和爾下神社
(わにしたじんじゃ)
大和郡山市横田町23 its-mo

社叢
 


交通案内
近鉄筒井駅 東へ2km



祭神
素盞嗚尊、大己貴命、櫛稻田姫命、横田物部神
和珥と同族の櫟比氏の祖神(天帯彦国押人命、日本帯彦国押人命)


鳥居


由緒
 大和国添上郡の式内社和爾下神社二座の内の一座に比定される。
 当社より東2.5kmの天理市櫟本町に同名社があり、これを上治道宮(はるみち)と云うのに対して、当社を下治道宮と称する。北隣に横田下池があり、弥生時代の遺物が出土しているようだ。

 当地は横田郷で、その郷社であった。氏子崇敬者地域は南山城祝園付近まで及んでいたようで、古代和爾氏の勢力圏との関連が注目される。

 一方、横田郷は饒速日尊の後裔である横田物部の拠点とされている。
 社前の説明板に「古代6世紀頃、横田物部の円墳の丘に和爾下の御社を安置されしと昔人の言い伝えに聞く。」とある。そうすると、和爾氏は5世紀頃の応神天皇の系列に妃を出した氏族で、西の葛城氏に匹敵する勢力を持っていたようだ。物部氏が入ってきたとすればいつ頃だろうか。

本殿


お姿
 氏神さんが和爾下神社であることに地域の人々は誇っているように感じられる。 高瀬川の南岸に鎮座、竜田道(竜田、斑鳩方面から伊賀に通ずる古代の要路で治道とも云う)に南面して鎮座。鎮守の森の木々は実に神社らしい姿に見える。ただの森とは違う。
 石灯籠には牛頭天皇と下治道社と言うのがあった。

石灯籠の牛頭天皇   下治道社
 


 当社の周辺は壱比葦(櫟比)臣(柿本氏などと同族)の根拠地であり、弥生時代の下池遺跡が示すように古くから集落が営まれていた。

 高瀬川の北岸に小女郎稲荷神社が鎮座、稲荷神祠と並んで、大森神、高森神と刻んだ石祠がある。

小女郎稲荷神社
 



お祭り

例祭 9月12日



参考  *1 日本の神々4(谷川健一)白水社
   寺院神社大事典(紀伊・大和) 平凡社


物部氏ホームページ


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