青草掲示板ログ平二十五年 一月〜六月 2013.1〜6
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[6901]Re: [6896] 脳卒中で絶対に倒れない飲み物の作り方 再  琉球松投稿日:2013年 6月29日(土)09時27分
神奈備さん

 脳卒中防止には泡盛でしょう!
 焼酎類は善玉コレストロールを増やし、血管を丈夫にする効果があるそうで、琉球泡盛、奄美黒糖焼酎など、タイの酒「ラオロン」の流れを汲む蒸留酒はいいと思いますね。
 僕は、ほとんど毎日、泡盛の10年古酒をコップ半分程たしなむ程度で、ベランダからの月明かりをサカナに古代人の神観念に思いを馳せたりなんかしてますよ〜。

 日本の焼酎は琉球経由だと言われていますが、まあ500年くらいの歴史でしょうか。東南アジアとの交流も盛んな時代に「琉球音階」と一緒に入ってきたのでしょう。

 脳卒中回避には、ぜひとも琉球泡盛&奄美焼酎をご賞味下さい。
 以上、琉球共和国酒造組合連合会からのコマーシャルでした(笑)。

写真は、山口県「土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアム」展示ブースの一部




[6900]Re: [6899]Re: [6876]   大三元 投稿日:2013年 6月25日(火)19時43分
神奈備さんへのお返事です。

ご明察の通り最近あまりお邪魔してませんでした。
私の掲示板は閑古鳥がピヨピヨ囀ってますので大歓迎です。

> スターダストさんへのお返事です。
>
> スターダストさん、こんばんは。
>
> 3ヶ月前と言いますと、この掲示板はまだteacupに移動する前でした。ご無沙汰です。
>
> 大三元さんは、移動後には、御覧頂いているのか、いないのか、不明です。
>
> 小生には、お相手する能力に欠けておりますので、大三元さんの掲示板で論議を深めていただければ、幸甚です。

http://www.dai3gen.net/wforum_reki/wforum.cgi


[6899]Re: [6876] 神奈備 投稿日: 2013年 6月19日(水)20時18分
スターダストさんへのお返事です。

スターダストさん、こんばんは。

3ヶ月前と言いますと、この掲示板はまだteacupに移動する前でした。ご無沙汰です。

大三元さんは、移動後には、御覧頂いているのか、いないのか、不明です。

小生には、お相手する能力に欠けておりますので、大三元さんの掲示板で論議を深めていただければ、幸甚です。
http://www.dai3gen.net/wforum_reki/wforum.cgi


[6898]園韓神   スターダスト 投稿日: 2013年 6月16日(日)17時06分
ご無沙汰しております。 3ヶ月弱も…
今、園韓神についてあれこれ仕入れております。 難しいです。
蘇那葛叱智が蘇那葛プラス叱智と分解できる名前だとすると、前者は…葛の末尾子音tが流音(rやl)に転化しやすい事情を考えますと、園韓に近い音になるという点に着目してなのですが。
于斯岐阿利叱智との整合性に期待できず、やや困っております。
…ソバカリについて追っているうちに、大変に遠くまで来てしまいました。私の希望としては、金官伽耶=ソナカラであってほしい、ソバカリのソは、金官伽耶の金(=ソ)であってほしい、だけれども、穴だらけで困ってしまいます。ふぅ。


[6897] 脳卒中で絶対に倒れない飲み物の作り方   神奈備 投稿日:2013年 6月10日(月)09時00分
脳卒中で絶対に倒れない飲み物の作り方

1.鶏卵      1個白味だけ
2.ふきの葉の汁  小さじ3杯。ふきの葉を3〜4枚きざんですりつぶし、それをこした汁。ツワブキは駄目
3.清酒      小さじ3杯(焼酎は駄目)
4.梅漬      1個をすりつぶす。(土用干しした梅干しは駄目)塩漬けにして、やわらかくなったもの。

製法 必ず番号順に入れること。一品を入れるごとによくかき混ぜること。
入梅の頃は、ふきも梅も手に入ります。
一生に一度だけ飲めばいい。何度飲んでもかまいません。

旧国分市(霧島市)の養護老人ホーム慶昌園で体験している脳卒中予防法です。数千人が試されて、全員健在だとのこと。



[6894]Re: [6893]Re:[6890] 少彦名神   琉球松 投稿日:2013年 5月30日(木)10時42分
神奈備さんへ

 "太陽が穴に入り、西から東へ行って、出てくる" 。。。これは琉球圏の太陽信仰そのものですね。
 この場合の "穴" は「ホト」と見なせますから、鍛冶屋さん達の用語にも反映されているかもしれません。

 とすると、原初的には東側の小島だったでしょうか? 「恵比寿/大黒様」など海の向こうから福をもたらすと言う意味では翔南の「江ノ島(アウの島?)」などもそうかもしれませんし、鹿児島湾の「桜島(オウ島?)も比定できるのかも。

 "東國の人々の難儀を救う為に再びこの地に帰ってきた" 。。。救世主弥勒信仰の変形?

以下、『おもろさうし』の、通称「創世オモロ」の一節
***  むかしはぢまりや    (昔、天地の始まりに)
     てだこ大ぬしや     (日の大神は)
     きよらや てりよわれ  (美しく照り給えり)
     せのみはぢまりに    (天地の始まりに)
     てだいちろくが     (日神イチロクが)
     てだはちろくが     (日神ハチロクが)
     おさんしちへ みおれば (下界はるかに見下すと)
     さよこしちへ みおれば (はるかに眺めると)
     あまみきよは よせわちへ(アマミキヨを呼び寄せ給い)
     しねりきよは よせわちへ(シネリキヨを呼び寄せ給い)
     しま つくれてて わちへ  (島を造れと仰せ給い)
     くに つくれてて わちへ  (国を造れと仰せ給い)
     ここらきのしましま   (多くに島々)
     ここらきのくにくに   (多くの国々)
     しま つくるぎやめも  (島が出来上がるのも)
     くに つくるぎやめも  (国が出来上がるのも)
     (以下略)***


[6893]Re:[6890] 少彦名神   神奈備 投稿日:2013年 5月29日(水)16時47分
> ただ、米子市の「粟島神社」のように、この神は「アフ・アハ・アワ・オヲ・オオ」島経由で行き来すると観念されていたんじゃないでしょうか。

 中西進著『古代日本人・心の宇宙』から。「朝日を拝む聖地を、アワ、アハ、アブ、アヲ等と呼んできました。日本各地に安房峠、天生(あもう)峠、青山峠など。阿保、油日岳。沖縄でも落日のアワもあります。」とあります。

 これから考えると、少彦名神とは、やはり太陽に絡んでいる神のようです。朝露の中の光。
 また、太陽の落日、太陽の穴、西方浄土への信仰、落日の方向はやすらぎの場所。少彦名神もやすらぎの場に行ったのでしょう。

 常陸國鹿嶋郡に大洗磯前神社が鎮座、由緒は、「我はこれ大己貴、少彦名神也。昔この國を造り常世の國に去ったが、東國の人々の難儀を救う為に再びこの地に帰ってきた」と仰せられました。

 太陽が穴に入り、西から東へ行って、出てくる、大己貴、少彦名神は太陽のような神であったと云えます。



[6892]Re: [6891] Re: [6890] 少彦名神   琉球松 投稿日: 2013年 5月20日(月)12時30分
神奈備さんへ

 淡島神社の祭神も少彦名命でしたか。沖の方の島が、こちら側へやって来たかもですね。

 "小さい神で思うのは、朝露が日の出に光っている様" 。。。美しい光景です、沖縄地方の祝儀舞踊『♪ かじゃでぃふう節』を連想しました。
*** きゆぬふくらしゃや なうにぢゃなたてぃる
    つぃぶでぃうるはなぬ つぃゆちゃたぐとぅ
   (今日のうれしさは、何にたとえられようか。
    まるでつぼんでいた花が、露に出会って花ひらいたようだ)***


[6891] Re: [6890] 少彦名神   神奈備 投稿日:2013年 5月19日(日)09時23分0秒
琉球松さんへのお返事です。


> この神社は古くは地崎の小島でした

 和歌山の淡島神社は人形で有名です。祭神は少彦名命で、沖の加太友が島の神島に祭られていたのを勧請したようです。この神は小島が似合うようです。

 小さい神で思うのは、朝露が日の出に光っている様です。これこそ清々しい太陽と自然の恵みの姿です。神は細部に宿る


[6890]Re: [6889]少彦名神   琉球松投稿日:2013年 5月16日(木)09時49分12秒
神奈備さんへ

 徐福がやって来たのは紀元前ですから、祀る社が少ないのは理解できますが、少名毘古那も意外に忘れられた神とも言えそうで、大雑把に近畿を中心にしているように見えますがどうなんでしょう。
 ただ、米子市の「粟島神社」のように、この神は「アフ・アハ・アワ・オヲ・オオ」島経由で行き来すると観念されていたんじゃないでしょうか。この神社は古くは地崎の小島でしたし、琉球圏における神々の移動パターンとも合致します(大国主の手指はリヤス式海岸の細かい岬と入り江か)。

 また、『古事記』では神皇産霊神の子、『日本書紀』では高皇産霊神の子となっていますから、双方を統一した神武をも連想しますし、この神の素性を知っていた「案山子」は稲作神の寄り代でしょうから、銅鐸神?との共同作業によって国を刷新したとも考えられます。

 「カカ・カガ・ガガ」は蛇をも表すとの説が妥当であれば、は虫類の皮膚や "カガミ" の光沢にも繋がりますし、「天乃羅摩船」は常世国からもたらされた太陽信仰なのではと考えますが神奈備さんの解釈はどうでしょうか。

写真は、神々の中継地の一つ「奥武島(オヲシマ)・沖縄島南部」と、久米島の「奥武島」



[6889] Re: [6886]Re: [6885] Re: [6884]Re: [6883] 少彦名神   神奈備 投稿日:2013年 5月13日(月)17時55分28秒
琉球松さんへのお返事です。

 徐福の年代は始皇帝の頃ですから、絶対年代は李氏朝鮮でも知っていたのでしょう。BC220年頃。
 それに、『日本書紀』の年代を当てはめますと、孝霊・孝元の頃になり、『海東諸国記 』は、インテリの作品なのでしょう。

> 天照大神は地神の始主なり。

 これはどういう意味でしょうか。諾冉二神は天神には見えなかったとか。

> 徐福死して神と為り
現在徐福を祭神としている神社は少なくとも4社。

三重県熊野市 波田須神社 徐福社
京都府伊根町 新井崎神社
和歌山県新宮市 阿須賀神社 徐福宮
佐賀県佐賀市 金立神社

> 天照大神が伊勢に左遷?される頃

この前の土曜日の豊中歴史同好会で、皇學館大學の荊木美行先生は、伊勢に皇祖神が祀られたのは、『紀』の通りで、垂仁朝の頃とのお話でした。これは文献上からと、巻向遺跡、三輪山などの方向の関係を指摘されていました。
 小生は違うと思っていますが・・・。




[6886]Re: [6885] Re: [6884]Re: [6883] 少彦名神   琉球松 投稿日: 投稿日:2013年 5月12日(日)22時30分49秒
神奈備さんへ

 徐福に関しては、李氏朝鮮の文献『海東諸国記 1443 』に面白い記事があります。

*** 孝霊天皇・・孝安天皇の太子なり(略)、秦の始皇帝、徐福を遣わし、海に入り仙福を求めしむ。遂に紀伊州に至りて居す。***
*** 崇神天皇・・開化天皇の第二子なり(略)、六年己丑、始めて天照大神を祭る。天照大神は地神の始主なり。俗に日神と称す(略)、熊野権現神始めて現る。徐福死して神と為り、国人今に至るまで之を祭る。***

 この記事では、徐福は孝霊の代にやって来て「不老長寿の薬を求め・紀伊州に至り」、崇神の代に「徐福死して神と為り」とあります。
 「始めて天照大神を祭った」のも、「熊野権現神始めて」現れたのも崇神の時代。。。
 偶然かもしれませんが、この年代にほぼ重なる方は「ヤマトトトヒモモソ姫」だけですね。勿論、複数の姫様でしょうけど、最後の百襲姫がホトを突いて死亡する頃と、天照大神が伊勢に左遷?される頃とほぼ一致します。

 この朝鮮側の文献の一部は『日本書紀』からの引用のようですけど、琉球側の伝承も採用されているでしょうか? なんか「少彦名神」がどこかに隠れているような気がするんですよ。

画像は、普天満宮拝殿と、本来の本殿と考えられる洞窟内部の拝所・宜野湾市



[6885] Re: [6884]Re: [6883] 少彦名神   神奈備 投稿日:2013年 5月12日(日)14時20分54秒
琉球松さんへのお返事です。

> 洞窟(岩屋)" と近接

 和歌山では田辺市の磯間岩陰遺跡が古墳時代中期終から後期にかけての石室墓だそうです。薮谷洞穴は弥生時代のもの。

 少彦名神は大阪では天神とよばてれおり、菅公に席巻された天神社が多い中でも比較的頑張ってきています。

 少彦名神は高皇産霊の手の間から零れ落ちたので手間天神と呼ばれるようになった。赤猪岩神社の鎮座する西伯郡会見町に、天萬神社が鎮座している。手間からの転訛でしょう。少彦名神は岩に寄り付く神だあるのは、紀州串本の潮御崎神社の磐座、、また能登の国の宿那彦神像石神社の名からも想像できます。赤猪岩に少彦名神が寄り付いていたから大穴牟遅神が助かったのかも知れません。

 徐福伝説の残る菟足神社に伝わる伝承。
 『牛窪記』元禄十年(1697)に「崇神天皇御宇ニ紀州手間戸之湊ヨリ徐氏古座侍郎泛舟、此国湊六本松ト云浜ニ来ル。」とあります。紀州の手間と戸から徐福の孫の古座郎は三河に来たとのこと。
 手間の戸の湊とは少彦名神が鎮座していた湊と思われます。潮岬付近かも。





[6884]Re: [6883] 少彦名神   琉球松 投稿日: 2013年 5月11日(土)09時19分42秒
神奈備さんへ

 少名毘古那神は、常世国からやって来て、常世国へ帰っていった神ですから海人なのでしょう。
 しかも、常世思兼神の弟で、ほとんどだれもその素性を知らない古い神ですから、弥生時代の開始に立ち会った神かもしれません?
 除福伝説や、アイヌの「オキクルミ」、琉球圏の「キジムン(木のモノ)」との関係もありそうですけど、ともかくも "小さい" との表現がキーワードなんでしょうね。

 縄文時代後期には、琉球列島を経由した多くの考古学的証拠が西日本太平洋側で見つかっているようですから、日本海側や瀬戸内海へのこの神の伝承は後世的なものと解釈したいのですがどうでしょうか。
 紀伊半島南端周辺は、後世の「補陀落渡海」の現場でもあり、「紀伊 "大島"」 の存在とも考え合わせると、この地もまた「常世の浪の重浪帰する国」なのでしょう。

 そう言えば、琉球八社(安里八幡宮を除く)もそうですが、熊野権現の社の多くは "洞窟(岩屋)" と近接していて、いや。。。もともとは岩屋が御神体で、拝殿などは後から造営されたとも解釈可能ですね。

写真は、波之上宮(少彦名神は相殿神)本殿下岸壁中央の、古くから信仰の対象である岩屋・那覇市




[6883] 少彦名神   神奈備 投稿日: 2013年 5月10日(金)16時58分15秒
 少名毘古那神は出雲の御前に現れて、大穴牟遅と共に国造りに従事し、常世国(トコヨノクニ)に度(ワタ)ってしまったのです。
 それにしても、出雲には、『記紀』・『出雲国風土記』などには、少彦名神の足跡が見あたらない。この神を祀る式内社もなさそうだ。

 播磨、伊豆、伯耆(粟に乗って弾かれて常世国へ渡った。)、伊予の風土記(逸文)には登場しています。
 また、石見には、「志都の岩屋」と呼ばれる巨岩があり、『万葉集』には、「大汝少彦名のいましけむ志都の石屋は幾代経ぬらむ 巻三 355」と歌われています。

 志都の岩屋とよく似た名の岩屋が、紀州潮岬にあり、「静之窟(しずのいわや)」と呼ばれています。少彦名神を主祭神とする。潮御崎神社が鎮座しています。この神社の創建由緒に、『紀』の「熊野御崎より常世国に渡り給うた」と云う神話にちなんで、ここに勧請したとあります。
 なにも、『紀』によらずとも、常世国と結びついて考えられるのが熊野であり、潮岬の静之窟から渡ったとも考えられます。

潮岬の静之窟

http://www.mikumano.net/meguri/sionomisakijinja.html
に写真がでています。



[6882] Re: [6880]Re: [6877] 須佐之男命   神奈備 投稿日:2013年 5月 9日(木)15時51分27
琉球松さんへのお返事です。

ダイトルに連番を入れていただきありがとうございます。

> 「大斎原」で川の中州

 四方が山に囲まれた川の中州です。山と川は一体となって恵みを与えていたのでしょう。

> 熊野権現を国教に据えた

 なるほど。イメージでは逆のような気がしますが・・・


[6881] Re: [6879]Re:[6877]須佐之男尊   神奈備 投稿日:2013年 5月 9日(木)15時50分5秒
かじりかけさんへのお返事です。

ダイトルに連番を入れていただきありがとうございます。

> 本当の王は妃殿下の方だったのでは・・・

その方が一代あたりの年数が合理的になりそうですね。面白い。


[6880]Re: [6877] 須佐之男命   琉球松 投稿日:2013年 5月 9日(木)09時58分2秒
神奈備さんへ

 熊野本宮の古社は「大斎原」で川の中州(島?)でしたから、古来山岳信仰とは無縁だったんじゃないかと思いますね。
 この地にスサノヲが祀られていたとすれば、熊野川の氾濫を鎮めるためじゃないでしょうか。
 考古学的には銅鐸、民俗学的には竜(鮫)や河童の "荒ぶる部分" の再生(禊)を試みているように見えるますがどうでしょう。
 そう考えると、川を下り母の国〜イザナミの墓所への航路をも確保しているのかもしれません?

 ところで、出雲信仰の大本は「木の国」で、和歌山県&三重県だとする説に共感できますが、沖縄の伝統的信仰「ニライカナイ(奄美ではネリヤカナヤ)」の原型もまた、この地ではないかと考えています。
 そういう意味では、奄美沖縄の創世神「アマミキヨ/シネリキヨ」は「アマテラス/スサノヲ・イザナギ/イザナミ」に比定可能で、古琉球〜近世琉球王国が熊野権現を国教に据えた事実とも見合うわけですね。

画像は、「大斎原」絵図


[6879]Re:[6877]須佐之男尊   かじりかけ 投稿日:2013年 5月 8日(水)23時42分9秒
(飲んでおります)

出雲井神社のことを挟んでの考えなのかなと思いましたがどうなのでしょうか?


なんて言ったりして(^^)



出雲市に古志という地名が残っています。この地名の由来は、その昔コシの人が提を築いて移り住んだ。とあります。

この由来より、当時の人々から見ると提というものが珍しくコシの人は技術・知識を持った人々だった。と、思います。(木を使って家をつくるとか・・・)

出雲地方に文化が出来る前か同時期に、コシに出雲より高度な文化があったのではないかと思っています。


しかし、天皇の系図を見ても初期の妃殿下の名が何らかの意味があるような気がしてならないのです。
例えば、本当の王は妃殿下の方だったのでは・・・


なんて妄想です


[6878]Re[6876]旧石器と縄文遺跡   かじりかけ 投稿日:2013年 5月 8日(水)23時06分36秒
島根県の隠岐の黒曜石は縄文時代に近畿地方で使われていたようですね。

そんな時期から交流があったのですね。

近いといえば近いので当たり前なのかもしれませんが・・


[6877] 須佐之男命   神奈備 投稿日: 2013年 5月 8日(水)20時09分6秒
 根の堅州国のイメージはよみがえりの紀州の熊野にあいそうです。ここに須佐之男命のついの住処があったのです。これが今、熊野本宮大社の祭神として祭られることになったのです。

 旧紀伊国だった三重県熊野市には、黄泉の国へ行ったことになっているイザナミの墓所とされる花窟神社が鎮座しています。(『紀』一書第五)

 須佐之男命は出雲神話(記紀・出雲国風土記)のスターですが、祭神としている式内社では、紀伊が名神大社のなっており、出雲は小社です。このことは単に延喜の時代(901〜)の神社の格付けの問題ではなく、それに至るまでのそれぞれの神社と祭る氏族の積み上げた歴史があったのでしょう。

紀州と出雲の同じような名前の神社を比較してみます。

    紀州        出雲

名草郡 加太神社      大原郡 加多神社

    伊達神社(名神大)  意宇郡 同社韓國伊太氏神社  3社
              出雲郡 同社坐韓國伊太氏神社 3社

在田郡 須佐神社       飯石郡 須佐神社
    (名神大。月次新甞)
              出雲郡 同社須佐袁神社  3社

牟婁郡 熊野早玉神社(大) 意宇郡 速玉神社
    熊野坐神社(名神大) 熊野坐神社(名神大)

なお、備後國深津郡 須佐能袁能神社

 総じて紀州の神社が出雲より格が高いようです。

 式内社の格式で、松前健一先生が須佐之男命の本拠を紀州とされておられるのは、紀州人としてはありがたいことですが、須佐之男と言う神は普通名詞、すなわち複数存在していたことも考えなければと思っています。



[6876] 旧石器と縄文遺跡   神奈備 投稿日:2013年 5月 8日(水)11時31分6秒
 『古事記』には、旧石器時代(〜BC 12,000)や縄文時代(BC 12,000〜BC 1,000)の具体的な記述はありませんが、「にちはやぶる荒ぶる国つ神等の多にあり」の言葉には、自然の声を聞きつつ、生活をしている人々の存在がイメージされます。

 旧石器時代の主な遺跡と概要

和歌山市山東大池遺跡
旧石器、ナイフ形石器、石匙、石鏃、石核、サヌカイト片 が出土しています。サヌカイトは槍の先などとして使われたもので,割るとするどい縁ができる硬いものです。大和の二上山産出。

紀の川市貴志川町平池遺跡
旧石器、ナイフ形石器、石鏃、サヌカイト。

有田郡有田川町土生池遺跡
先土器、ナイフ形石器、削器、掻器、石核、土師器、黒色土器

御坊市壁川崎遺跡`(名田町野島壁川崎)
先土器、ナイフ形石器、石核、石鏃、弥生土

 縄文時代の遺跡

早期 田辺市高山寺貝塚(田辺市稲成町糸田)
 縄文時代早期の貝塚遺跡。田辺湾を望む標高32mの丘陵上、高山寺の境内に所在する。貝塚は1938年(昭和13)の秋に寺の境内西斜面で発見され、発掘調査が実施された結果、近畿では海水産の貝殻からなる唯一のもので、縄文時代早期の高山寺式土器を出土する標式遺跡として有名になった。出土土器は器壁厚1cm以上の厚手押型文土器が主で,無文土器が少量伴う。


前期 和歌山市鳴神貝塚
 縄文時代前期(約6500年前)から晩期(約3000年前)、さらに弥生時代まで人々が住み続けたことが遺物から推定されます。出土する貝が海の貝であることから、当時和歌山平野はまだ海が広がっており、ここ花山の麓は海岸線であったことが推定されます。貝塚の傍には集落があり、墓地からは抜歯した若い女性の人骨も発見されました。縄文時代には抜歯する習慣がありました。鳴神遺跡は、当時の自然環境や風俗・生活を知る上で貴重な遺跡です。縄文土器、骨製品、人骨、弥生土器。


前期 和歌山市禰宜貝塚(和歌山市禰宜字三田)
 縄文土器、石器(匙、錐、鏃、錘、斧)骨角器(骨針、牙製ナイフ)、ハイガイ、ヤマトシジ ハマグリ マガキ
 出土土器の90%を前期の土器が占めており、中・後期は少ない。
 土器の胴部上半に数条の爪形文を、下部に羽状縄文を施すもの、斜縄文だけを施したもの、口縁部に1〜2条の突帯を貼り付け、これに刻み目や縄文を施したものなど、前期前半代に本遺跡の中心が求められる。石器としては、石匙・石錐・石鏃・石斧が出土し、特に有茎の水晶製石鏃は注目される。骨角器としては、骨針・牙製ナイフが出土している。


中期 広川町鷹島遺跡
 縄文土器、弥生土器、石器(石錘)、土錘


後期 海南市溝ノ口遺跡
 貴志川の河岸段丘には、数多くの縄文・弥生時代の遺跡が分布しています。、土器や首飾りなどの玉類、石錘、石の斧、石の矢じり、石の皿、たたき石などの遺物がたくさん出土しました。さらに2300年も昔の円形竪穴式住居跡、なきがらを土器に入れて葬った「甕棺墓(かめかんぼ)」が発掘されました。宮滝式の弥生土器も。
 西日本では珍しいと云えましょうが、ストーンサークルが発見されています。また、この場所は南に黒沢山を頂点とした神奈備山が三つ重なっています。


晩期 和歌山市岡崎遺跡
 縄文土器、石器多数



[6875]]大国主神社 国主神   神奈備 投稿日: 2013年 4月26日(金)09時03分50
 大穴牟遅神への八十神(ヤソカミ)の迫害


 ここにまたその御祖(ミオヤ)哭(ナ)きつつ求(マ)げば、見得て、すなはちその木を拆(サ)きて取り出で活(イカ)し、その子に告げて言はく、「汝(イマシ)はここにあらば、つひに八十神のために滅(ホロボ)さえなむ」といひて、すなはち木国(キノクニ)の大屋毘古神(オホヤビコノカミ)の御所(ミモト)に違(タガ)へ遣(ヤ)りたまひき。ここに八十神覓(マ)ぎ追ひ臻(イタ)りて、矢(ヤ)刺(サ)し乞ふ時、木の俣(マタ)より漏(ク)き逃(ノ)がして云(ノ)りたまはく、「須
佐能男命(スサノヲノミコト)の坐(イマ)す根の堅州国(カタスクニ)に参(マヰ)向(ムカ)ふべし。

 木の国の大屋毘古神は名草郡の伊太祁曽神社に鎮座しています。ここに五十猛神がかぶさって『旧事紀』では、同一神と見なしています。『古事記』には、二神の神生みの段で、大屋毘古神が生まれています。五十猛神は、『紀』で、素戔嗚尊の御子神として、妹の大屋津姫命、採津姫命と共に登場します。二神の御子神と孫神が同一というのも不思議なことですが、そこは神様のこと、元々不思議な存在ですから納得しておきましょう。

 那賀郡(紀の川市貴志川町)に鎮座する大国主神社には、八十神等の危難から逃れ、大屋毘古神のもとへ赴こうとした大国主命が当地を訪れた事を由緒としています。

 名草郡(海南市多田)に、国主神社が鎮座、大屋毘古神のもとに滞在中の大国主神はこの地に妻問いに来訪しているのではないか、なぜならこの地は美人が多い地だとのお話もある。



[6874] 大屋毘古神   神奈備 投稿日:2013年 4月26日(金)09時01分42
木の国の古い神です。伊太祁曽神社の祭神です。


[6873] 『森林飽和』太田猛彦著 を読んで。   神奈備 投稿日: 2013年 4月21日(日)21時16分31
森林や山の木々について、観点が変わる本でした。
 例えば、山には木々が多いほど、雨水を貯めるダムの働きが大きいと思っていましたが、さにあらずでした。
 木々の葉っぱは雨を地面に届かせないことがあり、そのうちに蒸発させてしまう。
 木々は、特に針葉樹は、水を大量に吸い込み、葉に貯め、地中から吸い上げて、なかなか地中に蓄えてくれない。
 木々は水を吸い上げて幹などの小さい穴から出して蒸発させてしまう。

 背の低い灌木などが生えていれば、高木・大木がなくとも、山には十分貯水が出来るということ。
 ほどほどに木々を伐採した山が貯水能力が一番、昔は20年位の木々は、待ちきれずに伐採・利用していたようで、結果的にはうまく山の能力と資源を活用していたのです。

 ついでに、防災として東北地方の海岸に津波の高さに負けない堤防を築くことが押し進められそうですが、建築費用や維持経費は膨大なものになり、景観や海の利用と言う観点からもあまり好ましいものとは思えません。
 それよりも、対策は減災程度にとどめることにして、景観を守り、経費節減を計るには、松林の復元が有効なようです。
 小生の勝手な考えですが、10m程度土盛りをして、巾100m程度の松林ベルトを海岸に造林すれば、そうとう減災できるのではないかと。




[6871] ]遊女記 14 終  神奈備 投稿日:2013年 4月14日(日)19時46分30秒
『遊女記』
 少分の贈(少額の団手)を得て一日の資としたのである。ここに髻俵(出遊と判るような髪型か )・絅絹(出遊と判る服装か)の名の由来がある。アルバイト遊女の船の舳先には、いずれも登指(高い柱、大笠と棹)というものが建てられ、それに九分之物(出遊と判る標識、丸いものか)が掲げられて一見して直ちにアルバイト遊女の船であることが判るようになっていた。これも遊女社会の慣習である。
 (遊女社会のことは)既に文章博士大江以言の「見遊女詩序」に詳しいが、本文ではそれ以外に気付いた点を若干付け加えてみただけである。
ーーー
                          『遊女記』終


源平時代に江口神崎は衰えはじめた。
院政時代の末期に白拍子なる舞妓が出現。
清盛が都を福原に移した。
頼朝が鎌倉に幕府を開いた。
遊女は東海道と播州の室津へ移動した。
江口神崎の残存遊女屋は江戸初期に佐渡島町に移った。





[6868]Re: [6867]遊女記 13   琉球松 投稿日:2013年 4月12日(金)10時15分47秒
神奈備さんへ

 『遊女記』シリーズ?は、とても参考になります。
 琉球圏のそれと相通ずる部分と、「遊女」に対する尊敬の念に温度差はあるんですが、民間民俗「大晦日の客」との関係性は温存されているように思えますね。

 那覇辻街の遊女達は、「唐旅(帰って来れないかもしれない危険な旅)」に赴く男達の安全と、その家族の心情にまで心配りをしていたほどで、「オナリ神信仰」の延長線上にある存在とも解釈できます。

画像は、旧暦1月20日に行われる那覇の「ジュリ馬祭」神女の胸元には勾玉が掛けられていた・ブログ『モリモリ三線教室
http://blogs.yahoo.co.jp/hiromisannshinn/30998917.htmlより転写


[6867]遊女記 13   神奈備 投稿日:2013年 4月10日(水)15時57分45秒
『遊女記』
 豪家(摂関・公卿など権門・勢家と呼ばれた家柄の良い家)の侍女(豪家に仕える女性、家伎として芸能を教育されたマカタチなど)の中には、自ら求めて遊女社会に身を置き上下の船に宿る者もいたが、これを湍繕(速く繕ろう転じて売春のみを専門とする所謂ショートのことか)または出遊(アルバイトの遊女の意味か)といった。
ーーー
○注 マカタチ 侍女 侍婢 貴人につきそう女

遊女の子でも偉くなる。
源義平 橋本(八幡市) 源義朝の長男、鎌倉悪源太。
源範頼 遠江国池田宿の遊女が母 頼朝の異母弟
徳大寺実基 白拍子五条夜叉の子 太政大臣。
藤原信能 江口の遊女慈氏 従三位・参議
藤原兼高 江口 木姫 正三位・参議
頼朝・義経 白拍子常磐御前



[6866]遊女記 12   神奈備 投稿日: 2013年 4月 7日(日)13時02分19秒
『遊女記』
 一般の人々が言うには、雲客風人(都の貴紳、雲上人や風雅の人)が遊女を賞でるために京洛よ り河陽に到るときは、専ら江口の遊女を愛したようで、刺史以下(地方の国司以下の役人や庶民)が西国より河に入る時には専ら神崎の遊女を愛したようである。いずれも始見(始めてまみゆる)をもって遊んだようであるが、要するに近場で遊んだということである。遊女たちが得るところのもの即ち収入のことを団手(だんしゅ、纏頭・玉代・花代・線香代などの類か)といった。均分の時に及んでは遊女たちは恥じらいや慎みなどをかなぐり捨て少しでも団手の取り分を増やそうとして奮励努力するさまは傍目から見ると、まるで喧嘩や乱闘をしているかのように見えるのである。
 或るときには麁絹(綾のない生地)の尺寸までの細かい裂地(麁絹を均等に切断して分け合うこと)を奪いあい、また或るときには米や粳の斗升を厳密し計って分け合うのである。考えてみるに、まさしく『史記』陳丞相世家や『前漢書』陳平伝にみえる陳平が肉を分つときに均等に公平な分配を行った故事をみる思いがし、遊女社会では団手の分配を均等に行う風習があるようだ。
ーーー
○ 『日本紀略』遊女群参 給米百石  総花的に花代を与えると分配で柳眉をつりあげる。

○ 『扶桑略記』指江口御之間 遊行之女船泛来 歌曲参差 為鱗其衒売之意  仰讃州米百石給之

○ 遊女は共同体を形成していたが、個人事業主で、収益の配分には目を光らせた。

○ 『古今著聞集』道因法師 六日 出神崎 於高浜 召遊君六人 纏頭 長者金寿 三領単衣(仕立てられた小袿(こうちぎ) 熊野(江口) 伊世三領(仮縫いの大袿(おおうちぎ)口) 小最 輪鶴 各一領 此外伊与守給米 云々

○ 国司 五位の赤トンボと蔑まれたのは浅緋の服を着ていたから。しかし、中央貴族より官位は低いが、別に公廨稲の分配という収入があり、遊女にはもてた。国司は神崎に多く、派手。江口は京の貴族で地味。

○ 『尾張国郡司百姓等解文』三十一条の訴え 正規の納期以前に税を徴収。農民から徴収あった調(国の特産品)のうち、良質な物を着服して、粗悪な物を中央へ進上。農民に貸与すべき米穀を着服。池・溝の修理費用を着服。自らの郎党・従者を郡司・農民の家に押し入らせてめぼしい物を奪う。運送負担の強制。等々

○ これらは、遊女と遊びたいためか。


[6865]遊女記 11   神奈備 投稿日:2013年 4月 5日(金)16時09分34秒
『遊女記』
 また長元年中上東門院(一条天皇皇后、後一条・後朱雀両天皇母、藤原道長の女彰子)がまた御 行された時(『日本紀略』長元四年(1031)、宇治大相国藤原頼道は、中君という遊女を賞でられたという。さらに延久年間(延久五年(1073))、後三條院(前年末に白河天皇に譲位されたばかりの後三條太上天皇)が同様に住吉大社・四天王寺へ御幸された折りにも、狛犬や犢(こうし)らの遊女たちが船を並べて群参し、(その艶やかなる光景は素晴らしく)人々はこれを神仙といい、近代の勝事(近来稀にみる素晴らしい出来事)と讃えた。
ーーー
○ 遊女の舟上でことに及ぶこともあった。

○ 舟の中に さしも浮きたる 契りまで うらやむほどの えにぞありける 有家朝臣



遊女記 10   神奈備 投稿日: 2013年 4月 3日(水)19時07分44
『遊女記』
 長保年中、東三條院(円融天皇女御、一条天皇母)が住吉大社・天王寺に参詣された時(『日本紀略』によると長保二年(1000)三月二〇日のこと)、その帰途(淀川を渡る時に遊女たちが群集し、扈従していた殿上人や女房への施しが行なわれたがその折り)禅定大相国藤原道長は殊に小観音という名の遊女に寵愛をお与えになったという。
ーーー
○ 『日本紀略』 一条天皇長保二年(1000)三月 廿日丁酉,東三條院參詣住吉社.先參詣石清水八幡宮、四天王寺. 廿三日庚子,發遣六社奉幣使.伊、石、賀、平、松、稻.依造宮也.廿六日癸卯 今日,東三條院.詮子.御淀河之間,遊女群參.給米百石.殿上人及女房有纏頭事.又左大臣.道長.給米五十石.

○ 遊女は何故観音か 遊女の癒し機能、身を犠牲にして男たちに奉仕する美しい女たち。観音とも普賢菩薩とも映った。

○ 野崎観音は江口の遊女たちが再興したと伝わっている。

○ 『謡曲江口』天王寺参詣途中の僧が江口に寄った際、遊女の霊が現れ、舟遊びを見せ、棹の歌を謡う。そこで彼女は六道流転(輪廻を繰り返す)の様と罪業迷妄の身を嘆く。
 さらに、「人が皆、六塵の境(六識の対象の境:色境など)に迷って六根(六種の感覚:眼 、舌、意など)の罪を作ってしまうのも」迷う心から生じるのだと言う。」そうして普賢菩薩となって西の空へ昇天した。
[6863]遊女記 9   神奈備 投稿日: 2013年 4月 1日(月)20時10分13秒
『遊女記』
 これらの名妓はいずれも倶尸羅(インドの黒ホトトギス、好色鳥)の再誕のような美声の持ち主であり、また衣通姫(允恭紀にみえる絶世の美人)の生まれ変わりかと思わせる美女たちである。
 こうした名妓たちに出逢うと、男というものはとかく美人がお好きなようで、上は身分の高い郷相(公卿)から下は一般庶民に至るまで、宴席を共にし同衾すれば忽ち夢中になって身も心も情を通じてしまうのである。
 そうしたことから遊女の中には、身分ある人の妻や妾となって死ぬまで愛せられ、一生の幸せを得た者もいたという。たとい賢人や君子といわれる者でも男というものはとかく好き者が多く、このことだけは避けて通ることができないようである。(遊女たちの信仰を集め、遊女たちがよく参詣した場所は)南は則ち住吉、西は則ち広田が多く、そこで遊女たちは徴嬖(客がつくこと)の幸多きことを祈願したのである。ことに遊女たちの願掛けには、百大夫すなわち祖神(神仏混淆時代で百大夫と道祖神を同一視しているが滝川博士によると、元来、百大夫は陰陽道の神とされる。)への信仰が強く、願掛けに遊女たちは人ごとに百大夫の像を熱心に作り、それを神社に奉納したのであるが、その数は百千にも及んだという。その効果は相当あったようで、お客の心も蕩(うご)き、お声もかなりかかったようである。これもまた遊女社会の古い習俗である。
ーーー
○ 百大夫を祀る神社 百大夫は少女の姿の神

西宮蛭子摂社  祠あり。http://kamnavi.jp/en/settu/nisinomiya.htm
京都祇園八坂神社摂社えびす神社の境内に百大夫社
南淡路市市三条 三条八幡 脇宮戎社に合祀 江戸時代か
大阪市天王寺区 生国魂神社摂社浄瑠璃神社に合祀  明治時代か

文献上存在を確認できる。

西宮市 広田神社 末社
亀岡市保津町 請田神社末社  大井河 傀儡居住上一丁許
行橋市長尾 百太夫神社
京都府八幡市 石清水八幡末社
滋賀県大津市坂本 日吉大社末社

社祠は存在するが社名、祭神が転移。

宇佐市 宇佐八幡宮境外末社 百体殿  鎮座地の小字は百太夫 クグツの化粧井戸あり
豊前市求菩提 求菩提山護国寺の諸堂中の一 百太夫殿
田川郡香春町  香春岳 百太夫社
宇佐市長州 八坂神社(元宿神社 きんだんの宮)境内の薬師堂に合祀



>[6862]遊女記 8   神奈備 投稿日: 2013年 3月30日(土)11時18分18秒
『遊女記』
 江口では観音という名妓を祖(姐さん株の妓女 宗・長者も同類と思われる)として、以下、中君・□□□・小馬・白女・主殿などの(歴代)名妓がおり、また蟹島では、宮城という名妓を宗(しゅう)以下、如意・香爐・孔雀・立枚などの名妓達がいる。一方、神崎では、河菰姫という名妓を長者として、以下、狐蘇(こそ=許曽)・宮子・力命・小児などの名妓達がいる。
ーーー
○ 遊女は自らの計算によって、遊女稼業を営んでいた。情夫程度の用心棒がいた。

○ 『見遊女詩序』有夫婿者 責以其少淫奔之行 有父母者 只願以其多徴嬖之幸 平安時代は船を手当したりする資本家もいたのだろう。

○ 『梁塵秘抄』女の盛りなるは 一四五六歳 二十三四 とか 三十四五 にし成りぬれば紅葉の下葉に異ならず (紅葉の下葉とは大年増を意味する)

○ 『梁塵秘抄』遊びをせんとや生まれけん 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声きけば わが身さえこそゆるがるれ

(訳)オトコのオモチャと生まれてきたわ さわられ なでられ 抱かれるために たまにゃひとりで 生きたくもなるが こみあげる 悲しみ なんとしょう



[6861]遊女記 7   神奈備 投稿日: 2013年 3月29日(金)08時49分26秒
『遊女記』
 こうした賑わいに経廻の人(旅行者)もついに家庭のことなど忘れ勝ちになってしまうのである。(神崎川両岸)の洲には蘆が生い茂り、川口の水面には白波が花のように波立ってまるで絵のような美しさである。川面には釣りを楽しむ翁の船や船客相手の酒食を商う小商人(あきんど)の船(近世の「くらわんか船」のようなもの)も多くみられ、それに旅舶や遊女達の扁船も混じって舳と艫が接するような混雑ぶりで、殆ど水面が見えないほどの繁昌ぶりである。まさに天下第一の楽しき地(ところ)といえよう。
ーーー

○ 京都に都が置かれると、漁色に飽くことを知らない貴族群が遊興の日々を送っていた。



[6860]遊女記 6   神奈備 投稿日: 2013年 3月27日(水)19時14分53秒
『遊女記』
 倡女たちは群れをなして扁舟(小端船)に棹さして旅舶の間を漕ぎ廻り、唱歌しながら(泊まり の)客を求めている。艫取女たちが客を呼ぶ声は渓雲(川霧)をとどめるほどであり、遊女たちの謡う今様の調べと鼓の音は水風に余韻として飄(ただよ)っている。
ーーー
○ 『梁塵秘抄』 遊女の好むもの、雑芸、鼓、小端舟、おおがさ、翳(かざし)艫取女(年老いた遊女のなれのはて:鑓手婆)、男の愛祈る百大夫

○ 『梁塵秘抄』 京よりくだりし とけのほる(傀儡女) 島江に屋建てて住しかど そも知らず うち捨てて いかに祭れば百大夫 験なくて 花のみやこへ帰すらん

○ 『梁塵秘抄』 今様 そよそよと しだれ柳に 下がり藤 においも盛り 咲き誇る ゆれて もつれて からみあい そよそよ 風に なびきあう やれやれ うれしや あれあれ たのしや このあそび

○ 『梁塵秘抄』 今様 熊野へゆこう 熊野にね 何が一番 苦しいかって? 安松あたりで 待っているのは 可愛い姫松 五葉松 千里の浜を 過ぎてもね

○ 『傀儡子記』 女は媚術を用い、ながしめを行い腰を折っで歩き歯を見せて笑み、唇に朱、顔に白粉を施している。歌を歌い淫らで、妖しい媚を売る。

○ 『高倉院厳島御幸記』 ことまり(播州室)のあそびども 古きつかの狐の夕暮れにばけたらんように 我れもわれもと御所ちかくさしよす もてなす人もなければ まかり出でぬ

○  『江家次第 八十島祭』 次中宮御料 次斎宮御料 宮主着膝突 西面棒御麻修禊々了以祭物投海 次帰京 於江口遊女参入 纏頭例禄如恒 帰京之後 典侍参内 返上御衣 並申御 祭平安仕畢由

○  今様を唄うのは遊女の表芸、房中に術を弄して男を満足させるのは裏芸。



[6859]Re: [6858]古韓音について思うところ   大三元 投稿日:2013年 3月26日(火)16時15分59秒
スターダストさんへのお返事です。

> うお! さすが…バレてしまいました。

失礼しました、がアタリでホッとしました。
まぁ、そうばかりだとは思いましたが。



[6858]Re:[6855] 古韓音について思うところ   スターダスト 投稿日:2013年 3月26日(火)12時26分26秒
大三元さんへのお返事です。

> ネタバレみたいになるけど、他人にも御説の応用ができる、というある意味大事な実験だと思うので悪しからず: 隼人さん ですね???

うお! さすが…バレてしまいました。
時間が取れ次第、私見を投稿させていただきたく存じます。


[6857]遊女記 5   神奈備  投稿日:2013年 3月25日(月)08時56分49秒
 『遊女記』
 摂津国に到ると、神崎や蟹島などの地があり。そこでは(娼家の)門がならび遊女の居宅が連なるように建っていて、人家が密集するほどの賑わいを見せている。

○ 尼崎市神崎の梅ガ枝公園に遊女供養碑が建てられている。
http://kamnavi.jp/dk/amayuujo.htm
○ かって神崎にあった如来院に法然上人が遊女に法話をした五人の遊女の遺跡碑がある。

○ また、大阪市淀川区加島の長慶山富光寺はその法話をした場所とされる。



[6855] Re: [6854]古韓音について思うところ  大三元 投稿日: 3月23日(土)21時27分59秒
 スターダストさんへのお返事です。

力作ですね! ふむふむ、と拝読しました。

> 後日、沙白蓋盧が、日本書記に登場するまったく別の日本人の名前であることも示します。

ネタバレみたいになるけど、他人にも御説の応用ができる、というある意味大事な実験だと思うので悪しからず: 隼人さん ですね???


[6854]古韓音について思うところ   スターダスト 投稿日: 2013年 3月23日(土)16時57分39秒
 ;">「蓋」の字にコダワッテイル感がありますが、もう少しご辛抱をお願いいたします。 実は深慮遠謀があるのです。倭人語のオ段甲類の音をア段相当の漢字で表記している事例を、先日、ご案内させて頂きました。 今度は、倭人語のオ段乙類の音をア段相当の漢字で表記している事例を示したいのです。 このことにより、古代朝鮮語においては、やっぱり日本語のオ段に相当する音韻はなかったのだなぁと納得する目的が…実のところ…あるのでした。
===
『日本書紀』神功皇后のところで、以下の謎の日本人が書かれています。いずれの表記も百済側の資料(現代では散逸していますが)にもとづくものとされています。なお、これらの日本人は具体的な比定は確定説がないことをあらかじめお断りしておきます。つまり眉に唾をつけておいてください。
・爾波移
・沙白蓋盧
・沙沙奴跪
さて、私見では、いずれも、吉備氏集団出身の武人と考えられます。 このことを、今までの古韓音についての知見を使って示してみましょう。

●爾波移
爾波移は、ニハヤと読まれています。移をヤと読むのは典型的な古韓音です。さて、古代朝鮮語ネイティブな人には、日本語のイ段とエ段の区別がつきにくかったと以前、本掲示板にてお話ししました。この知識を使いますと、ニハヤは実は、日本人名の「ネハヤ」であった、これを百済では「ニハヤ」としか聞こえなかったと考えられなくもありません。また、日本人の名前の先頭ないし最後の音節は省略さあれている事例もありました。(オホトモやヌカタベの事例)このことも意識しておきます。
すると、爾波移には、吉備稲速別が候補として浮かび上がってきます。稲速別は通常、イナハヤワケと読んでいますが、本当のところ、イネハヤが幹であって、ワケは美称であったと考えるのです。(カヱシネ【香殖稲尊】【孝昭天皇】と比較してのことです。)

●沙白蓋盧そして沙沙奴跪
『古代豪族系図集覧』近藤敏喬著の吉備氏集団の系譜をみます。そこには、吉備氏から早くに別れた苑氏の系譜が吉備氏集団の分岐としてみえています。そこには、親子として以下の二人の人物がみえます。
・浦凝別命 (封苑県臣)
・曾乃熊男命(苑臣祖)
浦凝別は通常、「うらこりわけ」と読むのですが、私は、これを、「ほこりわけ」と読みます。曾乃熊男は「そのくまを」あたりでよろしいでしょう。
沙白蓋盧と沙沙奴跪とは、『神功紀』によれば、カヤ地域における軍事的な援助を要請される(要請する)間柄であり、密接な関連があるのですが、このふたりが氏族を代表する親子であったと考えて見ましょう。沙は、出身母体を表し、白蓋盧および沙奴跪が個人名です。ここに、いままで考えてきた古韓音の性質についての知見を加味しますと…
●白蓋盧
白の末尾子音kが、蓋の頭子音kと重ね合わさった連合仮名的表記であるとみなされます。白蓋盧は、「はかり」の音にかなり近い音韻の百済語における表記であったと考えられましょう。これは、日本語の、「浦凝(ほこり)」を百済側で聞いたときの音韻であったとも考えられます。すなわち、日本語のオ段の音が朝鮮側にてア段相当になっています。
●沙奴跪
沙は、日本語のソ乙の音を百済側にてア段にて聞いてしまっている表記なのでしょう。葛城襲津彦の曽都毘古を沙至比跪と表記している事例とも整合します。
すると沙奴跪は、日本語の「ソノク」または「ソノコ」の音韻の表記であった可能性が出てきます。これは、曾乃熊男に符合してきます。曾乃熊男では音韻的に長いので、短く省略してしまっている現象がここでも出ていると考えられます。小野妹子を蘇因高としたあり、オホトモを阿輩台とする例があります。鼻音系はとくに省略されがちですので、曾乃熊男の「マ男」が略され、「曾乃ク」だけが残り、古韓音表記にて「沙奴跪」となったのでしょう。
●出身母体としての沙
苑県臣の苑を沙として表記したものなのでしょう。鼻音系の省略とみるのが妥当かもしれません。

なお、これらの人物たちを、他の人物に宛てる試みは、私の知る限りでは、聞いたことがありません。 もしもご存知ならば是非、ご教示くださいませ。 古韓音にるいてアレコレ考えますと、いろいろな地平が開ける例ではないかと私は考えておりますが、実は、眉に唾をつけて聞いていただきたくもあるのです。

===
まとめ。
『日本書紀』神功皇后部分に登場する、日本人名を古韓音表記であるとみなし、古代朝鮮語の音韻のクセを考え合わせると、吉備氏集団の人名が浮かび上がってくることが示せました。その際に、オ段乙類の音も、朝鮮側でア段相当の音韻で聞いていたとみなすことができそうだということを併せて考えました。

後日、沙白蓋盧が、日本書記に登場するまったく別の日本人の名前であることも示します。その際には、さらに、吉備韓子についても考えていくことになります。

ながながとすみません。



[6853]古韓音について思うところ  スターダスト投稿日:2013年 3月23日(土)16時04分53秒
 さきに「蓋」の字の二合仮名的用法について示しました。
次に、「蓋」連合仮名ないし略音仮名の用法について示します。連合仮名であれば、/kas/のsと続く漢字の先頭子音とが重ね合わさって解消されていることになりますし、略音仮名であれば、sを略して「蓋」を/ka/の音韻の表記に使ったことになります。
有名な高句麗将軍「淵蓋蘇文」の「蓋」の字が、どのように使われているのか、考えて見ましょう。
『日本書紀』では「淵蓋蘇文」に「伊梨柯須彌(伊梨柯須弥、いりかすみ)」の表記を与えています。「淵」⇔「伊梨」の対応をしています。ちなみに梨は実は母音を含まない子音を表記するための字です。すなわち、「淵」=/ ir /など。同様に、「文」も子音/ m /を表記するための特殊な用字です。これを、「彌」で表しているのですね。
(c.f.【わかんどほり】のことだと思われる『隋書?国伝』「利歌弥多弗利」の「弥」)
残された文字の対応をみますと、「蓋蘇」⇔「柯須」となります。「蓋」は、先述のとおり/kas/であったとするならば、これと、「蘇」の頭の子音/s/とが重ね合わさった連合仮名的表記として「蓋蘇」⇔「柯須」が成立することになります。
もちろん、「蓋」を、略音仮名的表記として/ ka /の音を写し取ったとしても構わないのです。恐らく、多くの日本語学者さんたちは、連合仮名的表記であるとみなすことでしょう。

次は、「蓋」の字の略音仮名的な表記について例示することとします。



[6852]古韓音について思うところ  スターダスト投稿日:2013年 3月23日(土)16時04分53秒
 大人の事情で…普段使っている環境からではteacupな掲示板に投稿できず、今、街に繰り出しております。まだ途中なのに前回投稿から期間があいてしまいました。最終目的地は、富と不との違い…などです。
===
あいかわらずですが今日も寄り道をします。
高句麗の官位に「吐?」(『三国史記』官位表)およびに「対盧」(『後漢書』高句麗伝)がみられます。武田幸男先生は、「吐?」と「対盧」とは同じ名称であったと仰います。高句麗語の同じ言葉を漢字で表記した時に、異なるやりかたがあった、ということなのでしょう。
「対」の中国上古音は、董同?先生も藤堂明保先生も、韻尾に含まれる末尾子音として d があったとしています。 さて、私見ですが、古代朝鮮語においては、これが、末尾子音 s として訛っていたのではないかと思うのです。「対盧」=「吐?」なのですから、「?」の先頭の子音が、「対盧」の「対」の末尾子音になっていれば整合的です。すなわち、「対」は二合仮名であったと思われるのです。 また、魏志倭人伝における日本語地名「ツシマ」に二合仮名として「対馬」と書いたことにも整合してきます。

※魏志倭人伝における日本語地名の表記には、帯方郡に関係のある朝鮮語ネイティブな通訳者が関与していたに違いないと私はみていますが、そのことへの傍証としています。

さらに、中国上古音での末尾子音dが、朝鮮ではsとして受容されていたに違いないという「蓋」の事例をご案内いたします。
蓋の中国上古音は、董同?先生によれば、その意味の違いによって、二通りあったとしています。末尾子音の違いになるのですが、/ kad / および/ kab /の二通りです。後者のほうが一般的でよく知られているかもしれません。「雄略天皇5年(461)、百済の蓋鹵(かふろ)王」などと紹介されることがありますが、蓋を「かふ」と読むのは、/ kab /という上古音に対応しているのです。ところが、これでは、以下の事実を説明できません。すなわち、『日本書紀』には、「夏四月に、百済の加須利君、<蓋鹵王なり>」うんぬんと書いてあるのですが、音韻的に、「蓋鹵(かふろ)王」と「加須利(かすり)君」とは整合しないのです。一方、中国上古音での末尾子音dが、朝鮮ではsとして受容されていたという仮説に従い、「蓋」を中国上古音では/ kad /として朝鮮では / kas /として受け入れていたと考えるならば、「蓋」の、母音/u/ を付加した二合仮名 +「鹵」(全音仮名)にて、「加須利(かすり)と一致することになります。

(なお、ここでは詳論しませんが、実は、利の字は、母音を省略することがふさわしいのです。特徴的なことなのですが朝鮮語の固有名詞において、ときおり、子音のみを表す文字が出てくることが知られています。)

ここまでで、中国上古音での末尾子音dが、朝鮮ではsとして受容されていた事例として、二合仮名的用法としての「蓋」の例をあげました。
(この項続く)



[6851]Re: [6845]   スターダスト 投稿日:2013年 3月23日(土)
大三元さんへのお返事です。

> 雑駁な物言いになるけど、rがm/nに転じるのは案外諸言語で見られるのかも。

なるほど、r⇔n はアリガチにみえますね、ご教示をありがとうございます。
日本語では流音がrの1種類ですけれど、聞くところによれば、中には、流音を10個も持つ言語があるとかないとか。 …信じられません


[6850] [6850]『遊女記』4  神奈備 2013年 3月23日(土)11時48分37秒
『遊女記』
 淀川の南北(両岸)には邑々が点在している。淀川の流れを境にして北岸が摂津国、南岸が河内国に分かれていて、摂津市(味生一津屋)付近で淀河から神崎川が分流するが、その辺を江口という。この付近には設営・宗次だ典楽寮(薬・医療を司る役所)の味原の牧(味経の原:乳牛用牧場))や掃部寮(宮廷行事の設営・掃除を司る役所)の大庭庄(蒋(マコモ:稲科の食用植物)を栽培する沼があった)があるぐらいで交通の要衝以外に特に取り立てるほどの土地柄ではない。
ーーー
○ 延暦四年(785)江口上流から神崎川が掘削され、交通の要路となった。

○ 江口之君堂(寂光寺)は西行と歌問答をした遊女妙(平資盛の娘)が建立したと伝わる。http://kamnavi.jp/dk/egutinokimi.htm

○ 江口の遊女の遺跡としては、江口から寝屋川に舟便で行け、再興した野崎観音がある。http://kamnavi.jp/dk/nozaki.htm


[6849] [6849]『遊女記』3  神奈備 2013年 3月22日(金)15時47分11秒
『遊女記』
 山城国の与渡津から船を大川に浮かべて一日西へ行くと、そこが河陽(山崎)というところである。
 山陽、南海、西海の三道と京都との間を往来する人びとは、誰でもこの通路によらないものはない。
ーーー
○ 春米(つきまい 年貢)は神崎川ー江口ー淀川経由(筑紫津・淀等津)で京都へ運ばれた。

○ 長岡・平安遷都により、難波の遊女が江口・神崎に移った。




[6848] [6848]『遊女記』2  神奈備 2013年 3月21日(木)13時09分21秒
 琉球松さん、コメント、ありがとうございます。

> 遊女と巫女は根が同じである

 このような説が有力なようですが、遊女のルーツはもっと多岐に渡っているように思います。
 女性を蔑視している訳ではないのですが、全ての女性に巫女になるチャンスがあり、遊女になる可能性があったと言えるかも。

遊女記2

『遊女記』の著者
大江匡房 長久二年(1,041) 文章道の大江氏(元は土師氏)の男として誕生。

荘園管理の任 備中、備前、美作、越前の国司・受領として蓄財。

太宰府権帥を四年 幾度となく京と九州を往復 神崎・江口の事情に精通。

1,106年以降、『遊女記』・『傀儡子記』を著す。

1,110年薨去。

 この時代、道義頽廃・官紀紊乱 の時代であり、一般は、末法思想、権現信仰、熊野詣などと、来世の往生を浄土教にすがったのである。

百人一首に採録されている。
高砂の 尾の上の桜 咲きにけり とやまの霞 立たずもあらなむ


[6847] Re: 『遊女記』 1  琉球松 2013年 3月21日(木)10時29分34秒
 Re: 『遊女記』 1遊女の発生の試論
神奈備さんへ

 ともすると如何わしい話題になりそうな民俗ですが、古代人の観念心情を知るうえでも避けて通れないですね。

 ご紹介のように、沖縄諸島(たぶん琉球圏全域)では近年まで行われていた習俗で、祖父の自慢話からしてもほとんど琉球男子の常識として、また遊女に対する敬意の念を持っていたこともわかります。

『遊女と天皇/大和岩雄(白水社)1993 』より
*** 高級巫女の最高位の「聞得大君(キコエオオキミ)」には王妹がなるが、ズリ(遊女)の始祖で那覇の辻遊郭の開祖は、尚真王の世子浦添王子尚維衡の妃といわれており、王妃である。このように、最高巫女には王妹がなる慣習があり、遊女の祖を王妃とする伝承があるのは、巫女・遊女の根が同じとみられていたからである。(略)
 折口信夫があげる事例からみても、ズリ・ドレといわれる遊女・巫女、またはノロ・ツカサといわれる巫女は、女神の化身とみられていた。このような遊女・巫女についての見方は、本土にもあったが、沖縄や奄美には、そうした見方が本土よりも強く残っていたのである。(略)
 以上述べてきたように、遊女と巫女は根が同じである。極論すれば、神妻としての卑弥呼や天照大神(元像は「日女」)は、巫女だけでなく、遊女の祖といっていい。沖縄のズリの祖が王妃・王女であるように、本土でも皇妃・皇女になっている。***

画像は、男子禁制のウヤガン祭りに赴く宮古島のツカサ(神女)・『神々の古層/比嘉康雄(ニライ社)1991 』より

[6846] 遊女記 1  神奈備 2013年 3月20日(水)15時42分38秒
 遊女の発生の試論

○ 神妻の霊威 巫女は神と交わり、神霊を身につけていると信じられた。その巫女と交わりたい。おこぼれが欲しい。

○ 妻問い婚 女のもとへ男が来なくなると次の男が来る。この仕組みは段取り役がいたのだろう。中媒(ちゅうばい)と言う。

○ 『今昔物語』父母が亡くなると落ちぶれる姫君が生きていくために斡旋される場合がある。地方の男と結婚していく場合とか、都に滞在している期間だけの性愛関係を結ぶ場合とかがあった。

○ 旅客のもてなしに妻女を伽に出す風習があった。来客の多い地方名士は専用の女性を雇ったのだろう。昭和に入っても沖縄では、妻や娘が旅人の一夜の妻となる風習が残っていた。

○ 748 天平二十年 田辺史福麿を大伴家持の館でもてなす時の歌。
万葉集 4047 垂姫の浦を榜ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ
右の一首は、遊行女婦(うかれめ)土師(はにし) の歌。
(訳)垂姫の浦を漕ぎ続けて今日の一日を楽しく遊んで下さい。後世の語りぐさにしましょう。
太宰府では遊行女婦が府使に混じって見送りしていた。

○ 798 太政官符 禁出雲国造託神事多百姓女子為妾事
出雲国造は神事にかこつけて、百姓の娘を多く妾にしているのを禁止する。
これらの神釆女は後に巫娼に落ちていったのかも知れない。


[6845] Re[6838][6835][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/17(Sun) 09:24 [Reply]
スターダストさん

> nをrとみたてる、車を群馬とする、などは、中国語ネイティブの発想ではなく、朝鮮語ネイティブの発想なのだそうですから、

についてアイヌ語の音変化を調べてみたら(知里真志保著『アイヌ語入門』)
・rはnの前にくればそれに引かれてnになる というのと
・nはmの前に来るとそれに右ならえしてmになる というのがありました。
日本語でも「タナラ相通」ってことも観察される。
雑駁な物言いになるけど、rがm/nに転じるのは案外諸言語で見られるのかも。

[6843] Re[6840][6837][6834][6832][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/15(Fri) 16:53 [Reply]
スターダストさん

色々ありがとうございます。情報過多・・・歯痛を治してからよく噛んでみます(^^)

[6842] Re[6836][6835][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/15(Fri) 16:52 [Reply]
>  「弥馬獲支」は、「みまわき」でも「みまわち」でも、あるいは「みまわし」でもかまわないんじゃないでしょうか。

どれでもかまわない:これは思いつきの段階。
どれなんだろう、と絞って行くときに色々調べる、考えるわけ、ね。前後左右上下との整合性が少しでも高そうな仮説はどれか、、、ってね。

[6841] Re[6840][6837][6834][6832][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  琉球松 2013/03/14(Thu) 20:35 [Reply]
スターダストさん

 "「弥馬獲支」を「みばかし」と想像し、「御刀媛(みはかしひめ )」" 。。。これも、間違いと否定する必要もなく、ともかくも取っ掛かりとして挑戦するのも悪くないと思いますよ。

 どの字を当てるかの、一定のルールがあったことは確かでしょうけど、秘書官?の出身地(中国&朝鮮)の訛りや遊び心や対抗意識やら、時の流行やらなんかで決定されているんじゃないかとも考えるんですよ。

[6840] Re[6837][6834][6832][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/14(Thu) 16:10 [Reply]
大三元さん
>

> 調音点が一致していなくても、近似しているとみなされる場合もあるとのことです。
> ・n を 鼻音軟口蓋音 ŋ にいったんうけておいてから、さらに、gとして活用。
> 信楽の信の字で「しが」
> 近似の例は他にもあったはずですが、今ちょっと思い出せません。
>
思い出しました。(汗
・鼻音軟口蓋音 ŋ を m でうけて二合仮名として使う例です。
養訓(やまくに) の養。
これも沖森 卓也先生によります。

ヤマト=養徳もそうですね、おそらく。徳が略音仮名とは微妙ですが、この用字の発明の理由を考え合わせますと単純にかっこいい字を選んだのかもしれませんし、高句麗で徳が十の意味をもっていたこととも関連しているかもしれませんけれども…難しいですね。



> 以上は、沖森 卓也先生の著書にあった事例に基づいておりまして、私見ははいっておりません。

[6839] Re[6836][6835][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/14(Thu) 15:57 [Reply]
琉球松 さん
>  「弥馬獲支」は、「みまわき」でも「みまわち」でも、あるいは「みまわし」でもかまわないんじゃないでしょうか。

私は、当初、「弥馬獲支」を、思いっきり中古音よりに考えてみて、「みばかし」なのでは?と想像してみたことがあります。記・紀にみえる景行天皇の九州出身の妃に、(御刀媛 みはかしひめ )がみえますが、これと「弥馬獲支」との関連をみたくなったのです。 もちろん同一人物ではないでしょうけれども、称号としてなにか曰くがあったのではと。

現在、「みまわき」が一番真相に近そうだと感じてはいますが、確信が持てていません。




[6838] Re[6835][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/14(Thu) 15:51 [Reply]
大三元さん

> これは「みまわち」ではないかとして「わち 和知、両月」などとの関連を考えていたのですが http://dai3gen.net/gishi06.htm どうも「わき」でないとまずいようですね。困った・・・

[6837]で触れた、「調音点が近似している事例」として、獲の韻尾が、支の語頭子音に解消されると考えることが出来ればよいのですが…
nをrとみたてる、車を群馬とする、などは、中国語ネイティブの発想ではなく、朝鮮語ネイティブの発想なのだそうですから、同じく、獲の韻尾 k を、c と同じものだという感覚があってもおかしはないかもしれないと想像してみました。同地名としての比只と不斯とを比べても、董同龢先生による復元において只の上古音はcjeɡ、支のそれは、cjeɡ (cは硬口蓋破裂音)なのですが、これが、斯(sjeɡ)と同音であるとみなされることがあるのは…これを、日本語相当では「チ」に近い音と捉える事は不思議ではないかもしれませんし、まるで見当違いだと言語学者さんに叱られるかもしれませんし。
なにか他に例がみつかればと思います。

[6837] Re[6834][6832][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/14(Thu) 15:34 [Reply]
大三元さん

> 但 tan 馬 ma として タヂマ の ヂ がどこから出てくるのでしょうか。
> 音素のレベルで n に di の要素があった、とか(Nippon vs. Jipang)、もう1ステップ必要?

調音点が同じ場合に二合仮名を拡張して遣う場合があるとされます。

・mをmbとみたてて「び」として活用する例。
大伴旅人(おほとものたびと)が、書簡文自署にて、淡等としています。
・nをndとみたてて、「di」として活用する例。
但馬、丹比。 
・nをrとみたてて「り」などとして活用する例。
平群、播磨、群馬。
群馬は、もと、「くるま」です。 群馬に車氏が入植したことから。

調音点が一致していなくても、近似しているとみなされる場合もあるとのことです。
・n を 鼻音軟口蓋音 ŋ にいったんうけておいてから、さらに、gとして活用。
信楽の信の字で「しが」
近似の例は他にもあったはずですが、今ちょっと思い出せません。

以上は、沖森 卓也先生の著書にあった事例に基づいておりまして、私見ははいっておりません。

[6836] Re[6835][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  琉球松 2013/03/12(Tue) 22:01 [Reply]
 「弥馬獲支」は、「みまわき」でも「みまわち」でも、あるいは「みまわし」でもかまわないんじゃないでしょうか。
 現在のひらがなやカタカナで表現したところで当時の発音を正確に表記できませんし、漢字が当てられた当時も同じだったのかも。

 あと、あれですよ。。。例えば欧米の犬は「バウ!」と吠えるらしいんですけど、「ワン!」と表記したとしても、犬にしてみればどちらも不正確なわけでアルファベットでさえ表記しにくいでしょうね。

[6835] Re[6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/12(Tue) 21:09 [Reply]

> ・古韓音の表記において、獲加多支鹵をワカタケルと読むことになっています。先日、当掲示板において、獲の呉音を使うと、「ワクカ…」と読めるのではというお話しを伺いました。クが邪魔ですよね、これはどうしたことでしょう。結論から申し上げますと、「連合仮名」の用法なのです。

倭人伝の「弥馬獲支」を普通は「みまわき」と読むのも御説に沿いますね。
これは「みまわち」ではないかとして「わち 和知、両月」などとの関連を考えていたのですが http://dai3gen.net/gishi06.htm どうも「わき」でないとまずいようですね。困った・・・

[6834] Re[6832][6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/12(Tue) 21:04 [Reply]
> 但馬なども連合仮名の応用例です。子音が似ていれば連合しちゃいます。
>
> すみません、嘘を書きました。二合仮名の用法でした。

但 tan 馬 ma として タヂマ の ヂ がどこから出てくるのでしょうか。
音素のレベルで n に di の要素があった、とか(Nippon vs. Jipang)、もう1ステップ必要?

[6833] Re[6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/12(Tue) 20:59 [Reply]
スターダストさん

> ・靺鞨の称号に熟女直、生女直というのがありますが、関係あるのかもしれませんしないかもしれません。

相変わらず部分的な反応しかできませんが「女直」というのは「女真」のことですから「熟夷」「荒夷」というのと同様の用法じゃないのか、と思います。

[6832] Re[6831][6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/12(Tue) 15:24 [Reply]
但馬なども連合仮名の応用例です。子音が似ていれば連合しちゃいます。

すみません、嘘を書きました。二合仮名の用法でした。

[6831] Re[6830][6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/12(Tue) 15:22 [Reply]
●落ち穂拾い
読み返しての落ち穂拾いです。
・古韓音の表記において、獲加多支鹵をワカタケルと読むことになっています。先日、当掲示板において、獲の呉音を使うと、「ワクカ…」と読めるのではというお話しを伺いました。クが邪魔ですよね、これはどうしたことでしょう。結論から申し上げますと、「連合仮名」の用法なのです。
・連合仮名の説明
次は、説明のために、私が作った遊びめいたものです。
fool ink care car was to become me is not.
上は、芭蕉の句、
古池や蛙飛びこむ水の音(ふるいけやかわずとびこむみずのおと)
を、英語もどきに書き下したものです。
「いけや」の部分を、「ink care」と表現していますが…
inkの末尾子音を、後続のcareの先頭の子音に重ね合わせて(連合して)、末尾子音の解消をはかる、そうした手法を使っているのです。
・獲加多支鹵
獲は単音節ですが、末尾子音にkのような音があります。これが、後続の加の先頭子音のkに重ね合わさることによって、獲加でもって日本語の「わか」を書き写しているのです。典型的な連合仮名の用法なのですね。
・呉音
一方、獲の呉音として、「わく」を採用し、日本語として二音節にしてしまいますと、獲加は、子音の連合が不可能になりますので、「わくか」と読むしかないことになります。
・初期の古韓音による書記方法では、連合仮名による筆記が顕著にみられることが知られています。連合仮名が多様されるということは、たとえば、獲の呉音による二音節の音読み(おんよみ)=「ワク」が日本語書記のためのフォーマットとして定着していなかったことを意味しています。
・但馬なども連合仮名の応用例です。子音が似ていれば連合しちゃいます。
===
・二合仮名の用法
fool ink care car was to become me is not.
「ふるいけや」の二音節ぶんの「ふる」の表記として、英単語1音節のfoolを使っています。
単音節のfool に 母音uを(心の中で)付加してしまい、二音節にする作業が行われて、「ふる」の音の表記にしてしまえ、そうした気分が、二合仮名の用法です。
相模の相(さが)などは、代表例です。相の単音節の字に、母音aを(心の中で)付加してしまい「さが」といういうことにしてしまえ、乱暴なことですが、こちらも実によく使われる用法です。
===
・略音仮名
念を日本語の「ね」として読んでしまう、これを略音仮名といいます。念の末尾の子音をぶっとばしてしまう方式なのですが…
国語学者さんたちの懸命な追跡にも関わらず、略音仮名の用法は、木簡で試みられ、記紀万葉の時代にようやく定着した形跡がみつかるのみです。 初期…5ないし6世紀ごろの金石文には、使用例が少ないとされています。まずは、連合仮名や二合仮名を疑え、ということになりますね。
こうした目線で魏志倭人伝をみると新しい地平がみえてくるような気がいたします。

●オ段乙列をア段に近い音で筆記すること
オ段甲列をア段に近い音で筆記することの事例らしきものを、いくつか、すでにあげてきましたが、遣隋使遣唐使推古朝などが中心でした。 これよりも前の時代にさかのぼると、どうやら、オ段乙列でさえも、ア段に近い音で筆記することが多いようです。 ただいま、まとめております。

以上、落ち穂拾いでした。


[6830] Re[6829][6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/12(Tue) 14:49 [Reply]
大三元さん

> スターダストさん
>
> Good try ですね。また守備範囲も広いわぁ。。。

興味を頂きましてありがとうございます。

> 1,2単純に質問:
> ・「直」を「ちき」と読む仮名に使った例はありますか?
> ・「垢」も同様「はぢ」とも読みますが仮名に使った例は?

●まず、垢についてです。
私が知っていたのは、以下の例です。

===引用開始
集歌2365 内日左須宮道尓相之人妻垢玉緒之念乱而宿夜四曽多寸

訓読 うち日さす宮(みや)道(ぢ)に逢ひし人妻(ひとつま)の垢(はぢ)
玉の緒の念(おも)ひ乱れて寝(ぬ)る夜(よ)しぞ多(おほき)

私訳 大殿に日が輝き射す、その宮の道で逢った他の男と夜を共にする娘に戀の思いがへばりつく。玉を貫く紐の緒が乱れるように心を乱して寝るそんな夜が多きことです。

注意 原文の「人妻垢」は一般に「垢」を「姤」の誤記として「人妻ゆゑに」と訓みますが、ここでは「垢」の漢字の意味を尊重して、ままに訓んでいます。

http://image01.wiki.livedoor.jp/d/o/dokatakayo/7831ebe2b488184d.pdf より引用。
===引用終了

> 余談・冗談:「赤っ恥」ってのは「垢恥」=「恥^2」だったのかな。

「旅の恥はかき捨て」 というのも、「垢をかく」にて、旅先で湯でもあびたことにかけているのかなと想像しましたが、確証がとれませんでした。

> 「垢」を「はぢ」と読むに関して調べていたらそのもとは老子のようですね。

老子を読むときに、そんなことがあったとは! 調べ方がすごいですね。

●「直」について。
・『継体紀』に「己富利知伽」が登場していますが、「コホリの直」あるいは「コホリの智干」と推定されています。歴史学者の山尾幸久先生は『古代の日朝関係』という書籍所収の論文のなかで、やや詳しく「コホリの直」説を提唱しておいでです。
・靺鞨の称号に熟女直、生女直というのがありますが、関係あるのかもしれませんしないかもしれません。
・一方、国語学者の沖森卓也先生は、発鬼(『日本書紀』敏達4年)と費智(『日本書紀』継体23年)とを、比自火、伽耶地方の地名とみなし、(スターダスト注:発鬼の「鬼」は「城」のキで、村の意味、費智と発とが地名の幹部分です)、『隅田八幡神社人物画像鏡』鏡銘中の、「開中費直」の「費直」部分を、費智ないし発鬼の地名に起源をもつ人名という見解を出しておられます。 ゆかりのある地名を人名とする例は、なくはないですよね。

くだんの「麻高垢鬼」は、上記の沖森卓也先生の説を証する例をみつけられれば嬉しいとこころがけていたところ、偶然に発見したものです。
※なお、「費直」は原始的カバネであり、「アタヒ・アタヘ」と読むべきであるという史学者の定説に反することになってしまいますが、案外とこの定説の基礎はゆるそうです。「費」や「直」であるならば、物証があって原始的カバネとみなせそうなのですが、「費直」のカバネを示す例証がみあたらなさそうです。

なお、「直」を ぢきさんはたもと に使った例は新しすぎますので、参考にならないことでしょう。「直直」(ぢきぢき)あたりでおゆるし願えないでしょうか。



[6829] Re[6828][6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/12(Tue) 13:25 [Reply]
スターダストさん

Good try ですね。また守備範囲も広いわぁ。。。
1,2単純に質問:
・「直」を「ちき」と読む仮名に使った例はありますか?
・「垢」も同様「はぢ」とも読みますが仮名に使った例は?

余談・冗談:「赤っ恥」ってのは「垢恥」=「恥^2」だったのかな。
「垢」を「はぢ」と読むに関して調べていたらそのもとは老子のようですね。
老子 第七十八章 国の垢を受く、これを社稷の主と謂い、国の不祥を受く、これを天下の王と謂う
 いいことを云ってる、ということが書いてある:
http://blog.mage8.com/roushi-78

[6828] Re[6827][6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/11(Mon) 16:53 [Reply]
推古の時代、遣隋使・遣唐使の時代の音韻の表記において、注目しておきたいことをひとつだけ申し上げておきます。私自身解決がついておりません。 お知恵を拝借いたしたく。

ほぼ同じ時代の『元興寺伽藍縁起并流記資材帳』には、『元興寺塔露盤銘』が【引用】されています。書き間違いがあったかもしれませんが、それはおいておいて。『元興寺塔露盤銘』に次のように書かれていたとされます。古代史獺祭さん。 ( http://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/gangoji/gangoji_frame.htm )
===
令作奉者 山東漢大費直 名麻高垢鬼 名意等加斯費直也
===
作り奉らしむる者は、山東漢大費直(やまとのあやのおおあたい)、名は麻高垢鬼(またかくき?)、名は意等加斯費直(おとかしあたい)なり。 
===

通説では、麻高垢鬼と意等加斯費直とは別人であろうとされます。 私見では、同一人物の名前の異音表記ではなかろうかと推察しています。正確にいえば、前者は日本語による訓読みを交えての表記、後者は、純粋な借音表記(古韓音風味)であると考えます。

●(意=お)(等加=とか)(斯=し)(費直=ほちき)
意等加斯費直を「おとかしほちき」と読むことには、国語学者さんから大きな異論が出ることはなかろうと思われます。

●麻高垢鬼
万葉仮名のように麻高垢鬼を読んでみますと、恐らく、
(麻=を)(高=たか)し(垢=はぢ)(鬼=き)と考えられます。
※垢に「はぢ」の古い訓読みがあります。

偶然の一致なのかもしれません。しかし、
===
令作奉者 山東漢大費直 名麻高垢鬼 名意等加斯費直也
===
を見る限り、山東漢大費直の別名に、二通りの表記があったと考えることもできそうです。

(意=お)の音と、(麻=を)の音とが、渡来人系にとって近接していたのではないかとも考えられる事例として、注目しています。
『日本書紀』歌謡において、「於」を「を」相当に使っているかもしれない例があるとのことですが、似ています。
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/kana/wo.htm




[6827] Re[6823][6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/11(Mon) 16:20 [Reply]
[6808]にて、私は次のように申し上げました。

===
以上にみられるように、朝鮮系では、オ甲類に近く発音される文字がなく、他の母音にて代用しているようにみえます。
オ乙類ならば、お手のものでしたでしょうけれども…
===

「オ乙類ならば、お手のものでしたでしょうけれども…」の部分は、勇み足だったようです。 お詫びして訂正いたします。 そんなことはなかったようです。

今のところの私見では、遣隋使・遣唐使の時代には、日本語のオ段甲類の音を、百済系渡来人達は、日本語のア段の音と、よく区別ができていなかった、このようになります。 オ段乙類については、はっきりとわかりません。日本側と百済側とでは音韻は違ったけれども、それでも、どちらかというと、日本語のオ乙類の音韻に、百済側では、[6805]に掲げた、一覧表の、於・居/巨・・許/虚・西の百済的発音に近かったのだろうと思われます。


[6826] Re[6824]: 無題  スターダスト 2013/03/11(Mon) 16:05 [Reply]
> スターダストさん
>

> 「古韓音」ってのは仮説が何段にも架上されたハナシなのでしょうかね、という印象を拭えないものですから。。。
>

いや、そう見えるのは、私の責任でしょう。 古韓音についての学説と、私の意見とを混ぜて投稿しているせいだと思います。 わかりにくくなっているのは申し訳ありません。

[6825] 古代を偲ぶ会  神奈備 2013/03/11(Mon) 14:32 [Reply]
 「古代を偲ぶ会」の来年度の予定をアップしました。http://kamnavi.jp/link/sinobu.htm

[6824] 無題  大三元 2013/03/09(Sat) 17:44 [Reply]
スターダストさん

神は細部に宿る。。。まことに細かい所に来ました。
いかに「直感」で でかい網を打たれても網目、細部がほころんでいるとどうにも魚が逃げてしまうわけで、大いに必要な検討作業ですね。

さて、実は私は「古韓音」なる物自体(システム、体系、根拠)について知らないのでご指導を得たいのですが、スターダストさんは「古韓音」体系をご承知の上でそれを批判(検証)しようとして居られるように思います。それにお付き合いして行くと私が知りたいことを垣間見られるかな、という魂胆です。

「古韓音」ってのは仮説が何段にも架上されたハナシなのでしょうかね、という印象を拭えないものですから。。。

[6823] Re[6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/09(Sat) 16:39 [Reply]
●「否」を「ひ」に宛てる例は上代には無い件
記紀万葉の時代の仮名においては、上古音の介音は無視してよい、中核母音だけ見ておけばよい、という仮説があることを思い出しました。 それだと、「否」の字は確かに「ふ」の音に当ててよいことになりますね…まったく自信が出てきません。 うーん。
というのは、上古音の介音の有無を意識してカ行ハ行マ行を分別していくと、綺麗にわけることができるからです。何を? オ甲類の段とオ乙類の段の用字の仕分け方についてなのですが。もういちど考え直してみますね。なお、万葉仮名カ行ハ行マ行の「う」の段の字は、「お」乙類の段と、介音プラス核母音の構成が共通です。「お」甲類とでは、かなり差異があるようです。


[6822] Re[6821][6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/09(Sat) 16:25 [Reply]
大三元さん
「斯」は、音韻が「さ」に近かったのではなかったでしたっけ?→烏斯含達。

自分で自分につっこみいれるのもどうかと思いますが、
大三元さんの
「三國史記高句麗地名各論
巻三五・#47/96/109 猪・考 と 兎・疑 』のページを拝読中ですが、斯は「し」の音のようですね…なるほど。
ところで烏斯押の押の字は、訓読みで「ヌル」相当で、壌と同じく土地を意味すると、どこかで聞いた覚えがあります。どこでだったか…




[6821] Re[6820][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/09(Sat) 16:18 [Reply]
大三元さん
[6819]
> まだ咀嚼できてないので気の利いたレスはできませんが
 レスをありがとうございます。 こうした応答があってこそ、考えが深まろるものでして、ありがたいことです。

●不斯と夫斯について
不斯は、『三国志』魏書東夷伝韓条に含まれ、帯方郡よりも南の地域…
夫斯は、高句麗の地名ですから、楽浪郡よりも北の地域…ということで、直接的な同一地名ではないことが、まず第一に考えられます。
次に、地名の意味を考えますと、大三元さんもご指摘の通りでして、夫斯は植物の「松」に相当することでしょう。 一方、「不斯」や「比自」は、「光り」の意味であるとされています。(金思Y先生説)実際、昌寧の昌の字には、光る意味がありますし、寧の字には、地の意味があります。 昌寧は意味合い的には光の土地ということになりますが、比自・伐と同じ構造になっているとのことです。
ええと、それと…発音面で…確定的なことは何もいえないのですが、高句麗地名で「斯」は、音韻が「さ」に近かったのではなかったでしたっけ?→烏斯含達。

●「否」を「ひ」に宛てる例は上代には無い件
完全に虚をつかれて狼狽いたしました。 考え込んでおります。万葉の時代の音…うーん、
















[6820] Re[6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/08(Fri) 21:27 [Reply]
スターダストさん

> 白川静博士曰く、『「不」の字の音は昔、「否」の音であった。』
> 「中国の古代国家である周の金文において「不」の字を書くところ「否」で通用する例あり」という物証なのですね。

> ところが、日本では、不はフ、否はヒ…と分別されています。

日本でも「否」を「ふ」に宛てる例があります。万葉集:
巻/歌番/句
07/1170/4 あめぞふるちふ 雨會零智否
これ一例のようではありますが。

あれ?「否」を「ひ」に宛てる例は上代には無い(時代別国語大辞典上代編のリスト)。

[6819] Re[6815][6814]: 古韓音について思うところ  大三元 2013/03/08(Fri) 21:04 [Reply]
スターダストさん

まだ咀嚼できてないので気の利いたレスはできませんが

> ・不斯  (『三国志魏志韓伝』)
に関しては「夫斯県」という地名があり(『三国史記』地理誌)、場所の異同は判りませんが、これは「フシ」に近い音なのだろうと思ってます。
http://dai3gen.net/kg05d.htm を参照頂くならNo.79です。
松{山見}縣(は、もと高句麗の)夫斯波衣縣(以上 巻35)
夫斯波衣縣(一云仇史{山見})(これは巻37)

[6818] Re[6817]: 不合命  スターダスト 2013/03/08(Fri) 16:52 [Reply]
> 余談の余談ですが
>
> 不合命は、ヒコミコトではなかったでしょうか… すみません、今おもいつきましただけです。 ごめんなさい。
> フキアエズでちっとも困りません。 

天津日高彦を、アマツ・ヒコヒコと読んでしまった上で、同じように
鵜草葺不合命を、倭・伽耶・ヒコ・ヒコ・ミコトと読んでしまうなんて乱暴すぎますよね…

[6817] 不合命  スターダスト 2013/03/08(Fri) 16:45 [Reply]
余談の余談ですが

不合命は、ヒコミコトではなかったでしょうか… すみません、今おもいつきましただけです。 ごめんなさい。
フキアエズでちっとも困りません。 

[6816] Re[6815][6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/08(Fri) 16:41 [Reply]
(続き)

さて、ここまでみてきましたが、どうも古代朝鮮にあっては、自国語の「ヒ」に近い音を表記するために「不」という字を使っていた慣習があったのではと考えております。

この慣習といいますか、伝統が、古韓音の表記として、日本語の「ホ」の音に、「不」の字を使うえるかどうか判断するときに、邪魔になったのではないかと、私は想像しているのです。 
この推理は、個人的なものでして、説得力に欠け学問的に価値はありませんが、大三元さんによる疑問≪即ち「冨」と「不」は同じ上古、中古音で 「不」は「フ」以外には読まない(と思う)ので「冨」を「ポ」と読むのは何故か、という疑問≫への回答の半分となるかもしれません。自信はありませんが。

(続く)
また時間がとれましたら・・・
 


[6815] Re[6814]: 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/08(Fri) 16:34 [Reply]
(続き)
中国の上古音だけでは解決できそうにもありませんので、史書を調べてみました。

洛東江周辺の現地名として、昌寧があります。この土地の古代の漢字表記をあげてみます。

・比只  (『三国史記』新羅本紀婆娑尼師今)
・比自火 (『三国史記』地理誌)
・比自伐 (『三国史記』地理誌)
・非火  (『三国遺事』)

・不斯  (『三国志魏志韓伝』)

・比自㶱 (『日本書紀』神功49年)
・費智  (『日本書紀』継体23年)
・発鬼  (『日本書紀』敏達4年)

※上で、地名末尾に火、伐、㶱があるのは、とってしまっても構いません。 吉野に比べての吉野里の里のように、付加されたものです。

まず注目しておきたいのは、「不斯」(『三国志魏志韓伝』)でして、この「不」の漢字は、朝鮮語のどの音にあてたのだろうか…というところです。ひょっとしたら、この「不」は、日本語でいえばヒに近い音をあらわしていたのかもしれないと想像できます。

以下余談です。
『魏志倭人伝』の地名にある、ふたつの国、不呼国および不弥国ですが、【仮に】上にあげた「不斯=比自」、『魏志韓伝』から読み取れるように、これを「ヒ」に近い音を記した漢字であったとするとどうでしょう?
不呼国は、なんと「ヒコの国」、不弥国は、「ヒメ」の国、と読むことが可能になってきます。 従来型の読みでは、「フコ国」「フミ国」などと読んでいますが、ヒメやヒコなら、日本語らしくて素敵でしょう? いかがでしょうか。
なお、不弥国の弥をメと解したのは、古韓音において、イとエの区別がついたかどうか疑わしいと既に述べたことを応用しておりまして、不呼国も、フカ相当の音のはずですが、日本語のコの音を、朝鮮系の人が筆写できず、聞きなれたカの音に近い呼を使ったと考えられます。これもまた、古代朝鮮語において、日本語のオの音を場合によっては聞き取れなかったと、今まで書いてきたことと暗合してきます。
余談終わりです。

(続く)






[6814] 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/08(Fri) 15:46 [Reply]
[6803] にて大三元さんがおっしゃるに
===
確かに例えば「冨」を「ホ(ポ)」と読むのは漢字の上古、中古音にてらすとおかしい。即ち「冨」と「不」は同じ上古、中古音で それぞれ pIuəg pIəu とあり
「不」は「フ」以外には読まない(と思う)ので「冨」を「ポ」と読むのは何故か、という疑問がでる。
それが「古韓音」ということなのでしょうが、上古、中古音では説明できない読みを「古韓音」と一纏めにしたわけでもないでしょう。
===

実は、あれから自分の書き込みについて検討しなおしたところ、細かい点で不整合な部分が出てしまい、洗いなおしています。めぼしがなかなかつきません。(泣

ですので、説明の構成をやりなおし、外堀から埋めていくことにいたしました。 いよいよ本丸のはずだったのですが、敵さんもナカナカやりまするので…

●不
不と富は、中国では上古音でも中古音でも同じ発音ではないか、なぜ日本では違う音にあてられているのだろう、これは、古韓音のカラミだけで説明が可能なのだろうか…

「不」の特殊性が効いてきているのではないかと考えてみています。
以前、白川静博士による西周金文の例の説明を読んだことがあります。全集のどこに出ていたのか把握していなかったのですが、手元のメモによりますと。
白川静博士曰く、『「不」の字の音は昔、「否」の音であった。』
「中国の古代国家である周の金文において「不」の字を書くところ「否」で通用する例あり」という物証なのですね。

董同龢先生によると、「否」の上古音は、bʰjuəɡ と pjuə̆ɡ との2種類が併用されていたとのことです。「不」の上古音は、pjuə̆ɡ と tʰjŏɡ と。

ところが、日本では、不はフ、否はヒ…と分別されています。

(続く)

[6813] 古韓音について思うところ  スターダスト 2013/03/08(Fri) 15:24 [Reply]
早くも一週間が過ぎようとしています。

>[6812]  くずさん
[6800]での、私の感想をお気に留めて頂きまして恐縮です。なるほど、構造ににかよったところがあるのですね。

>[6811] 琉球松さん
常世国・蓬莱山と橘・橙の原産地との関係を個人的にちょっとだけ調べましたが、多くの説があるようですね。琉球種のDNAが紀伊あたりでみつかると面白いのですが…
http://www.kagoshima-u.ac.jp/about/renken697.pdf
上を見る限り、タチバナがらみのニュアンスにおける常世の候補は琉球地方にも見えます。 ただ、伝説の背景となる時代が、景行代ですので、北九州あたりに琉球から持ち込まれていたタチバナをタジマモリがみつけたのかもしれないと空想してみたりします。

[6810] 大三元さん
乃楽。これは素晴らしいです。恥ずかしながらこの表記を初めて知りました。ありがとうございます。




[6812] Re[6809]: 無題  くず 2013/03/05(Tue) 11:57 [Reply]
> いよいよ本丸です。 長くなりました。
> でも、来週また。

どうも音痴であるらしくこちら方面はさっぱりです^^;
でも一生懸命耳をを傾けてますんで、ご教授下さい。

隼人と儺との関係についてですが、
鹿児島神宮の追儺式では隼人職と呼ばれる神職が能の"翁"に通じる舞をするそうです。
打出と小槌で有名な京都の宝寺では大厄除追儺式(鬼くすべ)では75個の鏡餅
(薄い円形で文字通り鏡型)が吊るされるそうです。

諏訪の御頭祭となんらかの関係があるように思っています。
諏訪神を封じた武甕槌神ですが、その勢いで当時?の東の果て鹿島に鎮座します。

金気(剣)にによる木気(東)封じの意味あいか・・・、
また日本で記録上最古の疫病払いを行った大田田根子命の父名に同神名があります。(古事記)

こじつけとは思いますが、鹿島神宮と犬吠埼が関係あるかどうか?とか^^

[6811] Re[6810][6807][6806][6805][6804][6803][6802][6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  琉球松 2013/03/02(Sat) 17:02 [Reply]
 スターダストさん

 なるほど!。。。と言いたいところですが、チンプンカンプンです(笑)。
 しかし、日本側の古文献を読む際には、朝鮮語の音を考慮に入れないとわからないという事ですね。

 僕としては、「常世国・蓬莱山 etc 」が朝鮮半島東側なのか、奄美沖縄なのかが知りたいところで、文献に当てられた漢字の読み方には興味ありますね。

[6810] Re[6807][6806][6805][6804][6803][6802][6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  大三元 2013/03/02(Sat) 09:35 [Reply]
スターダストさん 解説ありがとうございます、引き続き楽しみにお待ちしてます。

細かいフォローですが:
> (今、急遽、ない‐し【乃至】を思い出しましたが、確認していません。うーむ。)

「乃楽」=奈良 が使えるのかも?

[6809] 無題  スターダスト 2013/03/01(Fri) 18:24 [Reply]
いよいよ本丸です。 長くなりました。
でも、来週また。

[6808] Re[6807][6806][6805][6804][6803][6802][6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  スターダスト 2013/03/01(Fri) 18:23 [Reply]
さて、ここまでは、通説に相当することを、ピックアップしてお話ししてきました。

以下は、私なりに追加したい仮説です。 朝鮮系渡来人のネイティブな発音の表記には、日本語の「オ甲類」に相当する母音にあてる文字はなかった、そのように私にはみえます。
一覧表をみれば、日本語の「オ乙類」に相当する字は容易にみつかったことでしょうけれども、好対照ではなかったかと。
このことは、7から8世紀の一覧表からみているのですが、より古い時代の発音にもとづく古韓音でも同じことが言えたと思います。
片鱗は、さきほどあげた、「乃」ですね。加斯支移比彌乃彌己等。「オ」の音に相当するはずなのに、阿=ア系列の「乃」を使っているようにみえます。
もう少し、この事例を。
801年成立の『通典』に以下のようにあります。
隋文帝開皇二十年、倭王姓阿毎、名自多利思比孤、其國號阿輩雞彌、華言天兒也、遣使詣闕。(通典 第一百八十五 邊防第一 倭)
阿輩雞彌は、「オホキミ」でありましょう。華言天兒也、すなわち、中国語では天子様のことを日本語では阿輩雞彌と号するのだ、と書いてあります。
『隋書』においては、「倭王、小徳阿輩台(あはいだい)を遣わし」とありますが、阿輩台は、日本語の「オホトモ」のモが脱落していることでしょう。、大礼・哥多[田比]はヌカタベのこととされていますが、日本人の名前が長く聞こえるので、はしょっていると考えられます。はしょっているのは、鼻音系が優先されるようですが、理由はわかりません。「オホトモ」を「オホト=阿輩台」「ヌカタベ」を「カタベ=哥多[田比]」をしているのですが…この字を選んだのは、朝鮮系の渡来人であったと考えます。
さきの一覧表上での「阿」を日本語のオ甲類?の字に使っているものと思われます。
同様に、さきの一覧表上での「沙」を、日本語の「ソ甲類?」に使っているとおぼしき例があります。葛城襲津彦のことを沙至比跪と、日本書紀では百済系由来の文の引用にて書かれています。
以上にみられるように、朝鮮系では、オ甲類に近く発音される文字がなく、他の母音にて代用しているようにみえます。
オ乙類ならば、お手のものでしたでしょうけれども…





[6807] Re[6806][6805][6804][6803][6802][6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  スターダスト 2013/03/01(Fri) 18:04 [Reply]
(続き)
朝鮮系の渡来人にとって、日本にあった、イ甲類、イ乙類の区別ができなかったことが、一覧表から読み取れます。未/彌をみれば…ですが、特徴的です。

同じく、日本にあった、イ甲類とエ甲類の区別がでいなかったことが、一覧用から読み取れます。エに近い母音がそもそもありませんでしたので…
実際、日本側に残された文書の中から、このことを示す典型的な用字がみつかっています。一例をあげれば『天寿国繍帳』より。
→加斯支移比彌乃彌己等(かしきやひめのみこと)
比彌(ひめ)のメと彌己等(みこと)のミとの区別がついていません。

また、のちほど触れようと思いますが、日本語の「の」を「乃」でうけています。これは、一覧表上では、「阿」の母音ですから、「乃」はどちらかというと朝鮮系の渡来人のネイティブな発音では「な」に近かったはずです。
(今、急遽、ない‐し【乃至】を思い出しましたが、確認していません。うーむ。)






[6806] Re[6805][6804][6803][6802][6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  スターダスト 2013/03/01(Fri) 17:53 [Reply]
(続き)
あ、やはり表の字と字との間隔の調整がうまくいきませんでした。すみません。

母音字を1から5まで順にみていきますと、あえて日本式に読めば「ア・オ・ウ・ウ・イ」、kg段では、「カコクキキ」次のn段では「ナヌネ」…など、じっと睨みます。

注意すべき点をいくつかピックアップします。 
まず、「里」。これは、古韓音では、「乙類のろ」なのですが、七〜八世紀朝鮮音では「り」のようにみえます。
「尼」。古韓音では「足尼=スクネ」にみられるように「ね」相当なのですが、一覧表上では「に」のようにみえます。
「居」。『稲荷山鉄剣』に乎獲居臣(をわけ)。『欽明紀』に彌移居(みやけ)など、古韓音では「え」相当。  これが、一覧表では、居は於[*o]相当の音になっています。 実は、朝鮮半島のことばでは、当時、日本語のエに近い発音の母音がみあたらず、いちばん近い母音「於」を含む文字を代用していたとされています。くどくなりますが、日本古語の「え」の音を聞いた朝鮮語を母語とする渡来者が、該当する母音を、母国で慣れた用字の中に見出せなかった、それゆえ、別の母音で代用した、それが、乎獲居や彌移居の表記になった、ということになります。

※なお、一覧表をよくみてください。「於」の行に含まれる音は、どうやら、日本語の、オ乙類に相当しているらしいと見当がつきます。あとでふりかえります。

(続く)



[6805] Re[6804][6803][6802][6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  スターダスト 2013/03/01(Fri) 17:36 [Reply]
大三元さん、琉球松さん。
ニッチな話題にお付き合い頂きましてありがとうございます。

●富をホでもフでも使うのはどうしてでしょう

李崇寧先生が、『三国史記』『三国遺事』に含まれるところの、高句麗・新羅・百済時代のものの地名表記の語頭に用いられた字を分析して母音を分類し一覧を作成されています。七〜八世紀ごろの朝鮮半島にて母音の種類は5種類であったとされます。古韓音よりも新しい時代の発音に対応する表記ですが、古韓音について考える材料となることでしょう。

下記において、1から5までは、母音の種別です。 それぞれの母音ごとに、子音は、順に、母音のみ:kg:n:td:rl:m:p:c:h:s の順に記すことにいたします。なお、/を使って波/巴としているのは、子音pに阿に相当する母音をつけた発音を表記するのに両方のやりかたが検出されたということになります。該当する文字がみあたらない場合には◇と書きます。掲示板に投稿するにあたっての工夫ですが、わかりにくくてすみません。

1:阿  ・加  ・乃/奈・多  ・羅  ・馬  ・波/巴・◇・河  ・沙
2:於  ・居/巨・◇  ・◇  ・◇  ・◇  ・◇  ・◇・許/虚・西
3:烏/吾・古  ・奴  ・刀/都・老  ・毛  ・甫  ・助・◇  ・所
4:于  ・仇  ・◇  ・豆  ・◇  ・武  ・夫/富・主・厚  ・首
5:伊/耳・只  ・尼  ・知  ・里/利・未/彌・比  ・支・◇  ・時

重ねて申し上げますが、古韓音よりも新しい時代の表記です。
(続く)

[6804] Re[6803][6802][6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  琉球松 2013/02/27(Wed) 23:20 [Reply]
スターダストさん、ありがとうございます。

 銘文なども含め、総合的に「古韓音」で読むほうが妥当ということですね。
 しかし、大三元が指摘?しているように、その証拠が見当たらないんですよ。朝鮮半島における古文献などの資料がほとんど残っていないという事情なのでしょう。
 「古韓音」との括りは "例外" との意味で使うのは意味があると思いますが、はたして朝鮮半島での音なのか、中国大陸のどこかの方言なのか知りたいところなんですけどね。。。これが難解。

 あとは、呉音や漢音の "揺れの範囲" と解釈するのも悪くないと考えますがどうでしょうか。
 トンチンカンかもしれませんけど、琉球方言的には「冨」は「ホ・ボ・フ・ブ」どちらでもかまわないですし、「意富比垝」は「ヲフヒコ・アフピク・イポイク」などと平気で変化しますね。

[6803] Re[6802][6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  大三元 2013/02/27(Wed) 21:00 [Reply]
スターダストさん

古韓音について教えて下さい。

確かに例えば「冨」を「ホ(ポ)」と読むのは漢字の上古、中古音にてらすとおかしい。即ち「冨」と「不」は同じ上古、中古音で それぞれ pIuəg pIəu とあり
「不」は「フ」以外には読まない(と思う)ので「冨」を「ポ」と読むのは何故か、という疑問がでる。
それが「古韓音」ということなのでしょうが、上古、中古音では説明できない読みを「古韓音」と一纏めにしたわけでもないでしょう。
恐らく何らかの文献(古代の韓国の文献)で「冨」を po と読む実例があるからでしょう。それ(典拠)が何か、を知りたいのです。ネットで色々検索しましたが、これを説いているものがみつかりませんでした。ご存知でしたらよろしく。

[6802] Re[6801][6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  スターダスト 2013/02/27(Wed) 16:39 [Reply]
琉球松さんへ

説明が足りませんでした、お詫び申し上げます。

『稲荷山古墳出土の鉄剣銘』の裏の銘文には「獲加多支鹵大王」がありまして、表の銘文には以下のように、あります。

辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝

意富比垝は、オホヒコと読まれ、「大彦」とも解されるのですが、このオホヒコと読むためには、呉音では苦しいことかと。イフヒギあたりになりましょうや。

また、意富富杼王(おおほどのおおきみ)や、意富多々泥古(オホタタネコ)の例もありますが、いづれも、古韓音の名残が検出されます。

稲荷山古墳出土の鉄剣銘の表や裏の銘文にて、呉音ではなく、古韓音で読むことになっているようです。

[6801] Re[6799][6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  琉球松 2013/02/25(Mon) 10:43 [Reply]
スターダストさんへ

 ちょっと「獲加多支鹵大王」の読みについて調べてみたんですが、やはりだいたい呉音じゃないでしょうか?
 呉音そのままだと「ワクケタシル」となるようで、「加」は漢音の「カ」なのでしょうけど、「支」を「ケ」とする部分だけが "古音" と呼ばれる音じゃないですかね。
 まあ、乙類とか甲類とか「上代特殊仮名遣い」などとはほとんど縁のない琉球言語圏の者にとってはどうでもいいというのが本音ではあるんですけど、少なくともシリア語よりも朝鮮諸語に注目したほうが時間の節約になるかもしれません。
 "古韓音" にしても、朝鮮半島経由なわけですしね。

[6800] Re[6797][6796][6795][6794]犬の磔  スターダスト 2013/02/22(Fri) 17:55 [Reply]

> 犬吠えをし盾矛を持つ隼人との習俗とも関係があるのではないかと思います。

ここに反応してしまいました。 なるほど。

[6799] Re[6798][6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  スターダスト 2013/02/22(Fri) 17:54 [Reply]
カタカナの「ト」の元は漢字の「止」なのですが、呉音・漢音ともに、「シ」の音で日本側は受容していますね。 実は、「止」に「ト」の音をあてるのは、呉音よりも古く日本にはいってきた、古韓音(学者によっては古音とも言う)なのでして、いわゆる『推古遺文』にもたっぷりと古韓音の影響があります。ワカタケルの名前のはいった鉄刀に記された表記「獲加多支鹵大王」も、古韓音で読みます。
古韓音は、中国の上古音が朝鮮半島に伝わり、その後、新しい中国の中古音が半島にはいってきてもなお、上古音の伝統が残っているものです。
…とまぁ、こちらも面白いですよ、とニッチな話題を書いてみます。

[6798] Re[6791][6790]: 宿命は折込済(追記)  琉球松 2013/02/22(Fri) 11:17 [Reply]
 "シリア語" というのは、どうなんでしょうか。ちょっと遠い気がするんですが。。。

 それよりも「呉音(朝鮮百済語?)」から入っていったほうが近道のように思いますね。
 いわゆる「甲類・乙類」の書き分けなんですけど、白村江での敗戦以降、めちゃくちゃ大勢の百済人が『日本書紀』などに関わっているのは間違いないでしょうし、『万葉集』もほとんど呉音で読むほうが分かりやすいですよ。

 それと「雄略天皇(ワカタケル)」。。。この方は「倭の五王」中の「倭王武」であるとの説が有力ですね。たぶん朝鮮人なのでしょう。
 百済など朝鮮渡来人なくして日本は成り立たないですから、シリアまで遠出するより、まずは朝鮮半島じゃないでしょうかね。

[6797] Re[6796][6795][6794]犬の磔  くず 2013/02/21(Thu) 06:18 [Reply]
>金気を殺す→鹿の首をまつる→木気を助ける→春が来るー
個人的には、春を助けるではなく、春を殺す、封じるという線を考えています。
木気が力を持つと中央(土気)は都合が悪い(^^;)

犬の磔について、犬=金畜というのは、中国でも原始的な信仰を後代になって五行的に解釈したものように思います。
五行が体系化され始めた時代より古い殷代の墓では、
"腰孔"と呼ばれる穴(通常9つ)に犬と青銅の戈を持った人物がセットで殉葬されたようです。
死者を守る為とも、冥界へ導くためともとれそうですが、
盾、戈を持つ"方相氏"と犬の関係はこのあたりまで遡るのはないかと思います。
日本では弥生時代に描かれた盾と戈を持つ羽飾りをつけた人物が方相氏と関わるものと見ます。
犬吠えをし盾矛を持つ隼人との習俗とも関係があるのではないかと思います。

[6796] Re[6795][6794]犬の磔  スターダスト 2013/02/19(Tue) 16:15 [Reply]
やはり鹿が気になりますね。

秦代の木簡が発掘されてそこに記載されていた十二支に相当する十二獣には、犬のかわりに鹿が配当されていたとのことです。 まぁ、どちらも、金気の毛蟲に分類されるようですので、大きな違いはないという認識だったのでしょうか…
金気を殺す→鹿の首をまつる→木気を助ける→春が来るー


[6795] Re[6794]犬の磔  くず 2013/02/15(Fri) 12:49 [Reply]
スターダストさん、

犬の磔から次の論文を読んできました。

[古儺文化の起源・変遷・現状 : 中国南豊と京都を事例として]
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/87711/1/dyn00008_065.pdf

[古代における導犬の概念について]
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/13088/1/03878929_30_16.pdf

それと、下記ページ。
[犬の磔(はりつけ)による邪気祓い]
※注意 犬好きの方には映像が厳しいかも^^;
http://mikiomiyamoto.bake-neko.net/chinesemagic210.htm

諏訪の特殊神事、御頭祭についてはここから、
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/index.htm
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sinji/ontou.htm

面白いと思ったのは、宮中行事ににも見られる儺(追儺)が関係しているであろう事。
儺は季節の変わり(節分)に行われた疫病(赤疫=疫鬼)払いの行事。
儺で鬼を追い払うのは方相氏(黄金四つ目の仮面を被り玄衣朱裳をまとい、右手に桙、左手に楯を持つ)
と赤いものを身につけた複数の童子(侲子=しんし)。

諏訪の御頭祭でも古い時代では顔を赤く塗った童子(神使=おこう)が関わります。
す。
赤(陽)を持ってで赤(疫)を制す。毛モノの血(赤)も同じ役割。


インドの古典「リグ・ヴェーダ」に出てくる"ヤマの犬"は目が4つで死者を守護し、死者の道案内をする。

犬と方相氏、童子(神使い=しんし)は、ケガレを払い死者を導くという同じ役割を持っている。

日本各地の民話でいう、妖怪に恐れられたシナノのシュケン(犬)とは、
朱犬(シュケン)の意味であったかも。

シュケンに言いつけるぞ! それは困る(妖怪)
この関係は、
山立つ姫と蛇の関係にも似ていると思うんですが^^

[6794] Re[6786][6782][6781][6777][6776][6774]: 山立姫の整理  スターダスト 2013/02/13(Wed) 16:06 [Reply]
> 五行で言う五虫では鱗ある蛇は鱗虫で木気なのですね。
> これですと獣(毛モノ)である猪は毛虫で金気。
> 金剋木で相剋の関係になります。
> 蛇の祟りを封じるために猪の毛を煎じて飲むお話がありました。
>
> 今御神渡りで話題の諏訪に、古くは旧暦3月の酉の日に行われた御頭祭り(酉の祭)
> があります。
> 昔は75頭の鹿の生首が捧げられた奇祭です。(今はさすがに剥製で代用)
> 75は五行思想でいう、季節を五分したものと言われます。(春夏秋冬+土用)
> 3月に行われるので、75の数は春そのものを表すものと思われます。
>
> 五行思想を背景にした、春そのもに贄を捧げる祭り。
> ではなぜ酉の日が選ばれたのか?
> 酉の日は木気である春を封じる、金気を強める日です。
>
> で、先の話、
> この獣(毛)は、贄ではなく、"春を殺す"為に祭られたのだ。
>
> と思い当たってぞっとしました^^;

偶然にこういうつぶやきをみつけました。
===
"( https://twitter.com/anomomo/status/130803053640167424 )::@takakotanaka @kz_itakura 一番興味深いのが迎春呪術の「犬の磔」ではないでしょうか。金畜である犬を12の門に磔にした中国、単に犬に餌をやらない日を作った朝鮮、そして犬の形の餅を作って窓の外に下げる風習にした日本。伝わるごとに角が取れて優しげになっていて。"
===

陰陽五行説にのっとって、「木気」を害する「金気」を滅することで、間接的に「木気」を助ける呪術であり、木気の春を招く、吉野裕子先生がおっしゃっていた気がします。
鹿が金畜の代用ならば、これを殺して生首にすることに意味があることかと思います。それがなぜ酉の日なのか…しょうしょうわかりかねますが…

[6793] シリア語の位置づけ  入鹿 [Url] 2013/02/06(Wed) 20:23 [Reply]
コメント頂き、ありがとうございます!! シリア語の位置づけ、というのは、昔から根強くある、
いわゆる聖徳太子の誕生譚に、いわゆるイエスに纏わる逸話の影響が有るのではないか、
と言われることと、大いに関係します。影響の有る無しに関しては定説を見ない現状ですが、(※松前健氏などが肯定派)
若し有るとした場合、東方へ伝播した初期キリスト教は、言語圏で言えば、シリア語圏なので、
シリア語圏の言語や文化を射程に入れる必要があります。「初期キリスト教」、と言ってしまうと、
確固たる括りが有るようにイメージしてしまいますが、実際は、グノーシスも含め、小さなセクトが
並立(乱立?)しており、その中には、「蛇」を神格化するようなグループも有ったので…さしあたり、
「キリスト教」という言葉で思い浮かべるイメージを取り払い、アヴァダーナ文献等との接点も考慮し、
言語交渉の実態を一つ一つ見ていくことが、記紀の未詳語?の解明への一助になると思っています。

#より一般的な話として…アラム語の系統(その支流がシリア語)が、言語上の一大勢力だったことは、
#アラム文字から派生した文字が、このうえなく多いことから分かります。ソグド文字・突厥文字などなど。

[6792] 恵方巻の発祥  神奈備 2013/02/06(Wed) 15:52 [Reply]
『美しい日本の習慣』 (PHP文庫)によると、恵方巻の発祥は大坂船場のようです。
江戸時代には、「おせち」を食べるのは年五回あったそうで、たまたま節分の日と大晦日が同じ日になり、「おせち」が恵方巻に変わったそうです。
 江戸末期から明治初期に、恵方を向いて太巻を丸かじりしますと、1年を通して無病息災で、また商売繁盛が叶うとされていました。

 社寺では節分祭が行われるところがありますが、船場近辺では見当たりません。

 恵方巻の起源とされる磐裂根裂神社は、栃木県下都賀郡壬生町に鎮座の神社だと思われますが、大阪や船場との関わりはネットでは出てきませんが、神社のお祭りになることは一朝一夕ではできないことでしょうから、ひょっとしたら、栃木から大阪に伝わったのかも知れませんね。結城紬の商人が船場にやって来て伝えたとか。

[6791] Re[6790]: 宿命は折込済(追記)  神奈備 2013/02/01(Fri) 20:27 [Reply]
言語については殆ど何もわかりませんが、なぜ「シリア語」がここで登場するのでしょうか。
それほどの言語だったのでしょうか。

[6790] 宿命は折込済(追記)  入鹿 [Url] 2013/01/30(Wed) 19:41 [Reply]
うっかりして、一部を書き漏らしました!!…2011年6月14日の[6030]に於いて、
「佐和良臣」の「sahwara」、「大己貴」の「己」(アナ)、「天叢雲」の「叢」(ムラ)、
此の三つについて書きました。そこでも少し触れましたが、実は、シリア語には、
所謂ロゴスや「cause」(原因)などを意味する、【MLA】(メルゥアー)という名詞と、(※片仮名の発音は便宜的なもの)
それと綴りは同じで、「fill」(満たす)や「full」(満杯)や「enough」(十分)を意味する、
【MLA】(ムルゥアー)という動詞があり、後者の派生語の【MLWA】(ムルゥウァー)、
これに「fullness」、「sum」、「volume」の意味があって、インド系の「Mūla」と重なります。
即ち宿名として知られる【Mūla】に当たるシリア語が、【MLWA】(ムルゥウァー、99)です。

#結局のところ「至“尾”剣刃少缺。故、割裂其“尾”視之、中有一剣」(書紀正文)といった記述や
#「切其中“尾”時、御刀之刃毀。尓、……、刺割而見者、……」(古事記)といった記述の、背後に、
#月宿の【尾】(Mūla)が在るということは、記紀の文作主体の知識が、まさに総合的だったとすれば、
#そこにシリア語の【MLWA】(99)も在るということになるでしょう。読む側が、文作主体の知識範囲を
#必要以上に広く見積もることは避けるべきですが、狭く見積もって見失うこともまた避けるべきでしょう。

[6789] 宿名は折込済  入鹿 [Url] 2013/01/30(Wed) 13:49 [Reply]
夜空の諸要素から日本の神話を見ていくさい、宿名を無視するわけにはいきません。
高松塚古墳やキトラ古墳の壁画に見られる星宿図の背後に、宿名が無かったはずは
ないからです。記紀の神話で、いわゆる「草薙剣」は、総て「尾」(の中)から出てきます。(※この点は共通)
当該の「尾」は、単純に、雑密系の漢訳仏典等に記述される月宿の【尾】の象徴でしょう。

>乃抜所帯十握剣、寸斬其蛇。至尾剣刃少缺。故、割裂其尾視之、中有一剣。
>此所謂草薙剣也。《草薙剣、此云倶娑那伎能都留伎。一書云、本名天叢雲剣。
>蓋大蛇所居之上、常有雲気。故以名歟。至日本武皇子、改名曰草薙剣。》
(※日本書紀巻一・第一段正文より)

摩登伽経などの【尾】は、詳しく言えば、ナクシャトラの「Mūla」(梵語・パーリ語とも同じ)を、
漢訳するにあたり、中国の二十八宿の名称を流用したものです…「尾」の文字の背後には、
この「Mūla」(摩登伽経は【尾】に作る・舍頭諫経は【根元】に作る)が在ります。ここで意味は、
舍頭諫経の意訳の通り、「root、basis、foundation、cause、origin、beginning」など…ところが、

Semiticの一支流であるAramaicの、更に一支流にSyriacがあり、そのSyriacの【MLA】は、
ギリシャ語の「λόγος 」(=Logos)の意味や、「cause、reason」等の意味を持っています。(※借用関係が想定される)
記紀編纂の当事者が、どれだけの背景知識を持って記紀を文作したか定かではありません。
併し、広く見積もれば、「尾」の背後に、「Mūla」のみならず、【MLA】(=Logos)すら看取できる。

そして、此処で、肝心なのは、特にパーリ語の「Mūla」については、上述の意味のほかにも、
「sum」(集計)の意味を持っている点です。梵語の場合も、派生語が「sum」(集計)の意味を、
同じように持っています。要するに「一書云、本名天叢雲剣」に作られる「天叢雲」については、
「叢」を「ムラ」と訓むのであれば、意味も音形も、あからさまに、「Mūla」(即ち【尾】)に通底する。

此の場合、「叢」を「ムラ」と訓む訓み方、つまり倭訓が、借用語である可能性も、検討すべき。
しかし、そのことを横に置いたとしても、神話テクストにバリエーションが有りつつ、当該の剣は、
常に「尾」(月宿の【尾】(Mūla)の象徴)から出てくるのだから、「天叢雲」の「叢」(ムラ)の名辞も、
月宿の【尾】(Mūla)を念頭に置いて、使われている名辞ということになる…そう私は考えています。

(参考)「年魚市」という地名について(http://ameblo.jp/ywrqa/entry-11071501258.html

#Buddist Hybrid Sanskrit(仏教徒混交梵語?)では、「under 〜」の意味で、「〜 mūle」と言う。
#「mūla」は「basis」(根底)・「bottom」(底)の意味を持つから、「指導者の下で」といった表現で、
#「の下で」の表現に、「〜 mūle」を使うとしたら、それは普通に理解可能だ。ところが、「氐」字は、
#「根」字に意味が通底。且つ、「氐月」(卯月に当たる)は、いわゆる【十WRA】(青牛宮、809)だ。
#そして、この【十WRA】(青牛宮、809)は、傍通暦の【尾】(8月9日)を表す。安閑天皇が【牛】なら、(※日本書紀の御名代の記事)
#雄略天皇は【氐】だが、古事記を見れば、その【氐】の雄略天皇の崩御は、「八月九日」と明記する。
#「氐月」は、「氐」の字義により【尾】(Mūla)に重なる面があるが、一年のうちの特に【尾】(8月9日)は、
#その数字が【十WRA】(青牛宮、809)を表し、まさしく「氐月」を表すから、「氐月」を表す表現物として、
#誠に都合がよい。そういう意味で、雄略天皇の崩御(但し、古事記の場合)は、「八月九日」に作られる。
#恐らく、御年の124歳も、【ALOA】(骨、124)という語を背後に持つ。「神骨王」が「神大根王」である以上、
#傍通暦の【尾】(1月24日)を表す【ALOA】(骨、124)は、確実に「Mūla」(大根)を含意し、「氐月」にも通底。

[6788] 蛇の本性  くず 2013/01/30(Wed) 00:57 [Reply]
[6778]に書きましたけれど、オロチの本性は牡牛座周辺にありはしないか?
これは前から頭にあった事です。

今回、蛇についての各地の伝承を色々と調べました。
その中で新たな繋がりを見出しました。

お隣の本殿で神奈備さんが道成寺のお話をされておりますが、
昔、文楽で「道成寺」を観た事があり大変印象的なお話でした。

道成寺において釣鐘と蛇は深く関わりますが、
各地に"釣鐘と蛇"の関わりを伝える民話が数多く残されている。
釣鐘そのものを蛇の化身とするお話もいくつもありました。
沈鐘伝説もそれで、気象(雨乞い)とも深く関わります。

そこでふと思いあたったのが、
牡牛座のヒアデス星団は釣鐘星とも呼ばれる事です。
V字を逆に見てツリガネと。
そして雨降り星とも呼ばれます。
これは、梅雨に入る頃の明け方にヒアデスが昇ってくる事に由来する。
と言われます。

釣鐘と雨乞いが蛇、龍と日本各地の伝承で重なるのは、
その事が忘れられるほどに古い昔、
ヒアデスと蛇を関連された信仰があったのではないか…と推測。

ヒアデスはV字が横に転んだ形で昇り、逆さまの形で沈みますが、
これが沈鐘伝説に繋がっているものと思います。


以下はもしかしたらと青臭くですが^^;
銅鐸を横にしたり逆さにして埋納するのは、
ヒアデスの見え方を再現しているのではないか?
雨乞いの祈願?
銅剣や銅戈と合わせて埋納されるのは、
それらをオリオンの剣と見立ててのものではなかったか?

[6787] Re[6783][6772]: 無題  神奈備 2013/01/29(Tue) 10:18 [Reply]
> ○尾張氏と「オコゼ」と南方熊楠
> http://www.ten-f.com/owari-to-okoze.htm
>
オコゼは醜い女性のイメージでしたが、強い男も示しているようですね。

[6786] Re[6782][6781][6777][6776][6774]: 山立姫の整理  くず 2013/01/29(Tue) 06:56 [Reply]
スターダストさん、皆さん、

> ●蛇は「木気」
これ目から鱗!でした。十二支の巳は火気、亥は水気でしたからそちらを見てました。

五行で言う五虫では鱗ある蛇は鱗虫で木気なのですね。
これですと獣(毛モノ)である猪は毛虫で金気。
金剋木で相剋の関係になります。
蛇の祟りを封じるために猪の毛を煎じて飲むお話がありました。

今御神渡りで話題の諏訪に、古くは旧暦3月の酉の日に行われた御頭祭り(酉の祭)
があります。
昔は75頭の鹿の生首が捧げられた奇祭です。(今はさすがに剥製で代用)
75は五行思想でいう、季節を五分したものと言われます。(春夏秋冬+土用)
3月に行われるので、75の数は春そのものを表すものと思われます。

五行思想を背景にした、春そのもに贄を捧げる祭り。
ではなぜ酉の日が選ばれたのか?
酉の日は木気である春を封じる、金気を強める日です。

で、先の話、
この獣(毛)は、贄ではなく、"春を殺す"為に祭られたのだ。

と思い当たってぞっとしました^^;

[6785] Re[6784][6783][6772]: 無題  琉球松 2013/01/28(Mon) 17:52 [Reply]
 大三元さん

 なんか『今昔物語』以降の中世の印象はありますね。
 一休みしましたら、またお願いします。

[6784] Re[6783][6772]: 無題  大三元 2013/01/28(Mon) 16:57 [Reply]
邪悪なものの排除には臭いもの、醜いもので対処する、というのは古くからの智恵だろう、と思ってチャチャ入れさせて頂きましたが、やまたつひめ はどうも比較的新しい層に属するようですね。ここらで一休み・・・します。

[6783] Re[6772]: 無題  スターダスト 2013/01/28(Mon) 13:54 [Reply]
くずさん、神奈備さん

○尾張氏と「オコゼ」と南方熊楠
http://www.ten-f.com/owari-to-okoze.htm

これ、面白いですね。

[6782] Re[6781][6777][6776][6774]: 山立姫の整理  スターダスト 2013/01/28(Mon) 13:47 [Reply]
吉野裕子先生の著書を片っ端からナナメヨミしました。 ヤマタツヒメについては記載がみつけられません。
以下、陰陽五行思想の応用で呪文を解することができるかどうか、素人のマネッコにて考える試みです。

●[6781]で触れた【五行相剋】では解釈が難しい
私には出来ませんでした。【五行相剋】とするならば、ヘビを五行の何かに充当し、それを剋する行のナニモノカをもって、ヘビを退治する呪文になるはずなのですが、うまくいきませんでした。 ここまでが1/27の投稿時点での私の考えでした。
●[6774]で神南備さんがまとめた呪文の性質
「蛇よ、イタズラしたらヤマタツヒメカミに言いつけてやるぞ」という形式であって、「お前をやっつけてやるぞ」という意味合いが薄いです。ヘビを退治する呪文ではなさそうで、【五行相剋】では解せないこと、既に申し上げた通りです。しかし、それならば、なにゆえ、ヤマタツヒメカミに言いつけるのでしょう?
●蛇は「木気」
基本に戻って、蛇は「木気」であることを確認しておきます。《蛇はたんに「水の神」ではない》と[6781]で引用した説明欄にありますが、この、応用的な考えに惑わされず、基本的な考えであるところの「木気」で蛇を解することとします。
●亥の神、山の神、田の神は、「木気」
吉野裕子先生の著書では、いろいろな民俗信仰にみられる、作神(つくりがみ)・農業神の性格を持つ、亥の神、山の神、田の神の分析がなされています。五行説によれば、亥の神、山の神、田の神の三つの神は、「木気三合の理(ことわり)」にて「木気」の生成消滅輪廻をあらわすものとしています。
●へびよけの呪文にあらわれるイノシシ
イノシシが亥の神を表現しているものと考えられるとも思われます。
●やまたつ
山の神・田の神が「ヤマ・タ・ツ・ひめかみ」で表現されているものとも思われます。
●「やまた」の神と「いのしし」の神
「やま・た」の神と「いのしし」の神とは、みっつあわせて、亥の神、山の神、田の神を表し、五行説の三合の理の示すとおり「木気」の上位神格とみなすこともできましょう。これが、やはり「木気」である蛇・マムシの上位にあたると考えれば…蛇が悪さをしたならばエライ神さまに言いつけてやるぞ、という呪文の中核の出来上がりとなります。
呪術者役小角にはじまる修験道は、中国に発する陰陽五行説や道教、呪禁道を吸収しつつ日本古来から続く山岳信仰と密教とを中軸に発展してきたものと見られますが、彼らの全国への展開にあたって、ヘビヨケの呪文も普及していったのではないかとも間gなえられるところではあります。しかし疑問も多いところです。

●まとめ
へびよけの呪文は、陰陽五行説の「木気」の中で、下位にある蛇を、上位にあたる亥の神、山の神、田の神の三合の理によってコントロールしようというものであるという考えは、一応は成立します。ひょっとしたら、修験道が関係しているかもしれません。

●でもこの考えは
私の趣味にあいません。なぜヒメカミなのかを説明できないからです。 修験道?がヘビの呪文をまとめなおして全国展開するまえの祖形が、先にあったのではないかとも思われてしかたがありません。それは、聖なる植物のニオヒがヘビをよける概念からくるものであったかもしれません。それと、呪文にみられるイノシシから、どうにもこうにも、陰陽道的な後付けを感じられるのです。

●・・・
大三元さんのおっしゃるところの、山・田の発展として考察してみました。良いヒントでした。




[6781] Re[6777][6776][6774]: 山立姫の整理  スターダスト 2013/01/27(Sun) 15:40 [Reply]
思わぬ情報の洪水状態でアップアップです。
じっくり消化しなくては…
それにしても、みなさんからのご教示の素晴らしさといったら、感涙ものです・ありがとうございます。

ところで、吉野裕子先生は、多くの民間信仰の影に、陰陽五行思想を観ることができると例示をたくさんしておいででした。
山立姫の信仰の源流のひとつに、陰陽五行説でいうところの、【五行相剋】がひそんでやしないかと思いついてみたものの、今のところなんともなりません。
「水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」
===
http://amzn.to/Y8ataw
にある、『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰 (講談社学術文庫)』の商品の説明欄をみますと、次のようにあります。

蛇と猪。なぜ山の神は二つの神格を持つのか 蛇はたんに「水の神」ではない。山=蛇は死と再生を司り、荒神、宇賀神ともなる。易・五行において山の神は、陰の極として亥となり、あらゆる生命の初発を担う。

蛇と猪。なぜ山の神はふたつの異なる神格を持つのか?日本古来の社の祭神の起源は、祖霊としての蛇神であった。六~七世紀、中国から将来された易・五行による新な神々が、原始蛇信仰の神々と混淆し、山の神は複雑な相貌をもつようになる。神島の「ゲーターサイ」、熊野・八木山の「笑い祭り」、御田神社の「烏喰神事」などの祭りや習俗を渉猟し、山の神にこめられた意味を読み解く。



[6780] Re[6779][6767][6712]: 蛇=出雲  スターダスト 2013/01/27(Sun) 15:28 [Reply]
・・・と書いたところで、くずさん による6778の投稿にて関連しているコメントを発見してビックリしています。

[6779] Re[6767][6712]: 蛇=出雲  スターダスト 2013/01/27(Sun) 15:26 [Reply]
大三元さん

> > スターダストさん
> >
> > > 大和岩雄先生が、海人族が利用したオリオンの三ツ星に着目して「つつ、つち」と星とのかかわりについて述べられていますね。→『秦氏の研究』
> >
> > 『秦氏の研究』にありましたか。。。どこだろ?見つけられず・・・
> > 『日本の神々』にはあるようですが持ってない(^^;)
>
> あっっ後ほど調べて報告させてください。 申しわけありません。  大和岩雄先生の本を同時並行に三冊ぐらい読んでいたものですから…

遅れてしまって申し訳ありません。
大和岩雄先生著『神社と古代民間祭祀』に詳しくまとめられているようでした。『日本の神々』のときとは異なり単著ですので、少々踏み込んでいる可能性があるのかなとも思いますが、概ね、変化はないようです。

「オリオンの三ツ星」を住吉三神とするほか、併せ技にて、「石筒(いはつつ)の男の神」を、金星と同定している点が興味深いです。大変面白いのですが、論旨を掲示板には書ききれません。
ひとつ気に入ったのが、「カラサヒの剣」を「カラスキの剣」とみたてたところ、カラスキが、オリオン座と深い関係があること、浦島太郎の説話のなかに、星は海の中で暮らし天に昇り…という古代人の概念をみるべきこと、などです。

[6778] Re[6777][6776][6774]: 蛇と姫の関係  くず 2013/01/26(Sat) 18:57 [Reply]
再掲出になると思いますが、
オリオン座の三ツ星、子三ツ星を腰に佩いた剣と見たてる。
これが神話に言う"十握剣"ではないか思っています。

オリオンの三ツ星と子三ツ星を唐鋤と見立"カラスキ星"の異名があり、
スサノオがヤマタノオロチを切った十握剣の名の一つに”蛇韓鋤之劒”(日本書紀第八段一書の三)とある。
対になる牡牛座の頭の部分、ヒアデス星団のV字を女性の股と見て、
そこに輝く赤星(赤色巨星のアルデバラン)を、火やタタラの象徴と見ていたのではないか。

火の神カグツチを産んで死んでしまったイザナミ命、火中出産のコノハナサクヤヒメ、赤玉を生んだアカル姫、
下照姫の名、丹塗り矢が刺さった玉依日売、五十鈴姫、ホトタタライスズ姫の名など。
これらの姫と対(夫婦、母子、兄妹)になる男神は何れも十握剣を持っている。
イザナギ神、山幸彦、アジスキタカヒコネ、神武天皇。

違う視点から、最近見つけた日向の民話に天村雲命のお話。
http://www.miyagin.co.jp/pleasure/0101.html

天村雲命は牛の背に乗って高天原から降りてきた。
その牛は椿で片目を突いてしまい八日目に牛は死んでしまった。

この天村雲命は牡牛座の"昴"を見立てて語られているように思われます。

同名の天叢雲剣が出てきたヤマタノオロチの尾とは昴の事では。
と見ると、ヤマタとはヒアデス(「畢星」の八人童子など8つの星と見られている)を指している。
ヤマタノオロチの猿田彦と同じホオズキのような目とはアルデバラン。
猿田彦が天孫一行を待った”天の八衢”とは、八岐と同じ。

[6777] Re[6776][6774]: 山立姫の整理  琉球松 2013/01/26(Sat) 11:10 [Reply]
 この呪文は、奄美の沖永良部島まで分布していたようですね。
 この島は飛鳥仏教の南限でもあるわけですから、後の熊野権現における山岳信仰の広がりを思わせます。

 ところで、中路正恒さんの著書『日本感性史叙説』 山立姫には、蛇と口を開けたメス猪が対峙する話が出ていていますね。
 くずさんご紹介の "「鍛冶屋の娘」型については蛇が鉄を嫌うという事" とも考え合わせると、蛇(男)が琉球圏で言う「女の下の口(ホトタタラ)」を恐れることとつながります。
 危険な金属製武器(蛇)を溶解し、変質させる溶鉱炉の力を「ヤマタツ姫(ホトタタライスズ姫?)」とし、メス猪に代用させているのかも?

 それと、神奈備さんご紹介の5例の呪文の文面からは、真言宗の匂いがしますがどうでしょうか? ハブほどの毒を有しないマムシなどでも、山伏達にとっては歓迎できない虫だったのでしょう。

[6776] Re[6774]: 山立姫の整理  くず 2013/01/26(Sat) 09:59 [Reply]
神奈備さん、ありがとうございます。
[6772]は携帯の画面から投稿したので雑になってしまいました。
後、色々と調べまして、

◎蛇(まむし)除け呪文には大きく、「山立姫」型、「蕨の御恩」型、「鍛冶屋の娘」型 がある。

山立姫型の変形を集めてきました。
出て立つ姫(山形)大和の姫、大和姫(静岡、和歌山)山田の姫(新潟)、ヤマタラ姫(九州)
他 山王姫、山タカ姫、山うら姫、波立つ姫、淀姫様、鶴マツ様など

◎山立姫とは猪の事をいうらしい。

・猪は好んで蛇を食う事から。
・猪の鼻を切り取りマムシ除けとして持ち歩いたという。

ただ確説、伝えあって熊楠さんは茅萱=山立ち姫という論考をしている。
萱野姫=野槌神 ノヅチは蛇の化物

山立姫の他の伝え ボトロ(蕨の茎)オオミミズ(長野)ナメクジ(岐阜)ムカデ

山立(ち)とはマタギの事を言う。また山賊の事も言うから山で生きる人々を広く指したよう。

◎歌(呪文)に御真言が唱えられるなど全国に広く流布しているのは山伏が関わっている。

「蕨の御恩」型で、このようなものが収録されてました。
信濃なる戸隠山のかげワラビ、なむったりちょとばかり、なむくじりゅう(九頭竜)大権現、ワラビの恩を忘れたか(山形県飽海郡)

「鍛冶屋の娘」型については蛇が鉄を嫌うという事からきているよう。


[6775] Re[6774]: 山立姫の整理  大三元 [Url] 2013/01/26(Sat) 09:19 [Reply]
神奈備さん みなさん

山立姫、面白くなってきましたね。
山立姫とは猪のこと、という くずさんご紹介の南方熊楠の文にも興味を覚えました。
 抜粋:あくまたちは赤斑(あかまだら)なるべく、山なし姫は山立ち姫なるべし、野猪をいうとなん、野猪は蛇を好んで食う、殊に蝮を好む由なり

 ふと、祈狩(うけひがり)の最中、猪に食い殺されたという麛坂皇子のことを連想しました。「麛」(かご、鹿の子)というのも「シカぬこ まだらぬ」に通底しているのかな、とか。
 また、雄略天皇が射た猪に追いかけられて、その勢いを恐れて榛の木(はんのき)によじ登りそこで一首・・・雄略に何らかの蛇性でもあったのか、とか。なお、少なくともケルトでは、榛の木もニワトコ同様に聖なる樹木である(http://blog.goo.ne.jp/nyoro2tove/e/ff914d546ff3707bf4dfd5bcea081fae )

[6774] 山立姫の整理  神奈備 2013/01/25(Fri) 20:01 [Reply]
北多摩郡(宮坂和秀氏)
 まだら虫、まだら虫、わが行先をさまたぐと、山立姫に逢うて語ろう


東京都世田谷区 北見伊右衛門家(熊楠)
 この路に錦まだらの虫あらば 山立姫に告げてとらせん

越後国南蒲原郡下保内村(熊楠)
 まだらむしや、わがゆくさきへ、ゐたならば、山たち姫に、知らせ申さん

淡路島(日々粗忽氏)
われいくさきに かのこまだらの むしはあば やまだつひめと かくぞしらさん あびらおんけんそわか

奄美大島(文英吉氏)
しかぬこまだらぬ 虫あれば やまたつひめに かくと知らさん 儀法


[6773] Re[6771][6770][6769][6768][6756][6754][6751][6749][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  琉球松 2013/01/25(Fri) 13:36 [Reply]
 スターダストさん、お手柄ですよ!!

 淡路も奄美も島ですから、隔離された環境にこの呪文が残っているとも考えられますが、少なくとも他の琉球列島ではまったく耳にしませんから、淡路島出身の真言密教の僧が奄美に持ち込んだのか、その逆なのか?

 臭気を持つので除魔力を発揮せしめるというのは、仏教系の「ウラジロ」や琉球圏の「サンニン」などが鬼の追跡から難を逃れる民俗ともつながりますし、奄美沖縄では「トベラ」の葉を「ホト」に見立てて魔除けとすることを考えると、"女陰の呪力(ヒメ?)" との認識があるかもしれません。

[6772] 無題  くず 2013/01/24(Thu) 22:22 [Reply]
神奈備さんのオコゼについて南方さんに伺っていたら、
やまだつ姫が釣れました(゚o゚;
http://www.google.com/gwt/x?gl=JP&hl=ja-JP&u=http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2542_35938.html&client=ms-nttr_docomo_gws_aw-jp&source=sg&q=%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%81%B2%E3%82%81+%E3%81%82%E3%81%8B%E3%81%BE%E3%81%A0%E3%82%89

神奈備の挿入 上記の概要

 猪に関する伝説を書くに当り、この篇の発端に因んで野猪と蝮蛇の話を述べよう。けだし野猪に限らず猪の類は、皆蛇を食う(アリストテレスの『動物史』九巻二章。プリニウスの『博物志』九巻一一五章)。ところが日本では家猪が久しく中絶と来たから、専ら野猪のみ蛇を制するよう心得たのだ。『集古』庚申五号に、故羽柴古番氏が越後国南蒲原郡下保内村で十歳になる少女に聞いた歌を出した。「まだらむしや、わがゆくさきへ、ゐたならば、山たち姫に、知らせ申さん」右、家を出る時鴫居をまたがぬ前に三遍唱うれば蛇に逢わぬ。もし蛇に食い付かれたる時は、ボトロ(蕨の茎葉)にて傷口を撫でながら右の歌を唱うれば、蛇毒消散して害をなさずと。まだら虫とは蛇の事、山だち姫とは、ボトロの事なりというとある。大正六年二月の『太陽』に予この事について少しく述べたが、その後識り得る事どもを併せ述べよう。『嬉遊笑覧』に『萩原随筆』に蛇の怖るる歌とて「あくまたち、我たつ道に横たへば、山なし姫にありと伝へん」というを載せたり。こは北沢村の北見伊右衛門が伝えの歌なるべし。その歌は「この路に錦斑の虫あらば、山立ち姫に告げて取らせん」。『四神地名録』多摩郡喜多見村条下に「この村に蛇除け伊右衛門とて、毒蛇に食われし時に呪いをする百姓あり、この辺土人のいえるには、蛇多き草中に入るには伊右衛門伊右衛門と唱えて入らば毒蛇に食われずという、守りも出す。蛇多き所は三里も五里も守りを受けに来るとの事なり、奇というべしといえり、さてかの歌は、その守りなるべし、あくまたちは赤斑なるべく、山なし姫は山立ち姫なるべし、野猪をいうとなん、野猪は蛇を好んで食う、殊に蝮を好む由なり」とある。

 予在米の頃、ペンシルヴァニア州の何処かに、蛇多きを平らげんため欧州から野猪を多く移し放った。右の歌を解するに、強ちにアクマタチを赤斑、山なしを山立と説くを要せず。蛇を悪魔とするは耶蘇教説その他例多し。山梨の事は「猴の民俗と伝説」に載せて置いた。野猪山梨の実を好んで山梨姫と呼ばれたものか、更に分らぬが歌の意は、山梨のなしに対してありすなわち蛇がここにありと告げて食わせるぞと蛇を脅かしたので、梨をアリノミともいうに因る。一八九〇年八月二十八日の『ユニヴァシチー・コレスポンデント』に仏人カルメットの蛇毒試験の報告出で、その中に家猪は蛇咬の毒を感ぜぬが、その血を人間に注射しても蛇毒予防の効なしとあったから見れば、家猪の根原種たる野猪は無論毒蛇に平左衛門であろう。さて、羽柴氏が越後で聞いた歌は、まずは『萩原随筆』のと『四神地名録』のとを折中したようだ。蕨の茎葉で蝮に咬まれた創口を撫でてかの歌を誦すと越後でいう由なるが、陸中の俚伝を佐々木喜善氏が筆したのには、蛇に逢いて蛇がにげぬ時「天竺の茅萱畑に昼寝して、蕨の恩を忘れたか、あぶらうんけんそわか」と三遍称うべし。かくすれば蛇は奇妙に逃げ去るとなりと(『人類学雑誌』第三二巻十号三一三頁)。これだけでは何の訳か知れねど、内田邦彦氏の『南総俚俗』一一〇頁に「ある時、蝮病でシの根(茅の根の事なれどここはその鋭き幼芽の事)の上に倒れ伏したれど、疲弊せるため動く能わざりしを、地中の蕨が憐れに思い、柔らかな手もて蛇の体を押し上げて、シの根の苦痛より免かれしめたり、爾後山に入る者は、奥山の姫まむし、蕨の御恩を忘れたかと唱うればその害を免かる」と載せたるを見て、始めて筋道が分った。これには蝮を南総で女性に見立て姫まむしというので、全く越後で蕨の茎葉を山だち姫というのと違う。熊楠いう、茅の芽は鋭くて人の足に立ち傷める。『本草綱目』一三に茅芽を俗に茅針というと出るもこれに因るのだ。この蝮も倒れた時茅の幼芽が立って傷つけたから、山にあって人や畜生の身に立ち困らせる、刺が立つの意で茅を山立ち姫と呼び、人を蝮が咬まば茅に告げて蛇の身に立たしむるぞと脅した歌の心でなかろうか。神代に萱野姫など茅を神とした例もあれば、もと茅を山立姫というに、それより茅中に住んで茅同然に蛇が怖るる野猪をも山立姫といったと考える。佐藤成裕の『中陵漫録』六に、『本草綱目』に頭斑身赤文斑という、また蝮蛇錦文とあるに因って蝮蛇を錦まだらという、山たち姫といわば鹿だ。『本草』に鹿を斑竜と異名したから、山竜姫というが、鹿は九草を食して虫を食わぬ。好んで蝮蛇を食うものは野猪だから山竜姫は野猪であろうといったが、なぜそう名づけたかを解いていない。


[6771] Re[6770][6769][6768][6756][6754][6751][6749][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 [Url] 2013/01/24(Thu) 20:30 [Reply]
スターダストさん

ニワトコ:アイヌの方でも何かあったな、と思って調べてみました。以下辞書からの抜粋です。

§45.  エゾニワトコ
注1.−この木わ臭気を持つので 尻に糞をつけている木 と呼び、それによって除魔力を発揮せしめようとしたのであろう。
(参考)この木わ、特有の臭気を持つので、そこに除魔力を認め、薬用呪術用としてひろく用いられた。 
幌別でわ、この木を魔除けの木幣に作った時に限り、sokoni-inaw とゆう。
流行病の病魔その他魔性の者の来襲と予知した時わこれらの木人形を多数作って路傍に立てる。
この木で木幣を作り、それで悪神を送れば絶対戻って来ない(幌別)。

weninaw 悪い御幣.
犬とか狐とか本当に悪い神を神の国へ送り返す時にはニワトコやサワシバなどを悪い御幣として作るものだ.*犬とか狐とか蛇とかが人間に取り憑いて崇る場合がある.その時に呪術者の託宣に従っておはらいをするが.その時に作られるのがウェニナウである.




[6770] Re[6769][6768][6756][6754][6751][6749][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/24(Thu) 17:36 [Reply]
ヤマタツの末尾を濁音化したヤマタヅならば、魔除けの意味が出てくるようです。ただし、ニワトコ経由ですが。

http://www.ctb.ne.jp/~imeirou/soumoku/m/niwatoko.htm


[6769] Re[6768][6756][6754][6751][6749][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 [Url] 2013/01/24(Thu) 16:58 [Reply]
スターダストさん

大発見じゃないですか!

> ●やまたつひめ の淡路島での痕跡があるようです。
>
> http://d.hatena.ne.jp/sawagani550/20130122

[6768] Re[6756][6754][6751][6749][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/24(Thu) 16:26 [Reply]
●やまたつひめ の淡路島での痕跡があるようです。

http://d.hatena.ne.jp/sawagani550/20130122

===引用
淡路市の中山間集落に住むおばあさんからハメに噛まれないためのおまじないを(中略)

われいくさきに かのこまだらの むしはあば やまだつひめと かくぞしらさん あびらおんけんそわか

  ※これを7回くりかえす

神奈備の挿入 上記の概要

   淡路島のため池に根ざした生活文化を調べているN君,秋頃の聞き取り調査で,淡路市の中山間集落に住むおばあさんからハメに噛まれないためのおまじないを聞いてきた.ハメとは,淡路島の言葉でマムシのこと.

 そのおまじないはこんなの.

われいくさきに かのこまだらの むしはあば やまだつひめと かくぞしらさん あびらおんけんそわか

  ※これを7回くりかえす

 マムシがいそうな草藪をあるくときにこのおまじないを唱えてから行けば噛まれないという.分かる部分を漢字まじりで書くと「我れ行く先に 鹿の子斑の 虫這わば やまだつひめと かくぞ知らさむ」だろう(あびらおんけんそわかは大日如来信仰の呪文).おばあさんは母親からこのおまじないを教わったそうだ.

 “鹿の子斑の虫”はマムシのことを指していると思う.あの銭形模様を鹿の子斑と見ることはできなくはない.

奄美大島ではハブ除けのマジナイがいくつかあるのですが、その中に、「やまたつひめ」や「やまたつひめかみ」という謎の存在が登場します。ハブ除けに神威がある超越者として位置づけられているようです。少なくとも今日現在、Googleで検索してもヒットしないようではあります。
(hoshikuzu | star_dust の書斎,2009-12-21)

さらにそのページの下の方にはこんな一節が.

祝女ではなく、一般人の、ハブ除けの呪言は以下のとおりとのことです。  

しかぬこまだらぬ
虫あれば
やまたつひめに
かくと知らさん 儀法

と唱えて、山や畑にはいるとのこと。  
奄美大島物語、文英吉(かざり えいきち)著 より。


[6767] Re[6766][6765][6762][6759][6758][6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  スターダスト 2013/01/24(Thu) 16:24 [Reply]
> スターダストさん
>
> > 大和岩雄先生が、海人族が利用したオリオンの三ツ星に着目して「つつ、つち」と星とのかかわりについて述べられていますね。→『秦氏の研究』
>
> 『秦氏の研究』にありましたか。。。どこだろ?見つけられず・・・
> 『日本の神々』にはあるようですが持ってない(^^;)

あっっ後ほど調べて報告させてください。 申しわけありません。  大和岩雄先生の本を同時並行に三冊ぐらい読んでいたものですから…

※)「やまたつひめ」の「やまた」が、「八幡」とは、あまり縁がないことを見出しました。

[6766] Re[6765][6762][6759][6758][6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 [Url] 2013/01/22(Tue) 21:07 [Reply]
スターダストさん

> 大和岩雄先生が、海人族が利用したオリオンの三ツ星に着目して「つつ、つち」と星とのかかわりについて述べられていますね。→『秦氏の研究』

『秦氏の研究』にありましたか。。。どこだろ?見つけられず・・・
『日本の神々』にはあるようですが持ってない(^^;)

[6765] Re[6762][6759][6758][6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  スターダスト 2013/01/22(Tue) 14:09 [Reply]
> スターダストさん
>
> 星(つづ)に関しては「つつ、つち」までゆらしてみるとどうなるか考えてみたものがあります。 http://dai3gen.net/tuti.htm

大和岩雄先生が、海人族が利用したオリオンの三ツ星に着目して「つつ、つち」と星とのかかわりについて述べられていますね。→『秦氏の研究』
先日読んだばかりです。大三元さんの上のURLでの素晴らしいまとめともあわせてよく考えてみたいと思いました。

> 「タラ」については朝鮮資料(確か「三国史記」のはず)に依って「月」の意味で考えてみたものがあります。そこでは「百済」を「くだら」と読むのは「百済の弓月(く・たる)」が起源ではないかな、と述べています。http://www.dai3gen.net/kudara.htm

これは、ご指摘が本当に違いないと思いました。なお、登呂志公も、この説の傍証になりはしないでしょうか…


[6764] Re[6763]: 巳年に  住吉の神  神奈備 2013/01/22(Tue) 12:09 [Reply]
くずさん 今年もよろしくお願いいたします。

 イザナギが黄泉の国から帰還して祓きはらいをした時に生まれた海の神は、安曇の少童命と住吉の筒男命で底・中・表の各三神です。これらの名は後世に整えられた名の気がします。

 安曇の祖神の安曇磯良は海底に長く居たので、顔に貝ががへばりついた醜悪な姿とされる。オコゼがモデルとされています。オコゼなら女性でしょう。山の神も女神で、オコゼの場合には嫉妬しないようで、それででしょうか、狼に酒をついでいるオコゼの絵を見たことがあります。

 それではいかにも男神らしい名の筒男神は女神でしょうか。原始の住吉神は豊玉姫(対馬鴨居瀬の住吉神社祭神)で女神。海の神は宗像三神に見るように本来は女神。

 筒は星、星の尾は彗星(大三元さん)のイメージ、これは蛇。またツツ、ツチは蛇の意味もあります。住吉神が蛇神であるのは、筑紫国の那珂、摂津では長岡と蛇を思わす地名に鎮座していることで裏付けられます。


[6763] 巳年に  くず 2013/01/22(Tue) 01:57 [Reply]
神奈備さん、皆さん、
おそいごあいさつとなりますが、新年明けましておめでとうございます。

干支となる蛇のお話、星の話に惹かれてまいりました。
また生田さんのご訃報を知り、生前なにかと気にとめて頂いておりましたので、
寂しい思いをしております・・・

今年は彗星の当たり年と言われ、3月と12月に2つの大彗星が見られるようです。
僕にとって過去に見た大彗星は時期的に親しい人との死と関わりがあって、
1996年の百武彗星は"天空に横たわる巨大な白蛇"とも、先に逝った友人の魂とも見えました。

1744年に記録されたクリンケンベルグ彗星は、尾の数が9本から11本に見えたと記録があり、九頭竜さんや、八岐のオロチ!と見られたかどうかは解りませんが、
天駆けて、国境を超え災いを起こした九尾の狐の伝説は、このような大彗星が元になっているのではないかと思っています。

彗星と関わりはないのですが、勝俣隆氏の「星座で読み解く日本神話」という書籍があるようで、
まだ未読なのですが、この説をおもしろく思っております^^

[6762] Re[6759][6758][6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 [Url] 2013/01/21(Mon) 13:23 [Reply]
スターダストさん

星(つづ)に関しては「つつ、つち」までゆらしてみるとどうなるか考えてみたものがあります。 http://dai3gen.net/tuti.htm

「タラ」については朝鮮資料(確か「三国史記」のはず)に依って「月」の意味で考えてみたものがあります。そこでは「百済」を「くだら」と読むのは「百済の弓月(く・たる)」が起源ではないかな、と述べています。http://www.dai3gen.net/kudara.htm



> 実は、今、「やまたつひめ」から飛んで、マタハーリヌ・チンダラカヌシャマヨーのチンダラは何?と、なにか奇妙な異説はないものかと、考えていたのでした。チンは「天」として…タラ。 これがわかると、マタハーリヌがわかって、ヤマタツヒメがわかるという芋づるを狙いました。
> タラについて調べていたら、夕星の(ゆう「ヅツ」)が気になりはじめまして。星は、キリバス語で tuitui。ビルマ語で星は taya 。カンボジアでは dahrah 。  ううむと唸っておりまして、副産物にて、nociwに気がついたのでした。
>
> 意外と星については面白いですね。
> 各言語での単語の星の一覧表が以下にあるのをみつけました。
>
> http://ux.nu/WpVoC
>
> 表一から表六まであります。 上記URLの画面下部にタブがありますから、表を切り替えてみてください。
>
>
>

[6762] Re[6759][6758][6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 [Url] 2013/01/21(Mon) 13:23 [Reply]
スターダストさん

星(つづ)に関しては「つつ、つち」までゆらしてみるとどうなるか考えてみたものがあります。 http://dai3gen.net/tuti.htm

「タラ」については朝鮮資料(確か「三国史記」のはず)に依って「月」の意味で考えてみたものがあります。そこでは「百済」を「くだら」と読むのは「百済の弓月(く・たる)」が起源ではないかな、と述べています。http://www.dai3gen.net/kudara.htm



> 実は、今、「やまたつひめ」から飛んで、マタハーリヌ・チンダラカヌシャマヨーのチンダラは何?と、なにか奇妙な異説はないものかと、考えていたのでした。チンは「天」として…タラ。 これがわかると、マタハーリヌがわかって、ヤマタツヒメがわかるという芋づるを狙いました。
> タラについて調べていたら、夕星の(ゆう「ヅツ」)が気になりはじめまして。星は、キリバス語で tuitui。ビルマ語で星は taya 。カンボジアでは dahrah 。  ううむと唸っておりまして、副産物にて、nociwに気がついたのでした。
>
> 意外と星については面白いですね。
> 各言語での単語の星の一覧表が以下にあるのをみつけました。
>
> http://ux.nu/WpVoC
>
> 表一から表六まであります。 上記URLの画面下部にタブがありますから、表を切り替えてみてください。
>
>
>

[6761] Re[6759][6758][6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  スターダスト 2013/01/21(Mon) 12:48 [Reply]
大三元さま。

ウルドゥー語、ヒンディー語起源にて、星=tara …そのほか、ベンガル語、シンハラ語、コンカニ語、パンジャーブ語、ネパール語など、インド語派においても同系統とみえます。 
タラが、星を表しているとも…思えなくもありませんが、どういうルートで琉球などに…?

[6760] Re[6759][6758][6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  スターダスト 2013/01/21(Mon) 12:43 [Reply]
●チンダラカヌシャマヨー

天 +(足or垂)+ 加那志 + ヤマ

とみて、天足加那志の語と謎の「ヤマ」とがくっついているのではと思った次第なのです。足=タラが、なんらかの天体であれば、天足加那志は、その人格神とみなせましょう。 ならば、「ヤマ」がなんなのか…これとヤマタツヒメカミとの関係は?ヤマタツヒメカミのタツは、夕星(ゆうづつ)のツツと関係しているのではないか? などと思い込みが激しく実証はできずで、ストレスがたまっています。 とほほ。

 


[6759] Re[6758][6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  スターダスト 2013/01/21(Mon) 12:36 [Reply]
大三元さま。

> 10万光年くらい? ははは
御意にて候!

> アイヌ語で「星」は nociw が普通(多い)ようですが、樺太・宗谷・千島方言に keta (ketta)がありこれが古語なのかもしれないと思ってます。日本側の「気多」の解に資するものがあろうかな、と。また、keta は「菱」にも関連した語です。菱の実、特にオニビシの実は大きく4つの角(棘)が出ていて星の形に見えます。
> ここらのことを書いたサイト: http://www.dai3gen.net/sirousagi2.htm

精読させてくださいませ。

実は、今、「やまたつひめ」から飛んで、マタハーリヌ・チンダラカヌシャマヨーのチンダラは何?と、なにか奇妙な異説はないものかと、考えていたのでした。チンは「天」として…タラ。 これがわかると、マタハーリヌがわかって、ヤマタツヒメがわかるという芋づるを狙いました。
タラについて調べていたら、夕星の(ゆう「ヅツ」)が気になりはじめまして。星は、キリバス語で tuitui。ビルマ語で星は taya 。カンボジアでは dahrah 。  ううむと唸っておりまして、副産物にて、nociwに気がついたのでした。

意外と星については面白いですね。
各言語での単語の星の一覧表が以下にあるのをみつけました。

http://ux.nu/WpVoC

表一から表六まであります。 上記URLの画面下部にタブがありますから、表を切り替えてみてください。



[6758] Re[6757][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 [Url] 2013/01/20(Sun) 08:41 [Reply]
スターダストさん

> アイヌ語の nociw は遠いでしょうか? 星の義。天の穂日=ホシ・・・すみません、すみませんっっ(汗

10万光年くらい? ははは

アイヌ語で「星」は nociw が普通(多い)ようですが、樺太・宗谷・千島方言に keta (ketta)がありこれが古語なのかもしれないと思ってます。日本側の「気多」の解に資するものがあろうかな、と。また、keta は「菱」にも関連した語です。菱の実、特にオニビシの実は大きく4つの角(棘)が出ていて星の形に見えます。
ここらのことを書いたサイト: http://www.dai3gen.net/sirousagi2.htm

日本語でも「ひし」と「ほし」という母音交替的になっていて興味深い。

[6757] Re[6714][6713][6712]: 蛇=出雲  スターダスト 2013/01/18(Fri) 14:58 [Reply]
> 今年もよろしぅお願いします。
>
> まだ全然煮えていないのですが『出雲国風土記』に出てくる
> 能城大神(能義神社)の「ノギ」こそ蛇である、ということが論証できないかなぁ、と思っております。この神様の特徴、属性など皆目不明で(神社では天の穂日を祀っているそうですが関連が判りません)思いつき段階から抜け出せません。
>

アイヌ語の nociw は遠いでしょうか? 星の義。天の穂日=ホシ・・・すみません、すみませんっっ(汗

今日も含めてしばらく書き込める時間がありませんでしたが、思わず…

[6756] Re[6754][6751][6749][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 2013/01/18(Fri) 08:44 [Reply]
スターダストさん

甲乙、入れ違いに書いてしまいました:下記に訂正します。
なお「目(メ乙)」「女(メ甲)」も留意しておいて下さい。

[6755] Re[6753][6750][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  かしこ 2013/01/17(Thu) 16:24 [Reply]
>「きら」は、「光る」コアイメージをもった語

そう思います。「ぎんぎん、ぎらぎら、ちらちら」と輝くものが「綺羅、ティダ」。
で、これは「しろ」に通じてゆくのではありませんか?

日本の釵子とか平額というものの形は太陽のように見えますが、あれ、太陽ではないのでしょうか?
それやこれやから、語源不詳というtiaraに通じてたりしないのかな〜という方向に連想は向かふ。。。(*´艸`)

[6754] Re[6751][6749][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 2013/01/17(Thu) 11:55 [Reply]
スターダストさん

> うわー、嬉しいです。 ありがとうございます。目ですね、やっぱり。使い勝手の良い語であるとみえて、派生語がたくさん…

お役に立ったようで・・・これにて同URLは削除しました。

> おお! 良い情報をありがとうございます。マタハリ、物語上の人物であると思い込んでいましたが、実在の人なのですね、本名はマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ…なんとなく本名と、芸名マタハリとが似ているような似ていないような…

「マ」ルガレー「タ」・「ヘール」トロイダ・ツェレ あたりで似た音になりますね(^^)。


時代別国語大辞典上代編で「ろ」接尾語、「ろ」助詞をご覧になることをお勧めします。やはり「日(ひ)」に「ろ」が接尾したのであり「ひろ」という単語があったわけではなさそうです。

「ひるめ、ひるこ」の「る」と神漏岐、神漏美 の「漏(ろ)」は同じなのではないか、と思ってます。辞書には見あたりませんが、私は「ひるめ」=「日の女」のように「る(ろ)」は「の」に近いものだろうと思います。なお「目(メ甲)」「女(メ乙)」も留意しておいて下さい。

[6753] Re[6750][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/17(Thu) 11:48 [Reply]
かしこさん。

> 千木良(ちぎら)という姓があります。
> 千吉良・千明・千金良・千喜良・千装・千輝などの表記があり、群馬に多い。
> 地名では、相模原市緑区千木良。(wiki)
> この名前、どことなく「はちら」系統の匂いを感じませんか?
(中略)
> 「ちら」「てぃだ」の音と「きら・ぎら」は通じそうに思いますが。

語感に感じるものがありますね、確かに。

江戸時代のギヤマンの語源は、オランダ語(だったと思いますが)Diamant だと言います。 DI→GI の聞きなしが発生しているのでしょう。「ちら」「てぃだ」→「きら・ぎら」は、ないとは言い切れませんですね。 うーむ。

> 表記を見ると、明・金・良・装・輝など光を思わせる字が使われていますね。
> 「はちら」の「は」を「八」と考えることが出来るなら、「ちぎら」の「千」に通じそうでもある。

地木楽、千金楽、千喜良、などの姓もあるとのことです。チキリ・チギリ系の姓も多々あるようです。
「きらこうずけのすけ」の「きら」は、雲母(ヤマト言葉でキララ)の鉱山を祖先がもっていたことから来ているともされます。してみると、「きら」は、「光る」コアイメージをもった語からきている例となります。


[6752] Re[6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/17(Thu) 11:36 [Reply]
●やまた と はちら
> それでは、「は・ちら」は…??? 「ちら」が「てぃだ」の発音のくずれたものであると考えられるならば、こちらも、どうやら太陽という概念が見え隠れしてきそうです。
> 残された「は」が何なのか、さっぱり不明ですけれども…「弥」に相当する「は」があればいいのですが、思いつきませんでした。
>

"ハヤ" であれば、"ヤ" と同様に、美称であった可能性があるかもしれませんが…うーん。

[6751] Re[6749][6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/17(Thu) 11:31 [Reply]
大三元さん。

> もしご関心おありならインドネシア語辞書の mata の項をUPしておきましたのでご覧下さい。http://dai3gen.net/mata.htm
>

うわー、嬉しいです。 ありがとうございます。目ですね、やっぱり。使い勝手の良い語であるとみえて、派生語がたくさん…

> マタハリって云うと美貌の女性スパイが居ました。第1次大戦の頃でしたか。映画もあったようです。

おお! 良い情報をありがとうございます。マタハリ、物語上の人物であると思い込んでいましたが、実在の人なのですね、本名はマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ…なんとなく本名と、芸名マタハリとが似ているような似ていないような…

"( http://ux.nu/az2hy )::ジャワ島からやって来た踊り巫女ないし王女という触れ込みでダンサーとなり、「オリエンタル・スタイル」の舞踊を演じた。芸名の「マタ・ハリ」は「太陽」あるいは「日の眼」を意味するムラユ語(マレー語またはインドネシア語)である。彼女はまた、多くの高級士官あるいは政治家を相手とする高級娼婦でもあった。"

そうですか、「日の眼」。。。 万葉集の東歌にて、近畿中央方言の「日(hi)」の意味で「ひろ」という単語が使われているようですから、元々の倭人語ではヒロないしヒルが、太陽を表す語であって、これが、近畿中央方言では、時代とともに語尾の脱落がおこって「ヒ」となった…のかもしれませんね。
そうなってくると、オホヒルメノムチのヒルメは、ヒルメ自体が、「日の眼」と等価であった語であって、ヒル→ヒにおけるルの脱落の残滓を示しているのかもしれません。

女性スパイであるマタ・ハリから、こんな連想が出てきてしまいました。 大三元さん、ありがとうございました。

[6750] Re[6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  かしこ 2013/01/16(Wed) 21:06 [Reply]
千木良(ちぎら)という姓があります。
千吉良・千明・千金良・千喜良・千装・千輝などの表記があり、群馬に多い。
地名では、相模原市緑区千木良。(wiki)
この名前、どことなく「はちら」系統の匂いを感じませんか?

表記を見ると、明・金・良・装・輝など光を思わせる字が使われていますね。
「はちら」の「は」を「八」と考えることが出来るなら、「ちぎら」の「千」に通じそうでもある。
「ちら」「てぃだ」の音と「きら・ぎら」は通じそうに思いますが。

[6749] Re[6748][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 2013/01/16(Wed) 20:42 [Reply]
スターダストさん

もしご関心おありならインドネシア語辞書の mata の項をUPしておきましたのでご覧下さい。http://dai3gen.net/mata.htm

マタハリって云うと美貌の女性スパイが居ました。第1次大戦の頃でしたか。映画もあったようです。脱線失礼。

[6748] Re[6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/16(Wed) 14:26 [Reply]
●やまた と はちら

> > やまたつひめに
>
> 参考になりそうもありませんが、おもろ#422に
> 「やまた」と「はちら」が対になっていて「意味不明」の人名であろうか、とされているのが見つかりました。お知らせまで。
>

安里屋ユンタ:Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%87%8C%E5%B1%8B%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%BF

上記ではインドネシア説の評判が悪いのですが、あえて思考実験で乗り越えてみます。「やまた」と「はちら」が、同じ概念の別表現であるとも考えてのことですけれども。歌謡ですので…

や・また
は・ちら

と、最初の一音を括っておきまして、マタとチラとを対応させてみます。マタもチラも太陽のことである(もしくは月?)とできるでしょうか?

先のWikipediaで評判が悪かったのですが、南島諸語(オーストロネシア語族)では、太陽のことを「昼の目」もしくは「目」という概念に相当する語で表現することがあるそうです。たとえば、ある言語では、目は、「マタ」と呼ぶのだそうで、昼は「ハリ」と。この場合、「マタ=ハリ」が、「名詞=形容詞」の連結となって、「昼の目」になり、この単語が太陽を表すと…なお、日本語とは異なりまして、「形容詞=名詞」の語順でなく「名詞=形容詞」なのだとも。さて、省略して単に、「目」だけでも、太陽の意味を持つとも聞きました。

「や・また」は、「や(高貴なる)また(太陽)」のことなのかもしれないという発想が出てきます。

それでは、「は・ちら」は…??? 「ちら」が「てぃだ」の発音のくずれたものであると考えられるならば、こちらも、どうやら太陽という概念が見え隠れしてきそうです。
残された「は」が何なのか、さっぱり不明ですけれども…「弥」に相当する「は」があればいいのですが、思いつきませんでした。

何か良いアイデアはないものでしょうか? 皆様。



[6747] Re[6740]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  神奈備 2013/01/15(Tue) 19:24 [Reply]
> 銅鐸と河童がつながらない。。。(・_・;

河童と河伯とは同じものとされたりしています。河泊が日本に伝わったのは、6世紀末とされています。もっと早くとの説でも6世紀頃のようです。
また山東半島の兵主神の零落した姿ともされており、時代が下がるようです。

銅鐸は卑弥呼の頃には既に地上には存在していないものです。

と言うことで、時代と言う観念ではつながりにくいようですが、縄文時代でも弥生時代でも、子供がうかつに川に近づいたり、入ったりすることをたしなめる事はなされていたでしょうから、その時に川には怖い物がいて子供を引きずり込むなどの話はされていたでしょうから、観念としては河童的なものは意識されていたのでしょう。
しかしこれは銅鐸とは異質なように思います。


[6746] Re[6745][6744][6743][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/15(Tue) 15:09 [Reply]
●「やまたつひめ」に関するブレインストーミング

ふと思い立ち、ヤボサ神との関連性について、インターネットの文献をあたってみました。

○[3582] 野暮ったいお話  神奈備
http://kamnavi.web.fc2.com/ktba0802.htm

※"ヤボサ神は集落を悪霊や悪疫から守るという神で" 蛇からも守ってくれるのでしょうか?ならば、ヤマタツヒメカミも?

○原始の神社をもとめて
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books274.htm

社殿を持たない森の信仰は、この貝の道に沿って点々と存在している。対馬の天道山、薩摩・大隈のモイドン、種子島のガロー山、トカラ列島のニーガン山、奄美の神山・オボソ山・モリ山・グンギン山、それに対馬−壱岐−松浦−熊本−鹿児島の各地にあるヤボサ神(沖縄の藪薩にも御嶽がある)など。

※奄美でオボソ山…とすると、奄美のヤマタツとはちょっと発音が。

○岡谷公二『原始の神社をもとめて――日本・琉球・済州島』
http://heibonshatoday.blogspot.jp/2009/09/blog-post_5243.html

※この本、読みたいのですよねぇ。

○日本巫女史/第一篇/第二章/第二節
http://docs.miko.org/index.php/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B7%AB%E5%A5%B3%E5%8F%B2/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%AF%87/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AB%A0/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AF%80
※"此の「ヤボサ」信仰は、古く壱岐・対馬・日向・琉球へかけて一帯に行われたもので、然もその信仰の対象は墓地であって、即ち祖先の霊魂を身に憑けるということが信仰の起原であろう" → …うーむ。蛇とは関係なさそうな。

○『ヤボサガミ』
http://gownagownaguinkujira.cocolog-nifty.com/b2011/04/post-5048.html
※うーむ中臣さんじたいが蛇とかかわりがあるようなないような…"中臣さんの「大祓詞(おおはらえのことば)」に出てくる「荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す速開都比売と言ふ神」の「潮の八百曾」はアヤシイと思うんだよ"

===
ヤボサ神が蛇をやっつけてくれるというような概念は薄いとみましたが。 はてはて。

[6745] Re[6744][6743][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 2013/01/15(Tue) 10:00 [Reply]
「やまたつひめ」に関するブレインストーミング:
大山田女、狭山田女 
肥前国風土記 佐嘉郡条 あらぶる神伝承。他に「大荒田」「下田」も。

つまり「山田のひめ」かぃ?

[6744] Re[6743][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  琉球松 2013/01/14(Mon) 10:32 [Reply]
大三元さん、当たらずとも遠からずって事もありますよ。

 「熟田津・山田津・柔田津・和田津」などは、奄美大島でも伝承されている可能性はあると思います。
 奄美には「イズモが乱れていたのでティダガナシ(アマテラス?)が隠れてしまった」などの神歌もありますよ。

 大三元さんご紹介の『おもろさうし 422(へどのしが節)』全文は以下のとおりで、全体として歌意不明とされる。("又" はリピートのサイン)
*** おもろねやがりや
    せるむねやがりや
    おかう なくて
  又 わらへかけに しやり
    せまるかけに しやり
  又 やまたと あやり
    はちらと あやり

[6743] Re[6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 2013/01/14(Mon) 08:45 [Reply]
> やまたつひめ

単なる語呂合わせですが、熟田津、と語構成が似てますね。
山田津 柔田津 和田津 なんて連想が働きます。

まぁ「ペケ」でしょうけどね。こんなブレインストーミングやってると誰かが「はっ!」とするかもしれない。

[6742] Re[6736][6735][6733][6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/13(Sun) 15:16 [Reply]
>  九州で八幡と言えば「伊佐神宮」でしょうけど、その中心に鎮座するのは「姫神」ですから、奄美で言う「やまたつひめ」はこのお方かも?

なるほど、八幡比売神… 諸説ありますが、八幡神の顕われる以前の古い神、地主神であるか、玉依姫命(たまよりひめのみこと)であるか、それ以外なのか…

玉依姫命は、龍蛇信仰(海蛇系?)ともかかわりがありそうですので、なんとも面白いです。

[6741] Re[6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/13(Sun) 15:10 [Reply]
少々時間が取れませんで、本日、当掲示板を拝見したところ、みなさまからの活発な情報・ご意見が多数あり、大変に興味深く、お礼申し上げます。

> > やまたつひめに
>
> 参考になりそうもありませんが、おもろ#422に
> 「やまた」と「はちら」が対になっていて「意味不明」の人名であろうか、とされているのが見つかりました。お知らせまで。

「はちら」という語からは、私はすぐに、「八雷」を連想してしまいました。むろん、漢語流入以後のよみかたで「ハチライ」ですので、あまり極端に古くはないのですが…

やまたは、龍神、はちらは、雷神、ということがあるのかなぁと妄想しております。

ありがとうございました。


[6740] Re[6739][6738][6737][6736][6735][6733][6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  かしこ 2013/01/13(Sun) 14:02 [Reply]
色々ありがとうございます。まぁ〜ホントに面白い謎謎謎ばかりですね。
でも、ごめんなさい。銅鐸と河童がつながらない。。。(・_・;

以前、どこかのブログで見かけた沖縄の記事に関することで琉球松さんにお尋ねしたいことがありました。今回はお話に割り込んでしまってますので、いつかあらためてお尋ねさせて下さいね。
その時はまたよろしくお願いいたします。

[6739] Re[6738][6737][6736][6735][6733][6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  琉球松 2013/01/13(Sun) 10:08 [Reply]
 かしこさん、名前書き違いました、すみません。

 "青大将をアオナメソーと言う地方あり。これ、オオナムチ?" 。。。「ナメ・ナム」は蛇やカタツムリの名称によく使われていますから、それらの皮膚のヌメヌメ感を表すかも?

[6738] Re[6737][6736][6735][6733][6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  琉球松 2013/01/13(Sun) 09:32 [Reply]
くしこさんへ

 このへんのところは、お任せ下さい。
 よく誤解されますが、琉球方言には「ケモノ(獣)」という言葉はなく、ケンムンの語源は沖縄の「キジムン・キジムナー」と同類ですから「木のモノ」だと考えられます。
 しかも、本土の河童のほとんどが青いに対し、琉球圏のそれは赤く、ガジュマルなどクワ科の樹木に生息?していて、木炭にすると高熱を発する良質で元気な河童だと思いますね(岩手県遠野にも赤い河童がいる)。

 これは自説ですが、赤くて熱いという「ケンムン・キジムナー」の原型は、鋳型から取り出した直後の赤々とした新品の銅鐸との観念ではと考えています。
 『播磨国風土記』に見える「伊和大神が巡行された時、胸の中が熱いと言って衣の紐を引きちぎった」。。。これは鋳型から現れたピカピカの銅鐸との解釈も可能でしょうか。

 それと「テンゴ=大工」説ですが。奄美沖縄での大工は「デーク・デク」で「テンゴ(天狗)」とは明確に区別されていますね。

[6737] Re[6736][6735][6733][6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  かしこ 2013/01/12(Sat) 22:28 [Reply]
テンゴが連れて来たグァーパが山に住んでケンムン。ケモノのことですか?
wikiによると
「ケンムンまたはケンモン」
「姿は5〜6歳の小さな子供のようで、顔つきは犬、猫、猿に似ている」
「テンゴというこの地の大工の神」大工?

それからまた…同じく青大将をアオナメソーと言う地方あり。これ、オオナムチ?
がんばれ。大三元さん。

[6736] Re[6735][6733][6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  琉球松 2013/01/12(Sat) 21:34 [Reply]
 "ヘビをヤワタロという地方があった" 。。。かしこさん!これって重要かも。

 九州のどこでしたか、河童を「ヤマンタロ・カワンタロ」と呼ぶ地域があったような気が。
 と言うのも、民俗学の分野では河童と銅鐸の関係を指摘する方がいて、その銅鐸のテカリ具合と蛇(虹)、そして河童の皮膚を観念的に同義と考えることが可能なわけでして。。。

 奄美大島の「テンゴ(天狗)」が、薩摩半島から河童を連れてきて「ケンムン」となったとの伝承もあって、このモノは山に住めば「ケンムン」、川に住む者は「グァーパ(河童)」と呼ばれます。

 九州で八幡と言えば「伊佐神宮」でしょうけど、その中心に鎮座するのは「姫神」ですから、奄美で言う「やまたつひめ」はこのお方かも?

 しかし神奈備さ〜ん! あまり話を盛り上げると、大三元さんも今頃、腕組みしていると思いますよ(笑)。

[6735] Re[6733][6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  かしこ 2013/01/12(Sat) 19:23 [Reply]
ありがとうございます。

>奄美には「テンゴ(天狗)の神」など、熊野権現の足跡が

そうなんですね。

>迷路

冒険の地ですね。
宝物たくさん持ち帰って下さ〜い。( ´ ▽ ` )

そういえば、ヘビをヤワタロという地方があったな…と調べると、大分で「ヤワタロ 青大将(家渡り)」というのが出ましたが。
ヤワタロと八幡の関係は?

[6734] Re[6733][6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  神奈備 2013/01/12(Sat) 19:00 [Reply]
>  大三元さんご紹介の "「やまた」と「はちら」が対" というのは、『沖縄古語大辞典』からの引用で、この二つは同義と考えたほうが妥当だと思います。

ヤマタまで来ればヤハタまで後一歩ですね。八幡様も蛇体かも。

[6733] Re[6732][6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  琉球松 2013/01/12(Sat) 17:34 [Reply]
 かしこさん、どうもどうも。

 大三元さんご紹介の "「やまた」と「はちら」が対" というのは、『沖縄古語大辞典』からの引用で、この二つは同義と考えたほうが妥当だと思います。
 それと「やまたつひめ」は琉球方言的ではないので、本土側の神名では?と考え、「つ」は接続詞「の」でではないかと。奄美には「テンゴ(天狗)の神」など、熊野権現の足跡が沖縄より強いんですよ。

 まあしかし、大三元さんと一緒に男同士で迷路に入るのも難儀なので(笑)、あまり深入りすると眠れなくなりますが、どうなんでしょうかね? 数字「二〜十・百・千・万」は、たんに美称に過ぎないんじゃないでしょうか。足のない蛇に数字を与えて竜に見立ててあげる。。。みたいな?

 巳(蛇)の字に、一本足?を入れて「巴」にしてあげると、熊野権現や八幡(ヤマタ?)の御旗になるのかも(笑)。

[6732] Re[6731][6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  かしこ 2013/01/12(Sat) 15:23 [Reply]
お久しぶりです。
神奈備さんもみなさまもお変わりなく何よりです。
こちらは地面もきもちも落ち着ききらず。(○´﹏`)

面白く拝見させて頂いています。
横からすみません。ちょっと思いつきを。

沖縄の言葉が分かりませんが「はちら」のハチを「捌」と考えることは出来ませんか?
そうすると「やまたつ」「はちら」→「八俣に」「分かれた」的な?

カンボジアには九頭のナーガ像があるようです。
ヘビの総大将に相応しい姿。

紋爺さんが逝かれたのですね。寂しいことです。

[6731] Re[6730][6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 2013/01/12(Sat) 13:38 [Reply]
琉球松さん

>  「やまたつひめ」は、熊野権現の側の神名のように思えますが、それらしい姫様はいないでしょうか?

わけわからぬ迷路の奥深くに迷い込んでいるような気もしますが、「やまた 八俣」なら頭は9つ、九頭竜、と等価、として調べていたらwikiの「九頭竜伝承」に:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%A0%AD%E7%AB%9C%E4%BC%9D%E6%89%BF
 東の常陸国には鹿島大明神、南に紀伊国には熊野大権現、
 西の安芸国には厳島大明神(神宮創建 推古天皇元年{593年})、
 北の越前国の当地には黒龍大明神(別途、九頭竜のこととある;引用者注)
ってのが出てきました。なんか「ご明察っ!」ってことになるのでしょうか。

[6730] Re[6729][6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  琉球松 2013/01/12(Sat) 12:21 [Reply]
 奄美を含む琉球文化圏では、蛇を「マタ」とも呼びますから、「やまた/はちら」は「八マタ/八ラ」とも考えられますね。
 ハブを、奄美大島北部では「二マタ・三マタ」とも呼びますし、本土側の「ヤマタのオロチ」の「マタ」は蛇そのものの意味で、聖数「八」は美称かもしれません?。
 ですから、「アヤきまだら/クシきまだら」や「シカぬコマダラ」などは、ハブのマダラ模様を美しいとする表現となり、褒め殺しによって退散を願う心情と考えていいと思います。

 「美しいまだら模様のハブ虫様!やまたつひめ様に報告いたしますから危害を加えないよう、よろしくお願いします」って感じでしょうね。
 で、問題は「やまたつひめ」。。。これって「八マタの姫」で、蛇の総大将のような、あるいは蛇を封じ込む力のある女性でしょうか。

 奄美は琉球から分離されて以降、本土側の文言や思想が入り込んでいて、神歌なども解読困難な状態ですが、沖縄諸島の事象と比較検討することで原型が復元できます。
 「やまたつひめ」は、熊野権現の側の神名のように思えますが、それらしい姫様はいないでしょうか?

[6729] Re[6728]: 奄美大島でのハブ除けの呪言  大三元 2013/01/11(Fri) 17:14 [Reply]
> やまたつひめに

参考になりそうもありませんが、おもろ#422に
「やまた」と「はちら」が対になっていて「意味不明」の人名であろうか、とされているのが見つかりました。お知らせまで。

[6728] 奄美大島でのハブ除けの呪言  スターダスト 2013/01/11(Fri) 14:51 [Reply]
●奄美大島でのハブ除けの呪言

奄美大島では(祝女ではなく)一般人が使うハブ除けの呪言に以下があるとのことです。

しかぬこまだらぬ
虫あれば
やまたつひめに
かくと知らさん 儀法

この言葉をつかってから、山や畑にはいるとのこと。

…やまたつひめが、ハブを超越する力があることになりますが、正体はなんでしょうか? "やまたのおろち" や "邪馬台国の卑弥呼(自説ではヘビ信仰からくる名前)"を、ついつい思い描いてしまいます。

[6727] Re: 蛇=出雲、言語周圏論  琉球松 2013/01/10(Thu) 09:26 [Reply]
 大三元さん、こちらこそよろしくお願いします。

 奄美&沖縄方言の「ノジ」は、現在「ノージ・ヌージ」に近いですが、『秋田方言辞典』に「ノジ・ノギ」とありましたか。これは言語周圏論で証明できそうですね。奈良&京都などの中央から離れた地域に古形が残っているという事なのでしょう。鳩間島など八重山の「ノギ・ノーギ」も同形だと思われます。

 " 虹は蛇が口から吹くという観念" 。。。これも興味深いですね。
 島では、真夏のサトウキビ畑での作業などで口笛を吹くと、風がやって来て涼しい状況が生まれるわけですが、虹と共に蛇が現れて、さらに雲、小雨。。。蛇が涼しい場所を好むこととも繋がるかもしれません。

 それと、七色(どう見ても五色以下ですが)の虹の色合いは、陸上の蛇よりも海蛇を連想しますね。虹は海と陸上を繋ぐ架け橋のような印象を持ちます。

[6726] Re[6725][6721][6720][6719][6718][6717][6716][6715][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 2013/01/09(Wed) 22:05 [Reply]
琉球松さん 今年も宜しく。

言葉の面からだけ見ているので能城大神の正体、背景が判らないのでナントモ云えません。「ノジ、ヌジ」という語があることは知っていましたが「ノギ」まで訛り(揺れ)得るのか判りませんでした。そしたら『秋田方言辞典』に「ノジ・ノギ」と見出しになっており「ノギ」という語形があることを知りそれに力を得て思い切って投稿したものです。(鳩間島にも「ノーギ」がある、と書いてある。)

虹は蛇が口から吹く、という観念があるらしい。
 虹が立つ、虹が張る、虹が吹く、蛇が吹く
そこまでは ふむふむ と思って読んだが「ヌジ」は「沼・主」であり蛇のことだ、という語源解説は眉唾だと思う。

[6725] Re[6721][6720][6719][6718][6717][6716][6715][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  琉球松 2013/01/09(Wed) 10:56 [Reply]
 "能城大神(能義神社)の「ノギ」こそ蛇である" 。。。

 これは思いつきなんですが、『古事記』などに「ノジ(虹)」が見えますね。
 沖縄方言での虹は、今でも「ノジ・ヌジ」と呼んでいて、同時に天の蛇との意味があるようですよ。

 "陰部に日の光が虹のようになって当たり赤い玉を産んだ" 。。。との逸話は、丹塗矢を蛇に例えると、あながち間違いではないかもしれません?
 「ニジ」が「ノジ」に転じたのではなく、その逆であることはまず間違いないと思いますが、「能城・能義」が虹に相当するかは何とも言えません。。。

[6724] Re[6722][6706][6702][6698]: ヤマタイ  大三元 2013/01/09(Wed) 08:19 [Reply]
スターダストさん 今年もよろしく。

> 結局のところ、調査はかなり不調に終わりました。

着想、情報収集、論証、結論 の流れがよく判りました。
自己批判も厭わない真理探究好奇心に共感しております。

[6723] あけましておめでとうございます  スターダスト 2013/01/08(Tue) 15:21 [Reply]
あけましておめでとうございます。
正月はずっと天秤パズルばかりしていました。 あまり頑張っていません。 とほほ。皆様は、いかがでしたか?

[6722] Re[6706][6702][6698]: ヤマタイ  スターダスト 2013/01/08(Tue) 15:18 [Reply]

> 一つ指摘させて頂くなら中国語の ŋ は日本語に借用するに当たって(平安時代以降)二重母音になるのが普通でしょうか。開音節に受け取る事例がありますか?思い当たりません。

結局のところ、調査はかなり不調に終わりました。

●大野晋先生
金は、タミル語で / kaŋ / で、軟口蓋鼻音を末尾に持ちますが、これが日本語では、
/ kane / と、開音化したといいます。
天下になだたる国語学者の言うことですから、ŋ → ne などはありうるのだと、私はなんとなく信じ込んでいました。 後述しますが、これは厳しいです。
※ただし、大野先生が提唱するところの、「日本語はクレオールタミル語である」説については、これを、全く信頼しておりません。

●信楽
(g → )ŋ → na の事例はなかなかみあたりません。
逆方向について。つまり、n → ŋa
信楽は、シガラキに宛てた字なのですが、信=シガ、楽=ラキです。信の字の韻尾(末尾子音)は n ですのに、これが ŋ の代用となり、g の発音に転用されつつ開音化されている事例です。
c.f. 信濃。 信の韻尾 n がそのまま開音化しています。

●万葉集巻第11・2424
===
紐鏡( ひもかがみ )
能登香( のとか )の山の
誰( た )が故( ゆえ )か
君来( き )ませるに
紐解( ひもと )かず寝( ね )む
===

原文は次のとおりです。
===
紐鏡 能登香山 誰故 君来座在 紐不開寐
===

この「能登香山」を6音節の「のとかのやま」と読むことになっています。5音節の「のとかやま」ではないのですね。一音節違いが出てきます。この音節数の説明に二合仮名が使えるのでしょうか?
「香」の韻尾は、今注目しているところの、軟口蓋鼻音/ ŋ / になっています。これが、二合仮名の用法、つまり、/ ŋ /→/ n / → 開音化→/ no / を経て、「香」を「かの」と読ますという形式は…考えられるところではあります。 目的のものを探し当てたように見えますが…残念なことに違います。

※「香」をカグと読むことが多いのは、韻尾/ ŋ /という軟口蓋鼻音を / g /有声軟口蓋破裂音に転用して二合仮名としているのですが…こちらの用例はたくさんありすぎていちいち挙げることはしません…閑話休題。

残念なことに違います、と先ほど述べましたが、これには、次の理由があります。万葉集などでは、今とっさに思いついた例をたとえにつかいますと、「富士山」と書いて、「ふじ【の】山」とするなど、助詞である「の」を補うことが多くみられるからでして、「能登香山」を6音節の「のとか【の】やま」とすることにいささかのためらいをも感じる必要がないからでございます。今回の例では、香の韻尾である/ ŋ /は、省略された、すなわち、香は、二合仮名でなくてよい、略音仮名として使われたのだ、香は「か」の音に宛てたのだ、と考えることのほうが穏当のようです。

万葉集巻第11・2424の他に、万葉集中にて、韻尾/ ŋ /を開音化することによって二合仮名とする用例はみあたらないようです。

●まとめ

> 一つ指摘させて頂くなら中国語の ŋ は日本語に借用するに当たって(平安時代以降)二重母音になるのが普通でしょうか。開音節に受け取る事例がありますか?思い当たりません。

/ ŋ /を開いて、ガ行やカ行にうける二合仮名の事例はたくさん見受けられますが(「相模」の相の例のように)ナ行にしてしまう荒技は、穏当ではありません。

ことの発端であった着想、すなわち、「臺を、うてな の祖語である」とすることには、問題があるようです。

はぁ、チカレタビー。 












[6721] Re[6720][6719][6718][6717][6716][6715][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 2013/01/07(Mon) 12:51 [Reply]
> Mozillaで化けますが、internet explorerでは化けません。

そういうことですか。ありがとうございました。

[6720] Re[6719][6718][6717][6716][6715][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  神奈備 2013/01/07(Mon) 10:31 [Reply]
Mozillaで化けますが、internet explorerでは化けません。

[6719] Re[6718][6717][6716][6715][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  神奈備 2013/01/06(Sun) 19:22 [Reply]
> 私のところでも化けるので毎回修正して(たまに忘れる)投稿しています。
> CGIのエンコーディングあたりの問題でしょうか。

ここ数年は何もさわっていないソフトですが、プロバイダーで何か仕組みが変わったのかも。確認してみます。

[6718] Re[6717][6716][6715][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 2013/01/06(Sun) 14:13 [Reply]
> あらま! 残るのは NG だけでした。

うまいっ! 座布団3枚!

ところで「おなまえ」が化け字(ツ神ツ奈費ソス)になってますね。
私のところでも化けるので毎回修正して(たまに忘れる)投稿しています。
CGIのエンコーディングあたりの問題でしょうか。

[6717] Re[6716][6715][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  ツ神ツ奈費ソス 2013/01/06(Sun) 11:14 [Reply]
> 「祇」は甲類、「義、城、(木、紀)」は乙類、ですので普通は仮名ちがいとして受け入れられませんね。八母音説が崩されれば別ですが。。。

あらま! 残るのは NG だけでした。
>

[6716] Re[6715][6714][6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 2013/01/06(Sun) 08:26 [Reply]
神奈備さん ありがとうございます。


>  野神は野槌神と同じく蛇神とされています。葦原中津国にいる神ですから野祇と書けます。野城にならないでしょうか。ノギ=NOGI≒NAGA、なんて。

「祇」は甲類、「義、城、(木、紀)」は乙類、ですので普通は仮名ちがいとして受け入れられませんね。八母音説が崩されれば別ですが。。。


[6715] Re[6714][6713][6712]: 蛇=出雲  神奈備 2013/01/05(Sat) 17:06 [Reply]
> 能城大神(能義神社)の「ノギ」こそ蛇である、ということが論証できないかなぁ、と思っております。

 野神は野槌神と同じく蛇神とされています。葦原中津国にいる神ですから野祇と書けます。野城にならないでしょうか。ノギ=NOGI≒NAGA、なんて。

[6714] Re[6713][6712]: 蛇=出雲  大三元 2013/01/05(Sat) 14:08 [Reply]
今年もよろしぅお願いします。

まだ全然煮えていないのですが『出雲国風土記』に出てくる
能城大神(能義神社)の「ノギ」こそ蛇である、ということが論証できないかなぁ、と思っております。この神様の特徴、属性など皆目不明で(神社では天の穂日を祀っているそうですが関連が判りません)思いつき段階から抜け出せません。

強いて云うなら出雲国風土記には4柱の大神が出てくる:
佐太大神、熊野大神、能城大神、所造天下大神(大国主)
大国主以外は動物???
 佐太:猿、
 熊野:熊(狐?ミケツ)、
 能城:蛇
三種の動物を配下に・・・大国主は桃太郎、、、ぎゃ!

初夢は白昼夢でした。

[6713] Re[6712]: 蛇=出雲  神奈備 2013/01/04(Fri) 09:40 [Reply]
>  「カンナビ」の「名備・南備・名火・南備」などと表記される部分「ナビ・ナヒ・ナピ・ナフィ・ナファ」などは蛇の意味ではないのかと以前から疑っているんですが、どうでしょうか?

『蛇の宇宙誌』小島瓔禮著 にその考えが述べられていました。出雲大社の神奈備山は宇賀山、まさに蛇山。を例示していました。

 普通は神が坐す、神が隠れておられる、との理解が覆いようです。小生もこちらであってほしいと思っています。


> 出雲で祀られる「セグロウミヘビ」や「奈波(縄?)」も倭人の原初信仰なのではないかと?

 『古事記』の本牟智和気王の条に、「檳榔(アヂマサ)の長穂宮(ナガホノミヤ)」と言う文言があります。何故、檳榔か、ミコトのお相手の肥長比売が居た宮であり、この蛇比売さんはセグロウミヘビの変化と言いたかったのかもと思っています。
 また、檳榔の木はまさに蛇身のように見えるとされています。


[6712] 蛇=出雲  琉球松 2013/01/03(Thu) 20:39 [Reply]
 神奈備さん、今年もお騒がせいたします。

 「カンナビ」の「名備・南備・名火・南備」などと表記される部分「ナビ・ナヒ・ナピ・ナフィ・ナファ」などは蛇の意味ではないのかと以前から疑っているんですが、どうでしょうか?

 三輪山や金比羅山などの神奈備山は、蛇(鮫=銅鐸?)と関わる出雲信仰(熊野信仰)の強力な信仰の継承のように思えるんですよ。
 出雲で祀られる「セグロウミヘビ」や「奈波(縄?)」も倭人の原初信仰なのではないかと?

[6711] Re[6710][6709]: 謹賀新年  神奈備 2013/01/02(Wed) 11:46 [Reply]
>  明けましておめでとうございます。
>
>  今年は蛇ですね。「阿児奈波(沖縄)」や「流虬(琉球)」など、古来南島は「蛇・龍・鮫」との関係で語られていますね。

セグロウミヘビの故郷と云う認識があったかな。

[6710] Re[6709]: 謹賀新年  琉球松 2013/01/01(Tue) 11:12 [Reply]
 明けましておめでとうございます。

 今年は蛇ですね。「阿児奈波(沖縄)」や「流虬(琉球)」など、古来南島は「蛇・龍・鮫」との関係で語られていますね。

[6709] 謹賀新年  神奈備 2013/01/01(Tue) 09:39 [Reply]
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


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