神奈備掲示板の案内とログ

神奈備掲示板

青草談話室、写真掲示板 過去ログ

掲示板のログ(平成二十四年 十月〜十二月 2012.10〜12)お名前の敬称は省略しています。

[11288] Re[11287][11286][11285][11284][11283][11282][11281]: 塩屋連  大三元 2012/12/31(Mon) 15:56 [Reply]
神奈備さん

> ところで、古い時代は ユヤとかイヤで 後世にクマノと云う可能性はないと云うことでしょうか。

知れる書物に当たる限りはその↑通りだと思います。

直接的関係はありませんが念のため 吉田東伍著『大日本地名辞書』阿波・三好郡・祖谷 条を調べておきました。

祖谷(祖山)(伊屋)
イヤ
・・・祖を伊と訓むは後世の偽(原文では言偏)とす、古簡に祖山とありて、昔はオヤヤマと唱へし歟、もしくは祖の字を仮りて、其オヤをイヤに転じて使用せる也、即祖の一字にてイヤと訓むを古義とす。後世祖谷と書してイヤと云は偽作とす、古簡に伊屋とす、又祖山を祖谷山と書せる例なし。

(引用終)
この祖谷と熊野が関係あるのかな、と思って調べたものですが関係なさそうでした。

[11287] Re[11286][11285][11284][11283][11282][11281]: 塩屋連  神奈備 2012/12/31(Mon) 14:38 [Reply]
> 古事記では「熊野久須毘命」に細注として「久より下の三字は音に以れ」とあります。しからば「熊野」は訓読みしろ、ということになります。
>
ありがとうございます。岩波文庫の原文の漢字版に出ています。確認漏れでした。

ところで、古い時代は ユヤとかイヤで 後世にクマノと云う可能性はないと云うことでしょうか。

[11286] Re[11285][11284][11283][11282][11281]: 塩屋連  大三元 2012/12/31(Mon) 10:11 [Reply]
神奈備さん

>  古典の中の熊野を「クマノ」「クマヌ」とする根拠はあるのでしょうか。

古事記では「熊野久須毘命」に細注として「久より下の三字は音に以れ」とあります。しからば「熊野」は訓読みしろ、ということになります。

「くまの」を「熊野」と書いて、時代と共に音で読むのも格好良いことになって「イヤ、イフヤ、(ユフヤ?)」も出てきたのでしょう。さて、その「時代と共に」そのようなことが始まったのがいつ頃だろうか。「伊布夜」をもってその初見とするか、できるか、ということでしょうかね。

[11285] Re[11284][11283][11282][11281]: 塩屋連  神奈備 2012/12/31(Mon) 09:05 [Reply]
大三元さん

同感です。
>
> 「熊野」の音読みが今では「ゆうや」でしょうが(能では「ゆや」)上代に二重母音が忌避されていたことを考えると古くには「いや」以外にも「ゆふや、いふや」と音読みした「かもしれません」ね。

誓約で生まれた五男神
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノキコト)
天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)
天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)

 本居宣長『古事記伝』には、熊野(クマヌ)は地名で、出雲国意宇郡の熊野としています。五男神の中で地名付は熊野久須毘命だけのように思われます。ひょっとしたら、「ユウノクスヒノミコト」だったのかも知れません。

 海に面している紀伊の熊野と面していない阿波の祖谷(イヤ)とは、奥まった所、死者の赴く所、何となく似ている雰囲気です。
 また、出雲の仁多郡に「砂の器」で知られた湯野神社が鎮座しています。これも熊野をイヤとする応援に仕えるかも。

 古典の中の熊野を「クマノ」「クマヌ」とする根拠はあるのでしょうか。


[11284] Re[11283][11282][11281]: 塩屋連  大三元 2012/12/30(Sun) 16:55 [Reply]
神奈備さん

面白いです。

「熊野」の音読みが今では「ゆうや」でしょうが(能では「ゆや」)上代に二重母音が忌避されていたことを考えると古くには「いや」以外にも「ゆふや、いふや」と音読みした「かもしれません」ね。
揖夜神社は、[言屋社]とも「伊布夜」とも書かれますから「いふや」が「熊野」の音読みだったのか。これは面白い。。。

[11283] Re[11282][11281]: 塩屋連  神奈備 2012/12/30(Sun) 14:31 [Reply]
大三元さん
>
> 「鹽冶神社」、出雲風土記で「夜牟夜社」。
> 「塩屋」と同じ音のようですが人のつながりはどうなんでしょう?

 和歌山の御坊市北塩屋北東約1.2kmに熊野神社が鎮座、イヤと訓みます。社伝では、「往古出雲民族が紀伊に植民する際にその祖神の分霊を出雲の熊野より紀伊の新熊野に勧請する途中、「当社に熊野神が一時留まりませる」ということが当神社の由緒になっている。」とあります。

 出雲の熊野坐神社が熊野大社ですがここをイヤと訓む話は寡聞にして承知していません。祭神も『出雲国造神賀詞』に「伊射那伎乃真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命」の神名があり、御坊の諾册神とは異なっているようです。
 訓から言えば、意宇郡の揖夜神社は、『出雲国風土記』には[言屋社]と出ていますので、こちらの神社が勧請された可能性もあるのかなと思っています。

 出雲の塩治の西側に園と言う地名があり、御坊市にも園がありますが、関連は不明ですが、塩屋については、地元に伝わる伝承があります。

 園から日高川を渡ってうちの村に来ると、塩屋これは出雲では塩谷(エンヤ)とこうなっとる。塩谷郡(エンヤゴウリ)ていう。うちのほうでは塩屋シオヤていうけどこれは、実際は塩谷エンヤて言うのが本当ですんや。

 伝承されている川端家はかってはこの地の豪族であり、聖武天皇の母(藤原宮子)を出したと伝わっているようです。

 また未確認ですが、花窟神社の鎮座する熊野市有馬町の有馬に、「渡来人が出雲から入りこみ、出雲の炭焼きを業とする集団で、縄文晩期に大挙して紀伊に移住した。」という伝承があり、また、「朝鮮半島から出雲東部に渡来した有馬氏がスサノオ信仰を持ち、これを紀伊に伝えた。」とも言われているようです。

[11282] Re[11281]: 塩屋連  大三元 2012/12/30(Sun) 08:52 [Reply]
神奈備さん

「鹽冶神社」、出雲風土記で「夜牟夜社」。
「塩屋」と同じ音のようですが人のつながりはどうなんでしょう?

[11281] 塩屋連  神奈備 2012/12/28(Fri) 10:07 [Reply]
 紀伊国の海部郡や日高郡に塩屋と言う地名があります。

『新選姓氏録』では、山城国皇別に塩屋連の名が見え、彦太忍信命の後とあります。また河内皇別塩屋連は葛城曽都毘古命の後となっています。彦太忍信命ー武内宿禰命ー葛城曽都毘古命と並ぶ系譜があり、山城も河内も同じ血脈と言えるようです。

 日高郡では御坊市の塩屋浦があり、製塩土器などが出土しており、塩屋連は製塩で財をなしたのでしょう。塩屋には、熊野九十九王子社の一社の塩屋王子神社が鎮座しています。伊勢から勧請したと言われ、天照大神や天児屋根命などが祭神です。別名を美人王子と言うのは天照大神のことでしょう。

 塩屋連の名は孝徳天皇の皇子の有間皇子が謀反を企てて藤白坂で殺された事件で、これに加担していたのが塩屋連鯯魚(コノシロ)で、皇子と共に処刑されています。陰謀の作戦は、先ず大和の大宮を焼き、500人の兵を牟呂湯に向かわせ、淡路の船で海上を封鎖し、牢屋を囲んだようにすると言うものでした。地元地形を熟知した紀伊の塩屋連の作戦のように思われます。おそらく熊野の神兵・熊野水軍の動員なども作戦にあったのでしょう。有間皇子は熊野の花窟神社の鎮座する有馬(熊野市)に関係していたのかも知れません。

 面白いのは、中臣氏との関係です。6世紀、卜部黒田さんは鹿島から河内に進出してきました。畿内での足がかりを得るために、塩屋連と手をを結びました。即ち、塩屋牟漏連都夫羅古娘を妻としました。牟漏と見えるので紀伊国の塩屋氏の出の娘でしょう。生まれた常磐が中臣連姓初代とされています。中臣氏の母方の先祖は紀伊の塩屋連ということになります。

 塩屋王子神社の祭神に天児屋根命が入っているのは、塩屋連と中臣氏との関連の故かもしれません。

[11280] 竹島の日  神奈備 2012/12/22(Sat) 19:59 [Reply]
自民党は早速公約を破って竹島の日を政府主催で行うことを取りやめました。新しい韓国大統領の就任式が有ることは判っていたのに公約に掲げてそれを破った。竹島の日を国際司法裁判所で黒白をつけようと呼びかける日にすれば韓国も文句は言えないのに。これでは尖閣に公務員常駐も腰砕けかも。

[11279] Re[11278][11277]: おん祭り  和歌山 2012/12/22(Sat) 19:00 [Reply]
 時代とともに祭りや人も変化するでしょう。変えてよい部分といけない部分がありますよね。
 でも、こういう輩は、神様が見ています。防犯カメラも!

[11278] Re[11277]: おん祭り  神奈備 2012/12/20(Thu) 08:40 [Reply]
> 今後、一部拝観禁止にすべきです。

 普通の人々はその荘厳さ・楽しさ・古代さ等を味わい、神を祝福し、神から祝福を受けるのが大きな目的で参列します。しかしもっともらしい顔をして参列している人々の中にも、前日によからぬことをいたして来ている者も混ざっているかもしれません。真摯に神を共有する姿勢は失われているのでしょう。
 また、おっしゃるように、神とは無関係に祭りの姿を写真に撮るのが最大の目的で、その為には何でもすると言う輩がいます。その人達には神はいないのです。祭りのいい写真が目的なのです。
 これは時代の移り変わりの現象なのでしょう。21世紀型の風景です。従って、それに耐えうるお祭りを考える必要があるとも言えるのかも。

[11277] おん祭り  和歌山 2012/12/19(Wed) 19:38 [Reply]
皆様、お久しぶりです。
おん祭り無事終わりました。今年も遷幸の儀から還幸の儀まで若宮様にお供させていただきました。
相変わらずマナーが悪いです。こっそり撮影したり、前日の宵宮祭でのカメラマンのマナーひどいです。祭員参進の時、後ろからお供して歩いていると写真撮るからどけという人がいます。また、写真を撮ろうとして走り、人に当たっても何も言わないカメラマンがいます。
今後、一部拝観禁止にすべきです。

[11276] Re[11275][11274][11270][11269]: 所謂「邪馬臺國」とは…  福島雅彦 2012/12/16(Sun) 15:49 [Reply]
> 8世紀半ばに、吉備真備が唐に滞在していた時に、「野馬臺詩」を提示されたそうです。阿部仲麻呂と同じ時の遣唐使の一人です。
>
> 日本の歴史についてよく知っていた唐の人もいたようです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn59.htm

※即ち、中国正史に記載の「倭語」音写の原義が汲み取れなくて、晁監(阿倍仲麻呂)や吉備真備に問うた、が解からず仕舞いの感がします。
*晁監(阿倍仲麻呂)が詠んだ「天の原…」=「高天原」が三十ヶ国の何処に当るかが判っていない、と。
*晁監(阿倍仲麻呂)は、それらの国名が何を意味したかを調べに帰国したかった、と。

[11275] Re[11274][11270][11269]: 所謂「邪馬臺國」とは…  神奈備 2012/12/16(Sun) 14:20 [Reply]
 8世紀半ばに、吉備真備が唐に滞在していた時に、「野馬臺詩」を提示されたそうです。阿部仲麻呂と同じ時の遣唐使の一人です。

日本の歴史についてよく知っていた唐の人もいたようです。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn59.htm

[11274] Re[11270][11269]: 所謂「邪馬臺國」とは…  福島雅彦 2012/12/16(Sun) 11:52 [Reply]
> 阿倍仲麻呂は下記の歌を詠んでいます。
> 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも
>
> 王維さん 仲麻呂さんのことどの程度理解していたのでしょうかね。

※王維は晁監(阿倍仲麻呂)に正史に登場の「邪馬臺國」、「邪馬壹國」、の事を質問したが、答えに窮した、と思います。何故なら、阿倍仲麻呂(晁監)にも解らなかったからです。『三国志(魏志倭人伝)』に記載の詳らかになる九カ国も…。
*王維は晁監(阿倍仲麻呂)にヨイショして中国皇帝の直轄領の意の「九州」と詠んだのであろう、と。
*晁監(阿倍仲麻呂)が、栄達して高齢を押しても帰国したかったのは、「邪馬臺國」と三十ヶ国の事を確認したかった、からではないかと思います。当らずといえども遠からず、穿って妙、だと。

[11273] Re[11272]: RE:[11263] 生田淳一郎氏ご逝去  神奈備 2012/12/14(Fri) 08:31 [Reply]
> 今は、中米ニカラグアのディリアンバというところに居ます。
> タイからアメリカに逃れて、中東のヨルダン、サウジ、ドバイ、さらにアフリカのエチオピア、ジブチ、ケニア、ブルンジと流れ流れて地の果てです。

オオー。お久しぶりです。遠い異国でご苦労様です。ご健勝をお祈りいたします。
紋爺さん、寂しいことです。

[11272] RE:[11263] 生田淳一郎氏ご逝去  KAG 2012/12/14(Fri) 02:31 [Reply]
大変に ご無沙汰しています。
日本からの便りを受けて、この板へたどりつきました。
連絡は・・・本当だったのですね。

何も語れずに申し訳ありませんでした。
地球の裏側からご冥福をお祈りいたします。

今は、中米ニカラグアのディリアンバというところに居ます。
タイからアメリカに逃れて、中東のヨルダン、サウジ、ドバイ、さらにアフリカのエチオピア、ジブチ、ケニア、ブルンジと流れ流れて地の果てです。
紋爺の語った『エデン語』の尻尾もチラホラと感じました。

しばらくネットも見れなくなりますが、皆様お元気でお過ごしください。
いつの日か帰国できたら、また参加させて頂きたく思います。

[11270] Re[11269]: 所謂「邪馬臺國」とは…  神奈備 2012/12/12(Wed) 14:54 [Reply]
> ※上記の九カ国をして「卑彌呼」の九州(皇帝の直轄領の意)と、王維が阿倍仲麻呂(晁監)を送る詩に読み込んだ。

以下の詩です。
祕書晁監の日本國に還るを 送る

積水  極む 可(べ)からず,
安(いづく)んぞ  滄海の東を 知らん。
九州  何れの處か 遠き,
萬里  空に 乘ずるが 若(ごと)し。
國に 向ふは  惟(た)だ 日を看,
歸帆  但だ 風に信(まか)す。
鰲身  天に映じて Kく,
魚眼  波を射て 紅なり。
ク樹  扶桑の外,
主人  孤島の中。
別離  方(まさ)に 異域なれば,
音信  若爲(いかん)ぞ 通ぜん。

阿倍仲麻呂は下記の歌を詠んでいます。
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも

王維さん 仲麻呂さんのことどの程度理解していたのでしょうかね。

[11269] 所謂「邪馬臺國」とは…  福島雅彦 2012/12/09(Sun) 12:18 [Reply]
※太安万侶も源順も新井白石も本居宣長も白鳥庫吉も内藤虎次郎も、何処かに存在すると言う前提で探し続けているが見付からない。
 そこがそもそもの問題点である。

※倭人の使者が口述した国情説明文言の一部を国名と勘違いしたものである。

*狗邪韓國=九倭韓國の意=九つの部族長が治める国=伽耶諸国のこと。

*「對海(馬)國」=“tu-me”(双山)國=上県・下県の二つの島の意。

*一大國=対馬の島中峻険に対比して、島中「一帯が國邑」の意。

*末盧國=遣使・郡使らの往来の無事を「奉(まつ)る」処の意。

*伊都國=伊奘諾尊以来の都の地の意。

*「奴國」=“non”(野=棚田)國の意。旧・筑紫郡那珂川町〜春日市。

*不彌國=尊(みこと)不在国=徐福の一派?の国。

*投馬國=「對海(馬)國」と同義=筑肥山地と水縄連山(耳納山地)の双山の間の国の意。

*「邪馬壹國」=「邪馬臺國」=「邪靡堆」=水縄連山(耳納山地)の意味。後出の「奴國」
 (草野・竹野・彌奴國・星野村)=「高天原」の上に在る、の意。

@「邪馬臺國」=「高天原=天(あま・あめ)」たィ=の「倭語」音写。

A「邪馬壹國」=「高天原=天(あま・あめ)」ンうヰ(上)=の「倭語」音写。

∴「邪靡堆」=現地踏査した裴世清が『隋書』で前史の誤謬訂正で@A=水縄連山(耳納山地)
 の事だった、と絶妙な文字撰びで示している。

∵「邪靡堆」=黒髪が「靡」く様な山容・山態の「堆(うずたか)」い、小山=水縄連山
 (耳納山地)の事だった、としている。

※上記の九カ国をして「卑彌呼」の九州(皇帝の直轄領の意)と、王維が阿倍仲麻呂(晁監)
 を送る詩に読み込んだ。

※即ち、「邪馬臺國」も「邪馬壹國」も中国書記官の頭の中にしか存在しない。

*この真実を認めると、今まで散々論じられてきた事が灰燼に帰すので、誰も認めたがらない。
 博士も教授も失職しかねないし、全ての論客がバカみたいになるから…。
*アルファベット表記=古代倭語(九州弁と朝鮮語に臍の緒を留める)=ハングル。

[11268] 『古事記』の序文ー帝紀及本辭ー  神奈備 2012/12/09(Sun) 10:19 [Reply]
『古事記』の序文ー帝紀及本辭ー

1.天武天皇 「帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。」
   帝紀と本辭には違いがあるし嘘がくわえられている。今の内に直しておかないと、本来の趣旨が失われてしまう。

2.天武天皇 「故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉。」
    帝紀を撰録し舊辭を討覈して偽りを削り、まことを定めて後の世に伝えようと思う。

3.天武天皇 「阿禮。令誦習帝皇日繼。及先代舊辭。」然運移世異。未行其事矣。

   阿禮に命じて帝皇日繼と先代舊辭を誦み習わせました。しかし時移り世は変わっても、未だそのことはできていません。

4.元明天皇 (於焉惜舊辭之誤忤。正先紀之謬錯。以和銅四年九月十八日。)「詔臣安萬侶。撰録稗田阿禮所誦之勅語舊辭。以獻上者。」
   舊辭の誤り違えるのを惜しみ、711年9月18日に安萬侶に命じて、「稗田阿禮の誦む所の勅語の舊辭を撰録して献上せよ。」と命じられました。

二つの資料の表現の推移
1.帝紀     本辭
2.帝紀     舊辭
3.帝皇日繼   先代舊辭
4.       舊辭

塚口先生は、4.は元明天皇の命じた内容であり、帝紀が抜けているのは省略とか圧縮ではなく、天皇の命令通りに記したものであるとの見解です。これだけ長い文章で敢えて数文字の「帝紀」を抜かす必要もなく、さらに命じた天皇その人に提出する文章であり、忠実にかかれている筈との見解です。妥当だと思われます。

 即ち、『古事記』は、天武天皇と雖も、「帝紀」に手を付けることが出来なかったのであり、それは壬申の乱後の近江方への処罰もたいしたものではなく、天武天皇が絶対的君主であったわけではないので、それが出来なかったとの説でした。
 それが、序文の「然運移世異。未行其事矣。」に現れているとのことです。

[11267] 豊中歴史同好会  神奈備 2012/12/07(Fri) 09:05 [Reply]
2012 12 8 土曜日
13時20分から会員研究成果の披露
14時から2時間 本講座
講師 元堺女子短期大学名誉学長・名誉教授 塚口 義信
タイトル 『古事記』撰録1300年記念講演『古事記』は未完の書
6階教育センター

http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/

[11266] RE:訃報  福島雅彦 2012/12/01(Sat) 11:25 [Reply]
神奈備様、多謝 謝々!。お陰様で懐かしく拝読させて頂きました。

[11265] Re[11264]: 訃報  神奈備 2012/11/30(Fri) 19:11 [Reply]
> この板での最後の書き込みを探しましたが見付かりません。

ことしの4月が最後の書き込みのようです。

神奈備掲示板の案内とログ 平成二十四年 四月〜
http://kamnavi.jp/log/yumv1204.htm

平成二十四年 一月〜三月
http://kamnavi.jp/log/yumv1201.htm

青草掲示板ログ平二十四年 四月〜六月
http://kamnavi.jp/log/ktba1204.htm

青草掲示板ログ平二十四年 一月〜三月
http://kamnavi.jp/log/ktba1201.htm

[11264] 訃報  福島雅彦 2012/11/30(Fri) 14:10 [Reply]
私も、先日訃報を受け取りました。
故・焼尻紋次郎氏は私の古代倭語(九州弁と朝鮮語に臍の緒を留める)で読み解く古代史に理解を示された数少ない論客でした。
この板での最後の書き込みを探しましたが見付かりません。
ご冥福をお祈り致します。

[11263] 生田淳一郎氏ご逝去  神奈備 2012/11/30(Fri) 14:02 [Reply]
11月7日 享年78歳

生田淳一郎氏言語論集
http://kamnavi.jp/log/ikuta.htm

生田淳一郎氏遺言 価値観
http://kamnavi.jp/link/katikan.htm

で個人を偲んで下さい。

[11262] 明石の方  神奈備 2012/11/23(Fri) 11:30 [Reply]
> 鵜草葺不合は熊野樟日で五十猛(なぎさたけ)であると私は考えていますが、どうでしょうか?

 先の伊太祁曽神社の故奥鈴雄宮司は熊野樟日神を五十猛神と見なされていました。鵜草葺不合尊は神ではありませんので、五十猛神とは見なし得ないと思いますが、その名前の中に名草の武が取り入れられているように思われます。

> 例えば、伊弉諾は125年ー185年、素戔嗚は140年ー200年、五十猛は160年ー220年、卑弥呼は175年ー247年、臺與は240年ー300年などです。

卑弥呼や臺與は歴史上の人物ですから、年代推定は可能だと思います。
卑弥呼の逝去の後、台与が立てられました。年齢を13歳と『倭人伝』には書いてありますが、7歳で国の指導者に立てられ、6年後に国王に就任とのご理解でしょうか。

それ以外の神々の年代ですが、彼らは人ではなく、神ですから年代比定には無理があると思います。渡来系の神でしたら、彼らを奉祭する人々の渡来年代を誕生年と見ることは可能だと思います。
 また、日本の神々は現在も神社で祀られており、機能していると信じられていますので、生きているものと見ることができます。太古の神々を現在も日常的に祀っているのは世界の中でも日本だけだと思います。

 鈴木様の発想はとても興味を引かれる所があります。できましたら、神奈備の掲示板に投稿していただければ、より多くの方の目に触れて刺激を与え、別の考え方が披露されるかも知れません。

[11261] 東大阪市・荒本村の[ジャパンナレッジ(電子辞書)]の記述について  荒客人 2012/11/22(Thu) 19:27 [Reply]
前回紹介した東大阪市荒本周辺の「春日若宮神社」ですがこちらの調査で[ジャパンナレッジ]という電子辞書で[荒本村]のキーワードで調べてみた所・・・。

「「勘仲記」弘安五年(一二八二)一○月三日付条に「平岡社々務兼秀之相伝、社領藪崎山本荒本庄等社家令進止」とあり枚岡神社領荒本庄があった」事が見えるそうです。

ここは元々、大和川下流の田畑があった葦原の一帯で「水走氏」の領地が西方に合った事から水と関連があった一帯なのかも知れません。
先ほどの枚岡神社の祭祀氏族「中臣氏」は出雲地方との繋がりがあるのか地名が「出雲井」というのも関連性があるようにもみえます。

聞くところによると枚岡神社祭祀の原点であった山上の「神津嶽」にはイワクラ祭祀の痕跡があるようでここにもあらはばき神との接点があるよおうにも見えます。

あとこれは後できづいたのですが荒本の春日若宮神社が東大阪ジャンクションを中心とした「辰巳」の方角にあるのも気になります。
さらに社殿は西北西に向いており「東南東」に拝する形になります。

さらにこの若宮神社から東方にも「春日神社」がありここもなんと「北向き(正確には「北北西」」を向いておりそ対角線逆は出雲大社の対方向同様、「シリウス(太白金星)」の方角からの降臨を意味し「弥勒」的な雰囲気を漂わせます。
ここには「春日明神」の他に「タケミカヅチ命・フツヌシ命」が祀られているようです。

あらはばき神信仰の本誓が「三位一体」であり「父母子神信仰・弥勒信仰」である以上「アメノオシクモネ命」が「アメノコヤネ命」の御子と繋がります。

あと実はこの荒本地区の北方には「金物団地」があり製鉄かあるいはそれに近い地域地場産業の神として信仰されているのではないかとの気もします。

[11260] 古代を偲ぶ会  神奈備 2012/11/14(Wed) 18:59 [Reply]
2012 11 17 14時〜16時
元福井県埋文センター 所長 中司 照世
演題 ヤマト王権と紀伊ー紀氏の動向についてー
会場:エル大阪(大阪市中央区北浜東3−14
本館7F 709
1,000円(申し込み不要)
http://kamnavi.jp/link/sinobu.htm

[11259] (参考引用掲載)「「アラハバキに会いに行くっ!」遮光器土偶をめざす旅」(全10巻)  荒客人 2012/11/12(Mon) 14:04 [Reply]
こちらの方が実際に日本で初めて「遮光器土偶」が発掘された青森県つがる市亀ヶ岡遺跡のリポートについて「東日流三郡誌」も交えて詳細に語っていますので非常に参考になるかと思い紹介させていただきます。
http://icanrecall.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-4d8c.html

なおリンクでは最初のページだけでなく全部で10ページ分になっている点はご注意ください。

[11258] 古事記の謎を探る  神奈備 2012/11/11(Sun) 12:10 [Reply]
 11月11日に豊中歴史同好会がありました。演題は「古事記の謎を探る」、塚口義信先生でした。
 古事記は三巻で出来ており、その区分は以下のようになっています。
 上巻 神代
 中巻 神武天皇から応神天皇
 下巻 仁徳天皇から推古天皇
となっています。

1 「古事記」は、何故、推古天皇で終わっているのか、が投げかけられました。
 推古以降から王統意識が替わったのではないかとの指摘がありました。
 推古までは蘇我系の天皇、次の舒明天皇(息長足日広額天皇)は文字通り息長系、系統が替わったとのこと。またこれについては考古学的裏付けがあるとのことで、推古までは方墳、舒明以降は八角形墳となっているそうです。


2 中巻の意義 について。倭王武が宋の皇帝に出した上表文の有名な文章。
 昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、平らげること九十五国に及び、強大な一国家を作りあげました。以上のように5世紀には国家統一の伝承があったのです。
 前提として国の中央を制覇していることは言うまでもありません。即ち神武天皇から応神天皇の朝鮮半島の一部制覇までを倭王武は上表しているのです。これに呼応しているのが「古事記中巻」です。 

 なお、12月8日(土)の例会は引き続く塚口先生が「『古事記』は未完の書」の演題での講演です。
場所 豊中市立蛍池公民館集会室 6階教育センター 市民講演会
http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2012.html

[11257] それといい忘れていましたが・・・  荒客人 2012/11/09(Fri) 20:54 [Reply]
こちらの「イワクラウオッチング」で四天王寺を中心とする星辰信仰とイワクラとの繋がりを紹介するリンクがあったので参考に紹介しておきます。
(ひょっとしたら過去に当掲示板で紹介済なのかもしれません、その場合はご了承ください)
http://www.eonet.ne.jp/~yamauo2005/osaka.html
http://www.eonet.ne.jp/~yamauo2005/shitennoji.html
http://www.eonet.ne.jp/~yamauo2005/ayahito.html
大阪四天王寺のこの石舞台周辺には西方に「仏足石」と釈迦如来の石像と地蔵菩薩・如意輪観音の銅像が立っています。また周知の通り「生駒山」の方角へ向けて「石神堂」があり内部には「救世観音」さまの分霊などが祀られています。

そして六時堂内には阿倍野付近にあったと思われる「阿倍王子神社」の神宮寺であった「阿倍寺」(現在の「印山寺」)にあった「千手十一面観音」が六時堂にもあったのですが今は「宝物館」に委託されたと思われ代わりに「薬師如来」さまが奉安されています。

この一帯は地下の「青龍池」の地下水が導水されている縄文時代の排水溝にも似た施設にもなっており生駒山脈の「青龍権現」から引かれた霊水で亀井堂の経木流しにも利用されておりまさに霊験新たかといえるでしょう。

話は戻りますが「あらはばき神」が製鉄・イワクラに繋がるのは今更感というのもありますが「隕石」はア(宇宙)・ラ(大気圏)バ(空気中)カ(土)キャ(地中)を経てきた製鉄に繋がる成分を含んだ鉄を必要とした縄文時代においてはまたとない物質であり軍事を司っていた物部氏や蝦夷族にとってはなくてはならない信仰にも繋がったのではないかと私は思います。

その中で「三位一体」信仰、しいては父母子神など星宿・土地・水神や救世主の弥勒信仰(花郎など)とつながり修験道にも関わりを持ち我が日本の森羅万象の信仰の淵源として息づいたのではないでしょうか。素晴らしき美しき日本の神々たち!。

[11256] 埼玉・氷川神社の「荒脛吐神・三位一体の教理」  荒客人 2012/11/09(Fri) 20:38 [Reply]
吉野・金峯山寺で特別公開中の「三位一体金剛蔵王大権現」の事を思い出し「アラハバキ 三位一体」で[Google]検索しているうちに埼玉県大宮市・氷川神社のこちらの資料に出くわしました。
http://www.orotary.hs.plala.or.jp/pdf/omiya-rc2696-2009-10-21.pdf

この文献「卓話・氷川の神」によればあらはばき神はやはり三位一体を表し・星・土地・水のかみであり「父母子神」であり「陰」と「陽」で構成される「太一」即ち「救世主」を願う信仰であり森羅万象たるシュメール文明よりアソベ・ツボケ族など阿倍氏・安東氏が伝わる所の縄文信仰であることがわかります。

これを大阪・四天王寺で現せば「捜聖記」で出てきた「三つのイワクラ祭祀の痕跡」が石舞台付近であったことへの確証にもなり中心伽藍の「講堂」の「十一面観音」と「阿弥陀如来」が「ホノリ・ガコ神」であり「金堂」の四天王に守られた本尊・救世観音さまがまさに「天子」即ち「救世主」であり妙見であり弥勒でもあるわけです。

そして奈良・吉野金峯山寺の「三位一体金剛蔵王大権現」にも繋がり「過去・釈迦如来」「現在・千手観音」「未来・弥勒菩薩」を現しその対象関係として天に「大日如来」地に「地蔵菩薩」が据えられる訳にもなるものだと思われます。

そうなると大阪・坐摩神社の坐摩五神も過去・現在・未来・天・地に比例しあらはばき神との対象にも成り立つ訳ですがいかがでしょうか。

[11255] Re[11253]: 荒脛吐神の祭祀(イオマンテ)の実際  神奈備 2012/11/09(Fri) 08:27 [Reply]
アラハバキの資料例。

隠された古代(近江雅和)採流社
白鳥伝説(谷川健一)小学館
記紀解体(近江雅和)採流社
謎の神アラハバキ(川崎真次)六興出版
偽書「東日流外三郡誌」事件(斉藤光政)新人物往来社

「東日流外三郡誌」はまるっきり嘘ではないと思います。一部に地元の伝承などが採録されているのでしょう。

[11254] 豊中歴史同好会  神奈備 2012/11/08(Thu) 09:01 [Reply]
11月10日(土)13時20分ー16時  ¥千円
テーマ 『古事記』撰録1300年記念講演@ 『古事記』の謎を探る
講 師 (敬称略) 堺女子短期大学名誉学長・名誉教授 塚口 義信
場所 豊中市立蛍池公民館集会室 6階教育センター 市民講演会

http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2012.html

[11253] 荒脛吐神の祭祀(イオマンテ)の実際  荒客神 2012/11/07(Wed) 19:50 [Reply]
荒脛吐神の祭祀のことについて、その神呪「アラハバキ・イシカ(日月星)・ホノリ(大地)・ガコ(水龍)・カムイ(神)」の神呪を通じて星辰・地母神・水龍神などをつうじて虚空・土地・水を司る中国道教「三官大帝(詳しくは自身で調べてください)」にも似た信仰などでGooGleで検索すると下の様な情報に出くわしました。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou/koga10.html
http://blogs.yahoo.co.jp/syory159sp/26565423.html

特に[yahoo]ブログの記事では実際に「遮光器土偶」が荒脛吐神の神像として祭祀されているのが注目されます。

さらに引用リンクの図にある鳥居のようなあれはまさか「三輪鳥居(?)」を彷彿としているような・・・。
これらは荒脛吐神の研究で興味深い文献として注目されてもおかしくないのではないでしょうか。

[11252] Re[11251]: 東大阪市「荒本」にもあった(と思われる)アラハバキ神社神社?「春日若宮神社」  神奈備 2012/11/02(Fri) 09:07 [Reply]
 由緒も不明、創建年代も不明、昔の河内湖の中、『大阪府神社史資料』にも記載がなく、江戸時代の文献にも出てきません。
神奈備は未参詣ですから何とも言いようがありませんが、古い神社なのでしょうか。
新しいからアラハバキでは無いとは申し上げませんが、いかがなものでしょう。
白龍大神は白蛇を思わせますから、面白い存在ですね。

[11251] 東大阪市「荒本」にもあった(と思われる)アラハバキ神社神社?「春日若宮神社」  荒客人 2012/11/01(Thu) 19:00 [Reply]
「あらはばき」の「荒」という一言で最近になって思い出したのが水走地区より東よりの「荒本」地区にある「春日若宮神社」。この神社に関する創建・祭祀者・沿革などは一切不明、ただ祭神としてアメノコヤネ命の御子・アメノオシワケノ命が祀られていることだけ。(http://blogs.yahoo.co.jp/uno9422/24924235.html)(http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/oosaka/higashioosakasi/kasugawakamiya/kasugawakamiya.html)
この荒本の産土神を祀ると思われる謎の神社ですがよくみると「注連縄」などはまさにあらはばき神のそれを思わせますしご神木や白龍大神はその証左ですしいかがなものでしょう。

[11250] 有間皇子まつりの案内  神奈備 2012/10/31(Wed) 08:22 [Reply]
有間皇子まつりの案内
 平成15年11月9日(日)に和歌山県海南市藤白神社境内有間皇子神社で開催されたものです

http://www.asuka-tobira.com/arimamiko/matsuri.htm

[11249] Re[11248][11247][11246][11244][11242]: 保月神  神奈備 2012/10/18(Thu) 20:53 [Reply]
>  それと「アラハバキ」の「キ」は、単純に「木」を意味するとも思えます。。。「出雲の蛇木」?
>  案山子が、蒲葵など神の寄り代だと考えれば、スクナヒコナの素性を知っているのも当然で、スクナヒコナに関わる「ガガ」は「ハハ(蛇)」を表すのかも?

アラハバキのキについて、万葉仮名を見ました。

甲類
 き
荒波々伎  武蔵
阿羅波婆岐 武蔵 出羽 伊勢 三河
阿羅波婆枳 相模
 ぎ
荒羽祇   出羽

乙類
 き
荒羽々気 三河
新波々木 上総

となっています。
だからどうだとは言えませんが、本場は甲類ですね。

[11248] Re[11247][11246][11244][11242]: 保月神  琉球松 2012/10/18(Thu) 11:08 [Reply]
 神奈備さん

 残念ながら、ハブの抜け殻などで身を守る話は聞いたことがありません。
 ただ、旧暦の3月3日に女性達が、蛇の子を堕胎するために、あるいは蛇に犯されないようにと、清浄な海水で身を清める「浜下り」の行事が琉球圏全域で行われていて、これは「雛祭り」の原型とも考えられます。

 それと「アラハバキ」の「キ」は、単純に「木」を意味するとも思えます。。。「出雲の蛇木」?
 案山子が、蒲葵など神の寄り代だと考えれば、スクナヒコナの素性を知っているのも当然で、スクナヒコナに関わる「ガガ」は「ハハ(蛇)」を表すのかも?

[11247] Re[11246][11244][11242]: 保月神  神奈備 2012/10/16(Tue) 10:47 [Reply]
 沖縄では蒲葵の葉で脛巾(はばき)を作ったようですね。蒲葵はおっしゃる通り一本足に例えられる木で、案山子と同じく「蛇」と見なされるようです。

 テレビで見たのですが、リスが蛇の抜け殻をかみ砕いて体に付けていました。蛇に仲間と思わせて攻撃されないようにするためだそうです。
 人間も足などに抜け殻の粉を吹き付けておけば、噛まれる率は下がるのではないでしょうか。このようなことをやっていると言う話は耳にされたことはございませんか?

[11246] Re[11244][11242]: 保月神  琉球松 2012/10/15(Mon) 11:29 [Reply]
 「大月姫命・保月神」などの「月」には意味はないんじゃないでしょうか。
 これは「ツ」が接続詞と考えられるからなんですが、どうでしょう。。。「オオ/の/ケ/姫命」「ホ/の/ケ/神」。
 「ケ」が食物や食事を意味することは、沖縄方言でも確認できますが、問題は「オオ・ホ・オヲ」ですよね。たんに接頭辞なら話は早いんですけどね。
 外間守善先生は、これらの音は「アラ(アハ)・アヲ」などと繋がる海人系の語ではないかと書いています。

 所で。。。(笑)。
 "注連縄を「アラハバキさん」と呼ぶ" との話題に、ちょっと感動しています。
 「龍蛇信仰」は「龍神」に「蛇」を挿入して説明強化を計ったとの説とも関係しそうで、注連縄の起源かもしれませんね。
 注連縄は、少なくとも2本(高御産巣日&神産巣日)を寄り合わせた神祭具で、統一を成し遂げた神武を表現しているのではと考えています。左巻きや右巻きは、双方の都合で違っているにすぎないのでしょう?
 アラハバキの語義語源は、とても断定できるものでもないのですが、「アラハ(アラカ)/脛」と解釈するのも可能ですから、つまりは「荒ぶる一本足の神」なんてどうでしう。
 谷川健一さんの著書を眺めると、やはり金属と関わる物部の匂いがしますし、「脛」はもともと一本の足全体を意味していたかもで、奄美や先島方言の「ハギ」で示唆されます「沖縄方言ではヒサ(膝?)」。

[11245] Re[11243]: 出雲最古の「揖屋神社」に奉納される「注連縄」は「アラハバキさん」とよばれているらしいですよ  神奈備 2012/10/15(Mon) 09:18 [Reply]
 注連縄をを「アラハバキさん」と呼ぶのは面白いですね。ありがとうございます。

 「注連縄」は、蛇の交接状態を示していると言われます。「ハバキ」は蛇のことでいいのですが、「アラ」は何でしょうか、神に呼びかける言葉なのか、荒縄の荒のような意味なのか、よくわかりません。
 注連縄は、二本の縄の組み合わせと三本の縄の組み合わせがあるようです。おっしゃるように、三本の場合には陰陽に加えて「合」の観念が入っているのかも知れませんね。

[11244] Re[11242]: 保月神  神奈備 2012/10/15(Mon) 09:17 [Reply]
 富山県東砺波郡城端町に鎮座している級長戸辺神社(通称 不吹堂(ふかんどう))の配祀されている祭神は大月姫命です。『平成祭CD』(神社本庁)は、この神は大宜津比賣命のこととしています。
 なお、上記CDには、保月神の名はありませんが、保氣食命と言う表記の神はも受持神の別の表記となっています。宮崎県東諸県郡綾町の川中神社の祭神の一柱です。


 所で、龍蛇信仰と言う言葉ですが、龍神信仰と蛇信仰をあわせた信仰なのか、「龍蛇」と言う「蛇」があって、例えば、出雲大社に関連のセグロウミヘビを指すとか、これを信仰することなのか、どうもよくわかりません。龍神は大陸北東部から発生したと思われる信仰であり、蛇神は長江周辺の信仰ではないかと思っています。

[11243] 出雲最古の「揖屋神社」に奉納される「注連縄」は「アラハバキさん」とよばれているらしいですよ  荒客人 2012/10/15(Mon) 04:59 [Reply]
先ほどの坐摩神社行宮所よアラハバキ神のことについて触れていただき感謝しております。

さてこちらの出雲最古の神社「揖夜神社」のことですが(http://kamnavi.jp/it/izumo/ifuya.htm
[google]で「揖夜神社 アラハバキ」で調べてみると意外な事が浮上しています。
なんと、こちらで奉納される「注連縄」は地元では「アラハバキさん」と呼称されているみたいで出雲大社なども含め「注連縄」は「陰・陽」のそれぞれの龍神が左右から結びつき合い「三魂」の要素を生み出して「三位一体のご利益(千葉月辰流に言えば「目の前の事象(陰)・これから起こる事象(陽)・それらの事象を何がひきおこしているのか(中庸・律)」)を生じさせているのではないか・・・と考えた次第ですがあさはかな考えでしょうか。

[11242] 保月神  hoshikuzu|star_dust 2012/10/14(Sun) 15:04 [Reply]
今、投稿しつつ気がついたのですが。
『古代日本の月信仰と再生思想』の著者である三浦茂久氏によれば、月を意味する古語に「ウカ」の存在を再構できるとのことです。 豊富な例証が上記著作にあげられていますので、納得しやすいです。本当に面白い研究です。
保月神をウケモチと読めるかというと…月にウケを音を、保にモチの音を当てればよい訳ですが…三浦氏ならばオッケー!とおっしゃることでしょう。

なお、三浦氏は月と龍蛇信仰の間になんら関係性を認めていらっしゃらないお立場にたたれておいでです。
※私の中では、生命の再生という脈絡において、蛇の脱皮・不死性と、月の満ち欠けの不死性とが、古代においては等しくあがめられていたのではと思われてなりません。 月の水が若返りの薬効があったりする言い伝えなどが、龍蛇信仰となんらかのかかわりがあったほうが面白そうという、なんら証拠のない無責任な感想なのですが、お許しください。

[11241] ウガ  hoshikuzu|star_dust 2012/10/14(Sun) 14:57 [Reply]
ただ、ウカとウケとが直ちに同一であるとは…思いづらいところではあります。

[11240] ウガ  hoshikuzu|star_dust 2012/10/14(Sun) 14:55 [Reply]
オオゲツヒメとトヨウケビメとの名前を比べてみて…なのですけれども。
まず、オオゲツヒメは旧仮名遣ではオホゲツヒメであることを思い出しておきます。
「オホ+ウケ+ツ+ヒメ」の義であろうと推察できます。
ここで、ホ+ウの部分で、ウの音が消失していることに留意しなくてはいけません。こうし例が他にもあれば良いのですが…
「八日」は昔の音を表す旧仮名遣では「ヤ+ウカ」です。すなわち、「日」は「ウカ」であり、「八」が「ヤ」になります。「日」の「ウカ」に含まれる「ウ」はひどく消えやすい音であったと思われます。
フツカ=フタ+ウカ
ミッカ=ミツ+ウカ
ヨッカ=ヨツ+ウカ
イツカ=イツ+ウカ
ムイカ→ムウカ=ム+ウカ
ナノカ→ナヌカ=ナナ+ウカ
ヤウカ=ヤ+ウカ
ココノカ→ココヌカ=ココノ+ウカ
※上は、『古代日本の月信仰と再生思想』の著者である三浦茂久氏の論考によります。
合成語において二番目の語の先頭の母音「ウ」が消えやすい音であったとすると、「オホ+ウケ+ツ+ヒメ」が本来の構成であったと推察可能となります。これならば、トヨウケビメや、保月神(うけもちのかみ)とも名前の上で綺麗な対応がつけられますね。
合成語において二番目の語の先頭の母音が消失する有名な例では、高天原がありますね。タカ+アマ→タカマ…

[11239] Re[11238][11234]: ウガ  神奈備 2012/10/12(Fri) 22:31 [Reply]
> 保月神は豊穣神であること

オオゲツヒメ のことでしょうか?

[11238] Re[11234]: ウガ  hoshikuzu|star_dust 2012/10/12(Fri) 17:30 [Reply]
なるほど、気がつきませんでした。

===引用開始( http://wiki.livedoor.jp/niwaka368/d/%a1%fb%bf%a9%a4%c8%bc%f2%a4%ce%bf%c0 )
保月神は豊穣神であること、同時に渡来系丹生(にう)の奉じる蛇神系の水神であった。ウカノミタマ大神は中世になると仏教に習合して、宇賀神という福神となった。宇賀弁才天とも呼ばれ、老人の顔をした人頭蛇体で、白蛇であった。稲荷神社系では、弁才天から、さらに、ダキニ天、大聖天、愛染明王にも変貌している。豊饒神は、さまざまに変容をしているが、食(稲)と蛇が同一の根っこのように結合している。古代では、神は蛇体形でこの世に顕れると信じられていたのだろう。豊受を”トヨウケ”を”トヨウカ”とも呼ぶ。「ウカ」は、海蛇の意味である。ウカノミタマは、「ウカ」がキーワードで、紀州の田辺では、海蛇をウカという。(渋沢啓三・日本魚名集覧)、南方熊楠(みなかたくまぐす)は、紀州方言では海蛇を「ウガ」と言うと書いている。ワカヒルメは、海蛇(ウカ)ノミタマであり、稲のウケモチノカミでもあった。スサノヲの渡海は、日本に稲作をもたらし、豊かな食生活をもたらしたのではないだろうか。
 「保食神」(うけもちのかみ)がいた葦原中国とは、丹生川のある吉野しか考えられないが、丹生都比売の線からも探ってみよう。
===引用終了

[11237] Re[11234]: ウガ  hoshikuzu|star_dust 2012/10/12(Fri) 17:19 [Reply]
> 紀州弁で海蛇のこと。

うー。勉強になります。

[11236] Re[11235]: 「坐摩神社行宮所」は立派な「アラハバキ神社」ですよ  神奈備 2012/10/12(Fri) 15:03 [Reply]
 アラハバキは、首領、行く、蝦夷などと関連があるのではないかとは、大三元さんが指摘されています。http://www.dai3gen.net/arahabaki.htm

 現在アラハバキを祭っていることがはっきりしている神社の鎮座地は主に三河・伊豆以東・以北になります。

 西日本に渡来人がやって来て、蝦夷が山へ、東へ、北へと逃れていったのでしょう。その蝦夷が祭っていた痕跡が西日本に残っていて、一部が客神社などとなったものと考えると、何となくロマンがあります。
 四天王寺は元々物部守屋の邸宅だったとの話もなります。邸内にアラハバキの神を祭っていたのでしょう。東に行っている外物部の神だったと考えられます。

 坐摩神社は、「往古は生駒山中にあった。」との伝承もあり、また住吉三神を最初に祭っていたのがこの神社だと、『住吉大社神代記』に記載がある不思議な神社です。蝦夷が生駒山中でいたのかも知れません。

 『捜聖記』の牛王尊の内部の記述は現在の姿とは相当違うようです。物語でしょうね。語りは騙りですから。

[11235] 「坐摩神社行宮所」は立派な「アラハバキ神社」ですよ  荒客人 2012/10/11(Thu) 19:44 [Reply]
最近になってNHKの時代劇で来年BSプレミアで公開予定の「北の耀星 アテルイ伝」の製作が決まった関係でアテルイ、モレが信仰したという「アラハバキ神」。
http://kamnavi.jp/jm/arahaba.htm
私はこの神が「陰と陽の中間にもたらされた神、太一元神、あるいは弥勒の化身」と自信をもって言い切れるとおもいます。

その理由、大阪四天王寺の「アラバキ」はまさに「アラハバキ」のその名であり宗紋は「太一」を意味しているし「石神堂・牛王尊」は角川書店刊「捜聖記」においては「ミロク神事」に近い深夜での秘事があるそうでこれはもう間違い有りません。

これはさいきんになって気づいたのですが大阪市中央区本町の「坐摩神社」(http://kamnavi.jp/ym/osaka/ikasuri.htm)この行宮所である神社には「櫛磐門命、豐磐門命」はアラハバキ神を祀る三尊形式という事でここにはひそかに「アラハバキ神」を祀っている可能性はあるでしょうか。

そして「アスハ」「ハヒキ」これは「天」と「地」を意味していて坐摩三神が「過去・現在・未来」を指しているのならばこの二神を天地でそれを支えている存在とはいえないでしょうか。

[11234] ウガ  神奈備 2012/10/10(Wed) 14:25 [Reply]
紀州弁で海蛇のこと。

[11233] Re[11230]: 羌族  神奈備 2012/10/09(Tue) 09:28 [Reply]
> 古代史なら羌人(チベット族)を語るのは許容されるでしょう。

とみたさんの慎重な態度に敬意を表します。

私は、現在のチベット問題は政治問題以前に基本的人権の問題と思っています。


> 清水風部落

 出雲のズーズー弁をテーマにした松本清張の小説「砂の器」の舞台となった湯野神社は仁多町の亀嵩にあります。記念碑が建っており、当初は文中に亀嵩部落と言う言葉があったそうですが、清張さんにお願いして亀嵩集落と直してもらったそうです。

[11232] Re[11231][11224][11223]: 神社の説明文が間違っています  神奈備 2012/10/09(Tue) 09:27 [Reply]
> 角宮神社の説明文ですが、まだ「お姿」の説明文に以下の文章が残っています。

たつや様、度々ありがとうございます。
もう一度参詣してみます。

[11231] Re[11224][11223]: 神社の説明文が間違っています  たつや 2012/10/08(Mon) 21:49 [Reply]
神奈備さま

角宮神社の説明文ですが、まだ「お姿」の説明文に以下の文章が残っています。

>  まさに道の突き当たりにあり、角宮の名に相応しい。
> 瀟洒な社殿は 東に桂離宮。豆田道の東側、阪急京都線の南側に鎮座。
> 大きくはないが奇麗さを感じる神社。境内に樹齢四百年のムクロジ(無患子)
> の古木がある。果実は球形をなし、堅くて黒い種子が一個はいっており、
> 羽根つきの羽根の玉に使われる。

これは京都市西京区の下桂御霊神社の説明文です。
角宮神社の所在地は道の突きあたりではありませんし、
桂離宮とも豆田道とも阪急京都線とも非常に距離が離れています。
角宮神社にはムクロジの古木はありません。あるのは下桂御霊神社です。

[11230] 羌族  とみた 2012/10/08(Mon) 14:38 [Reply]
神奈備さん 掲示板では政治的発言を慎みます。もちろんいろいろな思いは腹蔵しています。古代史なら羌人(チベット族)を語るのは許容されるでしょう。

668年唐と新羅は高句麗を負かせますと唐に隷属していた新羅は唐と数年間独立戦争を起こします。途中で唐は、引き下がります。吐蕃(チベット族)が唐に攻め込んできたからです。

弥生時代、奈良県の唐子鍵遺跡のネットワーク部落がありました。例えば清水風部落です。ここで出土した絵画土器には、鳥の羽をつけた巫が青銅の武器(戈)をつけて踊っている様子が描かれています。
部落の祭りには戦争ごっこをやりました。この踊りは、中国四川省汶川地方の羌族の巫舞に似ています。四川省には今もチベット族のチャン族がいます。

殷から周に変わるとき太公望が活躍しました。周文王が陝西の渭河で魚を釣っている人{太公望)を見出し、周王権の重鎮にしました。太公望は山東省の斉の国王になりました。太公望は羌人です。


[11228] 中国古代の五帝  とみた 2012/10/07(Sun) 16:26 [Reply]
お久しぶりです。加齢とともに身体の部品が壊れ易くなっており、手術入院を経験しました。
ただ今、弥生時代を掘り下げていて日本だけでなく古代中国が気になり史記の五帝を調べていました。 伝説の時代でしょうが、示唆が含まれていると思いましたのでご紹介します。黄帝、少昊、顓頊、尭、舜の時代です。西安博物館で、華夏、東夷、三苗族の分布図を見ました。
東夷は太陽族ですね。太陽神を崇拝する民族、太昊も少昊も昊(コウ)は天と日を組み合わせています。

黄帝は5000年前つまり紀元前3000年前の中原部落連盟の首領にして、母系氏族社会から父系氏族社会に代わる時代の英雄で農業文化を振興しました。

生まれも曲阜に近い。河南省です。少典国の君子である有熊氏から出ている。
この辺りは前3000年時代は大汶口文明です。
博物館へも行きましたが、この時代に女系から男系に代わっています。多分稲作が盛んになって経済力が増したのでしょう、この後が山東龍山文明です。

黄帝の後継者である少昊、大昊は河南の、河南省や山東省に縁があります。

山東省は大行山脈の東の意味です。共工は大行山脈の東麓に勢力を成していたので、高陽氏顓頊がこれを討つと寧夏に逃れる。

共工は羌人(チベット人)の崇拝する神です。
チベット勢力は当時は中原に居たかもしれませんね。

南方の三苗は黄帝の前時代にいた炎帝の末裔で、帝舜の黄帝族に敗れます。
苗族は楚を建国します。楚が祭るのは祝融です。

ヤオ族は古代羌と古代苗族の融合した民族としています。意味深長です。現在でも古羌族はペイ族とかアカ族とかとして雲南や貴州や広西に残っています。盤古神話の原郷のようです。

一つ面白いことがあります。少コウは臝姓です。山東省の曲阜で生まれ、トーテムは鳥です。

この姓は、春秋時代の秦などの九ケ国の先祖です。
少コウは金天氏であり、周の時代に山西省汾河流域の移されました。姓氏系譜に詳しい宝賀寿男先生が秦氏と鳥トーテムとの結びつきをよく論じておられます。

河姆渡遺跡は浙江省にありますが、二羽の鳥が太陽を運ぶ図を象牙に彫っています。7000年前の遺跡です。


 

[11227] Re[11226]: 私も「久保神社」で右足に「なにか変なものが撒きついた」感覚をおぼえています  神奈備 2012/10/06(Sat) 13:19 [Reply]
> それにしても不思議な事があるものです。

 私はこういうことに鈍感な人間ですが、ごく希に何かを感じることがあります。知り合いの何人かの方々(殆ど中年女性)は敏感に感じておられるようです。さぞかしやっかいなことだろうと同情しています。

 さて、神社が存在しているということは、そこに神霊が坐すということですから、不思議なことが起こっても、当たり前のことと思います。

 敏感な方の中には、神霊が坐しているか、偽の神霊なのか、または空っぽなのかがわかる方がおられます。こちらが贔屓にしている神社のことを伺いますと、あそこは、「何にもなかったよ。」と指摘されてがっかりすることがありますが、時や人によって変幻自在ということでしょうかね。

[11226] 私も「久保神社」で右足に「なにか変なものが撒きついた」感覚をおぼえています  徳沙華竜王 2012/10/05(Fri) 22:04 [Reply]
こちらで(http://kamnavi.jp/en/settu/kubo.htm)
「この神社には気持ちの悪い思いをして、何か足にへんまものがまきついた気分になり、近くの五條宮でお参りしてその感じは払拭できたことがあった」

と語られていますが実は私もこの神社に参詣したのちに右足に異常な高熱を感じなにかが撒きついた異常な感覚を覚えた事がありました。

しかもこの「へんまもの」が時々、高熱を発し「なにかおこっているのかな」と我が右足を抱きかかえるようになってしまいました。

この後も異常発赤は続いていましたが某厄除け神社にてお祓いをしていただいた後は「へんまもん」は退散したかのようでこれ以降、異常な発熱はおこりませんでした。それにしても不思議な事があるものです。

[11225] 歴史の中の大地動乱  神奈備 2012/10/02(Tue) 19:55 [Reply]
岩波新書『歴史の中の大地動乱』保立道久著
播磨の山崎断層から京の花折断層への地震の伝わりと広峰神社から祇園への牛頭天王の移動に関連があると見ています。面白い視点です。

[11224] Re[11223]: 神社の説明文が間違っています  神奈備 2012/10/01(Mon) 09:12 [Reply]
> はじめまして。京都市に住んでいる者です。
> 神奈備は長年読んで楽しませてもらっています。
>
> 京都府長岡京市の角宮神社の「お姿」の文面が、
> 京都市西京区の下桂御霊神社のものと同一文になっています。
> 角宮神社は桂離宮からも阪急京都線からもだいぶ距離が離れています。
>

ご指摘ありがとうございます。早速修正いたしました。お気づきの店がございましたら、これからもよろしくお願いいたします。


> ご報告まで。

[11223] 神社の説明文が間違っています  たつや 2012/10/01(Mon) 00:30 [Reply]
はじめまして。京都市に住んでいる者です。
神奈備は長年読んで楽しませてもらっています。

京都府長岡京市の角宮神社の「お姿」の文面が、
京都市西京区の下桂御霊神社のものと同一文になっています。
角宮神社は桂離宮からも阪急京都線からもだいぶ距離が離れています。

ご報告まで。


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