阿麻美許曾神社(あまみこそ)
天美神社

大阪市東住吉区矢田7−6−18(旧枯木町)

鳥居


交通
 河内天美駅、行基橋の東北すぐ its-mo

祭神
 素盞嗚尊 配 天児屋根命、事代主命

神木と拝殿


由緒
 河内国丹比郡の式内社。郷社。天美地区は河内国丹比郡依羅郷とよばれ、依羅連という氏族の居住地と想定され、この社を創祀したものと考えられている。

依羅連は、「新撰姓氏録」によると、日下部宿彌と同祖、彦坐命の後、百済人素彌志夜麻美乃君より出づる、また饒速日命十二世の孫懐大連の後とあり、さまざまな系統があったようである。
この様な意味で、物部系の神社の範疇に入れたが、もとより定かではない。俗に「阿麻岐志の宮」「天岸の宮」と呼ばれる。この素禰志夜麻美君の「夜麻美」がなまって「阿麻美」となり、現在の「天美」に転化したとの説もある。依羅連の祀った氏神として、大依羅神社と阿麻美許曽神社が創祀されたのであろうか。

 「神名考証証」には「按中臣祖小橋命子、阿摩毘命と言い、毘の美と転ずるのは普通、許曽は尊親の意を表すものであれば、昔時は或いは阿摩毘命を祀るのかとするが、確証を得ていないと記す。」とある。
アイヌ語genさんは奄美に関わる資料のコレクション−アマミンチュ・シネリキヨでは奄美との関連を見ておられる。

【枯木町】
 旧住所は南枯木村南天見丘または矢田村大字枯木字福井。淡路島の津名町に枯木神社が鎮座、ここには流れ着いた枯れ木を瑞霊として祀ったとの伝承が伝わる。海神としてのつながりを示唆している。(日本の神々3 枯木神社 濱岡きみ子)

【許曾】
村社(ムラコソコウヘイ)というオリンピック選手がいたが、この社をコソと読む。社叢の意か。
 朝鮮では今も春夏に家内安全を祈るコサ(告祀)という祭りがあるそうである。または古祠(コサ)。(兵庫県の朝鮮文化)
 新羅の初代王を赫居世という。赫が名で、居世はその治世をさす尊称、この居世がなまって「許曽」となったとの説もある。即ち許曽は朝鮮語で”様“の意味・

こそのついた主な式内社
出雲国秋鹿郡[アイカ] 許曾志神社[コソシ]
摂津国比賣許曾神社[ヒメコソ]
近江国淺井郡[アサヰ]上許曾神社[カミコソ]
伊勢国奄藝郡[アムキ]大乃己所神社[オホノコソ]
伊勢国三重郡[ミヘ]小許曾神社[ヲコソ]
河内国澁川郡[シブカハ]波牟許曾神社[ハムコソ]
河内国丹比郡[タチヒ]阿麻美許曾神社[アマミコソ]

本殿


お姿
 遠くからでも社叢が盛り上がって見える。下高野街道に面して鎮座している。
 拝殿は文久三年(1863)に建てられたもの。本殿は独特の阿麻美造で、昭和三十五年に再建された。 樹齢500年の楠の木の群は大阪市条例で保存樹林に指定されている。

 手洗舎の東側に「行基菩薩安住之地」の石碑が建っている。行基は奈良時代の高僧で、その師の道昭とともに、民衆への伝道に力を入れた。 同時にすぐれた土木技術者でもあり、池などの灌漑設備や橋の造営にも力を入れた。 都の工事に駆り出された人々や、貢ぎ物を運ぶ人々を泊めて、食事を提供する布施屋(施設)を各地につくった。 行基は今の堺の人で、その活動範囲も今の大阪府が主であった。


お祭り
夏祭  7月16日17日
例大祭  10月16日17日


『平成祭礼データ』から 

 当神社は大和川にかかる下高野橋の南、天美丘に鎮座する。大同年間(八〇六−八〇九)に創建せらでた古社で延喜式内社の郷社でもある。御祭神は素盞鳴命、右殿に天児屋根命、左殿に事代主命が祀られ、俗に「阿麻岐志の宮」と呼ばれ、又矢田地区、天美地区に氏子地のあるところから「七郷の宮」とも称せられている。
 以上

物部氏ホームページ

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