志貴御県坐神社
(しきの−みあがたに−ます)
 桜井市金屋896 its-mo


二の鳥居

交通案内
大神神社(三輪明神)拝殿前から山辺の道を南へ500m。



祭神
饒速日命
もしくは、弟磯城の黒速命であっても不思議ではない。
 摂社 春日神社「天兒屋根命」、琴平神社「大己貴命」、厳島神社「市杵嶋姫命」



由緒
 大和国城上郡の式内社。
 崇神天皇の磯城瑞籬宮の伝承地で境内には石碑も立っている。南には海柘榴市(つばいち)がある。

 志貴連は、饒速日命の孫、日子湯支命の後(大和国神別天神)、志貴県主は、饒速日命七世の孫、大売布の後なり(和泉国神別天神)と記されている。 しかし三輪山麓には土着していた弟磯城が神武天皇大和平定の中に出てき、「弟磯城、名は黒速を磯城県主となす」と日本書紀にあり、弟磯城が始祖であるはずで、祭神も弟磯城であってもよい。 しかし、皇別に出自を求める訳には行かず、有力豪族の物部氏に出自を求めたものと思われる。

 神武天皇と欠史八代と言われる天皇の妃の氏姓には師木県主に関わる娘が多いのである。

 古事記によれば、二代綏靖天皇、三代安寧天皇、四代懿徳天皇、また日本書紀の一書では更に、五代孝昭天皇、六代孝安天皇、さらに本文で七代孝霊天皇の皇妃までが磯城県主となっている。 神武天皇から開化天皇までを葛城王朝と見る見方があるが、初期の王朝とは言えない地方豪族の段階での嫁取りなら、近隣の有力豪族からもらう事は十分に考えられる所である。



お姿
  三輪山の南東、海柘榴市を足下に、大和平野を見渡せる高操の位置に鎮座している。
 特に海柘榴市は東への初瀬の道への要衝にあたり、伊勢、東国へと繋がっていた。ここは初瀬川の水運の便もよく、宇陀の金属等が集まる太古のマーケットであった。
 南には磐余道から飛鳥を経て紀伊の国、北は山辺の道から京都・丹波・近江へ、また初瀬川が大和川となり、難波・瀬戸内へつながっていた。

 拝殿に向かって右側に磐境、磐座がある。山辺の道からわずかに離れている。桧、カシ、楠、杉が多い。


本殿


磐境、磐座



お祭り
例祭  9月17日

参考 神々と天皇の間(鳥越憲三郎)朝日新聞社

物部氏ホームページ
大和の神々
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