田殿丹生神社(たどのにゅう)
和歌山県有田郡有田川町出335 its-mo


白山と擧立する磐座 手前は有田川


磐座望遠


交通案内
紀勢線  天王寺→和歌山→藤並 有田鉄道バス下津野駅 北へ有田川を渡る1.3km



祭神
丹生都比売命(丹生大明神 天照皇大神の妹神)
大名草彦命(高野大明神 丹生大明神の御子神)

配祀神 天照皇大神,菊理姫命、大穴牟遅命、八柱御子神、大物主命 他

境内社 夏瀬神社、白山神社(山頂)、吉備神社、春日神社、弁財天神社


夏瀬神社の楠木


由緒

磐座
 この磐座と祀られていた白山神については伝承が残っていないが、見事な形状の神奈備山であり、加えてこの磐座はそそり立っている。まさに柱である。 神が降臨する二重の特性をみることが出来る。おそらくはこの地域の最古に祀られた聖地ではなかろうか。

この神社の有田川を挟んだ向かいは丹生図と云う地名。これは条里制の残存で紀の国の条里呼称が何図何里と呼ぶことに由来する。丹生明神の神田であったのかも知れない。

 高野山と湯浅氏が安諦の領有を巡って長期間争ったのであるが、それが後述する天野祝文の「安諦の夏瀬の丹生に忌杖を刺たまい」と出てくることになり、高野山側の領有の主張の証拠になっているのであるが、 もとより後追いの祝文であるが、当地に丹生明神が鎮座し今なお崇敬を受けていることは、湯浅氏登場の平治年間(1159年〜)以前はこの地は高野山領であった証と言えそうである。

鳥居


神社の由緒記
 大昔は、狩猟と魚獲が生業の中心で、人々は、各地を転々と移動して不安定な暮らしをしていました。そこで大神は、紀伊の国の先祖の人々に、一定の土地に安住して平和な生活を営む事が出来る農業をお教えになり、此の地方を開拓せられました。亦農業と共に水銀の開発にも御力を尽くされ、水銀文化の基礎を築かれました。 そして奈良、平安の両朝には、その産出は絶頂に達し、これを塗料や染料に用いたほか、薬用とし、また水銀で黄金を精錬したり鍍金したりしました。大神の御巡歴のあとは「丹生大明神告門」という古文書に明記されています。この古文書に「安梨締郡夏瀬の丹生に忌杖刺し給ひ」とあり、この神社のことで、大神は夏瀬の森を中心として農業を広め、水銀の開発にも力を注がれたとされている。
 応神天皇の御崇敬深く、この時代に社殿が築かれたと伝わっている。この頃は有田川は今よりはるか南を流れており、夏瀬の森は広大であったとの事である。平安時代、たびたびの洪水で社殿は流され、現在地の白山の麓に遷された。

考察
 丹生都比売命は金属採取神としては相当古い神である。記紀には見えない。 この由緒記からは縄文時代の神であると思われる。
 丹生都比売命を天照皇大神の妹神とするのは大和政権との繋がりを強調しておこうとする神社側の思いと朝廷側の神々の系列化の企ての双方の思いの一致での事と思われる。 大名草彦命を丹生都比売命の御子神としているが、大名草彦命の名は紀の国造の紀氏系譜にも天道根神の四世孫として出てくる。 それよりも神武東征時、賊として誅された丹敷戸畔、名草戸畔の繋がりを示しているのではないかと思っているのであるが、いずれにしても当社は紀ノ国の古代史を解く鍵となる重要な神社である。 

お姿

 白山は円錐型の山で神奈備山であり、白山権現が祀られていたとのこと。有田川北岸に位置し、楠、椿科の木々が多い。


拝殿と磐座



お祭り

10月11日 例祭 

紀伊續風土記 巻之六十 在田郡 田殿荘 出村から



○丹生大明神社   境内周十一町  禁殺生
  末社三社
   太神宮  氣比社  春日社
   拜 殿  神輿舎  廳
 鳥居戸の中白山の麓夏瀬の森にあり 一荘十三村の産土神なり 此即伊都郡天野丹生神社と同社にして天野祝文に安諦夏瀬丹生忌杖刺給比(アテナツセノニフニイミツエサシタマヒ)とある是なり  古は丹生高野二神を二社同域に祀る 後霊夢により高野明神社を井口村に移す 此より丹生社を上宮といひ高野社を下宮といふ 古は社壇も壮麗に神田も廣く盛大なりしといふ  鳥羽院の御時真言の僧玄蔵聖人天野を學ひ寺院を社邊神谷といふ地に起し七堂伽藍二十一坊を建て神谷山最勝寺と名つけ本坊を菊坊といふ  大門より奥院まで八町其間町石を建て大に佛區を創む 天正中豊太閤悉寺領を没収す 浅野氏の時堂塔伽藍を破却し盡く若山に移す 此時當社の古記録悉散亡す 今最勝寺の跡田地となり菊ノ坊 堀ノ坊 岡ノ坊 上ノ坊 下ノ坊 谷ノ坊 内分坊 坊正院 清水院 來迎寺 権願寺 本堂 反橋 大門等の名残れり  又伽藍の什寶此邊の近寺に古書古佛古器等を轉傳す 最勝寺廃する後唯一の神社に復す  祭礼九月十一日流鏑馬あり 神輿下宮に渡御す 古は祭式も甚厳なりしといふ 神主島田氏あり

 

紀伊續風土記 巻之六十 在田郡 田殿荘 井口村から


○高野明神社   境内周六町  禁殺生
  本 社  拜 殿  神楽殿  廳
  末社二社
   氣比社  春日社
村中山の麓にあり 當社丹生明神と共に出村の中白山の麓夏瀬森に坐しヽを中古高野明神を此地に移せるより夏瀬に在す丹生明神を上の宮といひ此地に在す高野明神を下の宮といふ  田殿荘十三箇村の産土神なり 舊は兩部に祭り來りしに近世改めて唯一の神とすといふ 尚神の來由詳に上宮の條に見ゆ 神主島田氏あり 出村に住す
 

紀伊續風土記 巻之六十 在田郡 田殿荘 船坂村から


○白山権現社   境内周六十間
出村丹生社の山頭にあり 此山を白山ともいひて古より祭れる由なれとも勧請の時代詳ならす
 

丹生都姫伝承
古代史街道 紀ノ国編
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