竹田神社
橿原市東竹田町495 ゼンリン


鳥居



交通案内
近鉄大阪線耳成駅 北1.2km 耳成山北東1km



祭神
天香久山命
『特選神名帳』、『神名帳考証』天火明命 古記録は天火明命で、こちらのほうが有力。


由緒
 大和国十市郡の式内社である。香久山の北に鎮座する。
 多神社の若宮である。川辺連を祝と為すとあり、火明命の五世の後なりとされる。

 多神宮注進状には「祭神は天照国照火明命、神像竹箸に座す」と記されている。

 祭神は太陽神の性格を持つ。丁度、夏至の日の出が箸墓の方向となる。キイワードは箸である。 箸と女陰、丹塗矢と女陰、死と再生の呪術儀礼の道具である。竹田連は湯母竹田連と川辺竹田連に分かれるが、湯母から育児にからむ呪術儀礼の神社と推定されている。竹も筍で成長力旺盛である。
 多氏もよく似た職掌があり、始祖伝承が互いに入り交じっている。この竹田神社と多神社との関連もそういうことである。

 なぜ、この地に火明命か天香久山命を祭る神社が鎮座しているのか、であるが、三つ考えられる。 神武軍が宇陀で雄叫びした所を猛田と言う。天香山に媼に変装して埴土を取りに行った弟猾が猛田県主とするとある。弟猾も物部の一族であった。後裔に竹田連が出たのであろう。竹田連の祖である。
 また、大和三山の一つ天香久山と関連しているのではないか、即ち薬草である。天香久山命(高倉下)の足跡には薬草が多いとの事で、育児には欠かせないものである事、三つには太陽神として箸の女神を葬る箸墓古墳から夏至の日の出を見ることができる位置であると言う事である。



お姿
 仁徳天皇の御世、大和国十市郡刑坂川の辺に竹田神社あり。と新撰姓氏録に記載されている。 刑坂川とは忍坂川でおそさか川である。現在は寺川である。
 この神社の一帯からは耳成山に隠れて畝傍山が見えない。


本殿




お祭り

例大祭 10月24日


式内社調査報告3

物部氏ホームページ


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