熱田神宮 名古屋市熱田区神宮1−1−1 its-mo

正面表参道の一の鳥居



交通
JR熱田駅 名鉄神宮前駅


祭神

御神体 草薙剣

主神 熱田大神(神剣)
相殿 天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命

別宮 八剣宮 「本宮と同じ神々を祀る」式内社

摂社 日割御子神社「天忍穂耳命」式内大社
摂社 孫若御子神社「天火明命」式内大社
摂社 高座結御子神社「高倉下命」式内大社 神宮の北15分
摂社 上知我麻神社「乎止与命」式内社
摂社 下知我麻神社「真敷戸婢」式内社
摂社 御田神社「大年神」式内社
摂社 青衾神社「天道日女命」式内社
摂社 氷上姉子神社「宮簀媛命」式内社
末社 南新宮社「素盞嗚尊」
末社 曽志茂利社「居茂利大神」
 摂社の中にも式内大社が幾つか鎮座、希にみる大社である。摂社末社はほかに多数ある。

注釈

 付近の市街化が進む前は海に近い伊勢湾につきだしている樹林であった。蓬莱伝説も古くからある。 徐福伝説よりも玄宗皇帝と楊貴妃のほうが語られるとのことである。*1

 主祭神を熱田大神を草薙剣とし、またこれに依りつく天照大神の魂と説明されている。
一方、わざわざ正体を隠す名にしているのは大和朝廷に遠慮したからであって、アラハバキ神等後に異端視された神ではなかったかとの見解も示されているが証拠はない。*2

 古代の尾張氏の拠点であり、相当な勢力の豪族であったが、その出自については、大和葛城の高尾張邑であるとする説もあり、地元からの自生説もあり、丹後の海部氏とはどちらが本家か、関係なqいのか判然としない。 尾張氏、海部氏共通の祖神が火明命であり、饒速日命と同一視する論がある。海部氏の祖神でもある火明命は孫若御子神社、大和葛城にゆかりのある高倉下命は高座結御子神社に祀られている。

 この豊かな地域を狗奴国に比定する見解も出つつあり、日本古代史上、今後一層重要性を増してくる地域である。

 京都市左京区の
粟田神社の伝えに「往古、人皇五代孝昭天皇の皇子天足彦国押人命を祖とする粟田一族が京都で、鉱物を穿ち、粟瓜を主食として生活をし、神を祀っていた。中古、熱田神宮が奉祀されるや熱田の社人として一族もろともに移り、土地の名を残すのみとなった。粟田の臣の産土と云われている由縁である。」とあり、西からの移住者が祀った名残の伝承かも知れない。

社殿

社殿



たたずまい
 社殿は大きく、今は神明造りであるが、かっては独特な流造に属する尾張造りであった。
 社叢が広く、豊かである。照葉樹林は良く整備されている。6万坪の社地が広がり、神苑の樹木はクス・ケヤキ・カシ・シイ・ムク・イチョウ・クロガネモチ等比較的広葉樹が良く育ち、ことにクスは巨木が多く、樹齢千年前後と推定されるものが数本ある。有名な木には、弘法大師お手植と伝える「大楠」、花が咲いても実のならない「ならずの梅」、茶人の愛好する「太郎庵椿」などがあるとの事である。



南新宮(手前の赤)と曽志茂利社(正面小社)

別宮八剣宮



お祭り
例祭(あつた祭り) 6月5日





孫若御子ひこわかみこ神社 名古屋市熱田区

祭神 天火明命




高座結御子たかくらむすびみこ神社 名古屋市熱田区

祭神 高倉下命




高座結御子神社例祭 6月1日

『平成祭礼データ』由緒

熱田神宮について

[鎮座地]名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号、[電話]052(671)4151
 名古屋市のほぼ中央に広がる緑の神苑「熱田の森」に鎮まります熱田神宮。古くから「熱田さん」・「宮」と呼ばれて親しまれ、年間1千万人に近い参拝の人々で賑わい、地元はもとより全国津々浦々から「日本の心のふるさと」として限りない崇敬と信仰を集めております。

 一、由来  祭神 熱田大神(あつたのおおかみ)・相殿神(あいどののかみ) 天照大神(あまてらすおおかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)
 祭神の熱田の大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)として、よせられる天照大神のことであります。天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神として至高至貴の神と仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられた神であります。また、相殿神は「五神(ごじん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として、仰がれた神々でもあります。御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父景行天皇から絶対の御信任を受けた尊は、御東征の帰途、尾張国造の御女宮簀媛命をお妃にお迎えになり、やがて草薙神剣をこの国に留めて崩じられました。その後、宮簀媛命は日本武尊の御遺志を重んじられ、神剣を今の熱田の地に祀られました。今からおよそ1,880年前になります。

 二、祭典
 年間約60度の恒例の祭典と、約10度の特殊神事が昔ながらの尊い手ぶりのまま、今に伝えられています。数多い祭典の大半が産業、民生と深い関係のあることは、熱田神宮の歴史的な特性をよくあらわしております。中でも一番大きなお祭りは、あつた祭りの名で呼ばれる6月5日の例祭です。この祭りには天皇陛下のお使いとして勅使の御奉仕があります。また、初詣、1月5日の初えびす、5月8日からの豊年祭(花の撓)、七五三まいりなどは、殊に多くの参拝者で賑います。

 三、境内・社殿・建造物
 境内は、古くから雲見山・蓬莱島の名で知られ、大都会の中心にありながら静かで、市民の心のオアシスとして親しまれています。面積約190,000平方米(約57,600坪)、境外地をあわせると約539,000平方米(約163,400坪)にのぼります。神苑の樹木はクス・ケヤキ・カシ・シイ・ムク・イチョウ・クロガネモチ等比較的広葉樹が良く育ち、ことにクスは巨木が多く、樹齢千年前後と推定されるものが数本あります。有名な木には、弘法大師お手植と伝える「大楠」、花が咲いても実のならない「ならずの梅」、茶人の愛好する「太郎庵椿」などがあります。境内外には、本宮の外、1別宮、12摂社、31末社が祀られています。本宮社殿の構造は、古くから尾張造という特殊な様式でありましたが、明治26年から神明造に改められ、現在の社殿は昭和30年の御遷座であります。著名な建造物は、西楽所・清雪門・信長塀・佐久間燈篭・二十五丁橋等があり、先の大戦後逐次造営されたものに、神符守札授与所・神楽殿・勅使館・能楽殿・土用殿・文化殿・宝物館・斎館・会館(結婚式場)・宮庁・龍影閣・千秋閣・参拝者休憩所・茶席等があります。

 四、宝物
 当神宮には、その尊い由緒からも、長い歴史の上からも多数の貴重な宝物があり、総数は4千余点にのぼります。そのうち百点近くが国宝及び重要文化財に指定されています。その所蔵品は、縄文時代から現代におよび、朝廷、代々の幕府、戦国の武将、尾張藩公からの寄進から一般庶民のまごころこもる献納品までで内容は、書跡、絵画、彫刻、工芸、和鏡、刀剣等多岐に亘ります。このうち特に有名なものは、熱田本日本書紀、法華経涌出品、舞楽面、菊蒔絵手筥、古神宝、来国俊の短刀をはじめとした刀剣類等であります。これらの宝物は宝物館で順次展観されています。

 五、造営
 当神宮は先の大戦で手痛い戦災をうけ、荘麗をつくした諸施設も、すべて焼失いたしました。この戦災の復興は、幸いにも崇敬者の熱意によって、昭和30年御遷座が行われ、その後も諸施設の造営、境内整備に力を注ぎ、現在では昔日の姿をしのぐ神器奉斎の社にふさわしい偉容が整えられてきました。なお復興計画は、単に戦災によって失われた社殿や、建造物の復興というだけでなく、新時代の神社の施設としてふさわしい総合的な文化施設をも完備し、名実共に崇敬者の心のよりどころにしようとすすめられてきたものであります。

 六、諸事業
 時代に即応して神徳を宣揚し、報恩の誠を捧げる崇敬者のために、奉賛会・熱田講社・豊年講・神御衣奉献会・恵比須講・稲荷講・敬神婦人会・桐竹会・朱鳥会・献茶会・よもぎ花道会・刀剣保存会・献菊会・ボーイスカウト・ガールスカウト・青年会・児童合唱団・蓬栄会・緑陰教室・日本を考える会・学院等の各種団体を結成し、積極的な事業が行われているほか、各種講座、講演会等を開催しています。

 七、付記・奉賽(おまいり)のてびき
 特別参拝は御垣内で、神楽・祈祷(家内安全・会社繁栄・商売繁昌・厄除・初宮詣・自動車祓・諸願成就・各種祈願等)は神楽殿で、結婚式は儀式殿で、それぞれ執り行います。また、地鎮祭・上棟祭・竣工祭・清祓・安全祈願・進水式・神符奉賽・火入式・起工式・月次祭等の祭典はお申し出によって出張して奉仕いたします。なお、結婚式のすべて(披露宴・貸衣裳・着付・記念写真・旅行等)は神宮会館にてうけたまわっております。
 授与所においては、家内安全・業務繁栄のお札、身体安全・学業・交通安全・安産・厄除等のお守と、神舎・初宮絵馬・各種土鈴・絵葉書・由緒記等を授与しております。なお、特殊な神札、授与品としては、初詣の干支絵馬付破魔矢・えと守・七五三詣の笹飴(千歳飴)、上知我麻神社の、はたらきえびす・あきないえびす神札と招福熊手・福箕等があります。
 以上


*1 日本の神々10「津田豊彦」(白水社)
*2 記紀解体「近江雅和」彩流社

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