神奈備掲示板の案内とログ

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掲示板のログ(平成二十二年 六月 2010.6)お名前の敬称は省略しています。

[10314] Re[10312][10303][10302][10301]: 天孫は月の子孫  神奈備 2010/06/29(Tue) 19:53 [Reply]
 佐々木さん、興味深い月の伝説、ありがとうございます。神話の学者さんなら「月と水」「月と不死」などから説きおこすのですが、趣が違って面白く読ませて頂きました。

 「熊野権現御垂迹縁起」には、熊野の神が三体の月となって天降ってきたと言う伝承があります。京都市内の神社で、社前の由緒書きにやはり、月が木にかかっていたので祭ったとの神社があったのですが、どこの神社だったか思い出せません。ご存じの方、よろしくお願いいたします。

 式内社で、月神を祀っていそうな神社を参考に供します。

山城 京都市松室山添町 葛野坐月讀神社[カトノニマスツキヨミ](名神大。月次新甞。)
山城 京都府城陽市樺井月神社[カハヰノツキ](大。月次新甞。)
山城 京都府京田辺市月讀神社[ツキヨミ](大。月次新甞。)
伊勢 三重県伊勢市内宮 月讀宮二座[ツキヨミ](荒御魂命一座。並大。月次新甞。)
伊勢 三重県伊勢市外宮 月夜見神社[ツキヨミ]
丹波 京都府亀岡市 小川月神社[オカハツキ](名神大)
出羽 山形県羽黒町 月山神社[ツキヤマ](名神大)
出雲 島根県八束郡美保関町 爾佐神社[ニサ]
壱岐 壱岐市芦辺町 月讀神社[・ ・](名神大)

顕れ方が月
宇佐八幡 満月の輪の如く示現 御託宣集
高良大社 月神 八幡愚童訓

[10313] Re[10311][10310]: 神話と神社  神奈備 2010/06/29(Tue) 19:52 [Reply]
>  『古事記』に、伊射奈美神が亡くなった際、糞に弥都波能賣神(罔象女神)、尿に波尓移麻比■神(埴山姫神)が成ります。

 糞から 波尓移麻比■神(埴山姫神)
 尿から 弥都波能賣神(罔象女神)
の間違いでした。

 人糞を肥料として利用したのは珍しいようで、他国では豚の餌としたようです。日本はこれが発達しなかったと言うことです。


[10312] Re[10303][10302][10301]: 天孫は月の子孫  佐々木 2010/06/28(Mon) 21:24 [Reply]
 ついでに調べてみました。
★月の伝説(出典草下英明「星の神話伝説集」教養文庫)を少しまとめてみました。

日本   月に矢を射る(竹取物語ほか)
     月から餅が落ちてくる(沖縄古宇利島)
     月から雪が落ちて、・中略・うさぎになった(アイヌ)
中国   太陽に矢を射る。月が出来る。
     月にガマカエル。
     月に1500mの桂の木。木の実が地上に落ちる
     ⇒実が落ちたところが(京都の)桂?
カナダ  月と太陽は兄弟。月の妹はカエル。
     月が太陽ほど明るくないのは、妹のカエルが兄の月に飛びついたから。
アフリカ 月がうさぎに棒を投げてうさぎの唇が割れる。うさぎは月をひっかいて暗     くなった。
アフリカ 星を矢で射る。そして落ちた星を食べる。
インド  月のうさぎは、貢物が定まらないうさぎは自らの身を焦がして帝釈天の貢     物となろうとした。その行為を見た帝釈天が黒こげの皮を剥いで月に飾      り、兎を生き返らせた
     ⇒古事記稲羽の素兎のキーワードの存在
ペルー  太陽と月は夫婦。月(妻)は怒りだして、人間をすべて殺そうとした。そ     れから月は夜の世界に追いやられた
     ⇒日本書紀神代紀のキーワードの存在
※組み合わせとしては、月と食物(日本、インド、アフリカ)。月と落下現象(日本、中国、アフリカ)。月と矢(日本、中国、アフリカ)。月と暴力(アフリカ、ペルー)。月と兎(日本、アフリカ、インド)。月とかえる(中国、カナダ)。
考察)月からまたは月への何かしらの物、比較的食料が落下する場合が多い。
   ⇒夜之食国が出てくるような。
追記 
>難波のカエルぞろぞろの事件も考え直さねば。
>木に依りつく⇒浸水のときに神社の神木等に蛇が巻きつく光景がよく見られましたが、これを見て神などが木に依りついたと表現したのか?

[10311] Re[10310]: 神話と神社  多美 2010/06/28(Mon) 20:52 [Reply]
>  『古事記』に、伊射奈美神が亡くなった際、糞に弥都波能賣神(罔象女神)、尿に波尓移麻比■神(埴山姫神)が成ります。

川口謙二著「神々の系図」32弥都波能売神[罔象女神]

この神名は水が走るという意味であるが、耕地の灌漑に使う引き水のことを表現したものだろうか。小便より生れた神ということから肥料を司る神と考えてもよかろう。
・・・・女性の小便のすさまじさを神名としたことは間違いなかろう。・・・。

水の三神は曖昧なんでしょうか。
丹生川上神社の上と下も曖昧、すべて水に流すのでしょうか。

[10310] 神話と神社  神奈備 2010/06/26(Sat) 19:44 [Reply]
 『古事記』に、伊射奈美神が亡くなった際、糞に弥都波能賣神(罔象女神)、尿に波尓移麻比■神(埴山姫神)が成ります。

 さて、阿波国美馬郡に伊射奈美神社、弥都波能賣神社、波尓移麻比■神社が鎮座、いずれも延喜式内社の古社です。そうしてこれらの神々を祭る神社で明確に神名を神社名とする式内社は阿波にしか見あたりません。
 近江国高島郡に式内波爾布神社が鎮座、祭神を彌都波乃賣命、波爾山比賣命とし、由緒には初め水神彌都波乃売命を勧請とあり、オリジナルではなさそうです。

 取り敢えず、阿波国の伊射奈美神社、弥都波能賣神社、波尓移麻比■神社をそれぞれの神を祭る唯一の式内社と想定しましょう。そうしますと、『古事記』に記載されたそれぞれの神々の物語は阿波国で語られていた神話(伝承や民話も)と見ていいのでしょうか。

 『古事記』では、金山毘古神、金山毘売神、波尓移麻比■神、弥都波能賣神、和久産巣日神。火、金、土、水と五行にのっかっています。阿波にはどうやら金山毘古神、金山毘売神、和久産巣日神を祭る式内社は見あたらないのですが、阿波の土と水の神社の存在を知って、古事記記憶者(または記述者)が阿波を舞台に創作したと見ていいのでしょうか。

 この辺りのことが見えにくい所。

[10309] 神武伝承と額田王  神奈備 2010/06/24(Thu) 21:14 [Reply]
毎日新聞のシリーズとなった難読歌からの神武伝承の語られ方の推測記事。

写真掲示板に投稿しました、3度クリックして頂きますと大きくなり、読みやすくなります。

[10308] Re[10307]: 埴生野(ハヒキノ)  神奈備 2010/06/24(Thu) 10:16 [Reply]
> みなさん、こんにちは。 どんたく です。
>
>  平塚瓢斎『聖蹟図志』「河内國高鷲原以東惠賀長野誉田並古市高屋丘阪門原埴生坂迄一圓陵墓圖」を見ますと、白鳥陵のそばに“埴生野”と書かれていて、これに“ハヒキノ”とフリガナがしてあります。

どんたくさん ありがとうございます。

『聖蹟図志』の一部を写真掲示板にアップしました。

  上が東、右が南
  埴生坂周辺の部分 坂の南が伊岐谷、その南に 埴生野とととあり「ハヒキノ」のよみ。埴生坂は履中天皇が住吉仲皇子の謀略から逃げて埴生坂に到り、難波の方角を見ますと、おそらくは宮殿が燃えている火を見て驚いたとある場所です。地図で言えば右上方向へ逃げていったのでしょう。

 『河内国名所図会』には、埴生坂があり、野中神祠につづいて羽曳山または羽曳野とあります。江戸時代には羽曳野と記されていたようですが、埴生野と表記する場合もあったのでしょう。

 埴生坂+伊岐谷+野 → 埴伊岐野 → 埴生野 → 羽生野 → ?

 現在も埴生野地名があります。ハニュウノ の訓。

[10307] 埴生野(ハヒキノ)  どんたく 2010/06/23(Wed) 22:32 [Reply]
みなさん、こんにちは。 どんたく です。

 平塚瓢斎『聖蹟図志』「河内國高鷲原以東惠賀長野誉田並古市高屋丘阪門原埴生坂迄一圓陵墓圖」を見ますと、白鳥陵のそばに“埴生野”と書かれていて、これに“ハヒキノ”とフリガナがしてあります。

 平塚瓢斎(寛政6年=1794〜明治8年=1875)は幕末の人ですが、この頃にはこのような読み方がされていたのかと驚きました。
 それとも、平塚瓢斎が勝手に“埴生野”を“ハヒキノ”と読ませたのかも・・・。

 実は、神奈備さんが、
[10299]古代を偲ぶ会(2010/06/16(Wed) 19:50 )で紹介された、
 2010 6 19 14時〜16時
 京都教育大学名誉教授 和田 萃 先生
 テーマ ヤマトタケル伝承
というセミナーで配布された資料の最後についていたのがこの『聖蹟図志』(部分)でした。


[10306] Re[10305][10304]: 埴生野(ハニフノ)神社  神奈備 2010/06/23(Wed) 09:21 [Reply]
> ご無沙汰しています。

タイシさん コメントありがとうございます。

http://blog.goo.ne.jp/taisi_ii/e/8304499cdb162fd62e9972c75929933f

軽羽迦神社の側に青山なる字名がありますが、やはり「人生いたるところ」に関係するのでしょうか?

[10305] Re[10304]: 埴生野(ハニフノ)神社  タイシ 2010/06/22(Tue) 20:55 [Reply]
ご無沙汰しています。
植生の地は昔は、河内平野を一望出来たようですね。

> 大阪府羽曳野市高鷲(河内国丹比郡)に式内社の大津神社が鎮座しています。ここの大津は港と関係がなく、渡来氏族の津氏一族が祖神を祀って大宮山と称したことによるそうです。想像ですが大宮山の津神社なので、大津神社と称したのかも。

私はてっきりこの地は船氏や津氏所縁の地で大津という意味は偉大な津(ここでは運河の古市の大溝)かな?と思っていました。
この地域の古代の運河「古市の大溝」と船氏や津氏との関係も気になるところです。

>  摂社に埴生野(ハニフノ)神社「天照大御神、事代主命、菅原道眞」がここより南1.5kmに鎮座、元々は埴生神社であって合祀されたのを地元の熱意で分離、埴生野神社として再建。

植生野神社の東、軽里に軽羽迦神社がこの地の氏神としてか祀られています。
この神社も地元の熱意で戦後に出来たようですが、当初は違うところに鎮座していたようですが、狭い境内ですが本殿はなかなか立派です。

鎮座地の軽里は昭和の初期まで軽墓と呼ばれていた土地です。
以前から気になっていたんですがこの神社の主神が土地柄、日本武尊や素戔鳴命が祀られていると思っていたんですが、主神が「天照大神」で気になっていました。
植生野神社の祭神が「天照大神」ということなので何となくすっきりしました。

では、また。。。

[10304] 埴生野(ハニフノ)神社  神奈備 2010/06/22(Tue) 15:52 [Reply]
大阪府羽曳野市高鷲(河内国丹比郡)に式内社の大津神社が鎮座しています。ここの大津は港と関係がなく、渡来氏族の津氏一族が祖神を祀って大宮山と称したことによるそうです。想像ですが大宮山の津神社なので、大津神社と称したのかも。

 摂社に埴生野(ハニフノ)神社「天照大御神、事代主命、菅原道眞」がここより南1.5kmに鎮座、元々は埴生神社であって合祀されたのを地元の熱意で分離、埴生野神社として再建。

 当地名は羽曳野と言い、これは東の古市の白鳥神社の縁起に、「白鳥は舞い上がり、埴生の丘野を羽を曳くようにして飛び去った」とあることが由緒。
http://kamnavi.jp/en/kawati/ootu.htm

[10303] Re[10302][10301]: 天孫は月の子孫  神奈備 2010/06/21(Mon) 09:11 [Reply]
佐々木さん 情報ありがとうございます。

> 月夜には照らし出された姿が美しく海面に映ることから、別名「ウミテラシ」とも呼ばれる。
> ウミテラシ・・・おしてる?

 益々、月に近づいて来た気分です。

 覚え書き:海を照らした神
 セグロウミヘビ
 大己貴神の幸魂・奇魂 → 大三輪神 蛇神?火雷神?
 伊勢津彦
 肥長比売 蛇神?
 海日槍(『古語拾遺』)

 天照大神も海中で誕生、元々は海照大神だった?


> ※和珥(ワニ)まで出てきますね。

 海人族だったとしますと、月にゆかりがあったのでしょう。

[10302] Re[10301]: 天孫は月の子孫  佐々木 2010/06/20(Sun) 19:41 [Reply]
神奈備さん
>湯津桂
 なんじゃもんじゃの木、ヒトツバタゴ(一葉田子)をさす場合が多い。
 分布は中国、台湾、朝鮮半島、対馬、木曽川、愛知県と特異な分布。5月上旬に開花、月夜には照らし出された姿が美しく海面に映ることから、別名「ウミテラシ」とも呼ばれる。対馬鰐浦(和珥津)のヒトツバタゴが有名だそうですね。
 ウミテラシ・・・おしてる? ※和珥(ワニ)まで出てきますね。

[10301] 天孫は月の子孫  神奈備 2010/06/17(Thu) 10:36 [Reply]
『山城風土記』に桂の里の名のいわれがあります。
 
 月読神が保食神のもとに行った時のことです。湯津桂の樹が一本あったので、月読神は湯津桂の樹に依った。
 湯津桂とは斎桂で神聖な桂と言う意味。

 『古事記』に、「山幸彦(火遠理命)が綿津見の宮へ行った際、門の傍の井戸の上に湯津香木(香木は桂のこと)があったので、その木の上に坐った。」とあります。

 上記の物語はともに湯津桂の木に依りついています。桂の木は月桂樹で月に生えているとされています。月読神が依りつくのは当然です。一方、山幸彦も依りついています。月の神の子孫だと云うことを暗示しているのかも。

 綿津見宮を去るにあたって山幸彦は鹽盈珠、鹽乾珠をもらいます。これも月の役割。

[10300] 宗教法人の税の優遇措置  神奈備 2010/06/16(Wed) 21:29 [Reply]
 宗教法人の税の優遇の一部

@本来の宗教活動(非収益事業)を非課税とする(法人税法四条一項)
A収益事業に対して二七%の軽減税率を適用する(通常は三七・五%。法人税法六六条三項)
B収益事業に係る所得から本来の宗教活動に支出した場合には、当該所得の二○%まで損金に算入する(法人税法三七条四項、法人税法施行令七三条一項三号(ロ)
C支払いを受ける利子、配当等の金融収益を非課税とする(所得税法一一条)
Dもっぱらその本来の用に供する境内建物等に対する固定資産税を非課税とする(地方税法三四八条二項三号)

 憲法20条
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


 20条は信教の自由を保障しています。同時に信教しない自由も保障しているのです。

 宗教団体への優遇措置は、信教しない人々にとっては不利益をもたらすことになります。信教しない人々を平等に扱っていないことになり、これこそ優遇措置そのものが法の下の平等を憲法14条に違反する行為になります。

 特に、利子や配当金にかかる税も無税とするのは、これを宗教活動の収益と見なしているわけであり、到底納得できるものではありません。
 地域に根付いている寺社にまで厳しく税を取り立てるのはどうかと思いますが、戒名に百万もとる坊主からは厳しく税金を取り立てるべきでしょう。

 さて、近年の巨大宗教団体や新興宗教団体の中には巨額の資金を集めて、かつ政治の領域にまで進出している団体が出てきています。無税の金で政治家をつくり、自分たちの権益を守らせる、一部の官僚と同じように、この国を蝕む奴と断ずるべきでしょう。

 活動をしていない宗教法人の売買がなされているようです。税金のがれの行為そのものです。

 民主党に宗教団体の優遇税制にメスを入れようとする動きがあるようですが、まさか公明党に閣内協力をさせるための方便には使ってほしくはありません。まじめにやることを期待します。


[10299] 古代を偲ぶ会  神奈備 2010/06/16(Wed) 19:50 [Reply]
2010 6 19 14時〜16時

京都教育大学名誉教授 和田 萃 先生

テーマ ヤマトタケル伝承

場所 エル大阪(大阪市中央区北浜東3−14
本館6F大会議室
http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html
http://kamnavi.jp/link/sinobu10.htm

[10298] 日本にもあった射日神話  神奈備 2010/06/16(Wed) 11:38 [Reply]
日本にもあった射日神話を見つけました。

  垂仁天皇の(第一一代)のとき、九つの日輪が出たことがあった。そこで天文博士を召して占わせてみると、北のはずれのものは本物の日輪だが、南に並んでいる日輪はカラスが化けたものである。このカラスは地上から八町(872m)上にある。射手に勅して射させるか、さもないと天下の物の怪となるだろうと奏上した。。これが日本における梯子のはじめである。
 時は垂仁帝一八年二月一〇日の辰刻(午前8時)であった。天皇もこれを御覧になるために、武蔵国に行幸した。こうして八人の射手が思い思いに神を念じて矢を放つと、八筋の矢は八つの太陽に当って、筑紫の日向国宮崎郡に落ちた。
 それからひゅうがとは日に向うと書くのである。その後、天皇は難波の都にお帰りになったが、ほどなくして八つの日輪が献上された。長さ一丈五尺(4.5m)のカラスで尾幅は一丈六尺(4.8m)嘴は三尺八寸(1.14m)あった。そのカラスの首を切らせてみると、二寸(6cm)四方の玉が一つずつ入っており、その中にはどれも一寸六分(4.8cm)の釈迦像郎が一体入っていた。そこで八つの玉を一つは尾張国熱田の社に、一つは伊勢の外宮に、一つは紀伊国日前宮に、一つは信濃国諏訪社に、一つは豊前国宇佐八幡宮に、一つは逢坂関明神に、一つは摂津国住吉社に、一つは帝の御宝蔵に収められた。例の射手たちは坂東八力国を賜り、天文博士にも若干の所領が与えられたという。
  正徳五年(1715)『広益俗説弁』肥後の学者 幡竜子

 逢坂関明神とは、おそらく香芝市逢坂の逢坂山口神社のことと思われますが、蝉丸神社との説もあるようです。なんでだろう?

[10297] Re[10296]: 真澄鏡  神奈備 2010/06/13(Sun) 13:50 [Reply]
> 銅鏡は日本では大型化が進み技術的に製造が難しいが壊れにくい錫の少ない青銅へと特化して行ったようです。

 『源平盛衰記』には、「彼燧と申は、天照太神(てんせうだいじん)百王の末帝まで、我御貌を見奉らんとて、自御鏡に移させ給けるに、初の鋳損の鏡は、紀伊国日前宮に御座、第二度御鏡を取上御覧じけるに、取弛して打落し、三に破たるを燧になし給へり。彼燧を錦袋に入剣に被(レ)付たりける也。」

 とあります。端的に言えば、ヤマトヒメは銅鏡を砕いて火打石をつくって日本武尊に持たせたと云うことです。

 鏡(=日、太陽霊の依代)から火打石ができたのです。日から火ができたと云うこと。
 神話です。火は乙音、日は甲音ですが、観念的なつながりがあったのでしょう。

[10296] Re[10292][10288][10285][10283][10282][10281]: 真澄鏡  素人 2010/06/13(Sun) 05:05 [Reply]
追加の書き込み失礼します。
> スズと自然水銀のアマルガムにしてメッキすれば新品同様に美しい鏡面となるようです。
> 鏡研ぎには、関西、特に奈良方面は有利と思われます。
不利な情報。
透過型電子顕微鏡・EPMA(電子線プローグマイクロアナライザー)など微小部分の成分解析や原子構造解析が出来る装置での古代鏡の解析が進んでいるようで、古代鏡では錫アマルガム法の水銀を含む錫層は今のところ出ていないようです。
残念。
前に銅鐸の話で、青銅の所で出てきました銀色に輝くスズが25%(Pb5%)位のものと、金色輝くスズが15%(Pb8%)、鈍い色の黄赤色はスズ5%(Pb5%)のもで、古代鏡はやはり見栄えから銀色のものが中国では使われていたようです。
小型だったようです。

しかし、錫が多くなると脆くなって壊れやすくなるようです。この為か銀色・金色の銅鐸は小型のものが多かったように思います。特に銀色は脆く壊れやすかったようです。
銅鏡は日本では大型化が進み技術的に製造が難しいが壊れにくい錫の少ない青銅へと特化して行ったようです。技術的には、大型銅鐸製造技術の転用と思われます。
古代大型銅鐸と同じですと銅の色に近い大型鏡と言うことになりますが、見栄えが今一で鏡には? 錫を少し増やして金色の大型凸面鏡と言うところで落ち着いたのでしょうか。祭事用。
水銀を用いた銀メッキ・錫メッキが後の世のように出来れば、丈夫で軽量でとてつもなく大きな鏡が出現したのでしょう。
自然水銀と自然銀は日本に有ったわけですから、技術の有無でしょう。
訂正ばかりの青草でした。 

[10295] Re[10294][10291][10290]: 6月9日の午後3時15分  神奈備 2010/06/11(Fri) 15:34 [Reply]
 はい。毎朝BSでやっています。田中神社が森ごと上流から流れてきたと云う伝承は知りませんでした。

 中世に熊野詣でがなされて色んな記録があるようですが、伊太祁曽神社の名が登場するのはわずかなようです。
 目下承知していますのは、藤原頼資の『修明門院熊野御幸記』に奉幣使が遣わされたとする記事のみです。
 今回、よく伊太祁曽神社が登場しました。目下本殿修理などで1億円の募金をつのっています。

[10294] Re[10291][10290]: 6月9日の午後3時15分  玄松子 2010/06/11(Fri) 11:45 [Reply]
> >  今日6月9日の午後3時15分からNHKテレビで熊野古道てくてく歩きの放送の中で伊太祁曽神社が紹介されます。
>
> 残念!関東では放送されておりません。

関西では特別に地上波で再放送されていますが、本来はBS放送。
http://www.nhk.or.jp/tekuteku/kumanokodou/chukeichi/week2.html

伊太祁曽神社は5月20日でしたよ。

昨日、書き込みを見てBSを見ましたが、田中神社が紹介されていました。

[10293] Re[10292][10288][10285][10283][10282][10281]: 真澄鏡  素人 2010/06/10(Thu) 00:26 [Reply]
大変失礼いたしました。
(誤 奈備様→(正 神奈備様
大青草、申し訳ありません。

[10292] Re[10288][10285][10283][10282][10281]: 真澄鏡  素人 2010/06/10(Thu) 00:22 [Reply]
奈備様
> 素人さん、面白い着眼です。
>
>  『魏志倭人伝の考古学』佐原真 から
>  弥生時代の終わり 3世紀
>
>  辰砂(HgS)が発見されています。
>  岡山県 楯築丘墓 32.3kg
>  島根県 西谷三号丘墓 10kg
>
>  古墳時代になりますと、奈良や京都からもからも出ています。
>
面白いものを見つけました。
大和水銀鉱山の自然水銀の鉱石の写真が有りました。
以前ご紹介したかもしれませんが、自然水銀として奈良盆地周辺から産出するようです。
スズと自然水銀のアマルガムにしてメッキすれば新品同様に美しい鏡面となるようです。
鏡研ぎには、関西、特に奈良方面は有利と思われます。
自然水銀
奈良県宇陀郡大和水銀鉱山
http://www5b.biglobe.ne.jp/~mineral/suigin.htm
青草でした。

[10291] Re[10290]: 6月9日の午後3時15分  多美 2010/06/09(Wed) 15:23 [Reply]
>  今日6月9日の午後3時15分からNHKテレビで熊野古道てくてく歩きの放送の中で伊太祁曽神社が紹介されます。

残念!関東では放送されておりません。

[10290] 6月9日の午後3時15分  神奈備 2010/06/09(Wed) 12:35 [Reply]
 今日6月9日の午後3時15分からNHKテレビで熊野古道てくてく歩きの放送の中で伊太祁曽神社が紹介されます。

[10289] Re[10287][10286]: おし照る 天照る  神奈備 2010/06/08(Tue) 18:06 [Reply]
佐々木さん、月夜の生駒山頂からの眺め、河内湖など、辰砂100kgの夜景だったのかも。

[10288] Re[10285][10283][10282][10281]: 真澄鏡  神奈備 2010/06/08(Tue) 18:06 [Reply]
素人さん、面白い着眼です。

 『魏志倭人伝の考古学』佐原真 から
 弥生時代の終わり 3世紀

 辰砂(HgS)が発見されています。
 岡山県 楯築丘墓 32.3kg
 島根県 西谷三号丘墓 10kg

 古墳時代になりますと、奈良や京都からもからも出ています。

 金をアマルガムにしなくとも、辰砂で青銅製品を磨くときれいに輝くそうです。神武さんも辰砂を手に入れるべく、吉野で井光と出会ったのかも。


[10287] Re[10286]: おし照る 天照る  佐々木 2010/06/07(Mon) 22:30 [Reply]
神奈備さん
>やはり日も、月も照るものとされているようです。
 凡河内 躬恒の歌で「てる月を弓張とのみいふことは山の端さしていればなりけり」があります。凡河内氏はその後広峯氏になりました。なお「おしてる」は角川古語辞典では、(月などが)くまなく照るとありました。

[10286] おし照る 天照る  神奈備 2010/06/07(Mon) 08:41 [Reply]
 岩波『古語辞典』のコピーを送って頂きました。
 「おし照る」
 大和から難波へ山を越えると大阪湾上一面に光が照りつけているのが見えるところから難波にかかる。
 「おし照るもの」は光としています。しかし何となく太陽を感じさせる文章ですが、太陽と限定していない所が良心的といえそうです。


 「天照る」のは日か月か? 万葉集から。

0167 天地(あめつち)の 初めの時し 久かたの 天河原(あまのがはら)に 中略 天照らす 日女(ひるめ)の命(みこと)

2463 久かたの天照る月の隠ろひぬ何になそへて妹を偲はむ

3246 天照るや日月のごとく吾(あ)が思(も)へる君が日に異(け)に老ゆらく惜しも

3650 久かたの天照る月は見つれども吾(あ)が思(も)ふ妹に逢はぬ頃かも

3886 押し照るや 難波の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 中略 天照るや 日の日(け)に干し さひづるや

4125 天照(あまで)らす 神の御代より

 「天照」は無条件に「日」を形容はしていません。
 上記の歌六首では、
日 2.5  0.5は日月で折半
月 2.5
神 1
となります。月もあり得ると言えるのです。



 「天照る」ではなく単に「照る」が入った歌は数多いので、巻八までの三十首を見ますと、六首が日、二十四首が月を形容しています。月が歌たわれやすいので、やはり日も、月も照るものとされているようです。

 松前健氏は天照御魂神を火明命と見なして太陽神とされています。

 日と火とは甲乙を事にして音が違う、意味も違うと思われます。

 昼行灯ではありませんが、火は「ホ」とも読むようで、ホあかり、ホのあかりとしますと、太陽よりはもっと光量の少ない光を思わせます。薩摩で誕生した火明命、海人族の祭る神、月神ではないでしょうか。

[10285] Re[10283][10282][10281]: 真澄鏡  素人 2010/06/07(Mon) 00:36 [Reply]
神奈備様
>  昨日の豊中歴史同好会で、阪大の福永伸哉先生が、桜井茶臼山古墳から出土した鏡81面中に三角縁神獣鏡が26面あり、中に正始元年鏡があったことを云われていました。西暦240年。
>  『魏志倭人伝』によりますと、この年には魏の大守弓遵らが倭国に来て、倭王に金、帛、錦、刀、鏡などを与えています。
>
弥生末期には、鏡研ぎはどのようにしていたのでしょうか。
大事な鏡ですから、職人が現地に出向いて作業したのでしょうか。
鏡を集めて、集中的に鏡研ぎしたのでしょうか。(秘伝とか)
美しい鏡とするには、アマルガム用の水銀が必要ですから国産を使うとすると、
大和水銀・伊勢水銀のある近畿地方の方が有利であったかもしれません。
それとも、鏡は劣化するに任せていたのでしょうか。
祭事に使用するときはそうは行かないのではと夢想します。
青草失礼しました。

[10284] Re[10280][10279][10270]: 押し照るほか  神奈備 2010/06/06(Sun) 10:45 [Reply]
> 同じ「・・てる」では、ほかに「しなてる」がありますね。

1742 しな照(で)る 片足羽川(かたあすはがは)の さ丹(に)塗りの 大橋の上(へ)よ
   紅の 赤裳裾引き 山藍(やまゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただ独り 
い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の 独りか寝(ぬ)らむ
 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく
反し歌
1743 大橋の頭(つめ)に家あらばま悲しく独りゆく子に宿貸さましを

4139 春の苑紅にほふ桃の花下照(で)る道に出で立つ美人(をとめ)


 1742 の歌は橋を渡る女への下心なのでしょうが、夕刻から宵の頃の歌のように思えます。真っ昼間の妄想ではなさそうです。そうしますと、「しな照る」は夕陽か月の明かりが照らしているように感じます。

 4134 は樹下美人図のイメージのようです。酒宴ですと、夕方から夜、やはり仄かな明るさのようです。


> 難波に日が沈んで、日下なのでしょうか。そして沈んだ日が月になって、大和の三笠山に沈んで、日になるのでしょうか。

 難波から見ますと日下は日の出の方角、大和からでは日下と云う場所は実感しぬくい場所、生駒山に沈むと見えるでしょう。生駒山が日下山と呼ばれていたとなります。

 月が三笠山に沈むと云う観念は思い浮かびませんが、三日月が昇ってくる山だからこの名になったのかも。
 三輪山のお隣に巻向山があります。別名は弓月が嶽(由槻が嶽)。秦氏の祖先の弓月君にちなむ名なのか、三日月が出る山なのか。

[10283] Re[10282][10281]: 真澄鏡  神奈備 2010/06/06(Sun) 09:44 [Reply]
> 曇って光を失い、再生により光を取り戻す所から新月と満月を繰り返す月と重なったかもと夢想します。

 再生させるのに手間と駄賃がかかっていますが、月はかってにやってくれます。

 
 昨日の豊中歴史同好会で、阪大の福永伸哉先生が、桜井茶臼山古墳から出土した鏡81面中に三角縁神獣鏡が26面あり、中に正始元年鏡があったことを云われていました。西暦240年。
 『魏志倭人伝』によりますと、この年には魏の大守弓遵らが倭国に来て、倭王に金、帛、錦、刀、鏡などを与えています。

 桜井茶臼山古墳は200mを越え、箸墓に続く年代の古墳のようです。そこからおそらくは魏国製の三角縁神獣鏡が出土、その年号が『倭人伝』の記事に一致、さて、邪馬台国はどこだったのでしょうか?

[10282] Re[10281]: 真澄鏡  素人 2010/06/05(Sat) 22:38 [Reply]
神奈備様
鏡と水銀の関係で興味をお持ちかと書き込みさせていただきます。
>  今日の豊中歴史同好会で、岩波『古語辞典』のなかの「まそかがみ」の項のコピーを頂きました。
>
>  まそかがみ(真澄鏡) 澄み切った鏡。
>  枕詞として、「清き」「照り」「磨き」、蓋があるので同音の「二上山」にかかるとしています。清きとか照るは月の形容で、真澄鏡は必然的に月を形容するようになると云うことです。
>  
>  従って、鏡は月の依代とは単純には言えないと云うことのようです。
 青銅の鏡は、水銀研ぎをして鏡の光沢となるようです。
しかし、使っているうちに光沢がなくなり再度メッキが必要で、鏡研ぎをして再生したようです。曇って光を失い、再生により光を取り戻す所から新月と満月を繰り返す
月と重なったかもと夢想します。
江戸時代まで、「鏡研ぎ」は有ったようです。
江戸時代のリサイクルWeb
鏡研ぎ>
 「昔の鏡は、青銅の表面に水銀メッキをして反射面を作っていたので、使っているうちに曇って見にくくなりました。女性たちはメッキをし直す職人が巡回してくるのを待って研ぎ直していました。」
http://www.simofuri.com/recycle/recycle.htm
しばらくぶりの青草でした。

[10281] 真澄鏡  神奈備 2010/06/05(Sat) 21:38 [Reply]
 今日の豊中歴史同好会で、岩波『古語辞典』のなかの「まそかがみ」の項のコピーを頂きました。

 まそかがみ(真澄鏡) 澄み切った鏡。
 枕詞として、「清き」「照り」「磨き」、蓋があるので同音の「二上山」にかかるとしています。清きとか照るは月の形容で、真澄鏡は必然的に月を形容するようになると云うことです。
 
 従って、鏡は月の依代とは単純には言えないと云うことのようです。

[10280] Re[10279][10270]: 押し照るほか  佐々木 2010/06/05(Sat) 09:50 [Reply]
 神奈備さん
 面白いですね。
>難波を照らしていた特徴のあるものは「月」であったと考えるのが素直です。

 同感です。太陽が照っている干潟は、ニオイがなんとも言えず。
難波は月で、大和が太陽だったのでしょうか。
 同じ「・・てる」では、ほかに「しなてる」がありますね。

>草香(日下)がヒノモトでいいのか 
 
 難波に日が沈んで、日下なのでしょうか。そして沈んだ日が月になって、大和の三笠山に沈んで、日になるのでしょうか。

>十二個も太陽がいて熱いから、弓矢で太陽を射て十一個を落としてやっと地上が過ごしやすくなったとの射日神話があります。

 殷代にも良く似た話がありました。太陽は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十個でしたか。弓と月が少し気にかかりますが。

[10279] 押し照る難波  神奈備 2010/06/05(Sat) 07:15 [Reply]
『万葉集』には、枕詞として「押し照る」があり、これは難波にかかっています。
0977 直越(ただこえ)のこの道にして押し照るや難波の海と名付けけらしも
1428 押し照る 難波を過ぎて 打ち靡く 草香の山を
2135 押し照る難波堀江の葦辺には雁寝たるらし霜の降らくに
2819 押し照る難波菅笠(すがかさ)置き古し後は誰着む笠ならなくに
3300 押し照る 難波の崎に 引き上る 赤(あけ)のそほ舟
3886 押し照るや 難波の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居る
など。

また「押し照る」は
1074 春日山おして照らせるこの月は妹が庭にも清(さや)けかるらし
1480 我が屋戸に月おし照れり霍公鳥心ある今宵来鳴き響もせ
2679 窓越しに月おし照りてあしひきのあらし吹く夜は君をしそ思(も)ふ

と、月を形容しています。「おし照る」が太陽や日を形容する歌は皆無です。

 上記を合わせて考えますと、難波を照らしていた特徴のあるものは「月」であったと考えるのが素直です。

 今まで、生駒山から眺める難波とその海は太陽にサンサンと照らされて、それが感嘆として枕詞になったとの解説がありましたが、ひょっとしたら太陽ではなく「月の光」が難波と海を際立たせていたと感じられていたのではないでしょうか。

 難波の形容を「月」としますと、草香(日下)がヒノモトでいいのかと云うことが問題になってきます。
 月が〜出た出た♪ の場所!! 本当かな?

[10278] 天を兄、日を弟  神奈備 2010/06/04(Fri) 08:26 [Reply]
『隋書倭伝』
 倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、阿輩雛彌と号。天を兄、日を弟、日が出れば弟に政務を任せる。王の妻は雛彌、太子を名づけて利歌彌多弗利となす。云々。

 この解釈も難しいのですが、日が出れば弟に任せるということは、倭王は「月」であるということだと思われます。

 神様でいえば、天とは高皇産霊神、月神が大王、日は男弟となります。卑弥呼さんも鏡がお好きだったようで、これは月の神に帰依していたからと言えるのかも。

[10277] 日本神話と心の構造  神奈備 2010/06/03(Thu) 08:28 [Reply]
日神か月神かの問題は、河合隼雄著『日本神話と心の構造』に触発されました。

0015 綿津見の豊旗雲に入日さし今宵の月夜(つくよ)きよく照りこそ
天智天皇は日没の美しい光景を見て、夜の月の澄み渡る輝きを感じ取る

0048 東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ
輝く朝日が昇り行くのを見て、西に傾く月のほうに振り向いた。

 河合氏曰わく。「太陽を詠んだ歌を探し出すのはしんどい仕事。上の二つをやっと見つけた。それでも太陽からのインスピレーションの歌はゼロ。」と云っています。

 
 和歌のテーマが花鳥風月になったのは後世だと思います。万葉の頃でには相聞、挽歌、問答、比喩、旅など様々なテーマがあったのでしょうが、昼間の太陽はなかなか歌にはならないだろうと思いますが、朝日や夕陽がもっと歌われてもとは思われますが、少ないようです。歌は神に捧げるものと云われます。そうしますと神の時間である夜がテーマになって来るとは言えるでしょうが、全てが神にと云うものでもなかったのでしょう。やはり日・太陽は古代の人々の関心をひかなかったのでしょう。信仰にも歌にも。

[10276] 今月の豊中歴史同好会  神奈備 2010/06/03(Thu) 08:26 [Reply]
今月の豊中歴史同好会

第一土曜日 6月5日 14時〜16時

講師 大阪大学 福永伸哉教授

テーマ 三角縁神獣鏡と邪馬台国

場所 市教育センター

http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/

[10275] 高皇産霊神  神奈備 2010/06/02(Wed) 10:16 [Reply]
『日本書紀』巻十五顕宗天皇三年(丁卯四八七)二月丁巳朔◆三年春二月丁巳朔。
阿閇臣事代銜命。出使干任那。於是月神著人謂之曰。我祖高皇産靈有預鎔造天地之功。宜以民地奉我月神。若依請獻我。當福慶。事代由是還京具奏。奉以歌荒樔田。〈歌荒田。在山背國葛野郡。〉壹伎縣主先祖押見宿禰侍祠。

ポイント
 月神が人に憑いて「わが祖 高皇産霊は、天地をお造りになった功がある。田地をわが月の神に奉れ。
 山背國葛野郡の歌荒樔田を奉られた。壹伎縣主先祖押見宿禰がそこに祠りして仕えた。


 よく似たお話が次ぎにもあります。「日の神が「倭の磐余の田をわが祖高皇産霊に奉れ。」と託宣しています。

 前者は葛野坐月讀神社、後者は目原坐高御魂神社二座と見なされています。

 前者では高皇産霊神は月神の祖であり、かつ月の神と解釈できます。同時に後者では日の神の祖でもあると理解できます。あわせれば月神は日神の祖となります。

 皇祖神は天照大神ですが、これは天武・持統王権以降のことで、それ以前の皇祖神は高皇産霊です。これは天皇家の重要な祭りである月次祭では、平安時代に初めて天照大神が祭られることになることなどでも言えます。
http://kamnavi.jp/log/ugaamanew.htm

 日本では、月神への信仰は日神への信仰に比べて古いようです。

[10274] Re[10273]: カカシ  神奈備 2010/06/02(Wed) 10:15 [Reply]
大三元さん、コメントありがとうございます。

最近、日本の古代においては月、月神の役割が大きかったのではないかとの思いにとらわれています。

紀州の一宮の日前国懸神宮の神々も「紀州の海人の祭る日神」との説明でそうなんだと思いこんで来て疑いを持たなかったのですが、海人が頼りにするのが潮の満ち引きを司る月であって、太陽の存在は前提というか与件のようなものだったのではと考えています。

 日前国懸神宮のどちらかは月神だったのではと疑っています。カカスが輝きに通じますと鏡に到ります。

 御神体が鏡となりますとすぐに太陽信仰に結びつけるのは問題との観点から古代を見ていたいと思っています。

[10273] カカシ  大三元 [Url] 2010/06/02(Wed) 09:46 [Reply]
神奈備さんの「丹生川上神社下社」
http://kamnavi.jp/ny/kawasimo.htm
に次の文章があります。

 紀の国の丹生都比売神社に伝わる『丹生大明神告門』には、川上水分之峯爾上坐天國加加志給比 (カハカミミクマリノミネニノボリマシテクニカカシタマヒ)とあり、『紀伊続風土記』の注には「川上は大和國吉野郡丹生川の川上なり」とあるが、当社の神体山の丹生山は残念ながら国見をするようなの高さではない。近くの櫃ヶ岳辺りだろうか。
(引用終わり)

ここに「加加志」(カカシ)という語があり、神奈備さんの解釈(?)では「國加加志」で「国見」と考えて居られるようです。

「国懸」で私が考えたのは「カカス」は「輝かす」であろうか、ということでした。
しかし、両説は対立する必要はなく、高貴な人が国見をするということは国を照らすことである、という考えに収斂出来るのかも知れません。

そうすると「案山子(カカシ)」も田畑を見る、見張る、という展開で理解することも出来そうです。

[10272] 鏡は日神の依り代か?  神奈備 2010/06/01(Tue) 17:50 [Reply]
万葉集 鏡の歌コレクション

鏡が山や妹を写している情景の歌ははずしています。そうしますと:−


1079 真澄鏡(まそかがみ)照るべき月を白妙の雲か隠せる天つ霧かも

1507 いつしかと 待つ我が屋戸に 百枝さし 生ふる橘 
   玉に貫く 五月を近み あえぬがに 花咲きにけり
   朝に日(け)に 出で見るごとに 息の緒に 吾(あ)が思(も)ふ妹に
   真澄鏡(まそかがみ) 清き月夜に ただ一目 見せむまでには

2462 我妹子し吾(あれ)を思はば真澄鏡照り出(づ)る月の影に見え来ね

2670 真澄鏡清き月夜のゆつりなば思ひはやまじ恋こそ益さめ

2811 この言を聞かむとならし真澄鏡照れる月夜も闇のみに見つ

2980 真澄鏡見飽かぬ妹に逢はずして月の経ぬれば生けるともなし

3900 織女(たなばた)し船(ふな)乗りすらし真澄鏡(まそかがみ)清き月夜(つくよ)に雲立ち渡る

となっています。太陽(日)に鏡が関係する歌は皆無です。鏡は月をうつすもののようです。
 月の光を見る→月の影を見る→→鏡


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