神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

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掲示板のログ(平成十四年 四月)お名前の敬称は省略しています。

更新 H14.5.1

[2905]   ロマンはお互いさまで……、でもな    うそぶき 紋次郎 [Mail] 2002/04/30(Tue) 17:38 [Reply]
 日本語ツチ(槌)の原音は *TUT(破壊)だったと惟ふ。これが I-TUT-U の語形変化を遂げた。
その名残りを留めているのが井筒屋デパート(ケーシー・タカミネ説に非ず)。
大槌のことをタジク語で PUTK いうだ。このオン(音)は日本には フツとなって定着する。

 ごちゃごちゃゴチャゴチャと、いっぱい氏族がいて、ちがったことばを喋っていたので、
たまたまそうだからといって、それが当たっている可能性は低いんじゃないかと言うんだろ?
 ここは MO (広域の同一文化地帯)という考えが成立すらいしょ。
 それと、世界地図みなはれ。同じ地名がなんぼあるか……、また槌は金属精錬士文化語である。
このへんを、かきわけかきわけ……√♪ 征くがオトコの生きるみち。アイゴ〜〜!

 ところで、大槌と小槌はどうちゃうんカネ。瀬戸内海に大槌・小槌の島があるなぁ。
 意味がワカランようになったとき、「振る」から「フツ」への錯綜もあっただろう。

[2904] Re[2902][2894]: 丹生川上神社上社  Setoh 2002/04/30(Tue) 16:51 [Reply]
ひふみさん、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。連絡いたします。

玄松子さん> (勾玉については)もっと呪的な印象を持っています。禍々しいという言葉に囚われているせいかも。

玉については小生も同じ印象です。鏡と剣が神器として登場する以前と思われる縄文時代の遺跡から石製曲玉が出土しているそうです。目的は呪具,依り代か生命力・霊力の造型と言うことなのでしょう。
己を守る呪具として誓約時に天照大神が身につけていますね。
磐や古木の代理として持ち歩き用の依り代だったのかも。

天孫族によって玉は鏡・剣の後塵を配する機能に貶められたのでは。尤も大いに普及していたので,銅鐸のように埋められっぱなしと言う扱いではなかったようですね。
玉と大国主・事代主,銅鐸と素盞嗚尊・建御名方,との対立の構図ができないのかな。



[2903] 追伸  ひふみ 2002/04/30(Tue) 16:35 [Reply]
写真の大きさ等、どれくらいのサイズ等が入用なのか、又、送り先等もメールででもご連絡ください。

[2902] Re[2894]: 丹生川上神社上社  ひふみ [Mail] 2002/04/30(Tue) 16:30 [Reply]
> 表題の神社の遷座以前の写真を使いたいのですが、どなたかお持ちじゃないでしょうか。
> 連絡お待ちしています。

Setoh様、写真は見つかりましたでしょうか。
川上村の役場に電話した所、遷座以前の写真の貸し出し(後、個人で現像複製の事)と、
遷座した際の発掘現場の資料が頂けるとの事ですので、個人的な興味もあり、行って来ようと思っています。よろしかったら、いかがでしょう。御連絡ください。
(雪が消えたので、裏道を使うとすぐなのです。)

[2901] Re[2900]:   槌 と フツ       玄松子 2002/04/30(Tue) 13:32 [Reply]
> 主権機能(祭祀・政治) 軍事機能(戦闘・武勇)  民人機能(豊饒・健康)

確かに、勾玉=生産・産業という説が一般的でした。
忘れていました。というか、あまり納得できていないから忘れたのでしょう。もっと呪的な印象を持っています。禍々しいという言葉に囚われているせいかも。

この勾玉のみが天皇家にある(とすればですが)のは、大変興味深いですね。

武甕槌の前に、天菩日と天若日子が来ましたね。
どちらも大国主に取り込まれますが、天若日子は反逆ととられ、殺されました。
事代主と建御名方でも、建御名方のみ酷い目に会いました。(事代主は自殺?)
このあたり、似たようなモチーフが絡み合っているのかもしれません。

[2901] Re[2900]:   槌 と フツ       玄松子 2002/04/30(Tue) 13:32 [Reply]
> 主権機能(祭祀・政治) 軍事機能(戦闘・武勇)  民人機能(豊饒・健康)

確かに、勾玉=生産・産業という説が一般的でした。
忘れていました。というか、あまり納得できていないから忘れたのでしょう。もっと呪的な印象を持っています。禍々しいという言葉に囚われているせいかも。

この勾玉のみが天皇家にある(とすればですが)のは、大変興味深いですね。

武甕槌の前に、天菩日と天若日子が来ましたね。
どちらも大国主に取り込まれますが、天若日子は反逆ととられ、殺されました。
事代主と建御名方でも、建御名方のみ酷い目に会いました。(事代主は自殺?)
このあたり、似たようなモチーフが絡み合っているのかもしれません。

[2900] Re[2898][2897]:   槌 と フツ       Setoh 2002/04/30(Tue) 12:10 [Reply]
三種の神器(『古代学入門』黛弘道著から)
印欧語族に多いのが,以下のようだそうです。
主権機能(祭祀・政治) 軍事機能(戦闘・武勇)  民人機能(豊饒・健康)

これに神様を当てはめると
天照大神   素盞嗚尊   大国主命
神器では
八咫鏡  草薙剣  八坂瓊曲玉
設置場所
伊勢神宮  熱田神宮  ?(天皇家の後宮)

別に二種の話もあります。鏡と剣で,玉は天皇家の氏長者の印で,国家的ではないとか。
  
玄松子さん> 出雲の国譲りは、大己貴命・素盞嗚のドッペルゲンガーによる自己破壊。
出雲振根と飯入根の戦いもありましたね。建御名方と事代主に対応するのかも。
天津神を奉じる部族が国津神を奉じる部族を征圧する前に,国津神同士のバトルがあったでしょうし,その一方の雄に素盞嗚尊,もう一方を大国主命,また饒速日尊の勢力なども設定出来るでしょうね。

[2899] Re[2897]:   槌 と フツ       Setoh 2002/04/30(Tue) 09:20 [Reply]
> 槌の語源は TUTU-I でまちがいなかろう。意味は「破壊する物」。すなわち國造りのための破壊。
> セトホドン、玄象師師ドン、その“槌”がフツだった。
TUTUは二つのTUかね。何故、ツツがフツになるん。ツツがツチになるのはあるはな。塩槌爺,塩筒爺。

ついでに尋ねるが,タジクと日本,その間にロシア,蒙古,満州,朝鮮があるはな。ここらに痕跡が残ってるのかね。天磐船で空をやってきた訳ではあるまいに。この辺り解明しないと,何時までも湯だけ、菊だけの世界だわな。

 どっこい生きてる言葉の万葉 http://ucgi.kamnavi.net/cgi-bin/yakbbs.cgi

[2898] Re[2897]:   槌 と フツ       玄松子 2002/04/30(Tue) 07:52 [Reply]
>  セトホドン、玄象師師ドン、その“槌”がフツだった。

武甕槌と経津主、ツチとフツ。
武甕槌=三輪大物主とすると、経津主=石上か。
これは、大己貴(大物主)と素盞嗚と対比させると、出雲の国譲りは、大己貴命・素盞嗚のドッペルゲンガーによる自己破壊。

出雲の系譜は、大己貴(素盞嗚尊)=政治、事代主=祭祀、建御名方=軍事と、三種の神器に対応させると、政治が分離され大和に取り込まれた図が、三輪。

[2897]   槌 と フツ       ふらつき 紋次郎 [Mail] 2002/04/30(Tue) 04:44 [Reply]
 おらの記憶にまちげぇがなけりゃ、渓流地名のひとつにベントロックいう沢名があった。
 ふらついてまわっていたら、タジク語に BONTROK(沼地)があるじゃあ〜〜りませんか。
 ミナシャン、こりゃてぇへんなこってござんすばい。
 
 関東信越の渓流地名には、台湾諸語、朝鮮語、アイヌ語、どれも引っ掛からぬキミョウなこと
ばが連なってバッチリ残っている。そのひとつが割れた。BEN と BON のちがいだが、これは柳と
沼のちがいで LOK はミロクの、“土地・地上”。
 びっくりするなぁ、まだ早い。栃木とは王冠という意味を振り出しにしたタジク人という意味
で、ニワトリのトサカも「taz / tos 」の同根領域が語源だった。
 イヤ〜〜、おら、トサカの語源にも、いいかげんトサカにきちょったとばい。

 おっと、標題の槌……。大黒さんはなんで槌もってんだろ? 槌の語源は TUTU-I でまちがい
なかろう。意味は「破壊する物」。すなわち國造りのための破壊。
 セトホドン、玄象師師ドン、その“槌”がフツだった。

 √♪ 山であかいは 夜明けの霜に しおたれて あわせ欲しがるサルオカゼ
 初冬の山景色を唄ったうた。昭和 15 年ごろまで、小学校唱歌だった。

 セトホドンよ、カタカナ配列あがぁ〜あがぁ〜。見ていたらサルオカゼの唄を想いだしたヨ。
 わえら子供のときは √♪ あわせ欲しがるサルのケツ と、換えてうたってた。
 だが、こどもの直感力が然らしめたのか、換えたつもりが換えてなかった。
 ナァ〜〜ンデカ。それはね、♪ 教えてあげないよ。♪ ジャン。
  ヒント;虎ケツトリー ネ。

[2896] Re[2895][2893][2869]: どたまもウイルスに  Setoh 2002/04/29(Mon) 21:57 [Reply]
『古事記』に次のように記されています。
意富多々泥古(オホタタネコ)「僕(ア)は大物主大神(オホモノヌシノオホカミ)、陶津耳命(スヱツミミノミコト)の女(ムスメ)、活玉依毘売(イクタマヨリビメ)を娶(メト)して生みましし子、名は櫛御方命(クシミカタノミコト)の子、飯肩巣見命(イヒカタスミノミコト)の子、建甕槌命(タケミカヅチノミコト)の子、僕(アレ)意富多々泥古(オホタタネコ)ぞ」と白(マヲ)しき。

これからいくと,
玄松子さん> 武甕槌(建甕槌)とは尊い三輪の神
は十分言えることですね。
> ツチ=神というのは、通説ではないところが弱いかな。
チは神は通説ですよね。大己貴,大名持の「チ」です。「ツ」は津で之の意とすれば,ツチも神ですね。
[2852] ひふみさん> 「国」を「土地」として見た場合、それは、「神」なのでしょう。
語呂合わせかも知れませんが,土地,土,ツチも神なのでしょうが,生き生きとして来ます。

[2895] Re[2893][2869]: どたまもウイルスに  玄松子 2002/04/29(Mon) 21:23 [Reply]
>  櫛は奇で称える言葉,玉は魂で神,櫛甕玉とは尊い三輪の神と言っているのでしょう。

武甕槌。
武は称える言葉。槌はツチで神、武甕槌とは尊い三輪の神と言っているのでしょう。
ってことにもなりませんか。

ツチ=神というのは、野椎、塩土、足名椎、手名椎からの、単なる連想ではありますが、通説ではないところが弱いかな。

[2894] 丹生川上神社上社  Setoh 2002/04/29(Mon) 21:19 [Reply]
表題の神社の遷座以前の写真を使いたいのですが、どなたかお持ちじゃないでしょうか。
連絡お待ちしています。



[2893] Re[2869]: どたまもウイルスに  Setoh 2002/04/29(Mon) 21:00 [Reply]
偽書とされているわりには良くできていそうな『秀真伝』は前半を櫛甕玉命が書いたのか,神武天皇に献上しています。この命は別名を鴨彦と言うそうですね。後半は子孫の大直根子命(おそらく大田田根子命)が書いたとの事です。『出雲国造神賀詞』の奏上の後に『秀真伝』が出来たのでしょう。
 いずれにしろ,櫛甕玉命とは三輪大神の事と言えます。大物主櫛甕玉と称えられているのですから,
『秀真伝』を持ち出すまでもないことでしたね。
 三輪=ミハ←→ミカ(甕)←ミカメ=御甕
 櫛は奇で称える言葉,玉は魂で神,櫛甕玉とは尊い三輪の神と言っているのでしょう。
 大物主櫛甕玉と名を称えてとは,大物主即ち尊い三輪の神と名を称えて,と言う事で素直に理解できます。

[2892]   大海鳴動 ネズミ73匹 ?    ニバツの 紋次郎 [Mail] 2002/04/29(Mon) 06:54 [Reply]
 鳴海日出志さんショックから、はや1週間がたちました。
 鳴海日出志さんは4册もの言語学の本を続けて連射しておられるので、「これは
タダ働きのお弟子さん……すなわち学生さんが最低3人を抱えてのスタイル、だから
どっかの言語学の先生……という判断を、オレやっちゃったァーなんです。

 きのふ入ってきた情報では、鳴海日出志さんは理学部あたりのご出身だそうです。
 世間は「理学部出身」ということで烙印を捺して処理するでしょう。
 あっしが見たクレバス飛びはバーチャルだった。

 だが、思考法法は本スジ衝いているので、コンピューター処理の安本美典さんが与
えた以上の進歩を言語学畑にもたらすことだと思う。

 ミナシャーン、どもお騒がせしてスンマッシェン。

 でも、思考方法論こそすべての基礎であることを、再認識できたことを喜んでくだされ。

[2891] 「日本列島における和泉の歴史と文化」  資料室(和泉市立人権文化センター) [Mail] [Url] 2002/04/28(Sun) 11:33 [Reply]
(突然の書き込み失礼します。事業のご案内をさせていただいてもよろしいでしょうか。)
公開講演会・シンポジウム「日本列島における和泉の歴史と文化」のお知らせ。
↓詳細情報(チラシ)を転載しています。
http://www.ican.zaq.ne.jp/m471560/e20020525.htm

▼公開講演会
平成14(2002)年5月25日(土)13:30−17:30
「日本人はどこから来たか」
  尾本惠市 (桃山学院大学教授)
「池上曽根遺跡の文化史的意義」
  金関 恕 (大阪府立弥生文化博物館館長)
「古代史における和泉」
  上田正昭 (京都大学名誉教授)

[参加費 ] 無料
[申し込み] 不要です。当日会場におこしください。
[会  場] 和泉市市民文化ホール(大阪府和泉市)

[2890]   あ、オレも打ち込み先をまちがえた     ニバツの 紋次郎 [Mail] 2002/04/27(Sat) 08:11 [Reply]
 下のカキコ、『蝿声・掲示板』へ移動いたァ(香川、讃岐)方言。
 ……? ここでもいいか。

 ほなついでに、
 ならてっちゃン、古代人といってもある時期、インドの偏執(文化)は「見えないもの」
をダイジにした。これは古代ギリシャに受け継がれ「イデー」となった。
 ワカランものほど利用度が高い。
 古代人はワカランという名の暴力に哭いたが 現代人は「ワカラン強制力」のまえにも科学
という名の暴力的強制勢力のまえにも哭く。

 徳島県西部、山中の鉱山でゴケさんが、中学高校生あいてにお好み焼き屋をやっていた。
 鉱山は狭い土地でもいろんなひとが生きて行けるんだなぁ〜と感心したよ。
 シナ、朝鮮からの渡来民で、一挙に金属精錬文化が高まったとみてよろし……カネ。

[2889]  『かむなび』 NOW ・『フシ』の語源      ニバツの 紋次郎 [Mail] 2002/04/27(Sat) 07:45 [Reply]
 永いあいだ、おら、フシは印欧祖語 *PSY となんらかの関係があると睨んできた。
 藤の花だけが心霊現象を見せた。
 山伏はヤマ(集会ーー修行場)で PSY にかかわる i(ひと)だと思ってきた。
 だが、PSY はネパール語には見えない。その渡ってきた痕跡……どこかにない紋か。

 タジク語に PU∫TA (塚、小山)これあり。
 丘の上に土を盛って塚を作っているのは、初期の奈良盆地に著くみられるが、おらが
生まれ育った稲築町にもあった。世界的にみたら形態もいろいろだろう。
 だが、最も広域かつ注目すべき「伏」がつく地名を持っている地帯は、出雲神社の裏
(北側)一帯であろう。
 犬伏(イヌブシ)さんがいる。“イヌ”ももういちど睨み返してみよう。
 アイヌ語の INONNO-ITAK(祈りの言葉)の裏山にも古層が見え隠れする。

[2888] Re[2875]: 焼き畑 こ と ば     習志野のてつ [Mail] 2002/04/27(Sat) 01:24 [Reply]
>  香川県南部、土佐へぬける山道ぞいには「高地」の山のなかに密集した集落がある。
>  あそこが日本では一番の「山中密集」ではなかろうか。
>  焼き畑集落には古いことばがないわきゃないと思って、ちょと調べたことがあるが、
> 収穫はほとんどなかった。

 紋親分がそうした問題を調べておられたことに、敬意を表します。

「あること」「ないこと」
無い事の証明は難しい。有る事は簡単。実例を示せば良い。たとえば「ツチノコ」
を見つければ、存在する証明ができる。だが、発見できなくても、非存在の証明に
はならない。群馬県でのコメ作りは、馬を飼って畑でオカボを作ったらしい。
群馬で勢力を張った羊君は何者だろうか?努力不足で判らない。

香川県の南部は徳島県西部と接する。徳島県西部は、「高天原」であると、真剣に
論議している人々がいる。また徳島から高知へ抜ける山間の急な道を行くと、今でも
「物部村」がある。古来からの風習を伝える。
 
>  日本列島の焼き畑は非常に浅い歴史しか持たないんじゃないかな?
三内丸山の栗畑は、一度自然植生である樹木を、火で焼き払った後、
栗を植林したと推定されています。これが判っている最古の焼畑農法?
 そもそも「畑」も「畠」も日本でつくった文字『国字』ですしね。

[2887] 山の暴神と振の山  Setoh 2002/04/26(Fri) 22:22 [Reply]
風土記から
常陸国那賀郡茨城の里
哺時臥之山(クレフシノ)
努賀毘古、努賀毘売の兄妹がいた。名も知らぬ人が来て妹と結婚、妹は小さな蛇を生んだ。清めた杯に小蛇を入れて一晩おくと杯一杯の大きさになった。それで瓰(皿)に変えたが,また一杯になった。大きくなりすぎたので天に帰るように諭したら,努賀毘古を雷撃して昇ろうとした。努賀毘売が瓰を投げつけると天に昇れず,山にとどまった。

肥前国松浦郡
褶振の峰(ヒレフリノ)
大伴狭手彦連の船出後、妻の弟日姫子の下に一人の人夜毎来てともに寝,朝になると帰っていった。沼の蛇で,身は人、顔は蛇,弟日姫子は沼に引き込まれたのか,蛇とともに失せた。

肥前国神埼郡
背振山系(セフリ)?
昔、この郡に荒ぶる神がいた。往来の人が多数殺害された。纏向の日代の宮に天の下をお治めになった天皇が巡狩されたとき,この神は和平なされた。

肥前国佐嘉郡
背振山系(セフリ)?
佐嘉川の川上に荒ふる神がいた。往来の人を,半分は生かし半分は殺した。

播磨国では神尾山(カミヲ)または佐比岡(サヒオカ)


背振は苦しい所だし,播磨にはないのですが,山の神(暴神が多いのでは)の坐す山に「フシ・フル」が付いているような気がしませんか。
石上神宮の布留も,原初は暴神だったのかも知れませんね。

[2886] Re[2885]: あといくつ?  Setoh 2002/04/26(Fri) 22:21 [Reply]
> ところで、今までで分かっている範囲で五十猛大神の祭られている神社の最も多い県はどこですか?

なにがしさん、こんばんは。連休は和歌山ですか。五十猛命にご関心を頂きありがとうございます。多いのは福岡県かなと思っていますが、比較したことがありません。一度やてみます。



[2885] あといくつ?  なにがし [Url] 2002/04/26(Fri) 21:44 [Reply]
setoh様
現在五十猛大神を祭られている神社どれくらいまわられました?分かる範囲であとどれくらい残っているのですか?潜在しているものもありますから分かっているものの何倍かの神社があるんだろうと思うのですが。
ところで、今までで分かっている範囲で五十猛大神の祭られている神社の最も多い県はどこですか?全国的にみてなにか傾向とかあるのでしょうか?これだけ祭られている神社が多いと言うことはそれだけ面白い傾向が出てくるのでは、とふと思ったもので。

[2884] Re[2881][2879]: 爽やかな傾斜地  桜左近 2002/04/26(Fri) 21:29 [Reply]
>個人的な「お願い」や「中傷」を、無関係な掲示板で行うのは・・・

仰る通りで、どうも失礼をお詫びします。
蠅声のつもりで、つい「REPLY」ボタンをクリックしてしまいました。

ゴールデンウィークには新橋烏森神社の例大祭(5月4,5,6)に行こうかと思っています。
新橋駅から歩いて2分、飲み屋街の中にある神社で、現在の建物は昭和46年にできたそうですが、
明治以前は稲荷信仰で、江戸で一二を争うほどの賑わいだったと縁起に書かれています。
左側の狛犬の近くに「きやり塚」という、高さが1m50cmくらいの古い石柱と、「五十貫余」と彫られた
卵形の石が祀られていて、寄進者の「芝土橋、久太郎」「車屋、栄治」「汐留、兵吉」の三名の名前も
刻まれています。「車屋」が人力車だとすれば明治時代ですかね、それほど古くはないでしょう。
でも、鳥居(平成5年)など総コンクリート作りの建造物の一角にひっそりと佇むこの石二つのほうが、
よほど霊気みたいなものを感じさせてくれます。
#五十貫余石は「五十」信仰の現れ?

[2883]   知らぬがホトケの『毛』ぇやった    ニバツの 紋次郎 [Mail] 2002/04/26(Fri) 12:32 [Reply]
>鳴海日出志にえらいこだわっているんだね。アカデミズムへの不信感を言ってきた紋氏
も,たった一人の学者の出現に己の存 在意義すらうろたえの中にほうりこむんかね。

☆ 「ちがーくて、ちがーくて」という言葉きいたことある?
  「違うンですよ、違うんですよ」という意味。おらレッキとしたMRI撮影技士が言った
  のを聞いた。

 ちがーくて、ちがーくて、セトホドン、
 いままで、数万人ちかい言語学者が排出しただろうが、地球規模での言語対比をやった学
者はひとりも出なかったんです。
 なぜでなかったのか……? それは、学者が学者として教壇に立つまでの仕組み・メカに
その最大原因があって、学者を産むワクがそのような冒険を赦さなかったんですよ。
 オレは、学者がそんな狭小な目しか持てないのは「学界そのものの体質」のなかから出て
きたのだから「コンチクショ、出れねぇだろう」とサンザ三味線のバチ叩いた。
 だが……、出たんだよ。それがァ〜〜。鳴海日出志さん、実にエライ!!

 出る(旧来のカラをぶち破る)までには、さんざ悪戦苦闘をしたことだと思う。
 このゴキブリ一匹の学者は、4年経ったら毎年5人のお弟子さんを産むだろう。
 いままでになかった手法だったし、本筋を衝くのだから、これは必ず急成長する。
 言語考古学……神名に於いても然り。わえらのロマンは日ならずしてタワゴトにしかなら
ない。そういう日は30年以内には必ず来る! 30年……近未来だ。

 学問における構造改革ネ。
 おらはなんとか、この4日間のめまいのあと、目鼻をつけることはできたヨ。
 セトホドン、神奈備はどげすると? ちゅうこと。

[2882] Re[2879][2878]: 爽やかな傾斜地  Setoh 2002/04/26(Fri) 10:45 [Reply]
 鳴海日出志にえらいこだわっているんだね。アカデミズムへの不信感を言ってきた紋氏も,たった一人の学者の出現に己の存在意義すらうろたえの中にほうりこむんかね。
尤も小生は鳴海日出志さんの本は読んではいないんだが。

桜左近さん> 「蠅声」をつぶさないでください。ほんの少しでも異論を唱えると「言葉の暴力」で侮辱する。
お言葉ありがたく頂戴します。「蠅声」には「蠅声」のそれなりの存在意義があるのかも。
青人草(アオヒトクサ)の神々も,また荒神・暴神も集って下さい。
Setohなんぞは,あの程度のことは,糸扁が虫扁になった蚊が一匹,気にもなりません。

紋氏> 満州と朝鮮を勝手に別物
朝鮮のルーツは満州だそうな。ここを追い払われて千年にはなるのかね。ユダヤほどの執念はなさそうだね。旧日本が半島を併合してから満州を取ったことは,かっての朝鮮の復活だったと言えますね。

なお,神奈備は植民地主義でも軍国主義でもなく,いたって平和(ボケ)人間です。

[2881] Re[2879]: 爽やかな傾斜地  玄松子 2002/04/26(Fri) 10:14 [Reply]
横から。

個人的な「お願い」や「中傷」を、無関係な掲示板で行うのは・・・

> ほんの少しでも異論を唱えると「言葉の暴力」で侮辱する、そんな某席亭氏の主宰する掲示板に遷座する考えは全くありません。

僕には「言葉の暴力」を読み取れないんですが、僕の読解力の無さでしょうか。
「甘え」は大いに感じられるのですが。

「蠅声」の再開は、ブレーンストーミングやコラボレーションになっていない、垂れ流しに対する処置だと認識していますが、これも僕の認識不足でしょうかねぇ。

[2880]   √♪ 興安嶺よ いざさらば    ×2の 紋次郎 [Mail] 2002/04/26(Fri) 06:55 [Reply]
 おらにとって、鳴海日出志さんの出現はどてらいショックざんした。
 40歳から続けてきたシロート頑張りの一切が、根なし草のように無意味になる……みたい。

 そりゃあ、やっぱ何らかの形で、続けて人類の進歩に貢献できたらいい……と思ったよ。
 この谷間で気分が落ちこむこと4日。
 だがミナシャ〜〜ン! おらはやったぞ。出雲文化の核の一部に「タジク語族」みたいなのが
入ってきていることが確信できる……それをきのふ発見した。
 こういう拠点だったら、鳴海日出志さんのご威光のもとでも、うごける場が残されて“ある”
のではないだろうか……? 
 
 朝鮮北部に興安嶺山脈がある。それでてめぇ勝手に目くらましを作ってきた。満州と朝鮮
を勝手に別物だとおもって、その目で、閉ざされた歴史観を形成してきたのだ。
 タジク語族……今のタジク人とはかなり違うだろうが、そういう歴史に埋没した多くの氏族
がいて、出雲に来たことはタシカだ。

 √♪ ひずめの跡に みだれ咲く 夏草の花 ○○くして 虫が音(ね)細き 日暮れ空
 
 セトホドンよ、○○の部分はナニやったカネ。「著(シル)く」やったカネ。

[2879] Re[2878]: 爽やかな傾斜地  桜左近 2002/04/26(Fri) 04:23 [Reply]
>なお,「神奈備掲示板」から「ほにゃらか掲示板」への直接のリンクは切っておりますが,後者は
>ご承知のごとくそのまま存在しております。従前通りお使い下さい。『言語による古代開発・ことば
>(掲示板)』 席亭 ; 焼尻紋次郎 としておりますので,「蠅声」の常連の皆さんが「ほにゃ」に遷座
>されるのでしたら,「蠅声」は再度停止するつもりです。

不肖わたくし桜左近からSetohさんへのお願いがあります。
「蠅声」をつぶさないでください。
ほんの少しでも異論を唱えると「言葉の暴力」で侮辱する、そんな某席亭氏の主宰する掲示板に遷座
する考えは全くありません。

[2878] 爽やかな傾斜地  Setoh 2002/04/25(Thu) 08:11 [Reply]
「蠅声なす掲示板」の役割については,3月24日の「蠅声の復活」または「朝令暮改」でその趣旨がおわかり頂けると思います。

また「神奈備掲示板」がことばの詮索を切れ間なく云々とやっているとは思っていません。話題になった神社・地名・神名についてのブレーンストーミングに入ることは当然ありますが,席亭の能力の及ぶ範囲として「語源は近い所から探す」と言う感じになっていますね。

なお,「神奈備掲示板」から「ほにゃらか掲示板」への直接のリンクは切っておりますが,後者はご承知のごとくそのまま存在しております。従前通りお使い下さい。『言語による古代開発・ことば(掲示板)』 席亭 ; 焼尻紋次郎 としておりますので,「蠅声」の常連の皆さんが「ほにゃ」に遷座されるのでしたら,「蠅声」は再度停止するつもりです。

[2877]  「光れ 紋の小唄」    ×2の 紋次郎 [Mail] 2002/04/25(Thu) 08:05 [Reply]
 玄象師師ドン、私信じみて ミナシャンすまね思いでんねん。
 おらは技術持たねハンデ(津軽弁)どう考えていいかわがらねっす。
 「ほにゃらか」はセトホドンの胸ひとつ。E メールは受信でけまへん。
この先は「ほにゃらか」で。

[2876] Re[2875]:   焼 き 畑 こ と ば     玄松子 2002/04/25(Thu) 07:04 [Reply]
> ことばに関して『神奈備掲示板』と『蝿声・掲示板』と、どのような区分を考えておられるや、ここんとこぜひお聞かせアマカネ。

僕は、「ほにゃ」の存在意義を知りたい。

[2875]   焼 き 畑 こ と ば     ×2の 紋次郎 [Mail] 2002/04/25(Thu) 06:38 [Reply]
 香川県南部、土佐へぬける山道ぞいには「高地」の山のなかに密集した集落がある。
 あそこが日本では一番の「山中密集」ではなかろうか。
 焼き畑集落には古いことばがないわきゃないと思って、ちょと調べたことがあるが、
収穫はほとんどなかった。
 日本列島の焼き畑は非常に浅い歴史しか持たないんじゃないかな?

 ところでセトホドン、ここ神奈備掲示板でも、ことばの詮索が切れ間なく続くが、
ことばに関して『神奈備掲示板』と『蝿声・掲示板』と、どのような区分を考えておら
れるや、ここんとこぜひお聞かせアマカネ。

[2874] そういえば・・・  ひふみ 2002/04/24(Wed) 23:07 [Reply]
そういえば、最近買った漫画、「ヤマタイカ」などでも知られる星野之宣さん著の「宗像教授伝奇考・特別版」の中でも「蛇神」に関する面白いストーリーが載っていました。
このシリーズは、結構楽しめるので、よろしかったら是非御一読ください。
(神奈備には、ふさわしくなかったかな?)

[2873] 知恵の神々へ  Setoh 2002/04/24(Wed) 21:34 [Reply]
> 吉野裕子さんの本では、「甕」も「カガ」も蛇に通じるとされています。
ZOUさん いらはいませ。「甕」が蛇に通じるのは御カガが略されて御カとなったと言うことでしょうかね。吉野裕子さんの考察力と説得力は迫力がありますね。久延毘古神を祀る神社はあまり数が多くありません。大和では大神神社の摂社にあるのみです。これはカカシでかつ蛇神とすれば,「カカシ」も蛇に見立てられたもの。または田圃に人形を立てるのに一本足が便利でかつ作りやすかっただけと言うことも考えられますね。すべての道はローマに通じる。蛇の道は蛇。従ってローマは蛇だらけ。トレビの泉を覗いてごらん。
どっかから崩したいものです。


習志野のてつさん,こんばんは。
数年前にインドネシアの山の方に行ったのですが,まさに『耕して天に到る』の状況を見ました。普段は結構のんびり屋さんが多いように感じていたのですが,この状況を見て,勤勉さを感じて来たのですが,もう一度考え直す必要がありそうですね。

> 稲栽培の焼畑民族には、コメの飯と淡水魚をかさねて、乳酸発酵させてスシ(鮨)を作り保存食とするところがある。
近江の鮒鮨が有名ですね。和歌山には鯖や秋刀魚を使って熟れ鮨を作ります。和歌山へ行かれたら南海の和歌山市駅前から東へ10分ほど行った所に「弥助寿司」と言う店があります。熟れ鮨ですとここの本熟れをおすすめします。

[2872] 『耕して天に到る』のではない!  習志野のてつ [Mail] 2002/04/24(Wed) 18:06 [Reply]
1966年発刊の『栽培植物と農耕の起源』岩波新書・中尾佐助から―抄―
 彼らは平地の生活を好まず、山の斜面に棲むことをこのむ。東アジア
焼畑農耕文化の共通特色で、焼畑は平地がないから山でやるのではない。
平地は余っていても山へ行って棲んでいる。河の上流の傾斜地に焼畑をひらく。
山の上のほうから、平地に向かって焼畑を広げる。たが、平地は森林のまま、
放置される。
 稲栽培の焼畑民族には、コメの飯と淡水魚をかさねて、乳酸発酵させて
スシ(鮨)を作り保存食とするところがある。ラオス山地民、ボルネオの
焼畑民族、シナ中南部、日本…

 平地を耕しきって、あるいは平地から追い出され山に棲むのではない。
『耕して天に到る』のではない!元々山に棲む人々の暮らしがあったのだ。

[2871]   蝦夷 と カス と オタスツ人    ×2の 紋次郎 [Mail] 2002/04/24(Wed) 07:41 [Reply]
ZOU さん、いい資料あがあが。
 先日、タジク語から「谷グク(カエル)」がとびだしたことはお報せしました。
 その、タジク語で「ひと」は KAS いいますじゃ。古代では「カス」といえば「あ、○○種
のあの人びと……貴人……か」という共通認識があって、春日(GHAR は家)とか春日部(BHED
は部門)が、貴人の住まいとか貴人の管掌を意味する日本語となったのではないか……と、おら
ロマンこいていやす。

 この場合、蝦夷はなんと発音されますか? 
 アイヌ民族のなりたちは、とても日が浅く、完全にアイヌのていさいを整えたのは16世紀で
はないだろうかと思いおります。
 日本人も、ほかの民族もそうですが、いろんな氏族がいて、混血のうえ大略のところで統一
言語を得たときに その 近代的アイデンティティーが固まる……は、おらの痔ロンです。

 北のほうで元(蒙古)と対等に(?)わたりあった骨嵬軍は、新羅の源花(<花郎)以外に
は考えられないところですが、それとはどうも別氏族らしいのがオタスツ人です。
 長くなりそうなので『蝿声・掲示板』で五月蝿カネ。あ、OTA∫ はタジク語の「火」です。

[2870] Re[2869]:蝦夷神  ZOU 2002/04/24(Wed) 01:44 [Reply]
Setohさんこんにちは。

>  三輪の神は蝦夷の祖霊であったのです。

以前にこの話題について書かれた「古代東北と王権」という本を読んで、たいへん興味を持っていたことです。綾粕らにとって、三輪山は「天皇霊」のこもる山などではありませんでした。アテルイも三輪に来たかったかもしれません。

>  三輪の神は甕星神香々背男であった。

これもたいへん興味のある話題です。吉野裕子さんの本では、「甕」も「カガ」も蛇に通じるとされています。
↓こちらではカガセオについて研究されています。小雪さんに教えてもらったです。が、全部読んでませんですσ(^_^;
http://homepage1.nifty.com/j-tei/k020104-1.htm

[2869] どたまもウイルスに  Setoh 2002/04/23(Tue) 21:59 [Reply]
大三元さん ありがとうございます。

茨城県多賀郡十王町の酒に「甕」と言うのがあるそうな。下記HP参照↓
http://homepage1.nifty.com/fishing-yajitti/sub01.html
ここに,駅名の「甕」について「大甕倭文神社縁起書」を引用し,アイヌ民族「甕星神香々背男(みかぼしのかみかかせお)」の住む大地を「大甕」という。と載っています。
このアイヌ民族とは『敏達紀十年』にある蝦夷の首魁の綾糟らが三輪山の天皇霊に対して誓いをおこなった旨が記載されていますが,この蝦夷のことでしょう。この文章の天皇霊の意味については,「そう言った認識があったのだろう」と言う苦し紛れの解釈があるようですが,小生は無理矢理天皇霊と書かざるをえなかったものと思っています。蝦夷が誓うなら敏達天皇に誓えばいいのであって,天皇霊に誓う必要があったのでしょか。
それでは何故天皇霊としたか? 
 三輪の神は蝦夷の祖霊であったのです。蝦夷が遠く離れた土地の山の神に誓う、この山こそ我らの遠い祖先の連の鎮まる山との認識が蝦夷にあり,『日本書紀』編纂者も知っていたのでしょう。しかしこれは書けなかった。と言う所ではないでしょうか。
 三輪の神は甕星神香々背男であった。
 これが「甕」が『出雲国造神賀詞』で櫛甕玉とやってのけた出雲国造の強烈なパンチだった。

[2868] Re[2862][2861][2859]: ウイルスメール?  大三元 2002/04/23(Tue) 21:12 [Reply]
> ということですから、瀬藤さんのPCから発信されたとは断言できませんが、念のため。
> 神奈備読者の中に、発信元がある可能性は高いでしょうね。

私の推定ですが、ウイルスメールのヘッダの最初の行に
Return Path というのがあり、そこに書いてあるアドレスが本当の発信者(ご本人は知らないけど)、つまり、感染しているPC、だと思われます。(少なくとも一例では確証が取れました。)

[2867]   私ごとで しつれい しやす     ×2の 紋次郎 [Mail] 2002/04/23(Tue) 10:02 [Reply]
 きのふ蝿声で香具さんがどてらいことォ 報せちくれやした。
 言語学者が本格的にインド語や西洋語と日本語・アイヌ語との対比へ腰をあげたのです。

 あっしがこれまで、ここ掲示板を穢しまくったなぁ、ひとつは言語学者どもがアチャラの
ほうばかり向いていて、いっこうに言語からのアプローチがすすまなかった……がありやす。

 言語学者が本来のあるべきスタート・ラインについた! いまんとこ一人だけばってん。
 言語学者が執る方法は、わえらシロートたぁわけがちがう。
 これで、ワキャワカラン神名も、人類規模の言語追求の磐根にのって、30〜50年の
うちには、その意味も辿った音転のあとも根こそぎ解明されること、ウタガイなし。

 アーー、ワカランうちが花やったなぁ。
 でもナ、「紋ちゃん、これまでの28年間、孤軍奮闘、たいへんやったネ」と、セトホドン
がいうてくれたよ。
 いや、広い広い胸ぇ貸してくれちあいがとさん。なも。

[2866] Re[2865][2860]: 私事で失礼致します  香具 2002/04/22(Mon) 23:43 [Reply]
[2863] > Setohさん
> 桜島に 赤水、赤生原という所がありますね。

『赤水』はアカミズ、『赤生原』はアコウバルだそうですネ。ムムム・・・?
鹿児島市内の『伊敷』という地名が五十瓊敷に通じないかと妄想したのですが、手掛かりが見付けられません。少々の祠など木刀で破壊してしまう土地柄とか・・・ホンマ?

[2865] > 玄松子さん
> 水分が金(水を生むもの)なら、国生=国分。これも鹿児島。

鹿児島では漢文調の音読みを広めた時期があったようですね。クニウミやクニナリ、クナリが、コクショウと替わったものと思います。クニウブがコクブとなったか?

> 僕的には、分と生を同じと見る趣味はありませんが。

そうですね。コクブ、コクブンとは地名・姓名ともに系統が異なるように感じています。
それにしても、伊勢の国生神が素盞鳴尊(で良いですか?)とのことには驚きました。淡路島の影響(国生みの島キャンペーン)で、てっきり伊弉諾命・伊弉冊命の二神と思いこんでいましたから。神社関係のサイトを覗くまでは、苗字のことすらも想像しませんでした。

[2865] Re[2860]: 私事で失礼致します  玄松子 2002/04/22(Mon) 23:15 [Reply]
>  『国生』(こくしょう)は、鹿児島では珍しくもない姓ですが、

水分が金(水を生むもの)なら、国生=国分。これも鹿児島。
僕的には、分と生を同じと見る趣味はありませんが。

[2864] Re[2863]: ウイルスメール?  玄松子 2002/04/22(Mon) 21:59 [Reply]
> 暫く様子を見てみます。

では、瀬藤さんのPC発ではないのでしょうね。
差出人のアドレスはランダムらしいですから。

アンチウィルスやウィルスバスターなど、入れていないのでしたら、入れておいた方がよいですね。
http://shop.symantec.co.jp/download_top.asp
ネットでダウンロード購入もできますよ。

[2863] Re[2862][2861][2859]: ウイルスメール?  Setoh 2002/04/22(Mon) 21:34 [Reply]
> > 駆除ツールは、多分こちら。
> http://www.symantec.com/region/jp/sarcj/data/w/w32.klez.removal.tool.html

玄松子さん いつもながらありがとうございます。2002年以降の駆除ソフトを全部やって見ましたが、検出しませんでした。
暫く様子を見てみます。

国生 くなり ふなり 舟生 丹生 桜島に 赤水、赤生原という所がありますね。


[2862] Re[2861][2859]: ウイルスメール?  玄松子 2002/04/22(Mon) 18:49 [Reply]
> 気をつけているのですが、ご迷惑をおかけしたとすれば、申し訳ありません。m(__)m

ウィルス駆除ツールをお持ちでないのなら、こちらでチェックできます。
http://www.trendmicro.co.jp/hcall/

駆除ツールは、多分こちら。
http://www.symantec.com/region/jp/sarcj/data/w/w32.klez.removal.tool.html

また、
・Windowsのアドレス帳、ICQデータベース、ローカルファイルから探し出したメールアドレスすべてに対し、自分自身を添付した電子メールを送りつけます。
・メールの件名、本文、添付ファイル名はランダムです。
・差出人のアドレスは、感染先コンピュータ上で発見したメールアドレスからランダムに選択されたものが使用されます。
ということですから、瀬藤さんのPCから発信されたとは断言できませんが、念のため。
神奈備読者の中に、発信元がある可能性は高いでしょうね。

[2861] Re[2859]: ウイルスメール?  Setoh 2002/04/22(Mon) 18:30 [Reply]
> 今夕、瀬戸様のアドレスにて「A VERY funny game」という意味不明のメールが来ました。これは他の方からも同一のタイトルにて来ていまして
> ウイルスメールと思われますのでお知らせしておきます。

気をつけているのですが、ご迷惑をおかけしたとすれば、申し訳ありません。m(__)m
他の方で、Setoh から変なメール(内容ではなく感冒性と思われる)が届いた方はここへご一報下さい。
とりあえずoutlookのadress帳の中身は空っぽにしました。



[2860] 私事で失礼致します  香具 [Mail] 2002/04/22(Mon) 17:32 [Reply]
 宇智神社をご掲載頂き有難うございました。のりちゃんの『のりちゃんず』、みえこさんの『ななかまど』に続き、取り上げて頂き光栄です。別に直接のゆかりはありませんが、何となく贔屓にしてしまいます。
 『国生』(こくしょう)は、鹿児島では珍しくもない姓ですが、他府県には少ないです。某芸能人が本名でデビューしたおかげで、銀行や病院の窓口でも正しく読み上げてもらえるようになりました。この姓のルーツは、桜島の神社に辿り着くらしいのですが確証を得ていません。(宇智神社の近くの二見神社は阿多隼人の祖神ですか・・・。)
 また玄松子さんのサイトでは、伊勢に坂手国生神社、狭田国生神社があり、他にも国生神ゆかりの神々を祀った神社があることを拝読しました。この場合、国生は『くなり』と読むそうですね。ぜひ参拝してみたい神社です。『くなり』と『こくしょう』は繋がるのか?興味を持ちます。
 あともうひとつ、長塚節『土』の舞台、茨城県の国生村も気にしている地名です。

[2859] ウイルスメール?  てっちゃん 2002/04/22(Mon) 16:11 [Reply]
>瀬戸様
今夕、瀬戸様のアドレスにて「A VERY funny game」という意味不明の
メールが来ました。これは他の方からも同一のタイトルにて来ていまして
ウイルスメールと思われますのでお知らせしておきます。
尚、当方はマックにて被害はないと思われます。

[2858]   クリヤ(栗屋) まちがえた     出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/22(Mon) 07:48 [Reply]
 セトホドン、オハヨ。さっそくのご教導ありがとさんにござんす。

 やっぱ、順序は 2850 での判断が正しかったんだナ。もういっぺん参考書読んでアタマ
整理してみるよ。「をほど」あが。“を”にはまったく手が届かんなぁ。これネパール語
ではないよ。ネパール語では語頭のアイウエオは僅少です。
 
 そうするってぇと、なんですけぇ。崇神・垂仁朝は「鉄」に結びつけて考える予見性が
ここで得られた……は、やっぱ出ないか。

 なお、現代朝鮮語の50は SY;N(シーン)です。「古代朝鮮語 SUJIN=50」はキムシカ
さんの著述から拾ったんだが、おら……ホレ、マタ、クリャだまされたんかもしれんぞな。
 あー、朝鮮人はどこかやっぱ朝鮮人なのら! 

[2857] Re[2856]:   マタ まちがえた     Setoh 2002/04/22(Mon) 06:53 [Reply]
> 継体天皇の平べったい名前はなんちゅうんカネ。
袁本杼(をほど)の命 だね。

> 継体〜崇神・垂仁は製鉄技術を持った新勢力とみなすべきだ。
とこれもおかしい表現だね。崇神・垂仁朝の跡には景行とかが来て、応神仁徳・・雄略が続き,途絶えた所で継体の登場となるんだよ。

[2856]   ホレ まちがえた     出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/22(Mon) 06:32 [Reply]
 ケイタイ天皇在位21年目、すなわち527年に磐井のラン( RAN はネパール語で戦争)
がおこって、この戦争によって近畿豪族群と九州豪族群の二者の上にのっかる形で、1ヶの
権威……皇族が出現した。だから529年に日本の國家が成立したわけだ。

 どうでぇ、おらの歴史認識はリッパなもんだろう。だがナ、下の2850 ではみごとにウソ書
いちゃった。セトホドンなんざは、こんな記述見たらすぐウソと判るだろう。こういうときは
即時訂正してくれるとわえうれし。

 おらのバカひとつ覚え……、ケイタイ天皇は琵琶湖西岸のアド(安曇と書くのら!)川流域
で、日本初の製鉄に成功した。
 この製鉄技術、生産量がどれくらいあったかは別にして、「おらっちだって、鉄は作れるん
だぞ」と朝鮮に言える立場ができた。これが磐井のランで近畿勢力が勝った根本だ。
 
 だから、継体〜崇神・垂仁は製鉄技術を持った新勢力とみなすべきだ。
 どうでぇ、これでいいだろう? セトホドン。
 ところで、セトホドン、継体天皇の平べったい名前はなんちゅうんカネ。高校生の歴史参考
書には出てなかった。

[2855] Re[2852][2849]: 国は神か。今の日本では国民に祟っているような・・。  Setoh 2002/04/21(Sun) 16:15 [Reply]
玄松子さん> 大国主は、「国土」を統べるもの。大物主は、「国民」を統べるものでしょ。
玄松子さん> 英語の、ハウスとホームの違いに似た印象ですね。
分かり易い例え話ですね。
『筑前国風土記逸文』に大物主が神功皇后が徴発した兵を逃亡させていますが,おっしゃる通り民生の神のにおいがしますね。

ひふみさん> 国を統治する意味での「マツリ(政)」は、もしかしたら様々な民や部族が祭っていた神ひふみさん> 々を、強い部族が自身の祭る神により、マツリ合わす為のものだったかもしれません。
 ひふみ祝詞の饒速日命のフルネームとされる天照国照彦火明櫛玉饒速日命なんかは,マツリ合わせの神名でしょうね。御子神にしたり合成したり,あいまいと朧月夜を好む(竹村健一氏)日本人的統一の歴史があったのでしょうね。

 諾册二尊の国生みの際、例えば「粟の国を大宣都比売といい,筑紫の国を白日別という」としていますね。どうも国を擬神化していると言うか、神と見なしているように感じますね。

 大物主を,藤原時代かそれ以降かに出来たとされる『出雲国造神賀詞』では「己命の和魂を八咫の鏡に取り託けて倭の大物主の櫛ミカ玉の命と名を称え」とあるように,大物主をして櫛ミカ(長瓦)玉と別の名をつけています。

 この櫛とは,ミカ(甕と言う字でいきます)とは,玉(魂)とは一体何でしょう。 
 櫛は薬で酒,だから酒作りの瓶の魂,とする解釈がありますが,あの大物主をしてこの名前で称えたことになるんでしょうか。(酒造りを見下すという意味ではなく,民生の神らしくとの気持ちで)

 大物主は百襲姫の櫛箱に入っていた。稲田姫は櫛になって素盞嗚尊の頭に依り、力を与えたとか,もっと神々しいクシミカタマの解釈はないんでしょうか。

[2854]   現在得られている結果としての概念からものを観るのではなく   出戻り 紋次郎 [Mail] 2002/04/21(Sun) 07:59 [Reply]
 そりゃぁ、時間経過とともに、ひとつの概念にはいろんな文化のカスがつまって、堆積していま
すよ。それを……、いま得られている特定概念のすべてに整合する解釈を“現在の視点”から観る
のはイケナイと思います。ものには始原がある。縄文期にはその概念も素朴にできていた。そこか
ら、いろんな附随概念がくっついて現在を迎えたわけです。
 サバエの面目ここに躍如カネ。

 聖徳太子という人物像、その呼称ともにでっち上げだという説がつよいようです。
 それかあらぬか、聖徳太子の周辺人物の名前が固有名詞ではなく「普通名詞」に還元される現象を、おらは NHKドラマの『聖徳太子』放映の直後にここ(「神奈備掲示板」)にカキコしました。

 崇神天皇・垂仁天皇の存在もデッチあげられていたのなら、ここをめぐってのご本人さんたちと周辺人物の名前も、聖徳太子同様に普通名詞に還元できてもいい。
 だが、ちょと実力がたりない。とくに「イリ王朝」といわれている「イリ」が不明。
 されど……。つづきはいまからサバエで五月蝿あるよ。

 ひふみさん、まつりの語源はサバエで五月蝿。三種の語源があります。
 セトホドン、「もの」の語源もサバエで五月蝿。
 ただし、「モノ」の一般形として「くに・ひと」を提示しましたが、「モノノケ」の「モノ」はちょと自信がない。モノノケがぜんぶ地縛霊ならこれでいいが、この場合のモノとは「生きもの・死にもの」を越えた霊体みたいな概念だろうから……。
 ただ、このモノノケのモノはとても古いのではないかと思われます。

 ニコルさんがイヌイット(エスキモー)がマンモスを狩るときの歌を紹介しておられましたが、そのなかでマンモスのことを「カイ・フォン・ケー」と呼んでいるのです。
 このケーはモノノケの「ケ」ではないかと五月蝿します。マンモスが死滅した最後の年代は6300年前です。
 ホトケの「ケ」はモノノケのケであると同時にターラ(シュロの木・黒い柱)の毛だと思う。ネパール語の毛は KES 。
 これらは、少なくとも3万年の時間経過を持っているエデン語彙ではないでしょうか。
                      ケ〜〜ッ ケ・ヶ・ヶッ!!

[2853] Re[2849]: 国は神か。今の日本では国民に祟っているような・・。  玄松子 2002/04/21(Sun) 07:38 [Reply]
> 大国主神の後裔として大物主神が登場するようなイメージで考えていましたが,ここに「国」=「物」の概念があるのではないでしょうか。

大国主は、「国土」を統べるもの。大物主は、「国民」を統べるものでしょ。
英語の、ハウスとホームの違いに似た印象ですね。
大国・大物には、それ自体、神という概念はないのではないでしょうか。
神代のことですから、国民全部が、神とは言えますが。

[2852] Re[2849]: 国は神か。今の日本では国民に祟っているような・・。  ひふみ 2002/04/21(Sun) 02:39 [Reply]
あくまで、私見ですが。
「国」を「土地」として見た場合、それは、「神」なのでしょう。
しかし、「国」という単位で見た場合、それは「=神」なのでしょうか。
「祭り」とは、天と地、神と人とをマツリ合わす為のものではと思います。
けれども、国を統治する意味での「マツリ(政)」は、もしかしたら様々な民や部族が祭っていた神々を、強い部族が自身の祭る神により、マツリ合わす為のものだったかもしれません。

しかし、様々な民がそれぞれ祭っていた神は本来、その部族の御先祖だったりそうでなくても、人々がその地の食べ物や水や空気などを介し、その身体を生かす為の源になっているもの。そう簡単な事ではなかったのでしょう。
崇神天皇の御代に、そのゆがみが様々な形で出てきたのかもしれません。
それほど、この時代に神々の祀り直しが多い様な気がします。
大神神社もそうですが、熊野本宮・伊勢神宮もそうですね。

それから2000年と少したった今、食べ物や水がどんどん他国から輸入されている時代。
これを日本の国魂の解体と見るべきか、地球規模での神々の祀り直しと見るべきか。
それは、今に生きる私達次第なのでしょうか。
(ちょっと、神奈備からはずれちゃいました?)

[2851] Re[2850]:  紀記の交差点・崇神・垂仁天皇     玄松子 2002/04/21(Sun) 01:25 [Reply]
>  おいでませぇ、うるさサバエに。

「ほにゃ」は、もう利用しないんですか?

[2850]  紀記の交差点・崇神・垂仁天皇     毛ツワリ 紋次郎 [Mail] 2002/04/20(Sat) 18:23 [Reply]
 アマカネ復活なったごたるばい。まもなく「さばえ(五月・蝿)連休」カネ。
 
 『日本の神様読み解き事典』柏書房 を読んでいた……ら、P145 に、垂仁天皇は140 年とか
153 年も寿命があった……とある。
 その次ぎにお控えなすってらっしぇぇやすのが「皇統がきれる」と心配された継体天皇。

 ぜんぜん何も知らん外国人が日本にきて、古墳しらべていたら、古墳から忽然として耳輪や
ネックレスが消えた時期があることを知ってギョとなるはずだ。この時期は崇神天皇・垂仁天皇
の時間帯である。
 また、トップの死に殉死する風習を「おやめなさい」と言ったと書いてあるのもこの時期。
 殉死の代替品として墳墓を飾っていたハニワが消えたのもこの時期。

 おら、フヴヒーさんのオネラの焦点も、この時期にしぼればいいんじゃないかと惟ふ。
 よくはシランが、そうなってるんじゃなかろうか。
 
 おいでませぇ、うるさサバエに。

[2849] 国は神か。今の日本では国民に祟っているような・・。  Setoh 2002/04/19(Fri) 21:37 [Reply]
HPの金峯神社の所にも書きましたが, 吉野の高城山(展望台あり)から国見をしてきました。見ると言う動作を呪術的に解釈すると,これは支配すると言う意味があることを実感しました。小生がガキの時代(今でも気分はそうですが)には,「チンチンを見せたらお嫁さんをもらえない」とか,「裸を見せたらお嫁にいけない」と言うことがよく言われていました。その時代まで「見る」「見られる」と言うことが呪術的に意識に残っていたのでしょう。

さて,『蛇神の履歴書』でうまく触れられなかったのですが,大国主神の後裔として大物主神が登場するようなイメージで考えていましたが,ここに「国」=「物」の概念があるのではないでしょうか。
「物」は「神」「鬼」の概念は既に指摘されているのですが,これらを敷衍すると「国」=「神」となりますが,これは理屈がつくのでしょうか。
国魂と言う言葉があります。魂とは生命力であり霊力であると土橋寛著の『日本語に探る古代信仰』に記されています。生命力であり霊力をもつものとして「国」があると言うことは,「国」に神の要素はあり得ると言えます。
 国を統治するのことを政(まつり)と称し、祀りごとでもあり,男弟と卑弥呼とのコンビもあったようで,国は神の扱いだったと言えます。

 大物主は大国主に対しておのれを(三輪山に)祀れと指示をしています。「大国主は大物主を三輪に祀った」と言うことは『記紀』には書かれていませんね。ほったらかしだったのでは。崇神朝の初期までほったらかし,祀られない神が荒魂となり,タタリ神になるとか。

 三輪の神の娘にタタラ姫がいました。また崇神朝の時代,三輪の神はタタリました。タタラとは鉄生産に使うフイゴのようなものとか,このタタは三輪神を祀った大田田根子に通じるんでしょうか。

[2848] Re[2847]: 線をどんどん引っぱって。  Setoh 2002/04/17(Wed) 10:27 [Reply]
> 吉野のお寺や神社って、一直線に並んでいるように見えませんか。

ひふみさん,ありがとうございます。
「宿」は概ね、「しゅく」と読むようですね。

所で,吉野の聖なるラインのご参考に,近畿地方で吉野にからみそうな神社,即ち社名祭神名に「吉野」がつく神社を探して見ました。(除く:奈良県吉野町)
滋賀県坂田郡伊吹町吉槻 吉野神社「瀬織津姫神,武甕槌大神」
京都府福知山市大内東山 三吉野神社「金山彦神」
京都府宮津市文殊ノ谷 吉野神社「吉野大神」
京都府竹野郡網野町 東吉野神社「広国押建金日命」
大阪府八尾市神立 玉祖神社摂社吉野三十八神社「木花開耶姫命」
兵庫県城崎郡香住町 吉野神社「吉野権現」
兵庫県城崎郡日高町 三柱神社摂社吉野神社「吉野権現」
奈良県吉野郡下市町 波比売神社摂社吉野神宮「後醍醐天皇」
奈良県吉野郡天川村 天河神社「吉野坐大神」

 滋賀県は祭神と住所から見て偶然吉野かも。波比売神社摂社は明治以降。
概ね並びますね。
ひふみさんの炯眼に敬意を表します。



[2847] 線をどんどん引っぱって。  ひふみ 2002/04/17(Wed) 04:00 [Reply]
吉野のお寺や神社って、一直線に並んでいるように見えませんか。
というわけで、引っぱってみました。
すると、いろんな所が線上に。以下、目に付いた所を羅列します。

「愛染の宿」から、「吉野八社明神(それぞれ)」「金峯山寺蔵王堂」「吉野神宮」。

東南に。
奥駆け道「百丁茶屋」「五番関」「鐘掛け岩」「山上ヶ岳・大峰山寺本堂(昭文社の地図では、場所がずれています。別院と書いてあるのが本堂。)」「竜ヶ岳」「大普賢岳」「笙ノ窟」「上北山村・水分神社」。

北西に。
「比曾寺」「壺阪寺」「東明神古墳」「マルコ山古墳」「貝吹山」「益田岩船」「忌部山」「竜田大社」「朝護孫子寺」「信貴山」「花岡山」
そして以前、琵琶湖と淡路島の中心軸だろうと教えて頂いた吹田市の「伊射奈岐神社」。
「箕生」を通り、「鉢伏山」「青貝山」「行者山」・・・。

残念ながら、奈良と大阪の地図しかなかったので続きは又今度。



[2846] 「宿」という意味  ひふみ 2002/04/17(Wed) 03:32 [Reply]
Setoh様、なにがし様、こんばんわ。
吉野は観光地なので、おいしい楽しいお宿も多々ある事は事実なのですが・・・。
残念ながら、「愛染の宿」はそのようなお宿とは、ちょっと違います。

Setoh様ご指摘の通り、大峰七五靡(なびき)中、「宿」と名が付く場所はいくつか。
今現在は、確かに20そこそこの数だと思いますが、鎌倉時代には「大峰120宿」と言われたとか。といっても実際は70くらいで、縁起担ぎで先に数を決めたのではという説もあるそうです。その後、42宿といわれた時期もあったそうで、時代によって山伏の宗派によって、色々数は変化したようですね。
又、昔は「逆峯(吉野から熊野へ)」の時は70日前後、「順峯(熊野から吉野へ)」の時は100日前後かかるとされたので、七五靡きは逆峯の、120宿は順峯での行をする場所の事ではないかという方もいます。(それぞれの宗派で行の仕方が違うので。)
昔(といっても江戸時代)に描かれた絵巻を見ていると、確かにお宿というよりは、雨露をしのぐ建物といった感じもします。

さて、「宿」の意味。大峰奥駆け道にあるという事でもわかるように、各宿は峰中の霊地・行場につくられた様です。つまり、籠山修行の為のものなのでしょう。
以前この神奈備で、紋次郎様が、「旅人は柱(神そのもの)に抱かれて一夜を過ごしたのら。それが宿(シュク)。」と言われていましたが、まさにそうなのでしょう。
大峰における「宿」とは、神霊のおわす山の中に自らを「宿」し、そして自らの中に山の霊気を「宿」し、「天と地を結ぶ柱」である事を目指す為の場所なのではと思います。
山の中で天と地をつないで立つ、巨木や巨石そして山そのもののように。
修験とは本来、古来より続いて来た自然信仰がベースになっているような気がします。


[2845] Re[2844]: 愛染の宿  Setoh 2002/04/16(Tue) 20:16 [Reply]
> 「愛染の宿」って宿泊できるんですか?setoh様はお泊りになられたんですか?どんな食べ物が食べれるのか興味津々です。

流石!グルメのなにがしさん。恭子さんが接待役で・・面白い宿でした。ならいいんですが。
 「宿」は熊野−吉野の奥駈け75の靡きの行場があり,内、宿とつくのは20を数えます。(大和紀伊寺院神社大事典の吉野から)
 丹生都比売神社にあった長床のようなものかと勝手に想像しているのですが,ひふみさん,いかがでしょうか。
 吉野での名産は葛ですね。黒砂糖のたれにつけて葛切りはその甘さが気にならないさっぱり感のあるものでした。

[2844] 愛染の宿  なにがし [Url] 2002/04/16(Tue) 18:25 [Reply]
setoh様
「愛染の宿」って宿泊できるんですか?setoh様はお泊りになられたんですか?どんな食べ物が食べれるのか興味津々です。精進料理なのだろうか、それとも修験的ななにか食べ物なのか。変わった食べ物なら泊まって見たいです。

[2843] ネットの著作権  玄松子 2002/04/16(Tue) 09:27 [Reply]
東京地裁が、インターネットの掲示板に書き込んだ発言に著作権を認めましたね。匿名投稿でも権利はあるそうです。
ネットで検索した結果を、書き込みに引用する場合も考慮が必要です。
みなさん気をつけましょう。

[2842] Re[2839][2838]: 美嚢川再び  香具 2002/04/15(Mon) 22:17 [Reply]
 すみません。衣笠神社の近くまでは通ったのですが、ゑう参拝できませんでした。衣笠神社の南といえば蓮華寺なのですが、石上山からはかなり西になります。付近の住民の方々はこの手の伝説は苦手のようなので、資料や郷土史家の先生から攻めないと難しいでしょうね。このあたり一帯は戦国時代の三木合戦の舞台で、ことごとく焼失した凄惨な土地のようです。古代からの伝承は一旦その頃に断絶したと覚悟してもいいでしょう。その後は、復活・復興の形態だと思います。
 県道20号線加古川三田線の衣笠神社を望む東中のバス亭あたりでは30000歩を越えたぐらいで、馴らし歩きの足が引き攣りまくっていました。付近の衣笠神社や桾原神社(クヌギハラ)、笹原神社さま他では、境内まで立寄れず県道からの会釈にも関わらず、足の痛みをその都度ごと緩めて頂いきました。日頃の不信心、不遜な振舞いを悔悟の至りです。両足の伸筋も屈筋も攣ると、伸ばすも地獄、曲げるも地獄と『笑うてなしゃーない』棒立ち状態になります。徐々に馴らさなあきまへんナァ〜。頼りない報告で失礼致しました。

[2841] Re[2809]: 蔵王権現に関する妄想  Setoh 2002/04/15(Mon) 19:48 [Reply]
> 又全然関係ないけれど(中略)この場合のアレは、アレオトメとかのアレと言う意味で、神の意を現せる人と言う意味ではないのかしらと思ったりもします。いかがでしょう。

信濃国筑摩郡(塩尻市)に式内社の阿禮神社が鎮座しています。
以下『日本の神々9』からざーっと。
「アレイ」「アレ」の二訓があります。
素盞嗚尊を祭神として,出雲国で大蛇を切った後、信濃国塩川荒彦山の悪鬼をを宝剣を以て撃ち鎮めたことで,劔の徳に依って荒井大平なりと云う意を,中比に和訓して所の名とし,阿礼平と称す、此の尊則此の嶺に化現ましまししとなり。以上
とあるそうですが,やはり素尊があらわれたと云うことでしょう。
 それはともかく,鎮座地は塩尻平野をうるおす鉢伏山につらなっており,水分神の性格があったとのことです。アレと水分おおいに関係しそうですね。
 吉野の水分峰から三つに分かれた神社の話に,突然のアレ,これが水分とすると,アクアのレレレの蠅声叔父さんが登場しそうですね。

[2839] Re[2838]: 美嚢川再び  Setoh 2002/04/15(Mon) 18:32 [Reply]
> 三木市石上山(いしがみやま)に登ってきました。

香具さん石上山ご苦労様でした。ゴルフ銀座のど真ん中ですね。やはり神体山なのでしょうね。
石上山の西側に衣笠神社が鎮座していますね。ここの由緒に「伝え云う 初め南磐石に天降り給い 云々とありますね。
南磐石,一体どこでしょうか。

[2838] 美嚢川再び  香具 [Mail] 2002/04/15(Mon) 16:18 [Reply]
三木市石上山(いしがみやま)に登ってきました。
 垂穂の御酒神社側から山裾へ入り始めましたが、途中の田畑や民家のあるあたりで、道が平成3年作製の地図とは異なってきました。
 そこで大きな家を選んで道を尋ねてみたら、『今はもう山に入る道はない』とえらく拒絶され、しつこく目的を聞かれてしまいました。松茸でも採れるからかと質問したら、採れなくなったので人は入らんという始末。仕方なく見切りをつけて進むと山際は砂防工事で大々的に土木の造成中でした。(これを取材されると勘繰られたのでしょうか)
 現場には慣れているし、山を見ると関電の鉄塔があり送電線が山を横断しているので、あたりの様子をみて鉄塔のメンテナンス用の道を探し出しました。尾根には鉄塔から鉄塔へのしっかりした道があり、楽に行き来できるのですが、雑木林に囲まれて全く視界が開けません。
 石上山山頂附近と思しき所にもこれといった特徴がなく、周囲に磐座など見つけられませんでした。倒壊した古びた小さな墓石が一基あっただけです。
 そこから口吉川町のほうへ下ろうとしたのですが、道は下る気配もなくさらに別の方向に伸びていたので、やむなく斜面直進薮漕ぎ30分で果樹園に出ました(よい子はまねしないでね)。毎度のことですが麓に近いほど笹などが生い茂り難渋します。見通しの利かない里山も危ない処ですね。久々に伝家の宝刀(山ナタですけど)『薮枯らし』を使いました。(普段は薮を『漕ぐ』ので滅多に使いません。環境に配慮)
 結局、石上山では収穫はありませんでした。2百数十mの低い丘のような山ですが、ハイカーの行くような所ではないので、お勧めできません。なだらかでピークが判りにくいですし。眺望は0です、たぶん迷うと思います。
 この『石上』(いしがみ)というのは、麓の御酒神社の巨岩のことでしょうか。

 その後、美嚢川に沿って歩き、口吉川町の善祥寺、吉祥寺と巡りました。由緒は古いが鄙びた村のお寺で落ち着いた良さがありました。善祥寺の鎮守社、わらぶきの珍しい(と思うのですが)写真を何枚か撮影しました。素人の拙い画像ですが、遠方の方でご要望がございましたら、メールにてご連絡下さい。
『密教院・善祥寺/鎮守社』
http://www.city.miki.hyogo.jp/tra-hi/sisek03f.htm

[2836] Re[2832]: 愛染の宿について  Setoh 2002/04/14(Sun) 13:13 [Reply]
> 私が主人だったら器量を謀る行為は好きではないので奥駆けしますが。

雄一さん,どうも意味が判りませんね。なんだっしゃろかいな。
「器量を謀る」人間の器量をどう計るんでしょうか。所で「謀る」ものですか?

[2835] Re[2829]: たんかんさ〜おっとい  Setoh 2002/04/14(Sun) 13:10 [Reply]
nickさん こんにちは。
見つかってよかったですね。普段はどこでお祀りするんでしょうか。お地蔵さんのように道端?
「持ち回り田の神」って、田の神の石像をお家の床の間に祭って御神酒を差し上げたりする風習が残っているそうですが,そう言ったものでしょうか。

[2834] Re[2832]: 追加の質問  ひふみ 2002/04/14(Sun) 12:34 [Reply]
> 私が主人だったら器量を謀る行為は好きではないので奥駆けしますが。

これを読んでた主人が、「雄一さんも奥駆けしていらっしゃる人なのかなあ。」と、申しておりました。いかがでしょう?文章の主旨が、良くわからなかったもので・・・。

[2833] Re[2832]: ???  ひふみ 2002/04/14(Sun) 12:13 [Reply]
> ご主人は奥駆けをしている方でしたか。
> もしかしたら三人ほど弟子をお持ちかも。
> 私が主人だったら器量を謀る行為は好きではないので奥駆けしますが。

奥駆けは、山伏さんのお寺なら、結構あちらこちらでされています。
基本的に、申し込めばどなたでも参加できます。
(一年に一回ぐらい、お寺主催でされています。)

主人は、子供は三人いますが、弟子など恐れ多い。お友達ならいっぱいいますが。
私が認識する山伏とは、あくまで山に伏せる者であり、奥駆けとは山に抱かれながら、自分自身や自然、つまり生きとし生けるものとの対話だと、思っております。
そういう意味では、神社に参拝させて頂く心持ちに近いかもしれませんね。
歩くところ、全て霊場ともいえるかもしれないし。
そういえば、奥駆けの事を「歩く禅」ともいうそうです。


[2832] 愛染の宿について  雄一 2002/04/14(Sun) 02:02 [Reply]
ご主人は奥駆けをしている方でしたか。
もしかしたら三人ほど弟子をお持ちかも。
私が主人だったら器量を謀る行為は好きではないので奥駆けしますが。

[2831] Re[2828]: 愛染の宿・追加  Setoh 2002/04/13(Sat) 20:31 [Reply]
> Setoh様、愛染の宿、残念ながら今は石碑しか残っていないそうです。
> 主人曰く、奥駆けの時に先に書いたような説明があるそうです。
ご主人は奥駆けをされておられるのですか。凄いですね。

吉野八社明神
幣掛(四手掛),威徳天神,井光明神(佐抛とされる),勝手明神(式内吉野山口神社),夢違観音堂(雨師観音)、子守明神(式内吉野水分神社)、牛頭天王社、金精明神(式内金峯神社)
と愛染の宿の写真を下記に掲示しました。

 近鉄の吉野駅を降りてケーブルに乗らず坂を登り始めますと,新緑の中にから湧き出す清水を手水舎としている幣掛神社が鎮座しています。

 蔵王堂の中に色彩の鮮やかな威徳天神社が鎮座しています。

 勝手神社は焼失後の姿を青いカバーで覆われていました。仮殿は吉水神社に設けられています。

 御幸の芝明神は数年前に弁当を食べた所でした。

 子守明神はあいかわらず,朱色の鳥居山門と本殿の檜皮葺のコントラストが素晴らしい神社です。

 金精明神の社務所も焼失したようです。

 西行庵へ行かずに大台ヶ原方面への道をとりますと,役10分程度で愛染の宿とおぼしき跡地にでます。

http://photo.goo.ne.jp/user/kamnavi

[2830]   一宿一飯  と  MO-DOS-i       毛ツワリ 紋次郎 2002/04/13(Sat) 10:25 [Reply]
 ひふみちゃん、アマカネ
 五重塔から宝塔になったとたんに、びんぼう紋次郎は旅を想い、一宿一飯を想い、
目を光らせはじめやした。
 むかしの旅は現代人が想像するほど危険な旅ではなかった。ナァーンデカ?
 それはね、シナの敗北組は社会組織をそのままにして、日本列島各地に割拠した
かァ〜〜ら、オ・レイ。
 また、平野は狭く、追い剥ぎ強盗をしたところで、逃げようにも逃げる先がなかっ
た。また、新規渡来人も、天地の恵みに感謝し、こころに鍵をかけることができる民
へと変わった。
 旅人は柱(神そのもの)に抱かれて一夜を過ごしたのら。それが宿(シュク)。
 その点、海はちがっていた。筑豊は海賊の巣だった。
 それを、ことばで追いかける。『蝿声(さばえ)板』にご来駕あれ。

 ニックさん、いいこと聞かせてもろた。
 おかげで、沖縄のアミドシの「ドシ」が「仲間ごと」だと踏ん切れました。
 川内(せんだい……鹿児島県)市のクラノドンはまだ健在にごわそうか。お札が降
りないと農作業を始めてはいけないというアレ。
 終戦直後、太宰府都府楼の礎石を、秋月(昔は秋月藩)の青年たちがリヤカーで持
ち帰っていた。
 人間は重けりゃそれだけで価値を感じる。
 おらは、プラスチック成型で打ち出の小槌つくって、そのなかにセメントつめて
売ったことがある。金色のジョウ着メッキして……な。
 ニックさん、「こっとい」の意味、『蝿声(さばえ)板』でお教えアマカネ。

[2829] たんかんさ〜おっとい  nick [Mail] [Url] 2002/04/13(Sat) 06:08 [Reply]
当地、南九州出水地方の「田の神」様が
過日、お隠れになられました。。
数拾キロはあるというこれらの石像を、
ふとどきな輩が持ち去ったというのです。

本来当地には
「持ち回り田の神」とか
「田の神もどし」といった
風習はありますが、、、

それにしてもこんな重たいものを、
すぐ足が付きそうなのに、どうして、、、と
疑いたくもなります。

今朝のニュースによると、読売新聞の記者さんが
精力的に探索され、その結果、熊本の骨董店で発見された
そうです。
盗まれた像は全部で4体。それら全てが同一人物によって
持ち込まれたそうです。
案外、犯人もくたびれ損に終ったのでは。。。

[2828] 愛染の宿・追加  ひふみ 2002/04/13(Sat) 01:57 [Reply]
Setoh様、愛染の宿、残念ながら今は石碑しか残っていないそうです。
主人曰く、奥駆けの時に先に書いたような説明があるそうです。
別の本で見たら、安禅寺というお寺があったそうで、絵巻で五重塔のようなものがあると思ったものは、「愛染宝塔」というのがあったそうで、それがこの場所の名前の由来になっているそうです。
確認はしていないけれど、もしかしたら、今、金峯山寺蔵王堂の敷地の中、向かって右側に祭られている愛染明王は、そこからお遷ししたものかもしれませんね。

[2827] はじめまして  THE古墳NET 首長 [Url] 2002/04/12(Fri) 17:11 [Reply]
はじめまして、私どもは、岡山県の古墳の案内と古墳の被葬者の推測をしています。被葬者を割り出すために、その時代の歴史や人物を調べて貴サイトにたどり着きまして足跡を残させていただきました。なにせ古墳や古代史など、ど素人からスタートしています。これからも訪問させていただきますのでよろしくお願いいたします。

[2826] Re[2821][2817]: 花も嵐も〜♪  Setoh 2002/04/12(Fri) 13:21 [Reply]
> > 吉野の青根ケ峯から金峯神社への途中に「愛染の宿」と言う所があります。

ありがとうございます。明日にでも行ってみます。

紋チャン。やっとまともな「タイトル」になったね。
疑紋> ニギハヤヒ命降臨の物部三十二神とはナニですかいのう。
とりあえず,下記を参照して下さい。
http://www.kamnavi.net/mn/monosiryou.htm

天三降命は宇佐国造の祖だとよ。

> 天八百日尊・天三下尊の化身した2童子
あめのやおひのみこと、あめのみさがりのみこと

京都府山城町の天神神社 このコンビです。神童寺の近くですね。
大分県千歳村の六柱社
に天合魂命、天八十萬魂命、天八下魂命、天三下魂命、国常立命がいます。
天合魂命、天八十萬魂命、天八下魂命、天三下魂命は『記紀』には出てきません。
物部の『先代旧事本紀』神代系紀の神代七代にその名が見えます。記紀とは別の系統の天孫降臨神話の神々だったのでしょう。中臣氏の祖神に見えますが,出典はなんだろう。

賀茂系の役小角がどこでおそらくは中臣氏か物部氏とつながったのでしょうか。後には弓削道鏡なんかで修験と物部はつながりますね。

[2825]   GO HAT YA は「牛・屠殺・人」     毛ツワリ 紋次郎 2002/04/12(Fri) 12:52 [Reply]
 ひふみちゃん、あがあが。
 お陰で「ごとびき岩」の GO が牛であること(牛=神)がほとんどまちがいないとの
認識に達しました。だが「 TO 」が依然としてワカリません。こんごもアマカネね。

 蝿板では「わくど(九州弁 ; 蛙 ) 」がバレました。谷ぐく(日本古語、蛙)のグク
は、いま騒がれているアフガニスタンなどにいるタジク(民族)語にありました。

 戦後まもなくのころでした。おらのおふくろは正直者でしたので「蛙だ」と言ってし
まいました。食用蛙だったのですが、あわてて呑込んだので味は忘れました。3回ほど
食べさせられたことを覚えています。
 コスタリカの赤いアマガエルは猛毒を持っているそうですね。天敵はなんでしょうか。

 伊那のクロカワムシ、なんといいましたかね。
 人間は草原に出てギッチョンを食べたので染色体に変化がおきたという人がいました。
 南の島、満月の夜、ゴカイみたいな虫の大群が押しよせてくる。それはそれはメチャ
うまいそうです。
 おらは“ヤミ汁”でミミズを食べさせられましただ。古代金属精錬士も食ったでしょう。

[2824] ところで、カエル。ご存知かもしれませんが・・  ひふみ 2002/04/12(Fri) 08:37 [Reply]
そういえば、カエルの話が出ていましたね。
別に、古代人じゃなくても今でもカエルって食べますよね。
近所(といっても、うちから車で40分)の居酒屋メニューで、昔見たような覚えが。
ヤキトリみたいにして食べます。串に刺して、火であぶって。鶏のようなあっさりした味だそうです。(私は、食べた事はないけど)

母が、長野の出なので、食べた話聞きました。
もっとも、わざわざ捕ったのではなく、戦中戦後の理科の解剖実験の後の話ですが。
長野は虫系も食べるので、何でも食べるお国柄なのかもしれません。
でも、食用蛙なるものもあるくらいですから、別に珍しい事ではなかったのかも。
ただ、ウシガエル(ゴトビキガエル)に関しては、皮膚に毒があるから素手では触らないそうです。ウルシの様なものでしょうか。

[2823]   いい気になりやがって……      毛ツワリ 紋次郎 2002/04/12(Fri) 08:33 [Reply]
☆ 遮光器土偶の日本列島上陸は 3000 年前ですので、ネパール文化はいちおう
  3300 年前あたりから、この日本列島に来ていた……と思っていいでしょう。
  まだシランひとに申しあげますが、遮光器土偶はインド中央のデカン高原に
  住んでいるアディバシーという狩猟民が、代々伝え拝跪してきた神像と瓜二
  つに酷似しているのです。なにも関係ないわきゃネーダロー?
  3300年前……、これ、ア−リア人の南下と密接な関係があると思われます。

☆ そうすると、その先祖の一部がインドにいたころに受けたインド文化がどの
  ようだったかを第一段階として把握しなければならん。
  シバ神は 2000 もの別名を持っているので、一種の多種族統一神はできあが
  りつつあっただろうが、まだ「シバ」という名前は固着してなかっただろう。
  そのご、シナでの敗北組が次から次にやってくるのですが、その多くの敗北
  組のうち、ネパールとかその周辺言語・文化をもった連中が一種の既得権を
  えたようななりゆきで、それまでの古層日本文化を「うわ塗り」しました。
  この段階で、シャリ(米)、ホトケ、ミロク、世話、ハンニャ、サガ(性)
  ハシ(橋・柱)などなどの「プレ・サンスクリット文化語=物部語」が定着
  したところへ、パーリ語〜サンスクリット語〜シナ経由の仏教顕教がはいっ
  てくるのです。
  「プレ・サンスクリット文化語=物部語」とは神社文化で、顕教の お寺文化
  と対峙すると考えられます。

☆ さすが玄象師師ドン、ものすごいこと言わはる。
  『ニギハヤヒ命降臨の物部三十二神』とはナニですかいのう。物部という用語
  は天孫降臨の古い時代から用いられていたのですか!? お教えください。
  お教えくださったら、32の秘密を蝿ぶんぶんでぶちまけやしょう。

☆ 愛染……、最後の帝王、満州のアイシンカツ(ク)ラ・フギ / aisin(満州語 ; 金)
  おあし(ぜに)。金毘羅さんに近いそうで……。アイゼンならドイツ語の「鉄」。

[2822] 困った神だ。  雄一 2002/04/12(Fri) 01:30 [Reply]
磯から来たのは、熊の威を借りる天日槍。(虎でもいいですが。)
悪戯が好きな神のようです。

[2821] Re[2817]: 花も嵐も〜♪  ひふみ 2002/04/12(Fri) 01:18 [Reply]
> 吉野の青根ケ峯から金峯神社への途中に「愛染の宿」と言う所があります。

「愛染の宿」ここは、実は吉野では最重要ポイントです。
こここそが、吉野における修験者達の集う本来の場所だったのだそうです。
昔は寺院も多々あったそうですが、廃仏毀釈で、無くなってしまったそうです
かの「西行庵」も、ここにあります。
天明年間に描かれた「大峯秘密絵巻」なるものを見ると、五重塔のようなものまで描かれているので、かなりの規模のものだったようですね。
ただし、ここには「吉野奥院安禅」と書かれているので、愛染明王と関係があったかどうかはわかりません。
でも、金峯山寺蔵王堂の前に、愛染明王をお祭りしている所があるので、あながち無関係とは言えないかもしれません。

芝明神に関しては、実際はそこに行くと八大竜王が祭られていた記憶があります。
そしてその傍らには、(ここにも!)牛頭天王の祠があります。
参考までに。

[2820]   図 に 乗 り や が っ て … …  毛ツワリ 紋次郎 2002/04/11(Thu) 19:25 [Reply]
瀬藤ドン>たしか吉野の国栖の民は蛙を食って いたとか。
☆ イヤァ〜ッ 出ました。
  おらも、昔のひとはカエルを食わなかったはずはない……と、思っていたのです。
  ミナシャン、このカエルには毒があること、知ってたァ?
  「ごとびき岩」のビキとはカエルのことで、その語源はネパール語 BIK(毒) i (
  者)が語源だと思われます。九州弁 ; ビキ。アイヌ語でもビキ、ビッキです。
  何らかの方法でカエルが食べられるようになるということは、ヒジョ−にダイジな
  ことです。
  それは、狩猟民であれ農耕民であれ、食べ方さえ知っていたら、飼育も容易ですし
  農耕社会が何度も何度も味わった飢饉のときにも、ヘッチャラだったわけです。
  ですが、セトホドンにはわーるいが、ここは、その食いかたが忘れられた……か
  食ったという情報そのものがウソだったのギリギリの瀬藤ギワざんす。

  新しい展開を約束するのは、なんでもかんでも肯定することです。
  人類や日本人はこれで滅びる(マイナス志向)と決めつけることは、未来にフタを
  することです。カエル……は食えるのです!

  極端にいえば、むかしの金属精錬士はカナヅチ一本を持って山奥に入って、青銅や
  鉄をモノにしたのです。山に入るのはボサ(薮)の少ない冬期です。食糧は現地調
  達しかテはありません。
  最初に諏訪に入った金属精錬士(名前はモリヤさん)もその例外ではなかったらし
  いです。諏訪神社には、冬に蛙を掘りだす神事があります。

  カエルの毒を中和させる方法……おらが直感ですが、カツラの葉を煮込むのではな
  かっただろうか。

[2819] Re[2818]: 花も嵐も〜♪  玄松子 2002/04/11(Thu) 17:14 [Reply]
書き込みボタンを押した瞬間に気づいたこと。

>ニギハヤヒ命降臨の物部三十二神の「天三降命」ですね。

天三降って、降三世明王のことかも。
吉野八社には、大威徳明王らしきものも見えます。
五大明王として、不動・降三世・軍茶利・大威徳・金剛夜叉。
他の明王では、愛染明王や孔雀明王などが有名ですね。

[2818] Re[2817]: 花も嵐も〜♪  玄松子 2002/04/11(Thu) 17:05 [Reply]
http://yamashiro.kyoto-fsci.or.jp/guide/spot/jindo.html

このページに、神童寺の記事がありますが、その中に、
「役小角(役行者)が神のすすめにより、天八百日尊・天三下尊の化身した2童子に助けられて」とあります。
以前、「受鬘命が三十二神の一柱」の出自を聞きましたが、「=天三下尊」と考えると、ニギハヤヒ命降臨の物部三十二神の「天三降命」ですね。
本来は宇佐の祖神とされていますが、三下は、「三分割した際に下手」を匂わせますね。

なお、当寺には、愛染明王像があるとも記されています。聖徳太子も出てますね。



> [2780] 玄松子さん> 吉野は、シヴァを中心とするヒンドゥーの神々、そんな可能性ないかなぁ。
> 気になっていた発言でした。

僕は、「気に入って」いました。
歓喜天・カンキテン・カンテン・カッテも、ありか?

勝手神は多聞天の垂迹とされています。多聞天は北方の守護神。
シヴァ神は、自分の子と知らず、歓喜天(ガネーシャ)の首をはねました。事情を知って後悔し、部下に「北へ向かって最初に見たモノの首を持って来い」と命じました。それが像の頭です。その頭を、まるでアンパンマンのように首の上に乗せて、蘇生させたのが、ガネーシャ(歓喜天)。
これも北方に縁のある神なのでした。

[2817] 花も嵐も〜♪  Setoh 2002/04/11(Thu) 15:38 [Reply]
和風は好いが、紋風もいいね〜。
神域の紋には時々毒気をまき散らす御仁がやってくる,寂しいよりは毒気の方が楽しいね。たしか吉野の国栖の民は蛙を食っていたとか。
所で
[2780] 玄松子さん> 吉野は、シヴァを中心とするヒンドゥーの神々、そんな可能性ないかなぁ。
気になっていた発言でした。
[2815] ひふみさん>
勝手神社・御幸の芝明神・吉野水分神社と並んでいるとのご指摘に「芝」があるではありませんか。
御幸の芝明神とは夢違観音堂(雨師観音)のことかどうか承知しておりませんが,芝明神ってどう言う明神なんでしょうか。
 勝手明神は,元水分を三分割した際に下手に鎮座した神,また子守・勝手・金精・佐抛の四神の一、後には吉野八社明神の一で,山への入り口,おそらくは吉野の神々への舞などの奉納の場だったのでしょう。

雄一さんは石川県でしたが,その隣の福井県の金比羅山の西に愛染寺があり,道筋に大芝山とか東には火芝山があります。金ー芝ー愛染とつながってきます。

吉野の青根ケ峯から金峯神社への途中に「愛染の宿」と言う所があります。何故愛染の宿と言うのか知りませんが,青根ケ峯に祀られていた神の遷座途中にとどまったと言うこととすれば,吉野の神は愛染の神だったと言えます。そうすると,
[2814] 香具さん>勝鬘夫人・・・「勝鬘経」、聖徳太子
でご指摘の勝鬘,勝鬘院 愛染堂は四天王寺の西に鎮座,花も嵐も〜♪の「愛染かつら」鬘と,再び吉野に戻ってしまいます。
[2813] Setoh> 勝手は下手,を示し,これは間違いのない所でしょうが,「吉野も、まだまだ謎だらけです。」と言われるひふみさんの言葉に重さを感じますね。

[2816]   の ぼ せ や が っ て     毛ツワリ 紋次郎 2002/04/11(Thu) 13:16 [Reply]
 昭和48年、村山七郎・大林太良共著 『日本語の起源』 P 187 には次のような記述これあり。
 
 「(ラムステットは)KA という [歴史時代の] 音節は KAK , KAG , KAI , KAR , KAL などに
由来するかもしれません」と述べているのは正しいことです。このような立場から日本語の KATA
「片」をツングース語の KALTA / KA (半分。一対の片方)などと比較しようとしたのであって、
氏の考えは今日からみても正当です。(村山発言)」

 ツングース語 KALTA は、祖形 AR(片一方……ネパール語、アイヌ語)に還元できます。
 日本列島が文化時代に入って、最初の基礎を固めたのはネパール語系支配者とその被支配種族
の倭蛋民で、このあと大量のシナ〜満州系の移民がありました。
 その数は圧倒的で、中央の記録に表れているものだけでも先住民の数を上まわっている。記録
に表れていない数を考えると、当時の“先住民”の3〜5倍はあったと看ていいのではないでし
ょうか。
 それら大量の流入民へ統一言語を伝えたのは、金属精錬士です。とくに、渡りカラスみたいな
後世に自由民とか芸人と呼ばれるようになるラッパ(組)の群れです。

 KALTA 中央の L は促音を呼び込み カッタになります。日本語に E 終わりが多いのは金属精
錬士……すなわち、ネパール語系言語のクセで、強調末尾辞でもあります。KATTA は KATTE に
なって「日本語らしく」落ちつきます。

 勝手神社は、同(共同体……村落)系の、(もいっちょの)別宮だったんじゃないやろカネ。

[2815] 蛇足・そのU  ひふみ 2002/04/11(Thu) 02:33 [Reply]
吉野・熊野にまたがる奥駆け道は、熊野本宮より出発する順峯(じゅんぶ)と吉野より出発する逆峯(ぎゃくぶ)とがあり、それぞれその意味が違います。
逆峯の場合は「浄土への旅」を意味しますが、順峯の場合は「生れ変わり・再生」を意味するそうです。(実は、蔵王権現の湧出岩がある大峰山上ヶ岳への登拝もそうらしい。)
根の国よりの再生みたいですね。

ところで、吉野水分神社と金峯神社のちょうど中間地点に牛頭天王社がありました。
今では、小さい祠だけですが、ここにあった山城の鎮守さんとして勧請されたようです。
実際に歩くと気が付かなかったのですが、地図で見ると、金峯山寺・勝手神社・御幸の芝明神・吉野水分神社・牛頭天王社・金峯神社とが、ほぼ等間隔に直線で並んでいました。
吉野も、まだまだ謎だらけです。

[2814] 蛇足・玉勝間  香具 2002/04/11(Thu) 00:57 [Reply]
後を濁すだけですが、『勝手考』の途中で気になったことを拾わせて下さい。
頭からすっぽり被う(オオウ)ように被る(カブル)ことを『被き(カヅキ)』。それと関連するかどうかは怪しいのですが・・・。

>[2773] Setohさん
>受鬘はウケリともよむようです。鬘は髪を飾ったりとめたりするようで・・・

女性の髪飾りで、玉勝(タマカツ)、花勝というのは、玉鬘(タマカヅラ)、花鬘の変化なのだろうと妄想してます。(ホンマカ?江戸吉原の勝山からでは・・・玉勝山の略)

鬘(カヅラ)は、髪(カミ)+蔓(ツラ)の約と辞書にありました。それで鬘は蔓草で作った髪飾り。葛、蔓ともにカヅラとも。

・・・熊白檮が葉を 髻華に插せ その子
『髻華』(ウズ)も髪飾りなんでしょうか。『受鬘』とは別?
「鬘」(バン・マン)は、かずら。
「髻」(ケイ)は、みずら。耳ずら?そうずら!(嘘)

>[2785] Setohさん
>仏教の方に「勝鬘経」と言うのがあり・・・

勝鬘夫人・・・「勝鬘経」、聖徳太子??
この『勝鬘』は音訳であって、勝と鬘が揃うのは単なる偶然なんでしょうねぇ?
そもそも「勝鬘経」の内容を知りません。
それとか『金光明最勝王経』なんて、どうなんでしょう?
これもタイトルだけですが。<(_ _)>

[2813] 下手に出れば  Setoh 2002/04/10(Wed) 13:58 [Reply]
[2747] 香具さん>勝手は弓を引くときの弦側の矢をもつ右手か
[2748] Setoh>「御厨」の意でしょうね。即ち台所
[2750] 玄松子さん>勝手は水分と対峙,「山の口」の意の有無は
[2752] のりちゃん>子守・勝手・金精・佐抛。弁財天・地蔵菩薩・蔵王権現。4と3ですが、対応してるかも。
[2755] 玄松子さん>吉野は八社明神で構成されています。蔵王権現・金精大明神・勝手大明神・子守大明神・天満大政威徳天神・牛頭天神・佐抛明神・八王子。
[2760] hvhyさん>「子守、勝手、金精、佐抛」は、みな「金星」の関連。
[2761] Setoh>受鬘命は天孫降臨に伴奉した三十二神の一で守護的役割を果たした
[2768] のりちゃん>「愛鬘命 又の御名 下照姫」と役小角・鴨と、下照姫、あり得ないことではないと思うのですが。
[2769] 玄松子さん>「日本の神々」によると、子守神が地蔵菩薩の垂迹で婦神。勝手神(山口神)は多聞天の垂迹で、その夫と考えられていたようです。
[2771] 玄松子さん>勝手も、何かの神名が変化したものかもしれない。
1.イカヅチ、ミカヅチあたりが、カヅチ→カツテとなったか?
2.勝の字は、力が騰がるの意味があるらしい。手力男の変化か?
3.葛城、葛木、高津あたりも候補かも。
4.単に、受鬘の鬘(カズラ)の訛。
[2773] Setoh>勝手(かつて)はカツキ(葛木)に近いのかと。
[2774] 玄松子さん>上手は、舞台右側で、弓を射る時の右手、川の上流つまり山手。カミテ→カッテの変化と見た場合、「上」「右」の概念。
対する下手は、舞台左手、川の下流。子守・籠・水分に「下」「左」の概念があれば、並立の意味はあります。
[2779] 紋次郎さん>だれの土地でもなく、みんなの入会地に建てたヤシロが勝手神社……どな。
 「勝手知ったる○×……」は、入会地ならばこそ。
[2780] 玄松子さん>吉野は、シヴァを中心とするヒンドゥーの神々、そんな可能性ないかなぁ。
[2785] 大三元さん>スヱ・鬘・カツラ・鴨
[2788] 紋次郎さん> あ、「勝手」の解釈ですが、日本語「かさ」と同根の古語「カッタイ(イは旧仮名)」がありました。これはタミル語、ネパール語にも同根を示す語彙があります。
 カッタイはライ病です。ライ病と勝手神社との関係はありませんカネ。
[2797] のりちゃん>「勝」「手」が、それぞれどの卦に対応するか。
「勝」は「乾」、「手」は「艮」と考えると、六十四卦で見ると、「天山遯」。
6月を意味する象でもあり、隠遁者=仙人の意味もある象です。
勝手=修験者の神という考え方ができます。
[2808] Setoh>金剛蔵王は和風仏教で,あちらの文献には出てきません。この一つのブランチが勝手明神かも知れません。
[2809] ひふみさん>勝手神社の所から、奥駆け道らしい急峻な登り坂が始まります。
[2812] Setoh>勝手明神(山口神社)はその名の様に「出入口」的な関所とでも言う存在

皆さんのお知恵はすばらしいもので,掲示板がブレーンストーミングの役割を果たす典型となりました。村山修一著『本地垂迹』に熊野曼陀羅のことを修験者がまとめた『金峯山秘密記』が紹介されています。
子守明神 地蔵菩薩の垂迹、勝手明神の妻、七珍宝衣を着し即ち左手宝珠を執り衆生行願を満たす 右手手扇をとり国土災難を払う
勝手明神 甲冑に身をつつみ 右手に剣 左手に弓を執り そのほか普通の衣冠 像は金山明神とほぼ察せられる。
とありました。
 どうやら弓をもって金精明神、水分明神を守護する神で,鎮座は下手。この下手を勝手とも言います。これは山への入り口で,山口神社と見なされるのも自然です。この辺りから勝手が台所を示すようになったのでしょう。

[2812] Re[2809]: 蔵王権現に関する妄想  Setoh 2002/04/10(Wed) 08:30 [Reply]
ひふみさん> 蔵王権現を濁らずにサ王として読むとすると、関連付けられるのがスサノオ命。

いよいよ吉野から素盞嗚尊がお出ましになりました。紀の国の式内大社の須佐神社に伝わる創建譚では「和銅6年、紀ノ川上流の大和国吉野郡の西川峯から遷座」とありまして,素尊と吉野との関連を思っていましたが,蔵王との関連は要注意ですね。
 また,伊太祁曽神社の祭神の五十猛命は大峰迦迦嶽にて科戸明神と称されており,同年に山東の地に降臨したと伝わっています。

ひふみさん> 稗田阿礼
 上賀茂神社で,5月12日の夜に行われる御阿礼神事の阿礼ですね。

[2752]のりちゃん> 子守・勝手・金精・佐抛。
吉野八社明神は,幣掛(四手掛),威徳天神,井光明神(佐抛とされる),勝手明神(式内吉野山口神社),夢違観音堂(雨師観音)、子守明神(式内吉野水分神社)、牛頭天王社、金精明神(式内金峯神社)ですね。この内四神が取り上げられていると言うことは,その頃には四社しかなかったと言うことでしょうね。
 水分神社は広野から現地へ遷座したそうで,この時に山口、水分、峯の三社に別れ、稜線上に並び立ったようです。
ひふみさん> 勝手神社の所から、奥駆け道らしい急峻な登り坂
勝手明神(山口神社)はその名の様に「出入口」的な関所とでも言う存在だったのかも知れませんね。


[2811] Re[2810]:   ケ チ を つ け る      玄松子 2002/04/10(Wed) 07:57 [Reply]
>   新しく流入・借用した語彙は、すぐ消えます。「水分(ミクマリ)」という文字
>   が古代にあったことは歴然とした事実です。だが、意味はすぐ消えた。またそれ
>   が使用されたのは神社だけ……チョウ、限定されている。
>   そういう側面からの割り出しがダイジ、なも。
>   神様や神社にまつわりついている発音の意味がワカラナイ主要原因のひとつは、
>   それが大衆と遊離していて、支配階級だけに通じる言語で構成されていたからで
>   しょう。
>   「正しい」……これ、なんじゃらホイ。

「水分」は「水を配る」という説明に、「なるほど」と、うなづき、
水を授けてくれる「えらいかみさん」が祀られているのだと、頭をたれるのは民衆。
民衆にとっては、それは、「水出」でも「水生」でもなんでもかまわない。
水という生活に(特に農耕では)無くてはならない授かり物を神に起因する考えが神社理解の正しい認識。

「支配階級だけに通じる言語で構成」。神社は常にパトロンを求めていたので、支配階級に擦り寄る事は、多いですが、中世の神人や巫女は、どちらかというと下層民です。能や狂言も、縁日や祭日に舞われた申楽が発祥。最下層の民衆です。

[2810]   ケ チ を つ け る      計都わり 紋次郎 2002/04/10(Wed) 07:25 [Reply]
 「ケチをつける」というと、現代語ではハナクソをなすりつけるみたいな、イヤら
しい発言を意味するみたいになりましたが、もともと「ケチ」とは「警告」でした。
 クマ(ゴミ)発言でも、叡智を凝らして受ければ、ウンジュの KHET(畑)の肥や
しになるこってござんしょうよ。

玄象師ドン>「分水嶺」や「川の分岐点」や「水を授かる所」が、水分神の正しい使
      用方法だと思いますよ。
☆ 別板でおおいに続けたいです。
  新しく流入・借用した語彙は、すぐ消えます。「水分(ミクマリ)」という文字
  が古代にあったことは歴然とした事実です。だが、意味はすぐ消えた。またそれ
  が使用されたのは神社だけ……チョウ、限定されている。
  そういう側面からの割り出しがダイジ、なも。
  神様や神社にまつわりついている発音の意味がワカラナイ主要原因のひとつは、
  それが大衆と遊離していて、支配階級だけに通じる言語で構成されていたからで
  しょう。
  「正しい」……これ、なんじゃらホイ。
  
☆ セトホドン、和風とはなんぞ? わずか 2000年前は日本なかったんだぞ。
  急に日本語がデッチあげられた。急にニポンできたあじゅね。
  やはり野におけ れんげ草 …… 
  ちょと例がわるいが、経済を知るには、経済で頑張り狂って汗水流して身体うご
  かさんけりゃ、経済は掴めない。その偏執が醸しだされた当時の文化状況を総体
  把握のことあるネ。
  ハツオン残っていて、概念は消えてんのら。和風感覚で……などと贅沢あるね。

☆ ひふみちゃん、アマカネ
  「KU(美・いい)CIN(米)-A(開音(母音づけ)化) DA , TA(神)」でいい
  と思うよ。
  CIN はいまでもパンジャブ地方ではコメです。彼の地では SIN ではなく CIN と
  表記しています。伊勢皇神社には「ミシネのミ倉」というコメ蔵がある。

★ セトホドンの「和風感覚で……」に、連なるケチづけです。
 おら、さいきん、奇妙な判断があることにビックラこいた。
 80歳のぢさまの発想だが、このぢさまの妙な発言に悩まされ続けたのでしたが、
よくよく聴いてみると、結局は、「自分によくわかることは正しい。あんましよくは
ワカランことは“正しくない”」と言わはりまんねん。
 これと似た判断を、ヴヒーさん理論においてやらかしていませんかってんだ。

 フヴヒーさんの突っ込みの経過は H.P.でトレースできます。
 hvhy でゴーグルかけると約400のカキコが得られます。
 そのうち桜左近さんからも、フヴヒーさん理論に関しては、もっと解りやすい解説
があるとおもうよ。なも、左近どん。
 おら、よくはワカラン。が、ホンモノが出かかっていると思う。いまはツワリだ。
 ワカランからといって「こりゃニセものだ」みたいな短絡判断はやらんぞな。

[2809] 蔵王権現に関する妄想  ひふみ 2002/04/10(Wed) 00:41 [Reply]
お久しぶりです。新学期シーズンでバタバタして読めなかった間に、吉野の事が話題になっているとは。そこで、地元民の妄想をひとつ。

かねがね、権現信仰というのは、日本古来の神々を仏教風に説いた存在ではなかろうかと思っているのですが、例えば蔵王権現を濁らずにサ王として読むとすると、関連付けられるのがスサノオ命。
奥駆け道が、吉野金峯山より熊野本宮まで続いている事を考えると、金胎両部で対応して面白いのですが。
ちなみに、蔵王権現が大峰に湧出される前に現れた二神、弁財天と地蔵菩薩ですが、例えば天河神社に祭られている弁才天は、表は宇賀神を頭に乗せた像ですが、通称裏弁天と言われる本来の神像は、日輪弁才天です。地蔵菩薩をもし月とすると、これはもう、古事記に出てくる三貴神の現れ方と対応します。
イザナミ命と共に胎蔵界の地熊野におわしますスサノオ命が、金剛界の地大峰山に現れたとすれば、考え方としては面白いのですが。
あと、サの神としてもうひとつ考えられるのが、サルタヒコ命。
昔、出雲の須賀神社の奥宮に行った時、そこで祭られていたのは、須佐之男命と稲田姫命、そして、その子として清之湯山主三名狭漏彦八島野神(キヨユヤマヌシ・ミナ・サロヒコ・ヤシマヌカミ)。
その三神とする巨石が、祭られていました。サロヒコヤシマヌカミの石は何故か猿の頭部のようだったので、漠然とサルタヒコ命と連想してしまいます。
もし、サルタヒコ命がスサノオ命の子だったとしたら、修験における天狗さんなんかと関連付けたり、勝手神社での舞の数々もウズメ命などと関連付けたりして面白いのですが。

奥駆け道を歩く時、まず金峯山寺蔵王堂(ここには巨大な三体の蔵王権現がおわします)にお参りし、それからはわりと平坦な道が続くのですが、ちょうど勝手神社の所から、奥駆け道らしい急峻な登り坂が始まります。
勝手神社でかつて舞われたであろう様々な舞も、神仏の地へ入らんとする行者達への祓い清めのような意味があったのかもしれませんね。

余談ですが、クシナダ姫は奇き力を持つ稲田の姫巫女の意ではないのでしょうか。
出雲には、稲田姓も多いみたいですし。
又全然関係ないけれど、古事記編纂の稗田阿礼も、稗田の地におわしますアレであって、この場合のアレは、アレオトメとかのアレと言う意味で、神の意を現せる人と言う意味ではないのかしらと思ったりもします。いかがでしょう。

久しぶりだったので、いっぱい書いてしまいました。すみませんでした。


[2808] 和風で解きたい勝手神社  Setoh 2002/04/09(Tue) 20:57 [Reply]
玄松子さん,水分,香具さん,御坂,ありがとうございます。
御坂神社はやはり山の中腹に鎮座しているのでしょうか,それとも麓で峠でも近くにあるのでしょうか。坂は山に通じます。基本的には御嶽信仰のような山に坐す神を祭ったと言うことでしょうか。

setoh> 金峯山と金剛蔵王権現との関係
自己レス。金剛蔵王権現は山上が岳を中心としたもののようで,金峯神社からは20kmほど奥です。1719m。
これが吉野や葛城に持ち込まれたのかも。金剛蔵王は和風仏教で,あちらの文献には出てきません。
この一つのブランチが勝手明神かも知れません。

ついでにメモ代わり,権現はどうやら高い山に多いようです。 

相模国大住郡 阿夫利神社   石尊権現
加賀国石川郡 白山比メ神社  妙理権現
越中国新川郡 雄山神社    立山権現
下野国河内郡 二荒山神社   満願権現
下野国都賀郡 加蘇山神社   石裂権現 式外
伯耆国会見郡 大神山神社   大智明権現
信濃国小県郡 山家神社    四阿山権現
伊予国新居郡 石鎚神社    石鎚蔵王権現 式外
大隅国馭謨郡 益救神社    宝珠権現
(参考:『古代神社誌論攷』)

[2807] Re[2804]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  玄松子 2002/04/09(Tue) 13:47 [Reply]
> 玄松子さん> そろそろ水分に関しては、終わりした方がよいような気がしています。

この「終わり」ですが、「語源に関しては別板で」という意味でした。


>  一言。
> 水分ですが,宇陀水分神社(古市場)や都祁水分神社は到底分水嶺に鎮座しているようには思えません。どちらかと言えば、交通の要衝と言うイメージです。

「水分」ですが、分水嶺だけではないようです。
宇陀水分神社や都祁水分神社に関しては、川の分岐点(合流点?)に位置しています。
また、宇佐神宮に御霊水という井戸のようなものがありますが、その近くに水分神が祀られています。

ということで、「分水嶺」や「川の分岐点」や「水を授かる所」が、水分神の正しい使用方法だと思いますよ。

[2806]   沖縄イジュンにクマルを見た     計都わり 紋次郎 2002/04/09(Tue) 11:53 [Reply]
 おれほどだったかどうかは知らんが、宰相ロロもヨカ男だったらしい。
 彼が道を歩いていたら、「はぁ、ロロ!(おうい、ロロが歩いてるよ)」と、みんな
で声をかけ合ったという。
 これが「ハローの始りだ」……ケーシー・タカミネ じゃない、半分以上ホント。

 人間社会には、時として、男もほれぼれするようなヨカ男が出現する。
 テレビも紙芝居もなかった時代では、オナゴ衆の思い入れは競争原理によって増幅さ
れ、股おっぴろげてキャーキャーとお猿さん並みにむらがってアイドルの「辺」に押寄
せる。

 √♪ 海征かば みずく屍  山征かば 草むす屍
      大君の 「へ」にこそ死なめ  かえりみはせじ

 その身体をわたしのすぐ横に置いて、そのこころを私だけに釘づけしておきたい。
 できなければ、我が身はその象徴〜カケラの“辺”にあってほしい。

 この“ヘ”への意識こそ集団ヒエラルキーの原動力だ。
 即ち、集団ヒエラルキーのてっぺんとは“象徴”でもいい……が露呈している。
 「へ」に押寄せる心情をムリムリデッチあげるのが金属精錬の風である。

 沖縄は現代のミステリー・ゾーンだ。
 島民はいまだに経済を知らず、経済を考えないまま基地返還運動をやっている。これ
は高橋稔が飛行機の中で県知事から直接に聞いたことなので、まちがいない。
 オナゴ天下は今も続いている。夫婦は5人の子供を産んでいる。失業率は日本一。
 ヤマト(日本本土)でいえば長谷川一夫なみの俳優・高橋六郎のもとにキャーキャー
言って6000名のオナゴ衆が集まった。
 予算がカットされているので、今さら映画撮影のシーンを見せるわけにもいかない。
押しよせたオナゴ衆は、なにをどうしてくれというのでもない。「へ」が欲しいのだ。
 やることといえば、ゴマみたいに火を焚いてナニかを拝むことだった。鶯鳴枯野寒更
止……。
 
 高橋六郎さんとその取り巻き幹部はその集会に「いじゅん(泉の沖縄なまり)」とい
う名前をつけた。そして「これは宗教ではない」と主張している。
 どうでぇ、皆の衆、ここにクマルの原形が出てるじゃぁござんせんけぇ。

 高橋六郎さんと「いじゅん(会)」は今も健在でヨカ男です。
 宗教研究とか民俗学をやるなら、こここそ突っ込まねばならんと思う。だれか行って
調査やらんかね。行くひと 048 882 4902 にFAX か電話くだせぇ。頼みがある。

[2807] Re[2804]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  玄松子 2002/04/09(Tue) 13:47 [Reply]
> 玄松子さん> そろそろ水分に関しては、終わりした方がよいような気がしています。

この「終わり」ですが、「語源に関しては別板で」という意味でした。


>  一言。
> 水分ですが,宇陀水分神社(古市場)や都祁水分神社は到底分水嶺に鎮座しているようには思えません。どちらかと言えば、交通の要衝と言うイメージです。

「水分」ですが、分水嶺だけではないようです。
宇陀水分神社や都祁水分神社に関しては、川の分岐点(合流点?)に位置しています。
また、宇佐神宮に御霊水という井戸のようなものがありますが、その近くに水分神が祀られています。

ということで、「分水嶺」や「川の分岐点」や「水を授かる所」が、水分神の正しい使用方法だと思いますよ。

[2805] Re[2804]: 呪的防護地?  香具 [Mail] 2002/04/09(Tue) 10:50 [Reply]
さっそく、有難うございます。
  塞・境(サイ・サカイ)→御坂(ミサカ)→御酒(ミサケ)
  →神酒(ミキ)→三木(ミキ)・・・ホンマカイナ?
それほど周囲に塞を築きあげて守ったものは何でしょうか。
『岩壷』かな?−今回廻れなかったところです。

 それはさて置き、三木市内の各神社は、秋になると勇壮な布団屋台が繰り出す祭で賑わうそうです。今回も『秋の祭においで!』と言われました。
これが為に、地域ごとに神社が発展・存続したのかも・・・と、思いました。
『祭』が『祀』を継続させると。

> 細川町垂穂の大岩・・・

写真から背後にも広がる大きな岩です。人工的だとすると凄い技術ですね。
まずは天然のものに手を加えたのではないでしょうか。
古墳時代よりも以前から、磐座としての信仰を得ていたのかもしれません。
三木市内の古墳は、もう少し慎ましやかな感じがしました。

> 志染町窟屋の磐座・・・

志染町の窟屋は、億計王子と弘計王子が隠れ住んだという伝説の岩屋です。
志染町・・・志しが染みる、のでしょうね。
http://www.city.miki.hyogo.jp/tra-hi/sisek03a.htm

 横幅の広い入口ですが、内部は水がたっぷりと溜まっていました。上部の岩から、たくさんの水滴が落ち続けています。この洞窟池(ですね)の藻は、年間の一時期だけ金色に光る珍しい種類だそうです。

二王子(後の二天皇)の伝説は、一連の宗賢神社と絡めて見ると面白いでしょう。
『明石市外の顕宗・仁賢天皇関連の神社』
http://member.nifty.ne.jp/IRAMA/souken-koube1.htm

尚、近年の考古学的成果は、兵庫県の埋蔵文化財調査事務所より
『窟屋1号墳発掘調査成果について』
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iwaya1.htm
現在、窟屋の周囲は谷川整備ため土木工事中です。

[2804] Re[2797][2769][2768][2761][2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  Setoh 2002/04/09(Tue) 09:26 [Reply]

のりちゃんの「易経を勉強」の成果が披露されはじめました。期待しています。

玄松子さん> そろそろ水分に関しては、終わりした方がよいような気がしています。
 一言。
水分ですが,宇陀水分神社(古市場)や都祁水分神社は到底分水嶺に鎮座しているようには思えません。どちらかと言えば、交通の要衝と言うイメージです。
葛木水分神社とか吉野水分神社も山の中に鎮座し,その山から幾つかの川が流れ出しているのですが,分水嶺の要所とは見えません。

金剛界曼陀羅の菩薩をながめていましたら,26−29番目に
金剛嬉菩薩、金剛鬘菩薩、金剛歌菩薩、金剛舞菩薩
と並んでいます。これらの菩薩とか勝手神社との祭神や謂われとは関連していそうですが,創建や伝承の時代と背景がはっきりしませんので,後付かもしれないことには要注意ですね。
金峯山と金剛蔵王権現との関係もあるとのことで,五行説,修験、密教などから「勝手」の検討が必要なのでしょうね。

 マルヤさん,密教の伝承僧に,ナーガールジュナ(竜猛)菩薩とナーガーボーディ(竜智)菩薩の名前がありました。竜智神社を思い出します。

 香具さん,三木市の報告ありがとうございます。
久留美の本殿裏の石は顔に見えますね。地名の久留美の謂われも興味津々ですね。
細川町垂穂の大岩は,人工的に上に乗せたように見えますが、古墳だったのでしょうかね。
志染町窟屋の磐座ですが,住吉神社,または天一神社かその摂社(八幡、母、大歳,祇園)にあたるのでしょうか。

[2803] 訂正  香具 [Mail] 2002/04/09(Tue) 02:10 [Reply]
すいません。拙アルバムは、
http://photo.goo.ne.jp/user/ixtlan
の間違いでした。失礼致しました。

[2802] ミサか?まさか!  香具 2002/04/09(Tue) 02:07 [Reply]
兵庫県三木市内の御坂、三坂、御酒神社をぐるりと廻ってきました。ミサカ系統の社は7社巡りましたが、まだ他に2社ほどあるみたい。残りの無格社は、所在地が判りません。

 1.御酒神社 (三木市別所町石野)
 2.三坂神社 (三木市別所町東這田)
 3.三坂神社 (三木市加佐)
 4.三坂神社 (三木市細川町豊地)
 5.御酒神社 (三木市細川町垂穂)
 6.三坂神社 (三木市志染町大谷伽耶院鎮守)
 7.御坂神社 (三木市志染町御坂)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 8.無格社御坂社 (志染・吉田)
 9.無格社御坂社 (志染・安福田)

 この中で、7の三木市志染町御坂の御坂神社のご祭神は、八戸掛須御諸命、大物主命、葦原志許男命。(ミモロでっせ〜)
 5の三木市細川町垂穂の御酒神社は、大日靈貴命、大己貴命、天兒屋根命で、摂社に白鳥神社がありました。境内には巨岩が二つあり、清掃をされいた方から、元来は『岩宮さん』とよばれていて、御酒神社とは呼ばなかったことを教えていただきました。
 そこから北東の『石上山(いしがみやま)』には、今回登る時間がありませんでしたので、次回の宿題です。
 4の細川町豊地の三坂神社には本殿が二つあり、拝殿は横続きの一棟ですが、礼拝するところが別々に二箇所ある作りでした。ご祭神は、
 東社 天御中尊、中箇男命、斎主命、大山祇命、市杵島姫命、日本武尊」。
 西社 大巳貴命、御中主尊、中箇男命、とのことです。

 これらの神社につきましては、『神々の坐ます国』
http://homepage1.nifty.com/o-mino/kamisan.htm
のサイトを参考にさせて頂き、たいへん助かりました。愚生のヘタな解説よりも上記サイトをぜひご覧頂きたくお願い致します。尚、写真画像については拙アルバム
http://www.photo.goo.ne.jp/user/ixtlan
にて公開しています。

 三木市の美嚢川から南は雌岡山に似た赤っぽい土、北側はゴツゴツとした岩が印象的な土地でした。久留美あたりからは雌岡山がとても印象的に遠望できます。また、加古川と美嚢川の河合近くにある山々の裾には、地図に載っていないような神社の上り口をいくつも見かけました。
 帰りはもちろん『三木特産金物センター』に立寄り物色!偶然にカスタムナイフショーが開かれていて、越前鍛冶名工・浅井丸勝先生と再開、ペティナイフ一丁を購入(三木で越前の包丁を買うかな?堺でも同じ事をしました <(__)> )。
 桜吹雪、菜の花、レンゲ草、なだらかな丘陵・・・目の保養を致しました。

[2801] Re[2800]: 勝手神社について  のりちゃん 2002/04/08(Mon) 22:57 [Reply]
> 私の知っている権現は、白山、立山、蔵王、熊野かな?
> 勝手神社の所在地から推察して、熊野権現関係の神でしょう。

勝手が修験道に関係がある、という私の説ですると、白山・立山・蔵王・熊野全てに関連が
あることになっちゃいますね。(^^ゞ

[2800] 勝手神社について  雄一 2002/04/08(Mon) 22:26 [Reply]
現れた4人の童子は四菩薩に対応します。観音、弥勒、普賢、文殊となります。
これが、人の姿で現れているので権現となり神社に祭られているので、それぞれ
が日本の神に対応します。
私の知っている権現は、白山、立山、蔵王、熊野かな?
勝手神社の所在地から推察して、熊野権現関係の神でしょう。

[2799] Re[2798]:     玄松子 2002/04/08(Mon) 22:10 [Reply]
> ☆ あれ? おれ、玄象師師どんとギロンしてることになってたんカネ

いえいえ。そんな、大それたことはしません。

>   「複数の川に分かれること」「川が分岐すること」「授かること」をクマル
>   とか配るとか……
>   彦島あたりではそげなんこつ言うとな?

彦島でも言いませんよ。
古事記のこの神の出現する後には、クヒザモチ神というのが続けて出るんですが、これが瓢・柄杓のことと考えられています。
で、柄杓で水を汲むという意味だそうですが、そこから、水分は水を配ることだと「想像」され、「通説」になっている、という程度の話。
ある古書には、水分の分を久婆留という訓があると『神名祭神辞典』にありました。

で、そろそろ水分に関しては、終わりした方がよいような気がしています。

[2798]     計都わり 紋次郎 2002/04/08(Mon) 21:55 [Reply]
> 雨水が複数の水系に分かれること、川が分岐するということですよ。
「授かる」という意味合いも考えられますが、調節ではありません。

☆ あれ? おれ、玄象師師どんとギロンしてることになってたんカネ
  谷とか山の構造を決める神様はトコタチとかそういう別の名前の神様の管掌
  するところでしょう。
  なにかお願いしたら、その神様の胸ひとつで、調節(めんどーMILL)できる
  からこそカミサマやろが。この場合「配る・水」で農耕用水やろもんに。

  「複数の川に分かれること」「川が分岐すること」「授かること」をクマル
  とか配るとか……おりゃあ、筑豊生まれで、だいたい日本じゅう駆け巡った
  つばってん、そげなんこた聴いたこたなかばい。
  彦島あたりではそげなんこつ言うとな?
  なんか別の智恵クマ(授)らッしゃらんカネ。

[2797] Re[2769][2768][2761][2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  のりちゃん 2002/04/08(Mon) 21:42 [Reply]
> で、仮に下照姫であったとして、勝手の語源とどう。繋がるのでしょうか。

折角課題をいただいたので、いろいろ考えてみました。
かなり、苦しんだのですが、こういうのはどうでしょうか?

「天孫臨降の時、卅二神、相そいてあまくだります次に護国後見にくださるゝ卅二神と云々。
愛鬘命は勝手大明神なり(六十四神式)」
前に挙げた「大和名所記」からの抜粋です。

ここでは、下照姫については出てきませんので、とりあえず、勝手と鴨・葛城についてのみ、
考えてみます。

ここにでてくる数字が気になっていたのですが、付き添ってきた32神と、後見になった3
2神。
合計して64。
六十四といえば、易象の数を思い浮かべます。

うけのりのかみ、が、この中の一人であったとしたら、卦象のひとつを表す神である、と、
考えてもよいかも知れません。

ここまでは、そんなに苦しい説ではないと思います。

さて、六十四卦では、乾兌離震巽坎艮坤の八つの卦を上下に組み合せたものです。

八つの卦象にはそれぞれ象徴するところがあります。
「勝」「手」が、それぞれどの卦に対応するか。
「勝」は「乾」、「手」は「艮」と考えると、六十四卦で見ると、「天山遯」。
6月を意味する象でもあり、隠遁者=仙人の意味もある象です。
つまり、行者のことを示すとしたら、どうでしょうか。

ただ、「天山」を示すのであれば、そのまま天山明神としてもよかったわけですし、
「乾艮明神」としてもよかったわけで、弱いのですが。
勝手=遯
と考えることができるならば、勝手=修験者の神という考え方ができます。
これまた修験者=鴨・葛城と決め付けるのも苦しいのですが。

私学で、易経を勉強し始めたばかりですので、この先、勝手と六十四の卦に関連が見つけら
れるようなことがあれば、また書き込みます。

[2796] Re[2794]:   くまr と くまr-i     玄松子 2002/04/08(Mon) 21:06 [Reply]
>  「雨の降る具合を調節する」をクマルとか配るという? アホコケ。

雨水が複数の水系に分かれること、川が分岐するということですよ。
「授かる」という意味合いも考えられますが、調節ではありません。

[2795] Re[2793]: 「子守」と「水分」  玄松子 2002/04/08(Mon) 20:50 [Reply]
> #私は「水」が「金」とは書いておりません。

確かに「水分」と書かれていますね。 では、僕の「パラレル質問」も忘れてください。

[2794]   くまr と くまr-i     計都わり 紋次郎 2002/04/08(Mon) 20:34 [Reply]
 KU mar が断然古い。それはチベットみればわかる。
 KU MAR という語彙には若さも、幼稚さも含まれていない。
 KU は「いい、窯焼き、セックス」の三つのどれか……です。

 kumar に末尾辞 -i がついたら、これは女性を表す。いまでもクマリは女の“子”。
 やっぱ、始原は玄象師さんのげな「ヨカ男」じゃなかったやろか。それが KU のひとつで
ふらふらになって若死するので、精子のでない男の子を諸部族統合の象徴にしたんとちゃうか。
 そのまた最初の最初は金属精錬士の「タヂヤマでない日(ひま)」を抱えたヨカ男やったんやろ。

 「クマラ」となったら、おらもうあんまし関心を持てぬ。末尾の -A が、集団形成で、アタマ
サンカクになってイカれていること必定のパーリ語か、サンスクリット語の語彙じゃもんネ。
 パーリ語の童神を具体的に示したかったばってん、紛失中。

 MI ・ MU MAR は「神・クマル」と語彙構成のうえからも、古形の神がハッキリでている。
 「雨の降る具合を調節する」をクマルとか配るという? アホコケ。

[2793] Re[2792][2791]: 「子守」と「水分」  hvhy 2002/04/08(Mon) 19:50 [Reply]
>「水が火を殺す」作用は、
>「金が木を殺す」作用にパラレルですね。

という部分は、まんざら「丹生」に無縁でない煉丹術において、
特に「金が木を殺す」作用が重要視されている点を鑑みるならば、
無視できない話ですが、「水分」は「金」という結論だけであれば、
実は「金より水を生ず」という話でも十分でした。というわけなので、
いささか歯切れが悪いですが、パラレルの話は忘れてください(^^;(^^;

#「火」を殺す場合の手段として、「火」を生じるところの元を断つ、
#という手段がある。この場合、「水」ではなく「金」を使うわけです。
#「金より水を生ず」という関係があるからこそ、ここで「金」が使える。
#つまり、「水が火を殺す」と「金が木を殺す」が〈パラレル〉という話は、
#単に「金より水を生ず」ということを言ってるのと実質的には同じことです。
#というか、ここでは、そのように考えていただいても結構です。とりあえず…。

よくご存じのことと思いますが「水分」は、
「水の流れ」を祀っているわけではなくって、
まさに「分水嶺」(そこから水が生じる所)を
祀ってるわけです。「分水嶺」は「水」なのか?
などと言えば、これはなんだか屁理屈にも思えます。
が、たしかに「分水嶺」は「そこから水が生じる所」。
この意味においてこそ、まさしく「水分」は「金」です。

#私は「水」が「金」とは書いておりません。
#この点については今一度ご確認くださいませ。

[2792] Re[2791]: 「子守」と「水分」  玄松子 2002/04/08(Mon) 17:56 [Reply]
> 然るに「水」は「金」から生じます。(※いわゆる五行思想)
> のみならず、「水が火を殺す」作用は、「金が木を殺す」作用にパラレルですね。
> その意味において、「水分」は「金」です。

この「パラレル」とはどういう意図で使われているのか理解できません。

たとえば、
−−−−−−−−−−−−−−−−−
「木」は「水」から生じます。
のみならず、「木が土を殺す」作用は、「水が火を殺す」作用にパラレルですね。
その意味において、「木」は「水」です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
と書いた場合、パラレルの使用方法や意味は異なるのですか?
五行すべてこの方法で記述すると、結局、五行すべてイコールとなる印象ですが、そういうことではないですよね。


蛇足:
ミ+クマリで、童神あるいは女神の意味とするなら、水分よりも、
巫女や皇子(ミコ)にその痕跡があるような気が、ふとしました。
どちらも神に仕えるもの、あるいは代理人です。
中古、寺院に使える男たちは童姿でした。老人になってもその姿です。諏訪神の大祝は本物の童でした。童に神的要素があるのは、自明でしょう。
ただし、神ではなく、代理としてではないでしょうか。西洋ではキューピットというところでしょうか。

[2791] Re[2790][2789]: 「子守」と「水分」  hvhy 2002/04/08(Mon) 17:10 [Reply]
「水分」が水源の神様(神格)たることは、
その祀られ方から見て、全く論を待ちません。

>サナート・クマラは鞍馬の魔王尊というのをどこかで見て

「鞍馬」に「クマラ」が祀られたのは、
古いのか新しいのか、何時のことなのか。
ともかく「クマラ」は「金星の童子」です。

然るに「水」は「金」から生じます。(※いわゆる五行思想)
のみならず、「水が火を殺す」作用は、
「金が木を殺す」作用にパラレルですね。
その意味において、「水分」は「金」です。
「童子」説と「水源」説は、つまり同じです。

>子守は、水分(みくまり)が、クマリ→コモリと変化したもの。
>籠神社も「籠る」と書いて、水分神を祀っている。

こういう玄松子さんのお話を踏まえれば、
履中紀の「狭名来田蒋津之命」という名前。
「サナート・クマラ」そのものと思われます。
「籠」は「蒋」(コモ)ですから。蛇足ですか?

[2790] Re[2789]: 「子守」と「水分」  玄松子 2002/04/08(Mon) 14:07 [Reply]
> インドに「サナート・クマラ」という神様がいて、
> 「クマラ」というのは、要するに「童子」なんです。

鳥取にハワイ(羽合)という地名がありますが、ハワイ島からの移民とは関係ありません。

> 「クマラ」というのは、要するに「童子」なんです。

紋次郎さんも、盛んにその説を力説していますが、現時点では可能性の一つ。
一般には、水分は、「水配り」「分水嶺」と認識されています。
「一般」が正しいかどうかは、別問題。

#サナート・クマラは鞍馬の魔王尊というのをどこかで見て「クラマとクマラ」で納得した記憶がありますが失念。(まったく違うかもしれません)

[2789] Re[2771][2769]: 「子守」と「水分」  hvhy 2002/04/08(Mon) 13:21 [Reply]
>子守は、水分(みくまり)が、クマリ→コモリと変化したもの。
>籠神社も「籠る」と書いて、水分神を祀っている。

インドに「サナート・クマラ」という神様がいて、
「クマラ」というのは、要するに「童子」なんです。
「子守」は、この「クマラ」(童子)だと思われます。

#「木に対する金」と「火に対する水」はパラレルですから、
#「サナート・クマラ」が「水分神」というのは理解できます。

[2788]   神名解釈……21世紀初頭人の限界    計都わり 紋次郎 2002/04/08(Mon) 10:46 [Reply]
 なにがしさん、アマカネ
 ほっぺたとケツに深けぇ傷つけてのカムバックぞな。

 勝手を「カッテ」以外の発音にして解釈する自由はわえらに赦されるのだらうか?
 神奈備 NO 2の良識派……誠実看板オトコの玄象師師は勝手をショウテと読み替えて解釈
に挑まれた。
 神名とか神社名は発音がワカランのが多く、おらは一応言われている発音に従って、その
発音を動かさないようにして、「日本語と多くの類似語彙を持っているネパール語」で解釈
してきた。
 それでも神名の発音が不安定なことに大きな挫折感を味わっただ。
 俗に50音といわれるが、その50(日本語の実際は約85)音に、3〜5シラブルの連
なりが無数の群となって押し寄せるのだ。
 「発音一歩まちがやイノチ取り」……が、いつも背中あわせにくっついているのが神名とか
古代語解釈の領域ざんす。

 たしかに勝手をカッテと発音したらイケないのかもしれない。
 だからといって、いま、ここで、ショーテと言い直すことが赦されるとすれば……。次から
次に発音の言い換えが可能になる。
 「勝」はスグルでもあるので「ス・クル・テ(スという人びとの地帯)」ともなる。
 まぁ、これはいいほうで、「勝」は THIOG 、∫i∂u , sau , shou の音が基本だし、「手」
は ス、シュ、テ、タ、ヅ、の読みが可能なので、30とおりの発音も採用しなければ片手落ち
ということにならしまへんか?

 あと200年もしたら、古代神名の発音も意味もバッチリわかる……と仮定しましよう。
 そのとき、23世紀初頭人たちから「あ、やっぱ21世紀初頭人ならそこまでが限界やっ
たなァ〜」と評価されるギリギリの制約のなかで、解釈をやりたい。

 “勝手”の変化のひとつ……サグタとはなにか? それは古代に北辺を襲った満州系海賊
が居着いて、その子孫が作った神社で、意味は SAG(稲……実際にそう!)の TA(神)……
ともなる。

 「神奈備はロマンである」と宣り給うたが、いくらシロート発言でもムチャクチャに言うて
いいことにはならんやろうし、そーゆーことやったら、はじめからナンにもいわんがハナや。
 やっぱ セトホどん、ここで神名、神社名の解釈をするのは相応しくないのではないカネ。
せっかく『サバエ』作ったんやから、神・神社・古代語の意味一切の追求は以後は『サバエ』
でやるという方針を鮮明にだしてくれへんやろか。
 
 あ、「勝手」の解釈ですが、日本語「かさ」と同根の古語「カッタイ(イは旧仮名)」があ
りました。これはタミル語、ネパール語にも同根を示す語彙があります。
 カッタイはライ病です。ライ病と勝手神社との関係はありませんカネ。

[2787] Re[2785]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  玄松子 2002/04/08(Mon) 07:49 [Reply]
>  受鬘命とは,ルーツは鴨と言うことへの大いなる支援と理解しています。ありがとうございました。

鬘=葛木(鴨)というのが前提で、陶津耳=(葛城は鴨、だから)賀茂(建)角身という結論を出しているように読めるんですが。

[2786] お帰りなさいませ  なにがし [Url] 2002/04/08(Mon) 02:05 [Reply]
紋次郎様お帰りなさいませ。お元気でしたでしょうか。また楽しみに読ませていただきます。

[2785] Re[2773][2771][2769]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  Setoh 2002/04/07(Sun) 22:14 [Reply]
http://www.dai3gen.net/kamo04.htm#concl
によりますと,
和名抄が言う ,「仮髪 和名 須恵」「以此仮覆髪上也」(此れを以って仮に髪の上を覆う)、即ち、鬘(カツラ)の類を「スヱ」と言ったのである。
そうすると,陶津耳=カツラ・ツヌミ=(葛城は鴨、だから)賀茂(建)角身、であろうか、という提案が出来ると記されています。
大三元さんからは別途,
「鬘」という字は「須恵」(スヱ)と読む、というのが倭名抄にあり,つまり、スヱツ耳、とは、鴨角身、ではないか。何故なら、スヱ・鬘・カツラ・鴨、ということを考えています。
とのコメントを頂いています。
 受鬘命とは,ルーツは鴨と言うことへの大いなる支援と理解しています。ありがとうございました。


[2784]   文化全開の ST・&・ラテン  ケツわり 紋次郎 2002/04/07(Sun) 20:14 [Reply]
 舌に衣着せずに言うべ。
 桜左近さんも是非きいて……ウンニャ、見てほしいとこ。

 サンスクリット語もラテン語も、その当時のその場所にいた知識階級がデッチあげた“領域”
 です。
 「あんた、どこ行くの?」、「ちょと買い物サ」……こんな会話はサンスクリット語でも、ラ
テン語でも、決して絶対に喋られなかったのです。
 その“創られた”時点は BC 500 年としますか……、この二つの言語には、当時のありとあら
ゆる人間の想いが火のように噴いて出尽したのです。
 そこで語られた概念や事象は、現代人が見ても「なるほど!」と思えるものが多いです。

 だがナ、歴史性を持たぬ言語で喋られたことは、その当時だけには authority は持っていただ
ろうが、すぐに“反動作用”に遭ってぶり返される。ことばとか記述は残っているかもしれんが、
歴史の波に埋没させられる宿運にあります。
 見やすいだけに陥穽これあらむか。
 平べったくいうと、サンスクリット語、ラテン語領域には耳を貸してはオエンちゅうこと。

 サンスクリット語、ラテン語はメチャ盛りあがっていまさ。盛りあがらんわけがない。聞き易
いが、それだけに毒がある。
 

[2781] Re[2778][2770][2767]: 神さまの名前とフヴヒーさん    マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/07(Sun) 18:16 [Reply]
> 「YHWH」については、蝿声なす掲示板に、
> とりあえず書くには書きましたが、いかんせん、

 ご回答ありがとうございます。
「YHVH」と表わすより「YHWH」と表記するほうが多いようですね。
蝿声なす掲示板を拝見します。

[2780] Re[2776]:   勝手の語源  1     玄松子 2002/04/07(Sun) 16:37 [Reply]
>  まず、KAT-AI (-ai , -e は強調末尾辞)と置いてみる。

勝手を「カツテ」と前提・限定した話は、お任せ。

たとえば、「ショウテ」と読んだらどうなるだろうか。すると、「聖天」が思い浮かぶ。
聖天・歓喜天は、ガネーシャという名で、シヴァの子。象頭の神で、日本では夫婦和合・子宝の神。その耳は多聞天に通じるか。
ちなみに、シヴァは踊りの神でもある。

すると、子守(コモリ)も、あるいは「カーリー」からの訛なのでは。
カーリーはシヴァの暗黒面を司る女神。軍神。一説には、ガネーシャの母、パールバティーの怒りの姿(ドゥルガー説もある)。

シヴァのリンガ(陽根)は有名な話。
吉野は、シヴァを中心とするヒンドゥーの神々、そんな可能性ないかなぁ。

[2779]   勝手の語源  2     ケツわり 紋次郎 2002/04/07(Sun) 16:00 [Reply]
 瀬藤ドンがまもなく行こうとしている出羽三山の月山(ガッサン)は、おらは「組合
の GATH」だと睨んでいる。麓には鮭が登るガッコウ川がある。これは今の漁業入会権
だと思います。
 その GATH (組合)は土着語のネパール語 ghas(草) だと思われるのです。
 日本では江戸期まで葦蘆の原を「ガシ」と言ったのです。日本語の葦(アシ)は別に
「アシきり」という神にがらみの強い概念があったために“G”がとれた形で,ガシから
アシへ変化してできた語彙であることが把握できました。
 原音が GHAS ですので、あちこちに見られる「笠」がつく地名は、この開音(母音づ
け)化された語形だともいえます。
 この GHAS がサンスクリット語の KUSA(草)と音転して日本に定着しました。
 古代の草地の呼びかたは、一般には箱崎・函館の「ハコ」とか「サラ地」の SAR を用
いました。

 草地が入り会い地……これは牛やヤギを飼う習慣がある外国での意味変化でしょう。
 だから「草地」と「組合」は混然とした概念で受け入れられていたと思うのです。
 「山の手」などの「テ(あっちの一帯)」もネパール語にあります。
 そこで 「GATH-TE =入会地」がミナシャンにも受け容れられるんじゃないかナ?
 農耕の段階にはいると、こんどは「草刈り場」として、入会地は重要になってきます。
 草を刈って堆肥を作らねばなりません。このとき、数種の草が「カチキ」と呼ばれて
いることを申し添えておきます。べつに「硬い草」でもありません。はまゆうに似た草
もカチキです。
 だれの土地でもなく、みんなの入会地に建てたヤシロが勝手神社……どな。
 「勝手知ったる○×……」は、入会地ならばこそ。
 手前かって、とか、勝手口の「かって」はオラシラン。ひとすじ縄じゃいかんワナ。

[2778] Re[2770][2767]: 神さまの名前とフヴヒーさん    hvhy 2002/04/07(Sun) 15:38 [Reply]
たしかに世の中に秘密はあるのかもしれませんが、
それは秘密を求める、好き好む人がいることの、
ある種の反映という気もしています。つまり、
秘密は面白い。面白い物を求めるのが人情。

「YHWH」については、蝿声なす掲示板に、
とりあえず書くには書きましたが、いかんせん、
ゲマトリアと言われるもの、その他の項目に関し、
まだ説明していない為、「舌足らず」になってます。

#【http://www.platz.jp/~hvhy/mat.html
#の照応表を横に置きながら、お読み頂ければ幸いです。

[2777] 陽数  現象死 2002/04/07(Sun) 15:28 [Reply]
突然思い出したので、突然書きます。

>  (ついでだが、三本足とはドッキングの象徴だと知った……破壊と創造の“創造”が三本足)。

ずっと以前に、三本足の烏の話題がありました。太陽は陽の気の象徴なので、そこに住む烏も、陽数である奇数、つまり三本足だと、中国の神話の本にありました。

で、九頭龍。9も奇数で陽数です。
黄泉の国に、八雷が出現するのは、陰の国だから。9が出現するのは変?

[2776]   勝手の語源  1     ケツわり 紋次郎 2002/04/07(Sun) 15:10 [Reply]
 まず、KAT-AI (-ai , -e は強調末尾辞)と置いてみる。そうすると「カヅ」という
「発音・概念」を弾きだした“ナニモノ”かが追求されねばならない。
 数、員(カズ)は沖縄にも見られて、嘉手名(基地)もある。だから出雲帝国時代から
の伝統に裏打ちされていると見たほうがいい。……古い!
 今、イビと言われている「女性の股を形どった沖縄式の墓」はネパール語 GADDI(女陰)
や二本の門柱、「ミカド」に一致する。
 (ついでだが、三本足とはドッキングの象徴だと知った……破壊と創造の“創造”が三本足)。
 これは、母言語は確認していないが、*KAD(雷)と 同根を示す。……いや母言語などどう
でもいい。これは、ほとんどエデン語だし金属精錬士の強執だから。
 思考が金属精錬士の強執までたどり着いたところで憶いだすのが KAT(切る……足きり)と
メカッチョ(片目)の *KAT(減少・減る……ネパール語 ; GHATー減らす KHATTE 不足)。
  足きり思想が多くの神名に含まれていたことは別にみたとおり。メカッチョは「額中央の
心眼というヒンズー文化の基礎」だったことも、すでに観たところです。
 
 日本語となった KAT には、こんな基礎文化語がありました。
 これが、時代により、地域〜氏族によって各種の現実面に利用されたと思われます。
 だから、今となっては、「細くて厳密な概念で決着をはかる理工系思考」で把握しようと
する姿勢が、ムリなんであります。
 ……この考えは、こんかい、あっしのスッコミで得られた大収穫ざんした。のろのろソ
フマップKKも思わぬ恵みをもたらしてくれました。このことはチョー重要ですので、稿を
改めて書かせてもらいやす。

と、まぁここまでは玄象師ドンと大略同じモノイイになったのですが、どっこい、べつに
直截的な解釈ができるのす。長くなるので2回に KAT ね。

[2775]   こもり こもりく     ケツわり 紋次郎 2002/04/07(Sun) 12:32 [Reply]
 マルヤさんってチョ−・オモロイお方とは聴いてましたが、「HVHY」からの連想
にはおもわずゲラゲラでした。
 でも年期はいってんだナァー。
 フヴヒーさんも、ハ−ハ−ヒーヒー言いだす前に、チョ− OFFEN 郊外に出ていい
空気吸いなせぇやし。

 フヴヒーさん出現に恵まれたいま、従来の方法を踏襲して神名の意味を追求する
なぁ、一種の邪道だとはおもいますが、ここはいままでのヤリクチであることを断
っておいて分析を重ねやす。
 
 MOR が解決のキーをにぎってると惟ふ。ここの場合は頭ではなく、エデン語の山
ですが、ヤマは「集会」と「森・杜」にまたがっている概念。ここは神社に適用さ
れているから、全体の意味はホクラ(神庫)で、ヒムカ同様に「神社・やしろ」とい
う呼び名が日本じゅうに定着する前の神域の呼称ではなかっただろうか。
 もちろん、発音の類似から後世に「子供・神童」概念の裾をひっぱり取りこんだ
ことは、当然にもあったことでしょう。
 「こもりく」の「く」は、やっぱ「くに」だとおもう。
 「ときじくのかぐのみ(みかん・レモン)」のジクとは DI(柱)を中心にした領域。
 「とき」はモンダイの“TO”があるのでワカラン。ki は「くに、地方、昇天竜」。

[2774] Re[2773]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  玄松子 2002/04/07(Sun) 12:19 [Reply]
> なお,受鬘はウケリともよむようです。鬘は髪を飾ったりとめたりするようで,ここらに俳優のにおいがありますね。舞の神にふさわしい神名とも言えます。

演劇的観点で見ると、上手と下手。
上手は、舞台右側で、弓を射る時の右手、川の上流つまり山手。カミテ→カッテの変化と見た場合、「上」「右」の概念。
対する下手は、舞台左手、川の下流。子守・籠・水分に「下」「左」の概念があれば、並立の意味はあります。
舞台では、右から出て左に下がる。これを籠ると見るのか? 水は下へ流れるし。

[2773] Re[2771][2769]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  Setoh 2002/04/07(Sun) 10:44 [Reply]
玄松子さん> 勝手も、何かの神名が変化したものかもしれない。
玄松子さん> 葛城、葛木、高津あたりも候補かも。
玄松子さん> 受鬘の鬘(カズラ)の訛。

神奈備も葛木からかと思い始めていました。
五十猛命は伊達,射楯,印達(いたて)の神とか伊太祁(いたき)の神でどうも「て」と「き」とは「け」を介するかどうかは別にして融通するようで,勝手(かつて)はカツキ(葛木)に近いのかと。

葛城山麓に鴨山口神社が鎮座、これは葛木の山口神社で,社伝には大和国延喜式内社の十四社の山口神社の本社であるとしています。吉野の勝手神社は山口の神との説があり,これが葛木から勧請されたものとすれば,カツキがカツテになっても不思議ではなさそうです。

葛木はまたクズの城(拠点)でもあり,吉野との間に近鉄の「くず」駅もあります。近くには丹生谷という地名があります。丹生神や九頭の民がひょっこり顔を出す,古代の神々の跋扈したゾーンですね。

なお,受鬘はウケリともよむようです。鬘は髪を飾ったりとめたりするようで,ここらに俳優のにおいがありますね。舞の神にふさわしい神名とも言えます。

[2772] Re[2769][2768][2761][2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  のりちゃん 2002/04/07(Sun) 08:56 [Reply]
> で、仮に下照姫であったとして、勝手の語源とどう。繋がるのでしょうか。

おっと。
その答えは私には、まだありません。
単なる、「こんな説もあるよ」という情報提供でしたから。
もしかして、周知の事実だったら、すいませんm(__)m

[2771] Re[2769]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  玄松子 2002/04/07(Sun) 06:19 [Reply]

> 子守と勝手は、並立するようです。子守勝手神社、勝手子守神社はいくつかあります。

子守は、水分(みくまり)が、クマリ→コモリと変化したもの。籠神社も「籠る」と書いて、水分神を祀っている。
とすると、勝手も、何かの神名が変化したものかもしれない。
1.イカヅチ、ミカヅチあたりが、カヅチ→カツテとなったか?
2.勝の字は、力が騰がるの意味があるらしい。手力男の変化か?
3.葛城、葛木、高津あたりも候補かも。
4.単に、受鬘の鬘(カズラ)の訛。
神名辞典あたりを繰りながら、色々と連想すると見えてくるでしょう。多分。

[2770] Re[2767]:   神さまの名前とフヴヒーさん    マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/07(Sun) 04:52 [Reply]
紋次郎さん、ようこそ。お久しぶりです。
「紋の伯父貴の処方箋」を守って、お蔭様で元気です。

フヴヒーさんで思い出しました。
もう20年も前のことです。
京都の本能寺へ、高橋巌氏の「神智学」の講義を聴きに行ったときに知り合った方で、大森さんという方がいました。
この方は大阪平野町のガスビルの裏で、「マイトレーヤ」という菜食レストランと、併設して「タキオン」という画廊を経営しておられました。小生の小作品の委託販売をお願いしたこともあって、その方とは京都以来付き合いがありました。

ある時この方から電話があり、小生が知りたがっていた「神の名」を教えると言うのです。
ところが受話器からは「ハーハー ヒーヒー」と苦しそうな、今にも死にそうな声が聞こえるばかりです。そのうち声は益々苦しそうになり、声がどんどん大きくなるとともに、受話器までどんどん大きくなり、とうとう持てなくなって、そこで切れてしまいました。実はこれは小生が夢を見たのでした。この夢を見て一週間後、その方の母御さんから電話(これは本当の)があり、息子が亡くなったと伝えられたのでした。

この方と以前に「YHV]あるいは「YHVH」と表記される神について話をしていたことがあったのです。
そんなことで以前からの疑問を抱えたままの状態です(尤も永久に謎のままかもしれませんが)。
そこでフヴヒーさん(はじめまして)、
フヴヒーさんは、東西のあらゆる知識に通じた方とお見受けします。
一般的に、ヤハウヘ、ヤーヴェ、エロヒムなどと言われている神の名は何と発音するのでしょうか。「神の名は秘密」だそうですが、YHVやYHVHでは子音ばかりで母音が無く、普通は発音も出来ませんね。
ご存知の秘密の一端でも、お教えいただけないでしょうか?

[2769] Re[2768][2761][2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  玄松子 2002/04/06(Sat) 23:42 [Reply]
> 「愛鬘命 又の御名 下照姫」とあったからなんです。

鳥坂神社の「愛鬘命」は、近江からの勧請合祀。近江の勝手神社からの勧請でしょう。
近江の勝手神社は、吉野からの勧請で、いづれも祭神は「受鬘命」。
「和州旧跡幽考」や「和漢三才図会」では、吉野勝手神社の祭神は、愛鬘命。
ちなみに、島根の美保関にあった勝手神社祭神は、愛鬘女命。
ということで、愛鬘命は受鬘命と同じ(誤記・混同)です。

「愛鬘命 又の御名 下照姫」としているのは。「伊水温故」ですが根拠は不明。

で、仮に下照姫であったとして、勝手の語源とどう。繋がるのでしょうか。

どうでもよいことですが、金精明神は、現・金峰神社とされています。


子守と勝手は、並立するようです。子守勝手神社、勝手子守神社はいくつかあります。
「日本の神々」によると、子守神が地蔵菩薩の垂迹で婦神。勝手神(山口神)は多聞天の垂迹で、その夫と考えられていたようです。

[2768] Re[2761][2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  のりちゃん 2002/04/06(Sat) 22:30 [Reply]
>受鬘命をウケノリノカミ

愛鬘命、とは違いますか?

http://www.katch.ne.jp/~heday/yamato11.htm
を見てください。

「大和名所記」に似たような文章がでてくるのが分ります。
この六拾四神式ってのがなんの書物のことか、私にはわからないのですが。

んで、ここをなぜ見付けたか、と言うのが偶然なのです。
伊賀の式内社「鳥坂神社」の案内板は、祭神が列記されているだけのシンプルなものだった
のですが、この祭神の中に、
「愛鬘命 又の御名 下照姫」とあったからなんです。
(もしよければ、この案内板の画像、送ります)

鳥坂神社が、なにを根拠に、愛鬘命の別名を下照姫命としたのかは判然としませんが、
下照姫が勝手明神だとしたら?
どうでしょう。

役小角・鴨と、下照姫、あり得ないことではないと思うのですが。

[2767]   神さまの名前とフヴヒーさん    ケツわり 紋次郎 2002/04/06(Sat) 19:00 [Reply]
 あー、書いたぞォ。
 ここ神奈備掲示板は神様とか神社に込められたフシギを追いかける場所……でもありやす。
 そこで、どうしても現代人には意味がわからなくなっている神さまや、神社名が知りたくなる。
知るには知るだけの素養が必要なのだが、そこがまた、学者さんたちにも分かっちゃぁいねんだ
なァ〜これが……。

 あっしはネパール語と日本語・アイヌ語とのあいだに濃密な関係を見いだした余波を駆って、お
じゃましてきましたが、日本の神名はネパール語だけではワカランことのほうが多かった。
 そこへフヴヒーさん(HVHY)さんの登場となってきたのです。

 ヒョイと出てきてベベラベラベラとワケのわからんことを並べるフヴヒーさんには、ミナシャン
びっくらこいただろうが、胸に手をあてて言うところをこころ静かに聴いて……ウンニャ読んでい
くうちに、ドシロートでも5ヶ月か半年すれば、きっと「アッと驚くタメゴロー」になるヨ。

 おらもワカッチャねぇ段階だが、ちょと解説すると……、
 紀記編纂のときに、現代人には想像もできないような外人が大和政権中枢部に採用されて、空白
の古代を神、天皇、貴族名を星占いみたいな手法でデッチあげた……らしいというのがその骨子。
 フヴヒーさんの説明の途中にでてくる得体のしれない漢字は数式を伴った「天体の旅籠」です。

 フヴヒーさんも判ってないところがあるが、次から次に解明されて行っていることはタシカ。
 こういうおらもまだワカッチャねー段階だが、ミナシャン少しはワカッタんとちゃうやろカネ。
 おらの理解がも少し深まったら、また解説するべ。
 ミナシャン、言語考古学第一線の展開を味わえるたぁ、めちゃラッキーなんだヨ。
 
 幕末の官軍に村田蔵六(別名;大村益次郎・ほか)という天才軍略家がいました。
 クセのある人物で、噛んで含めるような説明をしなかったので大いに誤解されました。
 噛んで含めるような説明をするには膨大な前提事項を解説せなならん……もありやす。
 どこの天才もクセをいっぱい持っているようにござんすなぁ〜。

[2766] Re[2764]: カンナリにようこそ  Setoh 2002/04/06(Sat) 15:48 [Reply]
ZOUさん こんにちは。
> 大神神社拝殿前に上る標柱の真下
小生はここで聞こえました。

一度、風の森の高鴨神社へ参詣して見て下さい。
社務所の前で,道の中央より西側
拝殿前
西ノ宮(拝殿の西のほうに奥に続く道があって、宗像三女神を祭っている社の前)
わかりにくい場合には宮司さんに教えてもらって下さい。やさしい方ですよ。

[2765]   新学期・ホリホリ宣言     ヤギシリ 紋次郎 [Mail] [Url] 2002/04/06(Sat) 10:09 [Reply]
 Zou さん、そして ミナシャァ〜ン アマカネ!
 おとといから『さばえ』にたかっていやす。

 ここに書くいじょうは、THAT 以下を書かんけりゃなんねぇが、その書くタイミ
ングにはホント〜は、まだ至っちゃぁ〜いねぇ。
 タイミングちゅうなぁ that ,アメリカのドメイン管理会社から追い立て喰らっ
て、その後まだあっし固有の次のおエメも今後どーゆーホぺ張るか、はたまた張
らんかも決まってないケツ割り状況。

 書かねばならんこととは that……
 あっしが神奈備の床の下にもぐりこんだは、3年前だったか……? 忘れた。
 その後、瀬藤ドンから別荘作ってもろたが、どーもあっしゃ神社向きでなく、行
儀がわりぃ。それがなりゆきで「本殿と地続きだ」と宣言しちゃった。
 これ、イケナかったんだよナ。
 瀬藤ドンも、おれもさっと取り消し宣言すりゃよかった……のが、今になった。
 おらは21世紀初頭人として、シッポが切れたお猿さんとして、全方位的に目ン
玉ぐるぐる廻して生きる。そういうクセがついてしまって、いまさらゴメンナすっ
て……も始らねぇ。
 
 そーゆー次第で、あっしが固有の新規ドメイン持ったにしろ、神奈備とのあいだ
は地続きでないように、二重の濠を掘る。
 神奈備のほうには五十鈴川からキレイな水ゥ引き込むが、あっしほうの濠にはと
きどき○○○いれて鯉を育てる。

[2764] カンナリにようこそ  ZOU 2002/04/06(Sat) 00:59 [Reply]
Setohさん、みなさん、こんにちは。
勝手神社で盛り上がっているところを勝手な発言失礼しますm(__)m
少し前にカンナリについての話題が出てましたよね。で、夜の静かな三輪で再度試してみたのですが残念ながら・・・

大神神社拝殿前に上る階段で3段ごとに手をたたいてみたのですが、それらしい響きは聞こえず、標柱の真下や拝殿に近づきながら、また巳の神杉の前でも特別な響きというものは確認できませんでした。
もっとも私自身カンナリという響きは聞いたことがないので、それを割り引いてお考え下さった方がよいのですが(^_^;)

狭井神社でも、手前の階段や境内で同じ様に試してみたのですが、やはりわからずじまいでした。一番きれいに聞こえたのが、狭井神社拝殿内の畳の上でした。建物内ということでカンナリとは違うのでしょうけど良い響きでしたよ。

けどねえ・・・夜だというのに水汲みオジサンの水音で風情がそがれたのは残念でした(-.-;) おそまつレポートでした。ちゃんちゃん。

ソフマップはあきまへん! 私も修理で1ヶ月以上待たされて、戻ってきた物がまた故障、んでまた1ヶ月・・・
紋次郎さんのお戻りをお待ちしています。

[2763] Re[2762][2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  のりちゃん 2002/04/05(Fri) 17:46 [Reply]
> http://www.anraku.or.jp/jiin3.htm
> このページの記事ですね。違ってたらごめんなさい。できればアドレスを書きましょうね。

ありがとうございます。
調べればよかったのですが、この記事だけコピーしてあったので、不精してしまいました。
この記事が元ですね。

[2762] Re[2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  三省堂 2002/04/05(Fri) 16:45 [Reply]
> 勝手について。
>
> 真言宗智山派神童寺の縁起に、役の行者が行法していると、突然童子があらわれて
> 「汝の傍らに石楠花の樹あり、誠に霊木なり。これにて仏像を刻み衆生を済度せよ。吾らは
> 子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ)、の四神、常にこの樹を守護す。」と言い
> 終って空に飛び去った、なんてのが見えます。

http://www.anraku.or.jp/jiin3.htm
このページの記事ですね。違ってたらごめんなさい。できればアドレスを書きましょうね。

[2761] Re[2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  Setoh 2002/04/05(Fri) 16:29 [Reply]
のりちゃん こんにちは。
> 子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ)
この佐抛は猿投かも。
三河の猿投神社は桃色蜥蜴さんがお詳しいのですが,同じく三河の砥鹿神社、足助八幡宮と三点セットになっていて,熊野三山と関係があるのかも。

玄松子さん、こんにちは。
>  傍証:受鬘命は天孫降臨に伴奉した三十二神の一で守護的役割を果たしたそうです。
滋賀県蒲生郡竜王町岡屋の勝手神社の由緒にありました。
また『大和古地名辞典』には,受鬘命をウケノリノカミと読ませています。ここには「諾册二神相そひてあまくだります次に護国後見にくださるる」と『古典』からの引用がありました。『古典』名はメモになしので,追ってお知らせします。

[2760] 要するに「金星の童子」  hvhy 2002/04/05(Fri) 14:05 [Reply]
「子守」は「晦」で、「つごもり」は「みそか」(三十日)で、
この「三十」は「三重」に通底する。これも「勾」なわけだから、
実は「子守、勝手、金精、佐抛」の四神は、すべて「金星」の関連。

>突然童子が現われて、
>「汝の傍らに石楠花の樹あり、誠に霊木なり。これにて仏像を刻み衆生を済度せよ。
>吾らは子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ)の四神、常にこの樹を守護す」
>と言い終わって空に飛び去った。

という話で、現われたのは「童子」ですね。しかも、
「子守、勝手、金精、佐抛」は、みな「金星」の関連。
だとするとこれは、有名な鞍馬山の話のバリエーション。

#「石楠花」→「鳥之石楠船」→「天磐船」→「饒速日」
#という連関がありますが、「饒速日」も「三勾」(美和)。

[2759] 「佐抛」とは?  hvhy 2002/04/05(Fri) 13:27 [Reply]
前項で「金精」は(ある意味で)「丹塗矢」と見なされる。
そういう話をしました。「勝手」の「手」はともかくとして、
「勝」もやはり「金星」で、その内実は「金精」とほぼ重なる。

新撰姓氏録の逸文に「阿智王」の後裔についての記述があり、
「七姓漢人等帰化」と出てきます。この「七姓」のなかに実は、
「朱姓」がいます。「是は小市、佐奈宜等の祖なり」と記される。

ここで「朱」も名前、「佐奈宜」も名前。つまり固有名。
しかし、意味を持たない言葉から名前を附けたのではなく、
「朱」を名前にしたとか、「佐奈宜」を名前にしたとかの話。
したがって、「朱」と「佐奈宜」は関連語の可能性が高いです。
然るに「丹塗矢」も「朱」。ならば「佐奈宜」も「金星」関連か?

[2758] 「金精」と「丹塗矢」  hvhy 2002/04/05(Fri) 09:58 [Reply]
「金精」(コンセイと読むのがポピュラー?)は「陽石」つまり「男根」の形で
祀られてることが多いです。「金星」とも言われてますね。古事記の魔方陣では
「九」が「金」(金星)ですし、「九」は「勾」でもありますから、ある意味で
「丹塗矢」たる「美和之大物主」と同一視できます。まあ要するに「男根」です。

[2757] 金精  のりちゃん 2002/04/05(Fri) 09:50 [Reply]
すいません。
私がひっかかっていたのは、「金精」じゃなくて、「金人」でした。
でも調べてみると、「男陽」の形をした彫り物を「金精」と呼ぶこともあるようですね。
また、マルヤさんのおっしゃる通りみたいですね。
また、大峯山の地主神だ、というお話もありました。

・・・おっと、「勝手」でしたね(^^ゞ

[2755] Re[2748]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  玄松子 2002/04/04(Thu) 23:15 [Reply]
ちょっと、質問。

>  傍証:受鬘命は天存降臨に伴奉した三十二神の一で守護的役割を果たしたそうです。

この三十二神は、ニギハヤヒ命の時ですか?
先代旧事本紀のニギハヤヒ命の供には見当たらないんですが、見落としてますか。


熊野が12社、日吉が21社で構成されているように、吉野は八社明神で構成されています。蔵王権現・金精大明神・勝手大明神・子守大明神・天満大政威徳天神・牛頭天神・佐抛明神・八王子。

[2754] Re[2752][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/04(Thu) 23:13 [Reply]

> ・・・金精ってなんでしたっけ。

吉野でいえば金峯山の山王神が「金精明神」ではなかったかな?と思います。
いずれにしても金山彦ともいえる、鉱山・精錬・鍛冶の神ではないでしょうか。
たしか大山源吾氏は「コンショウミョウジン」とルビを付け、古田大明神ともいう精錬神で、あるいは丹生都比売神かも知れないと言っておられたと思います。(これは記憶に自信がありません間違っていてもお赦しください)

[2753] Re[2744]: 吉野行き  なにがし [Url] 2002/04/04(Thu) 22:00 [Reply]
マルヤ様
> (なにがしさん、一年程前から「都合がつけばご一緒しましょう」とお誘いしていましたのに、急なこととて声もかけずお許しを。)

いえいえ、こちらこそなかなか都合がつかず申し訳ないと言う気持ちでいっぱいでしたので、肩の荷が下りたようで、逆に感謝しております。ありがとうございました。

[2752] Re[2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  のりちゃん 2002/04/04(Thu) 21:58 [Reply]
勝手について。

真言宗智山派神童寺の縁起に、役の行者が行法していると、突然童子があらわれて
「汝の傍らに石楠花の樹あり、誠に霊木なり。これにて仏像を刻み衆生を済度せよ。吾らは
子守、勝手、金精(こんせい)、佐抛(さなげ)、の四神、常にこの樹を守護す。」と言い
終って空に飛び去った、なんてのが見えます。

この四神がなんなのかがわからないのですが(って結局かき乱してるだけだったりして)、
神童寺の住所は京都府相楽郡山城町大字神童子。
吉野山の中じゃないでしょうか?

役行者といえば、民を救うために、弁財天・地蔵菩薩・最後に蔵王権現を勧請したんですよ
ね。

子守・勝手・金精・佐抛。
弁財天・地蔵菩薩・蔵王権現。
4と3ですが、対応してるかも。

・・・金精ってなんでしたっけ。
なんか、ひっかかるんだけど、思い出せない・・・。
思い出したら、また書き込みます。

[2751] Re[2750][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  Setoh 2002/04/04(Thu) 08:14 [Reply]
> ひさしぶりの書き込みです。
玄松子さん おはようございます。Can you move ?

手は大手門とかの手としておいて,さて山と勝手から連想すると,奥方=山の神の出入り口を勝手口と言う程度では駄目と言うことね。しかし多聞天は福徳富貴の神で御厨に遠からずの雰囲気も。

神名における「勝」とはどんな意味があるんやろか,と言うことが問題。

吾勝神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊とか正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊で天忍穂耳尊。この神は高天原からは降りなかったと言うことで,天上=山上の神。香春の第二の岳の神に忍骨尊があった。

大山祇神は正勝大山祇神とも記される。

天忍穂耳尊の子が瓊瓊杵尊
大山祇神の子が木花咲夜姫
天津神と国津神の合体の祖父にあたると言う共通点。

だからと言って「勝」の説明にはならないんですが。。。

[2750] Re[2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  玄松子 2002/04/04(Thu) 00:03 [Reply]
ひさしぶりの書き込みです。

>  吉野の勝手神社は最近延焼してしまいましたが,天武天皇と天女の舞の伝説や静御前の舞の物語が語られる,舞に関係する神社です。しかしここの祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」で,

吉野の祭神も、昔は受鬘命ですね。「うけり」「うけのり」と読まれるようです。滋賀県竜王町には、吉野からの勧請社が幾つかありますね。
吉野の勝手神社は、吉野水分に対して、山口神社と呼ばれるようで、多聞天の垂迹ということです。
京都長岡京の子守勝手神社が、当サイトにありましたね。
http://www.kamnavi.net/yamasiro/komorika.htm
ここでも、水分と対峙して祀られているようですね。単なる「御厨」よりも、より根源的な神霊であるような気がします。
勝手が「山の口」を意味しているなんてことは無いでしょうかねぇ。

[2749] Re[2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/03(Wed) 23:43 [Reply]

神奈備さん、香具さん こちらこそありがとうございました。
またの機会を楽しみにしております。

[2748] Re[2747][2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  Setoh 2002/04/03(Wed) 21:48 [Reply]
香具さん あが。
 神力と言うお酒を飲みながら、阪神と酒の力も借りて,「勝手」を考えてみました。
 これは素直に「御厨」の意でしょうね。即ち台所、神餞の神を祀ったものでしょう。
 傍証:立地上も水分神社や金峯神社より下に鎮座しています。
 傍証:受鬘命は天存降臨に伴奉した三十二神の一で守護的役割を果たしたそうです。
 傍証:勝手神社の祭神には保食神もある。

 紋次郎氏から葉書が来ていた。ソフマップは40日になるが全く誠意がなく修理が進まないそうだ。ソフマップで買うのはパッケジソフトだけでハードは駄目が常識なのにね・・・。

[2747] Re[2745]: 勝手神社の語源,お知恵拝借。  香具 [Mail] 2002/04/03(Wed) 10:24 [Reply]
お能の『嵐山』・・・嵐山の桜は吉野から移植された御神木、という吉野の神々のお告げ。木守明神、勝手明神、蔵王権現という神々の舞い。吉野、花、仏教色、舞い?
また、勝手は弓を引くときの弦側の矢をもつ右手とか・・・?
『勝手な振る舞い』というぐらいですから、袖も振れば、舞いも舞う・・・ッテカ?
横から支離滅裂、勝手に自爆。この語源、興味津々です。よろしくお願いします。

[2745] 勝手神社の語源,お知恵拝借。  Setoh 2002/04/03(Wed) 08:49 [Reply]
 マルヤさん、香具さん その節はお世話になりました。

 勝手神社と言う神社が幾つか鎮座しています。何故、勝手と称するのかとの質問が来ており、難儀いております。
 神奈備ログ香具さん[1389] によりますと,天理市荒蒔町の勝手神社のご祭神は、天理市史によると『受鬘命(ウズ)』だそうですが,この神様の素性がはっきりしませんが,天岩戸前の踊りの宇受賣命でしょう。
 吉野の勝手神社は最近延焼してしまいましたが,天武天皇と天女の舞の伝説や静御前の舞の物語が語られる,舞に関係する神社です。しかしここの祭神は「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」で,この神が舞に関係したとは思えないのですが,「勝」字を重ねた神名です。重ねると言えば「手」なーんて。
 仏教の方に「勝鬘経」と言うのがあり,これも気になる言葉です。『延喜式神名帳』には勝手神社の名は記載されていません。仏教色が強かった神社だった傍証になります。

[2744] 吉野行き  マルヤ [Mail] [Url] 2002/04/02(Tue) 22:57 [Reply]
少しタイミングがずれていますが。
過日土曜日、吉野行きを思い立って、当掲示板席亭Setohさんをお誘いしたところ、急な話にもかかわらず快くお付き合い戴き、香具さんも誘ってくださいました。
お蔭様で有意義な一日を過ごせた訳ですが、そのときの写真が香具さんから以下の頁に掲出されています。さすがに美しく撮られていまので、よろしければご覧ください。

●香具さんの神社写真のページ
http://photo.goo.ne.jp/cgi-bin/a_menu?id=ixtlan&svc_id=30

(なにがしさん、一年程前から「都合がつけばご一緒しましょう」とお誘いしていましたのに、急なこととて声もかけずお許しを。)

[2743] 安閑神社と神代文字  Setoh 2002/04/01(Mon) 16:16 [Reply]
 滋賀県今津町の安閑神社は今では「あんかん」と訓むようですね。
 神代文字の刻まれた石があるそうで,興味が湧きますね。

 今まで幾つかの神社に参詣しましたが,文字らしきものが石に彫り込まれているのではないかと思われる神社が複数ありました。ただ小生は神代文字については殆ど何も知らないので,石にL,○,ー,lなどの記号らしきものが上下左右ひっくり返ったりしているのをそう思っているだけですが・・。
 群馬県太田市熊野町 熊野神社
 和歌山県貴志川町 八幡神社
などです。もっとも,神代文字の本んどには全く取り上げれれていないようで,只の風雪の仕業かもしれませんね。
 『神代文字の謎(藤芳義男氏)桃源社』によると,「西暦1223年に書かれた「上ツ記」に神宮文字(最古の日本文字)を撰したのが五十猛命とされている」と記されていましたが,どうやら神名の五十が五十音に通じる俗説かも。



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