物部神社
三重県津市新家町563 its-mo


鳥居と社叢




交通

近鉄名古屋線桃園駅南1km



祭神

宇麻志摩遲命
配祀 建速須佐之男命
合祀 五男三女神 天忍穗耳命 天菩卑能命 天津彦根命 活津日子根命 熊野久須毘命 多紀理毘賣命 市杵嶋比賣命 多岐都比賣命
配祀 彌都波能賣命
合祀 菅原神
配祀 大己貴命 應神天皇 仁徳天皇
合祀 火之加具土神


由緒

 伊勢国壹志郡の式内社。物部連公、新家連公がかって在邑して、その祖先の宇麻志摩遲命を建速須佐之男命の相殿に祭祀したために物部神社と称したと言う。
 新家はふつう分家を呼ぶ際に使われるのであり、特に物部とは限らないが、当地の地名も新家でこれはニノミと訓まれるようだ。 (ゼンリン電子地図96)。
 新家は摂津の新屋と同じ意味で、摂津には新屋坐天照御魂神社が鎮座、天照国照天彦火明大神を祭神としている。 尾張氏と物部氏が近づいた際、天火明命と物部氏の遠祖饒速日尊が同神となっていったようで、古代の雄族が新家の名を独占的に使ったのかもしれない。 継体朝の頃であろうか。

 神社は古来より此の地を動いていないとされる。雲出川の洪水で古文書などは残っていないようだが、縁起を記した巻物が出ているようだ。それによると、 山辺行宮、祭神牛頭天王一座素盞嗚尊之荒御魂也。山辺行宮。止由気大神遷幸、山田原へ渡過の時、一宿の旅館、是れその地也。
 又今崇祭する伊勢国一志郡新家山辺の行宮は、旧記にいう雄略天皇の時代(485年)行の宮に奇妙な光あり。邑の長、行く手を見れば光の中に暴形現れ、「吾は是れ、素盞嗚の荒魂なり。皇太神の旅道守護のために出て副い来ぬ。 此の地に留まって慈恵を分布かん。吾、根の国より帰らんとする時、少しの間滞在した地也。 」といわれたとあり、当地にその宝殿を経営したと記れているとのこと。(『三重県神社誌』から)

拝殿風景





お姿

  山辺の宮と呼ばれたのだが、河川と平地しか付近には見あたらない。神話形成の時代には海でのなかったのは東1kmの木造に弥生時代の遺跡が発掘されていることで分かる。 山とは森の事で、往古このあたりは深い森であったのだろう。天王森と呼ばれていた。
 山辺の御井の旧跡とか山辺の仮宮の碑が建っている。

 社叢には木々が多く、数本あるムクノキが有名。

流造の本殿





お祭り
例祭  4月10日

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