神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

青草談話室、写真掲示板 過去ログ

掲示板のログ(平成十八年 六月 2006.6)お名前の敬称は省略しています。

[7550] Re[7549][7546]: My磐座  神奈備 2006/06/30(Fri) 19:27 [Reply]
> 磐座には、神祭りの原風景を感じます。

お目にとまりありがとうございます。
皆さんの My磐座を教えて頂いて、ライブラリーを増やしていきたいものです。
皆さん、よろしくお願いいたします。

[7549] Re[7546]: My磐座  ローズマリー 2006/06/30(Fri) 18:14 [Reply]
>  磐座探訪のページを新設しました。磐座を探訪する方に親切になれば・・・。
さっすが〜!ですね。神奈備さまにかかれば、もうこんなにページが。。。!
きっと、ご興味のあられる方、多いのではと思います。
磐座には、神祭りの原風景を感じます。
ますます、楽しみが増えました。

次は本にまとめるなんて如何ですか?
絶版になった「磐座紀行」を受け継ぐ本。

行きたい所がまた増えそうです。^^

[7548] Re[7547]: 海人族の拠点  神奈備 2006/06/30(Fri) 17:35 [Reply]
> 壱岐島渡来村小崎
渡良村小崎には和多津美神社が鎮座、ここに宗像族の痕跡がある??
http://www.genbu.net/data/iki/watatumi_title.htm

> 宗像3神のうち奥津宮は沖ノ島には4-10世紀の朝廷の祭祀遺跡があり
 『宗像大菩薩縁起』に、神功皇后の新羅征討に際して、宗像の神が多いに奮戦したそうで、それは「御手長」を振り上げ降り下げたそうです。帰還後、これを沖の島に立て置いたとされています。田中卓氏は。沖の島の神は壱岐の手長の神を祀ったものとされています。
http://www.genbu.net/data/iki/tanagao_title.htm
 この御手長を織ったのは織幡神社だそうです。社家は壱岐氏。
http://www.genbu.net/data/tikuzen/orihata_title.htm
  『肥前国風土記』の基肄郡の姫社の郷に面白い記事があります。大川に半殺しの神がいて、この神を「筑前国宗像の人である(物部の)珂是古に祀らせよ」と出 てきます。この時、珂是古さんはやはり幡を持って来ます。幡の落ちた所に姫社神社で別名を岩船神社ともいい、物部氏の遠祖の饒速日尊が祀られているそうで す。

> 同じ玄界灘の海族でも、本拠が違うということは何を意味するのでしょうね。
元々一つの伝承を持っていた海人達がそれぞれ展開していって複数の拠点でそこそこの勢力になり、その二つの神話が王権によってまとめられたてなことでは・・・。

> 宗像三女神は日本海流出雲のスサノオと瀬戸内海の難波の先の大和朝廷の天照大神の両方を父母とする。

  宗像三女神は天照大神と素盞嗚尊との誓約で生まれて、筑紫に天降った神とされていますが、壱岐島などが絡んでいるとしますと、対馬のには阿麻テ留神社が鎮 座、またこの2島は素盞嗚尊の出発と帰還の伝承の多い地であり、そういう要素が誓約神話に反映していたら、面白いことだと思っています。
http://www.genbu.net/data/tusima/amateru_title.htm

> 誰か五島列島が隼人の拠点と書いていたような記憶があります。
  これまた『肥前国風土記』の松浦郡の値嘉の郷に、どうやら隼人らしい人が住んでいたような記事はありませね。大耳、垂耳と言う土蜘蛛が住んでいたと。この 島の白水郎は容貌が隼人に似ているとあります。ここへ遣いに行ったのが安曇連百足で、言葉が理解できたのでしょうから、隼人と同族だったのかも。

[7547] 海人族の拠点  とみた 2006/06/30(Fri) 14:06 [Reply]
昨日、海の正倉院沖の島という本を読んでおりました。

宗像族は、本拠が、辺津宮のある田島の神湊。鐘崎の海士は今でも勇敢だそうです。
嘗ては、黒潮に乗り集団移動。志賀島の弘、壱岐島渡来村小崎、山口県大津郡向津具村大浦、石川県輪島の鐘崎入、輪島海士町、福井県金崎・・・などの地名を残しています。

安曇野族は、博多湾岸の志賀島を本拠とする。
ここは紀元57年のな奴国王が後漢光武帝から賜った金授印が出土したところです。

奴国の交易と安曇族は古代よりつながっていた可能性があります。

住吉族は、筑前平野を流れる那珂川が海に注ぐ河口港に本拠を置いた。

同じ玄界灘の海族でも、本拠が違うということは何を意味するのでしょうね。

宗像3神のうち奥津宮は沖ノ島には4-10世紀の朝廷の祭祀遺跡があり、ここからは三種の神器の原型が掘り出され、金銅製の杏葉(オリエントのデザイン)が出たとなると何を意味するのでしょうね。

田島(辺津宮)ー大島(中津宮)ー沖島(奥津宮)ーー韓国の金海とまっすぐの海道。

沖島は海流の合流点で下関から海流が分かれて瀬戸内海と日本海に流れ込む。正に交通要衝の地にありますね。

宗像三女神は日本海流出雲のスサノオと瀬戸内海の難波の先の大和朝廷の天照大神の両方を父母とする。

住吉さんと宗像さんと安曇野さんは仲がよかったかどうか、縄張りで収めていたんでしょうかね。

日本の海は、縄張りが多いですものね。今でも日本の港運業というのは縄張りです。

隼人という海の民の本拠はどこかなといった疑問が出てきます。
大隅隼人と、阿多隼人と甑隼人と本拠が違うかもしれませんね。

誰か五島列島が隼人の拠点と書いていたような記憶があります。

加齢と共に、誰がどの本で書いていたかが思い出せません。

[7546] My磐座  神奈備 2006/06/30(Fri) 09:30 [Reply]
 大阪の交野市は古くから開かれた所で、山手の方には縄文時代の住居跡も発見されています。余談ですがここを天野川が流れ、機物神社の七夕祭りはおおいに賑わいます。機物神社はハタモノと訓み、秦氏のことを指すとの伝承もあります。
 天野川とは元々甘野川であり、この地域に豊かな稔りを運んだからと言われています。上流に磐座で有名な磐船神社が鎮座しています。古老の言によりますと、石上神宮から毎年人が遣わされてくるそうです。元社ではとのこと。

 交野の天田神社が鎮座、これも甘田であり、豊穣の神を祭っているとのこと。河内磐船駅の周辺には森遺跡があり、また神社の北東側の山中には、未発掘の古墳もあり、最古の時期の古墳とも言われています。近所の子供達が土器でしょうか、拾って来て先生に見せたのが古墳の発見のきっかけだそうで、今でも普通の山中の盛り上がりにしか見えません。この古墳の所を通り過ぎて山中へ進みますと、縄文遺跡な巨大な石壁が現れてきます。熊野市の花窟に匹敵する大きさのように思いましたが、ちょっとオバーかも。

 この石壁は別段奉る人もいないようで、いわばMy磐座と言った存在です。
 磐座探訪のページを新設しました。磐座を探訪する方に親切になれば・・・。

森遺跡については
http://murata35.cool.ne.jp/meisho/moriiseki/index.htm

[7545] Re[7541]: 玉置の音  ローズマリー 2006/06/30(Fri) 07:12 [Reply]
>  ここに、面白い「音」があります。

素敵な音の紹介をありがとうございます。
実は先日玉置神社へ参詣に行ったばかりでしたので、
ああ、あの空気!と音を通して感じて、なんだかまた感激していました。

いこまかんなびさんが仰せの事、私も感じます。
でも、サイトは管理者の意図のままに動いていくもので、
読者の私たちが、こうあってほしいなあ!の通りには行かないものかなあと思います。おそらく日本最大の神社紹介サイトですので、ちょっぴり残念な気はしますけどね。それでも、多くの知識や示唆を頂けるこのサイトを拝読するのは楽しみです。
こんなサイトがなかったら…と思うと本当に大切さを感じます。

[7544] いまどきの!  徳田の太郎 2006/06/29(Thu) 23:36 [Reply]
 nick サン    遅くに、こんばんわ!

 そうですね!
 今、デジカメとプリンターは「使い捨て」ですね!
 その代り生ものですから、買った瞬間から、
 「使って使って使い込んで、拠り安くて性能の良いものに
 替えられるなら
 「もったいない!」   
 (これも。よその国の人に指摘されたグロオバーーール)
 にはならないと感じます。

 方々は、いかがでしょうか・・・。

[7543] Re[7542] 〜以降の該当書込み  nick [Url] 2006/06/29(Thu) 18:10 [Reply]
>  WindowsXPが壊れて、OSをWindowsNTに変えてやっと動いているPCです。それ以来、音の世界から縁がなくなっています。ハードはあるはずなのですが・・・。

あらま、暇だから修理しましょうか。
マザーボードだと大変だが、交換すればいいか。笑。
エプソンの複合型の最初のバージョンよく壊れる。
修理して先日届いた。1万円だって。
昔のエプソンは、乱暴に扱っても壊れるしろものではなかったが。。
(使わなくなったドットプリンター両手ありますよ)
痺れ切らして替わりに8千円で最新の格安機種買ったら
ま、カラーが綺麗なこと。

[7542] Re 〜以降の該当書込み  神奈備 2006/06/29(Thu) 15:18 [Reply]
 このサイトの掲示板は神奈備が責任を持ってやっていますが、実は玄松子さんが背後におられて、神奈備がトンチンカンをやり、脱線しかかったりしますと、ひょいと出現されて軌道修正をしていただき、何とか発足いらい今日まで持ちこたえてきました。

  神奈備のだらだらした表現とは違い、玄松子さんの表現は簡潔明瞭であり、一見しますと冷たい感じを与えるかも知れませんが、始めての人をイビルはずもな く、あいまいな表現や漠然とした質問の場合にはその問題を一層際だたすための質問ですので、読者の方も読み方に習熟もしていただきたい所。

 所で、今日某社の株主総会に観客の一人として参加して来ました。ある先輩の方が、「神奈備は君か?」と言われ、「見ているよ。」と一言がついていました。何かうれしい気分でした。

>  ここはひとつ、この音を聴いていただいた後に、コメントしていただければと感じます。 

 WindowsXPが壊れて、OSをWindowsNTに変えてやっと動いているPCです。それ以来、音の世界から縁がなくなっています。ハードはあるはずなのですが・・・。

[7541] 無題  徳田の太郎 2006/06/29(Thu) 00:20 [Reply]
 みな様 nick 氏 いこまかんなび 氏
 こんばんわ!

 何かくすぶっていたものに・・・、火をつけてしまったのでしょうか?
 ここに、面白い「音」があります。
 
 ここはひとつ、この音を聴いていただいた後に、コメントしていただければと感じます。  


    http://www.ame-ambient.com/Nagaya/innerworld/kumano/part06.html

[7540] Re[7539]:[7533] 〜以降の該当書込み  玄松子 2006/06/28(Wed) 23:55 [Reply]
玄>掲示板という小さなスペースに書き込める量はわずかです。
> 掲示板は、別に小さなスペースでも決してありませんし、

掲示板の可能性は大きいかもしれませんが、物理的スペースは小さなものです。一度に書き込める情報も多くありません。

ですから、ダラダラと脈絡の無い書き方をしないよう、端的に簡潔に書くことを心がけていますが、受け入れられないのは残念ですね。しばらくロムに徹しましょう。

[7539] Re:[7533] 〜以降の該当書込み  いこまかんなび 2006/06/28(Wed) 23:14 [Reply]
>掲示板という小さなスペースに書き込める量はわずかです。
>ですから、端的に短い文章になります。
>それを冷淡ととられるのも仕方ありませんね。

そんなことはないでしょう。
私も、いつも書込みから何か得たいと興味深々、訪問しています。
私は、忘れかかった考古学が得意なんですが、まだまだまだ・・、神々についての議論では、参加できるレベルに達しておりません。神の名もすぐ忘れます。

全国からこの掲示板に訪問されるたくさんの方々の中には、まだまだ十分知識の無い中、何か参考にできるような、手がかりが無いかなと思って、訪問され、中にはドキドキしながら書込みされたり、興味に惹かれて、初歩的な質問をされたする場合も当然ありますよね。
かなりの知識の蓄積により、神々とその世界を勉強され、知っておられる諸先輩の方々とは、当然のごとくかなりのギャップがありますよね。
異次元から天下ったような辛い書込みは別として、仮に、文章がちょっと理解しにくくとも、素直な疑問・質問を持って書込みされ、少し難解なものに対する指摘・回答としても、もう少し温かくあって欲しいと、いつもサイドから真剣に思っております。
掲示板は、別に小さなスペースでも決してありませんし、まだまだ良く分からない人たちのためには、温かく、そのような表現であってほしいなぁーと、思ったりしております、いこまかんなび、でした。

ほかの方はどうでしょうか。

[7538] Re[7537]: 気にかかる事・・・  神奈備 2006/06/28(Wed) 22:20 [Reply]
 ネット上では言葉の行き違いが出てきます。小生なんかはあるMLで噛みついたり、脱退宣言をしたり、えらい目に遭ってきました。
 最近でこそなっと慣れたのかなとの印象です。
 ネットは人と人が知り合い、結果としてお目にかかる機会を増やす手段です・。

 皆さん、大阪や紀州に来られる事がありましたら、声をおかけ下さい。

[7537] Re[7536][7535][7534][7528][7527][7526][7525]: 気にかかる事・・・  ロムのヤジ 2006/06/28(Wed) 16:47 [Reply]
> > おかげで、少し煮詰まっておりましたが、新たな見方から
> > 調べてみたいと存じます。
>
> nick さんのように気になる特定の地域や、神奈備さんのように特定の祭神を追ってみると、自然に、全体が見えるようになるのかもしれませんね。

神奈備様、玄松子様、徳田の太郎様、 はじめまして。 いつも博学の諸氏から勉強させて
いただいております。

玄松子様 返答いただきありがとうございます。
どの部分がイビリに見えたかと議論するつもりはございません。ただ、私にはそう見えたのであります。

[7526]
>全国で、数十万の神社が消滅していると思われます。それらを、どのように眺め続けるのでしょうか。

これは問題提起された事柄より、相手の姿勢や意思を問うように私には映りました。

[7536] Re[7535][7534][7528][7527][7526][7525]: 気にかかる事・・・  玄松子 2006/06/27(Tue) 23:20 [Reply]
> おかげで、少し煮詰まっておりましたが、新たな見方から
> 調べてみたいと存じます。

nick さんのように気になる特定の地域や、神奈備さんのように特定の祭神を追ってみると、自然に、全体が見えるようになるのかもしれませんね。

[7535] Re[7534][7528][7527][7526][7525]: 気にかかる事・・・  徳田の太郎 2006/06/27(Tue) 22:27 [Reply]
 玄松子 氏   ありがとうございます。

 少し逃げ腰で、あいまいな表現をしてしまいました。
おかげで、少し煮詰まっておりましたが、新たな見方から
調べてみたいと存じます。
                     太郎 拝


[7534] Re[7528][7527][7526][7525]: 気にかかる事・・・  玄松子 2006/06/27(Tue) 22:05 [Reply]
>  素朴な疑問があります、何故、国内じゅう同じような祭神が祀られているのか?
> 地域地域でことなった祭神が鎮座するのが、神道の成り立ちからすれば 自然では
> ないでしょうか?

個人的な考えですが、地域毎に祀られている神は、勧請や分霊という場合を除き、基本的には別の神なのではないでしょうか。
国家によって、あるいは地域住民によって、記紀に登場する神々と結びつけた結果、名前が同じになってしまった、あるいは同神とされたのではないでしょうか。


> 明治政府の社寺の調査は、全国規模で行われたはずです。

各県ごとに、明治の神社合祀令に対する対応は異なるようです。
全国規模で、「残す/残さない」という判断をしているわけではないかもしれません。調査は地域ごとに行われ、判断され、廃絶させられたのかもしれません。

明治の合祀令では、社として存続させるには、経費が必要でしたから、経費を捻出できない神社は、仕方なく廃絶させられました。
廃絶した神社の多くは、隠された神々という謎めいた理由ではなく、財政的問題で廃絶したのだと思います。

基本的には、一村一社ですから、国家としては単純に、減らしたかったのでしょう。

ただ、式内社や国史現在社は特別扱いですから、平安時代に皇室と関係のあった神社を優先的に残したと考えることも可能ですし、地方の神々は軽視されていることにもなりますが。

[7533] Re[7527][7526][7525]: 気にかかる事・・・  玄松子 2006/06/27(Tue) 21:36 [Reply]
投稿されている方の意図がわからないので、自分なりにときほどく端緒を探しているつもりでしたが、


> 投稿者の探求心を削ぐような姑みたいなイビリはやめて欲しいですね。

どの部分が「イビリ」と感じたのでしょうか。


> 将来性のある高校生をいじめてみたり。

これは、どなたのことでしょうか。


漠然とした非難は、相手(この場合は僕ですが)には伝わらないと思いますよ。

掲示板という小さなスペースに書き込める量はわずかです。
ですから、端的に短い文章になります。
それを冷淡ととられるのも仕方ありませんね。

[7532] Re[7528][7527][7526][7525]: 気にかかる事・・・  nick [Url] 2006/06/27(Tue) 20:33 [Reply]
徳田の太郎 さん

>素朴な疑問があります、何故、国内じゅう同じような祭神が祀られているのか?
>地域地域でことなった祭神が鎮座するのが、神道の成り立ちからすれば 自然ではないでしょうか?

お住まいの地域の寺社の調査をされたら
自ずと見えてくると思います。

神社調査を始めた当初
境内にお坊さんの墓があるのですよ
(当地の場合、幼い頃はお寺は皆無でした。
無いのがとても不思議でした。それだけにどうして神社にと)

それとなぜか仁王様が無残な姿で
大抵が両手足をもぎ取られているのです。

なぜか不思議でなりませんでした。
それでいろいろ調べているうちに少しずつ判ってきました。

経緯は「歴史的背景」に載せています。

ある日、路傍のある場所にやけに石碑が多いのが目に留まった。
そこで昔の古文書(江戸時代)を読んでいたら
そこにはお堂やお寺、神社等があって
廃寺になったり氏子が減少して合祀されたり、、
と、寺社の変遷が垣間見れました。

その時代背景や社会情勢、、当時の生活等に
想いを馳せて、、益々抜けられなくなって。。笑。

このサイトや玄松子 のサイトは非常に参考になります。
いつも感謝しています。


[7531] Re[7530][7528]: 気にかかる事・・・  徳田の太郎 2006/06/27(Tue) 20:32 [Reply]
 みなさん ありがとございました。

 どこかに、資料が残っていることを願ってやみません。

 少々、お騒がせのお詫びに・・・

 養老孟司によれば
 「DNAでたどるオサムシの系統と進化」哲学書房(大澤・蘇・井村著)の研究を取り上げ、マイマイカブリ(オサムシ)は、飛ばない虫で、移動性が少ないために、隔離が起こりやすく、種分化しやすい。
その特徴を踏まえて、全国のマイマイカブリを調査したところ、本州で7系統のミトコンドリアDNAに「 差 」が見られたそうです。
 これは、太古の昔(1千万年前)にそれぞれが『別の島』だったことを推測させるとのことです。
東北は最北部・北部・南部に区別され、残りの地域は、関東・中部・紀伊・中国に分けられるそうです。
一箇所だけ特別な地域があります。 それは滋賀県だそうです。
なぜかといえば、琵琶湖を中心に、中部・紀伊・中国地方のオサムシが混在するそうです。
つまり、琵琶湖はこの3地域の共通の海峡だったと考えられるようです。

 とても興味深く拝見しました。
そして虫たちは、その自然環境に大きく影響されて生きているのなら、人間が現れるのは、しばらく後(20万年程前)になりますが、人間の生き方・文化にもそれなりの違いをもたらせてきたのではないかと考えました。


 現在の、東北・関東・中部・近畿・中国の区分は、太古の地質を反映してるのは驚きです。

[7530] Re[7528]: 気にかかる事・・・  神奈備 2006/06/27(Tue) 19:51 [Reply]
徳田の太郎さん、こんばんは。nickさん、玄松子さん、ありがとうございます。
猛暑の和歌山を歩いていました。ビ−ルがうまい。

> 素朴な疑問があります、何故、国内じゅう同じような祭神が祀られているのか?
> 地域地域でことなった祭神が鎮座するのが、神道の成り立ちからすれば 自然では
ないでしょうか?

大国主命と言う神様がおられますが、多くの名前で呼ばれていますが、地域での開拓の神をそのように呼んでいたのを全部一緒だ!としてまとめたのは記紀なのかも知れないですね。
その地域の開拓の神様=地域の国主神→まとめて大国主神
この神一柱が大和王権に国譲りをしたとして全国まとめて頂きますと。

> 明治政府の社寺の調査は、全国規模で行われたはずです。
> その時点での、ひとつの実態調査として考えれば、まだ手の届く貴重な資料だと
考えます。

地名(大字、字、小字)の全国版の調査はあったようですが、東京の空襲で焼けてしまったようです。柳田国男さんの著書にあったようです。

社寺の調査のことは知らないのですが、例えば和歌山県の場合、江戸時代の『紀伊続風土記』を観ますと、それぞれの村の小さい社まで記述されています。それでも路傍の名もなき祠まで拾ったのかどうかは、今となっては判りませんね。

[7529] Re[7525]: 気にかかる事・・・  nick [Url] 2006/06/27(Tue) 18:55 [Reply]
徳田の太郎 さん
>  明治政府 内務省が 全国津々浦々を調べ上げた
>  神社の資料リストが、どこかに無いものでしょうか!
>

こんばんわ。私もそう真っ先に思いまして図書館へ出かけたり専門の方々に
お尋ねしましたが、、、
結論は「あるかもしれないが、どこかの書庫の奥深くでしょう」

当地の場合、明治の頃「郷土史ブーム」があって再三編纂されました。
もちろん「寺社帳調」や「神社明細帳」も数冊ありました。(手書き)
しかし、なかなか希望通りとはいきません。
それらをベースに江戸時代の古文書や延喜式等に依存せざるを得ませんでした。
この数年で埋もれた石碑等も幾つか再発見しました。
私の場合、国分地方の古文書を総括した「国分諸古記」が目下座右の書です。

[7528] Re[7527][7526][7525]: 気にかかる事・・・  徳田の太郎 2006/06/27(Tue) 17:48 [Reply]
 神奈備様
 玄松子氏
 失礼いたします。

 ロムのヤジ氏 初めまして!

 まず最初に、曖昧な表現をしてしまい申し訳ありません。

 このHP、更に玄松子氏のHPも、こうして参加できるものが、
 率先して護らなければならないと感じます。
 
 素朴な疑問があります、何故、国内じゅう同じような祭神が祀られているのか?
地域地域でことなった祭神が鎮座するのが、神道の成り立ちからすれば 自然では
ないでしょうか?
明治政府の社寺の調査は、全国規模で行われたはずです。
その時点での、ひとつの実態調査として考えれば、まだ手の届く貴重な資料だと
考えます。

[7527] Re[7526][7525]: 気にかかる事・・・  ロムのヤジ 2006/06/27(Tue) 16:37 [Reply]
> よくわからないのですが、
>
> >  それでも、ベールに包まれた祭神を眺め続ければ・・・
>
> ベールに包まれた祭神を、どのように眺めるのですか。隠されている祭神ですよね。
>
> 全国で、数十万の神社が消滅していると思われます。それらを、どのように眺め続けるのでしょうか。
>
> 明治政府の記録が残っていたとしても、相当な労力を要する作業になると想像できます。しかも合祀・廃絶された社の多くが、祭神不詳・由緒不詳だったとしたら・・・


神奈備様、皆様、いつもは見ているだけですが少し書かせてください。

投稿者の探求心を削ぐような姑みたいなイビリはやめて欲しいですね。
将来性のある高校生をいじめてみたり。
もう少し大らかにやっていたただいたらと、見ていて思うのですが。

神奈備様 失礼な投稿でしたら申し訳ありません。


[7526] Re[7525]: 気にかかる事・・・  玄松子 2006/06/27(Tue) 12:14 [Reply]
よくわからないのですが、

>  それでも、ベールに包まれた祭神を眺め続ければ・・・

ベールに包まれた祭神を、どのように眺めるのですか。隠されている祭神ですよね。

全国で、数十万の神社が消滅していると思われます。それらを、どのように眺め続けるのでしょうか。

明治政府の記録が残っていたとしても、相当な労力を要する作業になると想像できます。しかも合祀・廃絶された社の多くが、祭神不詳・由緒不詳だったとしたら・・・

[7525] 気にかかる事・・・  徳田の太郎 2006/06/27(Tue) 01:27 [Reply]
 靖国ではありません。

 明治になって、神社の整理統合が行われました。
 その中で、和歌山と三重の合祀が全国でも際立てって
 行われたようです。
 
 ここ今日現在今なら、まだ『南方熊楠』氏の叫びを
 私たちは、汲み取ることが出来得るのではないでしょうか。
 合祀&廃社された神社&寺を、すべて調べ上げた時
 それでも、ベールに包まれた祭神を眺め続ければ・・・
 何かが見えてくるのではないでしょうか!

 明治政府 内務省が 全国津々浦々を調べ上げた
 神社の資料リストが、どこかに無いものでしょうか!

[7524] 靖国問題 終わり  神奈備 2006/06/25(Sun) 11:51 [Reply]
 靖国神社の祭神は二百五十万柱の霊が一つの同じ座布団に座っている。それを引き離すことはできません。これが分けられないとする論理なのです。足代氏は、この論理をまやかしと言います。

神様の数は柱で数えるもの。
座 は延喜の時代に現れた概念で、「奉幣の座数」であり、それが現在ではあいまいに使われています。座と言うものに、神道上何ら規定がなく、適宜使っている。 靖国神社の場合には二百五十万柱に一座で奉幣も一座分だろうと思います。これは人間側の都合で行っていることで、二百五十万柱それぞれに奉幣してもかまわ ないのです。従って座が一つだと言う事と、分祀・分遷とは無関係なこと。分遷の可・不可は、神座の数が単数か複数かというような物理的な条件によるのでは ない。由緒の問題、信仰の問題なのだ。
靖国神社が神道の神社であるならば、おそらく、この論が正しいのでしょう。

面白い論があります。靖国神社が分遷を認めたら、英霊の子孫が左翼の場合、分遷を要求してくるようになり、収集が着かなくなり、やがて靖国神社の存立を脅かすことになる。従って認めるべきではない。
まだ、素直な気持ちの発露と言えます。英霊やその子孫より神社が大切だとする本末転倒の論ですが、まかり通っているようです。

神奈備掲示板に相応しくないテーマですので、これにて靖国神社問題は終わります。質疑応答する気もありません。

[7523] Re[7522][7521][7520][7506]: 靖国問題  nick [Url] 2006/06/23(Fri) 18:14 [Reply]
田舎では氏神神社の境内に一際巨大な石碑「招魂碑」があります。
日露戦争にしろ先の大戦にしろ没年を拝見すると皆さんお若いです。
私は母と姉を1週間前の6月17日鹿児島の大空襲で亡くしました。
姉は小学校3年生でした。その僅か2ヵ月後が終戦でした。

そのような方々の礎で今日がある事を忘れてはならない、
「命」を粗末にする当世のヤングの風潮には疑問を禁じ得ません。

[7522] Re[7521][7520][7506]: 靖国問題  神奈備 2006/06/23(Fri) 17:35 [Reply]
> 「純粋な気持ち」で慰霊・参拝が出切ることを遺族の方々も熱望されているのでは。

 nickさんがおっしゃる通り、靖国神社にまつわるモヤモヤを晴らしたいものです。

私 が足代氏の投稿を紹介させて頂いたのは、神道上の問題としての分祀(分遷)が出来る−伊太祁曽神社の先例がある−と考えるのにもかかわらず、靖国神社サイ ドは出来ないと突っ張っているのが問題であること、またどうやら昭和天皇の意向を無視して東条氏らの合祀を強行したようであり、それでは市井の足代さんを 応援しようとの気持ちからです。
決して中韓のご機嫌とりをしている訳ではありません。はっきり言って嫌いな国です。

 昭和十一年 から五十二年間の長きに渡って昭和天皇の侍従をされた徳川義寛氏の『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(岩井克己 聞き書き・解説。朝日新聞社、一九九七年二月)と言う興味深い書物があります。この書籍が三流のレベルの資料なのか一級の資料なのか、評価は分かれるのか も知れませんが、昭和天皇の戦犯合祀に関する御意向が伝えられています。「戦犯合祀の問題は筑波藤麿氏に任せておけば安心だ。」と言うことでした。差し止 めておられたのです。

 現宮司が合祀の相談に来られた時、慎重な扱いを求めたようですが、伝わらなかったのです。『朝日新聞』一九九五年八月十九日の記事では、「筑波さん(前の宮司)のように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」と徳川義寛氏は語っておられるようです。

 天皇の意向を無視して合祀を行った結果は、御親拝(天皇が参拝すること)の記録にくっきりでています。

昭和40年10月19日 天皇陛下御親拝 臨時大祭
昭和44年10月19日 御創立100周年年記念大祭 天皇・皇后両陛下御親拝
昭和50年11月21日 天皇・皇后両陛下 終戦30年 御親拝
昭和53年  宮司交替
昭和53年11月    合祀 発表は昭和54年 4月

この年以降、御親拝は途絶えた・・・・

昭和61年昭和天皇御製
このとしの この日にもまた 靖国の みやしろのこと うれひはふかし

御製は明らかに靖国問題にお悩みだとのお気持ちの披露です。

私は総理大臣が靖国神社に参拝されることは悪いこととは思いません。そのかわり、中韓の指導者と民衆とに討論会を開いてでもおのれの考えを訴えるべきです。「何故、参拝はいかんと言うのか判りませんね−」との、己は頭が悪いと言う台詞しかいえないようでは困ったものです。


[7521] Re[7520][7506]: 靖国問題  nick [Url] 2006/06/23(Fri) 14:23 [Reply]
靖国神社と云えば、上京して真っ先に参拝に
行った神社です。
母の兄弟3名が戦死しておられるので、母の依頼もあって
先ずお参りしなければと。
明治神宮は、それから5年位後ですから、
田舎から上京しての感慨は如何程かは。

当地には、「天孫降臨」の祭神を祭祀している霧島神宮がありますが、
当初は高千穂の峯山頂付近にありましたが、数度の噴火や
火砕流で遷座を余儀なくされ、文明16年(1484):
長尾山に遷座の後東西に分けられ東社が霧島東神社
西社が現在の霧島神宮に遷座されました。

「純粋な気持ち」で慰霊・参拝が出切ることを
遺族の方々も熱望されているのでは。

[7520] Re[7506]: 靖国問題  神奈備 2006/06/22(Thu) 19:53 [Reply]
『続日本紀』文武天皇大宝二年二月己未条には、当伊太祁曽神社に関する初見記事。

二月二十二日、この日、伊太祁曽・大家都比売・都麻都比売をそれぞれの地に分け遷した。(原文 是日。分遷伊太祁曾。大屋都比賣。都麻都比賣三神社。)

延喜式神名帳に紀伊国名草郡の神社として上記記事に関連の神社があります。

伊太祁曾神社[イタキソ](名神大。月次相甞新甞。)
大屋都比賣神社[オホヤツヒメ](名神大。月次新甞。) 
都麻都比賣神社[ツマツヒメ](名神大。月次新甞。) 

それぞれ一座です。神社名からも明かなように、それぞれの神々が分けて祀られています。分けられる以前は、まとめて祀られていたのです。

現在の伊太祁曽神社には本殿の左右の脇殿に大屋都比賣と都麻都比賣とがそれぞれ祀られています。摂社の扱いで、本殿には五十猛神一柱です。

要するに、分遷と言う事例はあったのであり、これを否定することは出来ません。

分遷を靖国神社に当てはめて、東条以下の兵を戦地に送り出した者達と送り出されて戦死した者とを分けることは可能とする説があり、まっとうなものと思われます。靖国神社もちゃんとした神道系の神社であれば、分遷の可能性を認めるべきでしょう。

ただ、歴史の浅い、かつ神社庁に加盟しておらず、教義がはっきりしない靖国神社と鎮座(分遷後)1300年を経た伊太祁曽神社とを比較するのは伊太祁曽神社に失礼にあたる話であります。

靖国神社から発せられるメッセージからは、この神社は多分一つの神道系の新興宗教の団体と見なしていいのでしょう。現在の宮司が出来ないと言えばできないのであり、出来ると言えばできるのであると言う存在なのでしょう。

本来祀られるべき英霊達は東条さんと一緒を喜んでいるのでしょうか。東条さんらがいることで昭和天皇は参拝されなくなりました。今上天皇も参拝されていません。英霊達はそれでもいいのでしょうか。

[7519] Re:[7517][7518]  みーたんとこーちゃん 2006/06/22(Thu) 14:05 [Reply]
神奈備さん ありがとうございます

たけさん はじめまして


最初は書こうか書くまいか ウジウジと迷っていて、タイミングを逃してしまいました。でも、今は書いてみて本当によかったと思っています。

優しく背中を押してくれたかたに、心から感謝です(*^^*)!

[7518] Re[7517][7516]:7507 目的はなんなのだろうか  たけ 2006/06/21(Wed) 22:59 [Reply]
はじめまして。

木の旅というお話、とてもいいですね。
そうであってほしいです。

[7517] Re[7516]:7507 目的はなんなのだろうか  神奈備 2006/06/20(Tue) 15:10 [Reply]
> 人に背を押されて、投稿してみます。

こんにちは。みーたんとこーちゃん。投稿ありがとうございます。

木の旅というお話があります。

 越後・柏崎の西の方に、西光寺がある。その寺の古松が突然枯れてしまった。そののち、松の木に似た老人がこのあたりから上方へ旅に出た。この老人はうたなぞ唄って、とても上機嫌な旅を続けた。帰途、摂津のある寺に立ち寄り、
「わしは柏崎の西光寺の者だが、路銀が無くなったので貸してほしい」
と、いった。その寺の住職は、
「それはお困りでしょう」
と、いって貸してくれ、別れの宴まで開いた。老人は、越後の唄などを唄いながら踊ったという。
 それから老人が柏崎に還り、西光寺の山門に入ると、枯れていた古松が蘇生したということだ。そして
「摂津の寺に銭を返せ」
というので、西光寺の住職は、摂津の寺に問い合わせると、しかじか、と返事がきた。住職は金を届けさせて、
「松が老人に化身して上方参りにいっている間、枯れていたのだろう」
と、いったそうな。
『日本音紀行』山田野利夫著 朝文社から

 東京や日光あたりで、高野山の麓の者だが、路銀がないとか、腹が痛いとか、足が痛いとか云っている老人がいたら、親切にしてあげて下さいね。

てなことだったらいいなと思っています。

[7516] Re:7507 目的はなんなのだろうか  みーたんとこーちゃん 2006/06/19(Mon) 19:45 [Reply]
人に背を押されて、投稿してみます。
はじめまして。私は、皆さんのような知識を何も持たないただの素人です。
でも、どうしても一言いいたくてカキコしました。

先日起きた、丹生都比売神社の杉の事件の犯人に、私は憤りを感じています。私は丹生都比売神社に行ったとこは一度もありませんが、自然の四季折々の変化に、喜びを感じる者として、どうしても許せません。ただただ、残念です。
犯人は、そこを散策する人たちの気持ちを考えなかったのでしょうか?
神社の境内を掃き清め、丹精なさる氏子さんたちの気持ちを考えなかったのでしょうか?
人として、やっていいことと悪いことの区別はつかなかったのでしょうか?
少 なくとも、除草剤を扱う知識を持つ人ならば、善悪の区別はついてあたりまえだと私は思います。きっと犯人にとっては、何の良心の呵責も感じない、瑣末なこ とだったのでしょう。でも、その無責任な行動に、傷つく人は確かにいるのです。それくらいの想像力が働かない犯人に、怒りを覚えます。
自分の行動に責任を持つのは、人として当たり前のこと。犯人にはぜひ名乗り出て、自己の責任を全うしてほしいです。

話の腰を折ってしまい申し訳ありませんでした。

[7515] Re[7511] [7509]  倭亜布 2006/06/17(Sat) 11:10 [Reply]
>【銅のさびは「緑青」と書いて「ろくしょう」と読みます。】
 PONTA さん 有難うございました。
 
酸性雨問題・環境問題が発生している
緑青(Patina)の発生
  緑青の成分は、銅に含まれる不純物の種類、あるいは銅が置かれた環境条件の差(空気及び水)によって若干の差があると言われますが、その主成分は塩基性炭 酸銅CuCO3・Cu(OH)2を中心とした塩基性化合物であるとされてます。 銅屋根には自然に発生します、そのほか、海浜では塩基性塩化銅が、温泉地 区では塩基性硫化銅が発生します。 食品衛生上しばしば問題となる緑青が銅鍋に発生するのは、【銅の外面に強い酸化の原因になるものが付着したり、何らか の衝撃で銅に傷がついたとき、叉は保管する調理場の湿度が高い時などに、一昼夜放置したり、鍋に調理した食べ物を入れたままにしておくと微量の銅イオンが 溶出して化学変化を起こし、食品の表面や鍋の内面が薄青色に変色します。】 これらの化合物は調理に使用した調味料や香辛料などによって成分が異なります が、塩基性酢酸銅などであるとされています。 一方銅鍋や銅管より出る緑色の化合物は、大部分銅イオンの色と考えられ、 【緑青とは性質を異にする塩素そ の他の陰イオンとの化合物として把握されるもので、銅としての毒性の面からは別途に検討すべきものとされています。】

銅の環境基準:農用地(田)において、土壌1kgにつき125mg未満

【銅を輸出している国で、酸性雨問題・環境問題が発生しているのです。このように、酸性雨問題を解決するためには、国際協力が必要です。】
http://www.adorc.gr.jp/adorcjp/acid/acid07.html
酸性雨による器物影響調査
http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/mamoru/kenkyu/ame/eikyou.html

銅管や屋根ふき材への銅の使用に影響を与える可能性がある。
http://www.jogmec.go.jp/mric_web/EU_eco/EU_21.html

[7514] Re[7513]: 研究会『丹生明神と高野山−神仏関係の具体的事象−』  とみた 2006/06/17(Sat) 10:49 [Reply]
神奈備さん とみたです。

古代の紀の国や、葛城が気になっています。丹生都比売神社の特別講義のご紹介あり

がとうございます。会場は東京渋谷、入場無料、申し込み不要と好条件ですので、関

東者としては是非参加します。理解がどの程度できるか覚束なしではあります。



> 埼玉の古社の方から教えて頂きました。
>
> http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/news/article.php?storyid=106
> 研究会『丹生明神と高野山−神仏関係の具体的事象−』
> ○日時
>  平成18(2006)年7月29日(土)13時〜17時
>
> ○会場
>  國學院大學 渋谷キャンパス 120周年記念1号館3階 1303教室
>  (会場までの案内はこちら http://www.kokugakuin.ac.jp/about/campus.php
>
> ○特別報告
>  丹生 晃市(丹生都比売神社宮司)
>

[7513] 研究会『丹生明神と高野山−神仏関係の具体的事象−』  神奈備 2006/06/17(Sat) 09:32 [Reply]
埼玉の古社の方から教えて頂きました。

http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/news/article.php?storyid=106
研究会『丹生明神と高野山−神仏関係の具体的事象−』
○日時
 平成18(2006)年7月29日(土)13時〜17時

○会場
 國學院大學 渋谷キャンパス 120周年記念1号館3階 1303教室
 (会場までの案内はこちら http://www.kokugakuin.ac.jp/about/campus.php

○特別報告
 丹生 晃市(丹生都比売神社宮司)
演題「高野山における丹生明神遷座祭を奉仕して」
○発題
 加瀬 直弥(國學院大學講師)
主題「古代の高野山と丹生都比売神社」
 高木 徳郎(和歌山県立博物館学芸員)
主題「中世の高野山と丹生都比売神社」
 伊藤 信明(和歌山県立文書館研究員)
主題「近世の高野山と丹生都比売神社」
 藤井 弘章(國學院大學講師)
主題「丹生都比売神社の祭祀と民俗」

[7512] Re[7511][7509]  PONTA 2006/06/16(Fri) 20:53 [Reply]
引用文中の「胴の表面に生成するさびの一種」の「胴」は「銅」の誤りでしょうね。

[7511] Re[7509]  PONTA 2006/06/16(Fri) 20:51 [Reply]
緑青というと、まず古いお寺や神社の銅屋根を想い出します。
緑青 とは、胴の表面に生成するさびの一種で、主成分は塩基性炭酸銅(塩基性硫酸銅や塩基性酢酸銅もある)のことです。古い神社やお寺の銅屋根には天然の緑青が 生成しておりますが、どんなに強い雨が降っても緑青は溶けません。実際に緑青でおおわれた銅屋根の一片を、高音で煮沸しても、緑青はほとんど溶けません。 緑青は非常に緻密な結晶状の物質で、銅の表面に固く結ばれ、銅板の表面を保護する役割を持っているのです。
http://doukan.jcda.or.jp/soudan/qanda01.html

要するに保護膜ですね。
銅に緑青をつけるのは、虫に食われないように橋げたの木材を焼いて表面を炭化させて使うのと同じような先人の知恵ってところかな。

[7510] Re[7509]  PONTA 2006/06/16(Fri) 20:43 [Reply]
> 銅が酸化すると私の住む地域では「ロクショ」と言う錆びがでます、たしか除草剤の成分だったと思います。

銅のさびは「緑青」と書いて「ろくしょう」と読みます。
http://doukan.jcda.or.jp/rokusyou/rokusyou.html

[7509] Re  倭亜布 2006/06/16(Fri) 18:20 [Reply]
 環境の悪化も考えられますが、
 私の家のケヤキは太さが胴回り4メートルほど有りますが、母が嫁に来たころは然程では無かったそうです。
樹木は若いときはど成長が早く太く成るそうですが大木に成るほど太くなる速度は、減速するそうです。

年輪から過去の環境を探る。
「進化論の話をすれば、樹木の「長年生きる」、「硬い木材を体の内部に作って背丈を高くする」といった特徴は、植物が海から陸上に上がって、「もっと光 を」という要求を満たすために有利だったと考えられています。年輪というのはこうした観点で見れば、進化という悠久の時間を必要とする過程で、植物が編み 出した素晴らしいアイディアだったことが窺い知れます。 」
http://dendro.naruto-u.ac.jp/~yn/dendro/env_factor_j.html
姿・形で樹令を知る
http://www.asahi-net.or.jp/~sv2e-knn/sub77.htm

私は、神社の屋根が銅板で葺かれていることに疑念を擁いております。
銅が酸化すると私の住む地域では「ロクショ」と言う錆びがでます、たしか除草剤の成分だったと思います。
  「Home >> . >> 劇物・危険物 >> 硫酸銅. 硫酸銅 ( ... 650℃に加熱すると酸化銅になる。. 水、グリセリンに溶けアルコールに微溶である。. 用 途. 病害防除用として農薬、顔料、電池用、医薬、冶金用、銅塩類の原料、銅メッキ、焙染剤、銅 …」
http://www.naitoh.co.jp/products1/gekibutsu/r00003.shtml

[7508] Re[7507]: 目的は何なのだろう  神奈備 2006/06/16(Fri) 16:51 [Reply]
 屋久島や玉置山の水は栄養分が少ないので杉の生長も遅いようです。例えば、屋久島では樹齢3000年で直径5m程度、丹生都比売神社の場合、樹齢100〜160年で直径2.3m、すごい栄養分の水で育っています。
 材木として評価した場合、あまり高い評価は得られないでしょう。
 だからと言って神木ではないとしても、また、多くの木々が育っているとしても、社叢の物言わぬ樹木に攻撃を加えることは、卑怯極まる行為であり、許されるべき事ではありません。

[7507] 目的は何なのだろう  玄松子 2006/06/15(Thu) 10:22 [Reply]
Yahooニュースより転載
<器物損壊>世界遺産の神社境内で杉に除草剤 和歌山
世 界遺産に登録されている和歌山県かつらぎ町上天野の丹生都比売(にうつひめ)神社境内にある樹齢約100年の杉の根元に穴が開けられ、中に除草剤がまかれ ていたことが14日、分かった。木は大部分が枯れており、回復させるのは難しいという。県警妙寺署は器物損壊事件として捜査し、文化財保護法違反の疑いも あるとみて調べている。


犯人の目的は何なのだろうか。

[7506] 靖国問題  神奈備 2006/06/14(Wed) 19:51 [Reply]
靖国問題への一つの意見の紹介
畏友足代健二郎氏が大阪日日新聞に載せた文
2006/04/25
靖国−「分祀」と「分遷」
 靖国・A級戦犯の問題がいつまでもくすぶり続けている。

 今回も(昨年十二月十三日付『澪標』同様)「ゴマメの歯ぎしり」だが、靖国神社さんには「いいかげんにしてくれ」と言いたい。

  ことは今から二十八年前の昭和五十三年、時の靖国神社・松平永芳宮司の独断専行に端を発する。昭和天皇は松岡洋右(三国同盟を結んだ外相)がお嫌いで、彼 を含む(いわゆる)A級戦犯の合祀(ごうし)には不同意のお気持ちだったらしい。そのため前任の筑波藤麿宮司は合祀を保留して「鎮霊社」(昭和四十年創 建)という境内社に、同四十一年その霊を祭ったが、その跡を継いだ松平宮司は昭和天皇のご意向を無視して本殿への合祀を断行した、といわれている。(『侍 従長の遺言』『現代史の対決』などによる)

 この(いわゆる)A級戦犯の人たちに対して、神社側ではB・C級の受刑者をも含めて「昭和殉 難者」と呼んでいる。わたしもその呼び方が一概に不当だとまでは思わないが、(そこで、以下『A級被告人十四人』などと仮称する)わたしのような凡人の感 覚からすれば、A級被告人の合祀は今次の大戦が昔話になるくらいまで、半永久的に保留しておくべきだった、と思う。幸い、この人たちを祭る「殉国七士廟 (びょう)」というものも立派に存在する。(三河湾国定公園・三ケ根スカイパーク・三ケ根山頂=標高三五〇メートル。昭和三十五年創建)

  問題のA級被告人十四人のうち、この七士廟に祭られているのは東條元首相ら絞首刑になった七人だけである。刑期中に病死した五人、松岡元外相ら判決前に病 死した二人の人たちは七士廟には祭られていない。しかし、どうしても必要というなら適当な場所に奉斎すればよいのであって、戦死者を主たる祭祀(さいし) の対象とする靖国神社に無理やり一緒に祭る必要はない。

 では、すでに合祀してしまった十四人の霊をどうするか−。神社側では、「本来教 義・経典を持たない神道では、信仰上の神霊観念として諸説ありますが(=靖国神社見解)」(1)いったん合祀した霊魂は合体して不可分となるので、特定の 祭神だけを切り分けてほかの場所に移すということは神道の信仰上絶対にありえない(2)「分祀(ぶんし)」とはろうそくの火を別のろうそくに移すのと同じ で、移しても元の火(霊)は無くならない−と言っている。

 確かに「分祀」の一般的な意味は(2)の通りである。(全国の八幡宮・天満宮 などがその例)しかし、靖国問題の場合の「分祀」は、複数の祭神の一部を分離して別の場所に移す、すなわち「分遷」の意味で使われており、この「分遷」は 国史上に確かな例証がある(『続日本紀』大宝二年二月己未の例)。従って、「分祀」の意味をことさらに限定して論点をそらし、問題をこじらすべきではな い。

 そもそも勅祭社たる靖国神社の場合、祭神の増祀には勅裁を仰ぐ決まりとなっていた。戦後、独立の一宗教法人となったとはいえ、明治 天皇による創建という由緒を考えれば、一宮司や総代会の勝手気ままが許されるというはずがない。一般人ならともかく、神道を奉じる神職たる者が叡慮にそむ いて合祀を強行するなど道に外れた言語道断の所業というべきであろう。

 その結果が、今日の混迷につながっているのである。上記(1)の 信仰上の論理は一応理解できるとしても、合祀強行という出発点が正当性を欠いていたのであるから、ここは率直に合祀前の状態に戻すべきだ。すなわち、A級 被告人の神霊は新たな御霊代(みたましろ=御神体)を調製してそれに移し、境内の「鎮霊社」に復祀(=神霊を元の社に戻すこと)して丁重に祭ればよい。ほ とんどの遺族も、多くの国民も納得すると思う。

 (あじろ けんじろう 大阪市生野区鶴橋五)

文中の「この「分遷」は国史上に確かな例証がある(『続日本紀』大宝二年二月己未の例)」とは伊太祁曽三神の分遷のことです。

[7505] Re[7504]: 香取と出雲  神奈備 2006/06/12(Mon) 17:19 [Reply]
とみたさん、こんにちは。

> 熊野の天ハト船に
古事記には船の名前はありません。
日本書紀本文熊野の諸手船亦の名は天ハト船
    あるいはいう(一書一) 船名なし
    一書二 船の必要がないお話
熊野のハト船とはよく分かりません。

> 事代主のいる三穂へ案内した熊野の天ハト(合鳥)船と同じでしょうか。
天ハト船や諸手船は神とは見なされていないのではないでしょうか。
しかし鳥岩楠船神、天鳥船神、鳥船神は同じような神とされています。

> しかし出雲風土記では違いますね。降り立ったのは天之夷鳥命で東部の母里卿とい
う場所です。

母理の里で国譲りは行っています。意宇郡ですが、ここにも楯縫の郷があります。また、楯縫郡に天御鳥命が天下っていますが、この楯縫と意宇の楯縫とは同じ場所なのでしょうか。

[7504] 香取と出雲  とみた 2006/06/12(Mon) 12:42 [Reply]
記紀によればニニギを天孫降臨させる前に、経津主神と武甕槌神が出雲国の西部の稲佐浜〔今の大社市)に降り立ってオオクニヌシを十握剣で脅して国譲りを迫りますね。
息子の事代主に判断を委ねるので、東に居る事代主のところに熊野の天ハト船に使者を乗せてゆきます。あっさり国譲りを認めます。

しかし出雲風土記では違いますね。降り立ったのは天之夷鳥命で東部の母里卿とい

う場所です。
オオクニヌシは、葦原中国は譲りますが出雲国は譲りません。

明日、千葉県の香取神宮へ出かけますがそのあたりに、東国三社があります。香取神宮と鹿島神宮と息栖神社です。

香取神宮の祭神は経津主神で物部氏が祀る神。
鹿島神宮の祭神は武甕槌神(建御雷神)で中臣(藤原)氏が祀る神。
息栖神社は鹿島神宮の摂社で水の神。祭神は岐神の天鳥船神。

香取神宮も鹿島神宮も東国を開拓支配するための基地です。そこに武勇の神を祀っているわけです。

天鳥船神は、国譲りの時、武甕槌神を出雲の国に先導した神となっていますが、

事代主のいる三穂へ案内した熊野の天ハト(合鳥)船と同じでしょうか。

どうも出雲と熊野がいろいろ絡んでいるようです。

オオクニヌシの国譲りの条件として造営した出雲大社(杵築大社とも呼ばれている)は斉明5年(659年)に出雲国造に造らせた厳神之宮がその起源という説もあります。

ちなみに香取は楫取つまり舵取に由来しているとされています。

補足情報がありましたら、教えてください。




[7503] Re[7502]: 初訪問  神奈備 2006/06/12(Mon) 09:17 [Reply]
 堀川さん、こちらこそ暖かいお気持ちを頂きました。ありがとうございます。

[7502] 初訪問  堀川 [Url] 2006/06/12(Mon) 01:04 [Reply]
はじめまして。たまたまここへたどり着きました。
たまたまっというのは、W杯の合間にチャンネル変えたときにNHKでやってい
た短歌番組を見て、ググったという経緯でして…(^^;)
六歌仙の辺りで、水門吹上神社っというのが出てきて、「どこやろ〜、よう知ら
んけど、ググったら出てくるくらいの神社なんやろか〜?」と、ちょっとした興
味本位でググったら、最初にヒットしたのがこのサイトだったというわけです。

私自身、神社には興味があります。中学の卒論には鳥居を題材としようかと悩ん
だほどです(結局、浄土真宗を中心に、真言宗などとの比較を題材としましたが…)。

いまは予備校生として京都に住んでいるので、この1年間を有効に使って、ぜひ
とも色んな神社や寺院を訪ねたいと思っています。名所はもちろんのこと、自分
だけの隠れたスポットを探し出すことも大きな夢です。
このサイトはまだ一部しか見ていませんが、寺社めぐりの参考にぜひともさせて
頂きたいと思っています(^−^)




しかし、今回投稿させて頂いた本当の目的は、こんな個人的な独り言を書き連ね
ることではありません。

ホームでしょうか、クリック募金という項目がありましたよね?あれを目にした
ことが嬉しくて仕方がなく、それを伝えたかったからです。私の行きつけの某匿
名巨大掲示板では、小さなボランティアとして遍く伝播したサイトですが、そこ
以外でこのようなサイトをリンクされている方が初めてだったもので…。管理人
さんの暖かい心が、大げさですが、ほんとうに、ほんとうに涙が出るほど嬉しい
です。自分も色々とボランティアや募金に携わってきましたが、こんなにじーん
ときたのは初めてです。暖かい気持ちを分けて頂き、心が温まりました。感謝し
きれないほどです。ほんとうに有難うございます(^−^)

[7501] Re[7500]: 吉野の丹生川神社参拝  神奈備 2006/06/11(Sun) 17:15 [Reply]
corona さん、書き込みありがとうございます。
丹生川上神社下社は本殿が山の中腹にある古色蒼然としたいい神社だと思います。
飛騨、ここは良い木材を産出する土地で、植樹の神である五十猛神が多く祭られています。旗鉾にも日抱尊宮と呼ばれる神社が鎮座、そこへ伊勢皇大神が飛来したとの噂が高まって賑わったそうです。

[7500] 吉野の丹生川神社参拝  corona 2006/06/10(Sat) 19:53 [Reply]
4月に吉野の丹生川上神社下社に参拝してきました。神社の前に丹生川の源流が流れていました。
神主さんによるとこの神社は、古代史に度々登場し、古代の天皇が参拝された格式ある神社とかでした。
また、昔近くに鉱山があり丹(に)が取れ、神社仏閣などの赤い塗料とした由でした。 

”飛騨人の真木流すとふ丹生の川言は通へど船そ通はぬ”(万葉集巻7−1173)
(ひだひとの まきながすとふ にふのかわ ことはかよへど ふねそ かよわぬ)
(飛騨人が真木を伐って流すという丹生の川は、言葉だけは往来できるが、舟はなかなか往来することができない)

丹生の川ー同名の川は諸国にあるが、この歌の川を高山市丹生川町(旧丹生川村)の小八賀川。大和の吉野上流にとる説もある。=日本古典文学全集(万葉集)(岩波書店)
丹(に)は水銀と硫黄が化合した赤色の鉱物。丹が生まれる川の意か。
高山市丹生川町にも、丹生川神社がりますし、小八賀川上流にも旗鉾というところに昔鉱山がありました。

飛騨は古代全国でただ一国だけ調のみつぎが免除され、藤原宮の造営、改作などに「飛騨の匠(ひだのたくみ)」が動員され使役されました。
藤原宮造営の頃から飛鳥近辺では建築材に使える木材がなくなってしまって、近江の田上山から伐り出し、筏に組んで大戸川から幾つもの川を流して運び、木津川を遡って木津に上げ藤原宮に運んだと「藤原宮の役(えだち)の民の作れる歌」(万葉集巻1−50)にあるようです。
吉野の山の木を伐り出すのは、伊丹や灘で酒造りが盛んになって、杉樽に使われた中世末からのようですが、さて、万葉歌人は吉野川の上流の丹生川を詠んだのか、飛騨の丹生川(小八賀川)を詠んだのか、古代ロマンを感じる丹生川上神社下社参拝でした。

 

[7499] Re[7496]: くす  神奈備 2006/06/10(Sat) 09:57 [Reply]
『神武は呉からやってきた』竹田昌暉(徳間書店)と云う本も出ている位ですから、地名に呉の地名が残っていても不思議ではないと思います。

> 姑蘇(くそ)=「姑蘇」は、呉の王城のあった土地。

 これがクスにつながると云うことであれば、大和では九頭、葛、屑と云う名の神社が到底王城のあった地とは言えない山間部などに鎮座しているのも不思議なことです。

  ただ、紀の国名草郡で云いますと、ここは紀氏の王城の地と言えるのかも知れません。またその名草郡の平地(神武さんの頃には海)に九頭神社(現在の志摩神 社、刺田比古神社など)が幾つか鎮座しており、一概にクズをして山間僻地とは言えない要素もあります。ひょっとしたら名草戸畔の検討の参考にできるのか も。

[7498] Re[7495]: 教えて下さい!  nick [Url] 2006/06/10(Sat) 06:56 [Reply]
ニャンタ君
おはようございます。

安曇氏と云えば「海人」で
当地、隼人の『海幸彦・山幸彦神話」と
遠からず所縁があると考えますが、私は未だそこまで
調査に至っていません。
やっと、筑紫の「海部(あま)氏」については着手した所です。

安曇氏の足跡は当地や九州には余り見当たりません。
大阪湾岸や信州に伝承や神社があります。
朝廷の水軍を統率したのが「安曇氏」:志賀海神社
http://www.sikanosima.jp/index.html
http://www.genbu.net/data/tikuzen/sikakai_title.htm
外交などに活躍したのが「津守氏」:住吉大社

一応ご参考になると思われるサイトを。

■穂高神社と信州に見る海洋民定着の跡

大林太良

1986/6/3と6/4 に掲載

信濃毎日新聞社へのお問い合わせ
http://www.shinmai.co.jp/guide/toiawase.htm#8

これが飛鳥へ繋がるから判りませんが。

[7497] Re[7495]: 教えて下さい!  神奈備 2006/06/09(Fri) 10:51 [Reply]
 飛鳥は安宿からの転訛との説が有力なようですね。多くの渡来人が住んでおり、今来の人はのっけから言葉が通じて安住できる地とのことで、安住が出てきますが、語源が安住とはなっていないようです。
 所で、安住と安曇とですが、「アズミ」と「アヅミ」ですね。これを一緒にして考えてよろしいのでしょうか。

[7496] くす  はりまのわたつみ 2006/06/09(Fri) 10:06 [Reply]
晋書・四夷伝倭人条に「倭人は帯方の東南大海の中に在り、男子は大小と无く、
悉く黥面文身す。自らいう、太伯(呉の始祖)の後(子孫)」

弥生人が水田稲作文化をもって江南(呉・越)から来たと仮定すれば、
縄文の勢いの強かった沖縄・東北・北海道・出雲では縄文色の強い言葉、弥生の
勢いの強かった九州・瀬戸内は江南系の発音になったと考えられます。
呉の地名
 姑蘇(くそ)=「姑蘇」は、呉の王城のあった土地。
 呉から日本に移住して「くす」「くさ」「こそ」等の地名を残した。
 名草、楠見、楠本、来栖、草津、楠町、小古曽(おこそ)、楠葉、
 草戸などがある。
 沖縄の城を意味する言葉、「グスク」とも関連する。
 「稷(しょく)」は呉音で「シキ」となって、奈良県のしき磯城に一致する。
 また、大阪にも志紀や信貴山がある。

[7495] 教えて下さい!  ニャンタ君 2006/06/08(Thu) 11:10 [Reply]
今日は。実は「飛鳥」の名称は、好字令で「安住」から飛鳥に変わったという記事を、昔し目にしたことがありました。現在、私は安曇族の謎解きをしています。確かな情報をお持ちの方に、真偽を教えて頂けると助かります。教えて下さい、お願いします。

[7494] 放映情報  とみた 2006/06/08(Thu) 10:39 [Reply]
神奈備さん掲示板の紹介で、ストーンヘンジ〔NHK教育)と七枝刀の古代ロマン(ハイビジョン)の両方をTVで見ることが出来ました。
19時から23時近くまでズーと釘づけで見てました。

●ストーンヘンジの平原まで、原石をいかに平原まで運ぶか。4トンのブルーンストーンは山間部から切り出して湾岸に沿って船で運び川を遡った、距離は400km。40トンの硬い猿セン石という巨大石を内陸の丘陵からは梃子とコロを利用して平原に運ぶ、距離は30km。

平原で硬い石で原石を加工してサークル状に建てた。

これは今から4000年前の古代人の運搬技術です。

昨夜の放映は前半だけでした。後半はなぜ拵えたかこの謎だそうです。放映時間はいつになりましょうか。

日本でも、阿蘇のピンク石を熊本の宇土から船で大阪湾まで運ぶ実験をしましたが実証実験は面白いですね。

●七枝刀は石上神宮の宝庫にあり門外不出。

その刀の謎解き、百済王から369年に倭王に賜ったと神功皇后記にある。

刀の銘文には中国東晋の年号の泰和が彫ってある。

中国産か朝鮮ー百済産かの論争。

刀は鍛造ではなく鋳造であることの論証は成功。これは中国も百済も製作可能。

金象嵌技術では、中国は前漢の時代から精巧な技術がすでにあった。百済は当時は精巧な金象嵌技術はなかった。

七枝刀の金象嵌は、字体、字のバランスいずれも粗雑であった。

七枝刀は百済で製作されたと考えるべきであると結論。

百済で刀を製作したとしても工人は、ひょっとすると中国の技術を持った工人が楽浪か江南その他、中原から流れてこなかったかなというのが私の迷いです。

古代人は今の専門家も考え及ばない、すごい技術を持っていたのだ・・・これが感動でした。








[7493] Re[7492][7484]: 放映情報  nick [Url] 2006/06/08(Thu) 09:23 [Reply]
> すごい!
> 面白かった!!
>
> これで、容易く製鉄ができて、鉄器ができるなんて
> 妄想が減ることを祈ります。

おはようございます。
教えて頂いて助かりました。
ところがパソコンで取り込んでいるつもりでいたのですがね。
は、は、とちって。。
早朝DVDデッキからパソコンへ送りましたよ。
これからダビング。
パソコン側なら幾らでもコピーできるからいいですね。

DVDはすご録ですがコピーガードの場合、メディアはDVD-R/Wのみ。
これって結構高いですから、よくパソコン側で録画するのです。
今回は。。大失敗。

以前、瓦の釘のもありましたっけ。あれは民放でしたか。

[7492] Re[7484]: 放映情報  ペギラ 2006/06/07(Wed) 22:54 [Reply]
> BS−NHKハイビジョンテレビ
> 『古代ロマン よみがえる国宝・七支刀』
> 〔放送日〕:平成18年6月7日(水曜)午後9時〜午後10時50分

すごい!
面白かった!!

これで、容易く製鉄ができて、鉄器ができるなんて
妄想が減ることを祈ります。


[7491] Re[7490][7489][7488][7487][7486]: 和気水路  nick [Url] 2006/06/07(Wed) 19:33 [Reply]
管理人さん、こんばんわ。
現在室内で33度。熱帯夜ぎみです。
急に暑くなりました。
足の具合は如何でしょうか。

早速のご教示ありがとうございます。
灌漑用水には多いに興味があります。

他の掲示板でも似たような話題で「道鏡」がでてきまして、
これから和気も少し勉強しようかなと思っていた矢先のタイムリーな
話題だったので便乗しましたが、、
揶揄の連続としか写らない状況です。
「勉強して出直してこい」と叱咤激励され、今日も図書館でお勉強でした。
遠い〜、、昔の事で、まるで雲を掴むような話題ですが、
皆さんの白熱した議論はどこまで続くのでしょうか。

私は他に現地調査をすることが山積していますので
ちょっと参加できそうにはありませんが。。

「所変れば、、、」ですね。

ありがとうございました。

[7490] Re[7489][7488][7487][7486]: 和気水路  神奈備 2006/06/07(Wed) 10:34 [Reply]
 和気清麻呂さんは、京都御所の西側の護王神社の祭神として祀られていま す。道鏡の皇位簒奪を阻んだからと言うことでしょう。谷川健一著『四天王の鷹』に、八幡大神の禰宣である辛嶋与曾女と清麻呂との神殿でのシーンが描かれて います。これによりますと、八幡大神が高野天皇(称徳天皇)の宣命を聞かないとのご託宣であったようです。託宣はなかった。天皇の宣命とは道鏡を皇位につ けるとの内容だったようで、清麻呂はつけないならつけない、つけるならつける、と言う単なるメッセンジャーとして宇佐におもむいたようで、身を挺して天の 日嗣を守り抜いたのではなさそうです。大神が宣命を聞き、それでいいとなれば、道鏡側に立った人のようです。皇緒を守ったのは与曾女のように記述していま す。和気清麻呂さんのいいところは、正直に八幡大神の意向を天皇や道鏡に伝えた所にあるようです。

護王神社の由緒書きから:−
  公の功績は政治家としても多大であり、河内川・神崎川の水運灌漑工事を始め、尼崎港の建設、「民部省令」の編纂、日本初の私立大学「弘文院」の創建、私田 一百町歩を挙げての貧民救済、また、現在の京都市に平安京を遷都する建策をして、造営大夫を任ぜられるなど、その高徳はあまねく国民に知られるところであ る。
 とあります。摂津職の大夫(知事)になった際、港としての淀川南の摂津の価値がさがり、田園を広げようとの思いで、河内川開削工事に取りかかったようです。

各地の稲積については ↓ を参照ください。
http://kamnavi.jp/kumano/ohj/inadumi.htm

[7489] Re[7488][7487][7486]: 和気水路  nick [Url] 2006/06/06(Tue) 15:02 [Reply]
こんにちわ。

当地、牧園・中津川は、この和気清麻呂が配流された「稲積(いなずみ)」の地と
伝承されていますが、1年程でしたので功績は確認できません。
私は主に「隼人関連」の現場を踏破していますが、この「稲積」も
何らかの関連があるようです。

「稲積」繋がりで、この和気清麻呂もちょっと調査してみたくなり
宇佐神宮史を閲覧していたら、「和気」が多数散見されます。
あれ、この年代じゃないはずだが、、可笑しいな、、と思っていたら
どうやら「和気職」と言うのが存在したようですね。

中央での灌漑事業の功績など教えて頂ければありがたいです。

[7488] Re[7487][7486]: 和気水路  あおい 2006/06/05(Mon) 19:47 [Reply]
そうですよね。和気水路の存在を確認できるものと言えば目に見える桃ヶ池・長池・長居池ぐらいなものですし、新修大阪市史第十巻付録の地図(地盤図)を見ても分かりません。河内と摂津の国境ですか。ネットで詳しくその境目を調べてみます。
・昔水が流れていたということがはっきり分かる資料があればいいのですがねぇw
でも和気清麻呂時代の地図なんかどう考えてもありそうにないですしw
・天王寺付近の水路跡(猫間川の源ヶ橋から庚申池までの水路)も古地図等で見るとはっきり見えますが、河底池に至っていたのかどうかは分かりません。
・河底池と鼬川の関係も、鼬川が河底池のすぐ西まで迫っていることは分かりましたが、接続していたという証拠は得られていません。


[7487] Re[7486]: 和気水路  神奈備 2006/06/05(Mon) 19:08 [Reply]
りゅうさん、こんばんは。
和気水路、この失敗した水路がどこであったか、と云うのはないものを探すと云うことで、面白い謎解きです。
摂津と河内の国境とあるので、杭全神社の付近となり、今の平野川が水路の一部だったのでしょう。
和気水路につきましては、『新修大阪市史』第一巻p93〜に比較的詳細に述べられています。

[7486] 和気水路  りゅう 2006/06/05(Mon) 00:39 [Reply]
皆様初めましてこんばんは。私は和気水路について興味を持ち調べているの ですが、過去ログの和気水路の長居池辺りの流路はもしかしたら細井川の旧流路に合致するのではないかと思いまして・・・。更に猫間川についてですが、あち らは現在の高松の地辺りにあった大僧谷という浸食谷の清水から流れ出ているという説があるようです。尚明治前期昭和前期大阪都市地図の47Pに昔の長居付 近の地図があります。

[7485] Re[7484]: 放映情報  nick [Url] 2006/06/03(Sat) 15:39 [Reply]
> BS−NHKハイビジョンテレビ
> 『古代ロマン よみがえる国宝・七支刀』
> 〔放送日〕:平成18年6月7日(水曜)午後9時〜午後10時50分

今セット完了。パソコンへ取り込みます。普通BS2か一般で再放送があるのですが
これには印がありませんね。

いい番組をご紹介頂きました。
お! 来週は「石原裕次郎特集」ですね。これもいいな。

[7484] 放映情報  恋川亭 2006/06/03(Sat) 13:17 [Reply]
BS−NHKハイビジョンテレビ
『古代ロマン よみがえる国宝・七支刀』
〔放送日〕:平成18年6月7日(水曜)午後9時〜午後10時50分

私は@BSを見る設備がないANHKと契約していないBハイビジョンテレビがないC労働で時間がない、の「4ない」派なので見れません。非情に残念!
・・・ま、現物を2度も神倉の中でじっくりと拝見しましたので、「よし」とするか。

[7483] Re[7482]: 渦巻き    神奈備 2006/05/31(Wed) 19:49 [Reply]
> まとまりませんが、参考になれば幸いです。

 倭亜布さんご自身がまとまらないものを、読者に参考になればと提示されるのはいかがなものでしょうか。

 以下、まとまっていますが、いささか難解、参考になれば幸いです。

 ある勉強会でのテーマが「音」と云うことになった。一応、歴史や神社にひっつけての音。
 神道ソングライターを自称する鎌田東二さんは、毎朝、岩笛等を吹きならし、一日の活動を開始するそうです。氏の『神道のスピリチュアリティ』にはCDがついていて、石笛や法螺貝での演奏などがのっている面白い本です。

 神道とは「神からの道」と「神への道」の二つの意味があるとしています。

神からの道 この宇宙が、この存在世界がこのようにあることの流れであり、道であり、自然の大道・生成である。天然自然として、森羅万象として、顕現し、現象していくことの中にあらわれる「神の道」。

神への道 人間がいのちあるものとしてこの宇宙の中に存在するようになったことを、心からの感謝と畏怖畏敬の念を以て、その根源的な力の源に向かって帰依し、祭り、祈っていこうとする道である。


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