掲示板のログ(平成12/4月) お名前の敬称は略させて頂きます。


ログ
更新 H12/4/26


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.26
 《大黒様ものがたり (26) 》   ★ 神 a カミ概念

 そういう次第で、オオクニとかオオヤマツミの「オオ・大」は「神」という意味だと見たほうが良いようです。  
たしかに、縄文末期〜弥生期の人間の意識には神様が占める領域がメチャクチャに広いのですが、かといって、なんでもかんでも神だとか、神意の発動だとかで解釈する態度は危険きわまりない。トラ(ネパール語 ; 恐ろしいもの)さんではないが「それ(神)を言っちゃぁおしまいよ」……で、一網打尽。踏んではならないウンコまで踏んづけて、それに気がつかないといった状況となります。  
人類が多神教から一神教へ辿る趨勢が強いのは、言語が発達してきて、それがまた大脳機能ともマッチするからです。宇宙にアマがあるかぎり。言葉が従来のままであるかぎり、だぁれも神などという概念についてはペチャクチャと 喋べくりはできないメカとなっていることを“人類規模で”確認する必要があります。喋べくり教はまちがい、シシミ的傾向が正しいのでアリマス。詳しくは『言葉の限界』(www.you-i.org) をどうぞ。  
ところで、日本の「カミ」には God のほかに、仕事人という意味があります。電車の無賃乗車を薩摩のカミというのは、タダノリさんに懸けたことばです。 この薩摩守の「カミ」はネパール語の kam(仕事)に i (人)がついた語形です。  
出雲だけがカミアリ月、ほかの地域はカミ無し月……というのは、今ように言うとスーパーマー・ケットのフロアー・マスターさんたちが年に1回、本店で kamiti( 委員会=英語 ; commitee)をやる月だったわけです。  
軍は草取り耕作、種まきの農作業には向きません。また、大人数を食わせるにはサンナイ丸山のように交易でしか成り立ちません。この交易権を奪取したのが「國譲り」でした。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.25
《大黒様ものがたり (25) 》   ★ 微調整 a シバ神とナナ文化

 生まれてはじめて、パソコン掲示板にシリずしちいやすが、あっしもだいぶ神経とかカンが生えちめぇりやした。
 じつァ、あっしゃまったくのキカイ・オンチにござんして、この打ち込みは毎回々々サラセッセにやっち貰うちいやす。
  シバ神は約2000の別名を持っていると言われています。……ということは、2000もの氏族が合同祭祀を余儀無くされたということでしょう。
 シバの精神は「破壊と創造」ですが、「シバそのものの語源は『3・4』だ」と川崎真治さんがあっしに喋ったことがありやした。3・4とは「3+3+4=10」だけでなく、ピタゴラスの直角を得ることもできます。恐らくは本当でしょう。
   日本語のナナがが高句麗語と殆ど同じであることは、はやくから指摘されていました。  シナという異質(音声)言語圏をとりまく諸語には、みごとに nan〜nana が広がっていて、この数詞の一致は前氷河期に赤道周辺にいた氏族間に発達していた貿易状況を写していると思われます。氏族間貿易が廃れたあと、nan〜nana は「多くの」という形容詞になっているところも多くみられます。ネパール語もその一つです。
 すでに見たように、日本にも神様を言い表す短い語形での多くの“神詞”がありました。さきに ki , mi , i , o , などを挙げておきましたが、このほかにも oo , hi , ya , li などもありそうです。そしてその“神詞”はインドまる写しで「ひと」でもあります。



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《大黒様ものがたり (24) 》  ★ 物部氏

 どんな“國”語も、その内部にいた数十の氏族語を呑み込んで成立していますので、
当然にも、多くの同義語を抱えています。そして日頃あまり喋らない語彙はその社会
ではわすれられて、同じ意味の語彙はおしまいには1ヶになります。
 ネパール語には旗を意味する単語は jhanda と dhwaja があります。
 古代の豪族はいずれも自らの武力が売り物です。王に仕えているうちにそれらの豪
族に武力を中心とした連合も成立することでしょう。小生は物部とはそうした連合に
よってできあがった武力団だと見ています。
 その物部が掲げた旗印が三本足のカラス……ヤタ・ガラスのイラストではなかった
でしょうか? jhanda の中央の n は infix で発声の助音なので jhanda は jyada
 となり、倭人はヤタ、またはヤダと発音するところとなります。小生が住んでいる
太田窪の5丁目には矢田小学校があります。
 宮城県には桃生と書いて「モノウ」と読ませる郡・町があります。モモについては
別の機会に詳しく述べますが、「50+50文化(偏執)」です。モノノベとは「百・神
(オ)」が集まっていたことを匂わせています。
 ここで、諸賢にぜひ調査をお願いしたいことを訴えます。
 戦争中に流行った軍歌で、靖国神社だったか……の伴奏部分に歌詞をつけた唄らし
いのですが、次の□□□□□□部分の欠落部分の歌詞を教えて欲しいのです。
 √ 咲いた櫻がおのこなら  気負うこころは  □□□□□□□ 
   征きて咲け 若桜  八紘一宇の八重ひとえ


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《大黒様ものがたり (23)》  ★ 打出の小鎚

 カニシの狂執のところで、「いろんな狂執の名前は、相互に入れ替わるという一種
の法則みたいなものがある」ということについて説明するのを忘れました。特にカミ
ナリはいろんな狂執間を跳梁しますので、覚えていてください。
 じつは鎚という日本語がそうなんです。
 俳句をやっている方はお解りですが、カミナリのことをハタタといいます。このご
ろは高級魚になりましたが、秋田名物のハタハタは魚篇に神とも書きますが、魚篇に
雷とも書きます。
 米山さんにドンガラシャンガラが聞こえ始めるとこの魚がクキってやってくるので
す。
 このハタタのおしまいの「タ」は神で、ハタタとは「ハタ神」のことで、ハタの起
源が雷にあることがわかります。
 カニシが最初に鉱脈がありそうな山奥へ分け入るとき、用意する道具は極端にいう
と金属の鎚一本です。あとは、木の皮や蛙、魚をたべて頑張ります。
 ネパール語 hatawdi は鎚で、ーwdi は道具を意味します。この hata が雷です。
古代豪族の秦氏がやってきて、日本列島は秩序ある展開を見せるようになりました。
トルコもハタミ首相が出ましたので安心して見ていられる國になるでしょう。
 秦氏はサラセッセの教えによりますと、八幡(ヤハタ)に関係の深い氏族だとのこ
とです。 ヤハタの ya は神ですので、これは「ハタ神」ということです。この幡は織り物の機
織(ハタ)を連想させますので、秦氏は織り物に秀でた氏族だろうと、一般には考え
られています。
しかし、秦氏の専門分野は軍団だったと思われます。
 日本語となった「旗」は直接的にはサンスクリット語 pata (旗)の借用ですが、
その pataが 「旗」となるには、ネパール語領域での“もみ合いへし合い”があったのです。



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《大黒様ものがたり (22) 》  ★ 朝鮮という呼称

 元王朝が亡びたとき、旧支配階級のモンゴル族は原郷の草原をめざして逃げました。
これを追いかけて行って戻ってきた李成桂は高麗を倒して新しい李王朝を樹立しまし
た。
 ここに新しい国名が必要となったので 、二つの候補名を用意して「できることな
ら朝鮮という国名にしてください」と、シナの明に願い出て、これが許されて朝鮮の
国名が決定されたのでした。
 そういういきさつでしたので、“蔑称”などとはアチャラカ議論で、朝鮮は天下晴
れての、自分で選んだレッキとした、立派な国名です。
 しかし、“韓国”が狙っている主張は霧島連峰、高千穂の最高峰・「韓国(カラク
ニ)岳」のことを、彼等朝鮮人の美徳(言うて言うて言いまくる)で「おめぇら日本
人は韓国の出先店みたいなもんじゃないか」を言って言って言いまくるつもり……ら
しいです。 
 たしかに……ヤマト朝廷の開祖のジンム天皇は高千穂の峰にアモ(アマ降)ったの
ち、東進して奈良を攻め落したことになっています。また、カラクニ岳山頂にはいつ、
誰がやったのか巨大な銅製の「アマの逆さ鉾」が建てられています。この逆さ鉾につ
いて情報をお持ちの方は、どんなことでもかまいませんので、ぜひお教えください。
 しかし、沖縄の恩納村チャタンの里には「ジンムはこの井戸の水を飲んだ」とか「
あの石に腰掛けて休んだ」などの具体的なうごきを描写した言い伝えが残っています。
 カラクニの「カラ」は朝鮮語の「刃物」でしょう。東進のまえに武器をイフキした
場所が強い風が吹き付ける高山の頂きだったのでしょう。khu-ni の語源はすでにの
べました。
 言語学では中華民国はシナ、韓国を含む同じ言葉を朝鮮語と言い習わしています。
そうでないと不便なんです。


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《 大黒様ものがたり (21) 》  ★ シナという呼称

 小生は瀬戸内の中国ではない中国をシナ、韓国というべきを朝鮮と言っています。
これには“蔑称”ではないかという常識派からの質問が考えられますので、ここにホ
ントーの歴史認識というものを披露しておきます。
 さきに述べたパンジャブ(五河)地方ではコメを cin とよんでいます。コメには
ジャポニカとインディカの二種があるそうですが、その細かい分布は知りません。た
だ、逝江省では1万年前から米の栽培がなされ、品種改良もすすんでいたことが確認
されています。この cin は、コメがシナからもたらされたものであることを雄弁に
説明しています。
 日本でも伊勢皇大神宮ではミシネのミクラ(米倉)のように、コメをシネを発音
していたのです。でもシネは「死ね」に通じ、語頭の S 音はただの強調接頭辞です
ので、そこから日本語のイネという語彙が生まれたのでした。
 今の学者さんたちに訊いても、だぁれもコメの語源なんざァ知っちゃぁいねぇ〜イ
ヨッ。
 ただ一つ、ホネのあるのは川崎真治さんの『ギニュエン(イネのシナ音)⇒イネ』
説があって、これは 沖縄の知念、鹿児島のチランに似ています。オーストラリア・
アボリジニ−にも類似語彙があります。
 この cin が「チナ」と開音し、イギリス人の世界貿易によって「チャイナ」となっ
て広まった……。そのチナの段階の呼称が日本に入ってきたまでです。
 次からつぎに王朝が遷り変わるシナは、どれがホントーの「中華人民共和国」なの
かがわかりません。そんなことよりも、コメの原産地をもって地域名にしたいもので
す。
 シンタロさんのシナ呼称の正当性、依而如件。
 それでも蔑称を意識なさるのなら「チネ」あたりもいいのではないでしょうか。



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16は欠番 チョンボ。
8は入れ忘れ。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.24
 《大黒様ものがたり (20) 》

 カイラース山はインダス川の水源の一つです。インド西部のパンジャブから北上す
ると、すぐに道らしい道も人里も途絶え、それから二週間かけて歩いて行った先にあ
ります。山容はあずま屋に似ていて屋根の部分はピラミットそっくりです。いや、ピ
ラミットがこの山容を真似たのです。
 このとんがり屋根の山頂に、天上からまっすぐに“目にみえない”神の通路がおり
てきている……。この通路こそ「ハシラ」で、ハシラはネパール語でできています。
 bas-は「坐る、泊まる、留まる、住む」です。
 「神が坐す」と書いて「います」と読む理由がハッと腑におちたことでしょう。
 旅籠(はたご)とは bas が hat と音転し、これに a( and )go(日本古語 ; た
べもの)が加わったものでした(go は篭ではありません)。
 この通路の「 has-i (神)」に強調末尾辞の -ra がついたのがハシラです。語形
の上からも「ハシラ=神」であることを確認して下さい。すなわち、ヨリシロに着い
ている神の姿がハシラです。
 南北朝時代に朝廷に不満をもった山伏の一団がヤマからハシラを担ぎだして、御所
周辺をねり歩いたので、天皇もこれには大いにこころを悩ましたという 記事があり
ます。当時は天皇も庶民もハシラのなんたるかを知っていたのです。
 dad (柱・棒)の別語に danndi があります。これに li (人・神)が着いたのが
ダンジリです。 正式にはダンジリ祭りは最近復活したらしいのですが、それまでは綱引きの
ように「棒倒し」みたいな素朴な村びとの神事だったのではないでしょうか。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.24
《大黒様ものがたり (19) 》

 裏日本……といえば、山“陰”を連想してなんだか暗いイメージがつきまといます
が、太古の日本海沿岸はいわば表日本でした。この文化地帯に巨木の遺跡が連なって
います。
 はしら……はしらは神様が何体いらっしゃるかを数えるときの数詞です。柱そのも
のが神様でした。敗戦直前、神風特別攻撃隊は日本を守る「人柱」といわれました。
 ネパール文化のなかでも、柱は何千年前かは割りだすことはできませんが、、当然
にも十分な評価を得ていました。ヨーロッパ諸国でも、たとえばイギリスでは May
pole のように各地で柱を立てることが一種の宗教行事としてとり行われました。…
…なぜか?
 それは起源的にはアマとナカを取りもつ鳥についての考えが底辺にあったのですが、
ここにはもうひとつ、天から「いいもの」を人類のために盗んで逃げてきた「バケモ
ノ」の伝説が絡んでいたと思われます。
 アイヌ出身でアイヌ語学者の知里真志保は「アイヌ語 san は“浜へ出る”と訳さ
なければならない」と、くどいほど言い続けたのでしたが、これは、やっぱカンタン
に「下る」でよかったのです。それも天上世界(アマ)から、いいもの盗んで落っこ
ちる……という意味まで含んでいました。アイヌ語 san-pe は「バケモノ」なんです。
pe は「者」です。
 その日本語の「バケモノ」とは、裏日本にズラリ並んでいる伝説の「アマミハギ」
と同根で、これは「アマ神・bag(幸運)ーi(神)」から成り、男鹿半島の「ナマハ
ゲ」とも同根でした。即ち、バケモノの起源は「bag-ai・もの」です。
 アマの領域から神も降りてくる……。今では高い山にはどこでも神は降りてくるこ
となっていますが、2万年前、神が降りてくる山はカイラース山だけでした。


玄松子 新URL H12.4.24
「権現」は、本地垂迹における、仏の化身という意味ですから、どっちかというと仏教用語のような気が。
「権化」とかもそうですよね。


S.Setoh H12.4.24
焼尻紋次郎さんの労作の連載、頭が下がります。その最中ですが、yagan やげん で思いで出すのが、弥彦神社ですね。古文書に弥彦神を
越後一宮宣現明神(せんげん)
弥彦明神は古人眉間尺(みけんじゃく)の霊鬼として畏敬せり   等と言っているようです。
また熊野権現の現にもganが絡んでいるのでしょうかね。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.24
 《大黒様ものがたり (18) 》

 ik は半世界語の ek(1)が日本語へリフレクトした形です。 okw は前にのべた眼。
 ikoku 間 とは「ひとつ目川」でした。ひとつ目川……といっても、もう諸賢はびっ
くりはされないはず。“前提事項解説”の効き目です。カニシがこの川の名をつけた
のです。
 dad がネパール語で「柱・棒」です。 dad の末尾の d は口内音として残ります
ので日本人がまねすると「ダ」です。柱そのものが神様ですので、語頭に立つことが
できます。この da に ikok がついたのが……;ドンピシャ! 
 「ダイコク」は「大きい黒・大きい國」ともかきますので、殆どの日本人は漢字に
惑わされて、黒とか國に大黒様の神髄が込められている……と判断するのでしょうが、
黒とか國はあとから付着した符会にすぎません。
 シナ音の國はクオで、朝鮮語もクといっています。「くに」は窯焼きの khu に ni
を基本としてできたことは申し上げました。その「くに」が日本社会に定着するとき
に、シナ語や朝鮮語の影響はなかったとは言えません。しかし -ni がついている以
上、-ni の前は動詞でなければなりません。もし100%、シナ、朝鮮の ku が日本語
の“國”を決定したのなら、nation をあらわす日本語は「クナ」か「クネ」だった筈です。
(クナシリノクナは英語のcorner の隅っこというネパール語ですのでお間違いないよう)。
 この“國”を「コク」と発音するようになった動機こそ da-ik-ok で、それをそう
させた決定的要因が「大きい黒」だったのでした。
 なぜかといいますと、インドには「黒い石そのもの」が神様……という古い精神的
伝統があるのです。弘前市の東には「黒石市」があります。その神の名は salingar
といいます。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.24
 《大黒様ものがたり (17) 》

    スリランカ(セイロン島)が荒れていると新聞が伝えています。こんな世界貿易の
要衝の地では古い文化はなかなか残らないものです。その点、キャラバン隊などまっ
たく通過しないヒマラヤ山麓のネパールは、いわば世界の僻地ですので、天然氷漬け
にしたみたいに旧いものを温存します。
 日本は国家形成期に言語の大混成がありましたが、幸いにもツングース語、ギリヤ−
ク語、台湾諸語、ネパール語などの“3〜4の波”に洗われることが少なかった手段に拠っ
て、古代開発が可能となったのです。
 下北半島恐山の東に「ヤゲン掘り」という谷があります。従来この渓谷の語源はヤ
ゲン(徳川家康などが愛用した薬草摺り鉢)だとだと考えられてきましたが、これは
インドの神様 yagan がそのまま取ってつけられた地名であることがわかります。岡
山県津山のお城にも深い谷などまったくない「ヤゲン」があります。
 その下北の風間浦に易國間(イコクマ)川が流れ込んで海へ出ます。川ですので、
このイコクマの「マ」は印欧語と共通の ma(水・川)だと思われます。そしてこの
「イコクマ」のik-okw こそ大黒様の語源を解く重要な鍵なんです。
 これも奥山も奥山、大山奥の秋山郷。 gau は「村」です。ここには地名学者を泣
かせたケットー、ケッチョーラの地名がありますが、これもネパール語の畑地、畑作
人の謂いです。
ここは夏でも寒い高地ですが、人々は夜間にはふとんもなしで、筒そでのふだん着の
まま炉のまわりに寝転び、一本の大きな丸太を燃やしながらやすむ……という記録が
残っています。
 一本の丸太と、その木の火が夜の安全を casma するわけです。



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 《大黒様ものがたり (16)》
 
 すなわち、各種の氏族が崇拝してきた神……を構成している要素をバラバラにバラ
した結果となり、カミナリ、大風、めくら、童神、などなどを各個撃破(?)式に特
別な執念を燃やす習慣ができ、おしまいに日本の場合は『天目一箇神(アマノマヒトツ)』
という“合同カニシ神”の完成をみました。
 更に、カニシ以外でも「日本人なら誰でも来い」のスサノオ神が出て *Matr の完
成とともに陸上での統一国家ができあがったのでした。そして更にさらに、九州〜瀬
戸内の海賊部隊との合同の神としてオオヤマツミが確立されて、地域的に完全な統一
国家のていさいを遂げたのでした。
 上に「カミナリなどへ特別な執念を燃やす」と書きましたが、小生はその対象群を
“カニシの狂執”と呼んでいます。
 カニシの狂執はワンサとあります。カミナリ、大風、眼、めくら、片目、童神のほか………
耳、鼻、唖(おし)、小人、一本足(三本足のカラス)、つの、竜、梟、鴉、白鳥、
大鳥、鏡、刀剣、などを挙げることができますが、これに『鎚・柱・黒色』もありま
す。『鎚・柱・黒色』は大国様固有のものではありませんが、あとで分析してみましょう。
   このような、具体的な「人格・神格」に関係のないイノチ子みたいな自然事象の神
が輩出したあとで、○○のミコト……のような「人格、神格神」が現れるのです。
 ですから、サラセッセが枚挙しておられる神々は、国家形成と密接な(同時進行型
の)神と言えるのではないでしょうか。


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《大国様ものがたり (15) 》

 「ムチ」については、従来の学者は「偉い人への尊称」という最大公約数でニゲを
打ってきました。語形から言って、意味はそうしかなりませんが、語源が提示できま
す。山下清さんが好きな「おむすび」の語源の muc-(ひと握り)から「掌握・管掌」
の概念へ発達した muc-i (人)だろうと小生は見ています。
   もうひとつ考えられます。長崎県江迎町や青森県七戸町のムカイは「顔役」だと思
えるのですがそれは、ネパール語 mukh が「顔」だからです。この日本語リフレクト
形はムクで、これに上の i がつくと ムキになります。これが沖縄訛りが加わると
“キチガイ音転”で、ムチとなるのです。mukh はフィリピン・タガログ語ではムカ
となっています。

 さて、お待たせ。ダイコク様です。だが、またまた「前提事項」……なんです。
それは、カニシ(金属製錬士)がそれまでの血族集団ではなく、職業を中心とした寄
せ集めの集団であることからおこる当然の現象なんですが……。
 どういうことかと言いますと、カニシが働くところ必ず、生産性があがり、窯場を
中心にした広域社会が実現します。国家形成直前の一般氏族は不退転の固有の(クセ
だらけの)神を持っています。この神が邪魔して異なった氏族から来た者のあいだに
は会話が成立しないのです。
 カニシ・グループごとの長(ムラゲ)が、頭をひねって考えたかどうか……ですが、
結果は同じような方策が採られて、「神の代理作用」をする“狂執”が出現したので
した。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.23
《大国様ものがたり (14)》

     大国様の別名に「オオナムチ」がありますので、これを分析します。
 「オオナ」は定説どおり「おおきな土地」で良いでしょう。モンダイは「ムチ」で
す。古代語……とくに日本語のように国家形成時に言語に混成がおこった「氏族⇒民
族」では、多くの懸詞(かけことば)がウケています。
 小生もいい加減にイヤになるのですが、これまでなんべんもありましたように、一
つのことを説明するためには、「説明に数行〜場合によっては数十行を要する前提と
なる概念」を理解していただかねばならないこと……が、次から次に続くのです。
 今回は「日本に上陸したネパール語系文化(小生が古語にみつけたネパール語)と
現在カトマンズで喋られているネパール語との関係」です。小生が見ている辞書はネ
パールの主都、カトマンズで喋られている公用のネパール語です。
 今、ネパールには36のネパール系言語があると言われています。春日部市で医者を
している T さんは、ネパールののザイのご出身ですが、「カトマンズの言葉は通じ
ない」と言っておられます。
 普通の感覚でこれを判断すると、恐らくは、4つ〜5つのグループに締めくくられ、
それら一つひとつは数万年前に分派した……という関係にあるものでしょう。
 日本語にまぎれこんだネパール系言語集団(支配階級)も、それら4つ〜5つのう
ちの一つと看做せばいいのではないでしょうか。われわれの先祖の一部となったネパ
ール系カニシが喋っていたネパール語は、今のところ 方法的に同一だと見るよりほ
かに手段がないのです。ここをわきまえて作業を進めなければなりません。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.23
《大国様ものがたり (13)》   ★ なかやま道……7

鴻巣市………コウノトリに懸けて khu(窯焼き)o(神)の si(人).。ヅーヅー弁。
いまでも岩槻の在はヅーヅー弁です。
熊谷市………クマル(童〜少年神)ya (人・神・屋)。熊野と同じ。
深谷市………bukhar(熱)屋 鍛治屋の別表現か。
篭原駅………kag *bala 
      寄居町………山地と平野部の中継地らしい。 jor-(繋ぐ)
玉淀…………寄居町字名 tama(銅)yo(<yu(ユ))do(処)。ここの河原に
岩盤をくりぬいてユ(溶けた銅)を流し込んだ孔が残っている。
   川越市………川を越えたところかもしれない。が、kawwa ko(の)e(貴人)。
木毛 ………自然銅発見の土地。ki(土地神)pau-(みつけて自分のものにする)、
mauka(チャンス)。これはもしかしたら
      「希望」と懸けているかもしれません。 鉱脈捜しに関係が深いと言わ
      れている朝比奈グループの asa はネパール語
      で「希望」という意味です。

 ようやくナカヤマ道が終わりました。いろいろ述べましたが、すでに諸賢は「オオ
クニヌシノミコト」の分析ができるようになっておられます。
 さて、いよいよ、ダイコクさんとかオオナムチなどの別名へ移って、当ラクガキの
メイン・テーマの「柱」へ挑みましょう。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.23
《大国様ものがたり (12)》   ★ なかやま道……6

道祖土………浦和市内字名 読みは「サイド」。このまま読めばドーソド / ネパー
ル語 dosadh(国境近くの土地)。dos- とは
      咎め立てするの意。adh は古代日本語から逆読みすると「大鳥」。adho
はネパール語で「めくら」。
      当時の出外れのこの地にサイの神が立てられたことを物語っている。佐
渡、土佐、十三湖などと同根。
氷川…………武蔵一宮。ヒ=火、霊、刀(pi). ka (の)wa(人)。kawwa(カラス)
を内包。
      氷川さまは黒系カニシですから、さいたまを「彩のくに」などと茶化す
のは悪ふざけもいいとこです。
櫛引町………大宮市内。khu(窯焼き)si(人)の「ヒオキ」。ヒは上述。okw=眼。
ただし okw は印欧語ですが、ネパール語      ではありません。外からは見
えない、見る器官……の眼。これが「隻眼」や「めくら」の偏執を呼び込みました。
      「ヒオキ」は「ヘキ(佐伯など)」「ヒキ(比企・蛙)」に訛ります。/
新羅初代王・ヒョッコセ
櫻木町………大宮、熊谷駅の西に二つの桜木。chakra(王) ki(地)。王族も来て
いたのでしょう。秩父市内に大野原。
上尾市………agena , agana(炉) o(神・丘)
桶川市………okw(眼)+-ai 以後 ka(の)wa(人)の説明は省略します。
北本市………「ヒ」+ ta(神・人) モト=mo(幸い、くに、50人組み)to(人 >
ta)  京都に北野天神ができたあと、ヒタは
      キタへと音転した。意味は変わらない。
押上げ………行田市内、ナカヤマ・ラインの上に位置する。ウシ⇒オシ age(炉)
ナリタ………行田市の旧い呼称。「行」と書いて「ナリ」と読ませた偏屈から「ギョ
ウダ」が定着した……らしい。水源といえば
      降水だけ。いつもシバ川は渇水状態。ここに nali (水道管・噴水)を
埋設して利根川の水を引き込んだのでは?
      行田市役所横の広い池のレベル(水準)は何で決まっているのでしょう。
いちど発掘調査の必要あり。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.23
《大黒様ものがたり (11) 》  ★ ナカヤマ道……5

 よくはわからない妙な空間のアマに漂うヒ(陽)はイノチ子を光の形で降らせ、このナカはイノチ子で充満しています。光こそイノチの元だったのでした。
 そのアマとナカをとりもつのが鳥です。古代ではどこの文明でも鳥を神様にしています。地上絵で有名なナスカと「飛鳥」は語源が同じではないでしょうか。少なくとも ka(鳥)が共通です。前方後円墳も鳥や太陽に見せる図形でしょう。
 真っ暗なうちから夜明けを察知して騒ぐカラスは、光を呼び込むいのち神として鳥のなかでも特別に重要視されました。多くの氏族社会で太陽のなかにはカラスが棲んでいるというのはこれです。ネパール語でカラスは kag とkawwa があります。 kawwaは渡り鳥からでた旅鴉ですが, kag こそは日本語「かぎろひ」「輝く」と同根で、天の香具山はこれでしょう。
 光の神は kag-o となるはずです。「天地神明に誓って……」といいますが、この場合の神の光とはカラスなので、重要な誓約書、血盟書は図案化されたカラスの絵で飾られています。
 ことばが発達してくると、その発達したことばで、人は「光の子=イノチ子」からはなれた「魂」という概念を創れるようになります。万象のなかに潜在し満ちみちているイノチが a , aki , saki で、自我意識を持つことができる人間……になろうとしている個体がミズコ、みどり子、少し大きくなった個体はわらべ(ネパール語*bala=子供)……のように言い分けられています。
 で 、この個体に魂を運んでくるのも鳥で、御存じ「こうのとり」がその代表です。
どこから運んでくるのか……、答えはアマだったはずです。
 日本にはこのカラスを写した黒系カニシがまず来て、次に朝鮮系らしい白鳥系カニシが来ました。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.22
《大黒様ものがたり (10) 》  ★ ナカヤマ道……4 

 これから中山道にズラリ居並ぶネパール系各種カニシが残した地名を具体的に列挙しましょう。いずれも埼玉県です。
* 鹿島台……現在の埼玉県庁所在地の旧い字名です。アイヌ語に atui sik kasima kamui (海難よけの神)ということばが残っていました。atui =海 sik=眼 kamui=神 これらを差し引くと kamima =警護(する) が残ります。
  鹿島という地名はあちこちにありますが、いずれも「鹿」・「島」の漢字を用いていて、「河岸・摩」などという漢字はありません。これなどは、日本列島に君臨した支配階級の横の連結の強さを感じさせます。
  鹿島はネパール語固有とはいえません。ネパール語も広域東南アジア諸語も casma は「メガネ」です。しかし、「なぁ〜んだ」というまえにトルコ〜イラン地方のガラス……特に望遠鏡開発の古さを知らねばなりません。実は、小生も知らないのですが、とんでもないケイ砂⇒ガラスの歴史があることだけはハッキリしています。
  ネパール語に akasmat(だしぬけに)があります。「警護の隙を衝かれた」と分析できます。
  浦和県庁のあるところは、高台です。ここから舟の航行の安全を警護したのですから、荒川が氾濫をくりかえしたりしたとき或いは、縄文海退以前のとき……の時間帯が浮上します。
* 浦和……すなおに分析すれば「ura(竜)wa(人)」ですが、上の縄文海退のことを考えると「浦曲」の“海辺”かもしれません。
  謡曲・羽衣にいわく……√風早の 三保の浦曲を漕ぐ舟の 浦びと騒ぐ波路かなァ〜〜 これはこの浦曲に住まいもうす白竜と申す漁夫にてそうろう。一朗の明月に雨からりと晴れ イサナ(漁)をばせんと存じてそうろう。

 あ、やっぱこりゃイカンわ。ズラリ 中山道を説明するにはその前に(1)で言った「鳥文化……偏執」を先に説明する必要がありました。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.22
《大黒様ものがたり (9)》  ★ ナカヤマ道……3
 
 よくはワカラン空間の対極にあるものが“なんとか目で見える” N+akha すなわち「ナカ」だと思われます。
 ku , khu の基本は sex に端を発した金属製錬の「窯焼き」です。窯焼きこそその地方の文化の中枢地です。-ni , in は世界語として「○○すること」「○○周辺事」を意味して、英語の-ing などにもなっています。「國」とは「金属製錬・周辺事」です。
 で、「くに」という概念が固まる直前までは「ナカ」が現在の「くに」のように使われました。ハッキリした語形を思いだせずにザンネン、失礼なんですが naka には「町、町並み」の意味もあります。
 ですから「ナカヤマ」は或いは「国家プロジェクト(としての)町並み」という意味までがあった可能性が高いわけです。
 ここで朝鮮語の naka (水辺)に触れないわけにはまいりません。那珂川、中川は沖縄まであって、全国の一級河川にその名がつけられています。小さな「ナカ川」は東北に二ヶ見られるだけです。……ということは、朝鮮半島から大量の移民があったことが察せられるにもかかわらず、彼等移民は自らの言葉で地名をつける力がなかったことを物語っている……のではないでしょうか? 那珂川などは「くに」単位、すなわちカニシ(金属製錬士)の勢力範囲を写した大地域……を流れる川だったことを謂っていると思われます。
 ナカヤマにはミョウなことばが付着しています。「サヨのナカヤマ雨がふる」の「サヨ」です。「sait(吉兆)の o (神)」とか「吉兆の lo(炉)」だと思えるのですが、傍証の資料にこと欠いています。



焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.23
《大黒様ものがたり (8)》  ★ ナカヤマ(中山)道……2
 
   ナカヤマ道はいまナカセンドウと発音されています。埼玉県だけでなくあちこちに
 中山道があります。ナカヤマの「ヤマ」はすでに触れましたが、「ナカ」とは何でしょ
  う。ここを説明するには「アマ」を説明しなければなりません。
 ネパール語には「ア」と「オ」の中間母音があります。これを表わすに“ a ”を
ひっくり返した活字を作ってこれを打ち込んでいます。しかし小生は言語比較の視野
  でみています。 “ひっくりかえった a ” は日本語にリフレクトされるときには“
a” になるはずですので、小生は無視して“a”一本で通しています。
 ネパール語の空は sagar で、大洋は sagar といいます。「なんだ同じじゃないか」
と思われるでしょうが、大洋の sagar のs の次の a がひっくり返らないだけで、あと三つの
a はひっくり返った a なんです。……つまるところ、やっぱ同じじゃないかが、
正鵠を得ているわけです。すなわち、この語彙ができた頃のネパール人にとっては空と海が
同じなんです。
 一方、ネパール語には akas (そら)という同義語があることは注目すべき事象です。
akha は目なんです。
 ところで、アイヌ語の日月(san・moon ともに)は chup ですが、アイヌ語の chu
とは「水旅」です。おおぞらを水旅して渡りゆく p(もの)が月や陽で、そこには海の
連続として大空が考えられていた……という事実を謂っています。
 日本語のアマは海でもあり、空でもあります。
 これは「 a(大きな) ma(目)」と「 a(反・非・不・否)ma(目)」の二つの
語源と意味が出ます。大きな目は日月のことで、後世に「馬に乗った高官」の意味に
も転じました。「反・目」は「目にはよく見えない場所」の意味でしょう。
 月も太陽も星も海から出てきて空を渡っている……。どこでどうなってるか「よく
はワカラン」というのが「海=空」=アマの基本です。
 科学が進んで、地球が丸いことが判って海のアマはアマではなくなりましたが、120
億光年から先の空間は、人間の実存状況にとって、いよいよアマであることがハッキリしてきました。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.22
  《大黒様ものがたり (7)
 
 ★ ナカヤマ(中山)道……1

 白村江の戦いで新羅・唐の連合群に破れた百済の要人3000名は、666年、物部の神官などの案内で富士山を見ながら関東に入植しました。当時関東には埼玉(サキタマ)古墳などもできていましたが、無尽蔵の荒野が広がっていて、入植の手を待っていたのでした。中央大和朝廷の要人たちは、関東に入植した人々のその後の暮らしぶりを案じていたはずです。
 当時20歳の百済びとの青年が60歳になって、そろそろひ孫もできようか……といった頃に、秩父から自然銅が出たのでした。 自然銅とは 銅の含有率が極めて高い石です。
 この慶事を利用して、近畿に鬱積していたガス抜きをやらかそうとしたのでしょう。
 多くのカニシ(金属製錬士)のむれが「シバ川」のほとりの小高い地帯にズラリとヤマ(集まり)を作ったあとが、地名……主に“市”となって残っています。まさに地名は遺跡です。
 * シバ川のシバは芝原さんのシバ……シバ神のシバ。“くに作り”ということですが、これが秩父と同じ意味でした。
   御存じ、出雲の人々は沖縄と深い文化的かかわりを持っていてヅーヅー弁です。
その出雲の人々が「ツツブ・ヒコ」と発音するのを聞いた新政権の官僚が「こりゃチチブがほんとうだろう」と、勝手に言い直したのが「秩父」となったまで。
   ネパール語 ; tutu が破壊 ub- が生む、創造で、「破壊と創造」……シバ神の精神です。
 * ヤマはおしまいに “t” という音が口の中にのこる ネパール語の jamat(集まり・集会)です。
   小生は「邪馬台」はこの jamat が基本で、九州も近畿も倭人系の豪族による話し合いの「連合政権」だと見ています。
 * 日本語の「山」を構成した因子は二つの起源を辿れます。一つは前氷河期以前からのものではないかと推測される jan です。意味は山とも森ともなったことでしょう。富山の東北、能登半島にトヤン高原があって、沖縄にはヤンバル(くひな)があります。jan (山)はレプチャ語に残っています。
   この jan を基礎として、カニシ〜シシミの集会場が奥山だったことから「ヤ・マ」が定着したのでしたが、そのこころは「ya(神)・目(ま)」であって、人間の暮らしを高いところから睨む“見えない目”だったわけです。


福島雅彦 福島さんのHP  H12.4.20
『川』の語源も同根でした。
“ka”は、『行く』
“wa”は、『来る』
川とは『往来、行き来、行ったり来たり』する所(直訳)である。
 魏志倭人伝の『末盧國』〜『伊都國』の記述には『草木茂盛行不見前人』=ブッシュが繁茂していて前を行く人を見失う、と。平地は低湿地の荒地でヘドロ状態か葦原で通行不能。川こそが『古代の高速道路』だったのである。福島雅彦説でした。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.21
 《大黒様ものがたり ( 6)》

 まだ、判りたてのホヤホヤなんですが、サラセッセとの共同研究で、物部氏に残っていた魂鎮めの神事「サキタマ」の「サキ」こそが、この「微少生命子」の“いのち鎮め”らしい……ことがわかったのです。S +aki です。
 ついさいきん、これまでのyou-ai の「与野・大宮・浦和」合併の新しい名前は「さいたま市」に決まりました。まだこれからa-i の上尾・伊奈が加わるそうです。
 この「さいたま市」が決定されそうになったとき、有名な銘文を彫りこんだ鉄剣がでた稲荷山古墳がある行田市が「サイタマの名前は、この稲荷山古墳があるサキタマから出たのだから、サイタマの字句を使われるのは迷惑です」との申入れがありました。
 そしてちょうどそのニュースを知って3時間後、サラセッセが偶然にもおえめ交信で、「サキタマ・タルタマ」の文字が入った一文を送ってくれたのでした。[tar は現在のネパール語に「若い男」になっています。太郎は「童神ー神」です]。
 サイタマとは、708年、秩父の木毛から自然銅がでて、この慶事に日本じゅうが沸きかえった sait(吉兆)tama(銅)を記念して名づけられたことは、その他おおくのナカヤマ道(中山道)に連なる地名を見れば明らかなことです。しかし、それにしても……、稲荷山古墳がある「サキタマ(文字は埼玉)」は、割り切れないものを残していました。
 サイタマとサキタマは語源も意味も別のものだったのです。  このことを知らずに「さいたま市」と名付けたか、それとも知って名付けたかでは、雲泥の文化差があります。
 ハナシは飛びますが、いま宇宙に飛んでいるロケットの基礎技術は、ナチスの技術者がベルリンにたむろしていたキチガイを集めて、言いたい放題を喋らせ、その言にじーっと耳を傾けたことから生まれたV-2ロケットにあると言われています。
 キチガイはいつの世にもいるものです。偉かったのは耳を傾けたオトコです。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.21
 《大黒様ものがたり (5)》

 日本の神様の名には“命”という字が使われている。日本語習いたての人は命を「ミコト」だなどと、誰も読めないでしょう。この“ミコト”はいろいろ分析できますが、もっとも当をえているのは 「mi(神)言葉」……すなわち「ことだまの神」の謂いではないでしょうか。
 ではなぜ、イノチが神なのか。これもネパール語で I-jyan (神・いのち)+aki or ami (イザナギ・イザナミ)の語形と意味を得られます。aki とは朝鮮語に a(子供)、aki(子供)の両形が残っています。これは印欧語で agri(農耕)へ転意していますが、もともとは、古代人には「目には見えないような微少なイノチの原子」ともいうべき実在者でした……が言えそうです。
 その微少なイノチ子は水と大いに関係があって、水のなかにあふれていると考えられたのだろうと思います。
 その実在は、木の枝から落ちるシズクに太陽の陽があたって、プリズム効果が出る現象を古代人がみたとき「あ、いのちの神」だと実感できたことかと思います。
 奇しくも神職のお二方のメールの内容が、この掲示板に「結ばれる男女が交わす盃のカワラケを割る習慣のこと」として紹介されたばかりですが、結ばれる男女が飲んだのは「イノチ」そのものの象徴だったはずです。
 サンスクリット語 aka(水)は、アイヌ語 aka, waka (水)に似ていて、上述 ak-i (子供)とほとんど同じ語形です。
 日本語の「わか……若い、わかみず」はこのラチ(ネパール語 ; 棒 ⇒ まきばなどの柵囲い)外ではないはずです。
 上の記述で「神・いのち」の語形が「いのち神」であることに、ご留意ねがいます。
神様の名のときには「神○○」の語形で○○神となるのです。 ki- , i- , o- , mi- , などの神を示す接頭辞が前にたちます。これを亀頭現象と呼んでいます。


S.Setoh H12/4/21
たなかさん、サイト訪問と書き込みありがとうございます。
>京都で一番面白いところと思っているのですが
とありました。そうですね、いろんな連想が働くどすえ。
三角鳥居から ユダヤ・ダビデ・景教、大和三山、大神神社
近くの大酒神社や広隆寺から 秦氏、始皇帝、聖徳太子
たなかさんは、どう言った所が、一番面白いポイントと思いはりましたん。
所で、玄松子さんに導かれて、神奈備も独自ドメインを手にいれちゃいました。
http://www.kamnavi.net/  です。これからもよろしく。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.21
《大黒様ものがたり (4)》

ここにきて、さかんに小生はネパール語ネパール語と言っていますが、これはとんでもない発見をしたからです。詳しくは、検索エンジンには未だだしていない未完成の文章ですが、www.you-i.org にもその一部を出しましたのでご覧ください。
 人間には額の中央 *uka には 外見では捕らえることができない目がある……。ここまではタシカなことですが、多くのヨギたちは「こころを静かにして眠っていない状態で言葉意識から解放された状態を続けたら、もっと知らないセンサーがあって、人間は多くの神を内部に取り込めるに違いない」と思い込みました。
 現在、多くの宗教がペチャクリ・ペチャクリと喋りまくりますが、それは神を内部に取り入れることよりも、生活している集団の和……とりわけ殺人がないように……を重視するからです。ここが「神道(発音はシントウですって!)、修験道、密教」……以後これを纏めてシシミと略します……と世界じゅうに蔓延している喋べくり教とが完全にちがうところです。
 喋べくり教という観点からいうと 「顕教としての仏教(文字文化)」もシシミに対立しています。事実、ある人は「日本の歴史とは仏教と物部氏との対立抗争の歴史だった」と、言っています。物部も広い概念ですが、ここはシシミと言い換えたほうがハッキリします。
 シッダルタさんもそうでしたが、その基本は「個の確立」であって、集団形成以前の「神との対話、融和」が志向の中心で、自分をより気高いものへ導き、不動の境地を得るということだったのでした。
 これが大乗仏教(みんな来い)になったのは「1世紀前後のキリスト教の影響がある」という見方が、いま浮上しました。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.21
《大黒様ものがたり (3)》

 古代語の「大きい」という発音には a (朝鮮語HAと同根か)と沖縄系と思われる「ウ」、及び「オ・オオ」が顕著です。
 そして接頭辞 a- には「反・非・不・否」がありますが、これはネパール語と同一です。
 「大きい」に似た概念に「身分の高い」、「上、上のほう」がありますが、これは世界語で u , uka の形をとります。
 日本語の「うへ」の「へ」は「(顔が向く)ほう」でアイヌ語と共通です。
 ついでにネパール語の強調辞を喋ってしまっておきましょう。これから喋ろうとしたり、喋った語彙を強く訴えるのです。
 強調接頭辞には n- , s- の二種があります。佐賀のタバコ屋さんに「タバコください」というと「ない」というのは「あ〜」に N- がつき、更に強調末尾辞の「イ(シナ……矣)」がついたからです。日本古語の「ウシ(大人)」となると、これは「尊い人、大きな人」の二様の解釈ができますが、現実には二様に解釈されていたのでしょう。このウシに N がついたのが「主」です。スットンキョウ、スッカラカンなどの語頭の S はあちこちで確認できます。
 強調末尾辞には -ai と -ra があります。日本語の命令形がすべて e で終わっているのはこれ。日本語では -ai だけでなく、-e から -ai に移行したとしか考えられないものもあります。ネパール語 ; maphi とは赦すことです。マッピラァ〜ごめんなすっち……。この men も世界語で「思う、考える」。……いや免除のメンかな? 


たなか H12.4.21
はじめまして。
蚕の社を検索かけたらここにつきました。
結構詳しくのっているので、嬉しかったです。
三柱鳥居の写真もあり、びっくり。私なんて鳥居の手前にある竹で出来た柵にピントがあってしまい、ぼけた写真しかなかったので。(^^;)
京都で一番面白いところと思っているのですがいかんせんマイナーなところなので他の人に言っても知らない人ばかり。
まぁ、いいけれど。


福島雅彦 福島さんのHP  H12.4.20
瀬藤禎祥様、奥様、田中様、カワラケ情報をお寄せ賜り、誠に有り難う御座います。
矢張り、神事や重要な仕来たり行事には、古式が脈々と営々と形を変えながらでも、伝承されていたと確信するに至りました。


S.Setoh H12/4/20
カワラケ 追加情報3 奥氏
時代劇の武将が出陣の戦勝祈願に神前で、カワラケの御神酒を飲み乾した後、地面に叩きつけて割るシーンを見た事があります。古(いにしえ)の古式が現代に生き残っているのかと、怪しんでいます。 という質問がありました。
先日、友人の結婚式に出席した際に、同様の作法がありましたので、ご報告します。
「合わせせ水」という儀式で、当日配られた式次第に説明があったので、転載すると金沢で古くから婚礼の当日に行われている儀式です。 両家の水を合わせて飲むことによって、これまで違う家風の元で暮らしてきた二人が、末永く共に暮らしてゆこうという決意を表し、媒酌人夫人がその土器(かわらけ)を割ることによって、一度合わさった水は二度とわかれないという願いを込めます。

カワラケ 追加情報4 田中氏  金沢の方
「合わせ水」は今でも行われているようです。
結婚式前に嫁さんが旦那の家の仏壇にお参りして、その後「合わせ水」の仕来りが玄関で行われます。 最初に「合わせ水」をして、仏壇にお参りする家もあります。
かわらけは必ず割らなければなりません。 仲人の大切な仕事です。


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.20
『大黒様物語』(2)  

 童(わらべ)神のことを理解してもらうためには、*2* の、目をもった山(額……math)の神のことをまず、述べねばなりません。やれやれ……こりゃ大脱線じゃぁ。
 ま、ぼつぼつ行きましょう。西洋人は荒れ狂った魔女狩りのために早くからこの見方を喪失しましたが古い文明は人間の額中央上部には第三の目があることを、確実に捕らえていました。
 イルカは目ではありませんが、ここに巨大な孔を持っていて、ここから超音波を放射して魚を捕まえて食べるので、余った時間ができて、この世を天国を満喫した暮らしをしています。
 人間にもひたいの中央にはナニカができ始めているのか、ここにイボ、ほくろ、陥没、縦しわを持った人が大勢います。
 ルネッサンス以後、この目を実証したのは皮肉にもシナでした。パチンコ玉ぐらいの大きさに丸められた紙に書かれている漢字の一字を、手に触れることなく読み取る能力が人間には備わっているのです。
 額のことはインドのあちこちで math といいます。この math はその前の段階で、現在オセアニアに散在している各種氏族がインドにいたときには「マタ(目)」と呼んだことに起源があると、小生は見ています。
 エベレストという呼び名はイギリス人の測量士の名前からとったもので、この山はシェルパ民族はチョモランマと言い、ネパール人はサガル・マタ(matha)と呼びます。
 サガルとは天空のことですが、ほとんど同じ発音で「海」のことでもあります。日本の「アマ」と同じ考え方ですので覚えておいてください。 


焼尻紋次郎 紋次郎さんのHP H12.4.20
これから『大黒様物語』のつもりでラクガキをシリずします。まちがいや気付いたことがありましたら細大洩らさず、お教えください。  

『大黒様物語』(1)
 この日本列島に「○○のみこと」とか「△△神社」などが現れるようになる前には、岩、古木、泉、川、池、などの自然神や動植物の精霊など、無数の神々がいましたが、とりわけ 
*1*  鳥神 
*2* 目をもった山の神 
*3*  ごく小さな精霊としてのイノチ神 
*4*  人間の形をとり始めた童神
 は、これまでの研究の視野にはありませんでした。これらについては、また、別の機会に触れねばならないのですが、今回は日本列島に蔓延していた『柱』の神〜文化についてシリずします。
 まず、この柱文化(偏った意識)がいつごろ出現したか……ですが、結論から先にいうと、これはわかりません。しかし、この文化はサンナイ丸山遺跡のすぐあとに出現した遮光器土偶よりも古いのですから遮光器土偶をあたると、少なくとも2万年以上も前からあったことが言えます。
 あ、ハナシはのっけから上の *4* に飛んでしまいました。ま、しょうがないでしょう。いろんなことに脱線しないと超古代は浮上してきません。この調子で脱線しながら、柱とか黒神とか大国さんへアクセスしてみましょう。 


福島雅彦 福島さんのHP  H12.4.18
紋次郎氏から「サラバ」に就いての投稿をとのお勧めで…。
“살아-봐요”(sala-boayo)=生きて、(又)逢おう(直訳)=李寧熈 説の受け売りです。
言語学者は負け惜しみからか、全く無視していますが、この伝の物が千項目を超えれば、コジツケとは言えないでしょう。朝鮮語で「嘘」の事を「コジッマル」のスペルでリエゾンして「こじんまる」ですが、コジツケとは嘘、が成立する如し、です。 「八幡」=“왜-바다”(wae-hata)=倭海(海を治める倭人)かと。


 咲世 H12/4/17
「さらば」 英語では then しからば と good bye さいなら がありますやん。
お隣さんや チベットの隣のネパールや 世界的には どうなってるんでしょうね。
ば とbye でっかな。


S.Setoh H12/4/17
兵庫県の加古川市に泊神社が鎮座しています。
由緒は「創立年月不詳にして社伝に秦川勝公(秦酒公)を起して社殿を建て更に國縣大神を勧請すと伝ふ」とあり、祭神は「天照大神、國懸大神、少彦名大神」となっています。
この國懸大神とは、紀の国の日前國懸神宮の神で、紀氏が齋祀ってきました。御神体は日鉾鏡とされています。日鉾、そうです、あの天日槍と書かれる神です。
 先般、香春岳を見てきましたが、現人神社があり、都怒我阿羅斯等を祀っていました。また、豊の国は「秦」氏が「や」たらと多い地域でした。「や秦」そうです、八幡ですね。
 この秦氏は山城に木島坐天照御魂神社を祀っています。木島、そう木の国ですね。天照御魂神の神は丹後一宮の籠神社にも祀られています。ここでは火明命の事とし、そこ子神に武位起命の名が出てきます。紀氏の奉じた五十猛命を火明命の子神としています。
どうやら、秦氏と紀氏は同族ですね。
さてさて、火明命と天日槍との関連も考えねばなりませんね。神功皇后経由で八幡神と河内王朝につながりそうですね。


紋次郎 HP H12.4.17
カワラの語源、朝鮮語でなにかありましたら、と言う問いへの一つの答えです。ご参考に。
 「いらか」は from サンスクリット語らしいですネ。
 カワラケの「ヶ」は、ネパール語 ; kha(食う・飲む)と同根で、アイヌ語 ku(飲む)日本語 ke(食事・食器)……だろうと思います。  kha はネパール語というより、世界語と言ったほうが早いです。
 日本語 ke=食器 は、シナ語 ki=食器でもあって、ゴキカブリの goも「食べ物」でした。で。ゴキが「たべものの器」。
 朝鮮語 chise は「瓦」、これがアイヌへ入って chise といえば「家」です。
 隠岐の島には「チプ」という集落が目につきます。舟かな? と思ったことがありましたが、どこだったか……で、朝鮮語の家“らしい?”との解説がありました。
 むかし、壱岐に『白梅』というショーチューがありました。長崎に行ったとき、これをカワラケで飲んだのでしたが、そりゃぁもう、うめぇのなんの。あんなうまいアルコール製品は、もう二度と作れないものか……淋しいかぎりです。
 また、むかし……、神風特別攻撃隊は別れの盃……カワラケを足下で叩き割って飛びたって逝きました。嗚呼。
 出棺のとき、出口の土間に、その故人が使っていた陶器製の茶わんを叩き割る……日本じゅう、例外のない風習ではないでしょうか?
 来客の使うカワラケは、片っ端から割る……は、サンナイ丸山遺跡でも見られる……学者が言っていました。



玄松子 新URL H12.4.16
こんばんは、玄松子です。
本日、ドメイン取得が完了し、とりあえず、移転しました。
旧URL http://www.ne.jp/asahi/matu/gen/
新URL http://www.genbu.net/
今後ともよろしくお願いします。


紋次郎 H12/4/15
サラセッセ(瀬藤さん)とのおえめ交信・その一部
□印はサラセッセ ■印は紋次郎
□ ところで、大坂であえる最良の友と飲んでいた。言葉が色々出た。
  『雅浴 タイ在住から  沈潜 坊主の家の出』 シャーシャー(としている)某氏 漢語はともかく、シャーシャーは言語学的にはおもしろならむや?
■ 「イケ・シャーシャー」のイケはネパール語の「厭なヤツ」。シャーは「王」とみた。
 「ナニ様(王か?)だと思って威張りくさってやがんだ」が「イケ・シャーシャー」の原意ならむ。「クラ」は日本語にも「座」とあるように、ネパール語 cha-kraは王座という意味です。サンスクリット語 chakura は神々の王という意味へと変化した。
 英語〜ヤンキーの「アイアイ・サー」の「サー」は「はいはい、王様」が原意ならむ。
 わが友人にシャー・カラム・アリ君(パキスタン人)がいる。シャー−王族。
ところが、沖縄や朝鮮は「チャー」という音が好きである。
世界中の別れの挨拶の多くは「神の御加護を」を謂っている。
沖縄「チャービラサイ(さよなら)」も末尾の「イ」は漢音その他の「矣(イ)」で強調末尾辞。bir は日本語「べら」 -ra も強調末尾辞。
 そうすると、インドのサンスクリット語〜ネパール語(=ヒンディー語)の間に「王−神」が往ったり来たりした事実が伺えるじゃん。
(皆さんには、こまかい説明は E メールをいただければお応えいたします)。
 まだまだ入り口です。印象をお聞かせください。   チャーカネ 


S.Setoh H12/4/15
生田さんの著書名まちがっておりました。お詫びして訂正いたします。
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生田淳一郎さん zik@you-i.org
  HP ユー・アイ母船「人類を指導せよ・気高き日本人」
著書 衝撃のネパール語(三一書房)
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チベット語ではありませんでした。失礼しました。


S.Setoh H12/4/15
生田淳一郎さんの「芝原」の解読を紹介しておきます。
アマカネ(これニューギニア高地石器時代人の挨拶語です。とてもべんりです)
芝原さんというお方が、御自分の出自についてご関心をお持ちのようですので、イランデイイコト(九州弁 ; 差出口)を書きたくなりました。
「原」は「氏子」と訳したいところですが、歴史の波に洗われて「一族」とか、家族みたいな意味へと変わったかもしれません。
「芝」はずばり「シバ神」です。
小生は永いあいだ、岩手の紫波や新潟の新発田をみて、もしかしたら「シバ神」のシバがモロに日本列島に上陸したのかなぁ……と考えてまいりましたが、埼玉のナカヤマ道に居並ぶ地名と「芝川」をみて、「マチガイナシ!」との確信をえました。
芝原とは「シバ神の信奉者」だと思います。
シバのこころは破壊と創造……秩父と同じ意味です。
お気に障ったらごめんなさい。
アマカネ


芝原チカコ   H12.4.15
生田さんより回答のヒントをいただき、久しぶりにこちらに寄りました。瀬藤さん、ありがとうございます。また、三国歌人さんの件も大変興味深く拝見しました。
のんびりがんばってみます。 アリガトウゴザイマシタ。


S.Setoh H12/4/14
 「神、民俗、古代、言葉」辺りをキイワードとした勉強会の発足を計画しています。メーリングリストではなく、グループ登録見たいな機能かCC機能を使って始めようとしています。  今のところ二人しかいません。ご参加の方を募っております。
メンバー一覧
生田淳一郎さん zik@you-i.org
  HP ユー・アイ母船人類を指導せよ 気高き日本人
著書 衝撃のネパール語(三一書房)

瀬藤禎祥 setoh@osaka.email.ne.jp
HP 神奈備にようこそ

 肩肘をはらずに、ふっと思いついた疑問を投げかけてみる。 メンバーが、なにか関連した情報を流す。それが、どんどん発展する といった調子です。
 例えば、
>埼玉県の浦和市などが合併して、サイタマシになるそうですが、本当は「咲玉」であるべき、さてこの咲玉とは?
>大阪に難波坐生國咲國魂神社があり、八十島祭に関連する生島神・足島神の足島神の事ですよ。
>サキタマは「朝鮮語 sa(里)ki(土地<地縛の霊)のタマ(霊< dam =ram)」……を鎮める(鎮魂)神事でしょうが、サキそのもののなかに「S・aki」が入っているのです。それゆえにこそサキタマは「タルタマ」と同じ意味となるのだと、こうなります。
 文字が彫られていた鉄剣が出た埼玉県行田市の稲荷山古墳があるところのアザ名がサキタマだということは、この古墳に祭られた主への鎮魂神事がとり行われた……ということでしょう。
 タルタマの tar は現代ネパール語では「若いオトコ」ですが、これは飛騨の柱曵きのときに信じられている少年神であり、そのまえは「虫などの微少ないのち神」ではなく、すでに人間……それも胎児の形をとった童神だったろうと思うのです。……でないと、タルタマ・サキタマと、二つを並べる必要はないのではないか……です。

当面聞き役でもいいんです。


福島雅彦 福島さんのHP  H12.4.9
カワラケの調査、多方面への御依頼に感謝申し上げます。
我が氏神様のも、白色ですが上薬無しのシンプルな物です。伊勢神宮の茶色の物が、原型でしょうネ。
又、お伺い致します。有り難う御座いました。


S.Setoh H12/4/8
カワラケについて第二の答え
カワラケを神事に用いるというのは現在でもあります。
最近は、たいていのお社では上薬の塗られた白い盃を用いていますが、伊勢の神宮では、現在も素焼きの土器を用いております。 神宮さんで使っているカワラケは赤茶色なのと神宮で調整しているのが大きな特徴です。 私も何枚かもっております。
ちなみに、伊太祁曽神社の日供でも、白の素焼きの土器を用いている筈です。
カワラケを叩き割るという作法が現在神事の中にあるかどうかは良く知りません。 何かで見たような気もしますが、確証が無いので・・・。


S.Setoh H12/4/7
神社関係者300人のメーリングリストに質問をぶつけております。
今の所一つだけ答え(?)がありました。
神事といえるかどうか、お葬式の出棺の時に湯飲みを割る、という習慣はあるように思います。私は最近猪名川町で経験しました(仏式でしたが)。
後は西洋で結婚式の時にグラス?等を足で踏んで割るという儀式がありますね。直接関係はないでしょうけど・・・。
#「二度と帰ってこないように」というまじないかな?


福島雅彦   H12.4.7
お尋ねします。
近くに素盞嗚尊が御祭神の神社が在り、十三町の氏子が輪番で、朔祭をしています。早朝から昇殿して祭事をします。御下がりの御神酒を戴いて終えます。
この時に使う『盃』は、素朴な素焼きです。『カワラケ』と言う様ですが、辞典には『素焼きの土器』と、あります。現代では、素朴と謂えども、白い陶土で品良く出来ています。時代劇の武将が出陣の戦勝祈願に神前で、カワラケの御神酒を飲み乾した後、地面に叩きつけて割るシーンを見た事があります。古(いにしえ)の古式が現代に生き残っているのかと、怪しんでいます。 前置きが長くなりましたが、質問はこの先です。
『この様な様式?は、全国的にあったのでしょうか』
『現代の神事に、カワラケを使うのは全国的でしょうか』
この二点と、時代劇の時代考証は合っていましょうか。
御存知でしたら、御教示下さい。お願いします。
是は、庄内式土器が、葬送儀礼用にだけ、時代が進んで上等な陶器が作られる時代に成っても、伝統として生きつづけたのではないか、と言う愚説の立証に成らないかと。


てっちゃん H12/4/6
分かりにくい文章辛抱強く読んでいただいて恐縮です。書いている内に新資料が出てきたりして構成がややこしくなってしまいました。機会があれば書き直そうと思っています。ありがとうございました。


S.Setoh H12/4/5
見せて頂きましたよ。
 10世紀以降の祭の場で、文献の残っているほうですね。それにしても、変遷の歴史はすごいものですね。この様なもつれの解読、お見事ですね。
 将門にしても佐倉惣五郎にしても、民衆の人気を博した人ですから、かえって混乱していったのでしょうか。
 いずれにしろ、神社祭神が重層していくのは、大なり小なりこういう物語がついているのでしょうね。


てっちゃん H12/4/5
「闇の日本史」と言うサイトに「平将門と佐倉惣五郎の怨霊伝説を追って」というレポートを投稿しました。
稚拙な文章で恐縮ですが全然、このサイトとも関係ないわけでは無いと思いますのでみなさんよろしければお読みになっていただければ幸いです。
http://www4.justnet.ne.jp/~takeuchi_toshinori/sei_0wj.htm


S.Setoh H12/4/4
三国歌人さん、投稿ありがとうございます。
万葉について余り知らないのですが、「かもめ」は
(1−2 舒明天皇)
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙 立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は

「あじ」は
(3−257鴨足人)
天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂 に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船 には 楫棹も なくて寂しも 漕ぐ人なしに
か(2−260鴨足人)
天降りつく 神の香具山 うち靡く 春さり来れば 桜花 木の暗茂に 松風に 池波立 ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ ももしきの 大宮人の 退り出て 漕ぎけ る船は 棹楫も なくて寂しも 漕がむと思へど
ですね。
「くじら」「あわみ」は何番の歌なんでしょうかね。

大和平野の水運を考えると「海原」と言える状態ではなかったか?
河内から大和川を遡って三輪山付近まで来ています。漂える水があった。

淡路島は国生神話の最初に登場します。いわゆる河内王朝のルーツがそこにあったのではと思いますが。
徳島と和歌山は目と鼻の先です。また木匠の祖の忌部氏の祖の太玉命が紀伊や安房に展開しています。そう云う点では関係は深かったのでしょう。
那賀郡、海部郡などは九州辺りからの移動でや後世の名で、阿波と紀伊との関連を証明する事にはならないと思います。
淡路の伊弉册命の神話は海人によって両国に広められたのかもしれませんね。


三国歌人 H12/4/4
持統天皇が詠った和歌などは、通説では、今の奈良県のどこそこで詠まれたものだとされていますが、どう考えても腑に落ちない点が多いです。だって、いくらなんでも、あの奈良盆地からは、海も見えなけりゃ、当然、「かもめ」もそこにはいないし、「くじら」や「あじ」なんて、いうまでもないでしょう。
また、地図帳で、現在の地名を眺めてみればわかると思いますが、見事に、紀伊水道を軸にして、左右対称に地名が並んでいます。例えば、「吉野川」や「那賀」などがそれです。これには、明らかに人為性があり、どちらかは後から付けられたものだと考えるのが自然でしょう。
そして、それは、古事記や日本書紀などから考えれば、四国の方が先だという推測が成り立ちます。というのは、神々が最初に創った島が淡路島であり、それが「阿波」に至る路と書くからです。こう考えると、今の天皇の祖先は最初、淡路島からスタートし、次いで阿波に渡り、そこで暮らしていたと考えるのが自然でしょう。これは、現在でも、天皇の即位の際に作られる「あらたえ(?)の衣」が、絶対 四国の「三木家」でしか作れないということで証明できると思われます。なぜ四国の「三木家」じゃないとだめなのか、これが天皇家のルーツを物語る、数少ないヒントの一つとなりえるでしょう。
ちなみに、こう考えてみると、持統天皇が詠んだ和歌は、まず間違いなく、四国の徳島(阿波)で詠まれたものであり、そうすれば、すべてのつじつまが合います。例えば、先に例として挙げた「かもめ」や「くじら」、「あじ」もしかりです。
さらに言えば、「あわみ(?)」を無理矢理「近江」にせずとも、素直に「阿波海」とすればいいでしょう。そうすれば、淡水の琵琶湖に「くじら」や「あじ」じゃない何かがいて、それをわざわざ、「くじら」や「あじ」に見立てて和歌を詠んだなどという、かなり苦しい(笑)解釈は必要ないはずです。


てっちゃん H12/4/3
>玄松子様
佐渡もいいですよ。
相川の金山あとあ観光地化していますが金山と相川を結ぶ道は荒涼としていて昔を忍ぶ事ができますし真野と言うところは順徳天皇のいたところですが飛鳥地方みたいなたたずまいでとてもいいところです。


S.Setoh H12/4/2
ながたてつや様、ダイコク様、 芝原チカコ様 貴重かつ面白い情報ありがとうございます。
  芝原様のテーマは多くの課題を含んでおられて簡単にこうです等と言えるものではありませんネ。
ウチの遠い家系の姓を芝原さんと云うのでしょうか。 訳が分からない時は神頼みで、芝原と名の付く神社を探してみました。
岐阜県安八郡安八町東結1387番地の1 芝原神社
熊本県上益城郡甲佐町芝原996 芝原厳島神社
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字押方3371-3 芝原神社
天児屋根命を祭神としている芝原神社は見つかりませんでした。
さて、どうするか・・・ですね。


芝原チカコ   H12.4.1
はじめまして。検索でここにたどり着きました。
うちはたいした家柄でもなく資料も何もないのですが、亡くなった祖父が「ウチの先祖は古事記にでてくるアマツコヤネノミコト」とよく云っており、アメノコヤネノミコトかなあと思うのですが。天の岩戸で読まれる詞がどういったものか知りたくて、調べています。祝詞はずいぶん後の人が作ったもののようだし(というと古事記自体そうなのかなーとも思うのですが…なにぶん歴史に疎く行きつきません)ウチの遠い家系には(ウチが遠いのかもしれませんが)文楽なんかの講談師(ススキタハヤトノショウと祖父は云っていたきがするんですが)がいたり、丹波の出とか、お寺や神主に芝原の遠い親戚がいるとか、本家は酒を造っていたとか、天皇の庭の手入れをするのが仕事だったとか。原がつくのでナカトミ氏から探したりしてるのですが。
もしどなたか歴史の発端でもご存知でしたら教えてください。(天津祝詞とかじゃないと思うんですけど。これなのかなー。)
それと奈良公園に天からアメノコヤネノミコトが馬に乗って初めて降り立った石というのがあって、いろいろと本を読んだりすると馬族は日本にやってきた、きてないでまだ決着がついてないようで、これも疑問なんです。素人が想像するに、昔は海の満ち引きで馬にのって大陸からやってこれたのかなあとか天と海の「アマ」という響きとか。親戚のおじさんや自分の顔をみてもモンゴルとか。韓国の人の顔立ちに似てる気がするし。馬は船のことかなーとか、いろいろと想像をたくましくしております。
…突然スミマセンでした。散歩がとても好きなのでとても楽しく拝見させていただきました。もしご存知でしたら上の件、よろしくお願いします。


玄松子 玄松子の記憶 H12.4.1
「離島好き」なので、佐渡も良いかな、と考えていましたが、
>香取神宮〜鹿島神宮〜大洗〜水戸と北上されたら如何でしょうか?
これも、面白そうですね、参考にさせていただきます。


ダイコク  H12/4/1
はじめまして。去年から見つけ、いいホームページだなぁと思っていました。でも掲示板には今まで気がつきませんでした(^_^;
私も特に東京周辺の神社巡りを趣味にしている者です。
今日はとりあえずご挨拶だけ。何か思いついたら投稿させて頂きたく思っております。


ながたてつや H12/3/31
はじめまして。ながたと申します。数年前に神社に格付があることを知って以来、神社巡りにはまっています。昨年このHPを知ってからは延喜式内社も回れるようになってますます拍車がかかってます。
関東で式内社を沢山回りたいのならまずは三島周辺がお勧めです。(関東ではないですが・・・)名神大社の三島大社、楊原神社をはじめ、10数社の式内社があります。
韮山、伊豆長岡、修善寺といった温泉もありますし、レンタカーを借りられれば更に沢山回ることが出来ると思います。
もしくは、水戸周辺ですね。市内に常盤神社、護国神社、水戸東照宮の3つの別表神社と吉田神社(名神大、県社)が近くに固まってます。海側に足を伸ばせば大洗磯前神社、酒列磯前神社がありますし、山側には静神社、稲田神社(ともに名神大)、笠間稲荷神社(別表神社)などもあります。
香取神宮は最寄駅の佐原から若干遠めですが、香取神宮〜鹿島神宮〜大洗〜水戸と北上されたら如何でしょうか?
皆さんのように詳しい知識はありませんが、参考にしていただけたら幸いです。それでは失礼致します。


玄松子 HP H12.3.27
>千葉県の香取神宮と茨城県の鹿島神宮は比較的近くです。
そうですね。関東ではこの2つは押さえておきたい所ですね。
>日本最北の式内社は確か志賀理和氣神社(岩手県紫波郡紫波町)ですね。
岩手ですか。温泉神社ですか。
なるほど、ゆったりのんびり神社を巡るのもよいかもしれません。


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