丹生神社(下中筒香)
和歌山県伊都郡高野町下筒香504
拝殿
交通案内
中筒香消防詰め所から西へ数百mの道の側に鎮座。its-mo
祭神
丹生都比賣命
由緒
播磨風土記には神功皇后が新羅征伐に赴く時、集まった神々の中に爾保都比売命がおり、自分を良く祀ってくれるならば赤土を与えようと言った。
その赤土を船体などに塗って新羅を攻略したと言う。凱旋後、神功皇后は爾保都比売命を紀伊国筒川の藤代の峯に鎮め奉った。
赤は魔よけの色であり、船を赤土で守ると言う伝えは、玄界灘の「魔」と新羅国の「魔」から、自軍を守ると言うことである。
丹生大明神告門は、各地の丹生神社鎮座地の由緒を語る物語でもあるが、丹生大神が筒香に忌杖を刺給うとは記載されていない。
やはりこの辺りを起源と見ているのであろう。
西へ10kmほど行けば水銀の宗教王国高野山である。
由緒 平成祭礼データCD
創建年月日は不詳だが、「紀伊続風土記」は、中筒香村のなかで丹生4社明神社(現丹生神社)をあげ、境内周りが
340間で本社(5尺余)末社5社(八幡宮、四天王社4社)上拝殿、中拝殿、下拝殿があり「中村下村の間にあり両村の氏神なり宮作り上村と同し応仁2年(1468)の棟札あり」と記している。
明治6年村社に列す。
昭和47年9月16日、台風20号の襲来で境内にあった樹齢 500年余りの神木のほとんどが倒れ、鳥居、拝殿、社務所が全壊したが、幸い本殿は災難を逃れた。翌年10月には再建し、
拝殿と社務所を合併した。平成元年11月の遷宮で、本殿銅板屋根の葺替え、玉垣の修理、鳥居の塗り替え、境内地の整備を行った。なお境内の石造花立に弘化4年(1847)石灯籠には万延元年(1860)の銘がある。
お姿
川と道と山が詰まっている狭い峡谷に鎮座。道沿いに拝殿が大きくあり、そこから、急な一段が高い階段を登ると本殿が鎮座。鎮座している山が社域であろう。
本殿
お祭り
10月10日 例大祭
紀伊續風土記 巻之五十一 伊都郡 筒香荘 中筒香村から
○丹生四社明神社 境内三百四十間
本 社 五尺餘 末社五社八幡宮 四天王社四社
上拝殿 中拝殿 下拝殿
中村下村の間にあり 両村の氏神なり 宮作り上村と同し應仁二年の棟札あり 祭禮六月十一月十二日なり
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丹生都比売伝承
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