荒見神社
城陽市富野荒見田165 its-mo

鳥居と杜


交通    JR奈良線長池駅、西へ10分

祭神    天火明尊、天香語山尊、天村雲尊、阿比良依姫(あひらよりひめ)尊、木花開耶姫尊
天香語山尊は高倉下、また天火明尊は天火明櫛玉饒速日命の別名を持つ。

三間社流造の本殿



注釈 延喜式内社久世郡「荒見神社」はこの社と久世郡久御山町の同社の二つの説がある。大化三年(647年)五社谷に創建され、阿良美五社明神と称した。
 室町時代に当地に遷座したと伝えられている。
『山城国風土記』には荒海の社
祇社、み名は大歳の神とあり、穀神であった。

磐座を祭る




お姿
本殿は国の重要文化財で、約400年前の桃山時代の三間社流造である。南の鳥居の後に薬医門があり、神仏習合の歴史を語っている。相当大きい鎮守の森である。アラカシ、クス、シイの大きい木が社の周辺を取り巻いている。

お祭り
10月1日−5日 おいで祭 秋例祭。



『平成祭礼データ』
荒見神社 由緒

 延喜式内社、国史所載、国内神明帳所載、以下古典による。
 宏遠人皇第三十六代孝徳天皇の御宇大化三年九月小篠峯に此所の管領三富野部連金建畏みて御殿ご創建天神五柱を鎮祭す阿良美五社大明神と申奉る以降神境山麓一帯を五社ヶ谷と呼称す旧社地にして古代より奈良街道に面する聖地たり第一〇七代後花園天皇の寛正二年三月吉祥日に八一四年間奉斎神地の五社ヶ谷より現在の神域に吉田神道管領長上ト部朝臣兼知公御神殿を復元造営し遷宮申奉り安羅見五社天神宮と申奉る摂社御霊社同時に遷祀す。往時奉拝者の生業盛んにして暫時山間部より平野部に遷居、平安と招福を願い同時に農工商業の繁栄と木津川の永代安泰を祈念せるによる。
 第一〇八代後土御門天皇長享元年御本殿および摂社再建造営成就、第一一二代後陽成天皇の慶長九年九月三日御社殿および摂社修復造営成就、現在の社殿なり、明治六年社格制と同時に幣帛共進社に指定さる。御本殿の壱宇建築様式は三間社流造、摂社壱宇は一間社流造、両殿ともに総檜皮葺御本殿壱宇は明治三十九年国宝に指定さる。
以上


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