漲水御嶽(ツカサヤー)
沖縄県宮古島市西里 地図

鳥居


交通
平良港の東20mに鎮座。


祭神
宮古の創世神 古意角(コイツヌ)、姑依玉(コイタマ)
脇神 ニィヌパマティダ、竜宮


由緒
 天帝に命じられた古意角と姑依玉はこの地に天降りして、島内の神々とともに島造りを行い、人々を産み育てたと言う。波打ち際に天降りして、人種やあらゆる物を産出して天に帰った。人々は、神の足跡として波打ち際に石を積み、木を植えて御嶽とした。

『御嶽由来記』(18世紀初頭)に以下の記事がある。(平良市史:御嶽)
 人間がまだこの世に生まれぬ頃、古意角と言う男神が、下界に島を造り、衆生を救ってその守護神になりたいと誓い、天帝から天の岩戸の末端を請い受けて持ち帰り、風水良い所を選んで投げ入れた所、その石が凝積して島形が現れた。古意角は更に天帝に請うて、姑依玉と言う女神を伴うてその島に天降り、夫婦となって一切の有情非情を生じた。その後二神は宗達神(ソダツ:陽神)、嘉玉神(ヨシタマ:陰神)を生んだ。二神が十余歳の頃、土中より化生したと称する本荘神(男神)、草荘神(女神)が現れたので、古意角、姑依玉二神は喜び、宗達神と嘉玉神を夫婦にして東仲宗根を領せしめ、本荘神と草荘神を夫婦にして西仲宗根を領せしめた。宗達神の子世直しの真主は男神、本荘神の子素意麻良司は女神だったので、二神を夫婦とし、これから宮古島民が子孫繁栄した。

 「人蛇婚伝説」もある。
 下里南宗根の住屋に美しい娘がいた。蕾の頃に懐妊したので両親は怪しみ、問いつめると、名はわからないが、麗しい男子が夜な夜な忍んできたと言う。両親はその男を突き止めようと、長い麻糸の先に針をつけ、男が来たらこれを髪に挿すように命じた。
 翌朝、その糸をたどると、漲水御嶽のイベ(神霊の座素場所:祠)の洞窟の中だった。そこには大蛇が身を横たえており、針は首に刺さっていた。
 その夜、娘の夢に大蛇が現れ、「吾は宮古の島建の神である。守護神を生むために汝のもとにしのんだ。汝は三人の娘を生む。三歳になったら漲水御嶽に参れ。」と言った。
 娘達は三歳になり、漲水御嶽に連れて行った。娘達は大蛇にはいより、首・胴・尾に抱きついた。三人娘は御嶽の中に入って姿を消し、島守の神になったという。

拝殿


 

たたずまい
 神明鳥居は南面するが、拝殿は東面している。
 境内には木々が多く、特にカジュマル、クバ(ビロウー)の大木が目立つ。『天地連道の光』(新城定吉著)には、「ツカサヤーのビロウが枯れる時には天から鬼が降りてくるとの伝説がある。」と記載されている。盛加御嶽の由緒である。
 拝殿の中には大きいさい銭箱が置かれている。その後で祭祀が行われるようだ。

本殿とカジュマル

本殿とカジュマル(横から)


 

お祭り
2月ダミ、3月・龍宮ウサギ、6月「ユーダミ、9月ユークイ、12月トゥスヌパン



『平良市史』、『沖縄県の地名』、『沖縄拝所巡り』(比嘉朝雄著:那覇出版社)
2007.12.25


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