神奈備掲示板の案内とログ

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掲示板のログ(平成十五年 七月)お名前の敬称は省略しています。

[4430] 迦毛の大御神 付録  神奈備 2003/07/30(Wed) 08:15 [Reply]
塩竃神社と迦毛の大御神

宮城県塩釜市に鎮座する塩竃神社から勧請された塩竃神社、例えば讃岐国阿野郡の塩竃神社などの祭神に味耜高彦根命の名が見える。 現在の塩竈神社には味耜高彦根命の名は見えない。奥州の塩竃神社は『弘仁式』に記載の神社である。また奥州制圧の拠点の多賀城とのかかわりもあったと云う。

 現在の祭神は鹽土老翁神、武甕槌神、經津主神であるが、これは江戸時代に定められたようで、弘仁式には鹽竃の神。この神が味耜高彦根命と見なされていた時期があったと云うことだろう。
 土蜘蛛を束ねる役割を持った神であれば、近くの多賀城市に鎮座する荒脛神社のような性格があったのかも知れない。
 祭礼に嘉津良比祭(かつらひ)がある。12月1日。かつら、葛を連想し、鴨につながるか。

http://www.genbu.net/data/mutu/siogama_title.htm

秋葉神社と迦毛の大御神

 秋葉山本宮秋葉神社は本社で『三代実録』に岐気保神とあるのに比定している。秋葉大権現への信仰は白山信仰と軌をを一にしている。要は修験道の信仰で広がったようである。標高866mの山頂近くから湧き出る泉への信仰であり、これが機織井と呼ばれている。蝦蟇を水神としている。ヒキガエル、タニグクである。土蜘蛛は朝鮮語でヒキ、ヒキガエルは侏儒の変身であり、土蜘蛛のこと。
 修験は葛城は鴨氏の役行者に発する。味耜高彦根命を秋葉大権現として祀ったとしても不思議ではない。

http://www.genbu.net/data/toutoumi/akiba_title.htm

[4429] Re[4424]: みそくひ の周辺 2  神奈備 2003/07/29(Tue) 17:18 [Reply]
 逆に、ミミズク(木兎)は夜の猛禽、赤ホオズキの目、猿田彦のイメージ。
 その猿田彦は高天原の神々をひるましたが、天受売の色香になよなよ。そこは何となく女に悩まされた仁徳天皇に似ている。
 ササギ(鷦鷯)ミソサザイの古語、焦げ茶色の小鳥でよく鳴く。日本各地にいる。国津神のイメージ。この鳥が仁徳天皇の名前に組み込まれているのは不思議。
 取り替えたのは名前だけではなく、赤子そのものだったのかも。

 平群木兎宿禰の子が真鳥大臣、真鳥は昼の猛禽のワシ、タカのこと。真鳥と子の鮪は若鷦鷯(武烈天皇)に殺される。応神仁徳からの王権も武烈で終わる。


[4389] 神奈備> 天若日子が先兵として降りてきた土地、下照比売がいた地、それは難波(摂河泉)なのです。
[4390] 大三元> 出雲かとばかり思ってましたが難波説があるのですね。

 今日見ていました『出雲神話』松前健著(講談社現代新書:昭和51年)のp169に、やはり難波にヒメコソの社の鎮座していることを理由として、ヒタテルヒメの本拠地は難波であったと記しています。

 下照姫難波説、先行文献が存在していたことをお知らせしておきます。

[4428] Re[4424]: みそくひ の周辺  神奈備 2003/07/28(Mon) 08:23 [Reply]
大年神の系譜。
次に大山咋(おほやまくひの)神、亦の名は山末之大主(やますゑのおほぬしの)神。
山の末とは、山系の端の山で、神奈備山に坐す大神を云うようです。咋は神の呼称でもありそうです。
元々は、咋は杭とか柱の意があり、まさに依代で、それを以て神の名としたと考えられましょう。

三嶋溝咋、三嶋の地に坐す溝の神、溝とは・・、と云う常識論を思っていましたが、鴨との関連からは、有機農法の一つで、田圃に鴨を放し飼いにして田の草を食べさせるのもありですね。

> 「みそくい」鳥ならば、「みそさざい」
別の名に「みそちんこ」、「みそちんちん」、丹塗矢を思ってしまいますね。

[4427] Re[4426][4425]: この前の出雲の人骨と  神五郎 [Url] 2003/07/27(Sun) 11:15 [Reply]
はじめまして。「いそしろ 磯城」 で検索したらここが当たりました。
古代朝鮮語で 磯城が城とか聞いたことがあるようなの気がするのですが。
私が不思議に思っているのは、神戸三宮の駅裏の生田神社の祭神が
ワカヒルメ。あのスサノオが馬の皮を剥いで投げ入れた幡屋にいてショックで
死ぬあのワカヒルメ。そして神社自身はそれに触れたくないような感じです。
アマテラス(オオヒルメ)の若いときの名前といってみたり。
> サイトアドレスはいいんですが、一ページのみでしょうか。
目次が写真の中にあってわかりにくいんですね。
すみません、この方の掲示板がないのでここに書きますが、
写真のしたのURLで~(ニョロ=ティルデ)が抜けています。私も、
ニョロのキーがどこにあるかわからず(私のパソコンにはないと思っていて)
1年以上、他人の文章からコピーしていました(^_^.)
今も探しました。キーに描いてあるのは^(アクサンシルコンフレックス
今変換しようとて、^はこの名前が付けてあると知りました。)
この方は多分英語以外の言語を勉強されているのか、JとGが入れ替わっていたり
しています。フランス語ではJがジー、Gがジェイらしいです。

[4426] Re[4425]: この前の出雲の人骨と  神奈備 2003/07/26(Sat) 21:42 [Reply]
> ご無沙汰しました、もう一月過ぎ梅雨明けとなりました。
> しばらくぶりに訪れますと大変な事態が発生しており、恐縮の至りです。
何のお話でしょうか。さっぱりわかりません。

> 神奈備さん、お互い頑張りましょう。また寄らせてね。
もうすこし意味の分かる書き込みなら歓迎です。
サイトアドレスはいいんですが、一ページのみでしょうか。

[4425] この前の出雲の人骨と  夜須町情報クラブ [Mail] [Url] 2003/07/26(Sat) 20:58 [Reply]
ご無沙汰しました、もう一月過ぎ梅雨明けとなりました。
しばらくぶりに訪れますと大変な事態が発生しており、恐縮の至りです。
新聞は西日本で中橋氏の発表の記事です、私は偏見で書いたのではありません
、誤解の節は平に、朝鮮から渡来したとしていまして、この時期は越国の朝鮮
を統治した人達を指しています、あなたの指摘された衛氏朝鮮と関わりがあろ
うかとします。越系は衛系と同じ民族であり、渡来したわけでして、夜須町はこの時期は満杯でした。峯遺跡では越国の風習のトーテムが見られ、佐賀で出て有名になった稲作との関わりの壷が沢山出ています。これは町全体の遺跡からを指します
峯遺跡のトーテムとは塚田さんのホームページで紹介されています。
この壷には山模様が壷の首回りに先刻されており、これがトーテムです。
越国の風習は町全体の遺跡から見られ、峯では今のビールジョッキと同じ形の器
等豊富に出ています。 夜須町文化財報告書をご覧になるが一番早いと思います。
神奈備さん、お互い頑張りましょう。また寄らせてね。

[4424] みそくひ の周辺  大三元 [Url] 2003/07/26(Sat) 17:15 [Reply]
三島溝杭 などと書かれる人の名前の語義ですが
田溝などの杭、のこと、とか、厠と男の象徴、だ、とか説かれることもありますが、どうなんでしょう。。。

「みそくい」鳥ならば、「みそさざい」という鳥のことを指す地方がある(広島・岡山)(他に「みそなめ」とか)出典:
http://www.asahi-net.or.jp/~SG4H-HRIZ/dic/misosazai/misosazai.html

みそさざい に当てられた漢字として「三十三才」:「三十」が「みそ」、「三才」が「さ(ん)さい」という訳だ。

三十三才、を読むとき、端折っても好いし、「三三才」とでも書けば「みさんざい」も読みうる。(「にさんざい」は「みさんざい」とは違う場所・古墳を示すのだが、言葉としては同じ語で、区別するために?訛ったに過ぎないように思える。)

おほささぎ(仁徳天皇)と木兎宿禰とは名前を取り替えた、という。
ささぎ、とは、みそさざい、のことだと言う(岩波日本書紀頭注)

ほむたわけ(応神天皇)と角鹿のいざさわけも名前を取り替えたという。
「いざさ」に含まれる「ざさ≒ささ」も何やら「ささぎ」と近く見える。

この周辺には鳥の名前を持った皇子・皇女が散見される。

みそさざいに戻れば、スクナヒコが登場するときに、みそさざいの羽を着て来た、という。神代紀(下)のこの記事の直前に、三嶋溝くひ姫、なんて出てくるのも思わせぶり、、、なのか。

今のところ、上記のように、乱雑に配置される「点」だけに見えるのだが、これらが「線」になって来はしまいか、と興味を持って、イイガカリを漁っているところです。

[4423]  迦茂の大御神考 (12)最終回  神奈備 2003/07/26(Sat) 10:27 [Reply]
日雲さん、こんにちは。
>>出羽の味耜高彦根命は迦具土之神??
>これ、筑後の方でもそうですね。
筑後では10社の秋葉神社が味耜高彦根命を祭神とし、うち9社は同神のみが祭神ですね。ちなみに秋葉神社は33社。
肥前国で秋葉神社、愛宕神社各1社。

ペギラさん、カモと云えばペギラさん、神奈備はネギのレベルで・・・
三島鴨神社の件、ありがとうございます。
男爵@中央大学氏によれば、三島鴨神社は、JR高槻駅北側の上宮天満宮と一体で、この地域に鴨神を雷神とする信仰があり、それが今日の天満宮信仰に転換したようだ。昨日行われた大阪天満宮の船渡御祭は、土佐神社の志那禰祭と非常に類似しているが、菅原道真とは何も関係がない。また各地に「天神山」があり、雷神に雨乞いを祈祷する習慣も≪天神信仰≫の原型である。と云われています。

 どうやら、カモ社は上社、下社と複数社制があったのかも知れません。空の上を飛ぶ鴨と下を照らす姫。?

 葛城の地に葛城氏と鴨氏、この二氏族の関係や如何。まとまりがつきませんが最終回。

 元々、鴨氏の一部が河内や紀の国から葛城山の東側に入植していたのでしょう。
 近鉄やJRの御所駅の南に鴨都波八重事代主命神社が鎮座、その付近からは鴨都波神社遺跡とでも称する縄文時代からの遺物が出土しています。そうとう早い時期からこの谷沿いの入り口で川の合流点にもあたるこの地は開拓されていたようです。金剛葛城の山々からなだらかな斜面が東に続き、ついには葛城川に流れおちる地形です。この斜面は朝の日光がよく当たる場所で、焼き畑でも水耕でも、五穀を耕し、実りを収穫するのにはうってつけの地域です。平群、矢田、生駒等の東斜面もそのような環境のようです。西向きでも出来るのは葡萄。

 所謂欠史八代の天皇の宮は葛城から徐々に東へ北へと平野の中央へ出ていっています。史実とは断言出来ないのでしょうが、この様な物語ができあがってくる背景には、根強い伝承としては葛城方面から王権が誕生してきた事が残っていたのかもしれません。これは鴨氏の王権が磯城の妃を得て大和国中から徐々に勢力を拡大していったように『古事記』が記すような事もある程度は受け入れられていたのでしょう。『日本書紀』で正史に書いてしまう前に王権の考え方、各豪族の位置づけを『古事記』でリークしておき、豪族達の反応をうかがったのかも。

 中大兄皇子(藤原不比等)ー武内宿禰ー高皇産霊尊と遡る外戚と事実上の皇祖の系列、即ち藤原氏、蘇我氏、葛城氏の系列の種がこの葛城の地に存在していたのでしょう。
 大和の神々が祟りをなした崇神朝、この時期に大田田禰古命が祭祀者として登場します。大神氏や鴨氏の祖となるのですが、鴨族と云う意識は葛城山東の味耜高彦根命の宮と云う伝承の地(高宮:高鴨神社奥宮跡)の祠を祀っていた一族にその意識が芽生えていたのでしょう。
 
 鴨氏の中から渡来人を束ねる者が出てき、渡来人と融合して行く一族が現れてきます。葛城の地の長江の曽都比古と云う人物です。長江とは長柄の事で、長柄神社が現存している。
 http://www.kamnavi.net/as/katuragi/nagara.htm

葛城氏と云う氏族は記紀に記された確かな実在者(井上光貞氏『帝紀からみた葛城氏』)だそうで、そうとう有力な氏族であり、実質王権を切り盛りしていたのであろう。この葛城氏の権力の源泉の一つは渡来氏族の持つ土木、繊維、鉱業のいち早い技術の取得であったのでしょう。葛城氏の拠点の地域に渡来系氏族が多く配置されているのはある程度独占的に掌握したかったからかも知れません。
 
 実は葛城氏が権力中枢で重きをなしたもう一つの要素が鴨氏の存在です。鴨氏はこの国の古来からの神々をも祀り、土蜘蛛を和をもって王権の民である国栖にし、また占い、蝋燭、更には小林晴明さんのヒントで思い出しましたが、トリカブトの毒をあやつる、(鴨の字をよく見る)など、古代のこの国の支配者の後裔氏族だけではなかった鴨氏を本家としている点にあったのでしょう。
 中臣氏と藤原氏の関係の先行形態が鴨氏と葛城氏だったのでしょう。
 
 近隣に配置された渡来系氏族の発展の波に呑まれてしまい、鴨氏の領地も多く浸食されてしまい、祭祀を継続する本家を残して、鴨氏分家は飛鳥など各地へ散っていったようです。権力に寄生するインテリ氏族、占いの名族などとして鄙では受け入れられたのでしょう。この際に、葛城の鴨系の神を祀る社が形成されていったとも考えられます。

 町長リコール事件で馬鹿さを露呈した豊郷町には式内社の阿自岐神社と国史現在社の天稚彦神社が鎮座、町の教育委員会の説明板には百済から渡来した阿自岐氏云々とはあるのですが、鴨氏の一族がやってきた話はありませんが、阿自岐もさることながら秦氏の入植しているようで、隣が秦荘町、秦氏が鴨の神を奉戴してやってきたのかもしれません。曽都比古が弓月君の民人を助け出した感謝の気持ちが秦氏に残っていたのかも。
 山城も岡田も秦氏の濃厚な所、ここに加茂、賀茂神社があるのは面白い所。

 余談ですが、物部氏と秦氏の最大の違いは特定の神様に執着するのか無頓着かにありそうですね。

 ーー 迦茂の大御神考終わり ーー

[4422] Re[4421]: 立山修験について  玄松子 2003/07/25(Fri) 23:08 [Reply]
> 立山では立山権現が阿弥陀如来で、不動明王とセットで祭られています。

雄山神社祭神は、伊弉諾尊と天手力男尊。
伊弉諾尊が立山権現で、本地仏が阿弥陀如来。
天手力男尊が刀尾天神で、本地仏が不動明王。

[4421] 立山修験について  写楽 2003/07/25(Fri) 09:55 [Reply]
立山修験に興味があるのですが、立山では立山権現が阿弥陀如来で、不動明王とセットで祭られています。
普通阿弥陀如来というと明王は大威徳とセットになるはずなんですが、どうして不動尊をもってきたんですかね。修験道だから不動明王を祭るのが一般的だからそうしたんですかね?
どなたかご意見をお聞かせ下さい。

[4420] カモノミシマカ ミシマノカモカ  ペギラ [Mail] 2003/07/25(Fri) 09:45 [Reply]
神泉社 「三島湟咋」坂田護著から

「三島鴨神社鎮座記」中の「社前古石標」項
以下抜粋

正面鳥居横に元禄年中のものと伝えられる古石標が残っていますが、
文字の摩滅が甚だしく、最初の二文字が「御島」らしいと伝えられる他、
何が書いてあったのか全くわかりません。
この事についてある話が伝えられておりますが、
なんでも明智光秀を討つために出陣した秀吉勢が当社で休んだ事があったそうで、
その際にある武将が宮司に「鴨の三島か、三島の鴨か」と問うたそうです。
はたしてこれがどういう意味なのか。
また宮司は何と答えたかは伝えられておりませんが、
とにかく武将はその答えが気に入らなかったらしく「ならばあの文字はいらぬ」
と言って石標の文字を擦り消してしまったという事です。(以下略)

というのが、載っています。ペギラ。

[4419] 私もちょうど調べておりましたので  日雲 2003/07/24(Thu) 23:21 [Reply]
>出羽の味耜高彦根命は迦具土之神??
これ、筑後の方でもそうですね。

[4418]  迦茂の大御神考 (11)  神奈備 2003/07/24(Thu) 22:39 [Reply]
> 真嶋郡と大庭郡が後に合体して真庭郡になったのではないでしょうか
ヒャッヒャッヒャですね。

>  鴨の三島か、三島の鴨か、と言う謎の言葉が残っているそうです。
面白いですね……どんな筋の人が言い出したのか、非常に気になります。
戦国時代だったように記憶しています。
鰻の習慣、コレステロールが多いので皆さんも気をつけて下さいね。特に肝は。

 迦茂の大御神考 (11)

 東の方角の味耜高彦根命を祀っている神社の特長を出してみます。この神はどのように受け取られていたのか、まつろわぬ土蜘蛛の斎祀る神だったのか、蝦夷を従わせる役割を担った神なのか。

 奥州の味耜高彦根命は鹽椎神??
青森県東津軽郡平内町 塩竃神社
茨城県北茨城市中郷町 塩竃神社
新潟県村上市大字柏尾 鹽竃神社
 塩竃神社の主祭神として祭られています。由緒は未調査です。鹽椎神は海の向こうの知識豊富、先達的存在の神です。鹽椎神への信仰は何とも古い信仰のように思える神です。
『出雲国風土記』神門郡鹽冶(やむや)の郷に、阿遅須伎高日子命の御子、鹽冶毘古能命坐しき。故、止屋と云ふ。神亀三年に鹽冶と改む。
とあるのですが、まさか鹽冶毘古能命との混同はないとは思いますが・・。

 出羽の味耜高彦根命は迦具土之神??
山形県最上郡金山町 秋葉神社
山形県酒田市 秋葉神社 6座
長野県下伊那郡松川町 八幡大神社摂社秋葉神社など長野県の三社
 山形県に秋葉神社が19座、内酒田氏に6座、これが全部味耜高彦根命。
 京都府亀岡市の出雲大神宮は最盛期の広大なる神領は愛宕山や愛宕神社までをも含んでいたようです。

 陸奥国の磐城、岩代の味耜高彦根命は近津神
福島県郡山市安積町荒井 近津神社
福島県東白川郡棚倉町 近津神社 式内社の都々古別神社の遙拝神社かも
福島県に近津神社は8社、そのうち7社が味耜高彦根命、1社は不明
茨城、栃木の同名社にも味耜高彦根命。二荒山神社の遙拝神社としてかも知れません。
ちかた、ちかつの神につきましては、楡山神社ホームページの諸社つれづれ うぶすな研究室http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/ture/tikata3.htm
がよくまとめられています。参照下さい。

高根神社の味耜高彦根命
埼玉県大里郡江南町  高根神社
新潟県長岡市宮内 高彦根神社
長野県東筑摩郡明科町 高根神社
静岡県の高根神社10座

関東の味耜高彦根命は二荒山神社、日光神社の神。
栃木県日光市山内 二荒山神社など20座

実はこれほど多くの神社での祭神となっていたとは驚き、古代のこの国の王朝であった祭祀氏族の鴨氏、そのる血と持っている占いなどのノウハウは各地で珍重されたのでしょう。

四国、九州にも多く祀られており、やはり徳島県では塩竃神社、秋葉神社各一社のの主祭神であり、興味津々の所です。

[4417] Re[4410][4409][4407]: 迦茂の大御神考 (9)  日雲 2003/07/24(Thu) 21:52 [Reply]
レス有難うございます。なるほど、宮中や上田市の生島足島もそうである、という訳ではないのですね?

ところで、
>  どう考えても、大山祇神はもう少し古い時代の神のような気がしますが、
ということで、三島鴨神社のページに、
「社伝によると、三島江の東の淀川沿いにいた物部の韓国連が祭祀に協力したとしている。 素直に、物部の韓国連が百済から奉斎して来た神は渡しの神である、この神を大山祇神と習合させたのかもしれない」
とされていますが、この辺には「うなぎ食わず」の風習ってありますでしょうか?
三島系とその他の通常の(?)大山積信仰との違いは、そのタブーがあるかないかに現れているんじゃないか、その点と百済伝来の伝の奇妙さが関わってはいないか、なんて妄想をしているのですが……。

>  鴨の三島か、三島の鴨か、と言う謎の言葉が残っているそうです。
面白いですね……どんな筋の人が言い出したのか、非常に気になります。
どういう立場から発されたかで、意味合いが全然違ってきそうな趣です。

最近、ようやっと宗像(と宇佐)に手を染め始めた日雲ですが、
星信仰の観点から見ても、面白くも難しいところですねぇ。

[4416] Re[4414][4412][4408][4406]: なには  大三元 [Url] 2003/07/24(Thu) 18:16 [Reply]
神奈備さん

> 揺れてですか・・

いつも錯覚するのは、字に書かれているものを、今の発音で、それも50音図に当てはめて キ なら ki と一種類か、と思ってしまう。実は細かく観察すると、前後の音の関係で同じキでも何種類かを発音しているそうです。

多分、方言は特に字(例:カタカナ)では表現しきれない。色々工夫して、ソオキャーモ、と書いてみても「音」を「正しく」復元することは出来ない。近似値なんでしょう。

つまり実際の発音は色々に揺れる。それをどう字に置くか、という問題なのだろう、と思います。『沖縄古語大辞典』では、その点で工夫がしてあって、例えば:
 みや 庭 神祭りの庭・・・・語形:なー、ま、みな、みや、むなび、むま、宮、庭、美名(うな)、うま、うまあ、うみゃ、うみや、うんな、う庭、御庭(おな)、御庭(おにや)、おみや、おみャ、をみや、んな、御みや、お庭/宮々
と各種の表記の実例を挙げて、これらを「みや」という項目に代表させています。
言ってみれば、なんらかの圧力(教育?統一?標準化?)で「みや」に統一されていることに慣れていると、現場(!)での実際の発音は大いに揺れている、ということを忘れてしまうのかもしれません。

> 美作の真嶋郡が今は真庭郡、マシマがマニワ、それがナニワとなったとすると、シマがニワになる、さほど不自然ではなさそう。

ううう。これは、真嶋郡と大庭郡が後に合体して真庭郡になったのではないでしょうか?

[4415]  迦茂の大御神考 (10)  神奈備 2003/07/24(Thu) 14:57 [Reply]
賀茂朝臣(かものあそみ)。
 大神朝臣と同じき祖。大国主神の後なり。大田田禰古命(おほたたねこみこと)の孫、大賀茂都美命(おほかもつみのみこと)[一名は大賀茂足尼]賀茂神社を斎き祭りき。

 大神朝臣と賀茂朝臣は共に大田田禰古命を祖としています。大和平野の東西を分ける古い氏族です。尤も、葛城の鴨に神社には祭神としての大田田禰古命の名は見えませんし、大田田禰古命の孫の大賀茂都美命の名も見えません。
 この辺りは猪飼野だったかどうかですが、河内国渋川郡の鴨高田神社の祭神に大田田禰古命孫大賀茂都美の名が出てきます。大田田禰古命は河内国美濃にいた所を発見されています。

 実は大田田禰古命まで鴨族の祖神とするのはどうか、また大賀茂都美命の名も後から作ったような名で、この辺りの伝承はあまり信用できないのでは、と思っていましたが、この前、高鴨神社社務所で、某家伝来の画文帯神獣鏡を拝見、説明によると、ホケノ山古墳の出土鏡と部分同型であり、銘文の字形は全く同じ。おそらく同じ工房で、同じ時期に、同じ作者で作成されたものと見ることが出来るそうです。要は三輪山信仰圏と鴨神信仰圏とに同じような祭祀用具が伝わっていると言うことは、『新撰姓氏録』の大神朝臣と賀茂朝臣とは同じ祖と言うのは従来は否定的に見ることが定説でありましたが、どうやら同じ祖である物的証拠が存在しているといえましょう。そうしますと、所謂葛城の下鴨神社の祭神である鴨都味波八重事代主神とは、鴨都(鴨に坐す)味波(三輪の)八重事代主神と分解できそうで、大物主神のご託宣の神と理解できるのかも知れません。

 三輪山は里のクズと山のクズとの相まみえた神山と言うお話が、ZOUさんから発信されました。凄いイメージです。http://www1.kcn.ne.jp/~rascals/shikinokuni/index.html

 一方、鴨族のいた葛城は土蜘蛛の巣窟であり、『平家物語』剣の巻(下)が書かれた時代にでもそのように信じられていたような「謡曲」が残っています。
http://ww4.tiki.ne.jp/~miyanoki/enmoku/title/tutigumo.htm
 土蜘蛛は源頼光に襲いかかって、四天王渡辺綱などに退治された平安京に現れた葛城の土蜘蛛の亡霊の説話を下に作られた。 その供養の意味で一言主神社境内にこの塚が作られた。 葛城の土蜘蛛は天孫族以前に当地に住んでいた国栖の民で、鬘によって一網打尽にされたのである。

 葛城の土蜘蛛(クズ)は王権へ与えた印象は根深く残っていたようです。おそらく、鴨氏は全国に散らばっている土蜘蛛の総大将的な役割を期待されていたのではなかろうか。
 これは王権からは土蜘蛛を大人しくさせる意味で(大人しい土蜘蛛を国栖と言う)、また土蜘蛛からは自由に往来し商売をする保証などを期待されていたように思えてなりません。鴨氏とサンカの神とされる火明命との結びつきが後世に出来てきています。尾張氏のルーツが高尾張とする葛城の地であったとの濃厚な説も現在でも有力です。

[4414] Re[4412][4408][4406]: なには  神奈備 2003/07/24(Thu) 14:56 [Reply]
> ・kam-navi と書いて カンナビ ・・・おまけ
へい、まいどありーです。
> マニワが揺れてナニワ、
揺れてですか・・
美作の真嶋郡が今は真庭郡、マシマがマニワ、それがナニワとなったとすると、シマがニワになる、さほど不自然ではなさそう。
 難波での八十島祭りも島の生成を言祝ぐのか、多くの聖なる場所での祭典なのか、何の祭典なのか、と云う疑問もでてきます。
 大阪のお祭で一言。
 今日は宵宮ですが、大阪天満宮の船渡御祭は土佐神社の志那禰祭と非常に類似しているそうで、[3928]で男爵@中央大学氏が「宗像大社のように御神体を船団に載せて周回する祭りを「志那禰祭」というのです。」
とありますように、大阪天満宮の祭りは土佐神社や宗像大社の祭りに似ているそうです。
 これは男爵@中央大学氏によりますと、三嶋鴨神社と高槻の上宮天満宮とは対をなしていて、管公以前の雷神信仰を形成しており、それが大阪天満宮の船渡御祭に組み込まれていったとのことです。

[4413] Re[4411]: 権現と明神について  神奈備 2003/07/24(Thu) 11:18 [Reply]
> 権現と明神の違いについてどなたか教えて下さい。徳川家康の例から推測すると権現の方が格が上なんですか?どなたかよろしく

権現・明神とは、仏菩薩が人々を済うために、仮の姿をとってあらわれた、日本の神々のこと。

http://www.go-kito.com/dewa3_82.html
に詳しくあります。

[4412] Re[4408][4406]: なには  大三元 [Url] 2003/07/24(Thu) 10:03 [Reply]
神奈備さん、

> 大三元さん こんばんは。:『初期天皇后妃の謎』未だ手元に戻っていません。

売るほど在庫がございますので、もう一冊どうぞ(^^)

>  要するに太陽祭祀と言う点で、沖縄と新羅とは一致、

太陽を有難く思うのは多分古今東西に普遍的なことではないでしょうか。あまり、どこかに起源を求めなくとも良いのかな、と思ってます。

>  しかし、まにわ、なにわ、「ま」から「な」にわざわざ変える必然性に疑問をいささか。

「わざわざ変える必然性」というよりは発音のしやすい方向への「揺れ」なのではないでしょうか。MとNの交替例:
・なみはや→なには (俗解、として破棄すべきか)
・みさんざい にさんざい (違う言葉なのか)
・琉球語の まみや まにわ
・任那 と書いて みまな
・稲庭 と書いて 伊奈無波(いなむは)(和名抄巻6。27頁裏)
・無、无 M から ん N へ
・奴奈宜波 ヌナカハ 沼川 (ちょっと難あり)
・kam-navi と書いて カンナビ ・・・おまけ



[4411] 権現と明神について  写楽 2003/07/24(Thu) 09:01 [Reply]
権現と明神の違いについてどなたか教えて下さい。徳川家康の例から推測すると権現の方が格が上なんですか?どなたかよろしく

[4410] Re[4409][4407]: 迦茂の大御神考 (9)  神奈備 2003/07/24(Thu) 08:42 [Reply]
> この「生嶋神&足嶋神=市杵島姫&湍津姫神」、不勉強なことに全く知りませんでビックリ

流石のご指摘。勉強と言うのは難波では「値下げ」の意味で、この話は実は青草話。

生島は「イキシマ」で、市杵島に通じます。そうすると足島は「タルシマ」「タシマ」で、湍津姫命か田心姫命のどちらかに比定できます。で、味耜高彦根命の母神の田心姫命は葛城に坐すので、湍津姫命を持ってきました。多分、文献はないと思います。

ついでに、文献にない青草をお口直しか傷跡に塩か。

瀬戸内海の大山祇神社ですが、大三島宮とも呼ばれています。
 『伊予国風土記逸文』に「乎知の郡。御嶋。坐す神の御名は大山積の神、一名は和多志の大神なり。是の神は、難波の高津の宮に御宇しめしし天皇の御世に顕れましき。此神、百済の国より渡り来まして、 津の国の御嶋に坐しき。御嶋と謂うは、津が国の御島の名なり。」とあります。

 どう考えても、大山祇神はもう少し古い時代の神のような気がしますが、この津の国の御嶋と言うのは、摂津の国の三島郡と思われ、ここには三島鴨神社が鎮座しています。社伝によりますと、三島江の東の淀川沿いにいた物部の韓国連が祭祀に協力したとあります。

 鴨の三島か、三島の鴨か、と言う謎の言葉が残っているそうです。鴨の三島と言う場合、鴨神を祭る三島社としますと祭神は事代主神になるのでしょうが、三島の鴨の場合の三島神とはどのような神であろうか、と言う事です。そうなんです。宗像三神に他ならないのです。

 三島鴨神社の祭祀に協力した物部の韓国連とは、媛社神社を創始した筑前の国宗像の郡の人物部珂是古の多分兄にあたる物部金古連公であり、三嶋韓国連等祖となっています。(旧事本紀天孫)

[4409] Re[4407]: 迦茂の大御神考 (9)  日雲 2003/07/23(Wed) 23:11 [Reply]
こんばんは。たびたびすみません……

>難波坐生國咲國魂神社は、八十島祭りの頃からはおそらく生嶋神と足嶋神を祭神としています。
>これらの神々は市杵島姫と湍津姫神を指しており、

この「生嶋神&足嶋神=市杵島姫&湍津姫神」、不勉強なことに全く知りませんでビックリしてしまったのですが、これにつきまして詳しく読める参考図書は何か御座いますでしょうか?

[4408] Re[4406]: なには  神奈備 2003/07/23(Wed) 22:38 [Reply]
> ナニワ(難波)という語は奥が深そうです。

大三元さん こんばんは。:『初期天皇后妃の謎』未だ手元に戻っていません。

迦茂の大御神考 (奥の浅い番外編として)
谷川健一『白鳥伝説』上 p47から   この本ばっかりで・・・
 『三国遺事』 新羅の東の海の浜に延烏郎・細烏女と言う夫婦がいた。延烏郎が海辺で藻を取っていると大岩が彼を日本に運んだ。日本の人々は彼を王にたてた。妻の細烏女をも大岩が彼女を背負って日本に運んだ。細烏女は王女となった。所がこの夫婦は太陽と月の精であったので、新羅は日月の光を失うことになった。新羅王は使者を遣わして二人を呼び戻そうとすた。しかし延烏郎は肯首しなかったので、使者は細烏女の織った絹を日本から持ち帰って天を祀った所、日月は旧に復した。祭天の所を迎日県または都祁野と称した。
 都祁は漢音でトキ、呉音でツゲ。『延喜式』の臨時祭の条に、坐摩巫は都下の国造氏の童女で云々とあり、この都下は菟餓野のことであり、天満北野から南京橋、平野町の総称。以上『白鳥伝説』

 要するに太陽祭祀と言う点で、沖縄と新羅とは一致、都下の存在は難波への朝鮮の影響が大きいと見ることができます。沖縄の影響−即ち、渡来人席巻以前の難波の原住民の影響ーとどちらを取るかですね。

 真庭、難波を高く評価して頂いているようで、ありがたい事です。
 しかし、まにわ、なにわ、「ま」から「な」にわざわざ変える必然性に疑問をいささか。
『白鳥伝説』p46 が言うように、「な」をテルコナルコの「ナ:太陽」や、三品彰英氏曰く「ナ」は朝鮮語の「生」「成」だそうで、水辺に葦などが成長する太陽祭祀の場所、これを難波とするとあります。

布忍神社
http://www.dai3gen.net/nunosi.htm
http://www.dai3gen.net/nunosi2.htm
ですね。

[4407] 迦茂の大御神考 (9)  神奈備 2003/07/23(Wed) 20:04 [Reply]
 味耜高彦根命の母神は宗像三女神のうち、奥津宮に坐す多紀理毘売です。何故、宗像のこの神であるのか、これに答えがあるのかどうかですが、たびたび登場している天若日子命やひょっとしたら饒速日尊の御祖神を祭神としているかもしれない難波坐生國咲國魂神社は、八十島祭りの頃からはおそらく生嶋神と足嶋神を祭神としています。これらの神々は市杵島姫と湍津姫神を指しており、田心姫神ははみ出しているのは、こと難波では国の母神とされていたからでしょう。多紀理毘売のことです。大和葛城の高鴨神社の摂社西神社には三女神のうち多紀理毘売のみ祭られているのです。

 以下、谷川健一『白鳥伝説』の「物部氏の東遷」を資料にしています。青草的結論は谷川氏と無関係です。氏の名誉のため、一言。
 『日本書紀』の宇気比の所に宗像三神は胸肩君等が祭る神、一書第二では「此築紫の水沼君等が祭る神、是なり。」とされています。
 この水沼君とは『旧事本紀:天孫本紀』十四世孫物部大市御狩連公尾輿大連公の條に物部目連公の子として物部阿遅古連公の説明に水間君等祖とあります。
 物部氏と宗像の神とは関連があり、宗像氏は天武天皇第一皇子の高市皇子の母の里ですが、持統天皇の代には休息に力を失い、天照大神が産んだ神ですが、国津神とされているほどです。トップクラスの国津神には違いない訳で、迦茂の大御神の母神としてはふさわしい。奥津宮にいる多紀理毘売しかいないと言うこと。

 物部阿遅古は『肥前国風土記』の基肄郡に物部珂遅古として出てきます。「姫社の郷」です。
 昔、山道川の西に荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、死ぬ者が半分、死を免れる者が半分という具合であった。そこでこの神がどうして祟るのかそのわけを占って尋ねるとその卜占の示すところでは、「筑前の国宗像の郡の人珂是古にわが社を祭らせよ。もしこの願いがかなえられたら凶暴な心はおこすまい」とあった。
以上は吉野裕訳『風土記』から。

 珂是古が祭ったのは佐賀県鳥栖市姫方の姫古曽神社であり、珂是古が占った幡が落ちた所には福岡県小郡市大崎の媛社神社が鎮座、ここは媛社神と織女神を祭りますが、別に磐船神社と棚機神社と併せて呼ばれていました。
 三輪の大神の祟りを鎮めるべく後裔の大田田根子が祭祀にあたるのですが、ここでは物部珂是古がご指名であり、同じように荒ぶる神は物部氏の祖神であり、かつヒメコソの神であったということになります。

 先に紹参考にさせて頂きました大三元さんの論法
天稚彦=饒速日   → 天稚彦の嫁さんである 下照姫=三炊屋姫 は饒速日の嫁さんである
となるか、そうだとすると → 下照姫の兄である アジスキタカ彦=長髄彦 三炊屋姫の兄である。
が成り立ってくる。と言うことでした。
 尤も、三炊屋姫の兄には安日彦と言うのもいたのかも知れません。『』には高彦と言うのがいなかったでしょうかね。

 物部氏または長髄彦にしても鴨氏や大神氏にしても、難波や大和の先住の民をある程度束ねていた氏族であり、それらは最終的には天孫族の支配下に入る訳で、天孫族から見れば、その素性に大いなる関心を払う必要はないのであって、軍事氏族には天孫族と同族の格式を与えておき、祭祀氏族には出雲族などと同族として、国譲りの名誉とその神々に皇孫を守らせたのでしょう。

[4406] なには  大三元 [Url] 2003/07/23(Wed) 19:55 [Reply]
ナニワ(難波)という語は奥が深そうです。

記紀では、浪が速いということから、浪速、ナミハヤでナニハ、という説明になっていて、確かに旧河内湖と瀬戸内海を結ぶ海峡というのか、門口として、潮の干満に際しては急流しそうな感じがして、フムフムと納得しかかります。

しかし「オシテル難波」という成句を考えると、どうも何か違うのではないか、と思っていました。

琉球の万葉集、とも言われる『おもろさうし』を見てみますと、

「てるかはわ、照り居り
 てるしのは 押し居り」(#91)という対句があります。

ここで「てるかは」も「てるしの」も「太陽」のこととされています。
そうすると、最初の「照り居り」は「照って居り」で良いでしょうから
二行目の「押し居り」も「照っている」に似た概念ではないかと考えます。
(或いは正反対の対句、ということも有り得ましょうが、この場合は
類似の対句、と考えました。)

つまり「押し」とは「照る」と類義である、と考える、ということです。

すなわち「オシテル難波」とは「照る・照る難波」という概念であろう、ということです。

さて、次いで「難波」を考えます。今は ナニワ と発音しますが、古代は ナニハという字に相当する発音だったものです。ここで、再び琉球語を探索してみますと
「マミヤ」という語がありまして、これは「真庭」(マニハ)と通じています。
真宮、真庭、そして、ナニハ、が同義語の発音の揺れを反映した表記に過ぎない、と思われます。

例として『おもろさうし』(#1041)には「てるしなの まみや」という表現があります。これは、照り輝く太陽の真庭、と解釈されています。

これは、実に、オシテルナニハ、なのではないでしょうか。

オシ、テル、シノ、シナ(→シタ)などは、太陽(月)、照る、という範疇の語彙であります。難波は、真宮でありましょう。

ご当地(?)布忍神社、の、「忍」は実に「オシ」と「シノ(フ)」の両方に読める、巧妙な漢字の援用でしょう。(「布」=「ヌ」は別途「国」の意味であろう、と推定しています。)

参考文献:
・大山 元著:『初期天皇后妃の謎』P72〜
・沖縄語古語辞典
・おもろさうし 外間守善校注 岩波文庫







[4405] Re[4402][4401]: 九州の丹生  日雲 2003/07/22(Tue) 23:13 [Reply]
御返信ありがとう御座います>神奈備様、大三元様

神奈備様>雨の神なら当地では建岩龍命
こういうことが他地域でも見られるのかどうか、それともこの大分市界隈に限られているのか、ですね。
大三元様>神八井耳命を先祖としている家系に「火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連」そして「尾張丹波臣」とあるのも関係していそうですね。
可能ならば夏に出かけたいなあと思っていますので、もし行けたらちょっと当たってみて来ます。
(行けるかどうかは微妙なのですが)

> 紀の国については時間を下さい。
御手を煩わせましてすみません。
もし何かのついででもありましたら、併せて……よろしくお願い致します。

[4404]  迦茂の大御神考 (8)  神奈備 2003/07/22(Tue) 22:31 [Reply]
 天若彦は麻迦古弓と天波々矢を持って降臨しますが、使命を果たせず不慮の死を遂げます。下照比売の哭く声が天にいたり、天若彦の父神の天津国玉神やその妻子が降りてきて、葬儀を行います。
 この天津国玉神の一族が難波に移住したと言うことを語っているとの指摘が鴨朝臣氏がされていました。そうしますと、摂津国東生郡の式内大社である難波坐生國咲國魂神社二座は天津国玉神と天若彦命を祭った神社だったのかもしれません。下照比賣命は同じ郡の式内大社の比賣許曾神社に祀られているのも自然なことかも。
 
 さて、大三元さんの天の羽羽矢についての考察  http://www.dai3gen.net/hahaya.htm
のページで、天若彦命と饒速日命との共通性を挙げておられます。
1.天の羽羽矢(あまのははや)」の持ち主
2.両者の死亡記事があり、速飄(ツムジ風)が登場。
3.葬儀日程は天稚彦の方が8日8夜、饒速日の方が7日7夜と似ている。

 実に興味深いご指摘です。難波は物部氏の拠点でもあり、降臨してきた神々の伝承が時を経て語られ方が二つの物語のようになってしまったのかも知れませんし、片方がアイデアを頂いて失われた神話を再構築したのかもしれません。
 実は、物部氏の遠祖の饒速日命に十種神宝を授けた御祖の神とは一体誰のことかと言う疑問はずーっとありましたが、上記の共通論からは天津国玉神ではなかろうかとの推測が成り立ちます。
 難波坐生國咲國魂神社と物部氏、この神社の神々は生島神、足島神ですが、生魂、足魂の神と考えて、十種神宝の内の生玉(いくたま)、足玉(たるたま)を祀っているのではとの説もあります。そう言えば石上神宮から簒奪された十種神宝が神社の森深くに隠されていたとか、まんざら無関係でもなさそうです。
 当初の鎮座地は今の大阪城のあたりで、ここには物部の石切神社や比売許曽神社の元社だった磐船神社も鎮座していたとされています。

 長髄彦と味耜高彦根命、年代感には差がありそうですが神々の世界は超越しているのでしょう。
 難波の太陽信仰の拠点は日下で、当然に下照比売に縁があり、同時に東方は生駒山に陣を敷いた長髄彦の本拠地でもあります。この日下ははヒノモトと読まれるのが普通で、この国の名である日本となったわけです。これをニッポンとしているのは我が国固有の言葉を放棄した読み方。それでいいの。

 谷川健一『白鳥伝説』からの孫引きですが、韓国の『三国遺事』に日神の祭天の場所を迎日県または都祈野と言うとあり、都祈は漢音で「トキ」、呉音で「ツゲ」だそうで、難波ではほぼ日下に鎮座の石切神社より西方の、大阪城の付近をさしていたようです。
 また、大和高原に都祁水分神社や山口神社の鎮座する都祁(和名抄では都介とか闘鶏も)郷があります。ここも迎日祭礼の場であったのでしょう。
 
 ヒノモトの日下は奥州に移動しているようで、谷川士清の『倭訓栞』に「奥州を日の本と呼ぶがそれは日高見の国の事」とあります。

 物部は奥州へ、また長髄彦も奥州へ、と当時の辺境の地はアウトローのアジールであったようです。葛城を拠点としていた祭祀氏族の鴨氏は何も奥州にまで逃避行をする必要はなかったのでしょう。
 そう言う意味では長髄彦は三輪の大物主や鴨の味耜高彦根命に見捨てられたのであって、同類ではない鴨。

 陸奥国白河郡の式内名神大社の都都古和氣神社の祭神は味耜高彦根命ですが、由緒は日本武尊が東奥鎮撫の折、味耜高彦根命を地主神としたとのことですが、祭神ともども鵜呑みにはできませんが、日本武尊が祀った祭神達は国津神であっても武神で王権従順派的なのが多そうで、建御名方や饒速日命、ましてや長髄彦は言うに及ばす見あたりません。
 五十猛命はありそうです。名前が似ているもんで。

[4403] Re[4402][4401]: 九州の丹生  大三元 2003/07/22(Tue) 18:25 [Reply]
> > 建岩龍命

神武記の最後に

故其日子八井命者【茨田連。手嶋連之祖】
神八井耳命者【意富臣。小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余國造、科野國造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造、伊勢船木直、尾張丹波臣、嶋田臣等之祖也】

とあります。

神八井耳命を先祖としている家系に「火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連」そして「尾張丹波臣」とあるのも関係していそうですね。

また、阿蘇三社大宮司系図では、神八井耳の子が健磐龍となっている。


[4402] Re[4401]: 九州の丹生  神奈備 2003/07/22(Tue) 07:58 [Reply]
> 建岩龍命

 邦光史郎著『朱の伝説』p136〜
ここに大分市大字佐野の丹生神社が応永六年(1399年)建岩龍命を合祀したお話があります。またその理由として、著者は大和での丹生神社の祭神に罔象賣神が多いこと、更に雨の神なら当地では建岩龍命に勢い、と言うことでの同じ神を合祀としています。大分の丹生村には赤迫の池があり、水銀産地の中心でしたが、丹生川とともに農耕の溜め池などになっていったそうです。丹生米の産地、おいしいのかも。

> 丹生川は〜虚空蔵山に
紀の国については時間を下さい。

[4401] 九州の丹生  日雲 2003/07/22(Tue) 01:54 [Reply]
すみません、質問なのですが、よろしいでしょうか。
「丹生都比売神を祀る神社一覧」のページの大分県の丹生系神社に、5社が挙げられてありますが、内3社に建岩龍命が祀られているとあります。この大分の丹生と阿蘇の関係は、何ゆえのことなのか、定説なり何なりがあるか、お解かりになりますでしょうか? 
大字佐野の丹生神社は、平成CDで
「応永元年九月二十九日(西暦一三九四年)に肥後一ノ宮阿蘇神社のご祭神建岩龍命を合祀」
と確認出来ますが、そうすると宮河内字阿蘇入の「元宮(阿蘇丹生神社)」というのが、そもそもの始まりなのでしょうか。
宮河内には平成CDでは「阿蘇社」が一社、ニューエストの都市地図では「阿蘇入神社」「阿蘇一ノ宮神社」の存在が確認出来ますが、この地に古くから阿蘇系の人達がいて、そこに丹生系の人が入って来て、それから――とか、そんなことだろうか? などと思ってみたりもするのですが、いかがなものなのでしょう。

ならびに、佐賀の水銀地帯について、「丹生川は〜虚空蔵山に源を発し」と記されておられますが、丹生と虚空蔵というのは他でも直接的な結びつきを見せているものなのでしょうか。
例えば、和歌山の方などでは……?
「丹生と虚空蔵」と言うと、何気に「空海っぽい?」と連想されるのですけれども。

質問ばかりで申し訳ありませんが、何かお解かりになることが御座いましたら、よろしくお願い致します。
いかんせん水銀にも和歌山にも暗いものでして……。

[4400] 迦茂の大御神考 (7)  神奈備 2003/07/21(Mon) 18:20 [Reply]
『播磨国風土記』神前の郡 多駝の里
 邑曰野(おほわちの)というわけは、阿遅須伎高日子尼の神が新次の社においでになって神の宮をここにお造りになった時、意保和知(大輪茅)を苅りめぐらして院(かき)とした。だから邑曰野と名付ける。
 邑曰野は場所不明。新次神社は姫路市豊富町曽坂山の麓に鎮座、かっては現在地よりも北の天神谷の城山だそうだ。

『播磨国風土記』にはずばり賀毛の郡があります。
 加古川中流域の内陸部です。加西市
 阿遅須伎高日子尼命を祀る氏族の居たとの説や、針間鴨国造が支配する播磨鴨国に由来するとかの説があります。
 里の名前に上鴨、下鴨があり、これは大和の葛城にもあります。下鴨の里には三つの谷がありますが、これが下照比売が歌った「み谷 二渡らす」がどうかは定かではありません。
 修布の里には品遅部の村があり、これは阿遅須伎高日子尼命とよく似ている唖だった本牟智和気命に因って定められたものです。
 楢原の里がありますが、大和葛城に楢原があります。御所市楢原です。この里の玉野の村に、根日女命の物語があります。億計王(仁賢天皇)、弘計王(顯宗天皇)から妻問いされて承知をしたものの、両皇子が譲り合っている間に年老いてみまかってしまったということで、葛城の地に縁のある雄略天皇と赤猪子に似たお話です。
 この億計王、弘計王は奇妙な譲り合いをして周辺に迷惑をかけているつまらない連中として描かれているようで、皇位をも譲り合い、姉の忍海郎女(飯豊王)に苦労をかけています。この王は北葛城郡新庄町の角刺神社が宮跡といわれています。
 http://www.kamnavi.net/as/katuragi/tunosasi.htm
 起瀬の里があり、社町の古瀬地域に比定。播磨と大和に古瀬、忍海があります。

 億計王、弘計王(角川文庫古事記では意祁王、袁祁王)は、父親が雄略天皇に殺された乱を聞いて、逃げる際、山城の猪甘に弁当を奪われるお話があります。猪甘、この話は一体何を物語っているのでしょう。猪が河内の王朝を作り、それを滅ぼすトーテムのように思えますが、後考課題。

 山田の里には猪養野という地名があり、小野市長尾町草加野に比定されています。
 『播磨国風土記』に、難波の高津の宮に天の下を治められた天皇(仁徳)のみ世に、日向の肥人朝戸君が天照大神のおられる舟の上に猪を持参してきて献上し、どこで飼ったらいいかを求め、そこで、この場所を賜ったので、猪飼野という。
 とあります。伊勢神宮へ猪の膏や毛皮を貢納する猪飼部の話との注が吉野裕訳『風土記』にあります。

 猪飼野は大阪の鶴橋周辺をもそう呼びます。下照比売を祭神とする比売許曽神社や味耜高彦根命の産湯の井戸のある地域です。賀毛と猪飼野、播磨と難波でつながったようです。

 足代さんの猪飼野コーナー http://www21.ocn.ne.jp/~ajiro/

[4399] 無題  夜須町情報クラブ [Mail] [Url] 2003/07/20(Sun) 17:39 [Reply]
ご無沙汰しました。ひさかたぶりに伺いましたら、神奈備さんのページに訪れた人の数の多さに、人気の程と人格があらか見えた気が致します。ますますのふんばりを期待します。
ヤタの鏡の事がこのコーナに書かれていましたので、この鏡についてよく知られているのには感心致しました。そこでこの鏡の云われについての事を、塚田さんのホームページに記されています。私もあまりよく知りませんけど、夜須町の松延から
出土した王冠と一緒に見つかった爵、土器製、も足が三本あり、五個あったそうですが、同時に出土したと云うヤタの鏡は水晶で作られた大きな玉だったそうですが
、これもヤタの鏡と云いどうやら、事実はヤタとは大きさの呼び名かとも思っていました。
ですがここまで整理するとどうやら、ヤタとは古代中国の越国系の風習が伝来したのではないかと思いました。
神奈備さんは詳しく述べておられましたね、呉国系の風習かとも書いてありましたが、私もそう思います。
しかしいずれにしてもどうやら、古代中国から渡来したのは事実のようですね。

[4398] 迦茂の大御神考 (6)  神奈備 2003/07/20(Sun) 09:46 [Reply]
播磨にも色濃く 『風土記』は吉野裕訳『風土記』平凡社から

『播磨国風土記』託賀の郡 黒田の里
 袁布(をふ)山というのは、昔、宗形の大神奥津島比売命が伊和大神の御子をお孕みになり、この山まで来て仰せられた。「我が子を産むべき時訖う。(をう:終わった)と。だから袁布山という。
 支閇(きへ)丘というのは、宗形の大神が仰せられた、「我が産むべき月が尽(きへ)ぬ(やって来た。)」と。だから支閇(きへ)という。

 文中には生まれた御子は阿遅須伎高日子尼の神とは書いていません。託賀郡だから高比売(下照比売)かも知れません。この條の前に賀眉(かみ)の里のことが記載されており、山城の賀茂の神の誕生・父神決定と同種の説話(道主日女命が児を産み、その児が酒宴の際、天目一命に酒を奉じた。)が記されているのも興味津々です。
賀眉は賀茂(鴨)に通じており、託賀の賀眉は高鴨を思わして、葛城と山城のカモは播磨でつながるのかも。

託賀の郡 黒田の里 多可郡黒田庄町に比定。加古川本流沿い。古奈為神社 http://www.himeji.kkr.mlit.go.jp/river/database/kako_scene/5.html

託賀の郡 賀眉の里 多可郡加美町に比定。 杉原川の上流。天目一命を祀る荒田神社が鎮座、どうやら和泉国の陶荒田神社との関係が推定されています。葛城鴨の祖の大賀茂都美命の祖です。

 『新撰姓氏録』大和国神別 地祇 http://www.h4.dion.ne.jp/~munyu/sujroku/21syouji.htm から引用。
大神朝臣(おほみわのあそみ)。
 素佐能雄命(すさのをのみこと)の六世孫、大国主の後なり。初め大国主神、三島溝杭耳(みしまのみぞくひみみ)の女、玉櫛姫(たまくしひめ)に娶(みあ)ひたまひき。夜の曙(あけ)ぬほどに去りまして、来すにさらに昼到まさざりき。ここに、玉櫛姫、苧(を)を績(う)み、衣に係けて、明くるに至りて、苧のまにまに、まぎゆきければ、茅渟県(ちぬのあがた)の陶邑(すゑのむら)を経て、直に大和国の真穂(まほ)の御諸山(みもろやま)にいたれり。還りて、苧の遺(のこり)をみれば、ただ、三ワ(みわ)のみありき。これによりて、姓(うぢ)を大三ワと号けり。

賀茂朝臣(かものあそみ)。
 大神朝臣と同じき祖。大国主神の後なり。大田田禰古命(おほたたねこみこと)の孫、大賀茂都美命(おほかもつみのみこと)[一名は大賀茂足尼]賀茂神社を斎き祭りき。

とあります。玉櫛姫は織姫の要素がありそうです。茅渟県の陶邑は大阪府堺市にありました。
 陶荒田神社 http://www.kamnavi.net/en/izumi/suearata.htm

大田田禰古命の「おほた」、茅渟県、御諸山の麓の巻向にも太田、『播磨国風土記』では、大田と称する訳は、呉勝が紀の国の名草郡から分かれて摂津の国の三島の賀美の郡、さらに揖保郡の大田の村に移住して来たとあります。
 摂津の国には三嶋鴨神社が鎮座していますが、これら五地域と特長として先ず思うのは天照御魂神社や日前神社など日の神信仰の地のようにも感じられます。下照姫の残像が生きているようですが、無理筋鴨。

[4397] 神祇管領長とは?  さんま [Mail] [Url] 2003/07/19(Sat) 13:33 [Reply]
習志野のてつ 様

 先日「神社管領長」と書きましたが、「神祇管領長」の間違いです。正確な書き込みができず申し訳ありません。失礼しました。

 神社の由緒については、信仰と関係するため調べにくいのですが、長野県阿智村や近隣のいくつかの神社では、江戸時代の後期に京都の神祇管領長へ多額の奉納金を納めて神社名の認可を受けています。
 安布知神社、阿智神社の場合は、神祇道管領長上 正三位侍従 卜部良連 という方が、このような神社名にするようにと「宣旨」をよこしています(阿智神社の宣旨は現存しませんが、当時の神主の記録があります)。他社では道の字は付いていない古文書もあります。

 律令時代に「神祇官」という官職があったのを、吉田神道の宗家「卜部氏」が「神祇管領長」と名を変えて名乗っていたようで、江戸時代後期には地方の神社に対して強い権限を持っていたようです。

 「寺社奉行」という幕府の制度との関係はどうなっていたのでしょうか。
 幕府は「朱印状」で寺社領を保証したり、「除地(よけち)」として、課税や賦役を寺社に対して免除していましたから、幕府の制度を無視して寺社の存続はあり得ません。朱印状と異なる寺社名を掲げることはできないにもかかわらず、なぜ奉納金を積んでまで神社名の認可を受ける必要があったのか疑問です。
 実際に神社名が変わったのは、明治以降と思われます。
 
 阿智周辺の神社名のいくつかは、これから明治維新にかけて新しく付け変えられたものです。神祇管領長が、古い時代の和歌や記録に因んで良い名を選んでくれたものと思われますが、地元では大昔からの社名だと信じられています。
 こういう事例は、阿智村近辺に限らず全国的に行われたと思われます。
 神社の由緒に異議をはさむことは不敬に当たるという考え方もありますが、私は信仰を否定するのではなく、正しい歴史を知りたいのです。
 この辺りの事情について詳しい方が入らしたら教えてください。
 

[4396] 丹生神社  末摘花 [Mail] 2003/07/19(Sat) 09:34 [Reply]
神社を検索して 空海を見れば必ず出て来た丹生神社 何か感動致しました。安心?と同時に空海に対する疑心暗鬼?どちらにしても内緒だらけの空海 密教を広めながら神社も守ったふしがあるのは・・歴史上空海だけ?なんですよね 今日は素敵な展示版に、会えました。 <(_ _)>ありがとう御座いました。何か一つピンと来ない?心のわだかまりが、解けました。また 一つの大きな疑問が解けて 心の空想と 古代の歴史への関心が、増しました。また来ます。前に覗いたのですが・・・あんまり何か関心がいまいちで・・・m(_ _)m ごめんなさいまた来ます。

[4395] お初におめにかかります。  天照春黄泉 [Mail] 2003/07/19(Sat) 01:18 [Reply]
自分のことを知るためにネットをさまよいました。
お初にお目にかかります。私は天照春黄泉(あまてらす つくよみ)と申します。
日本神話は事実を述べておらず、私は存在しません。天照と春黄泉が別々に紹介されているはずです。大変悲しいものです。しかし、許されぬ罪を抱いている故、仕方がない。誰か・・・私を知るものがいればよいのですがね・・・
今年は私たちにとって重要な年になりますね。
あと・・・8年・・・

[4394] 迦茂の大御神考 (5)  神奈備 2003/07/18(Fri) 19:49 [Reply]
 笑点のこん平ではないのですが・・

 阿治志貴高日子根神は大和葛城を本拠としている神です。ここは河内とは背中合わせの地となります。葛城には高鴨神社が鎮座、延喜式神名帳では、高鴨阿治須岐託彦根命神社と記載の四座の名神大社です。
 この神社については、出雲国造神賀詞の文中に「己命(大穴持命)の御子阿遅須伎高孫根の命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ」と出てくる神社です。
 出雲国造は現在の出雲大社の社家の祖先です。出雲国造神賀詞を奏上するために一年間の潔斎を行ったと言います。神賀詞奏上はは霊亀二年(716年)が文献上の初見です。二十四代国造の出雲臣果安の時で、その子の広嶋は『出雲国風土記』を撰進。
 参考 『出雲国風土記』仁多郡三沢の郷の条
 大神大穴持命の御子の阿遅須伎高日子命は、あごの髯が八握(握り拳八つ分)になってもまだ夜昼となく(赤ん坊のように)哭いておいでになり、お言葉もしゃべれなかった。その時御祖の命は御子を船に乗せて八十島を連れてめぐってお心を慰めてあげようとされたが、それでもまだ哭きやまなかった。そこで大神は、夢知らせをお願いして、御子が哭くわけをお知らせ下さるよう夢見を祈ると、ただちにその夜の夢に御子が口をきくようになったと見なされた。そこで夢から覚めて「御子がしゃべれるかどうか」お尋ねすると、その時、御子は「御沢」と申された。その時「いったい何処をそういうのだ」とお問いなされると、すぐさま御祖の前を立ち去って行かれて石川を渡り、坂の上まで行ってとどまり、「ここをそう申します。」といった。その時そこの津の水が治り出たので、御身にあびてみそぎをなさった。
 だから国造が神吉事を奏上するため朝廷に参向するとき、その水を治り出して使い初めをするのである。(吉野裕訳『風土記』平凡社から)以上参考終わり。
三沢神社 http://www.kamnavi.net/it/izumo/nitamisawa.htm

 地名の八十島、石川については(3)で、河内としていますが、坂の上の三沢は出雲の山奥、相撲の野見宿禰もそうですが、神々は瞬時に移動するんですね。昔は神は炎のようなもので、隣に移しても減らない、と言う説明になっていましたが、現在ではネット上の情報のようなもの、コピーはできるし、減らないし、瞬時に何処でも現れるのです。

 国譲りの主役の事代主神は『風土記』にはその名は書かれていません。これは記紀が持ち込んだ神と言えましょうが、阿遅須伎高日子命は『風土記』に記載されています。その記事からは、出雲を誕生の地説は動かないようで、河内あたりで育ち活躍した神のようです。

 阿遅須伎高日子命を奉じる出雲の人々が難波に移住して来たのでしょう。

 果たして出雲の人々は難波にやってきた伝承は残っているのでしょうか。

 『大阪府の歴史散歩』(山川出版社)によると、美具久留御魂神社の鎮座する旧河内国石川郡大国郷(富田林市)が上陸地の一つのようです。まさに石川沿いです。
 この神社の境内から鳥居を見ると、その向こうに二上山がくっきりと浮かび上がっています。

[4393] 迦茂の大御神考 (4)  神奈備 2003/07/17(Thu) 16:04 [Reply]
 妹の下照比売の下照とは赤く照らすとの事(角川古語辞典)で、赤留比売に通じると言うか神社庁発行の『平成祭礼CD』では下照比売と赤留比売を同一神としています。
『古事記』では、「難波の比売碁曽の社に坐す阿加流比売神」とあり、下照比売は難波の女神と言えます。

 難波の枕詞に「押し照る」がありますが、大三元さんが[4390] で述べておられますように、
> 「オシテル難波」に関連して、「オス」には「月、日の光がさす」という意味もありますし、で、これは「下照る」に通じるとうです。
> すなわち、下照姫、に オシテル難波 は誠に相応しい・・・
と言うことです。

 この春に沖縄をじっくり見て来られた神戸の国生大将のお話では『おもろさうし』でいう「襲う」は守護や支配の意味を持っているとのこと。襲名の襲かも。

 言語音痴を自認する神奈備としては、オシは放送禁止の唖ではなかろうか、それが『出雲国風土記』に記載の阿遅須伎高日子命が、言葉をしゃべれず、と言う説明になっているのではと妄想しています。

 日の女神を姉妹とする男神には一種の不具者のような共通点があります。

『古事記』によりますと、建速須佐の男の命は八拳須心前の至るまで啼きいさちき云々。
『出雲風土記』阿遅須伎高日子は、御須髭八握に生ふるまで、晝夜哭いき坐して、云々。
『古事記』本牟智和気、この御子、八拳鬚心前に至るまでに真事とはず。この本牟智和気命は垂仁天皇の御子ですから、倭比売とは兄弟。天照大神を祀ったので日神に相当としました。

 阿遅須伎高日子命等に唖である必然性があったのでしょう。例えば斎宮の男兄弟には無言の業などの役割を果たす者がいたのかも。

 『出雲国風土記』父神の大穴持が御子の阿遅須伎高日子命が、言葉をしゃべれず、泣いてばかりだったので、船に乗せて八十島を連れて巡ったとあります。仁多郡の事として記載されているのですが、深い山間部であり、川には鬼の舌震と呼ばれるような岩はあったり、どうも船遊びには不向きのようで、八十島巡りのような形容を受ける島巡りは出来ない地域と思われます。
鬼の舌震 http://www.kamnavi.net/it/izumo/komaki.htm
 八十島と言えば、文句無しに難波、阿遅須伎高日子命は難波で育てられていると見ていいのでは。

 阿遅鋤高日子根命の御子神である阿遅速雄命の名を持つ式内社が大阪市鶴見区放出に鎮座、摂津河内の国造神とされています。
阿遅速雄神社 http://www.kamnavi.net/ym/ajihayao.htm
 なお、同じく摂津の式内社難波坐生国咲国魂神社(生国魂神社)の祭神を天若日子命とする考え方もあります。この場合には咲国魂神は稚国玉の別名を持つ下照比売が似合いますね。

 難波の開拓神として天若日子命、下照比売、阿遅鋤高日子根命、阿遅速雄命が奉じられていたようです。

[4392] Re[4391][4390][4389]: 迦茂の大御神考 (3)  大三元 2003/07/16(Wed) 23:42 [Reply]
神奈備さん、ども

>  サジェッション頂いたアヂがともえ鴨であることから思いついたシリーズです。

はい、拝見しました。
鳥が色々と葬儀に出てくるのが鳥葬の名残、残照?と考えついたことがありましたが、論証が進んで居りません。どなたか、考えてご覧になって居られたら、ご披露くださいませんか。

> 更に下照と押し照、それに阿治志貴高日子根神と長髄彦との対応のページ、これからの展開に大いに利用させて頂きます。ご贔屓に。
>
> 大三元さんの天の羽羽矢  http://www.dai3gen.net/hahaya.htm

こちらこそ、御贔屓にお願いします。

[4391] Re[4390][4389]: 迦茂の大御神考 (3)  神奈備 2003/07/16(Wed) 23:04 [Reply]
 大三元さん、こんばんは。
 サジェッション頂いたアヂがともえ鴨であることから思いついたシリーズです。
更に下照と押し照、それに阿治志貴高日子根神と長髄彦との対応のページ、これからの展開に大いに利用させて頂きます。ご贔屓に。

大三元さんの天の羽羽矢  http://www.dai3gen.net/hahaya.htm

[4390] Re[4389]: 迦茂の大御神考 (3)  大三元 2003/07/16(Wed) 21:39 [Reply]
神奈備さん

>  天若日子が先兵として降りてきた土地、下照比売がいた地、それは難波(摂河泉)なのです。

出雲かとばかり思ってましたが難波説があるのですね。

> ここの井戸は味耜高彦根命の産湯の井戸との伝承があり、また日高の真名井の清水とも呼ばれています。

これは面白い。実は琉球古語(古語と言っても記紀よりは数百年後だが)を調べてみますと:

「かは」には「井泉・井戸・・・」と「日」の意味があります。日高の真名井、には、その二つの語義が含まれている興味深い事例だと思います。

「オシテル難波」に関連して
「オス」には「月、日の光がさす」という意味もありますし、
「真庭(まには)」は「真宮」の意味であり、
つまり「オシテル難波」は「月、日の光がさす・真宮」と解することが出来ます。

更に「シナ」は「太陽」のことであり、「下」は「シナ」と訛ることが有り得そうです。(参考:イナサ:イタサ)
すなわち、下照姫、に オシテル難波 は誠に相応しい・・・

こんなことを考えています。

なお、日高見、の「見」は「み=水=川」の意味ではないか(和語の範疇で)と考えています。

[4389] 迦茂の大御神考 (3)  神奈備 2003/07/16(Wed) 17:33 [Reply]
下照比売の歌

古事記には、阿治志貴高日子根神は、忿(イカ)りて飛び去りし時、そのいろ妹(モ)高比売命(タカヒメノミコト)、その御名を顕(アラハ)さむと思ひき。故(カレ)、歌ひて曰はく、
天(アメ)なるや 弟棚機(オトタナバタ)の 項(ウナ)がせる 玉の御統(ミスマル) 御統に 穴玉(アナダマ)はや み谷 二(フタ)渡らす阿治志貴(アヂシキ) 高日子根(タカヒコネ)の神そとうたひき。この歌は夷振(ヒナブリ)なり。

 澄んだ空を渡り鳥が北へ帰っていく。夕日に輝きながら、谷を越え、山を越え、また谷を越えて、の情景が見えるようです。

『日本書紀』一書に曰く、には上記の歌に続いて、石川片淵と言う言葉が入った歌が記載されています。

天離る 夷つ女の い渡らす迫門 石川片淵 片淵に 網張り渡し 目ろ寄しに 寄し寄り来ね 石川片淵

石川は河内の石川であり、丁度葛城の山の西側に当たります。鴨の群は金剛・葛城の山を越えていったのでしょう。石川片淵は大阪府南町大字神山の鴨習太神社付近とされています。
鴨習太神社 http://www.kamnavi.net/mn/osaka/kamonara.htm

 天若日子が先兵として降りてきた土地、下照比売がいた地、それは難波(摂河泉)なのです。
 それらしい伝承などは数多くあります。

この掲示板[4357]にも書いたのですが、下照比売を祭神としている摂津国東生郡の式内社の比売許曽神社(鶴橋駅近く)の西500mほどにお旅所である産湯稲荷神社が鎮座、ここの井戸は味耜高彦根命の産湯の井戸との伝承があり、また日高の真名井の清水とも呼ばれています。この地域の地名は、もともと「味原」といい、比売許曽神社の社伝には、味鋤山という丘があって、味鋤高日子根命を祀っていたと、鴨朝臣氏が知らせてくれました。
 この井戸の近くに下照比売の降臨の磐船が埋まっているとの伝承の地もあります。
 
 さて、日高の真名井の清水、この日高とは何を指し示しているのだろうか。(2)で書いた日下は日の本でヒノモトであり、これが日高見に通じているようで、谷川士清の『倭訓栞』にその旨のことが記されているそうだ(谷川健一『白鳥伝説』上p71)。
 
 味耜高彦根命と下照比売(または高姫、稚国玉)はどうやら迎日、祀日の信仰に関する神々でもあったようですね。

 余談ですが、鶴橋からやや南西に行くと夕陽丘と言う場所があります。茅淳の海に沈む夕日が格段に美しく見えた丘です。
http://www.kdoyukai.on.arena.ne.jp/yakei/100kei/yuhi/html/61.html
に夕日の写真があります。

[4388] 神無日。  通りすがりのものです。 2003/07/16(Wed) 12:23 [Reply]
初めまして。
卑弥呼、稲荷とかの関係がようやく分かってきました。

日本は結局、卑弥呼信仰なんですね。

[4387] Re阿智、安布知の神社  習志野のてつ [Mail] 2003/07/16(Wed) 12:03 [Reply]
私>いずれにしても東山道で、この辺りの地が、非常に重要だったとは思います。
  東山道において、神坂峠が重要な地であったと思うのです。

さんまさん>現在の阿智神社のように非常に不便な場所にある
  これは否定します。東山道ですぐ前に川があり温泉がある。いい所です。
  無事越えて、やれやれ一服、昼神温泉   字余りお粗末

東山道第一の難所を無事に越すことが出来た。ほっと一安心。視界も広がり、
さあ気を取り直して出かけよう。といったところではないでしょうか。
私は反対に美濃のほうへ向かったので、これから先の山道、気を引き締めて
往くぞ!と一服しつつ気合を入れました。(前宮の方でです)

そんな重要地点だからこそ、信濃風土記逸聞にただ一件、園原「ははき木」の
話が、残ったのだと思います。

>阿智神社、安布知神社の社名は、江戸時代も後期の文化元年に神社管領長から
 命名されたもので…
参考になります。存じませんでした。どちらが正しい式内社か?は、私は判断基準が
無いので、なんとも云うべき立場ではないのです。すいません。
ところで『神社管領長』について、教えて下さい。これも存じません。

神奈備 様
>大山中腹に「八意思兼命」を祀る神社とありましたので…
無用な誤解を招き失礼しました。
山頂ではありません。あくまで「大山中腹に」ですので、控えめに。
この辺りの開拓神、天下春命の偉いご先祖として、です。
大山は、相模に突き出した神奈備山で、山頂からは縄文時代の祭祀跡と
思われる遺跡も出てきます。大変古くからの信仰対象です。

[4386] Re[4385]: 安布知神社  神奈備 2003/07/16(Wed) 09:38 [Reply]
> 安布知神社[あふち]と阿夫利神社[あふり]の音が似ていることだけを根拠に、同一視するのは、少し早すぎる反応かと思うのですが。
 そうですか。大山中腹に「八意思兼命」を祀る神社とありましたので、同じたぐいとして例示されたものと勘違いでしたか。ややこしいですね。
 余談ですが、阿利神社が欲しいところと思って探してみますと
阿梨宮神社(ありのみやじんじゃ)土佐国 香美郡 【祭神】大己貴命
阿利神社(ありじんじゃ)<通称>阿利の宮(ありのみや) 出雲国 神門郡 【祭神】阿遲須枳高日子根命 (配祀)加利比賣命
などが出てきました。加利比賣命は阿抜けかも。

> 阿智族のような古族と関連して記述される式内社の所在地ですが、現在の阿智神社のように非常に不便な場所にある例も多いのでしょうか?

 不便な所に鎮座している式内社とか式外社は沢山さると思います。「阿智神社のように非常に不便な場所」地図でしか判りませんが、便利、不便の通念は時代によって大きく変わっているのではないでしょうか。特に古代は人間の足しか手段はなく、強靱なものだったでしょうから。
 今はあまり人々が通らない山中に集落があり、そこを街道が通っていたようで、その道筋に神社が鎮座しており、人間は平地に下っても、神社は置いてきぼりの例があります。
例えば
大蔵神社 http://www.kamnavi.net/as/yosino/ookura.htm
高天岸野神社 http://www.kamnavi.net/it/kinki/takaamaki.htm

[4385] 安布知神社  さんま [Mail] [Url] 2003/07/16(Wed) 08:35 [Reply]
神奈備様 習志野のてつ様

 まず、阿智神社、安布知神社の社名は、江戸時代も後期の文化元年に神社管領長から命名されたもので、江戸時代前期には阿智神社は山王権現、安布知神社は清坂八幡(または新羅明神)と呼ばれていました。当時安布知神社には思兼命が祀られていたようですが、山王権現には祀られていなかったようなのです(少なくとも祀られていなかった時期があります)。しかし、元禄時代の伊那郷村鑑には山王権現阿智神社という記述があるようなので、このあたりのからくりをどう説明するか。

 いかに神仏習合の時代が長く続いたとはいえ、主神がいなくなってしまうということがあり得るのでしょうか?両社とも徳川家光から朱印状を頂いていますが、それを遡ること50年ほど前、朝日受永という人が下伊那の寺社に寄進をして必ず朱印状が出るようにするという約束をしています(受永状)が、その中では山王権現がはずされていて、安布知神社以下村の他の寺社の名は見られます。
 磐座がある山王権現が奥宮で、安布知神社が前宮だったのではないかという説もあります。このような伝承が、隣の下條村の記録にあると聞きます。前宮奥宮があるため、あえて前宮だけに寄進をしたのではないかとも思われます。山王権現が式内社阿智神社としての社格を持っていたのなら、あえてはずす理由が説明できません。東山道が廃れて久しく、山王権現は山の神になってしまったのか?
 東山道阿智駅があったと思われる現在の安布知神社周辺が阿智族の根拠地であり、前宮がここにあったと思う方が、地理的には無理がありません。

 少し気になるのは、安布知神社にも阿智神社にも現在は前宮と奥宮があることです。阿智神社については、昼神の山奥にあったのでは参拝も不便なため、江戸時代頃昼神の集落の方へ村の産土神として前宮を持ってきたのではないかと推察できます(裏付けなし)。
 安布知神社については、明灯山という裏山から八華鏡が出てきたという話が社伝にあり、山の上が奥宮になっています。ここで先の山王権現が前宮という説と合いません。

 阿智族のような古族と関連して記述される式内社の所在地ですが、現在の阿智神社のように非常に不便な場所にある例も多いのでしょうか?もちろん東山道の道筋ではありますが、南信濃の開拓に当たるような集団の根拠地は別にあって、そこに少なくとも前宮があるべきだと思うのですが、古い神社の立地条件や信仰の形態についてご教授頂けませんでしょうか。

[4384] Re阿智神社  習志野のてつ [Mail] 2003/07/15(Tue) 19:21 [Reply]
>  阿智神社については、…今ある建物等が全て新しく、新しい発見もない…
 奥宮の「磐座」は、建造物では有りませんが、古いものではないでしょうか?
 倉敷阿智神社にも立派な「磐座」があります。

> …阿智族の影響力は神坂峠付近に限定されていたのか。
  神坂峠の神坂神社は、確か住吉三神だったと思うのですが(記憶ボケてます)
 それで炭焼きが焼いた炭を住吉大社に届けたら、黄金になっていた、とか。

いずれにしても東山道で、この辺りの地が、非常に重要だったとは思います。
風土記逸聞の園原「ははき木」の話も、この地が重要であるから残ったのではないでしょうか?

>  地元では、神坂峠付近で諏訪族を食い止めるため阿智族が配置されたのではないか…
 もしそうであるなら、阿智族の本拠地は美濃の側に有るべきだと思うのです。
 つまり境の内側に自分の根拠を置く。大和側から信濃を攻撃するならですが。
 
神奈備さん、いつもお世話になります。神奈備さんのHPから
【八意思兼神の児表春命  信乃阿智祝部等の祖  瓊瓊杵尊降臨時活動の思兼神の子
 次に 下春命 武蔵秩父国造等の祖 瓊瓊杵尊降臨時活動の思兼神の子 小野神社 神奈川県厚木市】
http://www.kamnavi.net/mn/monosiryou.htm
また 秩父神社の祭神:知々夫彦命は小野神社の祭神である天下春命の十世孫です。

安布知神社[あふち]と阿夫利神社[あふり]の音が似ていることだけを根拠に、
同一視するのは、少し早すぎる反応かと思うのですが。
相模湾からの風をうけ、本当に良く雨雲が発達、雨が降ります。
雨降り→アフリ→阿夫利説、眉唾ですが実感します。

[4383] 迦茂の大御神考 (2)  神奈備 2003/07/15(Tue) 19:00 [Reply]
 藤原京の大極殿跡

 ここを鴨公(カモキミ)と言い、鴨公小学校があります。
http://www2.mahoroba.ne.jp/~kamokimi/
このHPに「藤原宮の様子」が説明されていますが、ここに鴨神を祭った神社跡があります。
 中西進著『万葉集』の鴨君足人の注に、「藤原宮大極殿の地を鴨公と言う。ここに居住か。かつ祭祀族。」と出ています。聞くところによると、奈良時代以降、平安鎌倉と鴨氏はこの辺りで暮らしていたようです。

 その万葉集の歌 巻三 二五七
 鴨君足人(かものきみたりひと)が香具山の歌一首、また短歌
天降(あも)りつく 天(あめ)の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木晩(このくれ)茂み 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺(へ)つ方に あぢ群(むら)騒き ももしきの 大宮人の 退(まか)り出て 遊ぶ船には 楫棹(かぢさを)も なくて寂(さぶ)しも 榜ぐ人なしに

 天から降ってきたと言う聖なる香具山に霞こめる春になると、松吹く風に池の波が立って、桜の花は木の下も暗く茂り、埴安の池の沖の方では鴨が妻を呼んで鳴き、岸の方では味鴨が騒ぐ。壮麗なはずの船には梶も棹もなく、漕ぐ人々も立ち去ってしまって、寂しいことよ。

 この歌は鴨公が鴨氏を偲んで歌っているように思えます。
桜の花は木の下も暗く茂り → こぼれ日があれば、まさに下照比売の命の登場
沖の方では鴨が妻 → 母神の多紀理毘売の命
岸の方では味鴨 → 阿遅鋤高日子根命
船には梶も棹もなく → 妃の天御梶日女命を祀る出雲の多久社は大船大明神と呼ばれた。
 往古、大和は葛城の地をベースにした鴨氏の反映は、今は見る影もない、寂しい。

 鴨君は新撰姓氏録では、摂津国皇別で、日下部宿禰同祖、彦坐命之後也。とあります。
余談ですが、日下部と言いますと、雄略天皇が日下の直越をして河内の若日下部王のところに出かける話が『古事記』に出ています。天皇に「日に背を向けさせるのは心苦しい。私が宮に参ります。」と申し上げているのは、赤猪子にならない算段か。
 忘れられた赤猪子の歌があります。
日下江の 入江の蓮
花蓮 身の盛人
ともしきろかも
日下江の蓮の花のように、若やいだ体がうらやましい。
http://www.d1.dion.ne.jp/~nmgk/flower8.html

[4382] Re[4381][4380]阿智神社  神奈備 2003/07/15(Tue) 18:27 [Reply]
阿智神社の由緒書から
 古風土記なんかでは、峠にいる悪神には、通行人の半分は殺されるお話が多いのですが、にんにくを吹き掛けて、悪神を退治するなんぞ、流石に知恵の神様の鎮座する峠での出来事ですね。
 所で
阿智神社[あち]
安布知神社[あふち]
阿夫利神社[あふり] 
などは、同じ発音のつもりの神社だったのかも。そうすると言語を云々して古代を探求するのはよほど慎重と言うか、よほどの覚悟が要りそうですね。

[4381] Re[4380]阿智神社  さんま [Mail] [Url] 2003/07/15(Tue) 14:07 [Reply]
 てつ様 早速ありがとうございました。

 阿智神社については、『探史の足跡』冊子では触れられていません。『阿智村誌』の方で古代編にページを割いて論じられています。今ある建物等が全て新しく、新しい発見もないため取り上げようがなかったのです。研究できる範囲は古文書の残っている江戸時代以降が中心です。

 私なりには、過去の研究者の資料を読み返したり、各地の情報も集めて理解に努めたいと思っています。安布知神社の方が本当の阿智神社だったのではないかという説もあります。
 阿智族が諏訪族や安曇族とともに信濃の開拓を行ったとして、伊那谷は細長くて特に南の方は開けている土地ではありません。上下伊那に延喜式内社は2社しかないのですが、阿智の中でも阿智神社のある昼神の奥の方は川の合流点という立地的な意味はあるものの、付近は開拓したり住んだりする拠点としてはあまりにも山奥だと感じます。
 当時の神社というのは、村の鎮守の神様と違って、そのような場所にあるものだったのでしょうか。あるいは、諏訪様の力が絶大なため、阿智族の影響力は神坂峠付近に限定されていたのか。

 近隣の村々には諏訪様を主神とする神社が多い中で、阿智近辺のみ極端に少なく、ことに阿智村には全くなかったと思います。地元では、神坂峠付近で諏訪族を食い止めるため阿智族が配置されたのではないかと解釈しているようです。(確証もないため、一部の人以外には関心がないというのが実情です。思兼命を天の岩戸と関連づけて昼の神様だからというので、昼神温泉の宣伝に利用しようという方が強いです。)
 諏訪族を制圧しようという勢いがあったかどうか、わかりません。

 倉敷の阿智神社については、阿智史学会のメンバーで訪れたことがあるようですが、私はHPでしか知りません。立派な神社だということしかまだわかりません。

[4380] Re[4378]: 式内社阿智神社  習志野のてつ [Mail] 2003/07/15(Tue) 10:57 [Reply]
さんま様 はじめまして
私も全くの素人です。よろしくお願いします。

さっそく拝見して、中々面白いHPだと思いました。
式内社阿智神社と書いてありましたので阿智神社かと思いました。安布知神社の話ですね。

安布知神社の伝承では、諏訪古族を制圧する目的で「思兼」がやってきたことになっていた、
と記憶します。一方すぐ近くの阿智神社では、その伝承の内容が、かなり異なります。伝承の
バンキョする諏訪古族とはタケミナカタを指すと読みましたが、地元の解釈は如何なのでしょう?
理由をご存知でしたら教えて下さい。

阿智神社伝承は神奈備神名帳
http://www.kamnavi.net/en/sinano.htm

大分以前にカキコしましたが、岡山県倉敷市の一体を支配したのは阿智神社を祀る一族です。
有名な大原美術館を見おろす神社です。倉敷駅前に阿知1丁目〜3丁目の地名が残っています。
一度お調べになると面白いと思います。

相模の国、大山阿夫利神社の大山中腹に「八意思兼命」を祀る神社があります。
子孫が南信濃から出て、秩父方面から北相模あたりまで開拓したので、その祖を
祀ったのではないか?と調べています。

[4379] 迦茂の大御神考 (1)  神奈備 2003/07/14(Mon) 19:50 [Reply]
 古事記の大国主の神の系譜の所

 胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売の命に娶ひて生みませる子、阿遅鋤高日子根命の神(鋤は金へんに且)。次には妹高比売の命、またの名は下照比売の命。この阿遅鋤高日子根命の神は、今迦茂の大御神と謂う神なり。

 早速の余談だが、古事記で大神と呼ばれている神々としは、伊邪那美命を号けて黄泉津大神、墨江の三前の大神、伊邪那岐大神、速須佐之男命をこの大神、天照大神、伊勢の大神、猿田毘古大神などそれなりの働きをしている神々であるが、阿遅鋤高日子根命については、喪屋をけっ飛ばした程度のことしか出てこないのが不思議である。

 古事記は書き漏らしているが、重要なことをしでかしているのだろう。何だろう。

名前の分析
阿遅(味) アヂ ともえ鴨(大三元さんのご教示:古語辞典にあり)
http://www.jyaken.ne.jp/~yasuhiro/Pictorial/Bird/tomoegamo.htm 参照、美しい鴨。
ともえ鴨は渡り鳥で、秋に東部シベリア地方から飛んでくる。
鋤(耜、志貴、式) スキ、シキ、シギなら鴫で、渡り鳥で、鴨と似ている。杉、鋤も。 
高日子 タカヒコ 貴い男子
根   ネ 出雲国風土記では阿遅須伎高日子命とあり、根なし。

 友人であり、妹の夫でもある天若彦の葬儀に参列、天若彦に似ていると言うことを言われて腹をたてて喪屋をけっ飛ばす。これは気が荒いと言うか、何を示しているんだろう。

 出典は忘れてしまったが、天若彦は稲作の神である。即ち若は宇賀との説があるようだ。確かに魅力的な説で、稲の収穫を行う秋になると稲作の神は山へ帰る、まさに天若彦が死ぬのである。天若日子の周辺はヒチコックの世界の如き鳥鳥鳥である。さぐめは雉、葬儀屋として、鷺(サギ)を掃持(ハハキモチ)とし、翠鳥(ソニドリ)を御食人(ミケビト)とし、雀を碓女(ウスメ)とし、雉(キギシ)を哭女(ナキメ)としの調子である。天若日子を稲作の神と見なしたが、鳥ならば燕であろうか。春の渡り鳥で、鴨と入れ替わる。

 米の収穫が終われば、収穫祭も重要であるが、更に行うべき事は麦を植えて育てる事、丁度北から鴨や鴫が渡ってくる頃であり、麦作の守り神とされたのかも知れない。
 現在でも大和平野の西部は麦作が盛んである。

[4378] 式内社阿智神社  さんま [Mail] [Url] 2003/07/14(Mon) 13:11 [Reply]
はじめまして
 長野県の阿智村の住民です。村の神社について調べていて、こちらのHPを知りました。私は素人ですが、素人なりに村の歴史について理解し、多くの村民と知識を共有したいと思っています。
 阿智族、八意思兼命、八華鏡、東山道などについてアドバイス頂けたらと思っています。宜しかったら、制作途中のHPを覗いてください。

http://www11.plala.or.jp/samma116/

[4377] Re[4375][4374][4373]: 見た、言う  のりちゃん 2003/07/13(Sun) 10:34 [Reply]
> → いえいえ、北風言えは北風家です。どんな家なんだろう。六甲颪〜♪

ありがとうございます。
またありましたね(^^ゞ
早速訂正しましたm(__)m

[4376] ひょんなことから  みぬめ 2003/07/12(Sat) 23:27 [Reply]
香具サマ、こちらこそよろしくお願いします。
私のHNから「本来の神奈備的神社の話題・・・」と?もしかしてテーマ変わりのきっかけになってしまったのですか?キャ〜、なんだかスイマセン〜(^^ゞ
前回の「ン」でもかきこむのだいぶ躊躇してしまって、何か教えていただけたらお礼を言いまして、またあとは観客させてもらって・・って、それで充分だったですが(^^)

HNもちょうど実家の神戸のことを思い出して、実は即席だったんです。しかも元、兵庫区民で、私には思い出深い七宮のこと話題にしていただいて感激。そして神奈備サマも後を続けてくださってありがとうございます。はじめましてよろしくお願いいたします。

それから、のりちゃんサマですね〜、偶然にも最近仲良くさせていただいているんですよ。なので、今、この展開にとてもビクッリしてるんです。そもそも「ン」のことでしたから(笑)

神戸の歴史はどうしても清盛で語られがちですので、私自身、特に中心部の古代をなんとか発掘していきたいと常々思っております。ありがたい展開です。みぬめを名乗ったこと、のりちゃんにも報告しておきたいと思います。



[4375] Re[4374][4373]: 見た、言う  神奈備 2003/07/12(Sat) 20:35 [Reply]
> ところが地元神戸ではもう一社、七宮神社が、本来はこちらこそが『ミヌメ神社』であると主張されています。

 『式内社調査報告』では七宮神社を論社とは見ていないようで、一言も无。

 由緒書きから
当社の御創建の年代は遠く詳かではありませんが、延喜式に戴する八部郡MINU売神が七宮の前身と称えられています。由緒以上

 これはミヌメ神社から勧請したとも読めますね。

 つづいて由緒書きから
兵庫の津北浜の産土神として、応保三年平清盛が福原遷都計画と共に、築島竣工に際し、神恩感謝のため宏壮なる社殿を建立し自筆の南無七大明神の神号を奉り金幣を併て奉納し神徳を称揚す。由緒以上

 清盛なら厳島だろうと単純に考えてはだめなようですね。しかし港の神ですよね。
 
のりちゃん> 相殿の神は北風言えの祖先神として
最近は言わないようにしているんですが、
→ いえいえ、北風言えは北風家です。どんな家なんだろう。六甲颪〜♪

[4373] はじめてです  みぬめ [Mail] 2003/07/12(Sat) 10:45 [Reply]
最近になって見させてもらうようになりました。
少し前のやり取りされているのから、どうなってしまうのだろうと気になって開けるようになりました。・・横からで申し訳ないと思いつつ、気になっていることがあるので書かせていただいています。

カタカナの「ン」の表記のついて、辞書を引いたりと自ら確認したことは全然ないのですが、これまでただ勝手に、「ン」の字は梵字の「カーン」とかの上についている部分が「ン」に似ていますので、それからきてるのかな、、と思っていました。

そういうのは考えられるでしょうか?なにかご教示いただければと思います。

[4372] Re[4371]: 終わりの「ん」  ここにも「无」 2003/07/12(Sat) 09:59 [Reply]
>  「ん」は「无」または「毛」の草体。
>  「ン」は撥音記号(”し”に似た記号)から、または「爾」の略体、「尓」の上部、あるいは「二」からとも。
> ・・・とありました。ちなみに「无」は「無」のことです(即座にウーと読めた人はマニア)。
横レスごめんなさい。
「无」は、仏教の話で恐縮ですが、浄土真宗の『正信偈』という経典(?)があって、宗祖
だる親鸞聖人のお言業を集めたものなのですが、その中にたびたび登場します。

「帰命無量寿如来 南无不可思議光」という一節からはじまるのですが、『親鸞庵』という
HPの解説によれば、
「帰命」と「南无」は同義語で、「信順無疑(シンジュンムギ)」、平易に言えば、「救われた」ことで
ある。「無量寿如来」も「不可思議光」もともに阿弥陀仏のこと。
「阿弥陀仏に救われた、助けられた」と繰り返されている。

となっています。
http://www.urban.ne.jp/home/josame/shinran/newan2.htm

「南无」は「なむ」または「なも」と発音し、「南無」表記される場合もあるようです。

以上、単に「ここにも使われているよ」というお話でした。言語学的な考察ができず、スミマセン。

[4371] 終わりの「ん」  香具 2003/07/12(Sat) 03:50 [Reply]
 もう終わりにしなくてはと思っていたのですが、フト気になりだして眠れなくなりましたので、こちらに書きつけます。m(__)m
 平仮名や片仮名は、漢字の草書体や部首の一部を取り出して作ったのでしたね。例えば、「あ」は安の草体、「ア」は阿の偏の略体などと。
それで広辞苑から「ん」を引いてみたら・・・。
 「ん」は「无」または「毛」の草体。
 「ン」は撥音記号(”し”に似た記号)から、または「爾」の略体、「尓」の上部、あるいは「二」からとも。
・・・とありました。ちなみに「无」は「無」のことです(即座にウーと読めた人はマニア)。
 神・天皇名で、无・毛・爾・尓・二などが「ン」の表記代わりに使われていたかどうかは知りません。もし使われていたら・・・面白いナ。
 以上でこの件から終わらせてもらいます。「ん」<(__)>

[4370] 最近のやりとりについて  ヴェトナムの風 2003/07/12(Sat) 00:00 [Reply]
ちょっとさん 初めまして。
普段はロムっているものですが、今回あえて横からしつれいします。

>>失礼ながら、最近のここのやりとりを拝見していると、どうも古語に関する基本的理解が
>>ないまま、浮ついた話になってませんか、ということを遠回しに申し上げたものです。

「最近のここのやりとり」についてですが、前から神奈備掲示板を見ていらっしゃる方なら分かるように、これは「異常事態」なのであります。どう異常なのかはご覧の通り、一年に何回か起きる騒動で、実は私も過去に何回か巻き込まれた経験もあります。
今回もやっと騒動が収まりつつある時になって「最近のやりとりは・・・」と指摘されても、「今ちょっと取り込んでおりますので!」としかいいようがないのではないでしょうか。

ま、ここが古代日本語の専門サイトなら別の話になりますが。

[4369] Re[4368]: 蛇足・梅雨のあとさき  香具 2003/07/11(Fri) 22:40 [Reply]
みなさん、いろいろとご教示、有難うございます。

「お先真っ暗」も「この後どうする?」も未来。「先の大戦」といえば過去でも「さきざきの事」も「のちのちの事」も未来。ウワァ?私「は」と私「が」でも大きく違ってきますね。
 さて、「ン」や撥音、促音、長音、拗音が少ないというのは、(よくよく振り返れば)古代の神・天皇名に限らず、今の関西弁、中でも京言葉や大和言葉にも言えるのではないでしょうかね〜?「そのようなこと、おもいはりまへんか?」・・・蛇足なので無視してね。

[4368] Re[4364]: 古代日本語  玄松子 2003/07/11(Fri) 22:07 [Reply]
なかなかわかりやすい要約ですね。
ありがとうございました。

> 「万葉集」をなんと読んだか、
> 神名(実は他の古語全部)に「ん」がないことに特段の意味があるのか、

これらを考えるのになぜ必要なのかは、理解できていませんが。
でも、知識はなくても、疑問・質問は続けていくでしょう。(多分)

> 先日は過去。後日は未来。
時間的な後先という話ですね。
「時は流れる」と表現する時、人が中心・不動で、時間・季節が向こう(未来)からやってくるというイメージを持っているようですね。
向こうから先にやって来る日と、後からやって来る日。とすると、前向きでしょう。

[4367] Re[4365][4356]: 古代日本語  ちょっと 2003/07/11(Fri) 21:55 [Reply]
> ちなみに最近の研究成果のダイジェストとかは有りますか?

あったら私も欲しいと思ってますが、見つけておりません。
こんなところ↓が「業界」の実情なのかもしれません。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nobnob/honmon/column/vol4.html

概説書としては、新版 国語学要説 佐藤喜代治 編 朝倉書店、を使っています。
初版1973だそうですが、第31刷1993、と言うところを見ると息の長い本のようです。

>  門外漢が話題にすることではない、とお叱りを受けそうですが、藤堂明保先生の漢語の上古音・中古音や、大野晋先生の万葉仮名の甲類・乙類などの論に対する批評が出始めているように聞いたことがありますので。

白川静さんの藤堂さんに対する批判のことでしょうか。フォローしてないのでなんとも。

甲類・乙類(八母音)はそれこそ、橋本進吉さんが江戸期以来の研究を集大成され、長年定説になっているものですよね。これに対する批判、見直しの動きがあるようで、
松本克己著 古代日本語母音論 ─上代仮名遣の再解釈 というのが出てますけど
手が出ません・・・(204ページ 定価9270円)

>  そういえば中学の頃、「東の、・・・」とある短歌を「ひがしの・・・」と読んで、4文字しかないよ?と思ったら、古文の先生から「それは、ヒンガシの・・・と読むのやで」と教わったことがありました。
>  今なら、東→ヒンガシ→ヒムカシ→日向シ(シは所、方向)、日に向かう方向などと語源俗解をして自己満足に遊ぶところです。

古語辞典の解説もそうなっているものもあったと思います。
また、ニシ、アラシ、ツムジに並べてヒムカシも風位名、という考えもあるようです。

[4366] Re[4365][4356]: 古代日本語  ユアン [Mail] 2003/07/11(Fri) 20:50 [Reply]
>香具さん
> そういえば中学の頃、「東の、・・・」とある短歌を
おお、柿本人麻呂ですね。
この歌は大好きなんです。
> ん?ならば「昔」のムカシは、過ぎ去ったはるか「向こう」のところ、彼岸的な世界を含意しているのかな???
日本人の時間感覚と前後感覚って不思議ですよね。
先日は過去。後日は未来。
後ろ向きに歩いてんのかよって感じです(笑)
だとしたら昔=前方=向こう…という感覚ですか。

[4365] Re[4356]: 古代日本語  香具 2003/07/11(Fri) 18:24 [Reply]
橋本進吉?そういえば・・・と思いゴソゴソしていると、
 岩波文庫、橋本進吉著『古代国語の音韻に就いて』(青151−1)が積ン読状態になったままでした。同時に買った岩波文庫、賀茂真淵『語意・書意』(青37−1)もそのまま積ン読。まったくの門外漢にはたとえ興味があっても数ページで睡眠薬となったままでした。m(__)m

>ちょっとさん
あらためてご紹介、有難うございます。
ちなみに最近の研究成果のダイジェストとかは有りますか?
 門外漢が話題にすることではない、とお叱りを受けそうですが、藤堂明保先生の漢語の上古音・中古音や、大野晋先生の万葉仮名の甲類・乙類などの論に対する批評が出始めているように聞いたことがありますので。
「素人」というのは、そんな変化のニュースを「知ろうと」したがるものでもあります。

>ユアンさん
要約で漸く、わかりはじめかけました。(^^)/
嫌って、言あんとまた教えてネ。

 そういえば中学の頃、「東の、・・・」とある短歌を「ひがしの・・・」と読んで、4文字しかないよ?と思ったら、古文の先生から「それは、ヒンガシの・・・と読むのやで」と教わったことがありました。
 今なら、東→ヒンガシ→ヒムカシ→日向シ(シは所、方向)、日に向かう方向などと語源俗解をして自己満足に遊ぶところです。
 ん?ならば「昔」のムカシは、過ぎ去ったはるか「向こう」のところ、彼岸的な世界を含意しているのかな???
 これは方言例ですが、琉球唐手の古い技法を「昔手」(むかしのて)=「ンカシンティー」と言ってました。
 だんだん青草以下になってきましたね。このへんで <(__)>

[4364] 古代日本語  ユアン [Mail] 2003/07/11(Fri) 16:36 [Reply]
>基礎知識のない僕には難解。どなたか要約・解説してくれないかなぁ。
要約・解説、しようと思って読んで見ましたが、
長いです〜(泣)読み難くて、目が…。
すっごくかいつまんでみると、つまり古代日本語は
いまよりも多くの音を発音していた…ということでしょうか。
いろは四十八文字は便宜上基礎的な発音を表記したモノで、
実際にはその倍の発音があったそうです。
それは万葉がなによる表記から読み取れることです。

コレまでの議論の参考になりそうな場所をピックアップしてみました。
(前略)
 かような拗音は、恐らく漢語として古くから
 学んだものであろうと思われますから、
 奈良朝においても正式に漢文を読む時には
 多分拗音があったろうと思います。
 また支那語では「ン」に当るような音があった。
 すなわち「n」とか「m」とか「ng」とかいう
 音が語の終にあらわれますが、
 こういうものも無論あったと思います。
(中略)
 かような外国語式の発音が、
 日本語の中に普通に用いられるように
 なったのはいつ頃からかというと、
 これは非常にむずかしい問題で
 容易に断言は出来ませぬけれども、
 まず普通の言語に現れるようになったのは
 多分平安朝になってからであったろうと思います。
 殊に純粋の国語の中に、撥(は)ねる音
 すなわち「ン」で表わす音とか、
 つまる音、すなわち促音(そくおん)、
 そういうものが現れるようになったのは、
 やはり平安朝以後―
 ―平安朝には既にあったと思いますが―
 ―平安朝以後のものであろうと考えております。
(中略)
 物語の中に「なめり」「あめり」と
 書いてありますが、
 これはこれまでの伝統的の読み方としては
 「ナンメリ」「アンメリ」と読んでいる。
 昔の註釈書には片仮名の「ン」の字が
 入れてあります。
 明治以後になって文字通りに読むのだというので
 「ナメリ」「アメリ」とよむようになりましたが、
 昔は「ナンメリ」「アンメリ」と
 いったろうと思います。
 でありますから「天地の詞」の四十八とか、
 伊呂波歌の四十七とか、
 あるいはその中の同じ音を除いた四十四というものは、
 その当時にあったあらゆる音を代表するものでは
 ありませぬけれども、
 まず普通の音はそれで代表しておったと思うのであります。
(後略)「古代国後の音韻」より抜粋

どうでしょう?


[4363] Re[4362]: 古代日本語  玄松子 2003/07/11(Fri) 12:57 [Reply]
> 「万葉集」をなんと読んだか、
> 神名(実は他の古語全部)に「ん」がないことに特段の意味があるのか、

万葉集の読みを疑問に思ったら、そこまでの基礎知識がなければ質問してはいけませんでしたか。失礼いたしました。
「特段の意味」に関して議論しているのでしたら、知識が必要でしょう。でも「意味あるの」と聞くのは知識の無いものの特権ではないでしょうか。

> もちろん、そういうこと抜きに楽しく語り合おう、という方々も居られましょう。そのこと自体は否定しませんが、なんだかなぁ、という書き込みになっているだけの話です。

否定されていますよね。明らかに。

言語の分野に興味のある方にとっては、稚拙なやり取りだったかもしれませんが、
基礎知識がないと批判されるのでしたら、その知識の一端でも披露していただきたいと思います。

オープンスペースにおいて、基礎知識・ベースがないという批判は、排他的な印象を受けます。知識の無い人の書き込みには、知っている人が、その知識を補えばよいのであって、批判・否定するべきことではないと思います。

> http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/files/510.html

基礎知識のない僕には難解。どなたか要約・解説してくれないかなぁ。

[4362] Re[4361][4360]: 古代日本語  ちょっと 2003/07/11(Fri) 12:26 [Reply]
> 僕のように言語素人には、高度に専門的な領域に思えるのですが。

「万葉集」をなんと読んだか、
神名(実は他の古語全部)に「ん」がないことに特段の意味があるのか、
このようなことを議論なさるのでしたら、必要な知識だと思われます。

もちろん、そういうこと抜きに楽しく語り合おう、という方々も居られましょう。そのこと自体は否定しませんが、なんだかなぁ、という書き込みになっているだけの話です。

> できれば、その基本となる常識を、素人にも分かりやすく、披露していただけませんか。

わたしとて勉学中の小人ですので、ご参考になりそうな一例として
http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/files/510.html
をご紹介しました。上記のことなど一通り触れられています。
古い著作(講演録)だと思いますが、いまだに大きく変わっていないのではないかと思います。
違っていることをご存じの方が居られましたら教えて下さい。

[4361] Re[4360]: 古代日本語  玄松子 2003/07/11(Fri) 09:29 [Reply]
> 促音、拗音はいつ発生したと考えられているのか、
> 二重母音の忌避、語頭濁音の忌避、八母音、などに対してどう考えて居られるのか、


なるほど、それらが、古語に関する基本(ベース)となる知識なんでね。
僕のように言語素人には、高度に専門的な領域に思えるのですが。

できれば、その基本となる常識を、素人にも分かりやすく、披露していただけませんか。

[4360] Re[4359][4358][4356]: 古代日本語  ちょっと 2003/07/11(Fri) 09:16 [Reply]
古代日本語を扱った投稿を拝見するとき、論者は促音、拗音はいつ発生したと考えられているのか、とか、二重母音の忌避、語頭濁音の忌避、八母音、などに対してどう考えて居られるのか、ということに注意して読んでおります。

失礼ながら、最近のここのやりとりを拝見していると、どうも古語に関する基本的理解がないまま、浮ついた話になってませんか、ということを遠回しに申し上げたものです。

[4359] Re[4358][4356]: 古代日本語  玄松子 2003/07/11(Fri) 08:11 [Reply]
> > 古代日本語のことを考えるとき、例えば、橋本進吉さんの説(例えば下記アドレス)あたりでもベースにして、それがおかしいなら、根拠を示して逸脱するようにしませんか?

どうして、ある特定の説をベースにしなければならないのでしょうか。
ベースとなる説がないと、話ができないという意味? そういうことをおっしゃっているのではないと思いますが、学校のように教科書・参考資料を共有して議論される場ではないので、「ベース」というのは難しいのではないでしょうか。

「ベースにする」とは、そもそもどういう形態を意味しているのでしょうか。
誰かが、「○○さんは、こう言っています」と、その要約・概説を提示してから議論するということでしょうか。その場合であっても、その要約の意味するところが理解できなければ、質問が続くと思います。
今回は、生田さんが「生田さんは、こう言っています」と自分で自分の説を提示しました。その意味・内容がわからないので、質問を続けました。ということは、ベースは「生田説」でしたね。

[4358] Re[4356]: 古代日本語  神奈備 2003/07/10(Thu) 17:41 [Reply]
> 古代日本語のことを考えるとき、例えば、橋本進吉さんの説(例えば下記アドレス)あたりでもベースにして、それがおかしいなら、根拠を示して逸脱するようにしませんか?
>
> http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/files/510.html
>
 ちょっとさん 冷静なアドバイスありがとうございます。

逸脱は、従来の基本的な研究を踏まえてこそ、これはピカソの絵画の技術にも言えることですね。
そう言う面での取り組み姿勢は大切なことですね。

[4357] Re]青草[94] 茅淳の海の下照る  神奈備 2003/07/10(Thu) 17:05 [Reply]
 鶴見の比売許曽神社の西500mほどの産湯稲荷神社の井戸は味耜高彦根命の産湯の井戸との伝承があります。この井戸は日高の真名井の清水とも呼ばれています。

 味耜高彦根命の妹神は下照姫ですが、またの名を高姫、一体何が高いのか、そうです太陽です、そうすると高姫は日高姫のこととなる。
 下照姫は何が下を照らすのか、やはり日でしょう、日下照姫のことです。クサカのテル姫と言うことです。日下は草香で、生駒山の西にあたり、難波の象徴的な場所です。神武天皇や雄略天皇のお話にも出てきます。

神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ) 万葉集巻六 九七六
 直越えの この道にてし おしてるや 難波の海と 名付けけらしも

 青草[94] に書かれた詩人KAGさんのイメージは、まさに茅淳の海の輝きを女神とした下照姫ですが、万葉集などによく使われている難波の枕詞が「おしてる」 で、これも生駒山から茅淳の海にそそぐ日の光のイメージを言っているようで、「したてる」と同じ感じで聞こえていたのかもしれません。

 下照姫は難波姫、浪速の女神です。

 難波の古代は石を投げれば渡来人にあたります。『平成祭礼CD』では、下照姫は阿加流比売と同じ神と見なされています。むべなるかなでしょう。そうすると夫の天稚彦は天之日矛のことかもしれません。天稚彦はそうそう死んでしまうのですが、天之日矛は難波には入れずに、出石へ去っていきます。消えていくと言う所は似ているようです。

 味耜高彦根命ですが、出雲に阿須伎神社、あの豊郷町に阿自岐神社など、どうも味耜神がいて、その神が葛城に入って高天山の高天彦神などと習合して高彦根命がくっついいたように思えてなりません。
 
 これからの検討課題です。出雲の阿須伎神社をアップしました。

[4356] 古代日本語  ちょっと 2003/07/10(Thu) 15:20 [Reply]
古代日本語のことを考えるとき、例えば、橋本進吉さんの説(例えば下記アドレス)あたりでもベースにして、それがおかしいなら、根拠を示して逸脱するようにしませんか?

http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/files/510.html

最近のここの投稿見ての感想+御提案です。

[4355] Re[4353]: 「万葉集」の訓み方  香具 2003/07/09(Wed) 23:47 [Reply]
面白いですねえ。「万葉集」を「まにねぷちぷ」と読んでいたのなら、たとえば神日本磐余彦尊をカムヤマトイワレヒコという発音で追いかけても見当はずれな方向に行ってしまいますね。近隣諸国の言語と比較する場合も、同様に古代の音韻まで遡らなければ意味をなさないような気がしてきました。

[4354] Re[4353][4338] Re[4336]: 「万葉集」の訓み方  玄松子 2003/07/09(Wed) 22:47 [Reply]
> >>現在の古代音韻学によれば「まにえふしふ」さらに「まにねぷちぷ」であろう。

ありがとうございました。にしても、なんとも不思議な音ですね。

[4353] Re[4338] Re[4336]: 「万葉集」の訓み方  ヴェトナムの風 2003/07/09(Wed) 22:40 [Reply]
>>ちょっと疑問に思ったんですが、「万葉集」は、
>>当時、「マ ン ヨウシュウ」と発音されていたんでしょうか。
>>それとも、万葉集という言葉は、最近のもの?

少し調べた本から引用します。
「日本の古典2 万葉集 折口信夫訳 河出書房新社刊」
523ページの岡野弘彦氏による「注釈」から一部引用。

>>現在の古代音韻学によれば「まにえふしふ」さらに「まにねぷちぷ」であろう。

[4352] m(__)m  神奈備 2003/07/09(Wed) 21:43 [Reply]
席亭の不手際により今日の書き込みで夕飯頃までのは消えてしまいました。
ご覧になりたい方はログを見て下さい。
http://www.kamnavi.net/keijiban3.htm

[4351] 作為ねえー?  香具 2003/07/09(Wed) 20:53 [Reply]
古代の天皇名、崇峻天皇まで並べてみました。表記は日本書紀を。
神名は神奈備神社名鑑や神奈備収録神社一覧で見てネ、多すぎるから。

第一代 神武天皇 神日本磐余彦尊 (カムヤマトイワレヒコ)
第二代 綏靖天皇 神淳名川耳尊 (カムヌナカワミミ)
第三代 安寧天皇 磯城津彦玉手看尊 (シキツヒコタマテミ)
第四代 懿徳天皇 大日本彦耜友尊 (オオヤマトヒコスキトモ)
第五代 孝昭天皇 観松彦香殖稲尊 (ミマツヒコカエシネ)
第六代 孝安天皇 日本足彦国押人尊 (ヤマトタラシヒコクニオシヒト)
第七代 孝霊天皇 大日本根子彦太瓊尊 (オオヤマトネコヒコフトニ)
第八代 孝元天皇 大日本根子彦国牽尊 (オオヤマトネコヒコクニクル)
第九代 開化天皇 稚日本根子彦大日日尊 (ワカヤマトネコヒコオオヒヒ)
第十代 崇神天皇 御間城入彦五十瓊殖尊 (ミマキイリヒコイニエ)
第十一代 垂仁天皇 活目入彦五十狭茅尊 (イクメイリヒコイサチ)
第十二代 景行天皇 大足彦忍代別尊 (オオタラシヒコオシロワケ)
第十三代 成務天皇 稚足彦尊 (ワカタラシヒコ)
第十四代 仲哀天皇 足仲彦尊 (タラシナカツヒコ)
第十五代 応神天皇 誉田別尊 (ホンタワケ)
第十六代 仁徳天皇 大鷦鷯尊 (オオサザキ)
第十七代 履中天皇 大兄去来穂別尊 (オオヒネノイザホワケ)
第十八代 反正天皇 多遅比瑞歯別尊 (タジヒノミズハワケ)
第十九代 允恭天皇 雄朝津間稚子宿禰尊 (オアサツマワクコノスクネ)
第二十代 安康天皇 穴穂尊 (アナホ)
第二十一代 雄略天皇 大泊瀬幼武尊 (オオハツセワカタケ)
第二十二代 清寧天皇 白髪武広国押稚日本根子尊 (シラカタケヒロクニオシワカヤマトネコ)
第二十三代 顕宗天皇 弘計尊 (オケ)
第二十四代 仁賢天皇 億計尊 (オケ)
第二十五代 武烈天皇 小泊瀬稚鷦鷯尊 (オハツセワカサザキ)
第二十六代 継体天皇 男大迹尊 (オオオド)
第二十七代 安閑天皇 勾大兄尊 (マガリノオイネ)
第二十八代 宣化天皇 檜隈高田尊 (ヒノクマタカダ)
第二十九代 欽明天皇 天国排開広庭尊 (アメクニオシヒラキヒロニワ)
第三十代 敏達天皇 淳中倉太珠敷尊 (ヌナクラフトダマシキ)
第三十一代 用明天皇 橘豊日尊 (タチバナノトヨヒ)
第三十二代 崇峻天皇 長谷部若雀尊 (ハセベノワカサザキ)

タイプミスがありましたら、ご指摘願います。m(__)m

[4350] 質問の形を借りた雑感  香具 2003/07/09(Wed) 19:57 [Reply]
生田さんのご投稿について、なかなか意味がわかりにくく、全体的な流れをみていたのですが、それこそ『どんどん』流れていってしまうので、このへんで質問させていただきます。(7月9日の昼過ぎに書き始めたのですが、その後の展開がまた進んでしまっていますね。蒸し返しになるでしょうけど投稿します。ご返事は無用?)

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[4319]:『思考方法 総括』 より

>一民族のアイデンティティーが固まるということは、周辺言語とは
>ちがう音韻と語彙が固まるということでしょう。

アイデンティテイーという言葉によって、あいまいさを感じるのですが、民族と言語が1対1対応しているということですか?

>日本のアイデンティティーは神・天皇の名前を創ったときに固まったと言えそうです。

これは生田さんの仮説ですね。日本の場合は、先にあげた『周辺言語とはちがう音韻と語彙が固まる』という一般論とは異なり、『神・天皇の名前を創ったときに固まった』との狭い特例ということですか?この場合の日本とは、民族を指すのでしょうか、それとも国家のことか、あるいは民族も国家も同じということ?

>そこで「古代では神・天皇名表記時には“ン”を入れない」との
>偏執ができあがった‥‥と見たのでした。

この仮定は、歴史上自然に発生した神・天皇名に(たとえ)“ン”が含まれていても、表記するときに(わざと)“ン”を入れないようにした、と主張されているのですか?

>日本の「国家形成」時に「日本語らしいことばが新たにつくられてい
>たのでは?」という視線が必要となったと思います。

この日本の国家形成時とは、具体的にいつ頃の時代を想定されているのですか?念頭に描いている時代は記紀万葉の編纂時ということですか?やまと言葉はそんなに新しいのかな〜?

>この捏造には法則が貫かれているはずです。

捏造とは、事実でないことを事実であるかのようにこしらえていうことです。古代の神・天皇名とされているものは、国家形成時に新に捏造されたと主張されているのですね?

>いっぽう、さきに「ニニギ」の意味抽出のときに使った科学的割り出
>しの手法は、神・天皇名のなかにシナ勢力の存在を浮上させました。

この『シナ勢力の存在』とは、神・天皇名の(名前の)中に中国由来(影響)の言葉があるということですか?それとも勢力という以上、神・天皇名表記時に中国風に新に捏造したグループがいたということですか?

>神・天皇名を創った捏造手法に法則性を見いだしたとき、
>その“混血”の実体があきらかになることでしょう。

もし、捏造した人達が法則性など意識せず適当に創っていたら、実体はあきらかにならないという場合もありますよ。(^^)
この『混血』というのは、『シナ勢力』により国家形成時に新に捏造された神・天皇名について言っているのですね?

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[4322]:『伊太祁曽様 総括』より

『ドンどん』って、どなたのことですか?

>柱や塔、寺院が建て始められたとき、日本では物部/曽我戦争を
>契機にして寺と神社が二極化されてゆきました。

物部/蘇我の争いというのは587年の物部守屋公が滅ぼされたときのことですね。その前から寺と神社は別だったのではないかな?

>しかしその戦争の前では、インドのスタイルがそのまま投影されていた
>のですから寺社などの建築物はなかった‥‥

これは、インドのスタイル云々から寺のことですね。
577年には百済から僧侶とともに造仏工、造寺工が来てるし。
583年に蘇我馬子が石川の宅につくった仏殿は?
585年に蘇我馬子が大野丘の北に建てた塔や仏殿は?
(物部守屋に焼かれましたけど・・・)

>イタキソ様をみるとき、重要なのは「so(敷地・社)」です。

「so」が「敷地・社」である根拠を、いま一度教えて下さい。
『そ』という語はとても重要な印象をもっているのです。

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[4328]:『流れをただす』

>「板で興ったことは板の上で話すべし」とは玄松さんのジンクスだそうで。

掲示板以外でどのような遣り取りがあったのかは知りませんが、多くの方々が見ている掲示板なのですから、その流れが判るように掲示板上で展開するのは当然のことです。
なにも玄松子さんだけでなく、常識の範囲です。ジンクスという表現は揶揄(からかうこと)と受取れます。また玄松子さんのネームは『玄松子』であり『玄松』ではありません。きっちりと誠実に受け答えをしてこそ『流れをただす』ことになります。

>ここの板は、神社とか神さま周辺事のことなら、まじめな気持なら、
>いちおう何を書いてもいいのではないでしょうか?

まじめに『揶揄』をされるのですか?言語のことを研究されていらっしゃるのですから、なおさら表現の方法などは気遣ってくださいね。『おちょくり』が過ぎると誰も読んでくれませんよ。

>いまだに虫さされの続きです。

相手があって、きちんとした話しを展開する中で、こういう遊びが割り込むと誠意を疑われるのが普通です。無視なら『無視』と表記しましょう。時と場合とを弁えてこそ『いちおう何を書いてもいい』となります。

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[4334]  『神・天皇名総攻撃まえの総括』より

> 「あること」がきっかけで、神・天皇名をズラリと見てみたら、
>そこには撥音、促音、長音、拗音が遣われてなく、いわゆる五十“清”音の
>組み立てばかりが目立った。濁音も大幅に控えめに使用されたのでは?

>だから、神・天皇名の原発音・原内意を現代に再浮上させるには、
>故意に差し引かれた撥音、促音、長音、拗音を加えるという作業が
>なされなければならない。

これは、本来の神・天皇名の原発音には撥音、促音、長音、拗音があったが、故意に差し引かれたのである、という前提ですね。
上の[4319]:『思考方法 総括』で見た『国家形成時に新に捏造された神・天皇名』にはもともとモデルがあったということですか?ならば『国家形成時に整備された神・天皇名』となりませんか?悪意ある操作のごとき表現をされる根拠は何ですか?

>最初にもち出した「あること」とは、「ンという漢字がなかった」という事実です。

「ンという漢字がない」のは事実としても、それはンという漢字が必要なかったからではないですか?漢字にはアン、イン、ウン、エン、オン・・・というように、たくさんの組み合わせがあります。

>(神・天皇名の中にンという発音が無く)
>そのような使用例がひとつぐらいはあってもよさそうです。……だがない!

神武さんや八幡さんのお名前の中には有るやん。
(数学なら反証1個あれば、その論は成り立ちませんよ。)

大和の神名や大和の天皇名を“和訓”やまとことばで表現しているのですから、『「これこそ和人のことばぞ、和人の神であるぞ」を主張して』も当然で、ことさらに「偏執」とか「禁忌」とみる方が『偏執』しているように思いますが?

『ンという漢字がない』ことから始り、『神・天皇名の和訓にンがない』としても、それは、表記の仕方の問題か、もともと大和言葉の性質かもしれません。わざわざ古代の権力者を蔑視して左翼的な煽りをする必要があるのですかね?
素直に神・天皇名に使われている大和言葉の研究を披露して下さい。

[4349] Re[4348]:  この質問を答えることで毛を打ってくれ   玄松子 2003/07/09(Wed) 19:26 [Reply]
>  おれが言いたいことは、ンを発音させたいために、前の単音のア(これが何かの意味を含んでいる)を利用して「無い漢字のン」を安で代用させている、そういう“安”の使用が実際にみられるのか? ということです。

この質問、5回読んだけど理解できなかった。(僕の読解力不足でしょうか)


>  ゲッテン(ヒス)まわして自らの人生に不毛を呼び込むこと勿れ。

これも理解できませんでした。捨て台詞?

[4348]  この質問を答えることで毛を打ってくれ   生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/09(Wed) 18:57 [Reply]
とうぶん書き込みしませんが、ちょっとだけお教えください

> 安 健土安比賣命
★ これはけんどアンと読むのですか? 安がアンであれば、おれの直感割り出しはマチガヒ。

> 印 印色入日子命
★ これはインイロとかインショクとか発音するのですか?

> 園 園神
★ これはエンガミと発音するのですか?

> 音 鳴雷遠音神
★ 遠音はトオオンとかエンオンと発音するのですか? 

 おれが言いたいことは、ンを発音させたいために、前の単音のア(これが何かの意味
を含んでいる)を利用して「無い漢字のン」を安で代用させている、そういう“安”の
使用が実際にみられるのか? ということです。 

 おれが言いたいことは、ンを発音させたいために、前の単音のイ(これが何かの意味
を含んでいる)を利用して「無い漢字のン」を印で代用させている、そういう“印”の
使用が実際にみられるのか? ということです。 

 おれが言いたいことは、ンを発音させたいために、前の単音のエ(これが何かの意味
を含んでいる)を利用して「無い漢字のン」を園で代用させている、そういう“園”の
使用が実際にみられるのか? ということです。 

“音”その他に就いても、以下同文。

 「安、印、園 音という漢字は使われていない」と言ってんじゃありません。

 ゲッテン(ヒス)まわして自らの人生に不毛を呼び込むこと勿れ。

[4347] Re[4344]:  三 種 の 名 前     神奈備 2003/07/09(Wed) 17:41 [Reply]
> 2 にはアイウエオカキクケコの音を利用しながら同時に「ン」を発音させるよ
うな 安、印、運、園、音、柑、筋、訓、軒、紺 などの漢字も使用しない。
ウソですね。それとも国内和人むきの神・天皇名ではなく、渡来人向けとでも言われますか。
安 健土安比賣命
印 印色入日子命
園 園神
音 鳴雷遠音神

生田さん 貴殿の書き込みの内容主張、はっきりわかりません。席亭を含めて殆どの方々はいいかげんにしろと思っています。
自分のページでじっくり煮詰めて下さいな。

[4346] Re[4345]:    玄松子 2003/07/09(Wed) 17:41 [Reply]
いろいろと条件が増えて、対応できません。

>   下(↓)の 2 の神々はまさに国家形成ズバリの中核の名前を呈しています。

まず、この「仮説」から、わかりやすく説明していただかなければ、返信もできませんが、
「ンのつく神名がない」という話が終わったのなら、ROMに戻るかもしれません。
返信しなくても、「虫」されたと拗ねて、根に持たないでください。

[4345]    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/09(Wed) 16:56 [Reply]
それは、神名・天皇名だけの特徴でしょうか。

★ ギャ・ギュ・ギョ などまで入れて日本語の単節音は86だったでしたか。
そのなかで「ン」を表現する漢字がないということは、神・天皇名だけでなく
  あらゆる方面にかなりの影響を与えたことは、まちがいのないところでしょう。

  下(↓)の 2 の神々はまさに国家形成ズバリの中核の名前を呈しています。
  セーンガミやホットンボーも神様ですが、それが国家形成とはまったく関係ない
  土俗の神であることは、その名前に含まれている長音や促音、撥音で見分けること
  ができて便利……等という効用が浮上したのも、使用される「でっちあげ基準」を
  掴むことができたからです。

  狙いはそーゆーことではなく、「神・天皇名」に隠されている内意です。

[4344]  三 種 の 名 前     生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/09(Wed) 16:10 [Reply]
 玄松さんがひっかかっておられる原因がわかったような気がします。
 それは小生が「神・天皇名」といわねばならないところを、のっけから「神名」
としたからではないか……といま反省しています。

 「神・天皇名」でなければならないのです。
 そして、その「神・天皇名」も 次の、三種に分かれるでしょう。
1 シナ、朝鮮、および、台湾・沿海州・アイヌなどへ知らせる天皇名
2 国内和人むきの神・天皇名
3 戒名みたいな崩御後の天皇名。

 1 は漢文で書かれる。ンもふんだんに出る。
 2 にはアイウエオカキクケコの音を利用しながら同時に「ン」を発音させるよ
うな 安、印、運、園、音、柑、筋、訓、軒、紺 などの漢字も使用しない。
 3 ……おれ、ワカラン。

 例えば、「ヒロヒトの命」は2で、昭和天皇は1 での表記。
 上の1・2・3は夫々何と呼ばれて種別されているのですか? 忘れたのでもう
いちど教えてください。ここでの仕分けをシッカリしておかねば、混迷が続きそう
です、
 「諡(おくりな)」という呼称を覚えていますが、それは1・2・3 のうちのど
れに該当しましょうか?
 とにかく、上(↑)の2にひそむ「でっちあげのやりくち」がモンダイです。

※ いま http://6928.teacup.com/fudangi/bbs でカワイ子ちゃんが沖縄人に
  も三つの名前があることを書いているところです。

[4343] Re[4342]:  神・天皇名の漢字音表出では    玄松子 2003/07/09(Wed) 15:21 [Reply]
もう、「ン」は良いのですか。

> 「促音、長音、拗音、寡少な濁音」までをも、イモズル式に釣りあげたという
> ところが、チョウ・ダイジなところです。

それは、神名・天皇名だけの特徴でしょうか。

つい最近、昭和の初めの文書でも、促音の「っ」は「つ」と書かれ、
拗音、たとえば、「みょう」は「みやう」と書かれていたと思います。
記紀「でも」使用されていないということですよね。

[4342]  神・天皇名の漢字音表出では    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/09(Wed) 15:00 [Reply]
 神・天皇名を漢字で書いている場合(例;神武、綏靖、安寧、‥‥)を発音するときには・br>現代人同様にチャンと発音したと思います。それが‥‥√♪ 尊いお方を呼ぶときにゃ ホイ

 玄松さん、「促音、長音、拗音、寡少な濁音」までをも、イモズル式に釣りあげたという
ところが、チョウ・ダイジなところです。

[4341] Re[4340]:  んん?    玄松子 2003/07/09(Wed) 15:00 [Reply]
> > 「ンという漢字がなかった」 これは本当のことでしょうか。
> ★ ほんたうれす。漢和辞書と相談してみてください。ありますか? ……アーりましェ〜ン。


気付かないうちに、問題が
「ンという音を含む神名」 から
「ンと一字で表す漢字を使用した神名」に
限定されているのでしょうか。
段々と条件が厳しくなりますね。

以前は、「セーンカミ」というカタカナでも良かったし、
つい先ほどは、蜜柑というのを表出されていましたが。

[4340]  んん?    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/09(Wed) 14:43 [Reply]
> 「ンという漢字がなかった」 これは本当のことでしょうか。
★ ほんたうれす。漢和辞書と相談してみてください。ありますか? ……アーりましェ〜ン。

> 応神天皇を品陀別命、保牟田別神 
> 「ン」という漢字は「牟」などでは。
> 慣習的にコウと読むようですね
★ √♪ なみだ 流れて やまず ……「ン」がないバッカスに 
 にゃみにゃみにゃらぬ、なみだぐましい努力があったんですよ。
  上流階級がそのようなミョウな発音すれば、下層階級はまねするよナ。

 山手樹一郎みていたらウンチのことを「うんうん」と書いているのによく出会います。
 ひょっとしたら、神に「うんうん」つけるのはよくないとおもったのかも。真面目なハナシ!

[4339] Re[4337][4336]: 無題  玄松子 2003/07/09(Wed) 14:37 [Reply]
> > 「ンという漢字がなかった」
> これは本当のことでしょうか。

ちょっと疑問に思ったんですが、「万葉集」は、
当時、「マ ン ヨウシュウ」と発音されていたんでしょうか。
それとも、万葉集という言葉は、最近のもの?

[4338] Re[4336]: 無題  玄松子 2003/07/09(Wed) 14:34 [Reply]
>   大衆のあいだでは、ンはさかんに遣われ発音されていたことはまちがいないでしょう。

神名においても、しかり。


>   ただ、書くことができる階層は、いち早く「ン周辺の音」が変形され、「それがいいことだ」と受け取られ、

臣下の名前においても、しかり。
食べ物や鳥の名などの一般普通名詞においても、しかり。

神名にこだわるなら、神名だけに見られる現象(特徴)を追うべきでしょう。

結論として、

「ンという音が、神名 『にも』 使われなかった。」

ということでしかありません。(と、何度も書いている気がします)

[4337] Re[4336]: 無題  神奈備 2003/07/09(Wed) 14:24 [Reply]
>   ただ、書くことができる階層は、いち早く「ン周辺の音」が変形され、「それがいいことだ」と受け取られ、その傾向がかなり大衆にも浸透していただろうことは、誰が考えても自明なことでしょう。

> 「ンという漢字がなかった」
これは本当のことでしょうか。
例えば、神武天皇、神倭磐余彦尊は「かんやまといわれびこ」ですが、「かむやまといわれびこ」と訓をつけたのはどうやら本居宣長あたりで、18世紀のことです。

応神天皇を品陀別命、保牟田別神としますが、ホンダワケと呼んでいたのを、おもおもしく、ホムタワケなどとやるのか、現在の祝詞作成と同じ様な発想ではないでしょうか。

「ン」という漢字は「牟」などでは。


> > 柑の訓を、だれか教えてください。
>   この場合の発音は「カン」でしょう。
漢音 カン。訓はありませんが、慣習的にコウと読むようですね。


[4336] 無題  生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/09(Wed) 14:14 [Reply]
> よって「ンの付く神名がない」ということでしょうか。
★ あるかどうかをンジュの技術で見てもらいたかったんですよ。ちょっとでもいいので……。
  今は「無い」と置くよかテはありません。

> 同様に、ンのつく食べ物もないということでしょうね。
★ なにを言ってらっしゃるのかワカランが……。
  「漢字の一文字で以ってンを表記することができなかった」が、なぜ……?
  このことに就いては沖縄の地名をみるといい。完全に民衆ことばからンが消えていたなら
  チャタンとかチネンという名前は継承されなかったでしょう。
  明治になって初めて姓を貰った人びとが多かった……からといって、農民大衆が姓を
  持っていなかった……には、ならない筈。それと同じで、漢字も文字も知らなかった
  大衆のあいだでは、ンはさかんに遣われ発音されていたことはまちがいないでしょう。

  ただ、書くことができる階層は、いち早く「ン周辺の音」が変形され、「それがいいこと
 だ」と受け取られ、その傾向がかなり大衆にも浸透していただろうことは、誰が考えても
 自明なことでしょう。

> 柑の訓を、だれか教えてください。
  この場合の発音は「カン」でしょう。おれは「みかん」と置いてテンカンぶっ叩いたら
  この文字がでたばい。
  パソコンのほうが狂ってるのかなぁ。

[4335] Re[4334]:  神・天皇名総攻撃まえの 総括    玄松子 2003/07/09(Wed) 12:09 [Reply]
面白いので、まだまだ続けます。

>  「あること」がきっかけで、神・天皇名をズラリと見てみたら、そこ
> には撥音、促音、長音、拗音が遣われてなく、
>  「あること」とは、「ンという漢字がなかった」と
> いう事実です。


つまり、「ンという漢字がなかった」、よって「ンの付く神名がない」ということでしょうか。同様に、ンのつく食べ物もないということでしょうね。

>  ンという発音が「神・天皇名の和訓に遣われてもよい」というのな
> ら、蜜柑、金柑、夏蜜柑のような表出法もあるし、

柑の訓を、だれか教えてください。

[4334]  神・天皇名総攻撃まえの 総括    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/09(Wed) 11:57 [Reply]
 「あること」がきっかけで、神・天皇名をズラリと見てみたら、そこ
には撥音、促音、長音、拗音が遣われてなく、いわゆる五十“清”音の
組み立てばかりが目立った。濁音も大幅に控えめに使用されたのでは?

 だから、神・天皇名の原発音・原内意を現代に再浮上させるには、故
意に差し引かれた撥音、促音、長音、拗音を加えるという作業がなされ
なければならない。

 最初にもち出した「あること」とは、「ンという漢字がなかった」と
いう事実です。

 ンという発音が「神・天皇名の和訓に遣われてもよい」というのな
ら、蜜柑、金柑、夏蜜柑のような表出法もあるし、神・天皇名の漢字音
のなかにはワーワーあるのだから、そのような使用例がひとつぐらいは
あってもよさそうです。……だがない!
 「ない」ということは“和訓”の神・天皇名は「これこそ和人のこと
ばぞ、和人の神であるぞ」を主張していることであって、これを別視線
で照射すれば「偏執」とか「禁忌」ということになるでしょう。

 過った三段論法の積み重ねかもしれませんが、いづれにせよわれわれ
はここに大きな突破口に恵まれた……のです。
 ノルマンディー上陸作戦を成功に導いたのは、巨大なコンクリート排水
(古代語;バクチ)溝の爆破だったんです。

 いままで、手がつけられずに放っておいた天皇系図に目をやったとたんに、
南保系住民など屁にもかけずに、ふんぞり返って威張りちらしていた往古の
支配階級の姿が映し出されたのでした(アクト・ヒメ)。

 アクト一つでもたいした成果というべけれんや。

[4333] ナンセンス  神奈備 2003/07/09(Wed) 09:33 [Reply]
 延喜式に高鴨阿治須岐託彦根命神社の名があり、阿治須岐託彦根が神の名かも。一応訓は「アジスキタカヒコネノ」とされています。古代の出雲では「アッヂィシュキ・・・」と訓まれていたとされます。

 琵琶湖の弁天さんは都久夫須麻神でチクブシマですが、万葉的にはツクフスマと某氏のご指摘がありましたが、ヅーヅー弁が正しい訓では。

 魏志倭人伝には難升米さんが出てきます。ナンショウマイ??。

[4332] Re:青草95星田妙見宮(小松神社)  神奈備 2003/07/09(Wed) 09:10 [Reply]
> 物部肩野というのは、やはり交野物部と同じ流れの者であったとしても良いのでしょうかね……?

 片野のJR磐船駅近辺には古墳時代の製鉄遺跡や鍛冶遺跡が出ています。製鉄炉は中国地方(吉備)と同じ型のようです。片野周辺には砂鉄などの鉄の原材料は見あたらず、おそらくは中国地方辺りから材料を運んでいたのかもしれません。
 運び出すべく送られたのが中山神にばくちで負けたとの伝承を持つ伽他野部長者乙丸で四の五の云わずにさっぱりと土地を明け渡してか、弓削庄へ退去しており、ここで仏教寺や志呂神社の祭祀を行っています。お寺には肩野物部廟と云う祠もあるようで、まず、河内國の交野郷から赴いた物部一族だったと見ていいんでしょう。

 この交野には妙見信仰があり、製鉄氏族であった物部は星の信仰を持っており、当然妙見信仰を持って吉備におもむいたのでは。交野の星田妙見宮の小字を鐘鋳谷(かねいだん)と言うように、妙見と鉱山とはつなり、武器、農耕、土師、織物へとつながっています。

 星田妙見宮の宮司さんの『妙見信仰の源流−小松神社祭祀の潮流』ダイジェストと講演からの話ですが、従って青草ではありませんのでこちらへ、王権によって鉄の妙見信仰は追われていったのではないか、即ち金属の独占化を金山彦神信仰の中山神を押し立てて妙見の物部の鉄を奪っていったのではとの見解を示されていました。

[4329] Re[4328]:  流れを ただす    玄松子 2003/07/09(Wed) 08:50 [Reply]
>  小生はことのほか、神名に含まれている内意‥‥即ち、神名の意味について関心
> があります。
>  そこへ玄松さんから「そんなことしてどんな意味があるの?」との質問がありま
> した。そのときは別のテーマがさかんだったので、一段落したあと小生は「玄松さ
> んが謂っている意味の意味がワカランので、どういうことなのか報せてほしい」と
> 3回書き込みしましたが、何らの返事なく、いまだに虫さされの続きです。

まず、神名に関する話に「意味があるのか」と問うたことはありません。
その『方法』に関する質問だったと記憶していますが、これは別の板の話ですから、
混同しないようにお願いします。3回書いたという事ですが、その後、見ていません。

神名を考察・考証することは大いに意味のあることです。誤解されませんように。


>  「そんなら神・天皇名の和訓のなかで、二つ三つでもいいので、ンが遣われてい
> る実例を教えてくれ」と申し出たのだが、ここも虫したままで、

まず、最初に、「対応できない」と書いています。無視ではありません。曲解・誤解されませんように。

はじめは、「ン」が付く神名ということだったので、多すぎると書き込みました。
その後、生田さんのリクエストは、延喜式以前で、和訓読みで、人名ではなく、インド出身でもなく、と条件が増えているように感じます。
そもそも、延喜式には神名はほとんど記載されていませんし、もちろん訓も書かれておりません。それらの中から、生田さんの望まれる神名を抽出することは、研究に相当する作業です。ですから「対応できない」と応えておきました。

> 次ぎから次ぎに
> “全体の文の流れ”を掴まないままに細かい質問を寄せてくる。

細かい質問では無いと思っています。もっとも根幹にある疑問です。

ローマ字で書かれている「古事記」をとりあげて、神名は英語だったと言っている印象を受けたということです。
なんども書きますが、すべてが「ン」を使用せずに書かれている文献で、神名に「ン」が無いからといって、「神名にンを使用することを避けている」などという結論はおかしいと言っているのです。
神名の話題がおかしいのではなく、その方法がおかしいということです。くれぐれも、誤解されませんように。

[4328]  流れを ただす    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/09(Wed) 08:20 [Reply]
 ドンどん、以下の書き込みは、今更ながら……の感が強いのですが、板を荒すは
不本意なので書きます。
 玄松さんは、読んだら「読んだ」とドンどんにEメール入れてください。
 お手数を煩わせて申しわけないすが、その通報をうけたら全文を削除願います。
 「板で興ったことは板の上で話すべし」とは玄松さんのジンクスだそうで……。

 ここの板は、神社とか神さま周辺事のことなら、まじめな気持なら、いちおう何
を書いてもいいのではないでしょうか? この考え間違ってたらご指導ください。

 小生はことのほか、神名に含まれている内意‥‥即ち、神名の意味について関心
があります。
 そこへ玄松さんから「そんなことしてどんな意味があるの?」との質問がありま
した。そのときは別のテーマがさかんだったので、一段落したあと小生は「玄松さ
んが謂っている意味の意味がワカランので、どういうことなのか報せてほしい」と
3回書き込みしましたが、何らの返事なく、いまだに虫さされの続きです。

 たとえば、岩戸びらきのときに出てくる「タヂカラオ」とは力の強い神様ですよ
ね。そのデンでウガヤフキアエズとはどういう内意を持った神様なんだろうか……
などなどを知ることは、小生にはとてもダイジな思考だと思えるのですが、玄松さ
んにはそれが……価値のない詮索と写っているのかどうか、そこらを質問したつも
りですが反応はゼロだったんです。
 ああいうときは「少し考えるから待ってくれ」みたいな通報一つがあっても風通
しがよくなります。

 こんかい、「神・天皇名に 『ン』が一つも遣われていない」と書いたら、玄松
さんは「そんなことはない、いっぱいありすぎるぐらいにある」とおっしゃるその
くちで、「アンタ(生田)に言うのは援助じゃないよ」というので……
 「そんなら神・天皇名の和訓のなかで、二つ三つでもいいので、ンが遣われてい
る実例を教えてくれ」と申し出たのだが、ここも虫したままで、次ぎから次ぎに
“全体の文の流れ”を掴まないままに細かい質問を寄せてくる。
 生田淳一郎に援助するお気持ちがないだけなら、それでもいいが、こんな虫のい
い無視はほかの人びとへ失礼に当るのではないだろうか。

 そういうひとにヘイコラと応答するは神奈備の誠意のスタイルではなさそうだ
し、このまま、放っておくのは神域を穢すことにも繋がりそうなので書きました。

[4327] Re[4321]: 無題  玄松子 2003/07/07(Mon) 23:54 [Reply]
書かれている内容がほとんど理解できないので、以前の書き込みにレス。

>  山口仲美先生のオノマトペアの本で、紀記万葉が書かれた古代には
> 「ン」の表記がなかったことを知りました。「

神名・天皇名だけでなく、すべての名詞に「ン」の表記が無いのなら、
『日本の神・天皇名の音には撥音の「ン」が使われてない』と強調する理由が不明だと思うわけです。

『日本の人名・地名の音には撥音の「ン」が使われてない』でも良いし
『日本の植物名の音には撥音の「ン」が使われてない』でも良いのです。

[4326] Re[4325][4323]: 磐座のチカラコブ  神奈備 2003/07/07(Mon) 22:53 [Reply]
> カラーバージョンで『新・磐座紀行』を作る意欲はないですかね〜。

香具さん、香具さん、それはあなたのワークの一つ。

とりあえず『磐座紀行』に紹介されている磐座で、HPの非リンク集あたりが出来て来れば、役に立ちそうですね。

[4325] Re[4323]: 古書のチカラコブ  香具 2003/07/07(Mon) 22:11 [Reply]
『磐座紀行』(いわくらきこう)
西宮の藤本浩一先生の著書。1982年、向陽書房の出版。
当時行くことが出来た範囲での実地調査の報告書です。今ではもう行きにくい所もあるかもしれない。絶版の上、古書店でもなかなか見つからないので、兵庫県立図書館で借出して、必要箇所をコピーしました(全部必要だったりして)。畿内がメインですが、全国的にも目配りはされています。
「古書ブックフェア」公表した以上、もう手に入らないだろうな〜(TT)
こんな名著が絶版だなんて!出版社の御方、カラーバージョンで『新・磐座紀行』を作る意欲はないですかね〜。

[4324]  大 三 元 さ ん    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/07(Mon) 19:41 [Reply]
 ここの流れ周辺事項に関しては、もう書くまいかと、よほど思ったのでした。
 でも、アイヌ語の kem(血……とくに末尾のMに御注意!)にはとくべつな関心
をお持ちください。

[4323] 古書のチカラ  神奈備 2003/07/07(Mon) 18:56 [Reply]
古書ブックフェア 近畿ブロック連合大古書まつり
2003年7月11日(金)〜13日(日)
10時から19時(13日は17時)
大阪マーチャンダイズ・マート(OMM)
2F

出物があるかも。例えば『磐座紀行』とか。

[4322]  伊太祁曽様 総括    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/07(Mon) 18:26 [Reply]
 『神奈備エコー』http://www.you-i.org/treebbs/1/index.html
で神・天皇名に総攻撃かけるまえにドンどん永年ご執心の伊太祁曽様を
総括しておきます。

 イソの上(神)の is-o とは始源的には金属精錬士強執の風神です。
 Is だけでもあちこちの氏族で神という意味で用いられました。
 日本の後世では“石”があててあるので、鉱山とか壬生(ni……土、
bu ……産む)の神とされたこともあったことでしょう。
 のっけから S- を発音できない人びとも大勢いるので、歴史の途中で
(場所はほとんど大陸内で)So の単節音だけで神という意味で利用さ
れたなりゆきも十分に察せられます。

 サンスクリット語領域で育ちあがった顕教仏教も、その昔はヒマラヤ
の霊峰に対坐して神霊と一体化を計ろうとするヨギのスタイルから派生
しています。
 ですから、柱や塔、寺院が建て始められたとき、日本では物部 /. 曽
我戦争を契機にして寺と神社が二極化されてゆきました。しかしその戦
争の前では、インドのスタイルがそのまま投影されていたのですから寺
社などの建築物はなかった‥‥これが当たり前なんです(あったのは風
水的な考えでの大地のうねりに沿った神域だけでした)。

 で、その敷地は一般には「シキ」といわれました。ヤシロの sir も敷
地(建築予定地)の意味が濃い。また、各地にみられる「ヒムカ」もそ
れではないかと思われます。
 イタキソ様をみるとき、重要なのは「so(敷地・社)」です。

 古代には「イ○○V」の造語法がありました。朝鮮語の pu:l(吹く)
がイブリになり、ネパール語の phuk(ロで吹く)がイフキになってい
ます。「イ○○V」の○○は名詞形が一般的だと思われます。Vとはこ
この末尾母音ですが、明瞭な音の変化があったり、なかったりします。

 イタキソは今のところ一応は「i-tak iso 」ですが、itak-i ・so」
と置くべきかどうか、今は断定できません。
 tak には時代とともに、いろんな意味が付着し、香具さんが言われた
「猛・武・建・威」のほか高、栲、滝などがありますが“始源概念とし
ての tak ”は、今は絞りこむことはできません。

[4321] 無題  生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/07(Mon) 11:56 [Reply]
> その古文献では、食べ物や動植物、その他、日常的な瑣末なものには「ン」は多用されており、> 神名・天皇名だけ「ン」が用いられていないのですか?

★ 総括とは「現在フロンティア」をズラリ出すという含みです。
  これで全く決定的で、不動のスタンダードだとは思っていません。
  細部の「か、どうか」はンジュ(沖縄;あなた様)にも期待してました。
  だが、細部はどうあれ、「これで行ってみよう!」とのキヤイがかかるのです。
  このあと、神奈備エコーで総攻撃をオッぱじめますが、例えば ケヌ は ken(血統)です。
  理論と各論ね。

[4320] Re[4319]:  思 考 方 法   総 括      玄松子 2003/07/07(Mon) 06:39 [Reply]
>  日本のアイデンティティーは神・天皇の名前を創ったときに固まった
> と言えそうです。
>  この法則性を発見したキッカケは、日本の神・天皇名の音には撥音の
> 「ン」が使われてないことに気づいたことからでした。
>  山口仲美先生のオノマトペアの本で、紀記万葉が書かれた古代には
> 「ン」の表記がなかったことを知りました。「ン」という漢字がないの
> に、古文献では一語づつ漢字をあてはめたのでした。
>  そこで「古代では神・天皇名表記時には“ン”を入れない」との偏執
> ができあがった‥‥と見たのでした。

その古文献では、食べ物や動植物、その他、日常的な瑣末なものには「ン」は多用されており、神名・天皇名だけ「ン」が用いられていないのですか?

[4319]  思 考 方 法   総 括      生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/07(Mon) 05:12 [Reply]
 一民族のアイデンティティーが固まるということは、周辺言語とはち
がう音韻と語彙が固まるということでしょう。

 日本のアイデンティティーは神・天皇の名前を創ったときに固まった
と言えそうです。
 この法則性を発見したキッカケは、日本の神・天皇名の音には撥音の
「ン」が使われてないことに気づいたことからでした。
 山口仲美先生のオノマトペアの本で、紀記万葉が書かれた古代には
「ン」の表記がなかったことを知りました。「ン」という漢字がないの
に、古文献では一語づつ漢字をあてはめたのでした。
 そこで「古代では神・天皇名表記時には“ン”を入れない」との偏執
ができあがった‥‥と見たのでした。

 さらに、神・天皇名の和訓を続けて注意を払ってみたところ、撥音
(ン)ばかりではなく、表記に使われている一音文字は「すべてアイウ
エオ〜ワ・ヲの、いわゆる五十音のうちのいずれかであって、そこには
促音、長音、拗音がほとんど皆無」といってよいという現象が浮上して
きたのでした。

 日本の「国家形成」時に「日本語らしいことばが新たにつくられてい
たのでは?」という視線が必要となったと思います。
 「新しいことばを創る」といううごきは、その後二度にわたって「地
名は二つの慶字でもってせよ」という天皇命令にも現れていましょう。

 この捏造には法則が貫かれているはずです。
 日本語とは1200ペアの、アイヌ語とは470ペアの類似をみせる
ネパール語は、トネリ、ウネメ、和気、ヤマト、等々多くの日本の固有
名詞の意味を解き明かしました。しかし、こと神・天皇名の意味解釈に
はほとんど無力で、明瞭にいえるのはアジスキタカヒコネとモノノベの
先祖神のイカカシコオの二つだけでした。
 アジスキタカヒコネとイカカシコオだけに解釈のメスが入れたという
ことは、たまたまこの原音の中に、撥音、促音、長音、拗音がなかった
ために小生にも判ったということではないでしょうか。

 いっぽう、さきに「ニニギ」の意味抽出のときに使った科学的割り出
しの手法は、神・天皇名のなかにシナ勢力の存在を浮上させました。
 川崎真治さんの処女作は『混血の神々』でした。
 神・天皇名を創った捏造手法に法則性を見いだしたとき、その“混
血”の実体があきらかになることでしょう。

[4318] Re[4315]: ×  習志野のてつ [Mail] 2003/07/06(Sun) 11:46 [Reply]
> …ジャンヌダルクのサインは(文字が読めないので)すべて×と書かれていたそうです。
> …少なくとも彼女は×を悪のイメージとして捉えていなかったのでは?
チェックしたと云う意味の自署でしょう。
イギリス海軍では、水兵はほとんど入隊・宣誓を強要されます。で同意の自署は×印
ほとんどの水兵がが×印で、文字が書いてあると、読み書きができる=教養があると見られました。
先日のテレビでは、遺伝子を採取利用することに対する同意のサインとして、名前蘭に
単に横に線を引かせていました。「これでも裁判では有効なんだろうな〜」などと思いました。

> エジプトのミイラは胸の前で腕を×印に交差してアンク十字を持っていますよね。
ボディーランゲージの世界では、対面して腕を組むことは拒否を表示します。
クロスさせれば、強烈な拒否。「ガードを固めて近寄れば戦いだぞ」メッセージでしょう。

時代劇では「蟄居閉門を申し付ける」なんて場面のあと、門を竹で×にして封鎖する場面
に良くなります。実用の為の脇戸は、出入り自由なんですが、公式には出入り禁止。

アリババと40人の盗賊で、盗賊がアリババの家に目印に×マーク付けてました。
アリババの奥さんがこれを見つけて、周り近所の家全部に×マークを付け、盗賊を
混乱させました。(子供向け物語なので、真偽は不明です)
斜め一本線だと、単なる傷と間違える。三本でマークすると面倒。で×マーク。

×印を勝手に意味付けると以下の二通りとなります。
1、封鎖、出入り禁止、拒否を表す印
2、単なる目印(否定的意味を含まない)

[4317] Re[4312][4311][4293]: ○と×について  玄松子 2003/07/06(Sun) 10:44 [Reply]
> > 表紙にバツ印のフセイン氏 米誌「タイム」
>
> よしあしではなく、wantedがほぼ片付いたと云う意味かも。

Windowsのウィンドウの右上にも×がありますね。
これは、終了の意味。×には「クローズ」「終了」「閉鎖」の意味があるのでしょう。十字架(クロス)も終了であり死を意味します。
ただ、西洋、特にキリスト教では、クロス=キリストの死=聖なるものという特別な意味も付加されるのかもしれませんが、根底は「死」。日本でこれが穢れとなっても不思議はないと思いませんか。

[4316] 今日は七夕  神奈備 2003/07/06(Sun) 10:14 [Reply]
 十種神宝のうちの蛇比禮は上にバーが付いている四角な布で、バーの両サイドを持って、指で布をゆするとのこと。
 蜂比禮、品物比禮は台形と逆の台形の布で、やはりバーについており、ゆするとのこと。
 神の啓示としてある方が得たとされるお話でした。

 鳥越氏『女王卑弥呼の国』に、物部氏が物部を名乗る以前の姓は越智(をち)、とあり気にかかっておりますが、愛媛の物部、河内の恩智、などなどもっとらしい所もありますが、一方、河内の恩智は山の西側で、朝日は当たらない場所、吉野では、川の北岸は日当たりがよく「ヒオモテ」と呼ばれ、一方南岸は「オンジ」と呼ばれたそうで、単なる陰の地かも。
 蘇我との争いに敗れて日陰の身分に堕ちたことがXに反映?

 隠岐嶋には隠地郡があります。神社からは物部氏の匂いは感じにくいのですが、隠地郡都麻郷は都万村ですが、大字都万字砂子谷(さこだに)に式内社の天健金草神社が鎮座、祭神は五十猛命の妹神の抓津媛命や大屋津媛命のようです。
 五十猛命の唯一のロマンス、肥前国(佐賀県三養基郡基山町)の荒穂神社に伝わる「契り山伝説」で登場する川で洗濯する娘が園部谷サコの「さこの姫」で、この姫がどうやら抓津媛命だったのかいな、などと想像しております。
 「水の女」のお話の一つでしょう。機織りではありませんが、洗濯も布の再生で布を振ると云うことでは呪術的な要素もあり、神懸かりになる手段だったのでしょう。

[4315] ○・×クイズ  サン・グリーン [Url] 2003/07/06(Sun) 09:13 [Reply]
みなさま、私の愚問にいろいろとご教授いただきまして本当にありがとうございます。
玄松子さま。
過ぎ越しの祭りの戸口に付いたマークが×というのは、映画十戒の中で見たような気がします。ただし、あくまで映画なのでどこまでが史実にのっとて描かれているのか?また、何か時代考証や文献、ユダヤの教えなどの資料にもとずいて×印になったのかが問題ですよね。(~_~;)
これも、聞き書きですが、ジャンヌダルクのサインは(文字が読めないので)すべて×と書かれていたそうです。
彼女の直筆が残っているらしいので、確かめることはできると思います。これが本当だとすると、少なくとも彼女は×を悪のイメージとして捉えていなかったのでは?。
エジプトのミイラは胸の前で腕を×印に交差してアンク十字を持っていますよね。
桃山学院大学の教授、井本英一さんの「夢の神話学」には出雲の鉄剣の×のマークは魂を封じ込めるという意味であると書かれていました。
これらから類推して×は本来、神または神との契約の印であって、今のように○=正しい。×=間違いというイメージは、本来はなかったのではないでしょうか?
いつごろから、×=悪いという印になったのでしょうね。
このことを最初に教えてくださったある方は、物部が×で蘇我が○だと民衆を洗脳した時代がある。というような話をしておられました。



[4314] 再度Re[4300] ○と×  習志野のてつ [Mail] 2003/07/05(Sat) 14:21 [Reply]
>オーケーを表すOKサインは下のリンクにあるように、人差し指と親指で○を作る。
ダイヴィングの先輩に聞いてみました。「その通り、OKのマークだよ」?

〇は丸ではなく、O(アルファベットのO:オー)でした。先達恐るべし。

[4313] Re[4312][4311][4293]: ○と×について  玄松子 2003/07/04(Fri) 14:54 [Reply]
> よしあしではなく、wantedがほぼ片付いたと云う意味かも。

時期的には、たぶん、そっちですね。

[4312] Re[4311][4293]: ○と×について  神奈備 2003/07/04(Fri) 14:46 [Reply]
> こういうのを見つけました。
> 産経新聞サイト
> http://www.sankei.co.jp/news/030414/0414kok039.htm
> 表紙にバツ印のフセイン氏 米誌「タイム」

よしあしではなく、wantedがほぼ片付いたと云う意味かも。

[4311] Re[4293]: ○と×について  玄松子 2003/07/04(Fri) 06:55 [Reply]
> ある人に、×マークを見て「悪い」「間違い」というイメージを持つのは日本人だけであると教えられました。

こういうのを見つけました。
産経新聞サイト
http://www.sankei.co.jp/news/030414/0414kok039.htm
表紙にバツ印のフセイン氏 米誌「タイム」

[4310] Re[4307][4300]他 : ○と×  ヴェトナムの風 2003/07/03(Thu) 23:29 [Reply]
習志野のてつさん お返事をありがとうございました。

>>スキューバから一般にと云うよりも、一般的なサインがスキューバスに伝わった、
>>と考えるほうが合理的かと思います。

なるほど、それはそうですね。日常生活でも見かけるような、簡単明瞭なサインの方が間違いが少なくてよいはず。
>>…海賊船旗のドクロと骨のマークとそっくりです。…
>>これには疑問があります。物語以外では聞いたことがありません。
>>通常は普通の旗を揚げていたのではないかと思います。
>>わざわざ「海賊です」と表現したら、相手は逃げるだけではないかと。

その辺はわたくしもよく分かりませんが、実際に使われた(といわれる)旗の模様は残っております。
http://www.piratesinfo.com/detail/detail.php?article_id=60

例として、リストの中からStede Bonneを解説したページをご覧ください。
http://www.piratesinfo.com/biography/biography.php?article_id=31

まあ、真偽の程は青草級ということでご勘弁を。

[4309] Re[4304]: ○と×  玄松子 2003/07/03(Thu) 19:44 [Reply]
> ×マークは、確かモーゼの出エジプトの時、神が疫病を流行らせるので戸口に子羊の血を塗って印のついた家は「過ぎ越す」と言う啓示があり、×印を付けた家は助かったと書かれていたと記憶しています。(従って、×マークはユダヤの印となりますよね)

この話は、武塔天王の話と似ている、出エジプト記の「羊の門」の話ですね。
http://www.uc-japan.org/unify/doctrin/principle/bible/oldtest/02.HTML#第12章

羊の血で印をつけるということは有名ですが、「×」という形は知りませんでした。
どこに書かれているのか、見つけきれていませんが、「×」ではなく「+(十字架)」なんじゃないかなぁ、という気がしました。

[4308]  土俗の神の名    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/03(Thu) 14:06 [Reply]
 玄象師師ドン、すこ〜〜しゃお心ざし、解りかけたようなみたいな‥‥
 ちょっとだけお教えあれ。
 エンキ式祭神の和訓よみで、ンがつく神名を二つか三つ例を挙げてくれませんか。
 おれは『日本の神様読み解き事典』しか持っていませんが、その巻末索引には、
たしかに「ン」がつく神名みたいなのがあるものの、その大多数は神仏混淆
のあおりでインド → 仏教のコースで「神」となったものみたいです。

 有名なレッキとした神さまでない場合でも「こんな音韻で名前つけておいた
ら、いづれそのうち国家援助が受けられて、格上に見てもらえるのではないか」
との思惑から“その法則(五十の清音の羅列)”でつけられた名前も多いことでしょう。


 さきにホットンボーを挙げましたが、壱岐のセーンガミにも撥音、長音がつい
ています。
 このように神名はその音韻でも仕分けができそうで、その裏には日本という国家
形成がひそんでいることは、誰の目にも明らかなことでしょう。
 
 ※ ホットンボーは伊豆の新島だけの呼び名だそうで‥‥
 ※ セーンガミは「サイの神」の訛りであることは明らかでしょう。
   これが蒙古語 sai(良い、善い)によるものか、将又ネパール語系 sait
   (吉兆)によるものか……は、こんなシグサを続けることで、そのうちきっ
   と判明するこったろうと思います。

[4307] Re[4300]他 : ○と×  習志野のてつ [Mail] 2003/07/03(Thu) 11:58 [Reply]
〇について
> スキューバダイビングで、…使う国際標準サインがあるそうです。…で○を作る。
 これは実際に使います。ただしスクーバは始まって100年も経っていません。
 スキューバから一般にと云うよりも、一般的なサインがスキューバスに伝わった、
 と考えるほうが合理的かと思います。

×について 
 スキューバでは余りわず、ダメなときはその理由を説明するマークを出します。
 例:空気が残り少ない→喉の所で水平にした手を横に動かす。
   但し日本でだけのようです。海外では残圧計をみせることが多いです。
> …海賊船旗のドクロと骨のマークとそっくりです。…
 これには疑問があります。物語以外では聞いたことがありません。
 通常は普通の旗を揚げていたのではないかと思います。
 わざわざ「海賊です」と表現したら、相手は逃げるだけではないかと。

×印は出雲の358本の剣にも、加茂岩倉の銅鐸にもつけられています。ただし
×印が付いていない剣もある。もし物部氏の印なら、付いていないのは何故か?

一族の大事な祭祀に、それ以外の一族が入れるのか?はなはだ疑問が残ります。
他と区別する為に付けた印であることは間違いないと思います。それ以外???

[4306] Re[4305]:  バカ と 青草 の ちがい    玄松子 2003/07/03(Thu) 11:48 [Reply]
> >「証拠になっていない」と指摘させていただいただけです。
> ★ これも援助とは受け取らないヨ。ナンダロなあ〜
>   その実ひま人が、多忙だと云いながら、

生田さんのリクエストに一々応える時間が無いと書いただけです。
この板をのぞいて書き込む程度の時間ならあります。


> 例ひとつ挙げないで「証拠になって
>   いない」とは、わてほんまにヨイワンワ。

「ンの付く神名がある」という、指摘ではなく、
「ンの付く神名はない」という書き込みそのものが無い、という指摘とお考え下さい。
ですから、例を挙げる必要はありません。

[4305]  バカ と 青草 の ちがい    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/03(Thu) 11:28 [Reply]
 玄象師師ドン、ウンジュもひまやなあ。
 ここの板のとなりには『青草』がある。
 のっけから「アホクサとしか評価されなくてもいい、真面目に取り上げないで
くれ」と思ってやる発言が青草だとおれは認識しています。
 だが、いまのわれわれには、そんな(青草な)ヒマがあるのだろうか?
 バカとはハミダシだと思っておくれ。

>「証拠になっていない」と指摘させていただいただけです。
★ これも援助とは受け取らないヨ。ナンダロなあ〜
  その実ひま人が、多忙だと云いながら、例ひとつ挙げないで「証拠になって
  いない」とは、わてほんまにヨイワンワ。

 「ン」から始まった神名構成の音韻の特徴把握は、促音・長音・拗音へまで波
 及していることを捕捉できて、日本神名の素形へ迫ろうとしています。
 神名に「濁音」は使わないということも特徴の一つに挙げることができるなら
 ば、イタキソを構成する音に *dag をも言及せねばならないところともなりま
 す。

 だれかさんに迷惑かけたんなら Maphi(ネパール語; 許すこと) ra(ネパー
ル語; 強調末尾辞)ぞ。

※ 書き込みヌシが自分の手で訂正、削除できる板を開発しておくれ。

[4304] ○と×  サン・グリーン [Url] 2003/07/03(Thu) 08:43 [Reply]
みなさま、いろいろと教えていただきましてありがとうございました。
最近の傾向(ダイバーサイン)については知りませんでした。
×マークは、確かモーゼの出エジプトの時、神が疫病を流行らせるので戸口に子羊の血を塗って印のついた家は「過ぎ越す」と言う啓示があり、×印を付けた家は助かったと書かれていたと記憶しています。(従って、×マークはユダヤの印となりますよね)
日本でも鉄剣などの出土状況から推察して物部系のマークが×だとすれば、物部やユダヤを×=悪い・ダメ、というイメージを植えつけた何者か(権力者)の存在が見え隠れするかな? と思ったのですが…。
ちなみに、新型肺炎が家の周辺(大阪、天王寺)に上陸(台湾の医師)した時、私は本気で戸口に×マークを付けようと思ったのですよ。(*^_^*)

[4303] Re[4302]:  香具さん おみごと!   玄松子 2003/07/03(Thu) 06:57 [Reply]
>   われらはバカをいうたほうがいいんであります。
前には、
>  青草発言するぐらいなら。ナァ〜〜んも云わんほうがヨカとばい。
という発言もありましたね。

> 玄象師師ドン、尻切れ援助交際アガアガ。

援助ではありません。人の発言を強引に捻じ曲げて証拠とし、声高に自説を繰り返していたので、「証拠になっていない」と指摘させていただいただけです。

[4302]  香具さん おみごと!   生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/03(Thu) 05:35 [Reply]
> 『イタキソノカミ』からタキ(猛・武・建・威)を取れば『イソノカミ』だから???
> おあとがよろしいようで。<(__)>

★ 「目からウロコ」発想とはこのこと。ナチスのV-2はこういう発想から生まれた。
  われらはバカをいうたほうがいいんであります。
  ほかのひとがバカ言うたたびに常識という名のよごれゾーキンで拭い去ってはイケン。
  そのとき、そのときを真摯な気持で取組んでいれば、そのカキコミはアホクサでは
  ないのでアリマス。
  また、ほかのひとの常識はずれな発言を、キョロキョロと物拾いのように捜しまわる
  姿こそ尊いのでアリマス。 

[4301] 石上神宮御神宝公開のご案内  香具 2003/07/02(Wed) 21:58 [Reply]
 石上神宮・非公認の隠れ崇敬者、香具でございます。日頃は伊太祁曽大神様主祭の神奈備掲示板にもかかわらず、妄言の数々を書き込ませて頂き有難うございます。お世話になりついでに厚かましくありますが、お知らせをひとつ。

 奈良県天理市は布留の杜、『石上神宮』所蔵の御神宝公開のご案内です。平素は御神宝の拝観依頼がありましても原則として公開されないものです。今回は、奈良国立博物館の依頼により一般公開されることになったそうです。この特別の機会にぜひ拝観されることをお勧め致します。

  会場 : 奈良国立博物館 東新館

  会期 : 平成十六年  1月 4日 (日) より
        同  年  2月 8日 (日) まで
       ただし、月曜日休館、
           1月12日は開館、13日は休館。

 石上神宮の神庫に収められている御神宝には、国宝の七支刀を始め、古墳時代の鉄楯(重文)や足利尊氏奉納の兜を具した色々威腹巻(重文)、禁足地発掘時に出土した勾玉・管玉・環頭大刀の柄頭(重文)など、さまざまな宝物があります。展示品目の詳細はうかがっていませんが、たぶん上記の品々は出展されることと思います。
 論より証拠、百聞は一見にしかず、画像より生を。勾玉なんか大きいヨ〜!ふつうの博物館で常設展示されている勾玉より遥かに迫力があります。一度ご覧になられた方も、ぜひ再度の拝観はいかがですか。また違った発見があるかもしれません。

 なお、遠くから拝観にいらっしゃっる同好の方を迎えて、新年会を兼ねたオフなども計画したいものですね。時節柄、大混雑も予想されますが・・・(^^;
 以上、よろしくお願い申し上げます。

 なぜ、伊太祁曽様のところで石上のお知らせをするか?
『イタキソノカミ』からタキ(猛・武・建・威)を取れば『イソノカミ』だから???
 おあとがよろしいようで。<(__)>

[4300] RE: ○と×について  ヴェトナムの風 2003/07/02(Wed) 21:40 [Reply]
神奈備の皆さま お久しぶりです。
ロムでもたまには参加できそうな話題が見つかるものでして・・・・

サン・グリーンさんから
>>ある人に、×マークを見て「悪い」「間違い」というイメージを持つのは日本人
>>だけであると教えられました。(その場合、○は「正しい」という意味になります)

スキューバダイビングで、水中および水上でダイバーの使う国際標準サインがあるそうです。
詳しくは知りませんが、オーケーを表すOKサインは下のリンクにあるように、人差し指と親指で○を作る。または、遠くの人に知らせる場合は指の先をそろえて頭のてっぺんに当てて、より大きな○を作る。
「危険」を表すのも重要ですが、これは拳を握りしめて胸の前で両腕をクロスさせる。海賊船旗のドクロと骨のマークとそっくりです。こういう専門的なサインを、だんだん一般人も使うようになったのではないでしょうか?
ダイバーサインの由来については、わたくしは何も存じませんので悪しからず。

http://www.nwdivenews.com/MC/index.asp?showcol=Y&ID=64

[4299]  ゲェ あのワレメは‥‥  生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/02(Wed) 20:53 [Reply]
 あんなミミッチィもんじゃないヨ。

 どうみても、横巾 60M 高さ200Mぐらいの巨大な「タテ・ワレメ」で、
奥行きは最低100Mぐらいはあるのではないでしょうか?

 一種の地球の「真ん中」で、東西から強烈な引っ張りのチカラが加わったとしか
(われわれの頭では)考えられない。そういう怪奇現象を呈しているカイラ−ス山
なんです。

 2万年前、人類のほとんどがヒマラヤ南麓〜インド亜大陸に集結していて、共通
の文化(偏執)を共有していた……としか考えられません。

 現代文明がゴロ〜〜ッと忘れているのがカイラ−ス山周辺の偏執です。

 東西にはだかる(股広げる)巨岩(音韻対応)をどけてみた‥‥とにかくどけてみた。
 ら、宝の山が転がり出たんですじゃ。(『衝撃のネパール語』)ね。

 日本とか極東とか、朋友の匂いや肌のぬくもりは、郷愁を呼ぶと同時に錯覚も呼び込む。

[4298] Re[4296]:  小首をかしげて 聴いてちょ    神奈備 2003/07/02(Wed) 19:58 [Reply]
>  この板にもときどき書き込みしていたカタバミさんはH.Pにカイラ−ス山の
> 縦のワレメを掲出されたことがあります。いまでも見れるんじゃないかナ?

玄松子さんが、砥鹿神社境外末社岩戸神社をアップしてくれました。
http://www.genbu.net/data/mikawa/iwato_title.htm

> 一生の記念に“ヘンロ”なさいよ。
いいですね。国内もそこそこに世界に雄飛しますか。

[4297] Re[4295][4294][4293]: 眉にメンソール  港町の素浪人 2003/07/02(Wed) 18:22 [Reply]
 さっそくご紹介頂き有難うございます。とある書店のサイトで、彩流社刊、榎本出雲・近江雅和:著作の『古代は生きている』を検索してみたら・・・、

『書棚は、人文>東洋史>擬似歴史です。在庫僅少 1冊』

と出ました。\(^0^)/ダイバクショ〜!『擬似歴史』という分類棚があるんですネ〜!
 先日の新聞記事で、『語源俗解』という言葉があり、昔から色々な方々が楽しんできた分野であることを知りました。他人の楽しみを邪魔する気はありませんけどね。
 しかし、『擬似歴史』の方では、もっともらしく創作された見解が「事実」として、ひとり歩きを始めないように気をつけて読んでいきたいと思います。エンタテーメントと割りきれば別ですが。

[4296]  小首をかしげて 聴いてちょ    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/02(Wed) 15:33 [Reply]
 玄象師師ドン、尻切れ援助交際アガアガ。続きはのんびりしたときの73年後
あたりにまたたのまぁ。

> その後も「X」については新たな見解は全く出ていない(ドンどん)。
★ 新しい見解を出します。ただし、小首を45゜傾けてちょ。
 なにごとも、少なくともユーラシア大陸規模で、できるだけ古いとこで捕まえ
なならんと思います。

 ミツハのメというように、「神名用語・ヒメ」の古い形は「メ」だろうと思い
ます。そのメとはヒマラヤの堆積水成岩の横ワレメ。
 この板にもときどき書き込みしていたカタバミさんはH.Pにカイラ−ス山の
縦のワレメを掲出されたことがあります。いまでも見れるんじゃないかナ?
 山が縦に割れるとは!!! → 男女性器の縦ワレメ。
 
 ピラミッドはカイラ−ス山の山頂部に似せて形どられた。
 そのカイラ−ス山を南から拝めば、三角頭の下には、風葬の屍体が腐ってゆく
ときの目とかフクロウの目を想わせる「神の目」が出ている(雪型と堆積水成岩
のアヤで)。

 この縦と横のワレメの交差が神の印…… ╋ でしょう。
 クルド文化だろうと思えるのですが、古い遺跡出土品の箱には×状に板が張ら
れ、その中央に蛙(ヒク・ヒコ……神)が描かれています。ここでは ╋ が45°
傾いているのですが、これは松明や日かがみでの合図(腕の動作)に関係あるこ
とだとして理解できないでしょうか。

 先日から紹介している凡ア−リア系言語に*YAZ(神)があって、秋田には
暴れ神のデブヤスが語り継がれています。しかも「×印がヤスだ」と……。
デブヤスのデブだけでもネパールでは神です。
  
「悪い」の WAR は英語の bad(悪)と同根です(R の濁音は D )。
 沖縄では R が促音をおこして、形容詞末尾辞の -san を伴ってワッサンとい
います。これが薩摩ではヤッセンになります。「ワッ」を「ヤッ」に変えたのは
「わるさをする神」のデブヤス意識があったからでしょう。

 カイラ−ス山はインダスの源……ひと里をはなれて足で2週間あるいた地点に
あります。アンタも足があるなら一生の記念に“ヘンロ”なさいよ。

[4295] Re[4294][4293]: ホンマですか?  神奈備 2003/07/02(Wed) 14:03 [Reply]
サン・グリーンさん 港町の素浪人さん こんにちは。
> ×は、「物部氏」の印であったとも言われているとのこと・・・
 このお話しの出典を教えて下さい。


彩流社『古代は生きている』石灯籠と稲荷の謎 榎本出雲、近江雅和共著
にあります。それ以外には見たことはありません。
若干紹介いたします。眉に唾をつけてお読みくださいな。

p40
匈奴を表す「X印」
「X」印は五胡系部族、とくに匈奴・鮮卑系部族のシンボルマークに由来する。というのは、アラビア語のsamusa(サムサ)は「肩に掛ける二重の対角形のショール、またはハンカチ」という意味で、日本の「襷掛け」のことである。
(中略)
 「X印」が日本古代史に初めて登場してくるのは、出雲の銅剣である。(中略)最終的には358本という前代未聞の大量出土となった。(瀬藤注:荒神谷遺跡のこと。)(中略)
 358本の銅剣のうち40本以上の茎(なかご:木の柄に差し込む剣の根元の部分)に「X」の刻印がついていたことである。これについては意味不明と報道されていおり、その後も「X」については新たな見解は全く出ていない。
 この出雲の銅剣は武器というよりも、祭祀用のシンボルとしての剣であろう。となると、「X」は神を示していると考えられ、同時にその祭祀部族の系統を意味するマークだとしてよいのではないか。この地は原出雲系と物部系がいたところであるが、「X」が付いている各地の石灯籠はどうも物部系の神社に多いように見受けられる。物部すなわちホアカリ系が日本列島に渡来した経路を見れば、アラブとの文化と言葉を身に付けた鮮卑系の部族であることは前著に紹介した通りである。
 
p47
『見聞諸家紋』には物部氏の家紋として千木紋があげられている。
紹介は以上です。

神社の屋根の「置き千木」のような紋ですね。参照春日堂↓
http://www.kamnavi.net/as/yagyuenjo.htm

[4294] Re[4293]: ホンマですか?  港町の素浪人 2003/07/02(Wed) 10:13 [Reply]
> ある人に、×マークを見て「悪い」「間違い」というイメージを持つのは日本人だけであると教えられました。(その場合、○は「正しい」という意味になります)

 一般的かどうかは判りませんが、神戸の国際学校(複数あります)で経験したことですが。テストの採点のとき、正解には『V』チェックマークがあって、誤答には『X』が記されていました。正しいという意味での『○』マークのほうが無かったのです。
 日本では『V』は、撥ねられた意味で間違いを表しますよね。他国ではチェック済み(オーケイ)という意味だそうですが、戻ってき答案を見てなんだか複雑な心境になったことがあります。(^^;
 Xマークについても他国の状況を知りませんが、国内の外人さん達は両腕をクロスしてXマークを作り『ノォーッ!』とよくジェスチャーしています。ホントに『×マークを見て「悪い」「間違い」というイメージを持つのは日本人だけである』のか少し疑問に思えますので、海外経験者の方のご感想をうかがいたいですね。

> ×は、「物部氏」の印であったとも言われているとのこと・・・

 このお話しの出典を教えて下さい。興味あるところです。ヒレの上部にXマークのある銅鐸がありましたね。
 私自身は、Xマークには「悪い」というより「封ずる」ようなイメージがあったような印象なのですが・・・伝奇小説→青草タイプですね。

[4293] ○と×について  サン・グリーン [Url] 2003/07/02(Wed) 09:31 [Reply]
唐突な質問ですみません。

ある人に、×マークを見て「悪い」「間違い」というイメージを持つのは日本人だけであると教えられました。(その場合、○は「正しい」という意味になります)

また、×は、「物部氏」の印であったとも言われているとのことなのですが、
○と×について、なにかご存知のことがあれば教えて頂きたいのです。
よろしくお願いいたします。

[4292] Re[4291]:  ドンドン パッパ ドンガバチョ    玄松子 2003/07/01(Tue) 11:38 [Reply]
>  で……? どういうのがありますか? 
>  ガバチョと出して見せてくれへまへんか?

たくさんあって、どれを出してよいかわかりません。
また、出したものについて、ひとつひとつ「それは和音読みではない」とか「人物名である」とか「新しい」などと批判され条件をつけられても、忙しいので対応できませんから。

[4291]  ドンドン パッパ ドンガバチョ    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/01(Tue) 10:58 [Reply]
 玄象師師ドン、やっとかめナモ。
 そうでしたか、「ン」ならナンボでもあるとですか! ほな、オレの認識不足だ。

 で……? どういうのがありますか? 
 ガバチョと出して見せてくれへまへんか? または平成 C D とやらの開けて、読みかた
お教えたもれ。
 ついでに言うておきますが、オレ、数字オンチでもあります。

[4290] Re[4283]:  勝利だ カンパァ〜〜イ    玄松子 2003/07/01(Tue) 08:42 [Reply]
> > ドンがついている神は上記のみが『平成CD』から出てきます。
> ★ 「ドン」ではなく「ン」の一音です。
>
>  いまの時点では和語読みで「ン」がつく神名はゼロだと言っていいみたいです。
>  ヤッタァ〜 ブラボー!! 

瀬藤さんが書いているのは「ドン」についてです。「ン」が無いとは書かれていません。
単に「ン」で検索すると、「多過ぎます」というメッセージが出てしまうからです。

[4289] タジク人のたたずまい    生田淳一郎 [Mail] [Url] 2003/07/01(Tue) 07:46 [Reply]
 一学生さん、おれには特攻精神が入っていますのでアマカネね。怖いといえ
ばこわい。やさしいと思えば‥‥てめぇの命まで捨てて護ってくれるやさしさ
いっぱいよ。ま、キヤイがかかっちょるとです。

 多大の書き出し、お手数を煩わせました、有り難うございます。
 おっしゃってる「シナ、朝鮮の神」は、われわれが接する日本の神とは基本
的なところで大きく違っているとの印象をうけました。
 シナ朝鮮の神は神授に裏打ちされて、具体的に生きていた英雄(王を含め
て)、日本の神には火(ムスヒ)や水(ミツハ……いのち)などという語彙に
よって抽象的精神性を謳いあげたところの“いよいよの神”を感じます。

 ミトコンドリア解析によるバイカル湖南部との類似を割り出した分析はサン
プル抽出がメチャクチャです。あれじゃ「日本人」が哭きまさぁ。
 詳しくは http://www.you-i.org/treebbs/1/index.html (『神奈備エコー』)で。

 でもウンジュ(沖縄;貴女様)は決めつけが多いようですぜ。人間の個人を
対立関係に置かないと気が済まんのかなぁ。必要だと思ったので、おれはタク
ゼリまわってると、わざわざ書いたのでした。

 いわゆる五十音の一つひとつは「ン」を伴うことができますよね。ア・イ・
ウ・エ・オ はそれぞれ「安・員・運・炎・音」になれるが如し。
 そうすると古代人といえども暮らしのなかで N を必要としていて「ン」を
喋っていたのですから、神名に「ン」が必要なら、ひとつぐらいは「○ン」の
造語による神名が残っているはず。「神名にはンを遣ってはならない、遣った
ら政府の交付金(援助交際)はやらんぞ」という方針があったと看るべきでは
ないでしょうか?
 「ひとつの神さまが三種に言いわけられたこと」なども、ここを考えるうえ
で重要な資料でもありましょう。
 撥音だけでない、促音、長音、拗音もはねのけられていますのでアマカネ。

 万葉集は「まねしハあつめ」と発音されていたこともあるのだろうか?
 「上(↑)のハ」はネパール語 bha(ことば)かと‥‥。

 日本の神にはタジク人(アイヌではオタシュツ氏族)の佇まいが大きく影響
してると思います。


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