青草掲示板ログ平二十四年 一月〜三月 2012.1〜3
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[6442] 世にも珍しい「北向き妙見」和歌山県伊都郡かつらぎ町滝の北辰妙見神社  そ(八筒光) [Url] 2012/03/31(Sat) 20:49 [Reply]
北辰妙見菩薩を祀る神社・仏閣は「王者南面」で南向きが当たり前。
ところが日本国内では三箇所だけ「北向き妙見神社」というものが存在する模様。

まずこちらがそのひとつ(http://blog.livedoor.jp/mima_hinokai/archives/51543439.html

そしてその総本社と言っていい神社がこちらの和歌山県伊都郡かつらぎ町滝に所在する「北辰妙見神社」
http://www.wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=4017
http://www.katsuragi-kanko.jp/K/k-rekisi.htm
http://asp.nihon-kankou.or.jp/bnr/ctrl?evt=ShowBukken&ID=30341ag2130013463
http://v7.cache1.c.bigcache.googleapis.com/static.panoramio.com/photos/original/27485882.jpg?redirect_counter=1

かつてこの付近は神仏に対する信仰が盛んで神仏習合が明治時代までごく当たり前の地域だったらしくこちらには神社にかかわらず極楽寺から移された「金銅弥勒菩薩像」や「大般若経」や「梵鐘」が現存する模様。

極彩色の美しいその社殿だがなんとその向きは「北向き」、なのにご利益が凄いのかなんと遠方から、特に阪神地区からの参拝者が絶えないとの事。

北向きにされた理由はさだかでないが私としてはもし能勢妙見山と一対の関係だとするとこちらが北向きにすることにより「衆生救済」の本誓をあらわしていることも考えられるがいずれにせよ貴重な存在。

一度はかつらぎ町観光とあわせて参拝されて世にも珍しい「北向き」北辰妙見さまと御結縁されてみてはいかがでしょうか。
(私はすでに二十数年前にJR和歌山線「妙寺」駅から1日かけて徒歩で詣でた記憶があります、秋の紅葉がすばらしい時でした)

[6441] 毛虫眉  4      生田淳一郎   2012/03/31(Sat) 18:10 [Reply]
 司馬遼太郎量さんは開高健さんの文体を、バリバリ岩を噛み砕きながら進むブルドーザーみたいだと評したことがありました。
 文体とは魚釣りでのシカけケみたぃなものだとおもわれます。マグロを狙うときとサバを狙うときとでは仕掛けががらりと違うのです。
 司馬遼太郎さんがどんな魚を狙うのかといえば、内部に多数の神経脈絡みたいなものを包含しながらも「全体として「ひとつ」を呈している人間とか、社会とか、その歴史、習慣、風俗などなど・・・の有機物みたいな社会現象なんでしょうか。とりわけ宗教を平易な用語で演出できることの意欲重要さは、強烈だったにちがいありません。 いちど中央アジアのオアシス国家に華開いた華厳経〜華厳の世界を描写した司馬遼太郎さんの記事を読んだことがありますが、どうして当時の人びとがそれをこの世で最高のものとして受け容れたのかについての説明が足りなく、なにやら解らないものが残った記憶があります。

 現代言語学の始祖と仰がれているソシュールはしゃべり口を、ふだん着と県庁行きに分けました。県庁行きのものいいは「左様・然らば」とシャチホコばったものいいで、これでは「凭りかかろうとする<1・2> の、D.N.A様に裏うちされた「肉・情念の場」がなかなか出ません。
 しかしながら、いったん「文体」に乗っけられた文章はもの凄いスピード感であたらしい平民世界を拓きます。
 ある時期の司馬遼太郎さんにとっては、いろいろな宗教を一時氷結させておき、そこへ岩をも噛み砕く文体を希求したのではないでしょうか。

 井筒俊彦さんを評して司馬遼太郎さんは「天才を 20人集めたような・・・」と表現したので、司馬遼太郎さんその人をどういえばいいのかに戸惑いますが、司馬遼太郎さんは並みの人間じゃないです。
 京都の山崎和行さんは司馬遼太郎さんと何回も対談をした人ですが、ある対談で話が途切れたとき、司馬遼太郎さんがまったく薮から棒に「わたしは死ぬのがまったく怖くないのです」と、問わず語りにぼそーっと洩らしたのです。このことは『日本人の内と外』という対談集のおしまい部分に出ていますので確かめてください。死ぬのが怖くないという自分の神経のありかたが、自分でもオカシイと気がついたからでしょう。
 「死ぬのがまったく怖くない」なぁ〜んていうのは、人間ばなれどころか動物ばなれしてるじゃないですか。

 折しもヂヂババ社会。ヂヂババに面と向かって「アンタ、死ぬのが怖いか」と問えば、ぜんいんが「そうでもないよ」とカラ元気を見せるが、それはウソです。国会も報道機関もイテキから占拠されてるっというに、シランっぷりできるのは 10秒でも 27秒でも、ちょっとでも長生きしないと損だと思っているからです。いのちが惜しいからです。

[6440] 「宵の明星社・出雲大社」「夜中の明星社・尾張大國霊神社」「夜明けの明星社・大甕倭文神社」  そ(八筒光) [Url] 2012/03/30(Fri) 19:30 [Reply]
もし、上記タイトルに皆様の発言に対する苦言をご容赦くださるならば少しばかりの苦言をお許し頂きたい。

もし「宵の明星社・夜中の明星社・夜明けの明星社」が上記三社ならば納得していただければいいのですが・・・。

まず出雲大社が「宵の明星社」であることは先だって「掲示板」にお示しいただいているので理由は敢えて省きますが私なりの補足をさせていただきます。

まずは以下のリンクをご覧ください。
http://izumooyashiro.seesaa.net/article/161420846.html
http://izumooyashiro.up.seesaa.net/image/heimenzu.gif

ここで注目してほしいのは高御座が何故に「西方」を向いているのか。
これは「天津甕星の謎」でも大物主之命が「星を統べる命」とされており明星、即ち金星も含んでいることとそもそも日本神道の神々は大部分が朝鮮半島渡来ということを考えると夕筒・・・黄昏の夕方に北西に現れた「宵の明星」を祭神はおのぞみになっており西方に向けているのではないかと、私は考えている次第です。

因みにリンクの文中にある、

「<出雲大社の御神体>
出雲大社御本殿の小内殿奥深くに鎮座される御神体とは何なのか、正式には発表されていません。多くの文献が語るその正体は謎に満ちて推測の域を出ません。」

の正体とは、誰あろう「天津甕星・天津香々背男」ではないでしょうか。

次に「夜中の明星社・尾張大國霊神社」に対してはまず、代々の宮氏さまが「天津香々背男」の末裔を語っていること、尾張氏が物部氏の末裔であること、付近には天津甕星を祀っている神社がおおくまた「海部郡」には実際に「明星が飛来した」と言う伝承を持つ地があること、神社社殿が南向きになっていることなどが挙げられます。

また社殿の主祭神には謎に満ちている部分が多く・・・
(http://messiah666.seesaa.net/article/219538043.html)
それが「天津香々背男」である事を暗示させている部分でもあります。

そして「夜明けの明星社・大甕倭文神社」に対してはもはや説明は要らぬでありましょうが「ゼンリン地図」で確かめて見るとやはり社殿が東寄りになっていることから「夜明けの明星」の方角に対応させていることが考えられます。

また神仏習合の事で申し訳ないのですが「宵の明星」の本地仏は「阿弥陀如来」、夜中の明星は「大日如来」、夜明けの明星は「弥勒菩薩(あるいは薬師如来)」と言う点もヒントになるのではないでしょうか。

[6439] 毛虫眉  3     生田淳一郎   2012/03/27(Tue) 18:03 [Reply]
  はやりことばといいますが、よく使う用語にも流行り廃れがあるようです。
 20年ほどまえシンドロームという語が流行ろうとしたとき、小生はジャーナリストの集会場みたいなところへ「シンドロームという語は辞書ひいてもワカラン」と電話したのでした。この語は CY--から始まるのでワカランというのが当たり苗でした。今では廃語同様です。
 半年まえあたりから「考えや認識を共有する」というのが流行ったようですが、このごろではあまり喋られなくなって下火になったようです。
 古代人にとって最も痛ましい人生事は身うちや親しかった人との死別だったと思われます。
 身内が病気で死ぬときにはどこからともなく黒い小さな鳥が家の中にやって来て トエッ トエッ と鳴いて飛びまわった・・・・・。現代人がこれを読むと「ウソだろう」としかおもわないでしょうが、これは苫小牧市大成町にいたアイヌ婦人の砂沢クラさんが書いた手記です。
 それは『クスクップオルシぺ(私の一代記)』にありますので、まだ読んでない方にはぜひの一読をお願いします。 この本には砂沢クラさんもそうですが一族のオタシュツtアイヌのことが具体的に描写されていますので、古代の巫術(TUS)を中心とした暮らしを共有していただけるかとおもうしだいです。
 北海道のオタシュツ・アイヌはクラさんも書いていますが、とにかく霊格が高く、周辺アイヌから神さまのように慕われていた人ばかりでした。もし他界しようものなら、人びとは遺徳を偲んで神社を建てたとおもうんです。それは出雲聖人族でも Mさんでも赤木三平さんでも同じことだった。そしてそれは「大むかし」だけのことではなく「ついさいきん」でも「現在」でも同じ原理がはたらいているはずです。

 
 司馬遼太郎さんはさかんに “文体” ということにこだわり気にしました。「ひとつの思想や想念を受発信するには、それ相応な言いまわしが選ばれなくってはいけない」ということでしょうが、その選別される文体はとてもデリケートな神経で決定されるようです。
巫術、心霊の領域事を語り、それを言語的に受信するとなると、とんでもない斬り込み角度と、受けるほうの鍛錬などなどが「乗り越えるべき多くの前提」となると見込めるのです。(中断・つづく)

[6438] 毛虫眉 2     生田淳一郎   2012/03/26(Mon) 18:15 [Reply]
 小生がまず最初に連想したことは後三年の役が秋田の物部系の神社がうごいたことによって闘いが始まったという歴史事実のことでした。昔は(そしても今も)人びとは隣国や国境があるかぎり戦争が起こるることを前提として暮らしているわけです。神社とは戦闘に備える武力団だったわけです。
 次に小生は津軽ツルタ町でハゲます会の世話役をやっている竹並さんの眉を憶いだしました。鶴田とは川崎真治さんによれば「武士階級」のことで、この反対が亀田町」の農民です。
 竹並さんのタケは「武」で、NAMI とは名前を同じくするもの」すなわち「族」で、竹並とは「武・族」です。
 この人の眉はハリガネみたいな剛直な毛が十数本、頭の中央から突き出している・・・といった感じでした。長さは 5cmはあったと記憶しています なにかにつけ、津軽は元卿を指し示しますナァ。
 おへまの里は長野県と接する新潟県寄りの町ですが、県境を西に越えたすぐの栄村出身の◯沢さんがときどき拙宅にあそびにきて、いろいろなことを喋ってくれます。 その話のひとつに Mさんのことがありました。Mさんは◯沢さんと同世代といいますので 80才前後です。 Mさんは日ごろはふうさいも上がらず、飲ん兵衛でいつもそのへんでとぐろを巻いているような人物だということですが、この人はこと神官に関しては第一級だそうです。予言、霊視、霊廳などの巫術ではこ の人の右に出る者はいないということです。

 唐突ですが出雲に上陸して出雲帝国を創った人びとを出雲聖人族と呼ばさせて下さい。小生はかなり前から北海道に入ったオタシュツ・アイヌと出雲聖人族とは同一だと睨んできました。出雲聖人族と、それ以前からの土着人(蝦夷)とのピンキー(混血児)が毛虫眉になったにちがいありません。
 出雲聖人族の文化は奈良熊野の地で花ひらいたのですが、その流れをくむ密教行者・山伏たちは日本列島にあまねく、聖なる思想を普及させたことだろうと思うんです。その現象の地方での現れが Mさんだと踏めます。


 ハナシポーンですが、北海道道洞爺湖の西南に豊浦町、豊浦駅があります。小生の処女作『アイヌ語の謎』を世に出してくれた山音文学(社長 ; 赤木三平さん)はこの豊浦駅から北へ 5キロはいった山の中の大和という集落にありました。豊浦町は全北海道に鳴り響いた拝み屋さんがあることでも有名でしたが、赤木三平さんは「あそこの社主は若い時にいっしょに霊能力を出すべく修行した弟子兄弟だと云っていました。
 赤木さんとは 4回ほどしか会っていませんが、会うたびに「生殺するな、我執を捨てよ」と、口ぐせのように云っていました。
 この人、はホントーに我の根を断ってしまったのか、ちょっとした風邪ですぐに死んでしまいました。
 「赤木先生死す」との情報が全道をかけ巡り、北海道の隅々から弔問者が押しかけて来ました。
 まだクルマは今のようには行きわたっていないときでしたが、弔問のクルマが豊浦駅から大和までズラリと並んだそうです。
1鰢台 5m と計算するとしても、かなりな慕われようです。
 というのも、赤木さんは全道を巡って新聞に『北海道・駅名の旅』という連載記事を書いたのですが、その旅で出会った多くの人びとの運勢判断や人生相談にのってあげて、みんなから非常に感謝されていたからです。(中断・つづく)

[6437] 毛虫眉 1  生田淳一郎   2012/03/25(Sun) 14:20 [Reply]
 イタキソ様分析のところで必要なコメントを言い忘れていましたので、ここで付言しておきます。
 それは十二社はジュウニ社シャでもジュウニソーでもどちらでもよかったということです。ここに「シャ =ソウ」がえられて、古代では「ソウ = ソ」が言えることから、イタキソ様末尾の so が自らの地歩を確定させ、「社 = 場所」が導き出されのでした。


 もう一つ、「バッチリ・シャッキリの眉こそはまぎれもなく立派な日本人だ」としましたが、これには「毛虫眉」は含まれないということも言い忘れました。
 毛虫眉がどのような人種に似合うのかを考えてみました。
 すると、それはザイにあって二足のわらじを履いている小親分です。いつも三人とか五人の子分どもから「親分親分」と呼ばれていい気になって村を肩で風きってのし歩く気の小さなヤツ。名前はタメゴロウ。近所の後家さん情報には抜け目なく気をくばっている。
 いい物食って運動不足なので顔のあちこちの肉がふくれている。
 こいつがドテラ着て長火鉢の前にどてんとあぐらかいて石川五右衛門気どりでぶ暑いくちびるにキセルをくわえた図にはどうしても毛虫眉でないと収まりがつかねぇ。

 そうか、「毛虫眉はザイにありだな」と踏んだ小生はおへまに「おい、おまえの同期生あたりに毛虫眉のぬしはいねぇか」とききました。
 答えはすぐに「いるいる。ただしこ人の家は代は代々神主の家だったのよ」。
 それ聴いて二、三の連想がはたらき、日本の超古代と北海道のオタシュツアイヌが頭n中で握手したんでした。《中断、ちづく》

[6436] Re[6435][6434]: イタキソ様のお出まし     生田淳一郎   2012/03/23(Fri) 19:58 [Reply]

> をご一読を。  社に謝。 ドン、削除をおねがいするところでしたが、すでにやってもらっていたんですね。アリガサマリョータ。
 頭の上に書見台をブラ下げ、これにタジク語の辞書を縛りつけて半年、眼がわーるくなりました。

 タジク語を読んだお蔭で日本開闢の縄文思想を掘りだしえたことは、小生の目玉ひとつで替えられるもんなら、こりゃとても安い買い物です。
 「イタキソ様の語源が割れたよ」みたいなことで書いたのはこれで 5度めか 6度めかと思いますが、先回書いたときは ITAKISO 中央の I がわからぬままでしたが、今回は「ててご様」のお導きでスンナリ行ったかと思います。

 そういえば「社 =SO は鹿児島方面のことばにあったかと、かすかな記憶があります。するとすると、鹿児島に多い「園」がつく姓は、この SO(場所)とおおいに関係がありそう。
 ソノの「ノ」とは何でしょう? 吉野、熊野の「ノ」にちがいないが・・・・・。

 吉野といえば水戸藩は神社をヨシ・ナントカといっていた。
 水戸の国学とやらを解説していただけませんか。

 オット・・・、焼け尻と白内障の関係で パソコンは 2週間の禁足(?)をくらいました。
 おへまの眼を盗んで、また書きます。
>

[6435] Re[6434]: イタキソ様のお出まし     神奈備 2012/03/21(Wed) 21:23 [Reply]
>  イタキソとは「祭の場所」だった。ドン、長生きしてくらはい〜イヨッ↗。

イタキは何とか。
ソ は 社で理解ができます。

http://kamnavi.jp/itakiso/itakeooya.htm

をご一読を。  社に謝。

[6434] イタキソ様のお出まし     生田淳一郎   2012/03/21(Wed) 11:53 [Reply]
ドン、おめでとう!!

 イタキソ様の語源が割れたヨ ! 但し、100点満点で 97点ぐらいかナ?

「ほどけ」へ導いた要因はいろいろあるが、大きくいうと次の三つかな?
● 「ててご(父語)が縄文語としてほぼ確定したこと。
● 10世紀ごろアイヌ勢力の主要一派が占拠していた地域が小千谷周辺だと判ったこと。これによって 日本語 / アイヌ語の相互関係がかなりのところまでつっこめるようになった。
● 十二社は 社禝の社であって「(先祖伝来の)土地」 → 「その土地」へと還元できること。

 ITAK--ISO を構成する TAK は神と置ける。タジク語を援用したいが TAX は王座・寝台なので、ちょっとズレる。ここはたか(竹)、ウタキ、ピリピノ語 itago (降霊)、などに含まれている *TAK *TAG(神)をたてる。*TAK はアラビア語、トルコ語などにもみられる。
ITAK は ITAG と同価である。I-TAK とは「神する・」・・・・すなわち祭ること。
 この次に SO(所)がくるので 繋辞 の I がたつ。これで ITAKISO の音の部分は完結しているはず。
 くり返し云いますが、 繋辞は縄文語の「ててご(父語)」です。

 3年ほど前になるか、ここ青草談話室で「社」を「そ」と読ませている例を一つだけ拾って取りあげたことがありました。
 そこで十二社。ここで使われている “ 社 ” は墓場という概念から発達してきた「場所」です。そしてこれはイタキソ様にもそのまま適用されているとみていいでしょう。

 ではなぜ、ソーという長音が短音の「ソ」にな(化)ったかですが、たまたまか (いや、必然らしい!)、絶好の好例が日本語とアイヌ語のあいだにみられるのです。長野県野尻湖近くのツバメ温泉のすぐ上にソウ滝があって、古代日本では滝をソーと発音していたことがわかります。この「ソー」がそのままアイヌ語になって、アイヌでは滝を「ソー」と云っていた・・・・・と、かなりの日本人が思っていました。
 ところが「なかしべつ・すがわらさん」は「アイヌ語には長音は無い」と指摘しました。
 そう思っ眺めてみると壮瞥や層雲峡などの SO は、「ソー」ではなくって「空知」のように短く「ソ」と発音するのが “ 本来の? ” アイヌ語らしいのです。
 そこで、大長刀をふるえば「 古代 10世紀ごろの日本列島語では ソー は ソ である」との措定が可能になりそうです。
 いっぽう、現代朝鮮語では同じハンギル文字を書いて、長音でも短音でもどっちでもいいので勝手に読んでくれ という非科学的なことをやっている。ついでにいうとハンギルでは清音でも濁音でもどっちでもいいので勝手に読んでくれと云ってる。こんなのが 15世紀になってできた文字かよ!

 そういうことをふまえると、滝は ソー でも ソ でも構わないということになり、イタキ社」は「イタキソ」になってもオカシくはありません。

 「なかしべつ・すがわらさん」は「ある漢和辞典には滝をソーとルビふっているのがある」と知らせてくれました。しかし、その後すぐに他界されたので、その辞典が今どうなっているのかはわかりません。
 イタキソとは「祭の場所」だった。ドン、長生きしてくらはい〜イヨッ↗。

[6432] Re[6431]: マントと川並さん     生田淳一郎   2012/03/18(Sun) 11:36 [Reply]
 下 [6431 ] の記述はヘンなふうになって終わってしまいましたが、オレがいいたかったのは、個人の人相風てい、ちょっとしたしぐさにはひとをトロかすような個性がにじみ出ている・・・・・、そういう人物が時として出現するのだから、顔も見ないうちtから好きだキライだを決めてしまうのは、勿体無いし、その人に対して失礼になるとおもうんでよ。なによりも自分(の人生)に対して不謹慎だし、これ、チャランポランな態度というべけれんや。

 ひとは、深い・浅いの程度の差こそあれ、ず〜っと人相学みたいなことをやっています。社民党の KO の顔をみて「あっ、この人物なら安心できるし間違いない」と思う人は一人もいないはず。
 ハナシポーンですが、セールスマンの最高の愉しみは自分の顔を練りあげることです。そこにはD.N.A様の枠がせもありましょうが、その枠の中で極致へと向かうのです。このへんのことは飛び込みセールスをやったことがある者だけの醍醐味でしょう。
 せっかく読んでくれてるのでこのへんで特別サービスをしておきましょう。
 日本人として安心できる顔とはどういう顔だと思いますか? これ案外カンタンなことですヨ。
 眉が「バッチリ、シッカリした人」です。
 どういう社会的淘汰が行われたか、具体的には知りませんが、芸能人にはバッチリ・シッカリの眉を持つ人が多い。伊藤久男、植木ひとしやクレージーキャッツのメンバーの顔をいちどひっぱってみてください。
 前漢をおこし高祖となった劉邦は流民でしたが、えもいえぬ人間的な魅力に溢れていたのではないでせふか。
 チェーホフは文学内容もさることながら、そのほほえみがメチャ素晴らしかったそうです。

[6431] マントと川並さん     生田淳一郎   2012/03/17(Sat) 12:38 [Reply]
 アレエー、多美さんは「小生」と描いておられますが、男性なんですかァ?  オレ、女性だとばっかし思っていました。女性のほうが好きになれそう。
 小生らは福岡県中央部の筑豊で育ちましたが、当時、山口高専という高校がありました。山口市にある高等専門学校ということでしょうか。
 いまから65年ほどまえの敗戦後、そこに川並さんという豪傑学生がいました。川並姓は日田にあるので日田の人でしょうか。


 旧制高校ですので高ゲタはいて腰には煮しめたような手拭いをさげています。頭にビッテン帽、裸のままマントをまとい、近くの農家をうろついて乞食みたいなこともやるのですが、いつも「スマンですなぁ」というので、その声ひとつで農家の人たちはホロリとなったといいます。
 この豪傑は「スマンですなぁ」のほかに、嬉しくなったときには「あんたもどうですか」というのが口ぐせです。
 ある朝、川並さんは地図をひっぱりだしてごそごそやっていたが、急に大きな声で「ワカッタ、この方向にまっすぐ行くと京都に行ける!」と言い残して勇んで出て行ったそうです。
 ところが、ひるちかくになって、じつにションボリして帰ってきた。「どうした?」と訊いたら「あすこでドツボに落て込んだ」という。それから下級生を呼びつけて、「オイ、洗え」と威張ったもんでした。

 この川並さんが映画館に入った。ムンムンする暑さなので川並さんはマントはうしろにまわしてほとんど裸になった。
 そこへ顔見知りの先生が入場して川並さんの隣の席に座った。
 「暑いですなぁ」だけでやめればヨカッタのに「ついに「先生、あんたもどうですか」と云ってマントで小柄な先生を抱き包むようのした。ムッとなった先生はすぐに映画館を出て行ったそうです。
 下級生たちがぶーぶーモンクこきながら洗ったマントはまだ十分にクサかったんだとおもいますヨ。

● 沖縄語がホントーに日本語と同じなら、それはそれでいいことです。でもちょっと方言をあたれば元寇が始まるまでは、沖縄はぜんぜん別の言語圏だったことが歴然として把握されます。
「日本本土も沖縄も同じなら、「アメリカからやっつけられる。「あんたもどうですか」となり易い。
 ウチナンチューはおとなし過ぎる。野田の面前で県知事みずからが「おまえはどこの国民なんだ、帰れ帰れ!!」と痛罵して、自らも腹切るぐらいのことをどうしてやれないのか。

[6430] Re[6428][6427][6426][6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  生田淳一郎   2012/03/17(Sat) 10:14 [Reply]
まっつぁん、きわめて強引に我田引水の「議論の場」に引き込んだようですが、なんのこたない。
 下 [ 6427 ]の背景にはオレと高橋稔が人生のエッセンス期をかけた 26年間にわたって話し合ってきた事に裏うちされています。
 意識は世界観と価値観に二分されているかと思いますが、うち、世界観のほうは大略のところで、現代物理化学が指し示していることに要約されましょうし、価値観のほうは、これから可能なかぎりオレが平べったく説明すりゃそれでいいことです。
 価値観・・・・・というと、ほとんどの人がうしろ首すじに緊張の電気を走らせるかと思いますが、下 [ 6427 ]でのべた<1> 〜 <6> のうち、どれを最優先順位にして事柄に適用しているか・・・・・その次には 残る 5種のうちのどれを採用・適用しているか そしてその次は その次は・・・・・の、選択の態様のことです。それをカンタンにいえば価値観だったというこってす。

 オレはバカかもしれんが高橋稔は珍しい高知能で、地位も名誉もつかぬままに 8年前死んでしまいましたが、「あの世みたいなところ」に迷いこんで、そこからシャバに戻ってくる道すがら、見せつけられたことどもから「価値観のことならコトバで云える」との確信を得たのでした。
 高橋稔はオレよか 9才とし下ですが、元全学連の闘士で、まったく飾りっ気のない男でした。高橋稔のいうことは人類のたから物だとおもいますヨ。これをじょうずに云えないところが、いまのオレの泣きに泣きたい弱点です。

 たとえばですね、宮古島の郷土史家さんが宮古島で発行されている同人誌を送ってくれたのです。みるとそこの筆者は元学校の先生だったとおぼしき人びとでしたが、その中で 5人も 6人もの人が奈良・京都の仏像とか文化に憧れているようなことを描いていたんです。
 それを見たとたん、オレは「ワッこりゃイカン」とびっくりしたのですが、どうしてそれがイカンのかに就いてはひとことも説明ができないんです。
 あれだけの艦砲射撃をうけたウチナンチューが、仏教や神社にあこがれるなんて、「そりゃ昔辿った道じゃんか、ヤメロヤメロ」の声がのど元まで突きあがってくるのですが、その先のことばがつづきまへんねん。やっぱ、オレはバカなんやろナ。
 でも価値観をたんねんにたどって行くなら、どの人も例外なく「ワッこりゃイカン」となること、ウケアヒです。

[6429] Re[6428][6427][6426][6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  多美 2012/03/17(Sat) 10:07 [Reply]
●外間守善


外間 守善(ほかま しゅぜん、1924年12月6日 - )は、言語学者、沖縄文化研究家、沖縄学研究所長、法政大学名誉教授。沖縄県那覇市生まれ。

沖縄師範学校在学中に現地入隊。國學院大學文学部国文学科卒、東京大学文学部言語学科研究生修了。伊波普猷の後継者として、琉球文学・文化研究の第一人者。琉球古典の伝承、琉歌『おもろさうし』を紹介した。1995年まで法政大学教授。1996年『南島文学論』で角川源義賞受賞。今上天皇・皇后に沖縄関係で度々進講し、琉歌の添削などもしている。2003年福岡アジア文化賞受賞。

剛柔流空手八段をはじめあらゆる武道に精通し、野球や陸上競技でも国体出場経験を持つ。


●伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、沖縄県那覇市出身の民俗学者・啓蒙家。

経歴

第三高等学校を卒業した後、東京帝国大学で言語学を専攻する。帝大では、橋本進吉、小倉進平、金田一京助らの学友とともに、新村出の講義を聴講している。

帰郷後沖縄県立図書館の館長を務める傍ら、沖縄研究資料の収集に尽力した。歴史学者の比嘉春潮とともに、エスペラント学習活動を、教会では聖書の講義などを行った。弟伊波月城は、沖縄毎日新聞の新聞記者として文明開化の為に活動した[1]。

学問の領域は広大で、沖縄研究を中心に言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐に渡る。その学問体系よって、後に「沖縄学」が発展したゆえ、「沖縄学の父」とも称された。

『おもろさうし』研究への貢献は多大で、琉球と日本とをつなぐ研究を行うと共に、琉球人のアイデンティティの形成を模索した。「日琉同祖論」はその探究の一つである。しかし『琉球宗教史の研究』では「琉球研究の開拓者としての功績は大いに讃えられて然るべきである。」と評する一方、その研究について「文献に偏重し、加うるに結論を出すに急であったために、幾多の論理的飛躍と誤謬とを犯したことも事実である」との指摘を行っている。また彼の思想の欠点は、近代日本がうみだした沖縄差別への批判が弱かったことで、そのため、沖縄人としての生き方に誇りをみいだすことにおいて、一定の成果をあげたが、結果として天皇制国家に沖縄をくみこむための政策に利用されることになった、という評もある。

民俗学者の柳田國男や折口信夫、人類学者の鳥居龍蔵、思想家・経済学者の河上肇らと親交があった。そして、友人の東恩納寛惇が浦添城跡の顕彰碑に刻んだ言葉が伊波を物語る。(ウキペディア)より

 
 小生はじめて「外間守善」さんの情報をみました、

まったく言語学のことは判りませんが、

生田さん琉球松さんのやりとりを拝見しますと、

かみ合わない原因の一つに、

生田さんは「外間」さんの事が『嫌い』なんではないかと思われます、

これを払拭して合意形成はとても難しいのではないでしょうか?

『好き&嫌い』はとても判りやすい表現と思います、

因みに、

ここに参加して人は、多分、神奈備さんが好きだと思います、

時々、乱入者がいますが、直ぐに、撤退逃亡(笑)、

以上、失礼しました。




[6428] Re[6427][6426][6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  琉球松 2012/03/16(Fri) 14:02 [Reply]
生田淳一郎さん

 難しい文章で、半分くらいしかわかりません(泣)。
 " 外間守善さんは『集団形成的真理』を追求している" 。。。それでもいっこうにかまわないんですよ。

 まあ、僕は "妥当性" と書きましたが、"説得力" に置き換えてもいいかもしれません。
 琉球方言や、本土方言のある単語の語源を探求する場合、外間守善さんのほうが説得力があると思えるだけのことなんです。

 外間さんは、自らが解明できない言葉を「未詳」とし、後世の研究家に委ねるとの姿勢ですね。「未詳」を無理に遠方の言語と繋げる作業を控えています。
 "Yes or No" だけではなく、グレーゾーンの中にもヒントがあると考えますがどうでしょうか?

 ところで。。。通称「マンタ(オニイトマキエイ)」なですけど、これってフランス語?の「マント」だと、ここでは俗説となってますけど、生田淳一郎の解釈は?

[6427] Re[6426][6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  生田淳一郎   2012/03/16(Fri) 12:29 [Reply]
 まっつぁん、ここで『集団形成的真理』ということをシカと考えてくれませんか?
 世の中の歴史観とか言語観がどう動いてゆくかではなくって、観測器をどこに据えるかにモンダイがひとつ残りますが、その観測器を覗いてみて、向こうに黒い丸が見えるか見えないかは二つに一つ。「あるかないか」のディジタルな分岐しかない。
 学問は真理の追求であって「世にへつらう人気とり」ではあっもっはん。「見える・ある」 or 「見えない・ない」の分岐が真理であって、そこにはアヤや中間はない。

 ウンジュとオレは、ここでスレ違っちょる。

三脚の立脚点は無数にあようですが、こころを鎮めて考えてみたら、そうも多くはないことに気づく。
 1ヶ月ほど前かな? 神奈備ドンもここに「すべての経験は記憶される」と書いているが、われわれはまず先祖の経験をD.N.A様のご配慮で共有している。これで集合自我という安楽椅子に凭りかかって会話もできる。

 ものごとは極端を考えればワカリが早い。「見える・ある」 or 「見えない・ない」とは Yes or No です。

 あっしゃ文学無用論の旗を掲げたときから、真理の徒として生きてきた。他人の思惑なんざ考えたことがない。真理が「おまえ(おれ)死ね」と言ったら、いつでも死のうと思っている。
 回遊魚のマンタは日本語なのか、借用語なのか。 外間守善さんは『集団形成的真理』を追求しているとしか思えないのでアリマス。

では、集団形成的真理のほかにどんな真理の場があるか・・・・・・。
 ひとつのテーゼが「受け容れられる or 受け容れられない」の基準によって “ 場” が出来ることを利用すると、<1> 眠気・食い気・いろけの肉 <2> 情・ロマン・ふれあい <3> ここ集団形成 <4> 心霊現象をどうみるかの宗教の場 <5> 物の存在理由や不見当識を問わない物理化学の場 <6> 経済 の六種類がある。

それぞれの見識や主張がみずからの立脚点が上↑のうちのいづれであるかを宣言してこそ、論旨の方向が鮮明となるのです。

この 1 〜 6の見解?  いわく、全分野総合俯瞰でアリマス。

■ <2>の情念での真理の場はわかりにくいと思いますのでひとこと。むかしサムライは毎日のように「殿様のご機嫌うかがい」に侍って、ものすごい時間を浪費した。ウンジュは言語をも情念で処理しようとしているのでは? おしなべて、ウチナンチューは集団形成にヨワいナァ〜。

[6426] Re[6421][6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  琉球松 2012/03/15(Thu) 10:19 [Reply]
生田淳一郎さんへ

 外間守善さんの言語学が完璧に正しいというのは、ご本人でさえ否定されています。
 つまりは妥当性の問題ですね。民俗学も神社の縁起解読もしかりです。地名の由来もそうでしょうね。
 『古事記・日本書紀』などの説明も、妥当性の高い説が支持されていいと思いますよ。

 ワン(私)は、琉球方言に関して最も妥当性が高いのが "外間説" と考えていますから生田淳一郎さんとはすれ違うわけでが、アイヌ語や朝鮮語、ベトナムなどの遠方の言葉でさえ妥当性があれば、それはそれで支持されると思いますよ。

 。。。奄美大島の「アリガンサマリョン・アリガタサマリョウタ・etc 」は、薩摩方言の「アイガトモシャゲモシタ」など、少なくとも「アイガタ・アリガタ」の部分はその影響と考えたほうが "妥当" じゃないでしょうか。
 このあいさつ言葉は、琉球方言では新しいわけで、薩摩侵略以前とは考えにくいわけです。

 いい機会ですので、琉球方言の「ありがとう」を、大雑把に拾ってみます。
*** 「アリガンサマリョン(奄美大島)」「ニフェーデービル(沖縄島)」「フガラッサ(与那国島)」「タンディガタンディ(宮古島西部)」「ニ(ミ)ーファイユウ(八重山諸島」「スデガフウ(宮古諸島)他」「ニフェビロ(沖永良部島)」「トウトガナシ(与論島)」「オボレダレン(徳之島)」「ウフクンデール(喜界島)」「フクラシャ(八重山諸島)他」*** まだまだありますがこのへんで。

[6425] 兵庫県丹波市柏原の「柏原八幡神社」の「青山祭壇の儀」に大阪天満宮「大将軍社」と同じ三神が・・・  そ(八筒光) [Url] 2012/03/13(Tue) 18:58 [Reply]
兵庫県丹波市柏原に所在する「厄除け八幡」として霊験新たかな「柏原八幡神社」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE)に毎年2月17・18日両日に行われる「厄除け大祭(通称・青山祭壇の儀)」に関する動画リンク。
http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=189475

(解説文より)
「兵庫県丹波市柏原町にある柏原八幡神社は、「柏原の厄神さん」の呼び名で親しまれており毎年2月17、18日には厄除大祭が行われ、およそ10万人が訪れています。18日の午前0時から行われる「青山祭壇の儀」とは、神籬(ひもろぎ)である青山祭壇に災いをもたらす神様もお招きし、厄除神社の三柱の神である「ヤチマタヒコノカミ」「ヤチマタヒメノカミ」「クナドノカミ」がおもてなしをするという神事です。」

ここで注目されるのはここの特設の神籬(ひもろぎ)である「青山祭壇」に招かれる三神「八衢比古(やちまたひこ)神・八衢比売(やちまたひめ)神・久那斗(くなど)神」
実はこの三神はあの大阪市北区南森町の大阪天満宮の北西に位置する「大将軍社」に祀られている三神と同じなのです、これは一体どういうことでしょうか。

その理由はこの大将軍社の解説をしているこちらのリンクに説明されています。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/daisyougunnsya.htm
もともと難波宮の世代に行われた「道饗祭(みちあえの祭り)」にて神招きしもてなして災いを消除するように祈願したのがその最初と言う「青山祭壇の儀」に似た意外なルーツがあったとの事。

大将軍神と言えば本来は祟りを成す「艮(うしとら)の金神・一説には「国常立命」」を連想し厄神と思ってしまうのですが本来は大切に祭祀しもてなしさえすれば逆に善神となり人々の災いを取り除いてくれると言う意外な霊験をもたらすとの事で違うイメージの三神の信仰が今も息づいている事に現代社会人の心のふるさとを感じさせます。

[6424] Re[6418][6415][6412]: トイレの神様  生田淳一郎   2012/03/12(Mon) 11:06 [Reply]
 >3月7日の そ(八筒光) さんの・・・

● 《富士見るや 三月七日、八日ごろ》

これは明治初年、江戸から静岡市の駿府に移住してきた武士の雪隠に張り紙がしてあったのを、杉順道がみつけてうれしくなったので親分すじの勝海舟に告げた句です。
 雪隠は当時加番長屋と呼ばれていた仮設住宅のもので、八軒長屋だそうです。
 杉順道がなぜ嬉しくなったかというと、貧乏貧窮のさ中にあっても糞をしながら富士山を眺めながら一句をひねっているなんざは貧乏旗本の気持ちに余裕がでてきた証しだと感じたからだそうです。

 勝海舟が 28才のとき22才の杉順道が初めて勝の「ぼろ塾」を訪ね、そこでオランダ語の文法などの講師となるのですが、杉順道は終世勝から離れず、勝のすぐれた観察者としての姿勢を貫きました。
 勝としても、もし杉がいなかったら、勝固有の世界観・価値観はもっとちぢみあがったようなものになっていただろうと小生はおもうんです。
 たしかに勝海舟は飛びぬけに秀でた人物ですが、認識とは医者の打診と同じく、世間を叩いてみて、その反響音響でより正確な認識へと近づくものだと思うからです。
 そういう意味あいでは、維新〜明治期に占める杉純道の位置はすこぶる大きなものがあったと思われます。
 日頃の杉は勝に冗談を云ったり冷やかしたりしましたが、そういう日常の会話こそ、ひとを育てるのだと思います

[6423] Re[6422][6420]: 紀氏と百済  キノ 2012/03/11(Sun) 19:34 [Reply]
神奈備さま、ご回答ありがとうございました。分かりました。

[6422] Re[6420]: 紀氏と百済  神奈備 2012/03/11(Sun) 13:33 [Reply]
> 木羅斤資

 もくら と き とはつながらないと云うことで、最近は云われなくなりました。


> 百済
 和歌山の遺跡からの出土物は、高句麗、新羅、伽耶の影響が多いようで、どうも百済の影が薄いように感じています。
 しかし、まだまだ出土して来るでしょうから、「今のところは」と云う程度だと思います。

[6421] Re[6419]: 沖縄語アリガサマリョータ  生田淳一郎   2012/03/11(Sun) 11:19 [Reply]
  下 [ 6419 ] への蛇足追補です。
■ 沖縄人が tsu と zo という日本流発音を云えなかったとしたら、これは由々しいかぎりで、やっぱ沖縄はある時点から前は、使用している基礎発音が、言語として「日本のそれとは別系統だ」ということに帰するのではないか・・・・・と、思います。
 すなわち、「強力な反対論がないこと = いつのまにか正しい」との権威主義による集団錯覚に支持されて、「沖縄語と日本語は起源的にも系統的にも同一だ」とする外間守善さんの論旨主張はまちがいだということです。
 「ある時点から前」とは、沖縄が歴史の舞台に出現した 元寇のころの 13世紀以前です。

■ アリガサマの「サマ」は、アイヌ語のヤイシャマネナ(自らのこころ・歌)の心情吐露とか アネコサマ(真似る)にも見られてかなり族際的ですが、沖縄の名詞形成末尾辞 の -SA にベトナム語の -ma(強調接尾辞)がついても得られる語形です。
「なんと! ベトナム語?」 といってアワ吹くなかれ。沖縄ででよくしゃべられる マーカイメンソーチ(どこ行くか)末尾辞の -ti はベトナム語と同一なんでアリマス。

■ まっつぁん、トウトガナシではなく、なんとかいう奄美大島方言の「ありがとう」を紹介しておられましたが、アレ、何でしたか。過去ログをあたってみたのですが、キカイ・オンチのオレの実力ででは引っぱりだせません。
 いずれにしろ、奄美大島に二つ(以上)のアリガトゥがあるということは、すくなくとも沖縄の言語はシマごとで発達してきたことを物語っているかと思います。
 そしてこのことはただちに、「沖縄語」ということの概念把握に深甚なワク枷をやらかします。
 ひるがえっておもえば、日本列島の周りが海であることが、日本語を考えるうえで極めて重要になってくるようです。

[6420] 紀氏と百済  キノ 2012/03/11(Sun) 08:28 [Reply]
神奈備さま、素人の質問で度々すみません。坂本龍馬らが紀氏で吉田松陰が百済聖明王の子孫と書きましたが、紀氏と百済王家が同族である可能性がありますか?例えば木羅斤資は百済王家と関係しませんか?

[6419] 沖縄語アリガサマリョータ  生田淳一郎   2012/03/10(Sat) 13:25 [Reply]
 まっつぁん、)ウガミドゥサ(奄美大島弁 ; お久しぶり」
奄美出身の超美人・わがシセリヤ姫の解説によれば「ウガミリョーサ(奄美大島弁 ; お久しぶり」とは、「ウガミ(拝み・・・相手の顔をおがむこと) do:(遠)サ(であることよ)」・・・・・すなわち「遠い」とは「間どおい」ということ。「ひっさ拝まなかったね」という意味だとか。

 ■ もう3年前ということになるのかナ、沖縄のキジャハ方言をあたったときは、ウチナンチューはツ , tsu という音をきわめてニガてにしている・・・・・との印象を強く受けけましたが、こんかいは借用さきの日本語の「ぞ,zo 」という発音を云えなかったのではないかとの疑念をつよく持つにいたりました。沖縄では日本語の「ぞ」は法則的に「ド、ドー」になるのではないでしょうか。
たとえば「これぞ我が身の誉れ」は「これドゥわが身の誉れ」とか「最後の一戦ぞ」は「最後の一戦ドゥ」、「おれぞ」は「オレどー」のようになるのではないかと、カンぐります。
 ヘンなことを書き始めましたがワケがあります。
 同じく奄美大島弁の「アリガサマリョータ(ありがとう)」を分析するとき、ここはどうしても「リョー」の原音は *do: でないと納まりがつかないと思えるからです。ここを、例によって事実無知のままヤミクモに薮こぎさせてみて下さい。
 そこでさっそく「アリガサマ△△・・」を分析したいのですが、その前に伊計〜宮古〜平安 島に残っている「イヤビンド(入るヨ)」、「ケヤビンド(帰るヨ)」を眺めおく必要がありそうです。
 イヤビンドも、ケヤビンドもともに IR(入る)、KHER(帰る)の原音 IR, KHERの R が法則的に Y と訛って 、且つ即刻IYA ,KEYA へと開音(-a づけ)された語形だと判ゼられます。
 「ビンド」とは 原音 「bir-ぞ」であり、 bir とは英語の BE動詞の be(在る)であり、気仙沼〜三陸の「◯◯だベッチャ」の「 ber だと思われます。bir とか ber は世界規模でいえば「です」ですだべっちゃ。◯
 前後したようですが「ーぞ」とは強調を伝える語末辞で、この点、朝鮮語日本語の「・・・ta, da」とも同列語でしょう。
 (そしてイマイチ、 強調の -da が法則的に -ya に換わることもおニラミおきください)。「
そうなるんだ」でもいいし、「そうなるんや」でもいいわけです。そして、強調が出たついでに、ベトナム語の -ma が強調辞であることも、ここでつけ加えておきます。サマ」の ma です。
 イヤビンドとは「入るぞ」です。「ケヤビンド」とは「帰るぞ」です。

 さてお待たせ。 
 日本語がワーワー入ってきて人口が凋蜜化し都市化してくると「ドォー」が昔ながらの強調だとは云えなくなる事態が発生します。「ウガミドゥサ」の普及によって「ドォー =遠い」がまぜくるのです。
「アリガ・・」までハッキリ聞こえて頭まで下げられたんじゃ、聞く人は「有り難う」としか聞かなんです。
 そして奄美大島弁の「アリガサマリョータ」は前述のように「アリガサマドー」でもよかったはずです。いや、始発は「アリガサマドー」だったと思います。

 だから、「アリガサマドー」があちこちで喋られるうちに「有り難味」が薄い、「有り難た味に疎遠だ」という解釈があちこちで生じてきて、世の中が皮肉屋だらけになる!!
 そこで「ドー」を「リョー」へと捻くれた音hと変えた。ドジャ。

 ところで、坂本竜馬もヨメさんの “竜 ” もリョウマ、おリョウと呼ばれた。だれぞ、この屈折がわかる人、いないかね。

 

[6418] Re[6415][6412]: トイレの神様  神奈備 2012/03/10(Sat) 08:43 [Reply]
> べんじょがみ=便所紙
>
> 誤解を招く、
>
> トイレの神が判りやすいですね。

厠神と云うのが雰囲気がでます。川の上に作ったトイレは水洗式です。朱色の矢が流れてきたりもするようですが・・・

[6417] Re[6416]: 「日本三大」明星神社・・・てあるんでしょうか  神奈備 2012/03/10(Sat) 08:43 [Reply]
3月7日の そ(八筒光) さんの投稿に、
> 「日本三大甕星(明星)神社」となるとやはり

@茨城県日立市大甕町6-16-1 大甕神社
A愛知県稲沢市国府宮1-1-1 尾張大国霊神社
B大阪市住吉区住吉2-9-89  住吉大社

をあげていました。ご本人の要請により消去しましたが・・。
ただ、Aについては、出雲を無視できないとして、出雲大社をいれていました。

出雲を持って来たのは慧眼です。
 『出雲国風土記』楯縫郡の條に、「神名樋山。峰の西に石神がある。高さは一丈、周囲は一丈である。そこに行く傍らには小さな石神が百余りもある。古老が伝えていうには、『阿遅須枳高日子命の后の天御梶日女命が、多久の村までおいでになり、多伎都比古命を産み給うた。

 とあります。天御梶日女命は天津甕姫ですから、天津甕星は阿遅須枳高日子命と言えるのでしょう。

阿遅須枳高日子命を祀る有力神社を三つあげるとしますと、

陸奥(磐城)国 白川(東白川)郡 都々古別神社
大和国 葛上郡 高鴨神社
出雲国 神門郡 阿須伎神社

あたりでしょうか。

[6416] 「日本三大」明星神社・・・てあるんでしょうか  でんごろう 2012/03/09(Fri) 19:57 [Reply]
神奈備さまへ、ご質問があります。
先日まで「掲示板」にちらっと出ていましたように思えましたが
大甕神社以外に「日本三大甕星神社」というのはあったでしょうか。

もしくはそれ以外に金星信仰に縁が深い霊地というのは存在するのでしょうか。
またそれをあげると「三大」に匹敵するのはどこでしょうか。

[6415] Re[6412]: トイレの神様  多美 2012/03/09(Fri) 17:33 [Reply]
>  群馬県吾妻村六合村では、便所神を 烏枢瑟摩明王(ウスサマ)と言うようです。

便所神の話は、隣の長野原町史にあったように思います、

なお、六合村は現在中之条町に編入されました。

しかし、

べんじょがみ=便所紙

誤解を招く、

トイレの神が判りやすいですね。

[6414] Re[6413]: 無題  神奈備 2012/03/08(Thu) 15:54 [Reply]
 これらの件については、席亭は門外漢です。
 どなたか、お知恵をお貸し下さい。

[6413] 無題  キノ 2012/03/07(Wed) 19:11 [Reply]
はじめまして。名草の神々等、興味深く拝見しております。少し質問させてください。坂本龍馬・西郷隆盛・明治天皇の生母(中山慶子)・楠木正成は紀氏、高杉晋作は孝元天皇の子孫のようですが、明治天皇の南朝正統論と何か関係がありそうですか?中岡慎太郎の出身地北川村(奈半郷)には、かつて紀氏の荘園があり紀貫之の親戚が住んでおり、武内宿禰やその子孫を祀る多気・坂本神社(坂本臣は紀氏の後裔)があり、北川風土記にも「き族」が住んでいたと書かれています。また吉田松陰が百済聖明王皇子の子孫(多々良氏)、毛利氏・桂小五郎・大隈重信らは天穂日命の子孫(土師氏)等の事実と王政復古との関係はどうでしょうか?

[6412] トイレの神様  神奈備 2012/03/03(Sat) 17:02 [Reply]
 群馬県吾妻村六合村では、便所神を 烏枢瑟摩明王(ウスサマ)と言うようです。
 福岡県相ノ島では、厠神を、ウツシバミョウジンと呼ぶようです。ウツシバは烏枢瑟摩か?

 『竈神と厠神』飯島吉晴 講談社学術文庫 から

[6411] Re[6410][6402]: 『保元物語』  神奈備 2012/03/01(Thu) 13:53 [Reply]
 ところで、首里城東側に「美福門」と呼ばれるかつての外門がありますね。平安京と同じ名の門が存在すると言うことは「得子」との関連がありそうですが、この門は国王就任の際に「御内原(オウチバル)・大奥のようなもの」への入城ルートとなっていたようです。

オウチバル
テンペストでしたか、NHKのドラマで出てきていましたね。

[6410] Re[6402]: 『保元物語』  琉球松 2012/02/29(Wed) 10:35 [Reply]
 『保元物語』の内容は、琉球の正史『中山世鑑/首里王府 1650 』に、唐突な感じで挿入されています。

 薩摩侵略以前から「源為朝」の伝説が奄美沖縄には存在していて、琉球王国の始祖的扱いにはなっているんですけも、本人の来琉があったかは疑問ですし、何かあやしい感じなんですよ。

 ところで、首里城東側に「美福門」と呼ばれるかつての外門がありますね。平安京と同じ名の門が存在すると言うことは「得子」との関連がありそうですが、この門は国王就任の際に「御内原(オウチバル)・大奥のようなもの」への入城ルートとなっていたようです。

[6409] Re[6408][6407][6406][6405]: ワード検索の要領をお教えください     生田淳一郎   2012/02/27(Mon) 16:08 [Reply]
● 神奈備ドン、重ねがさねキカイ・オンチといわんか、半キチガイにおつきあいさせてしまいました。アリガサマリョータ



  厨子市の天才さんにタジク語文化からうけた日本の「清冽」や氷のセッピから滴り落ちる水滴こそ神であったことなどを告げたところ、天才さんは即座に「それは縄文からだよ」と力づよく言っていました。
 タジク語は縄文語、ネパール語は弥生以降だと措いてみると身ぢかに感じられるようです。

●  [ 6290 ] を次のように並べ換えてみました。
《 (こしおう(高四王・古四王)、いするぎ)、またくら、すもん、たた、よな(胞)、まつお(苧)、あつぐし(熱串)、(うとう(善知鳥)》
 こういう語彙群に正面から立ち向かおうとすれば、少なくともドン・キチ・・・ぐらいの評価は得られるのではないですふか。
 でも、なんのことやら、かいもくわかりまへんねん。

 しかし、百済語か新羅語かが、古代のコシのくにの海岸に打ち寄せ、大昔からの「連綿」の響きを伝えていることだけはワカルような気がします。
『こしおう(高四王・古四王』をみると、コシの国はウイルタ語に残っている COSI(朝鮮人)ではないことが判ります。コシの “ KO ” は長音の「コー」だったらしいからです。
 ではナニかというと、今のところタジク語の KOX(山)が浮上します。
 常識でもエツのくには from 朝鮮だと思っている人は多いかと思いますが、言語による古代開発は、くま(英語 korner)なく照射するんでアリマス。

 ここで拾える成果は「くに」と「山」でしょう。それぞれの神様がいます。
  人里近く、姿優美な山、神々が降臨され、鎮まる山。・・・、かむなび神奈備掲示ひらきのタンカキリ・・・・・まさに珠玉のことば。

[6408] Re[6407][6406][6405]: ワード検索の要領をお教えください     神奈備 2012/02/27(Mon) 12:20 [Reply]
>  そうするってぇと、右上にあるワード検索というマドは Google とイクオールということやろか?

 右肩の[ワード検索]は、掲示板の中を検索するもので、期近の100件のみが対象です。過去ログは
http://kamnavi.jp/log/index.htm
にありますので、ここから探す場合には、
kamnavi.jp/log キイワード と二つの言葉でGoogle 検索して下さい。 

[6407] Re[6406][6405]: ワード検索の要領をお教えください     生田淳一郎   2012/02/27(Mon) 10:36 [Reply]
 神奈備ドン、アリガサマリョー(奄美大島弁 ; あが)
 そうするってぇと、右上にあるワード検索というマドは Google とイクオールということやろか?
 6290 を追いかけまわしたのですが「次の20」と「前の 20」がごっちゃになりましてん。
 アハ〜ン、過去ログから入ればいいんかと、おもいついて、目下6290 を追いかけているところざぁ〜んす。
 事務処理スピードは往時の百分の一におちました。焼け尻・・・にござんす。

[6406] Re[6405]: ワード検索の要領をお教えください     神奈備 2012/02/25(Sat) 20:58 [Reply]
検索では、
yahoo検索   http://search.yahoo.co.jp/
Google 検索  http://www.google.co.jp/webhp?hl=ja&oe=Shift_JIS&ie=Shift_JIS&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2
が著名です。

新潟の神社では http://kamnavi.jp/log/ktba1110.htm

[6290] [6291]
付近を参照して下さい。

[6405] ワード検索の要領をお教えください     生田淳一郎  2012/02/25(Sat) 15:05 [Reply]
 神奈備ドン、小生はやっぱこのさいアイヌ / 新潟県をめぐって社会運動をやってみようと思いたちました。イマイチのご指導のほどを。
 新潟県の神社で八幡、諏訪、稲荷、十二社野文字がつかない神社といえば小生は「弥彦、コタ神社」ぐらいしか知らなかったのですが、先日、ドンから多くの同系神社をおしえてもらいました。
 サテそこでもういっぺんそれを見てみようとしましたが、キカイ・オンチの小生の力の外でした。
 このさい、画面右上についている「ワード検索」の使い方を教えてくれませんか。キーワードを「新潟県・神社」として打ち込んでみたのですが、あたらずといえどもちかからずの回答しかでませんが・・・・・・。

 ■ コタ神社のコタの意味は「紀のコサミ」の koth で、部門の謂いでしょう。これはインドネシア語の kota(都市、都会、街)やアイヌ語のコタンと同根だと思います。
 直江津で船関係の「部門」の神が祭られていたのがコタ神社かと。

[6404] Re[6403]:  はさみ と伽耶     生田淳一郎  2012/02/22(Wed) 09:10 [Reply]
 しまった! 伽耶にはもう一つルートがあった。
 それはアラビア語 kal(金属精錬)で、L 、R を徹底的に Y とするクセが、ここにはたらけば kaya がでます。

 ついでに・・・、ネパールで天国と解されているカイラース山も、カミナリのことだと思います。

 アリューシャン〜北米のインディアン〜イヌイットは玄武岩に挟まったようにして出てくる鉄片をだいじにして、動物の毛皮剥ぎに使っていますが、これはカミナリの熱で溶けてできた自然溶鉱炉の産物だろうと・・・・・。

[6403]  はさみ と伽耶     生田淳一郎  2012/02/22(Wed) 08:52 [Reply]
  とみたさん、小生は目下、タジク語は大幅にスピードをおとし、頭を冷やしながらぼつぼつやっています。下記は参考になるかと思って・・・・・。
 次のようにタジク語・朝鮮語・ネパール語のあいだに「鋏」が類似をみせています。
 タジク語 kaichi(はさみ)/ ネパール語 kayci(はさみ)/ 朝鮮語 kay(はさみ)。
 じつはタジク語は kaйchi・・・と、i は йの文字を用いているんです。このй は日本人には馴染みのない母音で、いうなればY・J ふく
 みの特殊な母音です。いや、普通なら イの音でいいのですが、これが開音化されてくると kaja 、kaya という語形に転じます。

 カイはふつう、朝鮮語の雷神ですが、「雷神 = 鍛冶」で、鍛冶の神がカイだったと、小生は認識しています。
 伽耶とは上の kaya でしょう。

 ネパール語の kayci 、タジク語のkaichi にある -chi 、-ci とは何かというと、これはインド語一般にみられる -ti(事物)でもいいのですが、ここはタジク語の ciz(物)がドンピシャです。
 はさみは「「鍛冶のもの」ということで造語されていることを認識させられます。

 ネパール語には「する」という語が、そのときそのときに応じて 十数種ありますが、中でも -aunu には「◯化する」の意味があり、これは日本に入ってくると ア、オ、オウ、オーになっています。祀る → まつろわぬ、語る → 語らい などがそれです。
 これを吉備の加夜、賀陽に代入すると kay-a 、kay-au が得られるかと思います。

[6402] 『保元物語』  神奈備 2012/02/19(Sun) 20:24 [Reply]
 古史古伝なる書物があります。   

ウガヤ朝の代数として下記の数字があります。
ウエツフミ 72代
富士文書  51代 皇后摂政22代 あわせて73代
九鬼文書  72代
竹内文書  72代

 一代約10年とし、神武さんを紀元後100年位と想定しますと、ウガヤ朝初代が紀元前600年と『日本書紀』の神武即位年代に符号します。弥生時代の開始にも重なりそうです。

 さて、テレビでは「平清盛」と言う番組が放送されています。『保元物語』を見ていますと、冒頭の節に、「ここに鳥羽の禅定 法皇と申奉るは、天照太神四十六世の御末、神武天皇より七十四代の御門也。」とあります。

 確かに、第七十四代天皇で鳥羽天皇は保元元年(1156年)に法皇として崩御、直後に保元の乱が勃発しています。

 神武天皇が天照太神の四十六世の末と言うことが書かれていますが、所謂古史古伝とは異なった伝承があったのでしょう。

[6401] ホメられたヨ      生田淳一郎  2012/02/18(Sat) 09:52 [Reply]
 この掲示板で 十年余書かせてもらっているが、オレの言うことを褒めてくれた人は、だぁれも居なかった。いままで得た評価は BIKZ(毒虫)のそればかりだった。いや、ちょっと云いすぎたか。おれは 三度ほどここを離れて旅に出たが、おしまいになって旅発つ直前・・・・・・だから、 4年前ということになろうか、あるネパール語関係のご仁が「これはホンモノだ」と、短く評価してくれたことがあった。
 戻ってきてそのご仁をちょっと探してみたが、キカイ・オンチのオレには掴まえることができなかった。

 ところが、今回はちがう。レッキとした私立図書館の館長さんが「すばらしい」との評価を下すったのだ。館長さんは、あっしの “ 手法 ” について十分な理解を示して下すった。
 おへまに赤貧の洗濯をさせて 40年。棺桶に両足を突っこんでいる今、こんなお褒めを戴こうたぁ思ってもみなかった。
 

 イヤラシい BIKZ ムキは 「おまえ(オレ)のこった、それを言質とったことにして、イヤラシいことを画策してるんだろ」とカンぐってくることだろう。
 だがナァ、ホンモノは人生の内か外かにはかかわりなく、必ず光り出てくる紋だとオレおもうヨ。

 この手法と成果が世間に広がって行ったら、ひょっこっとしたらオレが生きているうちにシュジュホーショーとやらが来るかもしれん。
 名誉はイランがゼニがほしい。
 そんときゃゼニの半分を神奈備ドンにあげる。

[6400]  蛋民語縦横無尽 1   生田淳一郎  2012/02/17(Fri) 15:32 [Reply]
  こんかいは「つく」
 全く整理できていませんので、時間をかけて、ゆっくり読んでください。蛋民語とおぼしき語彙群を浮き彫りにする必要は 10年
前から感じていましたが、これを系統だてて並べるとなると、いつまで経っても着手に至らないのであります。

《 一般形 》 就く つかず離れず 舟をつける 横づけ つけこむ つけあがる 目鼻がつく くっつく ほっつき歩く  ガン
(眼)をつける やっつける(yar はネパール語 ; 苦痛・拷問)  根づく(移植) うづく(痛み) 取りつけ詐欺 取ってつけ
たような すがりつく 手をついて詫びる 手づけ銭 勘づく たてつく むかつく ハンダづけ ロウづけ 縫い付ける
《 ・・・をつく、つける 》 話をつける 気をつける 槍をつける  付き合い 都合(tug--au)をつける ケチつける
 つけ届け 焚きつけ つけ木 火・灯をつける 気つけ かこつける(恰好つける?) 躓く 承諾を取りつける 後をつける 
病みつく  書き付け( → つけうま)  繕う 顔つき 目つき 貢ぎ ひっつく 惹きつける くちづけ 餌づけ つき合わせ 
「さん」づけで呼ぶ  
《 ・・・につける》 目につく 鼻につく 身につく 《 位置》 奥付き 中付き 下つき 《着手》 御手つけ(将軍の) 縛(バ
ク)につく
《 到着・着く・落着 》 落ち着く 縁づく 片づく 憑きもの  いたづく(病床に伏せる) 極みつけ 縛りつける くくりつけ

《 習慣 》 行きつけのバー しつけ( → 躾) 
《獲得・掴む》 つける(博打でゼニ・財物をモノにする)  叩きつける 乗りつける こぎつける 睨みつける 嗅ぎつける
 怒鳴りつける   《 動詞 + つく 》 食いつく 噛みつく 植) ふりつけ  寄りつく 取り付く 聞きつける 投げつけ
る(九州弁はこつける) 押し付ける 照りつける 泣きつく 抑えつける 踏みつける 着つけ 据えつけ 思いつく
 とっつき(いちばん手前) 行きつく 這いつくばる なすりつける 駈けつけ三杯 かしづく(kas = タジク語の人) 焦げつく 巻きつく 擦りつける 見つける 見付 
《 名詞 or 形容動詞 + つく》 おじけづく  悪態をつく 名づける ことづける(伝言) 見附 見付 大目付 役づき 課長
付 日付  凍てつく 味方につく うちのダンツク  受付 おいつく おっつけ来るだろう こびりつく がぶりつく べとつ
く べたつく イチャつく 貼りつく
《 次 》  つづく(つくつく) 継ぐ 
搗く 》 うなづく(<うなじ搗く) こづく(九州弁 ; せきをする < コホづく) 鞠をつく 
《 酒をつぐ 》  /アイヌ語 ; tuki(杯・岩槻)
《 担ぐ 》 ひとをかつぐ(だます) アイヌ語もka = 上 
《 つけ(記帳・跡支払い)》 つけうま 


 ーーー★ ★ ★《 似て非なる「つけ」》★ ★ ★ーーー

《尽きる・尽く》 合いそうをつかす たたなづく(遠くと置く尽きない)
《 築く 》・《突く》・《告ぐ》 塚(朝鮮語も) つっかかる うそつく 
《 突く 》 こづきまわす(ko =包合のko・・・これ) ほうづき 胸突き八丁 
《 漬く 》 ミソ漬け かづく(水にもぐる(<アラビア語) かづく(着物で頭部を被う) みずく屍 みおつくし 湯づけ 
《 むつき 》(おしめ・・・・・・ mut は小便。ムツ布) 
《(つき・調・・・ネパール語 ; めんどうをみる)
《 つくし土筆 》 (原語はウイルタ語に残っている)
《 雫 》・・・タジク語で「真実」。宗教用語
《 五木 》・・・サンカ用語 ; 定着すること、居つく
《 月 ・運がつく 》・・・語源はネパール語の chuk(吉兆)
《 つくも 》・・・九十九と書く地名 ; 塩だんご 《 厚木》・・・地名 《 藻ずく》・・・食べ物 
《 ふるつく 》・・・フクロウに方言

《 オノマトペア 》 でんつくでんでん つっけんどん つくづくイヤになる つくねんと座る つくつく法師 うろつく まごつ
く 

[6399] Re[6398][6397][6396][6395]: タジク語とは     生田淳一郎  2012/02/16(Thu) 14:22 [Reply]
 終戦後まもなくの昭和 23年頃、ちかくに住んでいたアンちゃんは旧制中学を出るとすぐに鍛冶工員になりました。
 するとその秋、ひどい皮膚病にかかりました、どこの医者もにかかっても治らないんです。そこでおふくろの故郷にある冷泉の『寒の地獄』に浸かったところ、イッパツで快癒しました。
 地下深くから噴上げてくる鉱泉にはいろんな鉱物が含まれているということもありましょうが、くだんの沸点上昇・氷点降下で、マイナス零℃以下になっていても凍結しないのです。皮膚病菌のほうも零度以下の温度は想定外だったらしく壊滅したのでした。
 長時間、急に高温に接すると生体は統御機能を失うのかもしれません。風呂からあがるときには、足もとに水をかけるといいそうです。

 2万年まえ、イヌやオオカミの毛皮をかぶってトナカイを追って北上した人類は、冬、どんな住居に住んでいたのでしょうか。
 
 ダニは適当な木の枝に掴まっていて、下を通る動物を何十日も何百日もジーッと待ちます。動物が直下に来た瞬間、枝を離れて動物の上に落ち、落ちたらすぐに、そんじょそこらの毛にしがみつきます。このダニの習性を皮膚病菌が見逃すはずはありません。なんとかしてダニにしがみついて、ダニといっしょに好機到来を待ちます。
 
 いわゆる地熱というやつで、土は 1m も掘れば 10℃ぐらいの気温を保障してくれます。北に入った古代人たちがこれを見逃すはずはない。
 もちろん、動物をふくめて全員が穴居生活をするのですが、そこで襲われるのが湿気です。男はカァちゃんといっしょに暮らそうとするが、カァちゃんは子供をつれている。一家が同じ洞穴に住むとたちまち全員が皮膚病になって痒い痒いと言いだす。
 永いこと皮膚が湿気にあうと皮膚は弱まります。毛細血管から末端の皮膚細胞までの栄養補給には、ビタミンCとコラーゲンが必要なんですが、ヒトは体内でビタミンC を造れないからです。

 アイヌにはコシンプクとかコシンプイと呼ばれたヘンな人間がいたことが語り継がれています。小生はこの人たちはどこかの軍隊から逃げてきて山奥で生活していた人ではないかと推量していますが、彼らはアイヌポルといわれる洞窟に住んでいたそうです。この場合のアイヌとは人間という意味で、人がやっと一人か二人入れるぐらいの狭いポル(poru = hora)で、最初は野宿用の仮説住宅だったのかもしれません。
 いずれにせよ、 小生は単独住居だった穴居に注目したいです。

 子母沢寛著『勝海舟』によれば、勝海舟の剣の師匠だった島田虎之助は毎日井門ばたで水をかぶっていたそうです。
 そして日本には「水ごり」という言葉が伝わっています。
 神経をキュッと引きしめる一番の方法は氷水かぶりではないでしょうか。その水ごりとは、「父語族」に伝わっていた皮膚病避けの習慣では?

[6398] Re[6397][6396][6395]: タジク語とは     生田淳一郎  2012/02/15(Wed) 14:04 [Reply]
 乾燥した日がつづきます。年寄りは痒くってたまらねぇや。

 そういう次第で、古代日本語のヒ(氷)は、タジク語 ЯX を介して英語ドイツ語の ice やネパール語のヒマラヤの hima(雪・氷)と同根だったのでした。いや、古代日本語を ヒ としたのは直接にはネパール語だったと言い換えましょう。ネパル語の冬は hiudo です。
 さきに小生はタジク語の冬を紹介した折に、綴りをまちがえて simisyon とやってしまいました。正確にはシミストン・・・simiston ですので訂正します。
 タジク語 oftob(太陽)を紹介したときに tob(輝く)を少し述べましたが、 tob には [ 熱、熾烈さ、最中 ] のほか、 [ 力、忍耐、我慢 ] の意味があります。そして tobston は夏です。
  ところが一文字ちがって tobiston となると [ 苦しい ,苦痛を与える、堪え難い、ひどい ] という意味になります。
 これらは「冬は極寒 零下 30℃、夏は灼熱」と化す中央アジアの気候をいっていることかと思われます。


 内蔵にできたガンが消えたといって大喜びをする人びとのことをよく見聞きします。
 √ いま死ぬともみえず 蝉しぐれ ・・・・・、ちょっとのあいだ、いのちが助かったところで、こんどは本当にすぐに死ぬのですから、大喜びはアホウのぬか喜びであることはミエミエです。
 厳しい自然の中で生きる人びとは、ちょっとしたことですぐに死んでしまいます。
 平安貴族の文学や「もののあわれ」には、短いいのちへのエレジーが中核にあるかと思えます。その根源は中央アジアにあると思います。
 こういう厳しい自然の中にあって、人びとは死ぬまでのあいだに少しでも「本当のところ」で生きたいと願うでしょう。
 ここに「当面の延長されたいのち時間」に乗っかって、そこそこのゼニや財産獲得を第一選択基準におくアメリカ型の生き方に対する「ホンモノ志向」としてのイスラームの “ 根 ” 絡みああっている。

 安本美典著『日本語の誕生』には 54種の基礎 200語彙・一覧表が載っています。
 54種の言語でもかなりもものが拾えるはずです。「へば、各言語で ice のことは何というのだろう」と、みてみました。が、この一覧表には ice の項目はありませんでした。安本美典さんが選んだ 200語彙は、なんとかいう学者が提唱していた基準に従ったのでしたが・・・。

[6397] Re[6396][6395]: タジク語とは     生田淳一郎  2012/02/14(Tue) 15:47 [Reply]
 600種の一覧表へ、80の言語から得られる該当語彙で埋めてゆく作業は、学者さんたちにやってもらうと、たちまちのうちに完成することでしょう。
 だが、学者さんたちはなかなかオイソレとは動けないんです。このことについてはのちに語りたいところです。
 小生としては、辞書の入手は東京外大に頼ろうかと思っています。

 しかし、そういうことをしなくっても、人間には整理する力と直感力があります。
 タジク語のつぶやきをジーッと聴いていると、天皇様や皇后様の志向とは「人=神意識」に裏打ちされた “ 清らかさ ” にあることが伝わってきます。その清らかさ志向を、そうあらしめた構造は、北海道に入った父語を喋る「オタシュツ・アイヌ」と、「清水」という語を生み定着させた偏執に見出せるかと思うんであります。

 otaʃ とは炎です。炎は別に alanga ともいい、これは「荒神様(くどの神)になっていなす。そして 水がいのちです。
 ここに水よりもっと冷たいものへの希求心がはたらきます。それが「氷」です。

 途中ですが「 otaʃ ツ」の ツ は 日本語に tsu(ツ = ・・・・・の)をもたらした張本だと思います。ツという音はロシア起源みたいなことを感じさせています。また前後しますが、出雲に上陸して帝国を創った人びとと、オタシュツ・アイヌは同一氏族だと置きます。

 ここで想いだすのが 10年ほどまえに RKB が放映した『ガンジスを遡る』というルポです。
 ガンジス河の水源はセッピ(雪庇)で、そこから滴りおちるしづくが「いのち」であり、神でした。

 タジク語の氷は辞書にはЯX と書いてあります。Яはロシア文字で、ほかの多くの言語が 1 のことを ikと云っているのに、あえて Яk と書いているのです。で、Яは「イ」でいいのですが、どうも現地発音はただのスナオな イ という母音ではなく j がらみで日本人が聞いたら「第二の母音」だと受け取ることだと思われます。
 Яx の x はブッフの フ で、 k に音転しやすい h です。
 これが古代日本に入ってきたとき、日本人は「ヒ」として受け取り、「氷」の字を宛てました。

 出雲に遺されているナゾの「氷、斐、簸」の三つに急接近していることをご確認あれ。
 簸川、斐川、氷川のカワとは「 ka(◯◯の)wa(人)」の謂いでこれはネパール語です。

[6396] Re[6395]: タジク語とは     生田淳一郎  2012/02/14(Tue) 11:55 [Reply]
 イタキソ様のところで拾った朝鮮語の so は、日本語の su に対応しています。一定の床にウジャウジャと物が集まっていることが su です。
 浅い湖面や海岸に張り巡らせた定置網から引き揚げたス箱をのぞくと、いまあっしの目の下に、ウジャウジャと大型の魚が背中を見せています。
 ス箱に入っている魚とス箱は「タジク語」という名前という名で呼ばれているというわけです。
 その魚の種類を尋ねると 60 か 80匹にはなるでしょう。その魚群の一つが日本の精神文化の中核を形成し、日本は四方の海から守られて、古き良き時代の醇風美俗を温存しつづけることができたのでした。
 その日本の精神文化の中核を形成した言語とはナニか・・・・・。それは、今はわかりませんが、とりあえず、「父語」という名前をつけておきます。
 どうして「はは語」にしないのかというと「はは語」にはハハ〜ンという響きがあるので、気抜けするのでイカンとです。
 「おまえ、ふざけているのか?」という声がありましょう。たしかに、小生はこの期におよんでふざけているんです。

 20年前からネパール語を中心に、と(外)つくにの辞書が入手できる限りにおいて約 45種の言語を読みました。40年前は 4人の家族を抱える身分で、あたまキチガイみたくになって仕事も手につかず、ほ〜んとコロされそうになりました。
 ス箱に片足をあげて、下をのぞきながら、掴まえたネズミをイタブるネコみたいに、「ここで仇が討てるとの心情」を愉しみたい。
 きょうはバレンタインデーだとか。「たまにゃ美味しいものを食ってもいい」・・・・・は、やっぱ、ダラクでっしょうか。


 もう、こうなったらテキは袋のなかのネズミです。
 父語をみつけ出す作業はいともカンタンなことです。
 基礎 600語の項目をまずつくって、いっちょいっちょ 1oo語種ぐらいの語彙をあて嵌めてゆけばいいのです。

[6395] タジク語とは     生田淳一郎  2012/02/13(Mon) 12:05 [Reply]
 ここんとこ小生はタジク語をおべんきゃう中ですので、ついついタジク語のことを書いています。
そこで、このへんでとみたさんから教えてもらった知識を中心にしてタジク語周辺をまとめてみました。

  今のところ「タジク語」としか言いようがないので、小生は「タジク語」という表現を借りていますが、現代のタジク語とは、歴史に名を連ねたそうそうたる言語群の混成語です。そこには
 <1>アラビア語 → ペルシャ、テュルク語群(最大の話手がトルコ語) 。
 <2> ギリシャ呼びのスキタイ語 = ペルシャ呼びのサカ、サカイ語 = いまではトーロッパ語の一つ 
    とされている トカラ語。
 <3> ソグド語(中央アジア 〜 シナ共通の貿易語)
 <4> 満州語(タタール、韃靼語)。
 <5> モンゴル諸語  ツングース諸語
 等々が入り乱れた状態で混入しているとのことです。

 日本語はネパール語から深甚な影響を受けましたが、そういった「ネパール語」という意味も、上のタジク語観と同じ様に、いろいろな言語の混成によってできあがった言語・・・・・ということで概念を把握すべきことが要求されているのです。
 とにかく、小生がここの掲示板でいう「ネパール語・タジク語」とは、現在見られるままの姿ではありません。

● 上の<1>〜<5> で混成されたタジク語とは、これはもう「「中央ユーラシア語」とでもいうべき言語です。
 しかし、日本に与えた精神文化の影響は、タジク語のほうです。神社に譬えればれば、ネパール語は拝殿で、タジク語は神殿です。鳥居のところに突っ立っている人びとは蛋民(揚子江の筏暮らし、の倭人)です。
 タジク語を構成した言語の一つひとつは、いちおう身振り語〜咆哮語〜オノマトペアに根を下ろした “ 自然言語 ” であろうことが予測されます。
 その、「日本文化の中核に影響を与えた“ 自然言語 ”」とは、どこでしょう!!
 この捜索は単に知的好奇心を満足させるだけではありません。ここには人間の本然的倫理観の発達過程が提示されているはずで、キリスト教以前の、世界を指導できる論理スジを包含していることを示唆しているのです。
● こんご “ 詰め ” を行わねばなりませんが、小生はこれまで知っていた朝鮮語によって、タジク人は朝鮮半島を経由して日本列島にはいった・・・・・と、断を下しました。
 これまで知っていた朝鮮語とは タジク語 pok (清い)、清水の sim 、アブジ(父)の aBdʃ 、kay(はさみ)、*sil(強、厳)など僅かですが、この選択はまちがいはなかろうと思っています。
 これら遺されている朝鮮語は、朝鮮の「大衆」が遺したものではなく、当時の支配階級だったタジク語系の西洋語だったことだと思います。
 
 自然は朝鮮やシナの大衆には、一家に一本の鍬しか恵まずに、農民たちは疲弊しきっていたのでした。

[6394] Re[6392][6390][6387]: コモリ神社?  生田淳一郎  2012/02/12(Sun) 12:40 [Reply]
 神奈備ドン、返すがえすも、いろいろな古代語のご教授、まっこと有り難うございます。
> 社の左東の川を コカワ コノ川 と言う。籠の川のこと。
● そうすると古代人は北から風景を見ていたということになりますね。これはドエライ視野です。
  この視野がどこまで一般形として演繹できるか、こんご大いに楽しみです。
  たしかに、「東に川を持つ住居は」、いちおう一般形です。
  籠をゴと発音したのは時代が降ったあとのことなんですね。意味もかなり変わってら。

まっつぁん、
 アイヌ語に touto(柱)がありますが、なにか参考になりませんか。柱はいろいろなことのシンボルでしょうけど。
 *gan 、 *kan は「考え」だと思いますが、「 gan a si 」とガナシ(考える人)とは重なりませんか。
 gana という語形は gan の開音化された語形です。
 これは「オモイガネ」のルートでは?
 小生はこれまで si(人)をネパール語起源だとしてきましたが、正確にはアラビア語起源でした。謹んで訂正します。

 ウンジュのお書き込みのうち、三度に一度は再生とか生まれ代わり願望のことが出てくるようですが、なにかウチナー語で甦りとか再生願望をあらわす語彙はありませんか。こんかい神奈備ドンのみ教えのコ(東)あたりも再生を含んでいるのかもしれません。
 というのも、ネパール語で東は ud ですが、佐々木天才さんのみ教えにも *sud(再生)がありました。この場合、S- は強調接頭辞です。
 また、タジク語の柱は stun いいますだ。英語の stone の系統かもしれませんが。

[6393] Re[6390][6387]: コモリ神社?  生田淳一郎  2012/02/12(Sun) 11:47 [Reply]
 そういえば、石灯籠というのがありました。石で作った灯のカゴ。
 石灯籠まではピタッとして問題はないのですが、盂蘭盆に下げたり飾ったりする盆灯籠となってくると、ガゼン問題が出てきます。
 タジク語 roh には霊魂、タマシイ、精神、ユーレイの意味があるからです。
 「そりゃ考えすぎだよ」との声が聞こえそうですが、どっこい、そうも行かなくなる・・・・・。というのも、日本語にはカギロヒという語があるからです。「光神 + 精霊 + i 」がカギロヒ。盆灯籠とは「精霊の灯火」で、ドンピシャ。kag-i のイは繋辞です。

 へば、ヒモロギはどうなるべか? 
 roh--木を援用すれば「ロギ」の部分は「霊木」だと、すぐに答えは出る。が、 himo のところがウマく行くかない。
 日本語の宗教用語はアイヌ語と大幅に重なるというので、アイヌ語を援用すると oro(内にある)がありました。
 そうすると、この場合は「ヒを内在した霊の木」となろう。が・・・、次に「ヒとは何ぞや」が待っている。
 ここで想いだすのが東大のクソヂヂイがいう「神威」。チ(霊)との同根語としての「ヒ」。何でもかんでも、神の発動という概念に収斂させるヤリクチ です。
 あんがい正解は「陽のmo(大地)」かも。

● 古代のシナで国家規模の祭礼をとり行う必要が出たとき、現在のタジク語を形成した有力一派の考え方とか儀式が採用されたのではないでしょうか。

● 貴人のうち、とくに身分の高い女性をじょうろう(上臈)と呼んでいました。こういう語彙もシナが借用したのかもしれません。
 お江戸チャンバラもの・山手樹一郎の小説には「ろうたけた」という女性についての表現が出ています。これについて辞書と相談しましたが、どこの辞書にも出ていませんでした。
 養老、用賀などという日本語あたりも、こういった薮の中から這い出た語彙らしい(R → Y の音転 )。

● これまで小生は「まつろわぬ」や「語らい」等に用いられている「 r(u)--aunu 」は、ネパール語の造語形態で処理してきましたが、すくなくとも 「カギロヒ」、「ヒモロギ」はタジク語的で、その例外だとせねばならなったということです。

[6392] Re[6390][6387]: コモリ神社?  神奈備 2012/02/12(Sun) 09:47 [Reply]
>   籠神社は、ふつう何と発音されているのでしょうか。

『式内社調査報告』から
籠は古 守を添えたのは後世のこと。
コモリ コモル の義に非ず。
社の左東の川を コカワ コノ川 と言う。籠の川のこと。
従って、本来は「コノ」神社との呼称。

[6391] Re[6390][6387]: コモリ神社?  琉球松 2012/02/12(Sun) 09:31 [Reply]
 神奈備さん、トウトガナシ(ありがとうございます・与論島方言)。

[6390] Re[6387]: コモリ神社?  生田淳一郎  2012/02/11(Sat) 17:43 [Reply]
> 籠神社の籠 こもり とのルビを見つけました
● 有り難うございます! ということは、籠神社の籠を「こもり」という人は極めつきの少数派という
  ことになりましょうか。
  こうなると多数決で決めたくなりますね。
  籠神社は、ふつう何と発音されているのでしょうか。

 カゴなら、「光の神」だろうか。カ そのものに「鳥」がみとめられるし、「篭はハタゴのように ゴ と
 もいう。
 カゴとは元もと「鳥籠」だったともいえましょう。


※ 鬼は図体が大きいだけで、異次元へ出たり入ったりはしないような気がしますが・・・。
  これが、シナ感覚では、卑弥呼に用いられているように、「鬼道」となると、異次元へ出入りします
  ね。
  日本人が怖がるのはユーレイにょうに「異次元へ出たりは入ったり」とするのが怖く、「いよいよ怖
  いものはナニかワカランヘンなもの」でしょうか。

[6389] Re[6388][6387]: コモリ神社?  神奈備 2012/02/11(Sat) 09:20 [Reply]
 事八日については、触れられていません。

 大阪市には、御堂筋に大江橋と淀屋橋がかかり、西側の四つ橋筋に渡辺橋と肥後橋がかかっています。ふたつあるのは、川に長細い中之島があるからです。大江山の鬼退治をしたのが渡辺綱、偶然の命名かな。

[6388] Re[6387]: コモリ神社?  琉球松 2012/02/10(Fri) 08:55 [Reply]
 籠神社と『日本の鬼』。。。鬼となれば、ほぼ日本全国に分布する行事「事八日(コトヨウカ)」との関係が推測できますが、同書にはその関係は語られていないでしょうか。

 「事八日」は、12月8日や2月8日に鬼が闊歩する恐ろしい日とされていて、人々は家内に隠ってやり過ごすというもので、目籠を軒下などに吊るして鬼を避けるようですね。
 鬼は、目にコンプレックスを持っていますから "目が多い" 目籠ということになるのでしょう。

[6387] コモリ神社?  神奈備 2012/02/09(Thu) 21:57 [Reply]
籠神社の籠 こもり とのルビを見つけました。近藤喜博氏『日本の鬼』講談社文庫。

[6386] Re[6385][6384][6383][6381][6380]: コモリ神社?  生田淳一郎  2012/02/09(Thu) 09:30 [Reply]
> 高級神女の「キコエ」は、たんに美称辞と化していて「世に聞こえる・世に轟く」で、ほとんど意味がないようです。

● へば(津軽弁)、わが存念のほどを開陳させてくらはい。

 語源未詳のまま、次から次に日本語を詰めこまざるをえないウチナンチューに、心から哀悼の辞を捧げたくなります。
 武士が好んで用いた家紋は、インドネシア語発の pna ha (弓矢 → 花)をどこまで写しているのか、植物を図案化したものが多い。その家紋の原型はアラビアにあるそうです。天皇家の菊紋もアラビア発です。
 ことばだけでなく、いろんな考えかたも起源地アラビアに、その偏執の源を辿れるようです。
 まして、軍略や外交、政治に関する語彙は、国境を越えて広範囲に普遍化してゆきます。
 hamla(攻撃)、hukum(命令)などは族際語になっています。
 密教がさかんに気にした “ 黄色 ” もアラビア発で、坂上の田村麻呂のヒゲが黄色かったなどというのもこれでしょう。
 五個十六国・・・・・は、なにも正確な数字に基づくものではなく、菊の花弁のことだと思います。
 乱れにみだれた軍閥の剣を一つに収斂させようとする意気込みのシンボルが菊の花です。
 菊はニギ(その土地の安寧)とともに国家形成時の流行語でした。
 この菊は朝鮮・シナともに同様の発音をしています。ベトナム語でも cuc(菊)、khuc(野菊)がみられます。
 ついでのことで云いますが、タケノウチの「ノウチ」はベトナム語で「国」ということで、ククリ姫とかククノチは、そのままの語形が日本に入ってきているようです(いま一つ、ネパール語の “ 刀 “ が考えられます・・・・・)。ククノチとは「国の菊」です。

 kiku-o は「菊に宿った神」で、急言によって「キコ」になります。
 キコエの大君の e には「カギのあるエ」が遣われていないでしょうか? ye の系統なら、これは「◯◯させる」という意味でしょう。が、ただの「エ」ならば、この意味は「貴」です。
 ye なら「菊神にさせられた、選ばれた」の意味でしょう。

 小生は、キコエとは「すべてを統括する第一人者として選ばれた人」 だと解釈したいです。
 この裏には、「自我 = 神」の思想がはたらいているものと見受けられます。

[6385] Re[6384][6383][6381][6380]: コモリ神社?  琉球松 2012/02/08(Wed) 14:49 [Reply]
 奄美方言は詰りぎみの傾向がありますから、その「ノロクメ」は、沖縄諸島の「ノロクモイ」の転と考えていいと思います。
 「籠」が聖なる行為であれば、本土側でも神官が社などに隠って神事を司どるんでしょうかね? 再生の観念もあるとすれば「子守」とするのも間違いではないように思えます。

 それと、「聞得大君」の字があてられている高級神女の「キコエ」は、たんに美称辞と化していて「世に聞こえる・世に轟く」で、ほとんど意味がないようです。

 ついでなんですけど。。。神奈備さんが紹介された「天忍穂耳尊・大山祇命」は海神でしょうから「忍穂」は「潮(ウシホ)」と解釈できるでしょうか?

[6384] Re[6383][6381][6380]: コモリ神社?  生田淳一郎  2012/02/08(Wed) 12:49 [Reply]
 まっつぁん、
 しずかァ〜にご提示の語彙をみていると、 kum , gum には、表面的には「隠」が目につきますが、その奥には「雑世間との交渉を “ 断つ ” 」が浮上してくるようです。
 もっとも、語彙の変遷は発音の推移ではなく、含まれている概念がちがってくるのが基本なんでしょうけど。

 ネパール語 gumsiaunu は「醗酵させる」で、酒造りのことです。
  gumsiaunu の aunu は「◯◯化させる」で、いよいよ末尾の nu は「する」です。

 gumsiaunu の si は、風だと思います。で、 gum が「閉ざす」こと。密閉して空気の出入りを閉ざして三日もすればドブロクができるわけです。
 アイヌ語でカビを kumi と言ったり、岡山県で「お茶の葉がクミた」というのもこの類いだべか。

 ところで「キコエ」をどう分析されますか?  われに腹案あり。

[6383] Re[6381][6380]: コモリ神社?  生田淳一郎 2012/02/08(Wed) 10:42 [Reply]
 神奈備ドン、重ねがさね 有り難うございます。
 「子マモリ」でしたか。
 子供がなかなか育たなかったのは、昭和の中期あたりまでつづいていて、「子マモリ」の神は庶民の切なるネガヒでした。
 
 また 「ミクマリ」ですかァ〜 ?
 このへんの解釈(分水嶺 → 配る)には、ことばを承け継いだ世代に、時代の断絶があったみたいなことを直感するのは、あっし一人だけでしょうか。
 「我田引水」の水争いがあったのはなにも吉野や熊野だけでもなく、また、クマリなどという発音が喋られていたのは稲作以前の臭いがします。

 ハナシ・ポ〜ン ですが、関係あります。
 アイヌ語で ubassiri an というと「雪だべ」で、 an は状態や継続をいいます。
 タジク語に obistan(妊娠した)があります。末尾の an は上と同一。
st は英語の stand に見るように「する」が基本。日本語では「す」でしょう。
 そして ob は水。 obi の i は語幹を繋ぐ母音の「繋子」で意味はありません。
 「水をし始めている」が「妊娠している」・・・・・・。水子とはここに起源を発せしものにしあらずや。

 そして「岩田帯」。 i--wata(腹・内蔵)とは、「腹をする」こと。そしてここに “帯 ” の語源も現われています。
 こういう「水 (= いのち)」がコモリ始めるのが妊娠にしあらずや。

 当時、ご懐妊であらせられた神后皇后は腹に石をぶら下げて三韓征伐をなさったそうです。
 haya は「いのち」、これは from アラビア語。 hay は 朝鮮語の岩。 hará → haya 。


 雪だべ。おへまの里ではもう 5mの積雪だべ。
 タジク語で冬を simisyon いいますだ。「凍み」がクッキリと出てますだ。

[6382] Re[6381][6380]: コモリ神社?  琉球松 2012/02/08(Wed) 10:40 [Reply]
 「籠」が「コモリ」と呼ぶとすれば、こちらにもヒントがありそうです。

 奄美沖縄の神女「ノロ」は、敬称がついて「ノロクメ(奄美)・ノロクモイ(沖縄)」などと呼ばれていて、この原義は、聖域に「籠る・隠る」ことで様々な祈りと再生を祈願する事ですね。
 宮古八重山の神女「ツカサ(司)」も同様に、岩場などの聖地に隠って太陽神との交わるとされています。

 また、琉球国の最高神官「キコエ大君」の就任式は「セーファーウタキ」で行なわれますが、彼女は深夜一人で隠るって太陽と結婚?することで、正式に大君となります。

[6381] Re[6380]: コモリ神社?  神奈備 2012/02/07(Tue) 18:56 [Reply]
籠神社  籠この 神社

> 「コモリ」なら、もっと由々しい意味が出るかと思います。

 吉野に子守神社と称する神社が鎮座しています。吉野水分神社、ミクマリ→ミコモリ→コモリだとか。

 山城国乙訓郡 子守勝手神社(こもりかってじんじゃ)小守社は、農業に大切な用水をつかさどる水分神を、勝手社は、国土を開き国家を守り悪魔を降伏せしめる天忍穂耳尊、大山祇命などを祀る。

[6380] コモリ神社?  生田淳一郎 2012/02/07(Tue) 12:07 [Reply]
 神奈備ドン、正誤、削除にお手数かけました。有り難うございました。

 つづいての質問です。「籠神社」は、なんと発音しましょうか? いま少々めんどうみてくだしゃい。

 カゴでもコゥでも、それぞれネパール語、タジク語で立派な意味が出るので、小生は「どっちでもいい」と構えていましたが、これが「コモリ」なら、もっと由々しい意味が出るかと思います。すなわち kom-oli で「最高の願い」です。

 小生が生まれ育った稲築町は、福岡県のほぼ真ん中に位置しています。そして稲築町南の山田市東に山岳密教の大法山があって、そこから北へ 12のコブ小山の連なりがあって、その果てに鴨ヶ岳があることは先に述べました。
 その鴨ヶ岳の麓の集落は中籠(なかごもり)といって、永水さん、中並さんが代を重ねています。このナカは国が出現する前の「くに」であり、「土地」かと思えます。「並み」は「名前を同じくする人」から転じて「同族」だろうかと思います。

 kom は狛犬のことで、ここに書きましたが、「神への願いをスムーズに聞き届けさせるように」との考慮から、拝殿の前に置かれたのでしょう。その狛犬の吼え声は、「アウン」で、これはインドネシア語にありました。ライオンの吼え声でした。


 稲築町の北には飯塚市があります。飯塚駅の東一帯は「菰田(こもだ)」といいます。
 たしかに、マコモ(真菰)は牛が好んで食べ、牛を育てる草ですが・・・・・。その “ 菰 ” とは別に、「願いを聞きとどける神」として、 kom-o があったのではないかと思うに至ったのです。群馬県渋川市の東に「こもち村」があり、近くの山にはコブがあって、子供を抱いていると思わせる岩もあります。しかし、コモチの チ は、とてもタジク語的です。


 この飯塚市には「イキス・伊岐須」というキミョウキテレツな地名があり、茨城の鹿島神宮、香取神社と対抗するようにして息栖神社があります。九十九里浜には北九州固有と考えられてきた合わせ瓶棺が出土しています。
 ネパール語、タジク語だけではなく、古代にはもう二つか三つの西洋系言語が混入していると看たほうがいいようです。

[6379] 眼の修復     生田淳一郎 2012/02/04(Sat) 16:37 [Reply]
 朝から晩までタジク語辞書を読んでいるうちに、ついつい目の周辺コリをとる体操も怠りがちになって、目がわ〜るくなりました。
 そこで兼ねてから読みたいと思っていた『驚遺の視力回復法』(三笠書房・中川和宏著・ 1300円)を取り寄せて読みました。
 読み始めてすぐに「コリャ、ホンモノだ」と思いましたが、もう 4 ~ 5回精読して、自分でもできるやりかたを開発したいと思っています。
 それでも、次のことは誰にでもすぐに実行できるし、即効性もありますので、お奨めできます。

● アントシアニンを服用するなら「北欧産のものに限る」。
  アントシアニンが目にいいことを日本に紹介した人は、著者の中川先生です。
● チンした蒸しタオルを目と首スジにあてる。
● 二十秒間、極右・極左、極上、極下をぐっとにらむ。
● 風呂に入ったとき、シャワーを 2分間(つぶっている)目にあてる。湯加減やシャワーの噴出力の刺激が過剰になないように
  気をつけること。
● 目の(眼球の)上の漥みは三本指で、下の窪みは二本指で、指圧するようにして十回づつ抑える。

 いづれも、いちどこの本を読んだあとに、とりかかってくだしゃい。
 中川先生の治療所は名前を ビジョン・フィットネス・センターといい、東京・相山で、電話番号は 03 3499 2975 です。

 次の 2点は上の中川先生の本にはありませんが、とっときの秘法ですので、ぜひ試してみてくだしゃい。
■ カルキを抜く必要があるので、前の晩から洗面器に水をはっておき、これに裸眼をつけて 5 〜 6回、目をぐるぐる廻す。
■ 冷たい掌なら両膝のはさんで、熱くなるまで両掌を擦り、この両掌で皿をつくり、「両の掌から素粒子が昇りたっている」と
  の想念のもとに、その湯気に両眼を開いて、これをあてて目をぐるぐる廻す。目のぐるぐる回しは 5 〜6回。
  何回やってもかまいません。45年もまえ、導引術から得た秘法です。

※ パソコンでの目の疲れは、お手玉あそびが極めて効果的です。
  今ならミカンが出回っています。失敗しながら 60回はやりぬきませふ。

 神奈備ドン、諦めちゃオエン。このさい、弱いほうの目を復活させましょう。
 ああ、この書き込みが佐々木さんのお目々に止まらんやろかナァ〜!!!

[6378] Re[6373][6372][6371][6370][6368][6367]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/02/01(Wed) 14:52 [Reply]
 《 千株もの芋草 》・・・・・・ 1 から拾いました。
  芋を古代語にそってウモと発音してみると umu(生む)が懸け言葉されていることに気がつきます。
 umo の O はタジク語で食べ物のことですが、そこまで考えるのは邪道に属することでしょうか。
 この話には白鳥伝説がつきまとっています。千株・・・・・チカブとはアイヌ語 chikap(鳥)。

 《 赤い玉 》・・・・・・ 2 から拾いました。
 玉(ギョク)の朝鮮よみは オク。いっぽう ok は朝鮮語の「男の子」。
 この「子」という概念のところに「卵」が入ってきて、朝鮮では卵から生まれる人間の物語がいっぱいできました。

 アイヌ民族が佐渡島にいたことはタシカです。小千谷市にマンジューがあることによって、小生は新潟県一帯にもアイヌがいて、そこを神社を中心とした武力団が結束してアイヌを追い払ったのではないかと考えています。
 その神社勢力とは十二社、諏訪、八幡、稲荷の四勢力に分かれているようです。
 千株の芋草・・・・・、こんな話が残っているところをみると、アイヌはもっと日本(?)に接近した場所にいたのかもしれません。

 《 姫語曽 》・・・・・・・ 2 から拾いました。
 ワカリマセンとシャッポを脱ぐべきところです。
 が、ゴソの部分は後世の「盲目の歌い手」のゴミソなどに通じているのではないかと思われます。
 

 その他、ワカラン言葉はいっぱいありますが、浦島子物語 1 〜 8 の追跡はこれで エンド。

[6377] Re[6375][6374][6371]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/02/01(Wed) 12:39 [Reply]
 さきに、トヨ・ウケを社禝と訳しました。
 これを日本流の社禝だと置けば、ヒコジ(ウマシアシカビーーの)は、朝鮮〜百済・新羅流の社禝かもしれませんね。
 ワカランまでも、ワカランままに √ ♫♡ 前進々々また前進 肉弾つづく ところまで ♫♡ あるね。

[6376] Re[6375][6374][6371]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/02/01(Wed) 12:38 [Reply]
 さきに、トヨ・ウケを社禝と訳しました。
 これを日本流の社禝だと置けば、ヒコジ(ウマシアシカビーーの)は、朝鮮〜百済・新羅流の社則かもしれませんね。
 ワカランまでも、ワカランままに √ ♫♡ 前進々々また前進 肉弾つづく ところまで ♫♡ あるね。

[6375] Re[6374][6371]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/02/01(Wed) 12:25 [Reply]
> 日置 ヒキ と言う氏族がいて、測量に司ったとされています。日=太陽に結びつける  
よりも、土地に結びつけた方が理解がしやすいかも。
● ヒオキとばっかし思っていました。有り難いです。
 武蔵の児玉七党のひとつ・比企氏とはこれにありつったか!

> 瓊かね
● うんだ、あがあが。
 
> 日本列島が大陸から完全に離れたのは、約1万3000年前だそうです。津軽海峡は1万8000年前。
● これも有り難うございます。数字オンチ・キカイ・オンチ、漢字オンチ・・・ここに谷まれリ。
  しかし、未だボケちゃいないつもりですので、あと少しだけめんどうみてくだしゃい。

[6374] Re[6371]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    神奈備 2012/02/01(Wed) 11:19 [Reply]
>  一つは従来の小生主張の タジク語 pir(宗教上の指導者)ですが、このごろ有力候補として浮上したのが 朝鮮語の hik(土地)です。この hik に神や男を表わす - O がつけば、即、ヒコ概念に似合った ヒコが生じます。

 日置 ヒキ と言う氏族がいて、測量に司ったとされています。日=太陽に結びつけるよりも、土地に結びつけた方が理解がしやすいかも。


> “ 二(文字拾えず )”
 瓊かね?


> 朝鮮半島と日本列島のあいだに海峡ができたのは、何万年前でしたか。
 
 日本列島が大陸から完全に離れたのは、約1万3000年前だそうです。津軽海峡は1万8000年前。
 

[6373] Re[6372][6371][6370][6368][6367]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/01/31(Tue) 12:45 [Reply]
 《 うらかし 》・・・・・・ 5から拾いました。
 これまで小生は、アイヌ語に残っている ram(こころ)は、日本語では tam 、 dam となっていることを強調しすぎたようです。語頭の R をいえない日本の古代人は ウをたてて uram と言い、次に末尾の m を落として ura とし、ここに「ウラ = こころ」が日本語として定着していたのでした。
 このへんから、恨む、うら悲しい、うら病む(うらやましい)、占いなどが派生したのでしょう。
 「うろん臭い」なども、このへんからでしょうか。

 ウラカシの「カシ」は、一見すると古語によくある推量の「・・・ぞカシ」に似ていますが、ここで使われているのは推量ではないと思えます。ここはタジク語の kaʃ でみると乱雲が消えます。
 ついつい「ここはタジク語の kaʃ でみると乱雲が消えます」と書いてしまいますたが、適用できる語形が二つあってちょっと困っているところです。一つは kaʃang(美しい、きれいな、優美な、典雅な)で、もうひとつがオカシナイのところで出てきたkaʃ-(引く、引っぱる、引き寄せる)です。

 5 では 「八十島を率て巡りて宇良かし給へども・・」ですので、ここは「こころ惹かれる」と訳したいところです。


 《 舟木さん 》 ・・・・・・ 3から拾いました。
 舟木さんのことは、どこかで述べました。 ki が木とか材木のことではなく「舟の」と訳すべきだとしたのでした。
 これは ネパール語の ki(・・・の)の適用でしたが、タジク語での ki 、tʃ 、dʃ などには「まぁそういったもの」を示す末尾辞があって、ニャンともいえなくなりました。


 《 アジハヤオ 》 ・・・・・・ 2から拾いました。
 これまでの小生なら、なんらの迷いもなく アジ とみたら、すぐにネパール語の adhin(支配者)をもってきて適用させるところでした。が、タジク語の *azi 、*az には「雄大な」とか「すばらしい」、「親愛な」などの意味があるので、ひと筋縄には行かなくなりました。
 「一つや三つの言語だけを見ていたんじゃオエン」ということは、皆しゃんがたにも鋭意訴えたことでしたが、それは生田の淳シャンにも言えることでした。
 「男は三日合わなかったら、これを刮目して見よ見よ」。こんごの淳シャンの変貌に乞ふご期待 ざぁ〜んす。

[6372] Re[6371][6370][6368][6367]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/01/30(Mon) 17:16 [Reply]
  《 いわきの太郎 》 ・・・・・・8 から拾いました。
 石原祐次郎が流行っていたころタフガイなどという言葉がはやりました。
 小生が育った筑豊では「タンコ(炭坑)太郎」とか「ケンカ太郎」などの言葉を聞きました。
 浦島太郎とか桃太郎、金太郎などの太郎は、ハシカみたいに、日本列島を駆け抜けた一種の流行語だったのでしょうか。

 いわき市の地図を見ると、四つ五つの池が目につきます。
 タジク語の湖は kol ですが、ネパール語のみずうみは tal いいますだ。ネパール語の talau は池、沼です。
 利根川の別名 ; 阪東太郎の tal は一面の湖だったときに付けられた名前だと知れます。
 別に 若い女を taruni といい、末尾の ni は女性を示す ni(尼さん)ですので、手許の辞書には載っていませんが、若い男をいう tar もあるはずです。
 また、taluk-- には「責任者、その部門の長」があって、これはオキナガタラシに近い概念だと考えられます。

 「いわきの太郎」は、初めは池や沼にことだったのが、ハナシが弾んで浦島さんを呼び込んだのでしょう。
 もっと北へゆくと、瑞巌寺のサイタロぶしがあります。この「タロ」はタジク語で「歌」という意味です。

 とまれ、東北の、とくに岩手・宮城の異質言語地帯を敵とし、ネパール語勢力とタジク語勢力が共同して防御〜攻撃をやっていたのではないかと考えられます。

 《 ヒココ・ヒコいます 》 ・・・・・・ 6から拾いました。
 「ヒコ」の語源にはいろいろと考えさせられる資料が出てきました。
 一つは従来の小生主張の タジク語 pir(宗教上の指導者)ですが、このごろ有力候補として浮上したのが 朝鮮語の hik(土地)です。この hik に神や男を表わす - O がつけば、即、ヒコ概念に似合った ヒコが生じます。

 ところが、ここに「ヒココ」なる語形を拝まされて、はじめっからやり直したほうが早いものを感じます。

 「ヒコ・イマス」は、タジク語の hik(叡智)-0 をもらい、イマスはネパール語の bas- (棲む、宿る、泊まる)をくっつければ、いちおうスンナリです。(意味は、叡智におわすお片様)。
 このような、あっちの言葉、こっちの言葉を、チョン切ったりくっつけたりは・・・、タジク語勢力とネパール語勢力の共同作業があったことを前提として成り立つことでしょう。

[6371] Re[6370][6368][6367]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/01/30(Mon) 13:52 [Reply]
 応援あが。
 ここの掲示板だったかで、ある人が永年の研究の結果、ニニギの尊にあて字されている “ 二(文字拾えず )” は、翡翠のことだとの結論に達しことを表明されました。
 アイヌ語にある ninu’(玉を繋ぐ)は、この埒内のことでしょう。この場合の nu が、ネパール語の「する」です。

> 奴奈川比賣命
● 奴奈川を天然自然の「奈川」の名前だとした場合(人の意味もある)、ぐっと 上流に中奈川という地名があることに注目さsせられます。有名な上高地の東で、南北に流れる川です。
 アイヌ民族出身でアイヌ語学者の知里真志保博士は、「アイヌ語には<na=水>はない」と言ったのでしたが、「 na =流水」なら、あったのではないかと思っています。

 ちょうど幸いなことに朝鮮語辞書がどっかへ遊びに行っています。たしか朝鮮語にはも naka で水辺という意味があったと記憶しています。

 そうすると 奴奈 だけでも「ヌの川」の意味がでましょうか。

◆ 前後しますが、キカイ・オンチ 兼 数字オンチにお教えくだしゃい。1万8000年前か 18万年前のどちらだったかを忘れたんですが、朝鮮半島と日本列島のあいだに海峡ができたのは、何万年前でしたか。
 日本列島に最初にやって来たのはシナントロープス系だったか、クロマニョン系だったか、面白い視角だと思います。
 

> 渟 ぬな 天上 空想上
● 安里屋ユンタの √♫♡ マタハリヌ ♫♡ の ヌでは? 意味は意訳を許してもらって「天上の火炎」。

> 瀛
● オキの詮索は、このあとで

[6370] Re[6368][6367]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    神奈備 2012/01/27(Fri) 20:44 [Reply]
> イナクラが新しい地名で、ヌナクラは昔のその地名だと認識していいのでしょうか。
いな 稲
ぬな 天上? とうとい?

神社 越後国 頚城郡 奴奈川神社 奴奈川比賣命(ぬかがわひめ) 翡翠により人心を集める



天皇 天渟中原瀛眞人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)天武天皇のこと

渟 ぬな 天上 空想上

で、よくわかりません。

[6369] Re[6368][6367]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/01/27(Fri) 08:34 [Reply]
 《 オブガメ 》・・・・・・<8> から拾いました。
 タジク語 kamiʃ が葦、tʃiF も葦と訳されていますが、tʃiF のほうは「茅がや」として受けとったほうがいいようです。
 F の発音は X (のどを擦る H )の濁音です。G と受けとってよろしい。

 インドネシア語の kura(亀)を、なんで日本でカメというようになったか・・・のモンダイですが。ここには kamiʃ が絡んでいるようです。
 アイヌ語の亀はキナポといいますが、このキナはジプトでも言うそうです。キナが葦であることは、鬼無里のところで述べました。そのキナに小愛辞の -po をつけたのがアイヌ語の キナポだったというわけです。
 亀の甲羅を焼いて吉凶を占うことが大流行りにはやりました。吉凶占い・・・、すなわち “ 神 ” 意を伺うことですので、ここにも「カメ / カミ」の音上の近似が見られるようです。
 オブガメのオブは タジク語の ob (水)で、海水ではなく淡水に棲む亀のことを謂っているかと思います。

 しかし、水カメとは「水瓶」のことではないでしょうか? 古代人はよく峠などに瓶(カメ)を埋めたと聞いています。
 地中の土地神(へび)を掴まえて食ってしまおうという動機からです。土地神が自分に化るのです。< 自分も神。
 油でも入れられたら、足のないへびは滑って上がれないんです。水でも滑って上がれないんじゃないでしょうか。
 現代では一升ビンやペットポトルが有効です。

 カメが出たついでに「カモ(鴨)」をもういっぺんヤッツけましょう。
 さきに小生はカモメという語形から、鴨を割り出しましたが、タジク語に深まるにつれ、大幅修正び迫られました。
 小生が生まれ育った稲築町に鴨ヶ岳があることは既に述べました。タジク語 kamol(完全、極地)なる宗教用語です。
 「鴨がネギくわえてやって来た」などという譬えには、タジク語が大いに絡んでいます。
 kam-in は「待ち伏せ」です。鴨が舞い降りてくる葦蘆原に、明るいうちから身をひそめて待つわけです。
 kam-on は弓。「今だッ」と思ったときに、弓で撃つわけ。
 kamanl は投げ縄です、弓が役にたたないときには縄を投げるんです。
 でも、鴨はいのちが惜しいので、こっちが動いた瞬間に飛び立ちます。とにかく、ちょっとでも音を立ててはいけないし、動いてもいけないんです。
 ba kamoli extiyot は「最上の注意をはらって」です。

 「チンチンかもかも」は、chir(鳥)chir、calm calm からかな?
 長崎からメカケを呼んだことを皮肉ったか、坂本竜馬は「目下、ちんちんかもかもにござ候や」と勝海舟に手紙してま。方言で gam が陰茎にてござそーろー。

[6368] Re[6367]: 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/01/26(Thu) 14:54 [Reply]
 <8>から拾ったものです。
 《 ヌナクラと呼ばれたイナクラにいる豊宇可乃売の神 》
 イナクラが新しい地名で、ヌナクラは昔のその地名だと認識していいのでしょうか。
 倉、鞍、庫と書く日本語のクラということばの発音と概念がこの当時できあがっていたとみるべきでしょう。
 発音のほうの「クラ」はインドネシア語に残っている亀の kura から発達したものと見受けられますが・・・・・。

 漢字オンチの小生は豊宇可乃売をどう読むのか、わかりませんが、ここは「トヨウカのヒメ」と読むことをお許しくだしゃい(どうか神奈備ドン、軌道修正を!)。

● 小生の血は豊の国の産ですが、この「豊」の語源はわかりません。こじつけなら「鳥神」ですが 100%の自信は持てません。
● 話は食べ物のことなので、「ウカ」は「食べ物」と解釈するのがスジで、一般の人もそれ以上の詮索はしないでしょう。
 しかし、ネパール語に kha-(飲む、食べる)という非常な近似を示す語があります。「日本語はネパール語的な言語から導かれて成立した」という小生の主張でここを観ると、なにかこの khanu 周辺のことが作用しているようだと思いたくなります。
● 古代語 U は「大」ですが、ここは「多くの」ということにすれば、ウカ は「多くの食べ物」へと、なんとか収まりがつきそうです。これが言えるなら、ウカとはヒエ、アワ、キビなどの五穀・・・、すなわちシナの社禝の禝の日本語版だといえそうです。
● そうすると、ここで翻っておもえば、トヨとはアイヌ語を援用しますが toi(土・畑)が浮上し 、そこの O (神)が社禝の社となります。トヨウカとは社禝ということ・・・・・。まず、マチガヒはありません。
● さて、ヌナクラですが、ネパール語の nun(塩)の開音化された語形が nuna 。クラは kekuroti(ドーナツ、パン、マンジューなどのオヤツ)の *kur かと思います。 ke は食べ物、 -ti は末尾辞で意味はありません。途中の O は、小生がこのごろタジク語で掴んだ「繋辞」というもので、ステムを繋ぐ母音です。
 *kr はグルメの gr と同一です。

 思わぬところろで「豊後」のトヨの語源を拾えました、神奈備ドン、あが。

[6367] 浦島子 1~8 に出た古代語 考    生田淳一郎 2012/01/24(Tue) 10:35 [Reply]
 神奈備ドン、お元気ですか?
 『浦島子物語 1 ~ 8』に出てくる古代語を、恥かき覚悟で存念のほどを書き連ねてみようと思いたちました。


● 《 无間勝間(マナシカツマ)》
 无間は「ン・マ」。日本語感覚では「ヌ・マ(目が無い)」とすべきでしょうか。
 西洋系言語に写すと、これも 无は na で、无間は「目が無い」でしょう。
 カツマの語源はワカリマセンが、くずさんのお書き込みで教えてもらいました。、なんでも編んで作った籠だとか。
[无間勝間(マナシカツマ)の小船(ヲブネ)を造り]とは、諸葛孔明が南蛮征伐をしたときのことを、想いださせます。  南蛮兵たちは一人乗り用の舟を背中に背負っていたそうです。
 この人値乗り舟は竹をギッシリ、すきまなく編んで、漆をまんべんなく塗って水を通らなくしたものだそうです。
 ですから「カツマ」の語源は、それこそ諸葛孔明の “葛(かつ)” かもしれません。
 というのも、長野善光寺あたりでは、ツタ(蔦)のつるで編んだ鳩のオモチャが売られているんです。フシギなことですが、この鳩には左右に車がつけられています。なにか、御所車のようなイミシンな言い伝えがあったのでしょう。
 おへまのオヤジが拙宅にきたとき、ちょっとした暇にビンを入れる花籠を作ったには驚きでした。

● 《 籠神社の籠 》
 上をうけて・・・。
 日本の古代人は、籠とか籠のメというものにもの凄い狂執をもっていたことはタシカです。
 「物質が、なにも無い空虚な空間を囲む」ということそのものが “ 神聖 ” だったんです。その極みは子宮に顕れていることかと思われるのですが・・・・・。行李、箱、厨子あたりから豆のサヤまでにも気づかいをしています。

● 《 阿可流 》
 ことば意識が発達してくると、人びとは抽象概念(・・・とくに精神性)をも もてあそぶようになります、
 阿可流はホアカリと不可分の関係にあることは論をまちません。ホアカリの Xo が物質に囲まれた神聖です。
 そういった(抽象的)精神性がモノの形をとって顕れることが「アカル」だと思われます。
 「いままで、在ったののが kum . gum される現象がアカルの反対の「籠る」だと・・・・・・。

 以上三つには、「神が何らかのコースで自我に化っている」とのキリスト出現以前の世界観〜倫理観が強靭に支配している事を感じるのは小生だけでしょうか。
 モノは頼るにあたいしないが、精神性なら頼れる・・・・・は、西洋〜インドの狂執的頑迷の伝統です。

[6366] ダンダラボッチ と ウガヤフキアエヅ    生田淳一郎 2012/01/21(Sat) 17:00 [Reply]
 去年の秋、息子が会津に行って「ボッチ」を拾ってきました。
 拾った本人はボッチの語源はワカラナイのですが、オヤジはすぐに語源を指摘できました。
 なんでも、会津で屋根を葺くときに束にするチガヤのことをボッチというそうです。

 ポシュというのが、帽子とかポシェットの「被う」という意味のタジク語です。「着る」にもこ のpoʃを用います。
 チガヤは茅野市の「チ」ですが、タジク語で tiF(F は X の濁音・・・・・発音ほとんど チグ か チフ )。
「ポシュ+チグ」がボッチとちぢまったのでしょう。

 大きな葦蘆はアイヌ語では シキナ。鬼葦にもなっています。このキナ(葦)で屋根や壁を作った家がキナであり、その里がキナサ(鬼無里)だったことだろうと思います。

 小生がはじめてボッチに出会ったのは長野県松本市ひがしの美ヶ原で、 35年ほど前のことです。
 知り合いの中村氏は「ボッチはアイヌ語だ」といっていました。もしかしたら、川村カ子ト翁(カネト)が松本に来ていたのかもしれません。
 川村カ子トさんは、周辺アイヌの尊崇をうけたオタシュツ・アイヌの酋長で、日本人技師が匙を投げていた天竜川の測量をやってのけて、鉄道敷設を可能にした天才です。いまでも旭川市には川村カ子ト記念館があります。

 その後、意味不明のまま、阿寒湖湖畔で「高ボッチ」という喫茶店の名前に遭遇したのですが、ハッキリした意味は掴めないままでした。

 別にダンダラボッチとかダイダラボッチの語がありますね。このボッチと上のボッチとはちがうと思います。


 ウガヤフキアエヅ と アイヅ・・・・・、単なる偶然ではないようです。ウガヤとは「ウ(大)茅」。フクは葺く。

[6365] 日田盆地     生田淳一郎 2012/01/19(Thu) 14:19 [Reply]
 神奈備ドン、そりゃあんた(豊後方言 ; ありがとうございます)。
 お陰さまで、日田の靱編連(ユギアミノムラジ)は、語源未詳の沼、鳥羽あたりとセットにして新羅語としてのニラミが必要なことを思い知らされました。これは一歩前進です。
 会所山久津媛神社・・・・・、日田市固有のひさやま(久山さん)の語彙構成が出たようです。
 
● 「そりゃあんた」は、沖縄の「アン・エ・タン(そうだったのか!)」のアン、アイヌ語 ar で、「もうひとつの、別の、思いも寄らなかった」の意味だと思われます。 アンタの ta は強意の語末辞、朝鮮語と同じ。
 「思いもよらなかった恵まれものです」というのが「そりゃあんた」だったことでしょう。
● 豊後は古くから新羅との関係がつよかったと、いわれていました。ユギには朝鮮語の urφ(龍)や鋳物の鋳
 が、さかんに臭いますね。日田には穴井さんがいます。どうみても鉱山士です。
● 日田のイントネーションは、福岡〜熊本の筑紫流イントネーションとは一線を画してちがっています。
  いまなら、新羅地方のイントネーションを調べることができるのでは?

● 昼寝(ヒルイ)・・・・・、「去(イ)んで寝る」は、たしかピリピノ語系だったと記憶しています。
● 参(マヰ)渡(ワタ)り来ぬ・・・・・、政府が要人を地方にとばすことを「任(ま)く」といっていました。マタ旅者の マ なるべし。マキムクのマキは「同族、みうち」かと。 / アワマクの mak 。


◆ 日田市の木がさざんかだとは! 恵まれもんにござんす。
  紋次郎の木もさざんか。/ 『駈け入り寺に道は果てた』
◆ 日田は水の頗る綺麗で美味しいところです。数年前まで「日田の水買うちょくれ」という電話がしばしばかかってきていました。
◆ 川を東に遡って、日田盆地が尽きるところに天ヶ瀬の急流があります。温泉も噴き出ています。ここから滝をみるのも一興です。
 龍門の滝も見ちおくれ、タナァヨォ http://www.yado.co.jp/kankou/ooita/kuzyu/ryumono/ryumono.htm

[6364] Re[6363]: 淡路のアグイ(日外)さん       神奈備 2012/01/18(Wed) 14:44 [Reply]
靱編連(ユギアミノムラジ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%B0%E5%B8%82

『旧事本紀』国造本紀に、古代ヒタにおいての国造には、「成務天皇の時代に葛城国造同祖、鳥羽足尼(宿禰)を定めた。」とある。止波宿禰(鳥羽宿禰)は、西暦470年以降(古墳時代後期)に靱編連(ユギアミノムラジ。現在の日田市刃連町付近)に会所宮(現在の会所山久津媛神社周辺)とよばれた屋敷に居住し、村人に農業などを指南した人物として『豊日志』(現存せず)に記されていたとされる。



> 日外(アグイ)さん

古事記 応神天皇・天(あめ)の日矛(ひぼこ) の条

また昔、新羅(シラギ)の国王(コニキシ)の子ありき。名は天之日矛(アメノヒホコ)といふ。この人参(マヰ)渡(ワタ)り来ぬ。参(マヰ)渡り来ぬる所以(ユヱ)は、新羅国に一つの沼あり。名は阿具奴摩(アグヌマ)といふ。この沼の辺(ホトリ)に一(ヒトリ)の賎(イヤ)しき女、昼寝(ヒルイ)したりき。ここに日の耀(カカヤ)き虹(ニジ)の如くその陰上(ホト)を指(サ)しき。また一(ヒトリ)の賎(イヤ)しき夫(ヲトコ)ありて、その状(サマ)を異(アヤ)しと思ひて、恒(ツネ)にその女人(ヲミナ)の行(ワザ)を伺(ウカガ)ひき。かれ、この女人、その昼寝(ヒルイ)せし時より妊身(ハラ)みて、赤玉を生みき。ここにその伺ひし賎しき夫(ヲトコ)、その玉を乞ひ取りて、恒(ツネ)に裹(ツツ)みて腰に著(ツ)けたりき。

アグ?

[6363] 淡路のアグイ(日外)さん       生田淳一郎 2012/01/18(Wed) 13:59 [Reply]
  オット、ダイジなことを書きもらしました。
 クサカを日下とあて字しています。この「日の下」そのものは解りませんが、この語は淡路島に残っている日外(アグイ)さんと、切っても切れない関係にあると推測されます。すなわち、日外さんにはわ〜るいんですが、言うて聞かせても聴く耳を持たぬような頑迷さがあったのではないでしょうか。
 「a(反・非・不・否)ku(言うて聞かせる)」です。
 いづれ近いうちに書かせてもらいたいと思っていますが、大八州国の周辺にいた島びとは、高度にすすんだ知能を持っていたはずです。

[6362] 真那井 と クサカ     生田淳一郎 2012/01/18(Wed) 13:28 [Reply]
 神奈備ドンの力作『浦島子の物語 1 〜 8 』を読ませてもらひましたが、意味がワカラン言葉だらけのジャングルに斬りこんでゆく雄々しい姿勢には、まったくアタマが下がります。
 いや、神奈備ドンは古代語にはソートーに詳しいのかもしれない。が、もし、それほどでもないとすれば、まず、カンナリ・ショックに似た「直感(!!)」をえて、あっちの彼岸へのもやい綱として、推論を重ねられた跡かと思われます。
 いうちゃわーるいのですが、その姿勢は、あっしがタジク語をみて、そこで得られる恵沢を直感し、ヤミクモにつき進んでいる姿勢と同質なものを感じます。

 『浦島子の物語 1 〜 8 』に出てくる 阿可流、数千株のウモ(芋)草、アジハヤス、籠神社の籠、姫神、ウラカシ、ヒココ、赤い玉、いわきの太郎、ヒコ・イマス、オブカメなどについては、別途コメントをつけたいと思っていますが、ここでは、日下と真那井の二つに急接近を試みたいです。
 真那井は、ここでもとり挙げられたテーマですが、やっぱネパール語の man + ai で、鎌倉幕府のマンドコロのように「*man(禁忌)」が中心概念かとおもいます。禁忌とはタブー、神聖の謂いです。

 まさに求めよ然らば与えられん・・・・・でした。クサカなる語は、永年の課題でしたがやっと、その答を提供してくれそうな語形にめぐり合えました。シナ語の「カ、ケ、カイ、クヮイ」と発音される「言べんに毎」の字です。
 意味は「よくは知っていない人びとに、ことばで分かるように教えること」です。
 大阪湾の交通が繁くなったとき、クサカさんがやってきて取り仕切ったことが、その初出かと思います。

 どだい ku という発音にはネパール語でもアジア語でも「良い」と「悪い」が同居しているんです。このような事情下では、固有の氏族名は成り立たないのです。khu なら窯焼き、SXの意味が拾えます。
 sar kar は「部門、政府」ですので、◯◯サカは、氏族名となります(ただし大阪のサカは “ 街 ” です)。
 
 漢字「言+毎」の現在発音は呉音でケ、漢音でクヮイと発音されますが、そのひとつ前は 共に k-ai が拾えます。
 毎という文字には後悔のように暗いイメージがあります。ku 、k-ai は、その蒙昧さへ “ 啓蒙 ” するわけです。
 ネパール語 *sak には「ハッキリ、明らか」という意味もあります。ひょっとしたら全体がネパール語かもしれません。

 
 神奈備ドンにご質問です。ユギアミは 日田という文字にフリガナされているのでしょうか? 天ヶ瀬温泉らしいが。

[6361] 白鳥伝説の起源地     生田淳一郎 2012/01/16(Mon) 15:31 [Reply]
  門飾りは取れてもまだ正月。
 落語では ツーーーーッと飛んできて松の枝に ルーーーと止まるので ツル というのだそうな。
 だが、小生は ツーーーッと飛んできてツルに舞い降りるから ツル になったのだと思います。
 ツルとは「坊ヶツル讃歌」http://www.youtube.com/watch?v=_EiCXIvwiho にあるように、ボウ(山、峰)の細流だと判じられます。ツルの原語は世界語 jir、 jor(汁)の派生語で、「陸地から出た汁」というのが正しい・・・・・のかナ?
 
 ツルの語形は、ネパール語 saras(鶴)に対してタジク語には turuna(鶴)とあって、タジク語のほうに軍杯があがります。さらに、コウノトリとは「 kox(山、宮殿)の鳥」で、事態にそった近似概念がえられます。
 アイヌ語の鶴は sarorun chikap といいますが、これはタジク語 saXro(野原、畑地、大草原)を写したものであり、北海道沙流郡あたりのの沙流から取ったものではないということが語形の上からハッキリいえます。アイヌ語の sar( 葦蘆の原)はペルシャ語直の流入です。

 前後しますが、シナの殷周時代では「自分たちの世の色は黒だ」と信じられていました。
 日本列島にやってきた初期の金属精錬士は黒い鳥に強執をもっていました。カラスが光を招く霊鳥とされたのも、この時代です。その強執が変化して白鳥が金属精錬士たちの崇拝を仰ぐようになりました。この変化にはタジク語が大きな役割を演じていたのでした。
 
 タジク語 pok は「清潔な。きれいな、清い」という意味です。これは さきに見た tazim 、tʃamil と同じ意味です。
 タジク語には O 偏執があると申しましたが、ここでも pok は pak(朝鮮語 pak・・・白)へと修正すべきだとおもいます
(朝鮮語の「朴」や塚原朴伝の bok は、ほとんどそのまま)。
 ということは、タジク語的な勢力は朝鮮でも支配階級になり、その後「加茂」などの多くの文化語と共に清冽・赤誠・滅私奉公などの精神性を日本に持ち込んだものだと小生は思っているからです。

 でもでも、朝鮮では、そういった高潔な精神性はほとんど根づきませんでした。なぜか? それは、朝鮮大衆があまりにも低劣なため、高度の文化に「聴く耳」を持てなかったからだとおもいます。
 日本にいた海洋民族とは、けっこう高度に洗練された民衆ではなかったか・・・です。

 朝鮮には子守唄もなく、あるといえばアリランだけだと云う人もいます。また、朝鮮は世界有数の穢いくにだったとも。
 鶴はハキダメには降りてこないもんです。タジク語的な勢力は自らを「白鳥・・・シラトリ」といって、他と区分しました。
 白鳥への強執はここから出ています。 tori とは一つには「区、地域」です。厭離穢土ということの主張です。

[6360] 「生まれ出づるの悩み」のタツどし  エンド     生田淳一郎 2012/01/15(Sun) 09:00 [Reply]
 きのふ神奈備ドンから貸してもらっている掲示板 http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakibbs.cgi で、タジク語 kamol(完全、極致)を割り出しましたが、それによって、なんだかうしろ首をドーンと前に突かれたような気がしていています。
 これまで学者さんたちがもっと他所のことばを研究していたら、歴史解釈ももっと長足の進歩があったことでしょう。
 
 ここの書き込みで、小生は「龍 = 雷」と置いてきましたが、考えてみるとこれもオカシな話でした。「龍 = 雷 = 金属精錬」としなければならなかったのでした。
 多くの氏族の寄せ集めだった金属精錬士の文化(偏執)は、龍、雷のほか、槌、白、黒、大風、柱、岩、鳥、刀剣、源流、ひとつ目、片足、などなど多くの強執を神の代理としてきました。それら強執が相乗的に生成させ導く新概念は莫大なものがあったろうと思えます。
 金属精錬は歴史を駆動したのです。そしてその起源はカミナリでした。

 いま、裏番組の神奈備掲示板には「筒川」が出ています。「川」はネパール語の「 ka(の)・wa(人)」ですが、「筒」はカミナリです。カミナリの人が筒川さん。タジク語 tund(カミナリ) は d の前の n を含んでいますので、これを取り払うと tud が出て、ついでに「つづれ折」のジグザクまで出てきました。
 同時に、日本語の *tud は tund よりも古い語形であることも分かってきました。
 日本語の「川 river 」はタジク語 kawsar(天国の川) で紹介しました。

 タジク語はネパール語と較べると、類似語の数では少ないのですが、日本の歴史にくい込むこと、実に深甚です。
 皆しゃんも学者に任せるのではなく、たいして高価ではありませんので、ぜひタジク語辞書を座右においてください。

 
 カミナリ・龍にしぼった今回のテーマは、「 jin と din(宗教)」、「 sin と秦とハタ」などを付記すべきですが、これらはすでにここで書きましたので省略します。エンド。

[6359] 生まれ出づる悩みの タツどし    生田淳一郎 2012/01/14(Sat) 13:27 [Reply]
 《 伊達(ダテ)と イカケ 》
 ここは、避けて通れない隘路です。ネパール語 dhatu(金属)の、特に語頭の ダ の発音をニガテにしていた当時の古代人は、語頭に イ を立てて、これを イダツ と呼んだことが、遺されている伊達という漢字によって明らかです。
 そのとき、どうして末尾のイダツ の ツ が イダテ の テ に変化したのかについては依然としてナゾです。が、やはりここはネパール語の強調接尾辞 -ai( ai → e )を引用せざるをえません。
 
 それにしても、イダテは穴あきナベ修繕の イカケ に、まったく以ってよく似ています。
 では、イカケの語源はなんでしょうか?
 イカケの イ は鋳 としてシナ語に漢字としてあります。では カケとはなんでしょう。KAK は「くにかかす」のところで現われたピリピノ語系「手足バタバタ」がいちばんよく似合うようです。そしてここでも末尾で e があばれます。

 こういうことは考えられないでしょうか?
 鋳物の鍋釜が「欠けて」穴があいた。そこで鋳物屋さんに「かけ」合って、修理のことは鋳物屋に「掛け」た。頼まれた鋳物屋さんは現場に「駈け」つけて鋳の湯を「掛け」た・・・・・・。
 なにかこう、そういった偶発的なことから イカク、イカカ が イカケ となって、これが イダツ にまで影響して、イダテ が世間に定着した・・・・・と。

 上も、どうもマユツバもので “ 共有 ” いただけないようですが、YU(湯)と、イダテの イ(鋳)が同列にあることだけは “ 共有 ” してくらはい。

 されどされど、イダテ をイタテにすると、イカケのあいだに音転の法則が適用できるのです。
 P、T、K が相互に入れ換わりやすいのです。この法則はオセアニアで広くいえることです。
 金属精錬士のトップの「ムラゲ」はインドネシアあたりで醸成されたものだとみれます。
 P、T、Kの音転は先日のまっつあんの書き込みにもみられたように記憶しています。
 でも、語頭に イをたてても尚 ダ が云えずに イタテ という云うようなことがありえましょうか。
 原音が dhatu であることはまちがいのないところですラ。D → K の音転なんざはありえません。

[6358] Re[6357]: 「生まれいずる悩み」のタツどし  生田淳一郎 2012/01/13(Fri) 11:55 [Reply]
 いま、神奈備掲示板のほうでは ドンの大潮流がながれています。

 流・・・・・・、これも龍になったようです。
 朝鮮語の uφ(ウリュー、龍)ですが、 ur(水)についた u とは「海」の u で、海そのものが “ 龍 ” ではなったかと、空想してみました。「ウ(龍)・ミ(神)」です。
 古代ではなんでかんでも神ですから、 ur(水)も龍神だったし、このデンでゆけばウルマ島が竜宮城になりますネ。

 奄美のアマも龍だと置いてみましょう。アマさんたちは「龍神信奉者」となって、落ち着くことドンピシャです。

 上海・・・・・、カイもハイも龍神だと考えてみる。そしてカイ、ハイの「イ」を古代発音の j , y がらみの中間母音の「イ(事柄)」だと考えてみると、龍は「ハ or カ」にしぼられて「ハ = 神」、「カ = 神」が出てきて、ミズハ、カミに整合性を与えます。

 でも、上の推論は多くの過ちを犯しているようです。でも、皆しゃんのみ胸狩りて やってみてヨカッタ。
 
      …………………        …………………

● インドネシア語の kura(亀) は、アラビア語、ペルシャ語、インド語あたりからの借用でしょうか?
 古代日本の諸偏執をたどれば、どうも借用ではなく、インドネシア語固有のものではなったかとの思いが濃厚です。
 亀は万象を支える実態(精神性)だったはずです。
 科学的思考がゼロやマイナスだったとき、古代人には「kura = 亀 =ことば」という概念は無上の準拠基準だったことでしょう。
● タジク語 taXt(王座・寝台)のことですが、寝台とは貴人が奴婢から担がれてゆく手摺つきの板で、神輿のようなものだと考えられます。→ タカミクラ。
 それにしても、斯くもタジク語が古代日本の隅々までくいいってることはオドロキです。
 タジク語はソグド語、ペルシャ語、サカ語などの歴史に名を連ねた大型言語の混成だと聞いています。それらのうち日本に大きく影響を与えたのはどれだったのか、これから追求せねばなりません。
 タジク語を構成した一派にタタール語があるそうです。タタール族は韃靼とも呼ばれ、明王朝を樹立させた満州族。
 明朝は日本の江戸期よりも 10年ほど長く安定した時代でした。いいいよ由々しくなりました。
 司馬遼太郎さんは『韃靼疾風録』を書いています。

[6357] 「生まれいずる悩み」のタツどし  生田淳一郎 2012/01/10(Tue) 19:40 [Reply]
 kaЯ・・・カイは、一つには、雷ですが、カミナリは、即、龍です。
 小生は 龍を「kai、カイ or カ」で表わした事例を知りません。
 そのへんのことをいちばんよく知っているご仁は、見渡すかぎり神奈備ドンなんだがナァ〜。

 考えられる最接近フロンティア(その成果としての取り込み)は、カイクマ(柴)なんだろうかナァ〜。しかし、これでは臭うだけ臭って、すぐに迷宮入りだと断定せざるをえないのがねっからハナにつく。

 短音 カ は “ ハ ” でも、これしかたがない。

 ミズハノメの ハ あたりがギリギリのところだろうか。
 迷いのミナモトは http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakibbs.cgi 

[6356] 遠慮せすと   生田淳一郎 2012/01/10(Tue) 10:32 [Reply]
 いろいろお教えありがとうございます。
 標題をちょとだけ変えました。
 「せすと」は「しないで」という意味。名古屋弁です。

 ジャカスカ沖縄をお書きください。
 小生としたら、できたら、なぜ沖縄がカカァ天下なのかに、おネラをしぼりこんでほしいです。

 「嬶ァ天下」はひとつの概念ですが、沖縄のそれをそうさせた迄には、無数の連なりがあるはずです。

[6355] Re[6354][6353][6352][6351][6350][6349][6348][6347][6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    琉球松 2012/01/10(Tue) 09:17 [Reply]
 「バリ」は、直接には岩を表しませんが、岩の割れ目などの「割り」ですね。

 「イラブ・エラブ」などの語源は明らかではないんです。
 しかし、宮古方言の「ピャウ・ピラウ(蛇)」や小半島の「イラウ」などから、原義は「蛇」との推測が可能でしょうか。「ビロウ」の木もそうでしょうかね。

 また、海蛇(エラブウナギ)を言う「イラブー」は単に蛇かもしれません。出雲大社の神事に登場する海蛇が、もともと何と呼ばれていたか興味ありますね。地名の「口永良部(薩南諸島)・沖永良部(奄美諸島)・伊良部(宮古諸島)」も、奈良の三輪山伝説との関係が考えられますよ。

[6354] Re[6353][6352][6351][6350][6349][6348][6347][6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    生田淳一郎 2012/01/09(Mon) 17:14 [Reply]
> 陸地になったり海に沈んだりで忙しそうです。
● 陸地になったり海に沈んだりして、宮古島では蛙やへびさんたちは、ことのほか忙しかったらしいですね。
  長野県諏訪は出雲とおおいに関係があるらしですが、土のなかで冬眠しているビキタンを掴まえることから、一連の神事が始まるそうです。本家スジ(?)の出雲では海中でウミヘビを捕らえることから、その後一連の神事が始まるんだということを聞いたことがあります。
 宮古島のウミヘビは、ふだんは海にいるのですが、産卵はオカにあがって崖でやるらしい。それをたまたま小生の知人が目撃したといっていました。
 海にもオカにもいるヘビなんざは、無条件に拝みの対象になるのでしょうか。

> 地先の小島や岩(志摩半島出雲半島の岩礁群もそうかも)は、陸地としては役に立ちませんから、生活圏創造のリハーサル工事の残骸とも思えます。
● 九州では岩礁をバリというところがおおいのですが、沖縄ではバリはいいませんか。
  「シラータン」はどうでしょうか。言いませんか。
  シラータンはフィリピン方面にまであって、真珠貝採りでのおネラだったとかを聞いたことがありますが・・・。
  sirar はアイヌ語とも重なるようです。
  岩礁は沖縄一般ではイラブ、エラブでしょうか? 
  イラブには「魚がいる」。オーストラリア•アボリジニに「イラブ = 魚」の語があります。

   …………………      …………………

 有名な政治家の鳩山威一郎さんは、ブリジストンの石橋家のお嬢さんと結婚するまで、朝鮮女性を妾にしていました。
 その婦人とのあいだに一子ができました。その子が長男として認知され、首相にまでなったのが由紀夫さんです。
 そして由紀夫さんも朝鮮女性と結婚しました。《 情報源はパソコンです 》

[6353] Re[6352][6351][6350][6349][6348][6347][6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    琉球松 2012/01/09(Mon) 10:09 [Reply]
 生田淳一郎さん、あんまり褒めないで下さいよ(笑)。

 奄美大島と喜界島の間で発見されという海底遺跡?は、たぶん喜界島南沖の「オガミ礁(拝み)」じゃないでしょうかね。
 これは、どう見ても人工物とは思えないんですが、糸満沖の「ルカン礁(語源は "拝み")」や久高島北沖の「ウガン岩(拝み)」と同様に、海人にとっての聖地になっています。
 伊江島の南沖に時々現れる「中之瀬」も、辺野古崎沖の岩礁「長島&平島」もそうでしょうか。徳之島北方や久米島南方の「トゥンパラ(飛び離れ島)」、奄美名瀬湾の「立神(意味的には飛離れ岩)」などは「オヲ(粟・泡・大・青・淡・桜)etc 」と観念的に同じなのでしょう。
 神々降臨(中継)の島(岩)ですね。

 これらは、もともと海底にあったとの認識で、「ワダツミ・竜宮・底ツ国」などと関わりそうです。
 与那国島や北谷沖の海底など、一部の遺跡には人の手が入った痕跡がありますから、陸地になったり海に沈んだりで忙しそうです。

 そこで日本神話に見える「蛭子」を連想するんですけど。。。地先の小島や岩(志摩半島出雲半島の岩礁群もそうかも)は、陸地としては役に立ちませんから、生活圏創造のリハーサル工事の残骸とも思えますがどうでしょうか。かつての河内湖にあったはずの湿地帯の島々は「葦原中国」でしょうかね。

[6352] Re[6351][6350][6349][6348][6347][6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    生田淳一郎 2012/01/09(Mon) 09:01 [Reply]
>  菅直人、小沢一郎の母親が済州島出身でも、天皇が朝鮮半島出身でもかまわないですよ。

● まさに国際島、ウチナンチューの佇まい、ここに躍如たり。
 わずか 20文字の中に 大型 7ヶ国の太陽が謳いこまれている √♫♡ マタハリ・ヌ・ティーダ・ラー・ハヌル・シャマ・ヨー(陽) ♫♡ の安里屋ユンタ。この現象を偶然の一致とおもわれましょうか?

● 何という島の、何という超古代海中遺跡か、名前はわすれたのですが、あの海中遺跡には「洞窟のなかにある人造物」
が出たのでしょうか? 庇というか、少なくともオーバーデッケンした岩の内側から遺物が出ないことには、天然の造形との区別はつかないとおもうのですが、このへんの最新情報はどうなっているのでしょうか。

● 奄美にも海中遺跡がありましたよネ。海の中に沈んでいるストーンサークルです。
  なにか、最新情報がありましたら、お聞かせください。

     …………………       …………………

 小泉純一郎の祖父は鹿児島では朝鮮人で、オヤッサンの代に横浜市で帰化した・・・とか。
 北朝鮮に飛んで行ったとき、金さんから「あんたも朝鮮人ですよね」と言われたとか。

[6351] Re[6350][6349][6348][6347][6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    琉球松 2012/01/08(Sun) 12:23 [Reply]
 菅直人、小沢一郎の母親が済州島出身でも、天皇が朝鮮半島出身でもかまわないですよ。
 ま、そのうちに解明されてくるんでしょうね。

 「アカハチ」は「オヤケ アカハチ ホンガハラ」と呼ばれていて「ホンガハラ」が朝鮮語では?との事。
 
 蛇足ですが。。。『ウルトラマン(TBS)』に登場する「レットキング」は、石垣島の英雄をモデルにしているようですよ。シュワッチ!!

[6350] Re[6349][6348][6347][6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    生田淳一郎 2012/01/08(Sun) 12:08 [Reply]


>  ところで「ヌルハチ」なですけど、これは石垣島の「アカハチ」ではないでしょうか?
>  琉球圏は、王朝成立以前から中国やモンゴル、朝鮮、あるいは瀬戸内海などからの亡命者が大挙押し寄せて来た地域ですから、「アカハチ」も韓国では済州島からの亡命者ではとの説があります。
● アカハチでしたか、有り難うございます。いちど確かめたかった英雄名でした。
  ハチは頭目だと思います。
  すると、済州島方言も調べなければならなくなる。こりゃ大変だ。
  というよか、菅直人、小沢一郎の母親が済州島出身の朝鮮人だという噂(?)があるからです。

>  琉球方言に関して、僕は主観的に意見できますが
●  ことばは最終的には「個人言語」にゆきつくというのが言語学の通説だとか。
  ただ、あまりにも似ていない両言語の語彙は、ハッキリと「ちがう」と謂ってもらいたいです。

 もうひとつ教えてください。琉球松とはイチイではないでしょうか。あるいはその亜種とか。
 イチイは台湾にも育ち、地質学者はイチイの化石をみると「ここは温帯だった」との断を下すそうです。

[6349] Re[6348][6347][6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    琉球松 2012/01/08(Sun) 11:20 [Reply]
生田淳一郎さんへ

 いえいえ非難しているわけではないですよ。
 琉球方言(奄美・沖縄・宮古・八重山)は、多くの古語を温存してきましたから、チョッとした発音の違いにも興味を持つわけです。

 ところで「ヌルハチ」なですけど、これは石垣島の「アカハチ」ではないでしょうか?
 琉球圏は、王朝成立以前から中国やモンゴル、朝鮮、あるいは瀬戸内海などからの亡命者が大挙押し寄せて来た地域ですから、「アカハチ」も韓国では済州島からの亡命者ではとの説があります。

 琉球方言に関して、僕は主観的に意見できますが、大三元さんのほうがむしろ客観的ですよ〜。

[6348] Re[6347][6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    生田淳一郎 2012/01/08(Sun) 10:30 [Reply]
>  あのう、一応ですね。どの島の方言でもイイですから、なるべく正確にヨロシク(笑)。
 おくにのことばを粗雑に扱ったという結果になって、申し訳あーません。
 「シラン」で逃げようかと思ったが、取り締まりがきついようで・・・。白状します。小生の造語です。

 《ウミディTゥ》
 沖縄に入院していたとき、毎朝 7時にヤクルト製品うりのおばんが「ヤクルTuです」と、小さからず大きからずの声で病室をまわって来ていました。
 あのおばんを想いだしながら、あのおばんなら、「ウミディTゥ」というだろう・・・・・・と。
 《グザーマー》
 奄美大島方言を当たったとき、出雲と同じの造語があったので、それを引っぱりだした・・・はヨカッタのですが、処置がシロートなのでアマやりました。
 いわく、「語彙ちゅうに r 音があった場合、ラリルレロは全部消えて、直前の音を長音にして引きのばす」です。
 「ゴザリ」はゴザーに。「マスル」はマスーにするつもりでしたがアマやって「マー」とやっちめぇやした。

   …………………      …………………

 そうすると、男どもがあそびまわる余地は、まったく無かったのでしょうか? 
 人頭税がとても厳しかったとは聞いていましたが・・・・・・。
 たしか、沖縄にもヌルハチという人物がいて、住民蜂起の先頭にたったとかを聴いたような気がしますが、いつごろのことでしょうか。

[6347] Re[6346][6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    琉球松 2012/01/07(Sat) 19:42 [Reply]
 え〜っ! 知らないんですか。生田淳一郎さんの造語?
 あのう、一応ですね。どの島の方言でもイイですから、なるべく正確にヨロシク(笑)。

 で、"沖縄には腰を落として、右手を前にだして" ってな感じの仁義は琉球圏にはまったく無かったんですよ。せいぜい日本復帰(1972年)以降でしょうか。Yさん分化は琉球圏の伝統ではないです。

 ただ、Yさんの胴回りの入れ墨と、こちらの女性の手の甲の入れ墨、それにアイヌの顔面模様を加えると『魏志』の倭人伝の記載に近くなりますかね。

[6346] Re[6345][6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    生田淳一郎 2012/01/07(Sat) 18:11 [Reply]
、「ウミデイtu ウ ぐざーまー(おめでとうございます?)」はどの島の言葉でしょうか。
● おらシラン、しらんとです。

 糸口 〜 はなしの入り口としてヤクザの生態などどうでしょう。
 なんらかの形で自我は神を写していると信じているオトコどもは、好んでこの世の急所切所に見を置いて、オトコを練る修行に励みます。
 そのあげく、マイホームはガタガタになりますが、そこを、オナゴ衆はウマ〜く乗り切る。

 沖縄には腰を落として、右手を前にだして マッピラァ〜などといって、仁義きるオトコ衆はいやすけぇ。

[6345] Re[6343]: 遠慮しないで「沖縄」を    琉球松 2012/01/07(Sat) 16:39 [Reply]
 生田淳一郎さん、明けましておめでとうございます。

 「チャーガンジュー(いつも頑丈に)・健康で」はわかるんですけど、「ウミデイtu ウ ぐざーまー(おめでとうございます?)」はどの島の言葉でしょうか。

 琉球方言圏は多様ですから。。。隣りの島とも会話が困難な場合があります。

[6344] そそぎ目のタジク語はシリーズしています    生田淳一郎 2012/01/06(Fri) 17:11 [Reply]
 さっき、神奈備神社にお賽銭のつもりで書かせてもらいました。
 伊丹市のイタミとはイフキ、胆振、と同じ造語で、「ふいご・する」ということに還元できると思います。
 詳しいことは http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakibbs.cgi にシリーズしていますのでご高覧あれ。

[6343] 遠慮しないで「沖縄」を    生田淳一郎 2012/01/06(Fri) 09:19 [Reply]
 ウミデイtu ウ ぐざーまー  チャーガンジュー

 去年末に「日本文化は情念を縛りあげる集団形成の諸ワクカセを、深い悲しみのうちに受け容れてきた」という観点を得たことは、大成功だったと自画自賛しています。
 その「落ち着かせ」はオナゴ衆の役割だった。

 フランス革命のジョセフ・フーシェ、中国革命の周恩来、元の耶律楚材、中臣鎌足・・・どれをひいても偉大なる革命には偉大なるNO 2 がいました。
 日本の明治維新をひっぱりまわしたNO 2 は勝海舟でしょう。
 そのヨメさんが、これまた “ できた ” ひとだったというハナシです。

 小生がよく行った一杯飲み屋は昔日のテキ屋の親分と、そのヨメさんが経営する店でしたが、なんまぁ、そのヨメさんのできていること! 筆舌に尽くしがたいとはこのことです。

 日本のヨメさんは、カカァ天下の沖縄でしょう。
 それがナァ〜〜ンデカ を。

[6342] 無題  琉球松 2012/01/05(Thu) 15:11 [Reply]
 明けましておめでとうございます。

 今年も何かとお騒がせとなりそうですが、よろしくお願いします。

[6341] 日本の大衆文化    生田淳一郎 2012/01/04(Wed) 17:04 [Reply]
 1月 3日、朝 8時、NHK 総合チャンネルがどえらい対談を放映していました。だれとだれの対談だったのかは掴めかったのですが、曰く「日本は下から上に行く文化だった。これは世界に類例がない」と。
 こういうハナシがあるということは、他にも同じことをいうひとがいっぱいいるはずだから、いづれそのうち詳しく接することができるのだろうと考え、対談者の名前を覚えたり、追求することはやめたのでした。

 小生は 30年前から 10年間、「ふだん記津軽グループ」の正規会員になっていたのですが、その入会の動機は主催者の橋本義夫さんが「もともと人間には政治や経済は不要のものだった」と言ったので、ヨシ、もう少し深掘りしてみようと思い立ったからでした。
 そして、この 3日麻の対談に接し、これまで培ってきた「下からの目」が、やはり正しかったのではないかと安堵したようなしだいでした。

 そういえば、司馬遼太郎さんも指摘していますが、日本にはシナや西洋のような巨大構築物がない。
 これは、「トコトン末端の無知蒙昧の層」が比較的に薄く、奴隷と呼んだほうが本質が把握されているような武士階級の層が厚かったからではないか・・・と、思ったのでした。
 すなわち、この二つはインドネシア語の「アボジ(知識ゼロ → 奴隷・手伝い人)」と「弓矢を放つ パナ族」に還元できましょう。
 ハナシは少しポ〜ンですが、ネパール語的な勢力(神武)に政権を禅譲したタジク語的な勢力は、どうも朝鮮半島を経由にて日本列島にたどり着いたような直感をおぼえます。
 と、するならば、朝鮮半島にも同質(清冽を尊び、自我のなかに神を惟う)があってもいいはずですが、朝鮮にはそのような精神性はカケラも探せないようです。

 今年もすごい数の大衆が有名神社へ参拝しました。そして大衆に手を振られた皇室。
 政治機構と報道機関はのっとられてしまった日本ですが、この底辺大衆がもっている Japanility (?) は容易には消えないことでしょう。
 ひとの気持ちがわかる日本人・・・・・というよりも、くさむらで鳴いている虫にも十分すぎるぐらいの感情移入ができる日本人。


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