の MAT(女)は陸地にも。松の木は「ヘビの木」かも。 or アフラマツダのマツダかな?


 神奈備ドン、首がヒダリ行ったり右行ったり・・・・・読みにくい。横ワク巾を短くしてください。

[6225] Re[6224][6222][6221][6220][6219][6218]オリオン座  棘の紀氏 2011/10/20(Thu) 08:02 [Reply]

> 日本は、太古より天照大神による太陽信仰のように思われるが、どうもこの日本においてもシリウス信仰の隠蔽が行われているのだという。聖徳太子と斑鳩京の謎とシリウス信仰は何やら関係があるらしい。

へルメースは、実は、古代ギリシア以前からの存在で、エーゲ文明の「太母」の原初 におけるヘビ-配偶者の一員だった。 ... へルメースに仕えた聖職者たちは、キプロス島の アプロディーテーの神殿を司るときは、両性具有神ヘルマプロディトスの姿になり、人工 の乳房をつけ、女の衣装を .... へルメースは、昇天してシリウス(すなわち、天狼星)に なった。 ...
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/hermes.html
1460年頃、東方の「へルメス文書」のギリシア語写本が、レオナルド・ダ・ピストイアという名の修道士によって、コシモ・デ・メディチに献上された。その後、他のさまざまな文書が、当時その内容を充実しつつあったこの半ば秘密の「悪魔の学問」に追加され、この学問に対するヨーロッパ知識人の関心がますます高まっていった。トマス・ブラウン卿(1605-82。イギリスの内科医で、有名な『医師の信仰』をはじめ、数々の著作を執筆した)は、へルメス・トリスメギストスの教理は、「エジプト人の象形文字学問所の中で発展させられたモーセの神秘主義的方法」であると言い、エジプト人はへルメースを、メルクリウスあるいはアヌビス(「サトゥルヌスの書記、オシリスの助言者、エジプトの宗教儀式の偉大なる創始者であり、エジプトに善を広めた者」)として崇拝していたと述べた。へルメースは、昇天してシリウス(すなわち、天狼星)になった。
としてのへルメースの二面的役割を表す双子のへビを意味していたと思われる。この双子のへビは、錬金術や魔術の分野で、さまざまな化身を持っていた。アラメルによれば、「この2匹はへピであると同時にドラゴンでもあり、古代エジプト人は両者が1つの円を作っている姿で描いた。すなわち、一方が他方の尾をくわえていたのであり、それは、この2匹が同じ1つのものから生まれたことを教示していた。この2匹は、昔の詩人たちが、つねに目を覚ましてへスペリデスの乙女らのリンゴの番をしていると歌った、あのドラゴンであり、……更には、使者の官杖やメルクリウスの杖にからまっている2匹のへビである」[23]。
 へルメス・トリスメギストスの神秘主義では、通常、この2匹のへピを雌雄とみなしていた。それは、へルメス・トリスメギストス的な魔力の真の秘密が、両性具有にあったからである。へルメースに備わっていた霊験あらたかな力は、東方の神々の場合と同じく、彼が「世界の女性霊」(古代においてへルメースと両性具有を形成していたアプロディーテー)と結合しているおかげだった。「世界の女性霊」は、中世の文書では「アニマ・メルクリウス」(メルクリウスの霊君主)と呼ばれ、タロット・カードの「世界」の札に見られるように、楕円形のマンドルラ模様に囲まれた裸の女性で表されていた[24]。この「世界」の札は、タロットの切り札の順番では最後のものであり、へルメースと同一視されていた「魔術師」の札は、 1番目の切り札だった。マンテーニャ作のタロットでは、この「魔術師」は、へビがからみついている杖を持ち、羽をつけた兜をかぶり、笛をたずさえ、神託のシンボルである切り落とされた首をまたいで、告知を象徴する雄鶏の方へ行こうとしている、あの古典的なメルクリウスの姿で描かれていた[25]。

トート、すなわちヘルメス・トリスメギストス=エノクである 。実は、古代ユダヤの伝承の中にも強烈な光を発する謎の鉱石に関する ...... 禹系(蛇竜ドラゴン)は西洋では「悪魔」 始皇帝(ミトラ教系?)以後「鬼」(悪扱い) ...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/j-keijiban1.htm
ホデリ・・・・隼人の阿多君の祖神・・・
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホデリ(火照命)は、日本神話の古事記に登場する神。山幸彦と海幸彦の説話に登場し、一般には海幸彦(海佐知毘古、うみさちひこ)の名で知られる。隼人の阿多君の祖神とされる。
「海幸・山幸」の海幸が舞った隼人舞 真朱の衣装が華麗で勇壮な舞いです
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/ama-wazaogi.htm
弟にホスセリ、ホオリ(山幸彦)がいる。・・・・海幸彦は兄・・・先住渡来人 山幸彦とは兄弟(親がユダヤ教)

ギリシャ神話では「ヘルメス」、ローマ神話では「マーキュリー( メルクリウス)」、古代メソポタミアでは知恵の神「ナブー」として描かれます。
ナブー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%96%E3%83%BC_(%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1)
翼のあるドラゴンの上に乗っている。

メルクリウス(ヘルメス)。 科学と旅人の守護神です。ふたご座はメルクリウスの 性格 ...
http://parts-kobo.com/content/horoscope.htm

[6224] Re[6222][6221][6220][6219][6218]オリオン座  棘の紀氏 2011/10/20(Thu) 07:31 [Reply]

>  ところで、鮫、龍、蛇とも考えられる「玉依姫・活玉依姫」は星座に反映されていないでしょうか? なにかヒントはないでしょうかね。

エジプト語でいわれる「イシス神」のイシスはシリウスをさすのだという。そしてイシスは シュメール語ではイナンナ、メソポタミアではイシュタ、アッカド語ではイシュタルと呼ばれ 、性愛、戦い、豊穣の女神とされている「イシュタル」をさす言葉でも ...
http://blogs.yahoo.co.jp/sgz02406/631205.html
ギザのピラミットが、オリオン座とシリウスと関係する記述があったと思う。
どうやら太古の人類にはシリウス信仰というものがあったようだ。
イシュタルには背中に翼があり、体にはウロコがあったので、「翼を持つ女神」とも呼ばれ龍蛇神でもあったという。これが東洋の龍、西洋のドラゴンの原型であるともいわれている。
六芒星のこの記号は、シリウスのことで、しかも龍の起源もシリウス星と関係があるのだ。

シリウス信仰は「支配者の秘儀」として継承され続け、さらに秘密結社という形で今日まで生き続けているという説がある。「シリウス信仰」は民衆から奪われ命脈を絶たれ、太陽信仰がそれに取って代わっていったのですが、何故か各時代の文明の中心地において。このシリウス信仰は「支配者の秘儀」として継承され続け、さらに秘密結社という形で今日まで生き続けているのだという。
日本は、太古より天照大神による太陽信仰のように思われるが、どうもこの日本においてもシリウス信仰の隠蔽が行われているのだという。聖徳太子と斑鳩京の謎とシリウス信仰は何やら関係があるらしい。

[6223] Re[6222][6221][6220][6219][6218]オリオン座  くず 2011/10/20(Thu) 07:00 [Reply]
>琉球松さん、
>「潮乾珠・潮満珠」について

山幸彦=オリオンの仮定をすると、
赤玉と言われる潮満珠はベテルギウス、白玉の潮乾珠はリゲルにあたるのではと思っています。
住吉大社境内摂社の大海神社にある「玉の井」に潮満珠は沈められていると言われますが、
住吉の第一〜第三本宮と、大海神社の位置関係を空に映すと、
オリオンの3つ星とベテルギウスの位置関係にあいそうです^^;

潮乾珠を埋めたといわれる飯匙堀は、離れた場所になるので、
それがリゲルと相対するとは言えませんけども。。

>  ところで、鮫、龍、蛇とも考えられる「玉依姫・活玉依姫」は星座に反映されていないでしょうか? なにかヒントはないでしょうかね。

豊玉姫は妹の玉依姫に山幸への歌を託しています。
「赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり」
赤玉の潮満珠が豊玉姫自身を指す歌とも思えます。白玉は山幸ですが、
姉妹という関係と、潮乾珠、潮満珠の関係から玉依姫は潮乾珠、リゲルを表しているように思います。

鮫、龍、蛇との関係はわかりません^^;

[6222] Re[6221][6220][6219][6218]オリオン座  琉球松 2011/10/19(Wed) 10:38 [Reply]
 くずさん

 "中の悪い兄弟の兄を商(蠍座)へ、弟を参(オリオン座)へ移した話" って、天智と天武の関係を連想しますね。
 森鴎外は『帝謚考』で「天智は紂王が身につけていた玉、天武は武王」と解釈していますね。
 これが星座とどう関わるかは僕にはわかりませんが、この場合の中国の玉(ギョク)は、海幸山幸神話に出てくる「潮乾珠・潮満珠」にも影響しているはずなんですよ。日本神話に見え玉(タマ)は、本来は巻貝の白さだったのではないかと。。。

 ところで、鮫、龍、蛇とも考えられる「玉依姫・活玉依姫」は星座に反映されていないでしょうか? なにかヒントはないでしょうかね。

[6221] Re[6220][6219][6218]オリオン座  くず 2011/10/18(Tue) 12:10 [Reply]
琉球松さん、
>「海幸彦の釣針」
ギリシャ神話ではオリオンは蠍を怖がって逃げ回りますが、
中国では仲が悪く疎遠になる事を「参商の如し」という例えがあるそうで、
中の悪い兄弟の兄を商(蠍座)へ、弟を参(オリオン座)へ移した話に、通じるものがあるのかも。

釣針(鉤型)と鹿は甕棺などにも描かれていますし、弥生人にとって重要な信仰対象であったと思います。
弥生期の線画で描かれる鉤型は対で描かれる場合も多く、これだと単に星座(蠍座)を映したとは言えないでしょうね^^;

星の話を続けていますが北の南の天球図から、
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Cartacelesteasterismos.png

ちょうど御車座の五角形のあたりで、天の川が狭まっている様子がみられます。
この五角形は天の川を塞き止めているようにも見えます。
十束剣の化神と言える伊都之尾羽張神(天迦久神が使わされる)の登場場面に近いのかもと。。。

[6220] Re[6219][6218]オリオン座  琉球松 2011/10/17(Mon) 09:25 [Reply]
 「海幸彦の釣針」って、ゴホウラ貝輪や水字貝の突起部分ではないかと考えますが、仮にそうだとしても、その表現として星座などに反映させているかもしれません。

 これは、文字のない時代には十分ありえると思いますね。
 住吉大社の3神と、海幸山幸神話の類話と考えられる「浦島子」の話は繋がるでしょうし、中国の天上思想の影響もあるでしょうか。

[6219] Re[6218]オリオン座  くず 2011/10/15(Sat) 00:15 [Reply]
> ギリシャ神話と日本の神話の間に共通性が見られることは既に指摘されてますが、不思議なことです。いずれかから他方へ伝わった物なのか、人間夜空を見れば同じようなことを考える、、、ということなのか。。。
>

蛇と星座には世界共通の意識がはたらいていたのかも。。
十束剣には蛇の名が絡みつきます。
羽々矢もそうといえばそうですし、御伽草子の天稚彦も蛇の姿であらわれています。
それが何か?というのがしばらくの間、思考(空想^^)のテーマとなりそうです。


日本の星の呼び名を見ていて、蠍座の鯛釣り星を知りました。
山幸彦がなくしてしまった海幸の釣針はもしかしたら蠍座かもと。。
山幸=弓矢を持ったオリオンなら、夏の星座の蠍座(釣針)は、どこを探してもみあたらないはずです。
結局釣針は赤女(鯛)の口(のど)に引っかかっていたのですが、
赤女とは蠍座のアンタレスをさしているのかも^^


[6218] Re[6217][6215][6214][6213][6212][6210][6209][6208]オリオン座と姫  大三元 2011/10/13(Thu) 20:09 [Reply]
> "櫛"や"八岐"が星座にあてはめられるか?につては解かりませんけど。

聞けばへび座という星座はヒドラというギリシャ神話の蛇のことで、これは頭が9つ、ということです。つまり、ヤマタ。ギリシャ神話と日本の神話の間に共通性が見られることは既に指摘されてますが、不思議なことです。いずれかから他方へ伝わった物なのか、人間夜空を見れば同じようなことを考える、、、ということなのか。。。

[6217] Re[6215][6214][6213][6212][6210][6209][6208]オリオン座と姫  くず 2011/10/13(Thu) 12:03 [Reply]
>大三元さん、ありがとうございます^^
>十束剣とカラスキについて。

記紀に見える十束剣(十拳剣、十掬剣、十握剣)の持ち主と関連しそうな事項をまとめてみると、

@イザナギ (イザナミのホトから生まれたカグツチを十拳剣で斬る)
Aスサノオ (天照大神との誓約時に十拳剣を噛み砕いて、宗形三女神が生まれる)
      (ヤマタノオロチを斬る日本書紀1書に”蛇韓鋤之劒”)
B山幸彦  (十拳剣を砕いて無くしてしまった代わりの釣針を作る)
C武甕槌  (十掬剣を海の上に逆さまに刺し、その切先にあぐらをかいて威嚇)
D味耜高彦根(人違いに怒って十掬剣で喪屋を切り倒す)
E神武   (武甕槌の持つ神剣=十掬剣を高倉下を介して手にする)
F熊鰐   (岡県主、白銅鏡、八尺瓊とともに仲哀天皇に献上)
G五十迹手 (伊都県主、白銅鏡、八尺瓊とともに仲哀天皇に献上)

CDタケミカヅチ、アジスキ、の2柱のにはもちろんですが、
山幸彦と神武天皇にも共通部分があるように思います。

・同じ亦名(ヒコホホデミ)を持つ。
・塩土翁に啓示を受ける。
・佐比持神(鋤持神)と関わる。

また須佐之男命が八岐大蛇を退治する話と、イザナギ神が黄泉でイザナミと対峙する場面には、似た部分が多いと思っています。

・十束剣を使う。
・戦うのが八岐大蛇と八雷神。
・湯津々間櫛を頭に挿す。

ツツ、ツチが沢山出てきます^^
"櫛"や"八岐"が星座にあてはめられるか?につては解かりませんけど。

[6216] Re[6215][6214][6213][6212][6210][6209][6208]オリオン座と姫  棘の紀氏 2011/10/12(Wed) 15:28 [Reply]

> このご指摘は「有効!」ですね。普通「カラサヒ」と読むので見落としてました。「カラスキ」で何の不都合もないし、むしろ源流を垣間見ることの出来る素晴らしいヒントです。
>
方位(東西)の目印ともなるオリオン座の“三つ星”(カラスキ星)とする説
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/settu-sumiyoshi.html
ツツノオ三神については、以前から
@ツツは津路の意味で、海路を司る神説(岡吉胤)
Dツツを“ユウヅツ”(金星)のツツとして、“星の神”とする説(吉田東伍)
E同じ星の神でも、方位(東西)の目印ともなるオリオン座の“三つ星”(カラスキ星)とする説(大和岩雄)
といった諸説がある。

 @“津路説”−−ツツノオ神の航海守護神という神格から導いた単純な説。
 D“星神説”−−ツツが星の古語であることから、ツツノオを星の神と見たもの。特に金星は、一年を通じて夕方の西の空に現れ(宵の明星)、明け方には東に見える(明けの明星)ことから、海上で方向を知る指標とされた。古く、金星は“ユウツツ”(ユウヅツ・ユウツヅ)と呼ばれ親しまれ(枕草子にも「星はスバル、ヒコホシ、ユウツツ・・・」とある)、同じツツを名乗ることから、ツツノオ神を方位を知る当て星・金星とする説。
 E“三つ星説”−−オリオン座は代表的な冬の星座だが、その中心に見えるミツボシ(カラスキともいう)は、天の赤道に位置し真東から真西へと巡る星で、特に、初冬から暮春にかけての夕方、真東の空に縦になって昇り、斜めになって南の中空を巡り、明け方、真西の地平線に横一文字になって沈む(昇ってくる時間は季節により異なる、例えば夏には明け方に昇る)。
 そこから、古代の海人たちにとっての三つ星は方角を知る当て星であり、これを神格化して、同じ航海の守護神とされるツツノオ三神とする説。
 金星・三つ星いずれにしろ、ツツノオ三神は鎮座の際に「行き交う船を見守る」と告げたとあるように、航海の安全な道しるべ、燈台のように役目をはたす神格をもつことから、その具象化がオリオン座の三つ星であり金星であろう。

(2)「国土」の整備
国土の形成過程にとって重要な国境確定について、『日本書紀』は成務天皇5年9月条において、山川を隔ひて国県を分かち肝階に随ひて以て邑里を定めたことを記す。自然地形を利用
この記述が何からの行政的事象を反映している可能性は否定できないが、実施時期について断定は難しい。
http://nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/2751/1/BA89568678_pp49-64.pdf#search='メッシュの方位 南北 古代'
太陽と屋の運行経路は、季節や方位をはかるため世界中で観測されてきた。
『周礼』冬官考工記には、匠人が国を建てる時は、柱を垂直に立て、水平に見通して土地の高低を調べ水平な土地を求め、柱を立てて地平面に投ずる日出の影、日人の影、日中の影を視る方法が書かれる。
さらに夜は北極星を視て、朝夕を正すとある。他に『周牌算経』にも垂直に立てた牌を使って太陽の影の長さを測り、方位を定める方法や、北極周辺の大屋から南北線を得る方法が記される(橋本1980)。
『周牌算経』は養老令の解説書である『令義解』に学生が習うべきものとして記載があることから、9世紀はじめまでには日本にも入っていたと考えられる。

 大化2年から12年後の斉明天皇4年(658)是歳条に「沙門智撮、指南車を造る」の記事があり、注では磁石を利用し常に南方を指す仕掛けを備えた車とある(坂本はか1994)。
この指南車は土地を南北に区切る作業を担い、東西南北の正方位区画造営に使用された可能性がある。

「国家的整備期」に分類した天武朝には、国境が確定されそれに伴い七道制が成立した。
七道は、▲唐初の道にみられる使者派遣単位としての性格に加え、唐とな異なる日常的な文書伝達の単位としての機能も有し、軍事的な側面だけでなく一般行政面での独自の国家運営体制が創出された(鐘江1993)。

天武朝以降は、諸国の境界を定めるなど、地方の整備が進む時期と、藤原京の造営が進む時期、また諸国の武力整備が進む時期などが交代で現れる。
さらに『続日本紀』によれば大宝元年(701)に新令や律を発布し、畿内と七道の律令的国土空間の基礎が完成する


[6215] Re[6214][6213][6212][6210][6209][6208]オリオン座と姫  大三元 2011/10/12(Wed) 08:12 [Reply]
くずさん

> 韓鋤はカラスキ星というオリオンの名に重なります。

このご指摘は「有効!」ですね。普通「カラサヒ」と読むので見落としてました。「カラスキ」で何の不都合もないし、むしろ源流を垣間見ることの出来る素晴らしいヒントです。

[6214] Re[6213][6212][6210][6209][6208]オリオン座と姫  くず 2011/10/12(Wed) 06:25 [Reply]
> 黒曜石と "星" が重なるというのは面白いですね。「イシ」と「ホシ」は微妙に近いかも?

阿久遺跡や大湯の遺跡を見ると、石と星を重ねてとらえていたのではないか・・・と思えてきます。
墓域と重なるところもあり、死者の魂と星々を同一に見ていたのではなかろうかと。
大三元さんのお話でツチ、ツツ→ホシが見えてきましたが、
ツ(津、都)には、集まるところ、拠り所、のような意味があると思われるので、
"ツ+チ"はチ(霊)の寄り集まる所といった意味であるかもしれません。

長野の星尾峠、荒船山にまつわる、「神道集 上野国一宮事」のお話と、
武甕槌神の国譲りを迫るさいお話の共通性から、
オリオンが腰にさげる剣(小三つ星)が記紀神話に言う"十束の剣"ではないか?
と考えています。
日本書紀、一書の三では須佐之男命が八岐大蛇を斬った十束剣の名を"蛇韓鋤之剣"としています。
韓鋤はカラスキ星というオリオンの名に重なります。
イザナギがカグツチを斬ったのも十束剣ですが、カグツチは星の名の可能性もあり、
カグツチを生んだイザナミがホトを焼いたというのは、赤留姫でお話しましたように、
おうし座頭部を逆さに見た時に赤く輝くアルデバランを指しているのではないかと思います^^

[6213] Re[6212][6210][6209][6208]オリオン座と姫  琉球松 2011/10/11(Tue) 11:52 [Reply]
 黒曜石と "星" が重なるというのは面白いですね。「イシ」と「ホシ」は微妙に近いかも?

 それと、「アモレ・アマウリ」の「ア」が脱落した言葉は見つかりませんね。「モウレ(いらっしゃる)」というのはあるんですけど、「アマ」それ自体は分解できそうにありません。

 しかしまあ、棘の紀氏さんの天文学的な数字もなかなか緻密ですごいですよ。ちょっと僕にはレベル高すぎ(笑)。

[6212] Re[6210][6209][6208]オリオン座と姫  くず 2011/10/11(Tue) 00:46 [Reply]
>琉球松さん、
星の名を持つ山名、
縄文時代の黒曜石採掘遺跡のある「星糞峠」「星ヶ塔」などの地名もありました^^
和田峠、霧ヶ峰周辺の星地名は黒曜石の露頭ヵ所と重なるようです。

奄美、沖縄のアモレ、7の数(聖数)について、ありがとうございます。
アマウリ(天振り)→アモレであれば、語頭のアの脱落型は考え難いですかね。

>棘の紀氏さん、
黄道上(地球公転面の延長)からずれているオリオン座の3つ星に、春分点が1万年程度(惑星歳差による黄道のズレ)で重なる事は考えられませんし、
歳差運動から簡単な逆算しても、過去の春分点がオリオン座に最も近づくのは6千年ほど前となります。
その点からは学会で議論とはならないでしょうね・・

古代エジプトではオリオン座とその南の部分をサフ神として神格化され、
BC2300年頃に在位した王のピラミッドに、「サフは神々の父」としたヒエログリフが確認されています。
古代エジプトの文明が日本に伝わっていたとしたら、面白いとは思いますが。


[6211] Re[6210][6209][6208]オリオン座と姫  棘の紀氏 2011/10/10(Mon) 17:11 [Reply]
>
>  やはりありましたが、星の名を持つ名が。。。「3」と星座となればオリオンでしょうね?

ピラミッドとオリオン座の中心の3つの星が春分点でピッタリ一致するかどうか調べたようで、その結果、約1万年前(前後のずれは あるかもしれません)の時代に合致したようです。 浅川氏の推測年代 ...
http://calseed.blog31.fc2.com/?mode=m&no=11

  学界では議論されているのでしょうか?  定説ではないが、この議論に関して、Webの中に、2つほど面白いことを見つけました。
  一つは「太陽の道」説です。  説の文字を「 」の中に入れなかったのは、筆者の価値判断で、今のままでは「説」未満で、「太陽の道」の概念がユニークだと言うことの印象が強いからです。  徒に面白がるだけではアンフェアなので、私なりに、この提案の要点を書いて見ます。(誤解があったらゴメンナサイ);−
  この議論の要点は2点セットのようです。  1)「北緯34度39分」は聖なるラインで、この上に「磐座(イワクラ)/岩倉」や古代神道の遺跡が存在する。<±20分ほどの幅を持つ?>  吉備のクニでは顕著だが、西日本では多くの里がある。  2)この線上では、夏至の日の出が真東から北30度に昇る。 <簡単な計算で出てくることだが、筆者は未検定。 実測もしていない。>
  この論議がメッシュの方位が+30度(反時計回り)の決定根拠として主張されています。  たとえば、吉備の中山周辺の例です。
http://gokudoh893.blog37.fc2.com/blog-entry-104.html

[6210] Re[6209][6208]オリオン座と姫  琉球松 2011/10/09(Sun) 19:32 [Reply]
 くずさん、ありがとうございます。

 やはりありましたが、星の名を持つ名が。。。「3」と星座となればオリオンでしょうね?
 このへんの本土側の説話は、もっと勉強しないといけないですね。

 徳之島の「天人女房」ですが、羽衣伝説は琉球圏にも伝搬していて、けっこう一般的なんですが、それほど伝統的ではないようです。
 この「アモレ」は、奄美風の言い方で、沖縄島では「アマウリ」に近いですね。これは「天降り」の転と考えていいと思います。
 また、こちらの神歌群には「5つの枝/7の枝」などが頻繁に出てきますので、実数というよりも一種の聖数で、特に意味はないと考えます。

 ちなみに、琉球圏の旧暦7月7日は、祖先神対して「そろそろ盆ですよ、スタンバイを。。。」って感じの報告をし、お墓を清掃清める日なんですよ。

[6209] Re[6208]オリオン座と姫  くず 2011/10/09(Sun) 12:06 [Reply]
>ところで、長野には星に関わる名を持っている山はないでしょうか。

長野県と群馬県の境にある荒船山に星尾峠という峠があります。
我田引水的にも思えますが、その山にまつわるおもしろいお話があります^^
「神道集 上野国一宮事」
http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/shinto-shu/files/36.html

インドから3人の美女が乗った船(天の甲船)降りついた山が荒舟山とされています。
逆鉾を抱えた姫(好美女)が敷物(好玩団)の両端を2人の美女に持たせ天の甲船に乗り込む。。。
という表現はオリオン座を表すように思います。
逆鉾の話は武甕槌が十束剣を逆さに立ててその上にあぐらをかいて威嚇した。
というお話にも通じるものと思います。

琉球松さんが言われるように長野には国譲り前の出雲的な信仰が残っているように思います。
奄美・沖縄との共通点を探れば、弥生中期から後期の神々(信仰の形)が見えてくるのかもしれません^^

徳之島の民話アモレ(天人女房)
http://www16.ocn.ne.jp/~shiokaze/amore.html
七夕型民話が入っているようにも思いますが、
興味深いのは諏訪の古い神、モリヤ、モレヤとの名の近さと、
7本の木を切り倒し・・など7に関する部分で、諏訪でも湛え所と呼ばれる、
7本の木、7つの磐座を祭る"湛え神事"が行われていた事と、なにやら関連があるのかなと、思っています。

アモレについて、地元で語られている事などありましょうか?

[6208] Re[6206][6205][6204][6203][6202][6201][6200][6198][6197][6199]: オリオン座と姫  琉球松 2011/10/06(Thu) 09:13 [Reply]
 くずさんへ

 "天といったら空" 。。。なるほど、太陽も月も星も山から生まれるってことでしょうかね。島に住む者にはなかなかピンとこないんですけど、天と地の垂直的感覚でしょうか。
 琉球圏にも「オボツカグラ」と呼ばれる垂直観念が持ち込まれていたようですが、結局は従来の「ニライカナイ」にとって変わる程には定着していません。

 ご紹介の「諏訪富士」が円錐形で信仰の対象になっているのは、この山が「神名備」だからじゃないでしょうか。。。銅鐸が大型化されていくこととも関連して、出雲信仰?を頑固に引き継いでいる印象を持ちます。
 また、銅鐸祭祀(地)の欠点を補うために、太陽信仰(巻貝・有鉤銅釧・銅鏡 etc)が採用されたとすれば、大国主命はやはり英雄だと思いますね。時代のバランス感覚をみごとに表しているのが「出雲の国譲り」なのでしょう。

 ところで、長野には星に関わる名を持っている山はないでしょうか。

[6207] [6206] に追加^^;  くず 2011/10/06(Thu) 04:10 [Reply]
蓼科山山頂部
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tateshina-yama-peak.jpg

[6206] Re[6205][6204][6203][6202][6201][6200][6198][6197][6199]: オリオン座と姫  くず 2011/10/06(Thu) 04:03 [Reply]
琉球松さん、

長野は海がなく"天"といったら空のほうが身近です^^
諏訪上社の近くに縄文中期の大規模な環状集石群のある阿久遺跡があります。
http://isikari.genin.jp/kitanokodaisi/kitanojiyomon/akuiseki/akuiseki.html
中でも大きな平石が並行して立てられ、祭祀跡を伴う遺跡があって、
その方向が蓼科山を向いている事から、蓼科山との繋がりが推定されています。
蓼科山は秀麗な円錐形でその姿もさることながら(諏訪富士とも)
山頂は古い溶岩が露出して岩だらけで、その"岩だらけ"を居住域近くに映したものが、
環状集積群なのかとも思われます。
蓼科山を天に通じる装置と見て、その山へ通じる身近な装置を作ったのではないかと。
山そのものを御神体ととらえる、古来の神祭りの原型がここにあるように思っていますが、
その意識は山を通じて天に向かっていたように感じております。

また縄文から弥生への変化で文化の断絶があったとは長野の様子を見る限り、思っていません。
銅鐸銅戈の出ている柳沢遺跡は栗林式土器の文化圏で、その土器は縄文式を濃く受け継いでいます。
祭祀者らしき人物が葬られた墓も地域色の濃いものなので、
青銅器の供給元となっている中央と繋がる"酋長"はいたのでしょうが、
集落形成の主体をなしていたのは縄文を引き継いできた人々であったと思われます。

天への意識は縄文からのもの。弥生時代に至ってもその意識は継承され、
古い神社(信仰)形式である山そのものを御神体とする形として、今も残されていると、
自分は考えています。

[6205] Re[6204][6203][6202][6201][6200][6198][6197][6199]: オリオン座と姫  琉球松 2011/10/04(Tue) 11:35 [Reply]
くずさんへ

 「尊・命・神」は、記紀編纂以前から存在していたと思いますが、「天」は中国の垂直?思想によるものなんでしょうね。「アマ」にこの字を当てたのも新時代の空気でしょうか。

 星座などの知識とか利用法はこの時代から普及したからこそ神扱いされていないんじゃないかと考えますがどうでしょうか。
 と言うのも、記紀編纂以前の状況を温存していると考えられる奄美沖縄(宮古八重山は含まず)では、航海の位置確認には星は必要のようですが、神との認識はなく、七夕伝説さえ定着していないんですいよ。

 原初「アマ」は水平思想としての海でしょうけど、「天」を採用した時代に垂直思想にすり替えられたんじゃないでしょうか。「表・中・底」は「東・中(ハシ?)・西」だったと思うんですよ。

[6204] Re[6203][6202][6201][6200][6198][6197][6199]: オリオン座と姫  くず 2011/10/03(Mon) 23:42 [Reply]
>琉球松さん、
上田正昭さんのお話、例えば「香香背男(かかせお)」という星神・・・・
 
命などの尊称はつきませんが、天津甕星、天香香背男といった具合に天がつきます。
他の天津神、高天原神話の天は文字通り"天"にまつわるものから想像されているのかも。と思い始めました^^

天皇が"天皇"を自称したのは、天武期と見るのが有力と言われます。
このあたり
 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01291/contents/106.htm
ご存知の通り、天皇とは道教で言う北極星の事。
編纂しようとする国史に、自らの出自以外に"北極星を具現化する神"は例え伝わっていたとしても、そうとは書けないでしょう。
明らかな星神に関しては香香背男のように、積極的に駆逐しておく必要があったのかもしれません。

人類が自己を認識した時代に、北極星の位置にあったのは琴座のヴェガだと考えています。
星に神話起源があるとすれば、それは至極当然の事なのかも。。と思っています。


[6203] Re[6202][6201][6200][6198][6197][6199]: オリオン座と姫  琉球松 2011/10/03(Mon) 16:35 [Reply]
 星々が神に値しないとしても、北極星ぐらいはその資格があると思うんですけどね。

 同書の対談相手の鎌田純一さんも *** 『古事記』の一番最初に登場する神、天之御中主神、それから高御産巣日神、神産巣日神、これは本当に日本の神なのか、という問題もあります。なぜそうした疑問が出るのかというと、この天之御中主神を祀った古社がないからなんです。(略)古社がないということは観念的な神だということになります。*** と書いています。

 そうだとしても、天之御中主神が北極星ではないとは言えないと思うんですけどね。神はそもそも観念的なんでしょうけども、よくわかりません。

[6202] Re[6201][6200][6198][6197][6199]: オリオン座と姫  大三元 2011/10/03(Mon) 15:43 [Reply]
面白いですね。星を見て日本神話が出来たのか、既存の神話と星座の関連を後付した(らしい)のか、はたまた後付作業してるうちに神話が星座配置に都合が合うように修正されているのか、とか。。。

>  上田正昭さんは、共著『日本の神々「先代旧事本紀」の復権』で、*** 日本では星の神というのは呼び捨てなんです。例えば「香香背男(かかせお)」という星神がいますが、神名に「尊」「命」「神」といった字がつかない悪神なんです。*** と書いていますね。

天之御中主神(天御中主尊)が北極星(北斗七星)に比定されているけど、それとは矛盾する話になりますね。この神(尊)は星ではないのかな。

アルデバランの和名(方言)について
http://mirahouse.jp/name/a/aldebaran_wamei.html
によると:
間の星(あいのほし)
統星(昴のこと)とオリオン座の三ツ星の間に昇るため,こう呼ばれた。
同じ意味の名前として,統星の仲星(すまるのなかぼし)・統星の助星(?)(すまるのすけぼし)がある。

だそうでして、天之御中主神もアルデバランに比定するのが良いのかな、と思い始めたところです。

[6201] Re[6200][6198][6197][6199]: オリオン座と姫  琉球松 2011/10/03(Mon) 10:51 [Reply]
 くずさんへ

 地上の出来事を、星座で説明することは十分あり得ると思いますが、星そのものはメインになれないかもしれません。
 上田正昭さんは、共著『日本の神々「先代旧事本紀」の復権』で、*** 日本では星の神というのは呼び捨てなんです。例えば「香香背男(かかせお)」という星神がいますが、神名に「尊」「命」「神」といった字がつかない悪神なんです。*** と書いていますね。

 しかし、星座で古代人の歴史観?が知れるとすれば、これは面白いですよ。
 星座の伝説が比較的多い朝鮮半島と、ほとんど存在しない奄美諸島に「日光感情神話」が濃厚にあるのも意味があるかもしれません。

 ホトタタラ(勢夜陀多良)、五十鈴、丹塗矢、赤玉、などは、銅製品製作に関わるものと考えますが、やはり火花やカナ糞は何か重要なもののように思えるわけで、神武とホトタタラの間に生まれたのが銅鏡なのではないかと。。。

[6200] Re[6198][6197][6199]: オリオン座と姫  くず 2011/10/03(Mon) 09:28 [Reply]
>"ホトタタラ"
神武天皇も天羽々矢を持つ1柱ですね^^

おうし座の頭の部分(ヒヤデス星団のVの字)を逆さに、人の股と見ると、
右手に鈴(昴)を持つ人の姿にも見えます^^;
ホト近くにはアルデバランが赤く輝きます。
ホトタタラ−五十鈴姫では?
"高佐士野"にいた五十鈴姫を含む7人の姫は、昴の6星を指すとも^^;

オリオンの構える矢先をアルデバランと見ると丹塗矢がホトを突くとも見えます。
セヤダタラ姫。

東からおうし座が昇る時はその姫が横に寝転び日の出方向に足を向けた姿で昇ってきます。
「新羅の阿具沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。
すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。」
この赤玉はアルデバランであったかも^^

阿加流姫=下照姫=ホトタタラ五十鈴姫=勢夜陀多良姫 おうし座(かも)説。

日の出前の星座の動きに岩戸明け神話の原型を見ると、
鈴(サナギの鈴)を持って舞う天鈿女とも。
諏訪に伝わるサナギの鈴(鉄鐸)は6個一連としますが、昴に対応してのものかも。
味耜高彦根神に関連する日光男体山頂祭祀遺跡からも鉄鐸が出ています。
伊勢の多気郡には式内社の須麻漏賣神社が見えます(現在佐那神社に合祀)

[6199] Re[6198][6197][6195][6191][6190][6186][6184]: オリオン座  大三元 2011/10/02(Sun) 10:40 [Reply]
>  これは、「みか/かしき/や」を前提にしますが、2つの同じ音がくっついてしまったのではないかと。。。「やまとトトひ=やまとトひ」の例もありますね。

推古天皇の和風諡号、豊御食炊屋姫尊(とよ「みけかしきや」ひめのみこと)、を見ると↑もあり得ましょうね。

[6198] Re[6197][6195][6191][6190][6186][6184]: オリオン座  琉球松 2011/10/02(Sun) 10:23 [Reply]
 「みかしきや」は「み/かしきや」だと思ってましたが、「みか/しきや」として「みか(照)」だとすると、"照台所" なんて解釈が可能でしょうか?
 これは、「みか/かしき/や」を前提にしますが、2つの同じ音がくっついてしまったのではないかと。。。「やまとトトひ=やまとトひ」の例もありますね。

 そうだとすると、竃からパチパチと飛び出る火花を星と見ることができるかもしれませんし、「甕」の字に容器としての "ホトタタラ" の意味があるならば、金属加工作業の際の火花にも適用できると思いますね。

 「みかみか=ピカピカ」。。。(笑)

[6197] Re[6195][6191][6190][6186][6184]: オリオン座  大三元 2011/10/02(Sun) 09:20 [Reply]
> また、天日矛の妻、阿加流姫と下照姫と同神と考える説などと合わせると、
> オリオン座神(?)候補といえますかね^^

リファありがとうございます。そこに記しましたように:
(夫)  天日矛 = 天稚彦 = 饒速日
(妻)  下照姫 = 下照姫 = 三炊屋姫
(妻の兄)アヂスキ= アヂスキ ? 長髓彦 
ということを考えております。ここの「三炊屋(みかしきや)」も「みか・しきや」と分析すると「みか」が取り出せるので「甕星、甕津日女;甕槌」たちとの関連がありそうだと睨んでいます。が「みか」を分離して残る「しきや」とはなんぞや、で立ち止まってます。

[6196] Re[6195][6191][6190][6186][6184]: オリオン座  琉球松 2011/10/02(Sun) 08:51 [Reply]
大三元さんへ

 くずさんの書き込みを見ていると、どうも古代人は地上の出来事を星座などに写しているような印象を持ちます。「表・中・底」をオリオン座に反映させていると言うか、陰と陽と言うか、鏡のようにです。

 それと、太陽と月との間に星が産まれとの概念は、一応否定したほうがよさそうですね。平等とまではいかなくとも、この3神は独立していると考えたほうがいいでしょうか。

[6195] Re[6191][6190][6186][6184]: オリオン座  くず 2011/10/02(Sun) 07:00 [Reply]
昨晩は星がきれいに見えました。
流れ星も見ましたが、輻射点からオリオン座流星群ではなかったです。
約3000年前のハレー彗星が軌道上に残したチリがオリオン座流星群となっているそうで、
軌道の関係もある事でしょうが彗星の通過後しばらくの時代は見事な流星群だったのでしょう^^


天若彦が天に向かって矢を射る姿から、神話の一部が生まれているとすれば、
かまえた弓が天鹿児弓、放つ矢が天羽羽矢となります。
大三元さんの「天の羽羽矢考」読んできました
http://www.dai3gen.net/hahaya.htm

天日矛=天稚彦=饒速日を推定されていますが、
神奈備さんのおはなし、
『河内高貴寺縁起』(鎌倉時代)に面白い話があります。この寺は平石にあり、岩船神社の神宮寺でした。
「風聞には当所、底筒男命、『旧事本紀』に言う饒速日尊、自ら天降りて御座す。岩船明神是也。」とあります。

また、天日矛の妻、阿加流姫と下照姫と同神と考える説などと合わせると、
オリオン座神(?)候補といえますかね^^


[6194] Re[6192][6191][6190][6186][6184]: オリオン座  大三元 2011/10/01(Sat) 17:19 [Reply]
>  また、「雉(鳴女)」が流星だとすると「ヒルコ」を連想しますし、星は太陽と月との間にできた子との観念もあったでしょうか。神々は、それこそ星の数ほどいらっしゃいます。

日本書紀では:
イザナギ・イザナミが日神(大日霎貴、おほひるめのむち)を産み、次に月神を生み、 次に蛭児(ひるこ)を生んだ。三年経っても足が立たなかったので天磐豫樟船に載せて風のままに放ち棄てたとある。(その後、素戔嗚尊を生んでいる。)つまり、ここでは、太陽と月が星を生んだ、という概念ではないですね。

天体(日、月、星)が船で移動する、という考え方も注意しておきたい事柄ですね(アイヌも同様に考えているらしい)。

余談ですが、オリオン座流星群、というものもあり「雉(流星)」さんもオリオン座出自という捉え方も魅力あります。

なお「つぶ」と言う語の用例が「都夫多都・つぶたつ・粒立つ」しかないようです。「つぶ=粒」と推定できますが、独立した用例がないようで、粒=小さい、に関しては良く判りません。

[6193] Re[6192][6191][6190][6186][6184]: オリオン座  生田淳一郎 2011/10/01(Sat) 15:38 [Reply]
 ワイハ〜(津軽弁)「ツ打三ツ個ウ」さんは大ドンのことでしたか!
 こりゃまたどうも、重ねがさねで失礼ぶっこきやした。
 最初の最初は顔マークの名前でしたね。あれからオカシくなったみたい。
 
 それにしても、卓越したメカ技術を駆使しての、大一線のご活躍、大慶至極に存じおり候。

 このさい、ぶっちゃけますが、オレ、目下もうれつに認知症がすすんでいるみたいです。
 ホシ関係のギリシャ語で「遠くでチラチラ・・・」との解説が施されている語彙が、たしかあったと記憶していましたので、
その語形を追いかけ回したのです。が……、それがどこにも見当たらないんでふう。
 pho;s(光、光を発するもの)ならあります。
 
 大ドンの site をちょっと見てショックくらひました。
 それは、「ツ」という音は、日本歴史の途中で(どこからか)侵入してきた」という部分です。
 ならば、「国ごと丸抱え」の大変化ですので、それは政権のトップ、鎌倉幕府のもとでしかありえないことでしょう。
 そして、「武士=金属精練士」と構えると、江南とか百越あたりの「ツ」が云える地帯・・・・・ということになりましょう。そういったシナ人が大勢鎌倉にいたということも、聞いたことがあります。
 また、そういったシナ人武士が、日本を戦国時代にしてしまったとも考えられましょう。

 tutu--i(トゥトゥ−イ)がツツイに変わったんですよね。
 鎚の語源そのものは、掴めませんが、これはハタタ神(雷)と「はたく(叩いてこなごなにする)という概念から逃れられないようです。
 しかしネパール語では tutu-(壊れる)、thic-(潰す)、thok(ぶつ)、thok thak(ぶつこと)までしか肉薄できません。
 これらを要約すると、同じような考えがシナの金属精練士に浸透し、そこから日本に広がったと見るべきでしょう。

[6192] Re[6191][6190][6186][6184]: オリオン座  琉球松 2011/10/01(Sat) 11:38 [Reply]
 「ツ打三ツ個ウ」は、大三元さんの暗号でしたか(笑)。

 「ツチ・ツツ・ツヅ」などはどうなんでしょう?意味的には「粒」など小さいって感じですかね。
 「ヒメ」も小ささを表す場合に使われますよね。

 また、「雉(鳴女)」が流星だとすると「ヒルコ」を連想しますし、星は太陽と月との間にできた子との観念もあったでしょうか。神々は、それこそ星の数ほどいらっしゃいます。

[6191] Re[6190][6186][6184]: オリオン座  大三元 2011/10/01(Sat) 08:51 [Reply]
投稿されたものに返事しようとして [Reply]を押すと、「おなまえ」欄に「ツ打三ツ個ウ」と出てきてしまいます。どっかでエンコーディングのミスマッチがあるのでしょうね。それを手打ちで自分の名前に書き換えるのですが、たまに忘れて意味不明文字列のまま送信してしまいます。失礼しました。

> 大三元さんのツツ、ツチ、
> 住吉三神の別名は磐土命、底土命、赤土命
> イワ=ウワ、アカ=ナカ、であれば、ツチ=ツツで、言葉の振れと見れますね。

「 イワ=ウワ、アカ=ナカ、であれば、ツチ=ツツ」という向きよりも、
ツチ、ツツ、はそれら自身で揺れである、を基に「磐=イハ→ウハ=表。赤→中。」と推定する、という方向では如何でしょう。

お話に「雉(鳴女)」が出てきたので調べてみると「雉星」とは「流星」のことのようですね。

天若彦、アヂスキタカ彦、天之甕星、建甕槌、甕津日女、雉、建ミナカタ、あたりのオハナシがオリオン座につながった星の神話のような気がしてきました。

[6190] Re[6186][6184]: オリオン座  くず 2011/10/01(Sat) 07:25 [Reply]
皆さん、
まず[6185] の書き込み、廣田と書いてますが廣瀬の誤りでした。

大三元さんのツツ、ツチ、
住吉三神の別名は磐土命、底土命、赤土命
イワ=ウワ、アカ=ナカ、であれば、ツチ=ツツで、言葉の振れと見れますね。

記紀では古事記にのみみられる、建御名方神と建御雷神の争いも、
中世の『諏訪大明神画詞』、「八幡大井、諏訪、住吉同体ノ由来アリト申」
の伝えが真なら、同様の争いを書いているのかも。

神功皇后が出産を遅らせるためにお腹に月延石をあてて帯で巻いたという。
月延石は3つあるという。壱岐市の月讀神社、糸島の鎮懐石八幡宮、京都の月読神社

これもオリオンの姿の映しにも見れます。

オリオンの呼び名に袖星がありました。
御伽草子の天稚彦は、娘にあたえた袖を「天若彦の袖々」と唱えながら振る事で、
千の牛を静めたりしています。
御伽草子の天稚彦=オリオン座については、
http://www.astronomy2009.jp/ja/project/essay/DSP02.pdf

天に向かって矢(天羽々矢)を放つ姿はまさにオリオン座の姿。
射抜かれた雉(鳴女)はスバルあたりでしょうか。


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