神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

神奈備掲示板、あさもよし掲示板 過去ログ

掲示板のログ(平成十四年 五月)お名前の敬称は省略しています。

更新 H14.5.31

[3016] 明神岩  なにがし 2002/05/31(Fri) 22:43 [Reply]
Setoh様
丹生都姫神社の更新、早速拝見させて頂きました。明神岩って意外とデカイですね。川の中にあるのではなさそうですね。確か狩場明神が蛇に追われて呪文を唱えたら石が大きくなって蛇から逃れたと言う伝説があったような気が???間違っているかもしれません。


[3014] Re[3012]: 青草NOW 50%killer 1  玄松子 2002/05/31(Fri) 19:31 [Reply]
> なんと立派な神様であることよ!!

期待通りの反応、ありがとうございました。

> やはり洪水対策ですね。

殺されるのは、通行人や往来の人々ですよね、土地の居住者ではないようです。
・土地のものではない=よそ者
・あるいは、入ってきた者、侵犯者
・あるいは、出て行くもの
このような、人の動きに対する脅威、アンチ道祖神的な神のイメージですが、
そんな神、いましたかねぇ。

[3013] 青草NOW 50%killer 2 コレクション  Setoh 2002/05/31(Fri) 18:01 [Reply]
播磨国揖保郡
広山の里 出雲の御蔭の大神が枚方の里の神尾山におられて,通行人の半数を殺し、半数は生かした。
額田部連久等らが祀った。
枚方の里 出雲の大神が神尾山におられ,出雲の国と人が通ると,約半数を留めた。出雲の人たちは佐比(鍬)を作ってこの岡に祀ったが快く受納されなかった。河内の国の茨田の郡の枚方の里の漢人がやってきて,御心をやわらげることが出来た。

肥前国神埼郡
昔、この郡に荒ぶる神がいた。往来の人が多数殺害された。纏向の日代の宮に天の下をお治めになった天皇が巡狩されたとき,この神は和平なされた。

肥前国佐嘉郡
佐嘉川の川上に荒ふる神がいた。往来の人を,半分は生かし半分は殺した。土蜘蛛の大山田女、狭山田女が「下田の村の土を取って人形馬形を作って祭れば」と云ったので,県主の先祖の大荒田がそうしたので神が和んだ。

河内の国の茨田の郡の枚方の里の漢人とは淀川の治水(堤防作り)などを行った秦氏かもしれません。やはり洪水対策ですね。

[3012] 青草NOW 50%killer 1  Setoh 2002/05/31(Fri) 17:59 [Reply]
筑後国風土記 筑後の国号
この堺の上に麁猛神がいて、往来の人、半ば生き、半ば死んだと言う。その数いたく多かったという。よって、人の命尽しの神と言った。時に、筑紫君と肥君が占い、筑紫君の祖甕依姫を祝として祭らせた。それより以降は神に害はれなかったと言う。これを以て筑紫の神と言う。

筑紫神社の祭神は五十猛命のようですので,人の命尽しの神だったかもしれません。
50%killerよりは50人の山賊でしょうか。
所が,近くの荒穂神社の由緒で,「佐賀県三養基郡基山町に伝わる民話」
木の神の鬼退治(あらすじ)
昔々、木の山の東に、とても大きな悪い神たちが住んでいました。 その神たちは、山道を通る人たちの約半数を殺し、後の半数がやっと命びろいしていました。 そして、人の通りが少ない時期になると、今度は、里に降りてきては、「山の神に、ささげる生けにえだ」といっては、若い女の人をさらっていきました。 そのため、娘をもつ親たちばかりではなく、里の人々みんながこの神たちのことを『鬼』と呼んで恐れていました。 そこで、「里の人たちが、かわいそうだ」と、鬼たちを退治しにきたのが五十猛命でした。 そして、五十猛命は、みごと鬼を退治しました。

とありまして,五十猛命は鬼退治の方です。ここには五十猛命は最初に木種を撒き始めたとの伝承もあり,これを組み合わせると,禿げ山に雨が降って事情の知らない旅人が鉄砲水にやられていたのを,植樹をして保水力を高めて、洪水を防いだと云う,

なんと立派な神様であることよ!!

[3011] 無題  りん 2002/05/30(Thu) 10:30 [Reply]
玄松子さんありがとうございました。
うちのパソコンは文字が化け化けで、検索が上手くいかなくて困っていたんです。

石姫さんは、丹後の出身ではないかと思うのですが、まだ辿り着きません。
伏見稲荷には多くの社があり、その中の石姫さまが、羽黒山の石姫さまと同じな
のか確認したかったんです。
行って確認できれば一番いいのですが、九州在住のうえ、子供も小さく、なかなか行けないので、もし御存じの方がいらっしゃれば教えていただこうかと思いました。

これは、直感とは言えないかもしれませんね。

[3010] Re[3009]: 祀られた話  Setoh 2002/05/29(Wed) 14:54 [Reply]
玄松子さん,神奈備掲示板,かくありたいと思う書き込み,ありがとうございます。

石姫の子の敏達の支援者は継体・目子姫支援の地方豪族です。その次の用明からは蘇我氏の皇子が位につくようです。
遠い東国で子と母が死んだと云うことで,このケースは井上内親王の場合とは違うようですが,貴人は都からやってきて亡くなったと云うことが神として祀られることになった動機といえるのでしょうね。

りんさん> こういったお話は、こちらでは御迷惑でしょうか?
こういったお話とはどう云う話でしょうか。
神社参詣からの印象、文献,社伝,神話などの根拠はともかく,直感も大切にしたいとは思っています。マ,ほどほどに,頼みますネ。

[3009] 祀られた話  玄松子 2002/05/29(Wed) 13:12 [Reply]
> > 宣化天皇の娘「石姫」は羽黒山に祀られておられますよね?
>
> 所で神として祀られる何かがあったのでしょうか?

http://www2m.biglobe.ne.jp/~leokoya/oyama/kyuseki.html
こちらのページに祀られた伝説が書かれています。
羽黒山というより黒沼神社ですが。
単に、「羽黒山」とだけ書かれても、色々あるのですが、この伝説は、福島ですね。

[3008] 無題  りん 2002/05/29(Wed) 10:38 [Reply]
刀剣は新羅から伝えられたようです。
神功皇后によって。
神功皇后は実在していたように感じます。
高天原は、具体的にどこの場所というものではなく、象徴的な意味合いをもつものであるみたいです。

こういったお話は、こちらでは御迷惑でしょうか?

[3007] Re[3005]: 無題  Setoh 2002/05/28(Tue) 21:10 [Reply]
> 神として祀られる何かがあったというのは、何かなければ祀られないという事なのでしょうか?

祖先をすべて神とする以外には,小生はそのように考えています。

青草掲示板で,剣作の神の存在について語られていますが,鉄の塊が,火と水とトンカチによって鋭利な刀になる。これを成し遂げるのが神,八百万の神々の中にいないはずがない。

 刀剣を持たずしては天孫の地位を獲得できないと考えるべきでしょう。倭王讃〜倭王武あたりの王権はその鉄の供給源は半島の弁韓辰韓大伽耶付近であって,従って天日槍,神功皇后の神話が語るように渡来系王朝と見てもいいのでしょう。
九州の江田船山古墳太刀銘文に「治天下獲■■■鹵大王世・・・作刀者名伊太■、書者張安也。」とありますが,これは雄略天皇の時代の作刀者に伊太■の名が見えると云うことで,刀鍛冶が伊太■の神に祈願しつつ刀剣を作ったと云うことで、恐らくは伊太■神(五十猛神)が剣作担当の神様だったのでしょう。また三種の神器の草薙剣を取り出した素盞嗚尊も剣作担当の神様と言えるでしょう。

 大伽耶付近は高天原であるとの伝承があるようで,現在の地名も高霊で,一時の倭王権の権力の源泉だったと考えていいのでしょう。

 国内産の鉄で武器を作ったのは継体天皇の担ぎ上げた勢力で,近江高島や伊吹山麓の鉄を背景としていたのでしょう。ここにも天日槍や息長氏の気配が濃厚です。また継体天皇の妻の目子姫は尾張連の娘ですから,尾張の勢力も荷担していたのでしょう。
 主な勢力にはやはり新羅系がバックにあるようで,素盞嗚尊・五十猛命をして剣作担当の神と出来るのかもしれません。


[3006] 無題  よい子君 2002/05/28(Tue) 14:32 [Reply]
津田説は戦後歴史学の通説とはいっても、考古学的には稲荷山古墳出土の鉄剣等により、 雄略天皇からが実在の天皇との説もあり、初代天皇の確定に至っていないのが現状のようである。また、津田説では崇神天皇以降が歴史的叙述とするが、神宮皇后の韓国征伐等歴史的叙述とは考えられない部分もあり、記紀に頼りすぎる論者には説明してもらいたいぐらいだ。最近、聖徳太子虚構説、大化改新詔否定説(中大兄らのクーデターが新羅の比曇の乱のリライトしたものとの説含む)等、記紀の歴史書としての性格が大いに問われているようである。 

[3005] 無題  りん 2002/05/28(Tue) 14:15 [Reply]
はい。その石姫です。
神として祀られる何かがあったというのは、何かなければ祀られないという事なのでしょうか?
石井社ではないようです。
石姫の子が敏達天皇となっていますが、どうやら違うようなので、そのへんに関係あるのかもしれませんね。

ところで、setouさんの御先祖は宮司さんをされていたのではないですか?

[3004] Re[3003]: お久しぶりです  Setoh 2002/05/28(Tue) 08:14 [Reply]
> 宣化天皇の娘「石姫」は羽黒山に祀られておられますよね?
> 伏見稲荷にも祀られているのですか?

深草の秦氏に関連の欽明天皇の皇后の石姫皇后のことですね。
伏見稲荷大社の摂社に石井社(いしいしゃ)があります。ひょっとしたらここの御祭神かも知れませんね。
所で神として祀られる何かがあったのでしょうか?

[3003] お久しぶりです  りん [Mail] 2002/05/27(Mon) 22:38 [Reply]
御無沙汰しておりました。
以前、少しお話していましたが、私に色々と教えてくださる神様
の事が解明してきております。
その節は、大変お世話になりましてありがとうございました。
この場を借りまして、とかげさんもありがとうございます。

つきましては、なかなか欲しい情報に辿り着きませんのでお尋ね
したいのですが、宣化天皇の娘「石姫」は羽黒山に祀られておら
れますよね?
伏見稲荷にも祀られているのですか?
もし御存じでしたら教えていただけませんか?

[3002] Re[2998][2997]:   箸が普及しはじめた頃     Setoh 2002/05/26(Sun) 08:45 [Reply]
祝! あかがねさん 3000番目。

草薙剣を解きあかすには,素盞嗚尊と日本武尊を解いておく必要がありますね。
下記の内容の吟味が取りあえず必要ということですね。

       素盞嗚尊         日本武尊
姫    稲田姫を櫛に変えて助ける  弟橘姫を失い、櫛が漂着する。
山神   オロチを退治する。     伊吹山の神にやられる。
草薙剣  天叢雲剣を手に入れる。   それを置き忘れる。
伊勢   天照大神と戦う。      倭姫に励まされる。
ホト   大宣津姫を殺す。      美夜受姫と交合する。

父親   伊弉諾尊に追放される。   景行天皇に敵地にいかされる。
兄弟   天照大神と戦う。      兄のオホウスを殺す。
歌    八重垣 出雲か。      大和。

死後   根の国。          白鳥。
(参考:『日本神話の特色』吉田敦彦著

ほかに,三種の神器の一となったこと,熱田神宮から盗まれたこと,などなど。

[3001] Re[3000]: たたらといえば  なにがし 2002/05/26(Sun) 03:27 [Reply]
私もいずれはやってみたいと思っています。ただし、たたらではなく原始的な野焼きの方でですけどね。

[3000] たたらといえば  あかがね [Mail] 2002/05/25(Sat) 22:08 [Reply]
 ワールドカップ予選の行われるらしい(興味なし)茨城県鹿嶋市で、小学生が砂浜から
1トンもの砂鉄をこつこつ集めてたたら製鉄した上で、刀鍛冶に頼んで「平成の直刀」
などというものを製作したそうです。
 勿論茨城県下にたった一つしかない国宝である鹿島神宮の社宝の直刀に因んでの物で
しょうけど、そういう郷土史というか古代史というかをちゃんと小学校時分から教育
してるっていうのはなんかいいですよね。

[2999] たたら  KAYO [Url] 2002/05/25(Sat) 20:06 [Reply]
お久しぶりです。
名古屋弁で、やっとかめ。

さて、宣伝になっちゃうんですが
うちの仲間の方(北海道)が、たたらが大好きで
研究して とうとう個人でも たたらができちゃうやつを
開発しました。小学校などで 実演して子供達に喜ばれてるそうです。

古代史に、鉄の問題は大きいと思います。また、
鬼の存在ともからんできます。たたらは、面白い!

よかったら、覗いてください。たたらファーネスといいます。↓から入れます。

草薙剣がある名古屋からでした^0^(実在するっぞおお)

[2998] Re[2997]:   箸が普及しはじめた頃     玄松子 2002/05/25(Sat) 14:43 [Reply]
草薙剣の意味(語源)を説明するためには、
単純に、クやサに音を分解して、ネパール語の似た発音の言葉を
示すだけでは、単に「音が共通」と言っているだけ。

語源と断定するには、草薙剣に関する伝承や事跡の中に、
「音が共通の言葉」との「意味が共通」な点がなければ、と思う。
そういう意味で、「オロチ」は重要なキーワードでしょう。
切り捨てるには、それなりの理由がいる。
でなければ、自説の付会としか思えない。

ひょっとして、すでにその理由は示されていて、僕が理解できていないだけなのだろうか。
一連の氏の発言の意味が、まったくわからない玄松子でした。

[2997]   箸が普及しはじめた頃     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/25(Sat) 14:01 [Reply]
 おろち退治は箸をつかう風習が倭人の上層階級に広まりかけているころのハナシです。
これは3世紀ごろのできごとでしょう。ヒミコの墓は箸塚という文字 < harsi(ペルシャ?)
 紀記は8世紀。
 紀記などは公文書でしょうが、その公文書が地名や名前の由来にふれた解説のていたらくは
いまのアオグサを見てもらうまでもないところです。

 「クサ(邪悪なるもの)」の語源を書くのをわすれていました。
 ネパール語も日本語も、接頭辞 KU- には「美・良い」と「醜・悪い」の二つの意味が同居し
ています。沖縄ではよりわけが便利なように「美・善」を GU- としています。

 その「醜悪」の KU に SA がついたのが「クサ」でした。
 末尾辞の -SA には格別な意味はなく、単純に形容詞、形容動詞、名詞を作ります。
 沖縄にも、シーサー(獅子の屋根かざり)やスーサー(鳥)、「ながりゃへーさっさ」など。
 ネパール語の bhasa(ことば) は日本語の「ことば」の「ば」に -SA がついた語形です。
 そのた KISSA(はなし……タンカきりの“kir”)、HISSA(わけまえ)などに見られます。

 クサの SA に「○○の」が認められるならば、クサナギは「クのへび・もの」と、かなり苦
しい解釈もなりたたないわけではありません。
 SA に「○○の」がありましょうか? これはかなり難しいモンダイです。
 古代文字が書かれていたミサクボ(地名)など、相当に匂いますが、この SA は「里」とか
JAR(水流)ではないか……。ここは後日のテーマにしたいです。

 日本書記には「誰某さんの家は白い雀がいたとか、誰某さんの倉庫にふくろうが巣をかけた」
だの、そういうレベルのことが「正史」として取り上げられ記載されています。
 おおやけの文章に書かれていること、依而如件。

[2996] Re[2995]:   ク サ N A G ー I     玄松子 2002/05/25(Sat) 12:00 [Reply]
> > クサナギ剣が、オロチの尻尾から出たというのは、古事記に書かれている話。
> > とすると、古事記の時点では、すでに「後世」なのですか?
>
> ☆ イエ〜〜ス、そのとおり。

なにが、「イエ〜〜ス」なのか全然理解できませんが、

「オロチの尾から出た」というのは、「クサナギの剣」の由来を説明したもの。
「クサナギ」という言葉の由来を説明したものではありません。

[2995] Re[2994][2993]:   ク サ N A G ー I     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/25(Sat) 11:40 [Reply]
> クサナギ剣が、オロチの尻尾から出たというのは、古事記に書かれている話。
> とすると、古事記の時点では、すでに「後世」なのですか?

☆ イエ〜〜ス、そのとおり。
 「後世」ということもあるし、「よその土地」、「よその氏族でのこと」、「きいたハナシ」
 「誰かが故意に創作したドラマ」もあらいしょ。それらをドサまわりの打ち上げ会のときに
 言うたとか、「おら聞かぬ」とか‥‥。

 「取り上げるべきスジ」と「とりあげてはならぬスジ」と。

[2994] Re[2993]:   ク サ N A G ー I     玄松子 2002/05/25(Sat) 10:19 [Reply]
>  で、クサナギとは「邪悪を薙ぐ」であって、「へびのシッポから出てきた……」などとの
> 説話は、おみきが醸した後世の符会というべけれんや。まじめにつきあう価値はゼロの領域。 

クサナギ剣が、オロチの尻尾から出たというのは、古事記に書かれている話。
とすると、古事記の時点では、すでに「後世」なのですか?

[2993]   ク サ N A G ー I     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/25(Sat) 10:03 [Reply]
 いま、いろんな発音、概念が噴きでていて、判断を混乱させているみたい。
 まず、「クサナギ」をやっつけるべ。

 同じ発音のクサでも“邪悪”があるし、GRASS もあらぁな。まさかと思うがこれを
いっしょくたにしちゃぁいけねぇ。この二つの意味のほかに、ナグサに含まれている
かもしれない別の意味も考えなければいけない……ということだ。

 先日、近藤貴さんが並べてくれたサンスクリット語には KUSA(草)という語形はな
かった。が、安本美典著『日本語の誕生』巻末対比表には、厳然として KUSA(草)が
あった。
 近藤貴さんに「では安本美典さんは騙されたのか」を正面きって質問すればよかった
のだが(したには、したのだが)、答えはなかった。とまれ、辞書みればわかることだ。
 そしていずれにしろ、日本語には KUSA(草)があることも、厳然とした事実である。

 そうすると、次は「なぎ倒す」の「なぐ」という日本語はどこから来たかがモンダイ。
NAG には飛び跳ねるという動詞はあるが、「ぶっ切る」という意味は、周辺言語にはない。
 この語彙は日本列島で発達(意味変化)したものであろう。

 ではどこで発達したかというと、諏訪の御柱祭りのとき、(人間が)神木と指定した
喬木に打ち込むへび頭を形どった「カマ」‥‥の神事に起源があらいしょ。
 すなわち、このカマ打ち込み神事はへび神のこころを「鎮める」のが狙いである。

 「馴れ」という語彙は世界的な広がりをもっている。NAZ(馴染む)NAG(慰め)も同系。
 「馴れ」はオーストラリア・アボリジニー語にもある。
 ここにわれわれは幸いにも、NAR > NAZ > NAG の推移をたどることができる。
 本来、「慰める(怒りを少なくする)」だった KAM が「へび・する」と意識され、慣用
のうちに NAG(へび神)がひっぱりだされて、このへんで“醸成”が起こっているのでは
なかろうか‥‥21世紀初頭人は、このへんしか考えられない。

 こういうワカランときには別の辞書に飛べばいい。
 参考; アイヌ語 OCHINKAMA(踏みこす) , カミアシ(毒へび・エデン語;*XAM=へび)、
     カマナタ(大包丁)。
     ネパール、タジク語;KAM(少ない)

 きのふ、アオグサで説明したように、NATA は 「 TA(切る)する NA(もの)」です。
  このような揉み合いのうちに薙刀が生まれて、モーションつけて横なぐりに切る動作を
「なぐ」という概念が育ち〜完成したのではないだろうか。

 で、クサナギとは「邪悪を薙ぐ」であって、「へびのシッポから出てきた……」などとの
説話は、おみきが醸した後世の符会というべけれんや。まじめにつきあう価値はゼロの領域。 

 ※ ついついアイヌ語のochinkama を出しましたが、これは「O(そこで)*chin(境を)
   “KA(上)MA(する)”らしいですので、これは KAM とは関係が非常に薄いといえる。

 ※ 香具さん、「構える」は“腰”から。だが、「構うな」などの「構う」は「 KMA(ちょと)
   AU(する)」。語根がちがってた。
 ※ 満州の土俗語を二つ三つ見てみたい紋だ。
 ※ セトホドン、「ヘグリ」は急ぐカネ? へーみたいなこと、アオグサでアホクサ挑戦ばい。

[2992] Re[2990][2989][2986][2985]: 草  Setoh 2002/05/25(Sat) 08:47 [Reply]
> > > 草薙剣は、クス薙の剣。
> > あるいは、クスのナギの剣=国津の蛇神の剣。
> 大蛇の尻尾から出た剣ですよね。

青草のネーミングの元は青人草という言葉で、いわばクズの民のこと,クズの民を征服した剣で,なぎ倒す剣は機能からは言えますね。

青人草が畏れ信仰した神は磐にひそみ,滝に憑き,山に坐したのでしょう。磐座があると聞けば探しに行きたい衝動はその血が騒いでいるのかも。

[2991] Re[2987]:   「なふさ」と絡んだ別氏族語としての「なぐさ」    Setoh 2002/05/24(Fri) 21:32 [Reply]
>  「なふさ神社」というのが京都にあって、ちょと出た。
どうも見当たらないようだね。中間製品だね。

平群の御櫛神社にクサ神社という摂社があるそうです。御櫛神社にはまだですがその内に調べて見たいと思います

この平群と草薙剣の日本武尊との関連ですが,能煩野での国思歌はその一つですが,桑名市志知に平群神社が鎮座,日本武尊の墓守りに平群谷から行って勧請したのかも。
安房国に平久里川があります。千葉県安房郡富山町ですが,尊の上陸の地でしたね。
なぜ平群と尊が結びつくのでしょうか?狭い平群谷は狩猟で食っていた人が多く、これは武人としてすぐ役だったとか。

平群とはどんな意味があるのか。『平群町史』から。
1.辺の国説
2.百済の古語 住み良い地
3.蝦夷の古語 上陸地にあたる住み良い地

> あるいは、クスのナギの剣=国津の蛇神の剣。
ナギの剣=蛇神の剣。はそうでしょうね。


[2989] Re[2986][2985]: 草  玄松子 2002/05/24(Fri) 21:21 [Reply]
> この草を「土着」と解した場合、意味が異なります。

土着と考えると、草(クサ)って、クスに見えませんか。
草薙剣は、クス薙の剣。

根拠がないので、青クサ・ネタかな。

連続投稿。(ログでは、まとめて下さい。)

> 草薙剣は、クス薙の剣。

あるいは、クスのナギの剣=国津の蛇神の剣。
大蛇の尻尾から出た剣ですよね。

[2988] Re[2986][2985]: 草  Setoh 2002/05/24(Fri) 19:56 [Reply]
『日本書紀』巻九 気長足姫尊

又遣磯鹿海人名草而令視。
岩波文庫の訳:また磯鹿の海人,名は草を遣して視しむ。

海人を「草」という名とみるのか,「名草」という人間とみるのか,漢文苦手の神奈備としてはわかりませんが,偵察係としては土着の忍びと理解できますね。

名草と忍び,小生の故郷に黒岩という地名はありました。風魔かな。
玄松子さん上田でしたね。真田の本拠地ですね。暫く前に戸隠云々がありましたが,これも忍びですね。

> 草を薙ぐ程度の剣に威力があるのか
ルパン三世の斬鉄剣,こんにゃくが斬れなかった。ふにゃふにゃしたもの,やわらかいもの,これらを斬る剣、ほんものでは?

> 大屋神社と大産彦神
素直に大屋神社は大屋彦神と信じることにします。ありがとうございました。

[2987]   「なふさ」と絡んだ別氏族語としての「なぐさ」    クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/24(Fri) 18:25 [Reply]
 ことしの2月か3月初めのころでななかったかなぁ〜。
 「なふさ神社」というのが京都にあって、ちょと出た。
 実は、この「なふさ」に上塗りした形で、「なぐさ」ができたと思ほゆ。
 クサナギという場合のクサは「気持わるいもの」であることはまちがいない。
 だが、ナフサ、ナクサは別系統の統語法がかかってらいしょ。
 
 体温計の玄象師師ドンの仰せ。イッシンゲッポの紋ちゃん、アオグサでゴ〜〜ン法事カネ。

[2986] Re[2985]: 草  玄松子 2002/05/24(Fri) 17:02 [Reply]
ありがとうございました。

日本武尊の草薙剣について、草を薙ぐ程度の剣に威力があるのかと考えていたんですが、この草を「土着」と解した場合、意味が異なります。
地方に土着する忍びは、草。


ついでに、上田市の大屋神社に関して。
といっても参拝したわけじゃないです。図書館に行ったついでに調べてみました。
祭神は、
左殿:イザナミ命、速玉男命、事解男命、大産彦神
右殿:天照大神、天手力男命、万幡秋津姫命
で、「大産彦神」って誰? という感じですが、創立年代や由緒は不詳。
大産彦神が、大彦・大屋彦・大飯彦の誤字という可能性もあるでしょう。

[2985] Re[2984]: 草  Setoh 2002/05/24(Fri) 16:55 [Reply]
> 名草の「草」の意味は、神奈備サイトでは、どのように解釈していました?

蠅声[202]
「くさ」とは何か? 神奈備
海神のいづれの神を祈らばか行くさも来さも船の早けむ
わたつみの,いづれのかみを,いのらばか,ゆくさもくさも,ふねのはやけむ
と歌われる往来方の地をクサとしたのではなかろうかと,『古代播磨の地名は語る』姫路文庫に記してあります。
 この歌の舞台の姫路平野は船の行き通う海であったことが、『風土記』の記述からも推測でき、紀の国の名草の「クサ」も紀の川の船の往来の地に関係していないだろうか。
更に思いをはせれば、草香、日下などのクサも日の出に関連して説明されるのだが、同時にまた船着き場の様相もあるのです。
http://www.kamnavi.net/log/ktba0204.htm

以降は神奈備ログから
[2532] 神奈備
2 「ほにゃらか」で紋氏が
* ナグは龍または蛇。
* 「サ」には神・王の意味があるかもしれない。この辺は末決着。
* ナグサは「ナグ・フサ」だった可能性大。それに従うなら「龍・蛇」となる。
と解読されています。要は蛇のナーガが名草(なぐさ、なぎ)の語源になっているかどうかの見極めの話です。

[2068] 紋氏
  KUSA は堀井令以知さんによれば「恐ろしく忌むべこもの」で、名詞形ですが、もともと kus が
  「おそろし、忌む」であって、これに NA が接頭されたような気がしていたのでした。

[1084] 紋氏
☆ 平戸の「シシキ」、礒城(シキ)、磯良(イソラ)、イソ(石)の神 ……どこから持ち込まれたかというと「多良岳文化から」としか言いようがア〜りまセ〜ン。
 上の『語源大辞典』から、古語約300語彙を抜きだしました。ワープロ(機械)での紙印刷もやりますので、ご希望の方は遠慮なくお申し付けください。
 例 ; ツク(直立する柱・杭 / ミオツクシ) クマ(ゴミ、木の葉) ヂ(柱……タカクラジの「ジ」) ダンヂ・ダシナ(いたどり……なにものかへの柱ならまし) クサ(恐ろしい忌むべきもの)……名草ヒメ(そんなに怖がるな、嫌いものにするなの意味か??)。

[1001] 紋氏
 もし、地名でありえたら「na(土地・指導者)kusa(舟)」(形容詞後置形)の解釈が出らいしょ。「nag(へび神)・sa(里)」も有力解釈でんなぁ〜。
 くさかの江、草津、モノノベの渚鳥カネ。アイヌ語 ikusa は「川を舟で渡す」。

神奈備サイトの解釈? setohの解釈? 言語音痴です。

[2984]  言少子 2002/05/24(Fri) 14:53 [Reply]
名草の「草」の意味は、神奈備サイトでは、どのように解釈していました?
探したけど見当たりません。

[2983] 平群谷  Setoh 2002/05/21(Tue) 20:09 [Reply]
 久しぶりに平群谷を歩いています。奈良の西北隅、河内から生駒、信貴を越えた谷間。龍田川が北から南へ流れ,大和川に合流、下ると龍田大社,南に出て東は斑鳩,西側の山々が重なるようで美しいが,宅地化も進行。

平群(へぐり)は平郡(へぐに)即ち 辺郡(へぐに)だそうだ。

日本武尊が能煩野で国思歌を歌うのですが
最初は有名な
倭(ヤマト)は 国のまほろば たたなづく 青垣(アヲカキ) 山(ヤマ)隠(ゴモ)れる 倭(ヤマト)しうるはし
ですが,二番目は
命(イノチ)の 全(マタ)けむ人は たたみこも 平群(ヘグリ)の山の くま白
梼(カシ)が葉を うずに刺せ その子
とこの平群が出てきます。

ここに平群坐紀氏神社が鎮座、紀氏のにおいがするので,さてさて五十猛命はどっかに鎮座していないだろうかと探している最中です。紀氏のにおいと五十猛命は「名草」をテーマにK氏とやっていまして但馬の名草神社にその可能性があること,またN氏関係で山城の紀伊郡、伏見稲荷の四大神とは五十猛命三兄妹神のことと『式内社調査報告』にあったことに意を強くして,平群でもと,柳の下です。平群神社(式内)は五座,別の名を紀氏神社とか,ここは匂うのですが悲しいかな霊感ゼロ,神社は何も語ってくれませんね。

[2982] Re[2979]: 金砂神社  Setoh 2002/05/19(Sun) 12:28 [Reply]
> 華奴蘇奴神社? 面白い。
大三元さん こんにちは。
香取と鹿嶋,country & cosmos,田舎から大宇宙まで。青草かな。
やはり香取は根元に縄文ありですね。

[2981] こんにちわ。  信濃万里 [Mail] 2002/05/19(Sun) 11:59 [Reply]
>Setohさん
ご親切に教えていただいて有難うございました(_ _)。
今後の参考にさせて頂きます。

[2980]   大三元さん、正解だと思うヨ     クサ枕紋次郎 [Mail] 2002/05/19(Sun) 05:34 [Reply]
 かなり正解だと思います。
 語源のハナシですので、その理由その他は『青草掲示板』で遊ぼ(この上に掲出、
きのふから始まった)。

[2979] 金砂神社  大三元 2002/05/18(Sat) 20:37 [Reply]
・華奴蘇奴神社?
・香取については、アイヌ語 kantori kamuy 天上・神 が気になってる

完全に語呂合わせノミのモードでした


[2978] Re[2976]: はじめまして。  Setoh 2002/05/18(Sat) 16:57 [Reply]
> こんにちわ、初めてお邪魔します。
信濃万里産こんにちは。
戸隠神社については
「神奈備掲示板ログ平成十四年 二月」2002/02/18 クズ龍と密教  kokoro
「神奈備掲示板ログ平成十四年 七月」2001/07/15] Re: 国津とクズ2 kokoro
参拝記録は「玄松子の記憶」http://www.genbu.net/
http://www.genbu.net/data/sinano/togakusi4_title.htm
に詳しいですね。

[2977] Re[2974]: 祭りというと。  Setoh 2002/05/18(Sat) 16:53 [Reply]
東西の金砂神社の3月下旬の大例祭ですね。73年、ハレー彗星の周期?と関係ありや。
西金砂神社には7年に一度の小例祭があります。これで記憶を維持するのでしょうね。

[2976] はじめまして。  信濃万里 [Mail] 2002/05/18(Sat) 11:36 [Reply]
こんにちわ、初めてお邪魔します。
九頭龍神について調べていたらこちらに辿り着きました。
長野県にある戸隠神社の九頭龍大神についてご存知の方がいらっしゃいましたら
是非お聞きしたいのですが・・・。

[2975] Re[2974]: 祭りというと。  習志野のてつ [Mail] 2002/05/18(Sat) 10:24 [Reply]
> 東西二社ある金砂神社の73年に一度の大祭礼が行われる年にあたります。
> とまれ、今までに16回行われているとのことで、それだけでもものすごいことです。
 
来年17回目で、最初はと計算したら1150年以上前。しかしスゴイ。
 一生に一度だけでしょう。是非見に行きたい。 でも
@なぜ東と西の二社に分かれているのか
Aなぜ73年に一度、忘れてしまいそうな時間をあけるのか
大いに疑問が残りますね。

大きな祭りを連続して行うと、地元の負担が大きすぎるので間隔をあける
のが普通です。こちらの船橋・習志野地区でも三山七年(みやましちねん)
祭りがあり、丑年と未年の6年毎に行われています。はじめたのは馬加殿様
…「ばかとの」ではなく「まくわり」とのさま。表記は「まくはり」。
いま地名である幕張(まくはり)、幕張メッセなどの由来です。

[2974] 祭りというと。  あかがね [Mail] 2002/05/17(Fri) 22:27 [Reply]
 つくば在住のあかがねです。
 今年は12年に一度の鹿島神宮の御船祭ですが、来年は茨城県の北の外れ(失礼な)に東西二社ある金砂神社の73年に一度の大祭礼が行われる年にあたります。
 日立の浜から水府・金砂といった山の中まで練り歩くという途方もなくエネルギーの必要なお祭なんですが、何度か訪れた時には資金が集まらない、という看板が空しく建っていたのが悲しかったです。さぁ本当に出来るんでしょうか。73年というのは伝統を保持するにはちょっと間隔が空きすぎなのかもしれません。とまれ、今までに16回行われているとのことで、それだけでもものすごいことです。

(東金砂神社公式HP)
 http://www.higashikanasa.or.jp/

[2973] 鹿島神  玄松子 2002/05/17(Fri) 20:06 [Reply]
古事記には、経津主が出ていないので、経津主は、鹿島神の持っていた剣のことで、その剣の御魂であるというのをどこかで見た記憶があります。
今回も、『記憶』ですみません。

[2972] Re[2971]: 祭  習志野のてつ [Mail] 2002/05/17(Fri) 14:50 [Reply]
> 原語にあたるとまた解釈が違ってくるかも知れませんが、
> 日本書紀一書第二では、岐神に案内されたのは、経津主神だけとなってます。
 私もそんな気もします。が、いかんせん、読めない。

> 無責任な想像なのですが、鹿島神宮の祭神は「武甕槌神」と言われているけれど、
 本当は、経津主神の荒魂、なんていうことはないかなぁ、なんて考えてしまいます。
> 香取神宮の奥宮には、経津主神の荒魂が祀られていましたが、本当は、鹿島神宮に…
  とか。なんて。
鹿島神の荒御霊は、普段奥の宮に祭られています。いまは、建替え工事中で、
本殿の向かいに遷座しています。ところで、この宮前に4本の柱が立ててあり、
それを注連縄で結んでいます。あれが鳥居の原型では?などと思いついてます。

[2971] Re[2968][2967][2961]: 祭  のりちゃん 2002/05/17(Fri) 13:35 [Reply]
「鹿島神が遅れたので、香取神は上陸できなかった」なんていうエピソードは、お祭を見に
行かない限り知ることができない情報ですね。ありがとうございます。

息栖神が岐神なのだとしたら、香取神(経津主神)が鹿島神(武甕槌神)より先に上陸でき
ないっていうのがなんとなく不思議な気持ちになります。

私は現代語役版しか持っていないので、原語にあたるとまた解釈が違ってくるかも知れませ
んが、日本書紀一書第二では、岐神に案内されたのは、経津主神だけとなってます。
また葦原中国を平定する前に天香香背男を征する斎王になったのは、斎大人、イワイノウシ、
香取神宮にいらっしゃる神様となってますよね。

常陸国風土記に、竹来は経津主の降臨の地とあったりして、武甕槌神より経津主神の息遣い
を強く感じます。

無責任な想像なのですが、鹿島神宮の祭神は「武甕槌神」と言われているけれど、本当は、
経津主神の荒魂、なんていうことはないかなぁ、なんて考えてしまいます。

香取神宮の奥宮には、経津主神の荒魂が祀られていましたが、本当は、鹿島神宮に・・・と
か。なんて。

[2970] 香取外宮,鹿嶋内宮  Setoh 2002/05/17(Fri) 13:24 [Reply]
香取神宮の御田植え祭は「かとりまち神事」だったそうで,これは鹿嶋神宮の「かしまだち神事」に対応するもの、香取外宮,鹿嶋内宮のコンビ説の根拠になっているとのこと。
香取神宮は女神を祀っていたのかもしれない。やはり巫女の神格化した神としての伊波比主神かも。
香取神宮の元社の云われる大戸神社が対岸に鎮座、現在の祭神は天手力男神で,社名からは頷けますが,古事記の神世七代の神名に女神の大戸之弁神の名があり,仮説として神世七代の神々とはこの国の原住民(縄文人、蝦夷?)の神々だったとも云われることもあり,大戸之弁神を祀っていたとも考えられます。蝦夷の神をして蝦夷退治の守り神とすると云う点では, 多賀城の荒脛神社と同様の事です。
余談ですが,土地の神をして支配者の神を祀らせ,守らせると云う天孫族の常套手段が見えています。
鹿嶋神宮は武神で現在の祭神は武甕槌神ですが,『常陸国風土記』にその名が見える建貸間命(那珂国造、多氏系)だったとか。風土記ではその軍勢は杵島ぶりの歌曲を歌ったそうです。杵島は肥前国ですから,この辺りから兵が来ていたとは,驚きですね。神武・崇神・応神の天皇の勢力の九州からの東征の延長線上に位置づけられるのかも。または,関東の兵を九州の防衛につかい,九州の兵を蝦夷鎮圧につかったのかも。言葉が通じないので遠慮なく殺せたとか。

[2969] しまった訂正  習志野のてつ [Mail] 2002/05/17(Fri) 12:56 [Reply]
[2968] で、「息栖神は船で行かない」と書きましたが、間違い。で、訂正。
鹿島神の先導をするのは、息栖神です。
正:「息栖神社の御先導船を先頭に水上行列を組み、出発する」そうです。謝。

[2968] Re[2967][2961]: 祭  習志野のてつ [Mail] 2002/05/17(Fri) 12:31 [Reply]
のりちゃん、4月にお見えになったのですか!
実は香取神宮は神幸祭といって、やはり今年4月15日に船に乗る
儀式が行われ、私も見に行きました。この時、鹿島からの船が遅れ
た為、香取の神は上陸できず、しばらく船の上で待っていました。
このお祭りについての香取神宮のHPは下記
http://www.katori-jingu.or.jp/shikinen/
つまり、鹿島の神の方が@格が上か、鹿島神がA案内役かです。
案内役には猿田の神がいます。この行列でも先頭にたっていました。
ということで、@だと思います。

> このお祭りは、鹿嶋・香取・息栖の神様が一堂に会するという祭りですか?
> …息栖神社は、…3社の神様は「3兄弟」
私の知る限りでは、ダンゴ3兄弟はなさそうです。と云うのも、鹿島、香取は、
神名帳でここだけが神宮です。神宮と神社は違います。また息栖神社でだけ、
「東国三社」との話をききます。息栖神社が、自社の格付けを上げる為に
作った話ではないでしょうか?
船で御幸をするのも、鹿島、香取の神様だけです。

>Setoh 様
宝物館にあるのはレプリカです。但し非常に古い。国宝になっています。
大王(天皇)家では、各地の豪族(王)から、娘を集め、家系図や言い伝
えを集め、武力のシンボル刀も集め、各勢力を従わせました。鹿島神の刀
もそのとき供出、で作ったレプリカです。
国宝ではあるけれど、しょせんレプリカ。気楽に展示しています。

[2967] Re[2961]: 祭  のりちゃん 2002/05/16(Thu) 22:46 [Reply]
横から失礼します。

> 東国では、鹿島神宮の御船祭(おふなまつり)が12年に
> 一度の午年、つまり今年の9月2日にあります。

このお祭りは、鹿嶋・香取・息栖の神様が一堂に会するという祭りですか?
たまたま、今月の初め、この3社に参拝したのですが、その時、息栖神社の地元の方が、
「鹿嶋・香取・息栖の神様が12年に一度、海の上で会う」とおっしゃってたのですが、こ
のお祭りのことを指していたのかも知れません。

息栖神社は、鹿嶋神宮の摂社となっていますが、その時のお話では、3社の神様は「3兄弟」
とおっしゃってました。

お祭りに参加すれば、地元でしか聞けない、「噂話」も聞けるかも知れませんね。

[2966] Re[2961]: 祭  Setoh 2002/05/16(Thu) 22:17 [Reply]
習志野のてつさん曰く。
> 鹿島神宮の宝物館(ほうもつかん)には、国宝の大きな直刀(ちょくとう)
> があります。「ふつのみたまのつるぎ」です。←ふつぬしの御霊(みたま)
> 千葉県佐原市の香取神宮の祭神は「経津主(ふつぬし)」
> 神奈備の皆さん、一度遷座をかんがえられてはいかがですか。

神社へ参詣して何かがわかったと云うようなことは実際にはあまり体験がありませんが,参詣していないとその神社とか周辺について考える意欲が盛り上がらないような気分になっています。
音に聞く香取鹿嶋の両神宮については,一度是非参拝したいと念願しております。
香取鹿嶋の距離と方角の関係は紀の国の那智と速玉(新宮)に似ています。また共に物部氏が祭祀に関与した可能性があります。香取鹿嶋は経津主,熊野国造は物部系。
所で香取鹿嶋は同じ神を祀っているとの説も『日本の神々』に触れていますように,鹿嶋に経津御魂の剣が祀られていても不思議ではないと思います。尤も,宝物館に展示されているのが本物だとすると御神体としてはさほど重要視されていなかったとも言えますね。



[2965] やっぱり日の神様?  ひふみ 2002/05/16(Thu) 04:31 [Reply]
あまり、神奈備には関係ないのですが。
日本の太陽光発電の技術は、世界一である、という話を聞きました。
よくある屋根の上での太陽発電などというレベルではなく、凄いそうです。
実は、その事は日本よりも海外でかなり高く評価されているようで、逆に何故それほどの技術がありながら、自国で生かさないのかと不思議がられているくらい。
阪神大震災の惨状を見ると、日本のような地震大国では、原子力は正直恐いと思いました。

(昔調べた限りでは、原子力は相当利権がからんでいそう。)
先日、NHKで放映された「変革の世紀」で、ピラミッド的社会構造が崩れつつあると言っていましたが、そうなってくると、もう少し小市民の声も反映されるのでしょうか。

[2964] 原子力発電所の件  なにがし 2002/05/16(Thu) 01:01 [Reply]
とうとう神社庁まで行きましたですか。
個人的には原子力は反対ではないのですが、それにより周りの生態が大きく変わるようであればやめてほしいですね。特に神社があるような神聖な土地であればなおさらですね。
原子力発電は普通に管理すれば危険ではないのでしょうが、日本の国民性でしょうか、慣れてくると管理の手を抜くようですね。それでトラブルが生じるのですが。あるヨーロッパの国では97%ほどだったかと思いますが原子力で発電しています。国民自体が自分の国の技術に自信と誇りをもっているようです。ヨーロッパの方が原子力の危険性を良く認知し、それゆえ管理も技術も日本よりレベルが高いようです。

[2963] Re[2962]: 宮司さん頑張れ!  Setoh 2002/05/15(Wed) 16:35 [Reply]
葵祭は今日でしたか。
山口県上関町には10社ほどの神社が鎮座しています。海岸沿いですね。
神社と鎮守の森は環境保護のシンボルですね。これと原子力発電所との戦いですか。本庁の姿勢がこれでわかりますね。
さて,別荘話題の岩船です。
茨城県那珂郡東海村亀下に磐舟神社「饒速日尊」が鎮座していますね。
ここの由緒はわかりませんが,イワフネ神社を見ていると,石の船で神が到着したとか,神が乗ってきた船が石になったとの伝承ができていくんですね。

出雲仁多の鬼神神社(五十猛命の神陵の地の伝承)の門前には塊のような石があり,これをを岩船としています。素盞嗚尊,五十猛命が新羅から乗ってきた船でしょう。
http://www.kamnavi.net/it/izumo/onikami.htm
大阪には饒速日尊降臨にまつわる磐船神社など多く鎮座しています。

玄松子さんHPの
高知県香美郡香我美町 天忍穂別神社「栲幡千々姫命:饒速日尊の母神」
 境内社・棚機神社がある。 饒速日命がお乗りになった石舟は、境内の裏手に あり、巨大な自然石の舟型。
http://www.genbu.net/data/tosa/isibune_body.htm

福岡県小郡市の媛社神社があり,祭神は媛社神と織女神だそうです。また嘉永七年(1854)奉納の石鳥居の額に磐船神社と棚機神社の名が併記されているそうです。『文庫:白鳥伝説上p105』
天忍穂別神社は石船さんだそうで,小郡の神社との関連がありそうですね。

所で,磐船は表面が岩のようで,水の中を動きます。鰐を思わすのですが,やはり岩船を「こんぴら」と云うようですね。下記のHPにありました。問い合わせ中。
http://www2.odn.ne.jp/~aaf99140/owari2.html

[2962] 宮司さん頑張れ!  香具 [Mail] 2002/05/15(Wed) 11:48 [Reply]
 毎日新聞のニュースのサイトを見ていましたら、中国電力が山口県上関に建設を計画している原子力発電所の件で『建設予定地にある神社の土地の売却を宮司が拒否していて、用地買収が難航。宮司は賛成派の総代と対立し、話し合いの場が神社本庁に持ち込まれる異例の展開になっている』という記事がありました。経緯も、どこの神社かも知りませんが、心情的には声援を送りたくなりました。
 (電力会社さん、原発よりも燃料電池の開発に力を入れましょう。)

[2961]  習志野のてつ [Mail] 2002/05/15(Wed) 10:48 [Reply]
古来、祭りといえば、葵祭り。本日行われます。
東国では、鹿島神宮の御船祭(おふなまつり)が12年に
一度の午年、つまり今年の9月2日にあります。昔は、
『御船祭は、奈良から鎌倉時代にかけて「我朝第1の祭礼」
といわれましたが、戦国時代になり中絶した』そうです。
http://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/sikinentaisaiofunamaturi010.htm

鹿島神宮の宝物館(ほうもつかん)には、国宝の大きな直刀(ちょくとう)
があります。「ふつのみたまのつるぎ」です。←ふつぬしの御霊(みたま)
千葉県佐原市の香取神宮の祭神は「経津主(ふつぬし)」
刀だけ別に祭るのは伊勢神宮と熱田神社(神宮)の関係でしょうか?
両神宮の関係を、良く理解できていません。

ちなみにJリーグの鹿島アントラーズのチーム名「鹿の枝角(antler)」
神奈備の皆さん、一度遷座をかんがえられてはいかがですか。
東京駅から特急で約2時間で行けます。

[2960] 豊川稲荷について  もこ [Mail] 2002/05/11(Sat) 22:59 [Reply]
>玄松子 様

さっそくのレスありがとうございます。
たぶん豊川稲荷だと思うので近いうちにいってみたいと思います。
どうもありがとうございました。

[2959] Re[2957]: 火の神と日の神  Setoh 2002/05/11(Sat) 20:57 [Reply]
> 笠山荒神と葛城神福山に坐す高天佐太雄神社があります。

笠山荒神が意外な所に顔を出してきますね。高天は高天彦神社と同じでしょうから,彦と佐太雄とが対応していますね。言語的には助っ人的?
立地から云えば,金剛山頂の神の陪神的に見えますね。素盞嗚尊と云うよりはまだ猿田彦のほうが似合うんでしょうかね。

火神から日神への変遷過程が天の岩戸,これは面白い話です。
小生は,天の岩戸から日神が出てくる理屈は日神が隠れたからであって,普通は洞窟の中から日神が出てくるのはおかしげな話と思っていました。縄文→弥生。面白い。
ただし,遥か海の彼方から雲をかけわきて日神が登場するのが描写としては気持ちがよさそうです。

神奈備は出雲系、国津神と考えれば,そうでしょうね。先に山々や森に神々を祀ったのは,国津神を奉ずる人々だったのでしょう。天孫系、天満系などの神々は覆い被さった神々だったのでしょうから。
万葉集神奈備歌 http://www.kamnavi.net/as/manknnv.htm
今宵は万葉集で心を安んじてお休み下さいね。

[2957] 火の神と日の神  ひふみ 2002/05/11(Sat) 01:45 [Reply]
サルタヒコの話がたくさん出ていたので、少し私見を。

「おかめ」と「ひょっとこ」の話が出ていましたが、私も聞いた事があります。
たぶん、飛鳥坐山口神社のお田植の神事での夫婦和合で使われるお面等も関係しているのでしょうか。
「ひょっとこ」はもちろん「火男」で、「おかめ」とは水を汲む「甕(かめ)」の事かもしれないですね。

ところで、火男をサルタヒコ、おかめをウズメ命とする説は、やはりどこかで記憶しています。もっとも、手塚さんの「火の鳥」の影響かもしれません。うろ覚えです。

さて、鎌田東二さんや伊勢内宮の前に坐す猿田彦神社の方達のお話で、サルタヒコ命を本来の太陽神ではなかったのかと見る向きがあります。
古事記での記述や、出雲の佐太大社等の祭神など、サルタヒコ(サタヒコ)神が太陽を表わすのではというお話でした。

火の神と日の神。これは縄文から弥生への時代(政権?)の移り変わりを示しているのではないでしょうか。

縄文の時代は、太陽より「火」というのが一族の中心にあったように思えます。
出雲熊野大社の火錐神事で行われるように、「火」はそれを囲む者のお腹を満たし、身体を暖め、安全を保障し、一族の結束をうながしたのではないでしょうか。
今でいう「聖」を「ヒジリ」と読むように、「火を知る者=祭司」だったのかもしれません。「火」というとすぐタタラを思うのですが、その他にも「火」は「のろし」などで仲間との合図に使ったり、「測量」に使われたりもしたのでしょう。
ちなみに、山の中で位置等を知らせる方法は「のろし」の他に「笛吹き」(山伏のほら貝)もあります。
火を囲むという事、それは今でも特別な感じがしますね。(キャンプファイアーや護摩もそうですね。)

それが弥生の時代、様々な意味で「火」が「日」に変わっていったのではないでしょうか。農耕民としての太陽信仰だけではなく、国家統一としての太陽神。
家族・一族としての「ヒ(火)の神」ではなく、国家統一のシンボルとして空にひとつ、燦然と輝く「ヒ(日)の神」。

そう考えると、古事記の天の岩戸の段を思い出します。
あの時、岩戸に隠れていたのは「火の神」ではなかったのかと。縄文の民が暮らした、もしくは死者を埋葬したという、横穴式の室。そしてそこから、天児屋根命以下の弥生の神々により引き出された「日の神」。
藤原氏はもともと蛇使いの民ではなかったかという話を聞いた事があります。
「藤」の字が「蛇」を表わすのだとか。
それを考えると、天岩戸から「日の神」がおでましになってすぐ岩戸に張られた注連縄は、縄文の「火の神」を蛇神で封じたようにも思えます。
(岩戸の前で踊ったのが、アメノウズメだった事から考えて、この時のヒの神がサルタヒコだったというのは、少々強引すぎるでしょうが。)

それにしても天児屋根命や天太玉命は、もしかしたらその地に本来祭られていた神々に「結界を引く」役割りもあるのかもしれませんね。

余談ですが、「飛鳥の神がみ」という本の中で、「万葉集の中で、『神奈備』という語は、出雲系の神々を祭る山または森をさす語であったらしい」という記述がありました。
神奈備山を持っているという事はイコール出雲系という事なのでしょうか?


[2956] 続・葛城と三輪  ひふみ 2002/05/11(Sat) 00:29 [Reply]
Setoh様、高天彦神社と大神神社、つないでみました。
中心は大体「益田岩船」あたりなのですが、もう少し正確にいうと、どうやら「倭彦命墓」もしくは「春日神社」あたりになりそうです。
同じくここを中心に、笠山荒神と葛城神福山に坐す高天佐太雄神社があります。
佐太雄神社の方、一応スサノオノ命になっていますが、もしかしたら出雲の佐太大社と同じ佐太大神(サルタヒコ?)かもしれませんね。

ところで、「倭彦命」とは誰なのでしょう。
「カムヤマトイワレヒコ命」の事でしょうか。
上記に記した「春日神社」の祭神は、天児屋根命の他に、この倭彦命と石椋孫(イワクラヒコ)になっていました。

石椋孫の方は、延喜式神名帖等に書かれている「巨勢山坐石椋孫神社」の祭神でしょう。
「イワクラ」が付く所をみると人というよりこのあたりに多い巨石と関係するのでしょうか。
巨勢氏がからんできそうなのも、興味しんしんですね。巨勢氏といえば、竹内宿禰。
そういえば、この辺一体、「コセ」(コシも含む)という地名が多いです。

「倭彦墓」は、正確にはどうやら「倭彦命身狭桃花烏坂墓(ヤマトヒコノミコト・ムサノツキサカハカ)」というようで、もともとこの上に春日神社が祭られていたらしいです。
ところで、この近くにある「牟佐坐神社」は「生雷」とされているようで後は不明のようですね。



[2955] Re.[2950]、.[2951] とりとめもなく  習志野のてつ [Mail] 2002/05/10(Fri) 21:22 [Reply]
Setoh 様
> 小値賀島 鴨一速王(日本武尊の御子で稚武王:異国押さえの神)
●異国押さえの神 存じませんでした。当然の役割とは思いますが、
 そんな名があったとは!
香具様
> 笛吹といえば小値賀島。…ウッ良くご存知で。
小値賀島や野崎島に皆様が深い関心を寄せられていることに感激です。

「笠」は、中国(あるいはインド)の影響では?などと思っていました。
貴人は、直接外にさらさないように、柄の長い笠を頭上にさしかける
習いが、かの国にはあります。  習いのてつ

手塚治虫さんの「火の鳥」で、天のウズメは「おかめ」の化粧をしていた
のを、思い出しました。手塚さんの発想、すごいですよね。

[2954] Re[2951]: 蛇足ですが 火のない所  Setoh 2002/05/10(Fri) 15:32 [Reply]
『謎のサルタヒコ』p284に
対馬の木坂海神神社と厳原八幡宮に同じ制作者による面があるそうです。
海神神社    火王(ひのおう)
厳原八幡宮   古くは八衢神、現在は猿田彦とよんでいる。
また佐賀の一宮の河上神社にもよく似た二面があり
河上神社    火王,水王と云う名で若干鼻高だそうです。

> 点対称
setohは何か、大神神社と高天彦神社がセットであってほしいと思っています。

> 出雲より渡った兄弟部族
西に鴨氏、東に多氏、ともに三輪大神の子孫と云うことですね。

> 小値賀島
仁徳天皇,鴨一速王(日本武尊の御子で稚武王:異国押さえの神)などの祭神が多いのが特徴。
笛吹郷には六社神社「応神天皇,十城別王,一速王」,若宮神社「仁徳天皇」。
野崎郷の神嶋神社(こうじま)には本殿背後に自然石鳥居形をなす左右の柱,高さ凡17尋の笠石など興味津々。

[2953] 笛吹と古墳  香具 [Mail] 2002/05/10(Fri) 14:10 [Reply]
間が空いてしまいました。
 桜井市小夫(おおぶ)天神社から笛吹大明神へはタクシーで行きました。写真で見て頂いた通り不思議な神社です。鳥居からすぐ崖、ピュアな人にだけ参道が開くのでしょうか?神隠し用ですな。
 天神社から歩くと少し距離があるだろうと思います。奥宮といっても敷地内ではないです。もっとも、笠から小夫などの大和高原地帯がひとつの大きな祭祀空間のような錯覚も湧いてきます。笠の古老にも直接お会いしたいのですが、宿題のままです。

 先日、案内して頂いた葛城の火雷神社は、笛吹さんとも知らなかったので、『地図に載っていない!』と無知をさらけ出した所です。予習復習苦手。
 葛木坐火雷神社の本殿の裏には、笛吹神社古墳の石室入口が露われて見えました。附近は葛城山麓の扇状地で、本殿はさらに岡のように盛り上がった頂上です。笛吹連は有力だったんでしょうね、いい処でした。

ひふみさん>葛城一言主神社と三輪檜原神社
 現地でなんとなく抱いた勝手な印象ですが、大神神社と高鴨神社、狭井神社と高天彦神社に比べられるような相似関係を思いました。一言さんと檜原さん、あゝなるほど!

 笛吹といえば小値賀島。神ノ崎遺跡や神方古墳があるそうで興味が湧きますが、神社はどうなんでしょう?

[2952] Re[2950]: おかめ・ひょっとこ  玄松子 2002/05/10(Fri) 12:04 [Reply]
> 「おかめ・ひょっとこ」のモデルは、天鈿女・猿田彦とする説があったように記憶しています。

この「記憶」は自信がありません。思いつき・思い込みだったかもしれません。
有り得ないとも思いませんが、「記憶」の元が思い出せませんでした。

[2951] 蛇足ですが  のりちゃん 2002/05/10(Fri) 11:34 [Reply]
> 「おかめ・ひょっとこ」のモデルは、天鈿女・猿田彦とする説があったように記憶しています。

玄松子さんのホームページでも紹介されている、「賣太神社」の参拝の栞には、
「天宇受賣命は、後世『おたふく』『おかめ』と言われている女の福徳をそなえられた神様
である。福の神・鎮魂の神・笑いの神で、芸能の始祖神としても親しまれている。」
と明記されてますね。
同じく祭神である猿田彦神については、特にひょっとことの関連は書かれてませんでした。

猿田彦神とひょっとこの関連は、知らなかったのですが、
天鈿女命(天宇受賣命)がおかめになったのと、猿田彦神がひょっとこになったのとでは、
どちらが先なのだろう?と、ふと思いました。

火男については、黄金を生む童子として日本昔話に登場しますね。
ヴァリエーションの一つとして、「滝の女神」が、老夫婦に授けたというものがあったよう
に記憶しています(不確かで申し訳ありませんが)。
猿田彦神が、阿耶訶の海で溺れたことと関係があるのかも知れませんね。

[2950] おかめ・ひょっとこ  玄松子 2002/05/10(Fri) 10:44 [Reply]
「おかめ・ひょっとこ」のモデルは、天鈿女・猿田彦とする説があったように記憶しています。
火吹き竹と吹く行為を笛吹と見た連想と考えると、笛吹の神は、火吹の神。火男「ひょっとこ」である猿田彦となります。天鈿女が登場するのもうなずけます。

火雷と笛吹の密接な関係も考えると、「火」がキーワードとなるのではないかと思います。

[2949] Re[2936][2935]: はじめまして  Setoh 2002/05/10(Fri) 10:13 [Reply]
> 猿田彦大神と出てきたのは、火吹き男からの連想かもしれませんね。

猿田彦神は『日本書紀』一書に「眼、八咫鏡の如くしにて,テリカガヤけること,赤酸醤(アカガカチ)に似れり。
とあり,金属精錬の風景を見つめる神の姿の雰囲気が伝わってきます。
ひょっとことルーツらしい「火吹き男」を玄松子さんがサジェションしてくれていましたが,更に,紋次郎さんが「蠅声ほにゃ啓」で,笛吹を火吹きと指摘されています。

[2948] ありがとうございました。  tinkle [Mail] [Url] 2002/05/10(Fri) 07:59 [Reply]
「天神社笛吹奥宮」に行って来ました。
皆様のおかげで目的をほぼ達成することができました。
本当にありがとうございました。

[2947] 葛城と三輪  ひふみ 2002/05/10(Fri) 05:36 [Reply]
又また、線を引っぱって。

まず、益田の岩船。
吉野のラインを引いた時にも出てきたここを中心に、等間隔で、大神神社と高鴨神社。

次に、畝傍山を中心に各々等間隔で。
葛城一言主神社と三輪檜原神社。
葛城金剛山と笠山荒神、もしくは笠坐す笛吹山。

耳成山を中心にやはり等間隔で。
葛木坐火雷神社(笛吹神社)もしくは葛城天神社と、笠笛吹神社もしくは小夫天神社。

天香具山を中心に等間隔で。
高鴨神社と小夫神社。
葛城御歳神社(中鴨神社)と笠笛吹神社。

古代において、出雲より渡った兄弟部族が、大和三山を中心に分かれたのかもしれませんね。

おまけのライン。
大神神社を中心に等間隔で。
春日大社もしくは東大寺と、吉野金峰山寺。
崇神天皇陵と等弥神社。
東大寺の大仏さんは大日如来の上、内持仏に日輪弁才天。
等弥神社は上ツ尾社が本社でオオヒルメムチ命、下ツ尾社は春日大社と結びの宮として八幡社を祭るそうですね。
崇神天皇の御代、大和三山より東の地は太陽の聖地とされたのかもしれませんね。

[2946] Re[2931]: 小夫天神と笠荒神  泊瀬女 2002/05/10(Fri) 00:18 [Reply]
笠山荒神社が鎮座する笠村の伝承では、天照大神は笠村の地で皇神宮としてお祀りしていたが、稲作が進むに従って地形的に有利な小夫村の多(意富)氏が富と権力を持ち、崇神天皇の御代に豊鍬入姫をして、斎宮山に皇太神宮を笠山皇神宮から御幸なさしめ奉斎し給う・・・と伝えられているそうです。
笠村としては何世紀もの永い間、親神として守ってきた皇神宮を小夫の多氏に持って行かれるということは命を取られるより残念で悲しいことであったと。
今でも笠村と小夫村は一切の婚姻が禁じられているそうで、従って親戚縁故がないとのこと。
隣村なのに・・・
「ロミオとジュリエット」のような悲恋物語はなかったのだろうか、笠の若者と小夫の娘が駆け落ちをしたなんてことはなかったのだろうか、なんてアホなこと笠の古老には聞けませんでした。
笠と小夫の神社は同根とも言えますが、そこには何ともいえない確執があるようです。
笛吹大明神は天照大神を奉斎する以前の本来の小夫村の神ではなかったのか。
その神が天鈿女命であったかどうかは、何とも分からないことではありますが、もっと原初的な自然神であったような気がします。

香具さ〜ん!笠のH老のお話を聞いてきてくださいな。せっかく笠の古老のお話を聞いても私では理解力不足で・・・


[2945] Re[2944]: 湧き水は  玄松子 2002/05/09(Thu) 15:28 [Reply]
> 玄松子さん> 伊太祁曽神社と奥宮・丹生神社みたいな関係かもしれませんね。
>
>  元々,関係がなかったかも知れない伊太祁曽神社が丹生神社を奧宮としたとの関係を,小夫天神社と笛吹奥宮笠神に見られていると推測しております。

言葉が足りませんでした。そういうことです。

> 泊瀬女さん> 笛を吹いたのがそう云う理由とすれば,笛吹連とは関係は言えないでしょうね。

天鈿女も、天香具山についで、饒速日を護って下った神ですね(先代旧事本紀)。

「笛吹」の元になる言葉があって、笛吹と変化した後、歌舞の奉納、笛を吹いて先導などという伝承が生まれたような感じもしますが。

[2944] Re[2939][2938]: 湧き水は  Setoh 2002/05/09(Thu) 08:59 [Reply]
玄松子さん> 伊太祁曽神社と奥宮・丹生神社みたいな関係かもしれませんね。

若干解説いたします。
伊太祁曽神社は8世紀の初頭には現在地の山東庄に鎮座していました。
一方、長承元年(1132年)鳥羽上皇が山東庄を根来寺大伝法院領としました。高野山を飛び出した覺鑁上人が山東に明王寺を建立、伊太祁曽神社の奧院としました。この明王寺の鎮守が現在奥宮とされている丹生神社です。
この丹生神社が昔から鎮座していたのか,明王寺とともに創建されたのかは不明です。

 元々,関係がなかったかも知れない伊太祁曽神社が丹生神社を奧宮としたとの関係を,小夫天神社と笛吹奥宮笠神に見られていると推測しております。


泊瀬女さん> 笛を吹いたのがそう云う理由とすれば,笛吹連とは関係は言えないでしょうね。

香具さん> 写真ありがとうございます。綺麗に写っていますね。柵の倒れたのまで!。

[2943] Re[2942]: 三州吉田の稲荷について  玄松子 2002/05/09(Thu) 01:24 [Reply]
三州吉田は、今の豊橋市。
http://www16.u-page.so-net.ne.jp/fb3/sadako_n/index.html
こちらに、豊橋の神社がのっています。稲荷もいくつかありますね。

豊川を越えた、隣の豊川市には、超有名な豊川稲荷があるので、
そちらからの勧請かもしれませんね。お寺ですが。

[2942] 三州吉田の稲荷について  もこ [Mail] 2002/05/09(Thu) 00:47 [Reply]
はじめましてで、早速質問します。
私の先祖が、さんしゅう(漢字がわからないのでひらがなにしておきます)吉田から
お稲荷さんを招いて自宅に祭っているのですが、そこの神社に、是非御参りしたいと思いますが、御存じの方は何神社か教えていただけませんか?よろしくお願いします

[2941] 金色不動 七  青龍 2002/05/09(Thu) 00:24 [Reply]
青龍、金色、不動、七のキーワードにピンと来た方、是非お返事ください。

[2940] 笛吹大明神  泊瀬女 2002/05/08(Wed) 22:51 [Reply]
「笛吹奥宮笠神の聖地」と記された歌碑は平成5年5月1日に建立されたそうで、その時の新聞の記事が手元にありますので、ご参考までに。

笛吹山は天照大神が天岩屋にこもったときに、岩屋戸の前で神楽を舞った神で舞踊の神、天鈿女命の霊地とされる。古来、この地で天照大神に笛を吹き鳴らし、神楽舞いを献じたという伝記も残っている。

とのこと。

[2939] Re[2938]: 湧き水は  玄松子 2002/05/08(Wed) 22:25 [Reply]
> 奈良県桜井市小夫天神社奥宮の笛吹神社。

なるほど、小夫天神社の奥宮が、笛吹社なんですね。
伊太祁曽神社と奥宮・丹生神社みたいな関係かもしれませんね。

[2938] 湧き水は  香具 2002/05/08(Wed) 21:50 [Reply]
冬場に行ったせいか、清冽でおいしかったです。奈良県桜井市小夫天神社奥宮の笛吹神社。道路工事中で片側交互通行の区間内でした。道路のすぐ横、お気をつけ下さい。神奈備別荘にアップさせていただきました。

[2937] Re[2936][2935]: はじめまして  Setoh 2002/05/08(Wed) 21:27 [Reply]
> それとも、小夫天神社そのものが、笛吹神社の奥宮にあたるんでしょうか?

 小生は寡聞にして,葛城の笛吹神社と小夫天神社との関係は承知しておりません。同じ大和の国のことですから何かつながりがあるのかも知れませんね。笛吹神社の近く?の大和高田の伊福寺の大般若経が小夫天神社に渡っているようなことが『寺院神社大事典大和紀伊』に記されていますね。

 それよりも「笛吹奥宮笠神の聖地」の辺りの山を磐舟というようで,どうも饒速日尊を想起します。果たして火明命と同じ神と見なされたとすると,猿田彦神によって笛で奉られかつ運ばれた日神とは火明命のことだったかも知れませんが,これは想像の域を出ていません。
 また天香具山命は火明命の御子神ですから,巫女としての天香具山命が火明命を祀ることもありうることですね。


[2936] Re[2935]: はじめまして  玄松子 2002/05/08(Wed) 20:22 [Reply]
> > > 奈良県に「天神社笛吹奥宮」というところがあるのですが、
>
> 小夫天神社の奧宮のようです。

小夫天神社の奥宮が、笛吹社と呼ばれているんですか?
それとも、小夫天神社そのものが、笛吹神社の奥宮にあたるんでしょうか?

笛吹の若宮には、天香山命が祀られていますから、笛吹は火明命かもしれませんが、
猿田彦大神と出てきたのは、火吹き男からの連想かもしれませんね。

[2935] Re[2934][2930]: はじめまして  Setoh 2002/05/08(Wed) 20:11 [Reply]
> > 奈良県に「天神社笛吹奥宮」というところがあるのですが、
> > これは、葛城坐火雷神社のことですか?

http://www.kamnavi.net/as/yamanobe/obutenjin.htm
小夫天神社の奧宮のようです。

[2934] Re[2930]: はじめまして  玄松子 2002/05/08(Wed) 19:56 [Reply]
> 奈良県に「天神社笛吹奥宮」というところがあるのですが、

これは、葛城坐火雷神社のことですか?

[2933] Re[2932]: 御神体は?  Setoh 2002/05/08(Wed) 19:44 [Reply]
登れないことはないでしょうが,山が御神体で鳥居は結界かも知れません。
あまりお勧めできません。御神体が具体的に存在しているのか,鳥居の向こうの壁と云うか,
小さい谷のような窪地なのかそれとも山の上に鎮座しているのか,小生は承知しておりません。
どうしても行かれるのならその前に是非小夫天神社の宮司さんか氏子さんに確認下さいな。

[2932] 御神体は?  tinkle [Mail] [Url] 2002/05/08(Wed) 16:05 [Reply]
Setoh様、御説明大変参考になりました。済われました。
本当に有難うございます。

さて、「天神社笛吹奥宮」の水の出ているところの横に鳥居があると
思うのですが、そこから上に登る事は出来ますでしょうか?
御神体はどこに存在しているのでしょうか?
出来ればそこに自身が赴いてお参りをさせていただきたと思っています。

出来れば教えていただけませんか?

よろしくお願いします。




[2931] 小夫天神と笠荒神  Setoh 2002/05/08(Wed) 09:56 [Reply]
天照大神の原型を猿田彦神と見る向きもあるようで,『謎の猿田彦』という本が出るほどによくわからない神様ですね。この神を,大和の春日山の地主神と『大和名所記』には記しています。
また,「いつも水を汲みに行く、天神社天笛吹奥宮」の本社の小夫天神社の祭神にも天照大神についで天児屋根命(春日大社の祭神)の名が見えるように,春日大社(藤原氏)の威光と勢力は大和国中から東の都祁方面に及んでいたものと思われます。そうすると小夫天神社の地主神として猿田彦神が奧宮の祭神とされても不思議ではありませんね。
さて,「天の岩戸を開けるのに宴会を開いた神々のうち、笛を吹いた神様」ですが,『記紀』の天の岩戸の段には笛の話はないようで,『記紀』以外の伝承があったのかも知れません。大和葛城に笛吹神社が鎮座しており,祭神を笛吹連も祖神の天香山命としています。天の岩戸神話には天香山の男鹿とか天香山の榊とかが出てきますので,天香山の人格神かも知れない天香山命が笛を吹いたと考えるのも自然ですね。

『大和名所記』に「春日明神御影向の時めされし笠とかや」と云う文章があるように,「笠」は神の被りものだったようです。
『日本書紀』で,崇神天皇が豊鍬入姫命に託して天照大神を倭の笠縫邑に祀ったことが記載されています。神が旅をする際には笠が要ったのでしょう。素盞嗚尊の神追にも簑笠を身につけて,天降るシーンがありますね。物部の一族にも笠縫部がいました。大阪市東成区深江町が笠縫部の住処として伝わっており,お伊勢参りの際には,ここで菅笠を買ったそうです。伊勢神宮の遷宮式用の菅の翳は当地の子孫が作るそうです。
さて「笛吹奥宮笠神の聖地」の笠には神の旅の意味があり,これが倭比売の物語の小夫天神社と笠荒神社と関連しているのでしょう。よく似た伝承を持つ近所の両神社はあまり親しい関係にないようですが,実際の所は,同根の神社で,「笛吹奥宮笠神の聖地」から別れ出たのもではなかったのか、と想像しています。

従って笠神とは日神を運ぶ神とでも言えるのでしょうね。

[2930] はじめまして  tinkle [Mail] [Url] 2002/05/08(Wed) 06:52 [Reply]
はじめまして、tinkleと言います。
ちょっとお聞きしたい事があってここへ来ました。

突然ですみませんです。

奈良県に「天神社笛吹奥宮」というところがあるのですが、そこにある石碑に「笛吹大明神」と書かれてあります。この「笛吹大明神」とは誰のことでしょうか?
猿田彦大神のことなのでしょうか?
また、「笠神の聖地」と書いてあったのですが、笠神とはどのような神様でしょうか?

できたら教えていただけませんか?

よろしくお願いします。



[2929] Re[2928][2920][2918]: 赤城大神  hvhy 2002/05/06(Mon) 18:27 [Reply]
古典文学大系を見ると、「天津日子根」の後裔として、
「凡川内国造、額田部湯坐連、茨木国造、……」とあり、
頭注には「茨木は常陸国茨城郡の地」と書いてありますね。

ところが真福寺本などでは「茨木国造」ではなく、
「木国造」となってます。たしか古利根川と荒川は、
ほとんど平行して流れていた。よって地理的に見ても、
「木国造、名は荒河刀辨」の「木国」も「荒河」も関東。
そういう可能性はあると思います。さらに柔軟に考えれば、
「木国」が東にも西にもあったみたいなことも考えられます。

#時代は下りますが、徳川御三家でしたか、
#「尾張」「紀伊」「水戸」に住んでました。
#その意味で、これらを「徳川国」と呼ぶなら、
#それは「そういう呼び方」として理解できます。
#古い時代には、こんなことがあったかもしれない。

[2928] Re[2920][2918]: 赤城大神  Setoh 2002/05/06(Mon) 16:35 [Reply]
消化不良により自己レス


赤城神,水の木の神,水源地の木々の神?

 豊城入彦命は上毛野氏下毛野氏の始祖となっています。毛野は鬼怒川のキヌで紀之でもあるようです。紀の国との海上の道でつながっている伊豆半島には天城山と城(キ)の地名がありますし,『常陸国風土記』には,古老曰く、筑波の県は昔、紀の国と云ひき,と出ています。
 肥前国の基肄郡(『常陸国風土記』に突然,杵島ぶりに歌が出てきます。)、あさもよし紀の国,毛野国と紀印のラインがあっても不思議ではありません。紀の国の国魂であり五十猛命を祀る神社数でも群馬県(上野)で24社を数え,神奈川県と並んで多いようです。
その昔,紀の国から東海、武蔵、上野の入植した五十猛命を奉祭する氏族がいたのかも知れません。この紀印氏族が赤城神,豊城神をも祀ったのかも。

 所で,豊城入彦命の出自について,『古事記』は,「(崇神天皇が)木の国の造,名は荒河刀弁が女、遠津年魚目目微比売に娶ひて,生みませる御子」と記されています。注釈には荒川は和歌山県那賀郡桃山町周辺とされています。
 所で,紀氏の系図には荒河刀弁の名は出てきません。また和歌山県には豊城入彦命を祭神とする神社は今の所見当たりません。式内社荒田神社の祭神に当てる説もあるようですが,これは『古事記』の逆流現象に見えます。
 
 上毛野氏・下毛野氏の始祖であれば,毛野の出身とは考えられないでしょうか。毛野の豪族を大和王権の皇子に仕立て上げて,いかにも大和王権が各地を支配したように飾っているのが,「将軍の派遣」の物語とする説が多いように思います。

 豊城入彦命を祀る県別神社数を紹介します。(『平成祭礼データ』から)
群馬  78
栃木  47
埼玉  20
茨城  11
岐阜   1
長野   1
奈良  ゼロ
和歌山 ゼロ
 大和に都した崇神天皇が和歌山の娘に生ませた皇子を祭神とするには不思議な分布と思いませんか。
なおかつ,豊城入彦命は東国に派遣を命じられていますが,途中でなくなっています。遺骸だけが赴任してこれほど祀られるものでしょうか。

 木の国の造,名は荒河刀弁が女、遠津年魚目目微比売,この「荒河」は関東の荒川と云う事はないでしょうか,荒川の若鮎のような娘,ロマンですね。

 余談ですが,:ーーー
 『常陸国風土記』の行方郡は那珂郡から分離したのですが,ここに曾尼(そね)の村が出てきます。
古い時代に,名を疎禰毘古(そねびこ)と謂う佐伯(蝦夷)が居たので、その名を取って云々とあります。那珂疎禰毘古は長髄彦に読めますね。
 各地の統一物語などをかき集めて,『記紀』の物語が作られたのかも。


[2927] 追加  ひふみ 2002/05/05(Sun) 02:07 [Reply]
ちなみに、吉野から山上ヶ岳までの道を千日行なさった方は、この道を往復一日で歩いておられます。一日といっても、下の金峰山寺蔵王堂と上の大峰本堂が開いている時間に往復されるのですから、ほとんど走っているような状態ですね。
以前、奥駆けをした時に感じた事ですが、最後の行程に近づくにつれノリが良くなるのか何なのか、初めは「奥歩き」だったのが、確かに「奥駆け」になっていくのが不思議でした。
熊野那智の奥駆けをしていらっしゃる方達も、那智から本宮まで普通二日かけて行く道を一日で走り抜けられます。

[2926] Re[2925]: 南行1日  ひふみ 2002/05/05(Sun) 01:58 [Reply]
又、横合いからすみません。
明日香よりもう少し吉野よりの高取町(壺阪寺付近)の方に聞いた話ですが、戦前はそこからも山上ヶ岳に一日で登拝したそうです。昔の方の脚力はやはり凄いものです。芭蕉の例もありますし。
そういえば、今はほとんど忘れられてしまい、地元でもあまり知られていないのですが、大峰から高野へ続く道の途中、天川阪本のあたりの川沿いのある場所に菩提樹の木があります。
別に特別にお祭りも何もされていないのですが、その木は昔行き交う行者達が迷う時、修行の上で自分自身の行くべき道はどうあるべきか等、問うた木だそうです。
今はこの道を歩いて通る者もほとんどいなくなり忘れ去られてしまったようですね。
参考までに。

[2925] 南行1日  なにがし 2002/05/04(Sat) 23:18 [Reply]
あかがね様
やっぱり1日かかるんですね。空海の上表文で南行1日を五来氏はこの道に想定されていたと思います。洞川あたりかもすこし南でしょうか、そこらあたりから西に高野山まで西行両日かかるらしいです。明日香村から吉野、高野、天野、五条、明日香を歩きたいなと思っていましたが、これを歩くとあかがね様の話から想像すると1週間はかかりそうですね。定年してから元気だったら全工程歩きたいなあ、なんて思っています。

[2924] Re[2922][2921][2913]: 大峯山について  あかがね [Mail] 2002/05/04(Sat) 18:25 [Reply]
>なにがし様
>金峯神社から山上ヶ岳まで歩くのにどれぐらいの時間かかったんですか?

 上千本までバスに乗って、そこから金峯神社までのバスの始発を待ちきれず歩き始めました。それが午前7時半で金峯神社まで一時間。その後ひたすら歩き続けて(修行はしてない)、山上ヶ岳の大峯山寺で御朱印を頂いたのが確か午後5時頃。
 …ってな感じですんで都合金峯神社から山上ヶ岳までは九時間強ってとこでしょうか。途中、ひふみさんのおっしゃる山開きに備える洞川茶屋のおじさんにお茶を振舞って頂いたり、先々の避難所で遭難したときのために自分の足跡を書き残したりでロスタイムもありますが、山と渓谷社のガイドなどを見てると概ね標準的なタイムと思われます。
 宿泊は山上ヶ岳から南にさらに小一時間の小笹の宿避難小屋でした。

>ひふみ様
>道中記楽しみにしています

 恐縮至極です。正直な話無理な日程が祟って、土砂降りの中を歩く羽目になり展望最悪、また山開き前ということもあって(空いてる時期をねらってのことだったんです)自前の宿泊設備+食料という重量を背負っての初めての登山でもあったので、なかなか道中を楽しむことが出来なかったというのが正直なところかも…。
 75靡についても分からずに通り過ぎたのが殆どだったかも。意外に縦走路から外れたところにあったりもするんですよね。西行法師の籠もった笙の崖も和佐又山からの下山路にありましたし。

 蝿声の方も読ませて頂きました。確かに奈良も南の方へ行くとアプローチが大変ですよね。縦走路へ入るまでが大変です。この辺の計画こそ旅の醍醐味なんでしょうけど。

[2923] Re[2922][2921][2913]: 大峯山について  ひふみ 2002/05/04(Sat) 18:15 [Reply]
Setoh様、ありがとうございます。
[2921]で投稿した後、子供の相手をしながら、主人の話を聞きながら、のんびり蝿声欄を開けて書いていたので、Setoh様の記事を読む事なくあちらに投稿しました。
よろしければ、お読み下さい。
大峰・熊野にまつわる話は、まだまだたくさんあります。
又、折をみて投稿させていただきます。
(丹生の写真、連休開けになりそうです。もう少しお待ちください。この場を借りて。)

[蠅声ほにゃ16] 大峰奥駆道  ひふみ 2002/05/04(Sat) 13:35 [Reply]
(知らぬ間に、サイト名が変わっていたのですね。)

神奈備サイトから引き続いての、投稿です。
北奥駆道(吉野から前鬼まで)の道は、比較的分かり易く歩き易い道です。
展望も良いので、苦しいながらも楽しみも多い道かもしれません。
北行程のモデルケースとしては、吉野から山上が岳で一泊、山上が岳がら弥山で一泊、弥山から前鬼で一泊、場合によっては翌日前鬼裏行場へ、となります。
北の場合はそれぞれ宿泊できる施設で水等調達できるし、下に降りるにしても比較的交通の便も良いほうだと思います。
ところが、南奥駆けの場合はそうはいかないようです。
まず、本宮に着くまで宿らしい宿はないと思って頂いた方が良いと思います。
南行程の場合、その方の脚力にもよりますが、前鬼から深仙で一泊、もしくは持経宿で一泊。
深仙で一泊の場合、翌日に持経宿で一泊されるか、かなりきつい行程らしいのですが行仙怒田宿で一泊するよう歩かれる方もいるようです。
行仙までいかれた場合、翌日玉置山へ。そこで一泊の後、本宮まで歩かれ一泊。そして本来は、そこから又熊野古道を一泊二日くらいの行程で熊野那智大社へ進み、熊野灘へ。吉野六田宿からそこまでが、熊野大峰奥駆け道です。
ところで、南の方の宿ですが、北とちがい、前鬼から玉置まで水等の補給はほとんど望めないようです。地図等では水場マークもあるのですが、天候により左右されるようなので、あまり期待されない方が良いようです。
各宿も、雨露しのぐ小屋は作ってくださっているようなのですが、バス停等までのアクセスは、やはり前鬼から玉置のあたりまでは難しいようです。(玉置にしても、バス停までは歩いて3時間ほどだったかな。)
又、ブッシュが多く北程は展望も良くない上、歩きにくく迷い易い道のようにも聞いております。単独登山であればなおの事、十分準備していらしてください。

余談になりますが、奥駆け道には、様々な云われのある場所が多数あります。
修験のお寺主催の奥駆けに参加すると、宗派にもよりますが色々と教えてくれる所もあり、それも又面白いと思います。
その中でも、主人から聞いた山上が岳の「日本岩」の話をひとつ。
「日本岩」というのは、横から見るとまさに巨大な仏の横顔だそうです。別に誰が造ったのでもない自然の造形なのですが、私自身写真で見て驚いてしまいました。(残念ながら、うちにあるのはスライド写真なのでうまく掲載できません。)
そして、夕刻その日本岩の上に立ち南西の方を見つめると、そこにはその時間にしか出現しない稲村が岳大日山の大日如来の顔が、西日を浴びて金色に現れるのだそうです。日本岩の方を向いて。はるかかなたの山の上で、日本岩の巨大な仏の顔と大日山の巨大な仏の顔が相対する。まさにそれは、神仏の世界を垣間見た気持ちになるのだそうです。
他にも、太古の辻から前鬼へ下る途中のモアイのごとくそびえ立つ両童子岩等、不思議な巨石や話等、色々あるようですよ。

以上、参考までに。お気をつけて。


[2922] Re[2921][2913]: 大峯山について  Setoh 2002/05/04(Sat) 12:11 [Reply]
> ただ、神奈備サイトとは少々趣きを異にするとも思われますので、蝿声の方に投稿させて頂きます。よろしければ、御参考になさって下さい。

ひふみさん 神奈備サイトにピッタリです。是非、神奈備でお願いいたします。

[2921] Re[2913]: 大峯山について  ひふみ 2002/05/04(Sat) 11:39 [Reply]
横合いからすみません。
昨日5月3日は、大峰山上が岳の戸開け式(山開き)がありました。
冬の間は静かだった地元の町も、眠りから覚めるように賑やかになります。

あかがね様、はじめまして。
奥駆け道を歩かれるとか、道中記楽しみにしています。
私自身、昔、山上が岳を省く北奥駆けに参加させて頂いた事があります。
その当時を思い出しながら、楽しみに読ませていただきます。
さて、御存知の事も多いとは思いますが、奥駆けに関して主人から聞いた事を少々記載させて頂こうと思いました。本来なら、個人的なメールでと思ったのですが、他の方の参考にもなればと思い書かせて頂きます。
ただ、神奈備サイトとは少々趣きを異にするとも思われますので、蝿声の方に投稿させて頂きます。よろしければ、御参考になさって下さい。


[2920] Re[2918]: 赤城大神  Setoh 2002/05/04(Sat) 11:27 [Reply]
櫛と豊の組み合わせは,櫛磐窗神、豊磐窗神の二神などに出てきます。筑紫国の櫛と豊国の豊,百済と新羅,など諸説があります。玄松子さんのHPに考察が載っています。

赤城神社は現在は大己貴神と豊城入彦神を祭神としています。
この赤城については,豊城とともに造語されたように『日本の神々:関東』に記していますが,祭神を赤城姫命とも云われているようで,大沼小沼を神体とした女神の上に上記の神々が重層したのかも知れません。
このような山中の池は断層,水脈,鉱脈と関係すると山浜さんが云っていましたが,確かに丹生都比売神のように水の神と金属神の近さを物語っているのかも。

いずれにしろ赤とムカデ,なおかつムカデは片目,どうも鉱山や金属神を連想してしまいますね。

布を織ると云うことと喧嘩ですが,倭文神については『日本書紀』に「大国主神は国を平定した際の矛を二柱に奉り服従したが、まだ服従しない神がいた為、二柱は力でその者達を屈服させた。唯,星の神,香香背男のみは最後まで屈しなかった。そこで倭文神建葉槌命を遣わし、これを服従させた。」とあります。
のりちゃんから引用 http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/futakami.htm
このように布を織る神は何故か強い神のようですね。武器に勝つ「布」と云うイメージがあったのかも。
元、紡績会社にいた神奈備でした。

[2919] Re[2911][2909]: 谷保天神  なにがし
あかがね様
>  吉野の金峯神社から山上ヶ岳まで奥駆道を歩いて来ました。しんどかったです。
お疲れさまでした。ちなみに金峯神社から山上ヶ岳まで歩くのにどれぐらいの時間かかったんですか?

[2918] 赤城大神  あかがね [Mail] 2002/05/04(Sat) 09:58 [Reply]
> 「もともと赤城神が一宮だった。あるとき機を織っていて管が不足したが、
> 貫前神に借りて織りあげることができた。そこで優れた機織技術者で、思い
> やりのある貫前神に一宮をゆずり、自分は二宮になった。」という伝説があ
> ります。機織ならば、どちらも女性ですよね。

 赤城大神は女性だったんですね。これは知りませんでした。
 実は先月の中盤、赤城山には登ってきました。あそこも日光なんかと似た感じで、
山中に湖(大沼、小沼)があってほとりに鎮座されております。
 赤城の神といえば日光の神と戦ってなかったでしたっけ?むかでになって。
…本当に女性なんでしょうか?

[2917] Re[2915]: 狩場明神の道  マルヤ [Mail] [Url] 2002/05/03(Fri) 22:31 [Reply]
「狩場明神の道」私の知らない地名が結構あります。
興味深い展開になりそうですね。読ませていただくのが楽しみです。

[2916] Re[2911][2909]: 谷保天神  習志野のてつ [Mail] 2002/05/03(Fri) 21:40 [Reply]
> > > 入り口から社殿に至る参道が下り坂
> > 本殿が低い場所に鎮座していると言う事ですね。

少し降るだけなら、出雲大社もそうですね。
貫前神社のすぐそば、北西方向に「丹生湖」があります。そちらから見れば
高く上がっています。ただし神社を裏から見ることになります。
「もともと赤城神が一宮だった。あるとき機を織っていて管が不足したが、
貫前神に借りて織りあげることができた。そこで優れた機織技術者で、思い
やりのある貫前神に一宮をゆずり、自分は二宮になった。」という伝説があ
ります。機織ならば、どちらも女性ですよね。
この赤城神の勢力はたいしたものです。
赤城神社はあちこちにあり、全部で334社あるといわれます。
東京、早稲田のそばに、牛込という地名があります。赤城神社はここにも分霊
されています。牛込氏は大胡氏の末だそうです。牛込赤城神社についてのHP
http://www.the-shinjuku.ne.jp/tan赤城神社su/SANPO/MOV/akagijinja.html

Setoh様>恐縮ですが安房弁わかりません。聞きかじり程度です。

[2915] 狩場明神の道  なにがし [Url] 2002/05/03(Fri) 19:08 [Reply]
こんばんは。あかがね様奥がけいかれたんですね。ちょうど今狩場明神の物語を書いているのですが、あかがね様が歩かれたあたりを執筆中です。もちろんフィクションですけど。書いていると知らぬ間通った道が1つの輪になってました。どういう事かと言いますと、まず丹治氏の自宅から吉野への最短距離?を考えて経路を選びました。高市郡明日香村島庄を出発、南に歩き入谷、芋ヶ峠を越え千股川を下り、吉野川を渡ると吉野町丹治につきます。丹治川を登り吉野山、そして金峯神社、その奥で空海と出会ったとして、ここから高野山を目指します。ここからは高野山までは五来氏の説を使わせて頂き、青根ケ峰から洞川、天ノ川を下り天川、庵住、阪本、中原川を遡り、今井、中、上、天狗木峠、陣ヶ峰を超えて高野山に至ります。そこから西に下り真国川を北上、丹生都姫神社に至り、丹治氏の親戚の丹生氏の家により、丹治の実家に向けて紀ノ川(吉野川)を遡り、奈良五条市犬飼を通り、今の国道24号線を登り五条市住川から古瀬、丹生谷、檜前を通って明日香に戻ります。
書いた後に気づいたんですが、なかなか丹治や丹生に関わりのありそうな地名が多いでしょ。地図をみながら目的地までの最短距離を選んでいくとこんな経路になりました。結構空想を膨らましているでしょ。
setoh様やマルヤ様でしたら地名聞いたらすぐどのあたりかわかるんでしょうね。

[2914] Re[2913]: 大峯山について  Setoh 2002/05/03(Fri) 13:23 [Reply]
>  吉野から熊野までの逆峯奥駆ルートを何回かに分けて歩いてみようと思ってます。
気力、体力の充実、うらやましいことです。


> ヌキサキ、ああなるほど、と思ったらえらい駄洒落ですね…。
m(_ _)m 瓢箪独楽,ないでしょうね。

井光神社をアップしました。

あかがねさんのご覧になった吉野町の井光神社八幡宮
http://www.kamnavi.net/as/yosino/index.htm

マルヤさんにお世話になった川上村の井光神社
http://www.kamnavi.net/ny/ikari.htm


[2913] 大峯山について  あかがね [Mail] 2002/05/03(Fri) 11:48 [Reply]
 Setoh様、ご無沙汰してます。
 吉野から熊野までの逆峯奥駆ルートを何回かに分けて歩いてみようと思ってます。三から四回かな。最後は玉置神社から本宮へ出るんですよね。奈良県南部は交通の便が悪く登山道までのアプローチが大変です。適当な小屋がなくテント必携のルートもあったりしますし。
 天川川合というと弥山への登山口ですね。
 深田久弥の百名山には大峰山の名が記されています。原典にはあたっておらず、詳しくは分かりませんが「おおみね」というのは普通大和から紀州へかけての長大な山脈・山塊を指します。しかし、一般住民の意識では「おおみね」は大峯山寺を擁し宗教的な中心をなす「山上ヶ岳」と一致します。
 が、山上ヶ岳は古来女人禁制です。女性には「百名山」踏破が許されないのか?ということで一般のガイドブックには山脈中(というか近畿で)最も標高の高い八経ヶ岳や弥山に登るルートに大峯山脈を代表させています。
 で、天川川合はその最も人気のあるルートの入り口なんですが、今回はもう一泊山小屋どまりすれば行けたんですが悪天候もあって次回の楽しみに先伸ばして、和佐又山から下山しました。

>井光
 奥駆けの前日吉野神宮から金峯神社まで歩いたのですが井光神社も横切りました。あれのことですか?質素な佇まいというかなんというか。
 井戸というのはやはり坑道の入り口だったんでしょうか?

>ヌキサキ
 ああなるほど、と思ったらえらい駄洒落ですね…。
 今実家で「日本の神々」を参照できませんが、結構名前の成り立ちにややこしい経緯のあったような。いずれにしても一ノ宮にしては祭る側の歴史の見えない神社だなぁと言う印象があります。ただの勉強不足かも。

[2912] Re[2911][2909]: 谷保天神  Setoh 2002/05/03(Fri) 10:39 [Reply]
あかがねさん お久しぶり。
> 吉野の金峯神社から山上ヶ岳まで奥駆道を歩いて来ました。しんどかったです。
やりましたね。
帰路は天川川合に出るのですか。

> 一宮貫前神社,窪地の泉を信仰
辛科神社までは参詣したのですが,暑い時だったのでギブアップした記憶があります。
この前,井光の祖が出てきたと言われる井戸跡を見てきました。山中の大きい窪地でした。井光神社の元社が鎮座していたようで,御神体だったのかも知れません。
貫前神社は男女二神を祀るようで,男神を象徴する抜鉾大明神(ヌキホコ)と窪地を祀る妃明神(キサキ)とで,貫前神社(ヌキサキ)となったとか,こんな話はないでしょうね。

[2911] Re[2909]: 谷保天神  あかがね [Mail] 2002/05/02(Thu) 21:07 [Reply]
 吉野の金峯神社から山上ヶ岳まで奥駆道を歩いて来ました。しんどかったです。

> > 入り口から社殿に至る参道が下り坂
> 本殿が低い場所に鎮座していると言う事ですね。このような神社は大和の広瀬神社、大和神社が知られています。秋田の唐松神社もそうでした。

 上野国一ノ宮の貫前神社も有名ですよね。ここは極端で思いっきり下ります。
 説明には元、窪地の泉を信仰していたためとあったかに思うのですが、ここの祭神が経津主神ということで物部氏の神様です。

> どうも,祀らざるをえないが,尊ぶ程の神ではない、との祀る側のメッセージが

 古代の有力豪族、上つ毛野氏との絡みで何かあったのかもしれないですね。

参考)貫前神社公式HP

http://www.nukisaki.or.jp/index.html

[2910]   イリ王朝は 鉄の王朝     うそぶき 紋次郎 [Mail] 2002/05/02(Thu) 19:24 [Reply]
 一週間ほど前にくらいついた崇神天皇、垂仁天皇の「イリ」のことです。

 ちょっと研究したひとに「イリ王朝は鉄王朝ですよね」と訊いたらぜんいんウン
ダ・ウンダというだろう。
 だが、ここであっしが言う意味は「イリ=鉄」という言葉のこってす。
 ヒントはネパール語の SUIRO(編み棒、刺繍針)。SUI は針です。SU そのものも
朝鮮語では鉄になっています。シナの製鉄の神シユー(シュ−ではない)の*SIU が
“縫う”で、IRO が英語の IRON(発音はアイアーン)の祖形だとみた。
 大昔のこってすから、縫うが起源か鉄が起源かはゴチャゴチャになっていて、実体
は掴めないでしょう。

 IR が鉄……という目でみたら、見える見える! 大転回カネ。
 カツラギのヌノイロ・ヒメが半分正体を見せたじゃ、あ〜りませんか。
 ここをホザいておけば、あとは神奈備のミナシャンがフォローしてくれて、あとは
どうなとキャア〜なろたい。

 原音が IR ですので、これが日本列島に入ってくると、いろんな変化態を産みます。
 ネパール語の IRO は、どこからかの借用とみてもいいでしょう。末尾の O はわかり
ません。
 IR-a , IR-i , IR-u , IR-e , IR-o のすべてを覚悟しておく必要があります。
 第二子音濁化のクセで ID , IZ も十分にあり得ます。
 語頭に「イ」を立てたからといって R にメチャ弱い朝鮮系渡来民は、イイ と発音
した可能性は十分あります。イイトヨ、五十・五十。
 ま、あんじょうたのんまっさ。

   ……………………
 ts と発音できない民はけっこう多いんでっせ。朝鮮語には ts はない。台湾にはあるよ。
 パキスタン人の友達のアリ君は英語も喋れたんだが、ツが言えなかった。のっけか
ら S が出ずに「 eS」と発音するので、家庭教師のバイトもできなかった。
 このTS と 語頭の S だけでも色分けしたら、氏族の住み分けが浮上して面白い。

[2909] 谷保天神  Setoh 2002/05/02(Thu) 18:44 [Reply]
桜左近さんが蠅声で国立市の谷保天神を紹介してくれました。

> 我が家の近くに谷保天神があり、(中略)「やぼてん」の由来になっているのをご存知でしょうか。(笑)Googleで「野暮天 由来」で検索すればすぐ見つかるので、ここには書きません。
この神社は入り口から社殿に至る参道が下り坂になっているのがとても珍しい。
普通は上っていきますよね。それと、10羽近い鶏(チャボ?)が野生化して鳥居の近くの木の上にいる。ああ、これが本当の「鳥居」だと、神社でコントを見せられたような気がして笑えます。

> 入り口から社殿に至る参道が下り坂
本殿が低い場所に鎮座していると言う事ですね。このような神社は大和の広瀬神社、大和神社が知られています。秋田の唐松神社もそうでした。この内唐松神社は饒速日尊,広瀬神社も物部に関係があります。大和神社はオホヤマト神社が訓で、大和の国魂を祀っています。
どうも,祀らざるをえないが,尊ぶ程の神ではない、との祀る側のメッセージが残されているように勘ぐってしまいます。饒速日尊、長髄彦への裏切りがあったように記されています。長髄彦に付着していた大和の国魂が離れたが故に長髄彦は破れた、こう考えて大和の国魂を饒速日尊に見立てる説に記憶があります。
谷保天神の菅公以前の祭神が物部に関係あるのかも。

> 鶏(チャボ?)が野生化して鳥居の近く
鶏と菅公とは,大阪の道明寺天満宮にも伝わっています。
啼けばこそ別れもうけれ鶏の音の鳴からむ里の暁もかな
で,朝早い目に鶏が鳴いたので,別れも早まったとか,それで鶏を飼わない。

[2908] Re[2907].[2906] 「チ」と「ツ」  Setoh 2002/05/02(Thu) 09:35 [Reply]
> 蠅声なす掲示板に書き込みました。私のは完全に言葉の話なので。

  習志野のてつさん,こんにちは。
 阿波出身の三木武夫首相は国会のことをkokkwaiと発音していました。安房の国には訛が残っていないのでしょうか。
 遠い国の遠い時代の言葉はともかく(ともかくとは大方の人々が菊だけになり,湯ことが出来ないので蠅声で,しかし方言などについては,相互に情報を交換できますので,神奈備でも語れますね。特に社名,神名,神々については避けて通れません。


 神武巡幸紀に登場する井光の土地をマルヤさんに案内頂いた際、氏が「泥の深い田圃でいつも水気があり,加えて水面が(油の幕があできているように)光っていた所の収穫量は多かった」と語られていました。
 光る,これは神の仕業,特におぼしめしのある仕業と思われていたのではないでしょうか。
海照 天照 国照 と思い浮かびます。
大物主神は 「海を光(てら)して依る来る神ありき」 と登場しています。
天照大神は,名の通りか,海照大神だったとか言われます。
下照比売,井氷鹿姫,火明命,猿田彦,八岐大蛇、伊勢津彦,肥長姫、景行天皇の鬘と鎧

吉野のことならマルヤさんの  http://www.yasaka-io.com/

[2907] Re.[2906] 「チ」と「ツ」  習志野のてつ [Mail] 2002/05/01(Wed) 12:46 [Reply]
蠅声なす掲示板に書き込みました。私のは完全に言葉の話なので。 

[2906] 「チ」と「ツ」の不思議?  ひふみ 2002/05/01(Wed) 10:10 [Reply]
これは、私の発音がおかしいのかもしれませんが。
「ア」から「ン」までいわゆる「アイウエオ」から続く50音でひとつずつ発音してみた場合ですが、不思議な事に気が付きました。

「タ」行の音に関してだけ変な感じがするのです。
「タ」「テ」「ト」は、通常舌を上あごにつけて舌と打ち合わせるように「TA.TE.TO」と発音しているのですが、「チ」「ツ」に関しては、打ち合わせるというよりは細く息を噴出す音のような気がします。
「ア」行以下、他の音に関しては例えば「カ」行の場合、「K」+「A.I.U.E.O」という発音で納得できるのですが、「タ」行の場合、発音による表記をした場合、「タ・ティ・トゥ・テ・ト」と「ツァ・チ(ツィ)・ツ・ツェ・ツォ」に本来分かれるように思えるのです。
又、「チ」と「ツ」を濁らせると「ヂ」「ヅ」になり、「サ」行の「シ」「ス」が濁る音「ジ」「ズ」につながるようにも思います。
「S」音も「スズ」に代表されるように、とても神霊的な音であるように、「チ」「ツ」も大事な音霊だったのかもしれません。
そういえば、蛇使いが蛇の音を真似るように、縄文あたりの蛇を祭る巫女達もその音を真似る事があったのかもしれませんね。
そういう意味では、「ツ・チ」はやはり大地の神の音なのかもしれません。



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