十三神社・神野宮
和歌山県海草郡紀美野町野中491 mapfan
鳥居
交通案内
オレンジバス 山根下車 新宮橋を渡り美里中の東
祭神
國常立尊、國狹槌尊、豐雲野尊、泥土煮尊、大戸導尊、大戸間邊尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大日ルメ尊、天忍穗耳尊、彦火瓊瓊杵尊、鵜茅葺不合尊、大山祇神
摂社
丹生神社「蛇岩大明神(丹生都麻都比売神)」
若宮八幡神社「若宮八幡宮」
皇太神宮
聖神社
熊野神社・恵美須神社
拝殿
由緒
桓武天皇の延暦三年(784)に神野郷の人々が官許を得て、神代七代・神世五代の大神達を祀った。爾来十二社権現と尊称された。
天正年間(1573〜)に、伊予の河野道直・秀道父子が長曽我部元親と交戦し、敗れて当地神野荘上ヶ井に落着した。一羽の霊鳥が天翔り国翔り飛び来たりて河野一族の左右を離れず日を経過しても飛び去らなかった。
道直は、先祖代々伊予国一の宮の大山祇大神を崇敬し、守護神としていることに思いをはせ、この霊鳥は大山祇の神霊とし、神野荘の人々と協議し、高野山の許可を受け、十二社権現に合祀し、以来十三社大権現と称したと伝わる。
しかし平安後期の康治二年(1143)の「神野真国庄絵図」には十三所大権現と記されており、創建以来、十三所大明神として崇敬されて来たと『和歌山県神社誌』には記載がある。
境内摂社の丹生神社については、これを蛇岩大明神と称し、丹生都比売神を祀っている。また、三尾川の遠井辻峠の近くの蛇岩は十三所大明神の垂迹の地とも伝えられており、また丹生神社の御神体は蛇岩に住む小蛇とも伝わる。
お姿
貴志川にみやばしが架かり、これが参道のようだ。
鳥居をくぐると広い庭がある。拝殿の向こうに朱色の建物が見える。本殿と丹生神社、若宮八幡が向かって左に順に並ぶ。これら三社殿は国の重要文化財。
本殿 三間社流れ造
若宮八幡神社 丹生神社 共に一間社春日造
お祭り
4月 20日 春祭
7月 20日 夏祭
10月 20日に近い日曜日 秋季例大祭
紀伊続風土記 巻之四十 那賀郡神野荘 野中村
○十三社明神社 境内周六町
本 社 三扉方三間
祀 神 熊野十二所権現 豫州大三島明神
第二宮 方一間
祀 神 丹生明神
第三宮 方一間
祀 神 若宮八幡宮
○末社三社
熊野権現社 天照大神宮 聖 宮
寶庫 方二間
以上 瑞籬の内にあり
舞台 廳 三間半 十四間半 神楽所
中門 大師堂 方三間 釣鐘堂
鳥居 馬場 本地堂
神宮寺 龍燈山定徳院
村の東の端 川端にあり 此処川曲がりて社地の南東北面を流れて社地は唯西の方一方地続きなり 境内も広く社殿も備りたり 荘中十七箇村の総産土神なり 諸社殿は皆草屋にて美といふに非れとも体を備へたり 本社の申五町許に遊覧所あり 十二所権現の小祠あり 此の処十二社権現の旧地あり 元亀年中(1570〜)河野左近の祖某伊予を逃れて此の地に来り上井村殿長之祐の家に住し三島明神を椿の森に勧請す 天正二年今の宮地を新たに開きて大宮を建て荘の氏神十二社権現を遷し奉り大三島明神を椿の森より遷し合祀して十三社明神として一荘の氏神とす 次ぎに丹生明神を三尾川村より遷し第二宮とす 第三宮若宮八幡は何れより遷せるか詳ならす 聖宮は八幡宮に付きたる末社なりといふ 祭礼九月九日競馬あり 年々六七十騎もありちいふ 境内に気鎮社あり 本社を大床(ユカ)といふ 大床の神主を土井佐渡といふ 上井村に住す 第二宮第三宮の神主を水落左内といふ 門田に住す
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丹生都姫伝承
神奈備にようこそ |