広瀬大社(ひろせたいしゃ)
北葛城郡河合町川合 its-mo


交通案内
近鉄田原本線 池辺駅 北西 2km
JR関西本線法隆寺駅 2km(南へ下り、御幸橋を渡り、西へ)



祭神
若宇加能売命
 相殿 櫛玉命、穂雷命
境外摂社 水分神社  境外末社 饒速日命社「祭神 櫛玉饒速日命」 他摂社末社多数

本当の祭神を長髄彦とする見方がある。(大和誕生と神々「田中八郎」彩流社)



由緒
 富雄川、佐保川、初瀬川、寺川、飛鳥川、曽我川、葛城川、高田川の合流地点に鎮座する。
 日本書紀天武天皇四年の記事で、龍田の風神祭、広瀬の大忌祭が登場する。大忌祭は山谷の水が甘水となって水田をうるおし、五穀豊穣を祈る祭りである。小錦中間人連大蓋を遣わし、大山中曽根連韓犬を斎主としたとある。 大忌神とは「若宇加乃売命」であるが、倉稲魂命の事とも考えられる。広瀬神はまた「屋船豊受姫神」とも呼ばれ、家屋を鎮め、船の運航、河川交通の守り神でもあった。
 注目しなければならないのは、櫛玉命が祀られている事である。神社の説明によると饒速日命の事であるが、宮司樋口氏の祖神にも当たるので、このような表現にとどめたとの事である。宮司の自宅に饒速日命社が祀られており、末社としているとの事である。 尚、江戸前期の「和州広瀬郡広瀬大明神之図」では相殿の神名は櫛玉姫命と水穂雷命となっている。櫛玉姫命であれば御炊屋姫(長髄彦の妹、饒速日命の妻)となる。

 この神社の立地は大和盆地内を流れる河川の殆どが合流して大和川になり、河内方面へ流れていく水運の拠点である。物部氏の大和支配の拠点の一つとの見方ができ、長髄彦が仕切っていたのかも知れない。 斎主に大山中曽根連韓犬が任じられたのもこの地域は曽根連が根強い力を持っていたことを窺わせる。

 『大和志料』荒祭神社 本社の艮(鬼門)にあり、天照大神の荒魂瀬織津姫神を祭る。同抄(「広瀬社由緒書」)に摂社荒祭神殿一座、(昔廊内の本社の艮に在った。)天照大神の荒魂で、この神は祓戸神瀬織津姫神と同体と言う。



お姿
 現在は田園風景の中に緑の長大な杜が見えている。南の入り口が川の上流、本殿は下流に位置している。 下っていくのである。本殿は1711年の造営で、春日大床造りである。


本殿と拝殿


一の鳥居と下り坂参道



お祭り

砂かけ祭り(御田植祭) 2月11日
秋祭り宵宮祭  10月第土曜

物部氏ホームページ


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