丹生神社
福井県小浜市太良庄字丹生森22-2
鳥居と拝殿の風景
交通案内
東小浜駅北北東2km its-mo
祭神
彦火火出見尊
由緒
若狭国遠敷郡の式内社。若狭彦神社の遠敷明神を勧請したと伝わる。 『三代実録』の貞観十二年の条に「遠敷郡の人の丹生弘吉」と云う名が出てくる。丹生氏の居住地であった。『古代の朱』松田寿男著から
また若狭には秦氏も多い。当社の周辺には二十一基の古墳が点在しており、現在では閑散とした農村であるが、その昔は鉱物採取で賑わったのだろう。
7世紀末の重文の金銅製弥勒菩薩が正林寺に鎮座、京都太秦の広隆寺のものとは制作年代が近いそうで、新羅との交流、京都との交流を推測させるもので、重要な港とであったものと思われる。
社殿
お姿
北と東西が山に囲まれた地域、集落の入り口に太良荘の語源の説明と地図が掲げられていた。 地域の人々の誇りのようなものを感じた。
神社は大きくはないが、人家から少し離れた山裾に静かに鎮座している。 何故か佳人を思わせる雰囲気がある。
お祭り
10月10日 1日間 例祭
太良荘のご案内板から
太良荘は、石器が発見されたことから弥生時代後期(1800年前)には集落が形成されていたと推定されます。また6世紀には 古墳群をつくる程の大きな勢力がありました。地名のルーツは、奈良の都出土の木簡に「丹生郷」とあり8世紀の記録が残っています。伝承として養老四年(720年)に式内社丹生神社、神亀五年(728年)に日枝神社が創建され天治二年(1125年)長田 季の子丹生太郎忠政がこの地に住み、国衙領「太良保」といわれたのが当村名の始まりです。
承安三年(1173年)忠政の子丹生雲厳の乞いにより天台僧 雲が薬師谷に薬師堂を 立、その後 保四年(1216年)国衙領太領保から歓喜寿院に寄進され荘園「太領荘」となりました。以下略
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参考 『寺院神社大辞典 近江若狭越前』、『平成祭礼データ』
丹生都姫伝承
紀の国 古代史街道
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