村屋坐弥富津比売神社
(むらやにますーふつひめ)
磯城郡田原本町蔵堂426 its-mo


交通 近鉄田原本東2.5km



祭神 彌富都比賣神 配 大物主大神



摂社 市杵嶋姫神社「炊屋姫命、宇麻志摩遲命 配 物部守屋連」
   服部神社「天之御中主命、天之御鉾命」
   村屋神社「経津主神、室屋大連神、武甕槌神、大伴健持大連」
   久須須美神社「天之久之比命、事代主命」



注釈 大物主神は高皇産霊尊の命によって三穂津姫を妻としたが、後に三室の丘に住むこととなり、その時三穂津姫は村屋の地に移ってきたという。 以後、神武天皇元年にヒメタタライスズヒメ命に村屋の神を斎祀させ、崇神天皇七年伊香色雄命に命じて村屋坐弥富津比売神にフツノミタマを納めさせた。

 垂仁天皇二十六年に伊香色雄命の子物部十市根命に命じて弥富津比売神へ大物主神を合祀させた。
 壬申の乱の時、祝に村屋神がかかり廬井鯨の軍の動きを宣し近江軍を破る事ができたので、牟狭社、高市社とともに神の品階を上げて祀ったと云う。

 推古天皇元年、物部忍勝連公が世襲の祝の職を継いだ。

 天正年間、服部神社、村屋神社(ともに式内)を境内に遷している。他に久須須美神社(式内)が境内にある恵比須神社である。

 かって物部神社を合祀しているが、摂社としては確認できなっかた。市杵嶋姫神社に合祀されているのであろう。 いずれにしろ、物部氏の匂いの濃厚な神社であり、室屋公を祭神として祀っているが、これは守屋公の事であり、この社の神職は代々守屋氏の世襲であり、その祖先の守屋筑前守は物部守屋の後裔と称し大和国一円の神職取締役であったと言う。

1998年の台風以前の本殿



最近の本殿と服部神社(向かって左)



お姿

村屋神社


久須須美神社



 壮大な鎮守の杜と大きい木々の社叢である。杉、樫などが多い。 98年の台風ですっかり様子が変わり、明るい神社になっている。

お祭り
夏祭    7月7日 弁天さん

『平成祭礼データ』から 

  主神三穂津姫命は高皇産霊命の姫神で大物主命が国譲りをされたときその功に報いるためと大物主命の二心のないようにという願いから自分の娘を贈られたという神話に出てくる神である。 主神三穂津姫命は高皇産霊命の姫神で大物主命が国譲りをされたときその功に報いるためと大物主命の二心のないようにという願いから自分の娘を贈られたという神話に出てくる神である。
 この故事から縁結びの神,家内安全の神として信仰される。大物主命は大神神社の祭神であることからその妃神である当社にも大物主命を合祀し三輪の別宮とも称せられる。天武天皇元年(673)壬申の乱のとき村屋神が神主にのりうつって軍の備えに対する助言があったという。この功績によって神社として初めて位を天皇から賜ったと日本書紀に記されている。

壬申の乱の功を後世に伝えるためにこのとき功のあった三神を回る渡御が例祭に行われていた。三神とは事代主命を祀る久須須美神社,生雷神を祀る森市神社である天正の頃(1580年頃)戦火に遇い社地を奪われ財源がなくなり中絶し社地も縮小されて現在に至っている。
 以上


公式 村屋坐弥冨都比売神社

物部氏ホームページ

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