仲間御嶽
沖縄県宮古島市平良下里 地図

一の祠


交通
宮古農林高グランドの東200m。


祭神
仲間金殿

由緒
  この御嶽は里御嶽で、下里南部の人々によって祭られている。
 由来に、ある年、荷川取邑の仲間金殿の夫人が、下地の赤崎御嶽の参詣の帰り、川満邑の喜佐間按司に拉致された。金殿は二人の子供と共に出迎えたが、事の理由を聞いて大いに怒り、二人の子供を斬り、かまま嶺に放棄した。血のにじむ刀を持って深夜に喜佐間城へ行ったが、城内には数十匹の猛犬がいて入ることができない。金殿は策をめぐらし、脱髪を混ぜた握り飯をつくり猛犬に投げ与えると歯の間に絡まって苦しんでいた。金殿はその隙に城内に入り、同室していた喜佐間按司と妻を殺した。金殿はこの世での望みも終えたと下里南部の森に入って自刃した。今の字下里南方の仲間御嶽はこれを祭っている。

一の祠と背後の二の祠


 

たたずまい
 東西約30m、南北約40m規模の御嶽で、フクギやリュウキュウコタンなどの木々が茂っている。二つの祠を中心としてイビがあり、香炉や石のの香炉が置いてある。


 

お祭り
 旧暦六月、十二月の吉日の御願



『社頭掲示』『平良市史』『沖縄県の地名』
2007.12.25


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