斎場御嶽(セーファ御嶽)
沖縄県南城市知念 地図

御門口


交通
バス知念郵便局から登る。


祭神
君ガ嶽主ガ嶽御イベ六御前(『琉球国由来記』)
 一御前 ヨリミチ、一御前 サノコウリ、三御前 キヨウノハナ

 「おもろさうし」巻一〇の四
 一 さやはたけ みちやけ(斎場嶽 御嶽)
 ゑよ ゑ やれ おせ(エヨ エャレ 押せ)
 又 そこにやたけ みちやけ(スクナ嶽 御嶽)
 又 さんこおり あつる(三庫裡にある)
 又 さんみやあしやけ(あつる(三庭アシャギ(神軒)にある)
 又 よきのいろのつまくろ(雪の色の爪黒(馬))
 又 ましちよきやのつまくろ(真白雪の爪黒)
 又 金きやくら よりかけ(金の京鞍をより掛けて)
 又 なむちあきやくら よりかけ(銀の京鞍をより掛けて)
 又 玉しりきや よりかけ(玉の尻掛け(鞦)より掛け)
 又 玉くみきや よりかけ(玉の踏み掛け(鐙) より掛け)
 又 ておのいと はまるひ(条の糸の真腹帯)
 又 くもこたつな よりかけ(雲子色の手綱より掛け)
 とある。聞得大君が白馬に乗って行く姿を謡っている。

 国王が行幸する時に謡われたと伝わるアガリユーと言う古謡には
 御日がなしの あがていまいさ (国王様が 上って参られるよ)
 さいは森 さいは御嶽     (斎場森 斎場御嶽に)
 松の並 ゆうなの並      (松の並木 ユウナの並木)
 くばの並 まあにの並     (蒲葵の並木 マアニの並木)
 九年母の並 でいちなみ    (九年母の並木 デイゴの並木)
と謡われ、多くの木々が鬱蒼としていた様子を伝えている。


由緒
 琉球神道第一の聖地。
 琉球神道の最高の神職聞得大君が就任儀礼である御新下(おあらおり)をする聖地として名高い。『中山世鑑』では、斎場御嶽はアマミキョがつくった最古の聖地の一つに数えられている。15,000坪。久高島には、昔アマミキョが天から降って久高島をつくったが、黒い棒で島の縦横を計ってみるとあまりに小さいので、沖縄本島に渡り、斎場御嶽をつくったという伝えがある。久高島と斎場御嶽とは一体である。
 

境内の図



   御門口は斎場御嶽の入口で、神社でいえば拝殿にあたる所。琉球最高の御嶽ゆえに、ここから入場できるのは王府関係者に限られていました。右側には、御嶽内にある六つの拝所を示す香炉が置かれ一般の人々はここで御嶽の中に向かって拝みました。

大庫理(ウフグーイ)
 


 首里城正殿の二階は大庫理とよばれ、祭祀的な機能を持つ格式の高い場所です。聞得大君のお新下り儀式での「お名付け(霊威づけ)」儀礼が、首里城と同じ名前を持つこの場所でとり行われたのはその名にふさわしいことと言えましょう。前面にある 磚(せん)敷きの広間では神女たちが聞得大君を祝福し琉球王国の繁栄を祈りました。

寄満(ユインチ)
 


 寄満とは首里城内にある建物の名付けで国王のために食事をつくる厨房を指します。当時、ここには国内外からの海幸・山幸が集まりました。それが、「豊穣の寄り満る所と理解されていったのでしょう。同じ名前を持つ斎場御嶽のこの場所には、第二次世界大戦前まで、その年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐ
ーいし)が置かれていました。

三角岩
 


 自然石や洞穴に囲まれたこの場所には、いくつもの拝所が集まっています。正面に見える三角形の空間の突き当たりが三庫理(サングーイ)、右側がチヨウノハナの拝所で、いずれも首里城内にある場所と同じ名前を持っています。また、左側からは太平洋と久高島が遠望できます。
 さて、三角岩の右側には、「貴婦人様御休み所」と二本の鍾乳石が見えます。滴り落ちる水はその下に置かれた壷に受けられ、それぞれが中城御殿(国王の世子)と聞得大君御殿の吉兆を占うとともに、お正月の若水とりの儀式にも使われる霊水でした。

 二本の鍾乳石は、「しきよたよる雨か美御水、雨たよるあしか美御水」の二御前の垂れる水。

京ヌ端(チヨウノハナ)

 

久高島

 


 大庫理と三庫理に道が分かれる辺りから岩山に登る緩やかな斜面を登ると、三庫理の上にある岩山に出る。久高島を望む拝所にふさわしい場所であり、そこが本来のキョウノハナであると言う。


お祭り
     


 平成六年度以降の発掘で、陶磁器・金製勾玉・中国製青磁・宋銭などが出ている。また貝塚時代後期の土器・弥生土器も出土している。



『平良綾道(アヤンツ)マップ』『日本の神々13』『斎場御嶽のパンフレット』『沖縄県の地名』、『沖縄拝所巡り』(比嘉朝雄著:那覇出版社)
2007.12.25


神奈備にようこそ

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