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掲示板のログ(平成十六年 八月)お名前の敬称は省略しています。

[5602] Re[5601][5600][5596]: ムナキ  神奈備 2004/08/31(Tue) 20:27 [Reply]
鰻を祭神とする神社があったのでしょうか。
かって、農機具の鋤を祭ったと書いたとたんに反論を食らった記憶があるのですが、鰻はどうでしょうか。
神餞としての鰻はあるようですね。

魚類を祭った神社例
鮭  神奈川県座間市の諏訪神社摂社鮭神社「鮭」
鯉鮒 群馬県安中市野殿 白山比盗_社「池鯉鮒命」
鯨  東京都品川区品川 利田神社内鯨塚「鯨」
鮑、鮎は見つかりません。
 上記神社については創建の時期、由緒は不明。これから鰻を祭る神社があっても不思議ではありません。それが宇奈岐日女神社では出来過ぎているような。

余談
柳川と云う店で泥鰌鍋を出したので、泥鰌をそう呼ぶようになったそうです。戦争前のことですが、泥鰌の豊富な阿波の田舎では泥鰌を食べることを卑しむ風習があったそうです。それだけ鰻も豊富だったのでしょう。鰻をマムシと呼ぶのは全国的かな。

[5601] Re[5600][5596]: ムナキ  玄松子 2004/08/31(Tue) 19:22 [Reply]
> 万葉以前ではどうだったのかなあ。
> 例えば、ウナキ(弥生)→ムナキ(万葉、大伴家持)→ウナギ(現代)に戻る可能性はないか。
> 地域性はどうか、大伴家持の表現が一般だったとは限らないのではないか、そのあたりです。

「可能性」という観点からすれば、ムナキとウナキの間で音が揺れることも、ありでしょう。
あるいは、ナムキ→ムナキだったかも。


> 弥生まで遡るとすると記録のない時代になるので、記録以外で推測するしかないのでやっかい。

そういうことです。
記録に無い事物は、他の傍証で補うか、青草に留めるか。

ただ、全ての古文書を検証したわけではありません(する気も、今のところありません)が、
10世紀(延喜式の頃)に、「ウナキ」と表記した文書がなければ、
宇奈岐日女=鰻姫と見ることが出来ない「可能性」の方が高いのではないでしょうか。

[5600] Re[5596]: ムナキ  かたばみ [Mail] [Url] 2004/08/31(Tue) 19:06 [Reply]

≫ムナキ→ウナギ(ウナキ)となったのは12世紀頃と思われます。

万葉以前ではどうだったのかなあ。
例えば、ウナキ(弥生)→ムナキ(万葉、大伴家持)→ウナギ(現代)に戻る可能性はないか。
地域性はどうか、大伴家持の表現が一般だったとは限らないのではないか、そのあたりです。

続日本紀文武2年(698)に筑前国「宗形」がありますが、ムナカタは以後変化していないとみえます。
地名として公式に記載されたのでそれ以上の変化が止まったのではないかなあ。

弥生まで遡るとすると記録のない時代になるので、記録以外で推測するしかないのでやっかい。


蛇足(^^;
≫宇奈岐日女神社

これがウナギである可能性、興味深いです。
木の実はでんぷんたっぷりですが蛋白質などが少ないので補助食品が必須。
http://forester.uf.a.u-tokyo.ac.jp/~ishiken/japanese/masting/AcnNtCmp.html
(縄文ではトチの実が大半)

米、大豆、麦、粟には蛋白質が多く含まれるために、農耕の発達とともに魚や肉の必要性が減ってゆく。
パンと水だけでもOK(^^;
農耕可能な地域、米などを食べられる地域や人々は限られているわけで、湯布院のごとき山間部では木の実が近世まで主要な食糧であった可能性が高く、併せて魚も重要だったと思われます。

縄文時代/小山修三によると、採集による食事で一家5人が栄養バランスを保って1年を暮らすには、例えば
クリ、トチ、ナラの木の実が860升
クズかワラビ40升
ウグイなど魚2000匹
猪か鹿1〜2頭
山鳥5〜6羽
その他キノコなど若干

といった組み合わせなのだそうです。
この場合だと魚を毎日ひとり1匹食べていることになります。
うーん、いかにも健康食(^^;

50人の集団なら猪は1週間に1、2頭捕ればいいですが、魚は1日で50匹捕らないと。
魚が捕れる環境に対する注目度は相当に高かったことが想像でき、ウナギが神様になってもおかしくないと思うのです。


[5599] お知らせ  神奈備 2004/08/30(Mon) 22:28 [Reply]
2004年9月2日 夜9時15分放送予定のNHK総合テレビ『難問解決!ご近所の底力』で貴志川線の廃線問題が取り上げられるようです。
http://www.jtw.zaq.ne.jp/kishigawa/about.htm

神奈備の出発点でもありました。
http://www.kamnavi.net/ki/kisigawa.htm

[5598] Re[5597][5596]: ムナキ  玄松子 2004/08/30(Mon) 20:50 [Reply]
> 出典を探しましたが見つからず、とりあえずこの部分は消しました。この部分は無駄な蛇足でした。(>_<)

『式内社調査報告』に載ってませんか?
『日本の神々』にも、同様に、中野幡能氏の説として載ってますよ。
氏による通説となっているのでしょう。

「うなぎ12世紀説」が立証できれば、通説打破となるのでしょうか。面白い。

[5597] Re[5596]: ムナキ  神奈備 2004/08/30(Mon) 20:40 [Reply]
> 玄> 蛇足(蛇足は書くなと云われたけど)

蛇足こそ、掲示板冥利。
> http://www.kamnavi.net/en/bungo.htm
> 豊後国 宇奈岐日女神社の説明
> 「由布盆地は沼地で[ウナギ]を精霊として祀ったのが始めであろう。」
> というのは時間的に無理があるかもしれません。
> うなぎに関係のない、ウナキという言葉が存在していたのでしょう。

出典を探しましたが見つからず、とりあえずこの部分は消しました。この部分は無駄な蛇足でした。(>_<)

[5596] ムナキ  玄松子 2004/08/30(Mon) 19:23 [Reply]
ちょっと寄り道。

玄> 蛇足(蛇足は書くなと云われたけど)
玄> 「うなぎ」の古語は、「ムナキ」らしい。

http://www.e-kojimaya.co.jp/unagi100/main.html
引用:
『古代ムナキ』と言う呼び方から始まって『ムナギ』→『ウナキ』→『ウナギ』と転じた。

ここに記載されているウナギの変化を見ると、ムナキ→ウナギ(ウナキ)となったのは12世紀頃と思われます。
上記サイト引用:
牟奈岐 本草和名(918)
無奈木 和名類聚抄(931-938)
ウナギ 色葉字類抄(1140-1180)
ムナギ、ウナギ 類聚名義抄(1241)

だとすると、
http://www.kamnavi.net/en/bungo.htm
豊後国 宇奈岐日女神社の説明
「由布盆地は沼地で[ウナギ]を精霊として祀ったのが始めであろう。」
というのは時間的に無理があるかもしれません。
うなぎに関係のない、ウナキという言葉が存在していたのでしょう。

[5595] Re[5593]: 補足  かたばみ [Mail] [Url] 2004/08/30(Mon) 18:25 [Reply]

≫でも、生贄って・・・ヤマタノオロチの話もそうですよね。

人を生け贄とする感覚は世界的に共通項じゃないかと思ってます。
ヨーロッパの先住者ケルトもそうですね(ドルイド僧→キリスト教が徹底弾圧)。

自分にとって最も大事な物を捧げることが最も効果があると感じていたからであり、人間中心ではない考え方が根底にあったからだとみています。

ウナギと宗像の話、青草にコメントいれときます。


[5594] Re[5591]: ムナ  神奈備 2004/08/30(Mon) 17:20 [Reply]
『日本書紀』神代上 誓約の段 一書(第三)
日神は生まれた三柱の女神(宗像三女神)を葦原中国の宇佐嶋に降らせられた。

この宇佐嶋とはどこか、宇佐神宮の辺りかな、と漠然と解釈して、宇佐の比賣神とは宗像三女神のことなどの理解があります。

それにしては「葦原中国」とは、一体どこのことでしょうか。天孫降臨が九州で行われたようですので、これは九州でいいのでしょう。

宇佐神宮の鎮座地付近を「嶋」と表現するのは場違いの感じです。

大国主に国譲りをせまった舞台は『古事記』では伊耶佐(いざさ)の浜、また注では別に伊那佐(いなさ)の小濱との伝もあるようです。多分、「サ」と「ナ」とは相通じる発音だったのでしょう。

そうしますと、「ウサ」は「ウナ」に通じる訳で、それが「ムナ」にまで行けば、何のことはなく、宗像三女神は九州の宗(像)の島に降りたと言うことで、実に当たり前のこと。
また今、海北道中に居るとは壱岐対馬をいうのでしょう。

大三元さん
http://www.dai3gen.net/izmname2.htm
出雲の国譲りは「伊那佐の小濱」(記)にて。紀では「五十田狭」(いたさ)に作る。風土記出雲郡では「伊奈佐社」がある。「タ・ナ・ラ」相通ずる、の一根拠。 以上
これを応用すれば
ウナ、ウサ、ウラは浦で水辺か、ウタ?
ムナ、ムサ、ムラは邑?、ムタ?
さてさて、良くわからない所です。

[5593] 補足  YUUKO [Url] 2004/08/30(Mon) 04:05 [Reply]
・菟足神社の現住所は小坂井町宮脇ですが、創建時は、小坂井町平井の柏木浜に鎮座されていたそうです。柏木浜は菟上足尼が上陸した場所でしょうか?

・菟足神社は、人身御供で有名です。村の女の子とか、時には旅の女の子を神に捧げたそうです。菟足神社の南側の東海道に「子だが橋」の碑があります。今年の人身御供を誰にしようか迷って、「次にこの橋を通る子にしよう」と決めたら、それが自分の娘だったそうです。「自分の『子だが』しかたない」と神に捧げたそうです。

・生贄神事は、中国から伝わったもので、「これこそ徐福がこの地にやって来た証拠だ」と言います。でも、生贄って・・・ヤマタノオロチの話もそうですよね。

・国司の大江定基は、この残酷な生贄神事を見て出家したそうですが、愛妾力寿姫を失い、世の無常を感じて出家したという話の方が有名です。
ttp://www.toyokawa-aic.ed.jp/hirao-e/country/furusato/mukasi01.htm

・もちろん、現在は人身御供は行われていません。女の子→猪→雀。白雀は田の神だと言いますが、見たことないです。

[5592] 雑感  YUUKO [Url] 2004/08/30(Mon) 03:43 [Reply]
【菟足神社】
・三河の菟足神社は、小坂井台地の端にあるのですが、「小坂井」の語源は、その台地の端の崖の至る所から水が湧き出ていることだそうです。菟足(うたり)は「雨垂」であって、じめじめした土地の意味だと思います。
・神紋が白兎、近くに蒲郡があり、祭神が菟上足尼(出雲族)であることから、因幡の白兎を連想させられます。
・祭神が菟上足尼命の神社が菟足神社、創建時から明治まで代々の宮司が草鹿砥氏の神社が砥鹿神社。

【川の近くにウナの付く神社】
・ウナと付く神社の近くに川があるのではなくて、神社は川の近くに建てられるものではないでしょうか? 禊のために。人形を流したり・・・。
・『倭姫命世記』には、元伊勢は尾張までになっていますが、その東の三河や、さらに東の遠江にも倭姫がやってきた伝承が残っています。遠江のある場所は倭姫に「素晴らしい! 神宮にふさわしい場所。でも、近くに綺麗な川がないからダメ」と断られたそうです。

【鰻】
・鰻の古語は「武奈伎(むなぎ)」ですね。これは胸が黄色いからです。
・養殖の鰻は黄色くないのですが、養殖の時、えさを天然の鰻が食べてるものに近いものにしたら、黄色くなったそうです。
ttp://www.h4.dion.ne.jp/~h1414235/unagigakusyu/tennengakusyu.htmのQ3「一目瞭然っ!! 天然うなぎの色!」参照
・『万葉集』「石麿にわれ物申す夏痩せに 良しと云う物ぞ武奈伎(むなぎ)とりめせ」(巻16-3853)、「痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた 武奈伎を取ると川に流るな」(巻16-3854)
・宗像=胸形で、胸に刺青をしてた一族(海人族)の意とする説がありますね。
ttp://homepage2.nifty.com/amanokuni/munakata.htm

[5591] ムナ  玄松子 2004/08/30(Mon) 00:13 [Reply]
> すべてのウナが河川敷なんてことは、ありえない。
> しかし、これだけ付合するならば、可能性は大。

福島:
宇奈多理神社 福島県大沼郡金山町大字大塩字要害5265 只見川
宇奈太理神社 福島県南会津郡伊南村大字白沢1288 伊南川
群馬:
宇那根神社 群馬県邑楽郡板倉町大高島1416 利根川
富山:
宇奈月神社 富山県下新川郡宇奈月町593 黒部川

他にも、いくつか、ウナの付く神社が川の側にあるようです。


> 古代語の生き残りが見つかったか!!

でも、川の側は集落の多い場所ですから、神社が鎮座する確率も高い。
幾つかの神社が、川側(際)にあるだけでは、むずかしい。

ただ、ウナの付く社名が全国に分布する点に、なにか共通する背景があるのではないか、という観点は重要で、おもしろいですね。


蛇足(蛇足は書くなと云われたけど)
「うなぎ」の古語は、「ムナキ」らしい。
「うな=むな」なら、宗像は、ウナカタ(水際の辺り?)へ変化する可能性を持っていた社と言えないか。
宗像は水の道主。祭神は川や池の神ではなかったか。

[5590] Re[5589][5588]: ウナとは  ペギラ 2004/08/29(Sun) 23:23 [Reply]
すべてのウナが河川敷なんてことは、ありえない。

しかし、これだけ付合するならば、可能性は大。

古代語の生き残りが見つかったか!!

[5589] Re[5588]: ウナとは  神奈備 2004/08/29(Sun) 18:13 [Reply]
ウナ  海原のウナか? 水に関係するのかも知れない。

宇奈岐日女神社
http://www.genbu.net/data/bungo/unaguhime_title.htm
川際ではなさそう。

宇那木神社
http://www.yagi-e.edu.city.hiroshima.jp/yousui-4.htm
川際

菟上耳利神社
http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuji/unakami.html
川には距離がある

陸奥(岩代)国 安積郡 宇奈己呂和気神社
http://www.genbu.net/data/mutu/unakoro_title.htm
川の洲

[5588] Re[5587][5586]: ウナ 電的返  玄松子 2004/08/29(Sun) 16:14 [Reply]
> で、若狭国遠敷郡の式内社を順に見ていきますと、椎村神社、久須夜神社を除けば、記載されている12社の内の2社以外は川の側(1km以内)に鎮座とは言えないでしょうか。


確かに、川のそば、山の麓に神社は多いですが、ここに挙げたウナ関連社は、「そば」というより、川の際(きわ)というイメージです。

ただし、宇奈太理坐高御魂神社や菟足神社では、際よりは、すこし遠いかもしれません。
都市部や河口部にあるので、遷座あるいは川の流れの変化という御都合主義の言い訳付きです。

ウナグシ→ウナの岸、ウナタリ→ウナにてあり。
ここまで書くと青草へ移動すべきか。

[5587] Re[5586]: ウナ 電的返  神奈備 2004/08/29(Sun) 15:59 [Reply]
面白いですが、疑問もあり。

宇奈太理坐高御魂神社
http://www.genbu.net/data/yamato/unatari_title.htm

宇奈爲神社
http://www.genbu.net/data/awa2/unai_title.htm

菟足神社
http://www.genbu.net/data/mikawa/utari_title.htm

宇奈具志神社
金峯神社
http://www.genbu.net/data/etigo/kanamine_title.htm
宇奈具志神社
http://www.genbu.net/data/etigo/unagusi2_title.htm

掲示板ログから地図にジャンプできるようにしました。また『玄松子の記憶』の威力、ここにありです。

で、若狭国遠敷郡の式内社を順に見ていきますと、椎村神社、久須夜神社を除けば、記載されている12社の内の2社以外は川の側(1km以内)に鎮座とは言えないでしょうか。

紀伊国名草郡でもそのような気がせんではありません。

[5586] ウナ  玄松子 2004/08/29(Sun) 15:16 [Reply]
地図を加筆。

> 越後国古志郡 宇奈具志神社
金峯神社は、信濃川のそば、
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=138/51/13.315&scl=70000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=37/27/48.767&size=500,500

宇奈具志神社は、島崎川のそば。
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=138/46/19.504&scl=70000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=37/34/43.274&size=500,500

> 阿波國那賀郡 宇奈爲神社
坂州木頭川のそば。
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=134/18/23.473&scl=250000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=33/48/43.577&size=500,500

> 參河國寶飫郡 菟足神社
豊川のそば。
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=250000&el=137%2F22%2F07.944&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F47%2F39.155

> 大和国添上郡 宇奈太理坐高御魂神社
佐保川のそば。
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=70000&el=135%2F48%2F15.636&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F41%2F12.075


ついでに、大和の宇奈堤(ウナテ)の社・川俣神社は、曽我川のそば。
http://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=70000&el=135%2F46%2F37.323&pnf=1&size=500%2C500&nl=34%2F29%2F55.800

偶然かもしれませんが。川の湾曲部、あるいは州浜地と見ることもできるよウナ。

[5585] Re[5584][5583][5582][5581]: 菟足神  ペギラ 2004/08/29(Sun) 15:04 [Reply]
> 川・河に関係ないだろうか、と思う位置にあるような。
> http://www.dai3gen.net/una.htm

へえ〜(^^;)
河の砂州の土地ってことか?

意外な出会いでびっくり!

[5584] Re[5583][5582][5581]: 菟足神  玄松子 2004/08/29(Sun) 13:47 [Reply]
入力中にエンターキーを押してしまいましたので、つづき。

> ついでに、大和の宇奈堤(ウナテ)の社・川俣神社は、曽我
曽我川のそば。

川・河に関係ないだろうか、と思う位置にあるような。

[5583] Re[5582][5581]: 菟足神  玄松子 2004/08/29(Sun) 13:45 [Reply]
> うな**神社
>
> 越後国古志郡 宇奈具志神社
金峯神社は、信濃川のそば、宇奈具志神社は、島崎川のそば。

> 阿波國那賀郡 宇奈爲神社
坂州木頭川のそば。

> 參河國寶飫郡 菟足神社
豊川のそば。

> 大和国添上郡 宇奈太理坐高御魂神社
佐保川のそば。


ついでに、大和の宇奈堤(ウナテ)の社・川俣神社は、曽我
>
> 共通したものがないかなと探して見ましたが、部分的に出雲、熊野などが見え隠れする程度。
> そう言えば
> http://www.dai3gen.net/una.htm
> にも、きちっと神社ははずしていますね。
>

[5582] Re[5581]: 菟足神  神奈備 2004/08/29(Sun) 13:19 [Reply]
うな**神社

越後国古志郡 宇奈具志神社
阿波國那賀郡 宇奈爲神社
參河國寶飫郡 菟足神社
大和国添上郡 宇奈太理坐高御魂神社

共通したものがないかなと探して見ましたが、部分的に出雲、熊野などが見え隠れする程度。
そう言えば
http://www.dai3gen.net/una.htm
にも、きちっと神社ははずしていますね。

[5581] 菟足神  ペギラ 2004/08/28(Sat) 16:53 [Reply]
大和で神封があるのに、大和での神階が見えない。
名前が違うのか?

これかな。
『日本三代実録』貞観元年4月10日乙未条 (859)
授法華寺
従三位薦枕高御産栖日神正三位。
正四位上火雷神従三位。
従四位下法華寺坐神従四位上。

菟足神→法華寺坐→宇奈太理坐高御魂神社

200年ぐらいで変わっているんでしょうね。

神階記事としては、三河に菟足神がある。
三河宝飯郡 菟足神 従五位下 (小坂井町)
http://www.genbu.net/data/mikawa/utari_title.htm

この2つの神様、関係あるのかな?_

[5580] Re[5579][5575]: 葛野打下神  神奈備 2004/08/28(Sat) 11:18 [Reply]
『宗像大菩薩御縁起』(田中卓『住吉大社史』から)
宗大臣が捧げ来り、赤白二流の旗を付け、振り下げ、振り上げして敵を翻弄し云々
これから、振られる旗は宗像神の物根(モノザネ)とされる。

 そうすると「打下」は「振下」と同じ意味であろうから、宗像の神、松尾三社の内の櫟谷神社に比定するのが合理的。

[5579] Re[5575]: 葛野打下神  神奈備 2004/08/26(Thu) 20:30 [Reply]
> 葛野うつした神!!どう。どう。(爆)
だーした。
壱岐から遷したんだから、youは天才だ!! 

> 長谷山口 長谷山口神社
山口の神は「山口」がつくのだろうね。
忍坂を忍坂山口坐神社とするのは無理筋。
地名優先に見えますが、生根とは忍坂坐生根神社とせざるをえないでしょう。
そうすると、忍坂とは。

『日本の神々』多神社の項に天平二年度租稲一覧表に同じように城上郡の神社が並んでいますが、忍坂はお手上げのようですね。

行けば判ると言うものではありませんが、忍坂で川向こうの西側に小さいながらの古そうな小祠を見かけた記憶があります。
涼しくなったらまた行って見ましょう。

[5578] Re[5572]: [5554] 人口密度  かたばみ [Mail] [Url] 2004/08/26(Thu) 19:24 [Reply]

≫どのように測定し、何を食べていたんだろう

300人/平方キロ・・あたたっ・・訂正です。
300人/100平方キロの誤りです(^^;
(しょっちゅうやってますが、ご指摘、謝)

民族学の小山修三氏の住居遺跡などの状況からの算定で、データの一部が以下にあります。
http://members.at.infoseek.co.jp/Accord/BIGLOBE/KOYAMA/nip18766.htm

HPでは5章の最後のほうで類似を書いています(こっちは単位OK・・ほっ)。
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/kk05.html


持論になりますが落葉樹の方が常緑樹より木の実が多いのは、冬に枯れてしまう危険が多いので種をより多くばらまいておくからだと考えています。
動物(人間)も喜ぶ→人口増大。

落葉すれば積雪でも枝が折れにくいはずで、そういう環境に順応した木じゃないかと考えています。
うんと寒冷だと雪は乾いた粉雪になって風に吹き飛ばされるから常緑でもOK。

縄文当初の九州では低地でも落葉広葉樹があったそうで、ここから縄文がスタートする。
温暖化と日本海による多雪化によってその地域は北上し、縄文も北上する。
しかし温暖化がさらに進むと西日本では植生が常緑樹(照葉樹)に変化し、西日本の縄文人口は減少していった。
希有の環境とその変化、そこに縄文文化があるとみえます。


失礼して裏の青草に続く余談

「食の考古学/佐原真」に、本土の人々は動物の内蔵や血を食べるのは不得手である、ただし山の民、狩人、マタギといった人々は血を飲み内蔵を使った占いもやる・・などとあります。
また、柳田国男の「握り飯を三角に握るのは心臓をかたどったものではないか」という面白い着想が紹介されています。

中国では内蔵食はあたりまえどころかそちらの方が高級食材でもあります。
このあたり中国文化の影響大のはずなのに、肉では違う流れになっている理由が縄文にあると考えています。
魚についても面白そうなことがありそう。

まず列島?すべてに肉「カ」あり(^^;(旧石器時代)
ついで西から落葉樹化とともに穀物「ケ」に比重が移りそれが東進(北進)し東日本で人口激増(縄文初期〜中期)。
ついで西日本では常緑樹化で人口が減少し、西の縄文は全体に影が薄くなった。

縄文末期、寒冷化で植生変化、東日本の縄文人口は減少。
(東北はさほど減っていない、もともと半寒冷で影響が少なかった)
縄文末期〜弥生にはいって渡来農耕とともに西から「ケ」の復活と人口激増がはじまり、中国系肉食文化も渡来して「シシ」が登場した。

そんな流れを想定しています。
再度下図(ちょっと修正)
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/e_asia01.png


[5577] Re[5574][5570][5569]: おはようございます  神奈備 2004/08/26(Thu) 11:41 [Reply]
> > 任益神 一戸 参河国
> これって、十戸じゃないですか??

謝。
任益神 十戸 参河国
でした。

[5576] Re[5575]: 葛野打下神  ペギラ 2004/08/26(Thu) 11:26 [Reply]

> 文徳実録斉衡三年

すいません。m(__)m
斉衡三年というのが865年なので、
大同元年・806年の時点では、まだ移していない可能性の方が大です。

爆笑ネタとして、見てやってくださいね。

[5575] 葛野打下神  ペギラ 2004/08/26(Thu) 11:20 [Reply]
謎を追いかけて、行き詰まりついに爆発してしまいました。(笑)

葛野打下神
文徳実録斉衡三年条には、水害をさけて葛野可浜から、松尾南山へうつした

葛野うつした神!!どう。どう。(爆)

となると占部神はどうなるか。
樺井月読神でも良いのかな。なんて。(^^;)

[5574] Re[5570][5569]: おはようございます  ペギラ 2004/08/26(Thu) 11:03 [Reply]
> 任益神 一戸 参河国
>
神奈備さん、
これって、十戸じゃないですか??

[5573] Re[5568][5567]: 忍坂神  ペギラ 2004/08/26(Thu) 10:59 [Reply]
> ここでは忍坂神とは忍坂山口坐神社
> 生根神とは大和では忍坂坐生根神社、摂津にもある。
> 忍坂神は小坂神は但馬にあるが、伊勢は不明。火明命を祀る神社の一つかも。

となりますと、三段腹、いや三段跳びか?
こんなストーリー。

本家・・摂津生根神
分家・・忍坂生根神
というスタイルで、摂津生根神を祭祀する一族が
忍坂に移り住み、その一枝が出世した。

忍坂(大和)朝来(但馬)不明(伊勢)に神封を得て、
本家攝津生根神に大和の神封を寄付。
分家は、但馬と伊勢の神封を持つ。

(摂津)生根神・・大和国 一戸
忍坂(生根)神・・但馬 二戸・伊勢 一戸

これが新抄格勅符抄の姿か???

これらを繋ぐ、何かがあればすっきりするんですが。(^^;)


[5572] [5554] かたばみ さん。  神奈備 2004/08/26(Thu) 08:32 [Reply]
[5554] かたばみ さん 曰わく。。

> 中部山岳では人口密度が300人/平方キロといった驚異的状況が生じています。

長野県の伊那市や岡山県の総社市、石川県の小松市と同等ですね。
最近は山岳部も市内になっているので、平地だけを見ては想像できませんが、凄いものですね。
どのように測定し、何を食べていたんだろう。

[5571] [5531] 玄松子 さん  神奈備 2004/08/26(Thu) 08:31 [Reply]
[5531] 玄松子 さん
> 記紀等に記述された「神名」が、個々の「神々の固有の本名ではない」ということは、普通の考えではないのですか?

高良大社に伝わる『高良玉垂れ宮縁起』(寛永十九年の写本)
田中卓著『住吉大社史』では、鎌倉〜室町の撰述と推測。

これに「高良を以て藤大臣と号す−御実名はこれ秘なり−」とあります。
普通の考えだから、上記のように記れたのか、御実名は秘とわざわざ記している所を見ますと、意外と本名も流通していたのだろうか。
とも思えますね。

[5570] Re[5569]: おはようございます  神奈備 2004/08/26(Thu) 07:52 [Reply]
YUUKOさん おはようございます。

平安時代の初期(806)に神社寺院に与えられた戸数を記した『新抄格勅符抄』に

任益神 一戸 参河国

と言う神社があります。
一体どの神社のことでしょうかね。
http://www.kamnavi.net/sumiyosi/sinshou2.htm

[5569] おはようございます  YUUKO [Url] 2004/08/26(Thu) 07:17 [Reply]
三河と遠州の式内社をまとめてみました。
研究対象区域外についてはよく分かりませんが。

http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/shikidai.htm

[5568] Re[5567]: 忍坂神  神奈備 2004/08/25(Wed) 20:28 [Reply]
酒見神、燈台下暗しですね。ありがとうございます。

城上郡

『正倉院文書』
大和国正税帳     延喜式神名帳

大神         大神大物主神社
巻向         卷向坐若御魂神社
穴師         穴師坐兵主神社
長谷山口       長谷山口神社
志癸御県       志貴御縣坐神社
忍坂         忍坂山口坐神社
他田         他田坐天照御魂神社
生根         忍坂坐生根神社
佐為         狹井坐大神荒御魂神社

ここでは忍坂神とは忍坂山口坐神社
生根神とは大和では忍坂坐生根神社、摂津にもある。
忍坂神は小坂神は但馬にあるが、伊勢は不明。火明命を祀る神社の一つかも。

[5567] 忍坂神  ペギラ 2004/08/25(Wed) 19:15 [Reply]
『正倉院文書』正集29・天平9年但馬国正税帳 (737)
朝来郡押坂神戸租代?九束九把

但馬の二戸のことでしょう。

http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/kindex2.php?J_ID=380102

意味がわからなくなるのは、
『正倉院文書』正集10・天平2年12月20日大和国正税帳 (730)

忍坂神戸穀捌斗壱升〈耗一升五合〉定?斗玖升伍合
生根神戸穀玖斛伍斗伍升〈耗一斗九升 斛別二升〉定玖斛參斗陸升替

http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/kindex2.php?J_ID=22825

忍坂神と生根神は別物だということ。
一体どういうことなのか??


[5566] 酒見神  ペギラ 2004/08/25(Wed) 18:10 [Reply]
http://www.kamnavi.net/sumiyosi/index.htm
住吉大明神大社神代記にも載ってますね。

>播磨國賀茂郡住吉酒見社三前 戸三烟


[5565] Re[5563][5559]: かも いせ  神奈備 2004/08/25(Wed) 15:42 [Reply]
黒田さん こんにちは。
「日(ひな)族」・・このような氏族がいたんでしょうかね?
良くわかりませんが、自分の氏名から調べにかかり、HPを発信されているページがあるんですね。個人のサイトの姿ですね。
その中の熊野大社のHP
http://www.kumanotaisha.or.jp/top.htm
では他のページに行けません。
http://www.kumanotaisha.or.jp/
ですね。
「日(ひな)族」サイト
天武天皇の頃の熊野大社の祭神ですが、素盞嗚尊であったと言う論拠がいりそうですね。
熊野については
http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/thread.cgi?user_id=ZVF02050
ペギラさんの掲示板を参照下さい。

鷄の扁につくりが隹 音はケイですね。  

[5564] Re[5563][5559]: かも いせ  黒田 2004/08/25(Wed) 13:45 [Reply]

鷄・・・は、間違いで、つくりが、隹 でした。すみません!!

[5563] Re[5559]: かも いせ  黒田 2004/08/25(Wed) 13:25 [Reply]
こんにちは。
一昨日、
「日本中央」と「日(ひな)族」についての考察
http://www.toshikozo.co.jp/kousatu/nihontyuuoutoninazoku.htm

全国の「ひな」の調査・研究の呼びかけ
http://www.toshikozo.co.jp/kousatu/yobikake.htm

という、文章を読んだばかりでしたので、『かも いせ』文中、“より便利な雛知に水先案内の主体が移り”というところに、関心を持ちました。
“雛知”で検索しますと、雛知中学校など、数件出てきますが、『住吉神社http://www.genbu.net/data/tusima/sumiyosi3_title.htm』には、“「鶏知」の字は「鷄知」と書く。”とありました。“ケチ”という読みなので、もともとは、鷄 の字が使われていたところでしょうか?

[5559] かも いせ  神奈備 2004/08/24(Tue) 09:00 [Reply]
 対馬に鴨居瀬(カモイセ)と云う所があります。意味深な名ですね。
 ここが住吉神の発祥の地だと、『住吉信仰』(真弓常忠著)に記しています。この方、住吉大社宮司さんです。
 鴨居瀬の神は日本海側から浅海湾に入る水先案内の神だったとか。半島との往来が盛んになり(これは神功皇后の説話に残る)、より便利な雛知に水先案内の主体が移り、神社も遷座したと考えられています。
 当時の神は海岸での母子信仰であり、海宮の乙女と海童、記紀で云う豊玉姫とウガヤ尊と見なされていたようです。これが住吉神として津々浦々の男神として難波で大きく祀られ、その墨の江である住吉の名が対馬に逆流して、名前は住吉、祭神はそのままの海宮の乙女と海童となっているとのこと。

 住吉大社の摂社に大歳神社が鎮座、元々は収穫の神として祀られたが、江戸時代には集金の神となっています。商いの完結は集金です。流石、浪速の神様です。

[5558] Re[5555]: はじめまして  ペギラ 2004/08/23(Mon) 23:57 [Reply]
> みづきさんを押し出した形になってしまいましたね。
> まああのような意見を言う方もいらしゃいます。
> ああいう形で新参者を排除すると新しく書き込みをする方が引いて
> しまいます。

個人的には全然そんなこと思いません。
秩序ある参加者がいて、それを管理する席亭がいて。

善意の参加者にとっては、心強い掲示板だと思いますよ。

無秩序なネット掲示板の世界で、
「神社神道を奉ずる」
厳しさと優しさのある場所だとしみじみと感じています。

神奈備掲示板の歴史のなかではまだまだ新参者の私が偉そうに言うことではありませんが。

[5557] Re[5555]: はじめまして  神奈備 2004/08/23(Mon) 21:58 [Reply]
> 神社神道を奉ずる方々ならもう少し寛容に接してほしかったです。
>  
無礼な発言に対してそのように指摘をさせてもらって、出ていくのなら、それはやもうえません。寛容と放置とは違います。これが心です。

[5545] に答えて頂ければいいのです。それほどの高い障壁と思われますか。



[5556] Re[5555]: はじめまして  玄松子 2004/08/23(Mon) 21:52 [Reply]
> ああいう形で新参者を排除すると新しく書き込みをする方が引いて
> しまいます。
> 喉笛の佐野さんの様な方にも寛容だった神奈備さんではないですか。
> 神社神道を奉ずる方々ならもう少し寛容に接してほしかったです。

「みづき」さんに接したのは僕だけなので、僕のことをおっしゃっているのでしょうか。
僕としては、できる限り丁寧に対応したつもりでしたが、僕のせいで「押し出した形」になったのなら、申し訳ありませんでした。

[5555] はじめまして  通りすがり 2004/08/23(Mon) 21:35 [Reply]
よく神奈備を見させてもらっている者です。
この掲示版は善意で運営されている事を信頼します。
 
みづきさんを押し出した形になってしまいましたね。
まああのような意見を言う方もいらしゃいます。
ああいう形で新参者を排除すると新しく書き込みをする方が引いて
しまいます。
喉笛の佐野さんの様な方にも寛容だった神奈備さんではないですか。
神社神道を奉ずる方々ならもう少し寛容に接してほしかったです。
 

[5554] Re[5526][5474]縄文について2  かたばみ [Mail] [Url] 2004/08/23(Mon) 20:03 [Reply]

≫それが即、「縄文は海山の文化の合体」と言い得るかどうか。・・・ですよね。

ここでいう合体とは、異なる文化がある環境で接触したとき、そこに生じる様々な結果です。
また、以前の応答で海と山の概念での話だったので海山と書いていますが、実際には1か0かのような単純な図式ではありえないです。

人々が合流したとき、物理的な血の混合がおきる(DNA分析の進歩で解明可能とみる)。
それぞれの文化の混合もおきる(これは環境の影響と人の意識がからむので容易ではない)。
血と文化の中間でゆれるのが言語だと考えています(変化の状況を知る手がかりとなる)。

青草談話室むきなんですが、失礼して以下の図、持論による縄文形成時代の東アジア概略図です。
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/e_asia01.png

ここでユーラシアンというのは寒冷かつ内陸環境に適応した人々の意(狩猟を糧にする)。
オーシャノイドというのは温暖かつ海洋環境に適応した人々の意(原始農耕と漁労を糧にする)。
(世界を含むその図も作ってあるけど略)
縄文はこれらの人々が環境の変化によって移動していった結果から生じている、と考えています。

環境が変化したとき人々は以前の環境と同じ地域を求めて移動する。
食糧です、以前と同じ食糧が得られる地域へ移動する。
(日本付近では温暖化では北へ、寒冷化では南へ)
移動できない場合は環境に適応した変化をする、それもできなかった場合は滅びる。

古黄河と古長江が古黒潮と混じり合う一帯は大漁場になったとみています。
こういう状況であるならそこからなにが生じてゆくだろうか、そういう考え方をしています。

考古学など物証があるなら、それを包含できる流れになっているかどうか、それをチェックしながらフィードバックを繰り返しながら時代を下ってきます。
(したがっていっぺんに離れた時代を考えることはむずかしい(^^; いまのところなんとかかんとか弥生まで)


≫縄文には何系統かの文化が混在しているのでは・・・。というような印象も受けます。

≫もしそうならば、何故それ等全部に、"縄文の形式"と認められるような、
≫大きな意味での、土器装飾の文様形式と言うのか手法の形式が生じるようになったのか。

列島内でも環境は異なる、その環境に適応した文化が取捨選択(自然淘汰)されていったでしょう。
地域、集団によって異なるものになるはずです。
中部山岳では人口密度が300人/平方キロといった驚異的状況が生じています。
(西日本一般では5〜10人/平方キロ、世界的にも狩猟採集民の人口密度は50人が最大限)

中部山岳が最強文化になるはずですが、その文化が周囲を席巻したりはしなかったと思います。
その自然環境に100%依存する文化だからです。
弥生の農耕(人為の技)の拡大とは決定的に違うところと思っています。

しかし、交流があり環境が類似ならば、似たものも広まるでしょう。
お、いいな、と思えば真似をすると思います。

「ここんところ雨つづきで狩りができないなあ、予備の土器でも作っておくか、コネコネ」
いつもとちょい違う紋様の土器を作った。
さて、その翌日はいい狩猟日和になった・・この紋様にしたら晴れたぞ。
それが口コミで広まり・・ついには祭祀に用いられるようになる・・かも。

なにがどう似ていてなにが違うか、その集団の状況を考える重要な要素だと思います。
しかし、白黒区分のできない中間も無数にまじりあっている。
そういうあいまいな部分に区切りを設ける、あるいはある特徴を抽出して学術上の便宜を図っているのが土器形式だと思います。


[5553] Re[5526][5474]縄文について1  かたばみ [Mail] [Url] 2004/08/23(Mon) 19:58 [Reply]
≫お盆時期は、各地のお盆行事や精霊棚の作り方などの取材で忙しく、
≫返事が遅くなりました。ご容赦下さい。

まったく気になさることはないです。都合のよいときに書けるのが掲示板だと思います。

≫自分達は山ノ神に属す。というような意識はあった(ある)のでしょうか。?

自分たちが生きてゆくときに、それを司っていると感じるものを祀ったと思います。
そこに属すといった意識が生じることはないと思います。

祖先神として祀っている場合は別です。祖先ですから無条件に血縁として属していますから。
しかし、生きてゆくことを司るものを、人間としての母や父にイメージを重ねることもあるかもしれない。
このあたりに自然神と祖先神が融合してゆく可能性がみえます。

他の集団と接したとき、「司っていると感じるもの」に違いがあることに気づくと思います。
そのとき、その違いをどう考えるのか、ですね。

さらにそういう集団が多数集まって共同で暮らすようになったとき、違いを調整する必要も生じるはずです。
その規模が大きくなると「調整」は困難になると思います。
だれにも納得できるように理論化し体系化することが必要。
記紀の登場がその大きなエポックだと思います。

体系化に連動してお前達の神はこれであると規定されることになるでしょう(形式化でもある)。
ただし、自然神という意識があり現実の生活に密着しているなら、我々の生活を司る神の名はこういう名らしいぞ、どまりではないかなあ。
民の側から属するといった意識はやはりでてこないのではないか。

属するとか分類や形式は、学術上ないし支配する場合の便宜上のものにすぎないと思うのです。
また、生活に密着しているかぎり、「規格」にはない地域性を含んだ微妙に異なるものにもなるだろうと思います。
祈り願うための場が神社、どんな分類の神様かを意識などしない、それが本来ではないでしょうか。
(これも祖先神を意識する場合は別です)


[5552] Re[5551]: 新抄格勅符  神奈備 2004/08/23(Mon) 10:44 [Reply]
> 「入」誤字・誤写じゃないかと。
> 「下」じゃない?
> 800年あたり、下照比売と比賣社とは別物だったのでは?

『記紀』には、比賣碁曽の神と下照比賣神とを同じようには記していませんね。
「入」には「日の入る国」などと使用される「日が沈む」の意味があり、高照に対応する下照があり、日の出、日の入りの太陽を女神として祀ったと考えれば、入比賣は下照比賣に通じるのでしょう。国中から見ている二上山の女神、葛城の女神なのかも。

 鴨と秦の結びつきのために構想された同一神説かも知れませんね。700年代?

[5551] Re[5544][5530][5527][5509]: 新抄格勅符  神奈備 2004/08/23(Mon) 09:01 [Reply]
入 畿内にやって来たと云う意味があるようですね。
赤留比賣神は半島で生まれた神で、難波に入ってきています。そう云う意味では[5530]でペギラさんご指摘の『日本書紀』で、国東と難波とに祀られていると記している事は重要ですね。
国東が式外社であってもなんら差し支えはありませんね。

玄松子さんの歩く姿を想像しながら、下記サイトを
比売語曽神社(姫島) http://www.genbu.net/data/bungo/himekoso_title.htm

[5550] Re[5548][5547][5531][5528]: 神格化(1)  神奈備 2004/08/23(Mon) 09:01 [Reply]
>瀬藤さん> (席亭宛にアドレスなど教えて下さい。)それができないなら、卑怯者になりますよ。みづきさん。
>単に、僕個人への不快感であっても、重要な意見ですから。
>気をつけないと、他の読者に「排他的な板」という印象を与えてしまいます。

掲示板は善意で成り立っています。そこへそうでもない心が侵入しては困ります。メアドすら明らかに出来ないとは心が後ろめたいからと思います。とって食うわけではなし。そのような人には障壁があってもいいと思っています。

善意だけが残って再び神格化などについてまっとうにお話ができれば素晴らしいですね。

[5549] 恋川亭さん、了解です。  吉田 2004/08/23(Mon) 01:09 [Reply]
恋川亭さん、こんばんは。

> [5529] : 吉田さん
私にとっては示唆的話題満載です! が、ちょっと時間切れで申し訳ありません。
また、来週の休日に参加致します。息長〜くお願いします。


アクセスしたら自分の名前があがっていたので、びっくりしました。(笑)
なんだかアクシデントで意見交換できなかったのは残念ですが、・・・。

了解いたしました。お互いに週末まで仕事をがんばりましょう。(笑)

では、・・・。

[5548] Re[5547][5531][5528]: 神格化(1)  玄松子 2004/08/23(Mon) 01:03 [Reply]
> この『信仰する行為としての神格化』が、
>   本当に当事者から起こり得るものなのでしょうか?
> というのが私の疑問なのです。
>
> ・『剣が祭り上げられて布都御魂大神となったわけではない』
>
> ということです。


「鰯の頭も信心から」と云いますが、その信仰している人は、鰯の頭そのものを拝んでいるわけではありませんからね。それを信仰のアイテムとしているだけですから。

はたから見れば、鰯の頭を神格化しているという「ラベル付け」がなされる可能性は大。
仰るとおり、霊剣であっても、それは同じかもしれません。
霊剣であれば、はたからみても神々しいなどと無批判に受け入れますからね。


> 実はとてもピュアな方ですから、

それは誤解かもしれません。今回の流れにしても、ちょっとXXXですから。


> 『神名・聖名』のテーマについては、別機会に展開させて下さいネ。

恋川亭さんの時間のある時に、投げかけて下さい。


瀬藤さん> それができないなら、卑怯者になりますよ。みづきさん。

単に、僕個人への不快感であっても、重要な意見ですから。
気をつけないと、他の読者に「排他的な板」という印象を与えてしまいます。

[5547] Re[5531][5528]: 神格化(1)  恋川亭 2004/08/23(Mon) 00:40 [Reply]
 あらら・・・、私の言葉が足らなかったばかりに。
玄松子さん、みずきさん、徒な混乱を招いてしまい申し訳ありません。<(__)>

 私自身は、この掲示板で玄松子さんと長いので、ご質問に困ったことはありません。むしろ、私の至らない所を補って頂き感謝しています。そんな馴れ合いの遣り取りが、みずきさんにとって不快と映りましたら、私にも責任があると思います、ごめんなさい。
 ただ、私はまったく素人の門外漢(電気屋です)ですので、大目に、長い眼にて見て頂ければ有り難いです。一般人にも判るペースでお教え下さいね。よろしくお願い致します。
さて、Re[5531]> 玄松子さん
> 当然、(2)(3)と続くのでしょうが。

 そうですね。最近は休日しか覗けないので、序数を付けてみました。私の一方的主張だけではなく、皆さんのご意見も拝読したいナという願いも込めて。

>>  私自身は農機具という範囲に留まらず、およそ『信仰する当事者側からの神格化などという事は本当にあったのだろうか?』という疑問を持っています。

 これが舌足らず、頭足らずだったばかりに・・・m(__)m

> ・当事者でないとすると、だれが神格化するのですか?
> ・そもそも、この場合の「神格化」とはどういう行為ですか?

 質問文からは外れますが、私が疑問に思ったのは、

 A:『〜の神格化である』という現代人の表現に対して

 B:信仰する当事者側からの神格化などという事は
   本当にあったのだろうか?

 発端は、文庫本の古事記の脚注や補注に、ゾロゾロ出ている部分です。その他、あちこちでもよく見かけますよね。

> 「神格化」が、「『信仰している』というラベル付け」であるなら、当事者ではありえません。

 そうですね。この場合、同時代の他者からの視点も考えられますね。理解できないが故の蔑みも混じり易いでしょうし。

> 「神格化」が、「信仰する行為」であるなら、当事者以外にありえません。

この『信仰する行為としての神格化』が、
  本当に当事者から起こり得るものなのでしょうか?
というのが私の疑問なのです。

*********************

私の場合、石上神宮からの例ですが。

・『ある霊剣の神格化が、布都御魂大神様にはならない』

・『布都御魂大神様の御稜威(みいつ)が宿った霊剣を「布都御魂の剣」(ふつのみたまのつるぎ)という御神体にすることはあっても、それが大神様そのものではない。』

・『大神様の艱難辛苦を切り開く御稜威を、霊剣の鋭利な機能に重ね合わせて御神体とし、その御神体を通して祈る(中継装置として)ことにより、神の加護を賜らんとしてきた。』

・『剣が祭り上げられて布都御魂大神となったわけではない』

ということです。
 結構いろんな本に、「布都御魂という剣を神として祭っている」なんて記述をみかけますが、『粗雑に過ぎる』と思っています。(学者の書いた文にさえ有りますねぇ。)
 他にも、いろいろな例があると思いますが、以上は、ひとまず私からの例示です。
 蛇足ですが、私は『フツノミタマ』のフツとは、一つ・二つのフタツと通じるフツと考えています。
*********************

> 記紀等に記述された「神名」が、個々の「神々の固有の本名ではない」ということは、普通の考えではないのですか?

 『普通の考えではない』ように感じましたので、「神々の固有の本名ではない賛美名称」で、検討していることを意識しながら議論を展開するべきですヨネェ〜と書いてしまいました。
 一般的には当然の前提だったのですね。であれば、私が主張するのは僭越でした。

 ただ、以前に玄松子さんのご投稿で、『名前が異なれば別の神ではなかろうか』という主旨の書き込みを覚えています。流れのある記述で、一部分だけ抜き出しても意味をなさないかもしれませんが。
『神名・聖名』のテーマについては、別機会に展開させて下さいネ。

さらに蛇足、玄松子さん以外のみなさんへ。
 私は、基本的に玄松子さんのご質問には、質問文の通りに、機械的に回答文を答えれば良いと思います。実はとてもピュアな方ですから、質問文の文意を深読みする必要はありません。書いてある通りのことに対して、返事をすればスムーズに対話が進むはずです。

> [5529] : 吉田さん
私にとっては示唆的話題満載です! が、ちょっと時間切れで申し訳ありません。
また、来週の休日に参加致します。息長〜くお願いします。

[5546] みづきさん、こんばんは、・・・。  吉田 2004/08/23(Mon) 00:28 [Reply]
こんばんは、みづきさん。

ちょっと、どういう経緯で、話がエキサイトしたのか判りませんが、
御話の経過を読んでいると、あなたも感情的に受け答えしているように思います。

あなたが、僕の投稿に対して、評価を与えて下さったのはうれしい事ですが、
他の方の投稿もじっくり、読んでみて下さい。

みなさん様々な視点から仮説を立てていらっしゃるので、
きっと、参考になる点も発見できると思います。

なぜこういう話の流れになったのか、ぼくからでは理解できない点がありますが、
いづれにしても悪意からの発言でない事だけは御理解下さい。

僕自身も戸惑っていますし、みなさん同じような気持ちだと思います。
もう一度、冷静になって、みづきさんが御意見を述べていただけるのなら、
僕もうれしくおもいますし、恋川亭さんや、他のみなさんも、うれしく思うと考えます。

玄松子さんも、仰っているように、
この掲示板の評価については、そんなに結論を急がないで下さいね。


[5545] 評価  神奈備 2004/08/23(Mon) 00:04 [Reply]
玄松子さん、こんばんは。
>この板の評価をさげているのか、と危惧しております。
まさかでしょう。評価が下がるのは席亭に問題があるからです。なおかつそれを気にしない席亭です。
そういう意味で、消さずにおいておきます。



勝手に期待して勝手にがっかりしている自己顕示欲の高そうなみづきさん、こんばんは。

>過去ログを探したのですが見つからなかったという
浅い理解で適当におしゃべりですか。
誰に見せたいの。

>他のの方のは、いったい何のやり取りをしているのやら、わからないという感じです。
新抄格勅符についてのやりとりでしょうか。これはひどい侮辱に聞こえますね。

>>蛇足。
>ほんとに蛇足ですね。
喧嘩を売る姿勢に見えます。

どこの「みづき」さんか知りませんので、席亭宛にアドレスなど教えて下さい。
それができないなら、卑怯者になりますよ。みづきさん。

[5544] Re[5530][5527][5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/23(Mon) 00:00 [Reply]
> >> 入比賣神 六戸  比賣社神 一戸津国 并  後者は比賣許曾神社

>入比賣であって比賣社でない所を考慮したい気分。
> 摂津国で六戸の神封を持つ入比賣神、姫神社と呼ばれた伊射奈岐神社がありますが、「入」の謎は解けていませんし、比賣許曾神とも関係がなさそうです。
>

摂津国にこだわらないで探してもありませんよね。

で思いました。
「入」誤字・誤写じゃないかと。

「下」じゃない?

800年あたり、下照比売と比賣社とは別物だったのでは?

[5543] Re[5542][5541]: 瀬藤さんへ  ペギラ 2004/08/22(Sun) 23:44 [Reply]
ただ同感とだけ。

[5542] Re[5541]: 瀬藤さんへ  クラリン [Mail] 2004/08/22(Sun) 23:24 [Reply]
> 席亭の判断で、僕の発言([5531] Re[5528]: 神格化(1))以下のやり取りを削除して下さい。

余計なことですが、その程度のことで削除する必要はないでしょう。みづきさんの発言を何度も読み返しましたが、ただ単に「吉田さんの発言は素晴らしい、それ以外はこの掲示板は期待外れ」と言っているだけに過ぎず、要はある人の評価を書き込んでいるだけで、何かを主張する内容ではありません。奇妙な書き込みといっていいでしょう。しかし、それにまともに回答する努力は後世に残す価値があります。

[5541] 瀬藤さんへ  玄松子 2004/08/22(Sun) 22:34 [Reply]
以下のやり取りから、僕の不用意な発言が、この板の評価をさげているのか、
と危惧しております。

席亭の判断で、僕の発言([5531] Re[5528]: 神格化(1))以下のやり取りを削除して下さい。

[5540] Re[5538]: 無題  玄松子 2004/08/22(Sun) 22:25 [Reply]
> {「神格化」が、「信仰する行為」であるなら、}と、仮定として定義なさったうえで、「当事者以外にありえません。」という結論を導き出していると思いますが、
> もし、わたしの理解が意図とは違う。とおっしゃるのならば、
> あなたの一文のも、解釈が異なる可能性を持つ一文です。
> そういうところは、どうお考えになるのでしょうか。?

まず、先の質問は貴方に対して発したものではありません。
この板の常連である恋川亭さんに対したものです。

恋川亭さんの使用された「神格化」の概念を確認するために、
僕が認識している「神格化」について2種類の意味を列記し、
それぞれの場合の行為者を記しておきました。

さきほどの貴方の書き込みを見て、これが「自分の意見」にあたるかもしれないと思えてきました。
ただ、意見というほどたいしたものではなく、強いて言えば「僕の認識」という程度です。
ですが、質問するには十分であるようにも思えます。


> ということですが、
> 「その用語について共通認識をもつことは重要です。」とあなた自身がおっしゃっているように、その点を確認したいのはお互い様だと思います。
> あなたがちゃんとご自分の意見を示さない限り、この方にすれば、何をどう言えばいいのかわからないのではないですか。?

この文に対しては、上記説明の通りです。


> 一方的な質問だけぶつけるというのは、アンフェアだと思います。

僕の、「その用語について共通認識をもつことは重要です。」発言は貴方に対してでしたね。
それを「上から」と取られたのなら謝罪します。

ですが、討論やディベートを行う場合は、まず、相手の意見を聞いて理解してから、
自分の意見を言うべきだと、僕は思います。
相手の意見が、実は僕の意見を同じだったなら、僕が敢えて意見を表明するのも無意味ですから。
そういうつもりで、「それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから」と書いております。
決して、上下の立場で書いているわけではございませんので、ご理解下さい。


また、
みづきさん> ある方に、面白い掲示板があるよ。と教えられておじゃましました。
みづきさん> 最初から生意気なことを言いますが、「期待ハズレでした。」
みづきさん> とくに、このやりとりは、なんだか変です。

ということですが、僕個人の書き込みに対して不快感をもたれたのは仕方ありませんが、その一点で、この板を判断しないようにお願いいたします。


くどいようですが、

玄松子 > さらに、
玄松子 > 僕が「神格化は信仰する行為である。」と定義した覚えもありませんし、
玄松子 > そのようにも書いていないと思いますが。
玄松子 > 僕が書き込んだどの一文が、定義している文章になるのでしょうか?

この質問にはお答えいただけませんか?

[5539] 無題  みづき 2004/08/22(Sun) 22:13 [Reply]
追伸です。

わたしが、[5526]、[5529]の吉田さんの意見に、
「うん、なるほど。」と、感じて興味がもてたのは、
相手にわかるように、親切に自論を展開なさっている点です。

わたしも、わたしなりの意見や考えがありますから、
吉田さんの意見とピッタリと一緒というわけではありません。

でも、吉田さんとはいろいろ話してみたいな。と思いました。

なぜかというと、「議論いう、お互いに協力し合って意見の違いについての差を埋めてゆく作業ができそうだな。」と思ったからです。

自分の意見を書いても無意味ですから。」とおっしゃる玄松子さんとは、
わたしも、意見を書いても無意味だ。と感じてしまいます。

議論できるできないということは、感受性の問題も大切だと思います。
だって、共同作業ですから、・・・。

わたしもかなり、生意気なことばかり言って
失礼極まりないとは思いますが、こういう意見交換の場で、
「自分の意見を書いても無意味ですから。」というような発言があることがショックでした。

まとまりの無いまったく意義の無い内容ばかりですみませんが、これで失礼します。

[5538] 無題  みづき 2004/08/22(Sun) 21:51 [Reply]
■・当事者でないとすると、だれが神格化するのですか?
・そもそも、この場合の「神格化」とはどういう行為ですか?

「神格化」が「『信仰している』というラベル付け」であるなら、
当事者ではありえません。
「神格化」が、「信仰する行為」であるなら、当事者以外にありえません。
と。思いますが。

っていう一文も「このように解釈が異なる可能性を持つ一文」だと思います。
わたしの知識のなさからかもしれませんが、「ラベル付け」という意味も不明です。
{「神格化」が、「信仰する行為」であるなら、}と、仮定として定義なさったうえで、「当事者以外にありえません。」という結論を導き出していると思いますが、
もし、わたしの理解が意図とは違う。とおっしゃるのならば、
あなたの一文のも、解釈が異なる可能性を持つ一文です。
そういうところは、どうお考えになるのでしょうか。?

■「それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから。」という一文から、
大家であるとか、上から意見を言っているということを判断した理由を
まず、示していただきたいと思います。

ということですが、
「その用語について共通認識をもつことは重要です。」とあなた自身がおっしゃっているように、その点を確認したいのはお互い様だと思います。
あなたがちゃんとご自分の意見を示さない限り、この方にすれば、何をどう言えばいいのかわからないのではないですか。?
議論するというのは、お互いに協力し合って意見の違いについての差を埋めてゆくことだと、わたしは思っています。
一方的な質問だけぶつけるというのは、アンフェアだと思います。
そういう点を、わたしは、「試している。とか、上にたった位置から」と感じました。
「自分の意見を書いても無意味ですから。」とおっしゃるあなたには、
生意気ですが、わたしも、「自分の意見を書いても無意味ですから。」と感じてしまいます。

「自分の意見を書いても無意味ですから。」というようなことをいうと、
議論って言うようなことが成り立たないと思います。


[5537] Re[5536]: 無題  玄松子 2004/08/22(Sun) 21:15 [Reply]
> わたしには、この方は『信仰する当事者側からの神格化などという事は本当にあったのだろうか?』という疑問を持っています。とおっしゃっているのですから、
> それは同時に、玄松子さんのいう「誰が神格化するのか。」ということの答えを含んでいるようにうけとれます。
> わたしは、この方ではないのでその意図をちゃんと理解しているとはいえませんが、
> 普通に文章を読めばそのような感じますが、わたしの感じ方は変ですか。?


『信仰する当事者側からの神格化などという事は本当にあったのだろうか?』

神格化という行為そのものを疑問視しているのか、という問題は残りますが、
僕は、『神格化は「当事者側」でない側から行われるのではないかという疑問』、
そのように解釈いたしました。
神格化そのものに対する疑問であれば、僕の質問は的を得ておりませんが、
「当事者側でないとすれば、神格化は誰が」という質問も不自然ではないのではないでしょうか。

この一文に対する、あなたの解釈と、僕の解釈が異なるという点は理解できました。
このように解釈が異なる可能性を持つ一文であるからには、
さらに詳細な説明が欲しいところです。→恋川亭さん


> 一方的に、あなたが上の位置から、相手を試しているように感じて、そこがわたしは不愉快に感じました。


あなたが、どの文章のどの点を不愉快に思ったのかはわかりませんが、
別に恋川亭さんを試しているつもりはありませんし、
上からとか、下からとかの立場に立った質問もしておりません。


> 「それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから。」と、おっしゃるほど
> わたしなどが及びもつかないくらいの大家なのでしょう。
>

「それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから。」という一文から、
大家であるとか、上から意見を言っているということを判断した理由を
まず、示していただきたいと思います。


> わたしの様な者の数少ない経験からでも、「それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから。」と、おっしゃるような人を下に見ている人の見識にはどこか、おかしなところがあると思います。
>
> わたしが変だと思うのはそういうところです。

「そういうところ」とは、「人を下に見ている」ということでしょうか?
どの文章が、どうしてそのように理解できるのか、理解できません。
もう少し詳細にご指摘下さい。


僕の質問の仕方がまずいのであれば、恋川亭さんには謝罪いたします。

玄松子 > さらに、
玄松子 > 僕が「神格化は信仰する行為である。」と定義した覚えもありませんし、
玄松子 > そのようにも書いていないと思いますが。
玄松子 > 僕が書き込んだどの一文が、定義している文章になるのでしょうか?

この質問にはお答えいただけませんか?

[5536] 無題  みづき 2004/08/22(Sun) 20:55 [Reply]
■■・当事者でないとすると、だれが神格化するのですか?

> って「当事者側からの神格化」について疑問視している相手に「誰が神格化するのか」と逆に質問するのもおかしいのじゃないですか。?

■「「当事者側からの神格化」について疑問視している」ので、「では誰が?」と問うているのです。
なぜなら、それが書かれていないからです。どこがおかしいですか?

わたしには、この方は『信仰する当事者側からの神格化などという事は本当にあったのだろうか?』という疑問を持っています。とおっしゃっているのですから、
それは同時に、玄松子さんのいう「誰が神格化するのか。」ということの答えを含んでいるようにうけとれます。
わたしは、この方ではないのでその意図をちゃんと理解しているとはいえませんが、
普通に文章を読めばそのような感じますが、わたしの感じ方は変ですか。?



> 神格化ってことの意味について問いかけている側が「神格化は信仰する行為である。」って定義するんですか。?(笑)

■「神格化」一般ではなく、「この場合の神格化」について聞いております。
つまり、恋川亭さんが使用している「神格化」についてです。
意見交換の前に、その用語について共通認識をもつことは重要です。
それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから。

普通、議論の場合、「共通認識をもつことは重要です。」
しかし、そういう時には、、「自分は、このような認識をもっている」と、
相手に示すのが礼儀だと思います。

わたしも生意気なことを言っているとは自覚していますが、
一方的に、あなたが上の位置から、相手を試しているように感じて、そこがわたしは不愉快に感じました。

あなたがどれだけ博識な方なのか、また、どういう立場の方なのかは、わたしには知りませんが、学会の場でも、普通は、意見の違いをお互いに確認しあうために、
ちゃんと、自分の見解を示します。

「それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから。」と、おっしゃるほど
わたしなどが及びもつかないくらいの大家なのでしょう。

わたしの様な者の数少ない経験からでも、「それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから。」と、おっしゃるような人を下に見ている人の見識にはどこか、おかしなところがあると思います。

わたしが変だと思うのはそういうところです。

では、失礼します。

また、
「この場合の神格化がラベルつけ」か「この場合の神格化が信仰する行為」か
あるいは別の意味があるのか、その定義によって、
その行為を行う人間も異なってきます。

さらに、
僕が「神格化は信仰する行為である。」と定義した覚えもありませんし、
そのようにも書いていないと思いますが。
僕が書き込んだどの一文が、定義している文章になるのでしょうか?


> 生意気言ってすみません、失礼します。

もう一度、書き込みをご確認いただき、なお、不適切であると判断された場合は、
もう少し詳細にご指摘ください。
至らないところがあれば、質問を変えさせていただきます。

[5535] Re[5534]: 無題  玄松子 2004/08/22(Sun) 19:38 [Reply]

> >・当事者でないとすると、だれが神格化するのですか?
>
> って「当事者側からの神格化」について疑問視している相手に「誰が神格化するのか」と逆に質問するのもおかしいのじゃないですか。?

「「当事者側からの神格化」について疑問視している」ので、「では誰が?」と問うているのです。
なぜなら、それが書かれていないからです。どこがおかしいですか?


> 神格化ってことの意味について問いかけている側が「神格化は信仰する行為である。」って定義するんですか。?(笑)

「神格化」一般ではなく、「この場合の神格化」について聞いております。
つまり、恋川亭さんが使用している「神格化」についてです。
意見交換の前に、その用語について共通認識をもつことは重要です。
それを確認せずに、自分の意見を書いても無意味ですから。

また、
「この場合の神格化がラベルつけ」か「この場合の神格化が信仰する行為」か
あるいは別の意味があるのか、その定義によって、
その行為を行う人間も異なってきます。

さらに、
僕が「神格化は信仰する行為である。」と定義した覚えもありませんし、
そのようにも書いていないと思いますが。
僕が書き込んだどの一文が、定義している文章になるのでしょうか?


> 生意気言ってすみません、失礼します。

もう一度、書き込みをご確認いただき、なお、不適切であると判断された場合は、
もう少し詳細にご指摘ください。
至らないところがあれば、質問を変えさせていただきます。

[5534] 無題  みづき 2004/08/22(Sun) 19:17 [Reply]
大学院生のみづきといいます。
ある方に、面白い掲示板があるよ。と教えられておじゃましました。

最初から生意気なことを言いますが、「期待ハズレでした。」
とくに、このやりとりは、なんだか変です。

>>  私自身は農機具という範囲に留まらず、およそ『信仰する当事者側からの神格化などという事は本当にあったのだろうか?』という疑問を持っています。

>・当事者でないとすると、だれが神格化するのですか?

って「当事者側からの神格化」について疑問視している相手に「誰が神格化するのか」と逆に質問するのもおかしいのじゃないですか。?

過去ログを探したのですが見つからなかったという状態で、
この話の流れがわからない通りすがりの者が言うのも変ですが、

>「神格化」が、「『信仰している』というラベル付け」であるなら、
>当事者ではありえません。

っていう理屈のほうが意味不明です。
それにここも変です。

>・そもそも、この場合の「神格化」とはどういう行為ですか?

>「神格化」が、「信仰する行為」であるなら、当事者以外にありえません。

>と。思いますが。

神格化ってことの意味について問いかけている側が「神格化は信仰する行為である。」って定義するんですか。?(笑)
どう考えても、神格化ってことについて、あらかじめ意見をもっているのですね。
もしそうなら、こんなまどろっこしい言い方ではなくて、
ちゃんと、自分の意見を言ったらいいのにと思います。


>蛇足。
>記紀等に記述された「神名」が、個々の「神々の固有の本名ではない」ということは、>普通の考えではないのですか

ほんとに蛇足ですね。


紹介していただいた方によると、いろいろ、学者顔負けの深い見識でのやり取りがある。とのことだったので、とても楽しみにしてきたのですが、
なんだか変な感じですね。

わたしが、「うん、なるほど。」と、感じて興味がもてたのは、
[5526]、[5529]の吉田さんのカキコでした。

他の方のは、いったい何のやり取りをしているのやら、わからないという感じです。
初めてなのでよけいにそうなもかもしれませんが、

しかし、玄松子 さんの質問はなんだか変にかんじます。
自分はそういう意見でないのならばその旨をちゃんと伝えたらどうでしょうか。
なんだか見ていて不愉快に感じました。

生意気言ってすみません、失礼します。


[5533] Re[5532][5509]: 新抄格勅符  神奈備 2004/08/22(Sun) 18:20 [Reply]
ありがとうございます。拾っておきました。

火幡神 十戸伊予
この神社、昨日参詣して、急遽仮のアップを致しました。

50年後の『三代実録』で大和国従一位大己貴神正一位となる吉野の大名持神社に神封がないのも不思議なことです。

[5532] Re[5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/22(Sun) 16:51 [Reply]
http://www.kamnavi.net/sumiyosi/sinshou2.htm
の中の落し物。
諸神新封の方で、

>伊和大名持神 五戸 播万  玉租神 五戸 周防  伊和坐大名持御魂神社

玉祖神落ちてる。

神封部の方で、

>伊□大社神 二戸近江国  佐為神 二戸大和   伊香具神社 by 玄松子さん

佐為神落ちてる。

毎度、気になるので。。(笑)

[5531] Re[5528]: 神格化(1)  玄松子 2004/08/22(Sun) 12:09 [Reply]
当然、(2)(3)と続くのでしょうが。

>  私自身は農機具という範囲に留まらず、およそ『信仰する当事者側からの神格化などという事は本当にあったのだろうか?』という疑問を持っています。

・当事者でないとすると、だれが神格化するのですか?
・そもそも、この場合の「神格化」とはどういう行為ですか?

「神格化」が、「『信仰している』というラベル付け」であるなら、当事者ではありえません。
「神格化」が、「信仰する行為」であるなら、当事者以外にありえません。

と。思いますが。

蛇足。
記紀等に記述された「神名」が、個々の「神々の固有の本名ではない」ということは、普通の考えではないのですか?

[5530] Re[5527][5509]: 新抄格勅符  神奈備 2004/08/22(Sun) 09:13 [Reply]
>> 入比賣神 六戸  比賣社神 一戸津国 并  後者は比賣許曾神社
> 入比賣神 六戸が難波で
> 比賣社神 一戸が国東。

そこまで考えないと解読できそうもないですね。面白い。
比賣許曾の女神の別名として、下照比賣、高比賣、赤留比売などが考えられますが、入比賣と云うのにはお目にかかっていません。入比賣であって比賣社でない所を考慮したい気分。

入比売の例
応神天皇の后の高木入比売命
崇神天皇の皇女の沼名木入比賣命、同じく笠縫邑で天照大神を祀った豊鋤入日売命
開化天皇の後裔の八坂入彦命の娘である八坂入姫命
八坂入姫命の娘の五百木入姫

入比売の特徴とは、入彦の娘、入彦とは、崇神朝から応神朝あたりに出てくる比賣に多い。まさに天日矛の時代に近そうです。

摂津国で六戸の神封を持つ入比賣神、姫神社と呼ばれた伊射奈岐神社がありますが、「入」の謎は解けていませんし、比賣許曾神とも関係がなさそうです。

[5529] Re[5528] 神格化(1)  吉田 2004/08/22(Sun) 07:40 [Reply]
恋川亭 さん、こんにちは、・・・。吉田です。

>吉田さん、ご投稿拝読致しております。
>吉田さんの『神格化』と『神名』に対するスタンスには賛成致します。

拙い論考なので解り難い点が多かったと思います。
また、仰るようにショート・ショートで論点をきれいに纏められればいいのですが、
なかなか、そういう手法に慣れていないので長文で御迷惑を御かけ致しました。
でも、御理解頂けてうれしいです。(笑)

>農機具という範囲に留まらず、
>およそ『信仰する当事者側からの神格化などという事は本当にあったのだろうか?』
>・・・という疑問を持っています。

そうなんですよね。
"信仰する当事者"という立場や位置について、どのように捉えるか。という事ですよね。
祭祀集団というものを、現在で謂う、信者の立場も加えて、
全体でどういう関係にあったのか。ということを考える事も必要ですね。

それに、仰るように、「信仰する当事者側からの神格化などという事」は、
そういうものが成立しいる事例があるにしても、
それは"祭祀の本来的な意味"が失われたり、
祭祀集団というものが崩壊したり変質たりして、
祀る側のクループ内、メンバー内での構成や位置付けに、
大きな変動を来した後の、かなり時代が下った後世の事だと思います。

ちょっと話が飛ぶかもしれませんが、こういう事例があります。
よく知られた事例ですが、"対馬や種子島の赤米神事"と呼ばれるものですが、
こういう場合、"赤米の種籾を神格化して祀っている。"と捉えるべきかどうかです。

「一見すれば、"赤米の種籾"がある特殊な状況で扱われていて、神躰或は神として祀られている。」とも見て取る事ができます。

これだけではよく解らないので、
他にも、種籾をつかって、祀る事例があるかどうか。と考えます。

すると、能登地方の"アエの事神事"をはじめとして、藁俵に容れた種籾を祀る事例が多く見いだせます。
このような場合では、"藁俵に容れた種籾"は、年神の依り代としての意味と役割を持っている事が解ります。

つまり、対馬や種子島の事例でも、
"赤米の種籾を神格化して祀っている。"と捉えるべきではなくて、
"神の依り代としての意味と役割"で捉えるべきなのではないかと思い当たります。

特に"アエの事神事"を観るとよく解りますが、
依り来た目に見えない神霊に対して、当主は饗応して応えます。
これらは、"所作"ですから、ある種の演技を行うんですね。

こういう事例からは、"神の依り代としての藁俵に容れた種籾"と、"依り来る目に見えない神霊"とを、
ちゃんと、分けて認識していた。という事が解りますから、
「依り代としての対象を、神格化して扱った事がある。」という方向の理解には、僕もちょっと同意できません。

でも、みなさんいろいろな考え方、捉え方がありますから、・・・。(笑)

いづれにしても、僕の考え方では、実際の祭祀の構造を考えるにあたっては、短絡的ではいけないと思いますので、
まぁ、結論らしき処まで到るにも、ああいう場合、こういう場合と考えて、かなりあっちこっちうろうろしますから、
時間がかかってしまいます。(笑)

この前の議論を蒸し返しても仕方ないので、
様々なフィールドでの"祭祀の構造を考える。"という方向で、こだわりない立場での意見交換ができるといいですね。
恋川亭さんの、御考えも是非、御伺いしたいですから、よろしく御願い致します。(笑)


> また、通常の神名は(世界共通ですが)、神々を称賛するが為の古代特有の(修辞?)名称であります。
>祭祀する人が神の本名を口にすることは考え難いし、
>神の本名(聖名)は祭祀者達の中でも、専属・特定の巫覡にのみ口伝された秘儀であったと想像できます。
>今に伝わる神名がどういう意味を持っていたのかという推定は、
>色々な事例を参照して、丁寧に進めるべき課題ですね。

そうですね。
こういう考え方には異論がある方もいらっしゃるかと思いますが、
僕は基本線ではとても賛成できます。

我々は一般的に、神社祭祀というと、"顕祭"の方を見ています。
この"顕祭"の対極に、"幽祭"と謂うものがあります。
一部ではまだ行われている、夜、無灯火で行う祀り。というのが代表的な例でしょうか。

当然、こういうタイプの祭祀は、その詳しい内容が文書として記録される事もない訳ですし、
それは、仰るように"口伝"によって、伝えられてゆきます。

もし、言い伝えられた"神の名"というものがあったとすれば、
一番神に近しく付き従う祭祀者の間で"口伝"によって、伝えられ行くような性質のものだと思われます。

現代的な感覚からでは想像もし難い事ですが、
"神を祀る"という行為は、
その一個人の一生(ある時期)を神を祀る為に投げ出す。というような趣があるかなり過酷な行為です。

こういう事を考えるにあたっては、
現代の宗教的な意味合いの信仰の厳しさなど、全く参考にならないし、比較にならない過酷さです。

その一端を伺おうとすれば、
80〜90代の方で、昔の頭屋神主を努められた経験のある方から御話を伺えば、そういう実際の断片が解ります。

そのような事の経験をなさった皆さんが、口を揃えて仰るには、
まず、家から離れて、神社で御籠りし、
朝、夜が明けない前から水垢離をとり、祀りに必要な決められた供物を集める為に山の中を駆けずり回ったそうです。
多くの場合、そういう事を1年〜2年続けて、
「自分の番の時に集落に何事もなく済めば、ホッとしたものだ。」と、皆さんが皆さん仰っています。

一番神に近しく付き従う祭祀者というのは、
このように、神の求めに応じて駆けずり回る。というような役割を負う訳です。

経験者の方がいうように、「何事もなく済めばいいのですが、・・・。」
もし、何か良くない事が起きると、「神の祀り方、仕え方が悪かったからだ。」という事になります。

このようなかたちでの、
"神の妻、或は人身御供として、御供された、女童や女装の男童"、或は職能的な神主かも知れませんが、
神に仕え添う立場の者を考えると、彼等にとって"神名が必要な理由"も、なんとなく想像できます。
想像ですので確証はありませんが、
彼等にとって"神名”が必要な理由は、彼等が神に仕え添い、神に呼びかけ請い祈むからです。
つまり、「神に呼びかける側(役割)であるが故に、"名が必要"」というような考え方です。

もし、言い伝えられた"神の名"というものがあったとすれば、
このような神に仕え添う立場の者の間で伝承されてきたのであろうと考える事もできます。

そして、このような実際の祭祀の場での"神名"というものがあったにせよ、
そういう、"口伝"として秘して伝えられたものは、記録に残される機会は少ないですし、
そういうタイプの祀りが廃絶した時点で忘れ去られます。

このような事は、"文書に記録された神名について"というテーマからは離れた事柄ですが、
"神名について"というような事を扱う時には、
やはり、"祭祀とは、どのような行為なのか。"という処を押さえておいて然るべきだと思います。

また、どのような結論に落ち着くにしろ、
恋川亭さんの、・・・
>今に伝わる神名がどういう意味を持っていたのかという推定は、
>色々な事例を参照して、丁寧に進めるべき課題ですね。
・・・という考え方には、ぼくは賛成できます。



PS:
また、こういう"聖なる演技"の問題については、
元早稲田大学の研究者であった工藤隆氏が演劇学の立場から興味深いアプローチをなさっていますから、
興味のある方は、工藤氏の著作を参考にされるといいと思います。


[5528] 神格化(1)  恋川亭 2004/08/22(Sun) 00:48 [Reply]
 吉田さん、ご投稿拝読致しております。

> [5445] 『「鋤・鍬」の神格化について』(2004/07/29)
> [5451] 『鋤、鍬の神格化について・・・。re1』(2004/07/31)
> [5454] 『アジスキと、鋤鍬について』(2004/08/01)
> [5457] 『山ノ神について』(2004/08/01)
> [5462] 『論拠について』(2004/08/01)

 お盆休みに時間が取れまして、やっと掲示板が見れたのです。今さら蒸し返すつもりは毛頭無いのですが、吉田さんのご投稿内容には、私自身にとって納得できる記述が多かったものですから、ここに『首肯している読者もいます』宣言をしておきたく思い書き込みました。
 特に吉田さんの『神格化』と『神名』に対するスタンスには賛成致します。

 私自身は農機具という範囲に留まらず、およそ『信仰する当事者側からの神格化などという事は本当にあったのだろうか?』という疑問を持っています。

 また、通常の神名は(世界共通ですが)、神々を称賛するが為の古代特有の(修辞?)名称であります。祭祀する人が神の本名を口にすることは考え難いし、神の本名(聖名)は祭祀者達の中でも、専属・特定の巫覡にのみ口伝された秘儀であったと想像できます。今に伝わる神名がどういう意味を持っていたのかという推定は、色々な事例を参照して、丁寧に進めるべき課題ですね。

 『神格化』や『神名』についての議論は、(ステレオタイプな観念が浸透していますので、)小分けにパックした書き込みを、少しずつ継続して投稿しなければ難しいでしょうね。 私もすぐ長い書き込みになる傾向がありますので(あまり言える立場ではありませんが)、ショート・ショートでのご連作を期待しています。(笑)

[5527] Re[5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/21(Sat) 14:55 [Reply]
> 入比賣神 六戸  比賣社神 一戸津国 并  後者は比賣許曾神社

日本書紀文注小文字の中では、
比賣許曾社は2ヶ所あることになっている。
難波と豊国国前郡。

これはその2ヶ所のことではないでしょうか。
入比賣神 六戸が難波で
比賣社神 一戸が国東。

どちらも難波が面倒を見るから「津国 并」では。

ちなみに、延喜式には国東の比賣許曾神社はありませんね。(^^;)
日本書紀の記述以降では風土記逸文にしかないのかな?


[5526] Re[5474]縄文について  吉田 2004/08/21(Sat) 12:07 [Reply]
かたばみさん、こんにちは・・・。吉田です。

お盆時期は、各地のお盆行事や精霊棚の作り方などの取材で忙しく、
返事が遅くなりました。ご容赦下さい。

山ノ神なんかもそうですが、こういう民俗行事は時期が限られていますので、
丹念に観てゆくなら、どんなに頑張っても、
一生のうちに、一つの行事について最大50ヶ所前後見れるか見れないか。というような状態ですからね。

悔しいですが、日本国内の全事例を見る事は到底不可能な訳です。(笑)
さて、・・・

頂いたテーマが広範囲なので、いくつかに分けて返信する事を御理解下さい。

>海からの視点とはちょっと違います。
>人間は陸上動物です、
>食糧を海に頼っていたとしても生活の場は陸。
>海人であろうと山ノ神に従属しているわけで、
>海人も山ノ神を意識し祀ることになるはず、ということです。

なるほど、ラディカルところからの御意見ですね。

ただ、現代的には、すごく納得できるし、プリミティブな感じ方だとも思えるところなのですが、
例えば、海人が自分達が祀る神は山ノ神だ。とか、
自分達は山ノ神に属す。というような意識はあった(ある)のでしょうか。?
この辺りについては、僕自身も未整理なのでハッキリした見解を持っていないエリアなのですが、
実際に、"大山祇命"を祀る大三島の人々の意識はどうなんでしょう。?・・・この辺り興味深いですね。

対象の認知と表現の問題。・・・祭祀という行為を読み解くにあたって、つきまとう問題です。

祀る側がどのように自分達の生活フィールドを捉えていたのかによって、
祭祀は、ある形式として現れますし、
また時代性(時代ごとの価値観)によって変化しますよね。

そういう意味では、かたばみさんの仰る、この条件の設定が、
"祭祀という行為を読み解く"という場で適応できるのかどうかという面では、
正直に言うと、ぼくは疑問点があると感じます。
また、僕自身の作業という面からでは、簡単には採用できないかな。と思いますが、
しかし、仰りたい事は、よく判ります。

>縄文が海山の文化の合体から登場したのであればなおさらです。
>海の神(大綿津見神)をメインとするかどうかは、
>その人々の出自とその時代に至る過程によるはずで、その点て大三島は興味深いところです。

そうですね。
"縄文"をどう捉えるのか。ということについては、
僕自身がこれについて専門ではありませんのでなんとも言い難い事なのですが、
その上で言うにしても、
"縄文"というと範囲が広過ぎて簡単には言えない事なぁ。と、・・・。(笑)

確かに、海と山の交流的なものはあった事は解るのですが、
それが即、「縄文は海山の文化の合体」と言い得るかどうか。・・・ですよね。

僕の縄文についての印象と疑問点みたいな処を述べれば、・・・

土器装飾の形態に於ける地域変容という面では多彩な文化だと思う反面、
また、
系統と言うのか、ある地域からある地域に、
土器装飾の文とその製作手法が伝搬していった痕跡が認められやすいというような側面を感じますし、

そして、それ等の事から、
縄文には何系統かの文化が混在しているのでは・・・。というような印象も受けます。

もしそうならば、何故それ等全部に、"縄文の形式"と認められるような、
大きな意味での、土器装飾の文様形式と言うのか手法の形式が生じるようになったのか。
・・・と言う事などを考えると、興味深いところです。

つまり、
大陸のある特定の地域を起源としたり、密接な相関性を前提とすれば、
何故複数の系統を感じさせるような事になったのかが疑問ですし、
逆に、・・・
大陸の複数の地域からの文化の伝搬を前提とすれば、
"何故複数の系統を感じさせるような事になったのか"と言う事についての理由にはなりますが、
その反面、それでは何故、その複数のものが、
"縄文という統一した形式"を感じさせるように、まとまって行ったのか。
・・・という過程について大きな謎を残します。

先ほども言ったように、縄文の土器編年等には詳しくないので、あまり深く踏み込めませんが、
その分野に関係のない外部の無責任な意見という意味なら、
「ある統一感を共有する土器のグループ」ごとに、
いくつかの系統に分けて縄文という文化を考えても良さそうだとも思われます。

逆にいえば、これらの系統に分けて考え得るような側面のある文化を、
縄文というひと括りにする必要性があるのか。・・・とさえ思うのです。

例えばですが、「南九州型」といわれる土器のグループがありますが、
これらは、二枚貝の貝殻を押し付けて陰刻した文様を特徴とします。
何かを押し付けて文様を付ける事が"縄文土器"の定義だとすれば、
その通り、縄文というひと括りのうちに含まれるのですが、・・・。

文様の技法の意味性というか、呪術性というのか、そういう部分を重視すれば、
縄文というひと括りにまとめてしまうのは、乱暴な話ではないのか。とも感じるのですよ。(笑)

その分野の専門でない立場の素人考えから言えば、・・・(笑)
"土器製作技術の類似をもって、一つの文化グループとして括ってしまわないで、
文様加工など、他の点に着目して、再分類してみたら、どういう事が浮かび上がるのか。?"
・・・というような思いつきです。(笑)

前述の「南九州型」といわれる貝殻文をもつ土器のグループは、
南九州だけでなく、本州南面の太平洋側海岸部に点在しています。
このグループが、神津島の黒曜石を、東海道海岸部に運んだグループと重なり合うのかどうかは、
僕には解りません。

ですから、魅力的なのですが、あまり縄文には触れたくない。というのが正直な気持ちです。(笑)

そして、また、縄文をどう捉えるのかという問題は、
こういう古代の時代から現在に至るまでの歴史過程からみて、
"日本の文化の成り立ち"や、"日本の文化の独自性(質)"をどう考えるのか。
・・・と言うところにも影響してきます。

このような距離の離れた地域間のモノの動きが出てくると、
例えば、"距離の離れた地域間の黒曜石の流通(交易)をどう捉えるのか"という問題になります。
物々交換のような交易であったのか。
或は、経済という観念の萌芽のような、ある意味での資産性をもつ、貨幣的価値があったのか。
・・・というような事です。

こう言う事に関わるであろうと思われる例が、
「住居の壁面の際の、ある位置に、黒曜石片(黒曜石の加工素材/原石)を積み上げて保管している事例」として知られています。
こういう事例が一事例や二事例の少数でなく、多事例見られるそうですので、
こういう事をどう考えるかです。
こういう保管の形態には前述の"住居内壁の際に集積している事例"の他に、
"約300mm程度の口径でのビットを浅く堀り保管している事例"、
"焼土跡の付近に集積した事例"
"土器の中に収納されていた事例"
・・・などが、主に縄文中期によくみられるという事です。

このように保管された黒曜石片(黒曜石の加工素材/原石)の大きさに、
特大、大、中、小に分類できる、ある一定の規格があるのでは、・・・。という点に着目した研究者からは、
地域間の黒曜石の流通(交易)にある一定の取り引きレートのような規格が存在し、
組織的に"商品"として取り引きされていたのでは・・・。と指摘する声もあります。

もしそうなら、縄文中期以降、ある種の経済というような概念ができていたという事ですし、
黒曜石片(黒曜石の加工素材/原石)は、
モノの流通(交易)に於ける、ある種の貨幣的価値や性格で扱われていた可能性さえある訳です。

このような性格で遠距離の地域間の流通(交易)があった場合、
集落、或は、ごく狭い地域エリアの中では、どうだったか。?ということです。
遠距離の地域間の流通(交易)に準じて、集落、或は、ごく狭い地域エリアの中でも、
黒曜石片(黒曜石の加工素材/原石)を貨幣のように取り扱った、流通(交易)経済があったのかどうかです。

もし、ここまでの事があったとすれば、縄文の持つイメージはガラリと変わります。
"原始共産制的な貧富の差が無いか、極めて少ない世界。"というような、
一般的なイメージは全くの幻想という事になります。

このような、
黒曜石片(黒曜石の加工素材/原石)を貨幣のように取り扱った、流通(交易)経済があった。とすれば、
"海の縄文の役割"、"山の縄文の役割"という関係を、
ひとつの経済システムという面から捉え直さなければなりません。
また、神津島の黒曜石を、東海道海岸部に運んだ海の縄文のグループは、
この交易により"何を得ていたのか。?"という点も気にかかります。

こういう黒曜石の動きを、
単なる、採取と分配と観るのか。
流通(交易)経済と観るのか。・・・で大きく違ってきます。


[5525] Re[5524][5523]: 櫻嶋神  神奈備 2004/08/20(Fri) 18:33 [Reply]
> > 櫻嶋神 廿四戸>
> 倭名類聚鈔には、因幡国八上郡若桜郷がある。
>
> 月読神にぴったりなのは、
> 占部神 九戸 山城
> であろうと思われます。

日進月歩とはこのことです。
月神祭祀の壱岐県主は本姓を卜部と云うそうで、おっしゃる通りでしょうね。

> 櫻嶋神 廿四戸
> 若櫻神社・高屋安部神。

大和の神のようですね。
てっきり薩摩かと思っていました。
余談ですが、桜島は結構古い時代から噴火しています。島になったのは天平宝字八年(764)ですね。
http://www.seisvol.kishou.go.jp/fukuoka/506_Sakurajima/506_rireki.html

桜島、池の中に鎮座する桜神、桜井市池之内の稚櫻神社、物部系とすれば宇部神社に通じると云うことですか。いい船かも。

[5524] Re[5523]: 櫻嶋神  ペギラ 2004/08/20(Fri) 17:57 [Reply]
> 櫻嶋神 廿四戸

倭名類聚鈔には、因幡国八上郡若桜郷がある。


[5523] 櫻嶋神  ペギラ 2004/08/20(Fri) 15:22 [Reply]
櫻嶋神 廿四戸

かなりの神封があるのに、なかなかわからない。

若櫻神社・高屋安部神。

こんなところが匂う。どうでしょうか?

[5522] Re[5521][5520][5519]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/20(Fri) 13:04 [Reply]
> 格式から云えば、ペギラさん曰わく、月読神かも。
>
自分でも良い線いっていると思っていましたが、

月読神にぴったりなのは、
占部神 九戸 山城
であろうと思われます。

[5521] Re[5520][5519]: 新抄格勅符  神奈備 2004/08/20(Fri) 09:00 [Reply]
玄松子さん、ありがとうございます。新抄格勅符抄のサイトでの神社リンクですが、今更ながら「玄松子の記憶」の充実ぶりに敬意を表します。

葛野打下神

首途八幡宮(かどではちまんぐう)
旧名 内野八幡宮
八幡さんでは、宇佐と石清水とが記載されており、筥崎宮が見えないようです。

『三代実録』山城国正六位上降居神 の「降居」の横に阿刀と傍書されているとか。

打下 うちおろし 降居 連想できますが、他に堕川神などもありますね。

格式から云えば、ペギラさん曰わく、月読神かも。


任益神

徳島市に助任と云う地名があります。「任」の訓に「と」はありそうです。
益、おっしゃる「禾の下に皿と書いて「か」。」は音読みですね。音読みは珍しい。
皿がつく、訓読みの「か」探せばあるのかも。

参河では砥鹿神社が出てくるのは不自然ではないのですね。

[5520] Re[5519]: 新抄格勅符  玄松子 2004/08/19(Thu) 21:55 [Reply]
横から、雑感。

> 葛野打下神、阿刀を筆で超達筆に書けば、打下と書いた字と殆ど一緒では。

首途八幡宮の古名は、「内野八幡宮」。「打ノ」?


> 任益、超達筆の筆ころがし占いでは知立?

任は「とう」、禾の下に皿と書いて「か」。つづけて「とか」。なんてね。

[5519] Re[5518][5516][5515][5512][5509]: 新抄格勅符  神奈備 2004/08/19(Thu) 20:41 [Reply]
ペギラさん ありがとうございます。

熊野牟須美神 おっしゃる通り本宮でしょうね。

葛野打下神、阿刀を筆で超達筆に書けば、打下と書いた字と殆ど一緒では。

任益、超達筆の筆ころがし占いでは知立?


下記サイトを更新いたしました。
http://www.kamnavi.net/sumiyosi/sinshou2.htm

[5518] Re[5516][5515][5512][5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/19(Thu) 11:57 [Reply]
> 熊野牟須美神 四戸紀伊
> これは、後で速玉神が出てきますので、那智大社か熊野三所大神社になるのかも。
> そうすると熊野坐神社の名が漏れていることになります。
> 熊野坐神社は神名を書けば家津美御子神だ・・

そんなに深読みしなくても良いのでは?
普通に熊野坐神社だと思いますよ。

> 射園神 一戸美乃
> これも美濃には見えない。大和の石園坐多久虫玉神社のようでもある・・

これと同じような事例が

墨坂神 一戸 信乃々
信濃須坂に分社があるそうなので、なんとなく解りますが、
石園坐多久虫玉神社と同系の神社が美濃に見当たらない。
なにかに変わっているんでしょうね。

葛木犬養神というのも少し問題だと思う。
駒形大重神社だと思われるのですが、
廿戸 信濃 
という記述。
20戸で信濃にあるならば、間違いなく名神大になっているはずだが、
そんな神社は見当たらない。
犬飼神社がその信濃の分であろうと想像されていますが、
ということは、信濃で20戸だという記述ではないということになる。

このようなことも考慮する必要がありそうです。

いまだに、ほとんどわからないのが、
葛野打下神

神封九戸山城そして葛野ということから、
可能性があるのは、平野・梅宮・伴氏・月読
そのなかから、もっとも可能性が高そうなのが、「月読」

だが、こんな邪推しかできないというなんとも難しい神様です。
字の書き間違いで、打下となっているのでは?とか。

任益神
この神様も難解。
十戸も神封があれば、それなりの大社。
三河で可能性があるのは、
砥鹿神・知立神・狭投神のどれかだろう。
でもこの三神の延喜式までの神階はあまりにも低い。

可能性が高いのは、砥鹿神であろうが、
任益神と砥鹿神とを結ぶものは全く見えない。

この任益神の読み方もわかりません。

当初、「みよし」じゃないかと思い、だから三好なんだと思っていましたが、
三好はかなり新しいものだとわかり暗礁に乗り上げております。(>_<)

[5517] Re: 『巫が山で戯れる』  神奈備 2004/08/19(Thu) 11:02 [Reply]
巫山戯のようで巫山戯でない 申公巫臣 のお話他

古代の楚の大夫で、亡命して、狗呉国の国政を司る事になった。
呉の国には丹陽に銅山を持っており、銅を同盟国に配布、国力を増強したそうだ。
彼は、南蛮の呉をして「周の文王の長兄、太伯の子孫」とアッピールしたのも、兵法の戦略だったそうです。

朝日文庫『曹操注解 孫子の兵法』中島悟史さん著 ¥920.− から
この作者、中央大学の客員研究員です。多分、男爵@中央大学さん。

この話が『魏略』、『梁書』に載り、平安時代の『日本書紀私記』に日本書紀の講義のなかで天皇家の姓を姫氏としたのでした。


五輪ピックや高校野球でにぎやかです。高校野球のお話。

「イヤーオブザコーチ」扇町総合高・麋山監督を表彰 /大阪 と云う記事がありました。
 優れた高校野球指導者に贈られる日本高野連の「イヤーオブザコーチ」に、大阪市立扇町総合高(北区)野球部の麋山順證(びやまじゅんしょう)監督(62)が選ばれ、阪神甲子園球場で15日、表彰式があったそうです。

 大阪市内の近所にお住まいで、麋山監督とは数十年来の友人で、誠に目出度いことです。 
http://sports.yahoo.co.jp/baseball/hs/headlines/20040816/20040816-00000219-mailo-l27.html


[5516] Re[5515][5512][5509]: 新抄格勅符  神奈備 2004/08/17(Tue) 15:04 [Reply]
ペギラさん ご協力ありがとうございます。

熊野牟須美神 四戸紀伊

これは、後で速玉神が出てきますので、那智大社か熊野三所大神社になるのかも。
そうすると熊野坐神社の名が漏れていることになります。
熊野坐神社は神名を書けば家津美御子神だ・・

射園神 一戸美乃
これも美濃には見えない。大和の石園坐多久虫玉神社のようでもある・・

>酒見神 三戸播万
http://www.geocities.jp/qjfqf330/souken.html
酒見大明神の碑がくっきりと目立ちますね。こう云うのには惑わされやすいキャラ。
さらに、この住吉神社の祭神には酒見神が残っています。
ここでいいんでは。

[5515] Re[5512][5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/17(Tue) 14:30 [Reply]
> > 酒見神 三戸播万  尾張国に酒見神社はあるが・・・
>

延喜式の坂合神社ですかね。(^^;)

[5514] Re[5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/17(Tue) 14:16 [Reply]
> 伊具波夜別神 二戸 陸奥国

この伊具の「具」の文字は疑問点のある文字です。

伊具郡の神様のようにも見えますが、
私は牡鹿郡の伊去波夜和気命神社だと思います。

[5513] Re[5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/17(Tue) 10:49 [Reply]
> 許志摩神 九戸山城 

バラバラとすいません。忘れちゃうといけないから。(笑)

木嶋坐天照御魂神社
では?

[5512] Re[5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/17(Tue) 09:41 [Reply]
> 酒見神 三戸播万  尾張国に酒見神社はあるが・・・

酒見. 住吉神社, 兵庫県加西市北条町北条, 播磨国三宮旧・県社

http://www.geocities.jp/qjfqf330/souken.html


[5511] Re[5509]: 新抄格勅符  ペギラ 2004/08/17(Tue) 09:30 [Reply]
> 伊?大社神 二戸近江国

これは、伊香大社神ではないでしょうか?
伊香具神社。


[5509] 新抄格勅符  神奈備 2004/08/16(Mon) 19:48 [Reply]
『新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)』に出てくる神社で良くわからない神々

葛野打下神 九戸 山城国
伊?大社神 二戸近江国
許志摩神 九戸山城 
入比賣神 六戸  比賣社神 一戸津国 并  後者は比賣許曾神社
園神 廿戸  韓神 十戸 並讃岐国同年奉レ充  ペギラさんの解読がありますが。
任益神 一戸 参河国
酒見神 三戸播万  尾張国に酒見神社はあるが・・・
伊具波夜別神 二戸 陸奥国
大社神 一戸 壱岐嶋

[5508] Re[5506]: 藤井です  神奈備 2004/08/16(Mon) 12:14 [Reply]
藤井さん こんにちは。
> 竹内文書研究著書などと並行してみたら、当然伊勢神宮の柱の下には蛇が奉っているのは考えられました。

この一文では何の事やら、もう少し詳しく書いて頂ければ幸甚です。

[5507] Re[5504]: 平群案内のガイドさんは?  神奈備 2004/08/16(Mon) 12:14 [Reply]
平群の歴史ウオーク、いいですね。
古墳やお寺もお回りになるんですね。
神奈備も参加して地元の方の説明を拝聴したいものです。

[5506] 藤井です  藤井 享 [Mail] 2004/08/16(Mon) 07:49 [Reply]
私は藤井ですが、父が緒方家本家に由来する故祖父のところに養子として、山口県の
藤井家から生活上の理由で私が中学3年の半ばまで、家族は鹿児島県出水市の緒方家の祖父に世話になっていました。従って私にとっては祖父祖母は緒方でした。
緒方家の歴史を調べる過程で、平家物語にも恨みとして強調されているようで歴史的に奧の深いことがわかりました。自身の姓(藤井)に関して興味が無かったのですが、緒方の紋章が蛇(大地神または宇宙)であることからして常に竹内文書研究著書などと
並行してみたら、当然伊勢神宮の柱の下には蛇が奉っているのは考えられました。
緒方に関する著書は殆どありませんでしたが、偶然、藤井に関係する内容がひふみ神示という本に書かれており、偶然にも竹内文書では天皇の本宮とされる、富山県をあらわしており、しらべてみると高瀬神社の代々の宮司が藤井とあり、なんと藤井家の先祖は三十人代天智天皇の御二男武彦命(施基皇子)とありました。私は岸和田の
春木から関西線の八尾駅まで通勤してますが。八尾駅のとなりの志木駅もあります。・・・・???太子堂とか・・・・???・・・疑わしい名前です。
ここまでは凄いと思ったのですが、さらに藤井寺からいろいろみてみると、
どうもこちらの藤井家は竹内文書研究家からすれば天皇に入り込み、日本を乗っ取る
陰謀の発端とされる百済系帰化人であるらしい。(皆がそうとはかぎらない)
大元は藤井でなかったことからすると、私感からして名を借りていることでは
ないだろうか。熊本県にも緒方でありながら、実は平家の落人で本来なら天敵である
源氏の温かい配慮で子孫を護ってもらい、緒方と名をつけたところもあるようです。数年前、母方の従兄弟で本家に縁の深い方が一度私の家をおとずれました。緒方に
して言えば、現在の多くのオガタの名のつく家は多くが名を借りたものであるらしいです。
失礼いたしました。

[5505] 三輪山でツクツクボウシが鳴く頃  神奈備 2004/08/15(Sun) 09:35 [Reply]
  ◇◆◇ 文化講座「三輪山セミナー!」 ◇◆◇
   http://www.oomiwa.or.jp/frame/f04.html
日 時 : 8月28日(土)  14:00〜15:30
場 所 : 大神神社 大礼記念館2階大広間
演 題 : 『「出雲」氏の考古学』
講 師 : 奈良大学教授  水野正好先生
費 用 : 無料(但し、当日配布資料代として200円必要)
問合せ : 三輪山セミナー係
      TEL 0744-42-6633
 ※受講ご希望の方は、事前に三輪山セミナー係へお問い合わせ下さい。

面白そうですね。

[5504] 平群案内のガイドさんは?  山本正克 [Mail] 2004/08/14(Sat) 17:05 [Reply]
大阪狭山市の熟年事業で平群の歴史ウオークを10月に実施することになっておりますが、どなたか古墳、神社を中心にガイドをして頂ける方は居られないでしょうか?  三里古墳、長屋王の墓、紀氏神社、楢本神社、つぼり山古墳、長楽寺などを回る予定をしております。

[5503] 皆様ありがとうございます  ミネア [Url] 2004/08/14(Sat) 01:00 [Reply]
皆様、情報ありがとうございます。
「倭姫命世紀」ではなく、「倭姫命世記」が正しいのですね。
タイトルを間違って記憶していました。
こちらの管理人さんは確か和歌山の方ですよね。
そちらの神社には一度行ったことがあります。
私も和歌山県民です。
和歌山県立図書館で書名を検索しましたが、出てきませんでした。
書名を勘違いしていたためかもしれませんね。
また探してみます。
ありがとうございました。

[5502] Re[5501]よろしくおねがいします。  葛木御歳神社 [Mail] [Url] 2004/08/13(Fri) 23:38 [Reply]
> どなたか葛木御歳神社さんにハンドルネームを進呈してあげて下さいな。

よろしくお願いします。
「葛木御歳神社」は8月17日限りの名前です。

[5501] Re[5500][5499][5496]: お尋ねしたいことがあります  神奈備 2004/08/13(Fri) 21:20 [Reply]
> 『倭姫命世紀』とかかれる方は多いようです。変換ミスでしょう。
> kamnavi.net にも幾つか見られますよ。

ありますね。ありがとうございます。平成データ、紀伊続風土記にも「紀」がありました。

> 柳瀬さん、最近見えませんね。
神職さんとしての投稿は難しい所があるんでしょうね。
どなたか葛木御歳神社さんにハンドルネームを進呈してあげて下さいな。


[5500] Re[5499][5496]: お尋ねしたいことがあります  玄松子 2004/08/13(Fri) 20:17 [Reply]
> 倭姫命世紀 「紀」はYUUKOさんの「記」です。

『倭姫命世紀』とかかれる方は多いようです。変換ミスでしょう。
kamnavi.net にも幾つか見られますよ。

> 楡山神社さんのHPに口語訳付きでアップされています。
> http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/kyodo/yamatohime.htm

柳瀬さん、最近見えませんね。

[5499] Re[5496]: お尋ねしたいことがあります  神奈備 2004/08/13(Fri) 11:00 [Reply]
倭姫命世紀 「紀」はYUUKOさんの「記」です。
楡山神社さんのHPに口語訳付きでアップされています。
無料かつ親切。
http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/kyodo/yamatohime.htm

[5498] Re[5496]: お尋ねしたいことがあります  通りすがり 2004/08/13(Fri) 02:07 [Reply]
近所に市町村の図書館も無い住人かな?
ふつうの県立や市立図書館に行ったら有るよ。
そこで必要なところだけコピーすれば十分。
遠くても、その県や市の住民なら電話で対応してくれるよ。(それが仕事なんだから)
それが無い図書館は、あまりにバランスを欠いているかもしれない。
他を当ろう!ダメなときは、その図書館を明記して再度ここで訴えてみて。

[5497] 倭姫命世記  YUUKO [Url] 2004/08/13(Fri) 01:57 [Reply]
『倭姫命世記』は「日本思想体系」(岩波書店)第19巻「中世神道論」に収録されていますね。(19巻収載項目:倭姫命世記、中臣祓訓解、大和葛城宝山記、天地麗気記、類聚神祇本源(抄)、旧事本紀玄義(抄)、諸神本懐集、唯一神道名法要集)古本屋さんで2000〜2400円。他は『国史大系』(吉川弘文館)第7巻「古事記・先代旧事本紀・神道五部書」(「倭姫命世記」は「神道五部書」の1つ)普及版でよければ税込み2415円、『大神宮叢書 度会神道大成前編』(臨川書店)とか、『神宮古典籍影印叢刊』巻8(皇学館大学)とか・・・書店で調べてもらった方が早いかと。
↓先頭にhを付けて
ttp://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/kyodo/yamatohime.htm

[5496] お尋ねしたいことがあります  ミネア [Url] 2004/08/13(Fri) 01:13 [Reply]
はじめまして。
ミネアと申します。
知り合いの紹介で来ました。

ちょっとお尋ねしたいことがあります。
ここでお聞きしたら分かるかもしれないと思いまして。
神道の奥義が書かれていると言われている「倭姫命世紀」を読んでみたいのですが、
これは一般の本屋さんで売ってるのでしょうか?
お高いんでしょうか?
もしご存じでしたら、教えて頂けないでしょうか。
よろしくお願いします。

[5495] Re[5493][5492]: 『新抄格勅符抄』の忌部  ペギラ 2004/08/11(Wed) 11:47 [Reply]
> 讃岐に神封がある神様があと一組あった。
> 園神 二十戸 韓神 十戸
> 850年から宮中神として神階を持っているこの神様。
> 忌部との関係は、無いのだろうか?
>

無理やり関係させようなどとは、あまりにも強引でした。

どうもこれは、菅原道真さんが讃岐国守の時の
893 寛平5 (癸丑)
 県内 (5)・11(#「5」は丸付き数字)
 讃岐国の封戸30戸の租をもって国神両社の直会殿を修造させる(日本紀略)

のようですね。

ちょっと興味を引いたので、徘徊。
神奈備さんの紹介されていた香川県立図書館のサイトから
・・・・引用して作成・・・・
郡名・神名・人名(現地) 1000年ぐらいまでの分で。

○大内郡水主神
大内郡人明法博士凡直春宗
大内郡白鳥郷人阿蘇公広遠

○寒川郡多和神
寒川郡人韓鉄師毘登毛人・韓鉄師部牛養
寒川郡人凡直千継
寒川郡人佐婆首牛養
寒川郡出身の明法博士讃岐朝臣永直
寒川郡人矢田部造利人

○三木郡屋栗神
三木郡氷上郷の物部牛麻呂
三木郡人物部又麻呂
三木郡人大判事兼明法博士桜井田部連貞相

山田郡大領綾公人足
山田郡司秦公大成
山田郡池田郷出身の凡直真忠

○香川郡田村神
香川郡幡羅(原)里の秦人部辛麻呂
香川郡人秦勝倉下
香川郡人秦人部永楫・同姓春世
香川郡人県春貞
香川郡人俗姓秦氏の僧道昌
香川郡人秦公直宗・直本兄弟
香川郡笠居郷出身の綾公元包

○阿野郡城山神・賀茂神・神谷神・高家神
阿野郡人綾公菅麻呂
阿野郡山本郷の伊予部連虫麻呂
阿野郡人綾公姑継・同姓武主

○鵜足郡宇夫志奈神・天川神・船山神・飯天神・
鵜足郡川津郷戸主内部宮麻呂
鵜足郡二村郷の吉志部呼鳥
鵜足郡司当麻某,同郡小川郷の戸主大伴首三成
鵜足郡人宗我部秀直・同建部秋雄

○那珂郡万農池神
那珂郡人錦部刀良
那珂郡人因支首道麻呂
那珂郡人因支首秋主

○多度郡雲気神・大麻神
多度郡藤原郷の伊□智万呂
多度郡藤原郷の大伴部田次
多度郡人俗姓佐伯氏の空海
多度郡人同姓(因支首)国益
多度郡人同姓(因支首)純雄
多度郡司佐伯直鈴伎麿
多度郡人刑部造真鯨
多度郡人秦子上成・同姓弥成

○三野郡大水上神
三野郡人丸部臣豊?
三野郡大領丸部臣明麻呂
三野郡人大学助教刈田首種継
三野郡人桜井田部連豊直

○刈田郡粟井神
刈田郡人刈田首安雄

・・・以上・・・

現地豪族・赴任豪族と現地の神様との関係もなんとなく見えてくる気がする。
忌部さん出てきませんね??

[5494] Re[5493][5492]: 『新抄格勅符抄』の忌部  神奈備 2004/08/11(Wed) 11:34 [Reply]
大年神の御子神の神社数

   大年神 御歳神 大国御魂神
奈良   6   8  11
香川  19   8  26・・半分は小豆島
徳島  11   2   4
愛媛  10   5   2
高知  18  15   4
岡山  47  14   7
兵庫 400  36   4
島根 123  39   7
福岡  34   9   4

この大年神の系譜は『古事記』にしかなく、秦氏が書き入れるべく働いたと云われています。不思議なことに新羅系らしくない神名を持つ大国御魂神の鎮座数は讃岐国−特に小豆島−がダントツです。何故だろう。
勧請された大和神社の神は荒魂神社とよばれたようです。大和の勢力に征服された名残でしょうか。この神が島の各地に鎮座して支配体制を構築したのかも。
小豆島には御歳神は見当たりません。

阿豆枳島神社「大野手比賣神 」がこの島の地主神なのでしょう。
アズキシマ、アジスキさんに似ていますが無理筋のようで・・。

秦氏は天日矛神の末裔ともされているようです。天日矛の渡来の記事は不思議なことですが『記紀』との神代ではありませんが、やっていることは神代そのものです。この国の神代はもっと古代で半島の神代はこの国の人皇時代とでも云いたかったのでしょうね。
この天日矛が持ってきた神宝に「羽太玉」と云う物があります。忌部氏の祖神を天太玉命と称します。ひょっとしたら渡来系かと。

要は忌部氏のルーツは、と云うことになります。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/trip48.html
によれば、どうやら半島系のようですね。

>讃岐に神封がある神様があと一組あった。
>園神 二十戸 韓神 十戸

讃岐にも積石塚が多いとのこと、これらも忌部氏か秦氏との関係かも。

[5493] Re[5492]: 『新抄格勅符抄』の忌部  ペギラ 2004/08/10(Tue) 17:52 [Reply]
『新抄格勅符抄』の神封から想像できる忌部の世界

天太王命(齋部宿禰祖)
太玉命所率神名
天日鷲命(阿波國忌部等祖也)→安房神九十四戸
手置帆負命(讃岐國忌部祖也)→御歳神十戸か?
彦狭知命(紀伊國忌部祖也)→忌部神十戸
櫛明玉命(出雲國玉作祖也)→忌部神十戸
天目一箇命(筑紫,伊勢兩國忌部祖也)→粟嶋神二戸か?
 
讃岐に神封がある神様があと一組あった。

園神 二十戸 韓神 十戸

850年から宮中神として神階を持っているこの神様。
忌部との関係は、無いのだろうか?

阿波国や讃岐国の在地の忌部に神封が無いこと。
さらに阿波国の神封は中臣大鳥神だけ(二戸)しか持っていないというのも不思議な世界。

[5492] Re[5489][5487][5485][5484]: 三代実録  ペギラ 2004/08/10(Tue) 16:17 [Reply]
> > 屋栗神、梶州・天川・宇夫志奈神、賀富良津神
>
> 粟井神は苅田郡に鎮座
>
> 屋栗神は三木郡
> 香川県仲多度郡琴南町梶州741 梶州神社(かぢすじんじゃ) は 鵜足郡
> 香川県仲多度郡琴南町造田3431 天川神社 も 鵜足郡
> 香川県綾歌郡宇多津町1644 宇夫階神社 も 鵜足郡
> 賀富良津神、これがよくわからない。
>
ありがとうございます。
粟井神とは、関連はないようですね。
そうすると、さらに不可解な記述となりますね。

> 御歳神と忌部氏−讃岐−と関わりがありそうですね。
>
葛城と忌部という視点ですと、讃岐神社の粟井神とか。
葛城の忌部は、讃岐忌部なんでしょうね。

天太王命(齋部宿禰祖)
太玉命所率神名
天日鷲命(阿波國忌部等祖也)
手置帆負命(讃岐國忌部祖也)
彦狭知命(紀伊國忌部祖也)
櫛明玉命(出雲國玉作祖也)
天目一箇命(筑紫,伊勢兩國忌部祖也)
 
忌部造や忌部首とはちょっと讃岐の忌部さん違う感じですね。

[5491] ご神体  YUUKO [Url] 2004/08/10(Tue) 00:52 [Reply]
サークルPONTAのYUUKOです。ほとぼりさめたかしら?
最近は岡崎市(愛知県)を中心に先輩と神社ウォッチングをしています。

最近、興味あるのはご神体です。

あるスサノオ神社は以前、天王社と呼ばれていて、ご神体は牛頭天王立像です。よく神仏分離令の難を逃れたものだと思います。でも、天王社と呼ばれる前はスサノオ神社だったそうで、その時のご神体は何だったのでしょう?

遠州地方では、各家で地の神様を祀っていますが、この御神体は石です。
神棚の天照大神は鏡ですね。
近くの津島神社の御神体は津島神社(愛知県津島市)のお札だそうです。
津島神社では、御分霊の時、お札を分霊の依り代にするのでしょうか?

私が身分の高い人で、神社を建てるとしたら、ご神体は、剣・勾玉・鏡(三種の神器)から選ぶかな?
私が武士なら、やっぱりご神体は武器。三種の神器にある剣にするかな? 神社(屋敷社)を建てるお金が無ければ、八幡神社に刀を奉納するかも?
弓矢でもいいですね。破魔矢。「魔」という言葉は神道というより仏教、キリスト教でしょうけど。
神武天皇は、長スネ彦に弓矢を見せて、天孫であることを証明しています。(この時はまだ剣=布都御魂を手に入れていませんからね。布都御魂も持っていれば、それを見せたでしょう。)弓矢も、剣同様、ご神体になりえますね。弓矢がご神体なのは、たとえば、岡崎市の菅生川(現在の乙川)畔の「菅生神社」があります。この神社は自称「岡崎で最も古い神社」で、ご神体は日本武尊がお作りになられた弓矢です。(ただ、この神社の不思議は、祭神に日本武尊が含まれていないことです。また、この神社より矢作神社の方が古いでしょう。なぜなら、日本武尊が岡崎にやって来て、スサノオ神社に参拝したら、1夜で矢を1万本作ってくれたので、その神社を「矢作神社」と名付けた(「旅少女・矢作川」に詳細レポート)のですから、日本武尊が来る前に存在していた神社の方が、やって来て作った弓矢をご神体にして建てた神社より古いはずです。)
私が農民なら、ご神体は農機具かな? 農民には剣・勾玉・鏡を買うお金が無いし、縁遠い。ただ、神社を建てる権限も財力も無いから、頑張って村のみんなで祠が精一杯。あと、筆塚のように、使えなくなった農機具を集めて塚を作ってもいいけど、農機具は使い込むもので、古くなっても補修して使って、新品はまず買わないでしょうね。
地の神様なら、木と藁と石があれば作れるので、毎年作りますけど。
農機具がご神体というと、浮田神社の鍬が有名ですね。ご祭神の大山クイが丹波(丹場=赤い色の湖)一帯を切り開いた(大山咋が鋤を以って山を切り開き、岩を砕いて水を山城国へ流したので丹波国が生まれた)からだそうです。
前に行った猿投神社では、左鎌や左鎌の絵を描いた絵馬が奉納されていました。ご神体ではないですが(汗;)。神社を建てるお金が無いから、たとえば、安産祈願なら、そういう御神徳の神社に参拝するとか、底の無い柄杓や桶を奉納するって感じですね。猿投神社の左鎌の奉納は、ご祭神の大碓命が左利きで、左鎌を使って、その一帯を切り開いたからです。

 「ヤマトタケル」(梅原猛作)では、景行天皇が大碓を可愛がって、小碓をうとんじていますが、実際には大碓も嫌われていたようです。美濃の美少女を差し出さなかったからでしょうか? 大伴家持と阿部東人による猿投神社調査報告書には、「景行天皇53年天皇が伊勢国へ行幸、常に猿を愛し玉座に侍せしむ。猿の不祥あり。天皇にくみて伊勢の海に投げ給ふ。(中略)日本武尊東征の時、壮士三河国より来たりて従う。(中略)先に慈恩を蒙れる猿なり」とありますが、これを読むと、「猿=大碓命で、天皇に愛されていたが後に嫌われたので、伊勢神宮の斎宮である叔母(倭姫)を頼って伊勢へ逃れ、さらにそこから猿投山に逃れて毒蛇にかまれて死ぬ(猿投神社西宮奥に大碓の墓があります)」と読めるような気がします。(「旅少女・狭投神社」に詳細レポート)もしそうなら、天皇に嫌われて熊襲や東国征伐を言い渡され、伊勢神宮の斎宮である叔母(倭姫)を頼って知恵をさずけてもらって助かったものの、伊吹山の神にふれて死ぬという小碓の話に似ていますね。双子は同じ運命をたどると言いますから。


[5490] 隼人サミット 鹿児島放送でTV放映!  竹取の翁 [Mail] [Url] 2004/08/09(Mon) 23:26 [Reply]
隼人サミット「古代隼人文化を語る」TV放映! 

隼人サミット「古代隼人文化を語る」

隼人サミットの模様がTV放映!
2004年8月21日(土)、10時15分から鹿児島放送で、隼人サミットの模様がTV放送されます。
また、地元紙で8月4日の鹿児島の新聞、「南日本新聞」にも大きくとりあげられました、
鹿児島では南日本新聞にとりあげられれば、今回の催しが認められたというということになるようです。
 サミットの評価について、隼人町でも評判がよく、出席された方も有意義な一日だったと話されていました。

開 催 日 : 平成16年8月1日(日)
 開催時間 : 午前9時45分〜午後4時15分
 開催場所 : 隼人町農村環境改善センター(隼人町役場近く)
      鹿児島県姶良郡隼人町内山田1丁目14番10号
      入場無料 定員600名 要申込み 
  問合せ先 隼人町立隼人塚史跡館0995(43)7110
サミット出演者
 特別講演  10時15分〜
  森 浩一 考古学者・同志社大学名誉教授

シンポジウム13時30分〜
 進 行 役 原口 泉 鹿児島大学法文学部教授
 指導助言 井上満郎 京都産業大学教授
 パネラー 下野敏見 民俗学者 元鹿児島大学教授 
      小泉芳孝 京田辺市郷土史会理事
      角田博文 奈良県五條市阿田郷土史探求会幹事長
      藤浪三千尋 隼人町教育委員会

http://www.eonet.ne.jp/~koizumi/

[5489] Re[5487][5485][5484]: 三代実録  神奈備 2004/08/09(Mon) 19:50 [Reply]
話が若干前後しますが。
> 日本紀略
> 延喜6 (丙寅) 2・7 讃岐国氏大神・苅田神・連岳神・国栄神の諸神,従五位下に叙される。

この苅田神とは粟井神のことです。

> 屋栗神、梶州・天川・宇夫志奈神、賀富良津神

粟井神は苅田郡に鎮座

屋栗神は三木郡

香川県仲多度郡琴南町梶州741 梶州神社(かぢすじんじゃ) は 鵜足郡

香川県仲多度郡琴南町造田3431 天川神社 も 鵜足郡

香川県綾歌郡宇多津町1644 宇夫階神社 も 鵜足郡

賀富良津神、これがよくわからない。

『三輪山の古代』と云う本を見ていましたら:−
『先代旧事本紀』には高照光姫大神命、坐倭国葛上郡御歳神社とあります。
更に、文永年間(1264〜)の『大神分身類社鈔』に、長柄比売神社一座 大和国葛上郡御年神社 高照光姫命 とあります。御歳神社の祭神を高照光姫命としています。

『平成データ』では、讃岐の国だけに長柄神社で祭神が御歳神というのが出てきました。
讃岐国阿野郡(香川県綾歌郡綾上町)に長柄神社が鎮座、國常立命、天津兒屋根命、大山積命、猿田彦命、御歳神を祭神としています。
讃岐国香川郡(高松市円座町)廣旗神社摂社長柄神社が鎮座、御年神を祭神としています。
御歳神と忌部氏−讃岐−と関わりがありそうですね。

[5488] Re[5486][5485][5484]: 『新抄格勅符抄』  ペギラ 2004/08/09(Mon) 17:43 [Reply]
> 『式内社調査報告』二十三巻の粟井神社の説明にも引用されていますね。

ということは、粟井神=屋栗神、梶州・天川・宇夫志奈神、賀富良津神
だろうとするスタンスのようですね。
この五神は、他に出てきませんので、可能性は十分あります。
そう粟井神が神階についての記事が残っていませんので、そう解釈できなくはない。

>
> 土佐から迎えられた神などの考察は
> http://www.kamnavi.net/as/katuragi/kamotable.htm
> にまとめております。
> 概ね穏やかで同じ様な所に落ち着いています。
> ご意見を戴きたく思います。

完璧ですね。見事なまとめ方。(^O^)/

この方向で考えるといろんな疑問点に光が!
鴨都波八重事代主は、暗号や言葉遊びの世界になってしまいますが、
カモツハヤエコトシロヌシ
大鴨積命は八重事代主!
鴨神は摂津三島・茅渟縣陶邑・大田田根子の一族となっている。
出所は事代主である。
事代主=阿遅須枳高日子命という感覚が見え隠れするのは、
神封や神戸の記事からもわかる。大和側の解釈なのだろう。

神々の原像は
大物主・事代主という親子(近畿)
意美豆努・赤衾伊農意保須美比古佐倭気能という親子(出雲)
大己貴・味鋤高彦根・事代主という親子(日本書紀)
造天下大神・阿遅須枳高日子命という親子(出雲国風土記)

本当は違った神の姿であったのが、習合変化して新しい神が作られていった。
そこに鴨の神々が複雑に絡み合っていく。

[5487] Re[5485][5484]: 三代実録  神奈備 2004/08/09(Mon) 09:57 [Reply]
> >>『三代実録』に「貞観六年冬十月十五日戊辰 讃岐国正六位上粟井神 従五位下を授く。」とあり
> この部分ですが、三代実録には、これはありません。

地域の本棚 香川県
http://www.library.pref.kagawa.jp/kgwlib_doc/local/local_2033-30.html
日本紀略
延喜6 (丙寅) 2・7 讃岐国氏大神・苅田神・連岳神・国栄神の諸神,従五位下に叙される。
どっかで日本紀略と三代実録とがゴッチャになったのかも。

[5486] Re[5485][5484]: 『新抄格勅符抄』  神奈備 2004/08/08(Sun) 18:02 [Reply]
ペギラさん ありがとうございます。

>『三代実録』に「貞観六年冬十月十五日戊辰 讃岐国正六位上粟井神 従五位下を授く。」とあり
この部分ですが、三代実録には、これはありません。

そうですか・・・
> 写本によって違いがあり
という可能性はどうなんでしょう。
『式内社調査報告』二十三巻の粟井神社の説明にも引用されていますね。

土佐から迎えられた神などの考察は
http://www.kamnavi.net/as/katuragi/kamotable.htm
にまとめております。
概ね穏やかで同じ様な所に落ち着いています。
ご意見を戴きたく思います。

[5485] Re[5484]: 『新抄格勅符抄』  ペギラ 2004/08/08(Sun) 16:13 [Reply]
> 1.御歳神の讃岐の神封十戸とはどこのことだろうか?
> 忌武氏の祖神を祀る粟井神社、大麻神社あたりでしょうが不明。忌部氏と見たのは『古語拾遺』に御歳神を特集するほど関連がありそうだから。
>

粟井神社でしょうね。預之名神ですから。(何の根拠もないかもねぎ。笑)
そうそう、神奈備さんちの神名帳の粟井神社の処。
>>『三代実録』に「貞観六年冬十月十五日戊辰 讃岐国正六位上粟井神 従五位下を授く。」とあり
この部分ですが、三代実録には、これはありません。
この時の神様は、
屋栗神、梶州・天川・宇夫志奈神、賀富良津神
という記述です。粟井神の別名がこの中にあるのでしょうか?

> 2.高鴨神とは阿治須岐託彦根命神のことか。土佐に神封と云うことは、流刑神は阿治須岐託彦根命神と云うことになりそう。
> 3.鴨神の伯耆、出雲ですが、伯耆は下照姫か事代主かアジスキ関連、出雲はアジスキ。そうすると、高鴨神と鴨神とは共にアジスキタカヒコネ神と云えそうですね。
>

三代実録に出てくる「高鴨阿治須岐宅比古尼神」の「高」の部分は
写本によって違いがあり、不明な部分。
賀茂阿治須岐宅比古尼神というのもある。
同時に記述のある高鴨神とは別と考えるならこれが、延喜式の鴨都波になる。

新抄格勅符抄→三代実録→延喜式
鴨神→鴨阿治須岐宅比古尼神→鴨都波八重事代主神社二座
高鴨神→高鴨神→高鴨阿治須岐託彦根命神社四座

土佐の流刑神は、日本書紀を考えるなら一事主神。(一言主神じゃない!)
一事主神=高鴨神→延喜式では、高鴨阿治須岐託彦根命

土佐国風土記逸文の記述の一言主尊を一事主神という漢字にすれば、すっきりする。
そして一説に曰く味鋤高彦根尊という形になるのがわかる。
味鋤が日本書紀風の記述なのに、一言主尊が古事記風というのが頂けない。

> 実に面白い資料ですね。

日本書紀から延喜式までの丁度中間あたり、流れが見えて本当に面白いです。(^O^)/

[5484] Re[5483][5482][5481][5480][5479]: 『新抄格勅符抄』  神奈備 2004/08/07(Sat) 20:28 [Reply]
> 新抄格勅符抄  
> あまり盛り上がらない話だったか。(^^;)

難しい資料ですね。
『新抄格勅符抄』の葛上郡の神社についての疑問イロイロ

高天彦神 四戸 大和国宝亀十年(779)奉充

御歳神 十三戸 大和三戸、讃岐十戸、天平神護元年(765)

高鴨神 五十三戸 765年 天平神護元年符・土佐廿戸、天平神護二年符・大和二戸、伊与三十戸

鴨神 八十四戸 大和三十八戸・伯耆十八戸・出雲二十八戸

1.御歳神の讃岐の神封十戸とはどこのことだろうか?
忌武氏の祖神を祀る粟井神社、大麻神社あたりでしょうが不明。忌部氏と見たのは『古語拾遺』に御歳神を特集するほど関連がありそうだから。

2.高鴨神とは阿治須岐託彦根命神のことか。土佐に神封と云うことは、流刑神は阿治須岐託彦根命神と云うことになりそう。

3.鴨神の伯耆、出雲ですが、伯耆は下照姫か事代主かアジスキ関連、出雲はアジスキ。そうすると、高鴨神と鴨神とは共にアジスキタカヒコネ神と云えそうですね。

実に面白い資料ですね。

[5483] Re[5482][5481][5480][5479]: 『新抄格勅符抄』  ペギラ 2004/08/07(Sat) 19:19 [Reply]
新抄格勅符抄  
あまり盛り上がらない話だったか。(^^;)

単純に多い順に
八幡神  1660戸(太宰神封二神で)
伊勢大神 1130戸
大和神   327戸
気比神   244戸
住吉神   239戸(筑前にも太宰神封で36戸)
大神神   160戸(筑前にも太宰神封で62戸)
鹿嶋神   105戸
安房神    94戸
鴨神     84戸
石上神    80戸
宗像神    74戸(太宰神封)
香取神    70戸
杵築神    61戸
牧岡神    60戸
多神     60戸
国懸?神   60戸
日前神    56戸
伊太キ曾神  54戸
高鴨神    53戸

こんな処で、思うこと。
神郡とか、神功・応神とか、藤原とか。
なんとなく見えてくる。

[5482] Re[5481][5480][5479]: 『新抄格勅符抄』  ペギラ 2004/08/05(Thu) 17:38 [Reply]
> 新抄格勅符抄  春日神 二十戸 常陸国鹿島社奉寄 天平神護元年(765)
> これは春日大社のことかな。

どっひゃ〜(^O^;
ありますね。m(__)m

国名が記述されていなかったから、落としていました。
またしても、、、やってしまった。(笑)

[5481] Re[5480][5479]: 『新抄格勅符抄』  神奈備 2004/08/05(Thu) 17:04 [Reply]
ペギラさん こんにちは。

>> 紀伊国 鳴神社[ナル](名神大。月次相甞新甞。) 
> 忌部神が紀伊に十戸神封がある。
>これが当たらないだろうか?
おっしゃる通りで、小生の勘違いです。

> 嘉祥三年(850年)の正三位というのが初見。
> 春日大社の正一位と同時期。
> そこで春日大社が新抄格勅符抄にあるかと言えば、無いです。
> 私は同様に新設だと思う。

平安時代の806年(新抄格勅符抄が出来た頃)になっても春日大社が出来ていなかったとは考えられません。
和銅三年(710)平城遷都の際、藤原不比等が祖神を祀ったのが起こり。
鳥居はあったが、社叢深く、祭りの場に行きつけなかった程だったとか。
後の神護景雲二年(768)今の地に社殿を造営と伝わっています。
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/kprint.php?KINDEX=2
新抄格勅符抄  春日神 二十戸 常陸国鹿島社奉寄 天平神護元年(765)
これは春日大社のことかな。

>> 紀伊国 丹生都比女神社[ニフツヒメ](名神大。月次新甞。) 
> この神様、不明。
延喜式では紀伊国伊都郡の二番目または最後尾に記述、これは多分延喜式に漏れかかっていて、−その理由は僧侶が祭祀を司っているとか−、運動と圧力で滑り込んだ神社を示しているようです。
同じように注意しなければと思っているのが、大和国葛上郡の高鴨阿治須岐託彦根命神社四座(並名神大。月次相甞新甞。)です。これもどん尻に記述。
高宮寺の支配を受けていたのかも。

[5480] Re[5479]: 『新抄格勅符抄』  ペギラ 2004/08/05(Thu) 13:07 [Reply]
> 『新抄格勅符抄』

もう、解っていることかもしれませんが、少々。

>  それでも下記の神社は見当たりません。806年には鎮座していなかったのか、国からは一封戸も預かっていなかったのか、どうなんでしょうね。
>

個人的には、鎮座していなかった、
または神封を預かっていなかったのだと思います。
存在していたが、そのころは有名有力ではなかった神もあると思います。
栄枯盛衰がいろんな時代にあったのだと。

> 大和国 葛木坐一言主神社[ヒトコトヌシ](名神大。月次相甞新甞。) 

嘉祥三年(850年)の正三位というのが初見。
春日大社の正一位と同時期。
そこで春日大社が新抄格勅符抄にあるかと言えば、無いです。
私は同様に新設だと思う。

> 山城国 葛野坐月讀神社](名神大。月次新甞。)

斉衡三年(856年)に松尾南山に移転鎮座の記録
どこから移転してきたかはわかりませんが。(^^;)川べりのようですが。
神階記録は貞観元年(859年)正二位が初見。

> 山城国 木嶋坐天照御魂神社](名神大。月次相甞新甞。) 

月読神とこの木嶋神も同じですが、大宝元年に神稲の管理を中臣氏に移行となっている。
神封が取り上げられたのではないか?

> 大和国 平群坐紀氏神社](名神大。月次新甞。)

よくわからない
この神社、延喜式までの痕跡がない。
新設だと思う。

> 大和国 葛木坐火雷神社二座](並名神大。月次相甞新甞。)

火雷神は、山城で早くから登場している。
その影響はないだろうか?

> 紀伊国 鳴神社[ナル](名神大。月次相甞新甞。) 

忌部神が紀伊に十戸神封がある。
これが当たらないだろうか?

> 紀伊国 丹生都比女神社[ニフツヒメ](名神大。月次新甞。) 

この神様、不明。

> 大和国 飛鳥坐神社四座[アスカノ](並名神大。月次相甞新甞。) 

ここもよくわかりません。
飛鳥については、延喜式までこの神社の存在が確認できない。登場していない。
ここも新設だと思う。

> 丹後国 籠神社](名神大。月次新甞。) 

865年〜877年までの間は大虫神の方が神階が高かった。
特別な何かがあったのでは?

> 土佐国 都佐坐神社トサノ・](大) 

これは、高鴨神の土佐の神封二十戸のことで良いのでは。


[5479] 『新抄格勅符抄』  神奈備 2004/08/04(Wed) 14:15 [Reply]
『新抄格勅符抄』は神社や寺院の封戸数が記載されている平安初期(806年)の資料です。記載神社数は約二百、殆どは延喜式神名帳では「大」社以上の格付けになっています。
 それでも下記の神社は見当たりません。806年には鎮座していなかったのか、国からは一封戸も預かっていなかったのか、どうなんでしょうね。

大和国 葛木坐一言主神社[ヒトコトヌシ](名神大。月次相甞新甞。) 

山城国 葛野坐月讀神社](名神大。月次新甞。)

山城国 木嶋坐天照御魂神社](名神大。月次相甞新甞。) 

大和国 平群坐紀氏神社](名神大。月次新甞。)

大和国 葛木坐火雷神社二座](並名神大。月次相甞新甞。)

紀伊国 鳴神社[ナル](名神大。月次相甞新甞。) 

紀伊国 丹生都比女神社[ニフツヒメ](名神大。月次新甞。) 

大和国 飛鳥坐神社四座[アスカノ](並名神大。月次相甞新甞。) 

丹後国 籠神社](名神大。月次新甞。) 

土佐国 都佐坐神社トサノ・](大) 

『国史大系』27巻から

[5476] Re[5475]: はじめまして  神奈備 2004/08/03(Tue) 22:43 [Reply]
獅子士さん こんばんは。

> とはいえ私の場合は、日本神話にはどちらかというと否定的なんですけどね
> まさかこれは行政指導ではないか

 これらについては意味が判りにくいので、もう少し具体的に書いて下さいな。

[5475] はじめまして  獅子士 [Url] 2004/08/03(Tue) 21:07 [Reply]
 最近になって神社参拝が趣味のように
なってしまっている私
とはいえ私の場合は、日本神話には
どちらかというと否定的なんですけどね、、
 今回私が気づいたのは、
大阪府南部地域の小神社では、
ほとんどの神社がことごとく
手水をカラにしてしまっていることです。
なかでもI市の●●神社においては
手水もひしゃくもあるのに、間に柵をして
手水があるのに使わせないようにしているのには
憤慨しました。
まさかこれは行政指導ではないか、と
恐れまで しています。。

[5474] Re[5457]: 山ノ神について  かたばみ [Mail] [Url] 2004/08/03(Tue) 19:43 [Reply]

斜め読みになってちゃんと把握していないところもあるかもしれません(^^;
ばらばらなのもあらかじめご容赦。

≫海からの視点で観る山ノ神といっていい着眼についてですが、

海からの視点とはちょっと違います。

人間は陸上動物です、食糧を海に頼っていたとしても生活の場は陸。
海人であろうと山ノ神に従属しているわけで、海人も山ノ神を意識し祀ることになるはず、ということです。

縄文が海山の文化の合体から登場したのであればなおさらです。
海の神(大綿津見神)をメインとするかどうかはその人々の出自とその時代に至る過程によるはずで、その点て大三島は興味深いところです。

陸人(^^;が「海ノ神」を意識することは少ないのではないかなあ。
当時の陸人には海が存在することの意義(例えば気候を支配する)を把握するまではいってなかったと思うのです。

海では海ノ神(自然神)の恵みをそのまま受け取るのであって、山ノ神(大地)→農耕神(人為)→鋤鍬(道具)といった複雑さはなくシンプルだと思います。
狩猟も同じくで山ノ神(自然神)ダイレクトだと思います。

祭祀は人の意識が生み出すもの。
自然界の力と人間の力(技術)のバランスをどのように感じ取っているか、そこからいろいろな祭祀パターンが生まれるのだと思います。


≫今まで、変に細分化され、何処にも収まらなかったものが、
≫山ノ神に関わるものとして、放り出されたまま置かれています。

そして人の意識は千差万別、千変万化、その結果で生じるものにも無数の形が生じる。
加えてそれが祖先神と一体化してゆくとどういうことになるのか、はてさて。
心理学の分野かも(^^;

100の事象があれば100のパターンがあるだろうなあ。
ひとつひとつは仮説などとして「放置」されるだけになるかもしれないですね。
しかし、それはそれで考える楽しみにもなりますね。


≫もう少し絞って、「島」とは考えられませんか。?

海を生活の糧にする人々にとっては、島も山(陸)も同じだと思います。
小さいか大きいか低いか高いか、どれだけ役に立つかどうかの違いだけではないでしょうか。


≫当時の海洋文化の民族の、今のような大きな船でなく、小舟で航海する側の視点から考えれば、
≫長距離の航海は島から島への島渡りです。
・・略
≫風読み、潮読みをして、航海するそうです

昔の双胴サバニはフィリピンあたりまで航海していたそうですね。
現代のとは異なるV字断面の喫水の深いサバニ、帆走時に風に流されにくい舟です。
(現代のサバニはエンジンで操船するのでその必要がない)

サタワルの漁民は36の方位を示す星を航海の基準にしているそうで、隣の島が見えない大海原の航海では昼は太陽、夜は星が頼り(こちらはアウトリガー型の舟)。

下図は小笠原の北硫黄島出土の石斧(丸ノミ)です。九州からも同型の石斧が出土しています。
http://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/marunomi2.jpg

これはマリアナ諸島にみられるタイプなんだそうで、丸木舟専用石斧らしい。
これを持ってきた人々は太陽と星と風を読んでいたのかもしれません。
黒潮はないけれどグアムあたりから日本へ吹きよせる夏の季節風がありますし。

しかし、島伝いや沿岸伝いの昼の航海をメインにするようになれば星の必要がなくなる。
弥生以降では陸の文化が主流にもなり、そして星は消えていった。
(文化は衰退もするわけです)

記紀は星を天之背男命のごとく悪役にまでしていて、他に星神らしきはみあたらないですね。
(ウエツフミでは多数の星神が登場)
先代旧事本紀では天之背男命を海部氏の祖としていますが、海部系譜ではそれはない。
祖先には後世の人の思惑がより強くからむからなあ。


[5473] 「神奈備にようこそ」からの改  わーぷ 2004/08/03(Tue) 02:28 [Reply]
クロスの神を祀る神社
 王権から土蜘蛛と呼ばれた民がいる。山に跋扈していた縄文的生活者のことだろう。
彼らも焼き畑のためにそれぞれ山々を領分としていたはず。領分を示すために大石を立ててこれを祀ったり
、または天然の磐座を祀って、その形や籬の形でそれぞれが領域を認識したと思える。

石を立て銅鐸を埋めたものは象形文字で「土」とした(銅鐸を埋めたものは象形文字で「吉」とした)。
領土の意である。上の「+」は十字架という。
土蜘蛛は国巣、国樔、国栖、国主、国津、来栖、栗栖、楠、久須などとも呼ばれたものと思われる。

多頭蛇の神話は世界的に分布していたようである。

[5472] Re[5465][5455][5450]: 鋤・鍬  神奈備 2004/08/02(Mon) 08:31 [Reply]
最古のリース業ですか・・。

> ※神奈備=“kang-nab-ib”⇒kang「神格(鉄器)」nab-ib「納める」=神格農具の収納庫、で山体が神体ではなく、山腹の祠の事か?、と。

面白いとらまえかたですね。
祖霊の鎮まる優美な形の山ー神奈備山−のイメージを持っています。従って鉄製の農機具の登場以前の太古から、神奈備山への憧憬、信仰はあったのだろうと。

[5472] Re[5465][5455][5450]: 鋤・鍬  神奈備 2004/08/02(Mon) 08:31 [Reply]
最古のリース業ですか・・。

> ※神奈備=“kang-nab-ib”⇒kang「神格(鉄器)」nab-ib「納める」=神格農具の収納庫、で山体が神体ではなく、山腹の祠の事か?、と。

面白いとらまえかたですね。
祖霊の鎮まる優美な形の山ー神奈備山−のイメージを持っています。従って鉄製の農機具の登場以前の太古から、神奈備山への憧憬、信仰はあったのだろうと。

[5471] Re[5468]: 穀物の命である水を齎す神  神奈備 2004/08/02(Mon) 08:21 [Reply]
阿遅経宮さん おはようございます。

> 阿遅鋤高日子根神とは、京都上賀茂神社御蔡神、賀茂別雷神の異名同神

天神地祇と云う言葉があります。平安時代には前者は地祇、後者は天神に分類されています。その段階ではまさに天と地との開きです。ルーツは同じ神かも知れませんね。
 丹後の籠神社に伝わる由緒では、主神の彦火明命はまたの名を天火明命、天照御魂神、天照国照彦火明命、饒速日命、また極秘伝によれば山城の賀茂別雷神とも異名同神とあります。

[5470] Re[5467][5454]: アジスキと、鋤鍬について  神奈備 2004/08/02(Mon) 08:20 [Reply]
> 実体の無い「神」に、本名というのがあるのだろうか。

何となくそこの暗闇にたたずむ精霊のような雰囲気、それに名前は要らないでしょう。他との区分の必要性がなく、かつ再現性がないのかも。

 ただ、気比の大神のお話、伊奢沙和気大神と品陀和気命との名前の交換のお話がありますが、こういう場合には「本名」で語ってもらわないと神話にならないのかも。

[5469] Re[5466]: 無題  神奈備 2004/08/02(Mon) 08:19 [Reply]
ト部安来さん おはようございます。
> 子供が従順になることであろう

あの沼には大蛇が棲んでいて・・近づくなよ。
神話の初めと云うことですね。十分ありうることですね。

モルッカ諸島のセラム島に伝わる死体化生神話
http://www.kamnavi.net/inari/sitai.html

どのような童話からこうなったのでしょうか。
いろんな要素が混ざっている総合的な文学のようでもありますね。

[5468] 穀物の命である水を齎す神  阿遅経宮 2004/08/02(Mon) 02:39 [Reply]
葛城高鴨神社御蔡神、阿遅鋤高日子根神とは、京都上賀茂神社御蔡神、賀茂別雷神の異名同神とも言われていますが、即ち阿遅鋤高日子根神とはその本質は雷神。水の神。

雷神。水の神。

つまり穀物の命である水を齎す神。

穀物に豊穣を齎す神。

そこから穀物の生成の象徴として、「鋤」の字が用いられているのではないでしょか。

神奈備さん、玄松子さんの御意見でよいと思います。

[5467] Re[5454]: アジスキと、鋤鍬について  玄松子 2004/08/02(Mon) 00:27 [Reply]
もう一つ疑問。

> 神名が、神の本名だとすれば、
> 「神名を明かす、という事は、・・・。」
> 「神の本質、神の力などが、知られた相手に支配されるもの。」
> ・・・として理解されていたはずですから、
> 逆説的ですが、古くから伝えられた神名ほど疑わしい。
> 「あだ名のようなもので、仮称であって、神の本質や力を言い表した内容とは
> 離されている。」・・・というようには考えられませんか。?

大山津見神の本質は山ではなく、大綿津見神も海ではないのだろうか?
波邇夜須毘売神の本質は土ではなく、弥都波能売神も水に無関係なのだろうか?


> 実例としては、言い方は変ですが、天皇の本名の例ですね。

実体の無い「神」に、本名というのがあるのだろうか。

[5466] 無題  ト部安来 2004/08/02(Mon) 00:05 [Reply]
 古代人が神話を開発した当初、第一の効力は
子供が従順になることであろう。今でも子供に
分かるようにと様々な説明は、その直感的わか
りやすさを競うようになっているが、まさに古
代もそうであった。途中の論理の飛躍が神話の
特徴であるが、その問いと答えには現代人も納
得するものがある。
 さて、子供を諭す物語に、善悪を教えるために
美醜の比喩か、有益無益の比喩のどちらが強力
な譬になるか考えると多少の補助線ともなりえる
のではないだろうか。


[5465] Re[5455][5450]: 鋤・鍬  福島雅彦 [Mail] [Url] 2004/08/02(Mon) 00:02 [Reply]
> 福島雅彦さん こんにちは。
>
> > 鉄器、鉄製をして、神格化したのでは…。
>
> 鉄の塊をご神体にしている神社、聞いたことがあります。
>
> 一般論ですが、剣などの武器なら神格化されたとの見方に異論はないのでしょうが、農機具にはないとの思いの根拠はなんだろう。と考えています。

※古代にあっては、鐵製品は中央管理的貴重品であり、農奴などの個人所有ではなかった、筈。必要期間だけ厳重管理の下(もと)貸し出される、とか…。
※神奈備=“kang-nab-ib”⇒kang「神格(鉄器)」nab-ib「納める」=神格農具の収納庫、で山体が神体ではなく、山腹の祠の事か?、と。

[5464] Re[5462]: 論拠について  玄松子 2004/08/01(Sun) 21:36 [Reply]
単純な疑問を列記。


> で、ぼくが疑問に思うのは、これら多くの農具の中から、
> なぜ、鋤鍬だけを選びとって言わなければならないのか。?という点です。

剣を祀る人たちは、なぜ武器の中で、剣だけを祀るのだろう。
剣が力の象徴なら、鋤が稔りの象徴という考えは有り得ないのだろうか。


> 「金属器である鋤鍬だけが独立した形で祭祀される。」という場合、
> 祀る側は農耕に従事する人々ではなく、鍛冶職ですから、
> 広い意味での鍛冶神、金属神的な性格の神という神の性質が核となっていると考えられるので、
> 本質的には、鍛冶神、金属神として理解すべきで、

剣を祀る人達は、鍛治神として祀っている場合のみなのだろうか。
鏡を祀る人達も、鍛治神として祀っている場合のみなのだろうか。(鏡作の神を祀っている事実はありますが)
玉を祀る人達は、玉作神として祀っている場合のみなのだろうか。(玉作の神を祀っている事実はありますが)

[5463] Re[5462]: 論拠について  神奈備 2004/08/01(Sun) 20:29 [Reply]
こんにばんは、吉田さん。


> 神奈備さんの理論では、「どうしても農具は鋤鍬でなくてはならない。」と言う事になりますね。

 例えばのつもりでしたが、その様に理解されていましたか。諏訪や丹生酒殿神社の鎌の祭祀についても承知しておりましたが、話の焦点がぼけますので、敢えて触れなかったのです。

> 神奈備さんの、アジスキのスキと鍬を関連づけたいという作為的な条件付けなので、
 つけた覚えのない条件まで引っぱり出して「あり得ない。」とおっしゃりたいのでしたら、まさに簡潔に箇条書きにしておっしゃって下さって結構です。
で、アジスキタカヒコネって何でしょうか?

> 農耕民は金属を自由自在に扱う事ができないから、祀れないのです。
これでは雨乞いもできませんね。

いずれにしろ連日の大力作、参考になりました。ありがとうございました。
出来ればより建設的な場面で、猫丸さんとは要領よく議論したいものですね。

[5462] 論拠について  吉田 [Mail] 2004/08/01(Sun) 19:41 [Reply]
こんにちは、神奈備さん。


> 「御鍬社」というものの成立が釈然としない
御鍬社の創祀由緒について資料がございませんので、祭神の御鍬大神につきまして、これを鍬の神格化したものと見ていますが、証明する術はありません。
ただ、もう一度申し上げますが、鉄製の鍬が豊富になってきた時代に、何らかの理由で御鍬大神という名で祀られたことは事実です。
いわんや鉄製の鍬が希少価値の頃においておや と推測するのは可笑しいでしょうか。


別に可笑しくないと思いますが、
前にも言った事ですが、
この「御鍬社」の事については、
神奈備さんも創祀由緒等の資料が手元に揃っていないとの事ですので、
もう少し調べてからにしませんか。
そうでないと、
推測や仮説ばかりでは、御互いに話がかみ合いませんから、・・・。
この辺り如何でしょうか。?

それと、「御鍬社」の事と、「農具を神格化付けて祀った。」というところを整理しておきたいですし、
また、神奈備さんから、
「それであり得ないと思われた論拠は何処でしょうか。」という話も出ているので

以下、整理してゆきます。


農具と言った場合には、様々のものが含まれます。
・木製器
・竹製器
・樹皮製品
・つる、竹製の編み技法によるかカゴ類
・藁製の編み織り技法による製品類
そして、
話題にあがっている「鋤、鍬、鎌、鉈などの金属器」です。

最初の書き込みでも、・・・
また、民俗的な事例でも、正月に農具などを手入れし、休めて祀った。
・・・というような事例が一般に広く行われていた。という事がありますが・・・、

・・・というかたちで触れた、
上記の様々な農具を手入れし、納屋や土間にひとまとめに置いて、
簡単な供物を供えて祀る事があります。
これが所謂、「道具やすめ」といわれるような、正月儀礼です。

こういう場合は、「農耕に従事する人が農具を祀っています。」

で、ぼくが疑問に思うのは、これら多くの農具の中から、
なぜ、鋤鍬だけを選びとって言わなければならないのか。?という点です。
つまり、
神奈備さんはアジスキのスキと、鋤鍬を関係づける為に、「農具」を持ち出している訳です。

単純に農具を祀った事例を求めるのならば、上記の事例で十分なのではないですか。?

神奈備さんの理論では、「どうしても農具は鋤鍬でなくてはならない。」と言う事になりますね。
アジカマタクヒコネとか、アジナタタクヒコネとか、アジカゴタクヒコネではマズイ訳ですから、・・・。
ちょっと冷静に考えてみてください。

繰り返して言うように、
僕自身の感想から言えば、
「金属器である鋤鍬だけが独立した形で祭祀される。」という場合、
祀る側は農耕に従事する人々ではなく、鍛冶職ですから、
広い意味での鍛冶神、金属神的な性格の神という神の性質が核となっていると考えられるので、
本質的には、鍛冶神、金属神として理解すべきで、
そこに副次的な性質として、農耕神的なものがくっついたような、
つまり、両義的な性格の神だと考えられるので、
実際に広くある事例でいえば、「稲荷神」のような神が考えられる。
・・・と言っているのです。
また、この場合は、神奈備さんがいうように、「農耕の側のよって祀られる」という事ではなく、
「鍛冶職によって祀られる。」という点に留意すべきでしょう。
何故こういう事になるかといえば、一つの祭祀の原則として、
「金属神を農耕民が祀る事ができない。(祀る技術が無い。)」という点があります。
何故ならば、農耕民は金属を自由自在に扱う事ができないから、祀れないのです。
つまり、金属の神の力を宿らせて扱う霊力(知識・技術)がないから、できないのです。
農耕民側の立場から言えば、
金属のシャーマンによってつくりだされた、鋤、鍬、鎌、鉈などを授かる事によって、
効率のいい作業を行う事ができます。
この状態を例えて言えば、「神の助け(ちから)を得ている。」という理解が持てます。
しかし、この神は、農耕民の神ではないので、こう言う助け(ちから)を得ようとすれば、
やはり、鍛冶職を介してでないと得る事ができません。
つまり、農耕民側からすれば、直接自分で祀る事ができない神なのです。
ですから、何らかのきっかけで、せっかく授けてもらった神の力を、理不尽に取り上げられる事もあり得ます。
鍛冶職の側からいえば、あるひとに新しい鋤鍬鎌鉈を作ってやるのもやらないのも、勝手ですから・・・、

新しい道具を鍛冶職から作ってもらえない人は、
その後は使い勝手の悪くなったもので作業をしなければなりませんから、作業効率が上がりません、
そしてやがては使えなくなってしまいます。
でも、鍛冶職が、新しく作ってくれない限り、どうしようもありません。
こう言う状態を「神に祟られた。」というとの理解が持てます。

基本的にはこういう構造ですが、
無論、鍛冶の側も農耕の側から、食料を御供されているのですから、
よっぽどの理由が無い限り、無闇矢鱈と祟る訳にはゆきません。

このように両者は、ある意味で反目と緊張がある関係であり、また、協力しあう関係でもあります。

こういう神は、集落の祭祀の中の位置でいうと、
「客神(まろうどがみ)」という位置の神に相当すると考えられます。

実際に祀られている客神のすべてが、鍛冶の神ではないでしょうが、
調べれば、かなりの数で、鍛冶神的な性格と農耕神的な性格をあわせ持った客神が発見できると思います。
また、福をもたらす性質と、祟る性質を顕著にあわせ持っていると言う所も一つの特徴です。

以上のような理由から、本来的という意味では、
鋤鍬などの金属器の農具が、農耕民の側によって祀られる事は、考えられない。と言っているのです。
無論どのような場合でも起きる事ですが、
本来、独占的に秘匿すべき技術が、汎用技術となって行く時点から、
同時に、祭祀に於いても鈍りが生じますから、
祀る事のできない農民の側のよっても祀られたと言う所は否定できませんが、
これは今回考えなければ行けない範疇外の問題ですので無視しても差し障りが無いと思います。

ある意味で、こう言う事例は、鋤鍬などの金属器の農具が祀られた可能性がある事例ですが、
ここでいう金属器の農具は、鋤鍬に限定されない、鋤鍬鎌鉈などを含むものですから、
神奈備さんいう鋤鍬に限定された祭祀ではないので、必然的に、こう言う事例は、除かれます。

このような、
「鋤鍬などの金属器の農具が祀られた可能性を示す事例」を挙げても認め難い訳ですよね。
この場合、

また、鋤鍬などの、元は木製具であったものは金属器になったものについて、
神奈備さんが、祀られたとされる鋤鍬が、
木器なのか、それとも金属器の時期について言っているのかが疑問でした。
「鋤山、鍬山」について述べた所でも触れた事ですが、

そこで、鋤鍬などの農具と、山という要素が直接結びつく可能性を探る中から、
鋤鍬などが、股木を加工して作られている点に注目すると、
そういう得難い素材を供給してくれる”山”を祀った。という意味で、鋤山鍬山が成立した。というような仮説と、
もうひとつ、その山に"田"の意味を持つ象徴的な場所があり、
そこで、御田植え神事のような、その周辺の地域の農耕の仕事始めに先立って、
象徴的な農耕儀礼が執られた山、という意味合いからの、鋤山鍬山の成立についての仮説を挙げ、

このように、性質の違う二つの条件で、鋤山鍬山を考えてみても、
鍬山鋤山に祀られる神の性質は、広い意味での山ノ神と考えていいのではないか。と結論付けた訳です。

このように金属器以前、金属器以降の両方について考えてみましたが、
前述のように、両方の場合について、鋤鍬が、副次的な要素として祀られる場合なら十分あり得るのですが、
神奈備さんのいう、
「鋤鍬などの金属器の農具が農耕の側から祀られたことを示すもの」
また、
「鋤鍬を核としての祭祀が成立していて、副次的な位置で扱われていないもの」

こういう二つの条件を満足させ得るものは、
時代的に遡れば遡るほど、見出し難いと考えられます。

無論前述のように、時代が下がって祀ることの意味が曖昧になってくれば、
そういうものがある可能性は、高くなります。
でも後者は、神奈備さんのいう神名の成立に関わってくる可能性は皆無ですので、
必然的に除かれます。

ぼくも日本全国の事例を調査済みという所から言っている訳ではないので、
絶対にない。とは言い切れませんが、
あるとすれば、かなり特殊な例だと言っている訳です。

実際に、神奈備さんの言うような祭祀があって・・・。
なぜそういう特殊な例が成立したのだろうか。ということについてなら、
もっと突っ込んで、その理由を考えて行く事ができますが・・・。

以上の論説で申し上げているように、
道具休めの習俗の例から「農具を祀った事例」という事では、「ある」と言っている訳です。
そして、
鋤山鍬山の事例、
鍛冶神が主となり農耕神が従となったかたちの鍛冶職によって祀られる神、
能登の鎌の宮の事例、
これらの事例が示すように、
「脳供が単独で、と言う事ではなく、農具を含んだ複合的な性格の神」
・・・ということでなら、広く、あり得る。と言っている訳です。

そこに、神奈備さんのいう、
「鋤鍬などの金属器の農具が農耕の側から祀られたことを示すもの」
また、
「鋤鍬を核としての祭祀が成立していて、副次的な位置で扱われていないもの」
・・・というような条件を当てはめると、皆無になってしまいます。

そしてこういう条件は、自然な研究上の論理から生じたものではなく、
神奈備さんの、アジスキのスキと鍬を関連づけたいという作為的な条件付けなので、
「この条件を当てはめると、皆無になってしまう。」という事が起きたとしても当然だと思います。

事実、そういう事例の可能性が考えられないだろうか思って考慮したのですが、
結果として、そういう可能性は皆無であろうという結果になりました。

一般的に考えて、農具を祀った事例や、副次的にではそういう要素を認めても差し支えないという事例が、
ある条件を付けると皆無になってしまうというのなら、
やはり、条件付けの設定に問題があると、僕は考えます。

ですから、
この問題に関する最終的な僕の結論は考察上では、
残念ですが、「有り得ない。」です。


[5461] Re[5458]: アジスキと、鋤鍬について  玄松子 2004/08/01(Sun) 16:34 [Reply]
> 横から。
> どなたか、箇条書きにして整理していただけませんか。

個人的な論点整理。論点が違うという方はご指摘下さい。

1.鋤・鍬などの農具を神格化することの有無。
2.1が有るとすれば、「アジスキ=鋤・鍬の神格化」と言えないか。

1.がなければ、自動的に2は有り得ない。

では、
1が有り得ない(あるいは、疑問に思う)根拠は、農具は一時的だから?
2が有り得ない(あるいは、疑問に思う)根拠は、神名が示す物(たとえばスキ)は、神の本質を示すものではないのでは?

こういうことかな?

[5460] Re[5459]: 鍬(シュウ)神を覘いて見ました  神奈備 2004/08/01(Sun) 16:11 [Reply]
混乱に拍車ですね。
どういう意味があるのでしょう。
竜牙堂って何ですか?

[5459] 鍬(シュウ)神を覘いて見ました  わーぷ 2004/08/01(Sun) 14:53 [Reply]
言霊で鍬(シュウ)神を覘いて見ました
 シュウ
エジプト神話でラーの子で、陽光または大気の神。へリオポリスの創造神話ではアトゥムの子とされる。
テフネトとのあいだに儲けた子供たちである太陽神ゲブと天空の女神ヌトの夫婦仲に割って入り、
両手でヌトを支えて天地を分けた。

ついでですが
山の女神?
ニンフルサグ(中東、Ninhursaga、メソポタミア神話)
 アッカド語で直訳すれば『山(HURSAG)の貴婦人(NIN)』となる。
 シュメールの女神。「神々の母」。エンリルの妻・ニンリル、エンキの妻・ニンキと同一視される。
 アダブ市の守護神。
 この女神の乳で、地上の王達は神になるのだと信じられた。ネブカドネザルを始め、多くのメソポタミアの王達が「ニンフルサグの子供」を自称したという。
 彼女の力によって、子宮の中で生命に形が与えられた。また神々や人間達を取り上げる産婆の役目も担っているらしい。なので、出産の女神であるとも言える。
 エンキとニンフルサグ(ニンキ)の伝承は、エンキがニンフルサグに呪われてしまう内容だ。魔法の神であるエンキが、ニンフルサグの呪いには勝てなかったのだ。恐るべしは女性の怒りといったところだろうか?
 その他の訳
 世界の神話百科東洋編…「大きな山の貴婦人」「石の地面の貴婦人」

 竜牙堂の所見
 ニンフルサグは、エンリル、エンキの妻の座を獲得している。これを見る限りでは重要な女神であると考えることができる。『山の貴婦人』という名称から推測すれば、ニンフルサグは山の女神である。元々は「山の民」が信仰していたのではないだろうか? 

[5458] Re[5456][5454]: アジスキと、鋤鍬について  玄松子 2004/08/01(Sun) 13:40 [Reply]
横から。

> > 実際に、アジスキのスキが、鋤鍬であれば、それはそれで面白いと思うのですが、
> 神奈備さんが論拠とするような理由を御聞きしていると、ちょっと有り得ないかな。と思ってしまいます。
>
>  あり得ないと思われるのはご自由ですが、小生の論拠なんて薄弱なのは百も承知です。それであり得ないと思われた論拠は何処でしょうか。


何度読んでも、僕には有り得ないと判断している理由が良く分かりません。
どなたか、箇条書きにして整理していただけませんか。

最初は、農具や祭具の「一時的なもの」という性質が、(永続的であるべき)御神体に不釣合いという理由かと思ったのですが、そういうことでしょうか。

[5457] 山ノ神について  吉田 [Mail] 2004/08/01(Sun) 11:54 [Reply]
こんにちは、長文で申し訳ありません。
また、前記の書き込みは、我ながら入力ミスと編集ミスが多くて唖然としています。
読みづらくて申し訳ないですが、ご容赦下さい。

そして、
かたばみさん、神奈備さんから、それぞれ頂いていた"山ノ神"についての御意見なのですが、・・・。

最初に、かたばみさんからコメントを頂いた、
海からの視点で観る山ノ神といっていい着眼についてですが、
面白いですね。
そう言えば、三島神の大三島なんかも、
海から山へと駆け上がる感じのイメージがある環境ですよね。
漁師が祀る山ノ神という場合もあるのですが、
仰る事と、そういう事例は深い関連がありそうですね。
また、航海技術上の"山当て"等との関係も海と山との関係の一つですし、
「大山祇命などの山は山岳でなくて陸(大地)の意だと考えられる。」
・・・と仰る点なのですが、もう少し絞って、「島」とは考えられませんか。?

当時の海洋文化の民族の、今のような大きな船でなく、小舟で航海する側の視点から考えれば、
長距離の航海は島から島への島渡りです。

今から十数年前の事になりますが、
戦前に、サバニによるヤマト旅(帆走です。)をした事がある。という、
沖縄のお爺さんから、お話を伺った事があるのです。

その方がいうには、
出港時に、目に入れた島影の方向を頭に入れて、
風読み、潮読みをして、航海するそうです。

港から外海に出れば、穏やかな時で、5mくらいの落差はゆうに有るような、
波間を渡ってゆくのですから、波と波の谷間に居るときは、何も見えません。
下手をすると簡単に方向をロストしてしまいます。
こういう航海の難しさは、実際に経験してみるとよく分かります。
このお爺さんは、「大体一人がふつうだよ。」と簡単に言いましたが、
驚く限りです。
また、沖縄の糸満漁民などもサバニで長距離航海をしていたそうですし、
瀬戸内海の家船に暮らしていた人々も、
東シナ海辺りまでは普通に行って帰るというような、
季節によって移動するかたちで漁業を営んでいたようです。

こういう人達の行動範囲は、今の感覚からすると想像を絶するものがあります。

一つ面白い点は、
糸満漁民の場合、常には漁場を巡回するパターンで行動しますが、
集落が飽和状態になると、分かれて移住するパターンとる事です。

家船の人達は、季節による漁場の巡回のみが基本的な行動パターンです。
ちょっと飛躍しますが、山窩と呼ばれた人々と同様の家族単位で行動するパターンをとります。
関係するのかどうかは解りませんが、ちょっと興味を引かれます。
移動生活をする人々でも、集落といっていいようなグループ単位で移動する人達、
また、家族単位で移動する人達、
海山に限らず、大きくは、二つのパターンがあります。
こういう違いは何処からくるのかが疑問です。

また海を移動する人達にとっては、航海の方向を示す島影や水を補給する島は、
命綱だったに違いありません。

例えば、静岡の三島社周辺は、水島といってもいいほど、
富士の伏流水が湧出する泉の多い土地だったそうですから、
航海中の水補給の地という事なども関係するのでしょうか。?

海を移動する人達に関わって、興味深い事がいくつかあります。
古くは縄文期、それ以前からかもしれませんが、
黒曜石の交易というのか、流通に、関わっていたと思われる形跡がありますし、
こういう処でも、海と山の交流を見て取る事ができます。

そして、御指摘のように、山ノ神は姿は多様すぎて捉えきれないですね。
このような複数の系統が入り交じった山ノ神の姿を、
系統立てて整理して作業が、
民俗学の分野でようやく始まりつつ有るようですが、
僕の感想からいうと、あまりにも遅すぎたという感が有ります。
僕の感触からいうと、80歳以上の年齢の人達が、
リアルな地域の生活文化や民俗儀礼に接した最後の世代の人達だといい得ます。
しかし、今では集落からはこの世代のお年寄りが亡くなってしまったりして、
どんどん居なくなっています。
このような理由で、75歳以下の人達しか居ない集落では、
昔の事を聞き歩いても、ほとんど詳しい事は分からない状態だし、
そういう事がそこに有った事さえ知らない年寄りが増えています。
そういう状態ですから、山ノ神の見直しもどうなる事かと思いますが、
民俗学の研究者の人達による見直しから、
もうすこしはっきりと解ってくる部分が有るでしょうし、
民具や祭具、生活技術の系統関係なども含めて行われれば、
面白い結果が出ると思います。

また、かたばみさんのいう、山ノ神を一度大きく捉え直す視点には賛成です。
今まで、変に細分化され、何処にも収まらなかったものが、
山ノ神に関わるものとして、放り出されたまま置かれています。

この状態から系統立てて整理する為には、
山も神に帰属すると考えられる要素を持つものを、
一旦、大きく多様な形の山ノ神として集めて捉え直し、
そこから系統立てて行く作業をしなければならないのだと思います。
例えば、野本寛一氏も"山ノ神の母源力"というような事を言っておられますし、
僕もこのような捉え方をしないと、実像が見えてこないと思います。
まあたこのような捉え方をして、
初めて汎東アジア的な文化のつながりが実感できますし、
また逆に、日本的なものとは何かと言う事が明らかになります。

このような丹念な文化に関わる作業を欠いて、
思い思いに語られる、想像による日本文化論は、
即ち、フィクションに依る日本らしさですので、何処まで行っても文学です。
こういうものは、追求しても文学ですから実体がなく、
取り留めもない話になりますし、
結果としてはステレオタイプな像しか浮かび上がらないという事になると思うのですが、・・・。

僕自身の現在の研究対象は、祭祀ではなく、"布"です。
現在、丹波布という布の成立とその背景について追いかけています。
こういう作業をしていてつくづく思うのですが、
日本の場合、なんでもかんでも、ちょっとした類似点が共通点が有ると、
「関係あるもの」として、起源を古く持って行こうとする事する癖が有ります。
丹波布の場合でも、明らかに技術的に連続しているという証拠もないのに、
養蚕について上代の記録に記載されているからといって、
簡単にそういう所に起源を結び付けちゃう訳で、・・・。
文書などの文字資料から地方史や工芸史にアプローチする人達たちにとっては、
言葉として書き留められた事が優先するのでそれでも矛盾しないのでしょうが、
現実的にそういう技法じゃ作れないという事には配慮しない訳ですから、
僕の側からいうと、
こういうところは、歴史ではなくフィクションだという判断を下すしかないのです。
この丹波布というのは国の無形文化財に指定されている民俗工芸ですが、
技法の再現という意味では、
布文化の研究者の上村氏が関わって完成度が高く再現されていますが、
その成立の過程に関する所は、かなり曖昧にしたままで放置されています。

こういう布などの場合は、
"作る側の感覚"というものを中心の座標軸に据えないと、
その地域特有の様々な環境や要素によって成立した背景や、
また、
言葉などより遥かに情報量が多く含まれている非言語領域の情報を切り捨てて、
対象の本質を語るような、とても変な具合になりかねません。

祭祀について論じる時にも同様だと思うのですが、
やはり、その神を祭った側の感覚というのか、生理的な文化の感覚というのか、
そういう位置から見ないと、
論じている対象の神が見えないのではないでしょうか。

祭祀について、「大自然全般と人の関わりの象徴です。」と捉える、
かたばみさんの感覚にはとても共感できます。


次に、神奈備さんが御指摘の、

山の神の祭祀や農耕の祭祀は、
政治性の高い祭祀(例えば酋長の交代、戦勝祈願など)の後塵をはいしたようで、
さてどこまで遡って確認できるのでしょうか。
また、飢饉などで村が途絶え、人々が入れ替わってしまうこともあり、
このような状態での伝承されている、
祭りの起源、保存の状態、貴重な情報なのでしょうが、実際どうなんでしょうね。

・・・ということについてですが、
ぼくには、神奈備さんのいう、
「山の神の祭祀や農耕の祭祀は、政治性の高い祭祀(例えば酋長の交代、戦勝祈願など)の後塵をはいしたようで、・・・」
・・・が、具体的にどういう状態の事柄をさしているのかについて、理解できません。
まず、祭祀の本質的なところで、性質が違いますので、
「後塵を拝した。」と判断する感じ方が理解できません。
よろしければ、お手数ですが、もうすこし御説明いただけませんか。

また同様に、それ以降の内容ついても、「・・・という事があったならば。」という事ですので、
なんとも、僕からは、答える事ができません。
あったかも知れないし、無かったかも知れないので、・・・。(笑)

また起源については、
●多くは、社殿の無い状態の場で行われる所、
●石棒などが用いられる事がある所、
●祭具として用いられるものに汎東アジア的な広がりをもつ、プリミティブなものが見出せる事がある所、
●神主(多くの場合は頭屋神主です)が採取して来た木の実を、
氏子に与えるという儀礼が執られる事例が見出せる所、
●巫女職の女性が一夜酒というものを古いタイプの醸造法つくり、
また祭祀の中で重要な意味を持つ形で用いられる事がある所、
●献饌(御供)の内容や、そのときに用いられる器に、古いタイプが見出せる事がある所、
●人身御供の要素が明らかに見出せる、御供の形式が見出せる事がある所、
・・・などの要素から、起源としては古いものだと、僕は考えていますが、
どの要素も、伝承されて来た形、つまり、ソフトウェアーでしかありませんし、
また、非言語情報ですからね。(笑)
それに、これらは、基本的に、祭祀終了後、その場の放置され朽ちるのまかせるものが多いので、
当然、年号などの墨書はされません。
ですから、言語情報、文字情報重視の方には、なかなか理解されない領域のものでしょうね。(笑)

実際のフィールドで生きる為に生まれた生活文化によるものですから、
その集落などの生活フィールドを共有してある生に感じる感覚や、
そこから、うまれた言葉の感覚を敏感に捉えないと理解できません。

例えば、現代では、
離れた地域同士の言葉が通じない。というような事を経験する事が稀ですが、
まず、そういう事を前提にした視点で見て行かないと、
こういう事に類するものは、
ただの珍しいものとしか捉えられないのではないかと思います。

こういう事について、伝えたい事はいろいろありますが、
あまり長くなってばかりだと、迷惑ですので、とりあえずこの辺で失礼します。

[5456] Re[5454]: アジスキと、鋤鍬について  神奈備 2004/08/01(Sun) 10:54 [Reply]
吉田さん、こんにちは。

> 「御鍬社」というものの成立が釈然としない

御鍬社の創祀由緒について資料がございませんので、祭神の御鍬大神につきまして、これを鍬の神格化したものと見ていますが、証明する術はありません。

ただ、もう一度申し上げますが、鉄製の鍬が豊富になってきた時代に、何らかの理由で御鍬大神という名で祀られたことは事実です。

いわんや鉄製の鍬が希少価値の頃においておや と推測するのは可笑しいでしょうか。

> 昨日の出来事の理由を、今日の出来事に求めているように感じて
明々白々の理由があれば、この様な論議にはなりません。歴史ではやもうえない論議の進め方にも思うのですが・・。

> 神の神名をさらりとオープンにして伝えるような事があり得るだろうか。

『記紀』で、積極的に神名を顕わした物語が高比売の「天なるや  弟棚機の・・・」です。 記紀編纂側としては、鴨族の神の力が失われることは歓迎すべきことだったのかも。

> 農具、そして、農耕文化
弥生時代以降は国の本だったのでしょう。
これは、垂仁天皇が次期天皇に選ばれたお話や、天照大御神を豊鍬入姫命に託したお話からの推測です。

> 実際に、アジスキのスキが、鋤鍬であれば、それはそれで面白いと思うのですが、
神奈備さんが論拠とするような理由を御聞きしていると、ちょっと有り得ないかな。と思ってしまいます。

 あり得ないと思われるのはご自由ですが、小生の論拠なんて薄弱なのは百も承知です。それであり得ないと思われた論拠は何処でしょうか。

 阿治須岐託彦根命の須岐、この須岐を別にしても、この神の名、一体何でしょうかね?


[5455] Re[5450]: 鋤・鍬  神奈備 2004/08/01(Sun) 10:02 [Reply]
福島雅彦さん こんにちは。

> 鉄器、鉄製をして、神格化したのでは…。

鉄の塊をご神体にしている神社、聞いたことがあります。

一般論ですが、剣などの武器なら神格化されたとの見方に異論はないのでしょうが、農機具にはないとの思いの根拠はなんだろう。と考えています。

[5454] アジスキと、鋤鍬について  吉田 [Mail] 2004/08/01(Sun) 07:55 [Reply]
神奈備さん、こんにちは、吉田です。

話として、様々な要素が含まれるので、
二つに分けてre2を送ろうと思っていたら、
神奈備さんからの書き込みがあったようですので、
変更して、それに返事を返します。


さて本題ですが、
神奈備さんにとっては、
「御鍬社には、御鍬大神が祀られている。」という事が、自明の事のようですが、
前述のように、「御鍬社」というものの成立が釈然としない訳です。

また、神奈備さんが論説の対象としている、神名についてなのですが、
この場合大きな疑問として感じるのは、
「御鍬社」というものより、多分以前に成立したと思われる、
阿治須岐託彦根命という神の性質について、
それより遥か後の成立であろう「御鍬社」というような事例に関連づけて説明されようとしているのですが、
こういうロジックワークの運び方に、うなづけない訳です。
つまり、例えて言えば、
昨日の出来事の理由を、今日の出来事に求めているように感じてしまい、
ちょっと、?で、ある訳です。

「御鍬社」と言うものが成立したのは、考えて、いくら時代を遡らしたとしても、
延喜式成立以前の辺りでしょうか。
これ以前の事について言及するのは難しいと思います。

なぜなら、
時代が上がるほど文書資料は少なくなります。
そして、断片的になります。
そう言う状況の中から、
ある社で営まれていた神事の実態に迫るのは難しい事です。

そういう状況の中にある「御鍬社」というものを話題にしている訳です。

また、神名という事に関する事では、
上代になればなるほど、一般的な風習として、
「他者に 本名を知られる事を忌む。」という価値観があります。

つまり、相手に本名を知られると言う事は、相手に支配される事につながる。
・・・というような価値観ですが、
こういう事を、わが国では、平田、本居神学的な用語を用いて、
"言霊信仰”というようですが、例えば、他の民族でもこういう事例は見られます。
わが国では、名前=言葉というように直接結びつけて、
つまり、言葉の霊力として解釈していますが、
実際に、そのような価値観を持つ民族に接した感触からすれば、
言葉の霊力というよりも、「マナゥ」といわれる、
「生命力」というような事が中心に据えられているように感じます。

今日の日本的な文化の概念では、うまく説明して伝え難い部分ですが、
このような民族の場合、言葉の霊力というよりも、
他者に名を知られて呼ばれる事自体が、「生命力」に穢れをもたらす。
・・・というような捉え方をしている。と言ったらいいのでしょうか。

上代の日本の場合が、
こういう民族の価値観と一緒だったのかどうか解りませんが、
とてもよく似た価値観を持っていたらしい。という事はいえます。

さて疑問なのは、こういう時代、こういう文化の中で、
神の神名をさらりとオープンにして伝えるような事があり得るだろうか。
・・・という事です。

名前=生命力、つまり、ある生命力に名付けられたものが名前ですから、
名前は、即ち、その生命力そのもの。という捉え方ですね。
この場合の、言霊信仰というような捉え方と違う点は、
言葉の霊力というような"言葉"という事意識している部分が稀薄で、
霊力の中心を「生命力」に置いて、
名前という生命力のある部分を他者に知られるから穢れる。
(他者に生命力を侵される)・・・というような理解をしているという事です。
つまり、とても身体感覚的な捉え方で、
言ってみれば、「誰かに手をつかまれて、自分の意思通りに動けない。」
・・・というような感覚によって捉えているのです。
ちょっと乱暴な説明ですが、
「誰かに阻害されて、自分の意思に依って動き難い様。」を、
日本的に言えば、穢れを受けた。と捉えている訳です。

全く、同一ではないでしょうが、
このような事例によく似た価値観がある上代に於いては、
神名が、神の本名だとすれば、
「神名を明かす、という事は、・・・。」
「神の本質、神の力などが、知られた相手に支配されるもの。」
・・・として理解されていたはずですから、
逆説的ですが、古くから伝えられた神名ほど疑わしい。
何故なら、神の神名を知る。という事は、
その神の力を手に入れたという事に等しい事と理解できる訳ですから、・・・。

わが国の上代にこのような習俗があったという事を基に考えると、
神名は秘匿されるべき対象であるといい得ます。

このような習俗が祭祀という空間の中で受け継がれているものとすれば、
「ことあげせず。」というような、
祭祀の内容などについて、秘して語らない。というような、
神道祭祀上のルールが定着について説明する新たな理由として揚げられるかも知れません。

上記のように、
祭祀上のルール性からも「明示されているような神名のあり方」という状態という所にひっかかりを感じますね。

神奈備さんは、
そういう処に、祭られている神の本質が表されているように扱って行くのですが、
そこが手法としてうなづけない所です。

こういう、今風にいえば、オープンにされている状態のものは、
「あだ名のようなもので、仮称であって、神の本質や力を言い表した内容とは
離されている。」・・・というようには考えられませんか。?

実例としては、言い方は変ですが、天皇の本名の例ですね。

生前は俗称的ない言い回しや、案に指し示す言い方で済まされていますし、
崩御の後は、死後に名付けて贈られた名前で呼ばれます。
ですから、生前も死後も、天皇の本名は解らないままになります。

神奈備さんが扱っている問題の時代性によると思いますが、
上代の事であれはあるほど、「名乗らない文化」である訳ですし、
時代が下れば、「名乗る文化」になる訳ですが、

こういう問題を、どのように捉えていらっしゃいますか。?
また、どのように捉えて神名というものを扱っていらっしゃるのでしょうか。?

神奈備さんが、テーマとして扱おうとしている所については、
面白いと思いますが、
それを論証して行く手法には、疑問に感じる部分が多い。という感想をもちます。
また、そこで用いられる論理というのか、価値観というのか、
そういうものが、とても現代的な所も違和感として感じます。

別に批判をしようという趣旨ではありませんが、

例えばですが、鋤、鍬という農具についての表記の問題なんか、
僕にはとても気にかかる所です。
鋤と鍬の使い分けの問題なのですが、
「御鍬社」と書いて、ミスキ社と音読する場合、
これは、文献史学の分野では、
「そのように読み書きする慣習を理解している素養」として評価されますが、
僕なんかの視点では、
実際の鋤、鍬という分別に通じていない側による、
表記上の混乱を疑うべき要素が含まれている文書だという評価を捨てられません。

また、鋤、鍬について分別している側によって記された文書だとしても、
どういうものを鋤と表記し、どういうものを鍬と表記していたのか。
・・・という事を伺い知る情報が、
その文書自体に含まれていない事が多いですから、
同時代の、他の事例から推測してみても、
そこに記されている鋤鍬がそれぞれどのようなものなのかは、
ハッキリと解らない訳です。

そして、現代の我々からみると、鋤や鍬は、それぞれ、大体一つのタイプですが、
本来は、鋤、鍬ともに、それぞれ、様々なタイプのものがあります。
地方のバリぇーションまで含めると、かなりの数のタイプになり、
よくもまぁ、これだけ多様な形状と工夫を考え付いたものだと驚く限りです。

これらは、いくつかの系統に分類できるのですが、

神奈備さんのいうように、阿治須岐託彦根命に含まれる、須岐の表記が、
鋤や鍬を表していると考える理由について、
僕は全く理解できない所ですが、・・・。
しかし、仮にそうだという事にしても、
どういう形状、どういう系統の鋤鍬だと考えられているかという事なのです。

神奈備さんは、農具、そして、農耕文化をどのように捉えられているのですか。

神奈備さんのいうように、
阿治須岐託彦根命の須岐が鋤き鍬に由来するなり、意味する要素があるのなら、
農耕技術と鋤き鍬を製作する技術を"神の力(霊力)"とする神と、
考える事には異論はありません。
しかし、
この場合、その鋤鍬は木器なのか、金属器なのか、
また、その農耕技術とは、どういうタイプの農耕技術なのか。
・・・という所について、ある程度明らかにして頂かないと、
神奈備さんのいう所が、是なのか、否なのかも、判断しづらいですし、
また、祭祀とは現実的なリアリティー(技術や利益)に由来して、
どうしても、人の力のおよばない部分を、
神に祈って、請い禰ぎ奉っている訳ですから、
農耕神というような形についても、現代から考えるような、
漠然とした農耕ではなくて、
もっと具体的に絞り込んだ形の農耕の神なのだと思われます。

同様に金属神についてもそういう事が言えると思いますが、
多々羅(鑪)場、鋳場、鍛冶場、というような工程の職能集団に、
分かれていたのなら、金属神でありながら、
祀られているのは、それぞれ、違った神であると思います。

このような神の本質や実態に踏み込もうとすれば、
どうしても、
当時のそれ等に関わる技術の実態を把握する必要があると思うのですが、
その辺りは如何でしょうか。?

僕自身の私見からいえば、
前述のようないくつかの理由や、その他の理由からも、
神名や、寺社名称の類似、縁起の類似等から、祭祀について論じる手法には同意できませんが、
しかし、何かが解き明かされる可能性はゼロではないと思いますので、
それは、神奈備さんの手法という事でその是非には触れず、
神奈備さんが、その根拠としている事柄の内容について、
できるだけその方向で検討しても、
うなづけないし、疑問が多いですね。

能登の鎌の宮についても、
できるだけ農具が神格化されたという方向で解釈していった結果ですが、
実際は、かなり、グレーゾーンです。
そして神奈備さんの想定しているような、
「農具単独で成立している祭祀」では無い訳です。
実際からいうと、神木に打ち込まれ融合する事に依って、
鎌という意味や存在が変容して行く。というところがポイントです。

そしてやはり、神奈備さんが開拓や農具の使用について触れられている内容は、
文学(フィクション)だ、という感じがします。

実際に、
タイやボルネオで焼く畑が禁止される前にその作業に参加した経験からいうと、
実際の原生林や二次林、三次林でもいいですが、
こういう時の開拓方法は、焼き畑をするように先ず燃やしてしまいます。
そして、多少の木の根があろうが、それを避けて、耕作したらいい訳ですから、
こういうものを、この段階から掘り起こそうとはあえてしません。

こういうものを取り除いてからという考え方は、
となりの土地が誰か他の人に所有されていて、
と、いうような現代の日本的な発想です。

そして、焼き畑の場合、最初の年に作付ける作物、次の年、その次の年と、
ある程度、決まっています。

そして、現代の感覚でいう切れ味のいい金属器の刃物や道具が登場するのは、
こういうで使用に耐えられるものができるようになるのは、中世以降、
いくら遡っても、平安、奈良、辺りが精いっぱいです。
こういう大木などは、楔を入れて、裂くようにするのが一般的だと思いますよ。
切れ味のいい刃物を使うのは、寺社建築などの表面仕上げの場合です。
一々揚げ足を取ろうというつもりはありませんが、
開墾方法や、時代感覚というところでは、
とても現代的な価値観で考えられているようなので、
すごく違和感を感じます。

そして開拓神みたいな捉え方ですが、こういう感覚は現代的な社会の価値観です。
他所の他者から見て、その土地の開拓者であっても、
その集落の内側からみると、やはり、祖霊神の範囲です。
現代ではあまり意識できない事ですが、
内と外の視点というのは、
集落の空間、祭祀の空間を観るとき、考える時には重要です。

実際に、アジスキのスキが、鋤鍬であれば、それはそれで面白いと思うのですが、
神奈備さんが論拠とするような理由を御聞きしていると、
ちょっと有り得ないかな。と思ってしまいます。

僕自身も、神奈備さん説には面白いなぁ。と思う反面、
どうしても同意できないのは、
「その理由とする根拠にリアリティーが感じられない。」という事からでしょうか。
そして、祭祀などに対する感覚に現代的な価値観が多く混入している。
・・・という所も違和感を感じる所です。


実際問題として、考古資料として、祭祀遺跡が発見され、
その中の出土品として、鋤、鍬を含むものが、含まれていたとしても、
その祭祀の場で、どのような内容の祭祀が営まれていたかについては、
断定し難いですよね。
現在の民俗事例などを含め、様々な視点から推測して、
仮説立てる事までしか出来得ません。



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