香取神宮 
千葉県香取市香取1697

鳥居


交通

JR成田線佐原駅からバス its-mo

祭神

經津主大神、武甕槌命、比賣神、天兒屋根命
摂社 匝瑳神社「磐筒男命、磐筒女命」、奥宮「經津主大神荒御魂」、櫻大刀自神社「木花開耶姫命」他多数

楼門


由緒

 鎮座地の下総国香取郡は物部匝瑳連の匝瑳郡と物部信太連の信太郡にはさまれている。匝瑳郡には式内社の老尾神社が鎮座、物部匝瑳連の祖、物部信太連とされる物部小事を祭神としている。小事は板東を征したとされる人物。このように香取神宮は物部の齋き祀る神社であった。

 祭神の經津主大神とは布都御魂のことであり、大和の石上神宮の布都御魂と同じく、国平けの神剣に依り憑く神霊を云うと見ていい。神霊をして饒速日尊としてもいい。

拝殿

 下総の物部氏は東国征圧の先兵であった。平安時代には当地から陸奥国の胆沢地方に進出している。物部氏の一族である鳥取氏は陸中の胆沢郡に止止井神社を持っている。これは平安時代のことであるが、大和を追われた物部氏の一部が当地から常陸を経由、胆沢にまで至って、奥州安倍氏と結合したことも考えられる。こう云う事が積み重なって、長随彦や安日彦の物語が語られるようになっていったのであろう。

本殿


背後からの本殿と拝殿

お姿
 巨木の多い神域であるが、境内の雰囲気に瑞々しさを感じない。そう云う意味での霊気を感じることができなかった。

要石

奥宮
 

お祭り
 4月 14日 1日間 例祭  9月 社日 秋季例大祭

香取神宮御由緒
<鎮座地>千葉県佐原市香取

<御祭神>経津主大神(フツヌシノオオカミ)(又の御名伊波比主命)<イハヒヌシ ノミコト>

<御事歴>大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲国の大国主命 と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、更に国内を御幸して荒振る神 々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、又東国開拓の大業を完遂せられて、 平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた。

<御神徳>古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に「神宮」の御称号を 以て奉祀され、名神大社として下総国の一の宮である。明治以後の社格制では官幣大 社に列せられ、その後勅祭社に治定せられて今日に至っている。奈良の春日大社、東 北の鹽竃神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、 昔からの伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る。又、 一般からは産業(農業・商工業)指導の神、海上守護の神或は心願成就、縁結、安産 の神として深く信仰されている。尚その武徳は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神 、交通安全の神、災難除けの神として有名である。

<御社殿>宮柱の創建は神武天皇御宇十八年なる由香取古文書に記されている。去る 昭和三十三年四月、御鎮座二千六百年祭が盛儀を以て斎行せられた。古くは伊勢神宮 と同様式年御造営の制度により、御本殿を二十年毎に造替されたのであるが現在の御 社殿(本殿・楼門・祈祷殿)は元録十三年(西紀一七〇〇年)、徳川綱吉の造営に依 るものである。昭和十五年、国費により拝殿の改築と共に御本殿以下各社殿を御修営 し、その後昭和五十二年から三年の歳月を懸けて、御屋根茸替・漆塗替が行われた。 構造は本殿(重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所謂権現造である。

<境内>香取の神域は大槻郷亀甲山と呼ばれ県の天然記念物に指定され、その面積は 一二三、〇〇〇平方米(約三万七千余坪)で他に境外社有地がある。神域内は老杉鬱 蒼として森巌の気自ら襟を正さしめる。

参考書 日本の神々 白水社

公式香取神宮


物部氏ホームページ

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