牛鼻神社
三重県南牟婁郡紀宝町鮒田1509 its-mo


神社


祭神 

国霊比女命、高倉下命、大屋島子、誉田別命、訶遇突智命、天児屋根命
境外摂社 宇田神社「饒速日尊」 紀宝町高岡



由緒 

 社伝によると、崇神天皇六十五年の勧請とされる。往古より現社地に鎮座、熊野大権現と称されていた。 江戸時代には八幡大菩薩と呼号した。

 また新宮の熊野速玉大社の本宮であったと伝える。
 『熊野略記』によると、熊野権現はインドの摩迦陀(まかだ)国より飛んできて、英彦山に留まり、やがて石槌山(伊予)、次いで諭鶴羽山(淡路)、更に紀州の無漏の切目に移り、熊野の神倉(ごとびき磐) 最後に阿須賀社の北の石淵に降臨、そこに鎮祭された。 後に家都美御子大神のみが熊野川上流の音無川、岩田川の合流点の櫟木に天降り、崇神天皇の御代に本宮の社殿が創建されたと言う。

 熊野速玉大社の神官であった宇井、鈴木、榎本三氏の祖神、つまり穂積臣の祖神にあたる千翁命を祭神とみる説があった。熊野村の千翁命は景行天皇の悪神退治に際し、稲と兵を献上したところ、その功績により穂積姓を賜り、その子孫が上記三氏であったとする。

 また相野谷庄や新宮町河原の氏神である高倉下命を奉祭する神社と『南紀神社録』にはある。

 明治末期に饒速日尊を祭神とする宇田神社を合祀、戦後宇田神社は旧社地に飛地境内社として分祀した。

 国霊比女命とは国津神の女神であろうか、大屋島子の名はこの神社以外には見いだせていない。

お姿

 本殿は神明造。 熊野川河口の3km上流、相野谷川との合流点に鎮座、社域は狭く、社殿は大きくはない。
 『熊野略記』には「阿須賀社の北の石淵」と出ているが、牛鼻神社は西にあたり、速玉大社の川向こうとなる。
 貴祢谷社が鵜殿村の矢渕中学校裏の貴祢谷に鎮座、諸国を遍歴した熊野神三柱をこの地にお祀りしたとも伝わる。方角としてはこちらがふさわしい。

神社





お祭り

例祭     4月10日
夏季大祭  8月16日
秋季大祭 11月 3日
 

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