丹生酒殿神社(にうさかどの)
伊都郡かつらぎ町三谷631



交通案内
和歌山線妙寺駅 三谷橋で紀の川を渡り西へ徒歩500m its-mo

鳥居


祭神
丹生都比賣命、高野御子命、誉田別命、健御名方命

由緒 
 社記によれば、大和国丹生川上に天降った丹生都比売尊及び一族は崇神天皇の時代、その第一御子高野明神はじめ十二王子、百二十の眷属を従えて三谷の榊山と地に天降ったとある。 古文書には榊を手にして石口の御榊山の御瀧の地であったと記されている。

 丹生都比売大神(左坐)は、天照大御神の御妹であらせられ稚日女命とも申し上げ、御子高野御子と共に御巡歴遊ばし、民人の為に農耕、糸つむぎ、機織り、煮炊きのことなどを教え、特に木の川(紀ノ川)の水を以て酒を醸し奉りてより丹生酒殿と称えられる。
 高野御子神(中坐)は丹生都比売大神の御子神で、高野山の名前もこの神の御名より出たと伝わり、別名狩場明神とも称えられます。
 誉田別命(左坐)は鎌八幡とも称し、讃岐から弘法大師の産土神として高野山に勧請したものを明治の神仏分離などで当神社へ合祀したものである。
 明治6年4月村社に列し、昭和0年6月18日官弊大社丹生都比売神社摂社として合併され、戦後独立現在に至る。

本殿


お姿

What’s 丹生? 発信のなにがし様から教えて頂いた丹生酒殿神社の見所を紹介します。  
1)丹生都姫が最初に鎮座した土地、丹生祝氏の本拠地である
2)丹生都姫が榊を手にして天下った所から名付けられた榊山(酒殿神社社殿裏山)
3)鎌八幡神社(酒殿神社社殿裏)
4)巡寺八幡講の絵(五来重著「空海の足跡」(角川選書)に一部写真が載っています)
5)竃門神社(天野丹生神主、丹生惣神主とも代替わりにはここで昇進の儀式を行った;竃門氏の敷地内;入り口すぐ近くなので見ることは可能)
6)薬師堂(丹生祝氏屋敷(現竃門氏屋敷)が未申に長かったので空海が立てたとの伝承あり。竃門氏の屋敷と道を挟んで反対側にあり。戦後竃門氏の所有から三谷地区の所有に変わっていますので自由に撮影可能)。

神社参詣の場合、事前にこのような予備知識を得てから行くと、見落としが少なくなる。
 突如空白が現れる。そこが酒殿神社だった。遠目にはこんもりした杜に見えるのだが、近づくと消えてしまったような気がした。 それは左手に見える榊山だったのかも知れない。
鎌八幡神社は本殿背後に鎮座、鳥居と一本の木の神社である。
竃門神社は一の鳥居を入ってすぐを東側に道なりに行く。竹藪が見えてくるが、その右側に薬師堂があり、竹藪を過ぎて左側に竃門家がある。 道側に竃門神社があるが、回り込まないと見えない。
以上


鎌八幡宮 社殿はなく一本の木 神社の発祥の姿を見る。
 その木に打ち込まれた多くの鎌が目を引く。
 大阪市内の円珠庵(真田山の南)の鎌八幡は真田幸村が戦勝を祈願して木の幹に鎌を打ち込んだとされる。
 しかし酒殿のの場合には豊作祈願ではあるまいか。

竈門神社 竈門氏の敷地内

お祭り

  7月15日 1日間 夏季大祭
 10月21日 1日間 例大祭(秋祭)

紀伊續風土記 巻之四十七 三谷荘 三谷村から
○丹生酒殿明神社  境内周三町二十九間
 本  社 方一間半  摂社 方一間半 祀神狩場明神
 末社一社 十二扉
  狩場明神   皮付明神
  土公神    大将軍
  八王子    八幡宮
  熊野権現   金峯山白山権現
  信田明神   住吉明神
  西宮明神   十二王子
 本地堂 本尊弥勒菩薩  舞臺 寶殿
村中にあり 一荘の氏神なり 按するに貞和五(1349)年の寄進状に三谷酒殿とあり天野社蔵 又石燈籠并に花生には丹生酒殿又酒殿とのみ刻む 丹生酒殿を主として祀る事詳なり 傳へいふ本社丹生明神は 崇神帝の御宇大和国丹生川上より榊を持して此地に降臨し給ひ後天野村に移り給ふ故に森を榊山といふ
丹生明神此地に降臨の時初めて神酒を獻す是神前に酒を獻する初めなり 故に酒殿とも称すといへり
文暦元年(1234年)の文書に御榊山去建暦二(1210)年正月十八日奉納御宝殿又是為大明神根本垂跡地之故也又曰御榊山者東限御手洗谷南限天野横峰西限栗栖谷来北限谷合也 并に天野社蔵とあるは即此地なり
摂社狩場明神村中竈門屋敷にて誕生ありといふ
祭礼九月二十日
○丹生明神降臨の地天野丹生明神の祝辞に紀伊国伊都郡庵太村の石口に天降坐とあり當村の東慈尊院村古庵太村といひてそこに降臨ありといふは恐らくは誤なるへし
古庵太の名此邊より慈尊院村九度山村まての総名なるへし 九度山村の長広平の田地を安田島といふ又庵田とも書す 明神此地に降臨の事は酒殿社別當福林寺寶永中の鐘の銘及社記に詳なり
丹生狩場二神の始末は天野社の条下に見ゆ
神主は天野社神主丹生氏兼帯す

○竈門明神社   境内十六周
 社 方三尺  奥津彦命 奥津姫命 合祀
村中竈門屋敷といふにあり 榊山の地主神にして丹生明神降臨の時煮焼をして御供を奉る故に竈門明神と称す
石の由緒に依りて天野社神職の輩社入りの前紀ノ川に祓し百日當社に参詣し幣帛を棒け後社入りをなすといふ
又天野總神主代替りには當社に來り始めて装束お著し後神職に叙すといふ
或は傳ふ此地狩場明神誕生の地なり 明神誕生の時此神産湯を暖め奉りし故竈門明神といふとそ 此説恐らくは誤ならん  
竈門屋敷に丹生明神影向の所あり
又本地堂本尊薬師如来境内周二十五間あり 

兄居村 鎌八幡宮

紀伊続風土記によると、「村中にあり、鎌八幡宮は社壇の中に櫟の大樹あり 圍二丈許是を神とし祭い鎌八幡宮と称し別に社なし 祈願の者鎌を櫟樹に打入れ是を神に獻すという。」と記されている。今も同じ形である。

兄居八幡神社


古代史街道 紀の国編
丹生都比売伝承
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