矢田坐久志玉比古神社
(やたにますくしたまひこ)
大和郡山市矢田町東良


一の鳥居と山門
鳥居の前にも勧請縄があり、饒速日尊の蛇神性を伝えると言う。




交通案内
近鉄大和郡山駅 西へ 3000m 向山の東側 its-mo


祭神
久志玉比古神(櫛玉饒速日命)、女神(御炊屋姫命)

境内
八幡神社「誉田別命」
春日若宮神社「天忍雲根命(宇麻志麻治命)」
天磐船「舟人神」

境外
八坂神社

御旅所
主人神社「久志玉媛命」


由緒
 河内からは信貴山を越えて平群の谷に降り、さらに矢田丘陵を越えて矢田寺に詣でる道があった。その矢田寺の東1kmの山裾に鎮座する。 江戸時代までは矢田村の東明寺と矢田寺の僧侶が神事を司っていたようである。

 大和国添下郡の延喜式内の大社で祭神は二座であった。久志玉比古神と妃神。
 神社の東側の向山が神奈備山と言えよう。ここは「迎ひ山」であり、河内からやって来た神を里人が迎えた山と言う意とか。 そうなると、饒速日命の降臨神話の白庭山と言えるのだが、当社南西1kmの地に白庭山とされる場所があるそうだ。 最近郡山市は邪馬台国だったとの観光キャンペーンをやっているようで、これは鳥越憲三郎著『大いなる邪馬台国』に準拠しようとの話に思え、 葛城王朝説もあわせて、大和では人気のある学者である。筆者も説はともかく好きである。

 当地は標高70m、大和平野が湖だった頃には良い港だったのかも知れない。対岸の磯城には一漕ぎの要衝の地と言える。神武伝承の地の多くはこの程度の標高上に分布しており、 単なる創作ではないとの見解があったと記憶している。古田説だったと思うが、罵詈雑言集のようでもあり、やめてしまった。自説の普及には人格も磨いておいてほしい。

 この地の古称は鳥見であったのが、仁徳天皇の矢田皇女の御名代になり、矢田部がおかれて、後世矢田郷となった。

 物部守屋公が蘇我氏に滅ぼされて後、一族は名を隠し離散したが、石上神宮の司祭を努めていた物部氏は、守屋に荷担をしなかった事もあり健在であった。後に石上麻臣と改名し、石上神宮を物部氏の氏神としたので、次第に本来の物部氏の神社であるこの神社は忘れ去られていったと言う。

 しかし、氏子さんの中に宮座が残っており、饒速日尊、降臨の際に防衛[ふせぎまもり]として天降り供へ奉った三十二の供奉衆の子孫であるとの強い伝承が残っているようで、神社境内に「舟人神」と称する天磐船の石(磐船の欠片、または天磐船の降りた際地下から盛り上がってきた磐とも)とされる場所があり、宮座の人々は毎年この磐に縄を巻き付けて互いの出自を確かめ合うとの事。

天磐船石(舟人神)

右側の石碑は、饒速日尊降臨に先立って三本の矢を射て、落ちた所を住居と定めたと言うが、その内の二の矢が落ちた所と言う。本殿、祓い石と二の矢の落ちた所との伝承がある。神社は矢落大明神とも言われた。 三の矢の落ちたとされるのは東明寺、また一の矢の落ちた所は南1km付近で,現在は民家の物置。

 饒速日尊が天磐船に乗って空を翔た事から飛行機の神としても祀られプロペラも奉納されている。

プロペラのある神門

旧陸軍中島飛行機 九一戦闘機のプロペラと同じ型と言う

 当神社の祭神については、明治維新以後、天太玉命となり、明治四十五年、元に復帰したいとの氏子の上申があり、許可されて櫛玉饒速日命と御炊屋姫命となった。『神社調査書原稿』:神社所蔵。
 饒速日尊・御炊屋姫命(長髄彦の妹)から別の祭神としたのかであるが、明治政府発足天皇親政に当たり、どうも祭神が長髄彦関係では具合が悪い、天皇家に忠実な祭神をと言うことでの切り替えのようであった。 櫛玉と太玉、似ているようであるが、格が違うとは宮司さんの言葉である。


お姿
 あじさいで有名な矢田寺金剛山寺の東1kmにある。本殿は室町中期の春日造・檜皮葺である。八幡神社は鎌倉末期である。共に重文である。
 大和民俗博物館のある大和民俗公園が近くにあり、この辺りの土地の色は白く、これをもって白庭山と言ったとの伝承がある。しかし、白い様な感じはなかった。

 大和の神社は総じて木々が豊富で落ち着く雰囲気があるが、ここも社殿の趣もさることながら、杜も深くて良い。

二の鳥居、白庭、拝殿風景



本殿




お祭り

  例祭  10月9日,10日
  綱翔祭 1月8日

御旅所 主人神社(ぬしと)
(久志玉媛神社)

大和郡山市矢田町4815 バス停矢田東山西100m its-mo



本殿と勧請縄

祭神 天比理刀命(御炊屋姫命)

由緒 矢田坐久志玉比古神社祭神の媛神と言う。上古毎年一度氏子中より抽籤を持って女子一名を犠牲に供したと明治二十四年現在地元の方は伝えていたそうである。 また大正十四年の調査で、御祭神は往古御祭郷内の大危機を除去したと口碑に伝えられていた。

祭礼 10月16日 例祭

 

参考  『大いなる邪馬台国』(鳥越憲三郎)講談社、『日本の神々4』白水社、『矢田大宮資料』

物部氏ホームページ


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