物部神社
島根県大田市川合町川合1545

物部神社鳥居


交通案内
大田市から三瓶温泉方面行きバス石見川合下車 mapion



祭神
主神 宇摩志麻遅命
 相殿右座 饒速日命、布都霊神
 相殿右座 天御中主大神、天照大神
 客座 鎮魂八神 高皇産霊神から御食津神の八柱

境内摂社
後神社 師長姫命(主神の妃神)

境内末社
神代七代社(東五社) 国常立尊から伊弉諾尊、伊弉冉尊までの七代十一柱
荒経霊社(西五社の一) 須佐之男尊
皇祖四代社(西五社) 天照大神より鵜草葺不合尊までの五柱
須賀見神社 六見宿禰命(主神の三世孫)
乙見神社 三見宿禰命(上記神の弟)
一瓶社 佐比売山三瓶大明神

一瓶社、本殿向かって右、隣の石の祠に丸石


柿木神社 柿本人麿朝臣
菅原神社 菅原道真公
稲荷神社 稲倉霊命ほか
粟島神社 少彦名命
八重山神社 八重山神(農耕神、牛馬安全の神)

境外摂社
漢女神社 栲幡千々姫命、市杵島姫神、抓津姫命

 当地の海辺には須佐之男命、五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命らが半島から帰国の上陸の地との伝えがある。 須佐之男命は韓神新羅神社、五十猛命は五十猛神社に鎮座し、神別れ坂で大屋津姫命、抓津姫命と親子は別れたと云う。 大屋都比売命は大田市大屋町の大屋姫命神社に鎮座、抓津姫命が見あたらないと思っていたら、物部神社の客神としておさまっていたようである。

漢女神社 物部神社西100mの川合の角


伊夜彦神社 天香具山命

境外末社
郷原若宮神社 味饒田命(主神の長子)
中原若宮神社 彦湯支命(上記神の弟)旧摂社
新屋若宮神社 武諸隅命
川合神社 竹子命(長田川合君の祖)
石上布留神社 十種神宝

石上布留神社(総代さんのお家の庭)


熊野神社 高倉下命、少彦名命


由緒
 安濃郡の式内社。石見一の宮。
 由緒書によれば以下の通り。
 祭神の宇摩志麻遅命は饒速日命と御炊屋姫命との間に生まれ、神武東遷の際の功によって神剣霊剣を賜り、神武即位に際しては五十串を樹て、 霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈った。これは鎮魂祭の起源である。
 その後、宇摩志麻遅命は天香具山命とともに物部の兵を率いて尾張、美濃、越国を平定し、天香具山命は伊夜彦神社(弥彦神社)に鎮座したが、宇摩志麻遅命はさらに播磨、丹波を経て石見国に入り、都留夫、忍原、於爾、曽保利(いずれも川合周辺)の兇賊を平定、厳瓮を据えて天神を奉斉し、安の国と名付けた。一瓶社と安濃郡名の起源説話。

物部神社社殿と八百山、6月末日で茅の輪があった。


 ついで、命は鶴にのって鶴降山に降りて国見をし、八百山(神社背後の山)が天香具山に似ていることから、その麓に宮居を築き、死後は山の陽尾に葬られた。当社背後の御神墓(5世紀後半から6世紀前半と推定される円墳)がそれであるという。

八百山の御墓

 また物部竹子連が景行天皇の時、石見国造となり、その子孫が川合長田公と称して、当社の司祭社となったと言う。物部竹子連は物部十市根宿禰の子の物部膽咋宿禰の子であり、物部十市根は『垂仁紀』によれば、出雲の神宝を検校しに行っており、神宝を大和の石上神宮に納めたのであろうが、出雲の西部に物部氏の拠点ができたのは、このようなことが影響しているのかも知れない。物部膽咋宿禰は神功皇后の重臣として功があり、また秋田物部氏の鼻祖でもある。(『秋田「物部文書」伝承』から)

 石見から出雲を見張る、地域の民人を物部に組み込んだ、など、何故、この石見の地に物部の準本拠のような神社が鎮座しているのか、色々と問われてきたようだ。この時代に各地に勢力を伸ばしたとする各地の物部氏の伝承が後世に出来てきたのであろう。平家の落人伝説のようなものだったのかも知れない。

 物部は海運水運に長じていたようで、大和でも広瀬神社は河合町川合に鎮座、当社も川合町川合である。川合は川の合流点で要衝と言える。偶然ではないように思うが、決め手もない。

物部神社本殿春日造

 大田市の東側南側に隣接して邑智郡がある。鳥越憲三郎著『女王卑弥呼の国』の中で、著者は物部氏の姓を越智と推定されておられる。河内の恩智神社、愛媛の越智氏、など、そう言うことでは、邑智郡に物部氏と同族かも知れない尾張氏の祖神とされる建眞利根命を祭る式内社の田立建埋根命神社が鎮座しているのも、何らかの関連があろうかと思われる。

『日本古代文明の謎』井上赳夫著から
 著者は「やまたのをろち」伝説が『出雲国風土記』に記載されていないことから、石見の三瓶山付近に探し求め、 三瓶山北面に「おろちの谷」と姫逃しの池、三瓶山南地区が邑知(おうち)郡−おろちの古名−、さらに可愛の川が江川、鳥上峰は鳥井港の川上と見立て、 独自の説を展開される。
 地元の大田高校の松井整司氏によって、砂鉄に木炭の混合している大田層を発見されていることを紹介し、三瓶山が砂鉄を噴出、次の数百年間に雑木の山林が生じ、そこへ火山灰が噴出、大田層が出来た上に溶岩が流れ落ち、中には雑木の枝のついたままの鋼が出来たのが、 七枝刀の原型になったのかもと推定されている。以上、極めてユニークな説であり、紹介しておいた。

お姿
   神紋は真赤な太陽を背負った鶴。
 社殿の創建は継体天皇八年(513年)。以降兵火などで焼失、宝暦三年(1753年)再建、 安政三年(1856年)大修理、現在に至る。

 物部神社の前を流れる静間川には砂鉄が多いそうで、物部氏が拠点を設けるにふさわしい場所といえる。
 また国引き神話で三瓶山(佐比売山)を杭として、国来国来(くにこくにこ)新羅の御崎を国引きをして、 去豆の折絶(平田市小津)から杵築の御崎までの国造りを行っている。三瓶とは三韓を睥睨する意味があったのかも。

 現在社殿創建1500年記念として、本殿の修理、宝物展示室、社務所の建設を計画しているようです。
連絡先 FAX 0854−82−9298

お祭
 7月20日 御田植祭
10月 8日 例大祭
11月24日 鎮魂祭

『平成祭礼データ』から
御祭神宇摩志麻遅命は、物部氏の御祖神として知られていおります。御祭神の父神である饒速日命は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯(いかるがみね)に天降り、御炊屋姫命を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。
神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くしたので天皇より神剣フツノミタマノ剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、フツノミタマノ剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)
その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫(つるぶ)・忍原(おしはら)・於爾(おに)・曽保里(そほり)の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。
次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山(つるぶさん)に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源)
以上

参考 『日本の神々7』、『式内社調査報告』、『秋田「物部文書」伝承』、『女王卑弥呼の国』

物部神社公式HP

物部氏ホームページ

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