丹生官省符神社 (にうかんしょうぶ)
伊都郡九度山町慈尊院835 its-mo



交通案内
南海高野線 難波→九度山下車  (69分750円)
徒歩    駅から西へ。慈尊院の中に丹生官省符神社がある。100段以上の階段を登る。
高野山参詣の表街道、高野山町石道の登山口。

祭神

丹生都比賣大神 高野御子大神 (配祀)市杵嶋比賣大神 大食都比賣大神 天照大神 譽田別大神 天兒屋根大神 (合祀)宇迦魂大神 猿田彦大神 保食大神 金山彦大神 木花開耶姫大神 八王子大神 迦具土大神 飯炊大神 菅原道眞 金刀比羅大神 蛭子大神 大黒天神 槙尾大神 子守大神

由緒
 弘法大師により弘仁七年(816)創建。丹生高野御子大神(高野明神)が猟師に姿を変え、空海を高野山に導いたとされる。空海が高野山金剛峯寺を開山、その政所として慈尊院を開いた。この時、導きの神として高野山への参道の中央に丹生・高野明神社として狩場明神を祀った。官省符とは荘園で不入(国の干渉を受けない)、不輸租(taxfree)の特権がある。


丹生都比売神社に伝わる丹生大明神告門によれば、紀伊国伊都郡庵太村の石口に天降りまして、大御名を申さば恐ろし、申さねば恐ろし、イザナギ・イザナミのミコトの御児・天の御陰・日の御陰・ニウズヒメの大御神と大御名を顕わし給いて。 川上の水方の峯に上りまして国かかし給い、下りまして・・・ とある。この庵太村は慈尊院の所在地の旧名の庵太村であろう。
 また川上の水方の峯は水分の峯で、播磨風土記の藤代の峯を指している。

「国かかし給い」とは窯業・精錬を行うの意か、また日前国縣神宮との関係や如何。

拝殿


お姿

 慈尊院の境内から階段を登る。本殿は丹生の名に示されるようにきれいである。


本殿




お祭り

カンジョボ祭 10月15日 御輿が元の社地に渡御する。

紀伊国名所図会から


紀伊續風土記 巻之五十 伊都郡 官省符荘 慈尊院村から
○神通寺七社明神    境内周百四十間

 一 宮 一間六尺  祀神 丹生明神
 二 宮 同    祀神 高野明神
 三 宮 同    祀神 気比明神
 四 宮 同    祀神 厳島明神

 三社宮 二間六尺三扉 祀神 大神宮 八幡宮 春日明神 十二王子社 方三尺五寸
 百二十番神社
 瑞 籬  拝 殿 二間十三間  舞 台
 本地堂 本尊金胎大日如来   神輿堂
 大黒天堂 今御供所と称す   鳥 居

 慈尊院の山上石階を登る事一町許にあり 官省符荘二十一村の産土神なり 七社の中丹生高野明神は弘仁年中大師の勧請なり 十二王子百二十番神の二社も同時の勧請なりといひ伝ふ 気比厳島二神は文明年中(1469〜)の勧請といひ伝ふ 此四社天文の洪水以前は北の方宮の橋といふ地にあり 今川床となる 三社宮は古官省符荘の氏神にて今の社檀の巽一町神楽尾山にありしを天文年中(1532〜)慈尊院に移せし時倶に移して七社明神とし一荘の總氏神とす 舊地を今古宮の檀といふ 今に宮の雑費三分の二は修理料より出し一分は氏子より出す 是又古三社を氏神とせし証といふへし 
 祭礼 九月晦日なり
 高野山南院高室院遍照尊院此三院別当職を兼ね依りて三院別当領七石宛を領す
 什宝に菊一文字太刀一振 真田幸村の奉納といふ 今一宮に納む 銘に奉寄進御太刀一振菊一文字弐尺七寸五分 紀州伊都郡慈尊院正一位勲八等丹生七社大神等云々とあり 箱の書記に施主九度山とあり 国次太刀三振 永正十二年(1515)粉河幸蜜蔵院の奉納といふ
 神主 二人 坂上左内 吹本宮内 巫女二人あり



*2 和歌山県の歴史散歩(山川出版社)

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